2007年2月4日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/苦しみのうちに、私が主に
(詩120:1〜7)

■私が若いころ、親しい友人がいました。勉強もよくできて、しばしば会って話もする友人でした。18才の時だったと思います。その友人は私より一才若かったのですが、夕食をするのに友人が訪ねてきたということでした。食事が終わったのでスリッパをつっかけて、友人と話をしながら出て行ったのですが、その後、今まで現れないということです。一番心が痛む人は彼の家族です。その人のお母さんは、ひょっとしたら子どもがまた戻ってかも知れないと考えて、引っ越しをせずにいるということです。死んでいるなら、死体でもあるはずですが死体もなくて、生きていれば連絡でもあるはずなのに連絡もないのです。遠く出て行ったのでもなくて、夕食後にそのまま友人と話しながら出て行ったので、その友人の顔もあまり見なかったということです。今、どれほど多くの歳月が流れたでしょうか。ところが、今でも連絡がないのです。世の中には、本当に変なことが多いのです。
■世の中には良いこと、幸せなことも多いのですが、予想できないことも生じます。建物の中にいるのに、だれが建物が崩れて死ぬと考えることがあるでしょうか。ある夫婦は公園に座っていたのに、ある人がきて何の理由もなく、刃物で刺して殺したのでした。そして、逃げてしまいました。問題は、残った子どもたちが理解できないことです。子どもたちがショックを受けたのですが、このショックが消えなかったのです。親戚がきてご飯も作り、手助けしました。新聞で見たのですが、どこかに行くこともせず自分たちどうしで集まって暮らしていたのですが、両親が死んだことは確かに分かるのですが、服などを残して、においをかいだりしてそちらに暮らしているということでした。本当に世の中には変なことが多いのです。
■私たちは、また予期しない病気にかかって苦労したりもします。健康だと思っていたのですが、ある日、見たら病気になって困難な目にあいます。今日の詩篇120篇は、イスラエル民族が捕虜から出て起きる問題です。簡単に話せば、避難民のように戻ってくる過程で混乱するのです。この時、悪い人々が困らせて、殺したりする時が背景です。その人々が理由なく、戻るのを邪魔して、神殿を作るのを邪魔しました。本文の4節を見たら「勇士の鋭い矢」と言われています。その言葉は、罪がないイスラエルの人々に矢を撃って殺したということです。そして「えにしだの熱い炭火」と言われています。「えにしだの熱い炭火」の特徴は、火がつけば赤くならずに、黒くなって焼け続けるということです。一度、火がつけば1年間焼け続けたりもするということです。完全になくなる時まで焼けるのです。まるでそれと同じだということです。過ぎ去りながら事故を起こすのでなく、最後まで付いて回りながら殺して困らせる人々がいたのです。
■ 5節で明らかにしているのは、メシェクに寄留し、ケダルの天幕で暮らすとはと言われています。メシェクに寄留する者はヤペテ族ですが、黒海に住んでいたとても悪い民族です。アブラハムが不信仰をして息子が一人生まれました。その息子の名前がイシュマエルです。そのイシュマエルの子孫は、今でもイスラムで、問題を起こす張本人です。この子孫がアラビア側に集まってずっとイスラエルを困らせたのです。その人々が、ケダルの天幕で暮らす者だということです。こういう場合に、どのようにすべきなのでしょうか。それは昔の話だと思うでしょうが、今でもそうです。今でも世の中にはおかしな人が多いのです。
■この頃のニュースを見れば、子どもたちを誘拐する人が多いのです。大邱では、カエルを捕りに行った子どもたちを捕まえて殺す事件がありました。通学する子どもたちが学校に行ってバスからおりたのに、いなくなったのです。こういう変なことも世の中には多くあります。とうてい理解できないことです。世の中には、私たちが常識では理解できないことがとてもたくさん起きます。またある人々は、子どもたちを連れていないのに、連れているからお金を持ってこいと要求する人々がいます。お金が最高だと思っている人はこのような形で犯罪を行うのです。また、こういう人々は法律でよく処理すれば減ることもあるでしょう。これよりもっとひどいのが、目に見えなく、人のためにどれくらい困難にあうかわかりません。私たちが生きていく間に、心配せずに簡単に生きていけば良いように見えるでしょうが、起きる問題がとても多いのです。犯罪を行う人々は、悪魔に捕えられた人だと言われますが、一般的に私たちに問題がとても多いのです。
■今、世界で一番福音を一番よく伝える団体が私たちの団体だと確信しています。そして、集まった人々が使命者だと確信します。そのような方々も、静かに見れば自分たちどうしものすごく戦っています。密かに全く表に出さないで競り合っています。牽制してお互いを引き下ろすことを仕事にして、さらにがんばるのです。理解できません。同じ信仰の人どうし、互いに譲歩して手助けすれば益で、それは返ってくるしかありません。信仰はともかく、計算もでき人です。なぜならば、相手方に良くしてあげて譲歩すれば、後ほど私に益です。相手を少し難しくさせて私に益になれば、後には損です。信仰以前に頭が悪いのです。信仰がないならば、頭でも良くなければなりません。
■私が自分の周囲に近く置く人は、正直な人々です。私は伝道を30年しました。15年間、この団体を引っ張って来ています。ところで、ほとんどみなだますのです。正直にする人がほとんどいません。ちょっと無能でも正直にする人をそばに置くのです。なぜでしょうか。神様は能力ある人が必要ではありません。神様は実力ある人が必要なのではないのです。神様が全能だからです。神様に必要な人は、信仰があって、神様の前に正直な人です。ところで、ほとんどみな違うのです。一番難しいのが人です。さらに難しいことがあります。
■職場と教会でおきることは耐えれば良いのですが、家庭でおきることはさらに難しいのです。他人に話すこともできません。妻が変で、夫が本当に変だと通いながら宣伝することもできなくて、悪口を言うこともできなくて、それでも捨てることもできません。だれかが買っていくこともありません。これは普通の問題ではないのです。人が生きていくのに一番難しいのが人です。それで、一時、大学で流行した言葉が、悪口を言う時一番ひどい悪口が「豚のような奴」ということでなく「人間」だったということです。動物より劣っているということです。全く難しくなくてもかまわないことが、人のゆえに難しくなるのです。
■こういう苦しみにあう時、この人達はどのようにしたでしょうか。今日の本文1節に、このように出てきました。「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」もし皆さんが祈りだけできるならば、全てを回復することができます。神様が救いの次に皆さんにくださった大きな贈り物があるのですが、それが祈りです。もしここにおられる方が祈りだけ回復できるならば、全てを回復することができます。
■私が私の息子にこういう話をしたことがあります。「朝、昼、夕に1分ずつだけ祈りなさい。そうすれば、3分だ。3分だけ祈ってみなさい。そうでなければ10秒ずつだけでもしてみなさい。本当に朝、昼、夕に神様に10秒ずつだけ祈ってみなさい。米国を変化させることが起きるだろう。」人々が一番祈りをよくするように見られるのですが、祈りを知りません。そして、クリスチャンがまったく祈りもしないのに、何かがあれば「私たちの祈りでもしてみましょう。」と言います。どこかから出ていく時、よく使う言葉です。本当に祈りだけ回復できるならば、みな回復することができます。神様は霊ですから、現れる方法が直接ではなくて、聖霊で働かれるのです。証拠は数えきれない程多いのです。
■創世記13章を見れば、アブラハムの家にずっと問題が起きました。おいのしもべと自分のしもべがお金のためにけんかをしたのです。このようにけんかをするから、とても変で、アブラハムがおいに譲歩したのです。「どうしても、お前と私は戦ってはいけないから、別れて、その代わり選択をお前が先にして、お前が山を選べば私は平地に行って、お前が平地を選べば私は山に行く。」と言いました。そう言われたので、おいロトは平地を選択しました。創世記13章18節を見れば、アブラハムが山で神様に祭壇を築いて祈り始めたのです。歳月が流れた後に、アブラハムにはしもべの歩兵が318人もいました。戦争が起きておいロトは捕虜になりました。これが皆さん見るにはただの事件だと見えるでしょうが、そうではありません。私たちは目に見えることだけ話して生きているからであって、祈りほど科学はありません。私と皆さんのたましい、考えがあるから、祈りほど重要なことはありません。
■あまりにもヨセフが大きい困難にあいました。どのように兄が弟を殺そうとできるでしょうか。実際、殺そうと落としたのですが、水がなかったので死ななかったのです。すると、兄たちが弟を奴隷に売り飛ばしたのです。ヨセフには何の対策もありませんでした。ヨセフが何をしたのでしょうか。ずっと祈ったのです。祈る中にヨセフにものすごいことが起きました。モセプ、ヨシュア、カレブが難しいことをどのようにしたのでしょうか。祈る人でした。皆さんがもし祈りだけ回復できるならば、みな回復することができます。なぜでしょうか。神様の子どもであるためです。確かに祈りは科学です。聖書に祈りの答えに関する話がたくさんあります。祈りは簡単に回復することができるのです。礼拝時間に神様のみことばだけよく聞いて祈っても、答えがとても大きいのです。
■皆さんが少しだけ時間を定めて神様に祈れば、すばらしい答えがきます。表に出す必要もなく、いつでも祈れば良いのです。断食祈祷よりさらに力がある祈りが、常時祈りです。何でもないように見られるのですが、特別祈りより大きい祈りが生活の中でいつでも祈ることです。すばらしい答えが起きます。神様が皆さんに祈りることができる大きい祝福を与えられました。「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」祈りが難しいと思うでしょうが、全く難しくありません。皆さんは神様の子どもであるために、心より決心してするのが祈りです。文字を作ってする必要もありません。確かに皆さんは福音を悟ったので、神様の子どもです。キリストという言葉をわかったので、皆さんは運命とサタン、暗闇とは関係がなくなってしまったのです。そのまま祈れば良いのです。
■皆さんがとても困難にあう時「神様、私が困難にあっています。」それが祈りです。とても大変な時は「神様、とても大変です。」と言うことが祈りです。「このようなことが必要です。」と言えば答えられ始めます。いつでも3日だけずっと祈りをしてみましょう。そのまま思い出せるまま、目に見えるまま、内心で祈りをすれば、不思議に思えることが起きます。ひとまず健康にすばらしいことが起きます。体験をしてみなければなりません。私は単に道を歩きながら祈ったのですが、答えを受けたことが多くあります。「神様、なぜ私たちには教会堂がないのですか。悪いことをする未信者も家を持っているのに、神様が教会堂を下さい。」と言いました。そして過ぎ去るところに工場が一つあったのです。「このようなところが教会になれば良いです。」と言いました。一度しか話さなかったのですが、そちらが私たちの教会になったのです。神様は皆さんすべての歩みを導いて祈りに答えられるのです。
■ある時は、危機が迫ってくることもあります。偶像崇拝しないと、政治的にシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが殺されるようになりました。神様は奇跡を起こして彼らを助けられたのです。ダニエルは、一日に三回ずつ神様の前にひざまずいて祈ったと言われています。国家に驚くことが行われました。皆さんが本当に祈りを回復できるならば、全てを回復することができます。皆さんが本当に不信仰を捨てて回復できるならば、すぐに回復します。この言葉の共通点が何でしょうか。私たちは私の考え、私のレベルをそのまま持っているのです。それを捨てるのが祈りです。なぜでしょうか。神様の力と答えと祝福はより大きいためです。叫んだということは、ニュアンスが切実にしたということです。「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」皆さんが祈りの答えを体験する祝福が本当に起きることをイエスの御名で祝福します。
■核心の時に話しました。今、釜山にいる家族が共に座って礼拝をささげています。その子どもも一緒に座って礼拝をささげています。そのお母さんの証しです。そのお母さんは、すでに亡くなりました。そのお母さんが、昔に両親が嫁に行くと言って、新郎の顔を一度も見ずに嫁に行ったということです。寺で結婚式をしたのですが、この人は両親にこっそりと隠れて教会に通っていた信仰人でした。嫁入りしてみたら、普通の問題があるのではありませんでした。その時から、この方が何も表に出さずに内心で祈りました。ふき掃除をしながら、洗濯をしながら、食事の仕度をしながら祈ったのです。ご飯をよそう時、十字架を描いたということです。ご飯をよそうときに、舅が救われるようにしてくださいと祈ったということです。
■ところで、ある日、こういう答えがきたということです。「こうしているのではなく、私が先に教会に行かなければならない。」それで、その方が教会に行ったということです。これを知って、家で大騷ぎが起こりました。人が霊的な問題で感情が食い違えば、おかしなことをします。舅が、教会に行ったからと棒を持ってきて殴って、そのまま殴ったということです。その知らせを聞いて、夕方には夫が酒をいっぱい飲んで刃物を持ってきたのです。とても正しい言葉のように「あなたがイエスを信じたせいで我が家に問題がきた。教会に行かなければ良いのに、いたずらに行ったせいで我が家に問題が来たのではないか。教会を行くのか、そうでなければ私の手で死ぬのか。我が家がこのようになったので、家庭になるか。私はお前を殺して私も死んで私たちは終わろう。」と言ったということです。すると、この執事がひざまずいて「私はこの家のあなたと舅、みな尊敬して愛している。私はこの家にくる前からイエスを信じる神様の子どもです。それを防ごうとしてはいけない。」と言ったのです。すると夫が刃物を床にさして出て行ったということです。
■困難が予想できるでしょう。それでも、この方はずっと何も表に出さずに祈ったのです。神様はどのように答えられたでしょうか。今、その娘が礼拝に参加しています。舅、夫、全部、長老になりました。突然になったのではなく、イエスを信じてなりました。釜山の人は皆知っています。何年か前に亡くなったのですが、龍頭山公園で、毎日伝道するおじいさん、その方が長老でした。嫁が教会に行くと棒で殴ったその舅です。その方が、神様の前に悔い改める気持ちで毎日弁当を持って龍頭山公園に行って伝道したのです。一日も欠かさずに、継続して、新聞、雑誌にも何度か記事が載りました。私も行ってみたのですが、変にするのではなく、本当に上手にしていました。歌も歌って、集まれば説明もしました。内容も一理あるように、よく説明していました。ひとりの祈りがどれだけ影響を与えるのでしょうか。
■皆さんがいくら困難にあっても、神様の前に祈ることができる資格があるから、何も恐れる必要がありません。さらに重要なことがあります。苦しみにあっているように見られるのですが、そこには神様のより大きい計画が入っているのです。イスラエル民族が解放されて出ることが重要なのではなく、本当に福音を悟ることが、神様のより大きい二番目の計画です。祈れば答えられるのですが、神殿を作るのが問題ではなく、真の神殿を作ることがさらに重要です。こういうものを神様は悟るようにされるのです。私たちはどうなのでしょうか。困難がくれば怖くなります。しかし、困難のためにより大きいことを悟ることができます。ある時は、想像もできないことが起きることもあります。そこには、より大きい神様の答えが入っているのです。
■皆さんが知っているでしょう。弁護士でとても知識人で賢い方が米国にいました。青天のへきれきのような連絡がきたのです。自分の妻と息子二人が船に乗って行って、相手の船とあたって、夫人は救い出されたので、病院にいるのですが、息子二人は水に落ちて死んだという連絡が来たのです。このスパフォードという人が船に乗って夫人がいる病院に行くようになったのです。その時、神様に「これは、いったいどんなことですか。」と祈ったのです。自分の知識と経験をみな神様の前に下ろしました。私たちがいくら熱心に生きて、良くしていても、こういう問題が起きるから、全てをみな下ろして神様の前に祈り始めたのです。福音を悟るようになって、神様の恵みを悟るようになって、多くを回復しました。その人が作った賛美が470番の賛美です。この賛美が全世界に広がって多くの人を生かしました。たとえ子どもをなくす残念なことが行われたとしても、この方にはより良い子ども達とより大きい祝福を神様が備えておかれたのです。
■クロスビーという人は、元々、目が見えなかったのではなかったのに、盲人になりました。そのために神様にすばらしい恵みを受けたのです。普通の人より、すばらしい多くの業績を残す信仰人になりました。それで、皆さんが歌う賛美の中で良い賛美歌は、ほとんどみなクロスビーが作った賛美歌です。神様は私たちに困難を与えるように見えるのですが、苦しみのように見えるのですが、そこに神様の重要な計画が入っているのです。「苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。」
■最後の三番目です。さらに重要なことがあります。詩篇120篇を見れば、都上りの歌となっています。この言葉は何の話なのでしょうか。苦しみにあうのも重要で、苦しみに勝つのも重要ですが、会わないのがさらに重要です。都上りの歌という言葉は、普段の時に神様の恵みを受けることがとても重要だということです。問題がきて恵まれることも重要ですが、くる前に恵みを受けるのがさらに重要なのです。ですから、都上りの歌としたのです。皆さん、なぜここで礼拝をささげるのでしょうか。私たちは重要なことを知っているためです。
■分かってみれば、この世の多くの犯罪、殺人、変なことが全部、暗闇がすることです。正確に話せば、人を殺して自殺するのが、全部、サタンのしわざです。銃を持って色々な人を殺して、自分も自殺してするのが全部、精神的な問題です。地球上にどんどんこういうことが起きるでしょう。私たちはこういうものと反対になる聖霊の働きを知っているのです。それで、今日、礼拝をささげることがかなり重要なのです。毎週礼拝して、神様の祝福を受けるように願います。それなら、これよりさらに重要な時間はありません。
■私たちが知らずにいるのですが、礼拝する時間に、すべての災いが離れたら、これがどれくらい重要なことなのでしょうか。皆さんが恵みを受ければ、暗闇の勢力がみな逃げるとすれば、これがどれくらい重要な時間なのでしょうか。私と皆さんがこの祝福を味わえるならば、すべての問題がきても勝てます。私たちが病気になって、よくなれば真に幸いなことです。しかし、それより健康に生きるということがさらに重要です。私たちが苦しみの日に主に祈れば、答えられます。私たちは苦しみを通して神様の計画を悟ることもできます。しかし、さらに重要なのは、都上りの歌という言葉は、私たちが礼拝を通して神様に力を得るのがさらに重要だということです。この祝福を必ず受けるように願います。神様の子どもにくださった祝福がどれくらい大きいのでしょうか。この祝福を味わうのです。この祝福が礼拝をささげる時、一番たくさん起きます。皆さんがキリストという言葉をわかって、なぜキリストを送られたかがわかれば、神様の子どもとなります。
■それでは、皆さんの中に、周囲に、皆さんが行く所ごとに聖霊が働かれるようになっているのです。それを悟るのが礼拝です。それを味わうのが力です。これほど重要なことはありません。そして、少しだけ祈れば、皆さんが行く前にここに座っている時、神様の天使を全地域に送られます。これが信じられるでしょうか。これが聖書で最も重く話している部分です。神様がモーセに先立って主の使いを送られました。祈りは霊的に目に見えない科学です。皆さんが行く所ごとに祈る時、周囲の暗闇勢力が全部うち砕かれます。どれくらいすごいのでしょうか。そうすれば、福音を悟ったということは、みな悟ったということです。皆さんが神様の子どもになったということは、すばらしい祝福を受けたということです。今日、この契約を堅く捕まえるように願います。
■世の中には苦しみが起きる事もあり、問題がくる事もあり、多くの難しいことがくることもあります。その時「私が主に呼ばわると、主は私に答えられた」となっています。皆さんが祈りの力だけ持っているならば、どんな問題も勝ち抜けます。さらに重要なのは、その困難を通じて神様の重要な計画を発見することができるのです。しかし、さらに重要なのは、今日詩篇120篇にある通り、都上りという言葉は、普段の時に恵みを受けると、このような問題にあわないで多くの答えを味わえるということです。この力を得るように願います。とても難しいことではないのですかと聞くかもしれませんが、難しくありません。
■「主を待ち望む者は新しい力を得ます」詩篇81篇にこのようになっています。「主を求めなさい。彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向ける。主に聞き従いなさい。神様が奇跡の力の手を広げます。」となっています。ダビデの告白を見れば「私の力なる主よ」幼い時、羊を飼う羊飼いだったために「主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません」軍人だった時は「主は私の盾で、私のやぐらだ。」王になった時は「主は王です」人生をみな片づける時は「私の力になる主よ。私は主を愛します。」と言いました。ダビデが最後に息子にこういう話をしました。「あなたは男らしくなりなさい。そして、主を知りなさい。」もしダビデ王をこの席に呼んで証しさせたら、何を話すでしょうか。まちがいなく、主を知りなさいと言うでしょう。少しだけ見上げれば良いのです。
■今から、何か問題があれば、問題解決も良いのですが、その問題をおいて一日に簡単に3度だけずつ祈れば、皆さんの人生が変わります。一番良い方法は、食事の時にするのです。皆さんがご飯はちゃんと食べるでしょう。ですから、食事時間に神様に祈りましょう。私は食事時間だけでなく、一日中安らかに祈っても答えを受けます。この答えの味わうようになれば、私たちは力も生じ、神様がくださる力ができるのですが、他の角度が見え始めます。それで、今日、この祝福を必ず受けるように願います。
■私たちの長老、役員、多くの執事が社会生活するのに、どれくらい難しいでしょうか。何か他の力がなければなりません。それで祈れとなっているのです。私たちは世の中の人々と同じように競争しながら戦えません。私たちのレムナントが外に出て行って未信者らのように生活できないのです。牧会をすること、教会堂は、やさしいことではありません。何か力がなければならないのです。この力を回復するように願います。それで、毎日、勝利する皆さんなることをイエスの御名によってお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。真の福音を知る神様の子ども達がこの席に集まりました。また、全国の教会で、全世界の弟子が一緒にメッセージを聞いています。真に苦しみの日に祈る、祈りの力を与えて下さい。苦しみの中に神様の計画を発見する祝福を与えてください。さらに重要なのは、神様が与えられる力を得て勝利する聖徒になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/苦しみはレムナントに大きい祝福になる
(詩120:1〜7)

■困難にあってみれば、その人がどんな人なのかがよく分かります。家庭の困難にあってみてこそ、賢い主婦が分かると言われています。そして、暴風に会ってみれば良い船長が分かるということです。そして、戦争に会えば、良い将軍が分ると言われます。良い時はよく分からないのですが、難しい時に見れば、その人がどんな人なのか分かるようになるのです。もう一つは、その人がどんな思想を持ったのかにしたがって、未来には変えられないほど左右されます。それでレムナントは、その部分を必ず銘記しなければなりません。
■私の弟子の中にとても着実で勉強も良くできる子がいました。ところで、残念なことにその時は私が知らなくて福音を深く植え付けることができなかったのです。この子がソウル大学を入ったのですが、ある日、人が変わってしまったのです。いくら話をしてもだめでした。ソウル大学を行って人に会ったのですが、金日成の主体思想を学んで来たのでした。いくら話をしてもこの子がずっと否定するのでした。民族は重要だが民族主義のようなものは16世紀の思想だと話をしても、ずっと否定しました。「私の民族」こういうものは16世紀の思想です。18世紀に入って19世紀にきて、それから出た人、世界化に乗り出した人々が勝ったのです。正確に話せば、日本、韓国、中国、全部だ隣で家族です。金日成の主体思想が頭の中に入ってしまっていくら話をしてもわからなかったのです。それで、レムナントの時に福音が入らないで他のものが入れば、一生の間、変わらないということを分かりました。
■その人は、今でも変わらないでいます。いくら悪いことをしても、その人々の肩を持って、絶対に悪いことではないと言うのです。「私たちの民族、こういうものは良い、しかし、悪いことはしてはいけない」と行っても、大丈夫だと言いました。後には、ほとんど精神病の水準になってしまいました。ソウル大学は、悪い大学でもないのですが、この人はまだ就職が出来ずにいます。今は礼拝をささげているかどうかも分かりません。
■それで、人がレムナントの時に考えに誤って入ってしまえば、とても困るのです。信仰を正しく知らずに揺れれば、エホバの証人がくっついて、しつこくくっついてきます。青少年が聖書箇所を一つも知らないので、聖書箇所を示しながら出てくるのです。エホバの証人が集まってする話があります。「長老教の表札を付けた家だけ訪ねて行きなさい。一番揺れているのが長老教だ。」このように教えます。ある時、エホバの証人が私の家にきました。ちょうどその日は私に時間が少しあったのです。出てみたら、長老教に通っているのか尋ねました。それで、そうだと言ったところ、聖書勉強を少ししましょうと言いました。長老教は全部、みんな聖書をよく知らないと言ったのです。それで入って来なさいと言いました。
■その人々と聖書勉強の話をしようとするなら、時間が長くかかるから、初めから弱点をつかんで話しました。「さっき入ってきながら、長老教は聖書をよく知らないと言ったけれど、長老教をみな確認をしてみたのか? ,私が長老教で、あなたはエホバの証人であるから、私が尋ねるとおりに返事をしてください。そのようにするか?」と言ったところ、そのようにすると言いました。絶対に嘘をつかずに、私が尋ねるとおりに返事をしてくださいと言いました。そして、エホバの証人らしく返事をしなさいと言ったところ、そのようにすると言いました。それで、聖書66巻を文字一つ抜かさずに読んでみたのかと尋ねました。エホバの証人は、聖書をみな読まないで、部分の部分を引いて利用します。その人は善良だったので、嘘をつかずにみな読んでみたことはないと言いました。
■それで「聖書を一度も読んでいない人が、どうして聖書勉強をしようと言うのか。そして、長老教にみな会うこともせず、長老教はみなそうだといっても良いのか。私がどれだけの聖書を読んだのか知って、どうしてそのような形で話をするのか。聖書を一度もみな読んでみたことがなくて聖書勉強をしようといえば、悪いことではないのか。行って聖書を創世記から黙示録まで一度程度読んで、イエスが誰なのか調べてみて話をしなさい。」と言いました。そして、出て行けと言ったところ、出て行きました。しかし、出て行きながら悔い改めるつもりはなくて、私を見つめながら、聖書をもっとよく知っている人を連れてくると言いながら出て行きました。それで、みな連れて来なさいと言いました。それ以後は、どうなったのか来ませんでした。人は片方の話を度々聞けば、その話が正しいように聞こえます。
■エホバの証人は、イエスがキリストでないと主張する人々なのですが、その話を度々聞けば正しいように聞こえます。しかし、こういうものがレムナントの中に入ってしまえば、出ていきません。それで、レムナントの時に度々みことばを正しく聞いて、本も読まなければならないのです。
■レムナントが注意しなければならないことは、心に精神的に隙間ができれば、この隙を見て入ってくるのです。この隙は単なる隙ではなくて、穴が空いたのです。それで、両親がいなかったり、一人でいる時、多くの隙ができます。このような時は、何でも入って来る隙ができるのです。海外でもレムナントがいるのですが、これは一生を左右することができます。エペソ4:27を見れば、実際に見れば悪魔に機会を与えないようにしなさいと言われました。サタンはいつでも隙間を利用して入ってきます。一度倒れ始めれば、レムナントがとても苦労するのです。
■そして、レムナントが注意しなければならないことは、外に出て行ってみれば、麻薬をよくする所があります。ある場合は、ほとんどみなしています。まだ韓国ではそうでないのですが、外国やヨーロッパに出て行けば、自分が普段に尊敬していた人なのに、知ったところ、その人もして、子どもたちが集まってするので、自分一人で仲間はずれになります。そして、特に芸術のようなものをする人々は麻薬をよくします。このようにして始める麻薬が一生をだめにしてしまうのです。それで、青少年のレムナントが、こういう部分をよく知って、跳び越えなければなりません。
■そして、青少年がよく知らないながらお金に対する誤った考えを持っています。お金に対して教育を受けたことがないのです。それで、お金があれば良いと考えています。ですから、売春婦のようなことをする子たちも多いのです。男子学生は、窃盗をする学生たちも多くいます。お金があれば良いと誤って習ったのです。そうではありません。
■私たちの教会は、お金があるからするのではありません。皆さんが1人ももれなく心を集めて祈りを集めて世界福音化をするのであって、ただお金でするのではないのです。そして、韓国はまだ後進国なので、そうなのですが、先進国のようなところでは、家も買えるように長期でお金をくれて、病院費も足りなければくれます。こういうのが良い政治です。誠実に生きて税金を出せば、一生、食べて暮らせるように保障されています。私たちが誠実でなくて、国家の政治が誤って、そうではなく、正しくさえすれば暮らせるようになっています。お金の心配を全くする必要がないのに、度々するのです。「大きい事業をする。」本当に大きい事業をする技能があれば、お金をいくらでも作れます。大人たちがお金に対する考えを誤っているので、子どもたちがよくできないのです。
■お金というのは、なければ使わないのも能力です。お金に対する誤った考えのために、学生たちがこの頃は売春婦のようなことをしに通うのです。それで、レムナントの精神がますます薄れるのです。こういう部分をとても注意をしなければなりません。そして、外に出て行けば犯罪組織があって、青少年を犯罪の中に陥れるようにします。はなはだしくは、ギャンブルもして、窃盗、強盗など、どんどん犯罪の中に陥って行きます。そして、しきりに人を犯罪の中に導いて精神的な問題の中に陥れるのです。最も大きい精神病の中に入ります。精神病の中で一番大きい精神病が、やくざになることです。やくざの中に入れば、一番精神問題がきます。
■やくざは強いと見えますが、全くそうではなく、最も精神力が弱いのです。小さいことも耐えられません。それで、人を殺すことでもないことなのに、殺してしまうのです。それが、やくざです。とても精神と心が弱いのです。たくさん食べて力だけ強くて、何の使い道がありません。下手すると、ここにレムナントが陥って行くのです。
■今日も見たら、イスラエル民族に対するメシェク、ケダルの部族がとてもやくざな者たちでした。こういう人々は、共通して小さい困難でも耐えられないのです。ここにレムナントもいて、レムナントを育てる指導者もいるから、本当に祈らなければなりません。小さい困難を耐えられないので、このようになるのです。それで、レムナントは、困難のようなものは勝つことができると考えて覚悟をしなければなりません。おもに見れば、経済部分の困難に勝てないのです。お金がなければただもがいて、借りて使って、盗んで、こういう方法でします。レムナントがそのように習えば、大変なことになります。ない時は使わずに実力を養うのです。ない時は、使わずにじっとしていればバカになるのですが、力を養うのです。ない時は使わずに未来を準備するのです。このようにすべきなのに、これに耐えられないで、ただ歩き回っておかしなことをして、他の人々のものを盗んで食べて、こういうものは大変なことになるのです。言わば、困難に勝てないからなのです。
■そして、私たちが少し家庭、人間関係で勝てないで崩れます。おもに見れば、あることが生じたり、事件が起きれば、より一層、耐えられないのです。小さい困難に勝てません。それで問題がくるのです。言わば、危機に勝つことができないのです。今日、レムナントが一生、単語を捕まえなければなりません。危機はレムナントには大きい祝福になります。精神の中に打ち込まれなければなりません。困難がきても問題になることがありません。レムナントはだめなことがないのです。なぜなら、神様の子どもであるためです。レムナントはねたみ、つぶやきのようなものもありません。レムナントは言い訳もないのです。どこかで傷のようなものを話して、こういうものは大きなことができません。そのようなレムナントになってしまえば、絶対に大きなことはできません。人は対話をしてみれば、知ることができます。祝福を受けた人は違います。必ず祝福を受けられなかった人は、人を恨んで、しばしば傷を受けた話をします。それでは、どこで恵みを受けるのでしょうか。どこへ行っても、いつも不平不満を言って回って、傷ついたことを引き出して泣いて、このようにしていて、どのように祝福を受けるでしょうか。
■レムナントは、どんな問題がきても大丈夫だ、こういう精神を持っていなければなりません。レムナントは必ず記憶していなければなりません。それは問題でないと考えれば良いのです。なぜなら、少しだけ祈りをすれば、神様が答えをくださるためです。それで危機は、滅びの土台にもなりますが、危機は全部祝福の土台なのです。これをレムナントが記憶しなければなりません。正確に解釈をしなければならないのです。今、イスラエルが困難にあうように見られるのですが、そうではなくて、神様は回復しなさいと言われるのです。貧しいのでしょうか。経済を正しく回復しなさいということです。回復しなさいということなのに、教会が難しいのでしょうか。聖徒たちが祝福を正しく受けて、献金を正しくしなさいという言葉です。家庭が難しいのでしょうか。両親のようにせずに、精神を真っすぐ整えて実力をそろえなさいということです。イスラエルは困難がきたのではありません。
■レムナント7人をみてください。特徴は何でしょうか。すべての困難を土台にしました。これがレムナントの特徴です。皆さんも心配をせずに、問題がくれば見つめてチャンスがきたと考えれば良いのです。私もこの頃見れば、周囲に問題が少したくさん起きます。それでチャンスがきたと思うのです。良いチャンスです。レムナントには、問題は全部土台です。滅びの土台ではなくて、回復の土台です。レムナントは必ずこの契約を記憶しなければなりません。ヤコブ1:1-4に、神様は私たちの足りなさを満たして下さるために、困難をくださるから、心配をしないでと言われました。そして、聖書には確かに話をしています。神様が私たちとともにおられるから、心配しないでと言われました。聖書には心配しないという言葉が365回出てきます。心配しないという言葉だけで365回、出てくるのです。本当に不思議に思うことです。一日もするなという話です。
■祝福の土台なのに、何のために心配をするのでしょうか。私は足りない者ですが、習慣が、問題がくれば「これは何の機会なのか?」と考えながら見れば、機会があるのです。これがタラッパン20個の戦略をする時、一つずつしたのです。何かの問題がくれば、それは機会です。あるものは清掃することができる機会で、あるものは変えられる機会です。全部、機会です。ダビデがシムイにののしられながら、機会だと考えました。悪い部下を清掃できる機会だったのです。ダビデがサウル王に追われた時、正しい手足を集める機会でした。全部、機会でした。レムナントは、このように気をつけて外に出て行かなければなりません。いろいろ話をしません。レムナントはいつでも危機と問題を土台にしましょう。
■韓国で、それでも一番信徒をたくさん集めた牧師は、釜山でとても貧しくて、米軍部隊に入って、労働班で仕事をして英語も習っていました。それを土台にしたのです。それで、そのようにすることができたのです。また、ある牧師1人は、米軍部隊で靴を磨いていました。ところで、それが土台になって、その方が米国に連れて行って勉強をさせて、とても立派な博士になることもありました。聖徒たちもそうで、いつでも問題がくれば心配をするより、いつでも気をつけて見れば、全部、祝福の機会です。あまり変だと思う必要がありません。祝福を受けて、正しくしなさいということです。からだの病気も心配することではありません。健康を正しく守ってチェックをしろという機会のサインです。
■苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられた。皆さんが苦しみがきた時に、神様が皆さんに、今は祈って神様の力を得なさいという神様のサインです。皆さんはこれを分かれば、祈るしかないでしょう。霊的な事実を分かれば、祈るしかありません。皆さんが信じても、信じなくても、暗闇の組織は、皆さんに付いて回って、子どもにも付いて回っています。しないはずがありません。聖書を見れば、Iペテロ5:7-8を見れば、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っていますと言われていますが、皆さんの子どもも捜し求めています。目的は、滅ぼすことだから、皆さんの子どもを捜し求めるのです。間違いありません。それで、レムナントに福音を分かるようにさせなければならないのです。それで、私たちは祈らなければなりません。皆さんが霊的事実を知れば、祈るしかはありません。反対に、私たちが持っている霊的祝福の存在が確にあります。祈る時、聖霊が働かれます。祈る時、天の門が開かれます。祈る時、天の門がなぜ開かれるのでしょうか。祈る時、天の軍隊が派遣されます。それでは、祈る時、皆さんの周囲、子どもにある暗闇の勢力が崩れるのです。それで、苦しみのうちに、私が主に呼ばわると、主は私に答えられたと言われているのです。
■どれくらい、私たちの周囲には困難が多いのでしょうか。それでも、神様に祈ったところ、神様がくださった答えを受けるようになったということです。レムナントは、必ず記憶しなければなりません。皆さんが世の中を見て、あまり否定する必要もなくて、ついて行く必要もなくて、よく知って祈りをしなければなりません。それで、世の中には、どれくらい変なことが多いのでしょうか。
■本当に変なことが多くあります。私たちの町では、こういうこともありました。女子学生も、どこかに通うのを注意しなければなりません。列車に乗ったのですが、今でも考えれば理解できません。お母さんのようなおばさんのそばに座っていて、飲み物を一杯くれたのです。共に座ったのでもらって、それを飲んで、目を開けたら、どこかに縛られていたのです。本当におかしな世の中です。その時から、家に帰らせずに、ずっと麻薬注射を打ったのです。家ではいくら探しても探せず、1年間、探せませんでした。そのおばさんが気絶させて売り飛ばしたのでした。昔には売春婦の村に人々をつかんで売ることもしました。この頃は、売り飛ばさないでも、志願して行くけれど、その時はつかんで売り飛ばしたのです。このように、ずっとつかまえておいて、麻薬を打って、麻薬中毒になったので、解いても家には帰れないほどになったのです。ところで、何とか噂を聞いて、家から訪ねてきたのです。
■もうその時からは、家で本人が麻薬のために耐えられなかったのです。それで人が完全に廃人になってしまいました。その時が、高校2年の時でした。それを見ながら、レムナントは世の中をとても信じることもやめて、とても否定的に見ることもせず、祈らなければならないと思います。世の中を見て、とてもうらやましがる必要もありません。世の中を見て、とても嫌いになる必要もありません。世の中で、こうしたところに陥らずに、祈って勝利しなさいということです。答えをくださると言われました。レムナントが、今日この話をよく記憶して、祈りの答えを受けることを希望します。ここに重要な話がまた出ています。
■タイトルを見ると「都上りの歌」と言われています。一般信徒もそうで、レムナントもそうで、今日、礼拝をささげながら重要な契約を捕まえなければなりません。どのようにすべきでしょうか。皆さんが今日、礼拝をささげながら、力を得なければなりません。そうするならば、どのようにすべきでしょうか。礼拝をささげれば、私にみことばが生きて働きます。そのまま座って、うとうとして無理に座っていれば、みことばが生きて働きません。みことばは確かに生きているのに、私が死んでいれば、確かに変わりません。神様のみことばは、今でもみわざが起きているのに、私は死んでいるので合わないのです。皆さんがこれから聖日礼拝を差し上げる時、家でささげる時、一人でささげる時、それだけ成功すれば、みことばが生き返ります。それでは、このみことばを捕まえて、定刻祈りをしなければなりません。定刻祈りをしていれば、何の答えも来ません。
■ある日、神様の重要な証拠がくるのです。レムナントは、これをのがしてはいけません。ダビデが羊を飼いながら祈っていたのに、ある日、あなたはこれから王になるという明らかな証拠がきました。皆さんもそうなります。レムナントは、のがさずに今からみことばを捕まえて祈りをしていれば、証拠がきます。聖徒たちは、これを持って出て行かなければならず、必ずレムナントは、この祝福を受けて出て行かなければなりません。そうでなければ、外に出て行けば気が動転します。世の中の風は、ものすごく強いのです。私が答えを受けられずにいるのに、神様が見えるでしょうか。神様は霊だから、何もないようになってしまうのです。今でも気をつければ答えがきます。それで、今日、私が捕まえる神様のみことばが何かを考えなければなりません。
■私は説教の準備をしながら、私が捕まえる神様のみことばが何かを見ます。説教準備は難しくありません。私はこの頃、不思議に昨日も4時頃に寝ました。そして6時に起きたのです。なぜなら、私が祈っているのに、みことばが私に確かに捕まえられなかったのです。それでは、答えを受けられないのではないでしょうか。それで、私は4時まで寝られなかったのです。4時まで寝ないで祈っていたのですが、神様が私に答えをくださってこそ、私が嘘を言わないのではないでしょうか。みことばが私に生きて働いてこそ、証拠が起きるのです。皆さんが証拠を捕まえれば、自然に祈りになり、多くの解釈ができます。このような時に見ると、私が何のために挑戦をしなければならないのか答えが出てくるのです。
■ダビデを見て下さい。ダビデがいつもみことばを捕まえて祈っていたら、ある日、証拠がきました。知ったところ、ペリシテが問題でした。ペリシテに挑戦をして、祈っていたら、その時に、ゴリヤテに会うようになったのです。絶対に、このような時、事件が起きます。心配をしなくても済みます。ある日、答えの場に来ているのです。レムナントは心配する必要がありません。ある日、成功の場に来ています。「私たちの教会はどのようにするのか」ある日、祝福の場に来ています。「私たちはいつ建築をするのか」ある日、答えの場に来ています。これだけしていれば、長老、執事が、ある日、勝利の場に来ています。それが聖書です。するなという話ではなくて、違うようにしてはいけないのです。みことばを捕まえて祈ってこそ、証拠がくるのです。定刻祈りを少しだけしていれば良いのです。そうすれば、その証拠がくれば、正しい挑戦をすることができるのです。そうでなければ、私たちが違った挑戦をするようになります。これをしていれば、ある日、事件が起きます。ゴリヤテがくるとだれが分かったでしょうか。それを一気に倒しました。事実上、練習していたことがあります。このようになります。他の人にはとても難しいのですが、ダビデにはやさしいことでした。
■他の人には経済が難しいかも知れませんが、皆さんにはやさしい祝福になるでしょう。この時、ダビデにはまた他の困難がきました。もうこれは成功した者に来る困難です。成功した者に来る困難はまた違うのです。この時、ダビデは常時祈りをし始めました。常時祈りは、祈りの中の祈りです。私がメッセージをする時、メッセージを聞く時、私が祈るのに、これが祈りの中の祈りです。それで、皆さんの考えを祈りにつなげてしまえば、最も良い知恵がある人になります。後ほど他の人が皆さんを見て「あの人は、どのようにあんな知恵があるのか」と話をします。他の人がレムナントを見て「いや、どうして、あのように知恵があるのか」と言います。私の考えが祈りの中に入るためです。
■ダビデがずっと「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません」とずっと祈りをしました。この時から何が出てくるのでしょうか。この時代に必ず必要な、創造的答えの祈りが出てきます。これはダビデを例にあげたのですが、すべての人々も全く同じです。皆さんにも全く同じです。この力を得る開始がどこなのでしょうか。神殿です。それで、都上りの歌なのです。レムナントと皆さんが、この力を必ず得ることを希望します。礼拝、定刻祈り、挑戦、常時祈り、創造的祈りを持って、長くも、短くもいくらでも応用することができます。ところで、これをしなくても成功をする人が多いのです。明らかなのは、ある日、最後に行ってみれば、違うということが分かります。このようにしなくても、実力がある人は多いのです。このようにしなくても成功をする未信者が多くいます。しかし、ある日、最後に行ってみれば、失敗したということが分かるでしょう。皆さんがこのようにすれば、特は何でもないように見られるのですが、ある日、答えの位置に立つようになります。
■この祝福を、今日、詩篇120篇を持って、皆さんが完全に味わうようになることを主の御名で祝福します。ユダヤ人は、世界を掌握したのですが、ある人は12才や15才の時というのですが、幼い時、すでに経済を勉強し始めています。ユダヤ人は、すでに幼い時、色々な人と対話して、専門性に方向を定めています。ユダヤ人は、すでに幼い時、言語が3カ国語以上、5カ国語までできます。レムナントは、どのようにしなければならないのでしょうか。これから私たちの教会を作る時、どのように作らなければならないのでしょうか。レムナントがきて、ここで語学でチームの働きもして、フォーラムもすることにならなければなりません。それで、RUTCを作っておいて、本格的に送って、休みの時はそちらでキャンプをしなければなりません。すでに教会にきて、あちこちでレムナントが専門性を学んでこそ希望があるのです。
■私はいつもそのように考えています。あの人は、専門家ですが、子どもたちから呼んで育ててはいけないでしょうか。必ず専門家だけ出てくる必要はありません。非専門家があってこそ、専門家が生き返るのです。これから子どもたちが教会にきて、聖日に来て、専門性を持って楽器も一つずつ学び、こういう専門性を持たせてやらなければなりません。先進国はほとんど楽器も一つずつします。それで、後ほど自然に聖歌隊も育ちます。私たちの教会が聖歌隊や音楽をレムナントが良くできるように、背景を作ってやって、そのような人が一人だけ出てきても生き返ります。それで、子どもたちが教会の中にRUTCを通して専門性を学ぶように作ってやらなければなりません。レムナントは、他のものをせずに、礼拝を終えて出れば施設がないから、どこでも行ってバイブルスタディを英語でチームを構成してしたりもして、日本語、中国語にもしましょう。良くできる人がものすごく多いのです。
■さっきも見たら、通訳をしたソラが、神学校に入るからと言ったので、良くやったと言いました。あんな子たちを捕まえて、チームを構成してバイブルスタディをすれば、ものすごくたくさん習えるのです。いくらでもすることができるのに、私たちが時間をみなのがしているのです。幼い時から経済勉強をしなければなりません。経済が何かわからないから、お金だけあれば良いのだと思っていて損害をこうむるのです。経済は神様の御手にあって、未信者とつながっているから、皆さんが「〜らしい」人にだけなれば、経済はくるようになっています。「〜らしい」人ではないのに来れば、それが問題になるのです。それでレムナントは、成功をしようとせずに、成功をすることができる人になれば良いのです。それで、レムナントは、初めからすぐにお金、お金と言わずに、それを儲けられるうつわになれば良いのです。それを今、準備しなければなりません。それで、節約もして、貯蓄もして、勉強もするのです。
■すでにダビデが幼い時、羊一匹もなくさなかったということが経済ではないでしょうか。そして、羊を守るために石を投げる技術が、ゴリヤテを倒す程であったということは専門性です。ダビデがすでに文章を書いて賛美をして、ゴリヤテの前で言葉を堪能にしたということは、言語ができたということです。それでは、祝福は自然に来ます。レムナントは、2部礼拝の時には、レムナントにおもにポイントを合わせるので、レムナントらが正しく捕まえて祈りの答えを受け始めれば、この時が終わりです。それは何の話なのでしょうか。レムナントが準備できなくて出て行ってしまえば、当惑して識別できません。「私が今、どうやって行かなければならないのか」という答えを持って出て行かなければならないのに、持たずに出て行けば、混乱して、しっかりするのに時間がたくさんかかります。もちろん、レムナントだから、なるようになっているのですが、とても苦労します。ある学生たちは、混乱がくれば正常な感覚でなく、うろたえる学生たちもいます。
■昔にレムナントが手紙を書く時は、全部、牧師先生の右腕、左腕だとみな書いていたのに、この頃は、腕を書かずにきます。自分の考えで腕になる力がないと思っているようです。言わば、当惑しているのです。うろたえている必要なく、必ずこのようにしなければなりません。レムナントすべての聖徒たちが、新しい力を得ることを主の御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。都上りの歌、私たちのことになるようにさせてください。この力を持って、世の中に行くようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン