2006年6月18日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/未来に向けてうつわを準備しよう
(Uテモテ3:14〜17)

■今日、Uテモテを通して神様の祝福を受けなければなりません。未来は準備する者のものです。ユダヤ人が、単に世界を掌握したのではなく、多くの準備をしています。本を読んでみたら、ユダヤ人は、ほとんど手から本を放さないということです。無条件に文章をたくさん読めということではありません。重要な出会い、重要な現場をたくさん見ることができる方法なのです。普通、韓国の人々は本を読みません。特に、女性は読みません。そのために、皆さんは知らない間に、外側だけが残るようになるのです。普通、外国へ行ってみれば、ホテルの中にプールがあります。水泳をしているのを見ることができます。2つの特徴があるのです。西洋人と東洋の人々がいます。ほとんど東洋の人々がくれば、ふざけて遊んでいます。ほとんどの西洋人は、横になって、本を読んでいます。あんなふうだから、先んじるんだなあと感じました。日本の電車に乗ったら、日本人もほとんど本を見ています。私たちの韓国の人々は、ほとんど見ないのに、日本の人々はほとんど見ていました。どんな本を見るのか詳しく見たところ、ほとんどみながマンガ本を見ていました。それも本です。
■ユダヤ人を見れば、子どもたちが小さい時に、貯金通帳を作ってやります。それで貯蓄が何か教えるのです。経済が何か教えます。神様は、信者でも未信者でも、そのようにできる人に経済の祝福を与えられるのです。今日のメッセージを全世界のレムナントがみんな聞いています。海外のレストランに行ってみれば、レストランごとに韓国の子どもたちが集まる所は一杯になっています。夜10時、11時、12時、1時、2時まで騒いで食べて遊ぶ子どもたちは、ほとんど韓国の子たちです。ほとんど日本や西洋の子どもたちは、あまりいません。少し侮辱的な話になるかも知れないのですが、許して聞いて下さい。メキシコ人、黒人たちは、夜にずっと遊ぶのです。ほとんど本を読みません。人生をそのようにみな送ってしまうのです。それでは、未来がありません。留学生は、時間をとって未来を準備しなければなりません。ユダヤ人のお母さんたちは、子どもたちと一緒に勉強します。一緒に勉強して、分からないことを子どもに分からないと認めて、先生に尋ねろといって次に一緒に勉強するのです。だから、その人々は数字が2%しかならないのですが、世界を征服するのです。わざわざ、お母さんが計画的にお手伝いをさせます。ダビデもお手伝いして、成功したでしょう。そして、必ず偉人の話をしてやります。そして、祈って寝るのです。これだから、人材が出るしかありません。韓国の母親たちを見れば、人材が出るのが奇跡です。TVを毎日つけておいて、家に座っているので、子どもたちが情緒が良くありません。消してしまって、本も読んで、音楽もつけておけば、雰囲気が良いはずなのに、毎日12時になる時まで放送時間が終わる時までつけています。子どもたちを見て、勉強しろといって、自分はTVを見て座っているのです。どんなにしても、人材が出ることができません。出られるのか考えてみてください。勉強しろといって、自分は部屋に入って花札をして遊ぶのです。子どもたちが勉強できるでしょうか。そこで、人材が出るのが奇跡です。
■ユダヤ人は、そのような程度ではありません。子どもたちが行く所ごとに集まれるように会堂の準備をしました。この人たちが、世界を征服したのには理由があるのです。そして、その子どもたちを育てることができる組織を作りました。その組織がフリーメーソンです。必ず、ユダヤ人だけではなく、思いが同じ人々を集めました。米大統領がほとんどみなここの会員です。これよりはるかに跳び越えて、ユダヤ人であることを表に全く出さずに集まる組織があります。だから、私たちは未来を置いて準備をすべきなのに、しなければどのように勝てるでしょうか。私たちのレムナントは特に記憶しなければなりません。先進国との差がここで出てくるのです。私は、まだ米国には希望があると思っています。なぜなら、人材には必ず訪ねてきて育てるからです。米国へ行って学校で勉強できないことはあってはいけないのです。米国がどんな国でしょうか。1年過ぎれば、勉強ができる子どもたちに無条件に訪ねてくるのです。訪ねてきて、学校でも提供くれて、法でも提供して訪ねてきます。私たちの教会の子1人も、休みの時に私にきて相談しました。1年しか勉強をしていないが、すでに勉強が良くできると訪ねてきたのでした。すべての学費、生活費をみんな出すから、卒業して自分たちの団体に来てくれと言ったそうです。この子が、それなら親と相談すると言って、休みの時、私にきて相談したのでした。言うまでもなく、行きなさい、わざわざでも入ろうと努めるのに、あなたはすでに祝福を受けて就職ができたのではないのかと言いました。これが先進国です。強くならざるをえません。多くのことを投資して未来を準備するのです。だから、成功するしかないのです。どれくらい福音的でしょうか。福音とは、永遠なことを準備するのが福音ではないでしょうか。
■カン・ホイン牧師が、こういう告白をしました。自分の息子が米国に遅れて行ったので、英語ができなかったのです。だからついて行けなかったのです。言葉ができないから、みなついて行けません。学校が終わったら、先生三人がついてこの子が一緒に行けるようにさせてくれたそうです。驚いたと言いました。要請したのでもなく、お金を出したのでもありません。伝道も良いでしょうが、勉強はほどほどにしなければなりません。学校教育のレベルは、世界で遅れていながら、する言葉だけ言ってはいけないのです。私は韓国を見れば嘆かわしいと思います。教育のレベルが、世界で後進国で遅れています。そんなことを、はやく知って、クリスチャンだけでも先進国の中に行かなければならないのです。レベルは一番遅れていながら、要求する言葉ばかりしてしいたら、国がどうなるでしょうか。だから、人材をみな奪われるのです。人材は、大学に行かずに、すぐに外国に出て行ってしまいます。韓国の学校には行かなくなったら、どうなるのでしょうか。国がほろびるほどまでなっています。
■聖書でレムナント七人の特徴が何でしょうか。未来を準備しました。もちろん、福音を持っていました。しかし、レムナント七人は絶対揺れないことが何でしょうか。未来を準備したのです。レムナントや若い人々は、苦労することを苦労だと思ってはいけません。未来を準備していることです。皆さんが未来を準備するために、ある時は苦労もして、アルバイトもするのです。ヨセフは、少なくとも、エジプトを生かすほど準備された人でした。生きている間に、イスラエルに一度も戦争が起きないほど、霊的に準備された人がサムエルです。イスラエル民族をエジプトから引き出すほど準備された人が誰でしょうか。モーセです。国を危機から救い出すほど、準備された人がダビデです。困難の中でも耐えて未来を準備した人が、エリヤとエリシャです。いくら絶望の中でいても、未来を準備する人は生きます。それがイザヤです。いくら滅亡の中にあっても、未来を準備すれば生きるのです。これを一番上手にした人物がパウロです。それで、私たちはパウロについて研究をするのです。
■ずいぶん前の話です。大きい国アラブとイスラエルが戦争になりました。ところで、強大な数字を持った1億を越えるアラブが、小さいイスラエルに6日で降参したのです。それで、6日戦争と言う言葉もあります。どのように、大きい国がイスラエルに6日で降参をしたかということです。もちろん力の差です。小さくても力があって準備された国でした。それよりさらに重要なのは、その力がどこで出てきたかです。勉強する学校で、同じ学校で、留学生が戦争が起きたので、全部、荷物を包んでいました。米国の学校で、アラブ学生とイスラエル学生がいました。ある記者が面白い記事を残しました。同じように戦争が起きたのですが、学生たちが全部、荷物を包んでいたのです。イスラエルの学生が荷物を包んでいたので、なぜ包むのかと尋ねました。国が危機に陥ったのに、私が今ここで勉強することが重要なのか。はやく行って国を守って戦わなければならない。アラブの学生たちも荷物を包んでいたので、なぜ包むのかと尋ねました。少ししたら戦場に引っ張っていかれると思って逃げると言いました。このように違いが生じるのです。勝つか負けるかの大きい差です。
■私たちは何を準備しなければならないのでしょうか。未来を準備するのに、何を準備しなければならないのでしょうか。最高の指導者パウロが、最高のレムナントにした話を聞いてみる必要があります。聖書に今まであった人物の中で、事実は最高の指導者はパウロです。そこで、レムナント訓練を一番確かに受け取った人がテモテだと言えます。そのテモテに何を準備させたのでしょうか。多くのことがあるでしょうが、Uテモテに見れば、3つの準備が見られます。その最初がUテモテ2章です。私たちは何を準備しなければならないのでしょうか。私を準備しなければなりません。他のことも重要ですが、私を準備しなければならないのです。それがUテモテ2章です。何となっているでしょうか。わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。私を準備しなければならないのです。皆さんがどんな場合でも勝てる準備をしなければなりません。キリストの中にある恵みによって強くなりなさい。いくら多くのお金、お金として通っても、私を準備させなければ、それのために崩れるのです。それと共に何と言ったのでしょうか。あなたは兵士です。霊的な兵士です。その言葉は、何の話なのでしょうか。それを準備しなさいという言葉です。あなたは競技する者です。一時代を引っ張っていく競技する者です。あなたは人を生かす農夫です。準備しろという言葉です。私を生かせということです。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。とても重要なみことばです。聖書はこのようにおっしゃっています。ヨエル2:28に見ると、わたしの霊をすべての民に注ぐと言われています。そあなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。共通点が何でしょうか。使徒2:17も見れば、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言する。共通点が何でしょうか。クイズ大会をしているように思えるでしょうが、青年は幻を見、老人は夢を見る。ここの共通点が何でしょうか。未来のことを言っているのです。未来を分かるようにする。聖霊充満を受ければ未来が分かるのです。未来が分かるということは、未来を準備しなさいということです。皆さんが今いくら失望しているとしても、未来を準備すれば生かされて、今いくらよく生きている人も、未来を準備しなければ死ぬということです。その中で最も準備しなければならないことが何なのでしょうか。'私'です。ここに今、特におばさんたち、私を準備しなければ、すぐに老いておかしくなります。それで、たわごとが出てきて、そのようになるのです。他の人は皆さんを見て話はしないでしょうが、そのようになるのです。人は年をとるほど洗練されて、年をとるほど本を読まなければなりません。男性も同じです。人は、年を取るほど自分を準備しなければならないのです。人が老いたら、見てください。匂いまで出て、非難されるのです。そうするうちに、たわごとを言えば非難されます。自分自身が準備できないならば、子ども達も表面で素直に見せるだけで、実際には嫌っています。夫婦もどうするのでしょうか。分かると言うでしょうが、実際に嫌いなのです。教会でも、執事、牧師夫人、勧士、このように言っても、中では嫌っています。
■私が会う時ごとに感じます。金ジュンゴン博士に会ってみると、年を召しておられます。しかし、全く年よりではないと感じるのです。この方の考えは、とても若者のようです。そして、すでに今、年をとって、腰をよく使うことができません。それでも、未来について、心配して準備しておられます。私がその方に聞きました。食事をしながら、私に真剣にお願いされたのです。食事もあまり食べません。それと共に、未来の話をされたのです。宣教の中の宣教が、外国にいる子どもたちを、子どもとして教えることだと言われました。こんこんと一時間、話されました。食事もされませんでした。召し上がってくださいと言ったら、本来、たくさん食べないと言われました。もう一つ感じたのは、たくさん食べる人は、未来の話をしません。食べることが好きな人は、未来の話をしません。ただ食べることだけするのです。食べるのがハレルヤです。未来の話をしません。することができないのです。この間、韓国とトーゴがサッカーの試合をした時、私は、わざわざサッカーを見ようとレストランに行きました。入ったら、私のほか三組がいました。おもに男女のカップルが一緒に来ていました。共通点が何だったでしょうか。男は、サッカーを見てご飯を食べていません。また、共通点は女は一つも見ていませんでした。ずっと食べていたのです。それで、昔に女性が無視されたんだなあと思いました。ひどい場合は、昔には「たましいがあるのか」と言われたりもしていました。人があまりに時代に合わなければ、そう言われます。女を無視するのは大きい誤りですが、また無視されることをしてはいけないのです。私を生かさなければなりません。それで、テモテがどれくらい重要だったから、わが子よ、パウロという人は、良いからと言ってすぐに息子だと言ったり、すぐすねたりする人ではありません。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。そして霊的戦闘を準備しなさい。競技する準備をしなさい。人を生かす栽培する準備をしなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに必ず与えてくださいます。私たちは今、いくら良くない環境にいても、未来を準備すれば生きます。すでにキリストの中にいるからです。キリストなかで強くと言われました。
■聖書に読んでみたら、二番目で準備させたことがあります。世の中でできるように、技能と信仰を準備しなさい。これがUテモテ3章です。Uテモテ3章を見ると、終わりの時に起きることが出ています。一言で、何となっているのでしょうか。終わりの時には、苦しみの時がきます。それがUテモテ3章の聖書に現れた記録です。終わりの時は、苦しみの時が来ます。自分を愛して、お金を愛して、世の中だけ愛して、苦しみの中に陥るのです。こうしながら答えを与えました。それが今日、読んだ本文です。読んだ本文の中で、どんな答えが浮び上がったのでしょうか。このように、世の中で勝つ未来の準備をすれば、神様が唯一の答えをくださいます。16節を見ると、聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。17節を見れば、それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。私たちを十分に整えられた者にするみことばは、神様のみことばしかありません。この答えをくださいます。私たちが世の中でできるように、技能と信仰を準備しなければなりません。今から準備しなければならないのです。
■三番目は、何とおっしゃったのでしょうか。読まなかったのですが、Uテモテ4章です。4章を見ると、このようなみことばがあります。神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。それとともに、5節に、しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。世界福音化を準備しなさいという言葉です。これは、難しいことではなく、最もやさしいことなのです。遠くあることではなく、最も私たち近くにあるのです。私たちが献身するのではなく、最も祝福を受けるのです。真の神様の恵みです。他の神学生たちは、伝道しに行かなかったのですが、私が神学校に通う時は、伝道現場に行きました。それは、神様の恵みです。今まで祝福を受けたのですが、私だけ受けるのではなく、このメッセージを聞く人までみな受けるのです。どれくらい重要なのか、こういう話をされました。神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じますと言われました。これを分析して話せば、この話です。神様の前で厳しく命じる。それから1節に見れば、生きている人と死んだ人をさばかれるキリストの前で厳しく命じる。彼の現れをおいて厳しく命じる。彼の国をおいて厳しく命じる。どれくらい重要だったのでしょうか。時が良くても悪くても、みことばを伝えなさい。参考にすることも話しました。3〜4節で、人々はむだな話が好きで、話をしても聞かないだろう。聞きません。説教をいくら聞いても、自分の耳に合うことだけ聞くのですが、聞かないのです。しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。これが私たちが準備する貴重なメッセージです。それなら、この祝福は神様が準備しておかれたのです。私たちが、どうすればこの祝福を本当に受けるのでしょうか。だから、これより重要なことがないのですが、さらに重要なことがあります。
■うつわ準備です。今は、祝福を受けるうつわを準備しなければなりません。すでに神様の祝福を受ける私たちは、今、私を生かして世界福音化して、みな準備したのですが、うつわを準備しなければならないのです。よく聞くように願います。ひょっとして、皆さんが非難をたくさん受けて苦しいのでしょうか。何も言わずに、うつわを準備しましょう。ひょっとして誰かずっと皆さんを無視するのでしょうか。何も言わず、うつわを準備しましょう。ひょっとして会社から退出したのでしょうか。うつわを準備しましょう。方法があります。ひょっとして皆さんは貧しいのでしょうか。うつわを準備しましょう。それでこそ、神様がそこに注いでくださるのです。他の方法がありません。ひょっとして皆さんは、とてもいつも病気でしょうか。
心も健康、人生も健康、時間も健康、生活も健康、はやくうつわを準備しましょう。私たちは、もううつわだけ準備すれば良いのです。私たちの学生たちも、耐えてうつわを準備しましょう。初めての準備が何でしょうか。私のうつわを準備しましょう。私を生かしたら、うつわを準備しましょう。聖書の信仰の人々を見てください。それを準備するのです。私は聖書を静かに見ながら、モーセもすごいのですが、ヨシュア、カレブは本当に信仰がすごかったと思います。私はペテロを見ながら、神殿にある足のきかない者を見てナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい。奇跡が重要なのではなく、信仰が重要なのです。私はまだ足のきかない者に会って、その話をしてみたことがありません。出てきません。私たちの信徒1人が、車椅子に乗って、メッセージについてずっと通う人がいます。ペテロならば、正しく立て直したではないでしょうか。メッセージを聞こうと、ずっと付いて回ります。一度は、雨が大雨であふれるのに、その時もきました。それでも、勇気が出ないのです。その程度になれば、良くならなければならないでしょう。ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩けと言わなければならないではないでしょうか。その勇気が出ないのです。なぜかというと、ひょっとして起きない可能性があるために。それでも、一言、言ってあげました。神様が、いつかあなたを立て起こされるだろう。それは私の信仰です。本当にある日、歩いて来訪してきました。それを見ながら、神様の力がすごいと思いました。
■聖書に信仰を持った人々を見てください。私たちは考えのうつわを変えなければなりません。考えが子どものようならば、絶対に神様が重要なことをくださいません。成長した者にくださるのです。考えが子どものようなのに、どのように重要なことを与えるのでしょうか。皆さんが食べ物を作る時、刺身包丁を子どもに与えるのでしょうか。それは、大人たちが食べ物を作る時、必要な時用に保管するのであって、刃が鋭くなった刃物を小さい子どもに与えるでしょうか。小切手十万円を幼稚園の子どもが幼稚園に行くのに与えるでしょうか。霊的にも同じです。私たちが今、うつわが準備できない子どものようなのに、どのように祝福を一度に注がれるでしょうか。神様は良い神様だから、無理に吐くように与えられません。それは、悪霊がそのように利用して、食べ物を作って食べさせるのですが、神様は準備され次第くださるのです。それで、私が昨日、こういう話をしました。これから負けてもベスト16を目標にせずに、優勝を目標にして出て行きなさい。信仰があるべきで、毎日ベスト16に入るべきだでは、いつも落ちることを念頭に置いて行くことなのです。そうしなくて、優勝を考えて、どのチームを破るのか準備をしなさい。いつかは、なることではないでしょうか。うつわを大きく準備するのです。国家でも毎日おかしなチームを呼ばずに、昨年ワールドカップの優勝チームを呼んで試合してください。お金がちょっとかかっても、ヨーロッパで一番よくにするチームを呼んで試合をして破るべきはないでしょうか。
■韓国チームがトーゴと戦うのに、負けるはずがないと言いました。トーゴの選手の足が長くて、それで心配をする人がいたのですが、敗れる理由がないと言いました。韓国が1950年代のように、その国は壊れたTVを拾って持って行って町内に集まって見ています。そのレベルと私たちが戦いになるのでしょうか。さらに、重要なのは、ブードゥー(Voodoo)教という呪術師が付いてきたといっているではないでしょうか。それで、私たちの選手たちの名前をみな入れて、人形を作って押さえ込むと悪霊のように回すのです。私がトーゴチームはもう負けたと思いました。その名前の中にイエス信じる人がいるので、悪霊はみな逃げるのです。それで勝ったと言いました。敗れる理由がありません。また、フランスは何か特別なことがあるのでしょうか。フランスは足が三本なのでしょうか。その人々は目が前後にあるのでしょうか。戦えば良いので、人が心配することもありません。私たちが考えを、信仰を高めるべきで、考えが子どものようで、どのようにして証拠になるのでしょうか。教会もうつわが、システムが準備されただけ、神様が祝福されるのです。それで今、今回、祈りましょう。私たちが役員をたくさんたてる理由は、釜山全体をカバーするために計画を組むのです。私たちの釜山全体に指導者が立てば、釜山が生かされるのです。そして、私たちは未信者をたくさん生かさなければならないから、未来を生かす共同体のうつわを準備するのです。過去にイスラエルが準備することができなかった時、ずっと苦難を受けました。皆さんが分かるように、私たち韓国が昔に日本に多くの困難にあいました。もちろん、日本が悪いのです。しかし、もう少し悪いのは、私たち韓国です。準備しなかったためです。無力ならばそうなります。私たちが準備して、実力を持っていれば、そんな目には遭いません。最高に準備された伝道者パウロがテモテに未来を準備することを話しました。
■ '嚢中の錐'という言葉があります。ポケットの中にある針は、出て来るでしょう。出てくるしかありません。皆さんの中で、老人が老いて、何の未来を準備するのかという人がいるかもしれません。私たちが老いて、今日か明日かというのに、何の未来を準備するのかと言う人がいます。私もそのように考えました。教会が初めに開拓して集まるのに、おもに半分はおばあさんでした。私は不思議に、私の頭の中には、おばあさんらよりは、若い人が良いと思っていました。ところが、そうではなかったのです。私がある日、通り過ぎて教会に入ってみたのです。夜に教会を通り過ぎて、平日に入ってきてみたのです。びっくりしました。私たちの勧士のおばあさんたちが集まって、祈っていたのです。今日、何の日なのかと尋ねました。そうでなくて、眠ることもできないし、行く所もなくて、集まってずっと祈っているということでした。これは、寝られなくてするのではありません。神様がさせてすることです。そして、地下のにおいがする、そこで空気も通らないのに、そこで世界福音化してくれと祈っていたのですが、どの若い立派な指導者とどの国会議員が、そこでそのように祈れるでしょうか。その時、考えを変えました。老人たちが必要でないのではない。一番必要なのかも知れません。それで、その後に教役者と話して、おばあさんたちと遊びに行こうと言いました。それで、一度はボンゴに乗って遊びに行ったのですが、私はおばあさんたちだと思ったのですが、遊びに行く時、見たら、動作がはやかったのです。ひょっとして、若い人々は遅くても、おばあさんたちはひょっとして連れて行ってもらえないかと思って、はやくきていました。老人が必要ないのではありません。
■聖書のみことばに、こういうみことばがあります。ピリピ4:19に、こういうみことばがあります。私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。私は必要をすべてという単語を見て、そうだ、神様は私たちの野望を満たされるのではなく、必要なことを満たされるのだと分かりました。必要なことをしなければなりません。必要な働きをしましょう。必要なことを神様は満たされるのです。私はその話が正しいと思います。とてもその言葉に、私は恵みを受けました。それで、私たちのレムナントと多くの人々は、パウロが準備したことを準備しなければなりません。パウロは3つのことを準備しました。キリキヤ・タルソの市民権がありました。そちらで最高のことを学んだのです。その当時、アレクサンドリアとアテネ、タルソという地域が、大きい文学都市でした。そして、そのパウロはガマリエルという人の下で最高の勉強をしました。それで、パウロはキリキヤ・タルソの市民権を持った人です。二番目です。パウロはローマ市民権を持っていました。ローマ市民権というのは何の話なのでしょうか。世界を征服する実力をそろえていたのです。私たちも、そのような準備をしなければなりません。世界を生かす準備を、私たちのレムナントがしなければならないのです。簡単です。神様がそのようにしなさいと言われるためです。その当時、ローマ市民権を持った人は罪を犯しても、令状がなければ連れて行くことができません。ある時には、罪人なのに、私は別にいると言えば、そのようにしてくれました。それで、使徒の働きを見れば、パウロが2年間、別の部屋にいたのです。これが、その当時ローマ市民権を持っている者でした。ローマの中に住んでいる人も市民権者ではなかった人も多かったのですが、パウロは違う所にいたのにも、ローマ市民権を持っていたのです。そのことは、世界を生かす実力を準備しなさいということです。もう一つです。ピリピ3:20を見ると、パウロは天国市民権を持っていると言いました。皆さんが神様の国の奥義を味わう実力をそろえましょう。このようにして出て行けば、間違いありません。それなら、皆さんは勝利するようになっています。いくら困難を受けても、気をおとさずに、今から落ち着いて準備をしましょう。私たちのレムナントは、いくら苦しみがきても、苦しみだと考えずに未来を準備しましょう。
■労働と運動の差異点は何でしょうか。労働は私が苦労すると思います。運動は私が楽しむと思うのです。だからその差異点です。皆さんが苦労でも、苦労ではないと思えば良いのです。そうです。これは、未来を準備するのです。皆さんが生きていくすべてが、全く同じですが、準備する者のものです。いくら高齢な人も、弱い者も、今日、この祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。そうすれば良いのです。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、この祝福を受ける聖徒になるようにして下さい。テモテに準備しなさいと命令された準備が、私たちにあるようにさせて下さい。私たちのレムナントを未来を準備するレムナントになるようにさせて下さい。私たちの教会が、未来を準備する教会になるようにさせて下さい。先に私たち自らを生かす、そのような準備があるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン.



2部/何のための献身なのか?
(ローマ16:17〜27)

■レムナント訓練場の準備がよくなされています。もうその地域の全体の土地を私たちがみな買うようになりました。その地域の全体の土地の中で、ほとんどを買うようになったのです。神様がレムナントのために多くの準備をしておられます。その上に、修練場が一つあるのですが、その人々は私たちに売らないと言いました。そして、主人が私たちには貸さないで、おかしな商売人に貸して騒々しくしたりしました。私たちは、そのような間に、良い土地をみな買うようになったのです。今は、その上の土地を買わなくてもかまいません。その方達がきて、買ってくれと頼んだら、それで参考にしてみる理由はあります。私がこの話をなぜするのかというと、祝福を受けられない人は祝福を与えても受けられないのです。祝福を受ける方法を分からなければなりません。私たちの教会の下のアパート住民たちも、私たちと対話を良くしたら、祝福を受けるはずなのに、いたずらに垣根を作って、倒して、自分たちだけが損をしているのです。私たちは、そのような間に、この土地をほとんどみな買いました。
■私がいつも感じることですが、祝福を受けられない人は、受ける方法を知らないのです。私たちが愛しても、愛を受けるとは思わない人がいます。それは、どうしようもできません。私たちが神様の祝福を受けられる重要なことを見るべきです。タラッパンにきて、少しでも心配や問題、葛藤があるという人は、祝福を受けるとは思わない人でしょう。どこへ行こうが、成功できないでしょう。福音を悟ってだめことは、みなだめことではないでしょうか。今、20個の戦略が祝福でみな出ています。私を案内して手助けしてくれる必要はなく、道があるのです。そこに行けばよいのです。タラッパンで働きと答えが起きるのに、防ぐ人は誰もいません。皆さんの地域でずっとチームの働きが起きて、ずっと働きが起きれば、嫌いで防ぐ人は誰もいません。特に、外国から来られる方々は、見つめれば道があります。それを見られなければバカです。心配することも、戦うことも特別にすることもありません。それを見ることができる目がなければならないのです。私達で言うことですが、聖書のみことばを捕まえて、福音を運動して、だめな人は真のバカです。祈らなければなりません。悪魔があたえる暗やみにぎゅっと捕まれているからで、はやくはたいてしまわなければなりません。なぜなら、祝福も愛も受けることができなければならないことで、受けると思わなければ、することが分からないのです。
■私たちが献身をするのに、何のための献身なのでしょうか? さっき、なぜそのような例をあげたかというと、多くの人々が無駄骨を折っています。皆さんは無駄骨を折ってはいけないでしょう? ある本を見たら、一人のおじいさんが、毎日どこかに行っては一人で入っていきました。そして、出てくる時は、いつもにっこり微笑みながら出てきたのです。必ず誰がいるのかないのか調べて、入って出てくる時は、また笑いながら出てくるのです。それをある青年が見たのです。あのおじいさんは、なぜああするのか、変だと思ったのです。おじいさんがいない時に行ってみたら、ふたがある筒がありました。その筒の中には、ものすごく大きい金のかたまりがあったのです。そのおじいさんはそれをいつも触っては、気持ち良くて、笑って出てきたのです。それで、その青年が金は持っていって、似たように作られた石を持ってきておいたのです。それも知らずに、毎日、触って出てきたのですが、ある日、一度あけてみたのです。しかし、石に変わっていたのです。あまりにもたくさん触って石に変わったのかと思って、そこで気絶してしまったという話があります。話だけですが、そのような愚かな人が多いということです。
■何年か前に、新聞にも出ました。一人で熱心に仕事をして、買って食べることもせず、一生の間に、おかしな家に履き物も拾って履きながらお金を貯めたおばあさんの話です。釜山の国際市場にいました。それで、ものすごいお金を貯めたのです。数億円を集めたのでした。そのおばあさんには、自分のお手伝いをする養子の息子がいたのですが、その息子が'お母さん5百万円を借してくれ'と言うので、おばあさんは貸しました。しかし、この息子が借りて返さないのでした。このおばあさんがとても腹が立って、心臓マヒになって死んでしまいました。それで、一人で暮らすおばあさんなのに、この多くの財産をどのようにするのかについて新聞に載っていました。それで、仕方なく、前に法的に登録された養子に、みなその財産が相続されました。それを見ながら、信仰生活もそのようにする人が多いと考えました。無駄骨を折ってはなりません。
■旧約で、ユダヤ人たちは、この福音を民族宗教だと思っていました。世界を生かすことであって、民族宗教ではありません。そして、パリサイ人は、熱心に信じました。神様を熱心に信じたのではなく、この人たちは、律法、伝統を熱心に捕まえたのです。おわかりの通り、中世教会がどれくらいがんばったのでしょうか。その人々は、神様を熱心に信じたのではなく、自分の団体を維持するのにがんばったのです。みな無駄骨です。問題は、今日の教会も問題です。やや下手すると、私たちは熱心に信じたのに、知ってみたら無駄骨です。それだけではだめです。それで、私たちは何のための献身なのでしょうか? これがとても重要です。それで、今日の教会が、しきりにだめだから、他のことを継続するのです。救われた人は自然に伝道がなるはずなのに、伝道プログラムを作ってがんばるのです。特別なことをします。救われた人は、伝道がなることではないでしょうか。ここに、今、おばさんたちがいるでしょう? 嫁入りすれば、子どもが産まれることではないでしょうか? 塾に通ったのでしょうか? 留学に行ってきたのでしょうか? そのまま産んだのではないでしょうか? それが伝道です。本当に私が救いの祝福を持っていれば、自然にどんどん伝えるようになるのではないでしょうか。それを知らずに、プログラムを作って特別なことをするのです。ある日、無駄骨になります。
■それで、自分のこともだめなのに、奉仕すると大騒ぎをします。悪いのではありません。奉仕するなという話ではありません。そのまますれば良いことで、トゥレスディアスのようなものを作って大騒ぎをします。初めには良いと見られるのですが、みな無駄骨になります。奉仕でも熱心が違うということではありません。本当に私たちがのがしてしまえば、しばしば無駄骨を折るようになるのです。皆さんの生涯に無駄骨を折らないことを希望します。ですから、この頃はまた変なことが多く出てきました。米国に行って放送を見たら、何かの集会しながら人をなぎ倒す、そんなことを見せていました。本当に大変なように見えます。そのままイエスを信じて福音を受ければ良いので、しばしば人を倒すのです。それは、それほど難しいことではありません。私がアキコをおよそ5分にらんで、倒せば倒れます。倒れて、何をするのでしょうか? それでなくても、精神がおかしい人なのに。それでなくても、福音がなくてさまよっているのに、倒せばおかしくならないでしょうか。私が残念で言う話です。
■このごろは、また目刺すこともあります。そうでなくても、精神がおかしい人の目を刺して、どうするのでしょうか? 初期の時、私たちの信徒であったのに、ある女学生が目に包帯を巻いて座っていました。どうしたのと尋ねたところ、ある所に行って突かれたということでした。目を刺して祈るのに、刺す人が爪が少し長かったのか、ずばりひとみを刺したのでした。そのようなとは、告訴すればものすごく大きなことでしょう。この学生が包帯を巻いて座っていたのです。そうしたところ、また見えなくなりました。真に人は仕方がないのです。信仰生活も真っすぐすべきで、あまり無駄骨を折ってはいけないのです。本当に、神様の契約を捕まえていれば、自然に神様がくださる答えを受けるようになります。無駄骨を継続すれば、がんばるほど損です。それなら、私たちは自然になることなのに、何のために献身すべきなのでしょうか?
■最初です。福音のための献身をしなければなりません。私たちは他のための献身ではありません。単なる福音ではありません。完全福音です。私たちが完全だという言葉ではなくて、福音が完全なのです。ここに対して献身をするのです。全世界にいるメンバーと皆さんは、無駄骨を折らずに、この苦労をするように願います。一つ尋ねてみます。神様がくださった福音が足りないのか、完全なものでしょうか。足りないのでしょうか? 足りないことではないでしょうか。だから、毎日、心配するのではないのでしょうか。率直に話して、少し足りません。このように話さなければならないでしょう。これが問題です。皆さんが、心よりこの福音が完全だと感じられなければならないのに、少し足りないと思っているのです。ここで問題が始まるのです。私たちはこれに献身をするのです。パウロが何と言ったのでしょうか。私たちを十分に整えられた者とするのが神様のみことばと言いました。高さ、広さ、深さを測ることができないと言いました。そのとおりです。皆さんがここに率直にそうだということができないから、だめなのです。他のものは全部、過ぎ去るのです。お金も問題ではありません。お金は回って回るのです。回ってよく回ればこちら側に来れば良いのです。しかし、人生はそのように回るのではありません。一回行くならば終わりです。来ません。老いたとすれば、いくら手術しても若くなりません。
■私に手術をしなさいという人が多いのですが、まず時間がありません。心配する人が多くて、目の下に何かが多くて、切りなさいと言われました。一度は、私たちの尹サンヨン長老の目が変で、おじいさんが本当に変だね、なぜ二重にしたのだろうか? と思ったのですが、そうではなかったのです。ある日、寝て起きてみたら、目が刺されるのです。尋ねたら、まぶたが降りてきて、まつげが目を刺すからだということでした。それで、手術をしなさいと言われたのです。まず時間がありません。少なくとも2週間はかかるのに、皆さんは大丈夫ですが、私が2週間、目がおかしかったら、変ではないでしょうか。ほくろも取らなければなりません。とても多いのです。私たちの孫娘が、ちょっと大きくなってきて、私に"おじいさんのほくろは多いね。"と言いました。一番初めて私に言った言葉です。韓国語を今、習い始めています。珍しく思ったのか、変だと言いました。"叔母さんが、おじいさんにパパと言うよ?" それで、上の孫が言う言葉が"それも知らないのか、私は知っている"このように少しずつ習うのです。いくらそれでも若くなりません。もちろん、私たちがよく整えて、きれいにすれば良いでしょうが、それでもだめです。
■私たちの人生は、一回行くならば来ないから、この完全福音を捕まえなければなりません。皆さんが内心、質問してみてください。また返事もしてみてください。全世界の牧師と聖徒が、簡単に診断することができます。本当に福音は完全です。このようになってこそ、2つのことが出てきます。それでこそ、ここに対する感謝とアーメンが出てきて、それでこそ伝道することができるのです。完全でないことを、どのように伝道するのでしょうか。ここに対する献身です。これなる時、この時にくるのが契約的祝福です。この時、くるのが祝福の根源になることです。私たちが年初に捕まえた契約です。皆さんが福音のための献身を正しくして、福音が完全だと分かる時、皆さんが答えを受けなければならないのではないでしょうか。それを代表的祝福と言います。他の人はあるのですが、一つがないのです。それを皆さんは持っているから、時代的な答えです。私が今回、終講セミナーの時、話したでしょう。他の人が違って足りないという言葉ではなく、他の人は福音を持っていません。それで、皆さんが持っているから、時代的な答えを受けるということです。この献身です。献金もこの献金です。正しく知ってしなければなりません。
■私に長官をさせればできるでしょうか?できないでしょうか? させてくれることもないでしょうが、例をあげていうことです。尋ねたら、全部できると言いました。できないことが何であるのでしょうか。話を聞かない人は家に送って、勇気のある果敢な人は選んで引き上げてやって、そうすれば良いのではないでしょうか。そうでなければみな家に送り返して、新しい人物を押し上げれば良いのです。しかし、教会はそれではありません。信徒が言うことを聞かないと、みな切って送ることができません。それで、牧会は難しいのです。学校の先生が何で難しいのでしょうか。一つの科目を覚えて3年だけすれば良いのです。いくらおかしな奴がいても、3年だけ待てばみな出て行きます。大学教授が何で難しいのでしょうか。専攻科目4年だけすれば出て行くのに、少しずつ研究すれば良いのです。牧会はそうではありません。皆さんが卒業するのでしょうか、どこかへ行くのでしょうか、ついてきて、毎日見ます。さらにタラッパンメンバーは、すべてが付いて回りながら聞きます。子どもが一人、産まれるとします。子どもが産まれたら、礼拝をささげるでしょう、一才だと礼拝をささげるでしょう、誕生日だと何度するのでしょうか? 人1人死んだらどうなるでしょう。死ぬ前に行って死んだと行って、入棺するといって行きます。牧会ぐらい難しいことはありません。牧会を上手にする牧師は、長官をさせておけば十分にします。しかし、その長官にインマヌエル教会でメッセージをしなさいと言えば、一度はできるでしょう。核心を回りながらしなさいと言えば、みないなくなるでしょう。だから、誰もがするのではありません。
■皆さんが持っている祝福が、誰もが持っている祝福ではないのです。それで、皆さんのために、子孫が知るようになって記念になるのです。これは誰も防げません。だれが防ぐのでしょうか?この祝福を知ってこそ、信仰生活の味がよいのです。この祝福を知った牧師、宣教師は違います。これを味わった役員は違います。特に、この味を知った牧師夫人は違います。反対に、この味を知らなければ、復興しても、だめでも問題です。なくても問題で、あっても問題で、醜くても、優秀でも問題になるのです。ずっと問題がくるのです。一言で、聖書に伝道者はこれを発見したのです。ここに対する献身です。この祝福を今から受けるように願います。皆さんが"私はあんな祝福を受けられなかったんだなあ。"と率直になることだけでも、答えを受けます。"神様、私は完全な福音の祝福を本当に受けられませんでした。"認めるだけでも働きが起きます。私たちは献身礼拝をささげています。何の献身なのでしょうか? 福音をもっているから、私たちは伝道のための献身です。この伝道は何の伝道かというと、完全福音だから、この福音に根をおろすことだけすれば、誰でも生きるのです。よく聞いてください。
■ここで3つの奇跡が起こります。出エジプトの奇跡、これがだめでほろびました。根をおろす時、出バビロンの奇跡。皆さんがこの契約を捕まえる時、いよいよ植民地になったローマを征服する出ローマの奇跡。これのための献身です。この前の終講セミナーメッセージと連結するのです。のがさないように願います。モーセがツエ一本をもってエジプトを負かして、行く時には紅海も分かれてみわざが起きました。'昔の事を思い出すな。わたしが新しい事を行う。' 'パウロ、恐れてはならない。カイザルの前に立たなければならない。'この祝福です。皆さんがこの祝福のための献身をしているので、どれくらい感謝しているでしょうか。感謝があまり出て来ませんか。私は本当に感謝します。私は他のもので、皆さんが苦しむのを見れば、本当に哀れです。本当です。どれくらい感謝なことでしょうか。皆さんをこの働きのために呼ばれました。インマヌエルの家族は、どんな献身でしょうか? 本当に、この祝福を回復した完全福音の献身です。皆さんは何のために献身して、献金するのでしょうか? 真の出エジプト、出バビロン、出ローマのための伝道です。
■三番目です。皆さんが何の献身をしているのでしょうか。真の宣教のための献身です。真の宣教は、宣教師を送りだすのもそうですが、RUTCです。聖書を詳しく見ましょう。これが真の宣教です。これから私たちの宣教大会を残しているのですが、これがだめになれば本当に困難な問題がきます。宣教師が一人で良くすれば、良くするまま、勝手にしてみな崩れたりします。放送に出てきたのを見たでしょうか? そうなります。それが、このようにならないからなのです。それで、これがどれくらい重要かわかりません。この3つのことのための宣教です。契約的祝福を回復する宣教。皆さんがする献身は本当に出エジプト、出バビロン、出ローマに起きた奇跡を回復する奇跡。皆さんが今する献身はRUTCを回復する献身です。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフはRUTCができませんでした。モーセはしました。そうではないでしょうか? 申6章、ヨシュアとカレブのような人物を作り出したのです。どのようにしたのでしょうか? この祝福を皆さんが必ず受けるようになります。私は確信しています。モーセが行く道にツエしかないのに奇跡が起こりました。皆さんが信じられる時まで、神様は待たれるでしょう。この3つの目が開く時まで待たれるでしょう。インマヌエルの家族が、この3つの目が開けば、驚くべき働きが起きるでしょう。
■福音とは何でしょうか? これを回復するのです。伝道とは何でしょうか? この働きを見ることです。宣教とは何でしょうか? RUTCの祝福を見ることです。ダビデも悟ることができませんでした。だれが悟ったのでしょうか? サムエルです。サムエルがRUTC運動をしました。どれくらい貴重だったのか、一言も落ちることがありませんでした。サムエルが生きている間には、戦争が起きなかったのです。これは、ダビデ王も悟れず、RUTCも作れませんでした。レムナント訓練センターを作ってこそ、世界が生かされて、真の宣教になるのに、それをできなかったのです。エリヤ、エリシャが悟りました。神様が彼らに火の馬と火の戦車を動員させられました。今、衛星で礼拝をささげる教会、私たちのインマヌエルの家族、全世界でインターネットで礼拝をささげるすべての人々が、この契約を正しくつかまえるように願います。間違いありません。皆さんがこの契約を捕まえれば、根源的な祝福が出てくるから、付いてくるようになっています。そして、奇跡が起こりました。RUTCが起きたのを見てください。一時代が変わりました。滅ぼされたのですが、イザヤが悟ったのです。レムナントという単語をイザヤが悟りました。何と話したのでしょうか? '昔のことを今は記憶するな。新しい事を行う。海の中で道をつけ、砂漠に水が出るようにする。'ペテロは悟れませんでした。これを悟った人がパウロです。パウロ、恐れてはなりません。パウロが会堂に入った理由が何でしょうか? RUTCを悟ったのです。これのための献身です。今日、よく悟らなければなりません。
■完全福音とは何でしょうか? これを見ることです。福音に根をおろす伝道とは何でしょうか? 解放されることを言います。宣教とは何でしょうか? 真のRUTCを言うのです。これから宣教地をみな変えなければなりません。このようにしなければ、宣教ができません。それで、これから少しずつ話すでしょうが、今までなった宣教は、無条件でたらめです。これにならなくてはいけません。それで、今回の宣教大会の時、果敢に話そうとしています。RUTCが回復できない宣教は、宣教ではありません。それでずっと問題がくるのです。皆さんは、ここに対する献身を始めなければなりません。神様が与えられる大きい祝福を受けるように主の名前でお祈りします。ローマで16:17〜27を見てください。これがどれくらい重要なのか、参考にしなければならない部分です。聖書をよく見てください。16:17に'兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。'
■皆さんを、この祝福を知らないようにサタンがだますのに、どこに陥るようにさせるのでしょうか? 紛争です。私は他のことは怒りが出ないのですが、このようなことにはとても腹が立つのです。譲歩できないことも、理解できないこともありません。赦すことができないこともありません。この紛争がサタンの戦略です。このようにして、聖書に確かにないのでしょうか? このようにして、この重要なことをできないように18節に'そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。'自分の欲とは何でしょうか? 簡単に話せば、自分の肉体だけ仕えるのです。だから知恵を得なければなりません。19節に'私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。'サタンに勝つこと。善にはさとく、不道徳なところはうとくなければなりません。ある人は本当に不思議です。善良なところはおろかなのに、不道徳なところはどれくらいさといかわかりません。はやく悟らなければなりません。人を慰めるのにはおろかなのに、人を批判するのに、どれくらい優れているのかわかりません。自分の誤りは全く思い出せなくて、他人の誤りはどれくらい記憶が良いかわかりません。ある人は自分の誤りはものすごいのに、みな忘れてしまい、他人の誤りはみな記録しておいて覚えながら話すのです。サタンの戦略です。
■ 20節に何と言われているでしょうか? '平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。'ローマ16:25〜27を見ましょう。この福音は、世々にわたって長い間、準備されたのです。そして、誰もができるのではありません。隠されたことです。今は皆さんに啓示されたことです。だれが防げるでしょうか。これを一度見てください。インマヌエルの家族が、この祝福を必ず受けるように願います。皆さんは、今はこの祝福を宣教に行かなくても、そのまま受けられる方法があります。2つがあります。のがしてはなりません。祈りの中で味わいましょう。ただそれだけです。問題がきたら、その問題を置いて集中的に祈りましょう。なる時までしましょう。祈りでだめなことはありません。
■私もいままで、そのような人がいました。問題がくれば、ずっとその人を置いて祈りました。いつまでするのでしょうか? 考えが出なくなる時までします。しばらくしていれば、考えが出なくなります。不思議に必ず答えがくるのです。これから悪いことはしないことにしました。あまりにもだめな方々がいたので、神様になくしてくれと祈ったら、本当になくなってしまいました。3人がなくなったのですが、これはしてはならないように思いました。祈れば良いのです。皆さんが複雑にせずに、継続祈りをしましょう。世界福音化を置いてずっと祈れば、ここで答えがみな来ました。これ置いて専心で、本当に心を持ってします。そして、心を一つに、色々な気持ちを持たずにしましょう。他のことは神様がみなされます。これだけ継続して祈れば、健康も神様が世話されます。持続的にしましょう。私には力がないと思う人であるほど、これだけしてみましょう。一つだけずっと捕まえて祈れば、働きが起きます。
■私の親戚ですが、その人はガンになりました。ちょっと無知な人です。神様が直されると言うのでした。大変なことになるかと思いました。しかし、本当にみわざが起きたのです。それで、まだ死んでいません。数年も過ぎたというのに。それで、信仰の力とは、ものすごいということをもう一度悟りました。私たちは信仰がないのではないでしょうか。学び、小耳に挟んだこと、みな合わせて信仰が生まれません。しかし、この方はあまりにもに無知で、小耳に挟むことも、疑うこともありません。そのまま、そのまま信じるのです。皆さんが一つだけ置いて今からずっと祈れば、どんな問題も解決されます。これらすべてのことを祈りでみなできるのです。そうすれば良いのです。私は皆さんに会う前に、伝道だけ置いてずっと祈りました。それで、他のことはしなかったのでしょうか? 他のことは静かに置いてもかまわないのです。皆さんに会った後には、世界福音化を置いてずっと祈りました。そのままそれだけ継続したのです。それで、他のことはだめでしょうか?
■例をあげるなら、韓国の囲碁の棋士である李チャンホ氏は、いつも囲碁だけ考えているということです。それで、その人は家がないでしょうか? あります。ご飯を食べないのでしょうか? その話ではありません。皆さんが契約を捕まえて一つだけ正しく祈れば、ならない事はありません。あなたはわたしを呼べ。呼びなさいという言葉が何の話なのでしょうか? そのまま祈りなさいと言えば良いのに、なぜ呼べと言われたのでしょうか? その言葉は、他のことをせずに本格的に祈りなさいという言葉です。'あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。'皆さんが宣教に行かなくて参加する方法があります。よく見てください。経済を生かす経済宣教があります。それが十分の一です。気分が悪いのでしょうか? 気分が悪いならば、しないでください。十分の一を絶対しなくても済む人がいます。一生の間、収入がない人です。しなければ良いのです。収入がないのに、どのようにするのでしょうか? ないのにすれば、それは非聖書的です。私は反対に祈っています。'神様、私たちの家系が永遠にこの祝福で経済宣教するようにさせて下さい。'単語をよく見てください。文化宣教。私たちが文化を分からないのに、文化宣教をするとは何でしょうか? それが建築です。ここに何を残して行くかにしたがって、この町の文化を変えるのです。これをしろということでなく、祈りなさいということです。どれくらい驚くべきことでしょうか?
■この四つは、本格的に祈らなければなりません。世界宣教の奥義は何でしょうか? それが皆さんがささげる海外献金です。行かなくてもかまいません。皆さんが少しずつささげる献金が、全世界にみわざが起きます。私たち生かさなければならない未来宣教が何でしょうか? それがRUTCです。私たちは未来に行ってみなくても、未来を宣教する方法がRUTCです。私はこの祈りをいつもしています。少し欲なのかは分からないのですが、私たちの教会と私たちの家系に祈っています。神様、私の子孫が育って、十分の一を出して、教会が生かされるようにして下さい。私の子孫が育って、ご飯も食べられないで歩き回ったらどうでしょうか? そんなことはなくして下さい。私の子孫が、この地域ごとに文化を変える程、祝福を受けるようにさせて下さい。私たちのインマヌエル家族と私たちの子孫が、これから世界を生かす程、神様が経済を祝福して下さい。未来を生かすRUTC運動をしなければなりません。そこに皆さんが心と誠意と祈りとささげ物をささげるのです。それだけしたら、この答えが起きるということです。遠くへ行くこともありません。この2つのことだけしたのに、この答えがくるのです。
■この福音を知って、伝道と宣教が分かった後に祈りながら少し誠意をささげたら、根源的、代表的、記念的、時代的、不可抗力的な答えが起きました。これから、この契約を捕まえたところ、この3つが変化する働きが起きました。この契約を捕まえたところ、RUTCの奇跡が起こりました。私が昨日も話しました。タラッパンには少し心臓が弱い人はいてはいけないでしょう。なぜなら、これからずっと衝撃的なことが行われるためです。信仰が弱くて、心臓が弱い人は、あらかじめタラッパンを離れた方が良いでしょう。冗談ではありません。継続的な働きが起きるでしょう。牧師先生、状態を知らないからそうであって、私は何もありません。神様がそれをご存知でしょうか? ご存知でないでしょうか。皆さんが今、皆さんよりこの上ない奴隷が世界を変えたのです。
■今日、その考えを変えて行かなければなりません。私は今、年もとっていて、状態も難しいと思うのか、神様がさらによくご存知です。力もなくて、することは分からないのです。神様が業務を見て失敗して皆さんを呼ばれたということなのでしょうか? 神様があまりにも頭がよく回ったので、アキコを呼ばれたのでしょうか。神様が業務を見て失敗して、柳光洙牧師を立てられたのでしょうか。そのようなことはありません。皆さん、それを今日、神様の前に出して行かなければなりません。高齢なカレブを見てください。私がたとえ年齢が85才であっても、その時と同じです。ひょっとして、神様が私と共にされれば、これは自分自身を分かる謙そんです。ひょっとして。しかし、結局、この山を占領するようになります。それは、神様を分かる言葉です。皆さん一番大きい罪が何か分かるでしょうか? 高慢と気落ち。これは同じようなものです。高慢は、自分の心のとおりで、気落ちはあきらめたのです。これは同じ罪です。私たちは高慢になることも、気をおとすこともありません。
■今夜に、神様がどんなことをされるか誰も知りません。明らかなのは、皆さんがする献身は、この献身の中でこういう答えを受けるようになります。一生にこの答えが起きるようになるのですが、今日、全世界にこのメッセージを受ける方々に、聖書の祝福がこのまま起きるようになるように願います。聖書66巻の要約です。それなら契約でつかみましょう。それで、今から答えは始まるようになっています。今、ここに座っておられるのに、神様は主の天使を皆さんの事業に、職場に送られるでしょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。私たちに驚くべき契約を与えられた神様に感謝します。不信仰を捨てるようにさせて下さい。私の弱さも捨てるようにさせて下さい。神様の前に正常な感謝を回復する、癒される時間になるようにして下さい。それで、契約的祝福を福音のなかで回復するようにさせて下さい。3つの解放を伝道のなかで回復するようにさせて下さい。RUTCの奇跡を宣教の中で成し遂げるように与えて下さい。このことに、私たちの誠意をささげます。今夜に天の門が開かれるようにして下さい。一般信徒宣教が何か分かる祝福の時刻表になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン