2006年インマヌエル教会送旧迎新礼拝および新年感謝礼拝


1講/人生改革
(イザヤ6:1〜13,7:14,40:27〜31)

・私たちの神様に感謝いたします。毎年、タラッパンでは賛美の祝祭があります。私たちは1,2等を決めるのではなく、単に全国から集まって賛美するのです。それでも、賛美の祝祭の後で、評価が出てきます。ところで本当に不思議にも、大韓民国で一番田舎である釜山チームで恵みを受けたということです。ソウルのようなところでは、実力がある人々が多くいます。しかし、釜山でおばさんたちがバスに乗って行って歌うのに、不思議に人々が恵みをたくさん受けるのです。私が思うのには、レベルが高い大曲を消化して発表するのも重要ですが、だれがどんな賛美をどんな方法で神様に賛美するかが重要なようです。それで、この間、釜山にきたところ、イ・ソンフン牧師が、とても私たちのチームが良くて、すべての参加した人々の心を打って泣かせたと報告しました。それで、私が今晩は、特別に150人にごちそうしてあげました。食事を食べたからか、はるかに良く歌っていました。可能ならば、ずっとごちそうしようと思います。神様に栄光を帰す賛美は、霊的な実もたくさん起きるでしょう。

・2006年を迎えながら、元旦に重要なメッセージを与えられました。今晩は、一年を送って迎えながら、人生改革という主題でみことばを受けます。神様がいくら全能でも、私が信じないことには関係がありません。私が変わらなければ、何の効果もないのです。タラッパンに大きなみわざが起きても、私が変わらなければ、私とは関係ありません。そして、これを改革しなければ、深刻な問題がくるのです。今回は、時刻表がきたので、2006年には、大きい祝福を必ず受けられるように願います。毎年、新聞にこういう記事が載ります。今年の大学試験のトップ合格者のことや、60才が越えたおばあさんが今回大学試験を受けたという記事です。みなすごい方々です。学生1人は勉強をがんばって最高の点数が出てきたから本当に苦労したのでしょう。私も学習の道をのがさないという気持ちで、年齢が60才を越えたのに熱心に勉強して大学に入る人もいます。みな良い時刻表を味わっていると新聞に載っています。それでも、私が見るには、そのおばあさんは真の改革的なことではあるが、時刻表、機会はのがしたと思います。私たちには機会がいつもあるのではありません。そのおばあさんは、称賛を受けるかもしれませんが、それをもって就職することも大変で、機会は行ってしまったのです。

・私たちには、機会はいつもあるようですが、一度しかないのです。それが何の話なのでしょうか。やさしい話で、2005年12月31はもう二度と来ないのです。ここに私たちのレムナントたちが座っています。レムナントは機会ですが、一度だけしかありません。何度も来るのではありません。そして、長老、教役者、宣教師、牧師が多くいます。それも、その時が機会であって、過ぎたらないのです。時間がある時は直ちに行ってしまいます。そのために、私が重要な何かが変わらなければならないのです。それでは、私が何を変えるべきなのでしょうか。この部分を置いて、今年、来年を迎えながら、本当に答えを受けなければならないでしょう。最も重要なのは、人生が改革されなければ、運命が変わらないということです。未信者が使う言葉です。運命が変わりません。これはすべての信仰生活の答えがここに入っているのです。私たちがイエスを信じる信仰によって救われる時、運命が、根本的な運命が変わってしまいます。

・しかし、またあるのです。私たちには、先祖の時から家庭から来るとても重要な背景的な運命があるのです。皆さんの人生が変わらなければ、絶対に変わりません。普通、ありふれたこととして思っています。それで、多くの祝福がきたのにもかかわらず、逃すようになるのです。そして、私たちはここでずっと生きてきながら、私にまだ残っている習慣的な運命があります。それで、私を変えなければ、ここから抜け出すことができないのです。ある人は、救われないからですが、ある人は救われても抜け出せないのです。なぜなら、私がその中にそのままいるためです。それを変えることを改革と言います。皆さんがいくら良い教会でメッセージを受けても、皆さんが先祖の時から受けた、その霊的な問題にそのままじっとしていれば、そこから抜け出せません。ある人は、習慣的に自分の運命に陥ります。ここでとても苦労するのです。それで、信仰生活にすべての成功した人も、答えをここから探さなければならないのです。信仰生活ですべて失敗した人も、ここに留まっているから失敗したのです。今、とても重要な言葉です。

・聖書で重要な人を見ましょう。最もやさしい例で、皆さんがよく知っている聖書を話してみようとするなら、イスラエル民族が荒野を行く時のその人々のことです。荒野で失敗した人々は、ここから抜け出せなかったのです。なぜなら、エジプトに元々住んでいて出エジプトして出てきたのですが、なぜ出てきたのかも知らないのです。そして、見聞きしたことが、エジプトの背景しかありません。これをはやく解きほぐしてここから抜け出すように、神様がすばらしい奇跡とメッセージをくださったのに、自分の習慣にそのまま陥ったのです。それで、その人々はカナンの地に入ることができませんでした。荒野でみんな死んだのです。今でも私たちに与えられる教訓は、全く同じです。しかし、中間で生まれた人々、ヨシュアとカレブのような人々は、この部分から抜け出したのです。それで、簡単な話ではなくて、皆さんは今回、私の人生を完全に改革させるのです。どのように改革させて、何をすれば良いのでしょうか?

・今日の聖書箇所は、イザヤ6:1〜13、7:14です。ここではインマヌエルという単語が出てきました。40:27〜31です。よく知っている本文です。これは重要な契約ですが、それでは私たちは人生改革をどんなことからすべきなのでしょうか? 人によって違うでしょうが、私たちが聖書を見ながら、重要ないくつかは変えなければなりません。よく見れば、教会に通う人の中で成功した人々が多いでしょうか、失敗した人々が多いでしょうか。正確に見れば、失敗した人々がさらに多いのです。それでは、私たちのレムナントが、そのように行くように、放っておけば良いでしょうか。それはだめです。20Cに入って、一般信徒の中で、世界経済や世界文化を掌握した人々は、ほとんど出て来ませんでした。18〜19Cまでは出てきたのですが、20Cには世界を動かす牧師も出て来ませんでした。そのような中で、20Cにとても騒々しく首を切られながら、騒々しく起きた運動がタラッパン運動です。宗教改革以後に、牧師を最大に免職させる事件が広まっていました。その人たちは、幼稚にしたのですが、これはすごいことなのです。500人を免職させました。牧師500人免職させたことは、キリスト教の歴史上、宗教改革以後で初めてです。だから、単なる事件ではありません。だから、重要な人物が出てこなかったのです。

・そして、私たちはどんな状況に置かれているのでしょうか? とても貧しかったのです。これを私たちの子孫にそのまま譲るということは、話にならないのです。それで、聖書を見れば、信仰生活を良くする基準は、ここから抜け出したか、出て来られなかったかが重要です。ここに私たちのレムナントがいます。皆さんは、両親に、先生に、先輩に感謝するでしょう。しかし、この3つのことは、完全に抜け出さなければなりません。そうでなければ、そのまま終わるのではなくて失敗に終わるのです。こういうくやしいことがどこにあるのでしょうか。反対に、皆さんがこれだけ分かってしまえば、ずっと答えが来ます。間違いありません。この運命ということは、誰かが思うとおりに変えることもできません。それで、神様が大きい祝福をくださったのですが、イスラエル民族が荒野に出てきて、そのまま陥ったのです。なぜなら、そのうちの大部分は、サタンの手から抜け出さなければならないのに、そこに対する根本的な運命から変わらなかったのです。そして、死の峠を越える奇跡を何度見ても、エジプトにいた、その先祖が持った背景から全く抜け出すことができなかったのです。そこに学んで住んでいたことを全く捨てないで出てきた人々が多かったのです。それで、神様がこれを悟るようにするため、奇跡を起こして、水に浸けたりいろいろなことをしてくださったのです。それでもだめな人はだめなのです。それで、結局はみな失敗しました。しかし、悟った人は1人ももれなく成功したのです。

・人生改革される祝福が2006年に必ずあるように願います。なぜなら、私がこれにならなければ、運命が変わらないのです。成功しても全く関係ありません。皆さんの学閥と全く関係なく崩れるのです。階級が大統領をしたとしても、関係ありません。大統領をしたといっても、この運命が変わるのではありません。学閥と何の関係もないのです。ここから抜け出せないで、人生改革が出来なければ、結局は失敗です。この3つのことを悟った人々は、一生の間に、毎日毎日答えを受けました。根本的な運命は救いです。これは簡単に話せば、福音と言えるでしょう。福音を正しく悟ったのです。そして、先祖の時から降りてくる背景的な運命は、私たちの家系にすでに来ている霊的問題です。ですから、この習慣的な運命は私に来ている個人的な習慣や問題、人生になるのです。それでは、これがとても重要ではないでしょうか。それで、悟りさえすれば勝利します。

・それでは、人生改革をしようとするなら、必ず五つのことを改革しなければなりません。皆さんの考えです。考えから改革しなければならないのです。考えで一番重要な部分は信仰です。これが変わらなければ、似ているような話でも、結局は運命の中に入ります。いったい神様のみことばは何でしょうか? 他のものみな置いておいても、いったい福音とは何でしょうか。これだけ正しく理解してもかまわないのです。私たちが、神様に対して言う言葉ではなく、神様が私たちの対して下さるメッセージがみことばです。それで、神様は私たちを救い出そうと、キリストを送られると言われたのが福音です。そして、神様は確かに力の神様です。私と皆さんの命を治める力の神様です。これから変わらなければなりません。誰がなんと言っても、これから変わらなければ、全てのものがそのままです。一番簡単に、皆さんの近くにあるのが聖書です。私が神様を分かろうとする本でもありますが、正確に話せば、神様が私にくださったみことばです。私たちが私たちに対して勉強する言葉ではなく、神様が私たちにくださった驚くべきメッセージです。これが神様のみことばです。その中で最も重要なのが福音です。そのように見る時、神様は全能な神様です。これから明確にならなければなりません。それで、私を見る時にも、私のレベルで見ずに、神様の立場で見ましょう。インマヌエル教会を見るのにも、私たちの目で見つめれば、このままじっとしていなければなりません。しかし、明らかに神様の立場で見る時は、皆さんが最高に祝福を受ける人であることが確実です。他の教会ではないという言葉ではないのですが、理由があります。正しく目を開いて見ましょう。

・ですから、神様は全能な神様です。神様は創造主の神様です。これが私たちの考えに打ち込まれなければなりません。それなら、問題がきた時、問題ではないということではなく、恐ろしいことがないということです。問題を見た時、何が出てくるのでしょうか? 答えが出てきます。それで '信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)' このようになる時、言葉も変わります。何でもないようでも、信仰に根を下ろした言葉は、実が起きます。ですから、言葉によって後ろから追いついて並んで出るのです。信仰をもって話をするならば、私たちには意識になります。この時になってこそ、運命が変わるのです。それで、私たちが一番最初に変えることが考えです。

・それで、今からこう思えば良いのです。'神様がどのように見られるのだろうか?'それでは、最も速く解釈が出てきます。'神様がなぜこのようにされたのだろうか?神様は私をどのように見られるのだろうか?'そのように見れば、最もはやく答えが出てくるのです。それで、確かに言葉も変わります。皆さんが持っている問題と心配をどのように見るのでしょうか? 確かに神様はご存知で、神様は生きておられます。そうではないといったら未信者です。私たちは信徒だから、神様は確かにご存知です。そして、神様はなさることができます。それでは、言葉が違います。ここで私たちの意識が変わるのです。これが潜在意識、無意識まで行くのです。これが私の運命を変えるのです。私たちは運命という言葉を使いませんが、あえて未信者の単語を借りたらそうです。'罪と死の原理からあなたがたを解放した(ローマ8:2)'それなら、私たちはこれが変わらなければなりません。これが変わらなければ、絶対にだめなのです。これが変わったとすれば、例をあげれば、どうならなければならないのでしょうか。

・一番重要な事件を3つだけあげてみてもそうです。"後からはエジプト軍隊が来て、私たちを捕まえにきて、前には紅海が詰まっている。神様はエジプトで奇跡を起こされた神様だ。ここでも起こされるだろう。そうでなければ、私たちはエジプトに降参せずにここで殉教するのだ。"そのように考えなければならないでしょう。しかし、反対に話したのです。"私たちがエジプトにいる時には、このようなことには遭わなかったではないか。"このように考えが違うのです。奴隷であったという考えをしなくて,"私たちがそこにいた時は、ご飯は一日に三食ずつ食べたではないか。そこにいた時は、水も与えられて皆もらえたではないか?"このように考えが違うのです。言わば対話にならないのです。"今でも帰ろう。今でも降参すれば死なない。"これが荒野を通り過ぎる時に違った人の考えです。ですから、答えとは関係ないのです。それが荒野で起きた事件です。

・そして、大きい事件がバビロンであった事件です。今日、バビロンで起きた事件を読みました。大部分の人々が、私たちが捕虜なった、何がどうかという式です。そこにいた時より、私たちがさらに元気に暮らしているのに、なぜそうかと言うのです。ある人は出世もしました。しかし、イザヤの場合は、気が焦るのです。"私たちがなぜここにいなければならないのか。神様、いつまでこの苦しみにあわなければなりませんか?"このように考えが違うのです。だから、皆さんが正しい考えに変わってこそ、そこから抜け出すのです。最後に、一番重要なのは、パリサイ人と初代教会の考えがとても違うのです。"私たちの人間は福音でだけ救われる。"これが初代教会のメッセージです。パリサイ人は"違う。私たちは律法で救われる。"このように違いました。どちらが正しいのでしょうか? 私たちは今になっては、明らかに分かる言葉ですが、このように考えが違うから変わらないのです。今日、皆さんが人生改革されるには、本当に考えを変えなければ、運命から抜け出せないのです。

・重要だから、いくつか例をあげてみましょう。神様がアブラハムを呼ばれました。神様が呼び出されたのです。しかし、アブラハムの考えが変わらなかったのです。なぜ出なさいと言われるのか。ずっと出て行かなかったところ、お父さんも死んで、お兄さんも死んで、どんどん問題が生じました。出てきたのに、理解できなかったのです。出てきたのに、アブラハムの考えが変わりませんでした。これが問題です。ですから、完全に信じてしまえば良いのに、信じられないから考えが変わらないのです。'それでも、おいでも連れて出て行かなければ' それで息子にしようとしたおいが問題になったのです。神様が全能だということが信じられなかったのです。あなたの妻に息子を与えると言われたのに、妻を見たら、老いたのに可能なのか?これで神様の力を全面的に信じられないから、産んだ息子がイシュマエルです。このようにずっと苦労しました。だから、皆さんは聖書をよく見ましょう。私たちは大きい契約の民として呼ばれたのですが、私たちの考えが変わってこそ、大きい働きが始まるのです。20年間、ヤコブは考えが変わらなかったのです。ある日、変わりました。'あなたの名前をヤコブといわずに、イスラエルといいなさい(創世記35:10)'その時からです。聖書をよく見ましょう。今、私が例をあげた人はレムナントの前の人々です。ハンナです。考えが変わらないのです。なぜ息子が私にだけいないのでしょうか? これがハンナの祈りでした。ある日、ハンナの考えが変わったのです。'ナジル人が必要だな、息子を産んでも何をするのか。'人がたくさんいるのに、どんどん産んで何をするかということです。ハンナがわかったのです。この時から働きが起き始めました。

・それで、私たちの考えだけが変わっても、すばらしいことが行われるのです。私達が知っているように、レムナント7人をよく見ましょう。重要です。レムナント7人が最も重要なことが何でしょうか。救われた神様の子どもであるために、最も早く変わったのが考えです。よく知っているでしょう。一番よく知っている人物、ヨセフとダビデの例だけあげても分かるでしょう。ヨセフとダビデだけでも、十分に理解できるでしょう。家に困難がきました。普通の人ならば、どうでしょうか? 傷ついて試みにあいます。ヨセフはそれゆえに、ビジョンを見出しました。そうです。奴隷として売られました。皆さんは、どのようにするでしょうか。これを知っている人の考えは違います。これは神様がビジョンを成し遂げられるところだ。それなら、奴隷生活をしながら成功しよう。これが違ったのです。考えが違います。これが怖いのです。これにならなければ、絶対に暗闇の運命から抜け出すことができないのです。

・レムナント7人と初代教会を見ましょう。初代教会は、1人ももれなく殉教精神を持っていました。これがみな考えです。皆さんが人生改革される驚くべき祝福が起きるように願います。高齢の人々は、忙しいのに、何でこのように複雑に話をするかと思うかもしれないので、一言で言うならば、神様が本当に生きておられて、私たちをここから救い出されたという事実が信じられなければ変わらないのです。結局、なぜ不信仰をするのでしょうか。私のレベルで見るからです。神様のレベルで見なければならないということです。結局、なぜ揺れるのでしょうか。なぜ私たちはあきらめるのでしょうか。なぜ高慢になるのでしょうか。私のレベルであるためです。神様は、私たちのインマヌエル教会の中で不自由に通われる神様ではありません。世界を動かす神様です。神様は全てをなさることができるのです。このようになる時、私たちには改革が起きます。考えを変えましょう。

・二番目です。それなら、私たちは生活を変えなければなりません。どんなことを変えるべきでしょうか。変えることが一つや二つでないでしょう。しかし、明らかなことを捕まえなければなりません。神様がこのように約束されました。神様が今日の本文にも見ると '見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ7:14)'私たちの教会がインマヌエル教会に名前を変えたのですが、みな契約があって理由があります。聖書に一番重要な約束が何でしょうか? 確にそうです。神様が私たちとともにおられます。主がヨセフとともにおられました。難しいのでしょうか? 皆さんの子どものことを考えてみましょう。皆さんの子ども達が外に出て行く時、確かにこの考えをもって出て行かなければなりません。そして、皆さんの子ども達が祝福を受けようとするなら、必ずこの契約を捕まえなければなりません。勉強をする、しない、良くできる、できないという前に、これから捕まえなければならないのです。主がダビデとともにおられたのです。確かにそうでした。イエス様が一番最初になさった約束が何でしょうか。わたしがあなたたちとともにいて、一番最後の約束が何でしょうか。世の終わりまでいつもともにいます。それなら、私たちの生活を確かに今は変えなければなりません。何を変えるべきでしょうか。

・皆さんが今からは必ずこのようにしましょう。定刻の祈りを通して神様の前にとても大きい力を得る生活に変えなければなりません。初めには少し難しいでしょう。2006年には成功させましょう。定刻に祈る時間に最も幸せになれば良いのです。そして、常時祈りを回復しましょう。定刻の祈りを回復しようとするなら、最も幸せな時間にしましょう。常時の祈りは何でしょうか。難しいことではなく、答えが来ているから、現場をすべて祈りの中に入れましょう。この時から、皆さんにはみことばが生きて働くようになります。この時から、講壇で働きが起きるのです。間違いありません。2006年には、生活を改革することの中でまず最初に考えから変えましょう。何の考えでしょうか。神様は確かに生きておられて、全能な神様です。それで、私たちをこの呪いから選んで出るようにされたと考えましょう。考えが変わらなければ、ずっと運命にいます。それで、考えを変えてしまえば、ここから本当に抜け出して働きが起き始めるのです。それで、この祝福を本当に味わうようになるインマヌエルが何でしょうか。定刻、常時祈りと礼拝です。聖書に成功した人々はみなそうでした。2006年には、変えるように願います。それで、驚くことが確かに起きるでしょう。いくつかのことは、必ず変えなければなりません。

・2006年からは、皆さんの技能を変えましょう。皆さんの学業も職業も変えるように願います。それで、祈りの課題としてつかみましょう。今からは皆さんすることを無条件に専門化させましょう。世界化になるほど、専門化させましょう。福音化になるほど、専門化させましょう。現場に行ってみると、ば皆さんが少し祈って目を開かなければならないことは、未信者がはるかに優秀です。本当に不思議です。食堂にも行ってみれば、未信者がする食堂は清潔です。私は理解できません。信徒がする食堂は汚らしいのです。はやく変えましょう。私たちはもうすることを心配せずに、専門化、世界化、福音化させましょう。未信者もするのに、なぜできないでしょうか。それで、このいくつかは必ず変えなければなりません。皆さんはこういう大きい祝福を受けたので、運命から完全に抜け出そうとするなら考えを変えましょう。これは普通の話ではなくて、後ほどとても問題くるのです。

・そして、私たちは力がないから、世の中に勝てる力がないから、生活を変えてしまえば、すぐ働きが起きます。それで、技能の改革の答えはくるようになっています。それで、私は一回行ってみた洋服屋も、とても洗練された店があります。ほとんど見れば未信者です。不思議に市場のようですが、入ってみれば賛美の音が出てくる店は変にしてありました。私は理解できません。私は牧師です。私が未信者の立場で見た時、イエスを信じないようです。福音を聞いてみて、内容を聞いてみて、ひょっとして信じるのか、信じないのかも知れませんが、私たちが見たら信じないように見えます。そうではいけないのです。事を成せば専門化にならなければなりません。確かに祈れば、答えがくるようになっているでしょう。皆さんが祈れば、答えくるようになっています。逃してはなりません。私がこの運命から抜け出そうとするなら、どのようにすべきでしょうか。正しい信仰を持った考えに変えれば良いのです。それでは、この祝福をどのように維持することができるのでしょうか。とても簡単です。私たちの生活だけ変えてしまえば良いのです。神様が確かに私たちとともにおられるから、この答えが来るようになっています。それでは、この祝福だけ味わっていれば、当然、この祝福がくるようになっています。このように何個かで見えるのですが、連結していくのです。2006年には、必ずこの祝福を受けるようになることを主の御名で祝福します。

・私たちが今、変えることが一つや二つではありません。私が私たちの秘書にこういう話をしました。本当に不思議です。私たちの指導者学校の学生たちが行軍をします。KBSから来て、撮影のカメラを持ってきてこの子たちが走るのをみな撮影したのです。そして、どれくらいこの人たちが苦労するのかわかりません。私がとても申し訳なくて、あの人達にご飯でも食べるようにと、食事代をちょっと出しなさいと言いました。絶対に受け取りません。それで、私がキム・トクキ次長に電話をかけて尋ねたのです。あの人たちは、あのように苦労するのに、私たちがご飯でも買わなければならないのではないかと言いました。食事代はみなもらっているので、上げなくても良いと言いました。それで私が新たに感じたのです。人々が、私たちが思うことと違うんだな。そして、一度はソウルのある一般新聞社で、私たちのタラッパンに対する記事を何年か前に扱ったことがあります。それで、私たちは当然に取材の後にお金をくれと言うと思っていました。それで、私が時間がないので、いくら出せば良いのかと尋ねたのです。しかし、何かわけが分からなかったようでした。不思議なことです。むしろ、キリスト教団体から来れば金を取っていきます。一般新聞と一般ジャーナリズムは、そのようにしないのに、むしろキリスト教団体がそのようにするのです。理由は簡単です。成功できず、力がないからです。このようにできたクリスチャンがいません。2006年は、答えで来るので、契約で捕まえましょう。私たちの執事が成功して、長老が成功しなければならないではないでしょうか。それで、皆さんがここからだけ抜け出してしまえば、完全に勝利します。何で抜け出さなければならないのでしょうか。信仰で。信仰で最も重要なのは考えです。

・それでは、どのように始めれば良いのでしょうか。神様が確かに私とともにおられるから、これを少しだけ味わえば、皆さんが世界を変化させるみわざが起きます。2006年には変えましょう。皆さんがこの部分を少しだけすれば、本当にできます。初めには良くできないでしょう。少しだけ試みるならば答えがくるのです。皆さんに驚くべき答えが来るようになり始めれば、その時から働きが起きるのです。必ず私たちのレムナントは、このようにして出て行かなければなりません。それでは、神様がここに対する答えでこれからくださいます。このようになる時、皆さんは全部、技能に対する変化が起き始めるのです。私たちのレムナントをはじめとして、すべてのインマヌエルの家族が成功するようになることを主の御名で祝福します。人生改革されなければなりません。考えからです。少なくとも、神様が出てきてともにする生活から。少なくとも、私の技能と職業、事業に神様が働かれたという証拠から。

・四番目です。私たちは何まで変化されなければならないのでしょうか。経済です。今、私が話すのはやさしいのですが、難しいのです。すべきだ、してはならないということではなく、必ずすべきことなのです。未信者はいくら成功しても、ここから抜け出すことができません。私たちは、ここから抜け出したので、何で勝利することができるのでしょうか。信仰で。信仰の中で一番重要なのが考えです。それでは、2006年から、どのように祈りの答えを受けるのでしょうか。本当に祈りの答えくるのでしょうか。生活を変えましょう。間違いありません。それで、2006年から今まで、答えをたくさん受けたのですが、本当に受けなければならないことではないでしょうか。それでは、その次の答えが何でしょうか。技能に答えが来ます。それで、皆さんの事業、学業、職業、技能を変えてしまわなければならないのです。どのように変えるのでしょうか。専門化、世界化、福音化。私たち特にレムナントがたくさん座っていて、全世界のレムナントがメッセージをたくさん聞くのですが、皆さんは必ずこのようにしなければなりません。それで、小さいことも変えなければなりません。皆さんが家に帰れば、皆さんの部屋の整理から学ばなければなりません。絶対に重要です。それが何で重要なのかと言うでしょうが、重要なのです。私の話が理解できないならば、ムダン(霊媒師)の家に一度行ってみてください。悪霊につかれた人々は、絶対に掃除をしません。本当に取り散らかしています。私はムダン(霊媒師)の家に伝道しに行ってびっくりしました。これが部屋なのか、ごみ箱なのか区分ができません。これが洗面器なのか茶碗なのか区分ができないのです。必ずそのようにしなければなりません。私たちのクリスチャンが、今、変えなければならないことがとても多いのです。完ぺきな立派な人になれという言葉ではありません。今、皆さんが完全な人になれ、そのような話ではありません。確かに皆さんは最高の祝福を受けたので、考えから変えましょう。なぜでしょうか。神様が皆さんと確かにともにおられるからです。どのように、この方法で世の中に勝利するのでしょうか。生活を少しだけ変えてしまっても良いのです。そして、皆さんの技能、職業、事業を少しだけ変えてしまえば良いのです。そして、今は経済の祝福を受けなければなりません。経済を変えましょう。いくつか必ず変えなければなりません。今までは私が話さなかったのですが、これからメッセージで話すつもりです。皆さんがこの祝福を受けなければならないからです。必ずしましょう。

・聖書にこういうみことばがあります。聖書に25回程度、これを強調しました。しかし、神様が一番最後に言われたのですが、一番最後の預言者は誰でしょうか。マラキです。マラキ預言者に神様が最後におっしゃられました。とても深刻な話をされました。マラキ3:7を見れば、わたしのところに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたのところに帰ろう。理解できないのです。私たちは神様をよく信じているのに、何を帰れと言われるのだろうか。すると、8節にこういう話をされました。あなたがたはわたしのものを盗んでいる。それが何の話でしょうか。それで、あなたたちに呪いが臨んだのだと言われました。それが9節です。私たちが何を盗みましたか。今までしなかったが、これからしましょう。私たちが盗んだということでしょうか。そうです。分かるでしょうか。私たちがいつ盗んだのでしょうか。この話を良く理解すべきです。これが何の話なのでしょうか。神様が元々12部族でイスラエルを形成されました。息子が12人だったのです。

・ところで、1人がレビ族です。あなたは昼夜なく、睡眠もとらずに夜も昼も祈りなさい。その代わり、あなたは祈らなければならないから、土地を与えません。その代わり、あなたの土地は11人に分けてあげる。それで、11人が農作業をしてこの土地のものを出しなさい。10分の1だけ出すならば、全く同じになるだろう。そうなったのです。正確に話せば、祭司の部族が受ける肉体的祝福を皆さんが持っているのです。しかし、出さないから泥棒です。皆さんが自分の子どものものを持っていて、上げないのは泥棒ではありません。今は象徴的に、その時よりさらに正確で重要です。例えば、お父さんが息子12人に財産を与えるのに、1人には与えなくて11人に分けてあげたとします。1人に話したのです。あなたは土地を持たないように。なぜそうでしょうか。いつも明かりをつけて祈りなさい。この家族のために祈りなさい。あなたは祭司の部族だ。あなたたち11人は、この土地を持っているから、10分の1ずつ出しなさい。それで、それを今までしなかったから盗んだのです。今、私たちが生きることも骨を折っているのに、何で十分の一献金をするのかと言うでしょう。3:10にこういう話をされました。わたしがあなたたちを祝福するか、しないのかためしてみよ。そして11節に何と言われたでしょうか。あなたの家の災いを止める。いなごが来なくなる。そして、12節には、すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。主であるわたしの言葉だ。最後の預言者マラキになさったみことばです。皆さんはこれを回復することを望みます。それで、新約にはないのではないかと尋ねるかもしれません。マタイ23:23に、イエス様がしなさいと言われました。ただパリサイ人の誤ったことは習わずに、これはしなければならないと言われたのです。その意味のニュアンスをよく見てください。十分の一献金とは何なのでしょうか。根本的経済祝福を回復することです。必ず記憶しなければなりません。十分の一献金は何なのでしょうか。根本的経済祝福を回復することです。

・それで、レムナントから始めましょう。皆さんがお小遣でも特別なお金ができたら、十分の一献金を神様の前にささげましょう。これは昔の話ではないかと言うかもしれません。そうではありません。今、全く同じです。十分の一献金を持って原則にしそうなので、レビ族にすべて上げなければならないのです。それで、その話は、レビ族の子ども達をみな育てるのです。今、これがみなめちゃくちゃになったので、ルールがなくなってしまいました。それで、私が先週に牧師にこういうメッセージをしました。私たちのタラッパンは、ずっと成功するでしょう。収入がずっと多くなるでしょう。ずっと勝利するでしょう。それで、すべての収入の十分の一献金を出しなさい。それで、貧しくて勉強が出来ずにいる牧師の子どもを育てなければなりません。それは、父母が弱くて、子供が技能があるのに耐えるということは話にならないのです。来年からしようと言いました。神様がどのように答えられるかわかりませんが、これは確かに記憶しなければなりません。祈りましょう。来年に1円だけしても良いのです。宣教に参加しましょう。単語をのがしてはなりません。これは神様の裏面的祝福です。神様と私の裏面契約です。とても重要です。

・三番目です。来年から1円以上でもすれば良いのです。レムナント共同体に参加しましょう。これは正確にそうなのか、そうではないかを見てください。未来を操り上げる祝福です。信じれば始めなければならないのです。皆さん個人に100年の答えが繰り上げられて来るようになります。そして、私たちの教会の1世紀の答えが繰り上げられて来るようになります。私たちのタラッパンには、時代的な答えが繰り上げられて来るようになります。このとおりにだけしてみましょう。皆さんがこれだけ回復してしまえば、完全に技能が回復します。これになれれば、するなと言ってもするのです。なるからです。一番根本的に考えが変わらないから、問題がくるのです。信じられないからです。皆さんが信仰回復する力のみわざが始まることを希望します。

・四番目です。絶対に誤解しないように。よくしなさいという言葉ではありません。参加しようということです。文化戦いです。建築に参加しましょう。これは時代の祝福を言います。この時代にある、この他の祝福を言います。四つのことを置いて祈ることを望みます。それで私たちは経済も回復させましょう。私たちは経済も変えましょう。私たちの韓国世界教会がとても貧しいから変えましょう。私はタラッパン運動をしながら、私の胸の中に、明日の午前、聖日礼拝の時の話すつもりですが、宗教改革だと思っています。改革させなければならないのです。それで私が初めから変え始めました。すべての訓練を受ける人々は会費を出しなさい。出さないなら来ないで。牧師も格好つけずに、列に並んで会費を出しなさい。そのようにしなければ、訓練を受けないで。訓練を受けるほどの内容にならなければ、受けないで。初めから始めました。私の胸の中に宗教改革、改革させなければならないという思いがありました。そして、礼拝堂に行けば、あの後席から座っています。前の席から座ること。これが座れと言うから座るでしょうか。前の席から座らなければなりません。今日、皆さん5時から来ていると聞きました。ソウルでは、毎週の核心を10時半にするのに、朝8時から来ます。ですから、みな変えるのです。牧師は、完全福音でなくてはいけなくなっています。みな変えましょう。それで、私たちの人生改革をしなければ大変なことになります。運命が変わりません。私たちがずっと貧しくて良いでしょうか。私は、皆さんに初めてする話です。

・多分、ここには私の叔母さんがいるでしょう。私の叔母さんは分かるでしょう。私の父が亡くなったのですが、その時が1月旧正月でした。旧正月であったので、未信者はいろいろ言います。それで来なかったのです。それでも感謝したのは、教会からきてしました。私は今まで人が死んだのに、棺がないのは見たことがありません。棺があってこそ、人をそこに入れるのではないでしょうか。棺がなくて葬式をするのを見たことがありません。ただ私は一度だけ見たのです。それが私の父です。私はその時、泣きませんでした。それで、もう裏山に父を埋めて降りてくるのに、ちんぴらが来て、あれこれ言いがかりをつけました。その人々を見たら、そのちんぴらが行こうと言いながら去って行きました。その時、降りて来たら、私が13才、弟と妹が10才、7才、4才でした。執事一人が言う言葉が、それでもうちの母を見て、その家には娘だけ三人がいました。だから、息子がいるので真に幸運だと話したのです。私は降りてきながら、私の父を山に埋めたのではなく、私はその葬式が胸に埋め込まれたのです。私たちが昔に、このようなことがあるのか。このように偶像崇拝する家が崩れて個人が崩れて、このようなことがあった良いのか。それで、私が少しの間とてもさまよったのです。それは絶対に私ではありません。とても状況がそうだったので、私が堕落して、さまよったのでした。それで、私はその時から母が心配するかと思って、絶対にお腹が空いたいう言葉を言いませんでした。それで標準になったのです。私が少しの間さまよっていたときに誰に会ったかというと、チョ・ウンテクという人間に会いました。有難いのは、私に教会に行こうという話をしたのです。今、信徒が皆聞いているはずなので、悪口を言って申し訳ないのですが、とにかくそのように会いました。私が本来、少し悪い奴であったのに、チョ牧師に会ってさらに悪い奴になりました。私は事実、悪いことそれほどたくさんしなかったのです。継続しようと言うので、私がほどほどにしていたのです。それでも、幸いに私に教会に行こうと言うのでした。それで、教会に一度行ったのですが、献金をする時、紙のお金を破って出していました。私は神様を信じないから、その時が人にだけ見えなければ良いと、紙のお金を破って出しました。

・そのようにしていたのですが、福音を悟ったのです。私がだまされていたのです。その時から決断を下したのです。私は本当にこの福音を持って死んでいく人々を生かす。そして、他の人より仕事をすれば十倍にする。それは、お金をたくさんもらうためにではありません。私が価値がない人になってはいけないからです。職場を行こうが、教会の仕事をしようが、そのようにしました。確かに私は前のこの契約を持っているからです。神様が私とともにおられるから、少しだけ祈れば、働きが起きます。それで、見ていたら、神様が何人かの成功する人を見せてくださいました。本当に感謝しました。幸いに、伝道する人4人に会うようにしてくださいました。それも感謝することです。そして、私が本当に経済と生活に成功した人に何人か会ったのです。私はその方たちから学びました。このように生きるのだな。そのうちの一人は、私がいつも心にありがたく思う、キム・カンイル長老ですが、その方がこのように生きていました。なぜか、私はその方の助けを受けて困難をまぬがれたのです。それで、私の性格に助けを受ける性格ではないのですが、私の人生でたった一度、助けを受けたのです。それも私が立ち上がる時までです。その方が、学費および色々な生活費も与えてくださいました。その時、伝道師だったのですが、力が何もないのに、そのように愛して下さったのです。近づいて静かに見ると、このように生きていたのです。その時は80年度でした。その時が1980年度です。私もこのようにしなければならないと思いました。いくら力がなくても、本当に私が神様の前で私が持った誠意をもってこのようにしなければならないと思いました。私は率直に、経済の祝福を受けました。今、宣教団体で、私たちのタラッパンぐらい働きが起きたところはありません。前に何度か話しました。これから、共同体を作るのに、すばらしいみわざが起きるでしょう。それで、今でも私はこれを継続しているのです。これは皆さんに強調でなく、聖書にある私の証しです。これが変えてしまう働きです。

・五番目です。聖書を詳しく見ましょう。確かに神様は私たちの老後の人生まで置いて変化させられました。ここでとても重要なこと三つです。私たちが年を取れば上げるほど、福音に根を下ろすべきです。なぜならば、私の人生の結論が、ここで出るからです。律法で出るか、宗教で出るか、どこで出るかですが、私たちは福音で出すべきです。必ずこのようにしなければなりません。それで、私たちは老後にも、年をとって、世界福音化できる老後の技能をそろえなければなりません。聖書で、モーセのような人は120才まで働きをして死にました。少なくとも、私たちは子孫の前に、信仰の足跡を残す準備をしなければならないのです。間違いありません。それで、私たちはこの契約を捕まえなければならないのです。五つの私の人生を変えましょう。私の人生を改革しようとするなら、どんなことを変えなければならないのでしょうか。確かに神様が私とともにおられるから、私の考え、信仰から変えるのです。そうしてこそ、ここから抜け出すのです。皆さんがここから抜け出すという言葉は、とても重要な言葉です。クリスチャンが、ほとんど失敗します。確認してみましょう。お金もありません。成功ができないのです。そして、年をとれば霊的問題がやって来ます。これが普通の問題ではないのです。それで私は必ずこれではありません。私たちのレムナントや聖徒は、そうではいけないのです。これができれば、その時から働きが起きます。本当に祈りの答えが来始めます。これだけ変えてしまえば、直ちに皆さんにこの祝福がくるのです。この3つになってこそ、経済が生きるのです。今から神様の前に、この四つは決断を下してしまいましょう。間違いありません。そして、私たちは老後まで答えが来ます。私たちの長老、執事、勧士、みな年を取るでしょう。私たちは準備しなければならないのです。どのように死ぬのか、いつも考えなければなりません。福音の根をおろさなければ、変に死にます。私たちは信仰の足跡を残さなければならないのです。

・この祝福で人生改革を完全にしなければなりません。さらに重要なのは、契約を必ず捕まえましょう。イザヤ6:1〜13皆さん、詳しく見ましょう。私たちのレムナントや私たちが出て行って、他の人の弱点をよく見るのは良いことではありません。重要なのはイザヤ6章を見ましょう。構造的な暗闇を見なければなりません。これを見ることができなければならないのです。私たちが人を非難して、こういうもののほか、構造的な暗闇を見ることができなければなりません。例をあげてみます。ここに私の息子、娘がいます。この子どもたちが会社に行って、他人の弱点を話して嫌われれば、おかしな人なります。その話ではなく、何か全体的な構造的であることを見ることができなければならないのです。イザヤがそれを見たのです。イザヤ7:14が何でしょうか。福音を正しく見たのです。女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと呼ばれる。私たちがどのようにこれを変えて、力を得られるのでしょうか。イザヤ40:21〜31に見ると、私たちは神様の力を体験して、正しく味わわなければならないのです。ヤコブ、イスラエル、よく知っている本文です。あなたは知らないのか、聞いていないのか。確かに全能な主。地の果てまで創造された方は、疲れることもなく、たゆむこともない。若者も倒れて、若い男も転んでも、主を待ち望む者は新しい力を得る。今から皆さんの人生を必ず変えなければなりません。皆さんがこの運命の中に陥らないようにするためには、この五つのことをすれば間違いありません。なぜでしょうか。私たちの人生はただ一度しかありません。そのために変えなければならないのです。少なくとも、この五つのことは交換しなくてはいけません。世の中の人々は、いろいろたくさん話すでしょうが、私たちはこれだけ変えれば良いのです。神様を信じる信仰。この考えから変えてしまえば、確かに神様は私たちとともにおられます。今日から祈りを始めましょう。そして、もう皆さんまちがいなく、この答えが来ます。もうこれ以上、私たちは経済問題で困難を受けることがないように、回復しましょう。私たちのインマヌエルの家族が、どれだけ祝福を受けなければならないのでしょうか。老後まで神様の働きが起きるように準備しましょう。私はそのようにするつもりです。年をとれば、私たちの牧師、長老と共に、世界共同体を巡回するつもりです。準備を丹念にしています。私たちの人生は、ただ一度しかありません。私たちのいくら良い牧師、長老、この方たちもすぐ老います。

・私は理解できないのです。今、私の考えでは、私は20代のように思っています。本当にそうです。ところが、私が今、60にほとんど成っていくのです。人がこのようにすぐ年をとってしまうのです。しかし、皆さんを見れば、よくわかりません。昔の友達に会うと、このように年月が経ったかと思います。ひょっとして道を行く時、昔の友達に会えば、完全におじいさんです。歳月がこのように行くんだなと思います。ここにおられる方々は、途中から会ったので、感覚がないのですが、幼い時から見た人を考えてみてください。皆さんは幼い時、一番最初に見た、それが思い出されます。それで、私が見ればチョ牧師とは10代で会いました。チョ牧師はその時から格好をつけていました。バーバリのようなものを着て、靴を履いて現れました。昔からおしゃれな人でした。昔から靴は違うものを履いていたおしゃれな人でした。その時の顔を思い出します。一昨日立っているのを見たら、老いたと思いました。私が見ながら、あなたも老いるんだなと言いました。見たら、確かにおじいさんのフォームでした。人生が過ぎて行くんだなと思いました。私たちに機会がそのようにたくさんあるのではありません。それで、私たちは確かに変えなければならないのです。今年は、私たちは経済も回復しましょう。2006年に皆さん本当にこの事が起きるでしょう。それで、私たちの人生を改革しましょう。インマヌエルとタラッパンすべての家族が、人生がすべて改革されるように。こういう祝福を2006年に味わうようになることを主の御名で祝福します。契約でつかむことを希望します。私たちの隣の人を祝福しましょう。'私たちの人生を変えましょう。' '今はすべての世の中を生かせるように経済も回復しましょう。'必ずそうなるでしょう。私たちの新年を迎えるようになるのですが、その祝福が皆さん個人にレムナントにまであるようになることを主の御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。重要な祝福の開始になるようにして下さい。もう私たちは新しい時代を迎えました。人生改革になるようにして下さい。愚かに陥って、霊的問題で死なないように、私たちの考えが変わるようにして下さい。私たちの人生も変わるようにして下さい。私たちの技能も変わるようにして下さい。私たちの経済も変わるようにして下さい。私たちの老後も変わるようにして下さい。神様に栄光をささげる貴重なしもべになることを信じます。特に、この時間に神様がインターネットで、衛星でみことばを受ける所に、特別な恵みを注いで下さい。私たちのインマヌエルの家族と地域教会の上に神様が働いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2講/宗教改革
(イザヤ43:1〜7,43:14〜21)

・今回のメッセージをよく記憶しなければなりません。昨日の夕方には、新年を迎える夜に人生改革というみことばをお分ちしました。それを悟れなければ、私たちの運命から抜け出すことができません。カエルが井戸のなかでいくら熱心に走っても、井戸の中です。時速300kmを出せば、寒気がするでしょうが、それでも出てくることはできません。井戸から抜け出さなければならないのです。井戸の中に陥れば、いくら熱心に生きて努力しても変わりません。そのために、私たちの人生改革は運命が変わるインマヌエルの祝福を味わうようになるのです。そうではなくては、いくら私たちが信仰生活するといってもできません。それで、私たちはすでに大きい祝福を受けたので、五つのことは変えようと言いました。

・一番最初に変えなければならないのは、私を変えなければならないのですが、私の考えです。昨日の夜に話しました。今、皆さんが考えていることが、皆さんの存在です。私はいつも考えが揺れるという人は、揺れる人です。私はいつも否定的だ、それでは否定的な人です。私は今とても気落ちした状態にある。それが私です。だから、考え以外には誰も私を変えられません。それで、神様が私たちとともにおられるから、そこに対する考えを持てば勝利するのです。確かに神様が私たちとともにいると言われました。それで、皆さんが今現在、考えているのが皆さんです。誰が何と言ってもそうです。それで人生が終わるのです。結局は、そうなります。ある人は、歌を歌っても一人で山に登って悲しい歌を歌う人がいます。必ず悲しくなるのです。ある人は、また悲しいのを耐えようと、わざわざ興味が沸く歌を歌うのでうが、それは人生が最悪の状態になるのです。自分の考えがすべてです。これが私です。それで、私たちは福音を受けて、祝福をみな受けたのですが、私が変わらないでいれば、私はいつもそこにいるのです。だから、皆さんで時間があれば恨んで、涙を流す人々は、そのような人です。レムナントはそうではありませんでした。信仰の偉人は、1人ももれなくそうではなかったのです。皆さんがおわかりの通り、ダビデは逃げながら、主の導きを受けると言いました。全く乏しいことはないと言いました。他の人が見る時は、逃げているのでしたが、自分は神様の導きを受けていると言ったのです。ヨセフは奴隷で監獄に入りしながら、自らのビジョンを成し遂げるのを分かりました。それで雲をつかむようなことを考えろと言うのではなく、神様の重要な契約を正しく悟らなければならないことです。パウロは、監獄の中にいながら、監獄を福音化しました。それで、親衛隊の庭の中で起きた働きで神様に感謝すると言いました。スポルジョン牧師は、このように解釈しました。パウロが監獄に閉じ込められたのではなく、監獄がパウロに捕えられた。このように考えが重要なのです。皆さんが考えを雲をつかむような考えを、夢だけを見なさいという言葉ではありません。正確に神様が私とともにおられるということです。

・そして、皆さんがこの祝福をどれだけ味わうかかという方法が祈りです。誰にも話せないことを神様にはできます。皆さんが、どんなものも神様の前に祈ればできるのです。ものすごい特権を与えられました。それで、これが事実ならば、すばらしいことではないでしょうか。それもたくさんしなくても済みます。皆さんが定刻で、常時で、少しだけ祈ってもかまわないのです。このように私たちに神様が大きい祝福を与えられたのです。それでこれを変えましょう。そうなれば、必ず答えがくるでしょうが、私たちは技能も変えなければなりません。専門化、世界化、福音化されるように。それで、私たちに最も現実的に迫ってくるのが経済です。私はクリスチャンで金持ちをそれほど見ることができませんでした。聖書では良く暮らしていました。良く暮らすのがクリスチャンなのか、そうではありません。よく暮らすということが救いか、そうでもありません。しかし、神様をよく信じる人は世界を征服しました。確かにそうなっています。それで、私はこれを契約でつかんだのです。それで、私たちは行く所ごとに神様がこの祝福をくださることを確信しました。昨夜に話しました。四つのことは必ず回復しましょう。皆さんの胸の中に、ダビデのように神殿建築ということを心に抱きましょう。この地域の文化との戦いです。皆さんの胸の中に、イザヤにイエス様が直接おっしゃられたレムナントを胸に抱きましょう。そして、皆さんパウロのように世界宣教を胸に抱きましょう。一番初めに出発したアブラハムが、メルギセデクに十分の一をささげたように、イスラエルのレビ族ということを胸に抱きましょう。それで、皆さんが専門性を持っているから、神様が必ず祝福されるようになっています。単に祝福されるのではなく、すばらしい世界的な祝福を確かに受けるようになっているのです。

・大部分の人々が老後の心配をします。聖書にはそうなっていません。必ず信仰に成功した人々は、老後にも働きが起きました。福音を持った人は、老後により大きい働きが起きます。パウロが高齢になって、より大きい働きが起きて、パウロが死んだ後には本当に働きが起きました。信仰生活を良くする人々は違うのです。ハン・キョンジク牧師が85才なられた時に、一度、会いました。85才の時、その方が何をしていたかというと、私はそれを見ながらびっくりしたのです。南漢山城という所が、城南にあります。そちらに行けば、大きい山があります。そこに牧師先生の大きな家がありました。そこに私は入ってみて驚いたのです。門の前に何かを付けてありました。女の人に伝道する人を訓練させる所でした。そこに使命者を集めて、訓練させて祈って、伝道しろと送り出すのでした。年齢が80才を越えていました。それで、私が見て、これだから神様が用いられるのだな。大きい人物は、どこか違います。皆さんが本当に福音の祝福を受ければ、皆さんが死んだ後に、より大きい働きが起きます。それで人生を改革しましょう。人生を改革するという言葉は、運命を完全に変えてしまおうということです。ところで、皆さんがこれを何でもないように思えば、そこにほとんどみな陥ってしまいます。パウロは、どの程度変わったでしょうか? 私は昔にしたことを全部、ちりあくただと感じると言いました。これくらい変わったのです。私が昔に良かったことは、全部ちりあくただ。しかし、驚くことには、これがみな答えに変わったのです。それが人生改革されたことです。人生改革されたという基準が何なのでしょうか。皆さんが自慢したこと、良かったと思ったことが、全部、すべて同じくちりあくたなのです。しかし、分かったら、皆さんの過去がみな答えなのです。そうすれば良いのです。私はこういう気がしました。神様が他の人もそうで、私もそうですが、世界福音化のために企画をされたのではないかという気がしました。そうなのです。神様が私たちを世界福音化をしようとプログラムを組まれたという気がしました。だから、私は不思議に思うように、過去が全部答えです。本当に不思議でした。それで、神様がわざわざ祝福されようと、世界福音化されようと、経験させられたようです。私が昔にどうして、そのように生きたのかと思うほどです。ところで、全部、答えなのです。しかし、私たちには過去に価値があったことは、何もありません。このように人生に驚くべき働きが起きるのです。もし、私たちのレムナントが、このように悟り始めたら、世界を征服し始めるのです。

・私たちのレムナントが、どのようにこれを理解することができるでしょうか。それで昨日、理解しやすいように語りました。私たちは元々サタンの勢力の下にいました。これが運命です。抜け出さなければならないということです。しかし、救われても、私たちは親、おとな、家庭の背景から抜け出すことができません。そして、私が持っている個人的な運命的な習慣から抜け出すことができないのです。それで、ここから完全に抜け出してしまえということです。昨日の夜のメッセージです。今日は、とても重要な教会宗教改革というメッセージを持って、みことばを分かちあうつもりです。この宗教改革というのは、何の話なのでしょうか。これが起きる前に、皆さんがこの醍醐味を見たとすれば、皆さんには可能です。皆さんが、この祝福の醍醐味を見れば、本当に何もなくても勝利することができます。運命を完全に変える神様です。人を恨むこともありません。今日から、皆さんは新しく出発しなければなりません。何もなくても大丈夫です。神様は、それを私に教えて下さいました。何もなくても大丈夫です。私が昨日、少し話しました。私が幼い時、本当に幸いなのは、そのように困難を受けた人はあまりいません。しかし、私が不思議に、幸いに物質にケチになったり、物質をだましたり、そのように育ちませんでした。大いなる幸いです。私がほとんど出会った人々を見れば、お金にケチでした。そうでなければ、ほとんどだましました。ほとんどお金をだますのです。だまさなければ、大きいものを食べられるのに、だまして、いつも小さいものを食べて崩れるのです。そして、ほとんどみな、お金で震えて、そのようにしました。それで、牧師先生と運動する時、ゴルフをすれば勝つ秘訣があります。お金をたくさんかければ、脚が震えてできないのです。簡単です。だから、人々が変にお金で手足が震えて、そのようになります。また、ある人はほとんどだますのです。絶対にレムナントはそうではいけません。これから社会に出て行って、お金を適当にしてはなりません。正確にしましょう。そして、とてもお金が好きなら、それでは皆さんの人格がとても価値がないように見えます。皆さんの過ぎ去った背景が全部、祝福にみな変わらなければなりません。だから、何もないところから出発したのです。

・それで、私の母が、こういう話をしました。私は夫が死んで何日も泣く人々を見ればうらやましいと告げました。私の母の言葉です。泣く時間がどこにあったでしょうか。私の母は、この4人の子をどのように育てなければならないかという状況であるから、涙も出てこなかったということです。その時から、気をしっかりして、仕事をしたのです。やめれば、どれくらい困難にあったでしょうか。私は世の中に通いながら、家庭に困難を受ける家で、我が家のような状況にあうのを見たことはありません。それで心配しないように。その中で、私の母が、聖日を一度も欠かさず、十分の一献金を一度も欠かしませんでした。私は初めに理解できなかったのです。しかし、時間が経てばますます奇跡です。どのようにそんなに出来たのでしょうか。それで、私は昔に思ったのは、もう母が亡くなったら、あれが祈ってくれるのかと思ったのですが、亡くなった後に、答えがさらに多く来ます。皆さんの祈りは、死んだ後にも働きが起きるのです。これが小さいことではありません。絶対に私は、嘘をついているのではありません。私はとても不思議に思って、感謝したのですが、なぜ人々が信じないのか苦しいのです。自慢することが何があるでしょうか。ちりあくたなのに。だから、自慢することは何もありません。しかし、私が昔にあったことが、全部、答えで、皆さんの今が後には、全部答えで。だから、ただの一個も答えでないことがありません。どれくらい感謝するでしょうか。不思議に思うほどです。神様は、それで私たちを呼ばれたのだなあ。恐れることがありません。

・本当に、何もないところから始めました。だから、恥ずかしくて証しもできないのです。それで、教会に来たのですが、インマヌエルの昔の東三第一教会にきたのですが、ここも何もありませんでした。私のおもな特技が恵みであるようです。行く所ごとに何もありません。今は、私たちの長老、執事、立派な方々がたくさんいますが、その時は誰もいませんでした。来てみたら、まっ暗でした。住む家もなくて、教会もなくて、何もありませんでした。教会を始めてきてみたら、十何坪くらいの所がありました。内心、世界でこのように小さい教会は初めて見たと思いました。小さいのは大丈夫です。ピアノがじわじわ下がって行くのです。知ったところ、下が工場なのに、借りて礼拝をささげていたのです。それも、工場の主人が聖日と水曜日だけ使ってくださいと言いました。朝の祈りもする所がありません。それで、朝の祈りをパク・ソンミ執事の塾に行ってしました。しかし、何もありませんでした。それでも大丈夫でした。私は確かに体験しています。皆さんが今、何もなくても大丈夫なのです。本当に神様が私たちと共にされたら、本当に神様は答えられる神様です。私の人生を変えなければなりません。人生改革にならなければなりません。運命から完全に終わらせましょう。私たちのレムナントが、詳しく聞くべきことは、皆さんがそのまま聞かなければ、皆さんも知らない間に、皆さんの家庭背景の中に入っているのです。本当に、これは注意しなければなりません。

・それで、私はレムナントと相談して、必ず終わりにする話があります。女学生や男学生でも、同じようにする要請があります。結婚を良くするように。必ずお願いします。親になった気持ちでお願いします。この子たちが、いくら勉強をがんばって、今、メッセージ書いても、嫁入りして、ぞうきんのような奴に会ってしまえば、おかしくなってしまうのです。私が確かに話さなかったでしょうか。男は少し良いのです。皆さんがいくら同等だといっても、全世界的で女性が不利です。それで、女の人は嫁ぐのによく行けないでしまえば、一生苦労します。それで、見てしっかりして祈らなければなりません。それで、区分だけ良くすれば良いのです。皆さんがレベル高く、神様の契約をつかんでいれば、神様が福音を持ったエリートを付けられるのではないでしょうか。世界福音化も重要で、みな重要ですが、私が生きなければなりません。私の人生がほろびるのに、絶対に世界福音化をすることはできません。私の人生がだめならば、何もできません。それで、一番最初に私の人生を完全に改革させましょう。運命から完全に抜け出しましょう。このようになる時、全てのものが答えに変わってしまいます。皆さんが苦難を受けただけ、答えに変わります。こういう驚くことが行われるのです。そうだとすれば、私たちは新しい目を一つあけなければなりません。宗教改革。宗教改革をなぜすべきなのでしょうか。

・私が一ケ月に一度は、毛筆で書いて秘書室に付けておきます。四字熟語を書くのです。四字でできた名言だとして、四字熟語と言います。それが不思議に、私が何でもなく選んで、毛筆で書いて、1ケ月間見て者勉強しなさいと付けておくのに、それが必ずまた答えと関係があるのです。それで、私が先月12月に何を書いたかというと、これを書きました。'玉石倶焚'.これが何かと言うなら、玉と石です。倶という字はクラブ、集まるという意味です。焚という字は火がついたということです。だから、誰か一人が間違ってしまえば、石も玉もみな焼けてしまうということです。特に、指導者を見て言う話なのですが、指導者1人が間違ってしまうので、みな焼けてしまうのです。皆さん1人が下手すると、石も、玉も、山にあるものがみな焼けてしまいます。これが関係があるのです。宗教が誤ってしまえば、何の罪もなく、みなやられてしまうのです。1人が少しだけ良くすれば、みな生き返ります。先月に、私が日本の核心を行ってきました。核心に行くのに、飛行機を降りて、日本を通過して入らなければなりません。多分、用紙の書くことが変わったようです。いつ変わったのかは分かりませんが、新しく書いたものを出すべきでした。それをスチュワーデスや職員が一言だけすれば良かったのです。今回、日本で通過しようとしたら、用紙が新しく変わって、新しく書かなければならないと、このように一言だけすれば良いのです。私は降りながら分かりました。なぜ紙を新しく渡すのかと聞いたところ、その時になって新しく書かなければならないと言われたのです。それで、私が新しく書きました。しかし、外に出てきてみたら、私たちの韓国の人々が全部新しく書いているのです。小さいこと一つにしてもそうです。アナウンスでコメントを一度だけすれば良いことをしないからです。その時感じました。私たちの教会も、人生もみなこうだろう。誰か1人だけ少し間違ってしまえば、全体に問題がくるのです。サッカーを見るでしょう。守備する人が仕損じてしまえば、その次には、ゴールキーパーまで全体が苦労をします。それで、宗教改革という言葉は、とても重要な言葉です。

・私たちは宗教改革の理由を必ず悟らなければなりません。私のように生きる者が、何の宗教改革をするのかと、こう思うこともできます。そのまま牧師がさせるまま、信仰生活だけ良くすれば良くて、私たちが宗教改革を分かりますか。そのようなことがあるでしょう。いったい宗教改革とは、改革という単語が何の単語なのでしょうか。少し年をとった人たちには申し訳ないのですが、英語で表現してみます。英語で表現すれば、改革という言葉は、Re form-ationだからfromを新しくするということです。Revolutionとは違います。革命ではありません。改革というのはひっくり返すのではないのです。それは革命です。今、改革ということは、なくした本来のことを取り戻すことです。これが問題です。とても重要なものをなくしたということです。この話をわかれなければ、全体に子孫まで苦労します。だから、皆さんが知っている通り、サタンはくやしいと思って、一つだけ取っていくのです。皆さんがいくら勉強して、いくら努力しても、神様の祝福だけ受けられなければ良いからです。皆さんがいくら努力しても、この運命から抜け出せないならば良いから。私たちのレムナントがいくらがんばっても、サタンの攻撃を受ければ良いから。これをのがしたのです。これを取り戻しましょう。これがRe form-ation.改革です。それで、改革教会をRe form the churchと言います。年をとった人々は、リフォームをレポムと読むことしかできないのですが、本来のことを取り戻さなければなりません。皆さんが年を取っていても、一つは正しく見つけなければなりません。そうすれば良いのです。これを見つけ出せないから、聖書を見てください。イスラエル民族がエジプトの奴隷になったのです。こういうみじめなことがあるでしょうか。この苦しみだけは受けてはなりません。とても重要なことではないでしょうか。

・改革の意味が何か分かったら、はやく取り戻さなければなりません。これのために苦しみがずっとくるのに、どうなるのでしょうか。真にバカらしいでしょう。反復されるのです。知っているでしょう。分かるのに、またやられてしまいます。この一つを知らないので。改革ということが何の話かわからなくて、また継続されるのです。これを今、知らない人は誰もいません。しかし、ローマ時代に、またやられてしまったのです。何を見つけられなかったのかというと、改革が何の話かわからなかったのです。本来、奪われてしまったものを神様が取り戻すように、私たちに門を開けてくださったのです。それするのが教会です。しかし、教会がこれを知らないから、何の誤りもなく、このようにイスラエルがほろびたのです。中世時代、またほろびてしまったのです。何の誤りもなく、ずっとほろびるのです。教会のせいで。それで、私はこういう話をしました。もし天国に行って罰を受けるプログラムがあるならば、牧師はものすごく殴られるでしょう。あるのかないかは知りませんが、とにかくあるならば、牧師は半殺しに殴られるでしょう。死ぬほど殴られて、もっとさらに十発は殴られなければなりません。このようにさせてしまったのです。これが普通の問題ではありません。それで、信徒は何の誤りもなくほろびるのです。それが歴史ではないでしょうか。私の話ではありません。教会の歴史ではないでしょうか。ここに今、牧師がおられるでしょう。改革とは何でしょうか。本来のことを見つけ出さなければならないのです。本来与えられた救いを見つけ出さなければなりません。本来与えられた福音を見つけ出さなければなりません。教会とは何でしょうか。本来、神様のインマヌエルを見つけ出さなければなりません。これが改革です。インマヌエルを見つけ出さなければなりません。これが改革です。それで、私たちが個人の人生改革はもちろんで、教会が改革されなければならないのです。

・私は救われたのですが、国がほろびれば共に苦労しなければなりません。そうでしょう。私は救われたのですが、民族がほろびれば共に苦労しなければならないのです。こういう問題がずっと来たのです。今からどうなるのでしょうか。それで、私たちはとても重要な契約を悟らなければならないのですが、この改革という一言を悟る一人を通して、みな生き返ったのです。この祝福を必ず捕まえなければなりません。一つの教会のためにみな生き返ります。一つの国のためにみな生き返るのです。これが重要です。この祝福を私たちのレムナントとすべてのインマヌエルの家族が受けるようになることをイエスの御名でお祈りします。私の話が正しいのか、そうでないのか、私の話だと聞かずに聖書をよく見てください。レムナント七人、一人ずつ出てくる時ごとに、時代が生き返りました。そうでしょう。使徒2:1〜47こういう教会が出てくる時。アンテオケ教会一つ出てきたが世界が生かされました。テサロニケ教会一個が出てきたのですが、すべてのマケドニアが生かされました。これは高慢ではありません。インマヌエル教会一つだけ福音を持っていても、この地域はみな生かされるようになります。それでも、私たちのここの現在の区庁長は、本当に素晴らしい方です。ソウルに忙しく行き来していたら、私たちの秘書に、何かがあって影島区庁長から電話がきたということです。それで、後ほど時間をとって、何があるかと思って電話をしました。他の電話でなく、一年が過ぎて新年がくるので、牧師先生にあいさつの電話をしたということでした。それで、私が庁長、この頃健康でおられるのかと尋ねました。すると何と返事をしたでしょうか。このように答えられました。インマヌエル教会のために、影島が祝福を受けていると言われました。もちろん、あいさつですが、どれくらい素晴らしく良くするでしょう。もちろん、また他の教会に行って、またそのように言うでしょうが、それでも言葉がきれいでしょう。また、東三教会では東三教会のために、私たちの影島が祝福を受けると話すでしょう。また僧侶に会えば、僧侶のために影島が祝福を受けると話すでしょう。それでも、ことばが素晴らしいのです。電話して、インマヌエル教会のために私たちの影島が恵みを受けていると言いました。知らずに言われた言葉かもしれないが、それが本当なのです。これ(一講の内容)を見てください。これをする人が一人だけ出てきたらどうなるでしょう。それで、皆さんが少しだけ体質を変えてしまえば、答えを受けるようになっています。

・皆さん詳しく見てください。皆さんが歴史を一度静かに見てください。この福音を持った国が一つ出てくるので時代が生かされたのです。今は反対運動もして、良い、悪いという話をしますが、一番初めには、このヨーロッパで福音がなくなったから、福音のために出てきた国が米国です。初めにはそうでした。神様がものすごく祝福されたのです。ヨーロッパの国みな合わせた国防費が米国一つより小さいのです。それで、歴史を詳しく見てください。福音が入った国ごとに働きが起きました。しかし、福音を抜いた国ごとに失敗したのです。これぐらいならば証拠です。だからどれくらい驚くことなのでしょうか。宗教改革すべき理由。これは、インマヌエル教会の聖徒、私たちのタラッパンすべてのメンバーは、契約でつかまなければなりません。教会が間違ったが、このように問題がくるのです。それではたくさん必要ありません。こういう教会一つだけ出てきても、働きが起きるということです。これを信じなさいという言葉です。事実です。それで、私たちのインマヌエル教会でも、私たちの役員など、レムナントは祝福を受けるようになっています。それでも、私は井戸の中から出られないといえばできないのですが、出てきさえすれば働きが起きます。外側で雨がいくらあふれても、サイダーのふたを閉じておけば水一滴も入りません。しかし、開きさえすれば入るのです。それで堅くつかみましょう。何もなくても始められます。それが聖書が証人で、私たちが体験しました。これからインマヌエル教会がどうなるのでしょうか。言うまでもありません。私は確かに神様の契約を捕まえて、釜山では一番福音をよく伝える正しくレムナント育てる教会を作ります。

・それでは、神様が本当に祝福される宗教改革の内容は何でしょうか。これを知っていれば、答えを受けます。神様が責任を負われるようになっています。色々な話をしません。神様が願われ改革は何でしょうか。神学が変わらなければなりません。これが何の話でしょうか。今、見ればたくさん変わったものが多いのですが、皆さんが詳しく見れば、パリサイ神学が今、教会の中にそのまま残っています。中世神学がそのまま残っているのです。そして、ここに今は現代神学までできて、問題がきています。これを変えなければなりません。それで、私たちの教会が、私たちの教団が、これを変えるということです。宗教改革をしたと言ったのですが、ほとんどここから抜け出すことができませんでした。これは確かに救われないではないでしょうか。これは確かに救いがありません。ところで、教会がほとんどここに陥るのです。

・私たちは信仰改革を行わなければなりません。どんな信仰を変えなければならないのでしょうか。私たちは、ほとんどが律法、神秘、人間中心主義に陥ります。これだけ変えてしまいましょう。それで、皆さんが今は福音を回復しながら、みことばを新しく回復してしまえば、完全に働きが起きます。ここにとても重要なことが、この二つが変わった後に、私たちのインマヌエル教会とタラッパンは教会改革するということです。皆さんが今日、一人ももれなくこの契約を捕まえて、祝福を受けることを希望します。私は幼い時から教会に通いました。そして、教会に通いながら、一度も恵みを受けたことがありません。もちろん、私の誤りでもあるでしょう。さらに重要なのは、私がこれを見ながら、私達の子どもたちが教会を深く見てはいけないように思えるほど、教会は問題が多かったのです。ここに私を知っている人たちがたくさんいます。本当に、私は教会に通いながら、本当にこれではないと思いました。教会ごとに、どれくらい試みが多くて、どれくらい戦って、問題が多いかわかりません。それで、私たちは教会を改革しなければならないのです。教会改革を何からすべきでしょうか。私たちの教会の重要な姿から改革しましょう。変えなければなりません。教会が何でしょうか。聖書をよく見ましょう。Iコリント3:16に、皆さんが教会です。皆さんは、いくらぶさいくな人も、救われた者の中には聖霊がおられるから神殿です。これから記憶しなければなりません。そして、皆さんがいくら信仰生活を熱心にできなくても、イエスを信じる人の中には聖霊がおられるから、絶対にほろびることができません。それならどうなのでしょうか。マタイ18:18〜20に救われた者の出会いが教会です。私たちは今ずっとここで失敗するから、これをはやく回復しなければなりません。使徒18:1〜4救われた者の現場が教会です。皆さんの職場が教会です。それで、私たちが現場に集まる理由が、それが教会です。使徒2:1〜47私たちが集まる礼拝堂が教会です。そうです。ピリピ3:20に私たちが行かなければならない天国が教会です。はやく回復させなければなりません。それで、神様は驚くべき祝福を与えられるしかありません。皆さんがこの祝福をみな受けることを希望します。

・教会改革の二番目。組織です。今は、インマヌエル教会が世界と釜山を生かすためにこういう祝福を受けた人の組織を強化させましょう。それが神様の計画です。それで、あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子としなさい。今日、私がわざわざ紙を持ってきました。今、私たちのインマヌエル、ソウル、蔚山、キョンギ、アンサン、サンロク、中部、今、これが全部、地域教会です。ワシントンのソ・テソク、海雲台、北教会、キチャン、コヂェ、西部、コチャンのことです。利川、南海、これは国内です。

・さらに感謝することは、あのドイツ。ドイツで今日、礼拝していて私に電話がきました。私たちの1部メッセージを聞いて集まって電話がきたのです。オーストラリアに私たちの重要な方々、ソ・ピョンウォン伝道師がいます。キャンベラのキム・ジェミョン長老、ペンシルバニアのチェ・ギュソン長老、あのボストンのユン・アンチョル執事、アトランタのチ・サンオク牧師、イタリアのマヤンヒ宣教師、大阪のパク・チェギュ牧師、マレーシアのマイケル、こういう方々がいますが、私が今なぜこのように呼ぶのでしょうか。外国で長老がおられるところに一度行ってみてください。私はハン・ドンフン長老の地域教会に行って、本当に恵みを受けました。お金をどのように作ったのかは分からないのですが、礼拝堂を作ってありました。アパートも買っていました。礼拝堂とつながっていました。これで、私たちのレムナントがそこで生活をするのです。私が行ってみたら、どれくらい安全かわかりません。これより重要なことがどこにあるでしょうか。私はだいたい外国に出てみるとレムナントのことが心配になりました。このように住んではいけないのにと、心配になったのです。なぜなら、ほとんど行ってみると、このようになればこの子どもたちが損することが多いでしょうに‥という心配にいつもなったのです。これくらい地域教会が重要なのです。

・皆さん全国、世界にこういう地域教会が起きなければなりません。それが聖書が願う組織です。皆さんの子どもたちは、今、外国出て行って堕落もできません。タラッパンは、組織になっていて、堕落すれば、すぐ見つけられるのです。そして、私たちのレムナントが崩れる時間もありません。なぜなら、あちこちで時刻表がかかって崩れないのです。私が宣教師に話しました。私たちのレムナントを見守るのが宣教の中の宣教です。だから、これがどれくらい大きい神様の祝福でしょうか。こういう組織が釜山の中におよそ700ヶ所作りましょう。そうしてこそ、釜山を福音化することができるのです。そうでなければ、どんな面でも、霊的に勝利できません。それで、この祝福を私たちの教会が受けるように、ソウルにはこれを置いて2千ヶ所にしました。蔚山のカン・サンモ牧師は、100ヶ所から300ヶ所に上げたと言いました。上がるほど良いのです。なぜか、教会が社会に影響を与える時刻表がきたのです。教会が社会に影響を与えられなければ、私たちの子どもが死にます。教会が社会に霊的影響を与えなければ、サタンの勢力の前に崩れるのです。

・この改革をするのに、神様が何か約束されたでしょうか。今日、イザヤ43章を読みました。今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。それで良いのです。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。それで、終わったのではないでしょうか。先の事どもを思い出すな。約束されました。レムナントを捜し出しなさい。みな滅んでも、絶対に残っている。どれくらい感謝しているでしょうか。私たちのレムナントが今、福音が入ります。必ず生き残ります。ある方がこういう質問をしました。タラッパンに初めて来た方です。牧師先生。タラッパンメッセージは、みな良いが、一つが気にかかるということでした。それで、何かと尋ねました。とても子どもを見る夏の聖書学校の教材にサタンが出て来ますが、子どもたちがどのように感じるかということです。それで私がちょっとそうですねと言いました。ところで、私の中ではそうではないと思いました。この子どもたちが、幼い時からサタン、霊的な問題を聞いたので、皆さんとは完全に違います。このサタンの影響力が絶対にこの子どもたちを倒すことができないのです。それは本当に知らないからした質問です。

・私たちの子どもに家でも話しましょう。分かろうが、分かるまいが、福音が何であり、サタンが何であるかを話しましょう。その子どもたちは、永遠にほろびません。少なくとも、この目がなければなりません。幼い時から入れば、私たちが思うには子どもたちがわかって、子どもたちがこういう気味が悪い絵をと言いますが、そうではありません。切り株は残ります。彼らに話すということが、その話ではありません。何の話でしょうか。福音を正確に話しましょう。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。わたしがしるしを見せる。これが皆さんが受ける祝福です。この時からイザヤ40:27〜31に神様のみことばの力が現れ始めるのです。あなたは知らないのか。聞いていないのか。何をでしょうか。神様の働きとみことばを聞けなかったか。そして、何となっているでしょうか。イザヤ43章を見ると、驚くべきみことばが出てきました。以前の事を記憶するな。新しい事を行う。昔に完全に滅びたこと記憶するな。どのように記憶をしないのでしょうか。そこに陥って気をおとすな。わたしが新しい事を行う。海に道をつける。あなたたちが水の中を渡らなかったのか。火の中も通過しなかったか。砂漠に水が沸くようにする。獣も神様を賛美するようにさせる。驚くべきことです。神様が皆さんを通して事をなさろうとされるのです。起きて光を放ちなさい。特に、あなたたちの子ども達が戻るようになる。皆さんの子ども達が起きてこそ、イザヤ62:6〜10万民が起きるということです。この祝福を受けるようになります。宗教改革。変わらなければ大変なことになります。

・皆さんひとりのために家系が生かされて、私たち一つの教会のために地域が生かされるようになります。私は30年、体験してきました。そうです。この福音が今、ないな。宗教改革が必要だな。このように感じたのです。今、開始ですが、答えがき始めたのです。今年、私たちのレムナント共同体は開始に過ぎません。普通、今までは考えをしても、あまり実践ができません。今回だけは、そうではないでしょう。皆さんが実践が自ずからなるほど祝福がくるでしょう。皆さんが受ける3つの祝福。2006年の奇跡。1年に100年の祝福を先取りするでしょう。皆さんに。他の人が100年ですることを皆さんは1年だけで。皆さん個人に必ずこの答えがくるでしょう。契約でつかむように願います。もう私たちの教会は、1世紀の答えを先取りするでしょう。もう私たちのタラッパンでは、一時代の答えを先取りするようになります。それが確実ならば、私たちはもう始めましょう。私たちは、これと一緒に宗教改革のための建築も始めましょう。それで、皆さんが1人ももれなく、祈りでみな集められるように願います。この奇跡が起こるようになります。インマヌエルの聖徒は、初期から始めたので、もう重要な答えを受ける時刻表がきたのです。

・本当に驚くことは、レムナント核心を見たら、釜山が第一に着実に集まっています。ソウルでは、レムナントらが少し揺れて、自分たちどうし戦略も組んで、そのようにしているのに、釜山では全く揺れません。私が見る時には、レムナントも弟子も、釜山が確かに違います。全く揺れないのです。私が核心を1ケ月間、来なかったのに、来てみたら、そのまま集まっていました。それで内心'釜山はすごいな。継続して来なくても良いだろう。'と考えました。ここから始まった運動です。皆さん、一年に百年の答えを先取りするということは、無条件に祝福を受けようということではなく、それでこそ世界福音化できるのです。私たちの教会が、本当に1世紀の答えを先取りするようになります。インマヌエルのすべての家族に、この祝福があるように願います。そばの人を祝福して'宗教改革をしましょう。私たちの教会がこの地域を生かしましょう。'表面的にせずに、本当にしましょう。'あなたひとりが家系と地域を生かします。'言った人は2倍に祝福を受けて、言わない人は1倍だけ受けてください。お祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。今日、第2講また聖日新年礼拝をささげるようにされた神様に感謝いたします。20ヶ所を越える地域教会と、私たちすべてのインマヌエルの家族に働いて下さい。今、衛星で、インターネットでみことばを聞く人々に、主の聖霊が働いて下さい。宗教改革の理由を堅く捕まえて、大きい答えを受ける日になるようにして下さい。2006年、私たちの役員などに代表的な大きい祝福をくださることを信じます。老後にさらに美しい祝福をくださると信じます。レムナントに証拠が与えられると信じます。確かに福音がなくなった時代に、福音の切り株は、神様が証人として用いられると確信します。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



3講/文化改革
(イザヤ60:1〜22,62:6〜12)

・2006年には、私たちの人生を変えなければなりません。そして、私たちのタラッパンで宗教改革も始めなければなりません。その中で、今日、三番目のメッセージは文化改革です。詳しく聞かなければなりません。皆さんが人生改革しなければ、初めに始まった、そのままの人生を終えるようになります。救われたのに、そうでしょうか? そうなのです。救われても、皆さんの人生を改革しなければ、霊的問題は解決されません。人が生きるならば、貧しい人がいたり貧しくなる時があります。しかし、ずっと貧しいということは、霊的問題です。人が生きるならば、ガンにかかることもあります。しかし、すべての家族がはっきりとみなかかるということは、確かに問題があります。人は、その部分を悟れなければ、抜け出すことができないのです。人が生きるならば、病気の傷もあって、離婚をしたりもします。しかし、すべての家族がはっきりとみなすれば、考えなければなりません。霊的問題との差がそうです。健康で、一日にご飯を三食食べるのは良いのですが、一日にご飯を三十食を食べたら、問題があるのです。

・ある時、大邱でホテルの下で食事をしたら、ある男の人1人がじっと見ていました。それで、その人を見つめたら、出て行かなくて、そばにいました。店のおばさんがあちらに行けと言いました。それでも行かなかったのです。それで、店のおばさんが笑いながら'申し訳ありません。この人は、TVにも出た人です。'それでなぜ出たかと尋ねたところ、一つの席に座れば、コーラを38本も飲むということでした。珍しく思って、放送局で連れて行ってコーラを思い切り飲んでみなさいと言ったら、その場ですぐ何十本かを飲んだそうです。からだの検査をしてみても何の異常もありませんでした。私も飲んでみてくださいと言いました。お金の心配はせずに飲んでみてくださいと言いました。大邱なまりで、飲んでもかまわないのですかと言いました。すぐその場で、息も休まないで大六本を飲みました。本当に不思議な人がいると思いました。それを霊的問題だと言います。喉が渇く時コーラを飲むことは、霊的問題ではありません。それで、皆さんが人生改革を行わなければ、本当に大変なことになるのです。皆さんに良いところも多いのですが、教会にきて福音を聞きなさいという理由がそこにあるのです。さらに笑わせることがあります。皆さんは普通だと思って、そのまま置いておくと、それが必ず子どもに行きます。どうするでしょうか。これは深刻だということではなく、必ず事実です。そして、今日の2講の時にも話したように、宗教改革しなければ、理由なく他の人まで困難を受けます。国民が何の誤りもなく、パリサイ人のために滅びました。宗教改革ができなかったからです。しかし、それになった国は他の民までみな生かされました。

・今日、皆さんが2006年を出発しながら、神様が皆さんに本当に答えられたら、新しい人生が始まるでしょう。確実でしょう。ところで聖書にはこのようにおっしゃっています。申28:1〜18を見れば、あなた入ってきても恵みを受けて、出て行っても恵みを受けると言われています。ところで、これがだめだとすれば、入ってきても罰を受けて、出て行っても罰を受けるようになります。神様の祝福を受ければ、入ってきても恵みを受けて、出て行っても恵みを受けて、畑にも恵みを受けます。これがならなくなれば、いくら努力してもだめなのです。それで、絶対にデパート行かなかった人が一度にデパート行ったのに、デパートが崩れて、一生に一度も飛行機乗ったことがなかった人が娘が親孝行しようとおだてて送ったら、飛行機が爆発してしまい、地球の歴史上でただ一度崩れた聖水大橋、そこで落ちて死んで、仕事ができなくなったりするのです。神様が祝福されれば、入ってきても出て行っても恵みを受けます。これが簡単なことではなく、理由があります。'この話しを聞いて従順にすれば'と言われました。ここで錯覚することがあります。何に従順にすれば良いのでしょうか?

・この間の献身礼拝の時に話しました。羊の血を塗る日、エジプトから出ました。出エジプトしたのです。この頃の言葉で、キリストの血で皆さんの運命が変わったのです。カナンの地に行く間に三つの祭りを与えられました。そして、私たちはメシヤを送る地に行く。この話が分かれば、出て行っても入ってきても恵みを受けます。聖書の解釈を下手すると、何の話か分からずに、こんがらかります。ヨハネ14:14,15:16,16:24を見ると、こういうみことばがあります。同じ意味が出てきます。'何でも祈れば答えられる。'ここに何でもみな答え受けるとありますが、どうなるのでしょうか。ここに重要な理由があるのです。'わたしの名で何でも祈れば…'なぜイスラエルはずっと失敗したのでしょうか。神様が何のために福音をくださったのでしょうか。それでは、私たちに証拠がなければならないでしょう。それを知って、その名で祈れば、何でも答えられると言われたのです。マタイ24:1〜14を見るから、重要なみことばが出てきます。'このようなことがおきても大丈夫で、あのようなことが起きても大丈夫だ。福音が宣べ伝えられた後に終わりが来る'皆さんの周囲にどんなことが起きても大丈夫です。福音が宣べ伝えられた後に終わりが来る。最後の時、災いと呪い起きます。地震も起きます。戦争も起きます。福音が宣べ伝えられた後に終わりが来る。確かにそう言われました。

・それで、何を悟るのでしょうか。最後の時に、暗闇の文化がいちばん優れているんだな。それで、この地には霊的問題がくるしかないな。それで、今から光の文化を作らなければならない。これを悟れば、入っても出てきても答えを受けるようになりはじめます。この祝福を受けることを主の御名で祝福します。ところで、皆さんが今日、このみことばを聞く人の中である人は'そのとおりだ。アーメン'という人がいるでしょう。また、ある人は'何の話かわからない。'という人がいるでしょう。また、みことば聞く時、目がパッと開く人がいるけれども、ある人は眠くなって、そのような人、あまり意味がない人もいるでしょう。ここに見れば、多くの知識と経験がある人もいます。だから、ここでみことばで目がパッと開かなければならないのに、それほど目も開かないようになる人がいます。無理に付いてきて眠りを誘う人もいます。新年を迎えて、皆さんが祈りの答えを受ける重要なことを発見しなければなりません。皆さんが神様みことばと合えば良いのです。その理由は神様のみことばは完全なためです。そして、理解できないこともあるでしょう。それは、人が人に与えたことばではなく、神様がくださったみことばだから、私と合わない事もあり、ぴったりあたらないこともあるのです。それではどうなるのでしょうか。ここで祈りの答えにとても注意しなければなりません。

・聖書箇所四つを必ず記憶しましょう。イザヤ55:8〜9を見ると'わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。'こういう場合どうなるのでしょうか。これが、もう祈りの答えを受けて変化するようになるとても重要なことになります。さらに重要なことがあります。イザヤ書に重要なことが多いのです。イザヤ22:22〜24には'みことばが釘として、確かな場所に打ち込まれれば、イスラエルのすべての栄光がかかる。しかし、イスラエルはこの釘が打ち込まれなくて失敗した。'それではここでとても重要な言葉が出ます。釘を打ち込んだということは、黒板消しを引っかけようとすれば、釘を二本打って、上にかけておけばかかります。いくら力が優れても、釘がなければ、絶対に引っかかりません。私たちの心の中の霊的なことを話すのです。神様のみことばがかかれば、そこにイスラエルのすべての栄光がかかるのです。祈りの答えを受ける奥義が分かるでしょうか。今は、さらに問題は、私たちの心に他の釘がずっと打ち込まれているのです。このように打ち込まれれば、他のものがずっとかかるだろうということです。

・祈りの答えを受けられない方は、よく聞かなければなりません。それでこそ、答が出てくるのです。神様の契約のみことばが打ち込まれれば良いのに、他の私の考えが打ち込まれています。そして、違ったものが打ち込まれているから、ずっと違ったものがかかるのです。とても重要な話になります。それで、しばしば失敗するのです。ですから、それを抜くことがとても重要なのです。神様のみことばと私が違うこともあります。しかし、明らかな事実は、私が違っているので、神様のみことばは違いません。神様のみことばがとうてい理解できないこともあります。それは、私が誤っているので、みことばが誤っているのではありません。ニーチェは神様が死んだと話して、自分が精神が狂って死にました。共産主義は神様がないと話して、共産主義自らが崩れたのです。それは共産主義の違った考えであって、聖書が間違いではないのです。とても重要です。皆さんが服をかけたり、帽子やカバンをかけようとすれば、釘があればかけられるのです。

・ある時、私の息子が二歳になったので、友達がきました。昔の話です。壁にボンドを使って付ける釘を付けておいたのです。この友達が、冬になるからコートを脱いで、そこにみなかけたのです。だからボンドが耐えることができなくて落ちました。落ちて、すべての服がご飯、スープの上にみな落ちたのでした。それで食べ物も正しく食べられないで、服もみな捨てるようになりました。その時、この本文が思い出されました。よく打ち込まれた釘の上にイスラエルの栄光がかかる。それでは、話を少しねじれば、よく打ち込まれなかった釘の上にイスラエルのすべての問題が引っかかるのです。それでは少しだけ理解すれば良いのです。心に今はおかしな釘が打ち込まれれば、精神分裂も起きてだめになって、耐えられないのです。それで、皆さんがみことばを少しだけよく聞いて理解してしまえば、本当に働きが起きます。今回受けたメッセージ三個は、心にみことばを釘として打ち込みましょう。私たちのレムナントも、メッセージを時代にレムナントのモデルになろう。釘を打ち込みましょう。その上に全てのものをみなかかるようになるのです。

・もう一度見て下さい。イザヤ28:10です。何となっているでしょうか。直接探してみてください。皆さんがこの病気にかかりやすいから、はやく探さなければなりません。'彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。』と。」'今まで私たちは知識をどのように得たでしょうか。ここで少し、あそこで少し、このように得ました。しかし、それが正しいのもありますが、間違ったものもあります。この人にあの人に聞いてそのようにしてきました。皆さんが今までみな小耳に挟んだことではないでしょうか。その小耳に挟んだのが、皆さんの中にどかんと入っているから、このみことばが入らないのです。それで、本当に答えを受ける方法は'神様、私の中に誤った考えとみことばの間違ったものを抜き取って、みことばに根をおろさせて下さい。'皆さんの中に入っているのが完全に非福音的でもあります。完全非聖書的なこともあります。それではどうするのでしょうか。そのように人生を終わらせなければならないのです。そんなにくやしいことがあるでしょうか。それで、私を改革しようということです。このようになる時、すばらしい祝福を受けます。申6:4〜9'このみことばを額にも手にも壁にも柱にも…'その話が何の話なのでしょうか。胸に記憶するようにしましょう。皆さんに驚くべき働きが始まるでしょう。一度実験してみてください。皆さんが一週間の間、聖日に受け取ったメッセージを心に置いて祈ってみましょう。驚くべき働きが起きます。癒されるみわざが起きます。

・私たちは、もうこういう祝福を置いて行く時、文化改革以前に最も早くすべきことが何でしょうか? 普通、失敗する信徒は、この部分をよく知らずにいます。神様が皆さんのために準備しておかれた驚くべき祝福が何でしょうか。私たちは、おもにこの部分をよく知らずにいたり、そうでなければ、他のものをしばしば捕まえようとするのです。一時代を生かす、これからは、人生、宗教、文化改革する皆さんに重要な祝福を備えておかれました。知らなくてはいけないのです。いったい神様が私のためにどんな祝福を備えておかれたのでしょうか。私と関係がないでしょうか。それでは神様も関係ないのです。私がこういうものをよく知らなければ、受けられません。もし皆さんがこれのために信じなかったら損です。神様の計画は変わりません。前に話をしなかったでしょうか。昔、金持ちの家にしもべがたくさんいました。犬を本当に好きだった主人だったのに、ある日、犬がいなくなったのです。ですから、犬がどこにいるかと尋ねて、御輿を担当するしもべに呼んで聞きました。'犬がどこへ行ったか、なぜ犬をなくすか、犬を探して来なさい。'と言いました。すると、御輿を担当するしもべは、自分が悪口を聞くので腹が立ったのです。そのまま分かったといえば良かったのに、一言返事をしたのです。'私は御輿の担当であって、犬の担当ではありません。'真に正しい言葉でした。すると主人が'分かった。御輿を持ってきなさい。私が犬を探しにでかけなければならない。'と告げたのです。それで、御輿担当のしもべは、主人を乗せてすべての山で犬を捜し回るので、狂いそうになりました。そのまま何も言わずに出てきたら風も吹かれながら良かったはずです。御輿担当だと一言言って、御輿に主人を乗せてずっと歩き回るようになったのです。何の話なのでしょうか。神様の計画を誰が変えられるでしょうか。

・皆さんは今日からこれを捕まえなければなりません。神様は文化改革する皆さんのために五つの祝福を準備されました。必ずのがしてはなりません。方法が何かではありません。根元的な祝福。イエウォン教会でも少しの間話しました。創世記12:2を見ると'あなたは、祝福の根源になる。'どのようにすれば良いのでしょうか? 行ってではありません。恵みを受ける程度ではなく、根源を得るようになると言われました。創世記26:19にも'泉の根源を得た。'と告げられました。信仰告白する'受け入れる者、すなわちその名を信じる者には神様の子どもになる特権が与えられた。'

・これから文化改革を悟る皆さんが受ける祝福、二番目は何でしょうか? 代表的祝福です。なぜ代表的なのでしょうか。皆さんが答えを受けてこそ、他の人が祝福を受けるのです。長老、按手執事は、絶対に心配しないで。皆さんが祝福を受けてこそ、宣教が可能です。その話です。創世記12:3に見ると'あなたを呪う者をわたしが呪い、あなたを祝福する者をわたしが祝福する。' 26:12に農作業をしたところ百年の祝福が来ました。Iペテロ2:9に'光を宣べ伝えるためあなたを呼んだ。'代表的祝福です。私が代表的祝福を受ける資格があるのでしょうか。そのように考える人が多いのです。神様が皆さんをそのように呼ばれたのです。神様も仕方ないでしょう。皆さんを祝福しなければなりません。なぜなら、皆さんを祝福しなければ、神様の立場が困るようになるからです。そうではないでしょうか。だから、他のものを捕まえることがありません。これを捕まえましょう。皆さんがいくら醜くても、皆さんを祝福しなければ福音が宣べ伝えられません。

・アブラハムは本当にそれほど立派な人ではありません。しかし、神様がアブラハムを祝福されるしかないのです。自分が被害を受けるかと思って、妻を自分の妻ではないと言って奪われるような人です。そんなに立派な人ではありません。そして、アブラハムは、何度も頭を使って嘘をついていました。しかし、神様がアブラハムを祝福しないはずがありません。なぜなら、アブラハムを祝福しないならば、福音が宣べ伝えられないからです。代表的祝福です。皆さん、本当に正しく悟らなければなりません。'私のそれしきのこと…'私が違うのです。神様がそのようにアブラハムを呼ばれたのです。それで聖書をよく見ましょう。皆さんがこれから文化改革という契約を捕まえて受ける三番目の祝福が何でしょうか。時代的祝福です。なぜ時代的なのでしょうか。この時代に他のものはあるのに、福音だけありません。他のものはみな強調するのに、福音だけ強調せずに、他のものにはみな魅力を感じるのに福音にだけ魅力を感じないのです。それで、福音を持った皆さんは、時代的な答えを受けるしかありません。ノアがそうでした。それで、初代教会のすべてのメンバーがみなそうでした。

・四番目に受けなければならない祝福です。記念碑的な祝福です。必ずこれを捕まえましょう。なぜでしょうか。子孫が見て分かるように。それで申6:4〜9に'このみことばを子孫に言ってやりなさい。'と告げられました。ヨシュア4章を見ると'ヨルダンから石を取り出しなさい。'なぜそうでしょうか。記念塔を作りなさい。なぜそうでしょうか。子孫が尋ねたら、ヨルダンから取り出した石だと話しなさい。その話が何でしょうか。記念碑的な祝福です。それで、皆さんがこの祝福を受けるようになっています。聖書にたくさんありますが、省略します。誰も奪っていくことができず、防げられない不可抗力的な恵みと祝福を、皆さんが受けるようになります。これが皆さんの心の中に打ち込まれなければなりません。皆さんの考えの中に、他のものが入っているから、これが入らないのです。これがサタンの戦略です。それで、今からすることは、抜き取ることです。必要ないのは、抜き取るのです。とんでもない釘が打ち込まれていれば、とんでもないものがかかります。これを植えるのです。皆さんが恐れるのですが、少しも恐れる必要がありません。

・誰も皆さんを奪ったり、苦しめる者はいません。あなたを呪う者があればわたしが呪い、あなたを祝福する者はわたしが祝福する。出エジプト3:15〜20に見ると' わたしが力ある御手をあげて証拠を見せる。'イザヤ43:14〜21に読んだとおり'砂漠に川を出す。海の中で道をつける。以前の事を思い出すな。'誰が止めるのでしょうか? 今回、皆さんは信仰生活を魅力なくするのではなく、これを記憶して心に入れましょう。他のものはそれほど魅力ないほどにしてしまいましょう。皆さんの考えの中に不信仰、傷のような釘、色々なものが打ち込まれているから、あるものはとても深く傷が打ち込まれていて、それのために苦しんだりもするのです。色々なものが含まれているから、神様と合わない時があります。それだけ知り尽くしてしまえば、すぐ働きが起きます。2006年には、この答えを必ず受けるように願います。

・なぜこれを悟れないと思うのでしょうか。私のレベルで考えて'私はだめです。私は年もとっていて…'また私の考えが多いからです。私の思っているより、神様の考えが正しいから、それが打ち込まれるべきなのに、他のものがたくさん打ち込まれているからだめなのです。そして、私の環境を見るから、私たちがドンキホーテのように信じるのではありません。みことばが打ち込まれていなければならないのです。聖書を詳しく見ましょう。レムナント7人がこれをよく見たのです。私たちのレムナントは、必ずのがしてはなりません。成功した神様の人は、神様が準備しておかれたのを絶対にのがしませんでした。ある者は、ヨセフを見てあざ笑ったのですが、それでものがさなかったのです。なぜでしょうか? 神様が備えられたものをのがしてはなりません。神様が皆さんに祝福されるのが、つまらなくこのようにするか、あのようにするかこういう頭を使うことではありません。根源的な祝福です。皆さんがいくらできなかったとしても、皆さんが答えを受けるほど、他の人が生きる代表的な祝福を与えられます。それで、私たちのタラッパンで長老は全く少しも葛藤しないように。いつ答えられるのかを見ましょう。代表的祝福を受けるようになっています。

・考えてみましょう。家に帰るのに、皆さんがバスがなければ乗れません。私がチョ氏の家系のために飛行機に乗るでしょうか? 飛行機に乗らなければ行けないでしょうか。皆さんが祝福を受けなくてはいけません。それは神様も仕方ないのです。皆さんの行いを見て、されなければ良いのですが、神様がせざるを得ないのです。福音を持っているから、しなければ神様が不法です。それで、この時代に福音が全くないから、時代的祝福を受けるのは当然のことです。皆さんがいたずらに恐れれば、確かに霊的存在はあってサタンが触ります。そして、この世には皆さんが知らない霊的な世界があります。皆さんが恐ろしくて震えれば、いたずらに変なことが行われるのです。レムナント7人はここに揺れませんでした。これを堅くつかんだのです。皆さんが危機に会う時も、捕虜になった時、ダニエルのような人を見ましょう。シャデラク、メシャク、アベ・デネゴ。エステルのような人物。死ななければならないなら、死にます。

・この通訳の娘は誰でしょうか? 私たちのダラスのチェ・ミョンジン牧師の娘です。デボラが赤ん坊を産むからきました。私たちのタラッパンには、こういう実力あるメンバーがたくさんいます。私たちのレムナントは、世界的人物がたくさんいます。見ると通訳も上手です。上手だと思ったのですが、本当に上手にします。通訳が上手なのは、言葉も上手にすべきなのですが、説教をとても安らかに通訳するのです。それで、私たちこういう重要な人物が、すでにこういう祝福をみな受けているのです。レムナントがこれをのがさなかったということです。初代教会は、唯一性の祝福を受けたのですが、これを受ける準備ができていたのです。いろいろな王、将軍が反対して立ち上がっても、初代教会をなくすことができなかったように、皆さんもなくせません。皆さんがこの話を聞き取れないのは、心に他のものがたくさん入っているからです。これが入ってこなければなりません。皆さんの考えとたましいの中に打ち込まれている釘が、まさにそれが答えなのです。それでとても重要です。

・それでは、こういう祝福を神様はなぜくださったのでしょうか? 二番目です。神様が必ず望まれることがあります。それを時代的要請と言います。これのためにこの祝福を与えられたのです。時間がたくさん流れたので簡単に減らします。神様が願われる時代的な要請3つがあります。これをしなさいとこの祝福を与えられました。最初です。レムナント共同体で世界文化を改革しなさい。世界文化改革です。これから、このようなことがおきるでしょう。これからを見ましょう。個教会建築の祝福で地域文化改革しましょう。今、聖書箇所を話さなくても知っているでしょう。全地域に弟子を植えてたてて、偶像文化を改革しましょう。この3つのことが神様の時代的な要請です。皆さんの地域に行ってみましょう。偶像文化がいっぱいですが、教会には力がありません。地域文化に勝てないのです。さらに重要なのは、あちこちに弟子を植えなければならないのに、偶像文化に勝てないのです。これからいつかはインマヌエルに今、ソウルだけでも二千ヶ所地域で役員が起きて、伝道弟子が起きなければなりません。今年がとても重要です。それで、ダビデがこのことを胸に抱いたのです。神様どうして今、契約の箱を置く場所がないのですか。神様がダビデを祝福されたのです。イエス様もヘロデ神殿を見て泣かれました。パウロの場合は、行く所ごとに会堂に入りました。何の話なのか知っているでしょう。今、聖書にある教会、弟子を回復するのが偶像文化を防ぐ方法です。これをするように、神様は皆さんに五つの祝福をくださるということではなく、すでに備えておかれました。これを契約でつかまえるように願います。

・その中で三番目のことだ。もう神様は文化改革、文化の戦いをする重要な人々に奇跡の門をあけられます。無条件に答えられるのです。聖書を見ましょう。創世記6章を見れば、ノアが偶像との文化の戦いをしたのです。創世記12:1-9に見ると、アブラハムがカルデヤ文化と戦ったのです。詳しく見ましょう。今、エジプトで起きた十個の災いは、全部エジプトの偶像文化をうち負かしたのです。この時、神様が奇跡の門をあけられました。皆さんはそのまま紅海が分かれたと見てはいけません。そのままエリコが崩れたと見てはいけないのです。これが何でしょうか? 当時の最高の偶像、紅海、ヨルダンが偶像です。これを倒したのです。神様がなぜ初代教会を用いられたのでしょうか?なぜ神様がアンテオケ教会を用いられたのでしょうか? 神様がなぜパウロを立てられたのでしょうか? ここに見ればすばらしい文化の戦いです。今年、この答えが起きるようになります。正確に話せば、受けるだろうではなく、すでに与えられたので準備するように願います。皆さんの考えの中に入っている悪いことは抜き取ってしまい、みことばを心の中に打ち込めば、そのまま働きが起き始めます。なぜこうしているのでしょうか? 私たちがこうしている間に、本当にサタンの文化が全世界に広がってしまったのです。神様が私たちのレムナントに至急に答えられるでしょう。なぜでしょうか? 緊急なためです。

・今、米国にはほとんど韓国の人々は統一教でみな掌握されました。異常にも、私たちが共同体訓練場を作ろうとするのに、統一教でも今ものすごいものを準備しています。残念なことに、私たちの子どもたちがあの外国まで行って勉強して戻って、今、場所もなくさ迷う場合がたくさんあるのです。私たちはほとんどみな奪われてしまいました。大変なことになったのです。神様は皆さんの教会、私たちの福音を伝える教会を祝福されるしかありません。私はその契約をつかんだのです。私たちの長老、執事、役員などを神様は祝福されるしかありません。レムナントを祝福されるしかありません。だから、契約を確かに捕まえなければならないのです。理由は何でしょうか? 文化改革です。それも単なる文化でなく、サタン文化です。戦う時、神様は驚くべきみわざをくださるでしょう。

・今日、聖書を二ケ所を読みました。皆さんよく適用してみるように願います。イザヤ60:1-22です。光だけ放ちさえすれば、全部見えます。皆さんが光だけ放てば、光で闇はみな退くのです。これは牧会も、皆さんの未来も、事業にもみな関係があります。光だけ放てば。それで、作曲を良くする人々は、私が今回のレムナント、建築、皆さんが回復しなければならない十分の一献金、宣教これを持って作詞をしてみるから、歌を作ってください。そして昼夜なく歌いましょう。私たちの釜山でも、そのような話をしたのですが、ミュージカルをする時も、そこでヒット曲が出てこなければなりません。それでこそ、次の部分に伝達されます。映画も良いのはそうです。今でも忘れないでいます。私が若い時、卒業という外国映画を見ました。そこで忘れない音楽が出てきます。そこで忘れない音楽の中でスカボロフェアのような音楽です。その音楽を聞けば、卒業が思い出されて、卒業を見ればその音楽が思い出されます。オペラもそのような形にして、皆さんが行事を行うようになれば、よく活用して、ヒット曲を作らなければなりません。今年に答えを受けるおもな内容をヒット曲で作りましょう。それを持って一年の間ドラマもして、歌も歌って、みなするのです。なぜでしょうか? 暗闇を完全にうち砕いてしまいましょう。光だけ放てば、みな来るようになっています。光だけ発しさえすれば闇はみな逃げるようになっています。皆さんの事業に光が現れてしまえば、闇は自然になくなるのです。闇の中で苦労する人々が光を放てば、光にみな出てくるようになっています。

・イザヤ62章を読みました。何の単語が出てきたのでしょうか? 道を作りなさい。道だけ作れば、みな来るようになっています。いくら良い車でも道なければ行けません。事業もこれを利用しなければなりません。そして見張り人の役割だけしなさい。今年、人と道を照らす案内だけすれば良いのです。事業も牧会も、このようにやさしいのです。何だけすれば良いのでしょうか? 真っ暗なうえに光だけ照らしてあげれば良いのです。そして、人々が来ることができるように道だけ作っておきましょう。このことを私たちがするのです。私たちが見張り人の役割だけすれば良いのです。このようにしたところ、神様はすべての祝福の中で、誰も奪っていけない祝福を回復させて下さいます。私はこの祝福を発見しました。それで誰が迫害しても、私は内心笑います。誰も奪っていけないからです。私が話したのではないでしょうか。私の手は、このように楊貴妃のように見えても、私は長い間運動をよくしたので、私の手の中にあるものを他の人が奪っていけません。これを奪おうとするなら、私の手を曲げられる力がなければならないのです。神様の力の御手の中にある者を誰も奪っていけないのです。ローマ8;18-32誰が奪っていくことができるでしょうか? だから、皆さんが今から答えを受けるためには、これからすれば良いのです。簡単です。私の中に他のものが今、打ち込まれています。これだけ変えてしまえば、答えがき始めます。私の中に傷がとてもたくさん打ち込まれています。これを抜かなければ大変なことになります。これを抜いてしまって、みことばの釘を打ち込みましょう。そして、皆さんの中に世の中のこと、私のことがたくさん刺されています。すべて抜き取って、釘を打ち込みましょう。そこにイスラエルのすべての栄光がかかり始めます。それで、皆さん今年は、人生改革、宗教改革、文化改革です。この釘を打ち込まなければなりません。私の人生が変わって、私の家を完全に生かすのです。私たちの教会が変わって、宗教改革をします。そして、私たちのレムナントを育てて文化改革をするのです。この契約を捕まえた時、神様はこういう答えをくださるでしょう。そして、心配してはならないのは、主の光があなたがたに臨んだのだ。すでに来ているから、光だけ起きて放てば良いのです。そして、皆さんの教会、私たちの教会から、世界へ道だけ開けておけば良いのです。

・日本の人々が事業が上手な理由が、後進国に行って車から売るのではなく道から作ってあげます。日本の人々がどれくらい頭が優れているでしょうか。それでは車が通うでしょう。その後に車を売るのです。そして、高速道路の料金所費をみな取ります。方法がなければ行けません。韓国の大統領が、高速道路を作るのに反対した人々は愚かです。道があるので行き来できるのです。そして、見張り人は光を照らしてあげて、万民のために道を作るのです。この祝福を今年は本当に受けるように願います。もう一度、結論を結びます。私の中にみことばがどのように打ち込まれるか? それだけ今から変え始めれば大きなみわざが始まります。今は私の考えより神様のみことばを植えるのです。もう私のレベルより、聖霊の力のみことばを植えるのです。それで、絶対に皆さんは失敗できないのですが、その時から答えが始まるのです。私たちのタラッパンのすべての家族、インマヌエルの家族に、この祝福が必ずあるでしょう。今からこの答えが始まるようにイエスの御名によってお祈りします。私たちは全世界の人々が祝福をみな受けなければならないが、ここにいる皆さんが主イエスの名で祝福を受けなければならないので、文化を改革しましょう。私のたましいを癒されましょう。私の考えを癒されましょう。私の中にみことばを根をおろすようにしましょう。それで奇跡が起きます。誰も皆さんに勝つことができないから、恐れる必要がありません。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。誰も奪えない祝福をくださった神様に栄光を帰します。人生改革、宗教改革、文化改革で今年を始めるようにされた神様に感謝します。神様のみことばを正しく捕まえるようにして下さい。私より私をさらに愛する神様を分かるようにして下さい。私の全てのものよりさらに正確な神様のみこころを発見するようにして下さい。私たちの思いよりはるかに優れた神様のみことばを心の中に根を下ろすようにして下さい。私たちの中に打ち込まれた誤った釘が、2006年にはみな抜かれるようにして下さい。傷ついた釘が抜かれるようにして下さい。霊的問題の釘が抜かれるようにして下さい。みことばの釘が打ち込まれる働きが起きるようにして下さい。それで、イスラエルのすべての栄光がかかる神様のみわざが始まるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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