2005年4月10日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/真の弟子になる道
(ルカ14:25〜35)

■神様に感謝申し上げます。今日一日中、百ヶ所以上の衛星で礼拝する所から蔚山(ウルサン)に向かっています。そして、5千ヶ所以上、外側からインターネットに入ってきています。それで、今日、皆さんは一日中、顔もきれいにしていなければなりません。一度は、私たちの長老の集いで、ソ長老がこういう話をしました。なぜ、釜山(プサン)だけで礼拝をささげて、ソウルでささげて、蔚山(ウルサン)には牧師先生は来ないのかと言ったのです。その時、その話を聞いて、長老が一理あると思いました。また、一度、こういう話をしました。なぜ釜山(プサン)では1部、2部を全部して、ソウルで1部、2部を全部して、蔚山(ウルサン)ではできないのかと言いました。私たちの長老がみな笑ったのですが、その時の笑いは、良くて笑ったのではなく、あざ笑ったのでした。あきれた話をしたので、みな笑ったのです。しかし、今日、長老が話されたとおり、1部、2部をみな全世界と一緒に礼拝するようになりました。それで、今日、ソ長老のゆえに、この教会が世界的な教会になりました。全世界にいる方々が、一緒に神様のみことばの祝福を受けなければなりません。そのような時間に今日、真の弟子になる道は何かを、主が明らかにしておられます。今日、皆さんがぱっと聖書を見れば、当惑するかもしれません。親も子もみな捨てろと言われたように聞こえたりもします。あなたの所有もみな売ってこそ弟子になる。このように聞こえたりもします。私たちが今日、この話をわからなければなりません。今日、私たちは真の弟子になる道が何か、この部分だけ理解すれば、皆さんは祈りの答えを本当に受けるようになります。
■私は政治家たちをたくさん見ました。しかし、その方達が本当に幸せだという感じを受けることができませんでした。とても難しいのです。うわべを見ずに、中をよく見れば、英雄はとても苦労して死にました。何でも、うわべを見れば誤解します。詳しく見つめれば、多くのことを学べます。歴史の本を見れば、うわべを良く書いてありますが、中を研究してみれば、実際、英雄は、みじめに死にました。私は詳しく見たのですが、イエスを信じる人もそうで、僧侶もそうで、宗教人は、とても霊的問題にあって死ぬのを見ました。そのような中で、イエスを信じる人々の中で、失敗する人が本当に多いことを見るようになったのです。なぜそうなのかという答えが、今日、ここにあります。皆さんが今から弟子という言葉が何の話なのかわかれば、勝利します。単に教会に行ったり来たりしていたら、何かよく知らないのです。私は、率直に皆さんよく知っているでしょうが、信仰が育たなかったのです。私は教会で信仰生活を本当によくできなければならないのに、そのように習うことができなくて失敗したのです。それで、私たちの執事、長老、大人たちが恵みを受けなければならないのです。皆さんが恵みを受けられなければ、目に見えなく私たちの子孫、レムナントが崩れます。皆さんの子どもが目に見えなく滅びたらどうなるでしょうか。私がそのケースです。そのような中で、ある日、私が福音を持った人に会うようになりました。一度会ったのですが、すべてのことがみな回復しました。このように重要です。皆さんが福音を本当に持っていれば、皆さんに会う人々がみな生かされます。それが弟子です。生かされるという言葉がすばらしい重要な話になります。この人が持っている福音と信仰一つのために、他の人が生きる程度でなく、また他の人が生かされることが行われるのです。一度はおいが我が家にきました。自分の兄とカード遊びをするのに、小さい子どもがとても秩序正しくカードをよく持ったのです。まだ学校にも入っていないのに、多くのカードをどれくらいよく持つか、違わないように持っていました。その時見ながら、両親がカードを一生懸命するのだなと感じました。それで、私がこっそりカードをあまりがんばらないでと言いました。入ったら、出てこないのです。
■ここに女の方々がたくさんいますが、皆さんのいろいろ目に見えないことが子どもたちにみな入るのです。ほとんど出ていきません。私は信仰生活がいつもつまらなくて、だめだったのですが、ひとりに会ったのですが、そのような働きが起きました。それが弟子です。信仰生活をしながら、私が2人に会いました。それも一般信者です。その人々のために、すばらしい変化が起こりました。その人々が私に説明をしたのでもありません。この二人とも、何をする人かというと、福音を知って伝道する人です。それと共に、それを少し聞いたのですが、どれくらい神様の祝福が臨むのかわかりません。その人々を、いつも心に置いています。しかし、その方たちは、聖書にある重要な霊的な問題を知らずに揺れていたのです。今日、皆さんが信仰生活をしながら、弟子という話を理解すれば、全てのものがみな解決されます。それでは、今日、全世界にいる神様の人々、インマヌエルの家族、蔚山(ウルサン)の家族は、どのようにすれば、私たちが祈りの答えを正しく受けることができるのでしょうか。今日の本文の中によく出てきています。弟子という言葉は何でしょうか。正しく習った人を言います。学校でも勉強できる子どもたちは、正しく習った子どもたちです。皆さんが、弟子という話は仕事をよくするのではなく、正しく悟ったのです。だから、キリストの弟子という話は、キリストを正しく分かった人だということです。皆さんが悟りさえすればよいのです。ものすごい業績を積むという話をされたのではなく、耳ある者は聞きなさい。聞きさえすればよいのです。どのようにすれば信仰生活に正しく勝利することができるのでしょうか。キリストが何かを正しく習った者は、弟子となります。アフリカに行ってみると、一日に一食を食べて暮らす人がいます。大変だと感じました。しかし、それだけではありません。良く暮らす人を見ると、アフリカで暮らす人が、一食に私たちの国のお金一万円分を食べる人もいます。私はその時、それを見ながら、どこの国でも第一位に上がれば、ほとんど同じであることを感じました。どこの国でも、一番底辺に行ってみれば、またほとんど同じです。米国と韓国が違うと思うのですが、根本的に掘り下げてみれば同じです。ヨーロッパと韓国が違うようでも、根本的に掘り下げてみれば同じです。だから、どこの国の人でも、言葉は通じないでも全く同じです。何が同じなのでしょうか。霊的問題が同じなのです。だから、霊的問題を解決することをキリストと言います。皆さんの家にずっと押し寄せる災いは、米国やヨーロッパや韓国でも全く同じです。それを解決したのがキリストです。皆さんがおわかりの通り、どこの国でも目に見えない暗闇の組織、サタンは全く同じです。それを解決したのがキリストです。どこの国でも同じです。起きる霊的問題は同じなのです。それで、キリストという話は真の預言者、祭司、王で来られたということです。これを正しく悟った人は弟子になるのです。何の話なのか分かるでしょうか。これを正しく悟った人は、その日からこの祝福を受けるようになるのですが、まさにそれを弟子と言うのです。
■先週にも話しました。弟子という話は、福音を正しく悟った人が弟子です。私たちを救うことができる人は、人ではできないから、神様が処女にメシヤを送ると約束されました。よく信じられないでしょう。しかし、よく見れば、それが信じられます。いくら立派な人も、立派なのであってメシヤにはなれません。聖書に約束されました。女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと名付ける。あまりにも科学的です。どうして、それが科学的なのでしょうか。処女がみごもって、男の子を産むということは、アダムの子孫は人を救い出すことができないという言葉です。それでは、インマヌエルの働きが起きるようになります。皆さんがこの祝福受けることを希望します。それが弟子です。弟子は他のことではありません。皆さんの家、事業に最も大きい祝福は何でしょうか。インマヌエルです。そのインマヌエルの道が何なのでしょうか。一般の人は、メシヤになれません。処女がみごもって、男の子を産む。あまりにも科学的です。誰かが現れて、私がキリストだと言えば、絶対に信じてはなりません。私をキリストだと話す人がいるのですが、言わないように。それは絶対ありえないことです。聖書に預言されるのに、メシヤを送るが、処女が息子を産むようになる。昔、我が国ことわざに、処女が子を産んでも言う言葉があるというのがありますが、する話があるでしょうか。地球上に、処女が子どもを産んで、言う話がある人はただひとりしかいません。その人がマリヤです。自分が本当に処女なのか、そうでないのかは、本人が分かります。それで、イエスがキリストだという事実、メシヤだという事実を最初に悟った人はマリヤです。神様は、それよりもっと大きいこともできます。
■皆さんに臨む呪いを完全になくす道が何でしょうか。十字架です。十字架の必然性です。誰でもキリストになれないから、その証拠で死から復活することだと聖書に5百回約束されました。それが福音です。これを知っている人を弟子だと言います。皆さん、この祝福を必ず今日から受けるように願います。ところで、イエス様が復活してこういう話をされました。とても重要な3つの話をされたのです。最後に復活された主が、天のすべての権威をわたしが持った。わたしが世の終わりまであなたとともにいます。しかも、何とおっしゃったのでしょうか。地のすべての権威を持って、世の終わりまでいつもあなたと共にいる。父と子と聖霊、この話は三位一体の神様の奥義を持ってあなたといつも共にいる。行って弟子としなさい。これを悟る人が弟子です。簡単です。今日、この契約を捕まえた人は、不思議に祈りの答えを受けるようになります。蔚山(ウルサン)で世界福音化をするほどのことが行われるようになります。どのように、処女が子どもを産めるのでしょうか。どのように、人が十字架で復活することができるのでしょうか。このように質問することもできるでしょう。その質問は、未信者がする質問です。私たちは、このように質問しなければなりません。なぜ神様は処女にメシヤを送られなければならなかったのか。なぜ神様は、皆さんのために十字架にキリストをつけられたのでしょうか。なぜ神様は、皆さんを救い出して、私を救い出すのに、キリストを復活させられたのでしょうか。なぜその約束を聖書に継続して書いてあるのでしょうか。これを悟った者が弟子です。この弟子ということは、とても重要なことだから、今日、インマヌエル蔚山(ウルサン)とすべての私たちの家族に、神様の答えの大きい門が、実際に開かれる働きがあることを希望します。そして、あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子としなさい。弟子としなさいと言われたのが、それを示しなさいということです。今日、弟子という話をわかったでしょう。イエス様が、わたしについて来なさいと言われたのですが、それ以前に分かってこそ、ついて行くことができるでしょう。キリストという言葉が何の話なのかわかった人は、弟子になるのです。福音が何かを知っている人は、弟子になるのです。
■キリストが十字架にかかられ、復活した後に言われた言葉があります。その言葉が何の話なのかわかった人は、弟子になるのです。それで、その時から祈りの答えは始まるのです。私はこれを27才の時に分かりました。それなら、ここにいる私たちのレムナントたちが今から分かれば、すばらしい働きが起きるのです。私はこの奥義を27才で遅く悟ったのです。キリストの3つの職を、その時、悟りました。福音が何なのか、処女降誕、十字架のあがない、イエス復活、これが福音だな。そして、イエス様が天と地と三位一体の神様の秘密を持って、私たちと共におられると約束されたんだなあ。これを悟ってしまえば弟子となります。私は皆さんに約束します。皆さんが、この話しを聞く瞬間、皆さんの家にあるすべての霊的問題はなくなるのです。信じるように願います。皆さんの家系に流れた重要な問題がなくなるのです。皆さんの家系に流れる問題があるでしょうか。それは止められません。年をとると現れます。それが完全に終わってしまうのです。感謝することではないでしょうか。皆さんの家に、皆さんの現場にあったすべての霊的問題は、この契約を捕まえる瞬間に終わるのです。皆さん、この契約を本当に捕まえるように願います。捕まえさえすれば、じっとしていても答えがきます。約束します。ヨセフのように、奴隷であれば、そこで神様のみわざが起きます。皆さんがこの契約を捕まえてじっとしていても、蔚山(ウルサン)全体を生かしてあまりあるのです。正しいでしょうか。かけている内容ではありません。大部分が他のものを捕まえて、クリスチャンが失敗するのです。本当に不思議です。この福音を悟れなければ、貧しく育った人々が、途中で少し生きて、後ほどには結局、貧しくなって死ぬのです。無知な家に育って、学がない人は、少しよく生きるように見られても、福音を悟れなければ、結局はそうなって死にます。自分のお母さんがムダン(霊媒師)であったのに、この福音を悟れないで、教会に行き来して、結局、お母さんのようになって死ぬのです。皆さん、これを分かってみれば、聖書に途方もないメッセージがあります。死からいのちに移されました。この話は、普通の話ではありません。罪と死の原理からあなたを解放した。どれくらい驚くことでしょうか。これを悟った人を弟子と言います。それで、キリストがすべての問題の解決者なのです。この祝福を皆さんが受けるように願います。私は今、説明するのではなく、証ししているのです。私は、この契約を悟りながら、多くの答えを受けました。私は、多くの人々の家庭にある問題が、子どもたちに伝えられるのを見ました。それでは、大変なことになるのです。それで、神様が私たちのすべての罪と呪い、すべての地獄、サタンの勢力を十字架に釘づけられたのです。それは、神様の重要な約束です。
■二番目です。今日の本文を見ましょう。今日の本文は何を読んだのでしょうか。いのちをかける価値があるのです。皆さん、これを発見しなければなりません。いのちをかける価値があります。ここで、親、妻、子を捨てろと言われたのではありません。そのような場合にも、捨てられる程になってこそ、弟子になるのです。皆さんには、親、兄弟、夫婦、みな家族がいます。私たちが愛して手助けしなければならない対象であって、信じる対象ではないのです。私たちが命をかけて信じる、そういう対象になれません。冷静な話ですが、夫をどのように信じるのでしょうか。どのように妻を信じるのでしょうか。人をどのように信じるのでしょうか。私たちが手助けして、保護して、愛する対象であって、私たちの信仰の対象ではないのです。すべての人は愛の対象であって、信仰の対象ではありません。私と皆さんが信じる価値がある方を見つけたということです。それが弟子です。今日、こういう話をされました。塔を作って止めてもよいのだろうか。戦場に出て行った人は、相手がどれくらいかを知って出て行くべきで、それも知らずに出て行って戦っても良いのだろうか。それと共になさったみことばがあります。あなたの全てのものをみな捧げてこそ、弟子になるのです。それでは、今日、皆さんの履き物もぬいで、家もみな売らなければならないのでしょうか。その話ではありません。価値を発見したのです。本当に分かれば、命をかけるほどの価値があるのです。
■ここを少し上がれば、ウンチャンという町があります。とても重要な人だから、名前は話せません。お母さんは執事であったし、後ほど勧士になりました。幼い時から教会に通っていました。しかし、それほど信仰が育たなかったのです。悟れなかったのです。そのまま教会だけ行き来していたのです。それでも、勉強をがんばったのです。士官学校を卒業しました。その村で初めて将軍になりました。将軍になったので、町内で祭りをして、大騷ぎになりました。この方が、信仰生活もしないのに、親の祈りなのか、司令官になりました。町内でまた祭りをして、大騷ぎになりました。国防長官までなったのです。町内で大騷ぎになりました。ところが、ある日、大変なことが行われたのです。朴正煕大統領の時、重要な事件にまきこまれて、そこに一番の親分として捕まって、死刑宣告を受けたのでした。名前を話せません。皆さんはあらまし分かるでしょう。その時に、その人のお母さんが訪ねてきたのでした。星を付けた時も来なくて、長官になった時も来なかったのですが、刑務所にいた時にお母さんがきたのです。すべての人が、あなたが将軍になって成功するのを喜んだが、私はそれほど喜ばなかった。あなたにはとても良かったが、そんなことのために重要なことを知らずにいる。幼い時から教会に通ったが、神様も知らずに、福音も知らずに、最も重要なことを実際には知らなかった。やっと機会がきた。その方が、死刑宣告を受けたので、死ぬようになったのです。真剣に、刑務所で福音を悟って、イエスを信じて祈り始めたのです。本人にすばらしい変化が起きました。神様は、答えられる時、事件を通して答えられます。また、国に事件が起きたのです。その時、韓国にキム・シンジョが入ってきたのでした。刑務所の中で、この人がキム・シンジョを説得して、全てのものを全部みな打ち明けさせたのです。事件がひっくり返って、死刑宣告まで受けた人が出てくるようになったのです。今は、長老になっています。今は一切、政治に関与せずに、福音を伝えて、一時、証しもして回っていました。皆さんは、あらまし誰なのか分かるでしょう。いのちをかける価値があります。今日、皆さんがそのような困難に会わずに、神様の恵みを発見する弟子の祝福を皆が受けるように願います。残念なことに皆さんが大きい困難にあってから悟るのではなく、今、悟らなければなりません。皆さんが、難しい事件に巻き込まれ、困難にあったその時に、悟るのではなく、今、弟子の祝福が何かを悟ってください。いのちをかける価値があるのです。今日、何かおっしゃられたでしょうか? 塩だと話されました。塩が入らなければ大変なことになります。私たちの韓国の人々はほとんど腐った食べ物を食べます。キムチ、味噌、みな腐ったものです。皆さん、塩辛は何でしょうか? 肉が腐ったものです。それを私たちが食べるのです。全世界で食べ物を分析する人々が、最高の食べ物だと話しました。キムチが最も栄養価があると話したのです。そして、豆を腐らせた味噌が坑癌効果が最も高いと言われました。そして塩辛が私たちのからだにとても良いことというという分析が出てきました。みな腐った食べ物なのに、からだには良いのです。理由が一つあります。塩です。塩の力がそれだけ大きいということです。だから、塩が味を失えば、どこに使うのでしょうか? どこにも使うことができないということは、塩が味を失えば、使う所がないのと同じです。そのようなみことばを与えられました。本当に祈りの答えを受けられるのでしょうか? できます。福音を正しく知る弟子になれば、すべての門が開かれるようになるのです。
■ここに対する価値を発見するようになれば、他の人にも答えの影響が及ばされるようになります。私は、ある日、悟ったのです。私は、このように生きるのではない。やっとのことでご飯を食べて、やっとのことで暮らして、このように生きるということが正しいのでしょうか?何のおもしろ味もないのに、無理に行ってこれが正しいのでしょうか? 神様が生きておられるならば、私に証拠をくださいと言ったのです。私がその祈りを始めて、神様が福音を分かるようにされたのですが、福音を分かりながら、すべての問題が解決され始めました。三番目です。弟子になる道があります。ルカ14:27節に、自分の十字架を負って、わたしに従いなさい。ここで十字架は、その当時では死を言うのです。死を覚悟して付いてきなさい。ところで、自分の十字架となっています。自分の十字架とは何でしょうか? 恐れずに、それを持って付いてきなさい。イエス様がとても重要なメッセージをされました。少し困難にあうことを何と言うでしょうか? 試みを受けると言います。しかし、十字架という話は、そんな話ではありません。嫁いでいったら、相手の男の人がとてもおかしな男でした。その人を殺すこともできなくて、殴ることもできなくて、煮ることもできなくて、一生、心配をかけます。それを自分の十字架だと言うのです。もちろん、命をかけるということもありますが、そんな話が含まれているのです。子どもが一人生まれました。しかし、子どもが変だ。それを何と言うのでしょうか? 試みだと言わずに十字架だと言います。それで、今日の聖書にイエス様が自分の十字架を負ってわたしについてきなさい。皆さんが最も難しい問題を持ってキリストに進みましょう。それのために、大きい祝福を受ける門が開かれるようになります。マタイ11:28節を見たら、疲れて重荷を負っている人は、みなわたしのところにきなさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
■今日、弟子という言葉を誤解してはいけません。とてもやさしいのです。あなたの十字架を負ってきなさい。それが弟子です。私はネビゲイト、UBFこういう団体は、本当に良い団体だと思います。しかし、2つのことは直さなければならないと思っています。最初は、弟子の思想です。人を見て、羊飼い、羊、このようにするのは聖書的にはずれているのです。それは、無教会思想です。皆さんが、霊的な状態を知らないからそうであって、無教会の影響を受けると、子孫代々に大変なことになります。私たちは、キリストの弟子です。そして、こういう団体では、弟子はものすごく苦労すると思っているのですが、そうではありません。聖書はそのように教えていません。私たちは、何か違うように思っているのです。疲れて重荷を負っている人は、みなわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。これが、弟子になる道です。聖書にはそうなっています。わたしについてきなさい。わたしがあなたがたを人をとる漁師にしてあげよう。聖書にはそうなっています。どれだけ簡単でしょうか? 受け入れた人々、すなわち、その名を信じる人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。イエス様を私の救い主としてお迎えします。この信仰だけ持ったら、ある人は目に見えるように霊的問題が解決されました。私たちは、目に見えない問題がさらに多いから、受け入れれば目に見えない問題も解決されます。これが弟子になる道です。何も心配せずに、自分の十字架を負って、わたしに従いなさいということです。今日、イエス様がされた言葉です。弟子という言葉が分かれば、誰でも祈りの答えを受けられます。のがさないように、もう一度、話します。最初は何でしょうか? 悟らなければならないのです。キリストが何であり、福音が何であり、その方が私に与えられる契約は何か? これを悟るのが弟子です。学校でも勉強できる弟子は、先生が教えることがよくわかるのです。それで、人間は誰でも霊的問題を持っているから、簡単に解決する方法がキリストです。それで、福音ということは、処女降誕という言葉をわかったことです。十字架のあがないと復活、これが何の話なのかわかったのです。これを福音と言います。その次に、皆さんに与えられた約束があります。天の権威を持ってあなたとともにいます。神様の民が行く所ごとに、神様は天の門をあけて、主の天使を送られるのです。何の心配もしないように。地の権威とは何でしょうか? 皆さんが知らないからですが、行く所ごとに暗闇は逃げるようになっているのです。父、子、聖霊の三位一体の奥義とは何でしょうか? 皆さんを通して伝道のみわざが起きるようになるのです。これを悟ったのが弟子です。本当に悟ったのでしょうか? それなら今日、イエス様がおっしゃった通り、いのちをかける価値があるのです。
■私は家が偶像に陥っていた家です。家に霊的問題がとても多かったのです。私の上に二人が死んだので、私の母が、私も死にそうなので、学校の通う前まで、戸籍登録をしなかったのです。このように霊的問題が多い家でした。そして、私の母が、心の底からこういう気がしたということです。イエスを信じるべきだという気がしたということです。どのように聖霊が働かれたのか、カトリックには行きたくなくて、教会に行きたいという気がしたということです。初めて信じる方々は記憶しなければなりません。私の母のその選択が、永遠な祝福を左右する選択だったのです。初めて信じる人々は、注意しなければなりません。夜ごと悪霊が、私の母を困らせたということです。その時には、祈るとは思っていなかったので、使徒信条を覚えたということです。使徒信条には、とても重要な話が出ます。全能なる天地の造り主、父なる神を私が信じると言います。そのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信じると言います。それとともに、乙女マリヤより生まれ、と出ています。ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、三日目によみがえりと出ています。しかも、聖霊を信ず、こうした話も出ています。すばらしい告白です。私の母が、それを覚えたら、押しよせてきた悪い霊がみな逃げるのでした。これが我が家を永遠に変えてしまう祝福でした。福音を正確に知っているのが弟子です。キリストと福音の奥義と契約を捕まえたのが弟子です。ほとんどみなクリスチャンが、祈りの答えを受けられずにいるから、もう一度話します。キリスト、霊的問題を解決した3つの重大な職分、それを分かるのが福音の開始です。処女降誕、十字架の事件、復活、この3つが福音の核です。それでは、復活された主が、私と皆さんに天の権威、地の権威、三位一体の権威を持ってともにおられると言われました。それが、この世を生きていく間に与えられた約束なのですが、それを悟った人を弟子と言います。私の母がこれを分かったのですが、我が家を変化させて、私がこれを分かったのですが、全世界にレムナントにまでみわざが起きました。いのちをかける必要もないのですが、いのちをかける価値があります。親、兄弟、本当に生かそうとしたら、この福音の力が現れなければなりません。何の話なのか分かるでしょうか? 戦場に出て行くことほど重要です。イエス様がなさったみことばです。あなたの親、子、妻をみな捨てるほど重要です。信仰生活も正しくできないながら、親、子を捨てろという言葉ではありません。それよりさらに重要だということです。昔に女執事が、朝の祈りしながら泣きながら祈っていました。朝、夫を職場に送らないで泣いていました。夫が頭にきて、職場も行かなくて待っていて、女執事が入ってきたら、ものすごく殴りました。そして、その殴られてはれた顔で、また教会で行って泣きながら私が迫害を受けると祈るのでした。何が迫害なのでしょうか? 当然のことです。そのように信じなさいという話ではありません。いのちをかける価値があるのです。それを悟らなければならないのです。それなら、私たちが弟子になることができる方法は何でしょうか? 自分の十字架を負って、わたしに従いなさいということです。とてもやさしい方法でおっしゃられました。わたしの荷は軽いのです。イエス様がおっしゃられました。何も心配せずに、わたしについて来なさい。わたしがあなたたちを人間を捕る漁師にしてあげよう。どれくらい簡単でしょうか? 罪と死から移されたのです。
■今日、この事実を悟ったが皆さんの霊的身分は、あの滅亡の書から生命の書に移されてしまったのです。事実、この内容は皆さんが衝撃を受けなければならない内容です。これを正しく悟れば、気絶を一度して起きなければなりません。未信者が知らなくて占いをしに行くのですが、皆さんはそこから奪われて移されてしまったのです。未信者が不安で、お祓いや占いをするのですが、そのような必要はありません。皆さんはそこから移されたと言われています。失敗が多くても関係ありません。失敗を継続しろという言葉ではないのですが、皆さんの名前は滅亡の書から生命の書に移されたのです。驚くべきことです。真理があなたたちを自由にした。その話は、罪のしもべではないということです。サタンのしもべではありません。恐れる必要がないのです。どれくらい驚くことでしょうか? 皆さんは、実感がないでしょう。時間を一度作って、みんなで一緒に占い師の所を一度、訪ねて行ってみるように願います。普通の占い師ではなく、悪霊がはっきりと入った占い師の一番前に立って、ソ長老やカン長老を立てて入ってみましょう。皆さんびっくりするでしょう。占い師が、ちゃんと分かって、ぶるぶると震えます。皆さんが信仰生活を不十分にしても、キリストを持った者が行けば、ぶるぶると震えるのです。すぐ証拠が出てきます。この説教を聞いて、学生たちが台湾に行って、一部がチームを組んで有名な占い師の家に入ったのです。写真も撮してきました。その時、その占い師が、ぶるぶる震えながら言うのに、あなた方は神様の子どもなのに、ここには何をしにきたか? と話したのです。どのように分かったかと尋ねたら、あなたが来るのに、十字架が見えたということでした。その話をするやいなや、女がぶるぶる震えたのです。その次に、福音を伝えて、祈ったということです。皆さんがイエスを信じるということが、どれくらい大きい祝福なのかをよく知らずにいます。ほとんど、みなでたらめに知っているのです。弟子が何の話なのかも知りません。何も難しいことがありません。わたしについて来なさい。わたしがあなたがたを人を捕る漁師にしてあげよう。何も恐れずに、皆さんの十字架をもって主のところに来なさい。ある人が、幼い時、自分のお母さんが死んで、少し大きくなって、お父さんが死んだのでした。この人が悟ったのです。私に願いがあるならば、お母さんの顔を一度見るのが願いだ。この程度でした。このお母さんに、どれくらい会いたかったでしょうか? そこで、悟ったのです。そうだ。私がこのようになったが、私たちの子ども達には、そうなってはいけない。その悟りがやさしいのです。この人が、福音を持ったのですが、この家にみわざが起き始めたのです。それ一つ悟ったのですが、子どもに、それから子孫にずっと働きが起き始めました。これがなぜ悟れるのでしょうか? 本当に不思議です。
■今日、聖書に何となっているでしょうか? ルカ14:35節に、耳がある者は聞きなさい。サンダーシンという人が、人生に困難をとてもたくさん受けて、人が変になりました。仕方がありません。自殺しようとしたのでした。その時にあたったみことばがマタイ11:28節です。疲れて重荷を負った人々は、みなわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。その時、サンダーシンが、キリストを救い主として受け入れたのです。簡単なことです。本当に受け入れました。この人に変化が起こり始めたのです。何も難しいことがありません。皆さんがご存知のように、米国でとても有名な女性になったのですが、売春婦のようなこともして堕落していた人がいました。女の人が、ここに陥ってしまえば出てくるのが難しいのです。そのようなある日、とても難しいから自殺を決心したのです。自殺する前に牧師に電話をしました。私は牧師先生の説教を聞いて多くの感動を受けて、自殺をするようにしました。電話してそのように言ったのです。牧師がとにかく海辺で出て来て見たら、女の人がいたのですが、その人であることが明らかでした。牧師が行って、冷静に、正確に話したのです。あなたは死んではいけない。このように話すべきなのに、あなたは必ず死ななければならない女だ。しかし、あなたは死ぬ必要がない。あなたのすべての呪いの運命、すべての失敗を神様がキリストの十字架で釘づけられた。キリストを分かったら、あなたは新しい人生が開始される。そして、この女の人がその話を本当に信じたのです。米国で有名な女性になりました。とても証拠がたくさん起きたのです。‘私はあなたと結婚した’という本も書きました。米国に多くの感動を与えることが、しばらくあったのです。皆さんがおわかりの通り、やくざになって心配をかけた、キム・イクドゥという人が、イエス・キリストに会うようになったのです。その人が、韓国を生かすリバイバル伝道師になったのでした。今日、皆さんがこの祝福を必ず受けられるように願います。耳がある者は聞きなさい。皆さんの家に霊的問題が来ているのに、解決策がありますが、その十字架を負ってキリストに行けば良いのですが、何のために聞けないのでしょうか? 耳がある者は聞きなさい。
■私は、牧師の子ども達、宣教師の子ども達のために本格的に祈らなければならないと悟りました。サタンの攻撃を一番たくさん受けて、一番霊的問題が多いのです。ですから、彼らにこの福音が伝えられなければならないのです。そうでなければ、皆さんの子どもが大変なことになるということを分からなければなりません。それで、耳がある者は聞きなさい。どれくらい重要な話でしょうか? 皆さんが今日、この祝福を本当に受けられるように願います。時間がかなり過ぎました。一つだけ話して終えます。どれだけ価値あることなのでしょうか? 私たちが死ぬことはないのですが、死が来れば変えるほど価値があるのです。その程度に価値があります。死を選ぶか? 神社参拝をするか? 私たちは死を選択するのです。この程度に価値があるのです。皆さんが持っている福音は、これくらい価値があって重要なのです。本当に祈りの答えを受けているのでしょうか? 本人が分かるでしょう。皆さんがいくら服も不自由なくて、よく化粧して通っても、答えを受けられない人は、内的な平安がありません。私がこの前話した通り、いくら手術して直しても、目玉は手術できません。ひょっとして目玉が手術にできるとしても、目つきは手術できないのです。これが中から出る本物の平安がなければならないのです。皆さんが分かるでしょう。
■私は本当に神様の祝福を受けているか? 道があります。弟子、これが答です。福音を本当に悟れば、弟子となります。いのちをかける程、価値がある弟子の方法も難しくありません。わたしについてきなさい。わたしがあなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう。私たちの全世界の家族が、今日、この契約をつかまえるように願います。インマヌエルの家族が、この契約を必ずつかまれるように願います。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちの蔚山(ウルサン)を祝福された神様に感謝申し上げます。弟子の祝福があるようにしてくださったことを感謝申し上げます。今日、私たちの蔚山(ウルサン)に神様のみわざが始まりながら、全世界を生かすみわざが起きるようにして下さい。真の弟子の祝福を味わう驚くべきみわざが開始されることを信じます。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン



2部/主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は
(詩112:1〜10)

■もう蔚山(ウルサン)地域には、世界福音化する牧師と教会が決定されました。それなら、インマヌエル蔚山(ウルサン)教会は、祈りを変えなければなりません。蔚山(ウルサン)を生かせる全教会を生かすほどの祈りを始めなければならないのです。特に、今、ここには多くの理由を持った人々が集まっています。私が見るには、すべてそうですが、ソ長老は、私が会った長老の中で、教会をこれほど思う方はそれほど見ることができませんでした。皆さんにどのように思うのか分かりませんが、私に会って話す時には、教会をたくさん思っていることを察せられます。そして、神様の時刻表にしたがって、自分のそばで最も訓練をたくさん受けた方がキム・テウン牧師です。後ほど分かったのですが、キム・テウン牧師の家族がこの教会にいて、また、カン長老が長老に任命されました。それを見ながら、神様が時刻表を動かしていかれるのを理解するようになりました。そして、直接、私の下で最も多くの訓練を受けた方が、ソ・テソク牧師です。私たちのソ牧師が、この教会で短かったのですが、基礎をたくさん敷きました。そして、カン・サンモ牧師は、現在、全世界でキャンプを最も上手にしていて、上手になり得る時代的なしもべとして、この教会に招かれました。このように意味があるように神様の祝福で始めるのを見ながら、神様に感謝申し上げます。多くのことがすでに変わりました。マイクも変わって、聖歌隊も変わりました。また、指揮をしているパク・ソングォン執事は、学生の時から私たちの釜山(プサン)で訓練を受けた働き人です。蔚山(ウルサン)にきてからスタイルがはるかに芸術的に変わりました。
■後ほど役員に、必ず教会が行かなければならない重要な話をしますが、まず皆さんが祈りの課題を2つつかまなければなりません。一つは、外部から多くのレムナントがきて伝道運動が起きた時、20個のタラッパン伝道戦略のモデルが作られなければなりません。そこに対する3つを、後ほど役員などに話します。それをするようになれば、目が変わります。祝福を受けるモデルをたくさん作れば、教役者がとても尊く見られるようになります。この目が開かれなければ、教役者が全部、荷物になります。いろいろ謝礼を与えなければならない荷物になるのです。それで、このシステムを作っておけば、教会はすばらしいみわざが起きます。それで、20個の戦略を持って、3つのシステムを作らなければならないのですが、それは後ほど役員などに話します。もう一つの祈りの課題を捕まえなければなりません。この教会の役員が祝福を受けて、蔚山(ウルサン)に伝道するすべての牧師をバックアップする、こういう祈りを始めなければなりません。神様が答えられますから、私たちの条件とは関係ないみわざが起きるのです。私の場合には、それを置いて常に祈るのに、とてもおもしろいことがたくさん起きます。例えば、今日、聖歌隊がこのように賛美をしました。賛美する時にも、私はその祈りを共にします。本当に、この賛美を通して聖霊充満と5つの力が現れることを。本当に、この賛美で神様が栄光を受けられて、一千万弟子を起こす、そのような賛美になるようにしてくださいと祈るのです。
■ 20個の戦略と神様の祝福が臨む、そのような聖歌隊になるようにしてくださいと祈ります。そのようにすべてのことを連結させて祈ったら、一日中、祈りが心安らかにできるのです。あえて私たちが祈ろうとしなくても、祈りが連結します。それで、私たちの長老と役員は、聖書的伝道戦略が、ここでモデルになるべく祈らなければなりません。事実は、釜山(プサン)とソウルなど、私たち多くの教役者と党会員が、その部分を見なければなりません。目に見えなく臨む祝福を見ることができなければならないのです。私たちの目に、すぐには現れないようですが、安定して次々と神様の働きの内面を見ることができなければなりません。蔚山(ウルサン)にあるすべての教会と宣教師、主のしもべを支援できるように、神様、私たちに働いてくださいといつも祈らなければならないのです。ここに今、私たちの長老は、食事しながらも、その祈りをしなければなりません。それが蔚山(ウルサン)教会で捕まえなければならない祈りの課題です。
■今日、ダビデがこういう話をしました。‘幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。’ここに大いに喜ぶという言葉は、何の話なのでしょうか。大きく声を出して笑うことを言うのでしょうか。むしろ、そのような人がさらに楽しくないということです。わざわざそのようにするのです。ここでは、本当に重要なことを見て、心に喜びができたのです。このようにならなければなりません。本当に、胸の中に大いに喜ぶことができなければなりません。本当に、祈りの答えを受けるならば、このようになります。そうでないならば、どうして、このようになるのでしょうか。ダビデがいくつかのことを発見しました。羊飼いである時です。神様が、この羊を私に任せられた。それなら、私はこの羊の責任をとって守らなければならない。羊一匹もなくしてはいけない。そうしていたら、獅子が現れたのです。しかし、Iサムエルを見れば、ダビデは獅子と戦って勝ったとなっています。だから、ダビデにはどれくらい大きい喜びになるでしょうか。神様が私を獅子の口から守られた。この時に感じる喜びは、小さい喜びではないでしょう。ゴリヤテが現れました。ゴリヤテを一気に負かしたのです。単に勝ったのではなく、主の御名で勝利したのです。どれくらいうれしいことでしょうか。ペリシテと戦う時も、いつでも勝利しました。
■こういう良いことだけがあったのではありません。サウル王が自分を殺そうと追いかけてくる時にも、大いに喜びました。なぜなら、ここに神様の計画があるだけでなく、この時に良い臣下がみな集まったからです。人は霊的に通じます。精神が変な者は全部、サウル王の下に行って、精神が正しい人だけダビデのところにきました。それと共に、ダビデが多くのことを準備したのです。ダビデが大いに喜ぶという言葉は、そのような言葉です。おわかりの通り、シムイに追われる時にも、ダビデは胸の中に気をおとしませんでした。反対です。シムイが問題ではない。自らの友人で臣下であるアヒトフェルが自分を裏切って、アブシャロムと手を握ることとは、夢にも思わなかったでしょう。ダビデの胸の中には、気落ちよりは幸いだと思ったのです。王宮を堅くたてる機会を神様がくださったのだと思ったのでした。ダビデが勝利して戻って、神殿を作る準備を完全にしました。ダビデの夢にも願っていたことは、神殿を作ることでした。王になった理由は、神殿を作ることでした。全部、準備をつくしてダビデが何と言ったのでしょうか。‘大きくすること、小さくすることは、みな主の御手にある。献金も神様がくださったのだ。’ダビデがとても喜ぶ姿が出てきます。
■後ほどには、ソロモンを王として立てました。その時も、最後の遺言をいくつか話す中に、本当に神様に喜びながら感謝します。信仰生活もそこにあるのです。大いに喜ぶという言葉は、本当にうれしくて感謝するということです。これがダビデの信仰です。ダビデは困難がきても揺れないのは、ダビデが何かを発見したので、困難がきても揺れないのです。問題きたら、とても問題を恐れずに、その後にあることを捜し出さなければなりません。私たちが困難を受ける時には、確かに困難に目的があるのではなくて、そこに対する答えに神様の目的があるから、そこに対する発見をしなければなりません。今日、真の感謝を回復するように願います。‘本当に神様に感謝します。’という時、天国に持って上がられます。‘この祈りを神様が本当にお聞きになったのだろうか。答えをくださるだろうか’という基準は、真の感謝にあります。
■ダニエル6:10に‘一日に三回ずつひざまずいて祈りながら、神様に感謝していた’ピリピ4:6‘あなたたちの願いを感謝を持ってささげる祈りによって神に知っていただきなさい’理由は‘これはあなたたちに望んでおられることです。’神様に感謝するのが神様のみこころです。本当に感謝が出てくる時、皆さんのたましいの中にみことばが根をおろします。本当に胸の中に、骨にしみた感謝が出てこないのは、点検すべき信仰だと思います。私は福音を悟って、答えを受けて伝道者になったことは、寝ても起きても感謝することです。それで、他のところに関心が多い人を見れば哀れです。今日1部に話したのですが、私たちのいのちまでも捧げるほどの価値があることなのに、どれくらい感謝することでしょうか。日本では感謝するという言葉を‘ありがとう’と言います。日本人は、クセのように‘ありがとう’を連発します。それも悪いことではないのですが、そのような感謝を言うのではありません。米国人はクセのように‘thank you’と言います。私たちが過ぎ去って、あたってもthank youと言います。この人達には‘thank you, I love you’は習慣です。離婚しに行きながら、離婚して印鑑を押して出てきながらもI love youと言います。それが習慣であって、本物でしょうか。人を称賛をしても、表面でだけ話すのです。からだがいくらでっぷり太っていてぶさいくでも‘beautiful’と言います。そのような単語を言うのではありません。本当に感謝すること。このダビデにあったのです。私たちは、どのようにすると、このようになって、この祝福を受けられるのでしょうか。たくさん見なければならないのですが、3つで見ます。
■第一にダビデは成就した神様のみことばを見ながら、神様を大いに喜びました。神様があなたとともにいるというそのみことばが、所々ごとで成就したのです。死ぬしかない危機がきたのに、神様がダビデを守ってくださいました。ゴリヤテと戦いに行った時にも‘神様が獅子の歯と爪から救い出して下さいました。’そこに対する確信と喜びがあったのです。まして、神様を侮辱する者から救い出して下さらないでしょうか。とても確信ある言葉を言いました。‘おまえは刃と槍を持って私に向かってくる。私はおまえが侮辱する主の御名で向かう。’ダビデが言った言葉です。ですから、ここに対する大きい証拠を持っているのです。聖書は7千個余りの約束があります。驚くべきことに、みな成就したのです。聖書を詳しく見れば、一個も違ったのがありません。特別価値がないことも、ブドウや無花果を食べたと言われたのも見れば、からだに一番良いものなどです。聖書には格別必要なくて過ぎ去ったことまでも重要です。聖書には、水、泉、こういうものも、とても意味をあたえる内容が多いのです。詳しく見れば、国に対して預言されたことがあるのに、ぴったりそのままなされました。それで、聖書は詳しく見るほど良いのです。確認をしてみようとしているのですが、トルコにあるエペソ地域にはまだ教会ないということです。聖書には、燭台を移すこととなっています。まだ教会がないということです。聖書のみことばは、どれくらい正確なのか、皆さんはよく知らずに普通で過ぎ去りますが、聖書は絶対にそのようなことではないのです。イエス様は、このようにおっしゃられました。ヘロデ神殿を見て、石の上に石一つ残らないと言われました。石の上に石一つ残っていないという言葉は、みな崩れるという言葉です。イスラエルの人々はその話を聞いてあざ笑いました。AD70年に崩れました。その時、倒した将軍がローマのティトス将軍です。ですから、今が2005年であるから長い時間がたちました。今まで回復しないでいます。聖書は再建できないと言われました。他の見方をすれば、聖書のみことばは、怖いほど正確です。中世時代の法王の力が強大だったのにもかかわらず、建設できなかったのです。中世時代の法王の権力ということを今、一度考えてみてください。今でもカトリックの勢力は強大です。法王が病気で死ぬ時になっても、人々が数十万名集まりました。今回の葬式に4百万人が集まったのです。簡単に話せば、バチカンが満杯になったということです。どれくらい力が強大かというと、UNではバチカンを一つの国として認定しました。キリストの大使が集まったというので、バチカンは国です。早く気配を察することができる国々、米国をはじめとして74個の国々の大使が来ています。影響力があるということです。死ぬから大統領が集まるのを見てください。今現在の力でもそうです。それなら、中世時代は太陽だったのです。法王は太陽で、王は月だと言いました。そのような強大な時代に、神殿を作ろうとしたのにもかかわらず、作ることができなかったのです。聖書のみことばを詳しく見なければなりません。一個もまちがいなく、一点一画もまちがいなく成し遂げられるはずだと言われました。このみことばの契約を堅く捕まえたダビデは、神様のみことばを大いに喜んだと言われています。皆さんがこの祝福を本当に受けるように願います。
■二番目です。この契約を本当に捕まえるから、未来が見えます。それでは、今からくる答えが見えるということです。そのみことばを捕まえるということです。神様のみことば信じる皆さんに臨む祝福です。今日の聖書には何となっているのでしょうか。‘幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。’必ず記憶しましょう。金を儲けることが幸いではなく、幸いな者が金を儲けなければならないのです。お金を持っているのが幸いではなく、お金を持っている者に神様の祝福がなければならないのです。それでなければ、大変なことになります。今日、何と言われているでしょうか。その人の子孫は地上で力ある者となり、と言われています。このみことばをくださったのです。どれくらいうれしいでしょうか。‘繁栄と富とはその家にあり、彼の義は永遠に堅く立つ。’これから皆さんが捕まえなければならないことなのですが,‘光をやみの中に輝かす (4節) 彼は決してゆるがされない(6節) その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。(7節), その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる(8節)その角は栄光のうちに高く上げられる(9節)’名誉を受ける祝福が与えられるという言葉です。ダビデは、神様の成就したみことばを堅く捕まえたから、先に迫るみことばを捕まえたのです。本当に私たちが答えを受けたら、感謝するでしょう。答えが来ることが確実だといっても感謝するでしょう。ダビデは、この契約を捕まえたのです。
■今日臨むみことばが、皆さんに祝福のみことばで臨むようになります。なぜなら、福音を持った皆さんが集まったことは、どんな集いよりも貴重です。それで、私は説教する時に最も重要性をおいています。神様が成就するメッセージをくださるためです。昨日、私がホテルで、他の日にはそのようにしないのに、明け方3〜4時まで寝なかったのです。理由があります。説教の準備はあまりしないのですが、一つになる時までするのです。ところが、それがよく捕えられないからでした。なぜ、神様がこのみことばをくださるのか。神様が私に何のお手伝いをしろとこのみことばをくださるのか。本当に成就するメッセージをお手伝いをすべきなのに、神様が希望されることは何か。これを捕まえるのが説教の準備です。それを私が3時まで考えたのです。そうするうちにソファで寝てしまいました。少し迫害を受けてしまいました。私たちの家内が、良いベッドをおいてなぜソファで寝てしまったのかと言いました。聖日なので、何の話もしなかったのです。説教者は、これがかなり重要です。それで、タラッパンから出るメッセージが成就するのを見ましょう。6年前にレムナントという単語を使ったのですが、今、全世界で大騷ぎが起きています。8年前に、産業宣教という単語を使ったのですが、今、開かれる働きを見ましょう。それなら、皆さんが何を大いに喜ばなければならないのかというと、私に臨んで成就する神様のみことばを捕まえるのです。
■ここで三番目のことが出てきます。過去と未来を分かるから、今日のみことばで重要な核が何なのかを捕まえられるのです。聖書66巻の核は救いです。用心すべきことは、その救いを中心に説明をしてこそ、そのみことばが皆さんに生きて働くのです。牧師と全役員が記憶すべきことは、旧約聖書の預言者の書を見れば、その中にキリストに関する預言が隠されているのですが、それを捜し出すのが鍵です。それなら、みことばの中で、神様が私にくださった明らかな祈りの課題が何かを探し出されなければなりません。必ず徹夜祈り、朝の祈りをしなくても、これが決まったら皆さんの歩み歩みごとに答えが始まるのです。この時から2つのことを体験するようになります。一つは聞いた説教が私に答えとして来ているということです。そして、現場に神様の答えが来ているのです。救われたということは、大統領になったことより、もっと大きい祝福を受けたということです。よく知らないからアーメンの声も出てこないのでしょう。大統領を知っているでしょう。すごいように見られるのですが、神様の子どもになったこととは、比較にならないのです。今回、大統領になろうとしている方々も、強大な人々だと見ることができるのですが、私たちのキム秘書を訪ねてきて、柳牧師に会うようにしてくれとお願いをして、祈ったりもしています。私は接待するのも上手にできなくて、そのまま食事だけして送ったりします。なぜなら、大統領は大切ですが、神様の子どもになったことと比較することができるでしょうか。数年すると変わることで、数年することも正しくすることができないという話です。神様の子どもになった祝福は何かをご存知でしょうか。みことばが成就し始め、現場では答えが始まります。それとともにどんどん目が開かれるのです。
■学生の時に習った英語の本に‘precious vessel’という話があります。貴重なうつわという話です。ある人が道を行くのに、猫が一匹座っているのを見ました。その猫の茶碗が普通のうつわではなかったのです。言わば王宮で使った、そのような尊いものなのに、知らずに猫茶碗として使っていたのです。それで、主人を説得し始めたのです。猫がとても私の好みで、ハンサムで、きれいで、私が買いたいから売ってくれと説得し始めたのです。しかし、主人は猫を売るつもりはなかったのです。それでも、そのうつわを調べて、その人はしつこく主人を説得して、何倍もの値段を与えて猫を買ったのでした。それと共に、猫にご飯を与えなければならないから、茶碗をくれと言いながら持ったのです。この人は猫が重要なのではなかったのです。しかし、驚くべきことに、主人はうつわはだめだと言うのでした。私は猫を売ったのであって、うつわを売ったのではないと言いながら入ってしまったのです。それでうつわは持ってくることができなくて、帰り道に腹が立って猫を捨てました。それで、猫はまた家に帰ったのです。そのように終わった話です。私が見る時には、主人はうつわを分かるようでした。結局は、貴重なものを見ることができる者の戦いです。皆さんが蔚山(ウルサン)の中に祝福された人々が敷かれています。私が伝道の祝福をみるので、皆さんが、全部、貴重なうつわだと見えます。どれくらい感謝なことでしょうか。この時から、真の感謝と確信ができるのです。それで、皆さんが少しだけみことばを詳しく聞いても、皆さんの祈りの課題が確定します。皆さんの祝福の中の祝福が、一生の祈りの課題をつかむことです。それで、ダビデがそうなったのです。ダビデにサムエルがきて、王になるだろうと言いました。その理由は、契約の箱を迎えなければならないことで、そのような神殿を作らなければならないということでした。これが、ダビデの祈りの課題です。それで、どんなことがきても大丈夫なのです。
■神様、私に聖霊充満の五つの力を与えて下さい。一千万弟子を起こすシステムを与えて下さい。20個の戦略で世界生かすようにして下さい。それが私の祈りの課題です。率直にこれを悟ってから、答えがずっときました。自分は信仰がないと思わないように。徹夜祈り、明け方祈りをしないのは大丈夫です。率直な話で、男が朝10時まで仕事をしに行く人が正常なのでしょうか? 祈る人が正常なのでしょうか? そして、男が徹夜祈りを抜けないですることよりも、忙しい人はよく参加することができないのです。それが問題ではありません。女はがんばれば上手にすると思うのですが、それが問題ではないのです。祈りの課題を確かに持っていなければならないのです。それが時間が経てば、ますます私のものという答が出てくれば、全部がみな生き返るのです。それで、全部を祈りの課題に連結させれば、祈りが継続されられるのです。ヨセフは揺れなかったのです。事実は家庭の困難がきました。ヨセフは明らかな祈りの課題があったので揺れなかったのです。ヨセフは本当に奴隷に行ったが揺れませんでした。なぜなら、明らかな祈りの課題があったためです。ポティファルの妻が誘惑して監獄に送られました。
■今回、名古屋でレムナント大会をします。多分、ミュージカルチームがダビデに対してするようです。この前は、ヨセフに対してしました。全部デボラの作品です。曲はジンウクが作って、全体構成はデボラがしたのです。いろいろ入って出てきてする部分が本当にうまく作られています。もちろん、祈りもしたでしょうが、第一に神様の恵みです。そのように構成がうまくできません。ただ一つは間違っていました。私が米国に行って話しました。他の人はみなよく選ばれていたのですが、ポティファルの妻は、そんなにきれいな人ではありません。ポティファルの妻がそんなにきれいだったら、ヨセフは誘惑に負けてしまったでしょう。考えてみなさい。りりしい男性レムナントに、福音を持ったきれいなレムナントがウィンクすれば、どんなによい事でしょうか。その時の年齢は17才です。少なくともポティファルの妻は何歳でしょうか。今回、メンバーひとりが軍隊の星を4つもらいましたが、その方の年齢が55〜57才です。軍隊長官であるポティファルですから、彼の妻は少なくとも55才以上です。許してほしいのですが、女は55才なれば本当に老います。そのように老いた女が、ヨセフを誘惑するのに、ヨセフがどうして、そちらにいくでしょうか。ヨセフは、気味が悪くて服を脱いで逃げたのです。そうだったとヨセフに嘘でおっかぶせて監獄に入れました。しかし、ヨセフは少しも揺れなかったのです。なぜなら、監獄にいるよりさらに確実な祈りの課題を持っていたからです。この祝福を受けられるように願います。
■私たちの長老は、他の祈りをするのではありません。ただ聖書的20個の戦略と、私たちの蔚山(ウルサン)に、すべての牧師を生かせるように神様、私に働いて下さいと祈りましょう。ですから、昼夜なく、その祈りをしましょう。この前に、私たちの長老を呼んで話をしました。私たちの教会の周囲に難しい牧師がいるならば、無条件に助けなさい。幸いに長老が、そのようにすると言いました。お金がいくらでも関係なく、困難を受けるなら、助けなさい。神様が祝福されないでしょうか。私たちが牧師を助けて、宣教師を助けることが支出でしょうか。神様が当然、祝福されないでしょうか。私たちは、祈りの課題が明らかでなければ何でも問題になるのです。あちこち宣教師を助けようとしたら、全部、問題になるのです。それが宣教ではないのでしょうか。聖書には、宣教しなさいとなっています。それなら、神様が責任を負われるのではないでしょうか。このように、祈りの課題が明らかでなければ、揺れます。その人生が、いつも揺れたら、どのようにするのでしょうか。私たちの未来が揺れたら、どのようにするのでしょうか。話になりません。ヨセフは、揺れませんでした。監獄でも成功しても揺れなかったのです。祈りの課題が明らかでした。ダビデを見ましょう。これはダビデの詩です。
■ ‘幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。’それと共に皆さんが受けなければならない祝福を話しました。それで今日、三番目にのがしてはならないことは、祈りの課題を確かに捕まえたダビデでした。ダビデが逃亡中に、洞窟の中に行ったのです。外側では武器を持ったサウル王の軍隊がいました。ダビデが、いくら人が良くても、トンネルなかでどれくらい気をもんだでしょうか。その時に、ダビデの祈りが何でしょうか。詩142篇を見れば、主なる神様はなさることができると言いました。主だけが、私を守れると言ったのです。クモの巣のために軍人が入りませんでした。こういう、奇跡のような事が起きました。また、とても緊急に逃げて、ゴリヤテの町に逃げました。ですから、賢い軍人が見て、私たちの将軍ゴリヤテを一気に殺したダビデがきたので殺そうと言ったのです。その話を聞いたダビデは、唾をひげにたらしながら、演技したのです。多くの軍人が見て、精神がおかしな人を殺して良いかと言いながら、むしろダビデを解放しました。こういう峠をダビデがどれくらい多く過ごしたか分かりません。しかし、全く揺れなかったのです。‘主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。’今日から後、皆さんが一生、祈らなければならない祈りの課題を捜し出しましょう。当分、今晩にみな探すことはできないでしょうが、ひとまずその契約をつかみましょう。驚くべき答えがくるでしょう。それが、ダビデが捕まえた神様の契約です。
■‘幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。’このような時に困難がくれば、どのようにするのでしょうか。困難の後には、より大きい答えが確かにあることを悟らなければなりません。私も伝道運動をする中で、多くの困難にあいました。しかし、神様は答えを与えられたのです。私たちの町に私より立派な人々が多くいました。しかし、私が一番、祝福を受けたのです。私の周囲には、立派な人々が多くいます。その方たちは、福音をよく知らなくていつも苦労しています。私は福音を知って、一番大きい祝福を受けました。どれくらい、すごいことなのでしょうか。これぐらいならば、私たちはこれ以上、必要なことはありません。今日から、皆さんがこの契約を捕まえて、今日から祈りが始まって、答えが始まる祝福があるように願います。すべてのインマヌエルの家族が、この契約を捕まるように願います。‘先生、私はどのようにつかむべきか分かりません。’先ずは一つを捕まえましょう。それで、みな集まって連結するのです。それで、皆さんが契約とみことばを捕まえ始めれば、少しずつ完成されて、皆さんに確信が来る門が開かれます。このみことばが、皆さんの子孫にまで伝えられることをお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、蔚山(ウルサン)に大事なしもべと共に神様に礼拝をささげることをありがとうございます。特にこの教会に祈りの課題を下さい。蔚山(ウルサン)を生かす契約を下さい。蔚山(ウルサン)に伝道者を生かす契約を与えてください。その契約を捕まえて祈って、神様の奇跡が歩みごとに起きることをお祈りします。生きておられる私たちの主イエスキリストの御名によってお祈りします。アーメン