2007年2月25日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/主の家のために
(詩120:1〜9)

・私たちは時々「神様がおられるのに、なぜこうなのだろうか。」と思う時があります。「あの人は悪い人なのに、なぜ生かされているのだろうか。あのように難しいことが、どうして起こるのだろうか。」と、ある場合は、「神様がいるのか。」とさえ、質問する時もあります。ハバクク預言者がそのように質問しました。「なぜ悪い人がほろびないで、うまくいっているのですか。」また「義人は苦難にあうのに、なぜ神様は静かに置いておかれるのですか。あの悪い者をそのまま置いておかずになくせば良いのに、なぜそのまま置いておかれるのですか。」この世を見れば、悪い者が本当に多いのです。
・「彼らをみななくさずに、なぜそのまま置きているのですか。それはまた理解できるのですが、義人が苦難会うのは、なぜそのまま置いておられるのですか。」そのように質問しました。その時、神様がこのように答えられたのです。「わたしの言葉を石の板に刻みなさい。」石の上に刻めばどうなるのでしょうか。「石に刻んでおいて、走って行きながらも見るようにさせなさい。」と言われました。神様のみことばを壁に、石に刻めば、誰でも馬に乗って行きながら、車に乗って行きながらも見ることができます。その言葉は、何の意味なのでしょうか。それとともに、このようにおっしゃられました。「悪人がうまくいくのも少しの間で、義人が苦難に会うのも少しの間だ。」石に刻んでおいて見なさいとおっしゃいました。今日、この詩篇の詩は、ダビデの詩です。ダビデは戦争で勝利した将軍です。ダビデは幼い時からゴリヤテに勝ちました。ダビデはペリシテの軍隊を一人で数人に勝ちました。ダビデは戦闘する時ごとに勝利したのです。普通の人ではありません。将軍の中でも将軍で、王の中でも王です。ところで、大きい問題は、ダビデの内部で起きる敵でした。内部で起きる敵は、刃物で勝つことが大変です。聖書を静かに見れば、ダビデは一度も戦わないでみな勝ったのです。これがとても重要なのです。どうするからでしょうか。それをダビデが今日、明らかにしたのです。
・戦わないで勝ちました。サウル王がダビデを殺そうと4回も試みました。ダビデが王宮に座って琴を弾いていたのに、そこに槍を投げたり、そんなことが2度もありました。また、ダビデが家に寝ていたのに、刺客を送ってダビデを殺そうと告げました。ダビデがまた野原で山に逃げていれば、軍隊を送ってダビデをつかまえに送りました。ダビデは一度もサウル王を攻撃しないで逃げ回ったのです。それからダビデは立派な王になりました。
・そして、ダビデには悪い臣下がたくさんいました。悪い臣下が、アブシャロムを説得してダビデを攻撃したのです。大統領を数年するのにも列をつくるのに、王を一人立てるために列を成すのが当然です。それで、ダビデの次にはだれが王になるのか。このダビデはもう老いて力がないので、ダビデの次に王が立たなければならないのに、だれが立たなければならないのか。これで頭を使う臣下が、アブシャロムを説得して「あなたが王の資格がある。もう少ししたら、あなた兄たちが王になろうとするから、今、しなければならない。ちょっとだめだったが、今、王宮に攻め入らなければならない。」と自分たちの間でアブシャロムを王にしようと王宮に攻撃して入ったのです。それがアブシャロムひとりの考えでなく、悪い臣下の考えでした。
・ダビデがその時、裸足で逃げました。逃げながらした話があります。逃げながら残っている軍人にした頼みです。アブシャロムを絶対に殺さないでくれと言いました。それは、ダビデがアブシャロムを殺さないために逃げたということです。ダビデを呪ったシムイをダビデは許しました。ところで、ダビデは完全に勝利して戻りました。ダビデの生涯で失敗したことはありません。戦わないでみな勝ちました。どうしてこういう祝福を味わえたのでしょうか。今日、都上りの歌となっています。ここを見れば「都上りの歌。ダビデによる」となっています。このダビデは祈りの奥義を持っていた、ものすごい祝福の人だから、戦わないでみな勝ったのです。今日、皆さんがこの祝福を本当に回復しなければなりません。聖書を見て、本当に回復しなければならないのです。
・釜山で伝道運動を始めようとしたら、牧師がたくさん参加しました。その時に、始める前に話をしていたのです。ソウルに行っているカン・ホイン牧師と南山洞にいるカン・ウンチュン牧師の二人が私に要請をしました。「今、牧師先生の話の内容を聴いてみたら、多くの牧師が知って伝道しなければならないでしょう。それでは、人は私たちが集めるから、牧師先生が講義をして下さらなければなりません。」それが開始になったのでした。その時、このように話をしていました。「私たちがこのようにすれば、これからどんなことが行われるか。伝道運動が起きる。私たちの教会は祝福を受けるようになる。しかし、福音をよく知らない韓国教会は、確かに私たちを異端打と言うだろう。」その時、あらかじめそのように話していました。そうなってもするのかと尋ねたのです。
・なぜでしょうか。教会史を見て、聖書を見れば分かるでしょう。確かにいろいろな話、いろいろな攻撃をするのですが、それでもできるのかと言いました。ところで、予想通り、ものすごい200教団の攻撃が入ってきたのです。私は返事もしなかったし、文章も読んでみませんでした。私には何の価値がない文章だったからです。だれかが読んだことを話せば「そうだろうか? そうだろう。」と言いました。ある人々がスクラップにして持ってくれば、そのまま見て投げ出してしまいました。どうしようもない文章が雑誌、新聞で攻撃したのです。
・皆さんインターネットサイトの中で一番人気があるのがgoogleです。googleに入れば、多くの知識が集まっています。そこで柳光洙を検索してみてください。資料がものすごく出てきます。4分の3が悪口を言った人が入れたことです。それで私たちのチームが見て、私たちのものもちょっと入れようと言いました。信仰がない人々が、量で戦うので、たくさん入れておけば良いのですが、その人々がさらに多く入れて、私たちは入れないでいるのです。私たちのメンバーは、そのようなつまらないことには、返事もせず、相手もしないから、おかしな文等だけ上がってきているのです。予想はしていたのです。ところで、私たちはずっと祈って伝道してきました。
・私と福音運動をした釜山にいる方々は皆知っているでしょう。あまりにも邪魔して攻撃して嘘をつくので、定刻祈りの時、いつも祈っていたのです。うまくいったということではないのですが、三人を神様が呼んで行かれました。うまくいったということではありません。人は長く生きなければなりません。最高に邪魔した人が突然、死にました。この説教をすれば、釜山の人々が誰なのかを皆分かります。精力剤を飲んだのですが、突然、病気になって死んだのです。神様がみな呼んで行かれました。そして、どんな攻撃も効かなかったのです。ところで不思議に、レムナントは起きて、タラッパンでは働きが起きて、伝道運動がずっと起きました。これからどのようになるでしょうか。私は知っています。神様が皆さんにどのように答えられるか、聖書、教会史にみな出ています。何も心配する必要はありません。戦う必要もないのです。戦わないでみな勝てます。
・ダビデは、内部で起きる問題、おかしな人々がどれほど多かったでしょうか、しかし、一度も戦わないで勝ちました。ダビデの周囲で、義父がおかしな義父です。私は義父が婿を殺そうとするのを初めて見ました。殺そうと最後まで付いて回ったのです。同じように、妻も変でした。ダビデにおかしな臣下もどれほど多かったでしょうか。はなはだしきは、息子までも変でした。どれくらいおかしな人々が多かったでしょうか。ダビデが1人も戦わないで勝ったのです。アブシャロムを殺すなと、そのようにお願いしたのですが、アブシャロムは、お父さんを殺そうと王宮に入ってきて、お父さんを捜しまわりました。聖書を見れば、アブシャロムは、髪の毛を長くしていて、頭が本当に美しかったということです。美しいその髪の毛に引っかかって死んだのです。馬が下でぴょんとはねるのに、頭がはねたのです。この髪の毛が、変に木の枝に絡まって馬は過ぎ去って、頭が引っかかったのでした。ダビデが殺すなと命令を下したのですが、上の軍人に話したのであって、下の卒兵は知らなくて、アブシャロムの首を打ちました。
・ダビデが、サウルが死んでもそうで、アブシャロムが死んでも嘆き悲しみました。神様がダビデに答えを与えられたのですから、私たちがなぜ答えを受けられないでしょうか。都上り(神殿に上る)の歌と言われています。ダビデは神殿の礼拝を一番重要に思っていました。詩篇14篇を見れば「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。」詩篇18篇を見れば、ダビデは反対に「主、わが力。私は、あなたを慕います。」と言いました。今日、皆さんが先に理解して、最初で大きく捕まえなければならないことは、神殿で祈る時、どんなことが起きるのかということです。
・本当に神様の前で祈る時、どんなことが起きるのでしょうか。それが今日、私たちが最初に確認しなければならない部分です。皆さんが今から気をおとさずに考えを正しくすれば答えがきます。おもに不信仰したり、違ったことを考えるからです。そうでなければ、祈れば確かに答えがきます。「わたしのことばを石に刻みなさい。」神様のみことばを石に刻んでおいて見なさいということです。それが、どれくらい確実でしょうか。確実な証拠をおっしゃられました。普通、福音でない人々だから答えが来ないのですが、祈れば答えがきます。私が20個の戦略を発見したのですが、問題がくる時ごとに祈りの答えを受けました。だから、神様が皆さんの祈りに答えられるから、今日、ダビデが捕まえたこの祝福を捕まえなければならないのです。今でも問題は多くあります。私はその問題を見ながら、神様の大きい祝福を待っています。ないはずがありません。問題と持った人々がこの世にはたくさんいるので、問題がないはずはありません。
・その問題を通して神様がどのように答えられるのでしょうか。神様は皆さんが大きい困難を受ければ、大きい答えをくださるので、皆さんに大きい問題があれば、大きい答えをくださいます。困難の中で創世記13章18節を見ると、アブラハムが樫の木の下に祭壇を築いたのです。そこで、神様がアブラハムにしもべ318人になるような答えを下さいました。むしろ、ロトは戦争が起きて捕虜になってしまいました。何も心配する必要がありません。
・契約をつかんだモーセが祈った時、出エジプト記14章19切を見ると、「モーセに先立って主の使いを送られた。」と言われています。これをのがしてはいけないのです。皆さんがここに座って、祈っているのですが、神様は主の使いを今、先立って送られるのです。本当に信仰ならば間違いありません。ソウルで牧師で牧師の按手を受けて牧会をせずに、タクシーの運転手をしている人が5万人いるそうです。いくら祈っても答えがないでしょう。なぜでしょうか。間違った考えのためです。牧師は祈って福音を伝えなければなりません。ですから、答えがないので、そうではない以上、答えが来るようになっています。学生たちが勉強して、専門性を育てなければならないのに、マルチ商法を使って、成金になろうと飛び回るから、いくら祈っても答えがないのです。なるようでもならないのです。ですから、神様は確かに答えられる神様です。間違ったことを考えないで、福音の外にさえいなければ、何でも答えられるようになっています。
・神殿まで行くこともしなかったのに、ダニエルが一日に三回ずつなくなった神殿の方向に向かってひざまずいて神様に祈ったということです。神様はダニエルに最高の知恵と答えを与えられました。皆さんが神殿で祈る時、どんなことが行われるのか分かるのでしょうか。とても重要なことが行われます。そして、皆さんが神殿で祈る時、なぜ神様が答えられるのか、理由はすでに知っているでしょう。来週に出てくるでしょうが、王の中でヒゼキヤという王がいます。王になってすぐに、すべての偶像をなくしました。25才で王になって、すべての偶像をみななくして、アッシリヤに話したのです。「今まで、父が出していた税金は出せない。」言わば弱い国が強い国に貢ぎ物を捧げるのを止めると言ったのです。アッシリヤがじっとしているでしょうか。
・ある日、アッシリヤ軍18万5千人が攻め込んできました。18万 5千人が攻め込めば、どれくらい数が多いでしょうか。イスラエルは小さな国です。言わば焦土化させるということです。18万 5千人とは、どれほど多い数なのか分かるでしょうか。私たちのレムナント集会の時、1万人が集まったのですが、びっくりするほどでした。そんなに信仰が良かったヒゼキヤ王が狼狽したのです。それでU列王記を見れば、アッシリヤに使節団を送ってお願いをしたのです。それを聞いてもらえるでしょうか。そして、ヒゼキヤ王があせったので、金銀を持って行きました。言わば物質攻勢を使ったのです。神殿の壁に貼っていた金もはがして持って行ったのです。しかし、だめでした。だめだから、エジプトに援兵を要請したのです。このようになれば、どうなるでしょうか。エジプトとアッシリヤが戦えば、イスラエルはさらに難しくなるのです。解決策がありませんでした。その時でした。セナケリブが送った宣戦布告状を持って神殿に入ったのでした。ヒゼキヤ王が命をかけて祈りました。神様がそれを望まれるのです。ヒゼキヤ王が頭使うことを望まれず、それを望まれたのです。
・実際に祈る時、科学的にすばらしいことが行われます。私たち人間は、霊的存在です。祈る時、霊的にすばらしいことが起きるのです。本当に祈る時、脳にもすばらしい働きが起きます。からだ、神経系統にも、すばらしい働きが起きます。本当に福音ならば、どんなことが行われるでしょうか。ヒゼキヤ王の祈りの内容あ、来週、核心の時に出るでしょうが、神様の前に本当に切実に祈りました。不思議なことが行われたのです。
・寝て起きたら、アッシリヤ軍18万 5千人が皆死んでいました。歴史の研究をしてみると、その時、突然に伝染病が広がったという記録もあります。そのようなこともあるでしょう。とにかく18万 5千人が皆死んだのです。伝染病が広がるならば、一人ずつ死ぬでしょうが、一度に皆死ぬのでしょうか。U列王記19章35節に確かに記録されています。「その夜に」とは何でしょうか。ヒゼキヤ王が神殿で祈った、その夜ということです。主の使いが打ったので、アッシリヤ軍18万 5千人が皆死にました。今でも同じです。人が死ぬ時、神様が手伝わせて、天使が使いをします。別に方法がありません。神殿では、その時間に神様は野原に主の使いを送られたのです。私は確かに信じています。
・聖書で、聖霊の働き、天使、サタン、こういう霊的なことを抜いてしまえば、価値がありません。ある神学者が私に尋ねました。「なぜ柳先生は、度々サタンを話して、天使の話しをするのですか。」心の中で話しました。「バカな奴だ。」聖書で一番重要なことです。それではたましいの話はなぜするのでしょうか。たましいは、目に見えないのですが、それではたましいがないのでしょうか。確かにあります。精神は目に見えるのでしょうか。確かにあります。狂ってしまえば、大変なことになります。指一つないのは大丈ですが、精神が狂ってしまえば、おかしなことをするでしょう。からだからたましいが抜ければ死んでしまうのですが、バカのように肉体だけ考えて、たましいのことを考えないのです。肉体も重要ですが、さらに重要なのがたましいです。
・「神殿で祈る時。」イスラエルで初代教会が全部、迫害されて殺されそうになりました。ペテロが牢屋に捕らえられたのです。明日になれば、死刑でした。その日の夜でした。神殿に集まって祈ったのです。初代教会が全部集まって神殿で祈ったのですが、その日の夜にどんなことが起きたのでしょうか。地面が揺れて、牢屋の門が開かれる事件が起きました。可能でしょうか。可能です。中東には地震が頻繁に起きます。その時は、今より何千年も前なので、揺れれば牢屋の門が開くこともあるでしょう。しかし、聖書には、主の塚いを送られたと言われています。また主の使いを送って打たれたので、ヘロデが死んだとされています。驚くことが行われたのです。ですから、ダビデが都に上ること(神殿に上がること)をどれくらい貴重に見たのか分かりません。今日、皆さんがこの祝福を回復するように願います。神殿で祈る時、どんなことが起きるのでしょうか。それを契約で捕まえなければならないのです。
・二番目です。それでは、ダビデが神殿に行く時、どんな契約を捕まえて行ったのでしょうか。1節から3節までです。嬉しい気持ちで行きました。122篇を見れば「人々が私に、「さあ、主の家に行こう。」と言ったとき、私は喜んだ。エルサレムよ。私たちの足は、おまえの門のうちに立っている。エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている。」普通の話になりません。皆さんが確かに行って良いことが起こればうれしいでしょう。私たちが遠足に行くのに、喜んで行きます。久しぶりに別れた家族に会いに行くのも、喜んで行くでしょう。
・ある青年がそうでした。親がそんなに良いとはわからなかったのですが、軍隊に行ったら、親を思い出して、家を思い出すということでした。初めての休暇で帰ってくるのに、心の中で「もしかして、鉄道が崩れるのではないのか」と心配したということです。「ひょっとして列車が脱線すればどうしようか。家に必ず帰らなければならないのに。」家に帰っても、それほど面白くもないのに、それだけ嬉しい気持ちで帰ってきたということです。私の息子も軍隊に送ったら、どれくらい孝行息子だったわかりません。手紙も見れば、突然に信仰が良くなって書いていました。家に対して有難いと思って、軍隊に行くと心が変わっていたのです。軍隊は必ず行かなければなりません。これから可能ならば、女性も行かなければなりません。軍隊に行ったら、良くなったのですが、除隊したら元に戻りました。
・とにかく、そのような、うれしい心です。もし大統領が「尹ソンフン牧師、その人は普通の人ではないから、長官をしに来なさい。」と言ったらどうでしょうか。影島で事業をしているのに、呼ばれて「長官になりなさい。何日何時まで大統領府に来なさい。」その便りを受けた時、どうでしょうか。影島で小さい事業するよりは、良いでしょう。誰も行けない大統領府に行くのに、格好をつけて行くのではないでしょうか。その時、行きながら「面倒だ。」と行くでしょうか。興奮して行くのではないでしょうか。ですから、ダビデが神殿に入る時、嬉しい気持ちで入ったのです。次の4節5節を見ると、感謝する気持ちでとなっています。「そこに、多くの部族、主の部族が、上って来る。イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。」と言われています。本当に信仰、福音、正しい考えならば、今日、答えられるのですが、神殿に上がるのに感謝するため上がるのです。私たちが答えを受けたら、感謝しないでしょうか。
・誰かが、私にちょっとしたものをくれても、必要なものをもらえば感謝するでしょう。私は以前に電話をかけようとしたら、コインが一つ足りなかったのです。人とは不思議です。私はコインがひょっとして落ちていないかと思って地面を見てみました。しかし、なかったのです。電話をしようとして、コインが足りなかったのです。1万円はあるのに、電話はかけられませんでした。誰か過ぎ去るときに、私を見て10円のコイン一つをくれたのです。どれくらい有難かったのか、2度もありがとうと言いました。私の人生で10円でありがとうと言ったのです。人がそのような時は、感謝します。ところで、私たちが大きい恵みを受ければ、どれくらい感謝するでしょうか。
・受け取ることが確実ならば、感謝するでしょう。皆さんが本当に祈ることが、これから答えで来るのが確実ならば感謝するでしょう。こういう気持ちでダビデが神殿に上がったのです。ダビデが世界を福音化して、すべての敵にみな勝ったのには理由があります。6節から9節に見ると、ダビデはまた、どんな気持ちで行ったのでしょうか。「祝福する気持ちで。」とても重要です。私は説教を準備して、皆さんのところにくる時、祝福する心でします。なぜでしょうか。神様が皆さんに祝福するように望まれるためです。
・6節「エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。」 7節「おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」」 8節「私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『おまえのうちに平和があるように。』」皆さんが教会では礼拝をささげる時、恵みも受けて、感謝もささげるのですが、お互いを祝福しなければなりません。なぜでしょうか。これから、ここでどんなことが行われるのでしょうか。皆さんが祝福を受けなければなりません。ここでこれから何をすべきでしょうか。そのために私があなたの祝福を求めるのです。これから多くの子孫がここで恵み受けて生かされなければならないのではないでしょうか。それなら、主の神殿のために皆さんが恵みを受けなければなりません。その祈りをダビデがしたということです。すごいことでしょう。ダビデが神殿に向かって、とても喜んで、感謝する気持ちで上がりました。そして、友人と家族と聖徒を祝福する気持ちで上がったとなっています。どれくらい重要なことでしょうか。
・今日、ここで皆さんが三番目に記憶しなければならない部分があります。ダビデが祈りの答えを受けるのに、なぜ私たちは受けられないのでしょうか。ヘブル11章に説明されています。福音の中に。結局、福音でなければ、ここに来る必要はありません。福音の中でないならば、寺に行ってもかまわないのです。福音でなく、力を得ようとするなら、グッ(降霊術)をしても良いでしょう。地球上に起きる問題が、どんな問題なのでしょうか。霊的な問題です。これを解決するのは福音しかありません。それで、福音のなかで神殿に上がりましょう。本当に信仰を持って神殿に上がりましょう。考えが違ってしまってはいけないのです。私たちが常に正しい訳には行かないのですが、考えが正しくてこそ、正しい答えを受けるのです。その契約を持って上がれば、神様は答えをくださる神様です。主の家のためと言われています。この言葉は、単に神殿のためではありません。そちらで福音が子孫代々に宣べ伝えられなければならないから、当然、恵みを受けるでしょう。
・私たちの教会が、単に建物を作ったら、何の意味もありません。そうではないでしょうか。ここで正しい福音を子孫代々に伝える準備をするのです。これから皆さんの子どもとレムナントが、専門性を備えられる、そのような礼拝堂を作るのです。もう教会は単に行き来する所ではなく、皆さんの子ども達がきて楽に学業キャンプもして、実力を養う家を作るのです。そして、皆さんの子ども達の将来を見られるキャンプを作るのです。教会はそうならなければなりません。そのような教会を作るのです。だから当然に、皆さんは恵みを受けるのです。そのような祝福をダビデが祈りました。感謝したのです。どうしても104ヶ国が英語を使っています。私のような立場にいれば、通訳者がいるのですが、普通の人はそれができるはずがありません。皆さんの子ども達が、通訳者を連れて通うことはできないでしょう。どこでも話をしなければなりません。
・イスラエルの人々が5ケ国語を堪能にするから、世界をはやく征服するのです。それで、考えるようになったのが、幼い時から正しくなされた英語を聞かなければならないのです。そして決めて、今年から英語宣教学校を始めます。まず正しくするために、ソウルと釜山に一ヶ所ずつします。ソウルには、デボラが中心になって、米国からとても良い教材を準備して持ってきました。釜山は、海雲台でしようとしているのに、良い先生がいないということでした。それで、私が指示を与えました。「良い先生がどこにいるのか。捜し出さなければならない。昔の言葉にも、重要なことは遊んでいる(何もしていない)人にさせてはいけないと言われている。重要なことであるほど、忙しい人にさせなければならない。」今現在、私たちの総会神学校の学生の中で英語一番を上手にする人を捜し出したのです。ソラを捜し出しました。よりによって、ソラが今回の総会神学校の試験で1番でした。首席合格をしたのです。そうなるのは当然です。米国でも1流大学を卒業しています。それこそ英語に対しては話す必要もない人材です。
・その人に海雲台の英語宣教学校に行きなさいと言いました。学校を休学して行きなさいと言ったのです。ところで、普通の人々は自分が少しだけ困ったら、いけないと言うのですが、この人はOKと言いました。牧師先生の指示だからすると言ったのです。それで釜山に来ることにしました。私たちがレムナントを育てることを始めます。それほど重要なことはありません。私たちは神様の前でどんなことが重要なのかを分かるべきです。皆さんの仕事の中で最も重要なことが外に出て行ってもあるでしょうが、先に神様が与えられる力を得て答えを受けなければならないのです。主の家のために。この言葉は、簡単に話せば福音のためにということです。私たちがいくら良いものを作っても、何をするのでしょうか。真の福音がなければなりません。
・結論を結びます。皆さんが礼拝をささげに来る時ごとに、終える時ごとにしなければならないことがあります。それは何の結論なのでしょうか。最高の日にしましょう。そのように考えれば良いのです。最高の日に。私が伝道師の時です。伝道師だった時、信仰もそれほどなく、お手伝いをよくしている時でした。今、伝道師は、後のほうでお手伝いをしています。それを数年すると、人が変に座っていると礼拝にならなくなります。お手伝いをしてみると、礼拝の重要さが分かりません。そして、教会の中に困難が多くて、葛藤が生じることを伝道師が皆知ります。礼拝が重要なのかを知らなくなるのです。ところで、私が礼拝堂の後に立っていたら、女子学生が入ってきました。礼拝をささげないで私の後に立って祈って行くのでした。変だと思いました。「あの子はなぜそのまま行くのだろう。」それも、その子ははやく出て行くために、私が追いかけることもできなかったのです。毎週そうでした。一度は追いかけてきて私に何かくれました。そのまま渡せば良いのに、封筒に入れて、たたんで渡してくれたのです。それで、何かと思って開いてみました。
・外に名前を書いた十分の一献金でした。十分の一献金を代わりに出してくださいということでした。これが、とうてい理解できなかったのです。あの子がいったい誰で、名前は何であり、なぜ礼拝もささげないで門の前で行くのか、十分の一を出すほどならば、信仰がある子なのに、なぜ自分ではなく、私に代わりに出せというのかが理解できなかったのです。いつも気になっていました。ところで、ある日見たら、椅子に座って礼拝をささげていました。そして、泣いていたのです。どうして今日は礼拝をささげるのかと不思議に思いました。分かったところ、この子は、お父さんお母さんがいなかったのです。中学校2年で中退したのでした。下に弟2人を育てていました。教会のそばを見ればバスターミナルがありました。そちらで清掃する子でした。道をはさんだ向い側に城東教会という私が伝道師をしていた教会があったのです。今は橋があるですが、その時は、遠回りして横断歩道を渡らなければならなかったために、走って行かなければならなかったのです。この子が手洗いに行くという言い訳をして飛んできて、教会にきて祈って行くのでした。
・とても簡単な雑用をしていたので、休日もなかったのです。どうにかして、数ヶ月ぶりに聖日に休めるようになったのでした。それできて礼拝をささげていたのです。礼拝をささげながら、とても恵みになって、泣いていたのでした。その時、私がおかしな気がしました。「この多くの人々が教会にきて、何の恵みもなしで、感動なしで座っている、この多くの役員、私を考えてみよう。私は思いきり礼拝をささげられるのに、感謝することも知らない。」みなお腹がいっぱいだからです。その子がそれからどうなったのかは知りません。しかし、どれくらいその歩みが私に感動を与えたのか知れません。また、その子はとても難しいから、神様に祈ったでしょう。ダビデ王は王でした。王が神殿に入るのを最も貴重だと思ったのです。これが普通のことではありません。嬉しい気持ちで、感謝する気持ちで、聖徒を祝福する気持ちで。それも何と祈ったのでしょうか。主の家のために、私の兄弟の友人、聖徒を祝福すると言いました。
・正しく祈ったのではないでしょうか。だから、ダビデが答えを受けたのです。どんな敵にもみな勝ちました。戦いませんでした。皆さんがこの祝福を受けるように願います。気落ちしないで、祈っていれば、ある日、答えを受けます。英会話の勉強してみたでしょう。していれば、ある日、世の中の事情が分かるようになります。私たちが知らないから祈っていれば、ある日、開かれるのです。私はこのように時間を定めて定刻祈りしていたのに、ある日、悟りました。それで礼拝をささげに行く時間は、一番貴重な時間になったのです。
・私はその時から礼拝回復をしました。礼拝だけ回復したのに、私は祝福の場にいました。学生の時、とても貧しくて神様に献金することがなかったのです。神様、私が献金することができるようにしてくださいと、その祈りだけしたのですが、答えられました。神様が答えておられるのに、どれくらい正確にされるかわかりません。今日、皆さんが聖日ごとに、タラッパンをする時ごとに、メッセージを受ける毎日が最高の日にするように願います。
・ユダヤ人なのにユダヤ人が福音を悟ったのです。大変なことです。ユダヤ人が福音を悟るのは大変です。この方が福音を悟ってとても尊く思ったのです。息子を見て話しました。「お前は今からいくつかをしなさい。この福音のために、お前は教会の働きは無条件にしなさい。もう一つ、お前はお金をたくさん儲けて献金で献身しなさい。それで、教会が復興して、福音が宣べ伝えられるようにしなさい。そして主のしもべ、伝道者は無条件に手助けしなさい。」と両親が教えたのです。「そして、礼拝時間30分、40分、1時間前に行って祈りなさい。最高の日になるようにしてくださいと祈りなさい。」そのように両親が教えました。なぜでしょうか。ユダヤ人が福音を悟ってとても良かったためです。その親の話を聞いて、礼拝を30分、40分前に前の席に行って祈りました。
・その人がロックフェラーです。今はその財団がおかしくなっていますが、その当時、神様がどれくらい祝福されたでしょうか。その人が出す十分の一ですべての教会が動きました。ロックフェラーがシカゴをはじめとする大学24ケを立てました。ロックフェラーが保険を加入させた教会堂だけ2千ケ作りました。崩れれば、新しく補修しなさいと永遠に保険に入れたのです。今、米国に福音がなくなって教会を運営する人がなくて危機がきていますが、とにかく、その時はその人にそのように祝福がきたのです。
・盲人がイエス様が過ぎ去っているのに前が見えないから、どのあたりを行くかわからなくて大声で叫びました。「ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。」イエス様がどのあたりにおられるのかわからないから、声を大きく怒鳴って、他の人、弟子までが騒々しいと言いました。ところで、聖書を見れば、より一層大声を出したと言われています。「ダビデの子、イエスよ。私をあわれんでください。」イエス様が弟子らを叱って、歩みを止められました。神様ですあり、キリストであるイエス様が歩みを止められたのです。神様が皆さんの祈りをお聞きになって、キリストが皆さん事業に歩みを止められたら、1秒だけでも終わるのです。
・「何をして欲しいのか」「見えるようになることです」「あなたの信仰のとおりになるように」イエス様の一言で終わりました。今でも創造主なる神様が、皆さんのために一度だけ祝福されれば終わるのです。他の人はみな騒々しいと言ったのですが、なぜそうだったのでしょうか。イエス様に会えば良いというその信仰を持ったバルテマイとイエス様が通じたのです。
・長血の女性がイエス様のすそだけつかんでも癒されるだろう。ところで、実際に霊的な力は伝えられます。病気は伝染するのですが、霊的なことは伝えられます。それで按手のようなものを誰にも受けてはいけません。私はとてもおかしな苦労して教役者なった人々に、学生たちを任せないでと言います。それが基準ではありません。霊的なことが伝えられるのです。イエス様のすそをつかんだのですが、力が出て行ったと言われています。イエス様がその女に「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。
・皆さん今日、この礼拝の時間にダビデのように最高の祝福を受ける時間を過ごすように願います。それでは、今、直ちに答えが来ないように見えても、正確な答えがきます。こういう祝福を受けて、皆さんが癒される祝福の時間を過ごすことをイエスの御名でお祈りします。インマヌエルの家族、全世界の家族、レムナントまで祝福の時間を過ごすように願います。お祈りします。

<<契約の祈り>>
神様、感謝します。今日、私たちが重要な祝福を受ける祝福の時間になるようにさせて下さい。ダビデのように神殿に上がるのが最も貴重なことに変わる力を与えて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/救いとは何か?
(マタイ16:13〜20)

・今日はレムナントらが共に賛美をしたためか、世界で最も素晴らしい賛美をしました。今日から4週間、基礎に関する話をしようとしています。ちょうど一般信徒献身礼拝です。時間がよく合うようになったと思います。初期の時にしていたメッセージを聞くべきなのに、今、皆さんが聞く機会がありません。それで、新しい家族集会を作ったところ、新しい家族は来ないで、古い家族だけが来るのです。それで、だめなように思ったのですが、新しい家族が一番たくさん出席する現場が礼拝の時間です。それで、2部礼拝の時、継続しなければならないと考えました。これが終れば、初期の時にした福音手紙を一講義ずつしてみようと思っています。福音の手紙が終れば、現場に最初に行った時にしたメッセージ、現場メッセージをします。
・クリスチャンの最も大きい失敗が何だと考えますか。福音をよく知らずに出て行くことです。パウロはこういう話をしました。パウロがどれだけの福音を悟ったのでしょうか。ここで多くの問題がき始めるのです。柳光洙牧師は、福音をどれだけ悟ったのでしょうか。パウロがどれだけの福音を悟ったのでしょうか。パウロはこのように告白しました。福音の深さ、広さ、高さを測ることはできないと言いました。測ることができないと言ったのです。それでは1/10程度、悟ったのでしょうか。それでは私はどれだけ悟ったのでしょうか。これがクリスチャンの最も大きい失敗です。牧師の失敗も何かというと、福音の命の味を少し味わっていくべきなのに、知らずに仕事を始めて、開拓するので、ここで失敗をするのです。役員も同じです。聞いたことはあるのですが「これだね! 」と、すべては分からなくても、少しは知ってから行ってこそ、物事がなるのに、知らずに出て行くのです。
・それで時間が経てば、どんどん困難がくるのですが、なぜ困難が来るのかも知りません。聖書をあらまし長く聞いているので、聖書は少しわかりますが、よく知らないのです。だれかがキリストの話をすれば、みな基礎だと言います。みな正しいのですが、実際に自分のことにならなくて、味を知らないのです。それで、全国、世界で牧師の子どもが一番注意しなければならない部分が、この部分です。私の話を普通に聞いてはいけません。牧師の子どもが、信徒になって牧師の子どもになったのではなく、牧師の子どもに先になって教会にきたので、よく知らないのです。これで変に教会をよく分かるのに、信仰が育たないのです。もちろん、そうではない人もいます。聖書も少しわかるのに、実際には育ちません。下手すると、ある日、霊的には大きい爆撃に会います。記憶しなければなりません。
・福音を知らずに、私の場合も、信じる家で育ちました。むしろイエスを初めて信じて、中間で信じる人々が福音を聞いて「そうだ!」このように信じます。そうでなければ、難しい時、問題があった人が福音を聞いて「そうだ!」と解決になるのです。それで、イエス様が最初の者が後になって、後になった者が先になる者が多いと言われました。私は福音をどれだけ知っているのでしょうか。私が思うことでは、まだ開始です。私は開始くらいしか知りません。それでは、これから受ける福音の祝福はものすごいのです。タラッパン運動を3年しました。カン・ホイン牧師、金テウン、尹ビョンム牧師が一緒に始めた核心メンバーです。タラッパンを持って福音運動を十分にしようとしたのですが、この方達が集まってひそひそ話す声を私が聞きました。「もうタラッパンを3年くらいしたが、私たちのキャプテンがネタがなくなったのか、もうこれ以上はないようだ。」と言っていました。
・私の特技が耳ざといことだから、しかたなくこの友人が家を出て行ってはいけないから、チームの働きを始めました。その時からは蓋を開けて、20個の戦略がずっと出てきたのです。ある面では、良くやったことですが、ある面では失敗したのです。全部みな分かるのに、味だけ知らずにくるのです。とても重要です。今日、皆さんがこの部分を分かるなら、すばらしいことが行われるでしょう。それで、外に出て行ってみれば、信徒がぐらぐらしています。なぜそうなのか分かるでしょうか。皆、知っているのにだめなのです。なぜなら、味だけ知らなかったので、そこに対する力だけがないのです。今日、これになれば、皆さんの悩みが何でしょうか。問題がみな解決されます。皆さんの悩みが何でしょうか。神様はみな解決することができます。もし幼いレムナントがよく知らないでしょうが味わえば、この子たちは世界をひっくり返すのです。9才の時、イエスがキリストと告白した人がムーディーです。努力もしなくて、知らなかったのですが、世界がひっくり返されてしまいました。それも開始に過ぎません。この福音がどれくらい大きくて偉大なのか、地球を数百回変えてもかまわないほどの奥義が福音です。そのように話をすれば、サタンが見る時はおもしろく見えるはずがありません。
・福音の味を全く知らないクリスチャンが出て行くので、一番難しいのが伝道です。深刻な問題です。この頃、私がキリスト教新聞を見れば、とてもたくさん笑います。伝道に関することが出てきていますが、私が伝道に関心が多いので、読んでみれば笑わせることがあります。本当に私は心配になるのです。この頃、見ると、珍島犬伝道があります。一度、くいついたら絶対にのがすなということです。それは聖書的ではありません。今、この時間に定められた人でないと考えれば、はやく置いておいてあげなければなりません。ふさわしくないところは、はやく履き物のちりをはたいてしまい、他に行かなければならないのです。使徒15:48に、救われると定められた者は信じるようになると言われています。ルデヤの心をパウロが開いたのではなく、「主がルデヤの心を開かれた」と言われています。これが全く基礎がならないで出るからです。それでは、これから苦労することが明らかです。クリスチャンを見れば、苦労することが目に見えています。いろいろな伝道がありました。さつまいも伝道もありました。刺してみなさいと言われています。いっそ、その言葉が少し合うようです。そしてライター伝道もありました。人を呼んで、指にライターの火を近づけて、イエスを信じなければ永遠にこうしたところに行くと言うのです。みな正しいようですが、心配になります。いのちを持った者はいのちを伝えることができるのです。
・イエス、天国、この言葉だけ言ったのにみわざが起きます。イエスを信じれば天国を行くとも言わなかったのに、イエス、天国、この言葉だけ言ったのにみわざが起きるのです。私が以前に、初期の頃、外に出てみれば、あきれました。クリスチャンが、どれだけ福音にならなくなっているのか、私が福音を受けたのに神の子どもなのか、そうでないのかを知らないのです。私が初期に集会に行って、学生たちに「私は神様の子どもだ。」と思う人は手をあげてみなさいと言ったのですが、ほとんどみな手をあげませんでした。あまりにもあきれて、神様の子どもではないのかと問い直せば、互いに顔を見つめながら少しあげました。学生たちが、100人座っていれば、およそ20〜30人が自信なく手をこっそり上げました。どのように世界福音化をするのでしょうか。どのように祈りの答えを受けるのでしょうか。どのように勝利するのでしょうか。私がとてもあきれて、神様の子どもに間違いないのかと叱り飛ばしたら、こっそり上げている手までみな降りて行ったのです。これがクリスチャンの姿です。何で救いがテーブルをたたいたら、上がったり降りたりするのでしょうか。
・これで現場に行けば、何の力もありません。学校で無理にサークルを作って集まるのですが、何の力もありません。どこに失敗をしているのか分かるでしょうか。今、私と皆さんがどこが足りないのか分かるでしょうか。方法と力と未来が足りないのではありません。そこでだめだから体験すると言いながら、さらに変になるのです。今日、私がこの話をしようとするなら、序論だけを持って何時間も話さなければなりません。これから継続します。何週間、基本を話せば、皆さんに本当にみわざが起きる神様の子どもの祝福を味わう恵みを神様がくださるでしょう。
・いったい救いとは何でしょうか。これを分からなければなりません。救いが何かも知らないのに、どのように福音を伝えるのでしょうか。救いが何かも知らないのに、どのように伝道と宣教をするのでしょうか。私は一般信徒を見れば、実際に霊的な力が一つもないことを見ます。話だけで実行が伴わなくて、霊的な力は一つもありません。それでは大変なことになります。そうではいけないのです。どれくらい、この救いの中に大きい力があるかということです。この救いの中には、すべての力が入っています。今日から献身礼拝に参加する方々だけでなくて、全世界のレムナントまで、真のこの力を得ることを希望します。死んだ木に水を与えれば、どうなるでしょうか。レムナントは返事してみてください。腐ります。福音もないのに、説教をどんどん聞けば、腐って寝てしまいます。礼拝もささげられないで寝てしまうのです。
・タラッパンはしないのですが、一般教会に行けば、役員の席が別にあるのですが、前の席でみな寝ています。私が大きい教会の礼拝の時、入ってみれば、長老20〜30人が全部目をとじていました。書くつもりもありません。私が説教をしても、誰も書かずに、全部、長い間、死んでいます。目をとじていれば眠たいのです。ところで、熟達して、さらに長くいる人は、ずっとうとうとして、新任で長老になった人は寝て目を覚ますことを繰り返します。それで初めて教会に出てきた人々は、信仰が良ければみな目をとじなければならないと習うのです。それで、勧士、執事、みな寝てしまいます。説教する人だけ福音でもないこと持って大声を出しながら騒ぐのです。サタンの遊び場です。死んだ木に日光が射せばどうなるのでしょうか。枯れて死にます。生きている木に日光が射せば力になります。生きている木に水を与えれば力になります。
・皆さんが福音の奥義が分かれば、すばらしい力がみな出てくるのに、力だけ出てこないのです。このようにしてはいけません。これは解決しなければならないのです。他のことはたくさん考えるでしょうが、そうではないのです。私はいっそ礼拝をささげる時、礼拝は生きている礼拝だから、子どもたちがきたり、信じる人々がくることは良いのですが、無理にイエスも信じない人を連れてきて、みなうとうとして、こういうものは死んだ礼拝です。なぜこうしたことをするのでしょうか。私はそれほどする理由がないと考えています。私たちの教会に賢い人が子どもたちを教えました。弦楽器は専門ではなくても、子どもたちもしてもかまわないから、子どもたちに教えて、礼拝の時に座らせてするのがレムナント教育でしょう。それを神様が受けられるのですが、信仰もないのに、弦楽器をすることができるからといって教会に連れてきて、礼拝の時間に寝てしまえば死んだ礼拝です。
・今日、私が昔の基礎を話そうとするので、とても苦しくて興奮して話してしまっています。ほとんど、心を見なくて、力がみな抜けて死体になっているのです。死んだ人の一部分を切ったという事件がありますが、死んだ者は一部分をより多く切っても何も言いません。霊的に死んでいれば、サタンがメッタ切りをしても分からないのです。救いとは何でしょうか。内容から分からなければなりません。いったい救いとは何なので、神様がこんなに何度も強調されて言われたのでしょうか。皆さんが信仰生活をいくら良くしても、身分が変わらなければ仕方がありません。
・皆さんが3つの身分から抜け出せなければ、絶対にだめなのです。地獄とサタンと罪の運命、これを運命と言います。ここから抜け出すのが救いです。だから救いとは、ものすごいことなのです。ローマ8:2に、聖霊の原理が罪と死の原理をあなたがたを解放したと言われています。ヨハネ5:24、死からいのちに移ったと言われました。答えを受ける前に、先に分からなければなりません。こういうものが救いだと、信じる後からではなく、先に知らなければならないのです。
・ある人は、受け入れをすれば良いのにと言いますが、そうではありません。誰かが外でベルを押すのに、確認もしなくてドアをあけるでしょうか。家にお客さんが来たのに、ベルを押せば、何の確認もしなくてドアをあけるのでしょうか。誰なのか確認をしてみてドアをあけるでしょう。受け入れをする時も、確認をして、知ってしなければならないのです。運命から絶対に抜け出せないから、神様がキリストを送って、罪、呪いから解放すると約束されました。災い中にいるから、そこから抜け出すようにするのが救いです。
・皆さんが犯した罪でもないのですが、サタンのために神様を知らない原罪に陥りました。これを解決するのが救いです。両親が、先祖が犯した罪、霊的問題が、そのまま伝達にされるのに、そこから抜け出すのが救いです。自分が犯した罪もたくさんあるのですが、そこから抜け出すのが救いです。それで、救いとは何でしょうか。過去、現在、未来の問題が完全に解決されるのです。受け入れる人々、すなわちその名を信じる人々には、神の子どもとされる特権が与えられたと言われています。「これが救いの開始で、救いだな!」内容から分からなければなりません。この中に、ものすごいものがあるのです。
・イエスを信じる瞬間、皆さんの過去、皆さんのすべての暗闇がみな終わってしまうのです。イエスを信じる瞬間、今、神様の子どもとなります。エペソ2:2-6後ほど神様の国に座ると言われています。皆さんがだますことはできません。いくらもがいて、いくら階級が高くても、問題はどんどん来るのです。米国をよく知っているでしょう。最高の国だと見ても良いでしょう。ところで、霊的な問題を持った人が一番多いところが米国です。私たちと日本は比較になりません。日本は私たちよりさらに先んじています。それにもかかわらず、アジアで霊的問題が最も多い国が日本です。日本では良く暮らしているのに、家が出てきた子どもたちがとても多くいます。ところで、私が詳しく見たら、全部、狂っていました。初めには、日本には家がなくて出てきているのだと思っていました。年をとっている人もいて、子どもたちもいます。
・どれくらい深刻なのか分かるでしょうか。駅もまた一杯になっています。韓国よりきびしいのです。日本の駅ごとに、家を出て寝ている人が一杯になっています。あきれたことだ。霊が狂っているのです。ところで、詳しく見たら、韓国の乞食とは少し違います。韓国の乞食は勝手に寝ているのですが、日本の乞食は、整理をして横になっています。自転車もあって傘もあります。また、日本にいる乞食を見ると、本を見ていました。やはり韓国乞食よりレベルが高いと思いました。ある時は、ニューヨークタイムズも見ていました。しかし、ひとまず狂った人々です。家を出てきて、みなそのようにしているのです。深刻なことです。嘘をつかないならば、私たちは人間の問題を知っています。そのような面倒な話をみんなしなくても、明らかです。韓国の重要な財閥は、このように話して申し訳ないが、皆分かるでしょう。私たちはその方たちをよく分かるメンバーが一緒にいて、いつも祈っています。家に霊的な問題が深刻です。お金で解決しないのです。だから、人間が運命に陥っていて出て来ることができないのです。救いとは何でしょうか。過去、現在、未来の問題が完全に解決されることです。皆さんが福音の根をおろす瞬間に、驚くことが行われます。それで、ローマ8:31-39に、絶対にほろびないと言われています。
・二番目です。今日の本文を読みました。今、なぜ私たちは祈りの答えを受けられないのでしょうか。大部分が、勘違いをしています。救われなかったのに、救われたように勘違いしているのです。また、ある人は救われたのに、救われていないかのようにしています。救われなかったのに、救われたように考えるので、失敗するしかありません。そして、皆さんは神様の子どもとして救われたのに、この祝福を知らないのです。それで、こういう錯覚が出てくるのです。よく見なければなりません。人々がわたしを誰だと言いますか。バプテスマのヨハネのようだと言います。これは初めて教会を通う人々には、何の話かわからないでしょう。わたしを誰だと言いますか。エリヤのようだと言います。こういう人がいました。エレミヤのようだと言います。預言者のようだと言います。
・ここで少し重要なメッセージであるから、学生たちは耳を傾ける必要があります。バプテスマのヨハネがした働きは何でしょうか。みな預言者だったのですが、バプテスマのヨハネがおもにしたことは何でしょうか。イエス様に神様の息子だと言いました。それはすごいことなのです。この人が一つの事をして死にました。バプテスマのヨハネが神様を信じていたのも間違いなく、みな正しかったのですが、一つの事をして死にました。何をしたのでしょうか。バプテスマのヨハネは、イエス様に洗礼も与えたのですが、他の人が皆知っている一つの特徴的なことをしたのです。それがまさにイスラエルの王、ヘロデの誤りを指摘して死んだのです。正義を叫んで死にました。これをキリスト教だと思っている人が多いのです。正しいことですが、違います。簡単に話せば、バプテスマのヨハネは、今の言葉で話せば社会運動をしたのです。これが信仰生活であることもあるが本質ではありません。それでちょうど社会運動をするのが正しいように見られるのですが、信仰生活の本質ではないのです。エリヤは何をしたのでしょうか。
・エリヤは、色々な仕事をしたのですが、ここでの言葉の意味はエリヤの特徴を言うのです。途方もない力のわざを行いました。だからまさに神秘運動です。これを福音だと思っています。そのようなこともあるのですが、それが福音の本質ではありません。今日のメッセージが重要だから、メッセージが少し長いでしょう。寝ている方は、寝ていてもかまいません。よく聞かなければなりません。エレミヤは何でしょうか。言わば、キャラクターを言うのです。エレミヤのキャラクターは何でしょうか。涙をたくさん流しました。博愛主義のことを言います。絶対に正しいことですが、福音ではありません。預言者の中の一人だと言いました。それは宗教です。福音は宗教ではありません。宗教は偶像崇拝、悪霊に仕えることだから福音ではないのです。このようにして、どんどん失敗するのです。
・信仰生活をする人々の中で、このようにする人がとても多いのです。律法、宗教と福音は違います。律法と福音とは違います。ところで、ほとんど長いクリスチャンは、このようにしています。それで不思議に力があることもせず、力を受けたのに、できなくてどんどん困難がくるのです。教会に初めて出てきた人々は、この言葉だけわかれば、本当に答えが始まります。教会に10年以上通った人々、祈りの答えが来ない方たちは、はやく悟らなければならなくて、そうでなければ命がないということだから、大変なことになるのです。ところで、この祝福をみなのがしてしまい本質をなくすようになるのです。それで信仰生活をして行けば、ますます難しくなるのです。
・今日、簡単で、難しくありません。何を悟るべきでしょうか。あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。その時、弟子が返事をできなかったのですが、ペテロが返事をしました。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」ものすごい返事が出てきたのです。暗闇の問題をうち破った創世記3:15の主人公で、神様の息子でいらっしゃいます。この言葉は、普通の話ではありません。聖書に約束されたイザヤ7:14に、処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づけるという話の主人公だということです。長く信じている人々もいて、新しい家族もいるでしょう。新しい家族は、よく聞かなければなりません。キリストという言葉は、何の話なのでしょうか。キリストという言葉の意味は、油を注がれた者ということです。それでは、誰に油を注ぐのでしょうか。
・昔に、三種類の人に油を注ぎました。預言者に注ぎました。祭司に注いだのです。この人たちに油を注ぎました。そして、王になった時も、これから王になると油を注ぎました。この3つの単語を合わせたことをキリストと言います。ここで重要な問題が出てきます。イエス様が来られたのは、真の預言者として来られました。神様に会える道を開いて下さったということです。今までは預言者が方法だけを話していたのですが、実際に十字架でその道を開かれたのです。皆さんの罪を十字架で赦すためのマルコ福音:10:45に祭司として来られました。目に見られないサタンの勢力を完全にうち破った真の王です。この3つのことを皆さんが味だけ知ってしまえば、大きなみわざが起きます。まだ味を知らない人が多いのです。
・牧師を長くしているのに、味を知らない人が多いのです。長老、執事を長くしたのに、味を知らない人がいます。皆さんが味だけ知っても、みわざが起きます。はなはだしきは、皆さんが信じて告白するだけでも、みわざが起きます。「あなたは生ける神の御子キリストです」イエス様が何と言われたのでしょうか。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」それと共に3つの祝福を与えられました。また、「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」
・この祝福の味だけ知っても、世界征服ができます。この祝福を告白するだけでも、みわざが起きるのです。どれくらい驚くことでしょうか。皆さんがこの契約を捕まえるだけでも、みわざが起きます。最高の祝福をすべてくださいました。この告白をする瞬間に、これがみな崩れるから「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」と言われたのです。そして、私がこの祝福を持って現場で証拠を見ました。皆さんが今から伝道現場に行くのは、伝道に出て行くのではなくて、この味だけ知れば、みわざが起きます。皆さんの家と個人が変わることが行われます。私が今ここに座っていますが、本人の名誉があるから名前を言いません。私がこの地域を伝道したのに、今、米国に行った、チ・サンオク家で聖書勉強をしました。私が忙しくてなって、他の人が行って毎週しました。
・ところで毎週木曜日ごとに人々が集まりました。集まって説明をしたのです。この説明を一つずつするのに、ここに一人のおばあさんがいました。仏教協会の会長であったし、町内で噂になった悪口を言う人でした。ここに今、座っておられます。友人が行くのを見て一緒に行ったのです。入ることもせず、門口で聞いていたのです。皆、聞いてみて「キリストが何の話なのか、真の王として来られて、悪魔、悪霊、サタンの勢力をうち砕いた」皆さんは普通に聞こえるかも知れないのですが、この人には衝撃だったのです。すべての運命、すべての呪いをみな解決した祭司です。「私たちは神様に会えない。神様に会ったということは間違っている。ところで神様が道を開いてくださったが、キリストという道を開かれた。真の預言者として来られた」この話しを聞いたのです。それで「そのとおりだ。私は罪人だな。」と考えて、ドアをあけて入って、生まれて初めてイエス様を受け入れたのでした。
・受け入れだけしたのに、神様のみわざが起き始めたのです。この方は、からだが病気の人でした。自分で告白したのです。ところで、これがうそのように解決したのです。それが問題ではなくて、このキリストの力をどんどん言いたくて、伝道したのでした。それで人が悪口が上手だったから、少し過激で、伝道も過激にしました。その来週に見たら、その家族が全部、みんな来ていました。家族も夫婦、子どもをみな連れてくるので、どれほど多かったでしょうか。それから、タラッパンの時、私にこの福音を分かったら、とても良いが、私が私たちの家族に話をしなければならないので、自分の娘、婿を呼んで話をしたということでした。「私はイエス様を信じて神様の子どもになった。とても良くてお前らもイエス様を信じて神様の子どもになりなさい。そうでなければ今日から離婚しなさい。」それでおじけづいてみなきたのですが、今は全部、執事です。どれくらい神様が働かれたのか、その時、開始になって、全地域に広がったのです。
・今、私がここに座った証人の話だけしても、ものすごいのです。信じるだけで、告白だけしたのに、みわざが起きたのです。もし皆さんがこの部分を体験してしまえば、本当に奇跡が起こります。ほとんどみな知らずに教会に通っています。そして、ある人は、これを信じることもせず通っています。認めることもしません。もし味わってしまえば、みわざが起きます。この基礎をのがしたのです。あなたは生ける神の御子キリストです。この事実を他の何人かに伝達してみなさい。奇跡が起こるでしょう。私たちの現場が全部、証人ではないでしょうか。
・私が登山に行って降りてくるのに、あるムダン(霊媒師)のおばあさんに会いました。祈梼院に上がる所を見れば、薬水の所があったのですが、そこで会いました。その方は降りてきて、私は上がっていました。水を飲もうとして、互いに譲らなければならなかったのです。私が水を飲もうとして、先に譲りました。それで私が簡単に尋ねたのです。「グッ(降霊術)をして来られたのですか」そうだということでした。「おもしろいですか」これは、おもしろいからするのではないと言いました。「そうですか」それで、私が簡単に話をしたのです。「私は下の東三第一教会の牧師です。ムダン(霊媒師)子ども達は、ほとんどみな精神問題を持っています。」その話をしたのです。すると、このおばさんがどうして分かるのかと言いました。100%みなそのようになります。ムダン(霊媒師)の子ども達は、ほとんどみな精神問題になると言ったところ、このおばさんは自分の家がそうだと言いました。
・聖書に偶像崇拝をすれば三代、四代までほろびるとなっています。伝道が難しいのでしょうか。その人々に答えを与える話をするのです。そのようにおばさんが偶像崇拝をしたために、子ども達が何の罪もなく、霊的問題にあうのです。どのようにすれば良いのでしょうか。イエスを信じれば良いのです。家はどこにあるのですか。あの下の木があるところだと言いました。その時、金曜日にその家を訪問したのです。その時、何人かを連れて行ったのですが、その方が私が行くと言うのでスーツを着ていたのですが、私を見た瞬間に逃げ始めたのです。霊的な問題なので逃げたのです。その時、亡くなったパン・ドンヒ伝道師のお母さんが走ってつかまえて来ました。昔にマラソン選手だったということです。つかんでおいたところ、私たちを見つめないで背を向けていました。私が後頭部に対して、来週にする未信者状態6つを言ったのです。
・なぜ伝道すべきでしょうか。伝道とは何でしょうか。今日、救いとは何か、その話をしたのですが、イエスを受け入れました。そして、その家の偶像を完全にみな取り壊したのです。今現在、私たちの教会のよく信じる勧士です。呼び求めただけだったのに働きが起きます。影島地域の何箇所にこの奥義を言って体験したのですが、世界がひっくり返ったのです。
・皆さん、救いが何か分かるでしょうか。後ほど死んで天国に行くということは後の日の話で、今、神様の子どもになることです。どこかに伝道しに行って、あなたはイエスを信じて死ねば天国に行くと言ってはなりません。これは正確な伝道ではありません。死ぬつもりもないこの子どもたちの幼稚園生を見て、君たちイエスを信じて死んだら天国に行くと言ったら、それは正しい言葉ですが、話になりません。そうでしょう。病気になって死にかかっている人々に、そのように言ったら力が抜けます。私が死ぬ時になったんだなあという気がするでしょう。それでは、それは間違っているのです。イエス・キリストを信じれば神様の子どもに、今、なるのです。それが信じ難ければ、それは滅びます。聖書66巻の約束です。なぜならば、この問題を解決することができないためです。皆さんは罪も解決できなくて、サタンにも勝つことができなくて、神様にも会えません。それで、イエスを信じれば、今、神様の子どもになるのです。神様の子どもになる瞬間、すべての罪と呪いは終わるのです。
・それから、いつが死ぬ時は死ぬのではなく、永遠に天国に行くのです。それでイエスを信じる人が死を恐れない理由が、死ぬのではなくて永遠に天国に行くためです。それで過去、現在、未来、完全に解決できるのです。では、この部分です。これが解決されたのですが、私たちは知らずにいるのです。この証しをみなしようとするなら終わりがありません。皆さんは、家族のために心を痛める必要はありません。じっとしていれば、この問題のために本人が分かるようになります。そして、時刻表があります。ある集会の復興師がこういう話をしました。夫も伝道できないのに、何の伝道をするのかと言ったのです。その話が正しい言葉なのか、間違った言葉なのでしょうか。それがまさに伝道を知らない人がする言葉です。夫を連れてくるのがさらに難しいのです。家族を伝道するのに、ある場合は10年、20年かかります。それは待たなければならないことで、他の人の伝道はしなければなりません。皆さんが家族のために祈っていれば、時刻表がくるのです。皆さんが色々な問題を我慢して耐えていればドアが開くのです。
・だからキリストという言葉は、すべての問題の解決者ということです。絶対にほろびません。あなたはペテロです。この岩の上に。いやイエスを信じる人がなぜあのようなのかと言います。違うのです。教会に通うからです。本当にイエスを信じれば岩です。皆さんがこの祝福を少しだけ味わっていれば、岩だと言われました。そして、権威が生まれます。ハデスの門が勝つことができない。この時、鍵を与えると言われました。何の鍵なのでしょうか。天国の鍵を与える。すごいのです。今からはその鍵を使うのです。天国の鍵は、天国のドアをあけるのです。その鍵がキリストです。その鍵を使うのが祈りです。皆さんの心の中に、そうだ私は神様の子どもだ。これが信じられる人は、祈れば答えがき始めます。私が神様の子どもに間違いないのか。Iコリント12:3に、聖霊でなくてはキリストを主だと告白できないと言われています。そうでしょうか。私が救われたのか。ローマ10:9-10に心で信じて義と認められ、口と告白して救われると言われています。ある教団では、体験しなさいと言いますが、違います。受け入れる人々、すなわちその名を信じる人々には、神様の子どもになる特権が与えられた。誰でも主の御名を呼ぶ者は救われます。救いを知っている人は、その話が何の話なのか分かります。私たちの人間は、救われることができないので、誰でも主の名前を呼びさえすればよいのです。
・宗教とは何でしょうか。倫理とは何でしょうか。子どもが道を通り過ぎて、足を誤って踏んで沼に落ちてしまったのです。子どもは、今、上がって来ることはできません。ドロ沼で動くので、どんどんはまって行きます。本人には力がありません。水に落ちた人は、すでに自分から出る力はありません。このドロ沼の特徴は、動くほどはまっていくことです。どのようにすべきでしょうか。きて、あなたの力で出て来なさい。これが宗教です。出て来られるのでしょうか。あなたの力で解脱して出てきてみなさい。知らないのです。それは本当に問題を知らないことです。あなたの力で出てきてみなさい。それが宗教です。行って、用心しろと言わなかったか。抜けて死にかかっている人に、用心しろと言っただろう。そのように言ったのに、用心しないで落ちたのか。左足から落ちたのか、右足から落ちたのか。それを倫理と言います。解決できません。この子が沼に落ちたとすれば、はやくひもを投げてつかむようにして救い出してやらなければなりません。つかんみさえすればよいのです。つかんでいれば、力がある人が、お父さんが引っ張り出してくれます。この程度に、人間はみじめなのです。それが救いです。誰でも主の名を呼ぶ者は救われます。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々は、神の子どもになる特権が与えられた。
・それでは、この祝福をどのようにすれば良いのでしょうか。簡単です。信じさえすればよいのです。それで、信仰で救われるのです。なぜでしょうか。行うことではできないからです。これを持ってはだめだからです。皆さんが人間の問題、私自身の問題を率直に考えれば、解決できません。それで神様が解決されたのです。それでローマ5:8に、私たちがまだ罪人たった時、キリストが十字架で死なれることによって。神様が私たちに対する愛を明らかにされたのです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神様の子どもになる特権を与えられた。ローマ10:13誰でも主の名を呼ぶ者は救われます。私にはこれが合ったのです。私は昔に嘘をついて通う時は知らなかったのですが、真に私が揺れる時は、方法がありませんでした。それで、他の本も読んでみたら、合わなかったのです。私は力もなくて、善行を行う力もなかったのです。ところで、聖書を見たら、神様が許すと言われていました。誰でもわたしの名を呼ぶ者は、救われるとなっていたのです。私はその時だけ合うと思ったのです。信じさえすればよいのです。それでは、皆さんの罪をなくすだけでなく、死からいのちに移したのです。
・黙示3:20に、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。信じさえすれば救われるのです。学生たちは牧師先生、私が救われたか、救われていませんかと質問をします。信じられれば救われたのです。皆さんが強制的にとらえられて来ていない以上、ここに座ったということは、ものすごい救いの祝福です。このように受け取っておいて、どんどん疑うのです。皆さんは、ものすごいことを受けました。信じる瞬間、救われたのです。学生たちは勘違いしてはなりません。異言をしなければならないのではないか、ある人々はイエスで救われた瞬間、涙が出ると言うのですが、違います。ある人はイエスを信じる瞬間、からだに熱が出て震えると言うのですが、違います。
・もちろん、そのようなこともあります。イエスを信じたのに、何の感動も、しるしもないならば正常です。皆さんがイエスを信じるのに、からだがむやみに震える。これは間違ったということでなく、救いの条件ではないのです。とても震える人は、脳に異常がある人です。そして、涙がたくさん出たら、本来、泣き虫だからです。私はあまり泣きません。ある人は、テレビを見ながらも泣きます。それと救いとは何の関係もないのです。私はテレビを見る時、他の人が泣いても、泣いているのだなと思います。それと救いは何の関係もないのです。ある人は異言をします。異言は他の宗教もするのです。信じる者に神様の子どもになる特権を与えられました。
・私たちの体質があるのです。それで、変化の山に連れて行かれました。知っているでしょう。変化の山に連れて行って、エリヤもモーセも見せました。初めて信じる人は理解が良くできないでしょう。この告白をしたペテロを連れて変化の山に行ったのです。突然におかしな光景が現れました。最高の預言者エリヤがいました。モーセもいました。そしてイエス様がおられました。どれくらい驚くことでしょうか。ペテロがすぐ、モーセとエリヤと先生のために家を作ると言いました。またこのように錯覚をするのです。その時、モーセも消えて、エリヤも消えました。律法も消えて、神秘も消えたのです。ただキリストだけ残りました。皆さんがこの体質だけ変われば、救われた者の祝福が現れ始めます。そうです。少しだけ体質を変えれば、答えがきます。
・救われたのですが、私たちは現実で葛藤が多いのです。そうです。私たちは教会で恵みを受けて外に出て行ってみれば葛藤が多くあります。マタイ17:24-27に、出て行ったら、税金を出さなければなりませんでした。皆さんが恵みを受けて出てみたら、お金の問題が生じるのです。お金がなければなりません。この時、どのようにするのでしょうか。このイエス様が釣りをして、そこでお金が出てくるようにさせました。この話は、現場の葛藤の中で福音を味わえば証拠が現れるということです。神様の大きい祝福があるように願います。あなたは生ける神の御子キリストです。あなたはペテロです。岩です。今から恐れてはなりません。あなたは岩です。絶対に揺れないのです。葛藤は皆さんの事情であって、あなたは岩です。この岩の上にわたしの教会をたてます。ハデスの力が勝つことができない。わたしはあなたに天国の鍵を与えます。この鍵は、権威に対することもありますが、天国のドアをあけるのです。今日、鍵をしっかりととらえて出て行くように願います。私たちのレムナントも、鍵をしっかりと捕まえて開けば良いのです。鍵を持っていて開けば良いのです。天国の門は、必ず天国の門の鍵で開かなければなりません。
・もう皆さんが救われたので、一番最初に体験しなければならないことが祈りです。鍵です。してみましょう。皆さんがもうこの救われたので、ものすごいのです。神様に祈りましょう。子どもです。どのように祈らなければならないのでしょうか。そのまますれば良いのです。祈る時、必ずアーメンをしなければならないのでしょうか。違います。そのまますれば良いのです。必ずイエスの御名でしなければならないのでしょうか。皆さんはイエスの御名で救われたので、イエスの御名で自動になります。コンピュータ式で話したら、自動入力されているのです。必ずイエスの御名でしなくても、自動入力されたのです。ある人がイエスを信じたのですが、祈る方法を知らないと言いました。家族が集まったのです。この方が運転手だったのですが、本当にイエスを信じたのです。家族を集めて、ご飯を食べるのに祈ることを知らなかったのです。父なる神様、ありがとうございます。今日、ご飯をくださって、ありがとうございます。私の息子に祝福をくださって、私の娘を健康にして、私たちが世界福音化するようにさせて下さい。その後にイエス様の御名で祈ります。という言葉を知りませんでした。一番最後にどのように終わらせるべきかを知らないと言いました。私たちは終わらせる時、イエス様のお名前によって、このような形で言います。ところで、この人はまったく初めて祈って、終わりを言えなかったのです。それで、しばらくして、もう終わりと言いました。それでは、だれかが何か言うのでしょうか。神様がその祈りをお聞きになるでしょうか。間違っているのでしょうか。皆、聞かれます。すでに私たちはイエスの名前の鍵を持っているのです。文字も必要なくて、そのまま祈れば良いのです。複雑な祈り、難しい祈りは必要なくて、そのまま祈れば良いのです。長老が祈る時、どのように祈るか心配しなくて、ある方は書いてきたりするのですが、そのまま心にあるまますれば良いのです。そのまま思い出せるまますれば良いのです。牧師先生のために祈って、聖歌隊のために祈って。目を開いて見る必要がなくて、考えればあるのです。それで、私たちの長老と奉仕する人のために、今日メッセージのために祈れば良いのです。それが神様にする祈りです。ある人は心配になって、今日、私が祈るのに、みな書いてきます。メガネを触りながら読むのです。そのようにして祈りになるのでしょうか。読むのが飛んでいってしまう時があります。ある人は飛んでいった紙を拾いに行きます。祈りはそのようにするのではありません。私が今日、基礎だからちょっと長く話すのですが、これから何週かは、このように話す可能性があります。またある人は、祈りを恐れをなすのですが、教会の週報を見て、水曜日に自分が祈ることが分かりました。もし週報を見なかったら大変なことになるところでした。週報を見なかったら、教会に座っていて当てられるのではないでしょうか。私が週報を見たのが幸いだった。水曜日が祈りだな。祈りが怖くなって教会に来ないのです。
・皆さん、今から神様の前で祈りましょう。皆さんは子どもであるために、そのまま答えられます。私の幼い娘が、パパ、何かちょうだいと言えば与えるのであって、複雑な説明は必要ありません。うちの子がお腹がすいていて、お腹がへったから、ご飯を買ってほしいと言えば、全知全能な神様のしもべであり、インマヌエル教会の党会長であるお父さん。ご飯を買って下さいという言葉は必要ありません。ある人は、祈るのに創世記から全知全能みな出てきます。私は昔に祈って、そのような人の祈りに目を10回も開けてみました。長老は、神様の前に祈るので、はっきりとすれば良いのです。そのまま祈れば良いのです。私たちに神様が答える鍵を与えられたのです。ある人は、祈りを知らないので、とても難しいと思います。やっとするのが、食事時間にするのです。ご飯をくださって、健康をくださって、感謝ですと言います。その上に、それも人がいる時にするのです。ある人は、食堂に行って祈りません。ある人は、人がいない時に祈ります。ある人は、何がそんなに恥ずかしいのか顔を隠して祈ります。
・私は食堂に行けば一人で10分程度祈ります。どれくらい気楽でしょうか。ご飯が出たらすぐ食べるのです。祈りはそんなにやさしいのです。そのまま神様にくださいと言えば良いのです。皆さんは神様の子どもであるために、聖霊が皆さんの中にいらっしゃって通じるのです。神様と通じます。皆さんが携帯電話を買って登録する瞬間、通じます。わかったでしょうか。受け入れる者、神様の子どもになる瞬間に、聖霊が臨むから神様と通じるのです。その時から祈れば答えがきます。幼い子どもがお腹が空いたからご飯を買ってくれと言うのに疑う必要がありません。昔にもそうでした。私の息子と娘の中で私たちの娘はお小遣をくださいと言います。息子はおとなしいのか、くださいという言葉を言いません。それで一人で悩んで、妹に借りて使うのです。私たちの娘に与えれば、娘は当然に片手で受けました。今でもそのようにしています。私の息子は、与えれば足を揃えて、手を合わせて、小遣を与えれば震えていました。そして、もらったらお辞儀をしました。それが何でお父さんの息子なのでしょうか。私たちの娘は、そのまま受け取ります。私がそこまで知らずに上げなくて出ていったら、私の娘は電話して、なぜお小遣を渡さなかったかと言いました。申し訳なくて、パパが知らずにそうしたと言います。ママに借りて使って、次にあげますと言うと、今度から気をつけなさいと言いました。私の息子は、借りて使って、話もしません。子どもは、必ず答えを受けるようになっています。
・この時から、皆さんは何をするのでしょうか。権威ある祈りができるのです。その時、イエスの御名で暗闇の勢力をうち砕けます。どこででもそのようにしてはいけません。どこででも嫁が舅を見て、悪魔の勢力、イエスの名前で縛られるようにと言ってはなりません。正常なお客さんに、悪霊が出て行くようにと言えば、非難されます。皆さんが思う時、本当にこれは暗闇の勢力だという時、イエスの名前で権威を使う時、すばらしいことが行われます。
・来週に継続しなければならないから、一つの単語だけ見ましょう。この告白をした、ところマタイ16:21に何となっているのかを見ましょう。一箇所だけ探してみてください。その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。始められたのです。これが何の話でしょうか。皆さんが福音を知って受ける祝福は、今、開始に過ぎません。皆さんが本当に答えを受けるように、イエスの御名でお祈りします。
・整理します。聞くから信じられるのです。聖霊の働きです。イエス様を私の救い主として受け入れました。この時から、この祝福が始まるのです。もしこの奥義を味わい始めれば、ものすごい答えがきます。これを少しだけ体験してしまえば、変化する祝福がきます。皆さんの家系、職場、現場、事業に神様の変化が起きることをイエスの御名でお祈りします。来週は伝道は何か、可能ならば基礎の説明をしようと思っています。それで、皆さんが必ず答えを受けることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。霊的な目を開いて下さい。救いの奥義を見るようにさせて下さい。真の答えを見るようにさせて下さい。一週間、この祝福を味わうようにさせて下さい。永遠に、この祝福を見るようにさせて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン