2005年08月28日インマヌエル教会メッセージ


1部/祈りの奥義とみことば
(詩119:17〜24)

・今日、聖歌隊が賛美したように強く雄々しい信仰を持つように願います。光復(解放)60周年だいうことで(第二次世界大戦の終戦60周年)、今年8月には、多くの内容のあることが出てきています。日本がした事が、TVでたくさん出てくるのを見ました。日本も間違ったことをしたと認めました。また、世界の他の国の人々も、誤っていたことを指摘しました。正しいことですが、放送を見ながら、一つ抜けたことがあるという気がしました。韓国の放送や新聞が、もう少しレベルを高めなければならないと考えました。なぜなら、日本が間違っていたのですが、事実上は、はっきり調べれば、私たちが無能だったことが誤りです。私たちが無能ならば、どんどんやられるようになります。それで、無能でないように教育をさせなければならないのです。多くの指導者が無能ならば、攻撃を防ぐことができません。イエス様がこのようにおっしゃられました。試みをなくしてくださいではなく'試みにあわないように下さい。'と祈りなさいと言われました。その話は、私たちの周囲には試みが多いということです。なぜこの試みがあるかというと、解決することができないのです。

・寝相が悪い人がいます。寝る時、そのまま寝れば良いのに、そばの人を刺激して押して打つ人がいます。そばに寝ている人のからだにでき物ができたのです。ところが、寝相が悪い人がしばしばでき物を触るのです。どれくらい痛いだろうか? それでいつも寝癖が悪いと言うことができるでしょう。しかし、それよりは、でき物が出たのがさらに誤りです。でき物ができなかったら、少し当たっても大丈夫なのです。私たちが、道を歩いてみるならば、突然、雨が降ったり、危険な道があったりします。それで、事故がおきる場合もあります。道が、なぜそのようにしておいたかということで、補償をしてくれと申告をしたりもします。時々、穴に落ちたりもします。それは、道に誤りもあるでしょうが、それよりは用心しなければならないのです。水に溺れて死んだとすれば、補償を受けても仕方がありません。盲人が行く時、何かに引っかかって倒れたとします。なぜ道に障害物を置いかと言うことができるでしょうが、盲人が、元々見えないことがさらに問題です。目が良いならば、障害物があれば、見て避ければ良いのに、見られないから倒れたのです。私たちに問題をなくしてくださいと言うことはできません。

・ある青年が、ノーマン・V.Pという博士を訪ねて行きました。'どのようにすれば問題なく、問題がない所で生きることができるのですか?' と質問をしたところ、博士は簡単に答えました。'共同墓地に行ってみなさい。'そこには暗いこと以外には、問題があるでしょうか? 私たちが生きていくのには、色々な問題が多いのです。詩篇は、牧師がおもに書いたのではありません。つまり、祭司やレビ人が書いた内容がたくさんないのです。詩篇は、おもに軍人が多く書きました。特に、ダビデが書いたことが多いのです。それは、公務員、軍、社会の現場で書いたということです。それで、詩篇は、神様に関する文書ですが、人生に関する文書です。私たちに知恵を教える部分が本当に多いのです。

・それで、今日もこの部分を見ながら、重要ないくつかのことを悟らなければなりません。今日119篇で読んだところも、多くの苦しみを話しています。私たちは、ここで何を悟るべきでしょうか? 世の中では、問題もたくさんあって、また起きることもあります。それは解決しなければならないことですが、さらに重要なのは、私が神様のみことばで知恵を得なければならないのです。いろいろな人がいます。今日、皆さんは詩篇119篇を見ながら、どんな中にいても、私たちは神様のみことばで知恵を得なければならないのです。これが最初の今日の主題です。これは私の話でもなくて、賛美した通り、どこに行っても恐れる必要ないのです。神様が皆さんを守って、保護されるから、恐れたり、心配したりする必要はありません。世の中がいくら不道徳でも、世の中を変える前に、私がそこに陥らずに飛び越えれば良いのです。これが、詩篇の記者が書いた自分の信仰です。

・私たちの学生たちが時々、両親に対してつぶやく人がいます。それは、すでに負けたことで、これから継続して問題がきます。'私は、たとえこういう家庭に生まれたかもしれないが、私はここで負けられない'という信仰を持たなければなりません。四方八方が問題なのに、その問題に陥っていて、いつ勝利するのでしょうか? 私たちはその時、多くのことをなくすようになります。皆さんがよくご存知ですが、私たちは問題の中でいつも生きているために、神様の子どもは、そこに陥ってはいけません。詩篇にある人々でも、今も、全く同じです。99%人々が、祈りの答えを受けられないで、みことばをのがしています。これを参考にするべきで、私が信じて、そこについて行ったり、陥ったりしてはいけません。

・サウルやアハブ王のような無能な王たちがどれほど多いでしょうか? 私たちの周囲には、霊的問題を持った人々がとても多いのです。どんなことが起きるかもわかりません。それで、私たちは揺れずに、みことばの中で立って、契約を捕まえなければなりません。そして、揺れる理由もありません。私たちは、神様の子どもであり、救われた人ですから、みことばを捕まえて、違った世の中を見て揺れたり動揺する必要がないのです。参考にして助けるべきなのです。私は、幼い時、難しい時期に、時々私たちの親がお金の心配をするのを聞きました。その時、私はこう考えたのです。'お金がなければ、あのように不便なのだな。'ということを感じました。それで、漠然と、私の胸の中に'私は大きくなったら、貧しく生きてはならない。'という考えを持ちました。漠然とですが、そのような気がしたのです。ひとまずそこで、私がそのような環境でも、おかしくならなかったのです。

・朝鮮戦争が起きて、韓国が難しかった時は、私たちの村では、変なことが起き始めました。その時には米国、カナダ、オーストラリア、こういう所から自分たちが着た古着を韓国に送ってきたのです。今ならば笑うことですが、その時はそうでした。それで、大人たちがけんかをしたのですが、その良いのを持っていこうとけんかをしたのです。私は幼い時、そのような光景を見ながら、いくら幼かったとしても、恥ずかしいという気がしたのです。'人々が、あれを互いに持っていこうと戦うんだな。本当に恥ずかしい。'幸いに父が、そんなことを見てはならないと言いました。過ぎてしまってから分かったのですが、私たちはそんなことを見ながら習うべきで、そんなことに陥ってはいけないのです。

・それで、私たち信仰生活する人々が、少しだけ知恵があれば勝利します。本当に残念な話ですが、教会生活をする中で、私はこのように感じたのです。この人々の信仰を見て習ってはいけないという気がしたのです。私は聖書を見ながら、信仰を見つけなければならないと考えたのです。本当に驚くべきことに、その考えが正しかったのです。人は愛して手助けしなければならないのですが、それをながめて信仰生活をすれば、私たちはいつも崩れます。簡単に感じることではないでしょうか?

・今日、詩篇でずっと話す主題がそれです。'私たちは、主を見上げて、みことばを正しく捕まえよう。'聖書に見ると、これからますます悪くなっていきます。マタイ24章を見れば、戦争、地震、飢謹、簡単に話せば災いがずっと押し寄せると言われています。さらに恐ろしいのは、マタイ25章を見れば、教会もにせ物がたくさんできると言われています。また、ともしびは持っているのに、油はない、簡単に話せば、にせ物の信者が起きると言われています。いのちの運動は全くしなくて、他の運動だけ継続するタラントを土に埋めておく比喩をイエス様は言われました。教会の中には、羊だけいるのではなく、ヤギもいる、そのような混乱がくるのです。Uテモテ3章を見ると、終わりの日には、苦しみの時がくるのに、全部、神様を信じないで、おかしな時代がくると預言されています。そして、黙示録を見ると、霊的にとても混乱する時代がくると言われています。私は詩篇を見ながら、神様のみことばを見ながら、正しいという気がします。私たちがすべての世の中を否定的に見てはいけないのでうが、そこで私たちが気をおとしたり、倒れたり、埋まっていてはいけないのです。今日、賛美した通り、恐れてはなりません、私たちは、世の中に揺れる必要がありません。神様の契約を捕まえて出て行くのです。それが、今日、皆さんにくださる神様の最初の契約です。

・それでは、二番目にどのようにしなければならないのでしょうか? こういう未信者の世界で、私がどのようにすべきでしょうか? 詩119:18節にこういうみことばがあります。'私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。' 20節'私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。' 23節'たとい君主たちが座して、私に敵対して語り合ってもあなたのしもべはあなたのおきてに思いを潜めます。'それと共に24節'まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。'重要な部分が出てきました。私たちは、世の中に陥らないことだけが重要なのではなく、私たちは、私を見つけて私を救い出さなければなりません。皆さんがどこに立って祝福を回復しなければならないのでしょうか。自分をはやく回復しなければなりません。私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。皆さんは救われた神様の子どもです。神様のみことばを思い慕いながら、その中で自分を捜し出さなければなりません。聖徒や学生たちが外に出て行く時、この奥義を持って出て行かなければなりません。皆さんが祈りの答えを受けられる最も重要なことが、私が誰なのかを分かることです。これが高慢になったり、気をおとしたりして思っていることは、違っているのです。私が誰かであるということが、どれくらい重要でしょうか。祈りの答えを受ける最初の条件です。皆さんを神様はキリストを送って、血の値を与えて買われた神様の子どもです。神様が、人間と皆さんを救い出そうと、旧約の時から預言されました。その契約の中で救われた神様の子どもです。

・私たちは世の中に陥られずに、知恵を得るのも重要ですが、私が誰なのか、はやく分からなければなりません。その目が開かなければならないのです。私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。皆さんが、これはやさしい話のようでも、とても重要な言葉なのです。私たちの教会は、どんな教会なのでしょうか? 教会はたくさんあります。それからはやく悟らなければなりません。皆さんが、どこに住んで、何をして生きているのでしょうか? それからはやく分からなければならないのです。私が警官ならば警官、軍人ならば軍人、国会議員ならば国会議員であることをはやく分からなければなりません。私が知っている牧師の中で、牧会はしなくて、マルチ商法をしに通う人がいます。私より一つ年下です。それで' お前は狂った牧師なのか。そんなことは一般信者がすることであって、牧師は祈って伝道すべきで、マルチ商法とは何か?' と言いました。自分が誰なのかを知らないのです。

・皆さんの中に、副教役者がたくさんいるでしょう。いくら難しくても、喜びで待たなければなりません。そして、指導者になる自尊心がなければならないのです。保険会社に通うのは、一般信者がすることであって、指導者がすることではありません。飢え死んでも、静かに死ぬべきで、教会の指導者は、そんなことをしてはいけません。それは、自分が誰なのかを知らないのです。私たちが高慢でもだめですが、自分をとても低くしてもだめで、自分を正確によく分からなければなりません。教会がこれから福音はなくなって、霊的問題は迫ってきて、人々はさまよって、福音がある教会に集まってきているのです。それで、多くの聖徒の中でも、リーダーである指導者は、はやくこういうものを分析しなければなりません。人の一番の問題は、私が誰かわからないという問題です。それで'私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。'正しく見るから'たとい君主たちが座して、私に敵対して語り合ってもあなたのしもべはあなたのおきてに思いを潜めます。'これが自分が誰なのかを分かったことなのです。これがとても重要です。

・米国で永住権をもらったら、米国に行けば、出てくることが一つあります。永住権のほか出てくることがあります。永住権を英語ではグリーンカード(Green card)と言います。その他に、どの地域に住んで、免許証も取っているか、そのようなカードが別にあります。それをID cardと言います。ID cardカードは、英語で解説すればIdentification cardと言います。Identificationという言葉が、主体性、アイデンティティーという言葉です。私が誰だ、あなたが誰だ。それを知らせるカードです。それで、それがなければ、生活することができません。私たちの信仰生活も同じです。皆さんがいくら困難がきても、また、私たちにいくら良いことがきても、私が誰なのかを分からなければなりません。皆さんは絶対にほろびることができない神様の子どもです。皆さんは、キリストによって、血の値段を与えて買った子どもだから、絶対にほろびることができません。詩篇記者が、一番たくさん強調したのがこれです。

・今日の本文の中でもたくさん出ています。私たちは福音を持っています。何も怖くなることがありません。今日、皆さんが、本当に契約を捕まえて、恐れずに新しく始める祝福の日になるように願います。それをするために、さっき話した最初は、世の中がいくら難しくても、恨んだり気をおとさずに、当然、抜け出さなければならないということです。'私の家が、私の親がどうしてそうなのか? いったい私はなぜ、こういう家に暮らすようになったか? いったい私の夫または、妻は、なぜこんなのか'こういう質問は、いくら長くかかっても話をしてみても解決できません。皆さんが、どんな環境がきても、神様の子どもは溺れ死ぬことはありません。それで終わるのではないのです。詩篇に話す内容は、今日、詩篇119篇にもよく出ているのですが、皆さんが誰なのかをまた確認しなければならないのです。救われた人が誰なのか分かるのでしょうか?サタンの勢力は、絶対に皆さんを触れません。未信者は運命だと話すのですが、罪の勢力は、皆さんを絶対に打ち倒すことができません。どれくらいすごいのでしょうか? ここで揺れてはいけません。そして、私が誰なのかをはやく悟りましょう。私たちが誰なのかを知って、私たちの教会がどんな教会なのかを知りましょう。

・私が、この間にも話したことがあります。比喩を上げる時には、誤解しないでください。他の人の比喩を言うと失礼だから、私の友人、家族、罪ないが私の息子、妻を例をあげるのです。また、他の所を話せば、失礼だから、他の教会が良くなくても、そこに対して話すことはできなくて、私たちの教会に対して話したりするのです。人々が間違って'あなた、そのようにして良いのか'と説教できないから、それで、また何の誤りもない妻を引き出して話したりするのです。それを説教が聞く人は、よく理解して、メッセージをよく聞かなければなりません。

・およそ9年の間、私の家内と私がそれのためにけんかをしました。けんかの内容が何かというと、すべてのお金を自分にみな持ってきてくださいと言うのでした。私が今、私のお金ではなくて、宣教日もあるのに、みな任せなさいと言うのでした。それで、それはだめだと言いました。そして、私があまりにもたくさん走って複雑で、今、生活するのが多いのです。それで、それをみな持ってきてくださいと言いました。どれくらい複雑かわかりません。それはだめです。9年間、それを持って来てくださいということで、いざこざがありません。私が後ほど、はっきりと話したのです。天が二つに割れて、主が再臨して来られて、直接、話してもだめです。なぜか、神様がそのようにされるはずがないのです。最も重要なのが、それではありません。柳光洙牧師が誰かをはやく分からなければならないのです。普通の複雑さでも、普通の仕事が多い人間の程度ではありません。だから、皆さんが、夫や子どもなど、人がたくさんいても、アイデンティティーをはやくキャッチしなければなりません。皆さん夫が国会議員という時は、それに対するアイデンティティーをはやくキャッチしなければなりません。皆さんの夫が高級公務員という時は、そこに合わせて、家族がアイデンティティーを感づかなければなりません。それと同じように、救われた神様の子どもも、神様が願われる祝福があります。それを感づかなければなりません。それができなければ、私が分かることでは、祝福を99%逃します。おもに、詩篇はダビデの詩です。おもに将軍をして、王をした、ダビデの詩です。こういう人々がいう話です。私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。そして、多くの妨害の中で主の戒めを黙想すると言いました。それで、私たちは信仰生活で必ず記憶しなければなりません。いつも私が誰か、私たちが誰か、いつも記憶しなければなりません。アダムが罪を犯した時、アダムよ。どこにいるのかと尋ねられました。知らなくて尋ねられたのでしょうか?ヨナが行って、使命を捨てて逃げたのに、神様がヨナを追いかけて、ヨナに尋ねられました。知らなくて、そのようにされるのでしょうか。何を尋ねられるのでしょうか。聖書に、時々、イスラエルを見て、ヤコブよ。イスラエルよと言われました。なぜ、そのようなのでしょうか。あなたのアイデンティティーを話すのです。あなたが受けた祝福の身分を確認させてくださるのです。それをいつも知っていなければなりません。それが重要です。

・最後に、さらに重要なことがあります。私たちは、神様から本当に祈りの答えを受けることができる資格があります。皆さんが、今日、その契約をみな捕まえなければなりません。主の戒めを黙想して、神様のさとしを喜ぶのです。今日、皆さんがこの契約を必ず捕まえるように願います。旧約に、ヨセフという人物がいました。ずっと困難が来ました。そして、家で兄が自分を困らせます。ヨセフが、神様の前に祈ったのです。'神様、私は、本当は、死んだお母さんに会いたいです。そして、私は幸せに暮らしたいです。私は、こういう家ではなく、幸せに暮らしたいです。私は、神様のみことば捕まえて生きたいです。'当然な言葉です。その祈りを継続したのですが、神様はヨセフに世界福音化というビジョンを与えられたのでした。何の話なのか分かるでしょう。その契約を捕まえたがヨセフに起きるすべてのことが、全部、答えと関係があったのです。今日、皆さんが最後にしなければならない重要なことが何でしょうか。今週にレムナントと皆さんに強調しました。これは必ず捕まえなければなりません。私たちの役員に強調しました。これは、詩篇にもあって、皆さんが常に捕まえなければなりません。今日、皆さんが神様のなかで初めてすべきなことは何なのでしょうか。本当に真の願い、真の希望を捕まえなければなりません。それをつかめば、ひとまず、どんなことが行われるのでしょうか。私が真の希望を捕まえる時、自分自身にすでに変化が起きます。私が真の希望を捕まえる時、神様の計画も発見でき始めます。皆さんが真の希望を捕まえて祈り始めれば、その時から神様が全能な力で働かれるようになります。これが詩篇の記者の共通点です。皆さん、聖書を詳しく見ましょう。今でもそのまま答えられます。ヨセフ、ダビデ、他の立派な詩篇の記者が何を捕まえたのでしょうか。その難しい中でも、神様の希望を捕まえました。ところで、これは今でも可能だということを私は体験しました。

・不思議に、私が祝福を受けられなかったのか、私が会った人は、本当に福音を伝えようとする人がなかったのです。異常に、私の目には、単に教会を復興させようとするのですが、本当に福音を伝えなければならないという人がいませんでした。私が誤ったことかは分からないのですが、多くの先輩に会ってみたのですが、本当に福音のために生きるという方が殆どいませんでした。それで、私が今、多くの教会、見た教会、あった教会の大人たちを見ても、本当に福音のために生きるという方がほとんどいませんでした。私が見間違っていることもあるのですが、私はそのように感じたのです。その時、私が神様の前に小さい願いを一つ抱いたのです。'神様、私は本当に伝道させて下さい。そして、信徒に福音が何であり、伝道が何かを教えて下さい。そして、全世界、特に私たちのレムナントに教えて、彼らが失敗しないように、私がお手伝いをします。'これが私の願いでした。しかし、驚くべきことです。その時から今まで、私は答えを受けた程度ではなく、神様の全能な力が共にされることを体験しました。それで、本当に神様のみことばは生きているみことばだということを感じました。それ一つを捕まえたのですが、引続き祈りの課題が作られるのです。それ捕まえて、そのまま定刻の祈りをして、安らかな時、気楽に祈ったのですが、本当に不思議なことに、その中で神様のみことば出てきて、方法も出てきて、みな出てくるのです。どれくらい驚くことなのでしょうか。その希望一つを捕まえて祈ったのですが、現場に行ってみると祈りの答えが起き始めたのです。そうして、私がとても鈍かったのですが、発見しました。

・最後に発見することができたのです。神様が私と皆さんにくださった祝福は、ものすごいことであると発見するようになったのです。いくら賢い動物、賢い犬でも、主を見上げるものはいません。私たち人間は、主を見上げるように造られたのです。その時、その中にある途方もない祝福を発見したのですが、それを持って祈り始めました。その時、これを悟ったのです。私は部屋に座って、すべての地域と皆さんのために祈ることができます。それを悟ったのです。私と皆さんが会わないとしても、私の子どもと皆さんの家族が会わないとしても、祈りでみなできるのです。この事実を知るようになりました。皆さんが本当に祈る時には、主の聖霊が時空を超越して、皆さん現場、職場、子どもに働くことができるのです。私はこれを発見しました。そして、聖書を見ると、聖書見る目が開いたのですが、皆さんが祈る所ごとに、神様が主の天使を送って、すべての現場で作業をするということを知るようになりました。そして、さらに驚くべきことを知るようになったのです。

・私たちがイエス・キリストの名前で祈る時ごとに、皆さんの職場、家、周囲にある暗闇がみなうち砕かれてしまうということを分かりました。だから心配する必要がありません。皆さんの会社なかで、皆さんの現場なかで、事故を起こすのが、暗闇と関係があります。こういうものをうち砕く祝福を、神様が私たちに与えられたのです。私は昔には死んで天国に行くと思っていました。ある日、聖書を見たら、それもあるのですが、私たちがこの世に生きながら神様の国が臨むようにするのが、私たちの使命だということが分かりました。そのように悟ったのです。これで挑戦するようになったのです。どんなことも恐れないで、私たちは現場も変化させて、世の中も変化させられます。私たちの家系も変化させられるのです。この契約を今日捕らえて出て行かなければなりません。必ずつかまなければならないのです。皆さん1人のために、皆さんの職場を生かして変化させられるのです。そうです。皆さん1人のために、皆さんがいる分野を生かせるのです。祈る警官1人がいれば、警察署の中に働きが起きます。

・本当に、この力を信じる公務員一名が大統領府の中にいれば、大統領府に働きが起きるのです。本当に体験しなければなりません。この力を信じる者1人が軍隊にいれば、軍に働きが起きるのです。ものすごいのです。皆さんが祈る時ごとに、暗闇の勢力をうち負かせることができます。皆さんが祈る時ごとに、おかしな霊的なことが行われるのです。どれくらい重要なのでしょうか。今日、詩篇を通して、今日の本文を通して、3つのことを必ず捕まえて出て行かなければなりません。私たちは、弁解、言い訳、つぶやき、こういうものをせずに、そこに陥らないのです。みことばを捕まえるのです。これが今日の最初の主題です。それなら、私は誰か、私が神様の子どもですが、どれだけの大きい祝福を受けたのでしょうか。そのアイデンティティーを発見するのです。それなら、私の職業は何かであり、私の年はいくつか。そんなことを発見するのです。それで終わるのではありません。三番目のことが何なのかというと、これからは、神様がくださった祝福をもって真の希望を捕まえて変化させるのです。必ずこの契約を捕まえるように願います。

・お金がたくさんある財閥が、道を行くときに乞食に疎外感を感じるでしょうか。誰がお金が少しある人に疎外感を感じたりするでしょうか。そうではありません。貧困な人が金持ちの人を見て疎外感を感じるのですが、ある人が何のために疎外感を感じるのでしょうか。それと同じです。私たちが本当に神様の力、奥義、今日、私が話したことを分かったら、疎外感を感じたり、比較意識を持ったり、試みにあうことがありません。例えば、私のような場合は、この祝福をまったく悟れない人は残念だという気がするのですが、疎外感は感じられませんでした。忙しいのに、疎外感を感じている時間がどこにあるのでしょうか。そして、忙しいのに、何を比較することがあるのでしょうか。今、私の前に置かれた祝福を十分味わうのが難しいのに、何で比較をするでしょうか。そして、この祝福をみるので、他人の話をする時間もありません。人を祝福して、良いのを見る時間がないのに、他人の話をする時間がどこにあるのでしょうか。そして、私が知っている人のために祝福を祈り、神様の力で祈ることも忙しいのに、他の人を恨んで話す時間がどこにあるかということです。本当に不思議なことです。今日、皆さんが必ずこれを持って出て行かなければなりません。

・神様がアブラハムに、わたしがあなたに国々を生かす祝福を与えると言われました。しかし、信じなかったのです。それが問題です。なぜでしょうか。とても途方もない話だからです。あなたを祝福の源にする。あなたを呪う者をわたしが呪って、あなたを祝福する者をわたしが祝福すると言われました。信じられなかったのです。信じないという話はしなかったのですが、信じられなかったのです。そして、あなたの子孫によって、国々が祝福されるようにすると言われたのに、信じられなかったのです。これで、アブラハムが思い切り殴られて、人生の半分を浪費した後に悟ったのです。しかし、ダビデはそうではありませんでした。初めから分かったのです。この差です。皆さんの差はこれです。ダビデは、すでに軍人になる前に、羊を飼う時、悟りました。どのように悟ったのか分かるでしょうか。羊飼いをするここに神様が共におられる。ダビデはそのように悟りました。そこで、羊を飼いながら祈り始めたのです。羊一匹なくさない、これが使命です。それで羊を守るのに、動物がつかみにくれば、石を投げるのをダビデがしたのです。動物がくれば、石を投げて殴ったのです。

・この頃ならば、銃を撃つはずですが、その時は銃がないから、石を投げて殴りました。私は獅子の口を裂いたというのは何の話なのか、獅子にどのように勝つのかと思っていましたが、今は理解できます。この獅子が羊をくわえて逃げるから、ダビデがじっとしているでしょうか。石を投げたのです。だから獅子が羊をくわえて行くのに、飛んでくる石に当たりました。分かるでしょう。それで、その獅子の口にある羊を引き出して、獅子と戦ったのです。すでに重要な頭に当たって、倒れていた獅子の口を裂くのは難しいことではありません。私はその話が分かったのです。さらに重要なのは、ゴリヤテをたたき壊したのです。私がダビデでも、その程度なれば勇気ができます。なぜかというと、そのはやい獅子の頭を殴ったのに、おろかなゴリヤテの頭を殴るのは簡単です。皆さんおわかりの通り、ゴリヤテを一気に負かしました。だから、ペリシテ軍隊が驚いてみな逃げたのです。全国と世界が騒いだのです。ところで、これは偶然なことではありません。ダビデは、本来その信仰があったのです。

・これが重要です。ダビデに次に新しい困難のねたみ、嫉妬が来たのですが、その時も揺れませんでした。その時は、むしろ逆利用して、王になった時に起きる事に対する準備をつくしたのです。これが差です。神様は、皆さんを祝福の人と呼ばれたのですが、私たちの自ら、私ではないと言うのでしょうか。高慢なのも罪ですが、知らないのも罪です。私たちは今日、この契約を捕まえて出て行きましょう。私が分かることでは、皆さんは、今日の本文にある3つだけを捕まえれば良いのです。世の中を見つめて驚いたり、恐れたり、無視したりせずに、そこで私たちは知恵あるように抜け出す力がなければなりません。そして、霊的な目を開けて、私が誰なのかを分からなければなりません。そうした後に、世の中を変化させなければならないのです。今日、皆さんが真の希望を抱くように願います。それで働きが起きます。ところで、多くのクリスチャンが、普通見れば希望もないだけでなく、違った希望を捕まえているのです。今日、皆さんが真の希望を捕まえる瞬間に、神様は働かれるでしょう。

・今、私たちのレムナントが、ここにはたくさんいなくても、全世界でメッセージを聞いています。そして、時間がなければ、ダウンロードして皆、聞いています。正しく祈っている、悟った教会では、このメッセージをダウンロードして、教会で全体と一緒に見ています。そこで重要なのは、私たちのレムナントが座っているのです。特に、私たちの韓国から行ったレムナントはさらに難しいのです。そのレムナントを記憶しなければなりません。神様の真の希望だけ捕まえれば、全てのものはみな解決されるのです。小さいことでも、その希望を捕まえましょう。その後に、答えが従ってくるようになっています。今日、皆さんが真の希望を捕まえる日になることをイエスの名前でお祈りします。本当に、その契約を捕まえる時、神様は皆さんに働かれるでしょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、真の希望の日になるようにして下さい。神様のみことばを捕まえて、新しく始める重要な日になるようにして下さい。今日、詩篇の記者が勝利したように、主の民が新しい力を得る日になるようにして下さい。今日、この時間に時空を超越した主の聖霊が、私たちの子ども、現場、すべての所に働いて下さい。天の軍隊を送って、世の中の人々が知らない答えの時間になるようにして下さい。今日、この時間に、主イエス・キリストの名前で、私たちと関係するすべての所に、暗闇が崩れる日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン