2006年7月2日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ

<麦収感謝主日>
1部/ミツパ運動の主役教会
(Iサムエル7:3-17)

■忠州に行けば湖巌貯水池というところがあります。川のそばにホテルが一つあります。12月のクリスマスが近くなった時でした。散歩を終えて寝ようとして行くのに、ホテルの下で人々が道端に立っていたのです。しかし、ちょっとおかしな立て札を持って立っていました。見たら、12月25日はクリスマスではないという字が書いてありました。12月25日はローマの太陽神を崇める日だ。それで、私たちはクリスマスを12月25日にしてはいけない。そのような立て札を持って過ぎ行く人に紙を渡していました。私が長い話はできなかったのですが、「250年の間、ローマはキリスト教をなくそうとした。ところが、本当に不思議なことだ。クリスチャンをつかまえて殺すのに、どんどん増える。後には、ほとんどがキリスト教化された。コンスタンティヌスという皇帝が、福音に事実上、接するようになった。その時が313年だ。今から1700年を越えている。その時、ローマで国教として宣言した。そして、日曜日には全国民が礼拝をささげるように命令をした。12月25日は太陽神を崇めずに、私たちがキリストで神様を崇めようと変えた。」それで、私がそれが誤っているのかと尋ねたのです。だから、この人たちは、日だけについて話していたのです。昔、私たちが信仰生活よくできない時、聖日には、お金も使わないでぶるぶる震えていました。私が尋ねました。「長老、来る時に車に乗って来なかったのか。車に乗って来たのも、お金を使ったのだが、それはどうするのか。それでは、車に乗らず、歩いてくれば靴がすり減るが、それもお金を使ったことだが、それはどうするのか。」
■私たちの韓国教会が、完全福音を知らずに律法的に生きてきたのです。ある面では、聖日という言葉がちょっと語弊がある言葉です。今日は日曜日です。ところで、私たちは聖日だと書いています。良い意味で使ったでしょう。聖日礼拝ささげるから、聖日このようにしたのです。私は、そのように考えません。それでは、月曜日は何の日なのでしょうか。火曜日は何の日なのでしょうか。私はそのように考えません。月曜日も主の日、聖日です。火曜日も主の日、水曜日、日曜日も主の日です。そうしてこそ、成功することができるのです。まるで、六日間は世の中で生きて、聖日にやっと解放されてきたような形の信仰生活をしているのです。過越の祭り、麦収穫祭、刈り入れ祭は、とても重要な意味を持っている主の祭りです。私が前にたとえを言ったように、ユダヤ人がうわべだけ握っていたのです。この祭りを最もよく受け継いで、意味あるように成功した人がサムエルです。サムエルは、幼い時から契約の箱のそばで寝ました。そして、ダビデに会った時、契約の箱の話をしました。その契約の箱は、イスラエル民族がエジプトから出る時に持って出てきたのです。これが信仰生活を良くすることなのです。日を守って祭りをすることも重要ですが、信仰生活を良くするということは、その意味をよく分からなければならないのです。これで、サムエルがミツパ大会を開いて全国民を生かすことが行われたのです。それなら、私と皆さんも、当然、この答えを受けなければならないということです。今日、このメッセージを聞く教会が、みな皆さんの地域を生かす主役教会にならなければなりません。特に、私たちのインマヌエル教会は、世界教会を生かす主役教会としての役割をしなければなりません。また、ある面で言えば、皆さん1人が行く所では、その地域を生かす主役です。それだけ、クリスチャンが受けた祝福が重要です。
■それなら、私たちはどのようにしてこういう答えを受けられるのでしょうか。すでに皆さんは福音を受けました。救いをさらに受ける必要はありません。皆さんが救いを受けたので、また受ける理由がないのです。どのようにすべきでしょうか。私たちは、どのようにしてという以前に、いくつか必ず考えなければならないことがあります。忘れてはならないことは、忘れてはなりません。忘れてしまわなければならないことは、忘れてしまわなければならないのです。それがとても重要です。これが祭りの意味です。祭りを守りなさいと言われた話は、忘れてしまうなということです。聖餐式をするのは、忘れてしまうなということです。私たちが終戦記念日の式をするのは忘れてしまうなということです。ところで問題は、私たちが忘れてしまってはいけないことを忘れてしまい、忘れなければならないことを、忘れないで持っていることです。これは普通の問題ではありません。皆さんが幼い時、傷ついたことは忘れてしまい、終わらせなければならないのに、忘れないで持っています。皆さんの過去は恵みをたくさん受けて終わらせてしまわなければなりません。そうでなければ、過去が問題になります。それで、以前の事を記憶するなといわれるのです。その言葉は、そのことをどのように忘れてしまうのでしょうか。傷の中にいてはならないということです。ある人は、証しをすれば、昔を話せば、泣くのですが、忘れないでいるからです。単に私がそうだったのか、私が昔にそんなに生きていたんだな、このようにならなければなりません。昔に私が良かったが、昔に私がうまく行ったことをまだ忘れないでいるからです。考えてみてください。昔に私がそのように生きていたのか。このようになられなければなりません。昔のことを思い出して、涙や鼻水を流すのは、まだその中にいるのです。私がなぜそのように昔にギャンブルをしていたのか。このようでなければならないでしょう。それでこそ、終わったのです。昔に良かったんですということは、まだ忘れていないからです。まだ、事実はギャンブラーです。まだギャンブルの霊がついているのです。私がなぜあちらでギャンブルをしたのか、このようでなければなりません。私が昔になぜそのように酒を飲んで、アルコール中毒者になって、さ迷って通ったのか、このようでなければならないではないでしょうか。だから、信仰生活を良くするということは、忘れてしまうことは忘れてしまい、忘れないことは忘れないでいるということです。神様の恵みは忘れないでいなければならないのに、これはみな忘れてしまい、記憶してはいけないことを記憶しているのです。ある人は、他人の弱点をみな記憶しています。それから、神様の恵みを受けたことはみな忘れてしまうのです。そうなってはいけません。私たちは、未信者と同じ考えと心配をしてはならないのです。私たちは、契約をはやく回復しなければなりません。間違った問題を持っていれば、間違った答えしか出てきません。私たちが最もくやしい罪が何でしょうか。神様の祝福を知らないことです。その話が、今、イスラエルが困難にあう話です。
■成功をよくして、お金をたくさんもうけた親が、このことができるように、子どもに与えようとするのに、もらえる子どもがいない。それでは、それがどれくらい残念なことでしょうか。しかたなく、他人に与えなければなりません。なぜか、うつわがだめになっているからです。だから、問題がくるしかありません。ところで、それが最も親不孝です。先祖がした、親がした事をよく受け継いで、良くできるようにするのが孝行息子であって、それができないのが一番の親不孝です。神様の子どもも同じです。神様は、皆さんのために完ぺきな準備をしておかれたのですが、私たちが受けられなければ、それほどくやしいことはありません。まちがいなく、神様はマルコのタラッパン教会を通してしようとされたのですが、知らないから、アンテオケ教会を通してされたのです。皆さんが、この祝福を必ず回復しなければなりません。ミツパ運動を起こすので、神様の人サムエルは契約を良く味わったのです。それでは、私たちがどのようにすれば、主役教会になることができるのでしょうか。どのように、この祝福を正しく受けることができるのでしょうか。ハンナとサムエルを見ながら、今日、私と皆さんはいくつかのことを捕まえて信仰生活を新しく始めなければなりません。
■最初です。ハンナとサムエルが、最も早く正しい祈りの課題をつかみました。ハンナがそれ以前には、違った祈りを継続していたのです。重要なのは、すべての祈りは答えられるようになっているということです。アーメンでなく、怖い言葉です。それで、祈りの課題を正しくしなければならないのです。皆さんが思っていることが、全部、答えとして現れます。ある日、現れるのです。私がいつも否定的に生きていたら、そのように否定的に見れば、益も多いのです。ところで、ある日、見れば私が不正に関わっているのです。私が雲をつかむように生きてきたら、他人を見れば、雲をつかむように生きるということが素晴らしいこともあります。しかし、ある日、私が荒廃の中に陥るのです。皆さんの考え、祈りは、必ず答えられるから、気をおとす必要もなくて、祈りの課題を正しくするのが最も重要です。祈りは一つも地に落ちないで、そのままみな答えられるのです。祈りの課題を正しくしたということは、問題を正しく見たということです。昔にハンナが祈っていました。なぜ私は息子がないか。またいたら、何をするのか。なぜ、他の人はいるのに、私はいないのか。ペニンナはいるのに、なぜ私はいないのか。いくら号泣しても答えがありません。毎年、行って全焼のいけにえをささげて、神殿に献金もささげて、みなしたのにだめなのです。もし、そのようにして答えを受けてしても、正しい答えでもありません。ある日、ハンナが正しい祈りの課題を悟ったのです。ナジル人。本当に男は多いが指導者がいない。本当に男は多いが、福音を持った人がいない。本当に人は多いが、福音を持ったリーダーがいない。これをハンナが悟ったのです。そうだ。神様が私に息子をくだされば、私がナジル人を育てる。私が欲があって、私が育てるということではなく、神殿にささげてナジル人として、指導者にする。その時、エリが神様のみことばを受けて祝福しました。それで産まれた息子が、サムエルです。このサムエルは、幼いころから契約の箱のそばで寝ました。ここで多くの意味がある中で、最も重要なことが何でしょうか。私たちが祈りの課題を正しくしなければならないのです。皆さんが祈りを継続すれば、ハンナのように神様が課題も正して下さるでしょう。気をおとす必要もありません。なぜかというと、黙示8章にあるように、皆さんの祈りは一つも落ちずに、みな答えられるからです。両親が祈ったことは、一つも落ちずに、子どもに答えがみなくるのです。本当に驚くことです。祈りは一つももれなく、答えられるから、違った祈りをすれば違った答えがくるのです。
■私は悟ったのは、祈りは科学だということです。私はそのような単語を使いました。祈りは霊的科学です。正確に答えられます。私が今まで悟ったことは、正確に答えられるのです。あるものは歩きながら常時祈りをしたことも答えられます。予備軍の訓練場を降りてきて、工場を見ながら教会にしたら良いと思ったのですが、それが今、私たちの教会になりました。徳平の修練場でメッセージをしたのですが、私たちもこういう学校がなければならないのにと思ったら、それが私たちの学校になりました。学校を買ったら、僧侶が道が自分の道だと文句を言いました。私があんな家に住みたいが、あの家を私が買ったら良いと思ったのですが、私が今、住んでいます。そこが道をつけるのには核でした。もし、その家を買えなかったとすれば、全く道をつけることができなかったのです。今、道全体、すべてできました。今、正しくしようとするなら、ここにあることみな買わなければならないと思ったのですが、全部みな買うことを契約しました。皆さんが、定刻、常時祈りをよくしていれば、あるものは思ったことが答えできます。説教は、神様のみことばなのですが、読んであげたら、答えられるのです。私は理解できます。神様がサムエルがした言葉が一つも地に落ちないようにされたとありますが、それが理解できます。なぜなら、皆さんが神様が願う祈りの課題を持っていれば、皆さんが話すことも成就するのです。それが科学ではないでしょうか。当然の原理です。世の中の言葉で、私たちが天の意を知っている人が動くのに天の祝福があるのではないでしょうか。これがとても重要です。皆さんが祈りの課題を正すことを少しだけ祈れば、それが答えられるのですが、最初のことです。福音はもちろんです。
■二番目です。サムエルが今、神殿に行って横になっていたら、神様の御声を聞きました。ハンナはIサムエル2章を見れば、自分の息子を神様にささげて神様を賛美する祈りが出てきます。これを召命というのですが、私たちは召命というのに2つがあります。ある日、道を行く時に見たら、誰かが私を呼んだ。それは確実ですが、それが難しいのです。そのような人は、およそ1%しかいません。突然、寝ていたら、誰かが窓をたたいたので、起きてみたが、誰もいなかったが、神様の御声を聞いた。それが、にせ物でなければ1%程度しかいません。例えば、朴キボム執事が通り過ぎるのに、風がさっと吹いて、キボム、あなたはインマヌエル教会で指揮をしなさい、それでは言うべきことがありません。しかし、99%の人は、そうではなく、召命を悟ります。それでは、二番目に皆さんが捕まえるべき契約は何でしょうか。受けた答えを正確に分かることです。それが、召命を悟る最も正確な方法です。信仰に成功した人は、受けた答えをよく分かったのです。だから、感謝が出てくるしかありません。受けた答えを本当に分かるなら、感謝が出てきます。受けた答えを知っている人は、すでに受ける答えも分かります。受けたのに、私が何を受けたのか知らないのでは、受け取ることがどのように分かるでしょうか。神様を知らなければ、今頃、皆さんの子ども達に霊的問題がきて、皆さんが世の中でさ迷って、どうなっているでしょうか。私と皆さんの子ども達が、世界福音化という単語を使いながらここに座っています。受けた祝福がものすごいのです。見たら、私たちの孫たちや、小さい子どもたちも、世界福音化と言うのですが、福音化<韓国語でポゴマ>という言葉の発音ができずに、世界さつまいも<韓国語でコグマ>と言います。それでも、私の心に喜びがわき上がります。あんな小さい子どもたちが、さつまいも<コグマ>、福音化<ポゴマ>の区別もできないのに、世界さつまいも、世界福音化という単語を使ったからです。子ども達が、主は生ける神の御子キリストですと告白します。これは、ものすごいことなのです。受けた祝福を正しく知ってこそ、受ける祝福が分かるのです。ところで、普通、愚かな人々は、受けた祝福を知らないのです。だから、救われた者にくださった祝福はものすごいのです。これを味わう祝福が、本当にあるようになることを希望します。そして、サムエルが何をしたのでしょうか。すべてのイスラエル民族は、ミツパに集まりなさい。偶像を全部捨てなさい。偶像が何か分かる指導者が出てきたのです。ほとんど、知りません。私のメッセージを多くの人々が聞いています。宗教人は、用心しなければなりません。偶像崇拝を神様がなぜしないようにと言われたのでしょうか。そこにサタン、悪霊が臨む確実な方法だからです。法事をすれば、両親が来るのではなく、悪霊が両親のまねをして来るのです。これはものすごく悪いことなのです。ある宗教では、前世を知るというのですが、それがみな悪霊のしわざです。私の言葉が信じられなければ、宗教も必要ありません。山に行って、今から服を脱いで水の下に三年ほど座っていてみてください。超能力が生じます。それが悪霊の働きです。人々がそれを知らないのです。
■聖書には、偶像崇拝をしてはならないと言われました。カトリックでしているのですが、知らないからです。だから、全世界に霊的問題がくるのです。本来、仏教も、釈迦が作ることはありませんでした。考えと言ったのですが、全部、偶像崇拝です。人々がとても知らないのです。サムエルが指導者になって、すべてのいと高きところ、すべての偶像を倒せと言いました。ミツパに集まりなさい。そして、心をつくして主に立ち返りなさい。いくら悟っていくら悔い改めても、心を尽くして立ち返らなければ仕方がありません。神様は、皆さんの過去を問わないで帰ってきなさいと言われるのです。家出をした放蕩息子に、借金をすべて返してから帰れと言われたのではなく、ただ帰ってきなさいと言われるのです。これが福音です。心を尽くして、主に立ち返りなさい。それで終わるのです。この運動をサムエルがミツパで起こしたのです。ところで、その時、これを知ってペリシテが攻め込んできました。戦争で勝利したのですが、戦争だけをしたのではなく、全焼のいけにえをささげて戦争をしたと言われています。何の話なのか分かるでしょう。犠牲のいけにえをささげて、戦争をしました。何の話なのか、皆さんはすぐにわかったでしょう。このようにして、サムエルが生きている間には、ペリシテが攻め込むことができなかったのです。神様が大きい祝福をもって呼ばれたのですが、私たちが知らなければならないことは何でしょうか。祈りの課題を正しく捕まえなければなりません。恐れずに問題を正しく見ましょう。神様の子どもは、問題は全部、祝福です。そうです。神様の子どもは、問題は問題になることが全くありません。皆さんが悟って、皆さんが味わうことだけすれば、過去は全部土台になります。皆さんの過去、霊的問題は、全部、背景になってメッセージになるのです。これを悟らなければなりません。問題を正しく見れば、祈りの課題が正しく出てきます。そして、神様の子どもが受けた祝福がどれくらい大きいでしょうか。これを正しく悟らなければなりません。普通、答えを受ければ忘れてしまうのですが、ハンナは本当にサムエルを神殿に訓練をさせるようにささげました。受けた祝福を知っている人たちは、三番目に、受ける祝福も知るようになるのです。
■ヨセフは、奴隷で監獄に行った時、受ける祝福が何か分かったのです。ダビデは、すでに困難にあっている時、受ける答えが何かを正確に分かっていました。皆さんが本当に今日、福音のなかでこの祝福を回復するようになることを希望します。問題がくればうろたえて、問題さえくれば陥ってしまいます。その人が真の福音人か、真の信仰の人かは、問題に会うのを見れば分かります。すでに福音を持った人は、問題がくれば静かに祈り始めます。神様に任せて祈るのです。霊的問題がある人々は、口を開いて、人とみな解決しようとします。絶対に解決されることがありません。福音を持った人々は、祈りながら答えを捜し出します。問題がくれば、喜びなさいと聖書に書かれています。そのような意味で見る時、そのような聖書がどこにあるのでしょうか。問題がきたが本当に喜ぶ。可能な話です。問題がきたのに、どうして、本当に喜ぶのでしょうか。聖書のどこにあるのでしょうか。聖書を読まないから、よく分からないでしょう。ヤコブ1章に、さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。理由が出てきます。あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。それで、気付くのが早い人々は、問題がくれば祝福が来ることを感づかなければなりません。試みが近づけば祝福が備えられていることを分からなければならないのです。私に葛藤が生じる時は、私が今、更新する祝福の時刻表が来たのだと、はやく感づかなければなりません。福音の中に入ってくれば、皆さんの全ては祝福になります。福音がないならば、みなほろびるのですが、福音の中にあれば全部祝福になります。皆さんが両親なしで貧しく育ったとします。福音がなければ、レベルの低い乞食なるかもしれません。しかし、福音の中に入ってくれば、これが重要な土台になって、メッセージとなるのです。これが違うことです。今日、皆さんは難しくありません。本当に祈りの課題を正しく捕まえれば良いのです。
■神様が福音のなかで私にくださった答えがあります。これを探して味わわなければなりません。福音のなかで受ける答えがあります。このように見ることができます。今、問題が何でしょうか。問題がくれば、皆さんの胸の中に不信仰ができてしまいます。それを霊的な目を開けて見れば、神様の前で、サタンの前で見れば、負けたことなのです。皆さんが葛藤が生じるならば、心配に捕われるのです。それは事実上、霊的には負けたことなのです。契約だけ、福音のなかで捕まえれば、福音でだめなことはありません。パウロは告白して、私は私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。今日、皆さんが契約を固くつかむことを希望します。神様はご自分の民を主役として呼ばれて、その答えを確かに備えられました。それで、皆さんが完全福音という話を理解すれば、契約的祝福5つがきます。皆さんの胸の中に、福音が完全でないという気がすれば、この祝福を味わうことはできません。ある人は言い訳をします。福音は正しいが、いろいろ、この話は正しいのですが、その人は事実、福音を知らないので言うことです。教会の中には奉仕、献身、教育があるではないかと言います。そうです。ところで、本当に福音を知らないので言うことです。福音のなかでそんなことが出てこなければならないのです。福音の外で出るのなら、外で習ったらよいので、何をしようと教会に来るのでしょうか。何をしようと、キリストが十字架を担われて、教会を作られたのでしょうか。それは、本当によく悟れなかったのです。福音が完全だと悟れば、契約的祝福5つがきます。その時から、根源的、代表的、記念碑的な、時代的な、不可抗力的な祝福がくるのです。神様の計画は、世界福音化です。それを悟ったのが完全伝道です。それで、いよいよ奴隷、捕虜、植民地、呪いから解放されるのです。それで、皆さんが受けた祝福は、単純にご飯だけ食べるのではありません。完全宣教です。これを悟れる時、RUTCの祝福がくるのです。
■韓国、世界教団で宣教師をたくさん送り出したのですが、今現在、その戦略では絶対に勝つことができません。RUTC戦略を使わなければならないのです。ユダヤ人が世界を征服した方法が、まさにUnityです。今、韓国教会は、宣教師をたくさん送り出しますが、事実、変えなければ大変なことになります。私が今、メッセージを継続することによって、変えようとしています。今の政策では、宣教師1人が出て行って、飢えて死ぬのか、腹が破裂するのか分からないのです。だから、前にニュースに出てきたような事件が起きるのです。Unityが形成されなければ、絶対に世界宣教はだめです。ニューエイジ、統一教に絶対に勝つことができません。今回の宣教大会の時、どれだけこの話が分かかも分からないのですが、神様がこの話をさせられるでしょう。今日から皆さんの心配を祝福に変える力がなければなりません。皆さんの問題を、神様の祝福に変える奥義がなければならないということです。問題が生じたら、問題に陥れば絶対に解決しません。危機を神様の祝福に変えられる奥義がなければならないのです。こういうわけで、私たちをキリストのしもべ、また神の奧義の管理者だと考えなさい。皆さんが、がっかりして気をおとしたり、うろたえたり、浮き立ったりせずに、問題を契約に変えて祝福に変えられなければなりません。学生たちが、私の家はなぜこのように貧しいのだろうか、こうすれば負けたことです。時刻表です。「私は、ここで訓練を受けるのだ。それで、私は貧困を征服して、貧しい人を助ける準備をするのだ。」となるべきです。「私は勉強をしたくて、したいのも多いのに、なぜ背景がないのか。」それはすでに負けたことです。「私はここで習って生き残って、世界を生かす。」となるべきです。
■私が影島にはじめてきた時、教会もなくて家もなくて何もありませんでした。その時、私が重要な考えをしたのです。気をおとしたのではありません。私が祈りの課題をつかんだのです。神様、私は今から一生涯、他の人を手助けして生かす人になるようにさせて下さい。私が一生に一度も、こういう問題で他の人に被害を与えないようにして下さい。私はそれを祈りの課題としてつかみました。神様は、その時から今まで本当に奇跡で答えられました。問題になることが何があるのでしょうか。皆さんが心で気落ちしてしまえば、霊的にやられている事実を知らないのです。私はなぜこういう家庭に生まれたのだろうか。すでに、それは負けてしまったのです。神様が私をここで訓練するようにして、世界福音化をするのだと考えましょう。私の後輩一人が来て、先生、私はこういう牧師婦人に会って最悪の境遇だと言いました。それが、間違った考えです。歴史上、力がある人物にそのような女を与えられるのです。大丈夫だと言いました。女の方々も、気をおとしてはなりません。私がなぜあんな男に会ったのだろうか。力ある女性に、神様はそのような男を付けられるのです。なぜでしょうか。力がない女、力ない男、二人で会えば社会問題がきます。神様が適当に変えられるのです。それで、おかしな女に会ったとすれば、中のうつわが大きいうつわだなと思いましょう。おかしな男に会ったとしたら、気をおとすことではなくて、私がうつわが大丈夫な女なのだなと、このように理解すれば良いのです。そして、そこで祝福を捜し出さなければなりません。そうでなければ、私の話が冗談でなく、霊的に死にます。確かに聖霊は働いておられるのですが、反対に、悪霊が皆さんを攻撃しているということを分からなければなりません。主役は誰がなるのでしょうか。味わう者がなります。そうではないでしょうか。それで、この3つの祭りを記憶しなさい。味わいなさい、その話です。Iサムエル3:19に、サムエルが言う言葉が、一言も地に落ちませんでした。その緊急な戦争の中で、戦いの準備をしなければならないのに、全焼のいけにえをささげました。これが、福音をどれだけ正しく記憶していたという言葉ではないでしょうか。7:15〜17には、サムエルが生きている間、ペリシテが攻め込まなかったとあります。サムエルが生きる間、平和が臨んだのです。当然です。皆さんが心配するのでなく、どのようにしなければならないのではなく、皆さんは当然、根源的祝福を受けるようになっている人々なのです。これを回復することを希望します。恵みを受けて、思い切りつくしておいて、人に会って問題がくれば、また崩れてしまうのです。
■私が名前は話しませんが、私たちの教会の勧士ひとりは、家に帰って、あまりにあわてて走り回るから、夫がイエス信じない人なのに、がまんして、神様を信じなさいと話したそうです。外国に行ったところ、とても牧師と牧師婦人が信じることがないから、神様を信じろと私たちが祈っていると信徒が言いました。私たちの教会に手紙がきました。牧師一人を送ってくださいと。どんな牧師ならばよいのかとしたところ、神様を信じる牧師を送ってくれと言われました。言葉では主よと言うのですが、実際に神様を牧師、牧師訃音、多くの信者が信じないのです。むしろ新しい人がさらによく信じます。何も知らないので、神様を求めるのです。信仰生活を長くした人は、勘が良くて、教会をよく分かるから信じないのです。私たちが本当に神様の霊的事実を知ったら、信じるしかありません。皆さんが、聖書にある聖霊の働き、天使の活動、これを本当に分かったら、信じるしかありません。それを分かったら、信仰になるということです。信仰で、すべてのことをみなできるという話になるでしょう。そのようなものすごい科学的な事実があるから、信仰で勝利することができるのです。皆さんが、この祝福を回復することを希望します。この頃、都市教会は複雑で、思い切り恵みを受けて、帰る時に駐車場でけんかをします。また駐車場案内をすれば、人々が言うことを聞かなくて複雑だから、案内する人が腹が立つのです。怒れば、どんな人が何で教会がああなのかと試みに会います。ある人は、新しい家族が教会にきて、車を誤って駐車して、駐車案内の執事に悪口をたくさん言われて、初日に私はこの教会に通ってはいけないと思って、行ってしまった人もいます。少しだけ皆さんが考えを良くするならば、祝福の門が開くはずなのに、私たちはみな来ているのにのがしているのです。皆さんが良くしたら答えがきて、できないから答えが来ないというのではありません。来ているのに知らないということです。ものすごい祝福が来ていたのですが、ヨセフの兄たちが知らなかったのです。なぜかというと、毎日、食べて着ることのためにけんかしていたので、知らなかったのです。ヨセフは祈って分かりました。神様の祝福がイスラエルに来ているということをサウル王が知りませんでした。毎日、ねたんで、地位争いをして、来ているのにも忘れてしまったのです。ダビデは祈って分かったのです。これを味わわなければなりません。この祝福がインマヌエルすべての家族にあるようになることを、イエスの御名でお祈りします。今、衛星、インターネットでメッセージを受けるすべての方達に、本当にこの祝福が回復することを希望します。そうすれば、今日から勝利するようになります。
<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちが麦収穫祭だけでなく、真の感謝を回復するようにさせて下さい。本当に、神様の人になるようにさせて下さい。神様がくださった祝福を回復して、宣べ伝えるようにさせて下さい。問題を祝福にする奥義を分かるようにさせて下さい。すべての状況を神様の祝福にする奥義を分かるようにさせて下さい。すべての人を神様の祝福にする奥義を分かるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<釜山老会キャンプ献身礼拝>
2部/神様が準備して待つキャンプ
(ローマ16:17〜27)

■統一教で、米国にだけオペラ団を10ケ以上、作りました。なぜそのようにしたのでしょうか? 私たちのクリスチャンは、理由さえ知らずにいます。この間のアイーダというミュージカルも、ニューエイジ団体で作りました。その人々はなぜそのようにするのでしょうか? 今、私たちの教会では聖歌隊運営や個教会運営に汲々としています。それで、今朝、お知らせで言った契約の旅程、7月14〜17日まで7回することは、私たちが挑戦状を出したのです。米国ブロードウェーをはじめとして、全世界のミュージカル界が多くのお金をもうけています。私たちは金をもうけようとするのではありません。レムナントと文化など、色々なものを置いて戦場に挑戦状を出したのです。それで、私たちが今、わざわざ公演会場を借りて、外側の人々が見られるように作ったのです。皆さんに、どの日に行ったら良いという日程が知らされているでしょう。どうしてかというと、ある日はたくさんきて、ある日は少なくきたとするなら、混乱するために、あらまし分けたのです。それで、インマヌエル教会はいつ行くのか知って、一緒に行かなければなりません。その時ごとに未信者も招いて、貴賓も招かれるでしょう。音楽する専門担当者も、きてみるようになります。
■高慢ではなく、私が知っていることでは、私たちのチームは、実力が相当なものだということです。今、レムナントが、準備程度ではなくて、霊的にも武装しています。とてもがんばって、ある学生たちは病気にもなって、正しく食べることができなくて腸炎になって、そのような状況になりました。ソウルの執事たちが行って食事を準備したりしています。準備する学生たちが、今日も霊的な力を新しく得なければなりません。私たちが練習する場所がなくて、ある場所を借りたのですが、とても環境も良くなくて、臭いもしているということです。それで、私たちがRUTCをはやく作ろうというのです。皆さんが正常な人ならば、RUTCのために一日に何度かは祈りが出てこなければなりません。
■こういう時間に、釜山老会で伝道キャンプ献身礼拝をするようになりました。先に胸の中に置かなければならないことがあります。ローマ16:25〜27に‘世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、…知らされた奥義の啓示’となっています。ここで私たちが先に分からなければならないことは、神様が確かに先に備えておかれたと言われていることです。だから、準備しておかれたことを私たちがするのです。少し変に聞こえるかも知れませんが、昔に日本が韓国を侵略したということで、いつも話しています。私は個人的な考えでは、日本が侵略したことは本当に間違っていたわけですが、侵略された韓国は、さらに誤りがあったと思っています。なぜなら、神様がくださった多くの祝福をのがしたからです。日本のような国は、侵略する準備をしていたのですが、私たちは李氏朝鮮の時を見れば、地位争いをしていました。それで、500年、李氏朝鮮の時、私たちの韓国はみなほろびたのです。その以前でも、韓国が日本より先んじる良い文化を持った国だったのですが、その以後に滅びたのです。王様のそばに誰が近く行くのかをおいて、いつも戦っていました。それで、祝福の機会もみなのがしたのです。私たちが神様が準備しておかれたことを味わうことができるのが、神様の当然の知恵と祝福なのに、これをのがしてはいけないでしょう。
■皆さんがおわかりの通り、原住民が、米国の土地を全部、ヨーロッパ人に奪われて、ヨーロッパ人がみな占領して、売り飛ばしました。だから、与えられたものをみな奪われたのです。ところで、恐ろしいのは、この福音は、世々にわたって長い間、備えられていたが、隠されていたと言われています。そうするうちに時代時代ごとに、神様が必要な人にくださったということは‘啓示された奥義’というものです。これを記憶しなければなりません。それでイザヤ60:1‘主の光があなたに臨んでいる’なっています。ヨハネ1:5、創世記1:3に同じ光です。この話は、皆さんがいのちを持っていて、福音だけ味わっていれば、全てはみな回復されるのです。起きて光を放ちさえすれば、みな準備されています。私たちのレムナントは、学校を卒業して社会に出て行けば混乱することがあります。また、中・高校生が大学に行くなら、混乱することがあります。皆さんがしばしば自ら錯覚をするのです。特別なものではないので、少しだけしっかりすれば、いくらでも勝利できる最高の祝福の道があるのに、自ら混乱に陥ります。なぜなら、その中に神様の祝福がみな隠されているためです。今日、私たちの伝道キャンプされる方々、レムナントがこの契約を捕まえて、本当に神様の光の祝福を味わう、そのような貴重な日になるように願います。いつまでしなければならないのでしょうか? このキャンプをいつまでするのであり、どのようにすべきなのでしょうか? 今日、すべての教会、インマヌエル、釜山老会、こういう方々が、胸の中に置かなければなりません。
■伝道はもちろん、主が再臨される日までするのです。しかし、そのように言えば愚かな話になります。主が再臨して来られる前に、皆さんは死ぬから、時刻表を正確に見なければならないのです。今から私たちは、何をしながらキャンプをしなければならないのでしょうか。インマヌエル教会と、釜山老会と、レムナント、全世界は何をしながらキャンプを継続するのでしょうか。最初です。福音共同体を作りながらキャンプを継続しなければなりません。一瞬の伝道運動が問題ではありません。福音共同体をずっと作らなければならないのです。私たちのレムナントが、大学に行って一人でいれば、すぐ揺れるようになります。だまされるということです。外に出て行けば、すぐ崩れます。心と信仰まで崩れるのです。だまされてはならないのに、しばしばだまされるようになるのです。ある面では、失敗をほどほどにしたら堂々と立ち上がれば良いのに、しばしば崩れるのです。これが簡単な話のようですが、外に出て行ったら、ものすごい力になります。それで、私たちがしなければならないことが福音共同体を形成しようということです。それを目標にして、キャンプを継続しましょう。それでは、福音共同体が作られたということは、難しい話のようですが、やさしい話で説明します。私は幼い時から教会に通いました。あくまでも、私の考えがみな正しいということではありません。
■私は多くの復興師がした復興会をみな通ってみました。しかし、私の心に感じられることが一つがありました。とにかく、その人が何かをすばらしくしてみようと努力しているということを感じたのです。また、多くの牧師の説教を聞きながら、伝道を話すのに一つ感じられたことがありました。その方が、とても教会を復興させようとしているんだなあと感じられたのです。私がある日、私と聖書を学んでいた一般信徒二人から感じたことがあります。生まれて初めて見たのです。この人たちが、本当に福音を伝えようとする人々だったのです。それを感じたのです。それが何でもないことだったのですが、私の人生全体を変化させました。もちろん、私がそれを見て感動を受けて、震えたりしたのではありません。静かに一生を変えられました。福音共同体です。言葉をわからなければなりません。皆さんの子どもが、今、外に出て行って誰に会うかにしたがって一生が左右されます。皆さんの子どもが出て行って、今、暗闇の道を歩くか、勝利の道を歩くかという別れ目がここからです。それでは、インマヌエル教会と今、礼拝する教会、そして、釜山老会が、こういうキャンプをすれば、話すことができない祝福が臨みます。皆さんこの話をわかるようになることを願います。福音共同体というから、とても難しい話のようですが、皆さんの会社の中に、本当に福音を持った人が二人だけいても、力のみわざが起きます。目に見えないように、暗闇の勢力がみな破られるのです。
■ 2週間前に、とても面白いことがありました。こちらに説教しにきた時です。ある男性が、私に会おうと立っていました。絶対に戦ってやろうというようにきていました。それで、私が説教しに行こうとするのに、私に会いにきたと言うので、私のボディガードが防ぎました。どうしたのと尋ねたのです。牧師先生と話したいと言いました。それで、待ってください、私は今、説教をしに行くから、出てきてしようと言いました。説教を終える時まで待っていました。私が出てきたので、話をしました。すばやく感づきました。この近所の土地をみな買ったのですが、中で空いている土地があります。その土地の主人でした。ところで、その方が嘘かわからないのですが、とても重要な話をしました。自分はカトリック信者と言いました。そうして、ここには必ず教会が立たなければならないと言うのでした。なぜそうかと言ったところ、666番地だと言いました。その人の話です。ここは何が入ってきてもだめだということです。しかし、教会だけはよいということでした。それにしても、その土地を教会にするように祈りもしていたと言いました。その次の話をするのには、時間がなくて、まだ、みなできなかったのですが、次に会って話をしようと言いました。人はよい人のようでした。気持ちが良ければ、そのまま出してくれることもできる人のように見えました。その人が重要な話をしたのですが、ここには何が入ってきてもだめだったということです。一理ある言葉です。福音を持った人が、二人だけ一つの地域にあってもみわざが起きます。皆さんが本当にこれをわからなければなりません。
■それで、牧師は、聖書を詳しく見てください。パウロは、伝道をしなかったのでも、伝道したのでもありません。福音共同体をみな作って回ったのです。これが重要です。それで、釜山老会の牧師が行ったら、そのことが起きるのです。私たちはやっと、どのように何人を受け入れさせたという水準でも、タラッパンがいくつか開かれたということも重要なのですが、本当に福音共同体を作らなければならないのです。それを何と言うのでしょうか? 弟子共同体です。イエス様が、あなたがたは行って弟子としなさいと言われた言葉がこの話です。ところで、私が驚くことは、皆さんに会う前に、15年間、現場でそのことをしたのです。ところで、神様がそれと全く関係なく祝福されました。それが何の話なのでしょうか。それだけ、そのことが重要だということです。私は影島でもしなくて、違ったところでしたのですが、祝福はここにきて受けました。それを何と言うのでしょうか。伝道共同体です。これが海外に出て行くようになれば、宣教共同体です。これが、レムナント中心に作られればRUTC共同体です。その話です。それで‘二人でも三人でも、わたしの名によって集まったところに’この言葉が、普通の話にならないのです。‘何でも答える。’初代教会では、一ケ所に集まったということが普通の話にならないのです。この祝福をキャンプチームが味わわなければなりません。さらに簡単に話せば、使徒13:1に5人1組を作ったのですが、5人1組とすれば、形が出てくるから本当に伝道弟子などを正しくまとめる、こういう福音共同体を作らなければならないのです。その人々が、皆さんの教会とインマヌエル教会のために祈ったら、どうなるでしょうか。
■私が、今、聖書にある役員の祝福を回復しようとしているのです。だから釜山市内の要所、要所に、福音共同体伝道弟子を作るのです。いたのにいなくなったということではなく、確実にするため、役員中心にたてなければならないということです。皆さんは、按手執事、長老、勧士という方々に油を注いで立てたということが、どれくらい大きい祝福であるか知らずにいるのではないでしょうか。ほとんど、韓国教会と世界教会が、その祝福を体験できなくて、そのまま教会を行き来しているのです。そうではなくて、役員を地域の福音共同体のリーダーとして立てるのです。だから、聖書をもう一度見てみましょう。聖書には、そうなっています。役員中心に、福音共同体が形成されました。ここで暗闇がみな崩されたのです。この話をわかってキャンプをしましょう。私たちの役員が、そのようにしようとするのです。私たちの釜山の700ヶ所に福音共同体を作ろうとしています。言葉が地域教会と言うのですが、地域教会というよりは、福音共同体弟子を先に集めるのです。どれくらいみわざが起きるでしょうか。だから、私たちが今、1年70人をたてても十年かかります。そうでなくては、私たちの釜山市内の福音運動や暗闇の勢力は全くうち砕くことができません。
■ 2年間、エペソ地域でそのようにしたら、どんなことが行われたでしょうか。いよいよ偶像、暗闇、呪い、みな崩れました。単にみことば運動をしたのですが、病気になった者が良くなるみわざが起きることもありました。今日、この現場に間違いないなら、皆さんが単に座っておられるのに、癒される働きが起きるということです。どれくらい、その集いが重要だったのか、パウロが行くこともせず、手ぬぐいだけ与えたのにみわざが起きました。それで、エペソの偶像がみな崩れたから、商売人が騒動を起こすほどみわざが起きたのです。だから、私たちが本当に祝福をみなのがしているのです。これは難しいことではなく、目だけ開ければ、とてもやさしいのです。そして、この福音共同体は揺れません。教会がいくら難しかったり、問題が生じるとしても、揺れないのです。だから、この弟子は、神様が立てられた弟子だから、どんな場合もほろびません。この時から、皆さんの家庭、事業に働きが起き始めるのです。この祝福を回復するように願います。これをするために、今、私たちが多くの祈りをしているのです。今日、私たちの役員修練会の時に話すでしょうが、聖書を詳しく見てください。皆さん1人が福音を悟って、皆さんの地域が生かされるように共同体を成し遂げたら、どんなことが起きるでしょうか。この祝福を味わうために、皆さんは最後に一つのことにだまされてはいけないのです。
■ローマ16:17〜20に出てくるように、私たちは一つだけに勝てば、ずっと勝利することができます。これが重要だと思って、サタンがしばしば邪魔をするのです。未信者は、サタンが邪魔する存在ではありません。おもちゃです。サタンは、皆さんをとても恐れます。今この暗闇の勢力、サタンは、確かに聖書には存在して実際にいると書いてあります。これがインマヌエル教会とキャンプするチームをとても恐れるのです。これに勝たなければなりません。17節‘あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。’皆さんの中で紛争をしばしば起こす人がいます。それをよく区分しろということです。それを通してサタンが働くためです。18節‘そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。’この話は、霊的なことは全く知らずに肉体的なことだけ分かるということです。だから負けるのです。それで、皆さんがここに目を開きなさいということです。19節‘あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。’皆さんはもう分別力ができなければなりません。神様の祝福を受ける人はどこにさとくなければならないのでしょうか。善にはさとく。そして、悪にはどうなのでしょうか? うとくです。この話は、普通の話になりません。ある人は、他の人を生かして手助けするのは知恵を使うのに、人を難しくさせるのはよくできません。反対に、ある人は人を立てて手助けするのはできないのに、難しくするのは本当に上手にします。それで詳しく見たのですが、終わりが良くありませんでした。
■私は色々な教会に通いながら、色々な人を見ました。長く生きていないのですが、多くの牧師や若い教役者も見ながら生きてきました。教会の中で仕事をする人々や死ぬ人々もたくさん見てきました。共通点があります。最後に答えが全くなく、答えられずに失敗する人々の特徴が、人を難しくさせる人々です。ある人々は、習慣的にも可能ならば人を難しくさせる人がいます。それがサタンの働きであることを分かるようになりました。可能ならば、他の人を助けなければなりません。私たちが嘘をついても、人を生かさなければならないのです。聖書を見れば、ダビデもそうで、アブシャロムを生かすためにダビデの弟子たちも嘘をつきました。助けようと。遊女ラハプも、嘘をつきました。ヨシュアとカレブを自分の家屋根の上に隠して置いては、この部屋にスパイが入って来たが出ていったと言いました。本当にまったくでたらめの嘘をついたのです。良心のとおりしようとするなら、ここにいると言わなければなりません。嘘をついても生かしたのです。率直に、人を生かすためには嘘をつくということは、人間中心主義ではありません。私は6ヶ所の教会ですごしながら、事実は神様の恵みで約30年間、教会の働きをしました。本当に不思議なことを発見しました。説教もとても恵みにならず、伝道も全くできない教会や牧師が、人を難しくさせるのは天才的なのです。私は驚きました。
■そして、全く福音もなくて、全く伝道しない教会の長老が、老会、総会が戦う時には、完全専門性を持っていました。‘あぁ、この話なのだな’と思いました。滅ぶ人々は善には知恵がなくて、悪に知恵があるのです。しかし、祝福を受ける人は善には知恵があって、悪には知恵がありません。そして、ある人は自分の誤りは全く記憶せず、他人の誤りだけみな記憶する人がいます。それも特殊なIQなのですが、自分のことだけみな忘れてしまい、他人の悪いことはみな記憶しているのです。心理学に見れば、精神分裂症の基礎の段階ということです。だから、聖書を正しく見ましょう。それと共に20節に‘平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。’これだけ勝てば良いのです。私たちの戦いはこれであるから、目を正しく開けましょう。私たちは、ほとんど聖書のみことばを正しく信じていません。ここに合同側、高神側にいて来られた方々もいます。聖書には霊的なサタン、悪霊の話がたくさんあるのにしないのです。だから、聖書のとおりしなくて、思い通りにするのです。そして、ある教団では、何でも悪霊だと固執します。聖書にはそうなっていません。だから、私が見る時は全部、嘘をついています。聖書を信じないのです。私は高神側、合同側を二つとも勉強しました。保守的な真理はあるのですが、聖書そのまま信じなければならないのに、信じません。サタンの話は、聖書にたくさんあるのですが、嫌います。誰の味方なのか分からないが、嫌います。ちょっと不思議です。サタンの話をする時、一緒に怒って話すべきなのに、しないでくれと言います。悪霊の話をすれば、そのとおりだと言いながら、イエスの名でうち砕かなければならないのに、しないでくれと言います。だから、すべての人々が自分勝手にそのまま話すのです。私たちは聖書をありのまま解釈します。聖書を見ましょう。完全な神様のみことばではないでしょうか。それで、聖書には、この戦いしかありません。これだけすれば、皆さんはずっと勝利するのです。キャンプの祝福を受けるように、主の御名でお祈りしまう。
■私が伝道を30年してみて、こういうことを感じました。‘神様が私が信じない時から準備された’あらかじめ準備をすべてなさったのです。火の中にいた時にも、他の人は皆死んだのですが、私は死にませんでした。みな準備されたのです。私が幼い時に過ごした事が、全部、準備でした。もう一つ感じたことは、問題が起きた全てが、メッセージです。本当に驚くことです。そして、そのまま私は知らずに話して、人に会って、仕事をしたのが、全部、祝福と関連しました。どれくらい、この福音が貴重なのか、今でもこの福音を聞くことができなくて霊的に苦しめられている人がとても多いのです。シン・ジンソン氏(韓国の有名な霊媒師)が告白しました。私がとても残念で、私たちの牧師の二人を送ったのです。最初、送った時は、その方がとても拒否したのですが、二回目に行った時は告白しました。お父さんは長老、お母さんは勧士だったということでした。韓国の最高の霊媒師であるシン・ジンソン氏が、お父さんお母さんが長老、勧士だったのです。幼い時から自分は霊的問題がきて、苦しめられて死ぬところだったと言いました。いくら教会の奉仕をがんばってしてみてもだめで、私たちは知らなかったのですが、神学校まで行ったということです。神学校に行って勉強したのですが、自分には答えにならず、ますます難しくなったということでした。自分は簡単に話せば、聖書にある通り、自分に悪霊が入ったのです。それで生きることができるかと思って、より大きい悪霊を受けたのが、あのようになったのでした。だから、家に災いがずっと押し寄せています。
■私たちが話したのです。それでは、あなたがそんなに難しいと思うのではないかと言ったら、自分も分かると言いました。このようにして行けば、後ほどはあなたはみな崩れるのだと言ったら、皆わかっていると言いました。ところで、最後にこの方が重要な話を残しました。自分はいつかは行くと言いました。本当にだめでした。福音を聞けなくて。ところで、とても長い間、霊的なこういう問題も発展するから、とても長くなったせいで、ガンで例をあげるならば、末期ガンです。皆さんは知らないでしょうが、こういう人が一杯になっているのです。皆さんは全く関心ないから見えないでしょうが、こういう人が一杯になっています。学校の中にも、そのままいたずらをして騒ぐようでも、福音を聞くためにもがく子どもたちが満杯になりました。すでに飢え渇いて探す人は、問題がすでにやってきているのですが、問題がくる前にしていないふりをしながら探す人がとても多いのです。それなら、皆さんの生活、人生、キャンプ、私たちの教会がどれくらい大きい祝福になるかということです。大部分の人々がしないふりをしながら、探しています。それで、皆さんが水準を高める必要があって、よく暮らす必要があるということです。
■最後に話を結びます。皆さんがそのままいずに、皆さん自身の価値を高めましょう。私は年をとったとだけ言わずに、私は人生がいくらも残っていないために、本当に神様の前に価値あるように生きようと確認しなければなりません。可能ならば、贅沢する必要はないのですが、服もちょっと素晴らしく着て通いましょう。おかしな古物のようなものを着るのではなく、良いものを着て通いましょう。とても服も上下で合わなく着て通わずに、コーディネイトもほどほどにしながら着ましょう。なぜなら、神様は中心をご覧になりますが、人は中心を見ません。うわべを見ます。だから、インマヌエル教会を見たら、全部モデルだけがいるようだとすべきで、変に乞食がどこからか集まってもの乞い大会をしているという気がしてはいけないのです。教会にくる時には、洗練されて素晴らしくして通うべきで、人はとても醜くして通ってはいけません。なぜなら、未信者はうわべだけを見からです。福音を持った人が、洗練されても、ものすごく門が開かれます。女性が、福音を持っていて、きれいで、おかしなことしないならば、ものすごく門が開かれます。職場の中でも、しっかりした男性が、福音を持って少しだけ他の人を手助けしても、門がものすごく開かれるのです。世の中で、福音はどれくらい良いことでしょうか。この福音を受けなければみんな死にます。全部、嘘をついているのです。嘘をつきたくてしているのではなく、恥ずかしいからつくのです。
■何日か前にもあったでしょう。ある大裁判官が聴聞会をしました。大法院まであがるくらいならば、立派な人ではないでしょうか。国会議員が子どもに関して尋ねるのに、この方が答えるのが難しくて、困りながら答えるのを見ました。その方にはちょっと申し訳ないのですが、子どもたちの霊的問題が深刻なのです。その方が返事をしない訳にはいかないのですが、そんなことはみな隠しているのです。その方だけがそうなのではありません。福音がなければどうなるかということを、人々はほとんど知らずにだまされていきつつあります。それで、インマヌエルの聖徒は、福音のために新しく立ち上がらなければならないのです。学生たちは、この時だ思って、福音を証しするために、皆さんが今から最善を尽くしていのちをかけましょう。そうすれば良いのです。50〜60才になっていのちをかけてはいけません。今、いのちをかけなければなりません。60才になったおばあさんが大学に行ったという記事は、興味があるから出すのであって、そのおばあさんは何の成功もすることができません。
■ 60才になったおばあさんが修学試験を受けて大学を行くのは、立派なことであって、その人が就職をするのでしょうか? 留学に行くのでしょうか? その年齢で、英語を学んでいくつ覚えられるでしょうか。だから、皆さんの時にいのちをかけようと言うのです。難しいと思わずに、レムナントの時にいのちをかけるのです。答えは出てきました。福音のために。アメリカに住んでいるレムナントは、覚悟しなければなりません。韓国民族が、とてもさまようと噂されました。皆さんがちょっとモデルで、契約を握って、正しく時刻表のとおり勝利しましょう。普通の問題ではありません。私たちの韓国だけが、そのようにさまよっていると言われています。
■私はこの前のニュースを聞いて、大変なことになったという気がしました。ソウルにある韓国のナイトクラブで、大騷ぎが起こったということです。特別にイルサンの地方がそうだと言われています。長老と一緒に一度行ってみようかと思っています。30〜40代の女性が、男を紹介してくれと列をつくって並ぶということです。これが韓国の女性だけがこうするということです。外国でどこの国に行っても、女性が目をうす赤くして通いながら男に会うのは韓国女性しかいません。それも全く知らない人を、ナイトクラブに行って会うということです。そして、外国に出て行けば、変にバーを作って町を曇らせる人は韓国の人しかいないと言われています。
■韓国の人々が方向だけ変えればすごいのですが、とにかく騒々しい民族ですが、とても内外で悪いことをよくするのです。レムナントが、こういうものを見ながら覚悟をしなければなりません。大学に入ったということは明らかなことではないでしょうか。少しだけしっかりして、契約を捕まえれば良いのです。大学4年がすべてです。ここで皆さんが勝負をここでつけるということでうが、そこで揺れる理由もありません。だから、皆さんが自分自身を作らなければならないのです。なぜなら、祝福はみな来ているから。そして、インマヌエルの聖徒の中で、年齢が高い方々は、違うようにせずに、基礎から正しくすれば良いのです。皆さんが、土方の仕事でも正しくすれば祝福を受けます。力もないのにしようとするからで、あって正しくすれば働きが起きます。シーバーが清掃夫で入って社長までなったように、私たちはいくらでもできるのです。世界福音化のために、皆さん個人が新しい力を得る、そのような祝福があるように願います。私たちの釜山老会の牧師のキャンプは、本当に福音共同体が形成される、こういう弟子を探す祝福があるようになることをイエスの御名でお祈りします。特に、私たちのレムナントが、契約を捕まえて、皆さんがモデルで立つようになることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、私たちのキャンプ献身礼拝をささげるようにしてくださった神様。キャンプが何かを分かるようにさせて下さい。何故するのか分かるようにしてくださったことを感謝いたします。私たちが結果を置いて、私たちが信仰の中では祝福の日になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。