2007年5月6日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/シオンを憎む者
(詩129:1〜8)

ボールドウィンという人が「聖書は50年が過ぎればなくなる。」と言いました。もちろん百年前の話です。なぜか、自分が見る時には、聖書は話が合わないからだと言いました。ところが、50年が過ぎた後には、200ケ国を越える言語で翻訳されて、ボールドウィン自身は死にました。米国を中心にした聖書は、全世界に広まったのです。またニーチェという人は、牧師の息子です。神様は死んだと言いました。ところで、彼は若い年齢なのにも精神が狂って精神病院で死にました。死にながら、彼は大声で叫んで、最後に地面を這いながら神様を探したということです。このように聖書は色々な人が、このようにあのように言ったり、解釈したりもします。それで混乱する部分があるでしょう。皆さんが信仰生活をする時、ある部分では難しいこともあると考えました。
・なぜイスラエルは滅びず、また、なぜそのように滅ぼされたのでしょうかという部分が解釈できなければなりません。なぜイスラエルは苦難という苦難はみな受けたのでしょうか。ところで、どうして、ほろびないでまた生き残ったのでしょうか。イスラエルは、ほろびることができません。なぜなら、そこで神様が開始されたからです。もし、そこがアフリカだったら、アフリカはほろびることができないのです。しかし、イスラエルはそれを自分のものだと思ったのです。それで、ほろびるのです。同じ話なのですが、このように違いが生じるのです。今日、皆さんが聖書を見ながら、重要なことをいくつか捜し出さなければなりません。イスラエル民族がなぜそんなに苦難にあい、聖書は何をおっしゃっているのでしょうか。
・子どもの日だというので、TVに残念な話がたくさん出ています。苦しめられながら捨てられた子どもたちについての話です。一例で、子どもたちが何人かいる家で、お父さんが子どもたちをおいて家を出て行ってしまったのです。ところで、お母さんまで出て行ってしまったのです。だから、この子たちを手助けする人がいなかったのです。おばあさんが一人いたのですが、このおばあさんがやっと子どもたちに食べ物を与えていたのでした。ところで、このおばあさんさえも中風になって歩くことができないのです。こういう子どもたちをどうすれば良いかという内容でした。理解できないでしょう。また、子どもたちが三人いるのに、お母さんは障害者でした。ところで、お父さんは何年か前にすでに家を出て行った状態でした。本当に変な人々が多いのです。聖書は、大きく2つのことを話しています。神様が私たちを救われようとするのに、サタンは私たちを、どんどん滅亡させようとするのです。これが聖書の核心です。神様は皆さんを祝福しようとされるのに、私たちはしばしばだまされて、サタンの誘惑を受けて、呪いの中に行くのです。これが聖書で最も大きい核心です。
・今日、詩129篇を見ながら何を捜し出すべきなのでしょうか。今日、皆さんが三つを捜し出さなければなりません。聖書を見ながら、色々と解釈できるでしょうが、神様のみことばをよく見ることが最も重要なのです。私は聖徒が一人で聖書を読むのは、真に危険だと考えもしています。思いのままに読んで、思いのままに考えるのではないでしょうか。米国に行った時でした。ニューヨークに招かれました。ある牧師が私に一時間だけ会ってくださいと言いました。一時間は時間がないので、30分だけと言って、私たちのチームが一緒に行きました。30分の間、自分の話をしたのです。ひとまず、自分が書いた本を何冊か出したので、この人が何をする人なのか分かりました。それからは本を見せながら説明をしたのです。福音とは全く関係なく、これをしなければならないと説明しました。牧師先生のように世界を通われる方は、知っていなければならないと言いながらです。
・ところで、話の骨子が何かというと、教会が今、福音を伝える、こういうことよりは黒人を生かさなければならないということでした。黒人の人権を助けなければならないと言いました。そのために牧会する人です。それで、私が時間はたくさんなくて、この方がずっと話すので、分かったと言いました。それで、私が行かなければならないから、よく分かるから祈ろうと言いました。祈りながら、その人がわかるようにと祈りをしたのです。「黒人の人権も重要だが、このたましいが生きるようにさせてくださって、黒人が他の人から待遇を受ける以前に、先に自分たちが生き返るようにさせてください。同じ人間だから先に神様の恵みを受けるようにさせて下さい。」と祈りをしたのです。問題はそれでなく、この方がそれを説明する間に、私と共に行ったチームが丸ごとみな感動を受けたのでした。それで献金を決意したり、そのようなことでした。このように、聖書を思いのままに解釈することができるのです。またある放送ではユダヤ人に対する称賛を継続する方もいます。ある面では、世界でユダヤ人が一番問題なのに、そうしているのです。福音をみな防ぐのがユダヤ人です。どれくらい混乱していているでしょうか。その国から出たのが聖書です。
・今日、詩篇129篇を見ながら3つのことを探さなければなりません。
・最初にシオンを嫌う者と言われています。この話はイスラエル民族が多くの憎しみと関係が多かったということです。それで、私たちは最初に回復しなければならないことが、アガペーの愛です。イスラエルの人々は、サマリヤともずっと紛争をしていました。それが問題です。サマリヤの人とは対話もしなくて、エドム族は相手もしませんでした。だからずっと紛争が起きたのです。また選民思想で、周囲にある国は全部敵に見ていました。このようにして、周囲の国はずっと攻撃してくるのです。ですから、イスラエルが難しくならざるをえなかったのです。本当に、神様のアガペーの愛を何か回復することができなかったのです。
・エペソ4:25〜27私たちが怒って、憎む時、最もサタンの通路になると言われています。捨てられた子どもたちに憎しみがぎっしり埋まったのを見ることができました。哀れだけれども、米国で多くの人を殺したその人にも憎しみがぎっしり埋まったのでした。これがサタンの通路になるのです。私たちは神様のみことばを見ながら、そのみことばの中にある背景をよく捜し出さなければなりません。このシオンに向かって攻撃する者がとても多かったのです。イスラエルは四方からずっと攻撃されてきました。イスラエル民族は、本当に神様のアガペーの愛を回復できなかったからです。そのためにいつも困難にあいました。それなら、今日、二番目に回復しなければならないことは何でしょうか。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。」さあ、イスラエルは言え。「彼らは私の若いころからひどく私を苦しめた。彼らは私に勝てなかった。なぜでしょうか。シオンには勝てません。これは何の話なのでしょうか。
・今日、私と皆さんが二番目に捜し出してすことがシオンの祝福です。シオンの祝福という言葉は、真の福音を回復しなさいということです。私たちがイスラエルのように滅ぼされてはなりません。私たちはアガペーの愛を回復して、真の福音を回復しなければなりません。ここに初めて信じる方々がおられるでしょうか。そうでなければ、長い間、信仰生活の中で祈りの答えがない方がおられるでしょうか。今日、最も速い方法があります。真の福音だけ回復してしまえば、すぐにみわざが起きます。福音を理解だけしても奇跡が起こりました。羊の血を塗った人々は、エジプトから解放されるということだけ理解したのに、奇跡が起こりました。創世記3:15、契約だけ捕まえたのに奇跡が起こったのです。シオンに勝てません。
・イスラエルの人々がアガペーの愛を回復できないのも問題ですが、真の福音を回復できないのがさらに問題です。聖書の背景を見ながら必ず回復しなければなりません。もし皆さんが真の福音を味わいさえすれば、神様の働きは続きます。この真の福音を宣べ伝えさえすれば世界は変化します。「先生、私たちが福音をみな知っているのに」と思うのでしょうか。そうではありません。ほとんどが福音を味わうことができていません。人間関係でも判断する時、のがすのです。大きい答えが行き来する重要な時刻表がこれです。
・直ちに皆さんが礼拝をささげたら食事もして、色々な出会いもあるでしょう。また、私たちが直ちにどこかへ行くようになれば、問題も起きて、ある時は色々な話もするようになるでしょう。このような時、ほとんど福音をのがしてしまうのです。皆さんが、本当に福音を理解だけすれば、すぐに奇跡が起きるようになります。これがシオンの祝福です。シオンの祝福に勝つ者も、防ぐ者もいないと言われました。5月は子どもの聖日、父母の聖日、家庭の月だと言われています。皆さんが、どんな条件でも、アガペーの愛を回復しなければなりません。愛はギリシヤ語では色々なものを使います。家族間の愛は「ストルゲー」友人間の愛は「フィレオ」異性間の愛は「エロス」です。ところでこの三つの愛は条件があります。友人だから、家族で恋人であるからです。これを持っては勝つことができません。この中に純粋な神様の愛が入るべきなのですが、それがアガペーです。アガペーという言葉は、神様が私たちを愛されるという言葉です。これが入ってこそ生き返ります。家庭の問題、兄弟間の色々な問題が全部、今日、解決される祝福の日になるように願います。幼い子どもたちにも、両親の愛も入らなければならないのですが、アガペーの愛が入らなければなりません。これが入らなければ、残りの愛が完成しません。それで、イスラエルの人々は、実際に見ればすごいのです。いつも判断して、切って、こういうことをしました。シオンを憎む者が多くて、戦争が終わらなかったのです。シオンを憎むから、またその人々はほろびます。お互いの間でずっと反復してきました。このように憎んで、イスラエルは捕虜になって、属国、奴隷にまでなりました。そして、シオンを憎んだ国々もみなほろびたのです。結局は、憎んで戦えば共にみなほろびるのです。イスラエルを最高に困らせた最高の国バビロンは今のイラクです。一時、世界を制覇したペルシャはイランです。こういう国がみな滅びました。この国が、全部、シオンを困らせた国です。ところで、イスラエルはアガペーの愛を見いだせなかったので、ずっと憎しみをやりとりして戦って共にみなほろびたのです。皆さんのすべての関係をアガペーの愛で回復するように願います。これが神様がくださるシオンの祝福を味わう方法です。ところで、またシオンは滅びることがないと言われています。今日、皆さんが真の福音を捕まえる瞬間、全てが回復します。真の福音を持って、少しだけ判断することができたら、大きい答えがくるのです。こんなにもやさしいのです。紙一重の差です。真の福音を捕まえる瞬間、奇跡が起こります。これがシオンの祝福です。
・今日、皆さんが必ず回復するようになることを願います。私たちはタラッパンに集まります。集まっては恵みを受けます。全部して、2部があるのですが、おもに菓子や果物が出てきます。それ食べながら福音をみな捨てるのです。長老がどうかと言ったり、金執事、李執事、朴執事がどうしたと言います。だから、福音を味わえません。私が前にこういう話をしたことがあります。一度はタクシーに乗ってトラクトを渡したら、運転手が笑いながら言うのに「今日は、本当に変な日だ。さっきもイエスを信じる人々が乗って、女三人で教会の悪口を言うので、気分が悪くて死にそうでした。」と言うのです。普通、信者はそうです。だから、福音を知らないけれども、分かってもほとんど味わえません。
・一度は、食堂に座ったのですが、向い側のテーブルに座った人々が信徒でした。ひとまず、ご飯を食べる時に祈るのを見て信徒であることが分かりました。そのまま、普通のこととしてするでしょう。ご飯を食べながら話が出てきて、教会に対する問題を継続して言うのに、聞くに堪えないほどでした。それで、出て行く時に挨拶して話をしました。「私は牧師です。ところで、あなた方が今日、食堂でそのように大きい声であなた方の教会はかなり悪い教会のようですが、それでも、強く食事の初めから最後までそのように話せば、未信者が見て、どう思うでしょうか。」と話しました。その時、はじめて気がついたようでした。ほとんどの信徒がそうです。紙一重の差で福音を味わえば働きが起きます。羊の血を塗った日、呪いから完全に解放されてしまいました。目に見えなく起きるので実感がないですが、キリストの御名を捕まえる瞬間、皆さんの家系の運命、呪いはみな終わるのです。
・私はクリスチャンにお願いしたいのが、シオンの祝福を味わいなさい、エルサレムの祝福を味わいなさいということです。この言葉は何の話なのでしょうか。福音を味わいなさいということです。そうすれば、みな解決されます。ところが、私たちが福音をほとんど味わわないのです。話す時や、仕事、問題、事件の中でもいつも味わいません。天の門が開く時間、皆さんの家の暗やみ勢力がみな逃げる時間、個人の暗やみが崩れる時がいつなのか分かるでしょうか。福音を味わう時です。なぜでしょうか。このシオンの祝福を防ぐ者はいません。ところが、事実はイスラエルがこれをのがしたのです。それで、イスラエルがいつもほろびて栄えてを繰り返したのです。キリスト教はイスラエルの宗教ではありません。どこかで始めなければならないから、イスラエルでされたのです。それで、イスラエルはほろびることができなかったのです。そうではないでしょうか。ところで、イスラエルは受け取っておいても知らなかったのです。だから、イスラエルは困難にあうしかありません。これからも問題です。それで、私たちのレムナントにユダヤ人福音化を準備しなさいと言うのです。とても意味があって、理由があるのです。
・今日、皆さんが貴重な時間に、複雑なことではなくて、何を回復すべきでしょうか。神様のアガペーの愛を回復してこそ、すべての問題を解決することができるのです。神様のアガペーの愛を回復してこそ、憎む者の憎しみをなくせるのです。神様のアガペーの愛ではなくては呪いをなくせません。これは都上りの歌です。シオンの祝福を回復しましょう。やさしいのです。今からもう少しだけ福音を味わえば、答えのとても大きい門が開かれます。それが何の話なのでしょうか。それでは、1人だけについて話してみましょう。ヨセフです。この契約を知っていた人です。紙一重の差です。兄のねたみで奴隷になって行くようになりました。それでは、私たちはまちがいなく、福音を味わえないでしょう。私がなぜ奴隷に行かなければならないのか。私はここから出る。私は逃亡するか、どうにかして、出なければならない。私たちは普通、そうでしょう。
・しかし、ヨセフはそのように考えませんでした。「ここに神様の計画がある。私はここで成功する。私はここで神様の契約を成就させて世界福音化を準備する。」と思ったのです。紙一重の差です。ものすごいことに変わってしまうのです。私たちは人間関係も、仕事でも、福音を味わいません。それでは、教会の中に見ればタラッパンの中でも働き人が仕事をするのに、葛藤がぎゅっと詰まっています。ある必要がないということです。それで、私たちが福音だけ捕まえればみわざが起きるでしょう。今日、皆さんの残りの生涯に福音味わう祝福があるように願います。本当にしてみましょう。皆さんの生涯にシオンの祝福を味わうように願います。シオンの祝福はほろびることはできないのです。
・三番目に回復しなければなりません。この詩篇129篇は、都上りの歌、巡礼者の歌です。何を言うのでしょうか。礼拝を回復しなさい。皆さんが教会の礼拝を回復しましょう。そうすれば、みな回復されるのです。どの程度かというと、皆さんが礼拝をささげに出て行く日を、最高の日に定めましょう。行ってみてはいないのですが、殉教したという碑がタイ教会にあるということです。その碑に文章が書いてあるということです。雨が降る日は教会に来るべきでないのに、きて滑り落ちて死んだということです。それがタイの人々が持っている教会と礼拝に対する水準です。それでは、どの程度の答えを受けるでしょうか。外国に行けば、牧師が名刺を出すのを見ると、他の職業をもって牧師する人々がほとんどです。それでは、その程度以外に答えを受けられないのです。
・私はそのように考えません。礼拝がどの程度か、私の人生で最高の日です。今まであった答えより、これから受ける答えより、最高の日が礼拝する日です。人間の行為の中で最も神聖な行為が礼拝です。私たち高齢な方々も、霊肉ともに最高の祝福の時間になるように願います。私たちの幼いレムナントに、礼拝する時間が最高の時間になるように願います。私は説教するのに悩むのは、可能ならば説明より、どのように神様のみことばを正しくお手伝いできるだろうかということです。それが私の一番の祈りです。ある時は、土曜日、寝ることもありません。なぜなら、この神様のみことばを私が誤って伝えてはいけないからです。私がシオンの祝福を考えながら、夜通し考えました。本を見るのではなく、祈りをするのです。なぜなら、最高の日であるから、私が最高のお手伝いをする時間であるためです。今まで成就した神様のみことばを、どのようにお手伝いするのかが重要です。皆さんが違ったところで行く所も、することも多いでしょうが、時間を使って来たでしょう。最高の祝福の日になるように願います。だれがそうだったでしょうか。ダビデです。とても答えを受けた人物です。教会で礼拝をささげて祈ることを最高の日だと分かっていました。
・皆さんがおわかりの通り、財団がおかしくなったのですが、祝福をたくさん受けたロックフェラーのような人々を見てください。両親が家訓で与えたという内容です。
1.あなたは教会の仕事は無条件にアーメンと言いなさい。
2.主のしもべは、無条件に助けなさい。
3.あなたが出す十分の一献金で教会が生かされるようにしなさい。
4.あなたが礼拝する日を最高の日にしなさい。-礼拝の一時間前に行きなさい。
それで、ロックフェラーは、普通、1時間前か40分前に来たということです。それで前の席に座って聖書をみな見て祈っていました。神様、私に私の個人に恵みを与え、会社に恵みをくださって、世界福音化するようにさせてくださいということです。ところで、神様がどのように答えられたでしょうか。保険に入っておいた教会だけ2千個をたてて、シカゴ大学を中心に大学だけ24個をたてました。それ以後、子孫が変に変わったのですが、その当時にはすごかったのです。米国を変えたのです。だから、それだけでもどれくらい大きい答えなのでしょうか。ロックフェラー系列の会社がどれほど多いかというと、電話番号だけ集めたのが本一冊の厚さだったということです。神様が祝福を注ぎ込まれたのです。
・他はみな必要ありません。神様くださる祝福を受けなければならないのです。それで3つのことを回復すべきなのですが、神様の愛を回復しなければなりません。神様の愛を受けた人は、与える可能性もあります。ダビデ、ヨセフのような人物が、どのようにその人物をみな勝ち抜いたのでしょうか。神様の愛を受ければみな勝てるのです。これを今日、皆さんが回復しなければなりません。神様の愛が皆さんに臨めば、だめなことがありません。家族愛も、友人、恋人間の愛も重要ですが、そこに神様の愛が入らなければならないのです。そうすれば、敵、憎む者と共にほろびません。
・シオンの祝福は滅ぼされないという言葉は、福音を回復しなさいということです。すでに皆さんは福音を知っているから、少しだけ回復したら瞬間です。瞬間、瞬間、回復のみわざが起きるのです。言葉もとても重要です。言葉で福音を回復しても、すばらしいでしょう。家族に福音的な話だけしてもそうです。この福音は、どれだけ重要なことか、同僚に福音的な祝福だけ話しても、働きが起きるほどです。だから、話した時にどれほど多くの大きいみわざが起きるのかわかりません。判断する時にも、少しだけ福音的に判断したら、その後には、ものすごい答えがきます。
・私たちの教会に仕事をする時や、伝道する時、色々な人々に会います。そのたびに一つすることがあります。人はみな足りないから、私が福音的に考えたのです。それ一つは、本当に神様が与えられた恵みです。今まで、ものすごい福音の門が開かれて、多くの答えがきました。私は皆さんの残った生涯に、私たちの教会の未来に、ものすごい神様の祝福が備えられていることを確信します。そのためではありません。福音のためにです。そして、三番目で礼拝回復をしましょう。礼拝回復をどのようにしなければならないのでしょうか。私の生涯に最高の日に、今まで恵みを受けたでしょうが、新しい恵みを受ける日に、3つの改革の祝福を受ける日に、3つの征服の祝福を受ける日にしなければなりません。
・18年前、ロシアに行きました。ロシアで大きい会堂を借りて集会をしたのです。集会をしにでかけるたら、背が高いロシアのおじいさんが古い聖書を持って泣いていました。それで、なぜ泣くのですかと尋ねたところ、こういう日がくるとは思わなかったということです。スターリンの共産主義の下で、イエスを信じるという理由でずっと監獄の中にいたということでした。自分の願いは、礼拝をささげることだったのですが、ロシアにそのような日がきて、こういう集会までするから感激の涙を流すということでした。そうなのかと思いました。本当に私たちは礼拝の重要性をよく知らないのです。前にも話したことがあります。私が伝道師時代に、礼拝が重要なのも知らずに、あっちこっちお手伝いして送っていました。私たちの教会の長老や教役者を見て尊いと思うのは、この人たちは、みことばを受ける人々だということです。私の話でなく、神様のみことばを受けようとする姿勢ではないでしょうか。伝道師時代には、変にお手伝いもして通いながら、みことばが入りませんでした。一度は、教会で礼拝の案内をするのに15才くらいに見える女子学生が、聖日になれば教会に入ってくることもせず、祈りだけして行ったのです。一度は、しわがよった封筒を渡されたので見たら、十分の一献金でした。本当に不思議でした。礼拝堂に入ってくることもせず、来て行ったのです。
・ある日、礼拝堂に座っていました。それで尋ねたのです。今日、礼拝をささげてどうですかと尋ねました。涙を流しながら、とてもうれしいと言いました。それで尋ねたのです。なぜ他の聖日は礼拝をささげないで行くのかと尋ねたのです。今日は、休日だということでした。その教会の向い側に市外バスのターミナルがありました。両親が事故に亡くなって、自分は学校を止めて弟たちを食べさせて、学校を送るために仕事を始めたが、幼いからターミナルで清掃をしていたのです。ところで、今はそのターミナルがなくなったのですが、そのターミナルから教会に来ようとするなら、回り道をして来なければならず、時間もたくさんかかったのです。その子が十一時の礼拝時間に合わせて、お手洗い行くと飛んで来るのでした。そして、ちょっときて祈って行くのでした。ところが、今日は休みなので、一日中礼拝するので、どれくらいうれしいかわからないと話しました。この時、私がはっとしました。私はこういう祝福を知らずに、その子はそのように礼拝が貴重だと思うのに、私は伝道師になっても礼拝の祝福を知らないと思ったのです。多分、その子はまちがいなく成功したでしょう。皆さんもご存知でしょう。
・小学校の以上は出られなかった人がデパートで仕事をするのに、熱心に仕事をしたのです。毎日のように祈りながら、ところで、ある日、良い地位に移るようになりました。ある人にお釣りを渡しのですが、新しいお金だったので、くっついていたので、5ドルを、探して探して主人にかえしたのでした。それがきっかけになって、その社長の下に移されて仕事をするようになったのです。この子がどれくらい祈りながら仕事をしたのか、デパートがうまくいったのです。後ほど理事長がデパートを何個かをするようになりました。それで、この人がデパートを一個引き受けるようになりました。言わば社長になったのです。ところで、神様がますます祝福されました。それで、米国全域にデパートをたてたのです。誰なのか分かるでしょう。デパート王になりました。米国全域にこの人の名前でデパートが立てられたのです。それで、世界市場を動かしたのです。その時、米大統領から連絡がきました。長官を引き受けてくれという連絡でした。その時、この方が断ったということです。学歴もなくて、勉強も全くできないのに、どのように長官をするのかと言ったのです。ところで、大統領が文を書くのではなく、あなたの実力で充分だと言いました。
・その時、この方が一つ条件があると言いました。私はある仕事があって、長官になっても聖日はできない。聖日に教会に行って子ども達を教えて礼拝をささげなければならないためだと言いました。大統領は、簡単なことで、難しいことかと、そのようにしなさいと言われて逓信部の長官になりました。実際に、高級公務員になれば、どれくらい忙しいでしょうか。この人がジョン・ワナメーカーです。礼拝がどれくらい重要かわかりません。福音をもっていて、礼拝に勝利する人々は、無条件に答えを受けるようになっています。今日、皆さんがこの祝福を全部、回復されるように願います。アガペーの愛を回復しましょう。簡単に言えば、神様の愛を回復しましょう。シオンの祝福、真の福音を回復しましょう。都上りの巡礼者の歌です。礼拝を回復しましょう。
・私が伝道師の時に会った方です。真の教会に熱心に仕事をする執事でした。この方も、とても難しい時代の時に生まれて、学校を中学校に通っていて止めたということです。幼い時から車両整備する技術を学び始めたのですが、とても真実な方です。勉強は中学校以上はできなかったのですが、とても賢い方でした。本もたくさん読んで研究する人です。
・釜山に大きい連合鉄鋼という会社があります。そこで整備士を募集していたのです。1人か2人募集するのに、とても多くの人々が集まりました。その執事の名前がチョン・テスという執事なのですが、そのうちでも選ばれて面接まで行きました。昔には聖日にはほとんど仕事をしていました。そのような状況で、面接官がチョン・テス氏に言うことはないのかと尋ねたので、そこで私が就職をさせてもらえたら命をかけて仕事をすると言いました。一つ条件があるならば、ボーナスも何も必要ないから聖日だけ休むようにさせてくださいと言いました。あなたが就職もしていないのに、何の心配かと言われました。私は教会に行って、子ども達を教えなければならず、礼拝をささげなければならないから、抜けられないということでした。だから、そばにいた幹部が、私たちの会社に長老、執事は多い。ところで、なぜそのように特別に、そのように頼むのかと尋ねたら、この執事の返事が良かったのです。その方たちは信仰が良いから抜けても関係ないが、私は抜けてはいけないと話したのです。出て行きなさいと言われました。出て来る時に、この執事が社長がしている話を聞いたのです。あの人は本当にイエスを信じる人のようだという言葉です。未信者が私たちをからかうようでも違うのです。
・それで、合格をしてどれくらい仕事を熱心にするかといえば、仕事より人ができた人です。とても祈りながら福音です。どの程度、福音かというと、冷蔵庫を一つ買えば、自分のお母さんの家から行ってみて、異常があるがないかを確認して、異常があればお母さんの家から買って上げるのです。もし、お母さんの家に異常がなければ、牧師先生の家に行って確認してみて冷蔵庫を買う人です。性格が普通の人ではありません。そのような人が仕事をするから、普通の人十倍、二十倍の仕事をするのです。どんどん昇進しました。
・ある時、アルコール中毒になった人が就職して入ってきたのですが、この人を伝道して引続き養育したら、この人が完全に変化したのです。その時、社長が呼んで、とても有難いと言いました。あれは私の弟なのに、恥ずかしくて言えなかったということです。何でそのように変化をさせたかと尋ねられた時、イエス様に対する福音を話して感動を受けました。だから引続き福音が宣べ伝えられるのです。私たちが礼拝するという祝福を味わって、福音を分かるということは、なっていくのです。自分の事業を始めたのですが、社長が一生、自分と共にしようと言いました。自分は祈りでみな準備したのですると言ったところ、下の職員に指示したということです。あの人は何でも助けろと、必ず成功する人であるからです。社長がそう言ったそうです。
・皆さん、神様の愛を受けた人は、どんな困難にも勝てます。そうではないでしょうか。神様の愛を受けた人は、敵も敵ではありません。すでに福音を知っているから、福音を味わっていさえすれば、ずっと門が開かれるのです。都上りの巡礼者の歌。礼拝を回復してしまえば最高の日になります。この祝福が皆さんに必ずあるように願います。
・最後に、「彼らは私の若いころから・・」とイスラエルよ言えという言葉が出ました。今日は子どもの聖日ではないでしょうか。私はこう考えました。放送に出てくる人々の話を聞いてみれば、真に正しい言葉なのに答えになりません。子どもの家をたくさん建てて、予算がたくさんなければならないという言葉は、みな正しい言葉なのに答えになりません。今、捨てられている子どもたちがとても多いのです。私は家庭、学校、教会から考えを変えなければならないと思います。私たちは教会を作れば、青少年がきて安らかにきて休めるようにしなければなりません。自分の問題を出して話せるほどにしなければなりません。どうして、チョ・スンヒ(大学乱射事件)のような人物を教会がそのまま置いておいたのでしょうか。私たちの教役者ならば、そのように置いておかなかったでしょう。行って毎日タラッパンをすべきです。多分、まちがいなく、私たちの教会にいたとすれば、私たちの教会の教役者はそのまま置いておかなかったでしょう。そのまま置いておくので、そうなるのです。それで色々な問題が重なってサタンに捕えられるので、問題が起きたのです。学校が門を閉めておくことでどうなるのでしょう。
・今は、私たちRUTCをする理由が正にそのような理由です。どんな難しい学生たちもきても信仰で回復することができるように、難しい道を行った皆さんの子どもがきて、神様の契約を捕まえるように、孤独で困難な目にあう学生たちがきて神様の愛を学ぶように、そして、この福音を味わうように、そして、教会では本当に神様のみことばを正しく聞く祝福を学ぶようにさせるのです。私は皆さんに約束することができます。今日3つのことを必ず回復しましょう。神様の愛を受ける皆さんなるように願います。そして、少しだけ福音を味わえば、ものすごく門が開かれます。そして、聖日ごとに礼拝する日、最高の祝福を神様から受けることを考えましょう。今日、皆さん残った生涯に最高の祝福を備えられると確信します。この祝福を回復する日になることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、重要な祝福を回復する日になるようにさせて下さい。都上りの礼拝の祝福を回復する日になるようにさせて下さい。シオンの祝福を受ける福音を回復する祝福を味わうようにさせて下さい。神様の愛ですべてのことを解決する祝福を受ける日になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。



2部/福音の手紙5回目の出会い 
私はなぜ確信がないのか
(Iヨハネ3:8)

・五回目の出会いは、確信という単語を理解しなければなりません。何を確信すべきでしょうか。どのように確信をすべきでしょうか。とても重要です。米国が急成長している真っ最中の時のことです。初めには、イカダや帆船のようなものがあったのですが、後ほど大きい船がヨーロッパから米国に多く入ってきました。ものすごい資源があって土地が広かったためです。結局、ヨーロッパの人々が皆、行ったのです。ところで、ある貧しい青年が自分もアメリカに行くことにしたと言いました。一週間で行かなければなりませんでした。とても貧しい青年が金を借りて船に乗ったのです。米国に到着すれば、自分は就職ができると約束していたのです。ところで、問題は1週間食事代がなかったのです。
・それで、この青年が一週間、食べないことに決断を下したのです。一週間、食べないで船の中で耐えれば、1週間後には就職できるためです。腹で行くのに食べないでいたら、どれくらい大変でしょうか。他の人は、みな食事をしに行ったのですが、自分はお金がないから行かなかったのです。ところで、自尊心は強かったのです。本来、答えを受けられない人々は、自尊心をものすごく主張します。いつも祈りの答えを受ける人々は、自尊心が傷つく話しを聞いてもじっとしているのですが、受けられない人は聞けば狂います。横でなぜ食事をしないのかと尋ねても、お腹の調子が良くないと嘘をつきました。そのようにして6日間、食べなかったのです。翌日になれば、降りられるということになったのです。その希望一つだけ持っていたのです。
・ところで困ったことが起きたのです。船の中で放送がありました。「波と暴風があって、船が安全なところに行くから、1週間、さらに延ばします。」それでは、これから幾日かさらに食べないのでしょうか。予想されたより1週間後ならば、これから8日、食べられません。今、狂いそうな状況なのにということです。それで、この人が決断を下しました。「私が、船で行くのに飢え死ぬ。無条件に食べて後で頼もう。」このように決断を下して、食堂に行って思い切り食べたのです。6日間食べなかったので、どれくらいお腹がすいていたのか、思い切り食べました。食べた後に、食堂で仕事をする人に、いくらなのかと尋ねたのです。食堂で仕事をする人が、静かにその青年を見たのですが、変だと見て、食事をするのは初めてですかと尋ねたのです。本当に初めてだったのです。それで、その青年がいくらなのか問い直したのです。すると、食事は初めて食べるのかとまた尋ねられたのです。それで、青年が初めてでも2回目でも、値段はいくらなのかと尋ねました。すると、従業員が船に乗る時、食事代、宿泊代がみな含まれていると言いました。
・これがクリスチャンの姿かもしれないと思います。暴風が来なかったら、1週間ずっと食事を食べずにおりるはずでした。その上に、暴風がきて食事をするようになったのです。だから、死ぬ苦労の中で見つけて食べたのです。私たちは度々失敗をしながら、みな自分の考えのとおり生きていると錯覚をします。そうなのです。私たちは考えがみな違うのです。ところで、それが全部と思う人がいます。ある日、私の考えが違っていると限界がきます。これは確信の基準になりません。私の考えとその人の考えが違うから、互いに尊重をする必要があります。しかし、それが私たちの一生をかけるほど、確実な基準になるのではありません。
・また人々は、間違った確信を持っています。ところで、間違った確信を持っていれば、ずっと違うのです。こういう人が多いのです。ある人は、確信さえもない人がいます。今日、例をあげたのですが、船に乗った青年の姿でもあります。私がお金がないから食べることができないというのが自分の考えです。私が一週間、食べないでおりれば死なないで生きられるということは間違った確信です。ある面では本物に対する確信がないのです。私が比喩をこのように使っていますが、実際に人々がそうなので、ものすごい祝福をのがして生きていくのです。Iヨハネ5:11に、そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。13節、私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。
・なぜ私には確信がないのでしょうか。なぜ私はしきりに私の考えが違うのでしょうか。なぜ私は私の思い通りならないのか。とても重要な部分です。十回目の出会いをする中で、先週にはキリストの唯一性を話したのですが、これが出会いや確信に対する部分です。どれくらい重要でしょうか。
・私は幼い時から教会を通ったのですが、確信がありませんでした。だから、何でも攻撃してくれば私はやられました。皆さんの子どもを確信なしで送りだせば、外側の攻撃に間違いなくやられてしまいます。春にからだの免疫性がみな落ちれば、どんな病原菌でもみな聞いてきます。しかし、私が免疫性が強ければ、適当なのは勝ちます。私は幼い時、ほとんど重要な福音や確信がありませんでした。それで、失敗するしかなかったのです。今はやっと私が神様の恵みで福音を知るようになったのですが、伝道現場に行ってみました。未信者が問題でなく、クリスチャンに一つも確信がありませんでした。そのような状況です。だから、未信者が問題ではないのです。
・クリスチャンが祈りの答えが何か、福音が何かも全く知らずにいるのです。これだから、どのように世界福音化をするのでしょうか。不可能な状態です。これを私が現場で見るようになりました。それでは、教会はどうなのでしょうか。教会も同じように、あまりにも重要な部分に確信がありません。それで、ここに対して説明し始めたのです。これを持っていれば、私たちは失敗するしかないのですが、今、聖書には必ず分からなければならない絶対的な確信を言います。皆さんがこれを持っていてこそ、答えを受けられるのです。さらに重要なのは、Iペテロ5:7-8に、今でもほえたける獅子のように、サタンは確信がない者、心配をする者を触ってきます。Iヨハネ4:18-19皆さんが恐れる所に攻撃して入ってきます。正しく知っている人に、どのように攻撃して入るでしょうか。今日、皆さんは本当に確信を持つように願い、間違った確信を直して、皆さんが持っている考えを変えなければなりません。
・あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。教会に通う人の中に確信がない人が大部分です。今、タラッパンで伝道訓練をよくして見たら、たくさん変わったのですが、ほとんど確信がありません。もう確信がないから、自然に違ったものを確信しなければならないのです。正しい確信がないから、私の考えで生きなければなりません。そうなると困るのです。それで、世の中に入って、会社のクリスチャンサークルに行ってみたのですが、あまり大変ではありませんでした。世界福音化、教会復興をいくら騒いでも仕方がないということを感じて伝道運動を始めたのです。神様が足りない者ですが、必要なことであるから、多くの答えと実を与えてくださいました。それで、韓国教会伝道運動に対する献身をしようとしたのでうが、神様はまた他の方法で伝道するようにされたのです。
・信徒が確信がないのに、どのように未信者を生かすのでしょうか。役員、教役者に確信がないのに、どのように人を生かすのでしょうか。それも間違った確信を持って、私の考えのとおり生きていくのに、世界福音化は不可能です。笑わせることがありました。釜山で一番良い教会でした。修練会をするのに、私を講師に呼ばれたのです。明らかです。どれくらい準備がよくできていたか分かりません。私はそのように準備が良くされて、良い楽器で演奏するのを初めて見ました。ところで、私はそこに全く感動を受けなかったのです。メッセージをしてみたら、とてもレベルが低くて、理解できなかったのです。そして、遊ぶ時はあきれるほど遊びました。こういうキリスト教会を度々作ればどのようになるのでしょうか。それで、集会を終える日、教役者に頼みました。キャンプファイヤーのようなものをする時、椅子3個だけ持って来てくださいと言いました。それで、一個は私が座って一個は担当教役者が座りました。椅子一つは向かい合わせに置いたのです。それで子どもたちがキャンプファイヤーをする中で順番に相談をしたのです。本当に大丈夫です。子どもたちは私が講師だから話をしたがります。
・それで、順番に相談をしたのです。3つのことだけ尋ねました。「君が本当に神様の子どもに間違いないか、君はキリストが誰なのか分かるか、本当にイエス・キリストが救い主であることを確信して、君が福音を受け入れたか」3つまで尋ねる必要もありません。「君が本当に神様の子どもに間違いないか」ここに確信があってこそ、物事がなるのです。最も衝撃を受けたことは、そばにいた教役者でした。釜山で一番良い教会と自ら誇る教会なのに、青年、学生たちが順番に話をするのに70%程度が確信がないと言いました。そこで順番に福音を伝えました。こういう状況です。ほとんど確信がありません。それは簡単なことではないのです。
・それでは、何から答えを出すべきでしょうか。自分自身から答えを出さなければなりません。救われた者にあるいのちが何かを知らないからです。二番目です。救われた者の祝福が何かわからないから、確信がないのです。救われた者の特権が何か分からなければなりません。とても重要です。救われた者がどのように生きなければならないのか、方法を知らないためです。それで、ものすごいものを受け取っておいて、確信がないのです。教会に長く通っておいて何の答えもありません。そうではないでしょうか。だから、ここに対してはやく答えを出さなければならないのです。ところで、これにならなければ全てのものになりません。私はある面では、皆さんにしたい話をみなできません。私は聖日学校、組織、聖歌隊、このように(救われた者のいのち、祝福、特権、生き方を知って)開始をしなければなりません。どんどんモザイクをかけて(ぼんやりと)しておけばいつかまた崩れるのです。
・ところで、本当に知識のある人が聞き取れないのです。だから、私は知識がある人は、少し用心しなければならないと思います。釜山で私が伝道を始めたら、少し立派な賢い人が専門化をさせなければならないと言ったのですが、私は内心、釜山で専門化をさせなければならないのかと思いました。それは本当に専門性がない話しだと思ったのです。しばらくあとでしなければなりません。だから、ほとんど聞き取れないのです。皆さんが、本当にこのように始めれば、教会は確かに変わって、教会らしい教会を作れます。こうすれば、本当にみわざが起きます。ほとんど今、確信なしでするので、答えが来なくてつまらないのです。だから、後ほどになれば、無駄なことになってしまいます。副教役者も記憶しなければなりません。皆さんがまかされたパートをよくしようとせずに、正しくすれば後ほど本当に起きます。
・私は昔に、タラッパンをしていた時、たくさん集まらないように、しばしば作戦を実行しました。あまり集まれば、仕事になりません。だから、本当にみことば運動、いのちの運動をしました。確信を持つ前に、私が受けたいのちが何か分からなければなりません。そして、救われた者の祝福、特権、方法が何か分からなければなりません。救われた者は、一言で話せば、何を持つようになったのでしょうか。救われた皆さんには、聖霊が働かれるから、絶対にほろびることもできなくて、それより価値あるのもありません。反対の言葉で、テキストの3番にあるのですが、いのちがない者は、全部サタンに支配されているから、失敗するしかありません。ローマ8:2に聖霊の原理、すなわちいのちの原理だと言われています。これが救われた者のいのちです。
・未信者と皆さんと違うことは他には全くありません。救われれば、まさに聖霊が皆さんの中にとどまるのです。あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。ものすごいのです。それで、皆さんがこの事実だけ分かれば永遠に変わらないのです。ここに対したことを実際に知らないから確信がないのです。このように確信なしで生きてきたのが長くなったので、他の枠にとらえられてしまうのです。これを皆さんが新しい家族に会った時、聖書勉強を通して必ず変えてあげなければなりません。
・福音手紙を三回程度するつもりです。あらましていって、その次は新しく信じる人がどのように聞かなければならないのかを話します。その次に、教えなければならない指導者がこの部分をどのように見なければならないのか話をするつもりです。なぜならこれを持って行けば現場に行ってことが起こるためです。これを持って行ってみれば、私たちのように伝道をする人がいて、指導者がいて、新しい家族がいます。救われた者の祝福はどのようなものでしょうか。皆さんがどんな祝福を受けたのでしょうか。原罪、自分が犯す罪、先祖の罪から完全に解放されました。これを本当に分かれば、確信がくるのです。皆さんが受けなければならない呪いがすでに必要なくなってしまいました。そうしたら、確信がくるしかありません。救われた皆さんは、世の中の重荷とサタンの勢力から完全に解放されてしまったのです。
そして、救われた皆さんは、地獄の勢力から完全に解放されられました。そして、救われた日、この世で何世代にも証拠を見せるようになったのです。これが皆さんが受けた祝福です。これが皆さんが受けたいのちです。だから、愚かな人のようにぼうぜんとしているのは、船に乗って食事をしない青年と同じです。ところで、なぜ逃すのでしょうか。主に救いをみな受け取っておいて、ものすごい祝福を受けておいても、しばしば自分の考えに陥ったり、違った考えに陥るのです。そうでなければ、まったく確信がないのです。笑わせる話です。皆さんが外に出て行ったら、イエスを信じる人と話をしてみてください。
・エホバの証人が何と教えるでしょうか。長老教の名札を付けている家だけ訪ねて行けと言うのです。一番に確信がないからだということです。それでエホバの証人は聖書箇所をいくつか覚えているだけなので、皆さんが聞けばすぐ揺れます。皆さんが受けた特権が何か知っているならば。皆さんにどんな特権を与えられたのでしょうか。「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」この福音を持って世界を生かせる特権を与えられました。
・そして、サタンの勢力に勝つ特権を与えられたのです。ハデスの門もそれには打ち勝てません。そして、天国の鍵をあなたに与えます。祈りの答えを受けられる鍵、この特権を与えられました。これが事実ならば、確信がくるしかありません。皆さんがこの確信を回復する以前に、答えから分からなければなりません。そして、とても重要なのが4番目のことです。
・救われた者は、どんな方法で生きるべきでしょうか。未信者の方法は知る必要もありません。救われた皆さんは、今から神様がともにおられるから、聖霊の導きだけ受ければ、完全に勝利を継続するのです。間違いありません。聖霊の導きを受ければ、皆さんの事業はなるのです。聖霊の導きを受ければ、教会はなるのです。聖書はこのように約束しています。ヨハネ14:26-27に、イエスの名前で送る聖霊は、ヨハネ14:16-17にも、聖霊があなたがたとともに永遠に導かれると言われました。これが私たちの方法です。これから聖霊の導きを受ければ、ものすごくみわざが起きるのです。それで、今日、静かな中で短い時間ですが、大きい答えを受けられます。もう私たちは救われた神様の子どもだから、聖霊の導きを受ければ、これが私たちの方法になります。それで、心配もしないようにしましょう。それで動機も持ってはなりません。聖霊の導きを受けようとするなら、キリスト中心で祈れば答えを受けるようになるのです。
・ヨハネ14:16-17。ヨハネ14:26にわたしの名で送る聖霊。27に、わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。このようになる時、私たちには真の確信がくるのです。この時、五つの確信がきます。この答えを確かに祈れば、確信がくるしかありません。この時、Iヨハネ5:11-13に、私が神様の子どもだという確信がきます。私にいのちがあるから、神様の子どもだという確信が、この時からくるのです。ヨハネ14:14に祈りの答えの確信がきます。Iコリント10:13どんなことがきても神様の子どもは勝利するという確信がきます。マルコ10:45に、皆さんの家系、呪いの全部を十字架で解決されました。マタイ28:20に世の終わりまで、いつもあなたがたととともにいると言われました。ここに対する確信がきます。これが事実ならば、確信がくるしかありません。この四つは私の考えでするのではありません。皆さんがこの四つを捕まえて確信を持っていれば、五つの重要な答えがくるようになっています。
・真の確信を持っていれば、急ぐ必要もありません。本当に真の確信を持っていれば、高慢になる必要もありません。聖書にある人々を見ましょう。真の確信を持っていれば、私が意地もはる必要もありません。この時から、真の答えは続くのです。だから、世界福音化ができるのです。今日、皆さんがこの契約を捕まえなければなりません。テキストの下の5番を見れば、集う人の中にある問題を一つ話すために付けておいたのです。イエスを信じて、法事の問題を持って悩む人が多いのです。これは簡単に説明しなければなりません。
・皆さんが知っているでしょうが、未信者は祀ることをとても重要だと思っています。ルカ16:19-31に死んだ親が行き来することはできないと言われています。悪霊が両親を装って来るので、だまされるのです。Iコリント10:20に、悪霊に仕えることだと言われています。何も恐れる必要もないのに、人々が恐れるのです。この部分に対する確実な答えを持っていなければなりません。確信の部分から出る話です。私の父が亡くなって、ずいぶんたちました。私が福音を悟る前には追悼礼拝をしました。ところで、私が福音を分かった後に、する必要がなくなったのです。私の父は、イエスを信じて天国に行ったのに、何をしに日を定めて追悼礼拝をするのでしょうか。してもかまわないのですが、しなくても済むのです。しなければより良いのです。それでしませんでした。未信者は法事をしなければほろびると言うのですが、それが悪霊の働きです。私たちは法事もしなくて、追悼礼拝もしないのですが、ほろびません。私は道で滑ってころんだこともありません。ある人は、法事をしないので家がほろびると言いますが、みな終わってしまいました。皆さんが受けた祝福がどれくらい大きいのか確信をしなければなりません。
・二重でムダン(霊媒師)をしてから立ち返った方々には、話をしなければなりません。この人たちは当分悪霊が現れて、不安になります。イエスを受け入れた人々には、悪霊が現れるほど、何の関係なくて益なのです。悪霊が度々触れば、神様が皆さんをより大きく手助けされるから、何も心配する必要がありません。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ここに答えを確かに出さなければならないのです。そして見れば、多くの役員でも不安に思う人が多いのです。「私は事業が..」絶対にそうではありません。皆さんはいのちを持っているから、いのちはだれも奪い取れません。皆さんが受けた祝福は、呪いから完全に解放しました。
・そして、むしろ反対に、サタンの勢力をうち砕いて世界福音化をする特権を持っているのです。そして、今から聖霊の導きを受ければ100戦100勝を継続するのです。今まで問題を解こうとせずに、今まで難しい問題があったら、今から聖霊導きを受ければ、全部、答えがみな出てきます。皆さんが話をする時、正しい言葉もあり、間違った話もするでしょう。それが重要なのではありません。皆さんが神様の前で聖霊の導きを受ければ、全部、祝福で答えがみな出てきます。長老の事業が聖霊の導きを受ければ、誰も勝てない岩の祝福の上に立つのです。だから四つのことは確実です。皆さんの中にはいのちがあるから、そのいのちは誰も奪って行けません。クリスチャンは、これを知らないから、世の中に出てみれば違うと言うのですが、そうではありません。皆さんが世の中に出て生きることが大変だと言えるでしょうが、答えを受ければ、あらかじめ門がみな開かれるようになるのです。確信を持っていなければなりません。皆さんが確信を持つ瞬間、暗やみの勢力は逃げるようになっています。
・釜山には、昔に他人のポケットから財布を抜く泥棒が多くいました。その人々が誰にでも行きません。おもに見れば、うとうとする人々に行って抜くのです。そして、酒に酔った人々のところに行きます。おばさんたちで、両手に荷物がいっぱいある人々によく行きます。気をつけている人になぜ行くでしょうか。そして、皆さんが確信がなくて揺れれば、サタンがどうしてか知って皆さんを触るのです。皆さんはいのちを持ち、ものすごい解放を受けて、特権まで持って、聖霊の導きを受けて勝利するように、神様が完全に準備されました。しばしば新しい家族も不安に思うのですが、不安に思う必要はありません。私が水曜日の日、前で説教をしながら、副教役者だった時、法事がどれくらい愚かなことなのか、一時間、説教しました。按手執事から電話がきたのです。自分は今まで不安で、イエスを信じながら按手執事までなったが、法事を行っていたということでした。
・その時、私が副教役者だったのですが、伝道師先生の説明を聞いてみたら、私は法事をしてはならないと思うようになったということでした。その代わり、家で法事はみな終わらせるので、きて礼拝をささげてくださいと言われたので良いでしょうと言いました。それで、私が副教役者と伝道師であったから、訪問もするので、礼拝をささげに行ったのですが、お膳がそろえありました。それで「時間を減らそうと、礼拝をささげたら何かを食べようとしているようだ。」と思って座ったのですが、上にかけてあった布をみなはずしまいた。はずしたのを見たら、法事用の果物の形などで整えてあったのです。そんなに不安なのですかと尋ねました。
・ソウルにいる信徒は、法事をたくさんすると、前に統計が出てきていました。皆さんが法事を行うのではなくて、何かが見えたら棒を持てたたきつぶさなければなりません。それは悪霊です。今、逆に思っているのです。皆さんの両親のまねをして、皆さんをだます悪霊です。分かってみれば、ご飯をあげるのではなく、半殺しにすべきなのです。だから未信者が逆に考えているのです。ほとんど皆さんを見れば、職場でもお祓いをして、不安に思うのですが、そのような必要はありません。終わったのです。皆さん1人によって、すべての所にある暗やみがみな離れます。また皆さんがあまり違ったことをせずに、直さなければなりません。
・「私たちの嫁が教会に行ってから、我が家に問題がきた」こういう話を聞いたでしょう。本当に錯覚です。それはなぜそうでしょうか。イエスを信じないで教会に行くからです。この人がイエスを信じれば、その人のためにその家に光が照らされます。確実です。1人がイエスを信じてしまえば、その家の子ども、事業にまで光が照らされます。あなたがたは、王である祭司です。この光を宣べ伝えるために呼ばれたのです。この部分に完全に答えを出さなければなりません。ここに答えを出さないで、どんどん確信なくて揺れる人がとても多いのです。ある人が尋ねます。「聖日に商売をしなければなりませんか、やめなければなりませんか」はっきりと答えなさい。聖日に商売をしなければなりませんか、やめなければなりませんか、聖日に食堂をすべきか、いつも揺れるのです。しなければなりませんか、やめなければなりませんか。確信がないのです。それで、確信ある人々が確かに答えを与えなければなりません。この頃はそうでないのですが、以前には聖日に勉強をしても良いのか、だめなのかと尋ねていました。これで大人たちが聖日に勉強をしてはいけないと教えて、学生たちが月曜日ごとに試験を受けるのに、教会に終わって家に帰って12時が過ぎれば、その時から勉強をしたのです。
・この頃は、たくさん変わりました。それで、学生たちと話をしました。聖日に娯楽で恵みを受けることができないことをしてはならないということであって、神様に栄光になることはしなさい。神様に栄光になるお金は使いなさい。神様に栄光になれば店もオープンしなさい。このように一部分に縛られていて人がどんどん混乱するのです。ここに医師か薬剤師はいますか。聖日に薬局をオープンすべきか、やめるべきか。こういうものに揺れるのです。聖日にイエスを信じる人が病院を閉めなければならないという言葉も正しいようだ。聖日は、礼拝をささげて、賛美して、祈って敬けんに過ごさなければならないから、薬局を閉めなければならないと思うのです。「ひょっとして薬局の門を閉じないで神様が罰を下されるのか」こういうものは全部、律法です。
・確かに話をします。消防署と薬局、病院は24時間、開けておくのが原則です。皆さんはお金をもうけようとするのですが、私たちは病気になって行くのです。病気の人がいつでも行けるように門をあけておく病院、薬局が一番良いのです。消防署員が聖日に門を閉めてしまえば、どうなるのでしょうか。人の家が火事になったのに、聖日だからと行かなくても良いでしょうか。病気で死にそうな人が、助けてくださいと言うのに、聖日であるから病気で死になさいと言っても良いでしょうか。どのように考えても、昔に律法にとらえられた考え、間違った考えをとても確実にさせて、少しだめならば罰を受けるというやり方です。だから、新しい家族に確信しなければならない部分を調節して直さなければなりません。
・そして、皆さん自身がそれを持っていてこそ、他人に話をしてあげられるでしょう。ものすごい答えをもらったのにもかかわらず、さ迷っているのです。クリスチャンは、聖霊の導きを受ければ、絶対に失敗しません。それで心配することもありません。クリスチャンは、いのちがあるから、誰も奪っていけません。クリスチャンが受けた祝福は、暗やみから解放させることだから、ものすごいことなのです。そして、他の人を生かせます。
・この四つが確実だから、その時から確信がくるのです。これは皆さんが信じないでも確実なのです。全世界のクリスチャンが皆信じなくても、これは事実です。私はこの部分がどれくらい重要なのか、この確信がきてから伝道の門が開かれました。私は周囲の状態が良くならなかったのですが、神様が答えを与えられました。私は条件が良くなかったのですが、神様はなるようにされました。何で釜山で伝道運動をするのか、神様はするようにされました。何で私のような人が世界を起こすのでしょうか。ところが、レムナントが起きています。私たちの周囲にある問題はどうなるのか、神様が確かに防がれるでしょう。確信です。それで、一般の人々には説明をしてあげなければなりません。法事を普通、大人たちは必ずしなければならないことだと思っています。全くそうではありません。
・いくつかのことのために答えをみな出してあげなければなりません。輪廻説、法事、その次に前世のようなものがあるのですが、それが全部悪霊のしわざです。だまされてはいけません。見えること、それが全部悪霊のしわざです。一般のテレビで出ているのですが、皆さんを連れて悪霊につかれるようにさせれば、過去を全部見せるというのですが、それが全部悪霊のしわざです。人間は永遠な存在だから、行き来できないのです。とても重要な部分に対する確信を持っていなければなりません。このように完全に答えを出してあげなければなりません。そして、皆さんの家系にある問題が皆さんを通して終わるのです。どれくらいすごいのでしょうか。皆さんがこの契約を捕まえる時から答えがき始めます。次に説明を継続しますが、相手にしたがって、この部分に完全に答えを出さなければなりません。
・その次に少し識別すべきことです。福音と宗教は違います。信仰生活も福音と律法は違います。律法を破るのではないのですが、福音で救われるのであって、律法は救われるのではありません。律法は悪いことではないのですが、知らずにいればどうなるのでしょうか。子どもたちが尋ねたように「聖日勉強をしてもかまいませんか。」この質問は、律法から出たのです。「聖日にお金を使ってもかまいませんか」この質問が律法から出たのです。聖日にお金を使わないでしょうか。聖日にお金を使わないとするなら、教会にきてはなりません。履き物がすりへるのもお金を使うのです。車のガソリンもお金を使うのです。それでは、律法ならば、聖日にみな家になければなりません。そうでなければ、ユダヤ人のように土曜日の日、教会で全部寝なければなりません。
・こういう話にもならないものに捕われて信仰生活が全部サタンにだまされるのです。その次に宗教です。キリスト教は宗教ではありません。文化名称の都合で宗教に区分されるのですが、宗教ではありません。皆さんが宗教生活をすれば大変なことになります。宗教生活をすれば、霊的な問題から抜け出せません。それで、福音と宗教は違うのです。福音と律法は違います。こういう答えを持っていなければなりません。ここに対する確信です。この四つを持って完全に答えを回復して、確信を持つようになるようにイエスの御名でお祈りします。
・2部は疲れるから、福音手紙の説明をいろいろな方向から続けて説明しますので、皆さんがお昼はあまりたくさん食べずに1/3だけ食べて聞くように望みます。隣の人をいくら疲れても祝福して、あなたは解放されました。あなたはいのちを持ちました。世界を生かす特権があります。聖霊の導きを受けて勝利しましょう。これが答えです。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。重要なことに確信できる私たちになるようにさせてください。今日から新しい開始ができるようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン