2007年4月22日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/巡礼者の道
(詩127:1〜5)

・詩篇120篇から134篇までは、都上りの歌で、巡礼者の歌です。私たちがまさに巡礼者です。この頃は医者の中で、お金を一番多く儲ける医者が整形外科の医者です。整形する人が多くて、ほとんどみなするためです。住民登録証を見れば、顔が変わってよく分からないということです。尹サンベ牧師の娘たちが、ミスコリア大会に出場しました。一名ずつ選んで上がるのに、二人とも参加したのです。上の娘は途中で落ちたのですが、下の娘はまだ上がっているところです。ところで、ミスコリアに出てきている子の中で、顔に何もしていない人がほとんどいません。尹サンベ牧師の娘のような人くらいが、何もしていないので、ほとんどみな整形しています。
・全部、かわいくなろうと努力するのです。年をとった方も、老いないように、もがいて整形します。私たちの金ヨンギ秘書も、私に黒いほくろさえみな消せば、およそ10年は若くなると言います。私はあまり時間がないのに、一つずつ消せば良くて、若くなると言います。ある時は、靴のかかとをちょっと高くして、ズボンをちょっと長くしてはどうかと言いました。あなたは、私の背丈がどうだから、そう言うのかと言いました。英国に行っても標準だと話しました。皆さんが笑っておられるのですが、それはあざ笑いと言います。私は本当に標準です。なぜなら、ここにいる背が高い方々は、ほとんど腰をみな痛めています。骨の数は決まっているので、引き伸ばしているのだから、痛くならないはずがありません。私は腰骨が集まっているから痛くないのです。そして、痛くなる腰がありません。私がその話をしたところ、英国のある背が高い牧師が自分の腰に手をおいて祈ってくださいと言いました。自分も腰が痛いということです。このように、人々が若くなり、かわいくなろうともがいています。しかし、私はそのように思いません。
・詩90:12に、知恵の中で、自分の日を正しく数える知恵をくださいと言われています。皆さんが年齢が30才くらいになれば、20才に見られようとするのも良いのですが、40代を準備しなければなりません。年をとった方々は、どのようにすれば若くて長く生きられるかも重要ですが、私がどのようにすれば素晴らしく生きられるかが重要です。聖書はこのようになっています。Iペテロ1:1に私たちを旅人(寄留者)だと言いました。それで、普通、祝福された成功者はどのように生きていくのでしょうか。特に聖書にある人々は、どのように生きていったのでしょうか。人生全体を見て生きていったのです。その人は成功しますが、まず目の前に見えることを見て生きていけば失敗します。さらに成功した人々は、永遠な神様の計画を見ながら生きていくのです。それで、私たちが真の価値、本当に真の成功を持とうとするなら、聖書に記録されたことを見れば、よく知ることができます。今日、この詩は都上りの歌で、ソロモンの詩となっています。ソロモンが作ったということです。都に上ぼる巡礼者が、これを歌ったということです。ここで重要な三つのことが出てきます。今日、短い時間ですが、神様のみことばの中で重要な三つを捜し出さなければなりません。この三つは事実上、聖書だけで話しているのです。多くの本があるのですが、神様のみことばだけが正確です。
・最初、悟らなければならないことは、人生は巡礼者だということです。聖書にだけ記録されているのですが、人生は永遠になくなりません。それで、私たちは全部の日を数える知恵を持たなければなりません。今日、この後にはVIPレムナントがきて礼拝しています。あの学生たちが何をする時なのでしょうか。人生に本格的に投資する時です。ここに、また宣教師がきておられます。あの方たちは、レムナントとまた違います。このように、私たちは自分の日を数える知恵がなければならないのです。私たちのたましいはなくならないで、聖書のみことばによれば永遠の前に準備されていて、永遠に行くということです。それで、輪廻説だ、前世だ、ということは、全部、悪霊のしわざです。見たというけれど、いくらでも見ることができるのです。法事をすれば、両親がくるというのも、全部、悪霊のしわざです。皆さんの両親ではなく、皆さんの両親を装った悪霊です。分かってみれば、とても気味が悪いのです。そのようにして、皆さんの家族を困らせて困難がくるようにするのです。聖書にだけ人生が何か正確に話しています。
・人生は巡礼者だということを見る時、その全体を見ながら今日を生きていかなければなりません。今、みな話はできなのですが、ソロモンの詩だから、ダビデとソロモンを見る必要があります。ここに青年たちがいます。ダビデが幼い時、何をしたのでしょうか。これが重要です。詩78篇にダビデが幼い時、何をしたのか出てきます。幼い時、ダビデが羊を飼っていたのですが、多くの祈り、賛美の文章を書きました。その話は、幼い時、ダビデが世の中に出て行く前に神様から先に知っていたということです。皆さんの子どもが外に出て行く前に、祈りから学ばなければならないのです。
・そして、私と皆さんが最も重要なのは、仕事をする前に力から得なければならないということです。大部分、外に出て行けば、がんばれと言います。あいさつも、がんばりましょうと強調します。それは良いのですが、限界がきます。大部分の信者は、これをしなければならないと思って神様に祈ります。その程度ならば信仰が良いわけですが、限界がきます。今日、皆さんが必ずキャッチしなければならないことがあります。本当に祈っていれば、これがきます。これが本物です。私たちがしばしば、にせ物を捕まえるから、いつも苦労するのです。
・ダビデが、王になるようにさせてくれとは言いませんでした。神様が私の王になられることを望むと言いました。そこで正しい王が出てきたのです。それで、私たちが人生全体を見ながら開始を正確にしなければならないのです。今でも遅くありません。大部分の人々は、この人の話を聞くとこのように、あの人の話を聞けばあのようにするから、事業になりません。本当に祈っていれば、答えが明らかにきます。これが本物です。ところで、この力をのがすから、私たちがしばしば揺れるのです。とても重要です。ダビデが幼い時、実力と福音を持っていました。それでは終わりです。実力と福音を持っているから、自ら多くの答えがありました。空いている時間があれば、文章を書いて賛美していたのです。それが人生全体と関係あるダビデの開始です。ダビデの青少年の時期がきました。皆さんがおわかりの通り、ペリシテの国がイスラエルをいつも困らせていました。
・ゴリヤテがきてイスラエルを40日間、ばかにしたのです。どの軍人も出て行けなかったのですが、ダビデが単純に戦いに出たのではありませんでした。ダビデが兄に話しました。私が行ってゴリヤテと戦います。また、千人隊長にゴリヤテと戦うと話しました。王にまでも話しました。これは負けん気ではなく、幼い時からサムエルに会ってペリシテが誰かを聞いていたのです。神様の契約の箱を奪っていったペリシテが、どこの国なのか分かっていました。このペリシテが攻め込んできて、ゴリヤテが戦おうと言ったのです。ダビデの戦いは単なる戦いではありませんでした。幼い時、羊を飼いながら石を投げる技術を学んだのですが、これがまさにゴリヤテを倒したのでした。確信がありました。この程度にはならなければなりません。私たちのレムナントは、世の中に出て行く時、神様の契約を正しく捕まえれば確信を持つようになります。明らかに、祈れば答えがくるから気をおとさずに祈り始めるように願います。福音を持った皆さんは、神様の子どもであるために祈れば良いのです。ダビデはすでに確信がありました。石5個をポケットに入れて出て行く時は5個で勝つ自信があったのです。おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。どれくらい確信があったでしょうか。そして石一発で終えたのでした。これがダビデの少年の時期です。
・そして、成功して政治家の中に入ったら問題がきました。その時、ダビデは全く揺れませんでした。答えを持っていたためです。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと言いました。そして、幼い時から胸に抱いて聞いていた神殿を準備したのです。これをソロモンに話しました。ですから、時刻表があるのです。ダビデが神殿準備を全部して、ソロモンに。ソロモンが王になってすぐした祈りは何でしょうか。他のもの何も必要なくて、知恵が必要だと言いました。そのソロモンが神殿を作ったのです。その後に、ソロモンが失敗して偶像のために崩れました。年を取りながらソロモンが悟ったのです。全てがむなしい。伝12章を見れば、全てがむなしい、それと共に言うことが、あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。持っている財産もむなしい。人生全体を見たのです。
・年をとったソロモンが、お父さんに多くの恵みも受けたのですが、人生全体を見たのです。私が多くの知恵を得たが、それもむなしい。そして、ソロモンのように味わった人もいないでしょうが、富と力もむなしいと言いました。私が神様をよく仕えて、神様に献身した。それもむなしい。ただ、真に主しかない。あなたは、あなたの創造者を覚えなさい。このように彼は人生全体を見ながら神様の恵みを受けたのです。これが私たち巡礼者が行く道です。
・今日の二番目は何でしょうか。詩127篇、神様の主権です。勝利した人はこれを信じました。今からでも遅くありません。信仰生活に本当に勝利した人は人生を分かりました。信仰生活に本当に勝利した人は、すでに神様の祝福を分かっていました。今日、詩127篇に、主が家をたてなければむなしいと言われています。私たちがいくら町を守ろうとしても、主が守ってくださらなければむなしいのです。そして早く起きて遅く横になるのも無駄になります。早く起きて遅く横になるのは、労働時間を言うのですが、それも無駄になると言いました。子どもを育てるのも無駄になります。主がともにおられてこそ、それが武器になるのです。こういうみことばを告白しました。この言葉を一言でくくってしまえば、神様の主権です。今日、皆さんがこの事実と契約を堅くつかむように願います。創造された神様は、皆さんの全てを守られるから、心配する必要がありません。そうでなければ、このことが起こればこのことで、あのことが起こればあのことで揺れるようになります。誰かがこの話、あの話をすれば、いつもそこに揺れるようになるのです。
・私たちは、この世を巡礼者として生きていく間に神様の主権を信じます。2節を見たら、あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。たくさん眠る人が活用する聖句です。普通、青年たちが思い切り寝て、主は愛する者を眠らせてくださると言います。正しい話ですが、これは、安らぎをくださるということです。主がくださいます。私たちがいくら努力しても限界がくるのです。神様の主権を信じる者は、どんな場合にも揺れません。神様の主権を信じる者は未来の神様の計画を知っています。
・3番目には、世の中に関して出ています。世の中はしばらくいて行く旅人の道です。ですから、私たちには、こういう時刻表がとても重要です。皆さんが今日、本当に重要な答えと人生に重要な神様のみことばを聞く時間になることを望みます。聖書をこのように終わらせてしまえば、何の話かわからないでしょうが、普通、そのようにします。ユダヤ人や旧約の人物でも、今日の聖徒たちがのがすことがあります。人生、神様の主権、世の中が出てきたのですが、ここでのがしてはいけないことがあるのです。信仰生活が何かという時、人生の人生問題を解決することです。旅人の道に人間が行くのですが、根本問題を解決しなければどんどん問題がきます。なぜ都に上るべきなのでしょうか。根本問題のためです。
・今週に、全国、世界を沸きかえるようにした、その事件(韓国留学生がバージニア大学で33人を射殺した事件)のために、皆さんがたくさん祈ったでしょうが、今でも多くの後遺症が生じています。残念なことです。私たちがなぜレムナント運動をしなければならないのか理解しなければなりません。人々が聖書の話をよく聞き取れないのです。この福音を知らずにアメリカに住めばどうなるのでしょうか。私が知っていることでは、個人的に一名も成功できていません。韓国でも同じです。人間の根本問題を解決していないためです。どうしてあんなことができるかと言いますが、これが簡単に話せばサタンにしっかりと捕えられたのです。
・だから予想もできないことをするのです。その子はクリスチャンでした。こういう事実があらわれれば、さらにおかしいでしょう。それもワシントンにある大学です。よりによって、私たちのタラッパン運動を最も邪魔する教会の信徒です。教会の名前を言いませんが、最も邪魔する教会です。その子が通う学校がバージニア工化大学です。そこにCCCチームがいるのに、タラッパンを最も反対します。それで私たちのタラッパンチームがその子に会ったことがあるのです。一度行って福音を伝え、福音も受けました。その後にずっと会おうとしたら、ずっと妨害をして会えなかったのです。そのために、そのようなことが起こったという話ではありません。私たちが教会に通いながら人生の根本問題を知らなければ、良くなりません。私たちが神様の主権を話す時、神様の主権の中で最も重要なのが救いの働きです。それを捕まえようと都に上がるのです。
・神様の重要な開始は何でしょうか。それが福音です。皆さんが福音だけ完全に理解したら、全部すべて理解できます。神様の方法が何でしょうか。インマヌエルです。世の中に対して聖書はどのように話しているのでしょうか。Uコリント4:4〜5を見れば、悪魔を世の中の神と言っています。それならば、本当に普通の問題ではありません。ヨハネ16:11〜14を見れば悪魔を見て世の中の支配者だと言いました。そのような間に、私たちが世の中を少しの間生きていっているのです。それなら、答えが簡単に出てきます。今日、重要な部分だけ分かれば、誰でも祈りの答えを受けられます。
・それなら今日、三番目に考えなければならないことは何でしょうか。今日、私たちがすることは何でしょうか。私たちがどこに一大勝負するかが重要です。ここに若いレムナントがたくさんいます。皆さん、お金に一大勝負してはいけません。まちがいなく失敗します。私が重要な部分に一大勝負してこそ、お金が付いてくるのですが、お金に一大勝負してはいけないのです。皆さんが既成世代から誤って学んで、お金、お金、お金と言うのですが、それでは絶対に失敗します。皆さんが成功してこそ、お金が付いてくるので、お金に付いて回れば、これもだめで、あれもだめです。皆さんが10億円を儲けようとするなら、10億円を儲けられる人にならなければならないので、それに付いて回れば問題になります。このように人々が錯覚をするのです。どこにall inをするか。これがとても重要なのです。ヘブル11章を見ると、神様の契約を捕まえて一生生きていく間に、自分がすべきことだけを捕まえれば良いのです。今日のダビデ、ソロモンの話は普通の話ではありません。
・レムナント7人を見てください。初代教会を見てください。どこに一大勝負するかによって、すべてのことが変わります。それを捕まえるために都に上ぼって、神様のみことばを捕まえるのです。私は牧師になって伝道を正しくしなければならないと考えました。ここにall inしたのです。そばで理解できない人も多いのです。時間が過ぎながら、これ一つに全てがみな付いてきました。最も簡単に話せば、皆さんが理解できないでしょうが、神様にall inしてみてください。神様に一大勝負しようとするなら、福音を理解しなければなりません。こうすれば全てのものがみな付いてくるのです。
・私たちが問題に会った時、どのようにすべきでしょうか。問題に会った時は、永遠な世界を見ながら今日を見なければなりません。なぜなら、私たちは巡礼者、旅人の道を行く人であるためです。レムナントは、どのようにするのでしょうか。皆さんは未来を見ながら、今日を見なければなりません。なぜなら、今あることが未来と関係があるためです。ダビデが羊飼いであったように見えるのですが、その時、神様は王として準備されました。今、レムナントがこの席に座っているように見えるのですが、神様は未来をみな準備しておかれています。年をとった方たちは、どのようにするのでしょうか。私たちは天国に希望をおいて今日を準備しなければなりません。「まだ死ぬ時も遠いのに、天国とは何の話ですか」そうではありまえん。天国に希望をおいた人であってこそ、神様の国を味わえます。そうではないでしょうか。
・皆さんが車に乗ったり、特急列車に乗れば、行く道が違います。飛行機に乗ればファーストクラスもあって、ビジネスクラスもあって、エコノミークラスもあります。入るところがみな違うのです。皆さんが天国に背景をおけば、この世の背景が変わってしまいます。そして、イエス様を救い主として受け入れて福音を受けてしまえば、皆さんの家の運命が変わってしまいます。「私のように年をとった者が……」そうではありません。それで福音を伝える人が死刑囚にも行ってイエスを受け入れなさいという理由が、イエスを受け入れればその人のたましいも変わるだけでなく家系も変わるのです。それで私たちは貴重な巡礼者の道を行く間に、私たちはこの世に生きる間に少しの間過ぎ去るのです。それでは必ず考えておかなければならないことがあります。この世は、サタンが王の役割をする所です。それではどのようにすべきでしょうか。簡単な答えが出てきます。それで皆さんがこの世に生きる間に不信仰、心配をみな捨てなさいと言うのです。また私たちは見れば、ねたみ、しっと、葛藤が多いのですが、みな捨てなさいということです。それで、そのように話すのです。
・成功する人々と単なる人々の差異点があります。釜山に警察署長がきていました。署長がきて、村であるから私たちの教会にきていました。私が訪ねて行かなければならなかったのに、申し訳ないと言ったところ、違うと言いながら挨拶をしにきたと言われました。前にいた方、言わば先輩が、私たちの教会の話をよくしたということでした。それで共に食事をしたのです。食事をしたのですが、この方には何かがありました。私が相当、多くのことを学びました。この方の話を聞いてみたら、自らの人生哲学もありました。そして、国家観もありました。それで見ながら歩き回る巡査とは違うと感じました。私が今まで軍部隊で、何人かの将軍にたくさん会いました。私は会う時ごとに違うと感じました。韓国には、とても立派な方々が多いのです。静かに話をすれば、この方たちは、実力もあって謙虚で国家観もあります。普通の卒兵に会えば、毎日、軍隊の悪口だけ言います。これが違うのです。まさにこれが成功した人と、そうでない人の差です。そのために、私たちの信仰生活も同じです。私たちが荒野の道の人生を旅人の道を行くのに、私たちがねたみ、嫉妬をして戦っていれば、みな崩れます。少しの間、霊的に話せば聖書にだけあるのですが、サタンが支配する国を過ぎ去るのに、そこで試みを受ければ崩れるのです。それで、主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしいことになるのです。この話は何の話なのでしょうか。主が皆さんの家をたてれば良いということです。だから、何の心配もせず、主がくださる契約を捕まえなさいということです。主が恵みをくだされば、皆さんの家も神様が子孫の祝福をくださるでしょう。
・今日、簡単に皆さんが神様の主権の中にいれば、勝利することができます。歴史的な話を一つして終えます。ジョン・バンヤンという人がいました。ジョン・バンヤンは、福音を伝えた理由で捕まって、監獄の中まで行ったのです。監獄に行ったのですが、16年の刑を宣告されました。16年ならばどれくらい長いでしょうか。監獄の中で死ぬこともあるでしょう。多分、未婚で監獄に行けば結婚もできないでしょう。皆さんがそんなことにあえば、どのようにするでしょうか。16年、監獄の中になければなりません。ところで、すでに福音を持った人は違うのです。ここで、この人は神様の計画を探しました。「なぜ、神様が私を16年も監獄の中にいるようにされたのだろうか」福音がない人ならば、気をおとして大騷ぎを起こしたでしょう。この人は神様の人でした。
・神様の計画は何か。このように、神様の主権を信じたのですが、すばらしい違いが生じました。それで、聖書を読み始めたのです。聖書を読み始めて、本を一つ書きました。その本が聖書の次にたくさん売れる本になったのです。その本が、世界の多くの人々に影響を与えました。その本が「天路歴程」です。内容を私が思い出せるまま簡単に言わば、聖書をとてもよく要約しています。主題は、クリスチャンが「滅びの町」を離れて「天の都」へ行くことです。それが信仰生活です。「滅びの町」という言葉は、将来に滅びる町だとことです。これが世の中です。それではどこへ行くのかというと、「天の都」に向かって行くのです。まっすぐ行く旅程を描いたのです。ところで、友人がいました。普通、私たちも友達同士でどこかへ行こうと話をするでしょう。友人がいたのですが、1人は名前が「強情者」であり1人は「気弱者」でした。強情者は、我を張りながら来ませんでした。それで「気弱者」という友人を連れて行ったのですが「気弱者」は気弱で話をよく聞いてついて来たのです。行く時に大きい市場を通過するようになりました。その市場の名前が「虚栄の市」です。虚栄という言葉は、とても派手ですが、からからに空いているということです。表現を上手にしています。それは、こんにちの世の中がそのようだということです。虚栄の市に入って、真理の商品を買おうとするのに、いくら歩き回ってもありませんでした。あるはずがありません。クリスチャンが真理という商品を買おうと虚栄の市をいくら歩き回ってもなかったのです。そのまま出てきました。
・ところで、問題は気弱者でした。この気弱者が出て行かないと言ったのです。行こうと言っても出て来ませんでした。虚栄の市がとても良いと言ったのです。しかたなく置いて一人で出てきまいた。一人で行くのに、道を歩いて町の前まできました。その町に少しの間入って話をして、また行かなければなりません。町に入る城門がありました。ところで「最初」という人が待っていました。最初という言葉は、明け方を見るという言葉です。今の言葉でいうと、メッセンジャーということです。その最初が入って来なさいと言いました。いくら入ろうとしても入れなかったのです。入ろうとしたが門に入れませんでした。ドアが開いているのに、入れませんでした。変なように見えました。
・ところで、最初が話をしました。「門は小さいが、あなたが背負っている荷物は門よりも大きい、あなたの背中にある荷物を下ろしなさい。」だから入れなかったのです。それで荷物を下ろしてしまったら、入ることができました。私たちに多くのことを暗示しています。私たちが今、心配などいろいろな荷物をみな背負っているので入れないのです。入ったところ、最初が色々な話をして贈り物を二つ与えてくれました。贈り物を見たら、一つは刃物でした。言わば、みことばです。そして一個は鎧を与えてくれました。それは、戦いなさいということです。ところで、鎧を着たのですが、鎧がおかしな鎧でした。前かけのように前にだけあって、後にはないのでした。それでは、鎧がなぜそうなのでしょうか。「その鎧は、どんな刃物も入らない。着ていきなさい」そして、刃物を与えながら話しました。「この刃物は小さいけれど、どんなものにでも勝てる。」完ぺきなのです。私たちが持った福音の信仰は、どんなものでも攻撃することができるのです。私たちが持ったみことばの刃物は、何でも勝てます。その話です。
・それで鎧を着て、刀を持って行きました。やはり行くのに大きい町角に「アポリュオン」という悪魔が立っていました。行くことができないということです。それが、ものすごく大きかったのです。世の中が大きいということです。また、翼まであって、盾も持っていました。長い槍を持っていました。そして、入れないようにしていたのです。どうしても入れないようにしました。どのようにするでしょうか。一番良い方法が帰ることです。その時、しまったと思ったのです。「私は背を向ければ死ぬ。」なぜでしょう。背中には鎧がないからです。その時、悟ったのです。「背を向ければ死ぬ。」ですから、最後まで戦いました。そして、戦って悟ったのです。この背が高い悪魔が槍を刺すのに、槍が刺さってこなかったのです。それを悟りました。「大丈夫だな。いくら攻撃されても死なないな。」これを悟ったのです。だから、どれくらい聖書をよく表現しているでしょうか。
・皆さんが福音の鎧を着れば、どんな場合も、皆さんを攻撃することができません。これで背を向ければ死ぬので、クリスチャンが小さい刃物を持って最後まで戦いました。しかし、いくら戦っても大丈夫なのです。なぜなら死なないから最後まで戦いました。ところで、この悪魔が見たら、他の者はみな帰ったのに、クリスチャンは最後まで戦うのです。そして、これが何のことか、刺しても死ぬこともありませんでした。その上に、小さい刃物を持って最後まで立ち向かってくるのです。言わば悪魔が試みにあいました。「これが、なぜ死なないのだろう」悪魔を試みにあうようにさせることを望みます。これがなぜ死なないのか。当然、死にません。皆さんは死ねないのです。悪魔が試みにあった時、クリスチャンが刃物を投げました。すると、その刃物がずばり悪魔の心臓に刺さったのです。それで勝利して入りました。それで天の都にほとんど来たのですが、これが何ということでしょうか。獅子二匹が持ち構えていたのです。そして、ほえていたのですが、本当に聖書にあるほえ猛る獅子のようにうなっていたのです。それで、からだが固まってしまったのです。逃げればつかまえに来ることで、入ろうとすれば入れないようでした。ところで、そうではなかったのです。
・クリスチャンが気をつけて獅子を見たら、獅子の足がみな縛られていました。すでに暗やみの勢力は縛られてしまっているのです。聖書の説明をとても良くしているのです。だから声だけ出しているのであって、実際には来ることはできないのです。それで真ん中をいくらでも通過できます。それで、堂々と通過しました。獅子がいくらきても縛られているから噛みつけません。このようにして完全勝利して入りました。この本を書いたのですが、世界で聖書の次に一番たくさん売れました。それで、私があらまし思い出せるところだけ話をしたのですが、中を見れば、信仰に対して学ぶことがとても多いのです。
・そして、本のタイトルが「天路歴程」巡礼者の道ということです。私たちが今、そのような巡礼者の道を行っています。ところで、私たちは信仰の刃物、福音の盾をすべて持っています。行く間に戦えと神様が私たちにくださったのです。それで、残る道に皆さんが勝利しながら行けるのです。この契約を捕まえることを望みます。そして皆さんの生涯に最も重要な祝福の時間になることを希望します。「私はもう老いているのに」違います。
・私が前に話したでしょう。私は年をたくさん取っている人を見くびっていました。「高齢な人が何をするのか」違います。私は心の中に教会の中に事業する人々、特別な公務員、国会議員が多くいなければならないのに、なぜこのようにおばあさんが多いのかと考えたのです。絶対に声に出しては言わなかったのですが、心の底ではそのように考えていました。おばあさん、おじいさんの特徴は、お金がないことです。さらに気落ちするのは、釜山のおばあさんの願いは、柳先生と一緒に遊びに行くことということでした。「一緒に」ということにはお金が含まれています。もちろん一緒にいるのですが、「一緒に」はお金を払ってもらってという意味があります。どのようにこの人たちを連れて世界福音化をするのかという考えは、私の考えでした。
・ある日、見たら夜に自分たちどうし集まって祈りをしていました。皆さんは祈りの力を分かるでしょうか。この方たちが、私のために、教会のために祈っていたのです。それが今の世界レムナントと弟子を起こす開始になりました。昼夜なく、母が私に世界福音化のために祈りをしていたのですが、それがどれくらい大きい力かわかりません。だから、気をおとす必要もなくて、年齢とは全く関係がありません。皆さんの残った生涯に、最高の時刻表になることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝いたします。巡礼者の道を行くのに神様の子どもとして呼ばれたことを感謝します。霊的戦いに勝利するように呼ばれたことを感謝します。私たちが気落ちせずに、神様の契約を捕まえる貴重な開始になるようにさせて下さい。必ず答えられる神様の恵みの中にとどまる人生になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


<福音の手紙、三回目の出会い>
2部/どうすれば神様に会えるか
(ヨハネ14:6)

・三回目の出会いです。どうすれば神様に会えるのか。新しい人にも話できますが、長く信じている人にも必要なみことばです。皆さんが三回ぐらい会った時には、皆さんがしなければならない話があって、皆さんが持っている話がなければなりません。今、信徒が一番だめな3つのことがあります。
・それを話してあげなければなりません。そして、それを分からなければならないのです。神様は完全なことを与えてくださったのですが、それが福音です。ところで、信徒が一番だめになっているのが、福音を味わうところでしばしば失敗するのです。もしこれだけできれば、ほとんど皆さんに100%試みもないのに、これができないのです。未信者が味わえないのは当然ですが、クリスチャンが福音を味わうところで失敗するのです。福音は完全なことだから、もし味わえばみわざが起きます。初代教会では10日だけ捕まえて祈ったのですが、みわざが起きました。
・私の場合には、福音が本当に良いと考えただけでもみわざが起きました。「私たちは知っているのに、なぜ味わえないと言うのですか」と人々が言います。最も重要なのが私の考えのためです。年を取れば取るほど、年が幼ければ幼いほど、違いが生じることが一つあります。
・今日皆さんが私が老いているのか、若いのかチェックをしてみましょう。とても老いた人と若い人は差異点が一つあります。それが何でしょうか。老いれば老いるほど考えが変わらないのです。幼ければ幼いほど考えがよく変わります。もし年を取っている人も、考えをよく変えられるならばそれは老いた人ではありません。小さい子どもでも、考えを絶対に変えなければ、それは精神病です。それで、これのために福音を味わえないのです。私の考えが正しい時もあるのですが、正しくない時もあります。今は正しくても、後ほどには正しくない時もあります。それで私は30年伝道をしながら学んだことが一つあります。いつも私の考えが正しくないこともあると思うことです。私の考えが、いつも違うと思うことです。ところで私たちは誤った考え一つのために福音を味わえないのです。イエスがキリストというものはみんな知っています。福音はすべての問題解決だということはみんな知っています。ところで味わわないのです。
・味わわないのが私の考えのためです。この考えを変えてしまえば良いのに、絶対に変えません。この程度に難しいのがこの部分です。それでレムナントなのです。新しい家族と聖書勉強をする時、話さなければなりません。箴言14:12を見れば、私が正しい道だと思って行ったのに、死の道であることもあります。また、私の考えが正しいと思ったのに、違うこともあります。
・特にパリサイ人は、自分たちの考えが100%正しいと言っていました。ところで、それは100%違っていたのです。クリスチャンが二番目に失敗することがあります。祈りもしないのですが、祈っても順序に失敗するのです。だから、これを正しく知らせなければなりません。新しい家族もそうで、皆さんもこのように分からなければなりません。だから、福音を味わえなければこれも失敗するしかありません。私たちはしばしば祈りで失敗するのですが、どこで失敗するのでしょうか。しばしば何かをくれと言うのです。くれと言う前に、一番重要な祈りが、神様が私とともにおられることを味わうことです。
・祈りの中の最高の祈りが、神様が私とともにおられることです。それで、祈りの課題の中の最高の祈りの課題が、イエス様がおっしゃられた通り聖霊充満です。ところで、私たちはしきりに順序を変えるのです。ある面では、私から作って神様にしてくださいと言うのです。いつも記憶しなければなりません。神様は私たちの事務員ではありません。神様は私たちの幹事ではないから、私たちが神様の計画について行けば良いのです。ある人は、自分の考えを定めておいて山に行って20日断食祈祷をします。このような時、神様が狂う思いになられます。違ったことを捕まえて断食すれば、殺すこともできなくて生かすこともできません。それで、神様がはらわたが絡まるかと思って答えを一つ与えられるのです。それを答えられたと思って、勘違いするのです。「見て。断食すれば、答えが来るでしょう。」そうではありません。私たちはしばしば順序を変えるのです。
・私たちが神様を味わうということは、全てをみな味わうということです。それで、もしレムナントが静かな時間に定刻祈りだけできるならば、それは大成功です。こういう祈りに度々失敗するのです。だから、どんな問題が来るのでしょうか。この2つにならなければ、自然に出会いの失敗が度々きます。
・クリスチャンが三番目にだめなのが、出会いに度々失敗が起きるのです。出会っても必ずだめな人に会って、いつもだめです。レムナントも記憶しなければなりません。思い切り勉強をして、大学を卒業して合宿訓練をみな受けて嫁入りする時はおかしな人の所に行くのです。こうすればずっと苦労します。それで、祈りにならない人は、決定的な瞬間に聖霊の導きを受けられません。良くできていくように見られるのですが、決定的な瞬間に失敗するのです。これで、この部分を記憶しなければなりません。出会いに失敗するということは、伝道に失敗するのです。結局、重要な3つは、福音、祈り、伝道なのに、みな失敗するのです。どうすれば神様に会うことができるのでしょうか。
・先に理解をしなければならないことは、私たちが神様に会おうとするのに会うことができないのは、神様は霊だからです。それで、皆さんが神様を目で見るのは神様ではなくて偶像です。それで、私たちが科学、経済、全部目に見えるのに神様だけ目に見えません。それで難しいのです。目に見えれば訪ねて行けば良いでしょう。それで、礼拝をささげる時ごとに、神様は霊であるから、礼拝する者は霊と真によって礼拝しなければならないと言うのです。いつもそのように言います。そして、霊と真とは何でしょうか。翻訳された言葉は少し変です。英語は聖霊と真理で礼拝すると出ています。正確に話せば、聖霊にあってみことばを捕まえて礼拝するということです。
・なぜでしょうか。神様は見えないためです。神様が見えないから、霊だから、私たちの目には見えません。それで愚かな人々はないと思うのです。ところではっきり調べれば、皆さんにも重要なものは見えません。心、精神、たましい、重要なものは目に見えないのです。目に見えないために会うのが難しいのです。なぜなら、神様は霊だから、誰にも制限されず、神様は人の手に制限されません。もし制限されたら神様ではありません。箱を作っておいてお辞儀をする人がいるのですが、その中に神様がいますか。ある人は何かを作っておいてお辞儀をするのですが、そちらに神様がおられるのでしょうか。それは偶像です。神様はなぜ霊なのでしょうか。どこにでもおられます(無所不在)。何のことでしょうか。これは難しい話なのですが、いない所がないということです。私たちは目に見えないから知らないのです。神様はなぜ霊なのでしょうか。全知全能。霊で働かれるからできないことがありません。それで会うことさえできるならば、これはものすごい働きが起きるのです。それで、その名を主(ヤーウェ)と言うのです。
・ヤーウェという言葉の最も確実な意味は、存在の根源という意味です。ヤーウェというのは、存在の根本という言葉なのです。ところで知らないからであって、人間は霊的な存在です。それで神様に会う時だけ幸せになるのです。どのように神様に会えるのでしょうか。私たちは肉体を持っているので会うことができません。私たちは肉体を持っているので、神様を見ることはできないのです。私たちは肉体を持っているのに、神様に会いにどこかへ行ったり来たりすべきなのに、できません。
・私たちの人間は、分かってみれば、霊が肉体の中に閉じ込められているのです。言わば肉体の中に入っているのです。これが離れれば死にます。ところで、確かにあるのですが、私たちが知らないだけです。それで私たちが肉体の中にとどまっている時が生きられるということです。人を伝道するのも、霊が肉体の中にある時だけ可能です。そうだから、人々が神様に会うことができなく大変なのです。
・私が前に話をしました。牧師と長老会って教会の話をしていたら、ある青年が牧師先生に相談することがあると言いながら訪ねてきました。それで何か尋ねたところ、いったい神様はいるのかと尋ねたのです。神様がどこにいるのかと言いながら、自分は苦しいと言ったのです。神様がいれば見せくれと言いました。そうしたら、命をかけて本当に信じると言いました。そして、神様がいれば住所を知らせてくれと言ったのです。ところが、会えません。牧師がうっかりして返事を出来ずにいました。その時でした。長老が自分が説明をすると言ったのです。
・長老が青年に、青年の前に何があるのか尋ねました。すると門を開いて入ってきたと言いました。長老がまた青年の前に何があるのか尋ねました。だから、木があると言いました。すると、長老が青年の前に木がどこにあるのかと尋ねました。青年は木があると話したのです。長老が今回も青年の前に何があるのか尋ねたところ、青年が花壇と石があると返事をしました。その時も長老が、その前に石がどこにあるのかと尋ねたところ、青年が前にあると言いました。そう言いながら、言い争いはじめたのです。青年が確かにあるのに、ないと言うので、ますます腹が立ったのです。その時、長老が返事をしました。「申し訳ない。私は同じような人だと見えるけれど、目が不自由だから見えない。私は牧師先生の家にくる時も見えないからツエを持ってきた。同じように君は霊的な目がないから神様を信じられない。」
・それで、神様が私たちに会う道を開いてくださったのです。とても簡単です。神様は霊なので、私たちは肉体の中に住んで会えないから、神様が道を開いてくださいました。霊である神様が人間を救おうと、人のからだを来て来られました。これを受肉と言います。とても重要な話になります。神様が人間を救い出そうと人間のからだを着て来られました。当然な言葉です。神様が動物を救い出そうとするなら、動物の形であるのですが、人を救い出そうと人のからだを着て来られたのです。しかし、その方は罪がなくて、その霊は神様です。それで、救い主となるのです。これが聖書の最も重要な約束です。この方がまさにイエス・キリストです。これが聖書の約束の中の第1の約束です。もしこれを信じなければ、救われません。ところで、簡単です。神様は霊ですから、このようにするしかないのです。私たちは肉体を持って生きているから、神様がこのようにされました。それで神性と人性を持った方なのです。そうしてこそ、人を生かせます。
・私たちが結婚の仲人をする時、何が必要でしょうか。結婚の仲人をする人が両側を皆知らなければなりません。それで、仲人となるのです。なぜ教会にオールドミスが多いのでしょうか。両側をみな知っている人が少ないからです。それで、私が冗談ではないのですが、タラッパンに結婚宣教局を作らなければならないと言いました。今日、美容師が集まっていますが、本部全体で美容宣教局を作ろうとしています。なぜなら、美容師が伝道することに本当に良いから神様の時刻表だと思っています。大学宣教局、青年宣教局があるように。そのような中に、結婚宣教局を一つ作らなければなりません。なぜなら、結婚も専門的に上手にするべきなのに、じっとしていてはいけないという気がするのです。
・神様が、人のからだを着て来られたので、神性と人性をすべて持っておられました。旧約で、その方をメシヤと言っています。新約ではキリストと言いました。神様の息子だと。このようになった内容です。このイエスを受け入れることが、神様に会う道になります。どれくらい簡単でしょうか。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神様の子どもになる特権を与えられた。皆さんがこの事実だけ知って受け入れた人々、その名を信じた人々には神様の子どもになる特権が与えられたのです。どのように、こうできるのでしょうか。神様がそのようにされたのです。イエス様を救い主、キリストとして受け入れる時、私たちの霊の中にとどまられるようになるのです。この時にサタンの勢力は離れるのです。簡単ですが、すばらしいことが行われるのです。
・それで、この時イエス様を真に受け入れる祈りをする時、祈りも答えられ始めます。このように神様が道を開いてくださったのです。皆さんが簡単なように見えるでしょうが、キリストを証しすれば、どんなことが起きるのでしょうか。証拠が起きます。今からこういう証拠が起きます。聖霊が私の中にとどまって、その時から毎日導いて聖化させてくださるのです。信じることを望みます。これは皆さんが普通アーメンと言っても信じないのです。信じればみわざが起きます。聖霊が私の中にとどまるから、すばらしいみわざが起きるのです。
・私が釜山から伝道運動を始めたのですが、人々が熱心に教会を出て来るのに、なぜ教会に来るのかこれを信じていないのです。私がチョ牧師が伝道師の時期に、私がこれから世界福音化をすると言いながら伝道の話をしました。ところが、チョ牧師が私を見る目がとても痛ましい目だったのです。なぜなら、あまりにも苦労してうわごとを言うのかと思っていたようです。そして10年後に私を訪ねてきて、昔にいろいろ話をしていたが、どのようにしているのかと尋ねました。牧師になって約10年ぶりに会った私に資料をちょっとくれと言ったのです。タラッパンは資料がなくて、訓練を受けなければならないから、ひとまず合宿を受けろと言いました。すると、ひとまず資料をくれと言うのでした。それで、資料もなくて、そうすることもできないからひとまず訓練から受けろと言ったのです。訓練を受けてこそ分かるので、聞き取れないから、事実、与えるものもありません。すると、行きながら、私たちの主イエスの他には信じる奴は、とてもいないと言いながら出て行きました。私が上げないということです。そして10年が過ぎたが、今はわかったようです。
・だから話しをしても、人々がよく信じないのです。私が釜山に始めてきたのですが、信仰を持つようにさせるのに苦労しました。人が良くて礼拝をよくささげて、朝の祈り、徹夜礼拝もあくせくよく来るのに、信じないのです。いっそ来ないなら良いのですが、来るのにも信じないのです。釜山インマヌエルでこれから全世界の伝道弟子を起こすと言ったのですが、これが信じられなかったのです。それで釜山で伝道運動をしていたのですが、根拠地をソウルに移さなければならなくなりました。それを移すのに説明が数年かかりました。また、私たちの教会が大きい土地を買う前に神様が私たちに大きい土地を備えられというのに、その話をするのにものすごく難しかったのです。
・ソウルでこれをしていたら、実が起きてテープがたくさん出て行くのを個人がするのではなくて本部に回して、宣教費で使おうということを説明するのに3年かかりました。伝道よりさらに難しいのが、中の人を説得することです。いくらしても説明できません。信じないのです。過ぎた後に、そうだったとしながら通り過ぎるのです。聖霊のみわざはものすごいのです。信じればすぐ答えがきます。聖霊が皆さんの中にとどまるから、滅びることもできなくて、皆さんをずっと導くのです。あなたがたの内に永遠に共にとどまる。そして何も心配しないでと言われました。この時から皆さんが聖書のみことばを読むようになれば、ずっと導かれます。
・皆さんが救われた者の中に聖霊がおられるという事実を知れば、みことばがずっと生きて働きます。ヘブル4:12に、みことばは生きていて力があると言われました。確かにみことばを受ける時、詩篇119:25に、私たちの霊が生きるようになります。このことも信じる人がいて、信じない人がいます。この契約を信じる人には、確かにみわざが起きます。世の中のそのどんな祝福とも変えられません。私たちは誤りを悟って、神様に祈る時ごとに聖霊がずっと私たちを導く働きが起きます。その程度ではなく、私たちが時間を定めて神様に祈れば、定刻祈りをする時、答えでずっと現れるのです。献金をささげる時間は、すべての祝福を私に与えられたのですが、その祝福を受ける決済の時間です。定刻祈り時間は何でしょうか。私がすべて受けた祝福ですが、その祝福を神様に受けるとサインする時間です。
・皆さんがすぐ分からないからであって、皆さんが定刻祈りをする時ごとに神様が答えを全部受けて、天の軍隊を動員されます。ここに副教役者が多くいますが、副教役者がもしこれを悟れば、全世界がみな生き返ります。もし教役者がこの祝福を味わえば、皆さんの職業が大統領とも変えることはできません。長老がこの祝福を味わえば、現場に変化する働きが起きます。私たちをのがしたサタンは悪霊を使って私たちを邪魔するのですが、この時、聖霊充満を受けろと神様が働かれます。聖霊充満を受ければ、すべてのことにみな働きが起きます。ところで、本当に話します。
・私は朝昼夕に時間がなければ定刻祈りだけするのに、神様が答えをくださいます。私は問題になることは一つしかありません。今までとても答えがたくさん来たのですが、そばの人、周囲の人々が理解できないのが一番の悩みです。悩みはそれしかありません。本当です。何の悩みもありません。神様が答えをどんどん一度に注がれるのですが、隣の人、家族が理解できないのです。これを全部、肉的にだけ理解するのです。すごいとだけ理解するのです。それが心配であって、私は何の心配もありません。
・皆さんが本当に一日に5分ずつ3度だけ聖霊充満のために祈りをしても、世界を変化させてしまいます。必ず回復するようになるように願います。皆さんが聖霊充満を受ければ力が生まれます。確かに、この時から世の中にも勝って、自分にも勝って、サタンにも勝つようになります。皆さんが伝道をしても、しなくても、自ずから伝道の門が開き始めます。皆さんに伝道の門が自ずから開かれれば、これは正常です。皆さんが答えを受けて祈っているという証拠です。ずっと開かれます。
・レムナント10人程度で始めたのですが、今は全世界、数万人が起きています。核心を私たちの教役者で開始したのですが、今は全国世界に起きています。当然のことです。これから神様が皆さんをどれくらい祝福されるのか待つように願います。信仰をもって待ちましょう。ヨハネ14:6を理解することができるでしょうか。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。僧侶が聞けば気分が悪いでしょうが、仕方ありません。今、僧侶が抱えている問題を簡単に解決できる唯一の道であるためです。私は自信を持って天理教の指導者に話せます。隠れて抱えているその問題を唯一解決できる方がキリストです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。確実です。ここに対して答えを与えて捕まえなければなりません。
・ある地域の集会に行ったのですが、その地域で一番大きい寺を持っていました。その周囲の僧侶です。この方は家族もいました。家族もいるのに、大きい寺を持っていたのです。この人がその村の方向もつかんであげて、占いもみなしていました。この方に会いました。私を見ると、あの人が誰かと隣の人に尋ねました。それで返事をしたところ、その人はすごいと言ったのです。それで、私たちの副教役者が同じイエス様を信じるのに、私はなぜすごくないかといいながら変だと言いました。この人が、これくらい分かるのです。ところで分かったところ、この人の息子がとても精神問題がきて学校も通えませんでした。そうでしょう。私がその方に会えば大胆に話すことができます。「あなたは、僧侶をすることが間違っているのではない。釈迦が誤っているのではない。あなたの問題を解決できる唯一の方がイエス・キリストなのだ。」今、世界の宗教がうまくいくかと思って妥協しようとしているのですが、みなほろびます。唯一性です。だから確実な証拠があります。人々が知らずにみなだまされているのです。神様に会えないでいます。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。使徒4:12に、世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからですと言われました。私が話をすれば、今、全国、世界でわかる方々が多いのです。なぜなら、霊媒師だけで何百人が今、来ています。今は霊媒師ではないのですが、みなきています。どんな名前でもだめなことをよく分かっています。ただナザレのイエス・キリストの名前です。それでは、他の宗教が気分が悪いでしょうが、仕方ありません。その方たちが間違っているということではありません。
・私が天理教に行って3日間訓練を受けてみたのですが、悪いことは一つもありません。どのようにすれば胃が良くなり、腹が痛い時はどのようにするのか知らせます。良いことをとてもたくさん知らせてくれます。それが間違っているということではありません。ただ霊的な問題を説明できないのです。寺が誤っているということではありません。寺に行けば、どれくらい気持ちが良いでしょうか。そばに川の水が流れて、私はわざわざ遊びに行ったりもします。それが悪いということではありません。霊的な問題がくるのを止めさせることができないのです。チョ・スンヒ(大学で銃を乱射した人)のような人が、どのようにあのようになったのでしょうか。霊的な問題を止めることができないのです。教会に通っても、知らなければ大変なことになるのです。
・教会に通いながら福音を知らない者は、寺に通う者と同じです。確かに話をしなければなりません。皆さんは子どもを育てているでしょう。結婚する前までは皆さんが何かをしろと話せます。結婚をしたり、外に出て行けばできません。その時、皆さんの子どもに霊的な問題が来れば、どのようにするのでしょうか。それで今、レムナント運動を正しくしようと言うのです。それがRUTC運動です。皆さんがこれを知らないからであって、本当に契約を捕まえた人は無条件に奇跡が起こります。皆さんがこの契約を正しく捕まえれば、聖書を見れば1人ももれなく霊的に勝利しました。この契約を捕まえたモーセに、神様がエジプトをうち砕かれて紅海を分けるみわざが起きました。私達の子どもたちが外に出て行って崩れる前に、今、すぐたてようと悟ったサムエルは、一言も地に落ちませんでした。サムエルがいる間には戦争がありませんでした。ひょっとして皆さんが滅びても大丈夫です。イザヤが滅びの中で悟ったのですが、驚くことが行われました。間違いありません。だから、確かに話ができます。それで、この契約を捕まえてはっきりと答えを受けることを希望します。
・皆さんも神様に会えます。聖書は確かに約束しています。聖書の約束を捕まえれば良いのです。Iコリント12:3に、誰でも聖霊でなければキリストを主と認めることはできないと言われています。そのために、心で信じて義と認められ、口で告白して救われると言われました。ローマ10:13誰でも主の名を呼ぶ者は救われます。ヨハネ1:12受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神様の子どもになる特権が与えられた。神様の約束を信じると働きが起きます。見たでしょう。
・前科10犯の人(前科10犯は刑務所に10回入ったということ)が、本人が告白しました。刑務所を移る間にある人が福音を伝えてくれたのです。一度も話をしなかったのですが、福音と霊的な問題を説明したのです。その時、その人が感じたのです。「それでは、聖書にあるそのサタンが私をこのように困らせたんだなあ」このように悟らなければなりません。そこでイエスを受け入れました。受け入れたのですが、人がすっかり変わってしまいました。本物です。すばらしいのです。皆さんが悟らなければなりません。創世記3章の問題の事件が我が家に入ってきたということを悟らなければなりません。その時、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神様の子どもになる特権を与えられました。
・私は直接会えなくてテープで聞きました。引続きある子の耳に幻聴が聞こえたのです。どのようにするのでしょうか。ずっと声が聞こえるのに、霊的問題です。どこへ行って話をする所もありません。ますます激しくなりました。このようだったのですが、この子がより一層激しくなったのです。おかしな声が聞こえ始めました。それで、学校も止めました。そうしたら、耳にお父さんを殺せという声が聞こえたのです。この子が本当にお父さんを殺しました。そして、刑務所に行ったのですが、刑務所で自殺しろと聞こえました。私はその子のテープで聞きました。それで刑務所で本当に自殺をしようと、いつも研究をしていたら、刑務所を見れば窓から(刑務官が何かを与えたり話もしたりもする)刑務官に会ったのですが、この刑務官が長老でした。ところで、長老も大部分が福音がない人ですが、この長老は福音を持っている長老でした。それで、話を聞いて窓から対話をしたのです。そして、この子に祈ろうといって祈りをしたのです。どれくらい貴重な方でしょうか。この子がイエス様を受け入れた瞬間から声が切れました。そして生かされたのです。その人が直接証ししたテープを聞きました。
・そうでしょう。ものすごいことが行われます。イエス・キリストを送って受け入れた人々には、すぐにみわざが起き始めます。何年か前に起きました。大型凶悪犯が地下室に入って車に乗って出てくる女性をつかまえたのです。ところで、この女性がうろたえないで、この凶悪犯に説明をしたのです。言わば、この凶悪犯に福音を説明したのです。すると、この人が福音が入りました。本当に入ればみわざが起きます。それで、この人が自首をしました。「私は自首をします。私は天使に会いました。私はその人を害そうとしなかったが、私に最後に話を聞かせてくれた。」害しようとするなら害することもできたのです。ものすごく事故を起こすこともできる人なのに自首をしました。その翌日、米国の大きい新聞に大きく出ました。「この時代の英雄」その女性を見てこの時代の英雄と言ったのです。
・誰かがチョ・スンヒに正しい福音を伝えてやって、チョ・スンヒを捕まえている暗やみの勢力を砕けば良かったはずです。契約を持った人が祈る時、祈りの中で驚くべきみわざが起きます。皆さんがどれくらい困難が多いのでしょうか。大丈夫です。皆さんは救われたので、祈りの中で神様に会えます。確かにそうです。創世記13:18にアブラハムがそうでした。ダビデがそうでした。初代教会がそうでした。皆さんが少しだけ行けば、救われたので人生の中で神様に会えます。最も重要なのです。人生の中で皆さんが少しだけ祈りの奥義を持っていれば良いのです。こうすれば、ずっと答えの働きが起きます。神様に会えるのです。Iテサロニケ5:12-22に多くの答えが出てきます。
・12節を見れば、労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさいと言われました。その次に、互いに平和を保ちなさいと言われています。それと共に、いつも喜んで、絶えず祈って、すべてのことについて感謝しなさいと言われています。この言葉の意味は何でしょうか。人生の中で少しだけ正しい選択をすれば神様が証拠をずっと起こされるのです。神様は聖霊で働かれるから、皆さんに正確に目に見えなく働かれるようになっています。それで、パウロはピリピ1:9-10に真にすぐれたものを見分けなさいと言いました。神様に会えます。皆さん今日から本当にしてみましょう。
・私には、何の背景もありませんでした。それで、とても状況も難しかったのです。難しいことだけ私はみな会いました。6.25(朝鮮戦争)、火災、父も亡くなって、難しいことだけみな会いました。その時でも、教会を通うのに、だれも私に神様に会う正しい福音を語ってくれませんでした。神学校まで行ったのにです。私は、神学校に行って3年ぶりに悟ったのです。ある日、福音を悟りました。この福音を悟って祈り始めたのです。神様は正確に答えを与えられました。皆さんも答えを受けられます。何もない状態でも、本当にこの答えを捕まえて祈れば、答えを受けられます。
・皆さん個人が今週に神様に会う祝福があることを希望します。真に長老、役員の産業にインマヌエルの祝福があふれ出ることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝いたします。神様が私たちと共におられる証拠を実際に与えて下さい。福音の唯一性を実際に味わう証拠が今週に今から起きるようにさせて下さい。今の時間に病気になっている者に神様が癒されるように祈ります。肉体的に病気にかかった者に聖霊で働いて下さい。霊的に病気にかかって、精神的に病気にかかった者にキリストの血で癒してください。私たちの考えを癒して下さい。私たちの家庭を癒して下さい。貧困が崩れるようにさせて下さい。すべての病気が離れるようにさせて下さい。イエス様の御名で悪い霊が離れる時間になるようにさせて下さい。新しい答えの門が開かれるようにして下さい。そのうちで最も重要な私たちの霊的な目を開いて下さい。私たちの心の目を明らかにして下さい。私たちの暗い考えを明らかにして下さい。新しい力を得る週になることをお祈りします。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン