2007年1月14日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私を生かしてください
(詩119:153〜160)

■イスラエル民族は捕虜になっていたので、解放されることが願いだったでしょう。はやく解放されて、国を回復したら良いということだったでしょう。私たちも問題があれば、はやくこの問題が解決されたら良いと考えます。しかし、今日の聖書では、これよりさらに重要な話をしました。154、156、159節の三ヵ所でも、私を生かしてくださいと言われています。
■私たちは3つの改革、3つの征服を今年の祝福として見ていくでしょう。しかし、これよりさらに先にしなければならないことがあります。皆さんは、仕事もよくして、重要なことをしなければならないのですが、それより先にしなければならないことがあるのです。ここで私を生かしてくださいという言葉の反対の言葉は何でしょうか。死んだ状態にあるということです。ここで今日、契約で捕まえなければならない重要な最初のことが、私たちは多くの傷を持っています。そこから、はやく抜け出さなければなりません。それができなくてはいけないのです。思ったより人々がたくさん陥っています。
■ずっと以前のことですが、ある子どもが人を4名も殺しました。結局は捕えられました。捕えられてみたら、この子どもはその近所の学生でした。その村の銭湯で仕事をしていました。銭湯ですることは、人々のあかを落としてあげて清掃をすることでした。この子はそれほど希望がないと考えたのでしょう。親もいなかったのです。そして、お兄さんの家にいたのですが、兄嫁が自分にそれほどよくしてくれなかったのです。こういう傷が積もって、大変なことをしたのです。お金が必要ならば、お金を儲けたり、正常に作るべきなのに、人の家に盗みに入ったのです。盗んで出てきたら、おばあさんに見つけられました。そのおばあさんに訴えられると思ったので殺しました。おばあさんが殺される時に大声を出したので、子どもたちが降りてきたから、子どもたちまで殺したのでした。こういう恐ろしいことが起きるようになりました。それでは、その子は生きることができないでしょう。
■それで傷を受けたとことがどれくらい大きいか分かりません。金ジュンゴン博士がこういう話をされました。この方は、キリスト教の政治団体を作られたのですが、私は内心しないほうが良いのにと考えていました。この方は私が一番尊敬する伝道者なので、伝道だけすれば良いのに、なぜそういうのをするのだろうかと考えていたのです。ある時、ソウルで食事をするようになったのですが、私が尋ねたのではなかったのですが、本人が話しをされました。私が年下だから尋ねることもできなかったのですが、本人が話されたのでした。朴正煕大統領を訪ねて行って、全員をクリスチャンにする運動について話をしたということでした。いくつかの国家で福音が宣べ伝えることができるようにしたお話をしたそうです。それと共に話しをされました。
■共産党があって戦争が起きた時、故郷が全羅道なのですが、そこに北朝鮮から共産党が来たのです。それで韓国に問題が起きました。その人々と町の村の人たちが一緒になって、全部、真っ赤な腕章をはめたのです。そして、金博士のお父さんとお母さんが教会に通っているという理由で、村で棒で殴って殺しました。棒を持って村人が両親を殴るのを見れば、どんな気持ちでしょうか。そして、立ち向かうお父さんお母さんを全部殺して、次に金博士にもそのようにしたのでした。この方がとてもたくさん殴られて意識を失ったので、死んだのかと思って放って行ったのです。しかし、金博士は意識が戻ったので、逃げたということでした。それで、その時に受けた考えと傷が、今でも忘れられないということでした。幸いに、私たちが戦争で勝って、北朝鮮が全部、帰って行きました。ところが、その方の心配が、その時、真っ赤な腕章をはめていた村の人たちがまだ村に残っているということでした。その人々とその子ども達が北朝鮮に行かなかったということです。それで、祈らなければならないと言われました。それで、金博士は残った生涯を国家のために祈るために団体を作ったということでした。そのようなことがあったという話を聞いて、少し理解できました。
■私たちは、だれが誤りをしようが、5.18(民衆抗争)事件で残された写真を見れば、そんなことがあるのかと考えます。理由がどうしてでも、人をあのように殺せるのかと考えるでしょう。親たちは、今でも傷が残っているでしょう。今日、イスラエルが捕虜になった時もそうでした。王を捕まえて、目をくりぬいて、両手両足に手錠をかけられてバビロンに引っ張って行かれました。引っ張っていきながら、勇気のある果敢な人を全部捕まえていったのです。イスラエルが一番重要だと思っていたイスラエル神殿も燃やしました。燃やす前に神殿の中にあった器物などは全部持って行ったのです。そして、イスラエル民族の中で勇気のある果敢な人を殺そうとしました。それをどのように忘れられるでしょうか。それで、イスラエルの人々が傷を受けて死んだ状態なのです。それを先に癒されるべきです。それで私を生かしてくださいと言いました。私たちの周辺には、福音がなくて死んだ状態で生きていく人々が多いのです。考えている以上に、大きい傷によって精神的に困難を受ける人がとても多くいます。また人生の中で、おかしな習慣のようなものによって来る問題がとても多いのです。
■静かに置いておけば、どうなるでしょうか。どんどん災いが臨んで、破壊して自滅するのです。想像以上に多いのです。大人たちに会ってみれば、いつからかは知りませんが、傷を受けたものをそのまま持っている人々がとても多いのです。話をしてみれば、驚くほど多いのです。おもに見れば「教会がどうだ、ああだ」という式で傷ついた人々が多いのです。もちろん、治療をして手助けしなければならないのですが、その人本人が傷から抜け出さなければなりません。それで今年、皆さんの祈りの課題の中で一番重要な最初が、これです。私を生かしてください。他の人が生かされるのも重要ですが、私が生きてこそ他の何かができるでしょう。生きるの反対語は死ぬことなのですが、死んだ状態ではだめだということです。
■エペソ2:1に、罪と罪過で死んだあなたがたをと言われています。エペソ2:2には、空中の権威を持つ者に捕えられていると言われています。それは大変なことになります。それで、すべてのタラッパンと、すべてのインマヌエルの家族がまず最初にしなければならないことが、私が生かされて死んだ状態から抜け出さなければならないということです。パウロはこのように話しました。「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。倒されますが、滅びません。私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。」と言いました。傷が多ければ、人々が全部私を取り囲むように思えます。それが事実だとしても、それはひどい傷なのです。「なぜ人々が私をこのようにするのだろう。家庭で私をこのようにするのだろう。」自分の誤りは知らずにこのように言います。「なぜこのようにするのだろう。長老はなぜこうするのだろう。執事はなぜこうするのだろう。」どんどんこのようになります。自分の傷を自分が癒すことができなくて、どんどん積もって、ひどい問題を持ってくるのです。どんな場合でも、自分自身がほろびているので勝てないのです。
■イスラエル民族がものすごく傷を受けて押さえられて捕虜になっているのです。神様はなさることができるのにもかかわらず、自分自身がほろびているのです。皆さんが今年にはこういう傷から完全に解放されることを希望します。それでは、どのように解放されるのでしょうか。聖書によく出ています。最も重要なみことばがあるのですが、その前に私が傷の中にいるということを分からなければなりません。私たちが今、完全に霊的に滅びた状態で、捕虜になっているということを先に分からなければなりません。それで「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」と言われました。本当に神様が私とともにおられる祝福を受けてこそ、解放されます。エゼキエル37章には、このようになっています。「エゼキエル。これらの骨は生き返ることができようか」その時、エゼキエルが返事をして「神、主よ。あなたがご存じです。」「これらの骨に預言して言え。」ところで、みことばを預言して言ったところ、生き返ったのです。そこに息を吹き込めと言われました。救われて息が入ったので、生き返って軍隊になりました。イザヤ40章には、何と言われているでしょうか。イザヤ40章全体から言うなら、神様のみことばですが、重要な話をされました。神様は偶像と同じ、そのような神様ではない。神様は石の仏のような、そのような神様ではない。神様は人の手で作ったような、そのような神様ではない。
■大きい仏像は誰が作ったのか、人が作った。それがどうして神様なのか。人が箱の中に作った、そんなことがどうして神様なのか。神様は私達の目に見えない霊で、全宇宙を統治しておられ、私たちとともにおられる。それで「あなたは知らないのか。聞いていないのか」何の話でしょうか。全能な主なる神、全てを創造された神様を知らないかということです。ただ主を待ち望む者は新しい力を得る。それで、イザヤ43章をずっと強調されるのです。奇跡よりさらに重要な話をされます。「あなたはわたしのもの。わたしがあなたを選んで立てたわたしの民だ。」これをイザヤ43章1節から見れば序盤にずっと強調されています。それと共に「ヤコブ、イスラエル。」ずっと強調しています。それで、この傷から抜け出すみことばの道を話されたのです。それで、起きて光を放てと言われました。この光があなたの上にすでに臨んでいると言われました。救われなさいではなく、すでに救いを受けていて、主の栄光がすでにあなたの上に臨んでいるということです。しかし、気落ちしている状態では、いくらしても抜け出せません。神様が道を準備しさえすれば、万民が旗を持ってくるようになるはずだと言われました。この約束から堅く捕まえなければなりません。
■今年は皆さんが個人的に、すべての傷から抜け出すことを希望します。そして、神様のみことばを堅く捕まえなければなりません。それでは、このみことばをどのように捕まえるのでしょうか。「みことばで私を生かしてください」と言いました。みことばは、創世記1:3のように光を照らす神様のみことばです。創世記3:15の契約のみことばを捕まえれば、すべてのサタンの頭が踏み砕かれると約束されています。出エジプト記3:18にも、契約の血を塗った日、解放されると言われました。それで、処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。その契約を捕まえなさいと言われたのです。人は全人格的な存在です。それで知識、感情、意志を持っているので、知・情・意と言います。みことばがそのように臨まなければならないのです。また、神様のみことばが私たちの心の中に臨むのですが、私たちの考えの中に、私たちの意識の中に、たましいの中で臨むようになるのです。この神様のみことばを私たちがたましいの中で受けるようになる時、すばらしいことが起きます。なぜそうなるのでしょうか。皆さんがこのようにしなければ、皆さんの人生の最後と関係があります。
■私たちがサタンの中に陥って死んでいれば、私たちの人生の最後と関係があります。そして、私たちの子孫とも関係があります。私たちが来世に天国に行っても関係があります。ある面では救われなかったかも知れません。こういうものすごい問題がくるのです。それで、私たちはそのようなところに陥る必要がないということです。最も重要なのが、仕事も重要ですが、「私を生かしてください」私たちの信仰、たましいが生き返って、その次が重要なことであって、私が死んだ状態ではできないのです。それで、私を生かして下さいということは、死んだ状態から抜け出させてくださいということです。この神様のみことばを捕まえて、私が生き返らなければならないということです。その後に解放されて、人も生かして、みなできるのです。時間が経てばますます関係があるようになるのです。それで、結論的に、救われた神様のインマヌエルの祝福を捕まえれば、解決され始めます。ある人がこのような冗談を言いました。
■熱心に仕事をするからといって救われるのではないのですが、ある方が冗談を言いました。長老が天国に行った、ところで牧師も天国を行きました。ところが、神様が牧師が入ってくるので座布団を一つ出されたのです。それで、長老が「牧師は世の中でも接待をたくさん受けるのに、ここでも接待を受けるのですか」と尋ねたのです。すると、神様が「そうでなくて、あまりにも来ないから、1人が来たのがうれしくて、そうした」と言われました。私たちが聖日に働きをよくするからといって救われるのではありません。私たちが神様の子どもになったので、これもして、あれもするのです。今年はどのようにしなければならないのでしょうか。そのままじっとしているのではなく、希望を抱かなければなりません。望みと言ったりもします。もう少し言葉を変えれば、夢だとか、ビジョンだと言います。これを持ってずっと祈れば、真実なことになります。夢をそのまま見れば失敗をすることもできるのですが、これを持って祈れば、正しくなされます。それで、私たちがビジョンを抱いて、そのまま祈りをすれば、正しく答えがくるようになっています。それで、そんな夢を見なさいと言われているのでしょうか。起きて光を放ちさえすれば、多くの民が光に向かって来るようになるはずだと言われました。その夢を見なさいということです。そして、道を整えれば、すべての民が旗を揚げて、今年は、その夢を見なさいということです。
■今、いくら困難の中にいても、後ほどレムナントが起きるその夢を見なさいということです。じっとしていてはいけません。年を取っても希望を持って夢を見なければなりません。じっとしていれば、10、20年そのまま老いて死ぬのです。そして、とても多くの損を受けます。上をとった人も、本当に夢を持った人は、あまり老いません。そして、健康です。希望をなくせば、健康もなくして、みななくすのです。私たちは神様の前で真の希望を持っていなければならないのです。そのまま祈りをしてはいけません。「これから、ここで釜山を代表するほどの、文化を生かすほどの教会堂を作る。」それをビジョンとして抱く時、神様が私に答えでくださるのです。ビジョンもないのに「私はもうよい、死ぬ時になったので」と考えれば死ぬのです。「砂地を変えて都市にしなければならない。」このように夢を持った人がラスベガスを作りました。「海辺の干潟だが、これを大都市にしなければならない。」その夢を持った人がニューヨークを作ったのです。何のビジョンもなければ、そのまま老いて死ぬのです。私は年をとった二人のことを今でも思い出します。多分、今ぐらいは亡くなったでしょう。歳月がたくさん過ぎたためです。
■私が30年前にその方たちが80才であったから、亡くなったでしょう。今でも思い出します。ある方が、私に推薦したのでした。東亜大学の教授をされていたのですが、今、年をとって引退されたが、この人の講義が良いということでした。特に子どもたちの教育において、教育学の博士だということでした。それで、私が電話をしたのです。電話をして教授に代わって下さいと言ったのです。ところが、自分が教授だと言われました。私は電話で普通の女の子だと思っていたのです。さらに驚くべき事実は、時間がみな決まったのに、その方が来ないのでした。教師と待っているのに来られませんでした。時間になったのにです。それで、私が「教授が車が少し混んでいるのか、まだ来られないので、少しだけ待ちましょう。と言いました。ところが、見たらすでに来ていると言いながら前に座っておられました。他は帽子をかぶっていたので分からなかったのですが、完全に女の子でした。単なる教師が座っているのだと思っていたのでした。帽子をかぶってツーピースを着て、ハイヒールの高いのを履いて、ミニスカートで来られていました。それで、私は今でもその方の講義を思い出します。
■教育とは何か「人間が人間を人間で作ることであす。真の人間が、誤った人間を正しい人間にするのだ。」それと共に言う言葉が「神様を知っている人間が神様を知らない人間を神様を分かる人間ですることである。」と言われました。今でもその方の講義が思い出します。それで私が近くで見たら、おばあさんに間違いありませんでした。それで、私がとても驚いて、どうしてそんなに素晴らしくしているのですかと尋ねたところ、老いるほど素晴らしくしなければならないと言われました。老いれば人々が嫌うということでした。老いてきれいにしなければ、臭いも出てきて、人々に嫌われるということです。それで、老いるほど主に仕えて、老いるほどきれいにしなければならないと言われました。それで、私はその方が本当にすばらしいと考えました。それで、ずいぶん前のことだったのですが「朴キスン教授」という名前をまだ思い出します。ところで、行く時に見れば完全体型もS字ラインでした。それは、からだの管理も良くしているということです。それで、本当にそのおばあさんはすごいと考えました。多分、今は亡くなったでしょう。
■そして、今でも思い出す方が天安教会の「金ソンテ長老」を思い出します。30年前にその方が70代だったので、すでに亡くなったでしょう。私と親しかったのです。私がその方の家に行ったり、こういうこともありました。その方は、普段から目が良くなくて、メガネのぶ厚いのをかけておられました。ある時、家に行ったのでしが、勉強をしていました。それで、何をしておられるのか尋ねたところ、勉強をしているということでした。何の勉強をすると尋ねたところ、びっくりする話を聞きました。「聖書を少し読んでみたら、どうしても聖書の原文を読んでみなければならないと思うようになった。」そして、80才に間もなくなる方が、聖書の原文を読むためにギリシヤ語を勉強をしているということでした。神学校で若い学生たちがギリシヤ語を勉強をするのに、半分死にそうな思いをします。ところで、それを年齢が80に間もなくなる神学者でもない長老が勉強をしておられたのです。それも、メガネ三個をかけていました。本来のメガネを一つかけて、その中にかけるメガネを一つかけて、字の前に虫眼鏡を一つ置いて見ていました。皆さんならば、メガネを三個もかけてするでしょうか。それで「これが学者なのだな」と思いました。年齢が80にほとんどなる人が、何をするのに使おうと勉強をするのでしょうか。そのような方たちが、すばらしいことをして、年を取っても若いのです。それで、私たちが希望をみななくして何もなければ、人生がそのまま皆死ぬのです。それで、年をとった人々中にも若い青年がいて、青年たち中でも老人がいるのです。
■ミン・ヨンファン先生がこういう話をしました。「死んだ者の中にも生きている人がいて、生きている人の中にも死者がいる。」人は普通に生きているようですが、死んだような人が多いのです。しかし、死んでこの地にはいなくても、今も多くの影響を与える人がいるのです。今年はそのまま過ぎ去らずに、皆さんが力と多くのことをみなしなければならないのでうが、希望を持って計画をたてなければなりません。「私は世界福音化をどのようにするか。教会はどのように献身をするか。お金を儲けてどのようにするか。」だめでも、計画をたてなければなりません。計画をたてた人と、たてなかった人は違います。計画を立てて神様に祈りをするのです。神様がその祈りに答えられるでしょう。私は大きい課題は1千万の弟子です。そして、今年はRUTCができるようになっていて、ずっと祈りをしています。これからは、この場所に私たちは多くの土地を持って、釜山市内を生かす文化の殿堂に変えるでしょう。釜山にいる人々、影島にいる人々がきて休むこともできる場所も作るつもりです。公園のようにして、市民が遊びにくることもできるほどにするでしょう。「釜山のインマヌエル教会に、本当に行きたい。」これくらいにしなければなりません。それで、私たちは希望とビジョンを持っていなければならないのです。それがなければ老いて死んでしまいます。希望を捕まえる時にする祈りを神様が答えて下さいます。
■写真も、ひとまず写してこそ、プリントアウトすることができます。写真を写してもいないのに、どのようにプリントするのでしょうか。私が神様のビジョンを私に抱いてこそ、神様のみわざが起きます。そのまま気をおとしているのに、どのようにみわざが起きるでしょうか。この人、あの人とねたんでいるなら、その傷がどのように癒されるでしょうか。その傷は後ほどガンに変わります。からだの傷を抱いて、ずっと置いておけばガンになります。傷をはやく治癒すべきなのに、傷を受けてじっとしていれば、傷の上に傷が積もるようになるのです。霊的にも同じです。
■学生たちが貧しい親に会ったら「私はなぜ貧しい親に産まれたのか。」と考えずに、努力をして私は良く暮らさなければならないと考えれば良いのです。学生たちがとても気落ちをして、そのような必要があるでしょうか。私が学校に通っていた時、夏休みの時、チョ・ウンテク牧師と肉体労働をしに行きました。肉体労働をしに行ったら、ご飯ももらえ、いろいろなことをもらいました。そして働き手も足りないので、度々来いと言われたのです。運動にもなりました。どれくらい良いかわかりません。この仕事をしに行ったら、初めに私を見て、できるのかと尋ねられました。その時は、がりがりだったので、できるのかと何度も尋ねられたのです。それで結局、仕事をしました。何日が過ぎて、私を見て、仕事が良くできると言われました。収入にもなりました。それを学費にして勉強をすれば良いので、心配をすることがありません。私たちは心配をすることが何もないのです。皆さんを見れば、大きい希望も持って、小さい希望も持って、抱いてこそ答えがその時から開始になるのです。「私は老いた。」こうすればそのまま老いて死にます。年をとったから、そのまま引退をするといえば、そのまま老いて死ぬのです。
■しかし「これから開始だ。今は世界福音化もして、ことも始めてやり直す。」と言わなければなりません。学生たちも気をおとさずに、今から勉強を始めれば良いのです。私がいくら困難の中であっても、今からやり直せば良いのです。このように大きいビジョン、小さい希望を持っていなければなりません。神様が確かにそんなことを持っておられます。起きて光を放ちなさい。国々の船が多くの財産を持ってきて、主の宮を建築するようになる。そして、道を整えよ。万民のために旗を揚げなさい。こういう大きいビジョンを抱きましょう。レムナント7人の特徴は、困難がきた時もむしろそれを持って希望とビジョンに変えたことです。レムナントが成功した時、より大きい栄光を帰しながら、より大きいビジョンを捕まえました。レムナント7人の特徴でした。それで、どんな困難がきても私たちは大丈夫なのです。神様に任せて希望を抱いて、今は世界福音化のために走るのです。すべてのタラッパンの家族、インマヌエルの家族が新しく出発するようになることをイエスの御名でお祈りします。傷の中に陥っていず、放棄もせずに、新しく開始しましょう。なぜでしょうか。タラッパンにはものすごいことが起きるでしょう。私が見るには、RUTCだけ建てられても、ものすごいことが起きます。皆さんが希望をなくしてじっとしていれば、それをだれがみなするのでしょうか。神様の祝福があふれるのに、こういう祝福のうつわを準備しなければなりません。2007年、大きいビジョンを抱く祝福の年になることをイエス様の御名でお祈りします。海外にいるすべての家族が、新しい力を得る祝福の年になることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。新しい希望を抱く年にならせて下さい。神様のビジョンを抱く年にならせて下さい。契約を捕まえて新しく出発する開始になるようにさせて下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


{キャンプ献身礼拝および働き人任命式}


2部/初代教会の復興
(使徒2:41〜42)

■ 1部は「主のみことばで私を生かしてください」でした。皆さんのだめになった部分が生き返る年になるように願います。勉強がうまくできない方もいるでしょう。その部分が生かされる神様の恵みを与えてられえますように。また皆さんの経済が難しかったり、健康が良くないこともあります。確かに生かされる神様の恵みがあるように願います。そのような中で、最も重要なことは何でしょうか。神様がくださる夢、そのビジョンを見いだすことです。それが祈りです。それが探すのが祈りで、味わうのが祈りです。神様の計画、神様のビジョンを探せなければ、祈っても違うようにするようになります。
■ある老夫婦が山に住んでいたのですが、何のビジョンもありませんでした。山の中で二人が住みながら何の希望もなかったのです。おじいさんが先に死ぬか、おばあさんが先に死ぬか、このように生きていました。また寝て起きれば食べて、仕事をして、何のビジョンもありませんでした。そのようなある日、見慣れない人が訪ねてきたのですが、小さい子どもを連れてきたのです。道を通り過ぎてこの子を拾ったが、この子が死ぬ前に、おばあさん、おじいさんがこの子を育ててくれ。それで、育てるようになりました。その子を育てながら希望が芽生えたのです。この子が育つ時まで、私たちは生きなければならない。子どもを連れて狩りにも行って、おいしい食べ物も作ってやって、字も教えました。そうしたら、希望ができたのです。その子は、後ほど大きい人物に成長しました。皆さんがおわかりの通り、ペルシャ、メディアを全部倒したのです。この子が育ってバビロンを倒しました。そして全世界を治める王になったのです。王になるやいなや、イスラエル民族を解放させろと言いました。不思議に思うことでした。イスラエルの民は帰って神殿を作りなさい。クロス王です。元々、クロス王は幼い時に両親が捨てられたのですが、知らない人が拾って育てたのでした。皆さんにいくら希望がなくても、神様の夢、神様のビジョンを捕まえる瞬間から祈りが始まるのです。その時から人生は始まります。
■ある人が、精神病とうつ病になりました。すべての希望をみな失ったのです。それで、ますます病気になりました。病院に行って助けも受けて、治療も受けました。そのようなある日、自分にも希望ができたのです。私よりかわいそうな人がいるんだな。私はこの人たちを助けなければならない。この人たちを助けて死ぬべきだという希望ができたのです。そのような中、かわいそうな人をたくさん助けて勉強も教えました。ある日、見たら目の見えない人がいました。話をしてみたら、その人は話も聞くことができなかったのです。言葉が聞けないから、することができません。その上、目まで見えません。完全に希望がないのでした。話をすることができなければ、見ることでもできなければならないのに、見えないので歩き回ることもできなくて、話せないから良くすることもできません。この子を教えたのです。後ほど、この子は博士に成長しました。皆さんがよく知っているヘレン・ケラーです。アン・サリバンという先生が、自分のビジョンと希望を持って教えたのが大きい結果をもたらしたのでした。
■ある人が、自転車屋の主人をしていました。そのままそれだけ継続すれば、自転車屋の主人以上にはなれません。自転車を売ったり、直すこともしていました。それでは、どれくらい儲かるでしょう。ある日、この人が、自分は自転車に乗って世界を通えるのかと思ったのです。この自転車に乗って米国を回ろうとするなら、どれくらい長くかかるだろうか。そうでなくて、空を飛ぶ飛行機を作ったら、一日で行けないだろうか。自転車屋の主人がビジョンを抱いたのですが、その時から、その人のゆえに飛行機ができたのです。世界経済の一切を変えました。皆さん、飛行機がなかったとすれば世界経済がどうなるでしょうか。ひとりが持つ夢、ビジョンがこんなにも重要です。今年は全部、この祝福を皆さんが受けられるように願います。そうすれば、年をとっている、とっていない関係なく、働きが起きるようになります。
■今日、700地教会と私たちの伝道キャンプを思いながら初代教会の復興を見ましょう。教会はなぜ重要だと思いますか。教会が正しく復興してこそ、皆さんも恵みを受けます。今、中国、ロシア、北朝鮮は教会が正しくなかったために、あのようになったのです。また、教会がたくさん復興してこそ、世界福音化となります。これから私たちが釜山を生かそうとするなら、この教会が大きく復興しなければなりません。それで、私たちは700地教会献身礼拝をささげているのです。
■初代教会はどうなったのでしょうか。初代教会は、本当に不思議なことが行われました。法的に防ぐのにもかかわらず、ものすごく復興したのです。使徒2:41に、信徒の数ではなく、弟子の数が三千人と言われています。「そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」すばらしい復興が起きたのです。教会堂もなくて、マルコのタラッパンから始まったが弟子の数だけで三千人です。使徒4:4には男の数だけで5千人。正しいことではないのですが、その当時は、女と子どもは数えなくて、男だけ数えたのですが、5千人だったのです。後進国であるほど女、子どもは無視します。私たちも昔に薬売りが、薬と売る時、子どもたちはあっちに行けと言って追い払いました。お金にならないと思って、あっちに行けと言うのです。だから、その当時は、どうだったのでしょうか。教会に行けば男が多いでしょうか。女が多いでしょうか。女がさらに多いのです。そして、男の数が五千ということは、少なくとも、その時、1万人を越えたということです。こういう復興が起きました。
■聖書の初代教会を静かに見ましょう。使徒6:1を見れば、弟子の数がさらに増し加えられた。このように多いうえに、さらに増えたのです。使徒11:26には、大ぜいの人たち集まりました。使徒17:4にも、大ぜいの人が集まったのです。どれくらい集まったのか、大ぜいが集まりました。本当に不思議です。イエス信じる人々はつかまえて殺すのにもかかわらず、大ぜいが集まったのです。使徒19:10に見ると、ひとりももれなくみことばを聞きました。19節には、多くの人が信じて偶像を燃やしたのですが、値段を計算したら、銀5万枚にもなりました。使徒19:20は、みことばには力があって、驚くほど広がって勢力を得たと言われています。本当に不思議です。使徒17:6に見ると、初代教会がどれくらい働きが起きたのか、告発した人々が何と告発したのでしょうか。世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。ソウルのイエウォン教会で核心礼拝をささげています。そのそばの教会で、キョンヒョン教会というのが一つあります。そちらはどんどん静かになるのに、イエウォン教会はどんどん増えます。それで、とてもねたんで、文書を作って周辺に配りました。イエウォン教会に行くな。異端であるから行くな。なぜでしょうか。とても騒々しい。騒々しいから異端だ。聖書を見れば、世界中を騒がせて来た者たちとあります。
■初代教会も騒々しかったのです。行く所ごとに働きが起きて、ある時は騒動が起きることもありました。使徒28:31に、誰も妨げる者がいませんでした。こういう復興が起きたのです。この鍵は何でしょうか。本当に不思議です。もしマルコのタラッパンに行けば全てから断絶されます。皆さんならば行くでしょうか。もしマルコのタラッパンに行けば、会社とすべての所から追い出されるようになるのです。行くでしょうか。ある軍人は、タラッパンをすると言うと、ひょっとして階級が上がらないかと思って逃げる人もいます。ある社長は、タラッパンするといえば商売がだめになるかと思って嘘をついたりもします。マルコのタラッパンに行けば、無条件に死ぬと言われたら、皆さんならば行くでしょうか。ずっと行ったり、キリストを伝えたら拘束です。皆さんは伝道すれば賞をもらって、祝福も与えられますが、その当時は、伝道すれば拘束されました。一度拘束されて出て、再犯する場合は死刑でした。もし外国に出て伝える場合は、その場で死刑です。捕まえられて連れて来られる必要がなく、その場で死刑だったのです。それで、パウロが現場で石打ちにあったのです。皆さんならばするでしょうか。少しだけ気分が悪くても耐えられないで、小さい損害も耐えられないのに、するでしょうか。それでも、ずっと復興しました。いったいその鍵は何でしょうか。これを皆さんが今日、よく捕まえなければなりません。
■初代教会は多くの現場に弟子が敷かれていました。これを地教会と言います。簡単に話せば、初代教会は平日にみことば運動をする教会が、数千ケ、数万個敷かれていたのです。勝てません。皆さんが今、タラッパンを正しくすれば、チームの働きが何かが分かるようになります。タラッパンを正しくすれば、皆さんがミッションホームが何か知るようになります。今、全世界の人々が伝道すると努めるのに、いくらしても伝道できません。伝道は現場でみことば運動がずっと起きなければならないのです。伝道は、現場で福音の働きがずっと起きなければなりません。これがタラッパンです。そうすれば、20の戦略に連結するようになっています。それで、皆さんが現場が生かすから、地教会ができるしかありません。こういうものを初代教会は数千、数万個作ったのです。だから、迫害とは何の関係もありません。追われれば、追われた所でするのです。もし集まらないようにされれば、家でするのです。だめならば、山に逃げて隠れてするのです。ある時は、洞窟の中でもしたのです。だれが止められるでしょうか。これが初代教会です。だから、恐ろしいほど起き始めたのです。このようにして、すべての現場に伝道弟子が敷かれるようになったのです。
■このようにして、どんなことが行われたのでしょうか。世界で最も優れた組織を持っている国がユダヤ人です。世界で最も強い組織を持っていた国がローマです。この組織がユダヤ人とローマ組織を乗り越えてしまったのです。止めさせられません。これが初代教会です。ここに私たちの役員と一般信徒が目を開かなければなりません。その当時、経済が最も優れた国はどこでしょうか。イスラエルです。ユダヤの国です。皆さんが、お小遣のことをあれこれ言っている時、その時、すでに貯蓄をしています。皆さんは小遣いをもらって、どこで使うかと考えて、もらう時もさらに計算をごまかしてさらにもらおうとします。そのようにしている時、ユダヤ人は子どもたちがお金を貯蓄するのです。そして、皆さんがこれから何するのかを悩む時、その子どもたちは、これからする職業に対する資金をみな用意しているのです。私たちが今、レムナント運動をするということは、正しい福音を持ってそれをしようとするのです。
■世界で経済を大きく動かす国がユダヤの国です。そして、世界で経済が最も強大な国はローマです。あちこちに集まったところごとに宣教献金を集めたので、その国の経済を越えたのです。止めさせられません。こうしたことが行われたのです。これから地教会がたくさんできるのに、皆さんが可能ならば、地教会で世界を生かす経済を集めなければなりません。初代教会がそうでした。ローマとユダヤの国の文化が最も優れている文化です。初代教会はONENESSになって、すべての文化を跳び越えました。それで今年は、現場征服、経済征服、文化征服です。確かに神様は未来のための経済は別に準備されています。神様は、伝道と宣教のための隠れた経済は、別に準備されているのです。神様は世界を動かすエリートのための経済を別に準備されています。これが初代教会です。だから、どんどん増えるのです。今、全世界教会の牧師がこの目が開かなければなりません。いくらしても伝道ができません。教会で騒いでする必要もありません。これだけ持っていれば、自然に働きが起きます。
■この時にこそ、地域、現場、家庭、産業に聖霊が働かれるのです。この時にこそ、皆さんの家庭、家族、子どもにいのちの運動が起きます。この時にこそ、皆さん個人に癒しの力のみわざが起き始めるのです。どのように復興するかもしれないのですが、これが初代教会です。そして、今、私たちはこれをするということです。復興させようというのではありません。皆さんがいる所で答えを受けなければなりません。皆さんがいる所で暗闇の勢力が崩れなければならないのです。皆さんが行く所で、暗闇の組織、経済、文化が崩れなければなりません。これが初代教会です。ですから、答えはもちろん、大きい組織で世界を生かさなければなりません。釜山でこのような所を700ヶ所作ります。今年のメッセージを聞く各教会は、みな準備するように願います。今、それぞれのインマヌエル、全世界の弟子たちが、みんなこの契約を捕まえなければならないのです。
■さらに重要な奥義3つがあります。どんな奥義秘密なのでしょうか。この地教会の現場で聖書を詳しく見れば、役員が敷かれています。皆さんが最も祝福を受けなければならない人が役員なのに、そうでなくて、最も試みにあう人が役員です。だから、初代教会を見ましょう。役員が祝福された現場に敷かれていました。それで、こういう祝福を私たちのインマヌエル教会とタラッパンで回復して、全世界を生かそうとするのです。
■二番目を見ましょう。こういう重要な現場に女の役員が敷かれていました。教会は女が多いでしょうか。男が多いでしょうか。私たちの教会はそうではないのですが、普通、女が70%、男が30%です。皆さんが女性に対する目だけ開けたら、教会は70%復興します。今日、大邱に行って話そうとするのですが、今、役員も試みで捨てられていて、女性らも仕事を探せないで捨てられています。町に行けば、ユダヤ人の商才という本があります。ユダヤ人がどのように商売をしてお金を儲けたのかに対することです。そこに出てくる色々な中に、重要な戦略があります。その戦略の中一つが、女を狙え。女を相手にできると、お金が儲けられるのです。それほど、女が多いのです。イエス様のメッセージをよくわかったのも女性でした。イエス様がベタニヤにおられた時、一人の女性がきて頭に油を注ぎました。それはものすごいメッセージです。王、預言者、祭司長にだけ注ぐことで、また死を象徴する時に注ぐのです。突然に女が油を注いだので、男の弟子が怒ったとなっています。その高いものを、そのように注ぐのか、そこで最も怒ったのはユダだったでしょう。財政を担当していたので、悪口を言ったでしょう。イエス様は、この女が最も重要なことをした。この福音が全世界に宣べ伝えられる所ごとに証しされるだろうと言われました。メッセージも女性が先に悟りました。そして、イエス様が十字架で処刑された時、男の他の人々はみな逃げました。その墓まで油を持って訪ねて行ったのが女性でした。そして、パウロの働きを正しく助けた人々が女性でした。
■ソウルに行けば、一番復興した教会の中一つがサラン教会です。このオク牧師が頭を使ったのです。全部女性で、素敵な女性でした。成功した家、国会議員、警察幹部夫人を呼んだのです。女伝道師をしなさいと言いました。全部、長官夫人、国会議員夫人、教授夫人に伝道師をさせたのです。この人たちは、お金も多いから、お金をくれということも言わず、楽しいから通うのです。このようにして、江南を生かしたのです。申し訳ないのですが、以前に見た女伝道師は黒いカバンを持っていました。夫も死んだり、いなくて、女伝道師でもしようとしながらカバン持っているのです。私は以前にも、女伝道師とチームを組んで、やむを得ず通っていた時も恥ずかしかったのです。置いて行くと思って、上から必ず一緒に行きなさいと言われたので、行かざるをえなくて行くのですが、女伝道師は必ず黒いカバンを持っていました。
■私は副教役者を長くしました。本当に伝道しようとするなら、教会に行く時間もありません。そうでしょう。皆さんが大学のようなところは、始業して2週間が黄金期です。その時は、家にも帰らずに行かなければなりません。すべての分派、団体、金正日の部下が、その時みな入って行って捕まえるのです。だから、正しく目が開かれた人は、初めの時は、家にも帰らないほど、そこいなければなりません。教会は女の聖徒たちをみなのがすのです。だから、なるはずがありません。今年、タラッパンでは女勧士、按手職位を通過させました。男性は訓練もよく受けないで、信仰もあまりない人を按手執事に立てて按手を与えます。思い切り伝道した女性は受けられないので、どれくらい非聖書的でしょうか。それで、私が総会に指示しました。女性にも按手をしなさい。そして、これからこの運動を正しくする女性がいるならば、牧師に立ててもかまわない。本当にタラッパンから始めて、こういう実が正しく実るなら、させてもかまわないのです。こういう実が正しく実るなら、長老に立てなければなりません。投票してたてるのが問題ではなくて、こういう実が正しく実った人です。初代教会はこういう人々が敷かれたのです。こうするから生き返るのです。皆さんこの目だけ開かれても、教会は生かされるようになっています。
■そして今、副教役者はどこへ行くのでしょうか。副教役者は三つの中の一つです。完全に黄金漁場に派遣されます。完全に死角地帯で派遣されます。そして、副教役者はタラッパンから始めて地教会が自ずからできる時まで、実が実らなければなりません。皆さんが何箇所だけしてみれば、このように実ってくるでしょう。それなら、副教役者が万人になっても関係ありません。そうではない副教役者が万人がいるならば、ひとまず万人の謝礼がなければなりません。そのような実が全くなくて教役者が多いならば、皆さんの献金で謝礼を皆、出さなければなりません。世界福音化どころか、経営難がきます。しかし、こういう答えを持った副教役者がいるならば、行く所ごとに働きが起きるのです。これが初代教会です。このことがなる時、それからは、神様が奇跡の門を開けて、すべての門を開けて下さるのです。これが700地教会、キャンプ献身礼拝をささげる答えです。
■結論を結びます。キャンプで最も重要なのが何か分かるでしょうか。ある地域でずっとキャンプをしていれば答えが出てきます。キャンプをしていれば、どこに定着をすべきなのか知ることができます。この答えが出てくるのです。これがキャンプの最初です。そして、キャンプをしてみれば、ここで継続的な弟子が起きて、再生産されるみわざが起きます。これがキャンプです。そうすれば、それからは各地域に多くの地教会が立つようになります。このことが集まって、世界宣教もして、祈りと献金も集めて働きが起きるのです。それで、私は開拓をする人々が、こういう段階ですることでなければ、開拓をしてはいけないと思っています。私がどこへ行けば良いかと尋ねる副教役者もいますが、尋ねる必要がありません。この答が自然に出てこなければならないのです。皆さんが本当にキャンプをすれば、この答が出てきます。
■ある時は、一日に何百名も救い出します。ある時は、数年したら大きい地域が生き返ったりもします。これを悟った人が学校に入ってこそ学校福音化ができて、軍に入れば軍福音化をすることができます。これはものすごい力です。それで、あなたがたは王である祭司、聖なる国民、この光を宣べ伝えるために呼ばれた。今日、核心メッセージで語りますが、皆さんが行く所ごとにすべての呪いが崩れる祭司の祝福。王である祭司。不思議に皆さんが行く所ごとに呪いが崩れます。皆さんが行く所ごとに救いの働き、聖霊の働きが起きるのです。皆さんが行く所ごとに暗闇の勢力が逃げて、主の天使が動員されるようになっています。王である祭司。いよいよこれを味わうようになるのです。
■皆さんが王です。そばの人を一度見ましょう。皆さんは本当に王女と王子です。王女病でなく、職業病です。王女でない人が王女になろうとするのが、王女病です。大統領でないのに大統領なりたくて、いつもおかしなことをする人が大統領病です。盧武鉉大統領は、大統領病でなく、したくないというのは職業病です。皆さんはすでに王になりました。それで、この(今日のメッセージの1、2、3、4番)目だけ開かれたら、これ(祭司、預言者、王)がくるのです。こうすれば生きがいを感じるのです。前はいつもお金を心配したのですが、経済が集まり始めます。お金をくれという言葉もしなかったのに、この答えが来ます。私は昔、先祖の時から家一軒もなくて、大変な思いをしたのですが、神様が家の祝福を与えてくださいました。病魔に苦しめられたのですが、神様が健康を与えられました。不思議に、この目が開かれると、このような霊的な祝福がくるのです。この時にこそ、信仰生活するのが良いのです。そうでなければ、未信者よりさらに難しくなっておかしくなります。未信者はほろびてもおかしなことでもするでしょうが、信者はそれもできなくて変です。後ほど私たちは両側から殴られるのです。神様の子どもだから神様に殴られて、外に出て行けば悪魔に殴られて、ずっと殴られるのです。だから物事がなるでしょうか。皆さんが今年、この祝福を回復されなければなりません。
■副教役者もたくさんおられるのですが、心配することは全くありません。皆さんが今、タラッパンをする教会に会った瞬間、今から目を開いて見るのです。今、黄金漁場と死角地帯を見ているならば、三個の中の一つで、皆さんがタラッパンから地教会まで答えられるでしょう。人間的な話をします。皆さんがどこかへ行くのに、弟子が100人以上起きます。そのような所が、色々な所で起きます。どうなるでしょうか。謙虚に福音を伝えていれば、どうなるでしょうか。そうすれば、一番最初に信徒が知って堂会院が分かります。こういうしもべがいるのか分かるようになるのです。皆さんが行く所ごとにみな崩れて、いた人が逃げて、よく通っていた人が家出して、皆さんの予算も足りなくて、そうするうちにどんどん問題が起きて、お金もなくて、家もなくて人がおかしくなるのです。皆さんが答えをのがすと、このようにおかしくなります。もし一般信徒がこの祝福を悟ったとすれば、ガイオのようになるでしょう。本当にプリスキラ、アクラのようになります。そして、一般信徒の祝福を受ければコルネリオを見ましょう。軍の中を生かしました。コルネリオは、間違いなく、軍の中でメッセージを伝えたでしょう。こうしたことが行われるのです。さらに重要なのは、皆さんの目に見えないものすごい答え(祭司、預言者、王の祝福)が起きるのです。くださいとも言わなかったのですが、この答え(祭司、預言者、王)がくれば皆さん全体にこの答えがくるようになります。この祝福を回復しなければなりません。必ず回復するようになることを願います。当然なるでしょう。一つ目だけを開けたら。初代教会の祝福の目を開いて2007年度には皆さんが世界を生かす門が開かれるようになることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。当然、受ける答えを受けられるように目を開いて下さい。もう今年は世界を生かす答えを与えて下さい。それよりさらに重要な、私を生かす答えを与えて下さい。700地教会の大きいみわざが起きると信じます。生きておられる主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン