2005年3月27日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/イエス・キリストの復活メッセージ
(マタイ28:16〜20)

■世界的な賛美でした。実は今、全世界で皆さんの賛美を聞いています。私たちの聖日メッセージは、5千ヶ所で礼拝を聴いています。そして、ある方々は何度も聞くのです。復活の朝、インマヌエル釜山(プサン)、蔚山(ウルサン)すべての所に、神様の祝福があることを望みます。すると、アンサンでなぜ、私たちのことは言われないのですかと話しました。前に一度、アンサンのことを話したところ、感謝しますと挨拶をしにきました。アンサン、サンノク、すべてに神様の祝福があるように希望します。私たちと共に礼拝するすべての地域教会に、神様の祝福があることを希望します。米国へ行ったところ、ある方がこのような話をしました。先生は、レムナントの話をしばしばしますが、韓国の人だけがレムナントなのですか、米国の人の話はしないのですかと言われました。私たちの全世界のレムナントに、神様の祝福があるようになることを希望します。ある学生が、幼い時からクリスチャンの家で育ちました。問題は福音がよく理解できないのです。しかし、お父さんは牧師でした。だから、さらに問題になります。お父さんが牧師なのに、幼い時から礼拝をささげたのですが、信仰が育ちません。この人が、勉強は本当によくできました。学校に行ったら、神様がいません。世の中の学問を勉強したら、とうてい神様が信じられないのでした。胸の中深くにこういう気がしたのです。神様はいないな。昔にはいたようだが、今はいないな。今のように科学が発展した時期に、神様がどこにいるのか。私は神様を信じない。それでも、勉強はよくできました。世界的な学者になりました。それで、学問だけを話したのではなく、ものすごい話をしたのです。昔には、神様がいたが、今はいない。神様のようなものは信じるなと話しました。その偉大な学者がそのような話をするので、影響が大きかったのです。
■そのようなある日、自分にどんどんおかしな症状が出てきました。人に説明できない、こういう症状がどんどん現れたのです。いくら病院を訪ねて行っても、医者も分からない病気でした。そうしたら、正常な生活が出来なくなったのです。そんなに世界的な学問を持って、優れた学者になったのに、使うことができなくなったのです。それで、その人を家族が精神病院に入院させました。精神病院に入院していたら、どれくらい苦しいでしょうか。若くて精神病院に閉じ込められて、監獄のように苦労して死にました。ある真昼に、死んだということですが、真昼に精神病院の広場で大声で叫んだということです。その真昼に、暗いと大声で叫んだということです。命を絶たれるその瞬間には、このように話したということです。神様、私を助けて下さい。いつも、神様がいないと言ったのですが、神様、私を助けてくださいと言いました。そのように人生を終えてしまったのでした。誰でしょうか。ニーチェです。ニーチェは牧師の息子でした。幼い時から信仰生活をしたのですが、福音を知らなくて、自分が死ぬのを知らなかったのです。
■幼い時から、ユダヤの国で神様の民として聖書を学んだが信仰が持てなかったのです。救われることができなかったので、信仰が生じないのは仕方がありません。それでも、この人は成功しました。信仰がない人が成功する、それも問題です。そのようにして、この人はすばらしい話をしました。神様というのは本来いない。人々が知らなくて、無知で、錯覚したのだ。神様がどこにいるのか。本来から存在しないと言いました。みな物質的に進化したのであって、何で神様が創造をするか。それで学校で勉強したら、その話が正しい言葉でした。だから、胸の中の深いところに不信仰が根をおろしたのです。そのようにして、この人が途方もないことを作り出しました。それが共産主義です。共産主義は、70年後に完全に滅びました。その人が誰でしょうか。ユダヤ人、カール・マルクスです。カール・マルクスはユダヤ人です。幼い時から聖書を学んだのですが、救われないで福音がないから、ほろびてしまったのです。世の中の人々が賢くなって、重要なことをのがすようになったのです。この頃はこのようなことまで出てきています。イエスを信じて救われるのではない。私たちがすべての抑圧の中で押さえられた者を解き放つのが救いだ。いわゆる解放神学と言います。聖書のみことばは昔のものだ。現代人の目で見る時、合わないことがとても多い。それを合理主義神学と言います。こういうものが出てきました。こういう部分は、どこから出てきたのでしょうか。ヨーロッパから出てきたのです。そのうちの重要な人物は、ドイツの人物です。聖書みことばは、神様のみことばではない。エミリー・ブルーノ。
牧師であり、神学者で、ドイツの人です。聖書の中で神様のみことばもある。カール・バルトです。その人もドイツの人です。聖書、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記こういうものはみな神話だ。ベル・ハウゼンという人です。みなドイツの人です。しかし、不思議なことが行われました。ドイツをはじめとして、ヨーロッパで、ますます教会が死んで、人が死ぬのです。どの程度、滅びたかというと、集めて麻薬をするように手助けするくらいです。歩き回れば問題になるので、集まってしろということです。これから韓国もそうなるでしょう。とても多くなったので、集まってそこでしろ。これで変なこと、すべてのことをみなするのです。それと共に、3年前には、世界で自殺者がドイツで一番たくさん出ました。それと共に、全世界はうつ病患者でぎっしりと埋まっています。教会は無気力になり、青年たち、子どもたちは、教会を離れてしまいました。これから、どうなるでしょうか。ある人々は、こう思っています。これでは教会が、ほろびるだろう。私はそのように思いません。反対です。精神がみな狂って、教会にくるでしょう。これから伝道しやすいのです。神様が生きておられて、人間のいのちを治めておられるので、あえて神様がいないという人が、どのように生きていけるかということです。だから、イエス様の復活をどのように信じるのでしょうか。カナダのある牧師は、牧師会の会長なのに、自分は復活が信じられないと言いました。本当にそのような人が異端なのに、そんな話をしても、他の人が何も言えないのです。信じられないと言っています。
■今日、私と皆さんは、イエス・キリストの復活と永遠に受けなければならない答えを捜し出さなければなりません。復活について、日がいつなのかという説明はしなくても良いでしょう。歴史的に証拠があるから、説明は必要ありません。今日、私と皆さんがイエス・キリストの復活と永遠に受けなければならない答えは何でしょうか。それを必ず見つけ出さなければなりません。たくさんあるでしょうが、皆さんが、三つは必ず参考にしなければなりません。最初です。イエス様がどのように復活されたのか。それは誤った質問です。なぜイエス様が復活されなければならなかったのか。なぜ神様はキリストを送って、十字架で死なれて、復活するようにされたのか。この質問と答が最初のことです。どのように復活することができるのか。それは人間の基準です。なぜ神様は聖書に、かなり以前からイエス様が十字架に死なれて、復活するとずっと話されたのでしょうか。これを言葉を変えて言うなら、復活の当然性です。パウロはレベルが違いました。イエスを信じて救われる。このように伝えたのではありません。当然に救いを受けなければならないが、イエスによって救われる。使徒17章には、イエス様が十字架で死んで、よみがえられたが、十字架に死なれるべきで、よみがえらなければならないかを証明したとなっています。これが重要です。復活の主を信じなさいではなく、なぜ私たちが復活の主を信じなければならないかということです。私たちの頭でも理解できない、この復活の主をどのように、なぜ信じなければならないのでしょうか。これが重要です。今日、私たちがハレルヤを賛美しました。メシヤを賛美する内容です。皆さん、メシヤ、キリストとは何の話なのでしょうか。
■人間はいくら立派でも、三つのことを解決できません。人間はいくら文化が発展しても、三つのことは変わりません。いくら発展した国、いくら発展できない国でも、三つのことは共通的です。それが何でしょうか。皆さんが知らなくて犯した罪、先祖が犯した罪、本来ある原罪。これらは解決できません。それで災いが臨むのです。皆さん、まだ理解できないのでしょうか。原罪というものは、皆さんが犯したこともない罪のことを言います。皆さんの家がほろびて、おかしな精神病者が数十人がいるのに、皆さんが犯した罪なのでしょうか。違います。皆さん家に、事業に、呪いが入ってくるのに、それが罪のためにそうなのでしょうか。だから、原罪です。先祖が犯した偶像崇拝の罪です。私達が知ることができない罪、知って犯す罪は小さい罪です。知って犯す罪は、私達が知ってすることもあります。警察署では、知って犯した罪、現われた、それだけを話します。人間の罪と呪い、同じようなものですが、解決しません。これは、人間がいくらもがいても解決しないのです。
■二番目のことは、人間の運命と地獄です。だから占いに行くのです。運命が決まって、避ける方法がないのです。しかも一つは何でしょうか。普通の人が知らない、おかしな霊的問題とサタンです。この3つのことが解決しないのです。これは昔でも今も全く同じです。それで、この3つの問題を解決するのをキリストと言います。ヘブル語では、メシヤと言うのです。今日、メシヤの賛美をしたのですが、メシヤ、キリストは同じ言葉です。もし皆さんが、自分は解決受ける必要がないと言えば、皆さんは終わったのです。ニーチェは知らなかったのです。そして、カール・マルクスは知りませんでした。聞くことができなかったのです。それで、聖書で聞けないように話さないのは、大きい罪になるのです。皆さんの運命、サタン、呪いを避ける方法がありません。それで、祭司を送るのではなく、真の祭司を送る。今まで来た預言者でなく、真の預言者を送る。今までいた王ではなく、真の王を送る。それが神様の一番重要な約束です。
■それで二番目に付いてくることがあります。人ではすることができないのです。それで、キム氏も、リュウ氏もすることができないのです。分かるでしょうか? 女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。まだ理解できないでしょうか? 救いの科学性です。どの場合も、人は解決することができません。それで、人の子孫は人を救い出すことができないから、神様が女の子孫を送られたのです。聖書にかなり以前から約束されました。羊の血、十字架で、すべての呪いをなくす。それでは、その主人公が誰なのでしょうか? 死から復活するキリストでこそ、キリストになるのです。聖書に約束されたのです。あちこちで私がキリストだと言えば、どうなるでしょうか? それで、聖書にあらかじめ約束されたのです。私が昔に一番初めに集会に行けば、空港で誰かが何を上げていました。上げているのを見れば、‘柳光洙先生が私たちの地域に来られたのを歓迎します’と書かれていました。それは、私が初めて行くから分からないと思って表示していたのです。その人々は私を知らないためです。ですから、だいたい話をしておきます。おもに黒い色の洋服を着ている。背丈は標準だとかいう話をしておくのです。そのような人が行くと話をしておくのです。それで、到着したら混乱しないように上げています。なぜなら、どれが誰なのか分からないからです。宗教がどれほど多いでしょうか。みな私が正しいと言います。これが問題です。ですから、サタンが踊るのです。聖書はあらかじめ話しています。メシヤを送るが、その人は、死から復活するだろう。そのことが可能でしょうか? 神様には可能です。私たちは、科学が発展するほど分かるようになるでしょう。
■私が李承晩大統領がいた所、言わば大統領府に行ってみました。避難きておられたのか大統領が留まった家があります。海軍部隊が今、保護しています。その中に行ってみたのです。びっくりしました。タンスもあって、李承晩大統領が使ったベッドもありました。ベッドを見たら、今、私たちが使っているベッドよりさらに悪いベッドです。タンスがとても昔のタンスでした。見ながらそれしか仕方がないと思いました。その時は、それが一番良いものだったのです。今は、乞食でもソロモン王より水準が高いでしょう。ソロモン王の家に冷蔵庫があったでしょうか? その地位あるソロモン王が、携帯電話を持っていたでしょうか? 想像も出来ないことが行われています。今、あちこちで携帯電話を持っていて、どれくらい発展しているでしょうか? その当時に、これを言えばおかしな人になったでしょう。神様にできないことがあるでしょうか? 神様がメシヤを送って、キリストを送られたのですが、その証拠が死から復活するようになる。これが救いの最も重要な部分になるのです。皆さんの呪いをみな解決されました。今は、サタンを恐れる必要がありません。運命と呪い、地獄の勢力を恐れる必要がないようになりました。死をみな解決して、復活されたのです。ものすごいのです。これが復活です。これが最初に悟るべきことです。
■二番目に何でしょうか? 私たちに再創造の力で新しい恵みをくださったということです。Iコリント15:45-47に、重要な説明が出ています。最初のアダムは生きる霊で、二番目のアダム、イエスは生かす霊です。
私たちは生きる霊です。神様は生かす霊です。最初のアダムは肉に属す者で、二番目のアダムは霊的な者です。最初のアダムは地から出た者で、二番目のアダムは天から出た者です。水準が違います。人のからだを着ただけであって、その霊は神様です。ですから、復活の力が可能になるのです。それよりさらに重要なことが何でしょうか? 神様は再創造の力で、私と皆さんを救われたということです。人類が、どれだけみじめでしょうか? イエスが十字架にかからなければならないほど、みじめです。人間の問題がどれくらい惨めでしょうか? キリストが来られなければならないほど、惨めです。それで死に勝利されたのです。今日、皆さんがこの信仰と祝福が回復することを希望します。皆さんの事業、家庭、全てのものが回復することを希望します。皆さんの健康も回復することを希望します。
■Iコリント15:49-54に、もう一つ重要なみことばが出てきました。彼と同じようにあなたたちも後ほど復活するようになります。私たちが死ねば、天国に行って、からだは地に行きます。聖書には、最後の日にみな復活すると言われました。それで、イエス様は初穂として復活されたのです。何の話なのか分かるでしょうか?
それで、完全な体で復活して、私たちは完全な天国にいるようになると聖書は記録しています。こういう内容まで、皆さんが深く理解できないと思います。しかし、今日、二番目の大きい課題で受けなければならない重要な部分があります。神様が私たちを救われたのは、再創造の力で救われたのです。皆さんの中に恐れている方はいますか? キリストのなかで、皆さんの過去はみな終わらせてしまい、新しい被造物として創造されました。皆さんの過去に執着する必要はありません。神様は、皆さんに新しい創造、新しい恵みを与えられたのです。それで、死から復活して、私たちの初穂となられました。ここまでが私たちが二番目に理解しなければならない復活の奥義です。
■それでは三番目です。復活のメッセージです。復活された主が、メッセージを与えられたのですが、それは私たちにすべての答えを回復する、そのような奥義が入っています。復活事件から見なければなりません。それが、たくさんあるのですが、マタイ28:1〜15節の間に記録されています。よく一度、考えてみなければなりません。イエス様があらかじめ話されました。私が死んで3日後に復活するだろう。そして聖書の色々な所に預言されています。旧約聖書に、イエス様に関して約500ヶ所、約束されています。驚くことではないでしょうか? 3日後に復活するだろう。そうしてこそ、キリストです。申し訳ないが、釈迦も死んで、火葬しました。他人の話をして申し訳ないのですが、孔子も墓が山東(サントン)省にあります。イエス様には墓がありません。彼がメシヤで、キリストです。こう言うからユダヤ人が死んで生き返る、これに対して考えるようになったのです。それで、イエス様の死体を出して、亜麻布で包んで墓に入れたのです。イスラエルの墓は、韓国のようになっていず、家のように入れて、門を閉められるようになっています。それで死体を中に入れて、石の扉を閉めておいたのです。イエス様が3日後に生き返るという話のために、軍人がその前を守っていました。ローマ軍人とユダヤ人が一緒に、部隊が墓を囲んで守っていたのです。変なことが起きました。明け方ぐらい、墓のなかから光が出てきたのです。そして、男が何人かで開かなければならない石の扉が開かれたのです。それと共にイエス様が歩いて出てきたのです。
■皆さんならば、どのようにするでしょうか? イエス様の復活を一番最初に見たのは、マグダラのマリアではありません。イエス様の復活を最も早く見たのは、墓を守った軍人でした。守った軍人の中で心臓が弱い者は、卒倒しました。そして、大部分の人々が、その前でひっくり返ったのです。この時、守っていた軍人の中の何人かが走って行って報告して、イエスが本当に生き返って石の扉をあけて出てきたと話したのです。直接見たのか?と尋ねたので、何人かを気絶して、私たちがこのように報告しにきた。と話しました。歴史的に記録されています。ですから、ユダヤ人が話すのに、大変なことになった。この事実が世界に知らされれば、どうなるだろうか? このようにして、見た軍人と気絶した軍人全部にお金を与えながら、口を閉じておきなさいと言ったのです。しかし、口止めしたのですが、続くことはなく、金を受け取った事実まで知らされるようになりました。その時になって、ユダヤ人がうろたえたのです。それで、うそのうわさを流し始めたのです。自分たちが寝ている時、イエス様の弟子がきて死体を盗み出したと話しました。それを盗難説と言います。おもしろいのは、ヨハネの福音書にもそうで、聖書の原文を見れば、イエス様を包んだ亜麻布は、そのままあって、からだだけ抜け出たとなっています。これを見れば、復活の本質が分かるでしょう。ユダヤ人の話が話にもならないのは、盗み出したとすれば、誰が亜麻布を置いて、中にある死体だけを持っていくのでしょうか? あちこちで実際にイエス様が歩いているのを見たという証人が出てきました。それで出てきた二番目の話が、幻想を見たということです。それを幻想説と言います。しかし、違う。数人が見た。本当に見た証人が出てきたのです。その時になって、ユダヤ人が三番目に言った話が、自分達があまり殺さなかったということです。それが気絶説です。気絶して目覚めたと言うので、気絶説です。ところでIQが高い人は、考えてみるように願います。この3つのことが、復活の証拠なのです。IQが少し高い人は、すぐ感づくでしょう。しかし、ユダヤ人のIQでは、感づくことができないでしょう。死体を盗み出したということは、何の証拠かというと、墓に死体がないということの証拠です。幻想説を主張したということは、イエス様を見た証人がいるということの証拠です。気絶説を作ったとのことは、イエス様が生存していることの証拠です。一気に、このうわさがユダヤ国とローマに広まり始めました。聖徒が完全に変わったのです。今は死ぬことも恐ろしくない。私たちは復活の主を信じる。このように信仰が広がっていき始めたのです。このようにして、一気に、この福音は世界を征服しました。こういう驚くことが行われたのです。
■それなら、私たちがここで受けなければならない祝福、答え、秘密は何でしょうか? ここに重要な3つのことがあります。天と地の権威をわたしに与えられた。あなたたちは行って弟子としなさい。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。この話は、少なくとも3つの重要なことが入っています。何の話でしょうか? 天の権威を持ってあなたとともにいる。これが普通の話ではありません。皆さん、今日、信じる瞬間に、神様は聖霊で働かれるでしょう。皆さんがよく知らないからですが、信じる者が行く所に天の門が開くのです。信じる者がいる所に、天の軍隊が動員されるのです。ものすごい言葉です。天の権威を持ってあなたと共にいる。復活されたイエス様がされた言葉です。これが私たちの祝福にならなければなりません。私は、この聖書を見ながら、多くの祈りの答えを受け始めたのです。ヨハネの黙示録を見たら、私たちの信者が祈っているのに、あちこちに神様が天使を送られるとなっています。私はこれを見ながら、神様が生きておられて、霊的な天の御座を動かされたら、私たちが心配することはないと思いました。
■ある宣教師が、暑い地域で午後に韓国からもらった月給を持ってきて、木の下で休んでいたということです。強盗2人がきて、刀を向けたそうです。宣教師が、そのままお金を与えたということです。そのように与えたら、強盗2人がお金を持って行ってしまったということです。しかし、その日の夜に、強盗2人がまた来たのです。そして、宣教師の前にひざまずいたのです。そして、お金を返しました。どうしたのかと尋ねたら、強盗2人が、かえってどうなったのかと尋ねたのです。自分たちが奪ったお金を持って行くのに、銃を持った軍人10人が、自分達を追いかけてきたと言いました。それで、逃げてきたということです。それと共に、どうなったのかと尋ねたのです。その時になって、宣教師がこれは神様の働きだなと悟ったということです。それで、そんなことないと言わず、悔い改めてイエスを信じなさいと言いました。それで、その二人が信者になったのです。それで、その宣教師がとても不思議に思って、韓国に戻った時に、宣教報告をしながら話をしました。その時、信者の中で何人かがびっくりしたのです。同じ時間に、宣教師を派遣した後援団体で10人が祈っていたということでした。神様が主の天使を送って、宣教師を保護されたのです。ヨハネ黙示録を見ると、皆さんが祈る時ごとに、神様が主の天使を送って保護されるとなっています。これが事実ならば、皆さんは心配する必要がありません。天のすべての権威を持ってあなたとともにいます。確かにそうです。私たちの教会にあった事です。大統領選挙をするのに、公務員たちが忙しいでしょう? 私が知っている長老が朝に忙しくて、ネクタイをする時間もなくて、タクシーのなかでネクタイを締めていました。その時、トンネルのなかで正面から来るタクシーとぶつかったのです。相手も車の運転手と、その中に乗っていた人も死んで、車も完全にめちゃめちゃになりました。しかし、その長老は全くケガをしなかったのです。それで、降り立って、とても不思議に思って、勤め先について家に電話をしたのです。本当に不思議なことです。奥さんが、夫が出て行く時、哀れに見えたということです。それで、休みなので子どもたちを起こしたということです。その次に、お父さんがあのように忙しいが、うちのお父さんのために祈ろうと言いました。それで、自分の家の屋上にあったテントで祈ったということでした。祈るその時間に、その長老にそのような驚くことが起きたのです。偶然でしょうか? 私はそのように思いません。ヒゼキヤ王が、祈っていた時、神様が主の天使を送られて、アッシリヤ軍を滅ぼしたとなっています。すばらしいのです。天のすべての権威を持って、あなたたちとともにいる。また地のすべての権威を持って、あなたたちとともにいる。皆さん、地といえば、世の中のことを言います。すべての暗闇、サタン、全てのものに勝つ権威を持って、あなたとともにいる。もう一つは何でしょうか?
■あらゆる国の人々を弟子としなさい。父と子と聖霊の御名でバプテスマを授けなさい。この話は、何の話なのでしょうか? 三位一体の神様の驚くべき奥義をもって、あなたとともにいる。神様のみことばと、キリストの恵みと、聖霊の働きでともにいる。皆さん、この祝福を回復しなければなりません。皆さん、この契約を捕まえて、本当に信じるように願います。特に、多くの男の人たちは、信仰生活に大きい祝福を受けられるように願います。女の人たちは、恵みを受ければアーメンと言うのですが、男の人たちは、あまり言いません。私たちが恵みを受ければ、表現にも出なければなりません。ものすごいのです。天と地のすべての権威を持ってあなたといつもともにいる。父と子と聖霊の御名でバプテスマを与えて、言い付けた全てのもの教えて守るようにしなさい。どれくらい驚くべきことでしょうか? 私はこれを分かりながら、すばらしい答えを受けました。ソロモンのように物質だけ多くても力が出るのに、神様がこの権威を持ってあなたとともにいる。馬山(マサン)に行けば、大きい教会があります。教会を越えてくるところに、信号があれば良いのですが、絶対に作ってくれなかったのです。それで子どもたちが越えてきて事故にあったりします。それで、教会も大きくて、道も広いから、信号を作ってくれといくら要請しても作ってくれなかったのです。しかし、その教会の長老が大統領でした。それが誰なのか分かるでしょう。長老が警察署に電話をしたのです。私が大統領として電話するのではない。その話は、圧力を加える、より一層怖い言葉です。国民の一人として話す。その教会の前に横断歩道があってこそ、事故がおきないのに、なぜ作ってくれないのか? 前にいくら話しても作ってもらえませんでした。その許可が下りるやいなや、その日の明け方から作り始めたのです。神様が、天と地に権威を持ってあなたとともにいると言われました。比較できるでしょうか? 大統領は数年して止めますが、神様は止められるでしょうか? 大統領は下手すると、監獄にも行きますが、神様は行きません。天と地の権威を持ってあなたとともにいる。どれくらい驚くべきことなのでしょうか?
■ある方が、先生は、しばしばあらぬ罪を着せられるのに、なぜ静かにいらっしゃるのですか? と尋ねました。神様が生きておられたら、じっとしていてもかまわないのです。後ほど、実がみな出てくるのです。私たちが初期に始めた時、神様が生きておられたら、私たちの教会を祝福されるでしょう。福音を持っているならば祝福されるでしょう。多くの困難がきて苦しい時もあります。不安な時もあります。神様が共におられたら大丈夫です。ある将軍が話しました。昇進できないようだと話しました。自分が心配したと言いました。ところが、その方がその日の夜に祈ったということです。そんなことを心配した自分を許してくださいと祈ったということです。神様が願われれば昇進させて下さることで、昇進できなくても、自分は神様の子どもであるから、心配する必要がないということを悟ったのです。そのような祈りをし終えて、平安になったということです。その後に、なると言われた人はだめで、その人が昇進しました。そして、その方が行く部隊にみわざが起きたのです。全国にある部隊の中で点数をチェックするのですが、その方がいる部隊が1等を取ったのです。国家で、その部隊に大統領賞まで与えました。それで、その方がまた昇進しました。私がその方に話しました。神様があなたをずっと昇進させられるでしょう。なぜなら、あなたのような軍人だけがいるならば、韓国が生かされるからです。
■神様が私たちとともにおられます。黙示2:1節を見たら、七つの星を捕まえて、燭台の間を歩かれるとなっています。それでは、今、復活されたキリストは、何をしておられるのでしょうか? ヨハネ黙示録に、その奥義を説明しています。七つの星は主のしもべで、燭台は教会、皆さんだと言われました。そして、黙示2:12節には、左右の刃が鋭くなった剣を持って、私たちを守られると言われています。黙示2:18節には、燃える炎のような目で、しんちゅうのような足で、私たちを保護して見守っておられると言われています。黙示3:7節を見ると、ダビデの鍵を持って、私たちとともにおられると言われています。開けば閉じる者がいなくて、閉じれば開ける者がいない、その鍵を持って皆さんを守られると言われました。どれくらい感謝なことでしょうか? 皆さん、この契約を捕まえて答えを受けるように願います。ひょっとして心配があるでしょうか? しなくてもよいのです。あなたたちの心配を主に任せてしまいなさいとおっしゃられました。ひょっとして失敗した者がいますか? 新しく始めれば良いのです。復活の主が、皆さんと共におられれば、新しく始めれば良いのです。さらに正しく始めなさいということです。皆さんに問題があるのでしょうか? 神様は確かに重要な答を持って、皆さんを待っておられます。この契約を捕まえて勝利する復活の主日になることをイエスの名前でお祈りします。祈ります。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。聖霊で働いて、今でも私たちとともにおられることを感謝申し上げます。天の権威と地の権威を持って、私たちとともにおられ、答えくださることを確信します。主の民に、重要な問題を解決されたことを確信するようにさせて下さい。復活された主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/旧約に預言されたキリスト
(イザヤ7:14)

■今日は特に復活主日を迎えて、賛美礼拝をささげます。いつもそうですが、私たちの聖歌隊のために特別に祈る、そのような日にならなければなりません。イエス様が苦しめられので、申し訳なかったり、感謝なのですが、私たちがまた苦しみを受ける必要はありません。ある人は、苦難週だと断食をする場合もありました。特に悪いことでもないのですが、良いことでもありません。正確に話せば、キリストが苦難を完全に責任を負われたとなっています。すべての罪と過ち、死の力を全部、破られたとなっています。それで、キリストの勝利と復活を賛美するのです。そのような意味で、復活祭の賛美礼拝はすばらしい意味があるのです。しかも天使が元々、賛美しました。しかし、その賛美した天使が堕落してサタンになったのです。それで、その賛美を私たちの聖徒に任せられたのです。それで、賛美がとても重要なのです。また詩篇21:3節に見ると、賛美の中に住まわれる主と言われています。ダビデの願いが、神殿をたてて賛美することでした。神様は、最高の王として祝福されて、ダビデが賛美する時に、悪霊が離れて癒されました。パウロも賛美の人であったのですが、パウロが賛美する時、奇跡が起きました。(使徒16章)皆さんが知っているマルティン・ルターも、賛美の人でした。賛美を作詞、作曲をする程の賛美の人であったし、その賛美で世界を変える、そんなことが行われたのです。ムーディーをはじめとする、多くの復興師が賛美チームをとても重要に思ったのです。それで、私たちは聖歌隊のために、より一層祈らなければなりません。これから教会の礼拝と未来を左右する部分が、賛美です。私は一回ずつ土曜日に家で休むようになる時、衛星放送を見る時があります。チャンネルが800ケを越えるチャンネルがあるのですが、後の10ケ程度のチャンネルでは、画面は出てこないで音だけ出てきます。色々な音楽ジャンルが出てくるのですが、宗教の音楽もあって仏教音楽が出てきます。その次は、カトリック音楽が出てきて、その次のチャンネルにはキリスト教音楽が出てきます。皆さんが今晩に、一度つけてみるように願います。聞いていて、私の心に祈りが出てきました。仏教やカトリック音楽が出てくる時は、とてもレベルがあって、聞きたい気がするのですが、キリスト教の音楽を聞けば、聞きたくないという気がします。もちろん、私のレベルの問題ですが、ひとまず私の感じはそうでした。それで、私たちのキリスト教の賛美を作曲して作詞する方が、使命を感じるべきだという気がしました。
■そして、特に私たちが祈るべきことは、国内外で音楽をする方が、霊的に多くの困難にあうようです。賛美した天使が堕落してサタンになったとすれば、当然そうでしょう。私たちがテレビをつけたり、ラジオを聞いたりすれば、出てくる音の70%が音楽です。そして、今、ほとんどの青少年や人々の心を捕らえるのも音楽です。そのような意味で、復活主日を迎えて、聖歌隊員が、特別賛美をするようになりました。とても重要なのです。今日、賛美する方々、賛美を聞く方々にとても癒される祝福があるように願います。今日、賛美される方が、霊的に大きい力を得るようになるように願います。ひょっとして病気の聖徒がおられるならば、癒される祝福の時間になるように願います。それで、簡単に短くみことばを伝えます。このキリストの部分が、旧約に預言されたということを、今日のタイトルにしました。偶然なことでなく預言されたことです。聖書は、五つの特徴を持っています。多くの特徴があるでしょうが、五つで話して見ることができます。
■第一に、聖書を静かに読んでみれば、とても一般的で、宗教的な部分があります。誠実に生きろ、けんかをするな、というような一般的な話があります。宗教的な部分だと見ることができます。しかし、聖書を詳しく見れば、救われた者だけが理解できる部分があります。他の人が見れば理解できなくて、面白味もなくて、聖書が何でこのようなことを書いているのかという気がする部分があります。しかし、救われた者が見る時には、血の契約から始めて、聖書がとても秩序正しくなっているという事実を知るようになります。三番目には、救われた人の中でも、特別に祈り人、伝道者だけが分かる部分があります。ですから、すばらしい力がある人だとか、大きい答えを受けた人々だけが見られる部分があるということです。また、聖書は霊的な目を大きく開いた人も分からない部分があります。それでジョン・カルヴィンのような人は、ヨハネの黙示録を解釈しませんでした。自分は解釈できないと言いました。こういう特徴が聖書にあります。もう一つの特徴は、他の本とは違って、継続的に成就していくということです。それで、皆さんが教会に来たら、聖書を見て、読んで、説教を聞くのです。宗教の中でキリスト教だけ占いをしません。なぜなら、私たちが持っている本が死んだ本でなく、今でもずっと答えられから、占う必要がないのです。占っているということは、持っている文書が死んだ文書だということです。しかし、聖書は死んだ文書ではないから、ずっと成就するのです。
■本当に、私たちがどのようにインマヌエルの祈りの答えを受けることができるのでしょうか。旧約に預言されて '見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。'インマヌエルは神様が私たちとともにいるという言葉です。それで、私たちの教会の名前もインマヌエルとつけました。どのように、こういうインマヌエルの祝福を受けることができるのでしょうか。皆さんが受けられるならば、どれくらい貴重なものでしょうか。偶然に過ぎ行く日でなく、とても重要な私たちの聖歌隊員、聖徒の皆さんが賛美を共に聞く全世界の方々が、大きい答えを受けるようになるように願います。最初です。聖書には、とても重要な聖書箇所五つがあります。皆さんがこの部分だけ理解すれば、聖書66冊は全部、理解したことです。この五つだけ正しく理解してしまったら、祈りの答えになります。五つだから、多くなくて難しくないでしょう。それなら、いったいそれが何でしょうか。人類に最も困難が入ってきた創世記3章の事件を見れば、呪いが臨んだ事件が出てきます。その時、神様がアダムにどうしてそのようにしたかと尋ねられた時、アダムが'私が間違いました'と話すべきなのに'神様がくれたこの女のために食べました。'と話しました。エバも間違ったというべきなのに、蛇のために食べたと言いました。その時に、神様がものすごく罰を受けるようになるとおっしゃりながら、解決策をおっしゃられたのです。それが創世記3:15です。神様は罰を受けて、ほろびろと言われたのではなく、解決策を出されたのです。そこを見れば'女の子孫がへびの頭を踏み砕く'事実、それ一つだけ分かっても、聖書をみな理解したのです。女の子孫が誰かは分かるでしょう。
■女の子孫。私たちが祈る時 '乙女マリアから生まれ'と祈ります。今日、読んだ本文に'処女がみごもって男の子を産む'と言われました。その女の子孫が、蛇の頭を踏み砕くと言われたのです。正確に言わば、サタンの権威をうち砕くという言葉です。すばらしい言葉です。イスラエルの人々は、これを理解できなくて困難にあったのですが、簡単な解決策が出てきたのです。しかし、イスラエル民族がこのみことばを受けては悟れなかったのです。なぜ悟れないのでしょうか。とにかく悟ることができなかったのです。ある日、エジプトに奴隷になりました。それなら、神様は何かおっしゃらなければならないでしょう? '力を得て、そこから出てきなさい。なぜ他の人の奴隷のような暮らしするか、すばやく出てきなさい'そうでなければならないでしょう。しかし、そのようなことは言われませんでした。とうてい理解できない言葉を言われました。これは福音を持った者だけが分かるのですが、理解できない言葉を言われたのです。普通の人が聞けば、感動もしない言葉です。'血を塗る日、出てくるようになる。'と言われました。(出エジプト3:18)それなら、皆さんはすぐ分かるでしょう。女の子孫と血の契約が分からないでしょうか? 血の契約それが十字架です。旧約の中で答をすべてくださったのです。とてもやさしかったためか、イスラエル民族が悟ることができませんでした。ですから本当に不思議です。その前にも、イスラエル民族が堕落した時にも、創世記6:14を見れば、箱舟の中に入れば生きると言われました。そこに、おもしろい単語を付けて、誰でも箱舟の中に入れば生きると言われたのです。皆さんはすぐ分かるでしょう。しかし、不思議です。イスラエル民族は、なぜ理解できないのでしょうか。
■私は教会に通いながら見たのですが、聖徒がほとんど理解できずにいました。私は外に出てきて、留学現場でも、世の中に出て行って'イエス信じたい。イエス信じる人は素晴らしい'と感じたことがありません。祈りの答えを受けなければならないのに、そのような人を見られなかったのです。それなら、同じようなものではないでしょうか。バビロンの捕虜になった時も、苦しいでしょう。私たちクリスチャンが、普通、そうではないでしょうか。そのまま何もなく生きていて、問題がくれば苦しがって、断食祈祷もして、そのようにするのです。とても悪い信仰ではないとしても、良い信仰ではありません。また捕虜になりました。なぜそうなるのでしょうか。私たちと同じだという考えにならないでしょうか。今日、クリスチャンの姿と全く同じだという考えにならないでしょうか? 何の答えも受けられないのです。難しい話でもありません。'羊の血を塗る日に出てくるようになる。女の子孫が蛇の頭を踏み砕く。箱舟の中に入ってきさえすれば生きる。'これが何が難しいのか、しばしば忘れてしまうのです。その時です。また神様がおかしな話をされました。'それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。'
■イスラエルが捕虜なった時に与えられたみことばが(イザヤ7:14)今日、読んだ本文です。何がそんなに重要なのでしょうか? また、分からなかったことは何でしょうか? 本当に不思議です。また忘れてしまったのです。また、ローマの植民地になりました。その時、イエス様が生まれたのです。何をおっしゃったでしょうか? '人々がわたしを誰だと言いますか'その時、ペテロが答えた、有名な'主は生ける神の御子キリストです(マタイ16:16)'という告白です。その時、イエス様が'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。'今、私が話した聖書箇所五つがすべてです。それでは、皆さんの中で五つの聖書箇所を見ながら、こういう気がするでしょう。'すばらしい'という人,'特別ものでもないね。'と言う人もいるでしょう。そこに関して、とても知識者であるパウロが、こういう話をしました。'十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(Iコリント1:18)'皆さんが見る時には、特別価値がないことに見られますが、パウロは全てのものをすべて得たと言いました。何が正しいのでしょうか。誰が正しいのでしょうか。パウロはキリストが分かる知識が最高の知識で、全てのものをちりあくただと思うと言いました。その話を私が先にしたら'ああ無知な奴だ'と言うでしょうが、パウロはたくさん学んだ人です。それで言うべきことがないのです。今日、特別賛美をしなければなりません。それで、時間があまりありません。聖書箇所五つを持ってすべての答えを受けられてこそ正常な人です。
■二番目です。どのように、このみことばは成就されているのでしょうか。必ず記憶しなければなりません。
過去に記録されたみことばが、今、成就されています。例をあげましょう。'それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。'このみことばは、イザヤ7章14節のみことばです。このみことばが、マタイの福音書1章29〜32節に出てきます。未信者がいるならば、よく聞いてみるように願います。イザヤ書とマタイの福音書は今は一つにされています。昔には、各々離れていました。今現在、考古学者がイザヤ書は、イエス様が生まれる700年前に書かれたということを証明しました。しかし、700年後に来られたイエス様と、700年前に書かれたイザヤ書と文章が全く同じです。そのようなことが出来るでしょうか。こういう部分が、聖書に数百ヶ所を越えてあります。どう思うでしょうか。これが聖書です。そうだという時、皆さんが一つさらに捕まえなければならないことがあります。この聖書みことばは、これからもずっと成就するということです。それで、ここに座っているのです。ローマ15:4'昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。'Iコリント10:11'それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。'Uペテロ2:6'以後の不敬虔な者へのみせしめとされました 'それなら皆さんが座っているこの時間が、すばらしい時間になることができるということです。単に賛美することができますが、すばらしい賛美になることができるのです。ある人は、礼拝をささげて、そのまま行きましたが、バルテマイは目が開かれました。同じ机に座って勉強するのに、ある学生は落第生になって、ある学生は模範生になります。同じように、イエス様が過ぎ去るのを見て行くのに、ある人はそのまま行って、ある人は長血の病気が治ってしまったのです。これが悟りの差です。それで、神様のみことばは、今でも成就して、これからも成就するみことばなのです。
■今日、賛美して聞く皆さんに、インマヌエルの祝福があるように願います。今、衛星でともに礼拝する100個の教会、今週メッセージを聞くために5千ヶ所でインターネットに入ってきていますが、その地域の上に、神様の祝福があるように願います。最も大きい祝福の単語は何でしょうか。インマヌエルです。昔に、諸葛亮(しょかつりょう)の部隊と司馬懿(しばい)の部隊が戦っていた時です。諸葛亮が頭を使いました。木に油を塗っておいて敵に後退するふりをしながら、誘ったのです。油を塗っておいたその地域に来た時、火を付けたのです。それでは戦わなくて、勝てるからです。それで、すぐ火の海になったのです。その時でした。不思議に、突然、雷と稲光がして夕立ちが来たのです。だから、火がみな消えてしまったのでした。それで、戦争が勝つことができなくなりました。その時、諸葛亮がこういう話をしました。'人間は最善を尽くすけれど、なる、ならないは天にかかっている。'未信者なのに、そのような話をしました。皆さんに、最も祝福の単語が何でしょうか。インマヌエルです。今、皆さんに最も祝福の話をするなら、インマヌエルです。その方法を話しました。'処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。'
■それなら、最後に、私がどのように答えを受けられるのでしょうか。先週にも話しました。神様のみことばや祈りについては、三つのことを参考にしなければなりません。考え、意識を持って話をします。それは、現場と今日を変化させられます。今、座っている皆さんが、とても気分が悪いと考えれば、今、皆さんは気分が悪い状態です。皆さんが、どこかへ行って、良い話をして考えれば、環境が良くなります。関係があるのです。今、皆さんが何を考えているのか。それが皆さんです。それが私自身です。私が今、思って、意識しているということは、意識と現場を変化させられるのです。それで、私たちはみことばも受けて、祈りもして、賛美をするのです。しかし、私たちの未来は、私たちの中に潜在されていることで変えられるのです。皆さんの中に何が潜在されていているかにしたがって、未来が変わります。それで、私たちが潜在意識の中で、宇宙が変わる、そのような答えがくるのです。皆さんの中に、何が潜在されているかということが、未来を決めるのです。いくら良いことが多くても、中に悲しみが潜在されているならば、必ず悲しいことが行われます。それは、無視できないのです。まちがいなくそうです。しかし、私たちは霊を持っています。私たちの霊の中に神様のみことばが臨んで、聖霊充満が臨んだら、過去、現在、未来の門が全部、開かれるのです。その時から、御座の祝福が臨みます。
■必ず記憶しましょう。これは私の話ではなくて、科学的な話です。皆さんの考えと現実、潜在意識と宇宙、それだけ持って成功することができないから、皆さんの霊と御座。それで、ステパノが聖霊充満して'私の霊をお受けください。'と言ったので、天の御座の門が開いたとなっています。今日、神様のみことばが皆さんの考えの中に臨む時、皆さん自身が変化するでしょう。皆さんの深い潜在意識の中に、神様のみことばが臨んだら、奇跡が起こるようになるのです。神様のみことばが、皆さんの霊の中に入ったら、御座の祝福が臨むという言葉です。それが私たちの方法です。忘れてしまってはなりません。ある人々は、礼拝をささげて、病気がなおる人がいます。言わば、その人の霊の中にみことばが臨んだのです。催眠術は間違いではありません。催眠術ということは、私の意識を捨てて、潜在意識の中に何かが入るのです。ですから、奇跡が起こるのです。救われることができなくて、他の問題がくるのですが、ひとまず奇跡が起きます。悪霊につかれるのですが、グッ(降霊術)をすることが無条件に間違いではありません。グッ(降霊術)をすべて、自分の意識はなくなって、潜在意識の中でおかしな段階に入るのです。ですから力が現れるのです。救われることができなかったために、霊的問題がくるのですが、一応そのようなことなのです。必ず記憶しましょう。
■話を終えます。私も祈りの答えを受けられるのでしょうか。できます。神様のみことばが、皆さんの考えと賛美の中に、本当にみことばが入ったら、すぐに変化が始まります。皆さんの潜在意識の中に入ったみことばは、皆さんのすべての環境を変えることができるのです。皆さんの霊に入ったみことばは、御座の祝福を受けられるのです。それに間違いないならば、今日、皆さんが答えを受けられるように願います。可能ならば、他の教会でもインターネットや衛星で礼拝している方々は、賛美に一緒に参加するように願います。賛美に参加しながら、皆さんが大きい恵みを受けるように願います。今日、賛美チームは、最高の祝福を受けるように願います。時間が過ぎた後にも'私がこういう祝福を受けたんだなあ。'と証しできる祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私たちの聖歌隊員が忘れない祝福を受ける日になるようにして下さい。今日、インマヌエルとすべての聖徒が、礼拝に出席して、大きい恵みを受ける日になるようにして下さい。みことばが私たちに臨むようにして下さい。賛美する時、聖霊が働いて下さい。サウルの王宮に起きた奇跡が、賛美する時、起きたように、今、あるようにして下さい。パウロが監獄で賛美する時、奇跡が起こったように、今日、すべての力の体験をする日になるようにして下さい。私たちの聖歌隊員が、大きい祝福と恵みを受ける貴重な日になるようにして下さい。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。