2006年4月16日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/キリストの苦難と復活
(マルコ10:45)


・皆さんの全てのものが復活する祝福があるように願います。私が知っている方の中で、病院の院長が1人おられます。その方が、ある時、見たら靴を脱いで見せられました。靴底がまったくないものでした。簡単に話して、平らなものでした。なぜそうなのですかと尋ねました。人々が靴のかかとを高くさせて、そのために、五十才を越えれば病気になるということでした。家に行ったところ、とても薄いふとんで寝ておられました。枕も首で支える程、とても低かったのです。それと共に言われることは、初めにエバはハイヒールを履いていただろうか? そうだなという気がしました。アダム、エバは、初めからふくよかなふとんで寝ていただろうか? そうではありません。それで、その2人は500、600年ほど生きていたということです。私たちはハイヒールを履いて、脊椎もよじれて、病気になるしかはないということでした。その医師のことばが、聖書のようにすれば良いということでした。聖書に出てくるように、水を飲んで、ブドウをたくさん食べて、無花果をたくさん食べれば健康だということです。このように、聖書は多くの人に益をあたえる神様のみことばです。

・しかし、救われた人だけが分かる部分があります。すべての人に、みな有益なみことばもあるのですが、救われた人だけが分かる部分があるのです。血の契約だと話せば、救われない人は分かりません。イエス様が、罪の問題を解決したといえば、未信者は、どんな罪を言うのかと尋ねるでしょう。それで、とうてい救われなくては理解できないみことばが聖書にはとても多いのです。それだけでなく、救われた人までも理解できない部分があります。ジョン・カルヴィンは、人は聖書を理解するのが足りないから、ヨハネの黙示録は説明しないと言いました。実はそうです。私たちがいくら賢くても、神様のみことばをみな理解するのは難しいのです。そのような中で、復活は特に理解し難いでしょう。なぜならば、今までそんなことがなかったためです。イエスが生きて、復活したといえば疑いを持つのです。ところで、不思議に旧約聖書に何度も預言されています。旧約と新約が、今は一緒になっているのですが、以前には別々に離れていました。考古学者などが研究してみたら、以前に書かれたことなのに、イエス様が生まれられることを預言していて、十字架で勝利することをみな預言していました。本当に不思議なことです。ところで、この事実をイエスが復活することというのが預言されていたのに、誰も信じなかったのです。弟子さえも信じませんでした。イエス様が十字架に釘つけられて死なれた時、弟子はみな逃げました。イエス様に付いて回りながら、メッセージをよく聞いた人が、マグダラのマリヤですが、マリヤも信じませんでした。聖書に見れば、死体に塗る油を持って行ったと言われています。生き返ると信じていたとすれば、なぜ死体に油を塗るでしょうか? 信じなかったためです。さらには、ユダヤ人が信じませんでした。イエス様を十字架に処刑したのですが、その人々がイエスが復活することをあらかじめ話すので、話にもならないと言いました。ローマに植民地になっていたので、ローマ政府とも関係があります。ローマ政府は、一段階さらに上に解釈しました。確かに工作を働かせそうだから、墓を見張りなさい。3日後に復活すると言ったので、3日間、墓を見張りなさい。ローマ軍とユダヤ軍を混ぜて、中隊ぐらいの軍隊で行って墓を見張ったのです。不思議なことが行われたのです。これは科学的にどのように説明しなければならないのか、地球上で最も不思議なことが起きました。いったい、どのように生き返ったということでしょうか?

・しかし、イエスの復活を一番最初に見た人は弟子たちではありません。イエスの復活を最も早く見た人は、誰でしょうか? 信じる者たちでなく、墓を見張る人でした。墓が日本のようになっているのではなく、家になっているから、ドアをあけて閉じるのです。何人かの力を合わせてこそ、石の門を取って開くことができるのです。軍人たちが見張っていたのですが、3日ほど過ぎた明け方になった、言わば日曜日です。その時から、私たちが土曜日に礼拝をささげないで、聖日にささげるようになったのです。聖書に見れば、ヨハネ20:1-19に見れば、安息後の初日だとなっているので、それは日曜日のことを言います。ところで、石の門を閉めておいても隙間があるでしょう。そこから光が刺して出たのです。そうしたところ、大きい石の門が人、1人、2人では開くこともできないのに、それが開きながらイエス様が出てこられたのです。それが可能なことなのでしょうか? それで、とても驚いて、ある軍人はその場で卒倒しました。私は以前に夜明けに登山に行った時、座って死んでいる人を見ました。私はそれを見て、身の毛がよだった。死んだ人を見ても身の毛がよだつのに、歩いて出てきたらどうでしょうか? だから、軍人の中で、心臓が弱い人はその場ですぐに卒倒して、ある人はとても衝撃を受けたのです。このようにして見たことが大祭司の耳に入ったのです。変だ。彼が生き返った。彼が本当に生き返ってきた。だから、ユダヤ人が見たら、大変なことが起きたのです。政治家たちは、一番怖くなるのが世論だから、世論が怖くなりました。真理と生きる、死ぬが問題ではなく、政治生命に普通の問題がくるのではないので、世論がおかしくなりました。それで嘘をついたのです。

・最も早くついた嘘が、私たちが少しの間寝ていた間に、弟子がきて死体を盗み出したということです。このように嘘を作ったのです。別名、盗難説です。一個中隊が見張っているのに、同じように寝てしまうことも変なことですが、とにかく、その時に盗み出したということです。そのようにして、事件をもみ消そうとしたのです。しかし、嘘は長くは続きません。違う。見た。イエスが生き返って、所々弟子と現れた。そのような事があるか? 弟子たちが、とてもイエスを愛して慕っているから、この人たちの精神が変になって幻想を見たのではないか? このように出てきた説が幻想説です。ところで、時間が過ぎながら違う。本当に生き返った。だから、人々が本当に見たと言ったのです。だから、このうわさがいろいろな方面に流れて、ローマに世界へ広まったのです。それで言われるのに、本当に話をした。私たちがしっかりと殺さなかったんだなあ。この丈夫な人間が目覚めたんだなあ。そのように作った説が気絶説と言います。気絶して起きあがったということです。

・それなら、この3つのことは、何を反証することなのでしょうか? 死体を盗み出したということは、墓の中に死体がないということを言います。幻想説を主張するのは、見た人がいるということを証拠するのです。この人たちが作り出した気絶したということは、生き返ったということです。むしろいろいろな方面に広まるようになりました。さらに衝撃を受けた人々は、逃げた弟子たちです。いったいそのようなことがあるのか? ペテロはイエス様が捕えられて行った時、イエス様を否認して、呪うことまでしました。あなたがイエスの弟子かと言われた時、自分で違うと言ったのです。それをよく知っていたので、確かだということで、大変なことになったのです。いったい、これが何のことなのか? 理解できませんでした。いろいろな話がとても多くなったのです。復活したとすればどこへ行ったのか? 昇天した。それが話になるか?

・イエスの復活は、私たちの初穂だと言われています。聖書に記録されたのを見れば、私と皆さんが死ねば、しばらくしてから、地獄や天国に行くのです。刑務所で話せば、同じ刑務所でも完全裁判が終わるまで行く所を拘置所と言います。完全に刑が確定されれば刑務所に行くのです。私たち人間がしばらく行く所を、パラダイス、あるいはハデスと言います。私たちが最後にはイエス様が復活、昇天されたように、私たちが全部肉に関係がない復活をして、天国に行くということです。それで、一理があると思います。私たちが知恵が足りないのであって、神様は完ぺきな準備をしておかれたのです。

・いったい、この方は誰でしょうか? なぜ聖書には十字架に死ぬと預言され、復活すると預言されているのでしょうか? そうでなければ、イエス様を十字架に釘づけたのが、生き返ったということ。それは、事件になることもあるでしょう。問題は、預言されていたということです。これが問題です。どうして、預言されたそのまま、人が生き返るということなのでしょうか? いったい誰でしょうか? これで働きが全世界に広まるようになったのです。

・今日10:45に'因子の来たものは'人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。'ここで、その事件よりとても重要な問題が出てきました。十字架に死でなければ、私たちの人間の問題は解決しないということです。これを悟ることが重要です。皆さんが思い切り勉強して生きていても、ある日、人生に問題やってくれば解決しません。幼稚園の時から私が知っている友人1人は、勉強をがんばって中学校、高等学校、ソウル大学みな勉強したのですが、ある日精神が狂ってしまいました。今でも病院にいます。年齢が60才になっているのに、今でも病院にいます。いったい人間がなぜこうしているのでしょうか。十字架の奥義でなくては、人生の問題は解決しないということです。それで、人は解決できないから、神様の息子を人のからだを着せて送られるということです。それで、旧約から羊の血、十字架です。そこで、すべての暗闇の問題を解決するということです。創世記3章の原罪問題を解決するということです。それで、出エジプト3:18に血の契約を塗る日、エジプトから出たでしょう。この話は、普通の話ではありません。人間は呪い、サタン、地獄の勢力に勝てないのです。

・神様が初めからこれを解決しようと、メシヤを送ると言われました。これは信じれば良いのです。信じなければ良いという部分ではなく、事実的に神様が準備された聖書に数千回約束をされました。これまで私たちは勉強して、試験を受けて、仕事をして、月給をもらって、これが習慣になっているので、こういう部分が信じられないのです。確かに存在しているこのサタンは、誰も勝てません。キリストがその頭を踏み砕いたとなっています。購いの代価を返さなければならないのに、私たちが死ななければならないから、代わりに死なれることで、すべての暗闇の勢力を終わらせたということになるのです。Iコリント15:3〜5に見れば、聖書どおり死んで、聖書どおりよみがえられたのです。この話は何の話なのかというと、預言されたとおりに、十字架に死なれて、あらかじめ預言された、そのままよみがえられたのです。いったい誰でしょうか。どうするからなのでしょうか。これが分かる日、皆さんの人生には、驚くべき変化が始まるでしょう。

・イ・レジャという人がいました。姓が李氏で、レはウレです。自分がウレの息子だと、イ・レジャという人がいました。その方が、自称、自分が救い主と言ったので、簡単に話せば異端でした。多くの弟子を率いて山の中で暮らしていました。死ぬ前に予言したのです。イエス様は神様の息子であるから三日後に復活された。私はイエス様の弟であるから、一週間後に復活する。待て。しかし、不思議にも、それをまた信じる人々がいるのです。それで死んだ後に葬式をせずに、お棺に入れて自分たちの神殿に置いて、一週間待ったのです。それで一週間、生き返ると祈って待っていたのに生き返りませんでした。復活しなかったのです。何が復活してきたかというと、ウジが出てきました。それで警察がきて死体を片づけたのです。よみがえることはできません。なぜか、そのようなことはできないのです。ただ、神様がキリストだけが可能なのです。

・聖書にとても重要な単語三個があります。処女が身ごもって男の子を産む。この言葉がとても重要な単語です。この話は、いくら立派でも、私と皆さんは神様になれず、キリストになれません。この話は、いくら立派でも、人から出た人は救い主になれないということです。私は姓が柳氏です。その理由は、私の父が柳氏であるためです。それで、孫も柳氏です。なぜなら、私の息子から産まれたためです。男の子孫、人の子孫はメシヤになれません。これは、とても科学的な言葉です。女の子孫でなければなりません。Iコリント15章を見れば、天から出た者となっています。地に属す者ではなく、天に属す者となっているのです。肉を来てきたのは、私たちを救い出すためであって、肉に属す者ではありません。霊に属す者だと言われました。それで、こういうものすごい名前になるのです。それで、処女マリヤから生まれたのです。十字架ですべての呪いを終わらせてしまわれました。それが二番目の事件です。聖書に最も重要な単語。処女降誕、十字架の事件です。ある人は、苦難週だからと、断食するのですが、そのようにする必要はありません。たくさん食べてもかまわないのです。終わらせたのです。ある人は、苦難週だと涙を流したりするのですが、そのようにする必要もありません。よく悟れなかったのです。涙を流す対象は別にいます。苦難週の時に、ものすごく泣くのは、誰がしなければならないのでしょうか? サタンです。本当に信じるように願います。皆さんの運命、呪いは終わってしまいました。なぜそうでしょうか? 水に落ちた子どもを救い出さない親がどこにいるでしょうか。皆さんの息子が、娘が、知らずにならず者に引っかかって、言いなりになっていたら、探さないでしょうか? ですから、神様がキリストを十字架に釘つけて、すべての呪いから救い出してくださったのです。それで、誰もかれもが、イエスだと出てくれば困るから、とても正確に処女降誕と言われたのです。十字架で復活されるべきです。聖書に預言されました。ものすごいことです。それで、皆さんがこの契約だけ捕まえれば、防止できない答えが続きます。この祝福を受けるように願います。これは信じられる、信じられないという部分ではありません。私たちの人生には、解釈出来ないことがとても多いのです。

・どうして、私たちの韓国で指を折って数える程、たくさん成功した方なのに、家には霊的問題がどんどんきて、子ども達が自殺して精神が狂うのでしょう。これがいったいなぜなのでしょうか。それは、お金が悪いということではありません。どうして、ソウル大学を出て、ハーバードでも勉強をがんばったのに、何の誤りがあって精神病にかかっては苦労をするのでしょうか。それで、その学校が誤っているということではありません。人生は、なぜそうなっているのでしょうか。神様はご存知です。それでメシヤを送られたのです。誰が、こういう悪い事を作ったのでしょうか? 天から落ちたサタンが作ったので、サタンの勢力をうち破ると言われました。それで、考えをたくさん変えなければなりません。教会にきて、多くのことをすべきではありません。何かあれば感謝をもってして、なければそのまま祈っていれば良いのです。今日、皆さんが礼拝一つで、すべての答えがみな出てこなければなりません。十字架でサタンの勢力、皆さんが受けなければならない呪いをみななくしたということです。これを神様の愛と言います。この重要なことは、誰でも混乱するから、キリストでなければなりません。キリストという証拠、十字架で復活される方がいる。その人がキリストだ。聖書のとおり死んで、聖書のとおりよみがえられたのです。驚くべきことです。それでは、復活された主はどうなるのでしょうか。本来のとおりになりました。御座に座って、聖霊で私たちとともにおられます。皆さんは、三位一体という言葉が分かるでしょう。ひょっとして皆さんの中で、昨夜に寝て神様を見たという人は、見間違えたのです。ある人は、私は昨日、神様が耳に何か聞かせてくれたと言うのですが、その人も間違っているのです。本当に事実ならば、それはサタンの声でしょう。神様は、私たちに見ることはできません。みことばでだけです。しかし、少しの間、見えるように来られました。人を救い出そうと、人のからだを着て、ちょっと来られたのですが、それがキリストです。また、御座に座って、聖霊で今、働いておられます。それで、皆さんが今、とても重要な話が、今でも復活して聖霊で皆さんと共におられるということは、今でも私たちと共におられるということなのです。それで、とても重要な単語が何でしょうか。聖霊の内住です。聖霊が皆さんの中にいらっしゃるから、絶対にほろびることはできません。それを救いと言うのです。救われたということは、顔が変わったり姿が変わるのではなく、皆さんの中にたましいの中で、聖霊が働かれるということです。

・反対の言葉で、ムダン(霊媒師)はたましいの中で悪霊が働くのです。それがムダン(霊媒師)です。聖霊は何でしょうか。皆さんのたましいの中で神様の霊が働かれるのです。それで、それを聖霊の内住と言います。今でも、その祝福を味わっているから、皆さんはほろびることはありません。それで、他の道に行くこともできないのです。それでエペソ4:30節に聖霊を悲しませないようにと言われました。その話は、最も良い祝福を置いておいて、とんでもないことをして聖霊を悲しませてはならないということです。Iテサロニケ5:19には、聖霊を消してはならないと言われました。何の話なのでしょうか? 目に見えず、救われた皆さんには聖霊が共におられるのに、私たちがしきりに不信仰していれば聖霊を消してはならない。もしかしたら、ムダン(霊媒師)をしていて、来られた方々がいるでしょう。霊媒師をして来られる方々は、他の人と違う点は、霊的部分がとても開いているのです。その人々は、皆さんを見る瞬間、イエスを信じる人であることが分かります。違うのです。聖霊で印を押されたとなっていて、聖霊があなたがたの中にいると言われました。それで、信仰生活を良くすることは、聖霊の導きを受けることです。神様が私たちとともにおられるから、導きを受けるのです。難しい世の中にどのように勝つのでしょうか。聖霊充満で。それで、力が生じます。その時から、不思議に知恵ができるのです。聖霊充満を受けたというのは、神様の力で充満したということで、その時から皆さんに力ができます。今でも同じ働きが起きています。それでは'先生、イエス様が復活して、あの御座に座って、聖霊が私と一緒におられるのに証拠はありますか?' ないでしょうか? その証拠をどのように探すのでしょうか? ここに今、そのように疑う人もいるでしょう。それで、イエス様は目に見えることもないのに、共におられるのでしょうか? 証拠が何でしょうか?

・イエス様が行きながら最後の時、重要な話を一言言われたのです。わたしの名で何でも求めなさい。それが、皆さんが持てる証拠です。皆さんが、本当に祈ってみてください。使徒3章に、ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい。パウロが悪霊につかれて苦労する人に、イエス・キリストの名によって命じる、悪霊は離れるように。証拠があります。私が一番初めて見たのが、小学校6年なのに精神が狂った子どもを見ました。それも伝道しに行ったのではなく、私たちに要請してきたのです。それで、主任牧師と一緒に礼拝をささげたのですが、私はそのような経験を初めてしたのです。礼拝をささげると、どんどんという音がしました。礼拝が終わって、何の音ですかと尋ねたのです。すると、小学校6年生の息子だということでした。どうしたのかと尋ねました。その子が、不思議に教会堂の鐘の音がすれば、耳を防ぐというのです。そのお母さんは、まったく信じない人だったのですが、これは悪霊のようだと言いました。私は、その時、初めて悪霊につかれた人を見たのです。見たことがあるでしょうか。私は、そんなことを考えることもできなかったのです。その子の目を見たら、本当に変でした。そのようにして帰ってきたのですが、ちょうど私の家の下だったのです。それで、牧師が私に、伝道師だったので、あなたが行ってその子の面倒をみなさいと言われました。どのように養育するのでしょうか。私はその次の週に奇跡を体験しました。聖書に見たら、イエス様が悪霊につかれた者を直したと出ていました。それで、私は率直に完全に信じたのではなく、ひょっとしてと思って、話はしたのです。それで、子どもに聖書を話してあげました。ところで、その日、働きが起きたのです。この子が完全に良くなったのですが、私は想像できませんでした。どうして、このようになるのでしょうか。聖書に見たら'あなたの信仰のとおりになるように。'と言われたのですが、私は信じることもしなかったのに、どういうことなのでしょうか。皆さんがいくらよく信じても、間違ったことは間違ったことで、信じないでも正しいことは正しいのです。私はそれを発見しました。信じても、違ったことは違ったことを信じれば違うのです。私は率直に信じないで行きました。牧師が行けと言われたので、どうするのでしょうか。行って、子どもに聖書を話してあげて、ひょっとしてと思ったのですが、みわざが起きました。どういうことなのでしょうか。この子が顔も変わりました。それで、この子が礼拝堂にきたのですが、私は他の子だと思いました。本当に不思議でした。

・私たち人間が、どれだけ信じることがなくて、弱いかといえば、その小さい事があっても、私が興奮して、変だと感じたのです。神様が伝道しなさいと、そんなことが起きて、ある日は姑もムダン(霊媒師)、実家のお母さんもムダン(霊媒師)、自分もムダン(霊媒師)である人に会いました。多分、ムダン(霊媒師)どうし行ったり来たり見合いしたのか、みなムダン(霊媒師)でした。聖書に偶像崇拝するなという言葉をなぜしているのでしょうか。ムダン(霊媒師)の家に、ものすごい霊的問題がくるためです。私たちがシン・ジンソン氏にも、人を何度も送った時も、その方がそうだったでしょう。自分は仕方ないと、突然、我が家に週報を見て電話をしてきたのですが、自分の子どもが突然におかしな病気がかかったが、おかしな話をして病院に医師を訪ねて行ってもだめだということでした。それが二番目の体験です。行って、無条件に福音だけ伝えて、私は気味が悪くて、その子を見ることもせず、福音だけ伝えてきました。これが、どういうことでしょうか。福音を伝えて、その家族がイエス様を受け入れて祈ってあげてきたのですが、その日の夜に、その家に霊的問題がすべて解決されたのです。私は福音だけ伝えたのに。私が、どれだけ不思議だと思ったでしょうか。これが偶然の一致なのか、こういうことがあるのかと思いました。私は福音だけ伝えてきたのに。

・皆さんは、今、救われて祝福をたくさん受けて知らないからであって、霊的問題がいっぱいである人は、福音を受ければ、すぐに表に現れます。どれくらい驚くことかわかりません。今、礼拝をささげるのに、100以上の教会で5000ヶ所インターネットでメッセージを一緒に聞いています。今、私たちの釜山でも、衛星で一緒に聞いています。ところで、釜山では私がこのメッセージをすれば証人が座っています。とてもよく暮らしていた家なのに、問題がとてもたくさんきたのです。私たちがどれだけ伝道をしなくて、違うようにするのかというと、私たちが行ったのでもなくて、要請がきたのです。牧師先生、私たちの親戚が影島にいるのに、牧師先生が一度だけ訪ねて行って、福音を伝えてくださいと言われたのでした。それで、行くのは良いが、その人が来てくださいと言ったのかと尋ねたところ、来て欲しいと言ったということでした。それで、私が私たちの教役者を連れて聖日の礼拝を終えて行きました。私は、そのような家は初めて見ました。良く暮らす家でした。壁にも床にも、額縁にも、お守りを付けてありました。冷蔵庫にもコーティングしたお守りがありました。どうしたのと尋ねてみたのです。ひょっとしたら、何か食べて死ぬかと思って、入れておいたということでした。この前にも、自分の家族が1人が死んだと言いました。それで、どれくらい不安なのか、よく暮らしているのにも、そうでした。

・私はその時は、すでに確信があったのです。今日以後に、問題が起きれば私が責任を負う。大きい声をちょっと出したのですが、ちょっと心配になりました。自分が信じなければ問題がきます。今日から、イエスを信じれば終わる理由をみな説明しました。神様が何のために人間が信じることもないのに十字架に釘つけられ、救おうと、なぜそうなのか知っているでしょうか。人間は自分も解決できない原罪問題を、解決してくださろうと。私たちが受けなければならない呪いを神様は受けないようにされようと、今でも目に見えません。普通の科学者は聞いても分かりません。働きはサタンの勢力をうち破るために。このイエス様を信じるか? 信じると言って、夫婦がひざまずいて共にイエス様を救い主として受け入れました。どうなったでしょうか。霊的問題だけでなく、今は、みな執事で使命者です。この方が、伝道し始めたのですが、多くの人々を伝道しました。さらに笑わせるのは、この方の友人がたくさんいるのですが、イエスを信じたから、とても良くて友人に話したということです。'あなたは本当に悪い奴だ。あなたは按手執事なのに、なぜ私にイエス信じろとの言わなかったのか? '一度もしなかったということです。それで、その按手執事が申し訳ないことではないでしょうか。それで言う言葉が、'あなたがそのようによく信じるとは思わなかった。'皆さんこういう霊的な話は、一般の人々はよく分からないのです。問題がくれば、その時だけ、なぜこうなのかと言います。国家が災いにあっても、悟れません。国家に災いが来れば、何がどうだ、ああだと言います。ところで、家に災いが入ってくれば、なぜかとも言います。人はどれくらい無知なのか、家に問題が入ってきても分からないのに、自分に問題くれば悩み始めるのです。神様の息子がこの世に来られたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためで、神様の息子がこの世に来られたのは、購いの代価のためだと。神様が息子をこの世に送られたのは、皆さんを神様に導くための救いの道を開いて下さるためだと。この祝福を悟ることが、最も重要な日が復活主日です。

・さらに重要なのは、事実は恵みを受けてしまえば、復活主日は別にありません。その日を今日考えてみるのであって、いつも復活された主が聖霊で私たちとともにおられます。皆さんの家庭に、個人にある重要な問題、今日、解決されるでしょう。今でも、聖霊で働かれるキリストの奥義を悟れば、皆さんの事業、すべてのことに確かに証拠がくるでしょう。私はそれを持って多くの証拠と祝福を受けた者です。それで、皆さんに聖書みことばをもって確信をもって話します。皆さんの全てのものが復活する、新しい祝福が臨むことをお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、この契約を永遠にのがさないようにさせて下さい。この方たちの個人の家庭に神様の聖霊が働いて下さい。復活された主が、聖霊でこの方たちの事業に働いて下さい。病気になった者は、癒して下さい。霊的に病気にかかった者を直して下さい。それで、勝利する歩みが毎日毎日続くことをお祈りします。ひとりも気をおとさないで、この契約を捕まえて、祈って勝利する生活を送るようにさせてください。弱い者が力を得て、大きく強い者になるようにさせて下さい。疑って真に気をおとした者たちが、今日、力を得て、神様の子どもの祝福を味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン