2006年7月30日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私の人生の主人はどなたなのか?
(出エジプト3:8〜20)

・人々が一番多く使う単語が東洋西洋なく、「福」という単語を多く使います。韓国も見れば、幸福、幸福結婚式場が多くあります。福を七倍受けろと七福だと言います。ある時には、万倍で受けろと万福だと言います。西洋人もhappy幸福という言葉を多く使います。しかし、どんどん難しくなるようです。私たちが発展したことは事実です。昔、どのようにこのように住んでいたのかと言いたいほど発展しました。ところで、一つ人間の問題だけはますます難しくなります。簡単に話せば、霊的問題だけはずっと難しくなるのです。私は暑くて、エアコンなしでどのように暮らしていたのか、こういう考えがしました。昔には、暑いバスにエアコンもなく乗って行ったのです。幼い時は、とても寒くて泣きながら手足を息で暖めながら行きました。今は車に乗れば暖かくすがすがしくエアコンが出てきます。どれくらい住みやすくなったのかわかりません。一度、連絡しようとするなら、人が行かなければならなかったのですが、今は電話だけすれば良いのです。これからさらに便利になるでしょう。

・しかし、不思議に人間は幸せにならず、ますます不幸になります。洪水になって戦争が起きるのは仕方ないとしても、生きていく中でずっと困難がくるのです。なぜ私たちがレムナント運動をすべきなのでしょうか。皆さんの子どもが外に出て行けば、今は何をしなければならないのか知らずに混乱するほどです。誰が誤っているという以前に、家庭が問題がとても多くて、1/3の家庭が離婚する問題が韓国にも出てきています。そのような程度ではありません。行かざるをえずに外国に留学に行った学生たちほとんど90%が失敗してきます。だいたい見れば大丈夫ですが、詳しく見れば深刻です。皆さんがあちこちにタラッパン運動をしていれば、子ども達が行き来するということがどれくらい大きい祝福なのか分からなければなりません。私達の子どもたちが、国際的にならなければならないから、英語も良くしなければなりません。留学にも行って、外国も行くべきですが、ほとんど問題がどこにあるかというと、90%の人が崩れるところにあります。福音運動が昔になかったためだからなのかも知れませんが、1〜2人10%程度だけ大丈夫で、残りはみな崩れます。簡単に友人と連れだって歩き回りながら遊ぶようになるのです。人がずっと一緒にいるならば、考えが思わず変わります。それで一生死ぬかもしれず、麻薬に接するようになるのです。麻薬に接するようになるのですが、良い、普通の人が話せば十倍に良いと言います。してみなかった私たちは分かりませんが、話をきいてみれば十倍に良いということです。走る理由があるということです。他の人が歩いていくのが走るように見えて、自分も走るのです。そのようなある日です。寝ていてびっくりしたということです。真っ黒な服を着た人が注射器を持って立っていたというのです。びっくりして良く見たら、誰もいません。簡単に話せば、悪魔が見え始めたのです。深い段階に行けばそのようになります。そうしたところ、今は狂ってしまいました。このように、世の中はずっと悲惨になっていきます。終わりなく、ずっと難しい側に行っています。

・発展したというのに、ただ人々が遊んで堕落する文化が発展していきます。それはそうでも、私たちクリスチャンと自分自身が本当に幸せではないのです。これがより大きい問題です。本当に私が神様の子どもとして、信仰生活をする人として、本当に幸せで真の喜びがなければならないのに、それがだめです。より大きい問題はここにあります。だから、希望がみな切れてしまうのです。皆さん、一番危険なのが、希望が切れたことです。希望、望みがありません。2つの現象が現れます。何の意味もなくて、意欲もありません。人が霊肉ともに疲れて眠たいのです。私たち幼い時、今日が名節(韓国固有の盆・正月)というならば、どうだったでしょうか。夜明けに目が覚めて眠れません。そして、その日歩き回るのにも疲れません。そうでなければ、私が本当に好きな親戚が来ると言われたらうれしいのです。今日、休みをとって私と父と親戚の家に行くとすればうれしいのです。このような時の特徴が、ほとんど寝られないことです。しかし、学校も行きたくなくて、したくない時は、思い切り寝たのにまた眠くなります。これが、からだの中で、ものすごい影響があるということを分からなければなりません。皆さんが肉体的に力ができれば、すばらしく健康が回復します。ある人は、ただ驚いただけなのに、傷になって病気になります。世の中は暗くなって、聖書にみな話されていることですが、自分自身が本当に信仰生活ができません。それで、今、メッセージをすべきことが多いから、RUTCを持ってずっと回りながら説明をするのです。その間、モーセからヨセフまでして、今またしています。理由があります。私たちが答えを受ける時まで、聖書のみことばをよく見なければならないのです。

・今日モーセを見ながら,皆さんが必ず3つのことを理解しなければなりません。何をはやく見なければならないのでしょうか。最初です。人生が暗闇に抜けてしまいました。それで、神様が救いをくださって、皆さんがここに来たのです。皆さんが気をつけて頑張らなければならない理由がここにあるのです。皆さんが子どものために切に祈らなければならない理由がここにあります。世の中自体が暗闇に陥ってしまいました。いつ始まったのでしょうか。皆さんが生まれる以前です。皆さんが作ったのでもありません。創世記1:2に見ると、暗闇、空虚、混とんがあります。光を創造したのにもかかわらず、サタンが創世記3:5にアダムとエバを倒しました。とても良いものを持って創世記6章で、皆さんをしきりに滅亡、堕落に引っ張っていくのです。このようにして、今日の本文にあるように奴隷になってしまったのです。これを見る目がなければなりません。奴隷になりました。私たちは奴隷ではないでしょうか。エジプトに奴隷なったのが問題ではなく、サタンの奴隷になったのです。奴隷は縛られてずっとはまってしまいます。だから、私たちの人間が何か分からず、ずっとはまってしまうのです。人が集まって、家族が集まって、友人が集まってワインを一杯飲む程度のことをだれが何と言うでしょうか。ほとんど毎日のように夜通し飲んで、飲んで、また飲んで、首まで一杯になる時まで飲んで吐いて、また飲んでいるのは、捕えられたのです。それは飲んでいるのではありません。簡単に話せば、飲まれてしまったのです。いくらおとなでも、飲んだのではなく、飲まれてしまったのです。私の思い通りにはなりません。これが奴隷になってしまったことです。人が適当に飲み物を飲んで、素晴らしくすれば良いのに、それで夜を明かして、家計簿を見れば、全部酒代しかないのです。そのような人々は、まったく家計簿を書きません。書けば、酒、酒、酒、酒だけが出てくるからです。これが奴隷ではないでしょうか。私たちが友人、家族で集まってカード遊びすることが悪いということではありません。仕事もせずに、目がへこんでしまうまでギャンブルをすることが、捕えられたということです。おもしろくても、1、2回するくらいであって、思い切り儲けて集めた財産を、献金はせずにギャンブルでみな飛ばしてしまうのです。そのような人いるかと思うでしょうが、多いのです。特に米国に多いのです。思い切り勉強して、思い切り苦労して、お金をもうけて、ギャンブルでみな飛ばしてしまうのです。理解できないでしょう。悪魔に捕えられると、このようになります。悪魔に捕えられれば、元の姿を取り戻さなければならない理由があるでしょうが、みな飛ばしてしまうのです。そのような問題に、麻薬にますます捕えられるのです。外に出て行けばレムナントを誘惑することが多くあります。今日、全世界でメッセージを聞く私たちのレムナントは記憶しなければなりません。これは麻薬ではなくて、みな飲んでいることだと、このような形で出てくるのです。絶対に私たちのレムナントは、そこにやられてはいけません。これは、麻薬ではなく、少し飲めば大丈夫だ。からだがとても良くなると言うのです。勉強するのに大変だ。ストレスを受ける。言葉がついて行くのが難しい。芸能系統では、これが当たり前だ。ここにはまってしまったら、皆さんは死ぬということを分からなければなりません。レムナントと信徒には祈りの力があります。それで、聖霊充満を受けなさいと言われたのです。これがだめになったので、皆さんを誘惑する人がとても多いのです。とても成功した人なのに、大丈夫だとしながら与えるのです。ある時は、あの人は絵を描くのに、音楽がとても優れた人なのに、知ってみたら麻薬をするのでした。後ほどほろびるとは考えずに、簡単にやられてしまうのです。このようにして、ますます私たちのレムナントを引っ張っていきます。これが奴隷でさせることです。麻薬の奴隷になること以前に、サタンの奴隷になってしまったのです。これでますます堕落側に行くのです。

・私は、クリスチャンやレムナントが、世の人々とつきあって、世の人と対話すべきだと思っています。私たちのレムナントが、世の人々が見る時、素晴らしいと感じられる程、対話もできなければなりません。ところで、その話ではありません。基本もなくして、祝福もみなのがしてしまって、全てをみなのがしてしまい、ずっと堕落していくのです。これがサタンに捕えられた奴隷です。そんなことがあるのかというのではなく、確かに私たちに迫ってきています。イスラエルがこのように奴隷になりました。エジプトの奴隷になる以前に、サタンの奴隷となるのです。役員がなぜ集まって訓練を受けるのか分かるのでしょうか。役員が祝福を受けなければなりません。役員改革が起きなければならないのです。徹底的にしましょう。インマヌエルの役員が、本当に祝福を回復しなければならないのです。時代的な神様の証拠を見せてこそ、他の国、他の地域を生かせるのです。なぜかというと、こういう暗闇がますます食い込んでくるからです。さらに怖いのは何でしょうか。イスラエルの民が奴隷になった事実さえ知らないのです。私が今、堕落をした。この程度までなら大丈夫です。堕落したのも分かりません。モーセが来てみたら、自分たちどうしでけんかをしていました。どれくらいみじめになっているのかも分からないのです。モーセが来て止めたら、モーセに立ち向かったのです。私たちがどれだけ問題があるのかも分からないのです。大部分の人々がこのように生きています。自分がどれくらいみじめかわからないのです。私がどれだけ祝福を受けたのかも分かりません。残っているのは一つしかありません。この時、暗闇の勢力はイスラエルを全滅させようと男の子が生まれればみな殺せと言いました。この部分をすべてのクリスチャンが悟らなければなりません。大部分のクリスチャンは、自分が分からないのですが、私たちのインマヌエルの家族とタラッパンメンバーは、必ず悟らなければなりません。私はRUTC程度ではありません。これから大韓民国と世界2万個の大学の前にミッションホームを作って、私達の子どもたちを保護しなければなりません。私はこの程度ではありません。これから中・高校の前にミッションホームを作って、子どもたちを保護しなければなりません。そのような程度ではありません。本当に学校を作って、子どもたちを育てなければなりません。私は確かにこれが神様のみこころだと思っています。それで皆さんがしっかりして、祈って答えを受けなければならないのです。これが最初の理由です。今日、モーセを通して、モーセ時代を悟らなければなりません。

・二番目です。何を悟らなければならないのでしょうか。この時、神様がモーセを呼ばれました。どれくらい意味が大きいでしょうか。この時、神様が皆さんを呼ばれたのです。この時、神様が老人モーセを呼ばれました。この話は何の話なのでしょうか。この時、神様が弱い私たちを呼ばれたということです。ところで、モーセが40年間、人間主義を使いました。お母さんの祈りで王宮に入ったのですが、いつも成功しようと努力したでしょう。王宮の中に入ればすごいのです。それしか知らないのです。私たちが今、そのように生きています。食べて、服も不自由なくて、よく遊んで、出世することだけ考えています。そうしている間に、イスラエルの民は皆死ぬのです。ある日、モーセが知るようになったのです。私がエジプト人ではないということが分かりました。私が今、イスラエル人であることを分かったのです。自分の民族が死んでいくのを分かりました。その時、殺人まで起こしたのです。何の話なのでしょうか。モーセは40年間、何をしたのでしょうか。重要なことを悟れないで、人間主義をずっと使ったのです。そうするうちにどうなったのでしょうか。ミデヤンに行きました。ミデヤンで、40年間を失望の時間を送りました。もちろん祈ったでしょう。しかし、失望の時間です。年齢80才になる時まで、何もできなくて、妻の実家での暮らしをしていました。このようになったら、どうなるでしょうか。神様がモーセを準備された理由をまだ知らなかったのです。そのようなある日のことです。モーセに第3の人生が始まりました。正しく悟るようになったのです。人間主義40年が過ぎました。私たちは、世の中のことを分からなければなりません。しかし、人間主義をもって成功はできません。失望した40年がモーセに過ぎ去りました。いよいよ、もう神様に会う40年がきたのです。どこで、でしょうか。ホレブ山で。皆さんがこの恵みを受けなければなりません。私たちのレムナントが、この恵みを受けなければならないのです。私たちが人間関係も上手にしなければならないのですが、とても重要なことは、神様から受けるのです。私たちのレムナントが礼儀もそろえなければならないのですが、とても重要なことは、神様の前に立つことです。私たちは、実力もそろえなければなりません。それは常識です。しかし、とても重要なことは、神様の前に立つことです。ホレブ山で。私たちのインマヌエルのすべての家族が、すべてのレムナントが、ホレブ山の祝福を受けるように願います。

・ここでモーセの人生が変わりました。神様に会ったのです。いつも聞くだけでした。本当に神様を体験するようになったのです。これが重要です。私たちは、ただそうなのかと言うでしょうが、本当にモーセは神様に会ったのです。私たちが神秘主義者になれということではありません。皆さんの人生に最も重要なことが何なのかというと、本当に神様が私とともにおられるのだな。ここから始まるのです。モーセにこういう時間がきました。モーセが見たら、柴に火がついていたのですが、不思議に火が消えないでずっと燃えていたのです。その時の雰囲気が変だったのです。そうしていたら、その中から神様の御声を聞きました。モーセ、モーセと呼ばれたので、モーセがそこでどうしたでしょうか。その時、何とおっしゃられたのでしょうか。わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主だ。イスラエル民族の苦難をわたしが見た。立っている所で履物を脱げ。履物をなぜ脱ぐのでしょうか。ここで私たちが悟らなければならない重要な意味があります。立っている所は聖なる地であるから履物を脱げ。履物をなぜ脱げと言われたのでしょうか。今はそうではないのですが、その当時には、履物は身分を象徴することでした。その時は、衣服にも身分が決まっていたのです。その中で、最も特徴あるのが履物でした。その時、奴隷は履物がなかったのです。奴隷が履物を履くのは身分不相応なことだったのです。それで、あなたの履物を脱げと言われたのです。とても重要な言葉です。もうあなたの身分を確認して変えなさい。あなたは、もう、そのような身分の人ではない。聖なる地であるから、あなたが世の中で履いている履物を脱いでしまいなさい。私たちが、いつも不信仰して傷ついた履物を脱いでしまいなさい。そのようなみことばが聞こえたのです。それと共に、何とおっしゃったのでしょうか。あなたの民族を連れ出す。80年間、モーセが聞いた契約でした。お母さんに乳を飲ませてもらいながら聞いたその契約。モーセには情念があります。自分に乳を飲ませた女性が知ってみたら、自分のお母さんでした。どうでしょうか。モーセの情念はものすごいのです。私がエジプトの王子でなく、ヘブル人だと。噂を聞いてみたら、お母さんが私をそちらに送って、乳母で乳を飲ませて行ったということです。後ほど分かったのです。この心にあった情念は、ものすごいのです。ところで、そのお母さんが自分にいつもしていた話がありました。それを思い出したのです。モーセ80年の情念です。

・私たちが信仰生活を正しくしようとするなら、この御声を聞かなければなりません。単にインマヌエル教会に通おう。それではありません。そのようにして、どのように信仰生活をするのでしょうか。私の家系と人生と、私の重要な答えを置いて、神様がこの場にいるようにされたのです。そうではないでしょうか。単に伝道すればできません。大韓民国と世界の霊的問題と家系と私を見つめる時、この運動しか他にあるのでしょうか。履物を脱げと言われたことまでは理解できて良かったのですが、神様がモーセにわたしの民を連れて出て行きなさい。モーセは幼い時悟れなかったとしても、少なくとも王宮を出てからは悟ったのです。そうだとする時、それがモーセの40年の祈りの課題です。これを捜し出すことを望みます。この祝福を受けることを望みます。そうすれば、まちがいなく勝利します。それと共に何とおっしゃったのでしょうか。今、あなたがパロに行ってイスラエル民族を連れて出なさい。この時、モーセが錯覚したのです。今日、皆さんが錯覚を変えなければなりません。この時、モーセはこのように答えなければならなかったのです。神様、それで私をエジプトに住むようにされたのですね。それで、私を王宮で育つようにされたのですね。今、私の年齢は80才です。死ぬことがあっても死んでも良いから、私の民族を連れて出て行きます。このように話さなければならなかったのです。ところが、モーセが何と言ったのでしょうか。送るべき人を送るべきで、私は行くことができないと言いました。本当に勘違いをしたのです。神様がモーセに色々な祝福を準備しておかれたのに、モーセが弁解したのです。結局は、モーセは悟るようになりました。そして、何とおっしゃったのでしょうか。

・モーセに与えられた二番目のことは何でしょうか。出エジプト3:18福音の回復です。血のいけにえをささげに行きなさい。そして、何を回復したのでしょうか。わたしが証拠を見せる。力の手であなたとともにいる。これが私と皆さんが新しく始める人生の約束です。皆さんは血の契約を持った神様の人であるために、力ある御手であなたとともにいる。さらに重要な話は、わたしが知っていると言われました。何をでしょうか。エジプトの力を知っていると言われたのです。わたしが力ある手をあげて打つ。証拠を与える。このようにおっしゃられました。この契約を捕まえて出て行くのに、モーセの前には驚くことが行われ始めました。皆さん、この契約を捕まえて出て行くように願います。もう人間主義もみな捨てましょう。自分自らを見つめて、失望した私たちの傷もみな捨ててしまいましょう。過去を出してしまわない以上、未来はありません。過去を捨てましょう。今は希望に満ちた神様の契約だけ捕まえて出て行きましょう。持っているものがありません。それで、神様が何とおっしゃるのでしょうか。わたしがあなたとともにいる。モーセが持っているものは杖しかありませんでした。これを持って行くのに、打てば岩から水が出てきました。この杖で示せば紅海が分かれました。こういう驚くことがモーセが行く道に起きたのです。このようになるしかないのは、神様はイスラエル民族を救い出すことを望まれるということです。私たちのインマヌエルの家族、今日共に礼拝する教会が祝福を受けなければならない理由が、まさに他の人を生かさなければならないからです。今日、皆さんがこの祝福を必ず回復することを望みます。今回、私たちのレムナントは、「本当に神様に会う恵みを与えられますように。私に福音の驚くべき恵みを与えて下さい。真の契約を私に回復させて下さい。」と祈りましょう。なぜなら、私がだめになっているからです。他の人がだめなのはその次のことであり、私がだめになっているのです。他の人を生かさなければならないことが間違いないのに、今、私に力がありません。絶対に、そのままいてはいけません。なぜなら、神様が準備しておかれたからです。人間主義をしたこと、過去に捕えられて憂えているのです。

・モーセの憂いは3つでした。一理があります。私の年を見て下さい。私を見なさいということです。よく悟ったのです。ソクラテスも、あなた自身を知りなさいと言ったのですが、よく分かったのです。モーセが自分自身を知っていたのでだめだと言いました。それが錯覚です。それが一般の人、世の中の人々が知っていることです。モーセは二つ目の憂いがありました。今、パロ王は、私を捕まえて殺そうとするはずなのに、そこに行ってパロ王に話せば死にに行くのではないでしょうか。私が今、事件を起こして逃げて来ているのに、パロ王が探しているのではないでしょうか。簡単に話せば死にに入るのではないでしょうか。これがモーセの悩みでした。もう一つの悩みがありました。昔にもそうだったのですが、イスラエル民族が私の話を聞くでしょうか。私が話せばイスラエル民族が付いて来なければならないのに、付いて来るでしょうか。この時、神様は簡単に返事をされました。わたしは主(ヤーウェ)である。わたしがあなたとともにいる。終わりです。皆さん、主(ヤーウェ)という言葉を分かるでしょう。ヤーウェという言葉は、ヘブル語で「ハヤ」という言葉なのですが、「存在」という言葉です。さらに重要なのは自ら存在するということです。この地に自ら存在するのは何もありません。確かに子どもも、私の思いのままにすればほろびます。自ら存在する人はいないのです。そして夫が言うことを聞かない女の人はほろびます。なぜなら、自ら良くできる人はいないのです。それで、指導者を言うことを聞かない学生はほろびるのです。人間は自ら生きることができません。それで牧師には役員会あって、老会もあるのです。レムナントで外に留学するレムナントが、一番用心しなければならないことは、一人で暮らすことが習慣になって、下手すると大変なことになるのです。大人たちはもちろんですが、レムナントが重要だから、一人で生活したことで、下手すると大変なことになります。自ら存在するのは主(ヤーウェ)しかありません。わたしは主である。あなたとともにいる。簡単な答えです。イスラエルに行って話しなさい。主がおっしゃられたと言いなさい。終わりです。主(ヤーウェ)という言葉は、すばらしい言葉です。元々、ヤーウェという意味です。ヤーウェという単語が正しい単語です。ヘブル語でヤーウェの神様と言います。ヤーウェが正しいのです。その説明をしようとするなら、しばらく複雑ですが、記録されられてきながらエホバと誤ってされました。誤りというよりは、そうなったのです。今、ヤーウェというこの言葉がとても重要です。創造主という単語です。あなたとともにいる。これがモーセに与えた答えです。皆さんこの祝福を受けることを希望します。勉強するなということではありません。もちろん、しなければなりません。しかし、本当にこの祝福を受けなければなりません。

・三番目に知らなければなりません。モーセを呼ばれたということは、皆さんが知らなければならない二番目のことで、この時、私たちが最後に知らなければならないことが何でしょうか。私の人生の主人は誰か。これが今日、結論を下さなければならない部分です。モーセの人生、エジプト40年はエジプトが主人でしたが、事実はサタンが主人でした。皆さんと私と私たちのレムナントをサタンが思いのままに、もてあそんだら、私たちは死にます。なぜ未信者を救い出さなければならないのでしょうか。サタンが主人だからです。だから、ヨハネ8:44にそう言われています。何の話なのか分かるでしょう。モーセがミデヤン中で40年いた時は、だれが主人だったでしょうか。自分自身が主人でした。これがまた問題になります。私たちの人生は、自分自身が主人ではありません。そんなに価値がない人生ではないのです。未信者の話が良い話のように思えるのですが、それは一段階低いレベルの話です。私の人生は私が生きる。正しい言葉です。それは何の話なのでしょうか。幼稚園レベルから抜け出したということです。幼稚園の子どもたちが、私のズボンは私が着るという、そんな話です。本当に人生はそれではありません。モーセが荒野40年を行くのに、主人は誰だったのでしょうか。主(ヤーウェ)なる神様が主人でした。その時からモーセに驚くべき奇跡のみわざが起きました。主人の最も大きい意味は何でしょうか。私たちの人生の責任を負われる神様ということです。モーセ荒野40年の人生の主人は誰だったのでしょうか。主(ヤーウェ)なる神様でした。私の主人が神様になれば、全てが回復します。また私の力で行わずに、神様の力で生きてこそ世界征服できるのです。私の力は、ただご飯を食べて死ぬ以外はできません。私たちは動物ではないのです。私たちはご飯だけ食べて死ぬ動物ではないから、私の力ではだめです。主(ヤーウェ)なる神様の力が必要なのです。皆さんのアイデンティティーが回復すれば、全てがみな回復します。今日、この祝福を受けることを希望します。皆さんが信仰生活を良くするようでも、問題がくれば実際には私の力で行おうとするのです。それは正しいことですが、常識です。私たちはそのような程度ではありません。世の中を救い出さなければならず、教会を生かさなければならないので、神様の力で。私は信仰生活が、なぜだめなのでしょうか。これだけ変えれば良いのです。私の力で行おうとしてはいけません。神様の聖霊の力で。少しだけ祈れば、働きが起きます。

・私は昔、幼い時から教会に通っていたのですが、知らなくて、教会を通うのが私に一番難しいことでした。福音を知らなければ、教会に通うのが一番大変です。少し恵みを受けたのに、みわざが起きないで、とても荷が重かったのです。信仰生活が大変なほどでなく、どれくらい私に多くの困難を与えるか分かりません。ある日、私が福音を知るようになったのです。神様が私に恵みをくださったのですが、私がするのではありません。さらに重要なのは、私はもう私ではないのです。悪魔が支配した私ではありません。孤児のように寂しく通った私ではないのです。もう私の中に聖霊がおられるのです。それで、その力で生きるのです。答えがきます。希望が一つできたのです。今はすべての世界レムナントを生かさなければならない。それで、皆さんが今、新しい力を得なければならないのです。この契約だけつかめば良いのです。モーセがこの時まで話したことは、自分の基準で話したのですが、神様の力で。

・レムナント大会が明日から開始しますが、メッセージはあさってから始まります。レムナントに与えるメッセージは、このように整理されています。私と皆さんが私たちの力で行ったら、だめになります。ご飯を食べて生きて、仕事をするのを私たちの力で行うことであって、その上のことは神様の力で。私の信仰生活は神様の力で。残った人生の主人は、全能なる主なる神様です。この契約を捕まえて行けば、皆さんが行く所ごとに答えの大きい門が開かれるでしょう。新しい家族に理解させるために、前にこういう例をあげました。牧師一人が冬に卓球場に行って卓球をして、見たら服がなくなっていたのです。問題は、コートの中には証明書とか重要なものがたくさん入っていたのです。そのまま牧師が運動を少ししようと、友人と卓球をしていて、出てきたら服がなかったのです。誰かが盗み出してしまったのでした。牧師が申告せざるをえなかったのが、証明書があったので、申告をしないわけにはいかなかったのです。しかし、警察がこういう話をしたのです。服をどこに置いたのか。そのまま壁に掛けておいたと言いました。主人に話して掛けたかとまた尋ねました。釘があったので、そのまま掛けました。だれが主人に話して掛けるでしょうか、釘があればそのまま掛けるでしょう。ところが、警察がこのように話したのです。問題が生じなければ大丈夫だが、問題が生じた場合、主人が知ってそちらに掛けておきなさいと言ったのになくなったら、主人に責任がある。あなたがそちらに服を掛けたのか、カバンを掛けたのか、主人は知らないから責任を負えない。この牧師がしばらくその書類のために苦労したのでした。私はその時、何を感じたかというと、主人というものがこれくらい重要だなということです。イエス様が婚姻の祭りで、お客さんでおられた時はみわざが起きなかったのですが、主人の役割を果たされた時、みわざが起きました。その時、私が悟ったのは、主人という話は、簡単な話にならないということでした。皆さんの人生と未来全体の責任を負った人のことを言います。この時から、モーセの人生が変わったのです。皆さん、本当に答えを受けるように願います。皆さんは、神様を頼るという意味でなく、最高の神様がすべての祝福の創造主が、私のお父さんで、私たちの主人だということなのです。

・この祝福を持って今週新しい力を必ず得ることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。暗闇に陥った人生を救い出せるように霊的な目を開いて下さい。モーセがホレブ山での40年の人生を勝利したように、神様が新しい力を与えて下さい。私の人生の主人が変わる時間になるようにさえて下さい。それで残った人生に真の答えを受ける開始になると確信します。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン