2007年3月18日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/仕掛けられたわなから助け出されたように
(詩124:1〜8)

・この本文は、ダビデが自分の信仰生活を一番よく表現したと言えるでしょう。仕掛けられたわなから助けだされたようにと言っています。多分、自分の信仰生活を一番よく表現していると言えるでしょう。聖書はおもに3つのことから構成されています。一般の人々が読んでも良い、そのような部分があります。このようにしなさい、あのようにしなさいという良いみことばがあります。
・信仰生活をする人の中でも、そのレベルに留まっている人々を見て、福音をまだ悟れていないというのです。誰が見ても正しい話があります。こういう部分は宗教的で、律法的で、倫理的な部分です。しかし、また聖書は福音を悟った人だけが分かる部分があるのです。言わば、救われた者だけが分かる部分があります。血の契約、ただイエスだけ、こういう単語は、他の人が聞く時はちょっと良くありません。
・また聖書には、救われた人も理解できない部分があります。それで、そこでおもに異端、カルトが出てきて、特別なことを悟って、正しい、正しくないと言いながら言い争います。ところで、今、私たちはこれをみな話すことはできないのですが、重要なこと一つだけ理解しなければなりません。なぜ聖書は他の宗教と違って、唯一性をしばしば強調するのでしょうか。何の宗教でもよく信じれば良いのに、なぜしばしばキリスト教はイエスを信じなければならないと言うのでしょうか。この頃になってちょっと良くなったのですが、なぜタラッパンということが現れて、ただイエスだけを主張するのでしょうか。やっと互いに良くして、統合してしようとしているのに、タラッパンが突然に現れて、ただイエスだけと言うのでしょうか。なぜそうなのでしょうか?
・ダビデがこのように表現しました。仕掛けられたわなから助け出されたように。この話は、今、人々がわなに引っかかっているということです。猟師は、何かをつかまえようとわなを仕掛けます。そのために言う話です。今日、私たちが序論で理解しなければならないことは、ダビデの話に入る前に、ダビデの周囲にはわなが多かったということです。どれくらいわなが多かったかというと、おもに人々がわなになりました。サウル王がダビデを殺そうとしたのが問題ではありません。サウル王の下にいた人が考えてみたら、ダビデが王になれば自分に損になると思ったのです。それで、ずっと話しを作り出したのです。「ダビデを殺さなければならない、ダビデがこのようにした、ダビデは悪い人だ、ダビデはおかしなことをする。」人々はこうした話をすべて聞いて、そのままみな信じるのです。
・さらに問題なのは、サウル王が信じたのです。「そうだ。あれは悪い奴だ。あれを殺さなければならない。」このようになったのです。ダビデは理由なく、逃げ回らなければなりませんでした。説明しても通じなかったのです。サウル王にいくら違うと言っても通じませんでした。これで王宮が全部、ダビデのわなになったのです。こういう場合が多いのです。初めには、サウル王の娘、自分の夫人もダビデを手助けしたのですが、後には手助けすることもせず変に出てきました。初めには危険なことも知らせてくれたのですが、後には結局、ダビデが王になった時、このサウル王の娘がわなとなりました。こういうわなが多いのです。
・しかし、この程度には勝てます。こういうもののためにイエス様が十字架に釘付けられたのではありません。さらに重要なのは、霊的な問題です。分かってみれば、創世記3章の問題から始まったわなが、人間を閉じこめているから、それでしきりにただイエスだけと強調するのです。誤解してはならないことは、他の宗教が違って誤っているということではありません。行ってみれば正しい言葉はよく言います。僧侶のメッセージを聞いてみるからとても良かったのです。
・ところで、聖書はそれを言うのではありません。わなから救い出す、創世記3章の問題、運命、地獄、こういうものが解決しないのです。さらに重要なのは、目に見えないサタンのわながあります。ここから救い出されなければなりません。サタンのわなから救い出されるべきなのに、ダビデは今日、表現しているのに、仕掛けられたわなから救い出されるようだと言っています。これが私たちにあまりにも必要なみことばなのです。目に見えないサタンと呪い、わなから救い出されなければならないということです。また救い出されたということです。どれくらい重要な話でしょうか。
・私は今週にニュースを見ながら、本当にひど過ぎると思いました。自分も子どもがいるのに、子どもを誘拐して殺したとのことが理解できるでしょうか。それもお金が必要で、子どもをつかまえて、8才しかなっていない子どもが助けてくださいと頼むのに、生きたまま水に沈めたのです。私はそれを見ながら、理解できませんでした。私たちの教会のチェ執事も判事で、私たちの教会に裁判官は多いでしょう。法律をちょっと変えないといけません。女性に触って子どもたち触るのは、無条件に死刑宣告をくださなければなりません。先進国では、関係なく子どもたちを刺激すれば捕まえて行きます。外国へ行って、可愛い子だなぁと、可愛いと触れば、すぐに捕まえられて行きます。韓国の人々は、子どもを見れば可愛いと顔を触るのですが、外国でそのようにすれば、セクハラだと捕えられます。交通事故のようなものは、故意に犯しているのではありません。
・私が知っている牧師一人は、路地でおばあさんが飛び出してきたのです。他の見方をすれば、わざわざ出てきたようだったのですが、おばあさんが何の瞬発力がそんなに優れていたのか、さっと飛び出してきて死んだのです。それで、この牧師が捕まったのでした。裁判を受ける所に行ってみたら、ちょっとひどかったのです。手錠をつけて、縄で体を縛っていました。それで、法律は怖いと思ったのです。裏話を聞いたのですが、わざわざ飛び込んだという話があったほどでした。見え所から、ばねのようにおばあさんが飛び出してきたのでした。私たちが見るのに、どれくらいひどいか、手錠をかけてひもで縛っていました。「そのような人に、そのようにする必要まであるのか。」と思うほどでした。この間も見たら、子どもをセクハラした人を執行猶予で釈放したのです。執行猶予期間に子どもを殺したのでした。変に子どもを触って、女性を触る人は、静かに置いておいてはいけません。
・8才にしかならない子どもが助けてくれと何度も熱心に言うのに、それをどのように殺したのでしょうか。理由があります。サタンのわなにかかれば、そのようになるのです。一般の人々は知らないのですが、サタンのわなにかかれば、そのようになります。私達の子どもに注意させなくてはいけないように見えるほど、世の中は怖くなって行きます。今日、ダビデは本文でわなから助け出される秘密を告白しました。今日、皆さんの目に見えなく、皆さんの周囲にあるわながみな解かれるように願います。たくさんあります。皆さんの家族の家庭のわなが、みな解かれるように願います。他の人はよく知りません。わなには、怖いものがあるのです。皆さんも個人的に、外にでもサタンのわながあります。これらが全部、切れる働きが起きるように願います。皆さんにかくれている暗闇の勢力、権威が、今日、みな切られる時間だということです。どのようにそれが可能なのでしょうか。
・8節にダビデがこういう話をしました。「私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」「主にある」と言わずに、「御名にある」と言いました。これが重要な言葉です。主にあるのに、なぜ主の御名にあると言ったのでしょうか。これを簡単に理解することができるでしょうか。簡単に話して、結論を出してしまえば、福音を言うのです。この暗闇のわなをうち砕くのには、福音しかありません。それで理解できないだろうかと思って具体的に説明したのです。「主の御名にある」
・モーセがこういう話をしました。「神様、私がパロ王の前に行くほどの力がありません。立場でもありません。」わたしがあなたとともにいるから行け。「私がパロ王の前に行って話せば、パロ王が私を送り出してくれますか。」わたしが力ある手をあげて証拠を見せるから行け。モーセがこういう話をしました。「それは良いのですが、イスラエルの民が私に従って出てきますか」その時、神様がこのようにおっしゃられました。「主(ヤーウェ)が送ったといえ。」主の名前です。ヤーウェという言葉は、存在自体という意味です。
・そして、エレミヤ30章3節には、どんなことが出てくるのでしょうか。エレミヤがくやしく監視の庭に捕らえられている時、何と言われているのでしょうか。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ」そして、神様がアブラハムに重要な約束をされた時、何かおっしゃったのでしょうか。「わたしの名をよって、あなたに誓う。」が名前という言葉がとても重要なのです。イザヤ7章14節に何となっているのでしょうか。「処女がみごもって男の子を産む」福音です。イエス様が誕生することです。ところで、その後に「その名はインマヌエルと呼ばれる」このように出ています。
・ヨハネ17章11節12節に見ると、このようなみことばがあります。「わたしの名は主の名だ。」詳しく見ましょう。ヨハネ14章14節を見れば「わたしの名で何でも求めれば答える。」と言われました。神様は、私たちには見えなくて、会うことができないから、重要な名前を与えて、その名前を呼びさえすれば働きが起きるようにさせられたらということです。どれくらいやさしくて簡単でしょうか。金銀は私にはないが、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名前で起きて歩きなさい。使徒の働き16章を見るろ、イエスの御名で命じたところ悪霊が追い出されていきました。偉大な名前です。
・ピリピ3章21節を見ると、万物を従わせるほどの名前です。皆さんが聖書で理解できない部分でしょうが、一番重要な部分です。99%の未信者が理解できないみことばですが、一番重要なみことばです。神様がくださった名前、皆さんが福音を悟る時、すべてのわなから助け出されるようになります。「私には問題があるのにどうしましょう」その問題が皆さんを飲み込むことができないでしょう。皆さんが四方から囲まれても、窮することはないとパウロは話しました。今日、皆さんが信じてこの契約を捕まえるようになるように願います。
・今日、二番目に考えなければならない部分です。その御名だけがサタンに勝てます。パウロがとても重要な告白をしました。その御名だけが解決できるから、サタンの束縛を砕くことができるのです。今でもサタンがいるのでしょうか。科学が発展したのに、悪霊のようなものがあるのでしょうか。聖書はあると話しています。ところで、霊的な目を開いて見れば、今でも健在しています。大韓民国で登録した占い師だけで45万なのですが、それが悪霊につかれた人です。ムダン(霊媒師)まで合わせれば100万人を越えます。それがほとんど悪霊につかれた人です。今でも健在しています。学者や知識人は、目を開いてよく見ることを望みます。科学者が目に見える科学だけではなく、見えないのも一度見てみるように願います。
・ペトロブナという悪霊につかれた人がいました。この人が自分の弟子14人を集めたのです。その14人に降霊術をして、呪術を覚えさせて、悪霊につかれるようにさせました。それで一つの団体を作りました。悪霊につかれた霊媒師が集まって作った団体だったのですが、ますますたくさん集まりました。この人たちが、「これが救いだ。」と主張し始めたのです。悪霊につかれるようにさせておいて、これが救いだと主張しました。「私たちはサタンを崇拝する。キリスト教はなくさなければならない。」このように出てきました。ところで、これがますます大きくなって、文化、出版をみな掌握したのです。商圏もみな掌握しました。どこか分かるでしょう。
・ニューエイジです。新しい時代を作るということですが、これが今、世界をみな掌握しています。どの程度に優れていると思いますか。私たちのムン・ヘヨン姉妹が出たアイーダという作品を見に行った時、前にちらついて行ったり来たり照らてしていたのが、それが全部ニューエイジのマークでした。どれくらい優れるようにさせたのか、とても劇的な瞬間に、ニューエイジのマークを照らすのです。それも普通の人は知らないように、影のように見せていました。これくらい掌握したのです。サタンは健在しています。創世記3章の事件を起こしたサタンは、今でも健在しているのです。エペソ6章を見ると、今でも皆さんを倒そうと付いて回っています。
・Iコリント11章14節を見ると、光の天使として現れて、良いことだ説明して倒すと言われています。それで、聖書に一番重要な話が何でしょうか。「神様の女の子孫がサタンの頭を踏み砕く」Iヨハネ3章8節に「神の御子が来られたのは悪魔のしわざを滅ぼすため。」そして、この権威を私たちに与えられました。蛇とさそりを踏みつけて、敵のすべての権威をうち砕く権威をくださったと言われています。マルコ3章15節には、悪霊を追い出す権威を与えるために呼んだと言われました。マルコ16章には、弟子たちを送り出しながら、わたしの名で悪霊を追い出すと言われました。
・21世紀に何で悪霊の話ですか。ということもできるでしょう。目を開いて見て下さい。通常の問題ではありません。全世界をほとんどみな掌握しています。だから、聖書ぐらい正確な本はありません。私も以前には、何でこういうみことばがあるか、聖書に何でこういう内容があるのと思っていました。イエス様がいらない話をされたことがあるでしょうか。とても重要なみことばを初めてにもして、終わりにもされたのです。皆さんを押し倒そうとする仕掛けられたわな。仕掛けた者は、キリスト・イエスの名前でだけ解決できる、その話です。すると、韓国教会が立ち上がって、あの柳光洙牧師はベレヤではないかと言いました。私は伝道現場に行ってみたのです。困難を受けている人、全部、偶像に陥っていました。大韓民国の人、いくら知識人でも、100%が悪霊の勢力に陥っています。
・仕掛けられたわなに引っかかっているのです。ですから、その御名だけが可能なのです。主の御名というこの単語が出てくるのですが、ダビデが普通の重要なことを悟ったのではありません。誰がなんと言ってもだまされずに、皆さんの家系、家庭、個人にある仕掛けられたわなが、イエスの御名でみな解かれるようになることを希望します。この事実を信じる者は、教会も復興して、家系も生き返って、個人も生き返ります。
・マタイの福音書12章に、イエス様がおっしゃられました。「強い者を縛らないで、どのようにその家の家具を持って出られるのか。」イエスがこの世に来られて、悪霊につかれた人をいやしたら、あざ笑われた時に言った言葉です。イエス様が苦しいから、そのような比喩を言われたのです。例をあげたら、刀を持った強盗が現れたのです。ところで、その家主は剣道8段です。勝てないのです。そのように比喩を上げられたのです。
・あまりにもわからないから、イエス様が強盗の比喩を出されました。強盗が何かを奪い取りに入ったのに、自分より強い者がいるのに奪い取れるのか。簡単に話せば、あなたよりさらに強い者があなたの家族にいるのに、あなたが勝てるかということです。目に見えない強い者が、皆さんの周囲にいるのに、勝つことができるでしょうか。それで、神様の御子が来られたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためです。皆さん、今日、この目を霊的にあけて祈って答えを受けるように願います。
・皆さん自身を見る時、知ることができます。長い間、私たちにあった霊的問題が、わなになって引っかかっています。これを容赦なく切らなければなりません。こうしたこと、ああしたことが問題でなく、これがわなになって皆さんが引っかかっているのです。聖書にだけ教えています。目に見えないサタンは、皆さんを押し倒そうと、わなを作って、引っかけようと待っているのです。主の御名で助け出されました。
・また三番目に、3節にこういうみことばがあります。「そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、」 2節を見れば「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私に逆らって立ち上がったとき、」となっています。主を見上げてこそ、その力と能力が分かる、ということです。2節に、主が私たちの味方でなければ、どうなるところだったのか。もし、神様が本当に生きておられないならば、ダビデをどのように保護できたでしょうか。ダビデは死ぬしかなかったので、神様の恵みでなければ生きることができませんでした。私と皆さんが神様の恵みでなければ、この席まで来ることもできませんでした。これからこの険悪な世の中を生きていくのに、神様の恵みでなければ勝つこともできません。ダビデがその告白をしたのです。主が私たちの味方でなかったとすれば、どのように私たちがこのことができたでしょうか。
・私もそんなことをたくさん感じています。今は、私がこのように私たちの長老、多くの聖徒の力と背景が多くあります。また、私たちのタラッパンには良い牧師、福音を伝えようとする方がたくさんおられます。私がこのように30年間、伝道をずっとしてきながら起きたことを振り返ってみると、本当にこの言葉が正しいと思います。人々は、想像以上にとても対話が良くできず、問題が多いのです。釜山で伝道運動を始めたのでうが、今、メッセージ聞いておられる朴長老と一緒に行ったのです。
・馬山に行けば、山の下に組み立て式建物を作ってあり、そこに人が多く集まると言われました。馬山、鎮海、昌原の人々がみな集まるということでした。それで、後ろの字を取って山海原(サンへウォン)という名前をつけたということです。行ってみたら、たくさん集まっていました。組み立て式の建物は分解できて、大きくしたり、減らしたりすることができました。そちらに行って2つのことに驚いたのです。人々がたくさん集まって礼拝していたのですが、本当に恵みを受けるように熱くしていました。また驚いたことは、聖歌隊でした。讃美が歌われるのに、気分がすっきりしたのです。山海原教会に行ってそれを感じました。聖歌隊員が、ここのおよそ五倍分の場所に座っていたのですが、楽器も多くて、どれくらい雄壮かわかりません。ですから、それだけ聞いても恵みになりました。教会に戻って話をしたのです。そうしたら、私たちの教会が復興するから、私のテープを聞いていた人が、その教会は人たくさん集まるからといって異端だと言いました。
・ある日、老会へ行ったら、私に異端教会に行ったのは、なぜ行ったかと尋ねたのでした。なぜ行ったらだめなのかと答えました。「建物を見に行った。なぜだめなのか。寺に行ったら、みな僧侶になるのか。なぜ行ったらだめなのか。」と言ったのです。すると、私を見て、ある人が、そうでなくて、誤りを認めれば許されると言いました。私が誤ったことをしたら間違っていましたと言うのではないでしょうか。ですから、私たちの長老と役員が共に参加していたのですが、とてもくやしくて、そのようなことがあるのかと思ったのでした。一番、親分の方が来て、私の手を握ったのです。そのまま間違っていたとあやまれば、みなここで終わると言いました。そんなことはできないと言いました。あやまる、あやまらないのは別に、私が誤りをしたら間違っていたと言うので、どうしてそんなことができるのでしょうかと言いました。すると分かったと言われました。一時間後に、懲戒がくだされました。
・「柳光洙牧師、異端関連、堂会長剥奪、講壇禁止」このように出てきたのです。ところで、驚くべきことに、それらがみな力になったのです。私たちの朴長老が、怒る方でもないのですが、とても腹が立って「牧師先生、こんなことはだめです。これは教会ではありません。こんなことがあって良いでしょうか。」それで脱退してしまったのです。本来、教会法で脱退すれば手を出せないとなっています。脱退したら、その次の月に異端の汚名を着せて免職になりました。驚くことです。ところで、それが開始になってうわさが全国、世界へ、英語で独語で翻訳されて出て行ったのです。人々は、想像以上に無知です。一般の人々は「あ、タラッパン。異端」と言います。何が異端かと言うと「分からない、だけど異端」と言って、尋ねれば「私たちの牧師がそう言う」と言います。本当にあきれたことです。
・ですから、ダビデの周囲にこういうことが行われたのです。何か少しだけ上手にしさえすれば、人々が引き下ろそうと、おかしな言葉を作り出しました。本当に神様の恵みでなかったとすれば、生きられませんでした。それで、200個の教団で雑誌、新聞で私を攻撃するので、驚きました。ところが、馬山の山海原教会は、良くしたので異端でないと言われました。その教会が解けたら、見物に行った私も解くべきなのに、全く論理にも合わないし、知識にも合わないし、聖書にも合わなくて、とても理解できません。ところで、他のものは法律で解決されるのに、これは法律でもできません。ある時は、あまりにも苦しくて、法律に訴えたところ、何の話かわからないと言われました。
・しかし、神様は時間が過ぎながら、私たちのレムナントを起こしながら世界福音化できる門を開いてくださいました。皆さんはそのままここに座っておられるでしょうが、私は教会が復興して、作って買うのを見れば、考えが少し違います。私たちのレムナントが起きて神学校の後輩が起きるのを見れば、考えが少し違うのです。少しダビデの告白が理解できます。本当に神様が味方でなかかったとすれば、死ぬしかありませんでした。なぜ都上りが重要なのか、何のために正しい福音を持って礼拝するのが重要なのか、福音を持った皆さんが定刻祈りする時間にどんなことが行われるのでしょうか。こういうものに対する答えが出てきます。
・信仰生活をする人々を見れば、歴史という遠くを見なくて、目の前のことだけ見るのですが、歴史を続けて見るべきです。それでこそ、聖書が理解できます。歴史を見れば、礼拝堂を作って問題が起きて、礼拝堂を作って祝福を受けました。それが何の話なのでしょうか。福音がある教会が立つ時は大きい霊的な祝福ですが、福音がない教会を立てる時は、偶像も同じだということです。今日、都上りの歌ですが、それで皆さんがこの時間に礼拝する時間が重要なのです。皆さんがサタンのわなから助け出される権威を知って礼拝したら、ダビデのようなすばらしい祝福を受けられます。
・霊的な存在は、思ったより正確だから、契約を捕まえる瞬間から働きが起きます。今日、ここに高齢の方々がこの契約を捕まえれば、皆さん子孫のすべてのわながみな切れます。それで信じて亡くなるのと、信じないで亡くなるのが、差が大きく出るのです。皆さんたとえ力がなくても、たとえ家庭の主婦でも、今日、この契約を捕まえれば、皆さんの家系にあるすべてのわながみな切れます。コロサイ1章13節に何となっているのでしょうか。暗闇の勢力から救い出すために私たちを呼んだと言われています。これを知っている人が王になるから、王宮にあるわながみな解かれたのです。
・それで、これから大統領になる人のために祈らなければなりません。誰でもなれば頭が痛いのです。今、大統領になる方が訪ねて来ます。前は話さなかったのですが、今はしなければならないと思っています。前は訪ねてくれば挨拶して祈ったのですが、もうそうではありません。本当に韓国が祝福された重要な福音を伝える国なので、祈りが必要です。それで、皆さんが契約を捕まえて祈るべきなのですが、1人だけこの福音を悟っても、仕掛けられたわな簡単に話せば、サタンのわながみな解かれてしまいます。教会に通う人ではなく、この奥義を本当に知っている人が大統領に入れば、政治界にあるわなが解かれ始めます。ダビデがそうでした。今、暗闇の勢力が引続き起きるのに、勝てる力を私たちにくださったので、この契約を持って帰なければなりません。
・メッセージを終えます。最後のわながあります。最後に暗闇の勢力、サタンが仕掛けるわなは何でしょうか。どのようにしようが、皆さんに福音を悟って福音の中に入れないようにするのです。それで、私たちの牧師や教役者が、この部分に目を開かなければなりません。正しくても、正しくなくても、福音の中にハイって来ることができないようにさせるのです。以前に地下にいた時、ある人が来て私に告白をしました。インターネットに入ってメッセージを探したら、自分は変にこれが良いという気がしたということでした。だから、地下で複雑ですが、そこを訪ねてきたのでした。メッセージを聞きたくて、この方が訪ねてきて椅子に座ったのでした。ある人が来てにらみながら、なぜここに座っているのかと言ったということです。
・この方が教会にはじめてきたのですが、とても驚いて「教会は劇場のように席が決まっているんだな。」と思って、どこに行かなければならないかと尋ねたところ、はやく出なさいと言いながら、本をそこおいてあると、はやく出てこいとひじで打ったということでした。やさしく打とうと打ったのが、腰にずばり当たって痛くてそのまま家に帰ったということでした。礼拝をささげに来て殴られて帰ったのでした。ありえない小さいことなのに、この人には試みになるということでした。私を訪ねてきて本当に幸いだと言いました。「それはそれほど重要なのではない。神様があなたを呼ばれた時は、みことばを聞いて福音を悟ることを希望される。それは、その人の失敗であるだけのことだ。真理とは関係ない。だから頑張ってメッセージを聞いて恵みを受けてください。」と言いました。多分、ここで聞いておられるでしょう。
・このように、どんな方法でも、皆さんが福音を悟れないようにすることが最後のわなです。皆さんに問題があるのでしょうか。神様は福音の中にある祝福を完全に回復するように希望されます。完全福音で、すべてのサタンのわなを全部切ってしまう時間を過ごすように望みます。これは遊びではなくて、仕事がでもなく、信仰でこの契約だけ捕まえれば、皆さん個人にあるわながみな切れます。これを恵みと言うのです。今日、この祝福をダビデのように受けることをイエスの御名でお祈りします。
・最後に目に見えないこのサタンのわなが、皆さんの家庭、個人、職場に入っているのに、今日、完全に切ってしまう勝利する日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。聖書にある重要な福音を悟るようにさせて下さい。私たちの生活も形も重要ですが、霊的な目も開けるようにさせて下さい。私たちの衣食住も重要ですが、霊的なすべての呪いが崩れる時間になるようにさせて下さい。この世にサタンのわなに捕えられた多くの者がいます。私たちがその恵みを悟って、その恵みで生かせるように、神様が私たちの目を開いて下さい。今日、私たちに重要な最高の日になることを祈ります。イエス・キリストの御名によってお祈りします。


<一般信徒宣教会献身礼拝>


2部/神様がくださった人生と伝道の方法は何か?
(使徒1:1〜8)

・献身礼拝ですが、基礎メッセージを続けます。来週は受け入れに関する話をします。それが終れば、福音の手紙を持ってします。皆さんが本を購入しても良いのですが、買わなくても良いです。福音の手紙が終った後には、現場に行った時にするメッセージをします。恐らく外部でこれを聞くためにインターネットで多く入ってくるようです。そして、他の教団に向かっても、同じ気持ちでメッセージをします。絶対に立派だからではなく、聖書にある伝道方法を分からなければならないためです。
・インターネットの容量を少し増やさなければならないでしょう。これから引続き一度に多く入ってくるから、ダウンする可能性があるのです。今日は、タラッパンと他の教団で最も問題になった伝道方法に対してします。ここにいる牧師は皆知っているでしょうが、初期に運動を始めた時、全国の牧師がみな集まりました。なぜみな集まったのでしょうか。それを多くの方が防ごうとしました。なぜ防ごうとしたのでしょうか。それで今、整理されて私たちが伝道をしているのです。伝道に対して正しく知らなければならないためです。
・ちょうど今日は、献身礼拝ですが、よく分かってこそ献身できます。それで、今日のタイトルを神様がくださった人生と伝道の方法としました。神様がくださった人生と伝道方法が何なのかを一緒につなげます。少し序論で見なければならない部分が、クリスチャンがいくつかの誤解をしているということです。未信者でもなくて、クリスチャンがそうなのです。誤解もして錯覚もしています。誤解ということは、正しく知らなかったということで、錯覚は違ったことを捕まえていることです。何に対して誤解をするのでしょうか。福音に対して誤解をしています。大部分の牧師と長く信仰生活をしている方々が、福音は基礎だと考えています。そのようにしてしまえば、ひとまず皆さんが誤解をしてしまうから、その次の信仰生活は無条件に錯覚をするのです。
・パウロはそのように言わなかったし、福音は完ぺきだと言いました。それでは神様は完ぺきなことを与えられたのに、私たちは足りないことを与えられたと考えるから合わないのです。確かに神様は福音の中にみな入れて与えられたのに、長く信仰生活をしている方々が基礎だと考えるから合わないのです。それでは、その時からは違った出発を継続しなければなりません。もう自らの経験、良いこと、優秀なことでしようとするので、それでは限界がくるのです。色々な知識、良いことがたくさんあります。これまで積み上げた体験、他人に聞いたことなど、たくさんあります。そんなことを持ってしようとするので、どんどん葛藤も生じて、問題も生じて、後ほどにはだめになるのです。
・このようにしていたら、祈りも誤解します。祈りは神様がくださった福音をどれだけ味わうかということが祈りです。だから仏教信者よりレベルが低い祈りをするようになるのです。未信者のように、祈りで目標を達成しようとして、何かを出せという、それは悪いことではないのですが、祈りの根本はそれではありません。このようにしていたら、伝道は自然に誤解するようになります。神様がくださった福音は完ぺきで、これを味わうのが祈りで、証拠がくるのが伝道です。このようにすれば良いのに、これにならなくなるので、どんどん錯覚、誤解するようになるのです。初期の話をしようとするので、私の初期の話を少し聞いたこともあるでしょうが、しなければなりません。私は本来、家がクリスチャンホームでした。そして、私は本来した勉強が、正統神学の勉強をしました。高神大学を出て高神大学院を修了して総神大学院を出たのです。ところで、私がいつも悩みが一つあった。伝道がだめで、祈りが答えられなかったのです。それが、私が幼い時から神学校に通っていた時までの悩みでした。ひとまず、祈りが答えられませんでした。それほど、することもなかったのですが、答えがありませんでした。そして、伝道がとても難しかったのです。そして、私は性格が出しゃばることができない性格でした。競争をして、出しゃばれば良いのに、私はそのような性格になれなかったのです。性格が、少し正確でなければ行けない体質でした。だから、伝道をどこかでしなければならないのに、伝道を知らないからできなかったのです。
・私は性格が他人にすばやく与えることはするのに、もらいに行くのはできなかったのです。それで、それをよく知っている私の母が、お手伝いをさせる時、もらう時は私の弟を送って、上げる時は私にさせました。今でもそうです。時々、電話を私がしないので、他の人が牧師先生は関心がないのかと思って誤解します。でも、今でも恥ずかしいからです。秘書と話をするのは10秒で終わります。「大邱だ。ソウル10時到着」これは権威ではなくて、言うべきことがなくてはやく切るのです。こうして見たら、私の生涯ということもないのですが、私の生涯で3つのことを今でも忘れられません。これが今でも私の性格です。
・最初が小学校3年生の時です。教会の舞台に上がってクリスマスの日に発表をするのに、伝道師が私を選んで、その日に独唱をさせたのです。その日、出て行って舞台に見たら、目が私を一度に見つめていたので、私はそれをその時、初めて見たのです。今はそのように見られることに慣れたのですが、その時は一度に見つめるので、声が出てこなかったのです。その上に、私を関心があるように見つめる人がいたのです。うちの母でした。
・息子がするので見ているのです。ところで、今考えたら、うちの母が私をとても厳格に育てました。今の子どもたちを見れば、自分の母親と冗談も言いますが、全くそのようにすることはできなかったのです。その母の目2つと、他の人々の目が私を見ているので声が出てこなかったのです。本当に出てこなくて、伝道師が前奏を3度もするほどでした。結局は、出なかったので、歌を歌えないで降りてきたのです。本当に恥ずかしかったのです。3年生の時なのですが、どれくらい恥ずかしかったのか、私が今でも忘れられません。それが私の性格です。
・私の息子が小学校3年の時、歌うのに私が私のようになるなと祈ったのでした。ところが、私の息子は上がって歌うのを見たら、祈る必要もなく、口を力いっぱい大きく開けて歌っていました。そして、どういうことか、孫たちは、しないでくれと言ってもします。私が性格がこうなのです。私が歌を全くできないのではありません。だから、その時、伝道師がクリスマスの賛美の順序の中に歌の独唱を入れておいたのでした。本当です。私はそんなにできないのではありません。ところで、人の前にだけ立てば恥ずかしくてできなかったのです。
・いつか一度、チェ執事とオ・チャンウォン執事と釜山の朴キボム執事、李テヒョン執事を呼んでカラオケに一度行きたいのです。簡単に話せば、専門家4人を呼んで点数を見てみたいのです。皆さんがだいたい分かるでしょうが、カラオケの機械には機械のくせがあります。機械が自分勝手にすることをよく活用するのが知恵です。チョ・ウンテク牧師が歌が上手なので、ほとんど歌手のレベルです。チョ・ウンテク牧師の奥さんと私の妻がいつもお金をかけます。私が勝てば、私の家内が持って行って、チョ牧師が勝てばチョ牧師の奥さんが持って行くのです。チョ牧師はとても歌が上手なのです。歌手のようです。それで、初戦は常に私が負けます。
・それで、私が機械の感じをつかんで二回目の時からは私が勝ち始めるのです。それで、およそ10曲勝負をすると、私が8曲、勝ちます。事実です。それでは開いた口が塞がらない人がいます。私たちの家内は、お金を取るので、開いた口が塞がらなくて「ホホウ」と言います。それではそばで一言ずつ言います。「あなたはできないことがないのね〜」とお金をもらえるので、そのように言います。それで、チョ牧師の奥さんは、あきれた話をします。「あなた、あなたは歌を歌えば少し騒々しくて、柳先生が歌うと聞きやすいです」と言います。チョ牧師の奥さんは言葉がゆっくりです。「自動車で話せば、あなたはトラックのようで、柳先生は乗用車のようです。」と言うのです。それで、やはり霊的な目が開かれていると感じています。それで、私が歌をそんなにできないのではありません。ところが、人の前で舞台に行けば、震えて歌ができないのです。こういう私の性格が伝道をするのは難しかったのです。
・そして、前に話をしたのですが、二番目に私が忘れられないことがあります。それは6年生の時のことでした。その時も、私がどれくらい恥をかいたか忘れられません。私が幼い時は、冷蔵庫もなくて、扇風機もなくて、エアコンもなくて、夏に、唯一、暑さを冷ますのがアイスクリームを食べることでした。私の隣りにいた子が弟ぐらいだったのですが、アイスクリームの商売をしようと言ったのです。お金をもうけて海雲台の海に遊びに行こうと言ったのです。自分の親戚がアイスクリーム屋の商売をしているということでした。それで、私は良いと行ったのです。私はそこまで分からなかったのです。
・行って挨拶をしたら、缶をもらって、アイスクリームを入れてくれて、氷も溶けないように入れてくれました。それで、ひもを通して持っていくのですが、それを持っていれば、人が呼びかけるのですが、呼ばれる前に声を出さなければならなかったのです。問題はそこにあったのです。私はそれを知らなかったのです。この子は私が6年の時、5年だったのですが、この子がどれくらい上手にしたのか、私が今でもその子の名前を思い出します。イ・チョンヨルです。この子は、口を開けばすぐに声を出して「アイスクリ〜ム」と言いながら出てきたのです。ところで、私は「ア・・・」の声も出なかったのです。それは、私が今しなさいと言われても、できないでしょう。なぜなら「アイスクリ〜ム」と声を大きく出してこそ、他から呼ばれるのに、それができなくて担いでずっと歩き回ったのです。
・歩き回ってみたら恥ずかしくて、後には人がない所に行って座っていました。それと共に、すごすご歩いて行ったら、この子が反対側から来たのです。それと共に、私にみな売ったのか尋ねたのですが、どれくらい恥ずかしいのか、一つも売れなかったということはできなくて、少し残ったと言いました。ところで、この子が言う言葉が、今日は商売がうまくいくと言いながら、もう一度売りに行くと言いました。私は、その子を見ながら感じたのは、敗北感を感じたのです。私がなぜこうなのかと思って、その子に対する尊敬心まで感じられたのです。それでその子がもうけたお金で海雲台に行ってきたのでした。それも、私より一才下の子がということです。そのような記憶を忘れられずにいます。それが私です。今でも変わりない性格です。
・一度は、今日、私たちの執事が祈りをするのを見ると、確かに執事はメッセージもみな整理されているということを思いました。私は代表祈りができなくて、代表祈りをして途中で切れて恥をかいて家に帰ったことがありました。この3つの事を忘れられません。全く私と伝道とは体質が合わないのです。そのようなある日、違うということが分かったのです。この福音を正しく知って味わえば、祈りの答えがきて、証拠がくるということを分かったのです。それで、生き方と伝道は別のことではなく、同じものだということを悟るようになったのです。それで、レムナント7人を見れば、同じ話が出ます。レムナント7人を見れば、主がヨセフと共におられたと言われています。主がヨセフを幸運な人にさせられたので、主がすべてのことを成功させてくださったと言われています。これが伝道です。
・皆さんの事業に主が共におられる、それが伝道です。それでは話をする必要もなくて、しなくてもかまわなくて、しなくても良いのです。ヨセフが話をしなかったのですが、ポティファルが見て分かったのです。これが伝道ではないでしょうか。伝道は、そんなにやさしいことなのに、私が知らずにいたのです。知ってみたら、私が福音をよく知らなかったのです。そして、この福音を正しく味わうことができないから、証拠も来ないのです。それで、私の生涯に伝道が一番難しいことになったのでした。福音を分かったら、私の生涯に最もやさしいことになりました。それで、この話をし始めたのですが、それが伝道運動の開始だったのです。そんなに難しくさせられた初代教会を見ましょう。皆さんが今、ほろびていても大丈夫です。
・初代教会を見ましょう。皆さんが伝道を正しく悟ってしまえば、今、皆さんの経済がなくてもかまいません。なぜなら、初代教会は完全にないところから開始をしたからです。これが伝道です。ただ聖霊があなたがたに臨めば、あなたがたは力を受けて、地の果てまで証人になると言われました。それで、私がマルコのタラッパンで開始をしたのを見て、タラッパンを開始したのですが、そこで20の戦略が出てきて、そこでRUTCまで答えがきたのです。ものすごい答えがきました。奇跡です。昨年一年に皆さんが18億円の現金を献金しました。これで今、RUTCが開始がよくされています。奇跡が1個や2個ではありません。それで伝道ということは、私たちが受けた答えをもって話すことです。
・それでは、今日の本論に入ってみましょう。今日、あまり多くの時間がありません。生活の祝福と伝道はいったいどうであるものか。神様がくださった人生と伝道方法は何でしょうか。最初です。神様がくださった答えを味わうことです。これが伝道です。これを他の人が知るようになるのです。今、皆さんがいくら力がなくても、伝道だけ正しく悟ってしまえば、福音を正しく悟ったということになるから、みな悟ったことなのです。
・それで、新しい家族もそうですが、今日の契約だけは本当に捕まえなければなりません。私は昔に事業をする人がどのように伝道をするのかと尋ねたのですが、事業と伝道は同じものなのです。長老、執事の事業に、神様が共にされるため、それが証拠です。誰も防げません。それが証拠です。それで、答えを持っていて見せるのです。それが今日読んだ使徒1:1-8です。何でしょうか。使徒1:1に「テオピロよ。私は前の書で、・・・」
・結論です。そんなにヨセフが有能だったのですが、なければなかった結論がキリストです。羊の血を塗った日、抜け出すようになるキリスト。王、預言者、祭司がいてもだめだったイスラエル民族が抜け出すようにさせたキリスト。ルカがテオピロに前に書いた書にある(ルカの福音書)ルカの福音の主題キリスト。パウロはみなちりあくたに思うと言いました。その理由が、キリストを得て、さらに重要な話はキリストに発見されることを望むと言ったのです。
・キリストが皆さんの事業に共にされたらどうなるでしょうか。サタンの勢力を完全にうち砕いたキリストの御名が、皆さんの家に働かれたらどうなるでしょうか。これをパウロが分かったのです。それでみな必要なくて、キリストに発見されることを望むと言いました。ものすごい単語です。あなたは生ける神の御子キリストですという告白ではないでしょうか。キリスト、油を注がれた者、王、祭司、預言者をみな合わせた名前。簡単に話せば、原罪を解決したキリスト。地獄の勢力をうち砕いたキリスト。皆さんを滅ぼしたサタンに勝利したキリスト。祭司、預言者、王。この話です。この言葉がキリストです。
・罪の問題を解決した真の祭司。神様に行く道を開く真の預言者。サタンを負かした真の王。この話です。結論が出てしまったのです。皆さんの事業、皆さんの家、皆さんの子孫にキリストが働かれれば、できないことはありません。それを知った人はみな答えを受けました。ダビデの子孫イエスよ。私をあわれんでください。イエス様が、その言葉に歩みを止められました。あなたの信仰のとおりになるように。未亡人の息子が死んだのですが、未亡人の息子がどれくらい悲しんでいたのか、イエス様がそこに歩みを止められました。キリストに発見されることを望んだら、キリストが事業に歩みを止められたとすれば、驚くことが行われるでしょう。
・初代教会が、その答えを受けました。そして、地の果てまで証人になると言われました。結果、これを知っていたのです。すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ます。説明をしなくても分かったのです。明らかな結果を知っていました。そして、方法を知っていました。ただ聖霊充満が臨めば、力を受けて地の果てまで証人になる。私たちの方法は聖霊充満です。力の中の力は、聖霊充満です。病気になっている人も心配せずに、聖霊充満を受けることを希望します。医師の助けも受けなければならないのですが、聖霊充満を受けなければなりません。もし皆さんが聖霊充満の方法だけ分かったら、驚くことが行われるでしょう。
・それで、皆さんが少しだけ定刻祈りを始めるということは、聖霊充満を受けさえすれば、力を受けるということです。神様がくださった生き方と伝道の方法です。これもだめな人が伝道をしようとすれば難しいのです。私は昔に結論も出なかったのに、復興をさせようとしました。この方法も知らないのに、頭を使ったのです。だから、どんどん難しくなったのです。それで、初代教会は答えを持っていたので、生活の中で神様の働きが起きて、大きく証人として立って世界を征服したのです。二番目です。初代教会はどのようにして神様の働きを成し遂げて、この答えを受けたのでしょうか。教会と現場、これが違ったものではなく、そのまま連結したのです。初代教会を見ましょう。使徒2:1-47に、教会で起きた答え5つです。皆さんが聖日の日、教会に来る時ごとに、この答えを捜し出さなければなりません。「神様、私に真の力を与えて下さい。」
・今日、皆さんが礼拝する中に、健康も事実は必要なので、回復することを希望します。皆さんが礼拝する中に、経済も必要なので、門が開かれることを希望します。火のような風のような力で働くと言われました。礼拝をする時、神様が15ヶ国の門を開けてしまわれたのです。門が開いてこそ、伝道もできて、経済もなります。礼拝をする間、神様のみことばが成就する時間です。ヨエル2:28ペテロが成就させたメッセージです。この時に、弟子が起きて現場が生き返るのです。これが伝道です。伝道が何か、皆さんが教会に行ってこの祝福を勝ち取ることです。あなたの信仰のとおりなるように、という言葉が重要な言葉です。皆さんが今日、ここでメッセージを受けているのですが、神様が15ヶ国の門を開けてしまわれました。そして、最も力があるみことばが成就して、働きをするのです。
・今日、私たちが礼拝を正しくささげているのに、弟子が起きて、現場が変わります。すると、現場の門が開き始めたと言われています。2:41-42に3000人の弟子が起きたと言われました。これが初代教会の伝道です。教会堂を作っておいて人をかき集めるのではなくて、マルコのタラッパンで外に3000人の弟子が起きたのです。私はここでヒントを得たのです。「そうだ、これが伝道だ。伝道は何かの目的ではなくて、神様の恵みを最も味わいながら見られるのが伝道だ。」どんなことが行われたのでしょうか。それをしたところ、門が開かれたのですが、神様が働かれたのです。足のきかない者が起きました。私にあるものをあなたに上げよう。ナザレのイエス様の御名で歩け、これが伝道です。教会と現場が連結する答えが伝道です。神様がくださった絶対に奪っていけない答えを持って味わうのが伝道です。
・だから、答えがどのように来るのでしょうか。使徒6:1に数多くの弟子が起き始めました。使徒9:1-43、使徒10:6に弟子がぱっと広がっているとされています。教会と現場、一般信徒宣教をする方たちは、記憶するように望みます。教会と現場、これを誰がするかが重要です。韓国教会の牧師がみなインターネットでこのメッセージを見ています。見たくなかったり、見る理由もない教団の代表がみな見ています。それで毎回、報告されるそうです。全教団がみなそのようにしています。メッセージを代表が入ってチェックをして報告します。必ずお願いします。本当に韓国教会は伝道をしなければ死にます。伝道を正しくしなければ大変なことになるのです。
・それで聖書にあるとおり、そのまましなければなりません。それで今、違う、正しいではなく、伝道をそのようにすれば難しいでしょう。それで今、総動員伝道をよくしているのですが、総動員伝道を継続すれば後ほど教会は市場になります。総動員になるのは仕方ないのですが、総動員をしようと決心する時、どんどん問題がきます。それをする前に、信徒1人、1人に正確な答えを持つように祈らなければなりません。教会1人1人が、礼拝と現場の目が開かなければなりません。今日みことばを聞く瞬間と、6日間の現場、これが連結するのが伝道です。そうでなければ礼拝をささげる必要がありません。
・今日、皆さんがみことばを受けて、恵みを受けて行って、6日間、神様のみわざが正確に起きた、そこに対する証人です。そうでなければ、伝道のためにすべての韓国教会が力が抜けて問題がきます。無理に総動員をして、スローガンで「3月18日一度だけ」と言います。もちろん一度だけ聞いても救われるという言葉でしょう。しかし、いのちもない人が一回だけとすれば、これが普通の問題になる言葉ではありません。伝道はいのちを持っている人が動けば、いのちが働くことです。正しいのか、正しくないのか、皆さんが同じように出て行って賛美伝道をしてみれば分かります。いのちと福音を持ったところに来ます。それで、無条件に一回だけというのですが、教会は一度だけ行けば良いのでしょうか。
・私が副牧師の時でした。担任牧師が命令をするので仕方なかったのです。私たちも3000人を動員しようと言いました。信徒がいくらしてみても500人しかならないから、3000人を動員しようと言ったのです。それで、私が話をしました。「私は牧師先生に仕える使命だから、牧師先生が命令を下せば100%でもなくて200%もします。3000人動員は簡単です。私が1000人を動員します。しかし、総動員主義は伝道に成功することはできません。成功した例はなく、成功しても後ほど問題がきます。信徒を無理に引き込めば、そこがまさに市場になるのです。」
・人々が目標を達成しようとやたら走るのです。それで、長老は50人、勧士は30人、執事は10人、新しい信者は1人ずつしながらどんどん集めようとします。必ずしようとするなら、それも間違っているのです。伝道をしたことがないからです。伝道を正しくしてみた人ならば、新しい信者のそばに50人、執事30人、長老10人、副牧師1人、このようにしなければなりません。なぜなら、信仰生活を長くした人であるほど、周囲に対象者がいません。牧師が1年中ずっと通ってみても、食堂以外には対象者がいません。むしろ未信者がくれば新しい信者対象者が多いのです。だから逆に見ているのです。これでは日を決めておいて走ってみるのですが、ある人は自分がなぜ走るかも知らずにしています。それで、私が伝道をするというので、講義を頼まれて行ったのですが、行ってみたら完全に大騒ぎでした。商品をいっぱい積み上げたていたのですが、そうではいけません。
・ある教会は1等はTV20インチを賞品にしてあったのですが、ある勧士はどれくらい人を集めたのか、嫁も一緒に出てきて二人がTVを持って出て行きました。それで新しい家族が見て、「あのおばあさんが、あれをもらおうと、私にそのように来てと言ったんだなあ。」と考えるのです。みな滅ぼすのが伝道です。それで、壁にスローガンをどれくらい貼っておいたのか、驚きました。階段を上がるのにも「また、一人で来られたのですか」こういう標語も貼ってありました。本当に大騒ぎでした。お手洗いにも付けてありました。「あなたが捨てたたましいは今でも地獄に行っている。」私がそれを見ながら、熱心には良いが、本当に大変なことになったと考えました。信徒は全く福音も知らずに、味も知らないのに、また一人で来るのかと尋ねているのです。それでは内心、一人もやっときたと思うでしょう。
・夫から文句を言われ、妻が文句を言われて、やっと来たということです。伝道が何かも知らずに、無条件に教会を復興させようとして、お手洗いにも「今日、あなたが捨てたたましいは、今でも地獄に行っている」とすれば、用も足せません。教会に来ても、よく見るようにしなければならないということです。このように、やたら走らせるので、副教役者は死ぬのです。このようにしてしたのですが、本当に私が1000人を動員したのです。簡単で、3日で1000人を動員しました。礼拝を出て行かなければならないから、私が動員する時間は午後2時にして、老人ホームに訪ねて行ったのです。なぜなら交通費をあらかじめすべて上げて、車を持ってくるというので良いと言いました。それで、私が2時礼拝の時、老人たちをほとんど1000人を集めてきました。それで3部礼拝の時、私が司会をしようと出て行ったところ、礼拝堂が全部白髪で、白色でした。総動員が終わるやいなや、信徒が皆抜け出ました。それで登録をした人々をまた訪れるのに、副教役者は死んでいったのです。それでも幸いなのは、何人かの実が結ばれたのです。それでは、しなければならないのではないでしょうか。
・1000億円がかかっても、それならしなければなりません。しかし、知ったところ、その人々も少しずつ消えて行ったのです。伝道をよく知らないから、この頃も何の伝道しながらするのに、威厳で言うことではなくて、牧師にお願いします。聖書を正しく教えればみわざが起きます。何で珍島犬伝道のようなものが、どこにあるのでしょうか。噛みついたら離さないというのですが、何かの保険会社なのでしょうか。それはマルチ商法ですることです。教会はマルチ商法をする所ではなく、福音を伝える所です。それでは、全部して後ほどどうなるでしょうか。こんなことを10年を越えてするので、韓国教会が減少14%という結果になってしまいました。一年に3000個ずつ門を閉めて、首都圏にだけ無職牧師が5万人だということです。大変なことになったのです。韓国教会の70%は未自立です。大変なことになったのです。はやく防がなければなりません。
・テオピロよ。私が前に書いた書には、40日間、神様の国のことを説明されたのです。ただ聖霊が臨めば、力を受けて証人になります。この力を教会で得て、現場に連結するのです。皆さんがこの祝福を受けることを希望します。皆さんを見て、キリストがすべての問題の解決者だということが見られて、神様が生きておられるのが見られる契約をつかまなければなりません。皆さんが今、いくら弱くても、伝道を正しく悟って恵みを受ければ、神様は新しい力を与えられます。
・三番目です。伝道は何でしょうか。正しい伝道だけ悟れば、驚くべきみわざが起きます。生き方と現場です。これが聖書が願う伝道です。私たちがこの間の時間に伝道が何かと語ったのですが、今は神様がくださった伝道方法を語っています。神様がくださった最高の答えを味わうのが伝道の方法で、生き方の方法です。今日、教会で恵みを受けただけ、皆さんが現場でみわざが起きるようになります。それが私たちの生きる方法で、伝道の方法です。そして、私たちの生活と現場の中で、神様のみことばがそのまま成就することを言うのです。迫害が起きても関係ありません。どれくらい迫害が起きたのか、足のきかない者を立てたのですが、法廷に立つようになる問題が起きました。
・使徒7:54-60は、ステパノが福音を伝えたというので死刑にされました。使徒8:1-3にはイエスを信じる人をつかまえに通うチームが構成されました。使徒12:1-25には、イエスを信じる人、使徒を皆捕まえて行きました。使徒16:16-40に、福音を伝えるという理由で監獄も行くようになりました。使徒17:4-5市場にならずものが動員されて福音を防いだのです。このように問題がきました。それで大丈夫なのです。皆さんの人生の中に神様は確かに働かれます。これのために、むしろ使徒11:19にアンテオケ教会が誕生しました。むしろ私たちが迫害にあったせいで、福音を伝える人々が集まって、今、福音運動をするのにどれくらい大きい証拠が起きるのでしょうか。使徒16:6-10にマケドニアの門が開かれたのです。エペソで大きい迫害が起きたのですが、証拠が起きて、ローマも見なければならないと言いました。
・使徒27:24には、パウロ、恐れてはならない。あなたはカイザルの前に立たなければならないと言いました。必ず記憶しなければなりません。今日、神様がくださった生きる方法と伝道方法が何でしょうか。これは分離されるのではなく、一つです。レムナントは、どのようにすれば良いのでしょうか。皆さんが学校を行って契約を捕まえていれば、証拠が現れます。皆さんがうろたえたり、何かをしようとするから逃すのですが、逃してはいけません。「牧師先生、軍隊に行ってどのように伝道をしますか?」軍隊に行っても伝道しようと考えてはなりません。軍隊生活を正しくしなさい。軍隊生活を正しくしながら祈れば、門が開かれます。軍隊生活をしながら答えを味わうのです。軍隊生活をしながら3つのことを味わっていれば、門が開かれます。
・その時、話せば良いのです。軍に行って、どのように伝道をするのか、心配する必要がありません。皆さんが職場に入れば、職場は世の中が本当に忙しいのに、どのように伝道をするのでしょうか。そちらでイエス信じるしるしを出すと、おかしな人になったりもします。入社したばかりの人が、主はキリストだと歩き回れば、精神病者扱いを受けます。それが伝道ではありません。職場に入って3つのことを味わいましょう。職場に入って他の人の10倍に熱心に仕事をしながら答えを味わうのです。皆さんが教会で受けた契約のみことばが、職場の中で力で働くようになっています。それでは、問題が来ても来なくても、現場は変わるようになっています。それで、初代教会を見れば、全部、教会に関係した現場の門が開けています。この伝道を回復するということです。そして、初代教会を見れば、全部、生活の現場の中で証拠がずっと開かれたのです。ここで私がみことば運動を始めれば、ずっと答えが起きます。これが初代教会の伝道です。皆さんがこうしていれば、弟子ができるので、そちらでみことば運動をしていれば、ずっと証拠が起きて、世界が変化まで起きます。皆さんが職場生活をして、事業をしながらも、同じです。皆さんの生活の中でこの祝福を味わっていれば、弟子が起きます。この弟子を捕まえてみことば運動を始めると、この時からすべての答えがみな来ます。三人で開始して、全世界に起きた核心が、このように答えを受けました。私たちのタラッパンで起きる答えが聖書で起きるこの答えです。
・皆さんがそのままみことばを捕まえて開始したのですが、そこでみわざが起きてずっと証拠が出てきたのです。それで、これも知らないながらずっと伝道をして、人を引っ張ってこようとするので問題がくるのです。今日、韓国、世界の教会が聖書にある伝道方法をはやく見つけなければなりません。20の戦略の中で、なぜタラッパンという名前を使ったのでしょうか。現場でみことば運動を行えば、自然に伝道になります。この答えを持って現場で皆さんが祈り始めれば、自然に伝道の門が開くのです。皆さんの職場のなかで、事業体で、自然にみわざが起きるでしょう。これを持って人を生かすことを伝道と言うのです。それですごいことなのです。
・伝道と生活がともにあるのです。「先生、それでも、私たちの生き方は少し恥ずかしいのですが、どのようにしますか?」大丈夫です。初期に私たちが伝道運動をしばらくしていた時、酒飲みが1人がきました。それで、私に自分は酒を切れないと言いました。それで聖霊充満を受ければ切れるので、ゆっくり切りなさいと言いました。それで、この人は酒を飲みながら伝道をしたのです。それで酒飲みどうし集まって、以前にはものすごく飲んだが、今はこれくらいしか飲まないと言いながら、イエスを信じるとこのようになると言って伝道をしてきたのですが、実を結んだ人々が全部酒飲みだけきました。それでも変化するようになります。だから、この伝道運動という実は、小さなものが後ほど全世界を変化させる力を与えられるようになるのです。
・ある裁判官が話しました。「牧師先生、私はタラッパンに来て、イエスを信じるのも良くて、みな良いのですが、一つが問題です。」私に検事が告白しました。「何が悩みですか?」「私は司法試験の勉強の時からタバコをしていて、タバコを切れません。それでカトリックはタバコを吸っても大丈夫だから、カトリックに行かなければなりません。」それで、私がカトリックの悪口を言うこともできないし、どのように説明したら良いでしょうか。それで、とても苦しくて、そのまま行かずに継続してくださいと言いました。それが問題ではなくて、福音を説明するのに、すでに心が行ってしまっていました。それと共に、教会に通うのは、大変だと言いながら、カトリックが気楽だと言いながら行きました。知識のある人がこういうように揺れることを感じました。自らの良心に引っかかるから、そうなるのです。
・皆さんが福音の恵みを悟れば、残りのことは神様が解決されるから、心配をしなくても良いのです。一度は、私が副牧師だった時、やくざの親分がいたのですが、げんこつがものすごく大きかったのです。この人に一度殴られたら本当に重傷でなければ死亡でした。この人がイエスを信じたのです。だから、伝道もよくして、ものすごくがんばっていました。ところで、この人が初信者でした。それで、お母さんの還暦の時、友人どうし集まって酒を飲んだのですが、適当に飲めば良かったのに、たくさん飲んで、1次、2次、3次をすでに飲んだからと、たくさん飲んだようでした。
・3次を終えて出てきたのですが、私と会ったのです。屋台から友人と出てきました。どれほど多く飲んだのか、言葉があまりできないほどでした。私を見て、牧師先生と言いながら見つめました。それで何か用ですかと尋ねたところ、スズメの焼き鳥を食べたと言いました。それでスズメの焼き鳥を食べたのに、なぜそのように目が赤いのか、だからはやく寝なさいと言いました。この人が新しい家族だから、私に会わなかったら良かったのに、「私がなぜこんな者なのか」と思って衝撃を受けたのです。それで、教会に来なくなりました。初めの週はそのまま過ぎ去ったのですが、第2週にも来ませんでした。どれくらい自分自身で試みにあったのか、外にも出てこなくて、家で横になっているということでした。第2週に電話をしたところ、電話に出ました。私と会ったから、恥ずかしく思ったのです。
・「何をしているのか。」と尋ねました。すると自分の一人、自ら「私は希望がない奴で、救われることもできず、何もかもだめで。」そのように話をしました。「いったい何をしているのか。何を飲んだのか。その時、何を食べたのか。」と言いました。「いったい、なぜスズメの焼き鳥を食べて教会に来られないのか。」と言いました。すると、言う言葉が、そうでなくて焼酎を飲んだと言いました。
・それで私が話しました。「確かに聞きなさい。あなたが聖霊充満を受けて、恵みを受ければ、みな解決される。今、それが問題ではないでしょう。恵みを受けて正しく悟って、みことばを聞いて、あなたの信仰生活を正しくしなければならないのではないのか。そして、確かに聞きなさい。イエス・キリストはあなたが飲んだ焼酎で真っ青になって亡くなる方ではない。」かと言って、ずっと信仰生活せずに酒を飲んで歩き回れということではありません。福音に対する基礎、力こういうものを一つも知らないから言ったのです。
・皆さんが福音受ける瞬間、すぐに神様の子どもに変わります。皆さんが神様の子どもになった瞬間、滅びからいのちに移されます。死からいのちに移ったのです。終わったのです。この契約を捕まえることが伝道です。いくつかのことを記憶しなければなりません。Iペテロ2章9節を必ず記憶しましょう。皆さんはイエスを信じる瞬間、皆さんの家をみな生かす祭司であり、皆さん1人のゆえに暗闇がみなうち砕く王で、皆さんのために光が伝えられる預言者です。確かにおっしゃられました。これが皆さんが受けた祝福です。もう皆さんがも一つ記憶しなければならないことがあります。
・二番目です。確信を持たなければなりません。確信ということは、強く信じるということではありません。正しく信じることです。そのまま信じれば良いのです。いたずらに強く信じます。という必要なく、そのまま信じれば良いのです。信じられないから、強く信じますと言うのですが、それが何でしょうか。そのまま信じれば良いのです。皆さんが受けている困難も、後には結局、みな祝福の土台になります。皆さんが死ぬように見られるのですが、後ほどには皆さんの土台になります。私の父は早く亡くなったのですが、私には祝福の土台になりました。信じる者にできないことはありません。何の確信なのでしょうか。神様の子どもです。皆さんが祈れば答えられます。今、失敗しているようでも勝利します。すべての呪いは終わったのです。神様が皆さんを永遠に導かれると言われました。なぜ確信するべきなのでしょうか。事実なのに、確信しなくても良いのに、すべき理由は、サタンが皆さんを攻撃できないようにです。ですから、Iペテロ5章7節8節を見れば、あなたたちの心配を主に任せてしまえと言われました。その後に何が出てきているのでしょうか。あなたがたの敵である悪魔がほえたける獅子のように歩き回っていると言われています。そして、確信がない人だけ刺激するのです。未信者は餌食だから、皆さんは刺激することができなくて、確信がない人だけ刺激して回るのです。経済はどのようにするのでしょうか。経済の心配はしないで良いのです。確かに経済には奥義が3つあります。昨日話しました。神様が世の中を維持するための経済があります。李ビョンチョル氏、鄭周永氏は、みな世の中を維持するための経済祝福を受けたので、必要な方々です。皆さんもこの祝福を受けました。
・二番目です。神様は未来のための経済が別にあります。千年前にも経済は難しかったのですが、発展してきて、私たち幼い時も世の中にこのように難しかったことは初めてと言ったし、IMFの時もそう言いました。いつも、その話をしていました。しかしいつも答え受けたのです。それは、未来に対する準備でした。三番目です。皆さんが経済の心配をしなくて良いのは、伝道と宣教のためには神様が隠れた経済を隠されています。驚くことが行われます。昔には影島が釜山で遠い島だったのですが、今は空港側から道路が出て影島を通っています。釜山で一番発達するでしょう。神様は他のものを通しても門を開けられます。皆さんが本当に一般信徒宣教をしようとすれば、神様は隠れた経済の門を開けてくださいます。この祝福を契約で捕まえられるように願います。
・皆さんの心の中に悩みが生まれるでしょう。「RUTCもすべきで、建築の話も出てくるし、宣教もすべきで、私たちが何の愚か者か。その上に教会に来たら、十分の一をすべきで、税金もあるし、これは何か」このように悩むでしょう。この四つは隠れた経済を備えられた神様と関連があります。このメッセージ、みことばをダビデのように心の中に入れなければなりません。十分の一をする時は、他のものを心に入れずに十二部族の奥義を心に入れましょう。宣教を考える時は、神様がアンテオケ教会でした、それを心に入れましょう。RUTCはパウロが会堂を探して入った、その心を心に入れなければなりません。その次に建築はダビデが入れた心を抱かなければなりません。
・そうすれば、そのみことばが皆さんたましいの中に入ります。この時から事が行われるのです。私の心には世界宣教というものを入れてずっと祈ったところ、たましいの中に根をおろしました。答えはあちこちで起きます。答えを受けなくてもかまわないのですが、当然にくるようになっています。今日、皆さんが神様の祝福を正しく回復する生き方と伝道の方法に正しい祝福を受けるようになることを祝福します。皆さんがこのみことばを聞いて信じるだけでも、事業の現場、個人現場に確かに証拠が起きるでしょう。この祝福が皆さん子孫代々にあることを祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、私たちの基礎メッセージですが、一般信徒宣教に重要なメッセージになるようにして下さい。今日から神様がくださった重要な答えを味わうようにさせて下さい。教会と現場が連結した祝福を味わうようにさせて下さい。私たちの生活と現場が連結する祝福を味わうようにさせて下さい。神様が新しい門を開けてくださることを確信します。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン