2006年11月19日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/感謝を回復しよう
ファン・サンベ牧師
(ハバクク3:17〜19)


■今日、神様の特別な恵みが臨むように願います。何日か前に、私は福音が自由に語ることができないある一つの国に行くようになりました。まだ伝道を自由にできない国です。思いきり集まって礼拝をささげることができず、用心深くしていました。それで、隠れてせざるを得なかったのです。あるアパートの地域の居間に40〜50人が集まっていました。部屋は実際に狭くて、積み重なって座るほどに狭かったのです。ところが、彼らの瞳は生きていました。みことばを受ける彼らの姿勢が、真に感動的でした。みことばが落ちれば、アーメン! と大きい声で出来ないから、小さい声で確信があるようにアーメンを言いました。瞳が輝いていました。隠れて礼拝をささげて、みことばを受けていたのですが、使徒の働きの初代教会の姿そのままでした。彼らの姿を見ながら、本当にたくさん考えるようになりました。外に賛美歌の声が出て行ってはいけないから、賛美も歌いたいが、大きい声では歌えなかったのです。静かに低い声で、しかし、確信をもって賛美を歌っていました。その姿を見ながら、私たちの聖徒たちを思い出しました。私が司会する時ごとに全体を一度ずっと見回します。賛美する時、そのままぼんやりと立っている、そのような方たちを思い出しました。賛美する時、賛美をしないでぼうっとしておられる方々があちこちにいます。賛美する時は、賛美をするように願います。他のことは考えずに、賛美する時は賛美するように願います。他のことを考えずに、賛美をする時は賛美して、みことばを受ける時はみことばを受けて、今日も私たちの心の門がパッと開かれる祝福の時間になるように願います。
■事実、教会はいろいろな人々が来ます。その中には、信仰がある人もいて、初心者もいて、そうでなければ、そのまま誰かについてきて並んできてみた人もいます。しかし、重要なことがあります。どんな姿できたとしても、その時間が最高の祝福された時間になれば良いのです。私たち中には、まだ私がなぜイエスを信じなければならないのか理由を知らない方がいるかもしれません。いったいイエス・キリストの十字架事件が、私と何の関係があるのか? この部分に対して結論が出ない方々もいるでしょう。いろいろな姿できたかもしれませんが、結論を一つに出せるように願います。
■ある女の人が、イエスを信じない家に嫁に行きました。そして、とても難しかったのですが、姑に伝道したのです。そして、教会に連れて行きました。その姑が、数ヶ月教会を通ってから、洗礼を受けるようになりました。洗礼を受ける時ごとに、洗礼の問答をするようになります。洗礼問答をする時がきました。嫁が姑に話しました。お母さん、牧師先生が、イエス様が誰の罪のために十字架で死んだのかと尋ねたら、私の罪のために死んだとおっしゃってくださいと言いました。皆さん、すでに勘づいたことでしょう。やがて牧師先生が、問答をしながら質問をしました。おばあさん、誰の罪のためにイエス様が十字架に釘付けられて死なれたのですか? そうしたら、私の嫁の罪のために十字架にかかって死んだと答えたのでした。ひょっとして、このような方々が来られたかもしれませんが、イエス・キリストの十字架事件と私が何の関係があるのか、解答を得る時間になるように願います。
■この世には多くの人々が生きています。どのようにすれば熱心に生きられるのか? どのようにすればさらに素晴らしい人生を生きていけるのか? と、素晴らしい人生を生きるために努力をします。幸せな生活を送るために、とても多くがんばります。努力が足りないと思う時、さらに努力して、熱心が足りないと考えれば、さらに熱心にします。自分を振り返る機会もなく、無条件に目標を定めて走って行くのです。普通の人々は、このように生きていきます。ある人生の目標を定めておいて、その目標に向かって走って行くのです。それを成就するためにということです。成就するために努力もして、熱心にもなって、あらゆることに努めるようになります。しかし、熱心にする前に、人生の解答から発見しなければなりません。人生の解答なしに、熱心にすれば、ある日、大きい問題にぶつかるようになります。私たちの人間という存在は、神様なしで熱心にすればするほど、ある日、問題がくるようになっているのです。それで、神様は私たちの人間がどのようにすれば幸せに暮らせるのか、その解答をおっしゃっています。その解答は、私たちにあるのではありません。その解答は神様にあるのです。神様が私たちにその解答を与えられました。その解答を名付けて私たちが福音だと話すのです。神様が私たちを愛されて、限りなく愛され、私たちを愛すると書かれた本が聖書です。私たちに向かった愛の手紙が聖書なのです。神様はご自分を私たちにくださるまで、私たちを愛されたその愛の話が、聖書に記録されています。私たちは聖書を通して神様の愛を発見するのです。聖書を通して神様が私をどれくらい愛されるのか、その愛を悟るようになります。今日、私たちすべてが、真の神様の愛を悟る時間を過ごすように願います。
■今日、収穫感謝節を迎えるようになりました。1年に一回ずつ迎えるようになります。しかし、祭りを過ごすことで終わってしまってはいけません。こういう祭りを通して、神様が私たちに何かを教訓とすることを願われているのです。私たちがそれをなくして通り過ぎたら、ものすごく損です。今日、祭りを通して真の感謝の意味が悟れる、発見する時間を過ごすように願います。感謝祭の結論的な教訓を先に申し上げます。最後の結論の部分でまた申し上げるつもりですが、あらかじめ申し上げます。神様は生きておられます。その神様は、今でも働いておられるのです。その神様は、私たちのすべての人生を導いておられます。その神様の、ものすごい恵みを私たちは絶対に忘れてはいけないのです。私を愛された神様のその愛を私たちは限りなく感謝できなければなりません。そして、神様が生きておられる、その生きておられることを私たちは子孫に話せなければならないのです。祭りを通しても、そのような感謝が回復するようになる祝福があふれるように願います。そして、私たちの子どもに、子孫に、この祭りに対する意味を言わなければなりません。それでこそ、私たちの子孫がこの意味を悟って、神様を離れないのです。今日、この驚くべき祝福が皆さんにあふれるように願います。
■多くの人がこのように話します。感謝する条件があってこそ、感謝するのではないのですか? 感謝する距離があってこそ、感謝するのではないですか? 今日、自分の周辺を見れば、むしろ困難しかありません。あまりにも大変で苦しいことしかないのです。しかし、何を持って感謝するというのでしょうか? ひょっとして、そのような方がおられるなら、今日、聖書のハバクク預言者の告白が皆さんの告白になることができることを希望します。一度一緒に言ってみましょう。感謝を回復しましょう。真の感謝を回復しましょう。そのようにするためには、いくつかのことをお話します。
■最初はハバクク3:17節を見ましょう。「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。」ハバクク預言者がこのように告白しました。これもなくて、あれもなくて、なくて、なくて、なくても。皆さん、なくても感謝できるように願います。なぜないのでしょうか? なくしてないのでしょうか? 元々なかったのでしょうか? なくした、元々なかった、なくても感謝できるように願います。ないのが自慢の種ではありません。もちろん失ったのも、自慢の種ではありません。しかし、失望することでもないのです。今日、私たち中で健康を失っている方がおられるでしょうか? 私が過ぎた日、健康だったのに、健康を失ったのでしょうか? 私が過ぎた日、多くの財産を持っていたのに、財産を失わったのでしょうか? 私に高い名誉があったのに、その名誉を失わったのでしょうか? ひょっとして幸せな家庭を失われたのでしょうか? 良い職場を失われたのでしょうか? 数多くの条件がありえます。皆さん、それでも、その中で失望する中にいることを神様は願われません。むしろ、その中で真の感謝を回復するように祝福します。神様が願われることは、まさにその部分です。なくても感謝しましょう。
■サタンは私たちがないことをしきりに利用します。失望させるのです。絶望するようにさせます。人生を自暴自棄になるようにさせます。時には、神様を恨むようにもさせます。ある人は、ないゆえに大きい犯罪を行ったりもします。お金がなくて詐欺を働いて、お金のために強盗もして、誘拐もして、殺人もして、サタンは絶えず、ないことために人生を破滅に引っ張っていくのです。皆さん、私たちがないとしても、私たちの人生が絶対にそうなってはいけません。私たちはない中でも、神様の計画を発見できなければならないのです。今日、それを私たちが発見しなければなりません。神様の計画を発見する祝福の時間になるように願います。その神様の計画は何でしょうか? ないことために私がさらに神様を見上げる、その信仰を神様は持つように希望されるのです。むしろ、その問題のために私が神様だけを見上げられる、そのような信念を持つように希望されます。私たちの体質がただイエスの体質になるように神様は希望されるのです。私たちがそのような体質がうまくできません。時には、問題の中で神様を見上げて、ただイエスだけを見上げる体質に変えられるのです。
■定刻祈り、定刻礼拝がうまくいかないかもしれません。そうでもないと思う方は、定刻祈りがうまくいっているのでしょう。失ったと思う方は定刻祈りがうまくいくしかありません。なぜならば、その苦しみの中で神様だけながめる道しかないからです。ない中でも神様との真の関係が回復する祝福があるように願います。時には、私たちがないことために、失ったことために、私たちをさらに謙虚にさせます。私たちの性分を、さらにあたたかく穏やかな性分にします。時には、それのために私たちの人生をさらに節制するようにもさせます。それが、神様の計画ならば、私たちはその中で勝利するように願います。なくても重要な奥義をのがしてはいけません。なくても、その中に真の幸福の奥義があります。なくても、その中に真の喜びがあるのです。なくても、その中に真の感謝があります。なくても、その中には真の未来が、希望がその中にあるのです。今日、この祝福があふれるように願います。
■難しい話をすると思うかもしれません。多くの人々が私にこういう話をします。牧師先生、なぜ子どもが1人しかいないのですか? いやたくさん産まれるのに、なぜ1人しかいないのか、そのような質問を時々受けるようになります。その時に、私がこのように答えます。私たちには子どもが二人いたのですが、一人を遠い国に移民を送りました。いや、どこの国に行ったのですか? 私たちが天国に移民で送ったのです。12年前の事です。12年前に私たちは、十才になった娘を神様に先に送りました。母親に似て、少しきれいではありませんでした。父親に似てスマートで顔だちはよかったのです。また母親に似て賢かったです。とても聡明な子どもでした。勉強も良くできました。歌も上手で、ピアノもうまく弾いて、絵も上手で、そして小学校3年でいた。学校で級長になりました。学校を終えて家に戻って、事故に会ったのです。私の家内と私が車を運転して、訪問に行って、子どもが戻る時間になったので、こういう話をしていました。子どもたちが戻る時間になったから、お昼をはやく作ってやらなければならない。そして、家の近所に近くきたら、多くの人々が集まっていました。ある人が駆け付けて衝撃的な話をしました。私たちがその現場を走って行きました。たましいが離れた子どもの死体を見るようになったのです。皆さん、問題が大きければ、涙が出てきません。そのたましいが離れた子どもの死体を私が抱きしめました。私が妻にこのように話しました。私が今でも確かに記憶しています。私たちは、神様に感謝の祈りをしよう。そして祈りました。神様、10年間、この子を通して私たちに喜びをくださったことをありがとうございます。私たちは、その子を通して多くの喜びを得ました。どれくらい愛らしく、両親とそのような関係であったでしょうか。そして、神様の前に真の感謝の祈りをしていたら、数多くの人々が私たちを見つめていました。それで、私たちの胸の中で、こういう気がしました。その時が開拓して3年目でした。神様、これからこの福音運動をどのようにするのでしょうか? 多くの人々が牧師の家庭にも、というような話をするはずなのに、何か私たちが答えられるでしょうか? そして、私たちはその事件以後に多くのことを悟りました。私たちがその時、まだこの福音運動に参加していなかった時でした。事実は、その事件以後に飢え渇いた私たちの胸の中で、合宿訓練に行くようになったのです。そして、私たちは、12年間、左右を振り返る暇もなく、この福音運動の中で粘り強く一方向に駆けつづけてきました。神様が私たちにくださった多くのメッセージがありました。その部分をみな省略します。1つか2つだけ話します。私たちが神様に質問したのです。神様、どうして、神様このことを通して、私たちに悟るように願われることはが何ですか? 時には、私たちが神様の前で、私たちに何か罪があるのかと、考えてみたことが全くないことはありません。私たちが開拓して、3年間、本当にひとつのいのちのために、この福音運動するのに、私たちは自ら最善を尽くしていました。その一方で、神様が私たちに悟るようにされたことが何だったでしょうか。私たちは神様の主権を認めるようになりました。全てが神様のものです。短く、長く生きるということも神様のものです。短い人生だったのですが、神様のみこころを成し遂げた祝福の人生でした。神様の主権の中で、その事件が理解できました。私たちが困難に会う時、この世には、どんな人も絶対に慰める者にはなれません。神様だけが、私たちの真の慰め主になるのです。苦しみの中にも、神様だけが真の慰め主になります。困難に会っていますか? 大変な事件にぶつかっていますか?
神様を見上げるように願います。その神様だけが、私たちの真の慰め主になります。そして、とても危険な道路だったために、その地域の国会議員に話をしました。事故が起きたところが、鉄道の踏切でした。一日に数多くの人々がそちらを通ります。とても危険な道でした。それで、国会議員にこの事件を通して地下道を作れば良いと思うという言葉を言いました。そして、工事が進行されて、地下道が作られるようになりました。多くの人々はそのまま地下道で通うでしょう。しかし、私たちはその地下道を通る時ごとに、考えを新たにします。痛みの中でも慰めてくださった神様、痛みを通しても私たちに尊いことをくださったその神様です。皆さん、感謝は癒しの実です。私たちの人生に、私たちの信仰に、真の感謝がいつもあふれるように祝福します。
■それなら、私たちは何のために感謝しなければならないのか、二番目にお話します。今日の18節を見れば、救いの神様によって感謝しようとあります。皆さん、感謝の条件は、まさにこの部分です。聖書を見れば、イスラエルに三大祭りがあります。過越の祭りがあります。過越の祭りは、どんな意味があるのでしょうか?イスラエルの民がエジプトで奴隷暮らしをしていました。呪いの人生です。パロという強大な勢力に掌握されていたのです。ここから抜け出す道は絶対にありません。それで、神様はモーセを通して過越しの祭りの奥義を言われました。そして、イスラエルの民が、エジプトで血のいけにえの奥義を悟って、解放されて出たのです。過越しの祭りの奥義は、結局、私たちに解放という救いの奥義を神様が語っておられるのです。皆さん、私たちがどこから解放されたのでしょうか? 罪と呪いから解放されました。地獄の勢力から解放されたのです。サタンの手の中から解放されました。この過越の祭りの祝福があふれるように願います。
■七週の祭りがあります。他の言葉で五旬節だと言います。イスラエルの民が、荒野を行く間、飢え死にしなかったのです。五十日後に穀物を刈り入れました。神様が彼らの人生を導かれた、その祝福を彼らは悟るようになったのです。神様は、今日も私と皆さんの人生を導いておられます。契約をつかんで行く私たちの足取りの中に、神様は細かく導いておられます。伝道者の歩みの中に、紅海も、ヨルダンも、エリコも、神様は分けられるしかありません。皆さんの人生に神様の細かい導きがあるという確信を持つように願います。
■もう一つの祭りがあります。まさに刈り入れの祭りです。他の言葉で収穫感謝祭とも言います。刈りいれした穀類をおさめて倉庫に集めたのです。それは、天国の喜びと感謝の意味が含まれています。結局、この3つの祭りを通して、神様が私たちに教訓として望まれることは何なのでしょうか? 神様は生きておられるということです。神様は今でも働いておられます。神様は私たちの人生を導かれるのです。その恵みを忘れないでおきなさいと言われるのです。その恵みを感謝しなさいということです。そして、祭りを通して、子どもにその教訓を話そうということです。今日、この祝福があふれるように願います。それなら、私に救いの神様が必要なのでしょうか? 必要だという以上です。私たちの人生に霊的出エジプト事件が必要です。創世記3章の呪いと地獄の勢力から私たちは抜け出さなければなりません。すでにキリストの十字架事件を通して抜け出したことを信じます。まだ、ここに確信がない人がいるならば、今日、信仰の確信を持つように願います。
■救いとは何でしょうか? 救いは三位一体の神様の働きです。父なる神様が救いを計画されました。そして、御子イエス・キリストが救いを十字架で成就されました。聖霊なる神様がこの救いを個人に適用されたのです。聖霊が私たちの心の門を開かれました。時刻表になって私たちが救いを信じて受け入れるように、聖霊が働かれたのです。それで、救いは全面的な神様の恵みです。私たちの行為ではありません。私たちの功労ではないのです。私がすることは何もありません。神様が恵みをくださって、私が信じるようになったのです。私たちは救われた恵みに対して、いつも感謝できなければなりません。なぜならば、私がしたことは何もないからです。エペソ2:8でおっしゃっています。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」そうです。聖書のとおり、その方はこの世に来られました。聖書のとおり死なれました。聖書のとおり復活されたのです。十字架で私たちのすべての救いをみな成し遂げられたのです。神様を離れた者が神様会えるように、神様に会う道を開かれました。罪問題のために苦しむ者に、罪問題を解決されました。サタンにだまされて、人生が掌握されて、子分の役をしている人生から、これら全部サタンの勢力をうち破って勝利されたのです。そのイエスがキリストとしてこの世に来られました。十字架で私たちの人生すべての問題をみな解決して、今日、聖霊で私と皆さん中に臨んでおられるのです。それでは、どのようにすれば、救われるのでしょうか? すでに言いました。そのイエス・キリストを信じるのです。信じるという証拠で、その方を心にお迎えするのです。私がするようですが、神様の恵みの中で進行される聖霊の働きです。救われた者は今は新しい被造物になりました。救われたすべての人々には、霊的な新しいいのちが与えられたのです。福音の力は、どんな人も変えることができます。この福音の力は、どんな悪い人も、その胸の中に働かれれば、変化する新しい命に新たに生まれるのです。
■私がソウル近郊にある拘置所に、約6年間働きをするようになりました。私に礼拝順番が与えられれば、私が拘置所の働きに入るようになります。多くの囚人が礼拝に参加するようになっています。私が行く時ごとに、他の話しをしません。本当にあなた方が神様に会わなければならない理由。福音が何か、神様の子どもの身分をどのようにすれば得るようになるのか、霊的な事実を知らなければ引続きだまされるしかないので、その奥義を悟るように。そして、受け入れの祈りをいつもします。私の働きが6年たって、私がある兄弟に会うようになりました。礼拝を導く者は、個人的に対話する時間を与えられません。しかし、先月、礼拝をささげに行って、ちょっと早く入って兄弟に会うようになりました。その拘置所には、約40人の死刑囚がいます。その40人の中の12人がクリスチャンです。その12人の中のひとりに会うようになったのです。控室で少しの間、対話をするようになりました。この兄弟が私が話かけなかったのですが、自分の人生をずっと話し始めたのです。
■牧師先生、私はお金のために、ただお金だけのために生きてきました。江南で個人タクシーをしていたのです。食べて生きるほど、お金ももうけました。しかし、お金のために人を殺したのです。そして、死刑を宣告されて服役して5年になりました。ここに入ってくる前に死のうと考えていました。自分の手首を見せたのですが、今でも両側に動脈を切った傷跡が残っていました。その兄弟がそこに入って福音を受けたのです。私が今まで出入りしながらその兄弟の顔を記憶しています。3年前にその兄弟が洗礼を受けたのです。その洗礼式に私がいました。洗礼を受けた人々に記念の贈り物として聖書が与えられるのですが、その時、その兄弟が代表で出てきて聖書を受けました。この兄弟が聖書を受けると席に戻りながら、聖書を胸に抱いて撫でながら帰る姿を私が見たのです。その時が、その中に入ってイエスを信じてからいくらも経たない時期でした。ところで、神様がこの兄弟をものすごく変化させたのでした。私が先月に行ってその兄弟と対話した時、この兄弟は完全に伝道者でした。牧師先生、私がここで本当に人生の新しい意味を発見しました。毎朝、私たちの部屋にいる人々と礼拝をささげます。本来、死刑囚は独房にいます。しかし、本人が志願すれば、色々な人々がいる部屋に行けるのです。この兄弟は福音を受けて伝道するために、自ら要望して7人部屋に入っています。そこで一番長いという権威を持って、その中にいる多くの人々に聖書を一緒に読むようにしたのです。聖書を読んで、そばにいる同僚が尋ねるそうです。これは何の意味でしょうか? と。しかし、尋ねずに読めと言うのです。そして、毎朝、彼らがそこで礼拝をささげます。驚くべき事実です。そこで飢え渇いた彼らが、聖書を読んで神様の愛を悟って福音を発見するのです。そこで一緒にいた人が出所して出て行って、この人にお金を送るのです。その日もポケットから何か取り出したのですが、牧師先生、これが何か分かりますか? まさに小切手でした。私が見るにはぼろぼろな紙でした。外にいる人が、この人にお金を送ってくれたというそのような領収書でした。この兄弟が、その金を持ってその中で難しい人々に必要な物を買ってあげて、完全に宣教資金にしていたのです。この兄弟が私に要請をしました。私がこの中で福音運動、伝道するのに私のために祈る人々が必要です。牧師先生、私のために祈りをしてください。一週間に一度来られても良くて、二週に一度来られても良いから、時間があれば、私のために訪ねてきて祈りをちょっとしてください。その言葉は、面会にきて祈ってくれという要請です。私がその話を聞く瞬間に、牧師先生、私にタラッパンをして下さい、そのように聞こえました。そして、金曜日の4週目、タラッパンを面会所でするようになりました。会う時間は10分です。互いにどのように過ごすのか話したら、3分過ぎ去ります。福音手紙1課から私が福音手紙パンフレットをみな渡しました。そして来週にくる時、1課を読んで来なさい。5分メッセージを短くします。そして、その兄弟のために2分祈るのです。10分がいつ過ぎ去ったのかと思うほど、すぐ過ぎ去ります。ところで、この兄弟が本当に感謝する心を持って、牧師先生、私がこの中でこの多くの人々に福音伝える伝道者として私は生きますと言います。もちろん、彼は誤りを犯しました。しかし、神様のなかで今は新しい人になったのです。誰でもキリスト中にあれば新しい被造物だと言われています。以前ことは過ぎ去って、見よ、新しいものになりました。先週に行ったら、また他の部屋に移って行ったということです。6ケ月ごとに一回ずつ他の部屋に移るのです。6ケ月ごとに福音化させて他の部屋に行きます。私にこのように話します。私が神様の前に呼ばれるその瞬間まで、私が本当にこの福音を伝えて行きます。私はその兄弟を見ながら、私ができないことをこの兄弟がしているんだな、この兄弟を助けなければならないな。そのなかで福音をよく伝えるように手助けしなければならないな。そのような考えを持つようになりました。そうなのです。私たちは救いの神様によって、真の感謝を回復するように祝福します。
■最後の三番目です。19節を見ましょう。神様だけが私の力になるから、感謝できなければなりません。なぜ感謝しなければならないのでしょうか? 神様だけが私の力になられるからです。どんな問題、事件の中でもインマヌエルでともにおられる神様。世の終わりまで、私たちとともにいると約束されたその神様。今日、聖霊で私たちの中に共におられます。その神様だけが私たちの力になられるのです。ダビデがそれを発見したのです。詩18:1に告白します。「主、わが力。私は、あなたを慕います。」そうです。神様だけが私の力になられるのです。
■みことばの結論を結びます。今日、刈りいれ感謝礼拝をささげた皆さん、本当に真の感謝を回復する時間を過ごされるように願います。なくても感謝しましょう。失ったとしても、感謝しましょう。その理由。救いの神様が私たちの中にいらっしゃるためです。その神様だけが私の永遠な力になられるから感謝できるのです。人生が難しいならば、福音の中により多くいるように願います。難しければ難しいほど、さらに祈りの中に入るように願います。伝道スケジュールの中で、神様の計画を見ながら、祝福の人生を生きていきましょう。主が来られるその日まで。この福音だけのために。一千万伝道弟子が立てられるその日まで。この福音のために。私たちの人生を神様の前にささげましょう。皆さんの生涯と皆さんの家庭と子孫に、救いの神様のその大きい恵みと祝福があふれることを主の御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様の恵みをありがとうございます。私たちを救ってくださった神様の恵みをありがとうございます。この祝福の奥義の中に私たちの人生を導かれたことをありがとうございます。一時代を生かす尊いことに私たちの人生をささげるようになったことをありがとうございます。今日、私たちの人生に困難があって、足りないことがあるとしても、真の感謝を回復するようにさせて下さい。救いの神様のために感謝するようにさせて下さい。神様に最高の栄光を帰す祝福の人生がなるように導いて下さい。私たちの主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/いと高き方の隠れ場に住む者
李・ソンフン牧師
(詩91:1〜6)


■私も失敗をよくしますが、失敗が機会です。次にもっと上手にできる機会です。ですから、頑張りましょう。それでも、かわいいレムナントです。なぜなら、福音を持っているためです。今日のタイトルは「いと高き方の隠れ場に住む者」です。一言で話せば、祈りの奥義を持った者ということです。私たちのレムナントは、世界を持っていなければなりません。必ず持っていなければならないことが福音の奥義です。これが成功できる奥義の中の奥義です。コロサイ2:2-3にも、世の中の知識と宝がキリストの中に隠されていると言われました。福音の中にみな隠されています。それで奥義と言うのです。奥義は知っている人は知って、知らない人は知らないのが奥義です。人を生かす奥義。成功するしかない奥義。さらに正確に話せば、成功を必ずすべき奥義です。私たちのレムナントは、必ず福音の奥義を持っていなければなりません。これがレムナント7人の奥義の中の奥義である、福音の奥義です。そして2番目が祈りの奥義です。世の中に勝てる力です。どんな問題がきても勝てる内容です。勝てる内容で、勝てる奥義です。そして、生活を送る理由、祈りある伝道の奥義です。事実、この三つのために既存聖徒たちは祝福を受けなければなりません。なぜ祝福を受けるべきなのでしょうか? レムナントのために祝福を受けなければならないのです。レムナントの土台にならなければならないのです。
■私たちの教会で信仰生活をして米国に行った姉妹がいます。クァク・テヒ姉妹です。韓国の名前もない高神大学に通っていました。高神大学が名前もないといって申し訳ありません。医科大学にしては高神大学がそんなにレベルが高い大学ではありません。真ん中くらいのレベルです。高神大を卒業したテヒ姉妹が、米国に行きました。私が昨年10月に米国に行って会ったのです。会うやいなや言う言葉が「牧師先生、私がこんなに祝福を受けているとは思っていませんでした。」ということでした。それが何の話なのかと尋ねたのです。米国にいるワシントン教会の金ソンジン長老に会いました。その方の研究所に自動的に神様の導きで行くようになったのでした。タラッパンで同じインマヌエル家族であるためです。「長老さん、私は米国に行きたいのですが。」「そうなら、このように準備しなさい。」と言われて行くようになったそうです。自動的に金長老の下で研究員として入ったのです。9月でした。研究員を2人選ばれたそうです。金ソンジン長老の下に2人の研究員を選ぶために、募集したのですが、米国の大学で何千人が応募しました。その研究員になるために、何千人が列をつくって応募してきたのでした。テヒ姉妹はそのような必要もありませんでした。すぐに通過したのです。これが祝福の中の祝福です。既成世代が良くするので、レムナントがこういう祝福を受けるのです。
■皆さんは当然、祝福を受けなければなりません。最高の祝福を受けることを希望します。なぜでしょうか?福音の奥義、祈りの奥義、伝道の奥義が純粋に100%レムナントに伝えられなければならないからです。100%伝えられなければなりません。上の水がきれいであってこそ、下の水がきれいになるということわざがあるでしょう。大人たちが100%純粋でなければ、どのようにレムナントに可能性があるでしょうか? それで、レムナントに必ず伝えてやらなければならないのです。完全福音の奥義を与えなければなりません。完全祈り、完全伝道、本当に神様に感謝します。1部メッセージの時、ファン牧師の結論でした。どのように同じなのか、ファン牧師に電話もしなかったし、話もしていません。それでも準備したメッセージが終始一貫して一致していたのです。刈り入れ感謝の週を通して真の感謝が回復することを希望します。どんな人が祈りができるのでしょうか? 福音の奥義を持って伝道の奥義を持った人は、必ず力がなければなりません。イエスを信じればすべての問題が解決します。ところで問題がないでしょうか? 問題があるでしょう。ところで、前の問題と今の問題は同じなのでしょうか? 同じ問題がくるのですが、その問題を解決する方法が違うのです。救われる以前にはどのようにしたでほうか? ある力をすべて出して私がしたでしょう。人間には限界があります。その限界を越えられません。その限界にぶつかって、越えられなければどこへ行くのでしょうか? 訪ねて行く所が占い師です。偶像崇拝をせざるを得ません。なぜでしょうか? 苦しいからです。救われる前には私の力でできなければ悪霊の力を借りました。今は私と皆さんが神様の子どもになったのです。今は解決する方法が違います。誰の力で行うのでしょうか? 神様の力で行うのです。これが祈りの奥義です。いと高き方の隠れ場に住む者、神様の隠れ場に住む人は誰でしょうか? まさに神様の子どもである皆さんです。それがまさに祈る人です。祈りができる資格がある人です。どんな人が祈りができるのでしょうか? 最も正確な福音を知っている人です。
■絶対にだめな問題であり、私の力に抜け出せない問題です。運命は変えられなく、行かなければならない道はすでに決まっているのです。この三つ問題は私たちの力で絶対にだめです。いくら私が徳を立てようとしてもだめです。私は、ボーイスカウト出身です。ボーイスカウトのマークを見れば、1日1善と書かれています。一日に一度は善いことをしようということです。それでは残りはどのようにするのでしょうか? 一日に一度は善をして、残りはどのように生きるべきなのでしょうか? 言葉自体を見れば、完全に罪悪の中にいます。罪悪に生きている私と皆さんです。だからボーイスカウトであるから、一度だけでも善をしようということです。永遠に罪に堕ちています。この罪をどのように解決をしようとするのでしょうか? 「善を行えば良い。」善をすることが多いでしょうか、罪を犯すのが多いでしょうか? 心に抱いた罪まで合わせれば、さらに多いでしょう。この罪をみなどのようにするのでしょうか? ずっと羊を殺すべきなのでしょうか? ただ一回で終わるようにされたのです。これがイエス様が祭司だということです。サタンには勝てません。
■皆さんが住んでいる家から東に引っ越ししてはいけない日があります。いつなのか分かるでしょうか? 陰暦1日、2日、11月12日、21日、22日です。東に引っ越しすれば大変なことになります。「手」がある日だからです。「手」とはいったい何でしょうか。私が占い師に会って「手」とはいったい何かと尋ねたら、悪い悪霊だと言いました。悪い悪霊ならば、主人がいるということです。それで主人はどこにいるのかと尋ねました。この占い師が本当におもしろい話をしました。「私のからだにいるからだの主が良い悪霊だ」と言ったのです。それでは、占い師の中に誰がいるということでしょうか? 悪霊が入ってきているということです。
とても礼儀正しい国会議員が行って占い師に尋ねてみます。私が今回、当選するだろうか? ネクタイは何色にすべきか? 洋服は何を着るべきか? 何時からするべきか? 何人を率いるべきか? お金はどれくらい投資するべきか? みな尋ねます。それで、占い師が話をします。それでは、国会議員が占いの話を聞くことなのか、悪霊の話を聞いてすることなのか、どちらでしょうか。自分自身も知らないうちに、悪霊に従って行くのです。完全に捕えられています。聖書のエペソ2:2節に奴隷だと話しています。自由がありません。このサタンの勢力をうち破りにイエス様がこの世に来られたのです。悪魔のしわざを滅ぼすためにです。
■悪魔は、どんなことをしているのでしょうか? 人を罪という鎖でがちがちに縛ったのです。生年月日による運命、運勢の中で引っ張り回しています。どこまで連れて行くのでしょうか? 地獄まで引っ張っていきます。その地獄はどんな所なのでしょうか? 地獄はだれが作ったのでしょうか? 神様が作られました。なぜ作ったのでしょうか? 悪魔を入れるために作ったのです。ところで、人が行かなければなりません。なぜ行かなければならないのでしょうか? 神様の子どもではなく、悪魔の子どもは行かなければならないのです。この身分自体を変えるのが福音です。ただ一度の事件で私たちが天国に行ける預言者の役割をされました。王、預言者、祭司、これが3職を完成するキリストです。だれがキリストですか? だれがいったいキリストなのでしょうか? イエス様がキリストです。それが福音の当為性です。福音の正当性。イエス様がキリストなのに、この方を信じないではいけない絶対的な理由があります。絶対に解決ができません。未信者の状態から永遠に抜け出すことができないのです。福音の絶対性。イエス様が私と皆さんに必要です。本当に必要なことが福音です。なぜでしょうか? イエス・キリストを通して私と皆さんが永遠ないのちを得ました。福音の必然性です。この福音に対して衝撃を受けたのです。どこに衝撃を受けたのでしょうか? イエスというものに衝撃を受けました。
■いったいイエスキリストが誰でしょうか? それではどうなるのでしょうか? イエス様を受け入れます。誰を受け入れるのでしょうか? 神様を私の救い主として受け入れるのです。私の真のたましいの主人として受け入れるのです。受け入れる者、すなわちその名を信じる者には神様の子どもになる特権が与えられました。受け入れをした私と皆さんは、永遠ないのちを得るようになりました。これが神様の子どもです。これが聖書を記録した目的でもあります。
■ヨハネの福音書10:31、Iヨハネ5:13、この聖書を記録した目的が、イエス様が私たちの真の救い者キリストであることを証明するためと言われています。このイエス・キリストの名前に永遠ないのちがあることを私たちに分かるようにしようと聖書に記録をしたと話しています。それで永遠な神様の子どもなのです。イエス・キリストの永遠ないのちが皆さんの中にあります。この事実をどのように分かったのでしょうか?分かる道は一つしかありません。それがみことばです。このみことばは何でしょうか? 信仰です。ただ義人は何で生きるのでしょうか? 信仰によって生きるのです。何の信仰を言うのでしょうか? 神様の永遠な契約を信じる信仰です。必ず現れるのが働きです。みことばが成就にするので、みわざが起きます。テサロニケ教会の聖徒たちの色です。信仰の人。神様の愛があふれる人です。イエス・キリストに対する希望がある人々です。だからマケドニアとすべての信じる人々の模範になりました。完全に福音の人です。主のしもべがいつも祈りをする時、祈る時ごとに思い出せる人々です。これがまさにクリスチャンだと模範になる人々です。先週のメッセージを覚えていますか? 皆さんと私の目はどこを向かっているのでしょうか? いつも主のみことばの中で、与えられたみことばの中で、すべての答えをみな探さなければなりません。みことばだけが私の力になるのです。私が行く道に道しるべとなります。みことばだけが私に永遠な力を与えるのです。皆さんがみことばで大きい恵みを受けることを希望します。
■教会というのは何でしょうか? 皆さんが教会にきて礼拝をささげる時、力を得なければなりません。教会にきてすべての祝福をみな受けなければならないのです。6日間、世の中で勝利せざるを得ないその力の奥義を聖日にみな受けなければなりません。私が昔に青年会の時、教会に通っていた時の話です。教会にくると、とても良かったのです。メッセージが出てくるのに力が出ました。今の詩篇91篇のみことばは、事実は青年の時、88年に朝の祈り会の時に下さったみことばです。10分間、メッセージをする中で、私に与えられたみことばです。私がどれくらい力を得たかわかりません。礼拝の時ごとに力を得るので、ずっと礼拝だけ思い出しました。礼拝をささげる時ごとに力が出たのです。教会に行けば、みことばを通して力を得ました。祈りをすれば、神様が答えられたのです。話にもなりませんでした。いつもこの日だけ思い出しました。そして、タラッパンをすれば、ご飯ももらえて、みことばも与えられました。皆もらえたのです。ご飯も色々なご飯でした。執事の家に行けば麦ご飯、他の家は冷麺、ある家はビビンパでした。タラッパンごとにもらえるご飯がみな違ったのです。ご飯も食べて、霊的な糧ももらって、祈りの答えも受けて、癒されて、力も出て、どれくらい感謝かわかりませんでした。みことばで力を得たのです。
■今日、最高の祝福の力が臨むことを希望します。私たちにくださった祝福です。霊的な途方もない祝福を与えられたのです。本文の10-13に、わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかないと言われています。どんな人がこういう祝福を受けるのでしょうか? 9節に、それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからであると言われています。絶対に災いと災難が皆さんに近づくことはあり得ないのです。なぜなら、神様が皆さんの避け所となるからです。皆さんのとりでとなり、皆さんの盾となるのです。11節に、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされると言われています。行くすべての所ごとに神様が保護されます。どの程度に保護されるのでしょうか? 12節彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにすると言われています。完ぺきに保護されるのです。ひょっとして倒れるかと思って、完ぺきに少しも失敗がなく、とても正確に保護されます。
■それだけではありません。13節にあなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろうと言われました。暗闇の勢力を倒す力を与えられたのです。サタンの勢力を倒す力を与えられました。皆さんは光です。光が行けば、暗やみは退くようになっています。皆さんがイエスの御名を持って行けば、サタンは逃げるようになっています。皆さんが今この時間にイエス様の御名で祈る時、家に働く暗闇の勢力は退くようになっています。これがイエス様の御名の奥義です。神様の子どもにあたえられた7つの祝福です。完ぺきに保護されます。どの程度、保護されるのでしょうか? 完全に保護されます。少しも足りないことがありません。2節に、私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神。」と。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからであると言われています。狩人のわなとは何でしょうか? わなはわなです。鳥をつかむために狩人がわなを置きます。サタンが皆さんを倒すためにわなを置いたのです。そのわなに陥るのでしょうか? 違います。そのわなから完全に神様が保護してくださるのです。ひょっとしてそのわなに陥っても、神様が力を与えられるのです。
■4節、主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。完全に神様が陰になってくださいます。神様がバックグラウンドになってくださるのです。アーメン。それで、皆さんは普通の人ではありません。私が車を運転をして行く時に、そばの車にどこかの国の大使が乗っていたようでした。前には護衛する車があって、後にはボディーガードがいました。車が3台も行っていました。お金持ちの国のようでした。私がうらやましくて見つめていたのです。少しうらやましかったのです。しかし、そばにいたレムナントが「牧師先生は、天国の大使じゃないの」と言いました。うらやましくて見つめていたのですが、その話を聞いた瞬間、気がつきました。私が誰か、私が何をする人なのか? 皆さんは誰でしょうか? 皆さんは永遠な神様の子どもです。皆さんが行くすべての所に神様の天軍天使が保護します。それも完全にはっきりと皆さんを保護されるのです。権威までくださってということです。
■それから、永遠な証拠が現れます。7節に、千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。みな崩れて、みな倒れるのですが、皆さんはほろびることができません。皆さんは永遠にほろびることができない人々です。なぜでしょうか? 神様の子どもであるからです。未来の責任を負うべきレムナントであるからです。永遠な証拠を私たちに与えられました。見るようになります。何をでしょうか? 8節に、あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。福音を邪魔するすべての暗闇の勢力が崩れるのを見るようになります。福音が全世界に宣べ伝えられるのを見るようになります。今週は不思議に期待する思いになりました。柳牧師は、どこに行かれたのでしょうか? 米国に行かれました。それもシアトルに行かれたのです。それを終えてどこへ行かれるでしょうか? レムナントがいる所に行かれます。多分、柳先生も胸がドキドキするでしょう。ワクワクしているでしょう。未来を生かす伝道者がいるので、どれくらい胸がドキドキするでしょうか。彼らを通して永遠な証拠が現れるでしょう。皆さんを通して暗闇の勢力が完全に崩れることを希望します。それに証人になることを希望します。
■このメッセージを私が88年に受けたのです。私が88年の1月の第2週にこの東三第一教会にきました。本当に何もありませんでした。我が家は借金をしていて、家もなくて、みなありませんでした。世の中に私を手助けする人は誰もいなかったのです。ところで、教会に行ったのですが、一応、牧師夫人がご飯を食べようと家に連れて行ってくださいました。くるやいなや牧師夫人にご飯をいただきました。そして、私にずっと教会に来なさいと言われたのです。なんとなくある人を通して東三第一教会にきたのですが、それがきかけになりました。2月には、どれくらい寒いでしょうか? とても寒かったのです。仕方がありませんでした。その時、ソ・カンヒョン執事の家に部屋が一間あると言われました。それで、いくらを差し上げなければならないのかと尋ねたのです。1万円だけれど、まず5千円を出してと言われました。とにかく1万円が私のどこにあるでしょうか? それで「執事さん、私は今、お金がありません。」と言いました。それじゃだめだと言われました。それで、祈って答えを受けると言いました。それで祈って答えを受けたのが、5千円の答えを受けました。その翌日、執事さんに5千円を渡しながら、今月末に神様が5千円をさらに答えてくださるから、部屋を貸してくださいと言いました。それで、その家に入ったのです。家に入ったら、完全冷房状態でした。ボイラーがなかったのです。どれくらい寒かったか、むしろ地下35坪の教会に行きました。風も入ってこないので、とても暖かかったのです。それで教会で寝ていました。
■教会で寝ていたら、柳牧師が来られて詩篇91篇をされたのです。主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されると言われました。それと共に、神様の力の羽があなたを守る。天使が私が行くのに石にあたらないように保護している。神様が責任を負われる。どれくらい力が出たでしょうか。その時から私の背景は神様で、神様は私の助け主である、それで祈りをしたのです。金曜徹夜祈りで祈りの課題を出しなさいと言われました。それで、私が一番緊急なのが何だったでしょうか? 家に煉炭がなかったのです。神様、煉炭を下さい、名前、尹ソンフン、祈りの課題、神様、煉炭を下さい。これを金曜徹夜の祈りの課題に入れました。牧師がメッセージをし終えて、下の伝道師が一致協力祈りをさせました。名前を呼んで祈りの課題を話したのです。「私たちは、みな尹ソンフン兄弟のために祈りをしましょう。神様、煉炭を下さい。」と祈りをしようと言ったのです。祈れるでしょうか? 笑いの海になるでしょうか? ここで祈りをした人がただ一人だけいました。その人がまさに私でした。それで祈りをしたのです。執事さんは思い出すでしょう。金曜日の日、祈りをして聖日の礼拝をささげて家に帰ったら、部屋に煉炭が200個ありました。ハレルヤ。祈りの味を知ったのです。
■その次の金曜日、名前、尹ソンフン、祈りの課題、神様、米を下さい。金曜祈祷会の時、また出しました。しかも一致協力で祈りをしたのです。聖日家に帰ってみたら、米2俵が家に来ていました。完全に味わったのです。チュ・ソンユン執事がその時、青年会の会長でした。青年会の礼拝を我が家でささげようと言いました。それで我が家には何もないと言ったのです。何があるのか尋ねられたのですが、米だけあると言いました。それで青年部に全部、箸、スプーン、おかずをみな持ってこいと言われたのです。そして、我が家で礼拝をささげて、交わりをして、ご飯を食べて帰る時、みな置いて行けと言いました。突然に、スプーンが15〜16ケになりました。神様がどれだけ愛してくださったか、神学校に行ったのですが、神学校の登録金があるでしょうか? いくら祈ってもお金が落ちてきませんでした。お金がドンと落ちてくるべきなのに、いくら祈りをしても神学校の登録金が生まれてきませんでした。力がみな抜けてしまったのです。その時、柳先生が過ぎ去りながら、登録したかと尋ねられました。ないとは言えないので、まだ答えがないと言いました。
■その時、柳先生が言われた言葉をまだ思い出します。「神様の働き人は、神様が責任を負われる。」と言われました。その話を聞いて、私が神様の働き人なのかどうかを確認をする期間だと考えました。登録金ができれば確かに私は神様に用いられる働き人だと考えられるので、登録金がなければ私は神様に用いられない人だと考えると祈りました。ところで、全くイエス様も信じない親戚が登録金を出しなさいとお金をくれたのです。全くイエス様も信じない人々でした。ところで、この人たちが登録金にしなさいと与えたのではなく、お小遣にしなさいと渡したお金がぴったり登録金だったのです。千円だけでも大目にもらえたら良かったのですが、千円も多くなく完全に登録金分でした。その時、私が確認したのです。「私は神様が用いられる働き人だな!」どれくらい感謝したでしょうか。私は背景も何もなかったのです。私のために祈る人も誰もいませんでした。
■ある時、私がただ通っていただけだったのですが、牧師先生が良く話を出されますが、いつも礼拝をささげる時、いつも邪魔になるのが私のせきの音だと言われるでしょう。私の祈りの課題は、礼拝をささげる時、せきが出てこないようにということでした。せきが一度出てきたら30分続きました。牧師先生が説教を始めるやいなや始まり、終わればせきが止まったのです。それで、私を見て、出て行きなさいとみんなが言いました。みことばを聞くのに邪魔になるということです。しかし、私は死んでも出られなかったのです。みことばを聞かなければならないためです。ごほんごほんしながら、みことばを聞くと言って中にいました。私がどれくらい邪魔だったか、ある勧士が「あの人はだれが連れてきたか?」言っているとある執事が話をしてくれました。それでも勧士ならば、教会の中心人物なのに、どうしてそのようなことが言えるのかと考えながら、私の心が少し傷ついたのです。ところで、機会がきたのです。柳先生が導かれるタラッパンでした。私が代わりに行ったのです。牧師先生が突然呼んで、行きなさいと言われたので行ったのです。それにしても、その方がその話をしたのですが、牧師先生が来られると待っている所に、私が行くとしたら、どれくらい負担になるでしょうか。メッセージが完ぺきに準備ができているのでもありませんでした。どれくらい私が狼狽をしたか、した話をまたして、した話をまたしたのです。タラッパンを2時間30分もしました。
■ 1時間が少し過ぎたら、人々の顔が変になりました。だから、さらに狼狽して、初めからまた同じ話をしたのです。2時間30分、私も何か話をしたのかわかりませんでした。そして、帰ったのですが、やはりその勧士が牧師先生にすぐに電話をしたのです。「尹ソンフン伝道師がきて、した話をまたして、した話をまたして、タラッパンを2時間30分もした!」と言われました。そのまま言葉で分かったとして行けば良いのですが、その人は言葉を言わずにいられない人でした。それで、柳先生が私を呼んで、タラッパンを何時間をしたかと尋ねたのでした。柳先生はタラッパンは30分で終わりました。祈り10分、賛美5分、45分ならばすべての問題が終わりました。しかし、私は2時間30分だったのです。ところで、柳先生が来週に、また行きなさいと言われたのです。私を送りながらされた話が「そのタラッパンは、した話をまたして、した話をまたしてこそ悟れる。」ということでした。だからずっと行けと言われたのです。それで私がずっと行きました。その勧士が恵みを受けて、命をかけて私のために祈る勧士になったのです。どれくらい私のために祈りをすると思いますか? お母さんより、さらに多く祈りをしています。私の永遠な見張り人です。勧士が今、見ておられます。主の恵みです。福音を持っているので、どれくらい感謝でしょうか。福音を持っているので神様が祝福をくださるので、どれくらい感謝でしょうか。祝福の中の最高の祝福が出会いの祝福でした。誰に会うのかがすべてです。
■福音の奥義、祈りの奥義、伝道の奥義を持っている柳先生に会ったので、思わず似るようになりました。私が優秀にしたのではなく、私も同じになったのです。それで、私たちを見る神様の心です。どれくらい皆さんが尊い人でしょうか? 私があなたを貴重に尊く思って愛すると言われました。これが神様が皆さんを見る目です。これが神様が皆さんに向かってみる神様の心です。なぜ皆さんが尊いのでしょうか? なぜレムナントらが尊いのでしょうか? いのちをかけて、この話をするということです。
■米国にいるレムナントから電話がきました。あまりに荷が重いと言いました。伝道をして福音を伝えたのに、異端だと攻撃をするということでした。それで、それが大変なのかと尋ねました。伝道をして、イエス様を受け入れて、神様の子どもになって、タラッパンをして教会に連れて行くと、その時から異端教会だと大騷ぎが起こったのでした。それで心が傷ついたようでした。「心配しないで。神様がご覧になる時には、あなたがとても貴重だ。神様はあなたなしではだめだ。あなたを通してその地域を生かそうとする神様の心が、神様のメッセージで宣言されるのだ。異端、大丈夫だ。あなたは福音を持っている、人を生かす福音を持っている、神様の力を知る祈りの奥義を持っているのでないか? あなたが行くすべての道が伝道のために行くのではないか? それなら、神様があなたの責任を負われる。」
■ダビデを神様がなぜ用いられたのでしょうか? 神様がダビデを用いられた理由がありました。エッサイの子ダビデが私の心に合う者だと言われました。私の気に入るということです。だれが気に入るのでしょうか?ダビデが神様の心にぴったり合ったのです。合うという言葉を英語の聖書で見たら、afterと出てきました。afterという単語は、後にという言葉でもあります。辞典を探してみたら、気に入るという表現がありました。昔を思い出しました。大学に通っていた時、合コンをして、すてきな女の人に会えば一応、値段が高いレストランに行きます。お金がなくても時計や学生証を預けるのです。一応、気に入ったのでつかもうとするからです。ところで、問題は気に入らない人に会った時、どのようにするかです。ご飯を食べに行くといって中華料理店でジャジャン麺2ケを頼みます。女の人が男性と食事をする時、ジャジャン麺はあまり食べられません。口がすごく汚れるのに、どのように食べるのでしょうか? この頃はおいしいと、ぱくぱく食べるでしょうが、25年前にはそうではなかったのです。気に入る‘after’なら、 after申請もします。神様がダビデをご覧になったら、とても気に入ったのです。神様の気に入る皆さんになるように願います。神様の願いが何でしょうか? 神様のみこころは何でしょうか? それがまさに神様の心です。それを分かる者が神様の心です。それでこそ、神様が用いられるのです。上手にするのではありません。ダビデが上手にしたと思われます。賛美も上手にして、みことば黙想も上手にして、祈りも上手にして、上手にしたと思っているのですが、上手にしたのではなく、正しくしたのです。何を正しくしたのでしょうか? 神様の気に入るように正しくしたのです。賛美をしたら神様の気に入るように、詩を一つ作成したら、神様の気に入るように、みことばを黙想したら神様の心を持って黙想をしました。
■今日、私が1部礼拝をささげて、神様の心がどんな心だと思ったでしょうか。暖かい愛があります。それが感じられる礼拝でした。神様の心は暖かいのです。それで、感謝回復にならないはずがありません。その暖かい愛を受けたのですが、礼拝の時ごとに神様の心に必ず入る人になるように願います。今日の本文です。14-16に彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。神様を愛していますか? 本当ですか? ペテロに尋ねられました。他を尋ねないで「あなたはわたしを愛しますか?」それは何の話なのでしょうか? 神様のその大きい愛が、皆さんの胸の中にあるのか? 本当に福音の奥義を知っているのか? それを確認されるのです。それなら、神様が責任を負われるということです。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。この祝福が必ず皆さんに臨むことを希望します。最後に、わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。皆さんのいのちは神様の御手にあります。
■結論です。なぜこの祝福を受けるべきなのでしょうか? なぜ神様が皆さんに向かった心がこうなのでしょうか? なぜこういう驚くべき祝福を私たちに与えられるのでしょうか? 理由は一つ、福音の人であるためです。皆さんが生きる目的が福音のために生きるためだからです。皆さんを福音のために無条件に愛されるのです。福音のために神様に最高の栄光を帰すインマヌエル、そして、すべての聖徒になることを主の御名で祝福します。

<契約の祈り>
生きておられる神様にありがとうございます。いと高き方の隠れ場に住む者になるようにさせてくださったことをありがとうございます。神様の心が分かるように、私たちの霊の目を開いてくださったことをありがとうございます。福音によって、福音のために神様が祝福をしてくださったことをありがとうございます。真に感謝が回復する大事な日になるようにされたことをありがとうございます。神様、福音によって、福音のために、福音の人として、私たちを用いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン