2007年4月8日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ

<復活主日>
1部/復活されたキリストの約束
(使徒1:3〜8)

・イエス様に病気を癒してもらった人々、弟子たち、ユダヤ人たちの特徴が復活を信じなかったことです。とんでもないことだと言いました。弟子たちが、1人ももれなく、口で話してはいないが、心の底ではそのように考えたのでした。私たち大部分のクリスチャンも、そのように考えています。私も昔には、そのように考えていました。私たち人間に一番重要なのが命だから、命の前には、みな降参するようになります。
・私の友人の中で、テコンドー7段の方がいます。夜に寝ていたら、強盗が入ってきたということです。この強盗が来て、刃物を首に突きつけたということです。ところで、この友人が刃物が首に突きつけられるから、からだが動けなかったということです。この友人のおもな特技が、足蹴りだったので、足で蹴れば良いのに、足が動かなかったということです。幸いに、お金だけをもって強盗は逃げたのですが、行った後に足が動いたということでした。なぜそうなのでしょうか。テコンドーも重要で、お金も重要ですが、刃物を首に突きつけられたから、命がなくなると思ったためです。
・また幼い時、親しかった友人1人は、現代グループの労組委員長もしていた、活動的な人でした。ところが、ガンになったというので訪ねて行きました。顔が真っ黒でした。しかし、元気に暮らしていたのです。誰かが肝臓を移植してくれるのを待っているということでした。この友人がお金はあるから、肝臓を買うということでした。ところが、順番が2千人くらい待っているということでした。不可能なのです。そんなに友人も多くて、知っている人も多いのに、肝臓を提供してくれる人がいませんでした。結局は死にました。命の代わりをしてくれる人は誰もいません。だから、死の前に勇気ある人はいないということです。
・イエス様が異端だという指名されて、多くの寃罪をかけられ、死刑宣告を受けるようになりました。病気が癒された人々もみな逃げたのです。世論がおかしくなるから、無知な国民も世論を聞いて、みな心が背を向けたのです。イエス様が世論の裁判を受けるようになりました。ピラトという判事が、いくら見てもイエス様に罪がなかったのです。それで話をしました。「私はこの人をいくら研究してみても罪がない。」それでも、ユダヤ人、ローマ人、国民、祭司長、律法学者がみな合わせて殺さなければならないと言ったのです。それでしかたなく、ピラトが死刑宣告をくだしました。このようにして、十字架で処刑されるようになったのです。
・問題は、誰もイエス様が復活されることを信じなかったのです。一番イエス様の近くを付いて回った弟子も信じませんでした。その中で信仰告白を正しくして救われたペテロも信じませんでした。イエス様が十字架を背負って行かれた時、ペテロがついて行ったのですが、どれくらいおじけづいたのか、誰かが「あなたもイエスに付いて回った人ではないか。」と言えば、違うと答えるほどでした。食事の仕度をする女が「その人に間違いない。」と言ったら、「違う。」と答えるほどでした。それで、ローマの政治家たちやユダヤ人は、精神がおかしな人々だと思ったのです。
・ところが、おかしな事件が広まっていきました。イエスがどうなったかに、すべての関心が向く中で十字架で処刑されたのです。死刑にされて、墓がイスラエルは家のようになっているのですが、その中に死体を入れておいたのです。イエス様が直接3日後に生き返るはずだと言われたのに、この人たちがそれを保安するために3日間見張ったのです。しかし、まったくありえない事件が広まっていきました。自分たちの頭では考えることもできないことでした。突然、日が昇る前なのに、夜明けに墓の中から光が射し出てきたのです。これは、どういうことでしょうか。閉じておいた石の門が、人がいないのに開きました。私が見る時は、それが自動ドアの初めです。そこで、イエス様が歩いて出て来られました。ですから、見張っていたローマの兵士とユダヤ人の兵士が衝撃を受ける程度ではありませんでした。記録に見れば、何人かの心臓が弱い人はその場で卒倒したのでした。ですから、急いで行って彼が生き返ったと報告しました。
・それで、イスラエルに政治問題が起きたのです。このようになれば、政治、宗教、すべての部分に問題が起きます。国民の世論などに、みな問題がくるから、政治家たちが嘘をつきました。見た人に口を開かないように、みなお金を与えて約束したのです。それから嘘をつきました。どんな嘘を作り出したのかというと「私たちが少しの間、夜明けに寝ついた間に、弟子がきて死体を盗み出した。」と言いました。これが別名、神学的に「盗難説」です。死体を盗み出したということです。ところで、イエス様が復活して現れて、色々な所で見た人がどんどんできてきました。このようになったので、その時、ユダヤ人が嘘をついたのではなく、言葉を変えたのです。「多分、親分が死んだから、付いて回った仲間がとても会いたいから、幻の中で見たのだろう。」これが「幻想説」です。
・ところが、それではありませんでした。いつでも真理が勝ちます。ずっとイエス様が現れて働きを始められたのです。ですから、最後にこの人々が言うのに、嘘をついたのではなく、正しい話をしたのです。自分たちの胸の中にある正しい言葉でした。「私たちがしっかりと殺さなかった。はっきりと殺さなければならなかったのに怠けた。」それを「気絶説」と言います。気絶して目覚めたということです。この3つは、頭が良い人々が見る時は、復活を証明する根拠となります。
・死体を盗み出したということは、墓が空っぽだという証拠です。幻想説を話したということは、見たと話す人がいるということです。気絶説を話したということは、死ななかったということです。あちこちに伝わって、この働きが世界へ広がったのです。これをどのように解釈しなければならないのでしょうか。私たちの悩みでなく、敵であるイスラエルの人々の悩みでした。初代教会の悩みでなく、ローマの悩みでした。明白な受肉による事件でした。理解できるでしょうか。
・私たちが礼拝をささげる時ごとにすることがあります。全世界教会が、礼拝をささげる時ごとにすることがあるのです。使徒信条で信仰告白をします。そこで何が出てくるでしょうか。「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」韓国でだけでも、10時、10時半、11時に礼拝をささげながら、全部が「ポンテオ・ピラトのもとに」が出てきます。いったいたましいがどんな状態でしょうか。全世界で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」とみな上がってくるのです。調査はしていませんが、子孫はどうなったでしょうか。全世界が呪っているのです。多分、地獄で一番くやしい人が、ポンテオ・ピラトでしょう。ポンテオ・ピラトは話しました。「この人は罪がない。それでも殺すのか。」ですから、政治家たちと宗教人と国民が圧力を加えながら殺せと言ったのです。それで、ポンテオ・ピラトは総督であり、裁判する裁判長であったのに、水で手を洗って「私はここに責任はない。」と言ったのでした。
・ところが、世界教会は礼拝をささげれば、最初に賛美をしますが、歌ってすぐに悪口を言います。「ポンテオ・ピラトのもとに」それで、私が見るのに、地獄で一番くやしい人がポンテオ・ピラトだと思います。なぜそうなのでしょうか。ポンテオ・ピラトには何の罪もないのですが、私たちは、ポンテオ・ピラトと言ってずっと世界で話します。なぜでしょうか。理由は一つしかありません。歴史的証拠です。ポンテオ・ピラトが総督である時に起きた事件です。だれが防げられるでしょうか。
・今日、それなら私たちはここで、どんな重要な契約を捕まえるべきなのでしょうか。これが重要です。私と皆さんがここで、どんな契約を捕まえて、祈りの答えを受けなければならないのでしょうか。聖書に第1の約束です。「これがもし事実ではないならば、聖書全体が嘘になるのです。」「もしこれが事実ではないならば、天国も嘘で、私たちが信じるのもむなしいことだ」とパウロが告白しました。それでは、今日、私たちはこの重要な事件を全体を長く話すことはできないのですが、簡単にどのように記憶すべきでしょうか。
・少し詳しく考えなければなりません。やや下手すると、私たちはこの部分をのがして今まで生きてきてまた過ぎ去るようになります。先に考えなければならない部分です。いったい復活の意味と内容は何でしょうか。それから分からなければならないでしょう。それは、聖書にこのように約束をして、メシヤを送ると言われた理由が何かということで、それが重要なのです。なぜ聖書はこの約束をされたのでしょうか。そして、どうしてこの事件が成されたのでしょうか。この理由がとても重要です。ここで一般の人々が知らない重要なことが起きます。ここにいくつかの理由があるのです。一般の人々が想像以上に知らないでいる暗やみ、サタンの勢力が存在しているのです。これが人間を滅亡させます。唯一、聖書にだけ記録されているのです。サタンという存在が目に見えなく活動するのを、他の仏教の経典にもどこにもなくて、聖書にだけ記録されています。これが多くの悪霊を持って全世界の文化を掌握していることが聖書には記録されています。ところで、想像以上に、教会が知らずにいるのです。ですから、ムダン(霊媒師)がむしろさらに文化を主導しています。異常にも、たくさん学んだ人であるほど知りません。最も大きい問題は、神学者がよく知らずにいるのです。これが人間の運命をひきつけて、地獄まで引っ張っていきます。
・聖書を見れば「神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」それで、ものすごい事件を解決しなければならないからです。それで聖書にはあらかじめ約束されました。メシヤ、キリストを送って、すべての罪、サタンの権威をうち壊す。その証拠で死に、すべてのことをすべて代って、キリストである証拠で復活するようになる。これが聖書が与えられた約束です。ここで、私たちがもう一つ捕まえなければならないことが何でしょうか。キリストという証拠です。キリストならば復活しなければなりません。いったい可能でしょうか。再創造の働きです。私たちの人類を創造された神様は、再創造の働きもすることができるのです。
・ここで皆さんがただ一つのがしてはいけないことがあります。復活したことまでは良いでしょう。それでは、どこへ行かれたということでしょうか。天の御座に上がられたというのですが、位置はどこなのでしょうか。どのようにしてイエスが復活して現れたり、現れなかったり、ドアをあけることもしなかったのに出て行って、入って、これが何の話なのでしょうか。私たちには疑わしいことが1個や2個ではありません。しかし、詳しく見ればそうではありません。聖書を見れば、私と皆さんのたましいはなくなりません。後ほど、最後の時になれば、天国にあるたましいと地に残っている肉体が合わされると言われています。それで、その合わされたからだが復活で天国に行くということです。行くのにそのまま行くのではなく、変化して行くと言われています。このように復活されたのです。それで、私たちの復活の初めての実になられたのです。とても重要な言葉です。とても難しい話だから人々が分からないのです。
・それでは、復活された主が今、御座でどのように働いておられておられるのでしょうか。聖霊で働いておられます。これが聖書がおっしゃる最も重要な真理です。完全な体に変化して、復活して御座に座っておられる主が、聖霊で今すべての聖徒とともにおられるのです。それで聖霊は悪霊の反対語です。皆さん、今日、簡単に祈りの答えを受けられるように願います。救われなかったすべての未信者には、いつも悪霊がともにいます。こういう結論が出てきてしまいます。それで、救われた神様の子どもには聖霊がともにおられます。これを神様がともにおられると言うのです。これを復活されたキリストがともにおられるということです。その話を合わせて三位一体と言うのです。
・私たちはものすごく祝福された人々です。ところで、この契約をのがしてしまっているから、信仰生活が未信者と全く同じで良くならないのです。復活されたキリストが御座に座っておられ、聖霊で今でも皆さんと共におられるのです。どれくらい大きい事件でしょうか。申し訳ないのですが、未信者には確かに悪霊が共にいます。ある人はお金のために人を殺します。ある人は、だめだと思いながら麻薬を継続して死にます。それは一般的な数多い事件です。それで、皆さんが祈りの答えを受けるこの秘密がどれくらい重要かわかりません。イエス様が直接約束されました。わたしが行けば、助け主聖霊があなたにきて、あなたがたと永遠にともにいるだろう。それなら、どれくらい簡単でしょうか。
・今日の本文に、エルサレムを離れずに父の約束を待ちなさいとあります。聖霊があなたがたに臨めば、力を受けて、地の果てまで証人になります。今まで話した、これが復活されたキリストの意味です。今日、皆さんが霊的なことに関心を持ちながら祈ってください。答えがきます。多分、皆さんが驚くべき告白をするようになるでしょう。皆さんがこの聖霊の働きを見ながら、驚くべき告白をしなければならない、そんなことが行われるでしょう。ますます知るようになります。
・核心の時に話したのですが、今週に気持ちが良いことがありました。ワシントンに行って集会をしました。そこに軍人1人が出席をしていたのです。そこで福音を聞きました。元々、この方は仏教信者だったということです。ワシントンで教会に出て行き始めてからは集会に参加しています。その時から今までタラッパンにずっと出てきてこのメッセージをずっと聞いたのです。福音の人になりました。一度は、核心を終えて出て行くと、食事を接待すると言われたので、夫婦と共に食事をしました。見たら、大佐でした。それで、自分が福音を聞くようになった話をしたのです。その時から軍部隊で大佐が直接タラッパンをしたのです。軍人を集めてメッセージをしました。このようにしたら、町中にうわさが立ったのです。
・そうしていたら、私たちのタラッパンが政治的な問題がきて信徒は理解できないのですが、異端の汚名を着せられました。それで、人々が呼んで脅迫したのです。将軍になるべきなのに、変にしていても良いのかと言われたのでした。私に率直に告白をしました。心配になったということでした。本当にどうなるかと思ったということです。ところで、その後日談を私に告白をしました。「神様、私は神様の子どもです。将軍が重要なのではなく、神様の子どもです。私がそれが怖がって、みことばを受けるのに支障にならないようにして下さい。」そうしたら、気が楽だったということでした。
・信じる者、福音を持った者には、確かに聖霊がともにおられます。心配した人はだめだったのですが、この方は将軍になりました。光州に飛行団に団長として来たのですが、私が訪問をしました。びっくりしたのです。軍部隊入るのに、どのように軍部隊に聖書箇所を書いておけるでしょうか。「だれが、われわれのために行くだろう−私を遣わしてください」もちろん聖書箇所は除いて、それだけ書いてありました。それが、どれくらい軍人と合う言葉でしょうか。ですから、軍人が弟子訓練されたのです。その年のすべての成績が一位になって、大統領賞を受けました。それで、私が言いました。「あなたは立派な軍人だから、参謀総長になりうる。その時、タラッパンという言葉をもうしないように。そのまま隠れて、静かにしなさい。」と言ったのです。先週に参謀総長になったと連絡がきました。電話をかけたところ、電話を通じて「牧師先生、祈って下さい。」私は数多くの祈りをしてきましたが、電話を通じてするのは初めてでした。
・この話をなぜするかというと、昇進したとみな良いことなのでしょうか。そういうことではありません。私がその方を見る時、感じることがあるのです。私は牧師ですが、一般信徒を見た時「この人は福音があるんだな。」こういうものを感じます。私はそれを言っているので、私たちがお金を少し儲けた、成功するということを言っているのではありません。それはもう開始に過ぎないのです。信じる者は恐れる必要がありません。この聖霊は目に見えないから、大部分の人々が奪っていくこともできなくて、持って来ることもできないから、私たちはいくらでも味わえます。復活されたキリストは聖霊で皆さんとともにおられるので、暴君が奪っていくことができないのです。それで、皆さんの事業に、職場に、聖霊が充満されれば、すべての問題が解決されるのです。本当です。今日から実験してみましょう。主の聖霊が、私のからだに臨んでくださって、私にある病気を癒して下さい。これが復活された主に会うことです。どれくらいやさしいことでしょうか。
・イエス様が簡単に説明されました。何も心配してはなりません。イエス様が十字架を背負われる前に、最後になさったみことばです。あなたがたは、心を騒がせてはなりません。神様を信じて心配しないように。ヨハネ14章です。また、わたしを信じて心配しないように。天国が備えられているので心配しないように。わたしが道だから、わたしを信じる者、わたしを見た者は神様を見るのです。それと共に本論を話されました。その本論が何か分かるでしょうか。わたしが行けば、助け主聖霊をあなたがたに送ります。この聖霊は世の中が与えるようなものではありません。その話をされました。そして、一番最後に復活されて「しかし、聖霊が臨まれれば、力を受けて、地の果てまで証人になります。」どれくらい簡単でしょうか。皆さんが精魂を込めてする必要もなくて、救われた者は信じさえすればよいのです。
二番目です。証拠を見ましょう。復活されたキリストが約束されました。成就したのか、していないか見て下さい。マタイの福音書28章に、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」そのまま成就しました。あらゆる国の人々を弟子としました。「いや、私たちがどのようにして、これができるのですか。」一つだけ記憶すれば良いのです。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と約束されました。目に見えないのに、どのように常に共におられるのでしょうか。聖霊でともにおられます。
・もし目に見えればどうなるでしょうか。それは、にせ物です。目に見えるのは偶像です。信じる皆さんにだけ正確に聖霊でともにおられます。マルコ福音16章に何と約束されたでしょうか。わたしの名で悪霊を追い出しなさい。たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。そのまま成就しました。どれくらい大きい働きでしょうか。そして、使徒の働き1章8節「地の果てまで証人になります」成就しました。
・ベンハーを書いたウィリスは何と言ったでしょうか。いったいこの人が誰だろうか。キリストが誰なのか。この人が大きい作品を書いたのです。一度も戦わなかったのに、世界を征服したこの方は誰でしょうか。復活され、今でも聖霊で全世界を治めながら答えられています。最も大きい問題は、クリスチャンがたった今、私が説明した事実を信じないことです。信じない理由は、知らずにいるからです。そのまま教会にきて、復活主日礼拝一度ささげるだけです。ですから、どれくらい重要なことをみなのがすのでしょうか。本を一冊も書かなかったのですが、イエス様に対して最も多くの本が出されています。イエス様は槍を持って戦ったこともないのに、全世界の軍人よりもっと大きい力を現わされました。3年間だけ働いて行かれたのに、全世界の王をみな合わせたより大きい力を現わされました。
・それでは、最後の三番目です。私たちは、復活されたキリストにどのように会えるのでしょうか。先に私たちは重要な質問をして考えなければなりません。皆さんが本当に暗やみが何なのかに目を開いてしまえば、何が必要なのでしょうか。人々がしばしば嘘をついているのですが、救いが必要です。あまりにも苦労している財閥、企業家に申し上げたいのですが、その方たちは、どれくらい重要な方々でしょうか。家に精神疾患者、自殺どれほど多いでしょうか。それでは、その方たちだけそうでしょうか。私たちが本当に暗やみが何か分かれば、救いが必要です。私がこの救いが何か本当に分かる時、キリストが必要です。
・それでは、キリストは誰でしょうか。いくら研究してみても、ソクラテスはキリストではありません。立派な方です。いくら研究してみても、釈迦はキリストではありません。今でも山東省に墓を残している孔子も、いくら研究してみてもキリストではありません。率直に、私はひどくさまよっていました。いくら研究してみても、立派な方々であって、キリストではありません。それでは誰でしょうか。私はそこに答えが出てきたのです。孔子は、どれくらい立派な人であったでしょうか。ソクラテスはさらに立派な人でした。多くの人々に真理を教えて、若者たちをたくさん立て起こしました。
・寃罪をこうむって死刑される時、何と話したでしょうか。死刑場に行く時、最後にソクラテスはこういう話をしました。「私は今日、死にに行く」そばに死刑執行する人が付いてきました。「あなた方は生きるために行くが、私は死にに行く。どちらがさらに幸せなのかは、神がご存知だろう。」その人々にそう言いました。それから死刑執行を受けたのです。死刑執行を受ける直前に、またした話があります。振り返ってみたら、自分の弟子がいました。ものすごいメッセージをできたのですが、弟子に後ろの家の鶏一匹を買って食べたが、お金を払わなかったので、それを返してくれと言いました。それしきのこと、私ならば死ぬのに鶏であれ何であれ終わったことなのに、それをみな計算しろと言ったのです。それだけしっかりした人です。それでもキリストではありません。
・人生がなぜ苦難にあうのでしょうか。それのために釈迦は家を出ました。王の息子です。じっとしていても王になるはずでした。なぜ人生が苦難にあうのか、家を出て菩提樹木の下に6年もいました。私は性質が一時間も座っていられないのに、6年も座っていたのです。6年座っていてした話がどれくらい真実な人であったでしょうか「何も悟ったことがない。」と言いました。悟ったことが何もないと「無」と言ったのです。すばらしい人です。私ならば6年座っていたら何も一言も言わないのに、本当に立派な人です。尊敬されるのふさわしいのですが、キリストではありません。
・十字架にかかることもなく、サタンの勢力をうち破ることもできず、地獄の問題の解決もできず、私たちの運命を変えることもできません。イエスをキリストとして神様が送られました。他の宗教が気分を悪くする必要はありません。キリストではないのです。私たちはこの事実を知って祈りさえすれば、神様の国が臨むようになるのです。それで、皆さんの心の底から危機がきた時、聖霊で満たしてくださいと言えば良いのです。祈る時「神様、キリスト、聖霊で働いて下さい。」と言えば良いのです。このようになってもみわざが起きます。
・聖書で一番重要に見なければならない二人の人物がいます。誰でしょうか。初代教会を率いたペテロです。また世界福音化を完成したパウロです。この二人を見ましょう。特徴が一つあります。ペテロがそのように信仰告白したのに、復活されたキリストに会う以前には揺れました。「この復活の事件は人間が解釈できない神様の事件だな。」と悟ってからは聖霊充満を受けました。しもべの前でもぶるぶる震えたペテロが、法廷に立って「世界中で救われるべき他の名は与えられていない」と話しました。このように変わってしまいました。危機の時、ぶるぶる震えた人が使徒の働き12章を見れば死刑宣告され直前に寝ていました。
・最高の宗教生活をしたのに、解決しなかった人がパウロです。最も善行をよくして、正しく生きていた人間がパウロです。聖書を最も多く読んで、幼い時から習った人がパウロです。ところで、自分の問題は解決しませんでした。自分の霊的問題は解決しなかったのです。この人が復活されたキリストに会って世界を征服するようになりました。皆さんがまさに今日、この祝福受けられるように願います。難しくなくて簡単です。復活されたキリストは、目に見えなく聖霊に私とともにおられます。私の行く道に同行されるのです。私の事業に働かれます。この席に、私たちの教会に働かれます。それでは、大きい答えが起きるのです。どれくらい簡単な話でしょうか。
・聖霊の働きが起きれば、どんなことが起きるのでしょうか。話にもならないことが行われます。率直に、私は昔に復活が何か知らなかった時は、信仰生活がいつも試みにあって良くできませんでした。これは教会行くことでなく、試みに会いに行っていたのです。この事実が信じられて、目が開かれました。その時から答えがきたのです。どれくらいやさしくて簡単でしょうか。人々が愚かに、難しいこと、間違っていること、難しいことをがんばっているのに、この事実を信じないのです。出世しようと、そのように地団駄を踏みながら、この事実は信じないのです。本当に愚かです。
・釜山にある大学の教授1人を募集したのですが、私たちのメンバーが応募しました。大学教授1人を募集するのに、数十人、百人が応募したのです。ところが、大学教授の履歴書を出すのに、国務総理、長官が圧力を加えて、電話をかけてこの人にしてくれと言ったのです。総長が頭が痛かったのです。誰にすべきかと思って、履歴書を見たのですが、全部、背景がありました。大学総長が指示をしました。「下手をすると、争いが起きる。誰にもせずに、何の背景もなく入ってきた人を選びなさい。」それで、私たちのメンバーになったのです。何の背景もありませんでした。とんでもないことです。この方がこのように祈ったということです。「神様、私がこの大学で弟子を探す働きがあるならば合格させて下さって、そうではないならば、合格しないようにさせて下さい。」目に見えなく聖霊がこの人に働かれたのです。
・人々がこの祝福を知らないのです。人々に話して、努力して走ってがんばることは分かるのに、その後で聖霊が働かれる完ぺきなことを人々が知らずにいます。残念です。釜山にある教会も証拠です。ある教会に行くから牧師が履歴書を出して就職するようにと言いました。私はそんなこと必要ないと言ったのです。私たちはものすごく努力します。それするなということではありません。しかし、それよりもっと良いことがあるのに、それをのがしているのです。人の前に訴えずに、神様に祈りましょう。すぐ答えが来るでしょう。人をねたまずに、神様に祈りましょう。驚くべきことが行われるでしょう。人も頼らなければならないのですが、神様の力を頼ってみましょう。事業には多くの人が必要です。しかし、さらに必要なことは、聖霊の働き、神様の力です。神様は、答えの門を開かれる中で最も重要なことが何でしょうか。目に見えなく働かれるのです。私はそのような祝福を味わいながら多くの答えを受けました。
・私が熱心に伝道する中で、できないことがあったのは、私たちの子どもに祈りを教えて、聖書を教えることをできませんでした。子どもたちが米国にいるから、会うこともできなかったのです。それで、定刻祈りの時、祈りました。「神様、聖霊で私の子どもに働いて下さい。私はできませんが、聖霊はなされます。」本当にその祈りをしました。その祈りを何度もしなかったのですが、答えがきて、私の息子が今は伝道者になると勉強しています。以前は、いつも金をもうけようと目を皿にしていたのですが、今は心が変わって世界的な伝道者になると言っています。
・私たちは問題がきた時、もちろん重要なことがたくさんあるのですが、さらに重要なことをずっと見落とすのです。今日、皆さんがこの復活の信仰を持って皆さんの全てを復活させましょう。人の話を聞かずに、復活させなければなりません。皆さんの職場も復活させて、健康も、家庭も、みな復活させなければならないのです。こういう祝福を味わうように願います。驚くことが皆さんの前に現れるでしょう。今日、復活されたキリストの驚くべき働きを体験するようになることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。世の中の人々が知らない神様の子どもの祝福をくださったことを感謝申し上げます。最も良い恵みを与えられたのですが、その恵みを今日、回復するようにさせて下さい。人に会う以前に、聖霊の働きで勝利するようにさせて下さい。人助け以前に、神様の働きで祝福を受けるようにさせて下さい。事業することが重要ですが、それよりさらに重要な神様の祝福を受ける時間になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


2部/<福音の手紙、はじめての出会い>
なぜ人間は幸せがないのか?
(ローマ3:23)

・福音の手紙の10回の出会いを通して皆さんに大きい解決する答えがあることを望みます。福音の手紙は1989年、18年前に書いたものです。難しく書いたのではなく、そのまま信徒に渡すために書いたのです。伝道が難しいと考えていたので、伝道する人、何人かを呼んで聖日に教会に行く前に書いたのです。それで、コピーして渡してあげて、読んであげながらだいたい説明したりしました。ところが、想像を超越することがたくさん起きたのです。およそ10回目まで書いたのですが、福音の手紙を話すうちに、答えが起きたのです。少数ではなくて多数が、福音の手紙を持って福音の話をして起きた証人が多いのです。皆さんがこの本を見る時は「そうだろう」と思うでしょうが、私は18年前に私が書いたものだから、考えが大いに違います。言わば、皆さんは今日、著者の特別講義を聞くのです。
・これが今、中国にも一番たくさん広がっているということです。それで、中国で誤解をしてはいけないのは、中国ではタラッパンを一番注意すべき団体だと理解しているということです。中国が祝福される国なので、そのような誤解をしないように願います。ある時にはメンバーが私に中国には当分来ないほうが良いと話すほどです。福音の手紙が北朝鮮にたくさん広がって入って、本当に信者がたくさん見ているということです。そして、米国にも大きい教会で福音の手紙をするところが多いということです。ある教会は、週報にも載せてあるということです。ところが、その牧師は講壇で、常にタラッパンの悪口を一番よくしているということです。
・とにかく、この福音の手紙は、目に入ってこないベストセラーではなく、ベスト複写物です。私はこれを見て、福音の力が大きいということを感じます。率直な話で、私がこのようになると思って書いたのではなく、そのまま書いて行ったのに、こうなっているのです。私はこの本一冊だけ見ても、神様が福音をどれくらい重要に思っておられるのかを知ることができます。そのように見る時、皆さんが受ける答えがどれだけ大きいのか推測できます。他の本、他のものではなく、これ一つだけ見てもそうです。神様は伝道者である皆さんを確かに用いられるという証拠の中の一つです。
・そのような中に、今日、最初の出会いが、なぜ人間は幸せがないのでしょうか、ということです。みな幸せになろうとします。幸せでなければならないのですが。皆さんがこの本を持って行った時も、この本を皆さんが見る時も、一つ先にしなければならないことがあります。私たちのお互いが過去に対する話が出て来てはなりません。皆さんの過去が、あまり証しに現れてはいけないのです。知らない人が証しをするのですが、証しをするようになれば、レベルが高い人が見る時はおかしく思います。それは、むしろ福音を防ぐことになります。「私がイエスを信じたところ、答えられてお金をもうけた」このように話せば、李健煕氏(サムスン会長)が聞けば、あざ笑うのです。それではイエスを信じようと思っていても、完全に信じません。それは証しではないのです。過去の話はしないようにすべきです。過去の話をしていれば、また傷の話が出てきます。こういうことでは、互いに傷をやりとりして深い傷は刺してしまいます。それではありません。それは間違って悟ったことなのです。
・パウロはいつでも自らの過去の話をしました。しかし、過去が完全福音だったのです。このようにならなければなりません。これが最初の出会いです。皆さんが会って対話をする時、皆さんのうつわにしたがって相手が変わるのですが、私たちが福音の手紙や伝道をする時、人は初めての出会いの対話がとても重要です。それで、私は私たちの教会の中で牧会をしないのですが、立派な人がきたり、特別な人は記憶しています。それで、訪問をする方々やリーダーが少しの目の高さを高めなければならないのではないかと考えます。なぜなら、だれが行って話しをするかが重要なのです。皆さんが正常な人間ならば、その人がどんな人なのか過去を分かりたいでしょう。それを聞いてみれば、不十分に自分の自慢をしたり傷を受けるのです。そうなってはいけません。それが完全に福音でパウロのように答えが出てこなければなりません。
・それで私の場合には、皆さんと真実な対話をしようとしたら、あれこれ話しますが、伝道しに行った時はまた違います。私は幸いに、少し良い両親に会ったようです。学歴というより、かなり賢い方々だったと今でも思っています。77才に母が亡くなったのですが、一度も他人と意見の衝突や誤解を伝えられたことがありませんでした。他の人に失敗をして負担を与えて非難されたり、お金を取りにくることが一度もありませんでした。とても苦労しながらも、私たちが何かが必要な時、いつでも備えられている姿を見て、とても戦略性もあったと思います。真に幸いでした。
・ところで、生きてきながら難しい時期をたくさん体験したので、両親が時々、お金の心配をするのを多く見てきました。それで、私が子どもの前でお金の心配はしてはならないかと思うほどです。ところが、本当に幸いなのは、神様の恵みで私が経済にみにくくなってはいません。経済にみにくかったり、鋭敏だったり、違っている方々が多いのです。それで、その部分は主の恵みだと思います。こういうことで、幼い時から私の家がクリスチャンホームだったから、教会に通うようになったのです。
・そうだったのですが、みな話をできなませんが、幼い時に2つのことは聞いたことがありません。福音が何だ、その次に救われた子どもがどれだけ価値あることなのかを聞くことができませんでした。そんなに幼い時、教会に熱心に通ったのにもかかわらず、そうだったのです。誰の誤りなのかは分からないのですが、私は聞けませんでした。私は今、レムナントに少し激しいほどプライドを植えています。どんどん植え付けています。ある人は、先生があまりにレムナントに話して、レムナントらがとても生意気になっていると言うのですが、それでも、プライドを植え付けています。それと共に、私が福音の価値を繰り返しているのです。
・なぜでしょうか。私の自体がメッセージであるためです。私が幼い時には聞けませんでした。それで、それが私には最初の不幸だったのです。いろいろなことを思い出します。私が習ったことは記憶に残っているのですが、重要なことは思い出せないのです。一時、「ソン・へギョ」というタレントが出てきて熊3匹の歌を歌ったのですが、その歌を50年前に私たちの教会で歌っていました。50年前に私たちがクリスマスのパーティーで得意のプログラムでした。それで、本当に良い伝道師がきても、その人に対する記憶が福音になるべきなのに、そのようなことがありません。歌もいろいろな歌をみな習いました。
・ところが、福音だけ聞けなかったのです。そうしたら、私が重要な時期に沈没してしまいました。重要な時期に沈没にしたのに、勝つ方法がありませんでした。完全に崩れてしまったのですが、その時は知らなかったのですが、今、考えてみたら、福音がなくて教会がけんかをしていました。福音がなければけんかをすることしか考えられません。そのような話をみなしようとするなら、時間がありませんが、ひどすぎるくらいに戦っていました。それで、私が幼い時、それでなくても教会に通いたくないのに、そのような多くの傷を受けて、より価値を発見をできなかったのです。それで、レムナントが注意をしなければならず、気をつけなければなりません。私がここで完全に崩れ始めたのです。結局は、教会に出て行かなくなり始めました。
・皆さんが知っているでしょう。教会を出て行かなかったので、完全にほろびてしまいました。ひとまず、教会は戦っても行かなければなりません。完全にほろびて、私がやむを得ず戻ったのですが、その時も、福音なく戻りました。いちいち話はみなできません。教会を6ヶ所、副教役者で回りながら働きました。真に残念なことです。6ヶ所行ったのですが、6ヶ所がみな戦っていました。私はとてもレベルが高い人の教会も行ってみたのですが、レベルが高い人々はさらに多く戦います。レベルが低い人々は、戦う時、悪口を言って座布団を投げるのですが、レベルが高い人々は、そのようにせずに頭を使ってさらに多く戦いました。それで多くのことを悟るようになったのです。
・尊敬するソク・ウォンテ牧師は、私の説教を聞きながら非難をして、柳牧師はおかしな教会だけ通ったようだと言うのですが、そのようです。それなら、私が通った教会だけおかしな教会ならば、本当に大いなる幸いです。なぜこのように人間は幸せがないのでしょうか。教会がおかしな教会ではないだろうか。私はこのように考えました。それで教会を止めれば良いと思ったのです。それで、20才で大学に行く必要がないと考えました。試みにあったのも、普通にあったのではありません。大学を行けばお金がかかるから、お金を儲けなければならないと思いました。それで、最後に家があったのを我を張って売って20才の時、事業をしたのです。20才の時、私が小さくてがりがりしていたから、だれが私を社長だと見るでしょうか。
・初めて社会に踏み出したのですが、大人から詐欺にあって完全にほろびてしまいました。だから、世の中にはより一層幸せがありません。私が知っている長老一人は、警察署長なのに昇進しようとしたら、その運転手が長老の弱点をつかんで相手方に売って、お金を受け取って共にほろびてしまったのです。私は高級社会では、とても良く暮らしているのだと思っていたのですが、そうでもありませんでした。なぜこのように人間は幸せがないのでしょうか。皆さんの過去を率直に考えなければなりません。
・私は良い点ももちろんあったのですが、良くなかった韓国、個人、過去を考えながら、そこで完全に答えを捜し出したのです。驚くべきことに、それが全部メッセージでした。それで、皆さんが今から人生開始を、そのようにしなければなりません。本当に私の過去を持って福音で答えを探して始めなければなりません。福音の手紙のテキストを見れば、人は幸せでありたいと願うのに、幸せを求めることができず、苦しみの中にいる理由が何でしょうかとあります。ある人は家庭問題、健康問題、経済問題、精神問題にあっています。幸せがなくて、酒、ギャンブル、ダンスなど快楽に走るのですが、結局はさらに不幸になります。理由は何でしょうか。
・聖書はこのように話しています。人間は神様を離れているためです。神様を離れたとなっています。幸せなはずがありません。生まれたばかりの小さい子どもに一番必要なことは何でしょうか。赤ん坊が生まれたのに、一番必要な人は誰でしょうか。お母さんです。生まれたばかりなので、お母さんのふところにいなければなりません。それで、お母さんがくれる乳を飲まなければなりません。生まれたばかりの子どもに、砂糖水を飲ませたら死にます。生まれたばかりの子どもに粉ミルクを買って飲ませたら死にます。その子はお母さんのふところで乳を飲まなければならないのです。それが一番幸せで、一番基本なのです。
・ところで、乳は与えず、お母さんがないとします。そうすれば、どうなるのでしょうか。最も不幸になるのです。それでは、この子がお腹が空くので、何でもつかんで口に入れます。幸せになりません。ある子は足の指、指も吸います。そして、ある子は何でも物をつかんで口に入れるのです。小さいものは無条件に口に入れます。ある時には、大便をしても自分の口に入れます。もし、その子がネックレスをつけたり、金の腕輪をつけたり、足にも金をつけて、腰にも金のベルトとつけても、絶対に幸せなはずがありません。ある面では、必要がないのです。この子は、お母さんのふところで乳を飲んでこそ生きるのです。
・人間は、すべて持っているように見られるのですが、神様を離れたので幸せがありません。その話は、何の話なのでしょうか。不順従になって、神様を知らなくなったということです。ローマ3:23に重要な話が出ています。すべての人が神様から離れたので、神からの栄誉を受けることができないと言われています。すべての人が、罪を犯したのでと言うと、私には罪がないと言います。この説明が確かになされなければなりません。神様を離れる、知らない罪を犯してしまったのです。それで、神様からの栄誉を受けることができなくなってしまったのです。ここは、確かにすべての人です。
・ところで、ヨハネ10:10に重要な話が出ています。盗賊がきて奪っていったと言われています。その結果、罪の中に陥るようになりました。ローマ3:10には、義人はいない、一人もいないと言われています。だから、苦しみの中に陥るしかありません。神様が確かにおられるのに、私は離れたのです。神様が皆さんのいのちを確かに治めておられるのに、神様を離れたのです。金持ちになるのも、貧しくなるのも、神様の御手にあるのに、神様を離れたのです。それが苦しみの原因です。財閥をお作りになった方が神様なのに、人は神様を離れてしまいました。確かに理解できなければならず、確かに悟らなければなりません。
・私は神様を信じないという人がいるのですが、その人のいのちも神様が治められるのです。聖書は確かに言っているのは、すべての人が罪を犯したので神様の栄誉を受けることができないということです。すべての人ならば「全部みな」です。それで、救われなければならず、それでしばしば困難がくるのです。私たちはだまされてはなりません。いくらもがいても、結局はだめなのです。教会に通っても、私たちが神様に会うことができなければ、だめになります。すべての人ならば、私と皆さんが含まれているのです。私がここに含まれています。確かに私がすべての人の中の一人であるためです。それで、私が神様を知らないので、苦しみがくるしかないのです。
・少しここで激しいのですが、話をしなければならないことが、すべての人ならば確かにソクラテスが含まれています。すべての人ならば、確かに孔子が含まれています。すべての人ならば、確かに釈迦が含まれています。それで、女の子孫という言葉は、とても重要な言葉なのです。処女がみごもって男の子を産むということが、とても重要な言葉です。その人のほかは全部「すべての人」です。聖書が話していることがとても重要な言葉です。「処女がみごもって男の子を産む」神学者が集まって、処女がどのように子どもを産むことができるのかと、女がみごもってに変えようと言いました。今回、聖書の翻訳を新しくする方々も、福音をどれだけ分かっているのかは知らないのですが、出エジプト3:18に「犠牲のいけにえ」という言葉を抜いて、犠牲という言葉を抜いて、単なる「祭事」としてあります。とても重要なことなのに、そのようにしているのです。
・聖書ではないから、私たちが信じる必要はないのですが、参考にする必要はあります。「ダンテ」という人が「神曲」という本を書きました。神の歌という言葉です。この人が死の世界を経験してきて書いた本です。ところで、読んでみれば本当に面白いように書いています。聖書ではないから信じる必要はありません。この人が地獄を訪問したのです。地獄に行ったら、1地獄から9地獄までありました。ひどく重い罪を犯した人は9地獄にいて、軽く犯した人は1地獄にいました。もちろん、これは「ダンテ」という人が書いた言葉です。しかし、私は一理があると考えています。罪を犯したぶん罰を受けるので、それでは1、2地獄があるということになります。それでダンテが行ってみたら、9地獄があったのです。
・9地獄に行ったところ、一番怖いところですが、9地獄には2人が座っていたということです。どれくらい不思議でしょうか。一番怖い9地獄に座っている人を見たところ、1人はイスカリオテのユダでした。そして、もう1人はジュリアス・シーザーを最後に刺したシーザーの友人ブルータスでした。ひとまず、ダンテが見た時は、その二人が9地獄にいました。それで何をするのか見たところ、その2人が汚水の中に落ちていたのですが、その二人が上がってくれば悪魔がずっと押していたのです。主が再臨して来られるその日まで、永遠にそしているということでした。簡単に話せば、汚いということです。聖書でなく、ダンテが書いた言葉です。
・ところで、面白いことが一つ出てきます。1地獄です。一番罪を軽く犯した人々が集まっていた所です。他のところは部屋が一杯になっていたのですが、1地獄に行ったら3人が座っていたそうです。ダンテが果敢に、名前を明らかにしていました。ソクラテス、孔子、釈迦です。よく見たのです。とにかく幻想ですが、よく見たのです。ここが一番軽い罪を犯した1地獄でした。それなりに一番良いところでした。それで、こちらを見て、きわめて良いところなので、極楽と言うのです。そのうちで一番楽しいところです。しかし、地獄は地獄なので天国には行けません。すべての人が罪を犯したので、皆さんが虚無主義でもなくて、それでも放棄をすることもなくて、高慢になることもなくて、神様を離れた人間が幸せなはずがありません。
・この不幸がいつからきたのでしょうか。聖書が知らせています。一番最初の先祖であるアダムとエバの時、それも家庭から始まりました。だから、今でも同じ問題です。一番初めから起きて、家庭から起きたので事がなりません。聖書にだけ原因を明らかにしています。創世記3:1-15、誰も明らかにしていませんが、聖書にだけ明らかにされています。結果、創世記3:16-19、この不幸はいったいいつまで続くのでしょうか。エペソ2:2に、今、空中の権威を持つ支配者といわれているのですが、今でも継続されています。ところで、ここで注意しなければならない点は、そのままじっとしていても良いのではなくて、ずっと増加するのです。苦しみがなくなるのではなくて、ずっと増加していくのです。
・マタイ12:43-45に解決をしようとすればするほど、ずっとより増すと言われています。霊的に聖書に表示しているのですが、7つの悪霊がもっと入ってくると言われています。深刻なのです。原因を知らないから、どんどん困難がくるのです。それでは、なぜこういう不幸がなくならないのでしょうか。背景があります。この困難がなぜなくならないのでしょうか。神様が不幸を与えられたのではなく、不幸をもたらす者がいるのです。偉大な神様のみことば、聖書が明らかにしているのですが、苦しみをどんどんもたらすのです。
・不幸をもたらす者がいます。これを知らなくてはいけません。それで、ここに対する名が知らされています。サタンと言ったり、悪魔とも言います。悪霊、皆、同じ言葉です。どんどんもらたすのです。よく見ましょう。この背景がいつから現れたのでしょうか。エゼキエル28:10-14に、天から天使が堕落したことを確かに明らかにしています。ところで、彼らのためにタンバリンと笛が準備されていると言われています。これが何の話なのかというと、賛美を担当した天使ということです。もう一度話しますが、音楽をする人々は、霊的な部分に苦しみを受けないようにとするなら、本当に福音が確実でなければなりません。そうでなければ継続します。ある方は賛美した天使が堕落した証拠がないというのですが、聖書にあります。エゼキエル28章を見ましょう。それで、私たちが文化の働きの中で賛美から最初にしようと言っているのです。
・このように開始したのですが、空中に追い出されました。エペソ2:2に空中に追い出されて、空中の権威をつかんだ支配者と言われています。これで創世記3:5にアダムとエバを触って、創世記6章に社会を倒して、倒し始めたのです。黙示12:1-9に地球の完全に混乱させています。今でも存在しているのです。皆さんがこの話を聞きながら「そうだね。」と感じなければなりません。ところで、皆さんはとても多く聞いていて、「なんでまた、そうだよ」と言います。強盗が現れれば警察が緊張をすべきなのに「あぁ、また現れたんだなあ。」こうしてはいけないのです。
・強盗が現れたのに「エイ、何をしにつかまえに行くのか」と言えば、同じ仲間です。変です。この話をすると、問題だと言ってくるのですが、私は理解できません。いったい誰の側かわかりません。ひょっとしてわかりませんが、私がここで泥棒の悪口を言えば、ここに泥棒がいれば気分が悪いでしょう。教会にも泥棒が来るのでカバンを注意してくださいと言えば、ここに座っている泥棒は、なぜそんな話をするのかと気分が悪いでしょう。しかし、盗みにあった人は、そのような警告はよくしなければならないと思うでしょう。これが皆さんを倒すのです。
・私はある日、聖書を見ながらそのとおりだと思いました。その時から伝道も変わって、祈りも変わって、答えも変わって、みな変わったのです。これを変にムダン(霊媒師)のように理解してはいけないのですが、皆さんが正確に理解して戦わなければなりません。マタイ25:41地獄に行く時まで活動するから、今でも継続しています。本来サタンという意味は、分離する者で、どんどん分離させます。神様とも分離させて、信徒の間も分離させて、教役者の間も分離させて、話を適切に取り入れて分離させて滅亡させるのです。だから、これが背景です。それで、神様を知らなければどうなるのでしょうか。神様を離れたので、神様を知らなければ霊的な問題がくるしかありません。それで、今日、なぜ幸せがないのか理由だけ分かっても、私たちは答えが始まります。
・苦しみにあうのに、原因も知らずにずっと苦しみます。もう苦しみをとてもたくさん受けて、苦しみだとも知らなくなるのです。原因も知らず、どんどんきます。いくらしても幸せがありません。このようになれば、どうなるのでしょうか。心に安息もありません。そして肉体には苦難がき始めます。いよいよ精神的苦痛がきます。このようになってしまえば、ほとんど希望がありません。すでに精神的に捕えられてしまえば、分かってもだめです。「賛美する人々みな恵みを受けなければならないけれど。」知らないことではありません。このようになれば困ります。「ギャンブルをし続けてはいけないけれど。」どんどん陥るのです。それで、結局は地獄まで行くのです。
・このように、人間はみじめになります。ところで、もがいて違ったところで幸せを求めようとしても、少しの間だけ良くなるだけです。違ったところに幸せがあるのかを探してみるのですが、それも少しの間なのです。少しの間、少ししたあとで困難がずっときます。今日のメッセージを聞く皆さんの周囲に、すべての苦しみ、呪いが全部崩れることを希望します。皆さんが本当に信じれば終わるのです。皆さんに付いて回る暗やみの存在が、皆さんを分かっているから、本当に信じれば終わるのです。違ったところで幸せを求めてみようとするのですが、探してみてもそれは少しの間で、肉体的です。違ったところにも楽しみがあるのですが、探してみてもそれは快楽的です。快楽の後には必ず苦しみがきます。それでさらに大きな不幸がくるのです。探してみようとしたところ、より大きい不幸がどんどん訪ねてきます。それで終われば大丈夫でしょう。
・もう本当に問題が来てしまうので、それからは他のことをするのですが、この時から占い、お祓いにどんどん陥ります。ある人は、あまりに難しいから、占い師を訪ねて行きます。こういう経験を長い間するなら、ずっと失敗します。これが幸せがない理由です。それで神様は永遠な道を与えられたのです。解放される道を与えてくださいました。新しい家族や、ここに長い間いる方々が、今日出てきておられます。絵三つを持って結論を出します。新しい家族もおられ、そして長く信仰生活をする方々もおられます。絵を三つを描きます。皆さんが伝道をしに行ったら、最後に絵を持って対話する必要があります。
・これは皆さんがよく知っているとおり、創世記1:27を見れば、本来の人間は神様と共に生きていました。これが本来の人間です。神様が人間をご自分のかたちに創造されました。それで犬、牛は、たましいはあっても霊はありません。それで、獣はたましいが抜ければ死んで終わりで、霊的存在ではないのです。霊を持っているのは、人間しかいません。それで人間は永遠にほろびないのです。ところで、ここに皆さんも知っているように、創世記3章の事件、サタンがアダムとエバが創造される前からいました。このサタンがきて、誘惑して人間を神様と遠ざかるようにしたのです。
・完全に、人間が神様から離れてしまいました。サタンが行けないように断絶させたのです。この時からは、いくらもがいてもだめです。良い行いをしてみようとしても、いくらしてもだめでした。人間は未信者状態の中に陥るから、根本的に悪魔の子どもになってしまったのです。ヨハネ8:44。このようになってしったので、だれも何も言わないとしても偶像崇拝をして占いをするしかないのです。だから人間がこの問題の中に陥っていて、時間が経つので精神問題がくるのです。もう精神問題で苦しめられて、少ししたら肉体問題がくるのです。それでは、この問題がそのまま終わるのではなくて、このようになったあとで結局は死ぬのです。それでは、職業、成功に関係なく、それは資料で残っているのに、自分は年を取れば何もなくて、結局は地獄に行くのです。
・それで、人間がこの問題がここで終われば良いのですが、皆さんが祈らなければならないことは、この問題が皆さんの子ども、子孫に伝わって行くのです。本当に不思議です。母親が持っている霊的な問題が、そのまま娘に行きます。だから、ムダン(霊媒師)になった母がいくらもがいても娘がまたそうなるのです。それで、ここでいくら善行をしても行けません。なぜかというと、悪魔の手中にあるから、善行をして悪いことはないのですが、できることではありません。いくら優れた知識哲学を持ってしてみても、解決しません。行けないのです。それで、神様が人間をここで滅びて死ぬように置かれませんでした。必ず記憶しなければなりません。神様は皆さんを悪魔の子どもで、そのまま置かれませんでした。皆さんは滅びるのに、そのまま死ねと言うでしょうか。それで、神様が計画を立てられたのです。
・ローマ5:8。私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。十字架を通して神様に行ける道を開いてくださいました。前は道が完全になかったのですが、神様が十字架で道を開かれたため、今は神様の前に行ける道を開いて、サタンから完全に抜け出すようにさせてくださったのです。なぜ恵みなのでしょうか。そうでなければ行けないのです。なぜ善行ではないのでしょうか。善行では行けないためです。この事実を信じれば、行けるように神様が道を開かれたのです。信じる瞬間、こっちに行けば神様の聖霊が皆さんの中にいらっしゃるのです。それで、これから皆さんは聖霊の導きだけ受ければ無条件に祈りの答えを受けるようになるのです。聖霊充満で世界征服をするようになっています。ここまでが救いに対する話です。とても重要です。
・ある学生がメールで私に尋ねてきました。神様が悪魔が人間を誘惑するのをご存知なのに、なぜそのまま置いておかれたのですか。それではアダムとエバが滅ぼされることを神様がご存じではなかったのでしょうか。それは、今でも同じ話になります。神様が人間と天使だけに人格を与えられました。犬には与えられませんでした。人間に選択することができるように与えられたのです。人間がそれを持って堕落したのです。それで、神様は機械に作らないで、人格で作って、救いの道を開いて下さったのです。今でも同じです。皆さんがここにしかたなく座っているのではなくて、人格で座っているのです。次の聖日からここに来なくて、登山に行っても良いのです。選択できる皆さんの人格です。
・ところで、その後のことは思いのままにはできないのです。天使が神様に栄光を帰さなければならないのに堕落してしまったのです。それで、サタンのしわざを、神様が息子を送って滅ぼしに来られたのです。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には神様の子どもになる特権を与えられたのです。死からいのちに移されたのです。確かに終わりました。ところでなぜだめなのでしょうか。良くなりません。
・確かに私はイエスを受け入れて、一日に十回もさらにサタンの勢力を縛るのに、なぜ私はだめなのでしょうか。これが二番目です。私たちの孫娘も、サタンをこちんこちんに縛ってくださいと祈りをします。ある人は、道を通いながら主イエスと言います。ある人は、食堂で食べながらも主イエスと言います。確かに終わっていないからだめだということならば当然のことですが、終わったのになぜだめなのでしょうか。ここで、うとうとしておられる方々もみな救いを受けたのです。イエスを信じれば救われることは、途方もない事件です。
・必ず新しい家族に会った時、絵を三つを描いてあげなければなりません。サタンの子どもから神様の子どもに移されたのです。それでは、信仰生活をどのようにすべきなのでしょうか。これが問題です。それで、ここで皆さんがこれをしなければなりません。○の中に椅子があります。(○は心のことで、中心が椅子です。)救われない人々は、私の心の中心の椅子の主人がサタンです。結局、私はサタンのしもべです。だからいくら聖書のみことば、福音の話をしても、私とは関係ないのです。救いは外にあって、私はサタンのしもべだから、いくらしてもだめで、幸せがありません。
・そのようなある日、イエス様を信じるようになりました。救われてしまったのです。私の霊の中に、聖霊がキリストとして救いが臨みました。それではサタンは追い出されるようになっています。ところで問題は心の中の主人が私なのです。それではサタンがいくらでも攻撃できるのです。それでだめなのです。私が主人であるためです。私の利益になるように、私の性質どおりにと、私が主人です。それで、攻撃をされれば、そのままやられるようになっています。それで、救われたので滅びることはないけれど、だめになります。ある日、変わってしまいました。キリストが私の主人です。私はその中にいます。それでは攻撃できません。それで勝利するみわざが起きるのです。
・それではどのように世の中を征服するのでしょう。ルカ5:52にイエス様の幼い時の記録が残っています。必ず記憶しなければなりません。イエス様がどのように成長したのか出ています。ルカ2:52に、イエス様は背丈が伸びて知恵が育ったと言われています。人の前でもそうで、神様の前でも愛されたと言われています。これは世界を征服するための生き方になるのです。背が伸びるという言葉は肉体的な成長です。成長しなければなりません。肉体的な成長は無条件に背だけ高くなるではありません。皆さんが健康も育てなければなりません。それで、伝道者になる皆さんは今日から帰ったら運動をしましょう。さっきも私たちの娘が運動をあまりにしないので、私が昼食を食べて運動する方法を知らせました。肉体的な成長をしなければなりません。それでこそ健康を維持できます。
・知恵が育ったということは、知識的な成長を言います。皆さんが本をたくさん読まなければなりません。たくさん歩き回らずに、本をたくさん見なければなりません。特にTVをたくさん見ずに、本をたくさん読まなければなりません。知識的な成長が継続されなければなりません。子どもたちも本を読む時、最も情緒が安定します。それで皆さんが知識的な成長が継続されなければならないのです。それでこそ、世界を征服するのです。人の前でというのは、社会的成長です。ところで、いくら私たちが肉体的に健康で、知識的に優れて、人の前で待遇を受けるといっても、一つがなければだめです。神様の前で霊的な成長です。この四つがみな合わされて世界征服をするのです。
・すでに私たちはなぜ幸せがないのか分かったので、捜し出さなければなりません。多くの人々が今、持っていることは多くても、幸せがなく死んでいっているのです。聖書は明らかに話しています。すべての人が罪を犯したので、神様からの栄誉を受けることができず、キリストが私たちのために十字架に死なれたことにおよって、神様が私たちに対する自らの愛を明らかにされたのです。今日から真の幸福を捜し出す大きい答えがあるでしょう。次の聖日に二回目の出会いを学びます。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。私たちの幸せを奪っていく背景を倒して下さい。長い間ある暗やみの背景を主イエス様の御名でうち砕いて下さい。家系に座を占めたすべての苦しみの勢力を倒して下さい。この福音の力で世界を生かすみわざが起きると信じます。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン