2006年9月17日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/家庭問題はどのように解決するのか?
(創世記37:1〜11)

■私たちは、今、RUTC時代を迎えています。そのような中で、レムナントの家庭を調べる必要があります。それで、今日のタイトルを家庭問題はどのように解決するのか?としました。夫婦治癒使命者大会に行って問題の中で一番大きい問題が何かと尋ねたところ、家庭問題だということでした。そのうちで一番多いのが、夫婦問題、子ども問題、予想したように経済問題の順に出てきました。第1位が夫婦問題でした。どんな問題があるかと聞いたら、いろいろな問題が出てきました。そのうちで、不和と葛藤を選びました。家庭という時、皆が一番祈っている部分でもあるのですが、一番問題でもあります。ある人は、本当にしっかりした人なのに、男性に誤って会って一生、苦労する人もいます。また、女性に誤って会って苦労する人も見ました。動物なら売れば良いのですが、人を売ることもできないから問題が続くのです。この前、放送を見ていたら、あまりにも夫が心配をかけるから、夫を買っていく人がいないかと言っていました。夫を買ってもらえるならば、姑もつけますと言っているのを見ました。あまりにも難しいから、そのような話が出るのです。
■事実は、それほど難しいことではないのに、家庭ごとに困難にあっています。少しだけ男性が誠実ならばいろいろなことが解決されるのに、それ一つができずに困難がくるのです。多くの女性が、少しだけ考えが深くても多くの祝福が来るのに、あまりに別がない行動なので問題がずっと生じるのです。レムナントは、勉強が良くできなくても崩れなければ良いのに、しばしば揺れて、さまよっています。ヨセフの家に大きい問題が来ました。その当時の文化は、一夫多妻の文化だったのですが、このヤコブが文化を克服できなかったのです。それで、家庭の中に問題が多くなったのです。夫人の中にしっかりした人がいて、問題が生じても賢くすれば良いのに、そうすることでができなかったのです。さらにヤコブの夫人の中でも考えが深い人がラケルだったのですが、ラケルははやく死にました。家庭の中で子どもたちはたくさん生まれて、それとともに葛藤の中に陥るようになったのです。それで、ほとんど家に殺人が起こるほどの問題がきました。ヨセフがお父さんにいろいろな話をするから兄たちは感情が傷ついて殺そうとしたのです。想像するだけでも複雑なのですが、ヤコブの家にこういうひどい問題が発生したのです。
■まだ10才にもならない私の孫たちが、自分たちどうしで競い合うのが見られます。ご飯を食べる時も、1人をほめたら他の1人は食べないのです。なぜかというと、気分が悪いということです。ところで、静かに見ると、小さい子どもたちも表に出ないように競い合いをよくしています。私たちも幼い時そうだったのかも知れませんが、とにかく、小さい子どもたちもそのようにするのです。同じ兄弟、親の下にいてもそのような葛藤を持つのです。だから、最初から最後までみなそうです。生きること、食べること、着ることまで。それで、孫に言いました。「ソピンはご飯をよく食べるでしょう。あなたも本当に良い子だから、ご飯をよく食べなければならないよ。」すると「私は良い子じゃない。」と言います。このような形です。前にほめたと気分が悪くするのです。そして、自分たちにも自尊心があるのです。ある時、牧師と一緒に食事をするのに孫がきました。しかし、騒々しくしたのです。牧師と食事中なので、他のところに送ることもできなくてして、静かにしなさいと言いました。すると腹が立ったように座っていました。静かに見たら、何もせずに静かに座っていたのです。それで、どうしたのと尋ねたのです。そうしたら、私に向かって何にも話すなということを現して「シ〜ッ」と人差し指を口に当てるポーズを取りました。私がそのように静かにしろといったので、自分も同じようにしたのです。
■こういう小さい子どもたちも自尊心が傷つくとそうなのに、このヤコブの家の子どもたちはどうだったのでしょうか? 家庭の中に深刻な問題が生じている状況です。この時、三つ反応が出てきました。ヨセフの兄は悪い感情を持ちました。殺したいほどです。そして、ある兄たちは無関心であきらめていました。ところで、今日見ると、ヨセフはそうではなかったと言われています。ヨセフは、事実はあまりにも大きい困難をたくさん受けていました。自分の家にお母さんがたくさんいるのも問題ですが、ヨセフは幼い時、お母さんが亡くなりました。ベミヤミンはお母さんを見ることはありませんでした。自分が生まれた時に死んだので。いっそそのような程度ならば大丈夫ですが、ヨセフはお母さんを知っています。お母さんが一番好きな年齢でお母さんが亡くなったのです。私の見るのに、お父さんがいない子どもは、それでもちょっと良いのですが、お母さんがいない子どもたちは本当に哀れです。それで、ヤコブがヨセフを特別に愛したようです。ところで、すでに他のお母さんを通して産まれた兄たちが多くいました。この兄たちがヨセフを困らせるのです。単純にねたむ程度ではなく、ヨセフを殺そうとしたのです。
■これくらい家庭に問題がきました。これを捕まえてヨセフはどのようにしたでしょうか。ヨセフは神様の前に本当に祈りました。その証拠が、ヨセフに神様が大きいビジョンを見せられたのです。喫茶店に座ってこの喫茶店が良いな、としている中に聖霊充満を受けた人は1人もいません。良い家を買って、感心している時、聖霊充満を受けた人は1人もいません。本当に契約を捕まえて祈って聖霊充満を受けました。こういう困難をヨセフは祈って、神様の契約も捕まえて、夢も見て、ビジョンを捕まえたのです。私たちがヨセフを見ながら、特にレムナントには、想像以上に家庭に対する傷が多いのです。祈りを正しく始めましょう。ヨセフは大きい葛藤を祈りに変えました。これがとても重要です。私たちは簡単に越えて行ける話ですが、特に皆さんの子ども達、レムナントたちは家庭で受けた傷がほとんど一生を左右します。本人が知らないこともあります。これは霊的問題と連結するから、家庭で受けた傷が想像以上に大きい人も多いのです。
■だから、ある子どもが文章を書いたのを見てびっくりしました。皆さんは合宿訓練をありふれたこととして思うでしょうが、子どもたちは、合宿訓練をして変化する子どもたちが多いのです。ある子どもは、自分の両親を殺すのが祈りの課題だったという子どももいます。私はとても驚きました。こういう子どもたちが合宿にきて、訓練を受けて変化したのです。それで、私たちの言葉では、福音の力と言うのですが、実際にこういうものを見ながら、福音の力がどれくらい大きいかをまた考えるようになります。そのような程度は分かります。あるご親は、自分の家には何の問題がないと思っていたということです。自分の子どもは、あまりにもよく育っていると思っていたのに、十年ぶりに分かったのが、この子が完全に麻薬に陥っていたのです。何の問題もないように見えて良く暮らす家なのに、そうだったのです。この親がとても衝撃を受けました。自分は米国にきて勉強しながら子供たちを育てていたのに、よく育っていると思ったということです。勉強も良くできて、模範生だと思っていたということです。ある日、警察署で連絡がきて行ってみたら、自分の子どもが麻薬犯で捕らえられているのです。知ってみたら、この子は麻薬をして十年以上たっていたのです。この親がとても衝撃を受けたということです。いったいなぜ麻薬をするかということです。子どもたちが大丈夫だと思ったのに、こういう問題がある家がとても多いのです。
■ところで、ヨセフは自分の家庭に起きたことを持って、いくらでも崩れることもできたのですが、これを契約で捕まえました。皆さんが通り過ぎてはいけません。ヨセフは奴隷に行くようになりました。福音を持っている人は、どんな場合も気を落とすことはありません。私が家庭で暴力にあうよりは、奴隷で行くほうが、ある面ではより良いと思ったのでしょう。または、私が虐待を受けながらこの家にいるよりは、奴隷に行くほうが良いと思ったかもしれません。このヨセフは契約を持っていました。それで、契約を持っている人は、どんな問題でも祈りに変えられるのです。その時、これがどういうことでしょうか? ヨセフが監獄に行きました。多分、ヨセフはこのように悟ったでしょう。神様が自分にくださったビジョンがあるから、このビジョンを成し遂げようとするなら、ポティファルの家ではだめだと思ったでしょう。こういうものがすべての困難を勝ち抜く理由になりました。今日、皆さんが本文の中で、私たちはどんなことを捕まえて祈らなければならないのでしょうか。特に、私たちの学生たちは、私たちの家庭問題をどのようにするのかを今、捕まえなければ、年を取れば困るようになります。今は、問題をたくさん起こす大人たちは、すでに幼い時に家庭で始まった問題なのです。
■皆さんが対話してみれば、全く対話にならない人々がいます。これがすでに家庭で始まったのです。だから、普通の問題ではありません。ある人は、戦って人をけなすのが、幼い時に家庭から始まったのです。会社でも問題を作り出す人々を見れば、その問題が全部家庭から始まりました。両親が悪く教えなかったのですが、家庭から始まったのです。あるいは、皆さんを見れば、大事故を起こす人々を見れば、ほとんど家庭から問題を抱いて育った人々です。それで、私が見る時にはとても重要です。それでは、私たちはどのようにすべきなのでしょうか。三つをしなければならないのです。最初です。徹底的に土台にしましょう。それをそのまま過ぎ去ってはいけません。徹底的にその問題を土台として起きなければなりません。ヨセフは、自分の家におきることを徹底的に土台として祈り始めたのですが、そのゆえに大きいビジョンを見るようになりました。これが土台になるから、ヨセフはどこへ行っても問題にならないのです。ヨセフは家庭に起きた問題を土台としたら、どんなことが起きても問題になりません。すでに皆さんは家庭の困難にあったり、家庭が崩れた人々もあるでしょう。それをそのまま置いてはいけません。徹底的に土台にしましょう。私たちはありふれたこととして過ぎ去るのです。
■皆さんが本当に祈りの答えを受けて、神様の契約を成し遂げるには、皆さんの家庭に起きた問題を土台にしなければなりません。それが最初です。レムナントがみなそうだったのですが、ヨセフが特にそうでした。今日、皆さんの家庭にある多くの問題が解決され始める、そのような日になるように願います。家庭に格別問題がないと思う方々もあるでしょう。本当に感謝なことです。しかし、想像以上に問題が多いのです。こういう部分を契約で捕まえなくてはいけません。それで、ヨセフは二番目に、全部、生活の節度を整えることに変えました。ポティファルの家に行ってヨセフが仕事をするのに、本当にポティファルが感動を受けるほど仕事をしました。ヨセフが監獄に行ったのですが、そこでも神様の祝福が現れました。このヨセフが総理になった時には世界を生かすことが行われました。
■皆さんの家庭問題、個人問題、未来問題をどのようにしなければならないのでしょうか? これを持って実際的な祈りの奥義の中に入らなければなりません。ヨセフは福音の契約のなかでこれを土台としました。ヨセフは、これを持って行く所ごとに生活の節度を整えるようにしました。ヨセフは自分の問題に、そのまま行ったのではなく、現場に行く前に祈りの奥義を持って入ったのです。主がヨセフと共におられたと言われています。私たちのレムナント、青年たちは必ず覚えましょう。皆さんは福音を持っているので、外に行ってあまり当惑することなく、問題が生じれば少しだけ祈りましょう。私たちは普通、錯覚するのです。皆さんが契約をもって少しだけ祈れば良いのです。
■私が知っている方一人は、職場で勤務をしていたのに、自分一人だけ信者でした。福音を伝えなければならないではないでしょうか。ところで、福音を伝えるどころか、未信者がみんな団結して、この信者を難しくさせたのです。そのような時は、どのようにしなければならないのでしょうか。私たちがこのような時、葛藤して揺れたりもします。ところで、この方がこういう気がしたということです。「あの人たちが、私を難しくさせるのは、難しくさせるのではない。多分、私を調べている方法だろう。」よく悟ったのです。それで、仕事を誠実にしながら祈ったのです。そうしたら、少し後に不思議なことが行われたのです。会社の中で問題が解決するのに、全部、この人を通して解決したのです。重要な答えがくる時にも、全部、この人を通してきました。会社の中で仕事が多く来るということは、うまくいっているのではないでしょうか。その門が、全部、この人を通して開かれたのです。そうしたら、後には会社の人々が、この人を難しくさせるどころか、何でも行って尋ねるようになりました。それで、自然に福音を伝える門も開かれたのです。私たちは問題がくれば、いつもうろたえます。うろたえる必要はありません。
■皆さんが誰なのか知っているでしょうか。<Iコリント3:16>皆さんはどこへ行こうが、皆さんが知らない間に皆さんは福音を受けたので、そこに神様の聖霊が働かれるのです。イエス様がそのように説明されました。聖霊が臨めば、悪い霊は縛られるようになっています。そのようにすれば、神様の国が成されるのです。だから何も心配する必要がありません。この話が理解できなくてはだめだと言われました。強い者を縛らないで、どのようにその家の家具を持ち出せるか、この悪いサタンの勢力を縛らないで、どのように勝利できるのでしょうか? 世の中の人々は知りません。ところで、この部分を世の中の人々のようにのがしてしまったら、大変なことになります。少しだけしていれば、答えのみわざが起きます。それなら、気をおとす必要がありません。ヨセフは家庭問題を土台に。家庭で起きた苦しみをすべて節度に。家庭で苦しめられたことを全部、出て行く時、祈りの奥義で持って出て行きました。これ一つできるならば、みな解決されます。それで、家庭のすべての問題を土台にしましょう。今日、私たちのレムナントは、家庭で受けた傷があるならば、完全に捨てましょう。それがあれば、皆さんがみな成長しても霊的なことが成長しません。それでは、年を取りながら深刻な問題で迫ってきます。
■それで、どこかへ行って恵み受ければ良いと思ってもがくのですが、だめになります。私は想像以上に、牧師、長老、こういう重要な方々の中で、幼い時から持っている傷を解決できなくて年を取ってさ迷う人をとてもたくさん見ました。だから、目に見えなく多くの被害を与えるのです。今日、皆さんが最後に分からなければならないことがあります。ヨセフの話以前に分からなければならないことがあるのです。なぜ赤ん坊が産まれたのに、子どもに問題があるのでしょうか? それはどう思うでしょうか? イエス様が通り過ぎるのにある目の見えない人が座っていました。弟子が尋ねたのです。「なぜ、あのようなのですか? 本人の罪ですか? 両親の罪ですか?」私たちは、普通、こう思います。イエス様は「両親の罪でも、自分の罪でもない。神様が現わされようとすることがある。」と言われました。しかし、それ以前に分からなければならないことがあるのです。すべての人間は生まれながら、まさに創世記3章の問題の中で生まれます。だから、この問題が精神的でも、からだでも、それぞれ違うように出てくるのですが、確かにくるようになっています。それで、福音の中に入れというのです。それで、神様が福音を与えられたのです。
■今日、私たちが讃美歌151番を歌いました。私は、この讃美を歌うのに、皆さんの顔を見ていました。皆さんが賛美する時、カメラが撮したりします。ある人を見れば、熱心に賛美しています。じっとしている人、悩んだ顔をしている人など多いのです。この賛美には、くりかえしで「イエス、イエス」と言いながら強調して出てきます。どれだけ聖徒が、これを理解しているのだろうか? この賛美を作った人々の背景を説明するのも良いと考えました。私たちは単に賛美するのですが、賛美の背景にはものすごいことが多いのです。皆さんもおわかりの通り、クロスビーのような人は、事故で目が見えなくなりました。自分の夢にもみる願いが、目が開かれることでした。しかし、どれくらい恵みを受けたのか、福音を悟って神様の恵みを受けてみたら、考えが違うようになりました。必ず目を開かれる必要はないというほど恵みを受けたのです。このままが良い、これくらい悟ったのです。すごく悟りました。今からは分かりませんが、ここに座っている人々みな合わせた影響より、もっと大きい影響をおよぼした女性です。それで、この女性が書いた賛美を見れば、目が見えないためか、「私の行く道みな行くようにイエスが導かれるので、私の命なる主、主の前に進みます。干からびた土地を一日中歩いていっても私は疲れません。」みな自分の信仰に対する告白です。私たちが今、福音でなくてはいけないから、それを知ってこの賛美を作った人はイエスを強調したのです。私たちは何も知らなくてそのまま歌っています。
■それで、おかしな子どもがいる家を見ながら、あの家はなぜそうなのか? そのような必要はありません。皆さんの中に障害者がいれば、私はなぜ障害者になったのだろうか? そのような必要はないのです。創世記3章の問題の中で生まれたので、同じように問題があるので、形が違うだけです。私たちは、それを勘違いしているのです。問題が多いと見るのですが、そうではありません。それで、霊的の目を開いてしまえば、事実は、ヨセフの家に問題があるということが、ある面では当然の話です。これを知らずに傷ついてじっとしていれば、本当に大変なことになります。年を取りながら、このように変わっていくので、私たちが勝てなくなります。今が機会です。ヨセフのように、契約を捕まえて本当に勝利する祝福を味わわなければなりません。世の中に出てみれば、色々な事があります。私たちは福音を持っても、のがしてしまうのです。皆さんがどれくらい大きい祝福を受けた人なのか知らずにのがしてしまうのです。
■私があまりにも心に残っていることだと、前にも証ししたことがありました。私は初めて世の中に出て、やられてから「これがこういうことだな。」という気がしたのです。子どもが生まれて、神学校で勉強をしながら大学に通っていたのに、突然に私に通知がきたのです。朴正煕大統領の特別命令で大学のなかで遅くまで勉強して軍に行かない人々を集めて特別に送る部隊がありました。朴正煕大統領が頭をよく使ったのです。簡単に話せば、防衛兵を選んで一年訓練させて、現役のように活用しなさいという命令でした。私がそこに引っかかったのです。皆さん中の現役でも一年間訓練受けないのに、一年間訓練を受けるのです。私は子どももいて、年もとっていたのですが、行くようになりました。ひとまず行けば、髪の毛から剃られます。それで行ったのですが、何がなんだか分からなくなってしまいました。暇さえあれば、あちこちで悪口を言って殴っていました。昔には悪口を言われない日がありませんでした。いつも悪口でした。どれだけ分からなくなっていたというと「起きて、座って、左に転がって、右に転がって」と言われるのですが、ポケットのコインがみな落ちてしまうのに分からなかったくらいです。それで、私たちが現役ではないのですが、特別遊撃訓練まで行くようになりました。私がどれだけ何がなんだか分からなかったかというと、時計を一つ拾ったのです。それで時計を拾って、教官に持って行って見たから私の時計でした。その程度でした。
■神様がいるのか? 軍隊に行けば神様がいないのです。何がなんだか分からなくなります。3ケ月後に「しまった」と思いました。私が今、何をしているのか?そのように考えるだけでも答えが来ます。私が神様の子どもではないのか? 伝道師ではないのか? 私がここで隠された神様の人を探さなければならないのではないのか? 3ケ月後に、そのようにしっかりとしたのです。だから、私たちが世の中に出て行けばどうでしょうか。それで、心の底から祈りを始めたのでした。そうすれば良いのです。その時から答えがきます。訓練を受けていたら、放送で私の名前が呼ばれました。行ってみると、あれこれ調査をする文を書くところで勤めなさいと言われました。それだけでも生きられそうでした。中に入って祈っていたら、その中にいた人々のほとんどみなが福音を受けました。以前に話しました。隊長に会って福音を伝えたがイエス様を受け入れました。それも私が何かの許可を受けに入ってそうなったのです。後ほど知ってみたら、昔に教会に通った方なのに、福音がないだけでした。私が少しだけしっかりして祈ったのに、みわざが起きました。私たちのタラッパンには将軍が多いのです。その方たちにメッセージをするときは、心の中ではいつも申し訳なかったのです。私が防衛出身なのに、将軍にメッセージをしても良いのかという気がしました。その時、2つの理由でそうではないように思いました。軍隊の話でなく、神様のみことば伝えに行くのです。もう一つは、ダビデがゴリヤテを倒した時は民間に防衛人でした。それより良いではないでしょうか。それで、大胆にメッセージを伝えたりもするのです。
■私たちが小さい社会生活の中でも、クリスチャンはうろたえています。小さい私たちの家庭問題の中で、傷ついて問題がきたりもします。皆さんが福音の中にいれば、すべての問題が解決されるということは、私たちがすでに知っているのです。それでは、徹底的に土台としましょう! そして、私たちはその中ですべての節度をみな見いだしましょう。その中で祈りの課題をみな見いだしましょう。本当です。私が幼い時に育ったこと、困難を受けたことをうろたえていたら、何も見えなかったのですが、良く見てみたら、全部メッセージでした。昔に私たちの村にムダン(霊媒師)が多かったのですが、分かってみたら全部、祈りの課題で、メッセージでした。私と皆さんが困難を受けるように見えるのですが、家庭のすべての問題が土台であり、節度で、祈りの課題です。今日、必ずそのように捕まえるように願います。特に私たちのレムナントたち、皆さんは福音の中にいるから、家庭にある問題は土台です。家庭にある問題の中で、人生の節度を見いだすのです。家庭問題は、まさに祈りの課題です。このように持って出て行けば良いのです。それで、事実はしばしばのがしているのですが、これはすばらしいことなのです。聖霊が共におられると約束されました。その通りでしょうか? それでは間違いありません。それでは夫がいくら変でも大丈夫です。妻がいくら足りなくても大丈夫です。なぜなら、聖霊が私とともにおられるためです。
■職場の中にいくら困難きても大丈夫です。聖霊が私とともにおられるから、職場の中を変化させることができます。今日、皆さんがこの契約を一度つかむように願います。皆、知っていることですが、何でもないのに、私たちがのがしているのです。それで、皆さんがこの契約を捕まえて、皆さんの家庭が全部、土台になって、節度になって、祈りの課題になることをイエスの御名でお祈りします。特に、世界に散っている私たちのレムナントが、今日、この契約を捕まえて、皆さんの家庭と多くの社会を生かす祝福の土台になることをイエスの御名で祝福します。皆さんの家庭に神様の大きい祝福があることを希望します。皆さんの子孫を通して、神様の証拠があることを希望します。また、私たちの子どもが重要なのも重要ですが、レムナントを生かす皆さんになるように願います。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちの傷が癒される日になるようにして下さい。私たちの隠れた傷が霊的問題に変わらないように神様が働いて下さい。特に私たちのレムナントの傷が癒される日になるようにして下さい。幼い時から多くの傷で誤っている人々がとても多いのです。聖霊の力で癒して下さい。今日、私たちの家系が生かされる祝福の日になるように祈ります。全世界に散らされたレムナントに神様が祝福して下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/役員改革と世界宣教
(使徒7:54〜60)

■今日は一ケ月に一回ずつ持つ一般信徒宣教礼拝です。今、おわかりの通り、私たちは役員改革と世界宣教、今、多くの役員が訓練を受けています。それは、役員を起こしてはじめて世界福音化になるためです。今日、この時間に契約を捕まえて新しく始める答えがあるように願います。今、全世界そして、全国でインターネットで共にみことばを聞いています。この本題に入る前に、一つ考えなければならないことがあります。「およそ10〜20年信仰生活をしたのに得ることがない。」それではいけません。「我が家は元々イエスを信じる家なのに、今、見てみると何もない。」ということならばだめです。一回ぐらいは、考えなければなりません。「牧会を10、20、30年したが、何の実もない。」それではいけません。それは小さなことではありません。皆さんが熱心に信仰生活をしたのに、家庭も個人も実際に恵みも恵みですが、残るものがなくて何もないとすれば、それは私たちが、考えなければなりません。
■「私がなぜこうなのか。」このように質問をしたのですが、神様が大きい答えをくださいました。アウグスティヌスです。それだけ質問してもかまいません。「私がなぜこのようで、我が家がなぜこのようなのだろう。」と質問をしても、みわざがあるようになります。普通、答えを受けられずに、行くほど困難が来る人はいくつかの理由があります。事実は、他の人に話せない霊的問題がどんどんやってくるためです。こういう場合が本当に多いのです。本人は初めは分かりません。こういう人が多いではないでしょうか。どんどん押さえられるのです。ある人は眠れなくなり、ある人は混乱したりもします。簡単に話せば、安らかではないのです。こういう人はとても多いのです。精神が完全に狂って病院に行ったのを除いて、正常な人なのにこういう人が多いのです。皆さんが熱心に信仰生活をしたのに、最後には何もないのです。そうでなければ、また私たちがいつ答えがこないかというと、熱心に生きたのに答えがないというのは、人間主義で生きてきたのです。
■人間主義というのは、聖霊の導きよりいつでも先を行くことを言います。熱心に先を行くのです。熱心に聖霊の導きを受けないで走ることです。当然、答えがありません。なぜなら、熱心に聖霊の導きを受けないで走ったからです。そのような人がかなり多いのです。私の話を聞いて笑う人がいるのですが、経験がある人とか、被害をこうむった人でしょう。かなり多いのです。私が見るには、こういう人々はソウルの方に多いでしょう。そうでなければ、とても聖霊の導きを受けない基本が揺れる人々です。仕事をさせればとてもできない、基本がだめな人々です。どこかで話にもならないことだけする足りない人々です。この三つの中の一つでも該当すれば、答えがありません。はっきりと三つともあてはまるならば、まったくだめです。
■私の場合は、今まで何度か失敗をしたことがあります。下の人が報告をしたり、誰がきた時、良く考えしなければならないのに、すぐにしたら失敗しました。私のような場合は、位置が重要だから被害が大きいのです。皆さんが理解しなければならないことは、良い人がきても、すぐには私が受け入れない理由があります。ある人が良い機能を持ってたくさんくれば、私がその後を見ているのです。なぜなら、そこまで考えることができなくて、早くして失敗したことがたくさんあるからです。私たちはこういう部分で、世界宣教はともかく、このような状態では答えられません。熱心に献金もして、熱心に生きたのに、良くならない。霊的問題はまったく問題があることで、人間主義はいつでも少しオーバーな部分で、基本はマイナスになる部分です。ところで、少し田舎では、基本が足りない人が多いのです。ソウルで行けば、人間主義が多いのです。ソウルはどの程度熱心なのかというと、危険なほどです。私が一番最初にソウルにきた時でした。言わば、釜山の人間が一番最初にソウルに来たのです。ソウル駅の右側を見たら、クッパの店がありました。入って食べたのです。世界で一番まずいクッパでした。今までそんなにまずいクッパはありませんでした。とてもまずかったのです。全く味もみずに、そのまま出しているようでした。しかし、驚くべきことに、人が一杯になっていたのです。その時、感じたのです。「これがソウルだな。」ここで店を出しているので、人がたくさんいるから満員になっているのだな。教会もそれと同じように、人が多く集まれば良いように見られることもあります。それで「しっかりしなければならない」と感じたのです。私たちはこういう部分に答えがあります。
■皆さんが霊的問題を持った人であるほど、はやくしようとせずに福音を持ってじわじわ根をおろさなければなりません。考える以上に人々が人間主義を使うから、皆さんが福音のなかで訓練をすれば、解決ができるようになります。それで福音の根をおろさなければなりません。この福音の真の味をずっと知って、根をおろせばどうなるのでしょうか? ひとまず癒されます。福音は完全なことだから、ずっと根をおろせば、皆さんにはすばらしい癒しが起こって、霊的な問題が解決されます。絶対にだまされてはいけません。福音を本当に味わえば、中の問題はみな解決されます。それでパウロは「私が福音を恥じない。この福音は救いを与える神様の力である。」またパウロは「滅びる者には福音がおろかに見えるが、しかし、救われた私たちには神様の力になる。」それで皆さんは3つのことをみな捨てて、福音を味わい始めれば、その時から新しい働きが始まります。私たちの産業人、役員、世界宣教をされる方々に、この祝福があることを望みます。
■私が核心の時、こういう話をしたでしょう。本当に味わわなければなりません。本当に味わわなければ、いつも違うのです。私がマグロの話をしました。私と家内とが家にいた時に、チョ・ウンテク牧師から電話がきて食事をしたのかと尋ねました。「していないが、しようかどうするかと考えている。」と言いました。チョ・ウンテク牧師が待っていてと言いました。何かを3ケも買ってきたのです。見たらマグロでした。それとともに言う言葉が、マグロの味を一度知れば、他のものは食べられないということでした。自分はマグロだけよく食べると言いました。そうなのかと食べたが、何ともまずかったのです。それで、よく買ってくるので、今度から買ってこないでくれと言いました。本当にまずかったのです。それが何の味なのか、あるものは氷のようになって、口がみな冷えてしまいました。また氷が溶けた部分はふやけて変でした。それでマグロを何の味で食べるのか気になったのです。私がこの前に、江南でマグロを食べました。本当においしいのを食べたのです。マグロに生ワサビを塗ったのですが、味が驚くほどでした。その時、感じたのです。「マグロもだれが持ってくるかが問題だ。」と思いました。味が完全に違ったのです。福音もだれが話すかによって味が変わります。毎日、霊的問題に苦しめられる人が福音を言えば、福音が変だと見えます。毎日のさばってオーバーな人が福音を言えば、福音ができることのように見えるのですが、福音が少し変です。基本もだめな人が福音を言えば、そのように見られます。パウロのように成功した人が「世の中のことをちりあくただと感じる。」と話をすべきで、勉強がびりの人が「ちりあくただと感じる。」と話せば変です。だから福音の味をずっと知れば、何かが見えるようになります。神様が私の命を含めて、全てを創造して治めておられるんだな。この神様が救いの働きのために、全てを動かしておられるんだな。そのような中に私を救われたんだなあ。こういう全体が全部見えるのです。
■そして、これを未信者が使う言葉と同じで、私は英語で書くのに「Oneness」が見えるようになります。この時からは重要なことを覚えなくても、自然に見えるようになります。皆さんが全く覚えなくても、福音を味わえば自然に見えるようになるのです。それで、書かなくてもかまわないのです。自然になるためです。いよいよ大きい共同体という祝福のなかで、私が誰なのか見えるようになります。それ以前に、神秘主義、人間主義をする人々は、共同体が見えずに、自分だけが見えるのです。それで時間が過ぎても、答えが来ません。皆さんが今日、契約を堅くつかまえるように願います。このような時、神様の共同体のなかで、私たちが見えるようになります。聖書でこれが出会いなのですが、すべての時刻表です。福音の中にいなければ、出会うのも、必ずおかしな人に会います。言葉では伝道しに通うと言うのですが、必ずおかしな出会いだけするのです。皆さん、出会いの祝福がどれくらい重要でしょうか。皆さんが福音の中にいれば、この出会いの祝福がすべての時刻表です。聖書を見ましょう。だから、皆さんが福音の中にいるということは、神様の驚くべき主権の中にいるということだから、ものすごいのです。この時から教会がそのまま始まるのではなくて、共同体のなかで始まる教会が目に見えます。この時、共同体のなかで現場が見えるようになります。現場弟子が作られるのです。このような時、共同体のなかでいよいよ宣教が見えるようになります。神様の共同体を成し遂げるのが宣教だな、神様の共同体を成し遂げるのが伝道だな、伝道をしようとすれば見えるようになります。
■皆さんが本当に福音を持ったとすれば、伝道をしなくても良いのです。皆さんが受ける祝福を見て、他の人が分かるようになっています。伝道しに行くなという話ではありません。しなくても済むのです。まちがいなく、皆さんを通してみわざが起きるから、未信者が見て分かるようになります。そして、宣教という共同体が形成されるのです。話をしても自然に福音の根をおろして神様の共同体を見れば、レムナントが見えるようになります。それで、暗闇の文化と戦って勝つ道があるのです。それがRUTCです。RUTCは、世界レムナント共同体訓練場を隅々に作って働きを起こすことです。英語を知らないおばあさんが、RUTCが何かと話せば複雑になります。これはRemnant Unity Training Centerです。若い人々は簡単に理解できるのですが、高齢な人々は、全部、何の話なのかと言います。これを知らなくてもかまいません。神様が一番喜ばれることだと思えば良いのです。RU何か出てくれば「神様が一番好まれるんだな。」と理解すれば良いのです。RUTCの話をし終えた後に、一番最初に献金を持ってきた人々がおばあさんでした。
■皆さんが何と話そうが、私がどんな考えをしても、神様の計画は確かに成し遂げられます。それで、英語を分からなくても、世界福音化をみなできます。米国に行っても、単語2個だけ分かれば良いのです。わかる「Yes」分からない「No」苦しければ相手が苦しいので、私が苦しいことはありません。これは、どこの国に行っても、Yes、Noはみな通じます。フランス、ロシア、無条件に分かればYes、分からなければNoと言えば良いのです。一度は苦しくて相手が通訳を連れてきて尋ねてくれました。苦しければ、相手が連れてくれば良くて、私が連れて行く必要はないのです。
■それで、神様が役員の皆さんをなぜ呼ばれたのでしょうか? 私がイエウォン教会で講義をすべきなのですが、そこに対する簡単な要約をします。神様が役員の皆さんを呼ばれた理由が何でしょうか? 理由3つがあります。まず最初に、神様のみことばを皆さんに成就させようとされるのです。それで、役員は訓練をたくさん受けなければならないのですが、訓練の意味を分からなければなりません。訓練をたくさん受ける、受けないのは差が一つしかありません。レベルが高い人は訓練を受けないでもレベルがあって、レベルが低い人は訓練を受けてもレベルは低いのです。しかし、神様のみことば訓練をずっと受けた人は一つが違うのですが、考えが違うのです。韓国で訓練をたくさん受けた人と、米国で受けない人が会ってみれば、そんなに考えが違うのか分かりません。考えがすべてです。そうではないでしょうか。考えが違ったのに、どのようにみわざが起きるのでしょうか。それで、ピリピ4:7に「あなたがたの心と思いを守って下さいます」と言われているのです。
■二番目です。なぜ役員をたくさん立てようとするのでしょうか? 全国地域に伝道組織です。聖書を詳しく見ましょう。初代教会は役員と職分者をたてて、全地域に弟子の集いをしました。これを回復しようとするのです。多分、私たちの教会と礼拝に共に参加するすべての教会に、今日、驚くことが行われるでしょう。全く伝道しに行かなくても現場で伝道スケジュールだけ持っていても、働きは起きます。それで、皆さんがみことばを受ける時、みことばの祝福を受けなければなりません。私たちの役員修練会の時、話しました。みことばで恵みを一番受けるのが難しい人が役員です。色々な仕事や人間関係でみことばをのがすのです。それでは大変なことになります。こうしたことをどのようにするのでしょうか。皆さんの中にみことばが臨む日、奇跡の門が開かれます。モーセがこの言葉をパロに行ってしろと言わなかったし、長老に話せと言われました。そして民に話しなさい。そして、代表者を選んでパロに行きなさい。力を現わすだろう。全部、みことばを捕まえたのでうが、出エジプトの奇跡が起こりました。このように、役員が力を得なければならないのです。
■皆さんが福音のなかで根をおろし始めれば、霊的問題は解決されるようになっているので、方法がみことばを正しく受けることです。それで、牧師がみことばを準備する時、人間主義は絶対に使ってはいけません。少なくても、そのまま伝えてあげれば良いのです。役員が仕事をよくしなければならないから、問題もたくさん見るでしょう。それで、やや下手するとみことばをのがすことがあります。それを注意しなければなりません。そして、役員よりさらにみことばをのがす可能性がある人々がいます。牧師の家族です。牧師の家族は、ほとんどみことばをのがします。それでは、サタンの目標となります。ありふれたこととして聞いてはいけません。大変なことになります。牧師の家族が恵み受けて、全国、世界にある牧師夫人がみことばを正しく捕まえて恵みを受けなければなりません。なぜなら、サタンはみことばない所に働くから、みことばをもっていれば、サタンが勝てないのです。イエス様もみことばで勝たれました。だから、みことばの根を持っていなければなりません。牧師の家族より、みことばをさらにのがしやすい人がいます。牧師自身です。説教準備をすると、それで、申し訳ないのですが、私はそれほど準備をしません。私が恵みを受けたことを話せば良いでしょう。みことばをのがせば私も死にます。聖書を詳しく見ましょう。「わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。万軍の主の御告げ。主が仰せられたと言え」役員が祈らなければならないことは、すべての信徒の中にみことばが入れば働きが起きるのです。「ことばは神であった。みことばで天地を創造された。」それで、みことばが入れば生かされるのです。それで、すべての役員はみことばで癒される働きが起きるように願います。
■皆さんが本当にみことばで恵みを受ければ、肉体にも癒しが起きます。みことばが働けば、皆さんの会社に、職場に、創造的働きが起きます。そうすれば、こういう証人がぱっと広がります。これが役員改革の二番目の理由です。三番目は何でしょうか。神様が皆さんを通して経済を回復させようとされます。こういう祝福を神様がくださろうとされているのです。それで一生に四つの献金の基準をおいて勝利しましょう。皆さんのすべての教会で、その地域に暗闇の文化を変えるほどの神殿をおいて祈りましょう。私は何もないのにどうしますか? それで、神様が力で働かれると言われました。皆さんの子孫に皆さんが出す十分の一を持って教会が生かされるほど、この契約を捕まえなさいとおっしゃいました。私たちがあちこちにRUTCを作って、子孫、未来の文化を変えるほど、私たちは経済祝福を受けなければなりません。そして、今日、最後に世界宣教をするほど。当然、世界宣教をするほどは、祝福を受けなければなりません。私たちはよく食べて寝て暮らすということではありません。地域を生かすほどです。どれくらい重要なことでしょうか。今日、ステパノが命をかけました。これは命をかけるほどの価値があるということです。今日、皆さんがこのことに参加するのです。
■宣教に参加するという言葉は、何に参加するということなのでしょうか。アブラハム、ガラテヤのウルから離れなさい、わたしがあなたに命じる土地に行きなさい。この時、契約的な祝福5つを言われました。これくらい重要です。死ななければならないことでなく、死ぬほど重要です。それで、これを今日、契約でつかみましょう。聖書を見ましょう。イスラエル民族をエジプトから救い出すのが宣教です。宣教しなかったために、こうしたことが行われたのです。アブラハムの家系が宣教を知らなかったために、神様がガラテヤのウルからまた引き出されるのです。これと対等に取り替えることができることが宣教です。分かるだけで良いのです。どれだけ価値があるのでしょうか。命をかけるほど価値があります。どの程度でしょうか? 宣教を悟ることができなくて、またバビロンに行きました。これと対等に取り替えることができる祝福が宣教です。誰がなんと言っても、宣教は支出であることが確実です。だれが何と言っても、宣教師百人を送れば百人の支出が発生します。宣教費を出すのは、支出であることが確実です。しかし、神様の祝福は違います。神様の祝福は、ものすごく皆さんのすべての所に働かれます。この祝福を受けるように願います。ローマ。結局は、宣教を悟れないからローマを通して散らされたのではないでしょうか。その後に、24カ国の強大国からイスラエルが困難にあいました。聖書を詳しく見てください。もちろん、ガラテヤのウルの地域が少し違うのですが、バビロンです。
■この祝福と対等に取り替えることができるのが福音です。これが宣教です。この祝福を皆さんが捕まえて出て行くのです。今日、神様がくださる答えが、皆さんに本当にあふれ出るようになることをイエスの御名でお祈りします。話を結びます。こういう宣教を私がどのようにできるのでしょうか? 結論を結びます。皆さんが土曜日まで熱心に仕事をして、得意になって遊んでいて、聖日、教会に来たら疲れています。お昼も半分だけ食べれば良いのに、一皿いっぱい食べればこの時間が眠たいでしょう。そして、私のように立っていれば良いのに座っているからちょっと眠たいでしょう。理解できます。本来、昔に聖書には説教を聞く人が立っていて、する人が座ってしました。使徒ヨハネのように、高齢な人々が出てきて座ってメッセージをすれば、聖徒たちはみな立ってメッセージを受けたのです。しかし、私たちは反対なので、眠たくならざるをえないのです。それで、皆さんの眠気をちょっと助けてあげるために、はやく終えます。
■このようにすれば良いのです。皆さんがいる現場にあるのが現場の時刻表です。これが神様の国です。この単語を記憶しましょう。そうすれば、勝ちます。イエス様が40日間、説明されました。使徒19:8に大胆に神様の国に対してパウロが話したと言われています。これだけ味わえば良いのです。それで、皆さんが普通の祝福を受けたのではありません。どの言葉も条件も問い詰めずに、どこでもこれだけ味わってみましょう。一番最初にすること。神様の国です。これが何の話かというと、皆さんが行く所には、必ず聖霊が働かれるようになっています。それで、サタン悪霊の勢力は確かに暗闇が縛られるようになっています。これを神様の国と言うのです。こうしていれば必ず答えがきます。そうすれば良いのです。答えを受けてしまえば現場には弟子が出てくるようになっています。この祝福を味わうのです。どこへ行こうが、この祝福だけ味わっていれば良いのです。二番目の祝福です。皆さんが、伝道スケジュールを組みましょう。これはすばらしい目が開かれます。今から行く所ごとに伝道計画を組んで、スケジュールを組みましょう。話でせずに、資料でしましょう。してみましょう。
■皆さんの霊的な目が開かれるでしょう。直ちに私たちの教会に残っている週報から違うように見え始めるでしょう。このスケジュール組んでみれば、タラッパン新聞も資料になるでしょう。一ケ月に一度出てくる祈り手帳は驚くほどのものです。直ちにそうなります。そして、出会い自体が以前は偶然だったのですが、今は必然に変わるでしょう。だから、釜山で信徒が自動車の接触事故が起こして、けんかになって1人が受け入れました。初めにはけんかしていたのですが、良く話すようになってイエスを受け入れたのです。今、私たちの教会に出て来ているのですが、家族みんながすべて霊的変化が起きました。
■皆さんが世界を抱く方法が宣教です。世界の祝福を味わうために、この3つだけしていれば良いのです。この中にすべて入っています。あなたがたは、まず神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これに加えて全てのことが与えられます。このように思い切り恵みを受けているのに、恵みを受けているのかどうかも分らないのです。思い切り座っていて、現場に行ったら不信仰に変わるのです。皆さんがこの時も神様の国を味わいましょう。少しだけ味わえば良いのです。そして、見れば、みなあるのに、人間関係や小さい問題で福音をまたのがしてしまうのです。福音完全で味わうのです。行く所ごとに暗闇の勢力は砕かれるようになっています。神様の国です。これを悟ってこそ、祈りが何か分かるのではないでしょうか。神様の国を味わうのが祈りです。何の力もかかりません。お金もかかりません。何も上げることではありません。神様の国です。
■しかし、変にお金がかかって、骨を折って、とんでもないことはつくして、これはしないのです。おかしな人間に会ってご飯を買って騒いで遊ぶべきだと言うのに、それらをしてどれくらい大変でしょうか? 神様の国だけすれば、祈りだけすれば働きが起きます。それと共に、伝道スケジュールです。少なくとも、私の生活が世界にすべて行くことはできないのですが、祈りで参加することができます。私はこれを30年間、思ったのですが、あらゆる分野に神様が答えを与えられました。この契約を捕まえて教会に通う人も神様の答えきて変化するのを見たのです。問題がある子どもたちが来て帰って、子どもたちが変化するのを見なかったでしょうか? もういよいよ今、米国側から他の話が出てき始めました。子どもたちが麻薬のために、そのように苦労していたのが、タラッパンに行って子どもが変化するのを見ながら大人たちの心が変わり始めたのです。
■とてもうれしい便りであるのですが、まだ話をすることはできないのですが、重要な連絡がいくつかきました。この福音の力がどれくらい大きいのか、子どもたちが刑務所に行ってもだめで、収容所に行ってもだめで、そのように行ってもだめなのに、福音を聞いて子どもたちが麻薬を切り始めたのです。だから、親たちが認め始めたのです。福音の力がどれくらい大きいのでしょうか? 行く所ごとにこの祝福を味わって、実は神様がくださるでしょう。世界宣教の主役になるようにイエスの御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。行く所ごとに神様の国が臨むようにして下さい。行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるみわざが起きるようにして下さい。それで、伝道と宣教の証人として立つようにさせて下さい。私たちの人生が新しくなる祝福を味わうようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン