2006年12月31日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/正確な神様のみことば
(詩119:137〜144)

■多分、英国の学者でしょう。スコットという人がいました。死ぬ時、家族に「私は死にそうなので、本を持って来てくれ」と言いました。ところで、その人は学者だったので、多くの本があったのです。息子の中の1人が「お父さんはお好きな本が多いのですが、どの本のことでしょうか」と尋ねたのです。その時、スコットはこのように話しました。「今、私が神様の国に行く時になったのに、何の本が必要か。今、私が国語の本が必要か、数学の本が必要か、聖書を持ってきなさい。」バイブルという言葉は、ピブルリオスという言葉からきました。ピブルリオスは本来、本、文という意味です。神様のみことばのほかは真の本がありません。
■私たちは2006年を忙しく送りました。私は今まで一年一年を送りながら、今年が最もはやく行ったように思います。皆さんと改革の話を始めたのですが、すぐ1年が過ぎ去りました。もちろん、うっとうしかった人もいるでしょうが、私はそうでした。私はどうしても正常でないようだと思いました。今週2006年最後の集会なのに、朝のメッセージ整理をしていたら、時間がすぐ過ぎ去ってしまいます。ですから、朝も食べられなかったのですが、お昼も食べられないようになりました。これではいけないと思ったのです。時間がないから、はやく出てきて、はやく食べなければならず、おかゆを食べれば、はやいだろうという気がしました。ちょうど前におかゆのお店がありました。それで、おかゆを頼んだのですが、おかゆは沸かさなければならないので、さらに長くかかりました。集会に行くので、急いで食べたのです。
■その時、感じたことがあります。私のそばで食事するすべての人々は時間が多くありました。おかゆ一杯を置いて、いろいろな話をしながら食事をしていました。あのように余裕あるように食事をするのに、あのようなのが正常かも知れないという気がしたのです。私はとても忙しくて、半分しか食べられなかったのです。席もあまりないおかゆの店に、席もないのに話しながらゆっくり食べる人が大部分でした。食べながら聞いてみたら、いろいろな話をしていました。こちらのチームはクリスチャンのようで、あちらのチームは事業をする人のようで、後に座ったおばさんたちは朝の運動を終えた人のようでした。あんなつまらない言葉も時間がなければしないだろうなと思いました。それで忙しいことを感謝したのです。おかゆを食べながらするお話がそれほど価値あるものではなかったのです。たとえ私が忙しくても、神様のために働きをするのです。ある面で、私があの人よりさらに幸せな人々だと思いました。
■このように忙しく2006年が過ぎました。神様は今年、RUTC元年として与えられ、すばらしい祝福を与えられました。徳平には本格的に始まりました。講堂も作り始めて、道路もできたのです。皆さんが誠意を込めて集めて下さった献金と祈りで22万坪の土地を確保しました。長老が祈られた通り、教会は伝道運動がさらに起きて、神様が昌原、海雲台に良い所も与えられました。今日、私たちはこういう重要な時に一年をどのように送った方が良いのでしょうか。
■神様のみことば前に立つのが最も時間をよく送ることです。時計に問題がある時は時計屋に行きます。からだが変ならば病院に行きます。からだが変なのに、工場に行って尋ねてはいけないでしょう。時計が変だからと、煉炭屋には行きません。私たちの人生を最もよく知っている方が神様だから、神様のみことば前に立つのが最も正確です。放蕩していたアウグスティヌスが神様のみことばによって、聖者アウグスティヌスに変わったのです。自殺しようとしたサンダーシングは、神様のみことばによって、多くの人を生かす宣教師に変わりました。長老の祈りのとおり、神様のみことばだけ捕まえていても答えられます。
■米国に有名な大統領がいました。カトリック信者として初めて大統領になった人です。米国ではプロテスタント信者でなければ大統領になることが難しいのです。カトリック信者は、みことばを軽視する傾向があります。カトリックはプロテスタントと考えが反対です。私たちはみことばが全てのものの上にあると考えます。カトリックはみことばは下で、その上が教会だと考えています。カトリック教会(Catholic Church)ということが、そのような意味を含んでいるのです。私たちはそうではありません。神様みことばの下にすべてのものがあると主張しています。それで多くのことが変わったのです。この方が大統領になって、最初で学校のなかでの聖書勉強をなくしました。もちろん、良いように聞こえるように言ったのです。「民主国家には多くの宗教があるのに、学校で聖書勉強をして良いのか」このような形で話したのです。そのようにして、米国に公式にみことば運動が途切れました。偶然なのか必然なのか、それ以後、米国には学校に麻薬が広がって精神疾患者が増えました。
■一時、ヨーロッパは最高の祝福を受けた国でした。みことばを守っていたためです。今はヨーロッパは、麻薬患者が多くて難しいみじめな国になりました。今は聖書を読まないためです。こういう怖い時代がきたのです。何年か後には、子どもたちが聖書を知らないから変になるでしょう。みなだまされるのです。それで、私たちは反対にレムナント運動を始めたのです。皆さんが一年を送って新年を迎えながら、最も正確なのは、神様のみことばを捕まえることです。
■第一に本文を見れば神様のみことばは正確なみことばだと言われています。証拠があります。神様のみことばの中で7千個余りの約束がそのまま成就しました。一個だけ残っています。キリストが再臨の主として来られるのですが、その時が最後だという約束以外はすべて成就しました。未信者の中でフィニクス・ノアという人が書いた本の中で、黙示録の大予言という本があります。本の序論に「私は神様を信じる神様の子どもではないが、聖書は確かに神様のみことばだ」と書いています。そこに対する証拠で、歴史的に神様のみことばが成就したことを探して書いたのがその本です。
■皆さんが知っていることだけ話しても、エジプト、バビロン、ローマが預言されたそのままみな崩れました。エルサレム神殿が崩れたのですが、再建できないと聖書には預言されています。まだ再建されずにいます。神様のみことばは正確です。それで、私たちの人生で、神様のみことばを捕まえることが最も重要なのです。詩篇119節137節に、あなたのさばきはまっすぐですと言われています。また138節には正しく、真実だと言われています。この言葉を言い換えれば、違いないということです。人の話は違う事もあり、時代によって合わないこともあるのですが、神様みことばは違うことはありません。140節には、よく練られていてと言われています。とても正確で細かいということです。144節には永遠だと言われています。皆さんがどれくらい祝福を受けた人か、ここに人の話を聞きに来たのではなく、神様のみことばを確認しに来たのです。
■立派な牧師は、その時に合う神様のみことばのお手伝いを上手にする牧師です。一番悪い牧師は、神様のみことばを違うように伝える牧師です。一番危険な教会は、神様のみことばを正確に伝達しない教会です。なぜなら、今でも神様のみことばは成就しているためです。すでに知っいる通り、ローマ15章4節、Iコリント10章11節、今でも成就されています。昔にあったみことばを最後の時に鏡としてたてたとIペテロ2章6節で確かに話しています。この三ヶ所の聖書で三つの単語が出てきます。記録された神様のみことばを手本として、鏡として、教訓として残しておいたとなっています。多分、今日ほとんど鏡を見て来られたでしょう。女の人たちは鏡を長く見ます。鏡を見て変だと、そのまま行こうとしません。ある女の人は、ずっと鏡だけ見ています。道を行く時にも、ガラスに映して見ます。私がどうか確認してみるためです。それで、みことばが手本で鏡で教訓で来られたのです。占う必要もなくて、さまよう必要もなく、みことばだけ捕まえれば良いのです。この祝福が一年が過ぎ行く皆さんに貴重な祝福になるように祈ります。
■前にソウルに行って、ある教会に入りました。その日が水曜日でした。関心があったので、週報を見たら、その週の説教の本文が出ていました。説教のタイトルが3・1運動の精神でした。そのようなこともあるでしょう。特別な説教をすることもできます。さらに驚いたことは、水曜日の説教のタイトルが「ある演奏会を見てきて」でした。そこから3ケを説明していました。最初、彼らは指揮者だけを見つめている。皆さんは神様と牧師だけ見なさいということです。二番目、それぞれの美しい声を出す。神様がそれぞれの賜物をくださるので、信仰生活を上手にしなさいということです。三つ目、全部一つになって声を出していた。皆、一つになれということです。もちろん、説教ということは、そのようにすることもあります。しかし、心配になりました。神様が神様の民に希望されることは、神様のみことばでしょう。世の中に立派な人も多く、経験が多い人も多いのですが、教会には勉強しに来るのではありません。皆さんが教会にきて勉強して行こうとはしないでしょう。この時代に、神様の御声を聞いて、神様の命令と計画について行くことを捕まえにくるのです。
■皆さんが二番目に記憶しなければならないのがあります。信仰生活を本当にしようとすれば、みことばをどのように捕まえるかが重要です。捕虜になっていた時代に、みことばを捕まえた人を通じて解決されました。旧約聖書の中で福音を一番たくさん説明した聖書が何でしょうか。イエス様の誕生、十字架につけられることを最も多く預言した聖書がイザヤ書です。学者が言うのに、イザヤ書は旧約の福音書だということです。そのうちで最も有名な箇所が、イザヤ7章14節です。皆さんがみことばをどのように捕まえるかという重要なことが出てきました。
■最初が、神様のみことばが伝えられてきたのをそのままよく捕まえることが最も重要です。お父さんから手紙がきたとします。外国に行って家族に手紙がきた時、最も重要なのが何でしょうか。何か言葉を書いていても、いつ頃帰って来るのか。それを捕まえなければなりません。最も重要な手紙を見れば良いのです。神様が私たちにくださった手紙がみことばなのですが、それをそのままよく伝達されれば良いのです。モーセが創世記3章の問題からそのままよく記録しています。このみことばを確かに受け取って渡した人々が預言者です。このみことばを確かに受け取ったところが初代教会です。難しくなく、みことばだけ確かに受け取れば良いのです。教会が難しくて、牧師が困難を受ける理由は、皆さんは責任がありません。みことばを伝達するのは牧師です。それで、牧師が無駄に困難をたくさん受けるのです。神様がご覧になったときに悪いためです。
■このメッセージは、1週に5千ヶ所で聞いています。合同側、高神側をはじめとして、すべての教団で毎週説教を聞いています。大韓民国の全教団で代表的な人々が常に私の説教を分析しています。外国で宣教師も聞いています。その方たちにしたい話があります。地球上で約3分の2の教団が、神様のみことばを信じないのです。地球上で4/3ほどの教団が「聖書の中に神様のみことばもある。」と言います。ある人は、聖書は神様のみことばではないとまで言います。一般信徒と関係なく、神学者がそのように言うのです。エミールリ・ブルーノという人は「聖書をとても重要だと思うのは偶像崇拝」と言いました。統合側で尊敬するカールバルトは「聖書の中に神様のみことばもある」と言いました。ベル・ハウゼンという人は、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は神様のみことばではないと言いました。そんなことが異端なのに、この人たちは正常だと言われています。
■この言葉がおもにヨーロッパから出ました。不思議に、それを話して何十年後にヨーロッパ教会はすべて門を閉めました。どの程度、ヨーロッパに問題がきたかというと、麻薬する人を捕まえて行きません。なぜ捕まえて行かないかというと、捕まえて行こうとするなら、みな捕まえて行かなければならないためです。それで、ほとんどみな麻薬をします。みな狂ってしまったのです。レムナントは、ヨーロッパに行ったら用心しなければなりません。男が女に食事しようと言います。レムナントは何も知らずに、はいと言ったのですが、食事しようというその言葉の中には、ホテルまで行くことが含まれていたのです。その程度に、対話が違うのです。麻薬患者が道でうようよしています。いくら閑散としている時でも、麻薬注射器はすぐ拾えます。とても深刻すぎて、市から注射器を使ったものを、もう一度使うなと、新しいものを分けてくれます。麻薬することは認めて、注射器を回して使えば病気まで回るから新しいものを使えと言うのです。神様のみことばに対して違うように話した団体が、すべてヨーロッパから出ました。これが米国に渡っていったのです。米国に渡っていって全世界に広がるようになったのです。だから全世界は、困難を受けるしかないのです。本当にどれが異端なのでしょうか。本当におかしな世の中なのだと考えます。
■まったく伝道をしてみたことがなく、神様のみことばが生きているのか、死んでいるのか、正しいのか、正しくないのかも知りません。創世記3章の問題が神話なのか、神様のみことばなのか、確認してみたこともないのです。ですから、牧師が全部みなほろびるのです。お金がなくて苦労して、いつもそうです。大きい教会は毎日けんかをしています。牧師は死んで神様の前に行ったら、死ぬほど殴られるでしょう。今は死ぬほど殴られて、さらに殴られろと言います。みことばを違うように伝えたためです。それほど大きい罪はありません。神様のみことばを信じないためです。怖い時代がきました。
■ある神学校で問題がありました。有名な神学大学で正しい話をしたのです。イエス・キリストを信じなくては救われることができず、霊的問題の解決ができないというのは、なぜそうなのか。皆さんが知らない多元論というものがあります。神学校で作った学問、多元論というのが何かというと、何を信じても救われるということです。何年か前のメソジストの最高の神学者1人が、イエス以外にも救いがあると言いました。韓国の保守教団で、どうしてそんな話をするのかと言ったところ、これから牧師になる学生たちが、なぜ立派な教授にそのように言うのかといってデモをしたのです。さらに笑わせる話をしました。この時代に、イエスを話して良いのかと言ったのです。
■世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。死ぬほど聖書勉強をしても利用することであって、神様のみことばをそのまま受けるのではありません。いくら相手が頭が良くても、私の話を利用する人がいて、私の話を聞く人がいます。
■みことばをどのように受けるべきでしょうか。福音で全部、再解釈しなければなりません。これが二番目のみことばを正しく受ける方法です。福音で再解釈しなければ説明が多いから混乱します。男性は、10回は結婚しなければなりません。アブラハム、ヤコブ、イサク、みな一夫多妻制だったために家庭が多かったのです。聖書でそのまま記録しただけです。福音で再解釈しなければ、深刻な問題が生じます。
■三番目です。そうなってこそ、伝道が何か理解できるのです。正しく理解したのがインマヌエルです。神学生たちと多くの牧師が伝道を理解できなくて、学校を出て牧師なるから困難がくるのです。私たちの学校は、それでそれを変えようというのです。正しく伝道が何かを知って出て行かなければなりません。皆さんが、神様のみことば持って伝道しにでかけなさいということではなく、皆さんに神様の証拠があって、インマヌエルの祝福が臨まなければならないのです。ある面では、福音を知らずに伝道することより、そのまま福音を正確に持っている人がより良いと思います。
■イザヤ7章14節を正しく捕まえて、その時、捕虜から戻る門が開き始めたのです。契約的祝福が回復し始めました。このみことば正しく悟る祝福があるように祈ります。知識があれば良いのですが、なくても関係ありません。頭が良ければ良いのですが、悪くても契約を捕まえるには大きな支障はありません。福音の深い部分を学者が悟れないでも、無知な人が悟ったりもします。神学者は悟れなかったのですが、魚を釣ったペテロが「世界中でこの御名の他には救われるべき名が与えられたことはない」と言いました。
■祝福でみことばを捕まえなければなりません。詩篇119篇を覚える人々の中に、この福音を持った人いたのです。みことばを証拠で捕まえなければなりません。神様の契約を捕まえる時、契約が成就されます。この時から答えられるのです。どのようにみことばを捕まえるべきでしょうか。
■多くの人々が失敗しても、そのまま捕まえれば良いというのですが、そうではありません。救われた者には、聖霊が内住しておられます。私たちが神様のみことばを身分のとおり捕まえてこそ、証拠を捕まえるのです。牧師は牧師のとおりみことばを捕まえて、長老は長老としてみことばを捕まえて、教役者は教役者としてみことばを捕まえて、牧師夫人は牧師夫人としてみことばを捕まえなければなりません。その時から働きが起きるのです。子どもとなる特権が与えられたということは、身分をくださったということです。私たちの身分を持ってみことばを捕まえなければなりません。多くの人々が無条件に信じれば良いと思うのですが、そうではありません。
■二番目です。神様の計画に従ってみことばを捕まえなければなりません。それを聖霊の導きと言います。神様の計画に従ってみことば捕まえれば、確かに働きが起きます。ある人々は「失敗しても恐れるな」「失敗しても大丈夫だ」「失敗は成功の母だ」と話します。正しい言葉ですが、失敗した人に合う言葉です。多くの人がそのように教えれば大変なことになります。むちゃくちゃにしろという言葉でしょうか。違います。「すでに失敗したので、どのようにするか、失敗は成功の母だ。」と言うのです。皆さんの子どもにそのように教えるのでしょうか。失敗しないように教えなければなりません。それで多くの人々がのがしたのです。
■神様の導きを受ける、神様の計画を捕まえるみことばをつかまなければなりません。そうすれば、歩みごとに答えのみわざが起きます。皆さんが行く所ごとに、聖霊の導きを受ければ生かされるようになるのです。どのように受けるのでしょうか、どのように神様の導きを受けるのですか、どのように質問すれば良いのですかと、質問するだけでも良いのです。
■ある牧師が私に「私たちの信徒にいくら宣教に対して説明しても聞き取れません。」と言いました。それで「宣教はやさしいことですか? ずっと説明すればわかるでしょう」と言ったのです。その教会役員の長老で私たちの釜山教会にいて行った方がいます。それで、牧師が宣教しているのに祈ってよくサポートしなさいと言ったところ、にっこりと笑いながら分かりましたと言いました。宣教するのに、なぜ笑いが出てくるのでしょうか、良い笑いではなかったので、祈りなさいと言いました。分かってみたら、この牧師が自分の息子がヨーロッパにいればヨーロッパ福音化と、米国にいればただ米国福音化と言うやり方だったのです。神様の導きを全く受けないからなのです。貴重な祝福を受けたしもべが少しだけ導きを受ければ働きが起きます。神様の計画が何か、考えるだけでも働きが起きるのです。その時ごとに状況に合うみことばを捕まえるのです。
■私は今でもタラッパンで長老を見ながら神様に感謝します。ほとんどこの時までいた教会では、長老が神様の導きを受けません。みことばをみなのがすのです。私たちの教会の長老のように「先週に受けたみことばを捕まえて」と言うこともありません。それまでは良いとしましょう。人間主義的です。神様の祝福を受けるのはやさしいのです。みことばを捕まえて導きを受けようとすれば大きなみわざが始まります。
■最もレベルが高い人々が集まった教会にも行ってみました。頭が良くて、さらに多くけんかをします。役員会が開かれたら、争いの場です。最後にいた教会では、けんかを私が止めさせることさえありました。教会にならないのはもちろんで、子孫がほろびます。どれくらい神様が良い神様なのに、祝福をみなのがすのでしょうか。
■その前の教会は、私が止めて出てくる時までいろいろ文句を言われました。週報を作るのをパンソン洞の自分のおいに任せろと言うのでした。今は電車があるのですが、その時はバスに乗って行けば一日かかりました。行ってみると印刷所でもなくて、活字をいくつか置いて名刺を刷る所でした。週報を作ろうとするなら、一週間以上かかって、受け取りに行くのにも一日かかりました。聖日の週報を受け取ったら、字が違っていたのです。「福音ソング」を「炒めものソング」として「権威を与えて下さい」を「貸し切りを与えて下さい」(韓国語のつづりの間違い)など長老ならばそのようにしないのに、イエス様を信じないから一つも知らなかったのです。そして、伝道師が月給をもらっているのに、このようにして何をするのかと私が言われました。
■私が決断を下したのです。牧師を訪ねて行って「週報も変で、字も違うので、長老に任せなければならない。イエス様信じない人はだめだ」と言いました。長老は聖書箇所が違っているなら、直したりして上手にできます。ですから、牧師が困って「柳伝道師が遠く行くのが難しいようだ。本来のとおりしよう」と言いました。教会がそのようなレベルになってはいけません。その方がしばしば率先して私を難しくしたのです。神様が私が福音を伝えるとご存じで、このように福音を伝えやすい教会、福音のために集まる教会にくるようにされたのです。これは祝福の中の祝福です。
■三つの答えを受ける人います。神様の答えをみなのがして過ぎ行く人がいます。祝福を滅亡にみな変える人がいます。また、ある人は滅亡をみな祝福に変える人がいます。神様のみことばの前でみなのがしてしまう人と、やさしいことをどんどん難しくさせる人がいます。祝福を受けたのも知らずに、祝福の場にいるのも知らずに、滅亡にする人がいます。しかし、滅亡の環境になっても、それを祝福に変える人がいます。奴隷になっても祝福に変えて、監獄に行っても祝福に変えてしまいます。ダビデのように、困難を受けて逃げ回りながらも祝福に変えて、パウロのように迫害の危機や死に直面することにあっても祝福に変える人は、みことばを捕まえた人です。
■皆さんがみことばを捕まえれば、どんな困難がきても大丈夫です。四方から囲まれても窮することはないと言われています。この弱い土の器の中に宝を持っているのです。皆さんは、一年が過ぎて祝福の新年を迎えるようになります。皆さんは神様の子どもです。神様のみことばだけ捕まえれば良いのです。そうしてこそ、未信者も生かせて、国家も生かせます。正しい教会、神様の子ども、この祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。一年の間、私たちは多くの祝福を受けました。
■そばの人を祝福しましょう。新年に神様の祝福を受けましょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。祝福を知らずにいる愚かな者ならないようにさせて下さい。このように祝福された教会に多くの聖徒と共に出会った祝福を悟るようにさせて下さい。世界福音化する貴重な教会に出会ったことを神様の前で感謝します。私たちの福音を持った教役者に会わせてくださったことを感謝いたします。福音を愛する私たちの長老と役員たちに会わせてくださったことを感謝します。ただ福音のために全てのことができる聖徒を立てられたことを感謝します。全世界に証拠を見せるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<教育局卒業礼拝>
2部/聞きなさい。イスラエル。
(申6:4〜9)

■申命記6:4「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」と言われました。それで、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と言われたのです。7節に「これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい」と言われました。聞きなさい。イスラエル。とても重要だからです。皆さんは、神様の御声をよく聞かなければなりません。
■私が今まで見るのに、軍人の中で海兵隊が一番良い軍隊だと思いました。陸軍より海兵隊が一番良いと思いました。その理由が、海兵隊に行ってきた人にはプライドがあります。教育を一番良くされたのです。それで、海兵隊出身だと自慢します。そのように言えば、教育を確かに受け取ったということです。「私は海兵隊が恥ずかしい」と言うなら良くないのですが、海兵隊から出たことに対してプライドを持っています。ある時、食堂に行ったら、食堂の主人が海兵隊の服を壁に掛けていました。私は今まで陸軍が服をかけているのを見たことがありません。私は今まで空軍がかけているのも見たことはありませんでした。どこかへ行って防衛が服をかけておいたことも見たことがありません。恥ずかしいためです。ところが、海兵隊の服をかけてありました。それで「海兵隊が教育を一番確かに受け取っているのだなあ」と思います。
■ここにいるソン・チャンマンを見れば分かります。ソン・チャンマンが、海兵隊に行って人が変わってきました。海兵隊に行ってきたと挨拶をします。就職をしたというので、どこに勤務をするのか尋ねました。動物園にいるということでした。そして、そこに一生をかけると言っていました。すると私の息子が「動物に餌を与えることだ」と言いました。どこでも一生をかければ良いのです。明らかなのは変わってきたことです。ところで、まだ陸軍を行ってきて人が変わったことを見たことがありません。だから、教育をよくさせるのです。
■前にも息子が軍隊にいた時、軍隊に関心を持っていたのですが、全羅道、光州駅で、あるおじさんと軍人とがご飯を食べていました。ご飯を食べるのを見ると、軍人が楽に食べないで、姿勢を正してご飯を食べていました。静かに聞いてみたら、おじさんが先輩でした。詳しく聞いてみたら、色々な軍隊の話もして、多くの話をしていました。知ったところ、二人とも海兵隊でした。年上である海兵隊の先輩が、海兵隊の後輩が過ぎ去るので呼んでご飯をおごっていたのです。真にすごいと思いました。そして、最後に電車切符で時間を見ようと、海兵隊後輩がゆっくり行く値段が安い切符を買っていたのですが、それも変えろと言っていました。海兵隊はこういうものに乗らないと言いながら、変えなさいと言っていました。それで、本当にすごいと思ったのです。それで私が分かることでは、一番教育が優れているところが海兵隊だと思います。
■ところで、国家の教育の中で一番優れた国家がユダヤ人です。その理由が、ユダヤ人は自分たちがユダヤ人だということで、ものすごいプライドを持っています。悪いことを教えようが、良いことを教えようが、教育を正しく受けたというプライドを持っています。今でもユダヤ人は、一般の人々と一緒に並んで立ちません。そして、今でも自分たちが世界を生かす最高の人だと思っています。錯覚ですが、そのように考えているのです。
■それで、私はこれから世界で教育を一番確かに受け取った価値ある人々が誰なのか尋ねれば、レムナントだと話すでしょう。その時までずっと教育をするつもりです。レムナントは言い訳をしないように。レムナントには理由がありません。神様の子どもであるためです。レムナントは神様にあって何でもできるのです。だめなのは、神様の力でできます。レムナント7人を見れば、いかなる場合でも気落ちしませんでした。こういう精神を持っていなければなりません。レムナントだから何でもできる、レムナントであるために、いくら良くない条件も大丈夫だ、むしろ悪条件は良い、と思わなければなりません。良い条件で育って成功した人と、良くない条件で育って成功をした人の中で、良くない条件で成功した人がさらに有利です。良くない条件で失敗をすれば不利ですが、失敗をしなければ、それがさらに有利です。
■それで、後ほどには歳月がたくさん過ぎたら、レムナントと言えば「レムナントはどこでも使える」とならなければなりません。後ほど世の中の人々が「レムナントとは何か」と尋ねるでしょう。レムナントが何かと尋ねるでしょう。後ほど歳月が過ぎたら「レムナントは間違いない」とならなければなりません。それで、その契約を捕まえて行かなければならないのです。
■卒業をするのは終わるのではなくて、始めることです。それで、漢字でも見れば卒業の「卒¥」という字が開始という言葉にもなります。終わる言葉にもなるのですが、始める軍人を見て卒兵と言います。その卒の字です。英語でも終わりという言葉にもなるのですが、開始という言葉にもなります。それで、皆さんが今は卒業ではなくて、新しい開始だと言わなければなりません。ところで何を始めなければならないのでしょうか?
■聖徒たちとレムナントが3つのことを記憶しなければなりません。聞きなさい。イスラエル。ここに力を尽くして、心を尽くしてという言葉は、最高に重要なことを尽くしなさいという言葉です。それが何の話なのでしょうか。今まで重要なのがあったことをのがすなということです。今まであったことの中で、それほど価値がなかったこともあるのですが、重要なのもあるので、これをのがすなということです。どれくらい強い話をしたのか、堅くつかみなさいと言われました。今まであった神様の契約を堅く捕まえろということです。今まであったこととは何でしょうか。人間にはなぜ問題がきたのでしょうか。それを分かってこそ、答えが分かります。なぜ問題がきたのでしょうか。何の問題がきたのでしょうか。それを分かってこそ、答えが出てくるのです。
■それが創世記です。創世記には、人間の問題が何か出ていて、答えが出ています。知らずに過ぎ去ったのです。この答えを知らずに過ぎ去ってしまうので、奴隷になったのです。この答をまた見いだしてこそ、解放されるのです。これを「出エジプト記」と言います。出エジプト記に記録されています。皆さんがのがしてはいけません。レムナントや大人たちが、これを知っていなければならないのです。今まであったことを堅くつかみましょう。かもいと門柱に書き記して、手首に付けて、額に付けて、壁に付けるほど堅くつかまなければなりません。この問題の答えを私が正しく味わうのが礼拝です。礼拝を通してみな回復するようになっています。これをレビ記と言います。とても重要です。
■今は荒野を行く間にカナンの地に入るべきなのに、何を準備すべきでしょうか。神様が準備された数があります。それが神様の民です。この数字を正確にしてこそ、カナンの地に入れます。カナンの地に入って正確に行く場所を分かってこそ入れるのです。遠足に行って三人がいなくなれば、探してから行くことができます。遠足を行って子どもが五人くらいいなくなったのに、先生が「来るだろうから、そのまま行こう」と言って行くでしょうか。入ってイスラエルがカナンの地の地図を皆知っていなければなりません。これが民数記です。こういう部分をのがしてはいけません。今の言葉では弟子訓練です。どれくらい重要でしょうか。今はカナンの地に入る前に最後に捕まえなければなりません。これら全部の契約を正しく回復をして入らなければならないのです。これが申命記です。だから、こういうものをのがして入っても良いでしょうか。こういうものをみな回復をしたので堅く捕まえましょう。
■ここには今、現職の学校の先生もいるでしょう。そして、現職ではなくて子どもを引き受けた先生もいるでしょう。必ず銘記しなければなりません。今、先進国の教育を銘記をしなければならないのです。もちろん、先生がしなければならないことが多くあります。課題も多くて、難しいことも多くて、色々なことが多いでしょう。全教組も理由があるでしょう。しかし、それよりさらに重要なことがあるのです。学生たちをのがさないで、育てなければならないのです。学生たちの実力を正しく育てなければなりません。これは学校と関係がありません。これは学校の条件とも関係がありません。このようにできずに、今現在の公教育がみな崩れているのです。これは他の人が倒すのではなくて、学校が自ら倒すのです。今、学校で良い子どもたちがみな抜け出しています。ますますそうなるでしょう。多分、これから学校が門を閉めるかも知れません。それは学校が作ったことであって、私たちが作ったことではありません。
■私はびっくりしました。先進国がなぜ先進国なのか、教育を正しくするからです。言葉だけ聞いていたのですが、体験をしたのです。昔に米国にいた孫が幼稚園生でした。それで韓国語をあまり知らなくてはいけないから、一ケ月だけこちらに来なさいと言ったのです。それで幼稚園に訪ねて行って「この子は1ケ月の間、韓国に行きます。」と話をしたのです。そうしたら、韓国ならどのようにするでしょうか。「1ケ月間、良く行っていらっしゃい」と言うでしょう。ところが、米国の人たちは、1ケ月間、この子が行ってくれば空白ができるから、その空白の部分をあらかじめ教えるのでした。両親は要請もしなくて、学校でもしなかったのですが、「この子は1ケ月間、韓国に行ってくる」と考えて、午後に特別時間にみな教えたのです。それが正しい考えです。そのようにしてこそ、この子がどこへ行ってきても当惑しません。これをするのに大きい行政や制度が関係があるのではありません。それで、教育には先生が真に重要だということを感じるのです。
■カン・ホイン牧師とこういう話をしました。カン牧師の息子がとても遅く留学に行ったので、言語がついて行けないのでした。それで、先生4名がついて、別途にこの子がついて行けるように手助けしてくれたのです。それで、カン牧師が衝撃を受けたのです。これが先進国です。先生が、どの子が遅れているのかを知って、こういう部分をすべきなのに、とんでもない部分をしてみても必要がありません。
■そしてここに学校の先生でなく、教師たちもいるでしょう。学校で重要なことを教えないし、学校で教えることができないものもあります。これを教会で教えなければならないのです。今、学校で子どもたちがエリート教育や経済教育や世界を見る教育が全くできていません。子どもたちの思想をどうやって行かなければならないのか、こういう思想教育が全くだめになっているのです。教会で責任をとってしなければなりません。正しい思想が何か、世界観が何なのかを植えなければならないのです。いくら賢いレムナントでも、聞くことができなければ分かりません。それで今まで上手にしたのですが、今日から後、インマヌエルでは教育一つは正しくして、先生がプライドを持っていなければなりません。レムナントも「して死ぬことがあっても私たちは最高の教育をする」と考えなければなりません。
■ 2007年からインマヌエルの家族も全部、プライドを持ちましょう。それでインマヌエル教会の教会学校に行かせようと列をつくるほど教育をさせなければなりません。来年からは祈りの手帳のようなものも実際に、この子たちがどのように見て使用をするのか見ましょう。そして、大学に行って論述試験を受けようとせずに、幼い時から文を書くようにしましょう。ダビデは幼い時、羊飼いだった時、すでに作詞作曲をしていました。どれくらい演奏が上手だったのか、王宮の中に入って演奏をするほどでした。ダビデがどれくらい実力を養ったか、羊一匹もなくさないほど実力を養って、それを持ってゴリヤテを倒したのです。レムナントができると記憶をしなければなりません。「私たちは何でもキリストにあって世界福音化のためにできる。条件が良くないほどより良い。」こういう覚悟を持って開始しなければなりません。各分野で卒業をする人々は、卒業でなくて開始だと考えれば良いのです。
■聞きなさい。イスラエル。それでは、今まであったこの祝福を既成世代が先に体験をしましょう。先にしろと言われました。あなたたちの子どもに教える以前に、先にあなたがたが心と力と最善をつくしてしなさいと言われたのです。どんなことが起きたでしょうか。イスラエル民族が契約を捕まえて10の奇跡と10の災いが起きました。イスラエル民族には奇跡で、エジプト人には災いでした。契約を回復して出てくる時、こうしたことが行われます。また驚くべきことが行われました。紅海が分かれたのです。これを既成世代が見ました。これを堅く捕まえましょう。
■イスラエル民族が行く中に、神様が重要な力の契約の箱を与えられました。契約の箱の中に何が入っていたのでしょうか。神様のみことばが入っていました。イスラエル民族が行く中に、お腹がすいていた時、マナを与えられました。神様がイスラエル民族が揺れた時、アロンが杖を土地にさしたところ、杖から芽が出たのです。この3つが入っていました。この契約の箱が行く所ごとにヨルダンが分かれて、エリコが崩れる事件が起きたのです。こういう答えを既成世代が先に体験をして捕まえなければなりません。それで、神様はイスラエル民族を解放して「聞きなさい。イスラエル」と言われたのです。既成世代が先にみことばを堅く捕まえて体験をしなければならないのです。これは一つの契約ですが、既成世代が捕まえて体験しなければなりません。新しい力を得ることを希望します。
■子どもたちを引き受けた教役者1人が霊的な力を得てしまえばどうなるでしょうか。本当にすばらしいことが行われます。伝道師1人が本当に契約を捕まえて答えを受ければ、子どもたちがどうなるでしょうか。ものすごいことが行われます。役員が恵みを受けて聖徒たちが恵みを受ければ、その中に育っている子どもたちがどうなるでしょうか。話すことができないみわざが起きます。それで、皆さんは仕事も重要ですが、神様の大きい祝福を受けて、人前に立つのも重要ですが、神様の力を自分が体験しなければなりません。だれかに認められるのも重要ですが、神様の祝福を受けるのがさらに重要です。それで簡単に話せば、教役者が誰かにしたがって違うのです。
■本当に面白いことがあります。わざわざ一週間に三回以上、汗を流します。剣道もして、空いている時間に卓球もします。本当に不思議なことがあります。時間がなくて釜山にくれば、釜山駅の前にある卓球場に行って、ソウルに行けば江西地域で飛行機に乗りやすいところに行きます。ところで、釜山に行けば、そちらがごみ場なのか卓球場なのかよく分かりません。入る所から変です。臭いはもちろんで、お手洗いには10秒以上立っていられません。そこに主人がいます。いつでも行く時ごとに寝ています。それで私たちが練習をして、打つ間も寝ています。それで出てくる時に呼んで起こしてお金を払って出てくるのです。ところで、正反対にソウルには行けば場所がありません。やっと場所をとって運動をして出てくるのです。そちらは主人が違います。自分が運動を一緒にしています。私が見ると、主人がほとんど選手のようです。それで、人が満杯になっています。それで「誰がするかがこのように重要だな」と考えたのです。
■ところで、逆のことが起こったのです。今、釜山が変わったのです。寝る人が出て行って他の主人がきました。ところで、完全に変わってしまったのです。入口からとても清潔で、ゲタ箱も清潔にしてあります。飲み物も必要ならば飲むように置いて、床も新しく付けました。そして、自分自身が先頭に立って、出てきて運動を一緒にするので人が満杯になりました。突然に変わったのです。ところで、とても驚くことが新しくできたのです。ソウルに場所がないほど多かったその店が、人が1人もいなかったのです。何日か前に私たちが行って打つのに、人がいなくて良いことは良かったのですが、誰も来ませんでした。これがどんなことなのかと思ったら、主人が変わっていたのです。おかしなおじさんが1人がきていました。同じ場所、同じ時間、同じ条件なのに、主人が誰かにしたがって違うのです。
■子どもたちが育つのに、両親が福音が正しくなくて、学校を行ったのに学校先生が福音が正しくなく、教会を行ったのに、教会先生もないなら、どうなるでしょうか。それで学校に現職教師でなくても、教会学校の教師たちは最後のコースだと考えて教えなければなりません。この子どもが人生を学ぶ、神様を学ぶ、ダビデのように知力と霊力をそろえられることを学ぶ最後の機会だと考えて教えなければなりません。本当に両親を誤って選んだのも大きい苦労で誤りなのに、教会に行って先生を誤って会ったほどくやしいことはありません。どの先生に会うのか、伝道師を間違っても教師が正しくすれば、それもまた良いのです。
■小学校から高等学校まで教会を通った朴正煕大統領が福音を聞けませんでした。確かにその人が教会に通った記録があります。私が生まれた家も行ってみて、そのそばの教会も行ってみました。まちがいなく、その方が幼い時に賢かったために、教会に行ってみたでしょう。教会が問題なのです。教会に通わせられなかったのか、確かに信じるようにすべきなのに、そのまま行き来するようにさせたのです。記憶しなければなりません。学生たちは、どの伝道師に会うのかどうかにしたがって影響を受けます。学生たちは、どの教師や担任に会うのかどうかにしたがって違うのです。ひいては、担任牧師がどんな人かにしたがって違います。それで、家庭の教育が誤ったとしても、教会でつかんであげなければなりません。それで、教会でこれから2つのことを命を持ってしなければなりません。
■この子どもたちを実力を育てて、世の中に出て行くようにさせることに命をかけなければなりません。違うところではだめですが、教会では霊的に解決できるように命をかけなければなりません。1人をつかんで最後まで誠意を尽くして見なければならないのです。数字が問題ではありません。何が集まるかも何の関係もありません。教会学校に何人集まるのは何の関係もないのです。ひとまずインマヌエルに入ってきた子どもたちは、最後まで取りまとめて見て、その子どもたちを生かさなければなりません。両親が信じなければなりません。可能なのに、なぜできないのでしょうか。さっき長老と英語学校を作ろうと話もしました。できないことが何があるのでしょうか。未信者より良くできることもあります。それで、皆さんが形も重要ですが、子どもたちの教育だけ責任を負えば、みな生き返ります。
■食堂もみずぼらしそうな家なのに、入ってみればおいしい家があります。ところで、いくら食堂が形が素晴らしくても、まずければその次から行きません。霊的にも同じです。今日、皆さんがそのままの日ではなく、インマヌエルとタラッパンが更新する重要な日にならなければなりません。いい加減にせずに、教育を徹底的にしましょう。それで、先生が子どもたちを分析して、実際にこの子どもが勉強をどのようにするのかを知って、実際的に手助けしなければならないのです。この子どもが勉強がどこが足りないのかを知って、実際的に手助けしなければなりません。いいかげんにしてはだめです。そして、一般の学校の先生ができない霊的な問題を教会で直して、教会で正しく立て直さなければならないのです。必ず、そうならなければなりません。皆さんが契約でつかむことを希望します。
■このことを必ず子孫に知らせましょう。そうなれば良いのです。レムナントをどのように作るべきでしょうか。私たちが契約をつかむことを体験をして、レムナントにはビジョンで残さなければなりません。世の中のことも重要ですが、契約を捕まえてこれを体験をして残さなければなりません。民数記14:1-10こういうレムナントを残さなければならないのです。十人の斥候が入ることができないと言いました。ヨシュアとカレブは入れると言いました。ところで、無条件に信じますではなく、霊的な目を開いたのです。行ってみるとその国の民は心がしなえて、彼らの指導者は全部逃げていませんでした。よく見たのです。このように、レムナントは目を開かなければなりません。「私たちが行ってみたら、彼らは巨人だ私たちは行けない。」うわべだけ見たのです。このように育ててはいけません。どのように育てるべきでしょうか。
■彼らは巨人であることは間違いないが、彼らの指導者は全部逃げてすでに国民は心がしなえている。私たちの餌食だ。ヨシュアとカレブが言った言葉です。こういうレムナントを作らなければなりません。そして、見て下さい。ヨシュア3:1-13ヨシュアのようなレムナントが出てきました。祭司が担ぐ契約の箱にしたがって入りなさい。入れば主が川を分けられるだろう。ヨシュア6章を見ましょう。すべての民は契約の箱を担ぐ祭司の後に従ってエリコを回りなさい。こういうレムナントを作らなければならないのです。
■ヨシュア10:10-14カナンの地にみな入ったのですが、ミデヤンの中にある全連合軍がみな立ち上がりました。その時、知っているように全連合軍がみな立ち上がったのです。勝てません。ヨシュアの軍隊がこの軍隊と戦いに行ったのです。その時、どんなことが起きたでしょうか。突然に、神様が天からひょうを降らせて連合軍の頭をみなうち破ってしまったのです。信仰がある人は、錯覚をするのではなく、神様のサインをよく見ます。昨年に、私たちは最高の答えをみな受けました。神様のサインを見なければなりません。その時でした。太陽が沈み始めたのです。だから残った軍人が逃げました。彼らは道をよく知って、イスラエル民族は道をよく知りません。大変なことになったのです。それでは死んで負けるようになるので、その時ヨシュアが太陽よ月よ止まれと言いました。空前絶後な答えを受けたのです。こういうレムナントを作らなければなりません。それでこそ、カナンの地に入れます。どんなレムナントなのでしょうか。
■ヨシュア14:6-15カナンの地の中に完全に入ったのですが、最後に大きいアナク山地に会いました。イスラエル民族はまた気落ちをしたのですが、この時、現れた人がいました。まさにカレブでした。このカレブを通してイスラエルは完全に勝利するようになりました。こういうものを知らせなければなりません。聞きなさい。イスラエル。
■結論を結びます。レムナントはビジョンを持っていなければなりません。ビジョンよりさらに重要なことがあります。ビジョンを成し遂げる人です。その人がレムナントにならなければなりません。ビジョンを成し遂げられる人より重要なのがその力です。力がなければ成し遂げられません。その力は神様がくださいます。大人たちは必ず記憶しなければなりません。皆さんがこの地にいなくなった時、子孫が生き残るべきです。約束の土地カナンを征服しなければならないためです。そちらに偶像と7つの部族、31人の王が住んでいます。彼らと戦わなければなりません。力を持ってしなければならないのです。レムナントは勝てるのですが、これを知って行かなければなりません。そして辺境には多くの国家があります。彼らと戦わなければなりません。世界福音化です。このようにして行かなければならないのです。必ず記憶しなければなりません。
■聞きなさい。イスラエル。この契約を捕まえて、これから私たちの教会はとても重要な答えを受け始めなければなりません。いくつかの決心をしなければなりません。最初です。インマヌエル教会から送る学生は、皆さんが徹底して実力を分析して責任を負わなければなりません。二番目です。インマヌエルに送られた学生は、確かに霊的な部分を癒して、霊的な部分に勝利者にしなければなりません。三番目です。インマヌエルの学生たちはすでに学生の時から全世界を見通してRUTC運動の主役になるようにさせなければなりません。お祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちのインマヌエルの祝福を回復するようにさせて下さい。正しい教師になるようにさせて下さい。レムナントを変化させる指導者になるようにさせて下さい。彼らを知って答えをあたえる教師になるようにさせて下さい。私たちのレムナントにプライドを回復させて下さい。どんな場合も気落ちしないようにさせて下さい。何でも主にあって可能性があることを分かるようにさせて下さい。キリストにあってだめなことはないことを分かるようにさせて下さい。空前絶後な答えを与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン