2005年10月2日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/ダビデの子よ。私をあわれんでください
(ルカ18:35〜43)

・今日、聖書に盲人1人が出てきます。そして、盲人なのに物乞いをしていました。マタイの福音書にも記録されているのですが、名は出ていません。今日の本文にも名前は出てきていません。マルコ福音には名が出てきます。マルコ福音にはお父さんの名前まで出ています。マルコ福音10章を見れば、テマイの息子バルテマイと言われています。盲人であり、物乞いです。その話は、お父さんも物乞いだということが含まれています。なぜなら、お父さんがお金が多ければ、息子が盲人だといっても物乞いにならなくするためです。このようにして、この人がいつも物乞いをしてイエス様に会うようになったのです。イエス様が通り過ぎるという声を聞いて、イエス様に会ったのですが、目が開かれる奇跡が起こったのです。今日、重要なのは、この人が、それまではいつも盲人のように、物乞いのように生きていたのです。ところで、これが重要なのです。イエス様の話をいつも聞いていたのですが、ある日、私がイエス様に会わなければならないと考えるようになったのです。これがどれくらい重要でしょうか?

・私が事業するある方にこういう話をしました。'障害者を多く使ったら良くのではないのか?'すると、その方がこのように返事をしました。'国家でもそのように推奨します。それで、法的にも何人かは使わなければなりません。'それで、私はそのほか、もう少し多く使いなさいと言いました。しかし、このように返事をしました。'仕事を出来ないのは大丈夫だ。必ず心配をかける。とても障害者らしくする。頭が痛い。'これは、ありうるでしょう。その方の話は、嘘ではないと感じられました。人は、無知なこともあります。しかし、謙虚に自分の仕事を良くすれば、博識な人々が見て尊敬します。しかし、無知な人が前後合わない言葉をしばしば言って、教会でもつまらない言葉をしばしば言って、それでは他の人が 'やはり、本当に無知な人らしいことをしている' と話します。たとえ、盲人でも、私が本当に熱心に生きて正しく生きれば、他の人が見て感動します。'あの人は盲人だが立派だ。'このように話します。しかし、この人が変に、いつもなげいて私はどうしたのと恨んでそのようにすれば、人々は直ちに言葉を違うようにします。障害になったのもくやしいのに、他の人が言うことを,'やはり、そうなのだ。'と言います。

・この人は過去にいつもそのように生きていたのです。お父さんも物乞いで、私も盲人だから、食べて生きてなければなりません。このようにずっと食べるために、物乞いとして生きてきたのです。私はある盲人に一度会ったことがあるのですが、こういう話をしました。'どの教会に行っているのか?'と尋ねました。草梁洞に盲人だけ集まる教会があるので、そこに行くと言いました。それで、なぜそこに行くのかと尋ねました。盲人どうしで集まって、礼拝をささげると言いました。'そうか、しかし、教会だけはそうしないで。学校は盲人の学校に行くかも知らないが、あなたが教会は正常な健康な人々がいる所に行きなさい。教会に盲人が来るなとなっているか? あなたは障害者ではない。単に目で肉体的なものが見られないだけだ。それが何で問題になるのか? 'ですから人々が、考えが盲人で、自分は身体障害者だ、自分は障害者という心理的な考えがぎゅっと積もって縛られているのです。この時まで、そのように生きていたのです。皆さんは、そのように生きてはいけません。ある日、この人がいつも話を聞いたが、突然、恵みの日がきて 'イエス様に会わなければならない。この方はこういう方だ,'それを分かったのです。'私は会わなければならない。'それで、こうしたことが行われたのです。

・私は一度、TVで映像物を見ました。とても感動しました。日本の女性でした。腕二本が肩まで完全になかったのです。しかし、気をおとさなかったのです。足の指を持ってすべてのことをしていました。足の指を持って、文も書いて、ご飯も作っていました。足の指で針仕事もしていました。字をどれくらいよく書くのか、私と同じように書いていました。字を多く書く人々のように、足の指で上手に書いていました。そして、水泳もします。海で足日本で歩いていって水泳をしていました。それを見た時、さらにすごいと考えました。私は足二本あって腕があるのに、水泳ができないから、本当にすごいと思ったのです。ですから、人は精神が生きているのです。'神様が私の腕二本をなくしたが、それを使わなければ良くて、足ですれば良いことではないか?' それで、この人が多くの人を生かすことをしています。

・一度は、私の秘書が'先生、今日、せっかく時間があるから映画を一つ見て下さい。'と言いながら、ビデオテープを一本渡してくれました。それで少しの間見ようかといって、見はじめて身動きもせず座ってみな見ました。とても良い映画でした。二本の足を使うことができなく、鉄で作った義足で松葉杖をついて通っている人でした。お母さんが立派なお母さんでした。'あなたは足が使えないだけであって、おかしな人ではない。あなたは松葉杖をついて通いながら何でもできる。全くおかしな人ではない。'この言葉に力を得たのです。そして、松葉杖をついて通ったのです。ところで、とても優しいガールフレンドが1人いました。それで、きて大丈夫だと力を与えてくれたのです。しかし、ある日見たら、不良の子どもたちが、ちょうどこの子どもを困らせたのです。自転車に乗ってつかまえにきたのです。この子は足を使えないから、逃げることも大変でした。ですから、ガールフレンドが走って逃げろと言うのでした。

・この悪いやつらは、自転車に乗ってつかまえにきたのでした。だから、何度も走れと話して逃げている瞬間に、鉄でできた義足が折れたのです。それと共に、今まで動けなかった二本の足が力を得たのです。それで走ったのです。不思議なことが行われました。これで、その時からこの人は走るのが特技になりました。軍隊まで行って戦場で走ったのです。他の人は皆死ぬのに、死ななくて、その時ごとに走るのでした。後ほどは、ケガした人を担って走ったのです。それで、それを見ながら'ひとりの重要な人と、本人が持った考えが、こんなにも重要だな'ということを感じました。事実、私たちは知識的にも見えないことが多いのです。霊的にも見えないことが多いのです。

・この人が、どのようにこういう大きい答えを受けて祝福を受けたのかが、とても重要です。大きく必ず三つの契約を捕まえなければなりません。この人は生まれながら盲人でした。使徒3章に見れば、足のきかない者が、生まれながら足のきかない者であったと言われています。この言葉がとても重要な言葉です。この盲人も生まれながら盲人でした。中間に目をケガしたのでも、自分の失敗でもなく、見えないのでした。何の話なのでしょうか? 運命です。生まれながら。これが重要な話です。私たちは運命が変わらなくては、どんな場合も、新しいことをすることができません。一言で、イエスを信じるということは、何の話か、運命を変えるという事です。ここにひょっとして、はじめて来られた方がおられますか? 福音が何か? 悪魔の子どもから神様の子どもに変わることです。身分が変わるのです。とても重要なのです。生まれながら盲人だったこの人は、運命が変わらない以上、永遠に盲人になるのです。本当にこの部分が重要です。エリコで住んでいたのですが、いくら良い町に住んでも、仕方がありません。

・今日、皆さんは、ここで必ず捕まえなければならない契約が何でしょうか、運命が変わらなくては、誰も暗闇の世の中には勝てないのです。昔には奴隷がいました。この奴隷という身分から抜け出さない以上、いくら熱心に生きても奴隷です。この話を、早くよくわからなければなりません。監獄の中にいれば囚人です。監獄から出ない以上、いくらもがいても囚人です。私たちがもし泥棒に付いて回れば、私がいくら優しくても泥棒です。もし私が組織のやくざに付いて回れば、私がいくら正しく生きて、出来るだけ良心的に生きても、私はやくざです。そこから抜け出さなければなりません。それで正確な話は何なのかというと、この世には目に見えなく、すべての人がサタンの勢力の下に捕えられているのです。ここから抜け出さなければならないのです。正しい言葉でしょうか? 未信者はよく知らないのですが、正確な言葉です。それで、大部分の人々が占いに行って、おかしな偶像崇拝をするのです。聖書に言われるのに'あなたたちの父である悪魔'ということです。そこに属しているので、滅ぼされるとイエス様がおっしゃられたのです。これが変わらなければなりません。これはとても重要です。

・未信者運命6つ。いくら金を儲けて、いくら成功しても、そこからは抜け出すことができません。占い師が占うのには、一理あります。問題は、人間がそこから抜け出せないのです。これが問題です。占い師の中にはにせ物もいますが、本当に悪霊につかれた人が合わせるのは本物です。それで、そこから抜け出さない以上、いくらもがいてもだめなのです。いくら努力して物乞いしても、この盲人は目が開かない以上、永遠に盲人です。この人は今日、運命がひっくり返る日になりました。本当に驚くことです。皆さんが記憶しなければならないことは、未信者6つの状態はすべての人に同じようにくるのです。それで、後ほど思い切り生きて困難が来ます。熱心に勉強して、大学も行ったのに、年を取ればとるほど困難がくるのです。自分なりに成功したのに、どんどん困難がくるのです。私は見た人の中で、そのような人がとても多かったのです。

・釜山(プサン)で有名な病院院長は、単に病院をしているのに、時間が経つほどどんどん苦しくなっていったのです。それは、ソウルにきて友人と遊んでいた時に、よりによって遊んでいた所で火事が起こったのです。それで焼け死にました。これが何の事でしょうか? また一人は、お金をたくさん儲けて、国会まで進出したのに、自分の家もほろびて霊的問題がきたのでした。本人は、とても絶えられなくて、中風になって倒れてしまいました。自尊心はあったので、人にも会わないで、それで死んだのか生きているのかもわかりません。聖書で、無駄にイエスを信じなさいと言われているのではありません。神様が退屈で、イエス様を十字架に釘づけられ、そのような冗談でされたのではありません。皆さんが元気に暮らしているのに、そこに力ちょっと得るために教会に来なさいという話ではありません。皆さんの運命を完全に変えなさいという言葉です。私の説教を霊媒師も聞くでしょう。数年の間、霊媒師に手紙を送っていました。運命を変えない以上、永遠に悪霊に苦しめられて、霊媒師生活をしなければならない。運命を変えない以上、子どもにまでその問題が行く。これより重要なことはありません。ですから、初めからだめな人もいます。初めから精神病で、子どもたちが問題で、こういう人もいて、ある人はよく生きていたのに、最後には問題がきてほろびる人もいます。ある人々は、すごい成功したと思ったのに、問題がきたりします。聖書にそうなっています。

・未信者状態6つ。ですから、聖書ぐらい正確な本はありません。それで'罪と死の原理から、あなたがたを解放したのです'と言われています。使徒10:38節を見れば'悪魔に制せられた者を救い出す。'告げています。ものすごい言葉です。ここに私たちが命をかけて、私のことをみな投資しても良いほどの、神様の祝福があるのです。ただ未信者状態の運命から抜け出したのですが、その状態は私たちの周囲にあるのです。それで、考えを変えなければ、いつもやられてしまうこともあります。皆さんの考えがどんどん過去に陥れば、そこから抜け出しても、しばしばだまされるのです。それは注意しなければなりません。それで、私たちの運命は完全に神様が変えられました。もしここにいる事業される方が不安で、占うをしようかどうかと思う、そのような心配は全くする必要がありません。皆さんの運命は、すでに死からいのちに移ったとなっています。'主の名で話したところ悪霊が追い出されました。'それよりさらに重要なことがあります。'あなたたちの名前が天国に記録されている。'ですから、運命が変わったのです。

・皆さん本当にイエスを信じて考えだけ変えれば、大きなみわざが起きるのです。愚かなことは何でしょうか? 皆さんは運命から抜け出してしまったのに、しばしば元を訪ねて行ってお手伝いすれば、それは愚かなことなのです。お父さんが借金をすべて返したのに、私がしばしば行って借金を返すと仕事をしてあげたら、それは愚かです。皆さんをサタンの勢力から完全に呼び出されました。しばしば行ってお手伝いするのは愚かです。ただ皆さんが長い間、偶像崇拝をした人は、きてしばしば触ってだまします。絶対にだまされないようにしましょう。生年月日をもって四柱推命による運命を見る、それが間違ったことではありません。事実です。運命を分かって合わせてするのが科学的です。ところで、どうしろということでしょうか? 抜け出せません。まず困難をしのぐようでも、またより大きい困難がくるのです。例えば、借金を返すために、まず金を借りて返せば、当分は解決されるようですが、より大きい問題が生じます。私の運命が変えなかったが、まずこのように間に合わせてしまおうとすれば、問題が生ずるのです。それで罪と死の原理からあなたがたを解放した。これが普通の話ではありません。

・今、盲人バルテマイが、イエス様に会う瞬間に、運命がひっくり返ってしまったのです。間違いありません。私は福音を知らない時、福音を知った時、とても違いが生じました。率直に、我が家に私が福音を知らない時、食べて生きるのが一番心配でした。他の問題は言うまでもなくて、まず何でも食べられてこそ、息をして生きられるのに、これから解決しなかったのです。本当に不思議なことです。福音を悟ったら、どれだけ答えがくるかというと、福音だけ捕まえたところ、多くの人を助ける答えがきました。そのような程度ではありません。ほとんどすべての人々が生きながら、最後にはみな失敗するのに残念でした。人々が福音を知らないので…それで、神様が旧約聖書に長い間約束されたのです。新約聖書に、数多くの人々を犠牲にしながら話されました。それで、ローマ5:8に'しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。'

・未信者が少しの間うまくいくようでも、箴言16:4を見ると'悪者さえもわざわいの日のために造られた'その時、少しの間用いられるためであって、最後には結局、崩れるのです。皆さんが何の話なのかわかって、今日この契約を捕まえられるように願います。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。天国の鍵を与えます。皆さん、この契約をつかむことを希望します。すべての暗闇、サタンの勢力は終わったということです。今から皆さんが少しだけ祈りなさいという言葉は、少しだけ聖霊の導きを受ければ、ずっと答えくるということです。新しい人生が始まることを、主の御名で祝福します。

・私には時間がありません。それで、私が私の時間を思いのままにできません。それで話したい人々が多いが、スケジュールが時間がないのです。そして、私が手助けするより、私が習うことも多いのですが、時間がありません。それで重要な方々が、私と共に食事もして、話もしようとするなら時間がありません。なぜなら、私たちの重要な方々は、全世界に30万人もなるのに、時間がそのようにありません。しかし、どういうことなのか、娘が電話がきて私に会いに来てくださいと言うのです。誰があえてそのようにするでしょうか。どの長老が、いくら私が尊敬する長老でも、電話をして来なさいと言われたら、私が行くことができるでしょうか。いくら立派な牧師でも、私に会いに来てくださいと言われたら、私は行くことができないのです。娘が電話をして私に会いにきてくれと言ったのです。自分に時間がないから、私に会いに来てくれと言ったのでした。行ったところ、他のことではなく、コンピュータを買ったのでお金をくださいということでした。帰るのに、私は何の話もしなかったのですが、イ・ドンチョル牧師が私のスケジュールを知っていました。一緒に行ったイ・サンベ牧師はスケジュールを知っています。イ・サンベ牧師が言う話が、真に子どもは怖いということでした。柳先生は、このように時間がないのに、娘に会いに行く時間がないことを分かるのに、真に子どもはすごいと言いました。そのそばに座っていたイ・ドンチョル牧師が、それが子どもの権威だと言ったのです。神様が私たちに答えられる祈りの鍵を与えられました。少しも不安に思う必要はありません。絶対にほろびない権威を与えられました。今まで、皆さんがほろびたことは、後の日のための土台にもなりますが、あるものはだまされたのです。だまされてはなりません。

・昨日までは、盲人バルテマイだったのですが、今日からは違います。さらに重要なのは、昨日までは物乞いバルテマイだったのですが、今日からは神様の子どもになったのです。だから、運命が変わらなければならないのです。

・二番目です。どのようにこの運命を変えたのでしょうか。どのようにしたのでしょうか。ここに重要なことがいくつか出てきます。時刻表を逃してはなりません。Uコリント6:2に、確かに、今は恵みの時、今は救いの日ですと言われました。イエス様が過ぎ行く時刻表にぴったり合わせたのでした。どれくらい重要なのでしょうか。方法の中の方法が何でしょうか。時刻表を合わせるのです。福音を伝える人々どうし会ったのが、皆さんが祝福を受ける時刻表です。逃してはなりません。世界福音化のために、重要な方々が今、全世界に集まっています。神様の時刻表です。これをバルテマイが分かったのです。どれくらい重要なのでしょうか。機会を逃してはなりません。旧約・新約聖書の教会史に見れば、重要な人物が恵みの時刻表を分かったのです。皆さんが聖霊充満を受けて、祈りの答えを受けるのも時刻表が今です。だから今、契約を捕まえれば良いのです。その次に何でしょうか。方法をどのように使ったのでしょうか。ここに見ると、内容です。何と言ったのでしょうか。本当に福音を正しく知っていました。私を直してくださいと言わずに、ダビデの子、イエスよと言いました。正しく悟ったのです。旧約に預言された、その方だということです。ダビデの子、イエスよ。ペテロが告白した、主は生ける神の御子キリストですと同じ答です。ダビデの子、イエス。正しく悟ったのです。人間の根本問題を解決しようと神様が送られたキリストだという話です。その恵みを今、話したのでした。そして、姿勢がとても良かったのです。なぜ、他の人はみな直すのに、私は直さないのですかと言いませんでした。私は目を開いて見ることができないから、私を助けてくださいと言いませんでした。なぜ他の人はみな目を開いているのに、私は目を開かれないのですかと、このように尋ねませんでした。私をあわれんでください。誰がこの祈りに答えないでしょうか。ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。これが大きい祝福の変化を起こす二番目の大きい秘密です。私たちは今日、貴重な神様の祝福を受けなければなりません。

・さらに重要なのは三番目です。この盲人バルテマイの信仰です。イエス様が尋ねられました。わたしに何をしてほしいのか。目が見えるようになることです。それでは、あなたの目が開かれるようにと言われるべきなのに、イエス様は、あなたの信仰があなたを直したのですと言われました。私たちは運命が変わらなくてはだめです。それが何でしょうか。神様の恵みです。それで、今、私たちは何をしなければならないのでしょうか。時刻表を正しく捕まえなければなりません。ダビデの子、イエスよ。福音を正しく捕まえなければならないのです。今日、解決されなければなりません。私をあわれんでください。これが方法でした。しかし、さらに重要なのが信仰です。来てみたら、人々がどれほど多いかわかりません。私たちの信仰には障害があります。目が見えれば簡単に行けるでしょうが、目も見えないし、人もたくさん集まっていました。それでむやみに大声を出したのです。どこか正確に知らないから、ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。人々が私たちの信仰に邪魔になる時があります。そばの弟子たちが騒々しいと、静かにしろと言いました。私たちが信仰生活をするのに、そばの同僚が邪魔になる時があります。さらに邪魔になるのは自分自身です。自分が見えれば良いのに見えないのです。より一層、大声を出したとなっています。神様の重要な祝福を知っているバルテマイは、39節に見ると、ますます大声を出したと言われています。全く同じ言葉で、ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。

・今日、私たちはこのバルテマイの人生が変わるようになった三つの理由を分かりました。最初に、神様の恵みです。私たちは運命が変わるのは神様の恵みです。私と皆さんが会ったということが、神様の恵みです。私が福音時代に生まれたのが、神様の恵みです。他の人は何の話をするのか知りませんが、私は皆さんに会って,福音運動をしています。神様の恵みです。それで大きい二番目が時刻表で、福音で、重要な私の姿勢です。これを逃してはなりません。さらに重要なのが信仰です。より一層大声を出して、私をあわれんでください。少ししたら、この礼拝が終わって帰れます。しかし、とても簡単に今、信仰を持てるでしょう。神様、今、この時間に神様は私の子ども、家庭、事業に本当に福音のために聖霊で働いて下さい。皆さんがこれから教会にくる時、バルテマイのようにくれば良いのです。私が必ず答えを受けなければなりません。よく食べて良く暮らすためではありません。私が本当に神様の子どもとして正しく生きなければならないのです。これを持って来なければなりません。聖日もどのように早くくるのか、このようにくればどのように答えを受けるでしょうか。賛美歌は4節までみな歌うべきか。時間を見つめながら、妻のために来たが、アクビして、これでどうなるでしょうか。それはまだ大丈夫です。ある人はきて寝ています。そのようにしては、答え受ける方法がありません。ダビデの子、イエス。私をあわれんでください。私が教会にくる時どのようにくるのか分かるでしょうか。'神様は私をご存知でしょう。私に神様の祝福を伝えるようにして下さい。本当に福音で、この方たちが勝利するように神様のみことばを与えて下さい。'これが私の希望です。そして、私もその答えを共に受けるようにして下さい。これが信仰です。確かに私たちは虚像を信じるのではなく、重要な事実を信じているのです。今日、私と皆さんがここに座っているのですが、皆さんが祈る瞬間に、聖霊は時空を超越して働かれます。それが信仰です。事実です。私たちはここに座って1時間を送ったのですが、神様は天軍を全地域に送って、神様の働きを成し遂げられるということです。信じることを希望します。

・イエス様がバルテマイを呼ばれました。イエス様が弟子に彼をそばに連れて来るように言いつけられたのでした。弟子達は騒々しいと話したのですが、イエス様がバルテマイを呼ばれたのです。これで終わりです。神様が皆さんを祝福されれば終わりということです。いくら皆さんがもがいて、百年、二百年しても、神様が一度祝福されば超越することができます。私は確信を持っています。共同体訓練場を作る間に、神様が私たちの教会を一時代を生かすほどの教会として祝福されるでしょう。私たちは、この時代的なことをする間に、神様は私たちの役員と執事に百年の祝福を与えられるでしょう。契約でつかみました。間違いありません。主がバルテマイを呼ばれたということです。だから、バルテマイが目も見えず、ぶるぶる震えながら出てきたのでしょう。わたしに何をしてほしいのか。呼んだ内容がとてもすごいのです。ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。正確に呼びました。今日、皆さんが正確に告白すれば、まちがいなく答えがくるようになっています。わたしに何をしてほしいのか。目が見えるようになることです。あなたの信仰のとおりになるように。あなたの信仰があなたを直したのです。今日の41節に、わたしに何をしてほしいのか。すると、あなたの目が開くはずだと言われないで、42節を見ると、あなたの信仰があなたを直したのです。だから、43節を見ると、弟子たちと民が見てびっくりして、神様に栄光を帰したとなっています。皆さんが答えを受ければ、未信者が見て衝撃を受けて、神様の子どもが見てとても驚いて、神様に栄光を帰すようになるのです。全く同じです。私は確信します。私たちが百年したより天の祝福一時間がより大きいのです。未信者も話しました。小さい金持ちは人の力だが、大金持ちになろうとするなら、天の祝福がなければならないと話しました。救われることも出来ない諸葛亮もこういう話をしました。私たちが最善を尽くすが、なる、ならないは天にかかっている。そうでしょう。神様が皆さんを一秒だけ祝福されても、それは百年の人間の祝福より大きいのです。イエス様が盲人バルテマイを呼ばれた瞬間、神様の驚くべき祝福が臨んだのです。あなたの信仰のとおりになるように。今日、皆さんがこの祝福を必ず受けることを希望します。

・私は聖書を詳しく見たら、正しい契約をしばらく捕まえたが答えを受けた人々を見ました。率直に明日の朝から一週間走らなければならないのに、私たちが多くの祈りをする時間がありません。それで、礼拝をささげる時、今日、正しい契約を捕まえなければなりません。そうすれば良いのです。皆さんの状態でできないことを神様は知っておられます。とても経済で困難にあっていたアブラハムが決断を下したのです。私が事実は物質と人だけ見てきたんだなあ。私がこれからは、神様の前で始めなければならないと言いました。それするのに時間がかかるのでしょうか。これは時間の問題ではありません。その契約をつかんだのが、創世記13章です。その時、神様がこのようにおっしゃられました。アブラハム、あなたの目を聞いて、東西南北をながめなさい。そして、縦と横に歩きなさい。あなたが踏む地をみなあなたに与えるが、永遠に与えると言われました。その短い時間にです。皆さんその孫ヨセフがどのようにしたでしょうか。家庭にとても困難が迫ってきたのですが、恨んだりいくらでもすることができたのに、ヨセフが神様の契約を捕まえたのです。その短い時間だったのですが、本人だけでなく、他の国まで生かす祝福が起きたのです。皆さんそのようなことが聖書にぎっしり埋められています。皆さんが少しの間でも神様の祝福を受ければ、世の中ことと比較もできません。その方法が、多くの聖書を読むのも重要ですが、契約を正しくつかむことです。バルテマイのように。私がキリストに会えば私の人生、運命は変わる。私が今、行って正しく祈る時、答えられる。ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。しかし、さらに重要なのは信仰です。信仰がなぜ必要なのでしょうか。妨害がどれほど多いでしょうか。より一層大声を出して、ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。イエス様が、あなたの信仰のとおりなるように。主は生ける神の御子キリストです。この告白一つだけでも、私たちはすばらしい答えを受けられます。今日、皆さんの信仰に決断を下して、重要な契約だけつかめば良いのです。バルテマイが受けた答えを受けるはずです。私は聖書の教会史で、あまりにもそのような人々をたくさん見ました。

・今、慶尚南道(キョンサンナムド)のかん養では、未来指導者訓練院学生たちが親と共に礼拝をささげています。両親と礼拝を共にささげるのに、初めに学生たちが来た時は、その周囲の村の人々が来るなと妨害しました。今は、村の人々がとても喜んでいて、公務員たちがとても感謝しているということです。今、私たちの学生たちが昔とは違います。実力が良い学生たちが集まって、今、祈っています。昔、初めには、けんかもしていましたが、今は本当にレベルがある学生たちです。ある人が尋ねました。先生、名前をなぜそのように呼ぶのかと言いました。レムナント指導者学校と言うのですが、その子たちが指導者ですか。初めに指導者学校と聞いて、総会長たちが集まる所だと思ったということでした。指導者学校、これだから講師が集まるのだと思ったということでした。レムナント指導者学校という名前は、私がつけました。理由があります。祈りの課題です。そこから指導者が出てくるでしょう。これから多くの困難にあう子どもたちを救い出す指導者が出てくるということです。私の心に入れた祈りです。だから、私たちは契約だけ捕まえても答えがくるのです。今日、バルテマイのように、皆さんの運命が完全に変わる日になることを希望します。バルテマイのように、問題が解決される日になることを希望します。バルテマイのように、皆さんのために多くの人々が神様に栄光を帰す、こういう祝福が必ず回復することをイエスの名前でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。バルテマイのように、運命が変わる日になるようにして下さい。すでに私たちの運命を変えて下さったのですが、その祝福を見出すようにして下さい。もう時刻表を逃さないで、神様の恵みを受ける祝福が礼拝の時ごとにあるようにして下さい。特にこの時間に、私たちの力で行えない問題が解決される時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン