2006年4月30日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/真の力を与えられる神様
(使徒2:1〜4)

・今日、私たちの神様が与えられる真の力を得る時間を過ごすように願います。私が米国に最初に訪問した時でした。集会に行ったのです。長老一人が自分の家で食事を絶対にもてなすと言うので、行ったところ、食事はしなくて話をたくさんしました。米国で暮らしながら、困難を受けた話、教会問題に関する話、自分の家と個人に起きた問題を言ったのです。その方の話は間違った話でなく正しい話をしていました。しかし、私はその方の話を聞きながら心配になったのです。この方はまちがいなく失敗するという気がしました。嘘をついたのではないのですが、いろいろ話を聞きながら、この方は難しいという気がしたのです。それと共に、自分の心の中で一つ感じたのが、この方は長老で、聖書と多くのことを知っているが、福音を全く知らずにいることを感じられました。ある面では、今日の信徒が、ほとんどみなこうだろうという考えになりました。

・世の中で習うことが多くあります。しかし、完全な答えではないのです。私たちは人を通しても習うことが多く、学問、技能の色々な科学についてなど、習うことが多いのです。そうすることは、必ず必要で、必修でもあります。しかし、完全な答えではないのです。私たちはここに対する答えがなければ、いつも困難にあわなければならないでしょう。私は幼い時から、教会に通いながら、多くの信者を見ながら、そのようなことを感じたのです。それで、とても困難をたくさん受けました。どうなっているのか、私に信仰が生じなかったし、教会に通いながら、どんどん反対のことを学ぶようになりました。そうするうちに、私は崩れるしかなくて、青少年の時に崩れたのです。滅びるのも完全に滅びて、あまりにも大きい苦しみと危機の中に陥るようになりました。ところで、私が学校に通っていた時には勉強も良くして、いろいろ良くしていました。しかし、これが思い通りにならず、信じることがないから、より大きく崩れるようになりました。それで、ほとんど、自分が自分でない、そのような場にまで行くようになりました。そうするうちに、後ほど福音を知るようになったのです。それと共に、今まで多くの恵みと神様の祝福を受けました。本当に今日、私たちは神様が与えられる真の力を得なければなりません。どのようにすれば、得ることができるのでしょうか。

・今日、復活された主イエス・キリストの復活以後の起きた働きを見ています。まことに皆さんが力を得なければならないのですが、どのように得なければならないのでしょうか。今日、私たちは神様が与えられる力を得さえすれば、勝利することが明らかです。皆さんの人生と、すべての現場に変化が起きることが確実です。今日、衛星で礼拝する教会とインターネットで全世界でともに礼拝する人々が、本当に神様が与えられる真の力を得なければなりません。どのようにこの力を得られるのでしょうか。私たちは、その内容を分かる前に先に分からなければならないことがあります。私たちは霊的な目を開けて、先に世の中を見なければなりません。世の中で最高の教育を受けた人々はユダヤ人です。そこに答えを与えられないのです。ユダヤ人教育が誤っているということではありません。それが答えではないと言うことを分からなければなりません。それ認めない以上、皆さんはずっとさまよわなければならないのです。それでは、今日から勉強もしないでいるべきでしょうか。その話ではありません。当然しなければならないのですが、それが人生の答えではないのです。

・今現在、世界で2%しかならないユダヤ人は、世界経済を掌握して、ノーベル賞の1/3をユダヤ人が持って行きました。今、誰がなんと言っても、世界で一番豊かで強い国は米国です。米国経済をほとんどユダヤ人が掌握しています。どれくらい大きい国でしょうか。それにもかかわらず、本当に問題はユダヤ人からみな出発したのです。中東戦争の中心の核はユダヤ人でした。簡単に話せば、共産主義を作った'カール・マルクス'もユダヤ人で、今でもワシントンに行けば'ホロコースト'というユダヤ人が苦しみを受けた記念館があります。セブンスデイ・アドバンティスト、エホバの証人、イスラム、こういう根が、全部ユダヤからみな出てきたのです。どれくらい深刻な問題がそこから出てきているか分かりません。みな旧約の思想です。地球上のすべての問題は、みなそこから出発しました。だから、聖書は何を話しているのでしょうか。いくら立派なユダヤ系の教育でも、私たちの人間に答えにはならないということです。もちろん、無知な人々の話のように、必要ないということではありません。聖書を見ましょう。エジプト、バビロン、アッシリヤ、ペリシテ、アラビア、アラブの国、ローマが、その話ではないでしょうか。そのように多くの強大国が起きたのですが、実際に人間の問題は解決できなかったということです。最高の知性、政治を持ったローマでも、この問題を解決できませんでした。

・私たちは、ここに最初に答えを出さなければ、いつも信仰生活の困難を繰り返すようになります。私は皆さんもみなしたでしょうが、英雄に対する研究をしてみました。ほとんどみなが、最後がなぜそんなに難しくなったのでしょうか? 皆さんがよく知っている人たちだけ選び出しても、ほとんど最後が難しく終わりました。私が知っている人の中で、文章を一番よく書いた人々の何人かが'この方は、文章が本当によく書く。'という人々が、ほとんどみなみじめになったことを見ることができました。トルストイのような人は、精神異常になって、家を出て歩き回って駅で死にました。私はヘミングウェイの作品を見て、幼い時に本当に感動をたくさん受けました。その方は自分が持った猟銃で自殺したのです。その人などを見ながら、なぜそうだったのか? 多くの文章で感動を与えたモーパッサンのような人も精神病で死にました。ジンギスカン、ナポレオンなど、一人も安らかに死んだ人はいません。ジンギスカンのような人は、槍で色々な所を刺され、部下のほうに行ったのですが、死にました。もちろん、土地を占領して、征服したのですが、それが何の意味があるのでしょうか。ナポレオンのような人も、英雄だったのですが、島で一人で死ぬ時、何も持っているものがなく病気にかかって死んだのです。'私の辞書には不可能がない'という人が死ぬ時は何と話したのでしょうか。セントヘレナという島で、海の水は人間が流した涙で、どれくらい苦しかったらそのように表現したのでしょうか。どれくらい苦しんだからでしょうか。聖書を見てもそうで、実際に見てもそうで、成功した人々を見ながら、答えではないことを見ました。

・今日、それで二番目に捕まえなければならない答えが何でしょうか。神様は私たちに答えを与えられました。私たちの問題が解決できないから、神様がキリストを送られたのです。これが私たちの二番目の答えです。私たちが勉強もして、努力もするのですが、それが私には答えになりません。神様が真の答えを与えられましたが、その答えがキリストです。正確に話せば、イエスでなくキリストです。キリストが誰でしょうか。イエスがキリストだ、ということです。もし孔子がキリストならば、孔子を信じなければなりません。もし釈迦がキリストならば、私たちは釈迦を命をかけて信じなければなりません。そのキリストの任務を果たした人が、イエスであるために、それでイエスを信じるのです。神様はなぜそのようにキリストを送ると、聖書に預言されたのでしょうか。いくら人間がもがいても、根本問題は解決しません。人間がいくらもがいても、霊的問題は解決しません。私たちは大学勉強をしなければなりません。

・大学に行けば、心理学的にこうした話、ああした話をよくします。必要な話ですが、みな合わせれば、霊的問題です。これが解決できないのです。それで、私たちは霊的問題が解決できないから、キリストを送られるしかないのです。思い切り成功したのですが、最後に未来問題が迫ってくるのです。私が以前、米国に行ったのですが、ニュースでずっと出てきました。時間ごとに出てきていました。マイケル・ジャクソンが精神異常で子どもを捕まえて高い建物から投げようとするのか、とにかくそのようにしている姿をずっとニュースで放送していたのです。だから、警察が外に配置されて、待機している、そのような内容でした。大きい事故はなかったのですが、とにかく、その人がなぜそうなったのでしょうか。それで、私は聖書を見ながら私たち人間の霊的問題は解決しないのだと分かりました。それで、神様がキリストを送られたのです。キリストという言葉は、何の話なのでしょうか。私たちの罪問題を解決するために、祭司として来られたということです。私と皆さんが神様に会うことができないから、神様に会う道になる預言者として来られました。私たちはサタンに勝つことができないから、サタンに勝った王として来られたということです。その言葉がキリストです。だから、私たちに答えになるしかありません。それで、創世記3、6、11章の問題を解決されました。これが神様が私たちにくださった答えです。

・それでは今日、三番目に捕まえなければならないことは何でしょうか。この救われた者に神様がくださった力が何でしょうか。これを私たちが捕まえなければならないのです。使徒1:1 「テオピロよ。私は前の書で」それは"イエスがキリストだ"ということです。前の書はルカの福音書を言うのです。イエス様がこの世に来られたのですが、この方が預言されたメシヤ、その方です。ここで、すべての結論がみな出てきます。私たちがイエスがキリストだ、この言葉をわかる瞬間に運命は変わります。本当にイエスがキリストだなぁと、この話を信じる者に、私たちの霊的問題はみな解決されたということです。これが神様がくださる真の答えで、力です。多くの宗教人が尋ねます。それでは宗教がたくさんあるのに、キリスト教だけが真理という話か、多くの教会があるのにタラッパンは福音だけを強調するのか、私はここに対する明らかな答えを与えられます。ここに今、僧侶一人が座っておられるでしょう。ここに今、霊媒師をしていて、来られた方々がたくさんいるでしょう。

・私は神父に会っても確かに話しました。嘘をつけません。キリストを分かる瞬間、運命が変わってしまうのです。こうなってこそ、物事がなるのです。私の運命が変わらない以上、どんな場合もだめなのです。それでは、キリスト教はとても独善的ではないのか。そのように表現できるでしょうが、独善ではなく、神様が私たちに救いの方法をくださったのです。それで、今日、教会がこれを薄く話し始めたのです。それで、教会に問題がどんどんきて、信者に問題がくるのです。神様が何個かを作って混乱を与えられるのではなく、一つで充分なのです。神様が色々な作品を作り出して商売されるのではなく、一つがあれば良いのです。旧約から預言されたことが何かというなら、キリストを送ってすべての問題を解決しますということです。テオピロよ。私は前の書でというのは、ルカという医師がテオピロという重要な人に送った手紙です。それが、一つはルカの福音書で一つは使徒の働きです。ルカの福音書は旧約に預言されたメシヤがきたということを証しすることで、その証しを捕まえた人におきることを記録したのが使徒の働きです。どれくらいすごいものでしょうか。皆さんが今日、この契約を捕まえる瞬間に、私たちの運命は変わってしまいます。まだ不安に思う人がいるでしょう。皆さんがイエスキリストを救い主として受け入れる瞬間、すべての運命は変わってしまったのです。

・今日、ひょっとして私の話が疑わしいと思うならば、時間を一度作ってみてください。礼拝は一度だけささげれば良いから、終わってから占い師のところに一度行ってみてください。不信仰して占いに行くことは罪ですが、確認しに行くことは罪ではありません。それも、にせ物ではなく、本物を訪ねて行きなさい。私が話すにせ物は何かというと、読み書きの勉強をして占いする人がいますが、それはにせ物です。しかし、本当に神懸かりの人がいます。正確に言わば、本当に悪霊につかれた人がいるのです。皆さんを見る瞬間に、悪霊のように分かって当てます。生年月日を尋ねたら、ひとまずにせ物です。それは、資料でするので当たるのですが、実際に神懸かりの人ではありません。悪霊につかれた人は、皆さんを見る瞬間に分かります。ひとまず卦が出てきません。皆さんの運命が、呪いがなくなってしまったということです。確認してみてください。僧侶が行ってみてください。運命がみな出てきます。

・私が天国、地獄に行く前に、実際に証拠があります。米国にもあります。多分、今、メッセージを聞いているでしょう。友達にいくら伝道しても、イエスを信じなかったということです。むしろ、電話がきて、友達が言うのに、米国に有名な占い師がいるので、今、占いに行くから一緒に行こうということでした。それで、この執事が正しいように思ってついて行ったのです。$50ずつ出して占ってもらうというのでしたが、驚いたということです。名前を書いて、占うのに、友達の手を握ると、全てのものをみな占ったということでした。自分もお金を出してわざわざ手を取ったそうです。米国人なのに神懸かりの占い師です。手を握ると、ずっと震えたということです。そうして、手を離して立ち上がって、どこかを見つめて歩き回ったということです。そして、またつかむとまた震えたそうです。お金を返してくれながら、あなたはできないと言ったそうです。なぜできないのかと尋ねたところ、何の問題もないと言われました。'No problem everything'.それでもしてくれと言ったそうです。そばで友達が見て驚いたそうです。救われたというとのは、これをいうことだなと。人々がそのまま知らずに教会に行き来しています。絶対に心配しなくても済むのです。キリストを信じる瞬間、運命は変わってしまいました。死から命に移ったのです。

・聖書は確かに記録して、確かに体験することができます。イエスがキリストという話は、いたずらをする宗教の話ではなく、皆さんのすべての霊的問題は終わったということです。間違いありません。この話しを聞いて、娘が占いに行ったのです。お父さん、変です。今日、私が占いに行ったところ、占って福音を伝えたが、不思議に私の卦が出てきたということでした。それで、あなたがにせ物だったのか、その人がにせ物だったのか二つのうちの一つだと言いました。その人がにせ物です。皆さんが全く心配する必要がありません。イエスを信じて何十年になったある執事は、まだ怖くなってまだ法事を行っています。皆さんは、何の恐れをなす必要がないのです。親が死んで悪霊になって来るのではありません。悪霊がだますのです。皆さんの親のまねをしてだますのです。どれくらい悪質でしょうか。何の心配もする必要がありません。イエスを信じれば、すべての霊的問題、運命が変わったのです。これだけでも、ものすごく大きい力です。明らかです。これは科学的で事実的です。

・法事をしなければ、もしやと思うのですが、そうではありません。私の父が亡くなって、何十年が過ぎたのですが、初めには追悼礼拝ささげました。しかし、ある日悟ったのです。追悼礼拝をささげることが何であるのか。天国でなければ地獄に行ったので、終わったのではないのか。しないと言いました。それで、我が家がほろびたでしょうか。ほろびることは、なぜほろびるのでしょうか。何の心配もありません。皆さんがイエスを信じるということは、後ほど天国に行くということでもありますが、ものすごい言葉なのです。その程度ではありません。使徒1:3に神様の国と言われました。皆さんが行く所ごとに、少しだけ祈れば、暗闇の勢力が崩れる神様の国が臨むということです。これを体験しなければなりません。それで、皆さんが行く所ごとに現場が変化する働きが起きるのです。皆さんの個人、家庭、事業にこの祝福が現れることをイエスの御名でお祈りします。どれくらい重要だったのか、使徒1:3にイエス様が40日間、説明されたということです。それだけではありません。イエス様が直接、話されました。マタイ12:28〜29あなたの家に強い者、目に見えないサタンを縛らなくては、あなたの家具を取り出すことができない。強い者を縛った後に、あなたの家具を取り出せる。聖霊が臨めば、神様の国が臨んだのです。イエス様がおっしゃられました。それで、皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むのです。

・私が以前、話しました。飛行機に乗って、ドアを閉めたのですが、前に僧侶が座って(数珠のような)何かを回していました。この僧侶が立ち上がるとおりると言うのです。この飛行機が危険だから、自分はおりると言いました。そうして、また回していました。飛行機のドアを閉めれば、絶対に開くことはできません。外から開くのです。開けないようになっています。この方が、飛行機の中でどれくらい暴れまわって、はっきりと話したかというと、外に人が新しくきて、ドアを開けてやって出て行ったのでした。それでは、私たちは何でしょうか。座っている人々がどれくらい不安でしょうか。私は祈りが出てきました。神様に祈りました。神様、こちらに聖霊で働いて下さい。あの僧侶が残して行った不安と不信仰が崩れるようにして下さい。神様、こちらに主の天使を送って下さい。これが神様の国です。僧侶だけおかしくなりました。飛行機が飛んで、私たちは静かに大邱に行ったのですが、その人だけ行けなかったのです。私たち信徒が怖くなることが、どこにあるのでしょうか。ものすごい力です。ダニエルが獅子の穴に行く前に、神様は主の天使を送って、獅子の口をふさぎました。皆さんが今日、本当にこの信仰をもって祈る瞬間、皆さんの事業の暗闇の勢力を神様は縛ってしまわれます。この霊の世界を信じるか、信じないかが問題です。それでは、皆さんの中にあるたましいを抜いてしまえば、それは死体に過ぎないのですが、信じないことがあるでしょうか。重要なことは目に見えません。私たちのたましいも見えません。神様も見えません。天国と地獄は見えません。天使、サタンも見えないのです。見えないからといって、私たちがないと言っても良いのでしょうか。それで、使徒1:8に聖霊があなたがたの上に臨めば、力を受けて、使徒2章に大きい力が現れたのです。神様が本当に力を与えられたのです。今日、皆さん本当に力を得るように願います。皆さんがいくらもがいても、家族も皆さんにとっては、愛と多くの祝福の対象ですが、答えにはなりません。長老も牧師も、私たちの尊敬と愛の対象ですが、答えにはなりません。今日、私たちは神様がくださる本物の力を得なければならないのです。

・私は本で見ました。英国の有名な学者が、とても心が苦しくて教会に行ったのです。少し集まる教会なのに、牧師が失敗をしたのです。私たちの教会に有名な科学者が登録をした。牧師や教役者が、こういう部分で失敗しやすいのです。その時から、説教を科学の説教だけしたのです。創造に現れた神様の力、科学に現れた神様の摂理など、科学の説教だけ継続したのでした。この方が説教を何週か聞いて、牧師を訪ねてきました。牧師を見て、牧師の家でお茶一杯、飲んでも良いですかと言いました。この牧師が、説教に恵みを受けたのだと錯覚したのです。入って科学者が話をしました。牧師に頼んだのです。牧師先生、私に救いとイエス様に関して説明する教会がないでしょうか。そのような教会があれば、私を紹介してください。私は神様を知りたい。私はキリストを知りたい。牧師先生は、科学がお好きなようだが、私はキリストが知りたい。その有名な科学者がした話です。それと共に、お茶を飲まないで行ったということです。行きながら、さらに重要な話を残しました。牧師先生は、科学がお好きなようですが、とても科学的に違うという一言でした。科学者は、科学を知るために教会にきたのではありません。私たちの教会は、科学者、映画俳優、監督、有名な選手など立派な人々が多くいます。その方達に最も必要なことが何でしょうか。真の神様の力と神様の祝福です。私たちが知らずに、ずっととんでもないことをするのです。

・釜山で有名な事業家が、年をとりました。その方が、直接、私に証ししたのです。年をとったが、釜山でかなりお金をたくさん儲けたのです。その当時、海雲台外国人アパートの100坪に住んでいました。息子、娘が米国に行って、勉強をして、そこで住んでいました。奥さんと二人が住んでいたのですが、奥さんが亡くなったのです。もうこの方は年を取っていて、つまらないのです。孫たちに会いたいが、みな米国にいます。それほど考えることもなくて、一人でいるので、今、私が何をしなければならないか考えたそうです。これで、この方が重要な決断を下したのです。とても賢い方です。服を着て、棒一本を握って、釜山市内の教会をみな訪問したということです。誰も自分に答えを与えなかったということでした。自分は、一つが聞きたいと言いました。救いが何なのか、この立派な事業家が救いが何なのか。私の妻は死んでどこへ行ったのか。私も死ぬはずなのに、どこへ行くのか。それでは、教会で話す救いは何なのか。いくら教会に行っても説明をしてくれなかったそうです。そうするうちに、ある日、この方が福音に出会ったのです。私に証ししました。福音がこのように良いことなのに、私は幼い時から知らず、恥ずかしくて申し訳ない。私たちは今日、神様が与えられる力を得なければなりません。神様が皆さんに真の力を与えようとされるのです。世の中にある、あとでなくなって不安で、そのような力でなく、誰も奪っていくことができない真の力を与えられます。この間、僧侶が出てきた時、その方を皆さんが笑ったのですが、笑ってはなりません。その方は、住職でした。その方が、有名な住職だったのに、福音を受けて悟ったのです。だから、この人が自分の宗教を変えたというよりは、福音を悟ったのです。それで、私たちが福音を悟ったということは、宗教が良い悪いという話ではありません。今日、皆さんは神様の子どもであり、神様が与えられる力を得てこそ、解決されるのです。私は幼い時、多くのことを見て育ちました。それで、私の頭の中にいつも一つ残っていることがあります。なぜ、韓国と私たちは貧しいだろうか、こういう考えを幼い時にしました。ところで、それと関係なく、信仰生活、勉強、色々なものをしたのですが、本当に答えは出て来ませんでした。私は約30年前に、福音を分かったのですが、この福音を分かってから、神様は本当に私に答えを与えられました。私たちが、人が嫌いだという言葉ではなく、人からでは答えを得られないのです。私たちが人を手助けして、愛して、その人のために祈るのであって、答えではありません。この話が何の話なのでしょうか。今日、皆さんが神様が与えられる力を得てください。なぜキリストを送られたのでしょうか。私たちに真の力を与えて、救われるために。なぜキリストが十字架に死んで、復活して、このメッセージを残されたのでしょうか。今日、皆さんが真の力を得るように願います。この祝福が、今日、皆さんに必ずあることをイエスの御名でお祈りします。人の力も重要ですが、神様が与えられる力を得る祝福の日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、神様の民がこの席に集まりました。普通の人が知らない、この奥義を知るようにしてくださったことを感謝いたします。世の中には、成功者が多くいます。犠牲を払った人も多いのです。彼らが霊的に困難にあっていることを私たちが知っています。今日、この席にある主の民に神様の力を与えて下さい。新しい人生が始まるようにして下さい。歩みごとに、神様の証拠を下さい。それで、残った生涯24時間、神様の答えを味わう重要な証人になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン