2006年2月12日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/荒野の奇跡(6)
カレブの人格と信仰
(ヨシュア14:6〜15)

・今日、一日中、私たちが祈る中で霊的な力を得られるように願います。世界福音化新聞を見れば、私の写真が出ています。それは、十年も前に撮った写真です。12年くらいなったでしょう。それをソウルで有名な'ホバハバ写真屋'というスタジオで撮りました。それを撮りに行ったら、化粧してくれました。30分間、教育されたのです。写真を取るのに何の教育か?というと、30分間、笑う教育を受けたのです。私に笑ってくださいと言うのです。それほど、私の顔が固まっているということです。30分間、教育を受けて撮った写真がその写真です。もう十何年も過ぎて、私も顔がちょっと変わったようです。心は平安ですが、他の人が見るには、ちょっと堅いようです。私たちは真の感謝だけあっても癒されるみわざが起きます。もし皆さんが一日中祈ったら、大きな力を受けるようになります。これは学者が証明したのです。一度だけ笑っても、腕立て伏せ25回する効果と同じだと言いました。それで、皆さんが10秒だけ笑ってしまえば、ボートこぎを約3分したのと同じだということです。もし皆さんが15秒だけ笑ってしまえば、100m駆け足したのと同じだということです。大笑いすれば、モルヒネ注射を打ったのと同じだということです。ガン患者が、5日間、腹をかかえて笑ったら、免疫力が2倍に増加したということです。笑えばガンも直せるのです。

・昨日は、大邱でそのような話をしました。大邱に行けば、中国語で通訳する宣教師が、大邱に行くと、一番苦労すると言いました。なぜなら、大邱の人は、しかめっ面をしているためだということです。一度は、下にいる人を送ったところ、'先生、私は絶対に大邱には行きません。先生が来られるのを待っているのに、私が行ったからなのか、全部、しかめっ面をして座っていました。'と言いました。そのように言った人は、湖南の人なので、'そうでなくて、元々、町の人々がそうなのだ'と話してあげました。内心はそうではないのですが、表情が本来そうなのだと言い聞かしました。少し大邱の人々や、釜山の人々は、表情がちょっと堅いのです。誰かが良いものを持って行けば、昔の人々は、ありがとうと言わなければならないのに、'こんあものを何しに持ってきたのか'と言うのですが、それが慶尚道、大邱の人々の特徴です。誰かが自分の家族をほめてくれたら、うれしいと言わなければならないのに、むしろ悪口を言うのです。私が一度、パク・チオン牧師に'先生の奥様は、とても母親像で、とても女らしい方ですね。'と言いました。そうしたら、ありがとうと言わなければならないのに、'他の女はみな死んでしまったのでしょうか'と言いました。それが慶尚道の人のスタイルです。内心、うれしくても、そのように表現するのです。皆さんがちょっと笑って欲しいので、このような話をしました。

・福音にあって、皆さんが一日中祈って、健康になって、祝福を受けましょう。笑わせるファン・スガン博士は、こういう話をしました。月曜日はゲラゲラ笑って、火曜日はカッとなっても笑って、水曜日はスッと笑って、木曜日はモういちど笑って、金曜日はキン急にまた笑って、土曜日はドッと笑って、日曜日は?と聞いたら、日曜日はニッこり笑ってと言いました。面白い表現です。それだけ笑えば良いということです。今、私の事務室に行けば、私が書いた字で'姜太公'と付けています。私が釜山くる時ごとに、一つずつ書いて付けておく字があります。他の人に見なさいと付けておくのです。普通は、四字熟語なのですが、姜太公は三字しかありません。だから、エステル牧師夫人が入ってきて、姜太公とは何ですかと尋ねました。私たちが普通、釣りをする人々を太公望(姜太公)と言います。姜呂尚という人は、とても優れた人物だったのですが、田舎に住んでいました。ある時、通り過ぎる王と会ったのです。その王が見て、姜呂尚という人は、普通の人ではなかったのです。それで、とても重要な人として呼び寄せたのでした。この頃の言葉で言えば、長官のような座に呼んだのです。それで、この王がどれだけ姜呂尚のことを気に入ったかというと、自分のお父さんの号が太公だったので、その号を取って、姜呂尚に付けて太公望(姜太公)になったのです。その時から、姜太公という言葉が出ているのです。

・ところで、私がなぜそれを書いておくのでしょうか。姜太公の話をなぜするのでしょうか。実力もない人々が歩き回りながら、自分の嘘をつきながら通うのですが、実力ある人が隠れていたということです。私たちにあたえられる意味が大きいのです。それで、王1人にだけでもよく見られても、そのように大きい成功をするのです。神様は全てのものを準備されたので、私たちは神様の恵みを受ければ、全てのことがみなできます。皆さんが神様の恵みを受ければ、まちがいなく、何か事が起きるので、皆さんが神様の力を受けたら、まちがいなく、聖書にある、このようなことが起きるでしょう。それで、今日、メッセージ聞くすべての人々が、そのような日になるように願います。皆さんは、間違いなく、聖書にある聖霊充満を受ければ、健康も回復して、神様の大きい祝福をみな味わえるようになります。

・今日は、聖書に実際にあったアナク山地にあった事件です。おわかりの通り、カナンの地に入って、最後の町を倒さなければならない状況です。これがさらに難しかったのです。今は逃げることもできず、しないわけにもいかない状況です。エリコを倒して、カナンの地に入ってきたのですが、もっと大きな町またあったのです。これは山地です。だから、巨人たちが住んでいました。イスラエル民族が、もう一度困難にあって、不安に陥ったのです。イスラエルのすべての民族が、今は恐れている時に現れたのです。おわかりの通り、この時にカレブという人が出てきたのです。それも85才でした。今日、その人がした話が、ここに出てきます。重要な話をしました。そして、完全に勝利する内容が本文の内容です。カレブが生きている間、‘その地に戦争はやんだ’とあります。これが事実ならば、私たちも答えを受けられるということです。私たちが年を取ってもできるという言葉です。85才になっても神様の恵みを受けたとすれば、私たちも受けられます。確かに貧しい人々が集まって世界を征服した初代教会のように、私たちもできるのです。まちがいなく、神様の祝福を受けたら、私たちも多くの人を生かせます。

・それなら今日、最初に必ず捕まえなければならない契約があります。それが何でしょうか? 本当に、聖書66巻では、何を私たちにおっしゃっているのでしょうか。祈りの答えを受けた人々は、おもにどんな恵みを受けたのでしょうか。いったい、ヨシュアやカレブのような人は、どんな信仰を持ったのでしょうか。関係あります。それを私たちが分からなければならないのです。いったいモーセに神様が働かれたというのは、どんな信仰を持っていたからでしょうか。レムナント7名に神様が共にされたとすれば、私たちのレムナントは、どんな信仰を持つべきでしょうか。とても重要です。それで今年は、多くの祝福とメッセージがあふれる中で、必ず先に、いったいカレブ、モーセ、ヨシュアは、どのように答えを受けたのかを知らなければなりません。皆さんも受けなければならないではないでしょうか。これ一つだけ持っても、私たちは大きい答えを受けられるのです。私も昔にそのような祈りをしました。神様が本当に生きておられるなら、私に証拠をください。その祈りだけしたのに、答えがきたのです。そして、私が本当に神様の子どもならば、神様、祈りに答えてください。だから、まちがいなく、神様が答えられました。いったい、旧約、新約聖書で答えを受けた人は、何を説明しているのでしょうか。これが、今日の事件よりさらに重要です。これから、皆さんに起きることより、その信仰がさらに重要ではないでしょうか。どのように、カレブがこういう信仰を持てたのかということが重要ですが、どんな内容でしょうか。分かるでしょうか。

・信仰の先祖アブラハムの時から今まで、その人々が、どんな信仰を持ったのでしょうか。私たちも持たなければならないのではないでしょうか。それがまさに3つのことですが、最初が、福音の中にある契約的祝福です。これを分かったのです。福音の中にいれば、どんな祝福を受けるのかが分かったのです。信仰は行うのではなく、分かることです。行うのは生活ですが、皆さんは分かれば良いのです。これを皆分かったのです。'私たちは、力もないのに、どのように成し遂げられるのでしょうか?' と言うかもしれませんが、それをご存知で神様が祝福を与えるどころではなく、祝福の根源になると言われました。未信者が受ける祝福は一般的なもので、あとになったらなくなることですが、福音の中にいれば、祝福の根源になるのです。皆さんは傷の中で留まっている必要がありません。そのためでなく、祝福の根源になるようにする。これをアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、カレブが皆分かったのです。皆さんは今、小さい皆さんの傷に陥ってはいけません。祝福の根源になるようにすると言われました。

・おもに私たちはどのように考えるのでしょうか? 未信者と同じように考えます。どんな方法で生きなければならないか。それでは未信者と全く同じではないでしょうか。'私はなぜこういう傷があるのか? 私はどのように生きなければなりませんか?' 'あなたによって、国々が恵みを受けるようにする。' 代表的祝福です。なぜでしょうか。福音の中にいるからです。これを分かったのです。とても重要です。私たちは、ともすれば、不信仰な者のように生きていくことがあります。そして、なぜ私たちが生きていかなければならないのか、私たちは理由を知らずにいるのです。神様がおっしゃられました。他の人は持つこともできない契約の福音の証拠を持っていたのです。モーセが創世記を記録しました。そのことは、創世記3:15を知っていたということです。それで、モーセが滅びることがあるでしょうか。滅びるなど、ありえません。それで、時代を生かすことができるのです。時代的な祝福です。これをモーセが知っていたのですが、カレブも知っていました。分かるでしょうか。

・皆さんが今、この働きは永遠な働きになるのです。福音だからです。これを記念碑的な祝福と言います。私たちは、おもに恐れます。病気も迫害も恐れるのです。違います。不可抗力的な祝福です。誰が防ぐことができるでしょうか。神様が福音を持った皆さんを保護しておられるので、邪魔する者はいません。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。この五つのことを契約的祝福と言います。忘れてしまってはいけません。これは私の話ではありません。聖書にあるのを私が捜し出しただけであって、聖書のみことばです。これは正月に語られたメッセージです。それで、いくら今、雨が降っても、瓶のふたを閉めているなら、雨は一滴も入りません。発電所でいくら電気を送っても、スイッチを切っていたら電気の明かりはつきません。傷に陥って、私のこの傷をどのようにすれば良いか。私は力がないのに、どのように生きなければならないのか。この困難と迫害をどのようにするのか、私のこの無能をどのようにしなければならないのか。普通はそのように考えるでしょう。それが未信者のような水準なのです。

・神様はそのように呼ばれたのではありません。祝福の根源になるように。はっきり見てみましょう。そうではないでしょうか。そうでなくて、神様が与えられた祝福が、こうだったり、ああだったりというなら、だめです。根源的祝福です。神様のみこころは、皆さんが答えを受けてこそ、他の人が福音を悟るのではないでしょうか。代表的祝福です。それで、皆さんにあったこと、みな捨ててしまって、契約を捕まえましょう。職場でも、色々な所に行って戦って怒っていては、長く生きることができません。人は信仰で他人を助けてあげて、笑いも与えて、福音も与えるべきで、他の人に癇癪を起こさせてはいけないのです。そして、心配のようなものが多ければ、大変なことになります。それを指して何と言うのかというと、救いをみな受ておいてほろびると言うです。例えば、皆さんがいくらがお金たくさんあっても、いつも道ばたに寝て、溝の下に寝ていれば、お金とは関係ないのです。だから、私たちはどれくらい大きい祝福を受けたのでしょうか。これをカレブが分かったのです。それで皆さんが恐れることなく、皆さんを押さえ込む人生や、こういうものを捨ててしまえば良いのです。それで、神様の契約を捕まえれば、働きが起きます。それで、皆さんが契約の人だから、契約によって変えるのです。果敢にガルテヤから出れば良いのです。ガラテヤのウルは、滅びる真理だからです。エジプトから出れば良いのです。カナンの地に入ってきたのです。アナク山地を攻撃すれば良いのです。無条件でなく、契約があるでしょう。その次に、もう一つ悟るべきことがあります。神様の方法があるのです。

・私たちが、契約的な祝福を分かったとすれば、神様の方法を分からなければなりません。今晩の核心を参考にするように願いますが、神様の方法がどのようなものでしょうか。それでは、モーセ、ヨシュア、カレブだけで説明してみましょう。創世記3:15、出エジプト3:18、こういうものは誰も知らない重要な福音です。これをモーセが知っていました。分かるでしょうか。モーセがイスラエル民族を連れて出ました。エジプトで奴隷生活をせずに出てきたのです。それは何でしょうか? 必然性です。してもかまわなくて、しなくても済むのではなく、必然性です。なるのか、ならないのかではない、必然性。私たちは、これを捜し出さなければなりません。だから、モーセが行く道の前に紅海も分かれました。当然性です。何の話なのか分かるでしょう。カナンの地に行かなければなりません。すなわち、メシヤが送られる地に行かなければなりません。何でしょうか? 絶対性です。これが神様の方法です。私たちは、このように信仰生活すれば勝利します。それで、タラッパンですることは、単にどんどん進んで行くように見られるのですが、一般の他の団体とは違うのです。神様の必然的なもの、絶対的なこと、その中に立っているのです。これを当然性と言います。答えを受けるのが当然でしょう。皆さんの事業もそうで、全部これを捜し出さなければなりません。神様の必然的なものと、絶対的なことの中に私がいなければなりません。それが神様の方法です。

・エジプトから出るのは、必然的なことです。カナンの地に入って世界福音化するのが絶対的なことです。その中に荒野に立っていたということです。荒野に神様が火の柱、雲の柱で当然です。それで、皆さんが答えと祝福を受けるのは当然なのです。よく記憶してください。これをカレブが知っていたのです。これをすべての信仰人は知っていました。そして、神様の目標があります。世界福音化とレムナントです。これが神様の目標です。これを知っていたのです。分かるでしょうか。ですから、ほとんど私たちは未信者と同じ考えをしている時が多いのです。私たちも知らずに、福音でない宗教人である時が多いのです。それで、問題解決もできず、宗教人のようになるのです。すぐは分からないのですが、生きていけば生きていくほど、そうなります。福音を神様がなぜくださったのかも分かるでしょう。一般の宗教人が悟ったことは、間違っているのです。なぜ福音をくださったのでしょうか。私たちは勝てないから、そのままくださったのです。サタンには、勝てません。皆さんの罪、解決することはできません。ですから、神様がキリスト、福音を与えられたのです。運命は、変えられません。地獄の勢力は、変えられません。それで、私たちに福音を与えられたのです。何の話なのか分かるでしょうか。この契約を悟った人に、必然的な神様の働きがあります。これをカレブが知っていたのです。同じ祝福を受けるように願います。

・今日、これはとても量が多いから、新しく来られる方々がすぐ理解するのは難しいでしょう。しかし、詳しく理解する時まで理解すればやさしいのです。言わば、皆さんが契約を持っているから、契約を持つことも出来ない人を助けるところには、契約的祝福を受けるしかないのです。そして、神様の必然的で絶対的な計画の中にいるならば、なるしかありません。その話です。これをカレブが分かったということです。今日、皆さんがこの祝福をみな受けることを希望します。こういう信仰を持ったカレブのような人1、2人を通して神様は全てのものをみななさることができます。これを置いて、私たちはカレブを、今日の現場をよく考えてみなければなりません。それでこそ、私の信仰も同じ恵みを受けるようになるのです。

・二番目に、カレブは誰でしょうか。このようになるのです。カレブが誰でしょうか。モーセの弟子です。ヨシュアとカレブです。皆さんよく知っているでしょう。それなら、これが何の話なのでしょうか。モーセのそばで神様の働きを見た人です。神様がどのように働かれるかをはっきり見た人です。だから、紅海が分かれた時も、そばにいました。皆さんが知っているように、戦場の現場でもそばにいました。神様がイスラエル民族に奇跡を起こされた時にも、そばにヨシュア、カレブがいました。さらに重要なことは、エジプトに勝った時も、そばにいました。それが重要なのではありません。神様が生きておられて働かれたことを見た人です。この人がカレブです。私たちがどれくらい学ぶべきことが多いでしょうか。私たちは多くの証拠を持っています。しかし、イスラエルに問題がきました。どんな問題がきたのでしょうか。斥候12人が行ってきて、10人が行けないと言ったのです。大変なことになりました。荒野に閉じ込められて、イスラエル民族が立ち往生するようになったのです。どうなるのでしょうか。イスラエル民族が聖書を見れば、号泣したとなっています。この時、現れた人物2人がいます。私たちは行ける。彼らは私たちの餌食だ。神様がその地を私たちに与えられた。と話した人、2人が出てきたのですが、その人がヨシュアとカレブでした。すごいでしょう。そして、このヨシュア、カレブの告白のとおり勝利しました。

・まさにカナンの地を目前に控えて、年齢120才になったモーセを神様が呼んで行かれました。そして、ヨシュア1章を見ると、ヨシュアを指導者として立てられたのです。普通、この時に問題が起きます。私が今まで経験した中で、この部分が一番大変な部分です。いくら信仰生活を良くしていた人も、普通、自分の気持ちが少し悪くなれば、じっとしていません。普通の人はそうです。大きい人物は、そうではありません。しかし、普通の人は、自分が疎外されればじっとしていないのです。カレブを見てください。同じように両腕の仕事をしたのですが、モーセは死んでヨシュアが指導者になりました。モーセに仕えたのと同じようにヨシュアに仕えました。普通の人ではありません。皆さんならば、何と言うでしょうか。なぜ同じように仕えたのに、あなただけがそうなるのか。私たちは、そのように言います。昔から使う言葉があります。誰かは高麗人参を食べて、誰かは大根を食べた。このように出てくるのです。これがこういう所から出てきた言葉です。誰が立つのか。みなこういう所から出てきた言葉です。特に、これは韓国の人が激しいのです。だから、仕事になりません。ところで、同じ友人で、同じように仕えていたのですが、1人は指導者になりました。同じようにまた仕えたのです。私が見る時は、ヨシュアより偉大な人物はカレブです。

・そのようなある日、イスラエルは成功してカナンの地に入ってきたのですが、アナク山地に会ったのです。イスラエルが、ぶるぶる震えるようになったのです。だれが、あのアナク山地を獲得できるのか。この時、またカレブが現れました。普通の人ではありません。すでに年齢が85才にもなっていました。昔に、45年が過ぎました。この時出てきて言う言葉です。カレブがヨシュアに言ったことです。昔の話をしたのです。私たちが昔に、カデシュ・バルネヤで、他の人は行くことができないと言って、民の心をくじいた。その時、私たちは神様を信じて神様に従ったではないか。その時、私たちは行くことができると話したではないか。その時、神様のしもべモーセが私たちをカナンの地に入ると話さなかったか。そして、今、私たちは入ってきているではないか。どれくらい論理的でしょうか。賢いのです。それで、勝利することができる。それと共に、こういう話をしました。その山地を私に与えて下さい。私の年85才ですが、その時と出入する力が全く同じです。どのように、85才が40才と同じでしょうか。それは自分が持った確信です。85才だが、その時と今と同じだということです。45年前に約束された約束が、今、成就されたではないか。この山地を私にください。その時、カレブがこういう話をしました。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。この‘〜くだされば’という言葉は、疑う時に使う言葉です。しかし、‘できましょう’いうことは信仰の単語ではないでしょうか。この二つを一緒に使ったのです。簡単に話せば、もしかして私のような使い道がない者であっても、神様が共にされれば、それでは必ずあの地を占領できる。完全に勝利できる。それで、イスラエルがカナンの地に本当に入るようになる、驚くことを成し遂げたのです。カレブの信仰です。私たちは、こういう信仰を持っていなければなりません。絶対に、カレブは、頑固に言い張ったのではありません。すでに契約をつかんでいたのです。私たちがこれから教会をどのようにして、皆さんが信仰生活をどのようにするか、私たちが頑固にするのでしょうか。契約をつかみましょう。

・皆さん弱く時があります。恐れてはなりません。確かに神様の契約に勝つ力はありません。また、私たちは生きていく過程の中で、貧しくなることもあります。しかし、その時、変にせずに、揺れることもやめて、契約をつかむのです。また、皆さんが生きていくならば、家庭も個人も、危機がくることもあります。また、困難がくる事もあり、困難がきて失敗することもありえます。どんな場合も、神様の契約を変えることはできないのです。むしろ、今日、私たちが三番目に悟らなければならないことがあります。皆さんが、今日、三番目に捕まえなければならない契約が別にあるのです。私がカレブのように信仰を持って、私だけでも私たちの教会、地域、現場を生かさなければならない。そうすれば良いのです。妻、夫、家族、同僚が問題ではなく、私が恵みを受けて、私だけでも私たちの会社を生かさなければならない。私がこの契約を捕まえて、私たちの家系を生かさなければならない。これが今日、カレブから学ばなければならない信仰です。カレブ1人で国をみな生かしました。これが神様の力です。ですから、私たちが神様の前で祈る時、こういう祈りは高慢ではないのです。ロックフェラーのような人は、自分が出す十分の一献金で、教会運営できるようにしてくださいと言ったことは、高慢ではありません。それだけ神様の前に仕えるようにしてくださいということです。全国に学校をたてて、教会をたてるようにしてくださいということは高慢ではなく、それだけ神様に栄光を帰したいということです。

・私が見る時は、カレブは勇気もあるのですが、勇気ではありません。私が見るには、カレブが偉大なおじいさんですが、高慢ではありません。さっき私が最初に話したのですが、すでに契約を知っていたのです。私たちは契約的な祝福が何であり、神様の方法と計画が何か分かれば、だれが先に答えを受けるでしょうか。ヨシュアのように、カレブのように危機に会った時は、より大きい働きが起きます。危機に会えば、奇跡が起こります。少しも気をおとす必要がありません。危機が起きれば、奇跡が起こります。それで、私たちは契約をつかまなければならないのです。これは単純な世の中の勇気ではありません。神様の契約をつかまなければならないのです。今、我が家に貧困がきた。正しく基礎を固める機会です。私が今、病気になった。神様の力を体験する機会です。私に葛藤、混乱がきた。私が更新する機会です。問題になる必要がないのです。契約をつかむのです。待っていれば、確かに働きが起きます。神様は、はやく答えられるのもあって、長くなってから答えられるのもあります。それは、私たちの心のとおりにはできません。しかし、まちがいなく、なるのです。45年が過ぎたこの日、このカレブの話が、その信仰を、契約を出したのです。これが、私たちが持たなければならないクリスチャンの福音的な信仰です。無条件に熱心なのではありません。契約的な祝福です。無条件にできる、ではありません。神様の計画です。皆さんが、もう一つ記憶しなければならないことは、この契約を捕まえていれば、祈っていれば、ある日、力が与えられます。皆さんがこの契約をつかんでいれば、ある日、力が与えられるのです。私たちが弱いと知っていて、神様の計画を分かるようにされて、神様の力がともにされます。これを聖霊充満と言うのです。主が約束されました。あなたたちを孤児のように放置しない。聖霊で導く。弱さをご存知で、力を与えられました。聖霊充満を受けるようになる。そして、ご飯を食べて生きて、去っていくのではない。地の果てまで証人になる。そのようにおっしゃられたのです。私たちが弱いことをご存知で。

・神様が失敗をして皆さんを呼ばれたのではありません。皆さんをこの地に今、生まれるようにされたのが、神様の失敗ではないのです。イエス様が足りないのをご存じではなくて、マタイを呼ばれたのでしょうか。イエス様は考えが少し足りなくて、無知なペテロを呼ばれたのでしょうか。絶対に違います。知って呼ばれたのです。むしろ、高慢なパリサイ人より漁師がより良かったのです。エルサレムより、ガリラヤがより良かったのです。神様が知って呼ばれたのです。私たちを知って呼ばれました。それで、力がないと思って、世界征服することができるように聖霊充満をくださると約束されたのです。それで、皆さんがこの契約を捕まえて、少しだけ祈れば、心配を捨てて、少しだけ祈れば、神様の力が与えられます。この時から、物事がなるのです。この時から、皆さんの会社も生かされて、不思議に皆さんの学業も生き返って、すべて生き返るのです。神様の計画をその時から知るようになるのです。これを分かれば、他の人が後ほど分かるようになります。それが伝道ではないでしょうか。他の人が知るようになるのです。ヨセフが持っている力を、結局、ポティファルが知るようになりました。パロ王が知るようになったのです。それが力で、伝道です。皆さんが、この契約を捕まえなければなりません。ひょっとして、皆さんが今、はやく答えが来ないからという心配、不信仰をみな捨てて、契約をつかんでいれば、確かに答えくるようになっています。50年間、共産主義教育を受けた北朝鮮は、自分たちも仕方ないのです。だから、全国、世界へ、あき缶を持っていくしかはないのです。自分も仕方ないのです。70年間、共産主義教育を受けたロシア民族の女性が、全世界に売春婦で歩き回っています。真理というものが入れば、結果は誰も変えられないのです。今、共産主義というのが入ったので変えられないのです。今、レムナントに福音をずっと植えるのは理由があります。入れば、誰も防げないのです。皆さんが心配せずに、福音、契約を捕まえていれば、入る聖霊の働きは誰も防げないということです。年齢は関係ありません。85才のカレブに働かれました。それは、年上でなければならないという言葉ではなく、年上でも大丈夫だということです。力がなくても大丈夫です。神様のみことばが働かれるので、カレブを通して国が生き返ったのです。今日、皆さんがこの力を得るように願います。それで、年をとった方たちも、ちょっと素晴らしくしましょう。教会にくる時、一番、古着選んで着てこずに、一番良い服を着ましょう。お金をできれば惜しまずに、食べて、献金もしましょう。

・母が苦労を多くしたので、生きている時、会えばお小遣をあげていました。安らかに通いながら使ってくださいと家内に知らせず、お金をあげていたのです。それで、それを使って通えば良いのに、それを貯めてみな残しておいて亡くなったのです。献金して、こういうものしかないのに、年を取るほど、皆さんは素晴らしくしなければなりません。年を取るほど、皆さんは祈って力を得なければならないのです。そうでなければ、年をとっている方々は、すぐ力がなくなってしまいます。年をとるほど、恵みを受けて祈って、力を得なければなりません。皆さんが今は弱い人々であっても、弱い姿でいずに、力を得なければなりません。ある女の人が相談にきて、夫のために生きられないと言いました。生きなさいと言いました。死ねば、あなただけ損です。一生懸命に祈って、ご飯を食べて、頑張って生きなさいと言いました。死んだら、すぐ夫は新しい妻をめとってしまう。頑張れと言ったのです。メッセージに恵みを受けられなかったのですが、その言葉には恵みを受けて、そのとおりですと歯ぎしりして出て行きました。死ねば皆さんだけが損です。頑張らなければなりません。確かに契約は、単に皆さんがご飯を食べて亡くなるのではありません。救われた者に与えられた契約は大きいのです。これをつかむのです。これは人の慰めではありません。これをカレブが持っていたのです。だから、なるのです。それなら、私たちもこの信仰をもって出発するのです。皆さんが残った生涯、またこれからのことにこの祝福が、神様の力があることを、イエスの御名でお祈りします。一日中、祈って、みことばを受ける中に、癒される働きがあることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今、衛星で、インターネットでみことばを受ける所にも、同じ働きが起きるようにさせて下さい。インマヌエルの家族に、大きい力をお与えください。当然、なければならない契約的な祝福を回復するようにさせて下さい。神様の必然的で、絶対的で、当然の方法を悟るようにさせて下さい。それで、カレブのように契約をもって現場で勝利することを祈ります。ここに座った人々のゆえに、家系が生かされるようにして下さい。職場が恵みを受けるようにさせて下さい。私たちの福音を持った人々のために、私たちの国が恵みを受けるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン