2005年12月4日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/涙を流されたキリスト
(ルカ19:41〜48)

・私たちが真に祈りの答えを受けようとするなら、どのようにすべきでしょうか。みな祈りの答えと神様の祝福を受けたいでしょう。どのようにすれば良いのでしょうか。今日の本文に、重要な答えが出てきています。涙を正しく流さなければならないのです。それが何の話なのでしょうか。私が2年前に、京畿道(キョンギド)側で集会をしたことがあります。利川(イチョン)地域に行けば、ミランダホテルがあるのですが、明日が集会で、そこで寝ようとしていたのです。とにかく外で女の人が泣く声がしました。そのようなこともあると思ったのですが、度がすぎてずっと泣いていました。私の部屋に聞こえる程度なら、他の部屋にも聞こえるでしょう。窓を開いて見たのです。女の人1人と男の人二人がいました。女の人が男二人が止めているのに、ずっと泣くのでした。ひょっとして悪い人々が、女を何かしているのかと思って、心配になって降りて行ってみたのです。行って静かに話す内容を聴いてみたら、男の人二人が、1人は夫で、もう1人は女の人のお兄さんでした。夫は優しい人のようでした。お兄さんも、とても学がある人のように見られました。女の人を見たら、見た目は大丈夫でした。しかし、夫の話も兄さんの話も聞かずに、ずっと泣きながら簡単に言わば、暴力を振るっていたのです。酒を飲んでいるようなことはありませんでした。もちろん、それのは理由があるでしょう。しかし、私が見る時は、ちょっと女らしくないと考えました。ひどすぎるという気がしたのです。夫もそうで、兄さんもそうで、その女をあきらめて離れたのでした。行った後で、引続き泣いていました。聖書は、そのような涙を言うのではありません。そのような涙をたくさん流せば、答えを受けるという話ではないのです。涙を正しく流さなければならないのです。

・ファン・スガン博士に空港の貴賓室で会いました。その方は、マナーもユーモアがありました。'先生、お元気ですか?' 元気ですと言いました。'先生と私とは、通じることがあります。'何かと尋ねました。'(柳)ガンス・(ファン)スガン、通じないですか?' そのように冗談が上手です。それで、健康に対する講義をして通われるから、真に良いことで、伝道に本当に良いという話をしました。その方がされた話です。男は女より多く食べて運動もするのに、女より寿命が短いのです。女は、子どもを産んで、昔には十人も産んで、最高で十二人を産む人も見ました。女が子どもを産むのをとても大変だと聞くのに、十何人も産んだ人を見ました。しかし、それでも、男より十年以上、長生きします。

・それでファン・スガン博士が分析をしたのです。女は男より長く生きるのには理由があるということです。笑うことがあれば思いのままに笑うが、男は笑うことがあってもじっと我慢する傾向があるということです。また、テレビを見ながらも涙が出ることがあれば泣くけれど、男はそんなことで泣くかと、面子を考えるのです。簡単に言わば、女は感情表現が上手だからだということです。事実、医者が話すのに、正しい涙ならば涙はとても健康に良いということです。皆さんが持った傷に関する涙ならば、必ず霊的問題がもたらされます。皆さんが結婚をする時にも、そんなことを知ってしなければなりません。深い傷があるなら、傷から出た涙は、悟れなければ霊的問題と連結します。しかし、真の涙は祝福の近道です。それなら今日、私たちはここに対する契約を見つけなければなりません。本当に祈りの答えを受けるためには、どんな涙を流さなければならないのでしょうか。

・最初です。神様が涙を流されたことがあります。創世記6:6、ノア時代の時、どれくらい人々が堕落したのか、神様が悔やみ、心を痛められたと言われています。神様が実際の人と違うから、目に涙を流されたのではないのですが、まさにそのような表現です。イエス様が流された涙と同じ内容です。この話は、私たちがこの涙を理解するべきだということです。ノア時代の人を見て、とても悔やんで、心を痛められたのです。人間を造ったことを悔やまれたと出てきています。天使を作らなければ良かったのに、天使が堕落して、悪魔になってしまいました。神様が人間と天使だけを人格的存在で作られたのです。それで、皆さんが神様に向かって出てくれば、すばらしい恵みを受けるのですが、反対に行けば、ひどく滅びるということです。それでは、このようにもあのようにもできなくさせられたのではなく、このようにもあのようにもできる人格的な存在としてお造りになったのです。それで、私たちは礼拝をささげて訓練を受けるのです。私たちが物のようならば、どこかに置けばそのままじっとしているのですが、人はそうはなりません。とても祝福を味わうように造った天使と人間が堕落したのです。

創世記1:2に暗闇、空虚、混とん、これが人間以前に堕落した暗闇の存在です。人々は知らずに神様はご存知だから、その中に陥って行く人間を見て、神様は嘆かれたのです。やっと祝福を与えたところ、創世記3章を見ると、この悪魔に誘惑されて、また滅亡の中に陥ったのです。これを知っておられた神様です。人間に祝福を与えることを願っておられるのに、ノア時代の時、完全にネフィリムの中に入ったのです。神様が嘆かれて、涙を流されました。神様がなげいて涙を流されながら憂える現場ならば、完全に滅びたのです。少なくとも、私たちが信仰生活するのに、これを見ることができる目が必要です。それが信仰生活を良くする方法です。

・二番目です。今日、イエス様が涙を流されました。今日、ルカ19:41節を見ると、イエス様が涙を流された部分を簡単に記録しているのですが、とても重要な部分です。'言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。'そして、44節に神殿を見ながら'一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。'私たちがこれを共に見ることができなければなりません。イエス様が未来を見て涙を流されたのです。同じメッセージです。この前に私たちは残念なことを聞きました。釜山(プサン)で暮らしていた人が、イラクに仕事をしに行きました。私たち韓国が戦争に参加したという理由で、韓国の人を誘拐しました。凡一洞(ポミルトン)に住んでいた故キム・ソニル氏です。何の誤りもないのに拉致されて、自分の立場を説明したのに、その人々は利用する目的でつかまえたのでした。韓国は撤収しろと言ったのですが、直ちにできることではありません。結局は、この人達はキム・ソニル氏を殺しました。殺す時、単に殺したのではありません。首を刃物で切って殺したのです。それで、その両親や家族は、どう思ったでしょうか。私たちが見る時は'あの人たちは、やり過ぎる'とだけ思うでしょう。しかし、その家族は、多分ほとんど狂いそうな状況だったでしょう。そんなことはないのですが、皆さんの子どもがそんなことにあったとすればどうでしょうか。本当にショックを受けることではないでしょうか。そこでやられたキム・ソニル氏自身の心はどうだったでしょうか。不安は言うまでもないでしょう。結局は、刃物で首を切って殺しました。多分、私の考えですが、その家族は死ぬ時まで忘れることができないでしょう。その人を知っている友人も、こういう人々は感じが違ったでしょう。

・それよりもっと深刻なことが、イスラエルの地に起きることなのに、イエス様がそれを見て涙を流されたのです。私たちがこういうものを見られる目がないならば、信仰生活の中で真の答えを受けられません。43節を見ると 'やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、' 44節に'子どもたちを地にたたきつけ' そして、神殿に対しては '一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。'そして、イエス様は再臨の時まで、これから起きる教会に対する涙です。少なくとも、信仰生活が良くするために、何をするのかではなく、この程度は見る目がなければなりません。いよいよAD70年頃にローマがエルサレム神殿を倒しました。そして、この子ども達と知識人を全世界に散らしたのです。どれだけみじめな目にあったでしょうか? 本当にイエス様が預言された、そのままです。人々は神様みことばをほとんど信じません。さらに笑わせるのは、この話しを聞いた祭司長、律法学者、民のおもだった者たちが、イエス様を殺そうとしたのです。それはより一層、涙が出ることです。イエス様は、それがさらに残念だったでしょう。その話を聞いた少数の民は、衝撃を受けて、私たちはどのようにすれば良いかと言ったのですが、聖書では、方法を探すことができなかったと言われています。残念なことです。

・ヨハネの福音書には、エルサレム神殿でイエス様が叱られる場面が出てきます。それで終わったのではありません。マタイ25章を見れば、イエス様が来られる時まで起きる教会の問題をイエス様が指摘されたのです。少なくとも、教役者として祝福を受けて、役員として祝福を受けようとするなら、イエス様がなぜ泣かれたかを分からなければなりません。神殿が崩れた後に、ローマの人々がびっくりしたということです。この神殿の中に金がずらっと敷かれていたということです。金を隠しておいたのです。イエス様が神殿にきてムチを振り回されることもありました。どれだけ、この人たちの目がくらんでいたから崩れたのかというと、神殿に入ってくる時、何のお金でも持って来てはならない。なぜなら、三つの祭りになれば、世界から集まります。各国のお金を捧げてはならない。このようにして神殿に捧げるお金を別に作ったのです。神殿シェケルと言います。とても聖いようにしたのですが、それをシェケルに変えるのに手数料がものすごくかかったのです。

・そして、羊も何でも持ってくれば良いのに、羊も検査をしつくしたのです。羊の検査費が、一年に三回ずつ、ものすごかったのです。こういうものを集めて、さらに笑わせるのは、神殿を作る時、男・女・奴隷・牛が礼拝する所が違って、異邦人の庭がありました。命令のとおり作ることは作ったのですが、まったく異邦人の庭で、動物の検査とコインを売買していたのです。異邦人の庭はなかったということで、簡単に話せば、宣教に対しては全く関心がなかったということです。伝道、こういうものを考えることがありませんでした。マタイ25章を見れば、最後の時に起きる教会の深刻な問題をイエス様が話されたのです。イエス様は、そんなことなどを見ながら涙を流されたのでした。どれくらい難しい失敗にあうか…皆さんが少なくとも、神様がどこに嘆かれて、イエス様がどのように涙を流されたかを分かれば、信仰にすばらしい答えの門が開きます。

・それでは、三番目に考えなければなりません。この話しを聞いてわかった少数の人々がいます。その人々が弟子で、世界を生かしたのです。それなら、正しく聖徒たちが分からなければならず、流さなければならない涙がどのようなものでしょうか。それが重要です。聖書を良く見ましょう。レムナント7人が、どうだったでしょうか。少なくとも、レムナント7人は、本当に涙がある契約的な情念がありました。その人が祈りの答えを受けます。イエス様が何の涙を流されて、神様が何に嘆かれたかを知っている人達は、この部分を知るようになっています。かつて、お母さんが亡くなったのですが、ヨセフは傷になりました。また兄達が困らせたのです。家が安らかではなかったのです。そこにヨセフは本当に神様の前に祈って、すばらしい契約的な情念を悟るようになったのです。'神様が福音をくださって、世界福音化をしろと呼ばれたんだなあ。'これが真の涙です。ヨセフが兄達に会った時、泣いたのですが、それは感情にたくさん偏ったのですが、真の涙を持っていたのです。聖書をよく見てください。それが本当に答えを受ける道です。

・'モーセ、あなたがイスラエル民族を連れて出て行かなければならない。'その時、何を悟ったか分かるでしょうか。80年間のモーセの情念です。80年間、モーセが持っていた涙です。ぴったり一致したのです。皆さんが教会に出てきて、福音を聞きながら'そうだ、我が家に本当にこの福音が必要だ。'このようになった人は、正しく答えを受けるのです。何が何かも知らないし、答えを得られなければ、信仰生活をしながらも、答えを受けることができません。真に多くの男、息子が必要なのではない。ナジル人が必要だ。これをサムエルが分かったのです。契約の箱が奪われたことに対する情念を持っていたのです。これをサムエルがダビデに説明したのです。ダビデがそれをわかりました。こういう人々が答え受けたのです。それが真の涙です。皆さんは、何かを分かってこそ、答えを受けるのです。じっとしていても、本当に答えを受けることができます。契約的な情念。イスラエルが捕虜になりました。他の人はみな知らずにいるのに、その捕虜になった状態で涙を流した人々が何人かいます。エゼキエル、ダニエル、イザヤ、こういう人々です。神様は彼らにメッセージを与えられました。そうではないでしょうか。エレミヤにもそうでした。エゼキエルがケバル川岸で涙を流していた時、神様がメッセージを与えられたのです。イザヤにメッセージを与えられました。レムナントを育てなさい。だから全く同じです。

・私たちの契約的な情念。これが真の涙で、これを持った人々は確かに答えを受けます。この福音で、この民族を生かせるならば、私は死んでも良いとパウロは話しました。レムナントを育てた両親を見ましょう。まさにこの涙があったのです。モーセを産んで、カゴに入れて送って、王宮に入って、乳母で入って育てることは、普通の涙が出ることではありません。子どもを産んで、幼い時、神殿に置いて一緒に住むこともできないのが普通のことではありません。何か知らず契約的な情念を持って涙を持った人々です。戦場に出て行って、危険ならばお手伝いもせずに帰れと言うべきなのに、あなたが必ず行って、持って行ってしるしを受けて来なさいと言ったダビデのお父さんエッサイです。何かを持っているのです。私たちが契約的な情念がなければなりません。単なる情念ならば、滅びます。皆さんにこういうものがあるならば、私たちの働きに何の問題になることがありません。これから全世界を生かそうとすれば、多くの教役者とレムナントにこういう部分がなければなりません。涙がなければならないのです。とんでもない涙ではありません。'あの人が普段、気分が悪い。'と言いながら流す涙は、流せば死にます。葛藤がとても多くて耐えられないで涙が出るのは、ほろびる涙です。

・少なくとも、神様の人は涙が何かを分からなければなりません。傷の涙は大変なことになります。それは、霊的問題をもたらすから、皆さんがよく知らないからそうであって、多くの人に被害を与えます。傷の涙を流す人がもし担任牧師になったとすれば、この人は多くの信徒に損害を与えるでしょう。必ず直接ではないとしても、1人傷を持った涙が多い人がいれば、その周囲の家族は、全部、霊的問題がみなきます。そして、さらに問題になるのは、その人自身に最も被害を与えるのです。後ほどには、思い切り生きていて、ほろびるのです。そのようなくやしいことがどこにあるのでしょうか。目を開かれなければなりません。涙が何かを分からなければなりません。イエス様が何のために涙を流されたのか分からなければならないのです。'私がこのように苦労するのに、あなたたちが分かってくれないからさびしい。涙が出る。'このようだったでしょうか。そのような涙ではありません。'いやこのように働いた私の悪口を言うとは悲しい。'こういう涙ではないのです。イスラエルの未来を見て泣かれたのです。

・それなら、この目を正しく開かれた人が答えを受けます。パウロがどうだったのでしょうか。パウロは、最高に用いられた人物です。パウロは、本当に感謝の涙を流しました。使徒20:19に見ると、謙そんと涙で働いたと言われています。何の涙なのでしょうか。この福音がとても重要なのですが、人々が知らずに滅びが前にくるのにも知らずにいるのです。31節に見ると、パウロが教会の中に福音も知らない多くの人々のために涙を流したのです。ローマに行く前、パウロがどのようにしたでしょうか。確かにローマを行かなくても良いのです。フェストという総督がこういう話をしました。あなたが今、上告だけあきらめれば、すぐに釈放だ。なぜ上告をするのか。見ると、特別な罪がない。無罪だ。それでも、パウロが上告すると言ったのです。ローマ皇帝に上告すると言いました。その言葉は、この福音を説明するという言葉です。行く前、パウロは長老と共に抱きしめて泣いたとなっています。正しい涙です。そんな涙を流せという言葉です。必ず目の涙を言うのではありません。どれくらい大きい答えの祝福なのでしょうか。だから、涙というのは、必ず目の涙だけ出てくるということではありません。少しだけ悟っても答えがくるのです。

・私は幼い時、教会生活を継続してきました。教会を見ながら、親を見ながら、周囲を見ながら、見る限界があります。私は福音を知らなくて、共に生活していろいろ同じ生活を送りました。そういえば、私がいくらも生きていないのですが、みじめなことがたくさんありました。ある日、私が悟ったのです。神様が私を福音をくださって、私を生かされたんだなあ。それで、とても感謝します。そうならば良いのです。それで、私がこれのために働きをすべきだ。それが涙です。それが契約的な情念です。そして、教会をずっと振り返って見たら、ほとんど違ったのです。今、教会がこのようになられれば大変なことだと思いました。20年前に、私はソウルに上京してソウルの大きい教会の調査をしました。

・今でも感謝なことは、キム・カンイル長老という方が、経費をみな出して、そのようにしなさいと私を手助けしてくださったのです。私は何の意味かわからなかったのですが、この方が少し考えたようです。韓国教会で、復興する教会を調査をしなさいということでした。それで、私がソウル、大邱(テグ)の大きい教会をほとんど皆いってみました。そこにかかる一切の経費をその長老が個人的に私に与えてくださったのです。私は、ソウル教会を見て回りながら心で泣きました。これから問題がくるだろう。私はそれを見たのです。私は聖書のとおりすべきだ、ソウルで習わないで聖書で習わなければならないと思いました。それで、本格的に私が開始をしたのです。なにおかいわんや、今ソウルを見てください。涙というものがどのようなものでしょうか。私たちが生きてきた背景、家系こういうものを見ながら、私たちには何か考えがなければなりません。私たちが教会を見ながら、未来を、私たちのレムナント子孫を見つめながら、考えがなければならないのです。私は外国に行くと、本当に涙が出るほど哀れです。それが見られなければなりません。成功しようともがくのを見れば、哀れだという気がします。本当に、私たちがこのようでなければならないのでしょうか。これが私たちの力の限界なのでしょうか。これが神様の計画なのでしょうか。これが神様の力なのでしょうか。熱心に走っています。なぜかというと、私の教会が復興するかと思って熱心に走るのです。私はそれを見ながら哀れだという気がします。皆さん、そんな目がないのでしょうか。

・私は、この間にも市長に会った時もそうでした。健康に気を付けてください。市長は、神様がさせてくださるのです。それを神様に任せて、健康に気を付けてください。私がその話をしたことは理由があります。とてもだめだと見えたのです。私が哀れだという言葉は、ちょっと変ですが、だめだと見えたのです。私は皆さんを見つめる時、多くの祈りをします。皆さんが一週間休んで、一週間また外に出て行かなければなりません。ご飯を食べて生きるために、もがかなければならないのです。本当に多くの考えが必要です。私たちが本当にこのようにしなければならないのでしょうか。聖書に見れば、そうなっていません。それで、私たちは正しく神様の子ども、レムナントを育てなければならないのです。

・さらに重要な話は、こういうみことばがあります。後に読んでみれば、結局は、イエス様を十字架に釘づけて殺そうと引っ張っていきます。色々な人の前に、イエス様が裁判の法廷に立たれます。ピラトという裁判官の前に立ったのですが、ピラトという人が罪を見つけられないと言います。しかし、騒動が起きて、ユダヤ人が扇動して、十字架にかけなければならないと言ったのです。だから、イエス様が結局、死刑宣告を受けました。もちろん、神様の計画があります。イエス様がゴルゴタに向かって、十字架を背負って行かれました。肉体だから、とても苦しめられるから、十字架を背負って行けない状態になったのです。ついに、そばに立っていた見物をしているクレネの人シメオンという人が、十字架をかついで上がりました。イエス様が上がりながら14回倒れたとなっています。歴史の記録と記録をしたヨセプスの記録によれば、14回倒れて、その時ごとに血を吐いたとなっています。だから、みな逃げてしまい、本当にイエス様に付いて回った真実の人々、おもに女達が嘆きながら泣きながら付いて行ったとなっています。その時、イエス様が彼らを振り返りながら重要な話をされました。何をおっしゃったのでしょうか。エルサレム女よ。わたしのために泣くな。それと共に何と言われたのでしょうか。あなたとあなたの子ども達のために泣け。それが23:28節です。涙を正しく流すことができなければなりません。それで、私たちがレムナント運動をしようということです。

・神様の祝福で、恵みで、神様がくださったのです。先週まで参加した人数は、まだ祈っている人も多くてみな参加していません。今、献金が40億円以上が出てきています。これから、それが正しくよく運営されるかという人もいるのですが、私はそのように見ていません。これは違うことです。各教会に実行委員をたてて、牧師は企画委員になって、私たちはすればするほど祝福を受け、歩み歩みごとにこうしたことが行われるでしょう。私が見るのでは、神様の計画はそれよりもっとあると見ています。私たちは、50億円程度で計算したのですが、神様は何百億円を準備されることもできます。問題はそうではありません。報告を聞いてみたら、釜山(プサン)インマヌエルだけで4億1千万円が申告されたということでした。皆さんの顔を考えてみれば、それは真に奇跡です。本当に私が奇跡だと言いました。今、それが問題ではありません。力のとおり一円でも良いのです。全教会員がみな参加しましょう。それが重要なのです。子どもたちも参加しましょう。

・今回、祝福を受けるのはもちろんで、五つの構造を変えるのです。最初、私たち人生の構造を変えるのです。学生たちまでも、人生の構造を今回の機会に変えなければなりません。それで、私が先週に、こういう話をしました。私は来年から、可能ならば特別な食事や、お金が多くかかる食べ物は食べません。人生の構造を変えましょう。私たちが本当にお金を使う時も、これを本当に使わざるを得ないのか、何度か考えてみなければなりません。私たちが服を買う時も、これを本当に買って着なければならないのか。人生の構造を変えなければならないのです。そのように変えなければ、レムナントがこれから成長して、どのようにするでしょうか。私は私たちの釜山(プサン)やソウルの役員など、長老を見ながら習うことが多いのです。一度はソウルで長老とゴルフをしました。名前を明らかにして申し訳ないのですが、私たちのコ・ジンオプ長老がゴルフクラブを持ってきたが、とても昔のものです。だから、チョン・ウンジュ牧師が、それを見て話はしなくて、私に'インマヌエルの骨董品の人か、ゴルフクラブを見てみなさい。'と言うので、そんなことは言わないでと言いました。あんな状態でも、教会献金は一番よくします。あんな状態でも、主のしもべを助ける働きは一つも抜けません。そのような説明をしたところ、そうなのかと言いました。人が表面を見てはいけません。本来、成功する人々は、みなあのようだと言いました。私たちの教会の役員は、成功できる方々が多いのです。また名前を明らかにして申し訳ないのですが、この間チョン・チドク長老とチョ・キボム長老とゴルフをしました。チョン・チドク長老を見たら、服が素晴らしいのを着て来ました。内心、素晴らしいな。何も言わなかったのですが、チョ・キボム長老がズボンが本当に良いという話をしたのです。そうしたら、長老が20年前のズボンだと言いました。それは、色々なことが含まれた言葉です。ズボンも素晴らしかったのです。それは、20年間、からだも太っていないということになります。そして、それを20年間、大事に保管していたということ自体が、普通の人ではありません。そうです。人は人生の構造が良くなければなりません。

・皆さんが、今回は人生の構造をみな変えましょう。惜しむことは惜しんで、しないことはしないで、することはして、このようにしなければなりません。レムナントのために。お金もお金ですが、これから皆さんの子ども達が、そのように生きたらどうするのでしょうか。皆さんの子どもらが片っ端から生きても良いでしょうか。少なくとも、皆さんの子ども達が、必ず必要なものを買って、必要なことを食べて、必要な道を行って、このようにしてこそ成功するのです。それで、今回、全部構造を変えましょう。私がチョ牧師見て言いました。たくさん食べないで。履き物が見えるのか。立って履き物が見えなければなりません。少なく食べて、レムナント献金をしろと言ったところ、この方が講義に行って、私がなぜ足が見えなくてと言いながら、暴露しました。私につけたニックネームが、キャプテンや総裁と呼びます。総裁は私よりご飯を1.5倍食べると言いました。誰も信じないと言っていました。そのような私たちの話もしていました。人生の構造を変えましょう。今回が機会です。

・皆さん、二番目の構造を変えましょう。経済の構造を変えましょう。食べて遊ぶのにみな使ってしまってはいけません。皆さんの収入が多くても少なくても、大きく儲ける人、特別に儲ける人ではなく、一般の人のことを話すのです。食べて遊ぶには、収入の半分だけ使わなければなりません。残りを神様が最も喜ばれるレムナント、教会建築に皆さんが本当に神様の前に使いながら貯蓄もすべきで、変えなければなりません。今回、私たちはまた三番目の構造を変えなければなりません。伝道の構造を変えなければならないのです。これから私たちは、釜山(プサン)、ソウル、蔚山(ウルサン)、直接、私たちが一緒にしています。2800ヶ所で伝道運動が起きるようにしましょう。四番目が、組織の構造です。これから2800ヶ所に長老を立てましょう。その理由は何でしょうか。一般教役者を送れば、教役者にはお金が必要で、多くのことが必要です。それでは、世界福音化ができません。それで、祝福を受けた役員を中心に2800ヶ所を掌握しましょう。五番目は、組織です。それで、私たちは社会参加もできて、国家のために必要な教会になることができます。今、私の話を逆に話してみます。これはまちがいなく私がする祈りだから、このようになります。

・もし700ヶ所で釜山(プサン)に地域教会が起きたら、私たちの聖徒は7万人が集まるのです。それで、教役者が悟らなければならないことは、そこにたくさん投資される700ヶ所ではありません。生産的な700ヶ所です。私たちの教会がもしそうなったら、7万人が集まるのです。段階的にすべきでしょう。7万人程度が集まれば、私たちが単独で釜山(プサン)市長も派遣することができます。なぜか、7万家庭だからです。それが7万家庭ならば不可能のように思えますが、現場の7百箇所だと言えば可能でしょう。なぜか、世界教会と皆さんは釜山(プサン)を見通す数多くの人の中の1人だからです。涙がなければなりません。それで、生産できて、正しく生かせる7百ヶ所に長老を探して派遣して立てなければなりません。そうするならば、常勤する長老、常任委員会長老別に立てて、残りは毎週集まる必要がありません。会議の時、総会の時だけ集まれば良いのです。それでこそ、大きい時代を掌握する教会を作れるのです。それで、7万教会でずっと大きく出て行こうとすれば、私たちは常に共同体、これをいつも祈っていなければなりません。この時、神様がどのようにされるでしょうか。皆さん、まちがいなくこのようにしなければなりません。福音がないから、福音をもって私たちの釜山(プサン)を確かに生かさなければならないのです。それで、7万聖徒が参加してしまえば、お金のようなものも簡単です。皆さんが今は祈りを置いて、レムナントということを置いて、イエス様があなたの子ども達のために泣きなさいと言われる言葉が普通の話ではないのです。本当に深刻な問題が出てきました。私たちは1人ももれなく、大小のことが問題ではありません。それで、これから組織で教役者、長老が参考にしなければなりません。これから私たちが7百長老のために今回全部参加する信仰にしたがって、これから長老も立てて、働き人も立てなければなりません。それは金額を言うのではありません。私たちは皆知っています。誰が状態が良い、良くない、誰が誠実な公務員だ、事業家なのか皆知っています。私たちが釜山(プサン)を皆知っているのです。皆さんが4億一千万円でも決意したということは、すばらしいのです。これから皆さんが教会建築もそのように少しずつみな参加しましょう。そのようにして、信仰と献身基準で働き人も立てて、ずっと立てて、これから700ヶ所を掌握しましょう。これを簡単に見つめれば良いのです。

・皆さんの子ども達が、これからどのように生きるのでしょうか。世の中を見つめながら、それに対する涙です。釜山市内に、いくら教会が多くても、本当に神様を見る時、正しい教会を立てなければならないのに、福音がありません。ここに対する涙です。釜山全体を生かすほどの代表的教会を作らなければならないから、釜山に向かった涙です。なぜソウルに2千地域教会か、ソウルに向かった、京畿に向かった涙ということです。それがなければならないのです。それで、神様は確かに奇跡のドアを開かれるでしょう。私たちはだめだと見なければなりません。しかし、神様はなさることができます。結論で、イエス様の涙が何でしょうか。私たちの人生が血の涙を受けなければならないことが残っているということです。しかし、私たちはこの涙を理解したら、イエス様の恵みで世界を生かせるのです。これをわかった人を通して世界福音化になるのです。私は今回、五つの構造を変える機会だと見ています。皆さん、いいかげんで右往左往しないようにしましょう。本当に祈りながら、私の人生の構造を変える機会です。私の経済の構造を変える機会です。今までしてきたのですが、私たちの教会が伝道の構造を変えられる機会です。釜山とソウルと蔚山(ウルサン)生かすほどの役員を正しく立て直す組織を変える機会です。そうでなければ、皆さん多くの働き人を、どのようにするのでしょうか。釜山と首都圏に向かって立てて、祝福を受けるようにさせなければなりません。そして、今、釜山をどのようにするのでしょうか。今、多くの教会が、私たちが集まるのをねたんで、昔に文句を言ったことが、今、問題になっています。私は必ず返すでしょう。倍で返すでしょう。私たちの教会を釜山に役に立つ教会にするでしょう。釜山市民に助けなる教会にするでしょう。間違いありません。私はその他の祈りはしません。その祈りの他にはしません。今回、レムナントを見てください。神様がくださる祈りの課題なのですが、捕まえて祈ったところ、今、韓国だけでなく全世界で大騷ぎが起きています。今、この働きが韓国に起きているだけを話したのですが、今、米国は米国で、かたまり始めました。レムナント運動をしよう。今、日本は日本でかたまり始めたのです。レムナント運動をしよう。イエス様がわたしのために泣かずに、あなたとあなたの子ども達のために泣きなさいと言われました。皆さん、この意味を悟る日になることを希望します。それなら、皆さんの歩みが全部答えで神様が働かれるでしょう。全世界の使命者が、今日このメッセージを悟る祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちに契約的な情念があるようにしてくださったことを感謝します。真の正しい涙があるようにして下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.