2007年7月15日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/心を尽くして礼拝したダビデ
(詩138:1〜8)

■今日、心を尽くして礼拝したダビデから恵みを受けなければなりません。私たちが時々、過去にあった事、過去の人々を思い出す時があります。その中で、私たちに恵み受けるようにした人々がいて、心に傷を与えた人々がいます。私は必ず記憶に残る人々が何人かいます。私に信仰が生じるようにさせた人がいます。いつも思いだします。それから、思い出すのが、私の信仰をなくすようにさせた人々です。いつも思い出したり、思い出したくなくても私に残っているのです。執事の中で思い出す方ですが、とても実力ある学校教師でした。音楽の専攻もしなかったのですが、音楽が上手で教会指揮をしていました。知ったところ、家が何代目かのクリスチャンでした。生き方にも習うことが本当に多かったのです。教会に来る時、自転車に乗って通っていました。運動になって良いと言っていました。私に尋ねて、この自転車がどれくらいになっていると思いますかと言いました。何日か前に買ったような、とてもきれいな自転車でした。それで、私が一週間ぐらいですかと言ったところ、7年になったと言っていました。奥さんが言うことが、毎日、磨いているということでした。それは、とても慎ましく暮らしているということです。本当に知っていることも多かったのです。この人には問題がただ一つだけありました。暇さえ出来れば、不信仰の話をするのでした。私も多く聞きました。聖歌隊の指揮をして、教会の執事で、学校の先生ならば、重要な位置にあるのに、ずっと不信仰の話をしました。その方がまた話を上手にするのです。ユーモアもありました。人々を笑わせながら、集いを掌握するのです。しかし、座れば教会を批判して、他の人を批判するのです。私が見る時、習慣であるようでした。そのためかどうか、年齢が四十才になって、突然、肝臓ガンになったのです。本当に良くないは気がした。本当に賢い方でした。教会の責任者でもありました。その人に福音が入らないで、信仰が入らなかったのです。
■今日、皆さんがダビデを見ながら詩篇138篇を見ながら考えるべきことがいくつかあります。私たちが礼拝して信仰生活すること以前に重要なことがいくつかあります。その最初が、どこに根をおろすかということです。何が根をおろすかによって、皆さんの未来が決定されます。私の未来もそのように決定されるのです。私の中に何が根をおろしたかによって、決定が違うように出るのです。それがとても重要だと感じます。それで、私たちが苦心してお金を使って子どもたちを教育させるのです。福音を強調する理由が、何が根をおろすかが問題であるためです。人々が根をおろすということが、無視できません。
■私は、北朝鮮に行ってみたのですが、手助けするために行ったのです。私たちがラーメン百万個を持って行きました。私は初めから最後まで理解ができなかったのです。この方がさらに大声を上げました。変だったのです。申し訳ありません、ありがとうと言うよりは、大声でずっと叫んでいました。言うべきではない言葉も言いました。手助けしようとするなら、はっきりとしろなどという話をしたのです。雰囲気が、初めから最後までそうでした。最後に、身分が高い人が出てきて、有難いと食事の接待をすると言って、一緒に食事をしてきました。帰りながら、次には行かないと思いました。とても考えが違ったのです。あまりに違うので、対話になりませんでした。私なら、助けられたら申し訳ない気がして、有り難く思うはずなのに、全くそんなことがありませんでした。それで、人が何に根を下ろしたかによって違うということを感じました。
■先週7月12日夜にTVを見ながらとても心配になりました。MBCの時事討論で、聖職者が税金を出さなければならないのではないかということを扱っていました。お願いしたいのは、MBCで試みは良かったのですが、企画する方が良くしなければなりません。税金の専門家を呼んだり、宗教指導者を呼んで深い対話をしなければなりません。市民連帯代表を呼んでいました。その人々が教会を分かるでしょうか。その人々が神学を分かるのでしょうか。私が聞いてみたら、何も知らないようでした。これをおいて税金の話はせずに、教会を批判していました。男一人と女一人が出てきて話をするのに、男は教会に対して悪感を抱いていました。表現できないほど悪い感情を抱いていたのです。女は顔がからかうような顔つきをしていました。討論をするのではなく、税金を出さなければならないのかに対して尋ねなければならないのに、教会に対してからかっていました。私は人の顔をあまり記憶しないのに、記憶するほど詳しく見ました。その男と女の顔がまだ浮び上がります。どれくらい教会を批判するのか、静かに目を見たら、とても長い間そうだったような目でした。とても熟達した目でした。こういう事があるが、どうなのかと尋ねなければならないのです。また、税金問題は、このようだけれど、どうなのかと尋ねてこそ、討論になるのではないでしょうか。とてもとんでもない話をするので、待っていました。電話番号が出てくれば電話しようと待っていたのですが、出て来ませんでした。あまりに知らないことを言っていました。ひょっとして、その方たちが聞けば理解することでしょうが、教会は組織教会と未組織教会があります。組織教会ということは、堂会が形成された教会のことです。堂会が形成されていない教会は未組織教会です。堂会院がなければ堂会長にもなれません。未組織教会が韓国には多いのです。こういう教会は難しいから、救済ができません。こういう教会は、献金があまり出ないので、牧師の謝礼にみな使ってしまいます。これを統計で持って出てきたのです。だから、教会は救済もせず、お金は牧師がみな持っていくと話していました。そこまでは良いでしょう。色々な教会の中のことまで税金に関与する話が出てきました。
■牧師が税金を出すべきか、出せば良いでしょう。私はそのような複雑な話を説教でする時間はなくて、それを見ながら私が何を感じたのでしょうか。牧師、長老が出てきていたのですが、返事も正しくできないのです。福音を聞かなければならない韓国の多くの人々が、あの放送を見た時、どのように理解をしたでしょうか。今、福音を聞かなければならない多くのレムナントと人々が、あのように話すのを見る時、どのように理解をするでしょうか。この人たちが対話になりませんでした。根に何がおりたかが問題です。
■無神論という根をおろせば、どんな話も入りません。70年間、共産主義が神様がないということに根をおろしたのですが、どのように祝福を受けるでしょうか。神様がないと言いました。それが無神論です。なぜ、牧師の息子ニーチェが神様は死んだと話しました。若くして精神病院で死にました。モーパッサンという作家も、文章を書けば、必ず教会を批判しました。よりによって、その人も若くして精神病院で死にました。無神論というものに根を下ろせば、どんな話も入りません。私たちの中に何が根をおろしたかが重要です。
■私たちクリスチャンの責任です。私たちが記憶すべきことは、勝利したダビデは他のもの3つを持っていました。今日、皆さんがこれを持って行かなければなりません。難しい世の中で、私たちが生きなければならないので、何を持って行かなければならないのでしょうか。ダビデはこの三つを持っていました。今回の大学修練会で話をしました。世の中に出て行く前に分からなければなりません。
■福音の力は何なのでしょうか。福音を受けたので、福音の力を分からなければなりません。そして、真の信仰と勇気は何なのでしょうか。本当に、この世の、私にある真の問題が何でしょうか。問題意識を正しく持ってこそ、道が開かれるのです。皆さんが3つを体験すれば、道が見えるようになります。特に大切なレムナントが、福音の力を体験すれば、その時からは目が変わります。この時から真の信仰と勇気ができるのです。ダビデがゴリヤテの前に進む時を見て下さい。この時、目が開かれるのですが、何が問題なのかということです。先週に話したように、真の涙が出てくるのです。それが見えるようになります。ゴリヤテが責めてきたので、王も震えていました。ゴリヤテが攻め込んできた時、兄も震えていました。ダビデに、お前がどうして、ここに来たのかと言いました。幼い時から高慢だったと話します。問題意識が違うのです。ダビデが答えるのに、どうして理由がないでしょうか。イスラエル民族がゴリヤテ将軍の前でぶるぶる震えているのに、ダビデがこの時だと思ったのです。全く同じものを見たのですが、目が違いました。神様が本当に生きておられるとすれば、無神論者は一生、失敗するのです。神様もない、何もないならば、考えを良くしなければなりません。しかし、私たちの命を治めておられる方が神様なのに、それを知らないことは根本的に失敗をしたのです。これがなければ、道が見えません。皆さんが外に出て行って、道が見えないとすれば、どうしますか。皆さんが本当に福音の力を体験して、本当に祈りの答えを受ければ、道が見えるようになります。そうなって出て行かなければなりません。世の中に出て行く前、出て行っても同じです。私たちの学生たちにお願いします。勉強は最善を尽くしてがんばらなければならないのですが、この体験をして世の中に出て行かなければならないのです。
■二番目のことです。世の中に出て行ってからは、どのようにすべきなのでしょうか。世の中に出て行ってしなければならない重要な内容があります。イエス様が40日間、説明されました。神様の国です。国という言葉は、とても重要な言葉です。皆さんの家に、会社に神様の国が先に臨んでこそ、暗やみが砕かれます。未信者が知らない言葉です。皆さんが行く所に神様の国が臨むことを約束されました。これから味わうのです。どこへ行こうが祈ってみてください。どこでも見せないように祈れば、神様の国が臨むようになっています。皆さんがどれだけ祝福を受けたのか、聖書は約束しています。皆さんが行く所に聖霊が働かれると言われました。聖霊の力で暗やみの力に勝つと言われたのです。その聖霊は救われた者とともにおられるので、永遠に共におられると言われています。だから、皆さんがその祝福を味わえば、行く所に行く前に神様が主の天使を送ってみわざが起きると言われました。未信者は知りません。行く所ごとに暗やみの勢力が崩れるようになっています。それを神様の国と言うのです。その時、弟子が見えるようになります。どれくらいおもしろいでしょうか。皆さんの事業にみわざが正しく起きます。これが信徒が行く道です。これをのがすので、道も見えず、行っても難しいのです。
■出て行く前に三番目です。いよいよ唯一性の答えが来ます。ダビデはこれを持っていました。レムナントは、この祝福を受けて味わうようになることを望みます。そうすれば、行ってみれば答えが来ています。私たちのタラッパンのすべての家族が、必ず記憶しなければなりません。私たちは行って何をするのかと言います。違うのです。それが道に迷っていることなのです。略図をなぜ持って行くのでしょうか。道に迷うかと思って持って行くのです。私たちの人生がそれなら困るでしょう。金ヨンギ秘書の悪口を言ったところ、食事しながら、大目に見てくださいと悪口を言わないでと話しました。道をとてもよく迷います。私が悪口をせずにはいられないほどです。金秘書は道を見つけられないのです。その人のおもな業務が、私を迎えて道を探して行くことなのに、道を見つけられません。忠清道に行くのに、行く時ごとに迷っています。家が大邱なのに、大邱でも迷います。妻の実家に行く時も迷いました。本当に不思議です。どのように、あれほど道を知らないのだろうかと思っても、神様の奇跡で20年間、通いながら、一度も事故がありません。一度も、遅刻していません。不思議です。道に迷えば、事故も起こすのに、一度も事故をしたことがありません。本当に奇跡です。それより、もっと大きい奇跡は、食堂はあきれるようによく見つけます。礼拝堂は見つけられないのに、食堂はよく見つけるのは、奇跡ではないでしょうか。肉的に道に迷っても苦労するのに、霊的に道に迷えば、大変なことになるではないでしょうか。私はクリスチャンが、そうなることをたくさん見ました。私はどのようにしなければならないか分からない。どうしようか。それが道に迷ったことなのです。
■今から見つけられます。皆さんが本当に福音の力をずっと味わっているなら、パウロが話すように「その中にある」と言いました。この時から道が見えるようになります。未信者がこの話を、どのように分かるでしょうか。だから、教会に対してむやみに話をするのです。もちろん誤ったことも多いのです。しかし、それは、人が誤ったことであって、教会が誤ったのではありません。下手すると、私が間違っているのであって、聖書が誤ったのではありません。韓国が日帝時代に全地域に偶像を作って、悪霊を拝むようにしました。王もお辞儀をしました。すべての知識人がみなしました。すべての政治家たちも、みんなしました。日本の神社の前でお辞儀をしたのです。韓国のあちこちに作っておいて小学校でお辞儀をしました。すべての先生がみなしました。しかし、クリスチャンだけせず、牧師がしませんでした。このように戦って、結局は勝利したのです。だから数百年、数千年になった教会をむやみに話してはいけません。教会という所は、利益のために戦う所でなく、真理ならば命もかける所が教会です。国家の多くの方と政治家たちが、教会に対してむやみに話をするのですが、それではだめです。教会はある面で、人を恐れないで神様の前で恐れるから、不正の前で恐れません。このダビデのように、福音の力を味わうようになればこれがすべてだということが分かるようになります。この時から道が見えるのに、何を恐れるでしょうか。何の恐れもありません。ゴリヤテが現れたのが、ダビデに機会になったのです。ダビデが行く所ごとに神様の国が成されました。それは、皆さんが行く所ごとに神様の国が臨むようになるということです。その後に来る答えが唯一性の答えです。他の人は受けられないのに、答えがくるのです。
■私が今、表現力が足りず、表現ができないのですが、この三つを知らなければ信仰生活にならないのです。これはダビデの話だけでなく、すべての信徒が当然、受けなければならない祝福です。皆さんが福音をよく味わうならば、すごいと感じられます。福音の力を解かってみれば、その中にあることをパウロのように知るようになります。この時から道が見えるようになります。問題がきても道を分かるから、問題になることがないのです。道が分かれば、間違った道が分かるように、間違った問題が何か正しく見えるようになります。それでは、私と皆さんが世の中に出て行ってどのように勝つのでしょうか。神様がともにおられるという神様の国です。それでは、その時から唯一性の答えです。それがどれくらい難しいのかと言うのですが、難しいのではありません。この祝福を皆さんがみな受けるように、イエスの御名で祝福します。これが世の中に出て行く前に皆さんが受けなければならない祝福です。レムナントは、必ずこの祝福を受けなければなりません。
■大きい2番目に、世の中に出て行った時です。今日、ダビデが3つのことを告白しました。今日の詩篇を見ると、ダビデが祈りの答えに感謝しました。1節から3節まで、私は心を尽くしてあなたに感謝します。天使たちの前であなたをほめ歌います。2節には、あなたは、ご自分のすべての御名のゆえに、あなたのみことばを高く上げられたからですと言っています。3節には、私が呼んだその日に、あなたは私に答え、私のたましいに力を与えて強くされました。最初の証しです。皆さんが現場に行った時、他の人が皆さんを見る時、神様が共におられるんだなと見えるのが、すばらしい祝福です。絶対にだまされてはいけません。私が幼い時期にたくさん見たことですが、私たちは試みにあって問題があることをたくさん見るようになります。私はある人に会ったのですが、信仰がある人でした。それだけだったのですが、私のたましいが生き返りました。皆さんが不信仰を持っていれば、そばにいる皆さんの子ども、家族が永遠に死んでしまいます。今日、ダビデが告白するのに、私のたましいに力を与えて強くされましたと言いました。ものすごい証しです。皆さんが行く所ごとに、たましいが生き返る証しが現れるように願います。
■二番目に、4節から6節に見れば、みことばが共にあることに対する感謝をしました。今日7-8節に、どんな敵も恐れる必要がないと確信しました。世の中に出て行けば、どれくらい、できごとが多いでしょう。恐れる必要がありません。どれくらい、中傷、陰謀が多いでしょうか。恐れる必要がありません。7-8節にダビデが必ず勝利することを確信しました。7節に私が苦しみの中を歩いても、あなたは私を生かしてくださいます。私の敵の怒りに向かって御手を伸ばし、あなたの右の手が私を救ってくださいます。8節に主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。あなたの御手のわざを捨てないでください。
■ダビデが行く所には3つの証しが出てきました。祈りの答えが起きて、みことばが成就して、多くの敵を戦わないでみな勝ちました。問題がくれば心配が生じます。過ぎたら神様は必ず働かれて、敵をうち砕くようになります。私は時々TVに動物が出てくる中で、虎が獣をつかむのを見る時、虎が隠れていて、獣にかみつくのに技術がありました。ところで、シマウマはとても大きいが足で蹴れば良いので、虎に身動きできないのです。虎が走り込むと首にかぶりつきました。シマウマは大きいのに、そのまま倒れて食われてしまいます。その地域を歩き回りながらみな捕まえて餌食にします。私はその時、見ながら感じたのです。すべての山に虎だけいるようになるはずなのに、シマウマは皆死んでいず、虎だけになるはずなのに、虎はいなくなって、シマウマがたくさんいます。スズメをみな捕まえて食べれば、スズメはいなくなって、狐のように悪賢いものだけになるはずなのに、そうではありません。今日、ダビデが行く前に持っていたこと、行って現場で起きる答え、私たちはいろいろな不信仰にだまされるのです。世の中はそうではないと話すこともできます。事業をしてみればそうではないと話せるでしょう。世の中で競争しようとするなら、そうではないと話すこともできるでしょう。未信者と共に競争して勝とうとすれば、聖書にある通りにはできないと話すこともできるでしょう。私もそのように考えました。それが、だまされる言葉です。それで、私がほろびたのです。ある日、信仰を持った人、何人かに会いました。それが私のたましいを生かしたのです。どれくらい重要かわかりません。今日、神様が皆さんのたましいを生かし、ダビデが行く所ごとに働きを起こされたように、同じ答えがきます。今日、私たちは最後に心を尽くして礼拝したダビデがどんあ勝利をしたのか、祝福を受けたのか見なければなりません。詩篇はダビデの詩が一番多いのです。138.139篇は、皆ダビデの詩です。それなら、その祝福が私たちも同じ祝福であるから捜し出さなければなりません。ダビデは幼い時期が、詩篇78篇を見れば出てきます。ダビデが羊を飼っていた時、すでに祈りの奥義を持っていました。羊を飼っていた時、羊一匹なくしませんでした。ダビデは幼い時期に、福音、専門性、エリートをすべて持っていました。可能ならば、幼い時、福音を知ってエリートとして育てなければなりません。それで、レムナント運動をするのです。ダビデが受けた祝福を私たちも受けられます。ダビデが青少年の時期にゴリヤテに勝ちました。この話は、青少年が分からなければならない問題です。ダビデは真の問題意識があったのです。死ぬのが問題ではなく、ゴリヤテと戦うのに、その時間に悟りがあったのです。ゴリヤテと戦いにでかけたということは、いのちをかけたということです。レムナントは、勉強する時、重要な時刻表がくれば、いのちをかけなさい。それが時刻表です。レムナントは、祈りながら、祈りの力で重要なことが起きた時、命をかけなさい。その祝福を受けなさいということです。
■ダビデは青年時代を体験しました。ダビデは青年時代に苦難だけ受けました。ずっとサウル王が困らせました。どう思うでしょうか。ここで悟るべきことは、皆さんが苦難を受けている時間が最も良い時間なのです。皆さんが崩れないならば、苦難を受けている時間が最も良い時間です。過ぎたら分かります。苦難を受けている、その時間が一番良い時間です。モーセが苦難を受けていたその時間が、絶望している時間であったのに、その時間に神様が最も良いことを準備されました。皆さんが契約を捕まえるように願います。困難がきたとすれば、一番良い時間です。病気になった者がいますか。神様の力を体験する時間です。貧しい人いるのでしょうか。正しく始める時刻表です。学生たちが勉強が良くできないのでしょうか。本当にタラントを捜し出す時間です。だから、青年の時、その難しい時、ダビデは神様が一番良いものを準備されました。私も過ぎて見ると、困難を受けた時が一番良い時間でした。それは、神様がその時一番良いものを準備されたということです。ダビデが王になった時、ただ一つだけを考えていました。幼い時、サムエルに受けた契約をそのまま成就させたのです。本当に重要です。ダビデの老年時期は、さらに素晴らしい生活を送りました。年を取っている方々、引退される方々は、さらに素晴らしく生きなければなりません。ダビデは、年を取った時、さらに素晴らしかったのです。王宮の中に問題がきた時、その時、ダビデは王宮を一番安全にさせました。聖書は、なぜこれを記録しているのでしょうか。私たちに同じ答えをくださるという約束です。記録された聖書は、私たちにそのまま成就するみことばだと、ローマ15:4に記録されています。Iペテロ2:6に、記録された神様のみことばは、最後の時、そのまま成就するみことばだとなっています。
■話しを結びます。今から、このように始めれば良いのです。今から常に、働き以前に味わわなければならないことがあります。それが正しく福音を味わえば、道が見えて、正しく神様の国を味わえば、みわざが起きるようになっています。それでこそ、現場に行って証人として祈りの答えの証人で。今日、この契約を捕まえたら、どれくらいやさしいでしょうか。契約だけ捕まえれば、次にみことば成就の証人で。敵に勝って人を生かす証人として。今日の本文です。ダビデが受けた答えを全部、皆さんが受けられます。
■私はダビデのようにだめだと言う人がいるでしょう。私が分かることでは、遅く悟った人が、より大きい働きをします。聖書には、早く悟ったレムナントがいます。ヨセフ、サムエル、ダビデ、テモテ、皆、早く悟りました。ところで、遅く悟った者も聖書にいます。モーセ、遅く悟りました。パウロも遅く悟りました。むしろ、こういう人物により大きいみわざが起きました。年を取っている皆さんは、霊的により大きい力を得る祝福の時間を過ごすように願います。釜山から始まった時、おばあさんと祈ったのですが、私はおばあさんらを捕まえて、することができないと思ったのですが、そうではありませんでした。そのために世界福音化の門が開かれました。年を取った方たちは、新しい力を得るように願います。私が行くと、みっともなかったのです。開拓に行ったところ、釜山でも最も貧しいところが影島区です。信徒30人余りが集まって、教会堂もなくて、何もないのに、おばあさんが三分の一でした。おばあさんの特徴が、献金をしないことです。稼げないからです。おばあさんの祈りの課題は、牧師先生と遊びに行くことです。そのようにワゴン車借りて遊びに行くのに、これがおばあさんのレベルです。誤った考えでした。人材がいるべきで、おばあさんが集まって良いだろうか。多くの実力ある若者たちが集まってこそ教会になるが、おばあさんが集まって教会になるだろうか。よりによって、その週にスヨンロ教会の集会に行ったところ、どれくらい若いおしゃれな人が多かったか、教会はこのようにならなければならないと思いました。私がいつも間違って考えたのです。教会も場所をよく取るべきで、チョン牧師は場所をよく取って、その町は金持ちの町で、私は影島、貧しい町で良い場所が取れなかったと思いました。とんでもない話です。このおばあさんたちが、毎日のように教会にきて、牧師、長老、役員などのために祈ったのです。この祈りが、祈りを知らない人は特別なものではないのですが、祈りを知っている人は、これが最高です。影島12坪、35坪で全世界福音化の門がずっと開かれたのです。祈りの力がどれくらい大きいものでしょうか。亡くなった私の母が、何もしないように見えたのですが、部屋に座って、聖書を開いておいて一日中祈っていました。その答えが今でも来ます。私たちはできないが違うのです。途方もない祝福を受けたのに、のがしているのです。今日、この祝福を新しく回復する皆さんなることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様、今日、私たちがだまされないように霊的な目を開いて下さい。ダビデが受けた答えを私たちに必ず回復させて下さい。世の中に出て行く前に、神様の力を分かる信仰を与えて下さい。世の中に出て行って証人であることを分かるようにさせて下さい。ダビデが受けた祝福を、子孫に伝達する契約の人々になるようにさせて下さい。今日、この祝福が私たちのものであると知って確信する時間になることを祈ります。未信者が知らない祝福の時間になるようにさせて下さい。今日、この場に座って、祈ってみことば聞く瞬間、主の聖霊が、この方たちの現場に働くように祈ります。目に見えない主の天使を送ってくださって、今日、神様の計画が成就されるようにして下さい。それで、明日から毎日、証しを見る証人になるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/キリストの唯一性
(使徒4:12)

■お昼の時、米国に行く学生がいて共に食事をしました。手助けしなければならない学生も、一緒に呼んで食事をしました。その中に、金ソンジン博士の娘が出席をしていたのですが、食事をして、こういう話をしました。少しだけ食べなければならないと言うので、なぜそうなのかと尋ねたところ、2部に眠たくなるからだと言いました。どうしても、2部の前にご飯を食べて聞けば眠りに誘われるのです。今日は、レムナントに対する教師献身礼拝です。重要だから、皆さんが契約をよく捕まえなければなりません。
■ひょっとして、皆さんの中でみことばと自分がよく合わなければ混乱するでしょう。みことばが私とぴったり合ってこそ、神様と通じる人です。それでは、みことばは変えることができないから、皆さんを調整しなければなりません。飛行機が行く道があるのに、そこに正しくついて行くべきで、他の道にどんどん行ってはいけません。今まで私たちの証拠を捕まえたのですが、神様がみことばの中で、私に答えを与えてくださらなければなりません。それが正常な信徒です。悩まずに合わなければ、合わせてみれば良いのです。さらに正常なのは、行ってみればぴったり合うのです。それが、正常な信徒です。レムナントを教える献身礼拝なのですが、どんなメッセージが一番必要なのでしょうか。今日、答えを与えます。キリストの唯一性です。福音手紙二番目の出会いです。それに対する答えであるのと同時に、レムナントに重要な答えです。先生やレムナントが必ず記憶すべきことがいくつかあります。
■私が見る時は五種類の人がいます。実力はあるのに、福音がない人がいます。こういう人がかなり多いのです。世の中的に見れば、正しくほどほどにしています。ところで、福音の部分ではだめになっている人です。それでは、後ほど、どうなるでしょうか。ピンとくることはあるのに、不思議に福音に対してはうまくできないのです。ところで、知らなければ良いのに、分かってはいます。ある時は、牧師よりさらによく分かっています。福音にはそれほどなのに、実力はある、こういう人は多いのです。反対に、福音はなっているのに実力がないという人も多いのです。こういう人がかなり多いのです。ところで、実力はあるのに、福音がないという人は、後ほど失敗します。ところで、福音は持っていて、実力がなければ、いつも貧しくて、いつも難しいのです。
■また福音もだめで、実力もだめな人もいます。これは簡単に話せば、良いことがない人です。二つともだめなのです。比較的、こういう人々が言葉は多いのです。普通、経験してみれば、本物の実力がある人々は口数が少ないのです。どういうわけかよく知らない人々が、お話が多いのです。
■またこういう人々もいます。福音もあって、実力もある人もいます。私たちは、どんな人を育てようとするのでしょうか。答えは出ています。福音もあって、実力もある人です。素晴らしいのです。ダビデがそうでした。レムナント7人がみなそうでした。詩篇78篇を見れば、片方の手には技能、片方の手には信仰と言われています。これが同じように技能を成し遂げたのです。ところで、これを私たちは弟子だと言います。それで、これを育てようとするのが、色々な先生と皆さんがする目的です。
■それから、もう一つがあります。福音もあって、実力もあるのに、そのまま誠実に信仰生活をする人もいます。こうすれば、どんな問題が来るのでしょうか。流れる試みや危機や迫害がくれば、解釈できないのです。これが流れてきた歴史を知っていなければなりません。全部、この人が用いられました。今日、使徒の働き4章12節は、単純なキリストではありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからですと言いました。この話は単純な真理ではなくて、歴史が含まれているのです。今まで、イスラエルの国では福音を持っていたのですが、捕まえないでいたのです。そして、いつも滅ぼされていたと言いました。この話はものすごい話が含まれているのです。原罪の解決者をくださったことがないと言っています。これを歴史を置いて話しているのです。これを無知なペテロに聖霊が臨むので、このように驚くべき時代を見通す知識を得たのです。結局は、こうなれば良いのです。重要です。それで、皆さんは、どんなレムナントを育てなければならないのか、答えが出てきています。
■それでは、本論で簡単にいくつか話をします。なぜキリストの唯一性なのでしょうか。不思議でしょう。未信者が一番理解できない単語です。そのままイエスを信じれば良いのに、なぜ、しばしばキリストを強調するのかと言います。なぜそのようなのかと。未信者はその理由を知りません。驚くべきことに、教会に通う人もそれを理解できなくなっているのです。なぜ、キリストを強調するのかと尋ねます。
■大きい理由3つがあります。キリストという単語でなければ、原罪を解決することはできません。正確に話せば、イエスを信じれば救われるのではなくて、イエスがキリストだから救われるのです。私が副牧師だった時、私たちの教会の執事の中に名前がチャン・イエスという人がいました。姓は本当に良いが、名前が本当に悪くて自分がチャン・イエスだと言いました。その人を信じると救われるのではありません。イエスを信じれば救われるのではなく、イエスは名前だけのことです。名前をもって救われるのではありません。それで、イエス・キリストという言葉が出たのです。キリストでなければ、原罪が解決できません。
■時間も少ないのですが、皆さんが今、重要なこともしなければならないのに、とても複雑に話したようですが、一言で原罪とは何でしょうか。これを分からなければなりません。最も簡単に話をします。原罪は、サタンに捕えられたことです。聖書を見れば、抜け出さなければ大変なことになります。人間はサタンに勝てないから、キリストを送られました。理解できるでしょうか。簡単に話せば、皆さんがいくら良く暮らして立派でも、根本はサタンに捕えられています。だから、私たちは原罪から抜け出さなければならないから、キリストが来られたのです。
■二番目です。たくさんあるのですが、なぜキリストであるべきなのでしょうか。皆さんがよく分かる未信者状態6つを運命と言うのですが、占う必要なく、ぴったりこのままなります。人間の力で抜け出せるのではありません。それで、原罪という言葉は、創世記3章の事件なのですが、サタンに、ぎゅっと捕えられたことを言います。それで、イエス様があなたがたの父である悪魔と言われたのです。だれも教えることもなかったのに、問題が生ずれば偶像崇拝をします。本当に驚くことです。どこの国に行っても、同じように集まって相談もしていないのに、蛇や龍を作ります。本当に不思議です。どこの国にでも行けば、文化研究を深くしてみると、蛇や龍が出てきます。だから仕方ないのです。未信者状態から抜け出せないから、占ってグッ(降霊術)をします。皆さんが大丈夫だと思う知識人も、問題が来てしまえば偶像に陥ります。自分たちは不正をしても、問題がくればそうなるのです。問題がくる前には未信者状態にいることを知らなかったが、問題が来てしまえば偶像に陥ります。それで、医師も直せないマタイの福音書11:28に、おかしな精神病、霊的な病気が来るのです。医師の方がここにいますが、それで、この3つがあるから、使徒の働き8:4-8を見れば、肉体問題が来ます。そして、年を取れば取るほど、問題がくるのです。ルカ福音16章を見れば、年を取って地獄に行きます。本当に不思議です。米国で、ある女性が告白しました。お母さんに悪霊の神が入ってきて苦労をして死んで、自分はそれが嫌いで米国にきたということでした。ところで、これがどうしたことでしょうか。お母さんの問題が、娘にまたきたのです。米国、韓国、関係ありません。マタイの福音書27:25、子どもにそのまま降りてきたのです。ここから完全に抜け出すように神様が簡単な答えを与えられたのですが、それがキリストです。キリストの単語一つで、ここから抜け出してしまって、勝てる力を与えられました。
■これがだめなので、どうしようもありません。全部、嘘をつきながら、苦難が続くのです。それで、不治の病もきて、霊的な病気もきて、苦難が続くのです。ここから抜け出す単語を一つ与えられたのですが、その単語がキリストです。ものすごい単語です。皆さんを見れば、クリスチャンでキリストの意味を知らない人々が多いのです。分かっても、体験をできない人々が多いのです。一度は島に伝道に行ったのですが、一緒に行った人が、今までは知らなかったのですが、島に行って発作をしたのです。発作をしながら、おかしなことをしました。それで、その人を捕まえて、イエスの名前で祈ったのですが、この人がまた戻ったのです。その時になって、そばに付いてきた人が、聖書が本物だと言いながら話をしました。だから、体験ができないのです。私は一番嫌ったのが、皆さんがきて説教をしてくださいと言うのは良いのですが、イエスを信じない人々がきて説教を聞くのが一番いやです。だから、私が説教をしてみた中で、一番難しかったのが、予備軍訓練場でした。本当に大変でした。そして、イエスを信じない学校で、子どもたちを集めて説教してくださいと言うのです。本当に難しいのです。伝えるのが信仰生活ですが、行ってみれば好きなようにはできません。
■ある時、予備軍の隊長が訓練を受けずに説教を一時間しなさいと言ったのです。はいと返事はしたのですが、日が迫ってくるほど悩みになりました。私はそれほど悩みになるとは思っていませんでした。一週間が残ったのですが、何を言うべきか悩みになりました。女の人は知らないでしょう。予備軍が、予備軍訓練場で何を聞きに行くのではなくて、時間をつぶしに行くのです。前職の長官がきて話をしても、新聞で顔を覆って寝ています。それが予備軍訓練です。そして、正常な人々が予備の軍服だけ着れば変になるのです。教会執事である人々も、予備軍服だけ着れば、どこにでも用を足したり、そのようにします。いっそ、一時間訓練を受けた方が良いのですが、心配になって福音も一つも思い出せなかったのです。それで行ったのですが、隊長が30分だけしろと言いました。それで、何の紹介もしなければ良かったのですが、上がったら私の紹介をとことんしたのです。すると、がやがやとうるさく言いました。ところで、壇に立とうとする前に、確信がきました。そうだ、私は証人で立つという気がしたのです。その前までは、ずっと悩んでいたのですが、このように考えるようになりました。それで、私の心に確信ができました。それで上がって話をしたのです。私が誰なのか、こういう序論は抜いて、皆さんに報告することがあると話をしました。精神病がなぜ生じるのか、自殺はなぜするのか、うつ病はなぜ起きるのかをずっと話をしました。それも、全く教会の話をしないで、ある人が事件を起こしたことを話しました。ところで、これがどうしたことか、静かだったのです。それで私が何か食いついてくる感じをつかんだのです。それで、幸いだと思いました。そして、時間が30分になるので、私が30分だけすることにしたと言いながら、やめようとしたのです。すると、一番後ろで背が高い予備軍が1人立ち上がって、遊んでいて何をするのか、聞いてみようと言いました。聖霊の働きで食いついてきたのです。そうしたら、皆が、良いと言いました。この時、瞬間的に知恵が生まれました。人が力が抜ければ言えないのに知恵ができたのです。数年何月何日で起きた事件を福音の中に出てきた事件を説明しました。ぴったり一時間が終ったら、予備軍はしないのに、皆、雷のような拍手しました。それに感動して、私のメインの特技であるイエスを受け入れをさせられませんでした。ところで、前はずっと心配になっていました。実際に、未信者の前に聞かないという人がいれば話しにくいのです。いよいよ、そのような問題がきました。
■私がある中学校にメッセージをしに行ったのです。その学校の校長先生が無理に子どもたちを集めて、してくださいと言ったのです。やはり、この子たちがすごく騒いでいました。全く聞くこともありませんでした。その時、私は母方のおじを思い出しました。母方のおじである張ヨンツル牧師が、中高等学校の集会に行くので、行ってみたのですが、子どもたちによく合わせていたのです。その方は不思議に説教をして、歌も歌ったり踊ることもしました。空軍出身なのに、子どもたちとたくさん相手をしたためか、未信者の子どもたち何千人を集めて上手にしました。賛美を歌いながらも、マイクを投げて受けることもしました。練習をよくしたようです。そのようにたくさん投げたのですが、一度も落とさないでよくつかみました。それを考えたら、より悪くなりそうでした。その時でした。その学校が男女共学であったのに、女子学生1人がちょうど大声で叫んだのです。礼拝途中に発作を起こしたのでした。学生たちがこの子どもを引っ張って、出てきたのですが、ちょうど大声で叫んでいました。私も知らない間に、その子を捕まえてイエスの御名で祈りをしました。ところで、その子が祈りを受ける瞬間から正常に戻ったのです。中高生が完全におとなしくなりました。その翌日からメッセージをすれば、みな効果がありました。校長先生が集会を終わって、今まで中で子どもたちが一番恵みを受けたようだと告白をしました。だから、証拠を見せるべきなのです。私たちはキリストを体験してしまえば変わることなのに、ほとんど知らずにいます。
■なぜキリストなのでしょうか。人間の運命を変えられる単語がイエス・キリストです。サタンに縛られている原罪を解放させたキリストです。それでは他の宗教は何でしょうか。他の宗教が悪いという言葉ではなくて、絶対にキリストではありません。未信者には、必ず話をしなければなりません。未信者が先祖供養をしなければほろびるのですが、イエスを信じる者は、キリストの名前で終えてしまえば絶対にほろびません。解放です。皆さんは何の心配もする必要がありません。キリストをくださったのは、神様が最高の祝福と答えをくださったのです。
■僧侶何人かがタラッパンにきて牧師になって今、勉強をしています。私はいつでも僧侶に話をする自信があります。私と一緒に済州道に行こうと言います。済州道に深刻な精神病院で、僧侶と私が一週間だけ入院すれば良いのです。一週間だけ入院をして精神病者と一緒に暮らせば良いのです。完全に変わります。皆さんが行っても良いでしょう。キリストという言葉がどれくらいすごい話なのか、霊的な暗やみがみな崩されてしまいます。孔子は尊敬の対象ですが、キリストではありません。釈迦も立派な人ですが、キリストではありません。証拠があります。すべての教会が一緒に行こうとするのですが、キリストではないのです。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからですと言いました。私たちは今からどのようにすれば良いのでしょうか。初代教会は、どのようにしたのでしょうか。
■最初です。初代教会は、世界を征服したのですが、結論が出てしまっていました。イエス様が地の果てまで証人になると言われました。イエス様が十字架にかかって、みな成し遂げたと言われました。結論が出たのです。結果も知っています。すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ます。それで、この時代に正しく福音を伝える教会を神様は探しておられます。正しい福音運動に参加する役員を神様は探しておられるのです。神様は正しい福音運動に参加するレムナントを探しておられます。イエス様が直接、どんなことが起きても関係なく、福音が宣べ伝えられた後、終わりが来ますと話されました。皆さんに新しい祝福があることを希望します。
■過程を知っていました。結論が出て、結果だけ分かるのではなくて、過程を知っていたのです。その過程が何でしょうか。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。私たちの役員、執事は、社会生活をするのがどれくらい大変でしょうか。今日、聖霊の大きい力を祝福で受けるように願います。学生たちが学生たちの力で勉強をしようとするなら難しいのです。聖霊の充満した力を受けることを希望します。学生たちは参考にするように願います。
■私は20年前から大学生に話をしていたのですが、20年前からいつもしているのが、長い呼吸をすることです。今は習慣になっていつもしています。それで、音楽をよくする人々が長く生きる理由が長い呼吸です。指揮者や声楽家が90才までたくさん生きる理由が、長い呼吸をするためです。私は20年間、継続しています。いつでもしています。最も簡単に表現をします。皆さんが学校に通う時、体育時間に体育をする前に、何をするのでしょうか。からだをほぐして、長い呼吸をします。それをしなくて走れば、心臓が破裂することもあるのです。運動をみなした後に何をするのでしょうか。長い呼吸をします。それをしなければ、どうなるのでしょうか。皆さんの最も重要な神経関節に問題がくるのです。重病患者が病院にくれば、何を持ってくるのでしょうか。栄養ドリンクなのでしょうか。重病の患者にすぐに呼吸器を持ってきます。それほど重要なのです。それで私たちは長い呼吸をしながら、いつも祈りをしなければなりません。とても重要です。それで祈りの課題を持って祈るのです。定刻祈りをする時は、深くするのです。そうすれば、驚くことが行われます。心配せずにすれば良いのです。一つも難しくありません。祈りは難しくもないのです。一つだけ祈れば良いのです。主イエスの御名で聖霊充満を私にくださいと言えば良いのです。それで皆さんが重要なのは味わえば良いのです。定刻祈りの時間に7つの祝福を味わえば良いのです。定刻の祈り時間に6つの権威を味わいさえすればよいのです。これがキリストの唯一性を味わう方法です。
■最後です。誰がこの祝福を正しく味わったのでしょうか。とても重要です。誰がこの祝福を味わうのでしょうか。時代で伝道運動を味わう人がいて、味わえない人がいます。皆さんがここに同じように座っているのですが、ここで答えを受ける人もいて、受けられない人もいるのです。私が数十万名を伝道訓練させたのですが、歴史が起きる人もいて、起きない人もいます。ある方は本当に感謝すると言うのですが、ある人は知らないという人もいます。
■この唯一性を味わう人です。証拠となります。聖書箇所5ヶ所を見れば知ることができます。神様がなぜモーセを用いられたのでしょうか。創世記3:15を記録しました。神様がなぜモーセ時代を用いられたのでしょうか。出エジプト記3:18を記録しました。その前に用いられた人がいるのですが、神様がなぜノアを用いられたのでしょうか。箱舟の中に入れば生きるということを分かったのです。なぜ神様はバビロンから解放して戻らせるのにイザヤを用いられたのでしょうか。イザヤ7:14に処女がみごもって男の子を産むと言いました。普通の話になりません。マタイの福音書16:16に、あなたは生ける神の御子キリストですと言いました。この聖書箇所5個だけ分かれば皆分かるのです。この中で創世記6:14を抜いても良いのです。この聖書一節4個だけ分かれば、用いられるのです。本当に契約をつかむことを希望します。
■二番目です。神様が誰を用いられるのでしょうか。パウロです。レムナントはよく聞くことを希望します。完全、成功しました。そして、成功をした以前ことをちりあくただと感じたのです。神様が用いられた働き人です。キリストを分かる知識が最もすばらしいと言いました。この人が用いられたのです。皆さんがこの祝福を受けることを希望します。レムナントは無条件に成功しなさい。落胆せずに走りなさい。レムナントには不可能はありません。レムナントは、どんな環境でも生き残ります。レムナントは最高の人類です。レムナントはどこでも死にません。終わりです。これは序論です。そのような程度は、ちりあくたです。私たちの本物は別にあります。世界福音化です。こういう働き人を育てなさいということです。こういう働き人を神様は用いられました。大統領になって、高慢になるのは私たちにはちりあくたなのです。韓国の大統領になるレムナントがいて、なりうるのですが、それはちりあくたなのです。博士、科学者もなるでしょうが、それはちりあくたです。ちりあくたという言葉は、捨てろというような単語ではありません。キリストを知って捨てろという言葉です。そうでなければ、レムナントを今、育てて成功すれば、ちりあくたの中に陥って死んでしまいます。私はこの頃、心配になるのです。以前には立派な人々であったのに、今はちりあくたの中で味わっているのです。それでパウロが、ちりあくただといった言葉を悟りました。お金を少しもうければ、兄弟どうしけんかをします。それでちりあくたなのです。小さい出世をしようと友人を難しくして、隣に害を与えます。それでちりあくたなのです。レムナントは、そのような人物になってはいけません。皆さんは、成功を当然しなければなりません。しかし、そのような程度は何でもないのです。最もすばらしい知識。すべての問題を解決したキリスト。誰を用いられるのでしょうか。Vヨハネ1:2に愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈りますと言いました。霊的な祝福が何か、先に分かる者を用いられます。その次に、全ての点でも幸いを得て、その次に健康だと言いました。ある人は、それを表現が上手なために三拍子だと表現をしました。もちろん、表現が上手かもしれませんが、三拍子ではなくて、順序です。皆さんの名前、レムナントを育てることに参加した皆さんが、大事な程度ではなく、当然な答えを受けます。この時、皆さんに来る答えがあります。
■結論を結びます。皆さんはとうていだめな状況であったのに神様は答えられます。状況がだめな時があります。聖書に状況が良いことがありますか。だめなのに神様は答えられるのです。また背景が全くないのに神様が答えられるのです。こうしたことが行われます。さらにすばらしいのは、危機がきて死ぬようになったのに、奇跡が起こりました。これを見て唯一性の答えと言います。この祝福を皆さんは思いきり受けることを希望します。私は一般信徒を見て理解します。皆さんがどれくらい難しい時があるでしょうか。全部、職場の中にあるのがどれくらい難しいと考えられるか、知っています。そのような時があるでしょう。神様が与えられる霊的な力があってこそ、皆さんは生きることができるのです。こういうレムナントを育てて、世界福音化に用いられる皆さんになることをイエス様の御名でお祈りします。祈ります。

<契約の祈り>
献身礼拝に私たちを呼ばれた神様に感謝します。正しい真の献身をさせてくださることを感謝します。後の日に起きる実を見ながら、神様の前に感謝をもって従順にする、すべての教師たちになるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン