2007年7月29日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/暴虐の者に勝つ霊的な力
(詩140:1〜13)

■今日の2部には世界レムナント大会のリーダーが千名参加するようになります。席が混んで困難になるようです。皆さんの中で、とても眠くなったり、礼拝をささげたくない方は家に帰ってもかまいません。なぜならば、私たちのレムナントが席に座らなければならないためです。外国に行って、夕方に運動がてら歩かなければならないと思ってちょっと歩きました。秘書を呼ぶこともないかと思って、一人で歩いたのです。道を知らないから、まっすぐ行って帰ってきたのです。しばらく行ったら、ちょっとおかしな人々が付いてくるようでした。二人のような気がしたのですが、私に付いてくるような気がしたのです。この人たちが、距離を狭めて来ていました。ところで、外国の特徴が、行ってみれば誰もいないのです。韓国には人々が複雑に行ったり来たりするのに、外国ではいないから、事故が起きても分かりません。そう考えるので、妙な恐れがきました。どうにかして、急いで宿舎に戻りました。今、22人の韓国の人が拉致されて、とても難しい中にいます。ある方は、そんなに危険な所になぜ行ったかと言うのですが、それは知らないから言う言葉です。百年前に韓国の大院君が外国の人を殺した時、トーマス宣教師が入ってきました。そのようにして、福音が伝えられ文化も伝達されたのです。死んだペ・ヒョンギュ牧師は歴史に残る殉教者になると私は思っています。百年前にトーマス宣教師が血を流したのですが、百年後に韓国は世界最大の宣教国家になりました。個人と家族には良くないことだったのですが、大きい祝福になることだと思います。聖書と教会史を見れば、一度ももれなくそうでした。
■世の中には、とても暴虐な人々が本当に多いのです。ところで今日、神様は私たちが詩篇140篇を読むように時間を合わせて下さいました。私は今回の事件を見ながら、アブラハムの不信仰があのように多くの実を産んだのだなあと思いました。ひとりの傷があのように大きい困難を作ったんだなあと思ったのです。アブラハムの息子、イシュマエルの子孫です。その人々がイスラムを作ったり、色々な事があるのです。今後も小さい問題でなく、大きい問題で残るでしょう。世の中には想像以上に、暴虐な人々が多いのです。私たちのレムナントは、特に記憶して行かなければならないでしょう。
■私は大変なことをしなかったのですが、教会の中にもたくさんありました。私が不思議に、幼い時から見たためか、伝道をしなければならないと考えたのです。伝道師の時から無条件に伝道現場に行きました。だから復興するしかありませんでした。私が引き受けた分野で復興するしかなかったのです。度々、現場に行ったためです。私と一緒に仕事をしている親しい友人が私を難しくさせたのです。色々な嘘をつきました。神様も信じない人のようでした。未来もない人のように行動したのです。理由は一つでした。私が復興するので、自分の人気が降りて行ったからです。そこに対する危機を感じたのです。本当に不思議でした。その友人に涙で訴えたのです。何故そうなのかと話せば、申し訳ないと言って、またそのようにしたのでした。
■一度は、ある教会に行って伝道運動をするのに実がたくさん起きました。ちょっと大きい教会でした。すべての教役者が力を合わせて私を難しくさせました。どの程度だったかというと、食事をする時、私以外はみな食べに行きました。また長老様の中で変な方々がいました。度々私を称賛をして、その人々はできないと話をするのです。すぐ話を作って、柳光洙伝道師はある長老と親しいと言いました。小さい困難ではありません。それで、私が影島で開拓を始めたのです。そこで伝道をがんばってしました。影島ではなかったことですが、3年後に使命者が千名集まりました。丸ごと影島の教会が力を合わせて難しくさせたのでした。問題はそこから始まりました。色々な嘘をついても、法律では通じないのです。一般法は問題が起きなければならず、宗教問題は分かりません。難しかったのですが、伝道運動を継続しました。要請を受けて牧師が集まった時に、伝道に対する話をしてくれと言われました。釜山でしたのですが、少しあとで大邱でもしてくれと言われました。後でソウルでも来てくれと言われました。それで、ソウルのフェップル会館で牧師先生を集めて伝道はこのようにするのが良いと話しました。何千人が集まって伝道運動が始まったので、教権が防いだのです。こうしたある日、私に尋ねることもせず異端にしました。尋ねなくてという言葉は、法的な言葉です。本人が認めなければならないのです。この部分、この部門が誤っているか、正しいのか、違うのかと尋ねる時、違ったことを正しいと話してこそ異端に決定するのです。一度も尋ねないで自分たちどうし集まって決定を下したのです。本人が要請すれば言えるようになっているのに、いくら対話しようといってもしてもらえませんでした。こういう方法で、覆ってしまって文章を出して度々発表したのでした。
■それならば、世の中の人々はどうでしょうか。暴虐なこと、この上ないのです。特に政治的にまきこまれれば、さらにそうだということです。私たちはよく知らないのですが、政治家たちになれば、そうなるようです。今日の本文は、サウル王がダビデ王の誤りを話すのではなく、政治的に圧迫した内容です。ダビデの失敗でもありません。ダビデが戦争で勝利して戻って、ゴリヤテに勝ったから人気が上がったのです。ダビデは万を打ち、サウルは千を打ったと話すので、サウル王が狂ったのです。その時からダビデを殺そうとサウルが一生を捧げました。こういう困難をダビデが受けました。普通の困難ではありません。今日の本文は、極限状況で自分がやられた内容を書いたのです。レムナントにお願いしたいのは、私が一つ知らなかったことがあるのです。より一層、周囲の人々に対して、考えてさらに謙虚でなければなりませんでした。私はその部分をよく知らなかったようです。神様が私に教えられたことは、とても謙虚でなければならなかったのですが、考えることができなかったのです。伝道運動がこのように大きく起きるとは考えることができませんでした。当然、福音を伝えると思っていました。そして、多くの人々が起きて付いてきて伝道することを、初めには予想ができなかったのです。いつも私を振り返って、神様の前で、人の前で、謙虚でなければならないのに、それができませんでした。これはレムナントに話した方が良いと思いました。
■ダビデが受けた困難は、普通の困難ではありません。だれかが非難して困難な目に遭うのではなく、殺そうとしたのです。夜に誰もいないのに皆さんを殺そうと誰かが付いてくれば、どうするでしょうか。サウル王が王なのに、王権を動員してダビデを殺そうとしたのです。死の危機は誰でも恐ろしいでしょう。ホテルで寝ていた時に、向かい合った所にホテルがありました。男1人が立って継続して、私の部屋を見つめていたのです。寝られませんでした。それだけだったのに、です。ひょっとしてと思って、鍵をみなかけて、開けていないのか確認して、横になっていても寝られませんでした。何の事でしょう。カーテンを開けて見たら、まだ立っていました。その日の夜は、寝られませんでした。どうせ寝られないならと、カーテンを開いて見つめました。そうしたら、その人は入っていきました。その日の夜に寝られるでしょうか。朝起きてメッセージしなければならないと思うので、さらに複雑になりました。私たちの人間はほとんど似ています。
■一度は光州のホテルで泊まって寝ていたら、電話がかかってきました。すばやく時計を見たら、2時でした。2時は正常な人は歩き回りません。電話を受けたところ、すぐに「牧師先生、私です」と言いました。語り口が光州の人でした。誰かと尋ねたところ、名前を話しました。私は思い出せなかったのですが、忘れてしまうこともあるので、どんなことで電話をしたかと言ったら、急な事で牧師先生に会いたいと話しました。なぜ今、私に会おうとするかと尋ねたところ、会って申し上げると言いました。分かったと話して、受話器をおいてから、こんな夜になぜ私の部屋に訪ねてこようとするかと思いました。私自ら怖くなったのです。私がすぐにフロントに電話をして、私を訪ねてくるという人は誰かと尋ねました。その人が牧師先生が呼んだと話をしたということです。それが嘘です。私は呼んだことがないと言ったら、普段、光州のホテルのエレベーターはのろいのです。これが良かったのです。ホテルの職員が感づいて、誰かと、申し訳ないが身分証を見せてくれと言ったら逃げたのでした。だから、またフロントから電話がきて、逃げて探せなかったと言いました。眠れるでしょうか。それで、また寝られませんでした。
■人がこういう恐れや困難がくれば寝られません。抑留されているその人々も、寝るに寝られないでしょう。こういう困難をダビデは長い間、受けていたのです。しかし、ダビデは完全に勝利して、神様の栄光を現わす王になりました。それなら今日、ここで何を捜し出さなければならないのでしょうか。ダビデを通して私たちが必ず持つべきことは何でしょうか。どのようにダビデは勝利したのでしょうか。いくつかのことは、必ず記憶しなければなりません。
■最初です。ダビデは、普段の時の祈りに勝利しました。この部分がとても重要です。困難がくれば、普段の時にどのようにしたかが問題です。普段の時に多くの祈りの力を持った人は大丈夫ですが、普段の時にそれができなければ、困難きた時、とてもうろたえます。ダビデは普段の時に定刻の祈りをいつもしながら神様の力を受けた人です。定刻の祈りの時、何をすれば最も良いのでしょうか。他の人は多くの祈りをするのですが、福音を味わう祈りが最高です。それだけすれば、皆さんに3つの答えがきます。定刻の祈りの時、神様がくださった力をずっと受けていたら、ある日、見れば答えの座に来ています。ある日、成功の座にいます。戦うこともしなかったのに、ある日、征服の座にいます。定刻の祈りをする時、どんなことが起きるのでしょうか。ダニエルに、ダニエル6:10で定刻祈りをした時、どんなことが行われたでしょうか。すばらしいことが行われました。皆さんがおわかりの通り、午後三時の祈りの時間に、という言葉は定刻の祈りのことを言います。ペテロが皮なめしのシモンの家で定刻の祈りをした時、どんなことが行われたのでしょうか。ものすごいことが行われました。皆さんが神様の子どもであるから、福音を味わう祈りをするようになれば、神様は聖霊で確かに働かれます。目に見えないから、多くの人々は知らずにいるのです。さらに重要なのは、聖霊が皆さんを導かれるようになっています。今日、ここに座っておられるのに、神様は皆さんが祈る時間に、主の使いをその現場に派遣されます。皆さんはここで祈っておられるのに、神様は皆さんが行かなければならない、そこの暗やみの勢力を縛られます。それでは、なぜ皆さんが行かなければならないのでしょうか。行きさえすれば、神様の国が臨むようになるのです。この時から変化が起きて、弟子が起きます。この祝福がものすごいのです。
■ダビデは、幼い時から詩78篇を見れば、多くの詩を書くほど祈っていました。この部分がとても重要です。ダビデは普段の時に、いつもみことばを黙想したということは、常時祈りを言います。表に出す必要もありません。常時祈りということは、全く表に出ない祈りです。ヨセフが奴隷をするのに、どうして祈れるでしょうか。そのまま仕事をしながら祈ったのです。多くの学生たちが尋ねるのに、信仰生活して勉強するのが大変だということです。合わせればやさしいのです。勉強別に、祈り別にすれば大変です。皆さんの勉強を完全に祈りの中ですれば良いのです。勉強しながら祈りながらしなければなりません。とても重要なことなのに、現場が変化します。皆さんはそのように祈っているのに、暗やみの勢力がうち砕かれて、神様があらかじめ答えられたことを見るようになります。これになったその時から、みことば、礼拝が成功できるようになります。皆さんが礼拝をささげにきて、聖書だけ読んでも、神様が私に答えをくださるのだな、とならなければなりません。そうすれば、皆さんは正常で、本来の場にいるのです。詩篇140篇をわざわざ読んだのではないのですが、今、今日起きたことと全く同じです。皆さんが礼拝をささげる時ごとに答えを受けるようになります。そうしてこそ、人も生かして、教会も生かして、世界を生かせます。皆さんが普段の時の祈りに勝利するよう願います。
■だれが何と言っても、普段の時、祈る人はずっと勝利することができます。誰がどうだと、何と言っても、皆さん個人が神様の前で恵みの力を味わっていれば、ずっとみわざが起きます。ダビデはいくら困難がきても勝てたのは、普段の時の祈りに勝利したということです。
■二番目です。ダビデが危機に会った時ごとにどのようにしたのでしょうか。危機に会う時には、今日の本文に出てきたように、3つを確信していました。4節を見ると「主よ。私を悪者の手から守り、暴虐の者から、私を守ってください。」と言いました。6節にも「私は主に申し上げます。『あなたは私の神。主よ。』」8節にも「主よ。悪者の願いをかなえさせないでください。」12節にも「私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行なわれることを。」と言いました。ダビデが持った最初の確信です。主成る神様は全てを知っておられるのです。ダビデが持った確信です。サウル王が見るには愚かな確信ですが、ダビデが持った確信です。神様はご存知です。ある記者がきて「牧師先生、じっとしていずに、文章をどんどん書かなければなりません。資料になるから牧師先生の悪口を言うことだけ資料が積もって、牧師先生の資料はない。ずっと戦って資料を残さなければならない」と言いました。記者に神様がご存知だと言いました。すると、その方が面白い話をしました。神様はご存知ですが、記者は知らないと言いました。どんどん残してくださいと言ったのです。その方の言葉も正しい言葉です。しかし、絶対にそうではないのです。神様は私たちの全てを知っておられるので、ダビデはそこに対する確信があったのです。親が私を捨てても、主は私を捨てられない。ダビデが持った確信です。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと言いました。私の力になる主よ。私は主を愛します。サウル王が見るにはまったく愚かな言葉ですが、ダビデはそれが最も貴重な言葉でした。滅びる者が見るのには、愚かな話しのように聞こえるのですが、勝利する者には最も正確な答えになります。無知な私が、どのように伝道をするようになったかというと、こういう困難を受ける時、神様がご存知だ、神様がなさったことだと思ったのです。その時から押さえられることもなくて、苦しいこともありません。神様がなさるためです。
■ダビデが二番目に確信したのが何でしょうか。6節から11節です。悪人は必ず滅びて、災いの中に陥るようになるのです。だから私がする必要もありません。ダビデは戦わないで勝ちました。サウル王と戦わなかったのです。孟子もこういう話をしました。百回戦って百回勝つのは上手な戦いではない。上手な戦いは、戦わないで勝つことだ。そうです。サウル王とダビデは一度も戦わなかったけれど勝ったのです。そこに対する確信がありました。12、13節には、ダビデが救いに対する確信を告白しました。12節に「私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行なわれることを。」13節に「まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。」ダビデは確信がありました。普段、祈りの力を持っていて、問題がきた時ダビデは確信を持ったのです。確かに神様は知っておられます。愚かな話しに聞こえるのでしょうか。神様が知っておられます。愚かな者の話しに聞こえることがあります。ダビデはそれが最も貴重な話でした。神様が知っておられるのです。悪人は確かに滅びるようになります。神様は信じる者を救われる神様です。まちがいなく、そうなります。これに対する確信がダビデにはあったのです。
■私は22人が抑留されて不安に思っているようですが、みことばを与えたいのです。恐れるな、二つのうち一つです。大胆に。二つのうち一つです。契約を捕まえなさい。二つのうち一つです。聖書を見なさい。聖書に信仰の人々が聖霊の感動がどういうものでしょうか。あなたが今日、火の中で入って死ぬか、この場で降参するか。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴに王が質問しました。世界を動かす127州を率いるネブカデネザル王の質問です。一度だけここにお辞儀をするか、そうでなければ火の中に入るか。その時、この三人は、大胆でした。王よ、そこに対しては答える必要がないと言いました。王を侮辱する言葉です。王が問う言葉に答える必要がないと言ったのです。重要な話をしました。私たちが火の中に入れば、主が救い出して下さるだろう。その後の言葉がさらに重要です。たとえそうでなくても、主が私たちを救い出されなくても、私たちはここにお辞儀をすることができないと言いました。火の中に入るという言葉です。すごいのです。それは神様がくださった心です。そのような心を持たなければなりません。そうでなければ、本人自ら困難の中に押さえられて死にます。
■ダニエル6:10に何となっているのでしょうか。調書に御印が押されることが分かっても、他の神、主を崇めれば殺すという死刑法に王が御印を押したのに、それを知っていたのです。ダニエルを殺そうと法を作ったのでした。それを知って、窓を開いておいて、一日に三回ずつ感謝しながら神様に祈ったのです。それがやさしいことでしょうか、死が迫ってくるのに。私はそのように見ません。神様は信じる者に死や危機が迫ってくれば、大胆さをくださいます。それが救われた者です。その時は、聖霊が働かれます。チュ・キチョル牧師を見て下さい。日本の神社にお辞儀をするか、あなたが死ぬかと言われた時、一死覚悟と言いました。何度も死ぬか、私が何度も死ぬならば、このようにも死んでみて、あのようにも死んでみるだろうが、一度、死ねば終わりだ。どうせ一度は死ななければならないのに、どのようにここにお辞儀をして死ぬのか、偶像の前にお辞儀をして、日本の神社の前でお辞儀をして少し生きて死ぬのか。すごかったのです。そのような方が、韓国教会を生かしたのです。ある人は死んだ人もいて、生き返ってきた人もいます。だから、とても恐れるのをやめて、神様に完全に任せなさいということです。信仰に勝利した人は、みなそのようにしました。ダビデがそのような信仰でした。私が死ぬ、生きるということは、神様の御手にあるのではないでしょうか。神様が全てをご存知なではないでしょうか。悪人もご存知なではないでしょうか。悪人も確かに滅ぼされるのではないでしょうか。救いの力が神様にあるということをダビデは知っていました。皆さんもそのように生きなければなりません。どうせ生きるか死ぬかなのに、この世で恐れる必要がありません。人は、聖霊が働かれなければ怖がって生きられません。
■私が知っている牧師夫婦は、そのためにけんかをしました。日本で泊まっていたら、ホテルで地震がおきたのですが、牧師先生が奥様をおいて逃げたのです。いくらそれでも一緒に行くべきなのに、置いて一人で逃げたのです。ずっと地震がおきれば良いのに、地震が終わりました。奥様が、そのようなことがあるのか、私が妻でなくても、他人であっても、人が危機にあって一人で逃げても良いのかと言いました。牧師先生が面白い返事をしたのです。思わずそうなったと言いました。正解です。われ知らず、怖くなって走ったのです。人はそうなります。ところで、死の前でどのように大胆になるのでしょうか。それは神様がくださる力です。ステパノを見てください。執事なのに、聖霊が充満していました。神様がくださった力です。生きる、死ぬは神様の力です。牧師先生一人が亡くなったのですが、そのようなことがあるかと言いますが、簡単に解釈してはいけないのです。ステパノはメッセージをただ一度して死んだのですが、その影響は今まで及んでいます。遠い地域に行って血を流した牧師先生のメッセージは永遠でしょう。人生は、簡単に終わるのではありません。神様のみことばは、今でもずっと成就しています。
■三番目です。ダビデはそのように勇気だけ持っていたのではありません。機会をのがしませんでした。全部、機会でした。ダビデは機会をのがさなかったのです。それが三番目に私たちが捕まえなければならないことです。問題がきたり、良いことが来たりしたら、神様の計画を捜し出さなければなりません。この機会をダビデはいつでも命を担保にしました。ゴリヤテと戦いに出かける時、命を担保にしたのであって、ゲームをしにでかけたのではありません。ゴリヤテが侮辱するのを聞いて、ダビデが戦いに出たのは、命を担保にしたのです。兄たちは、お前は幼い時から高慢だったと叱責しました。ダビデが答えるのに、理由があると言いました。理由がないでしょうか。サウル王の前に行ったところ、お前が戦えるのかと尋ねられました。彼は将軍で、お前は幼い子どもなのに戦えるのかと言われたのです。主は私を獅子の歯と爪から救い出して下さった、それで羊一匹なくしたことがない。まして、主を侮辱する者の手から私を救い出して下さると信じる。鎧もつけずに走って行ったのです。走って行って簡単にした話が、お前は剣と槍をもって出てきたが、私は万軍の主の御名によって立ち向かうと言いました。その前の話がさらに重要です。お前が侮辱する主の御名で立ち向かうと言いました。すごいのです。ダビデは本来、文章を良く書いた人なので、語法がすごいのです。お前が侮辱する主の御名でと言いました。人間の救い、命は剣にあるのではなく、主の御手にある。今日、主が生きておられることを全世界の国々に証明する。幼いダビデがすごいのです。今日、主がお前の首を私の手に与えられたのだと言いました。とても詩的に話したのです。簡単に話せば、お前は今日、死んだということなのですが、主がお前の首を私の手に与えられたと言いました。私ならば、お前は今日死ぬと言ったでしょう。その言葉なのに、ダビデがあまりにも詩人だったので詩的に話したのでした。
■その時、ゴリヤテがした話があります。私を犬だと思っているのか、棒はなぜ持ってきたのかと言いました。棒にひもをくくって撃つものを持っていたので、棒はなぜ持ってきたかと尋ねたのです。それがゴリヤテの最後の話になりました。人は、最後の言葉も良くしなければなりません。たわごとを言って死んだのです。自分は冗談だと思って、冗談を言って死にました。とても見くびったのです。皆さんが死ぬ時も、よく死ななければなりません。ある人は、死ぬ時、悪口を継続してふとんをみな破って死ぬ人がいます。「お前は私を犬だと思うのか、棒はなぜ持ってきたのか」が最後の言葉です。ダビデが自分の紹介を簡単にして、すぐに走って行きながら投げたのです。私たちのレムナントは記憶しなければなりません。どれくらい熟練していたか、止まって投げたのではなく、走って行きながら投げました。これがレムナントが捕まえなければならない契約です。弓は止まって撃つのですが、銃もそのようにするのに、どれくらいよく撃ったのか、走って行きながら撃ったのでした。ダビデが走って行きながら投げたのです。投げたが、鎧、かぶとを着ていたのですが、額は空いていたのです。その空いている場所に正確に当たりました。どれくらいすごいでしょうか。いくら将軍でも、目はあけて通わなければならないから、額が空いていたのです。事実、眉間は重要なところです。額と脳天の部分が剣道としては正面の部分という所ですが、叩かれたらまっすぐ行きます。これが当たって落ちたのでなく、食い込んだのです。ある人が私に手紙をくれたのですが、ダビデが石を投げる時、その石が時速何 kmに飛んで行ったかを分析して送ってきました。その紙を見たら、ダビデが投げる時、時速150km/minは越えていました。飛んで行って、まっすぐに突き刺さったのです。ある程度、飛んで行けば、穴をあけて落ちるはずなのに、弾丸のように入っていきました。人の頭に銃を撃てば、どうなるでしょうか。傷をつけて落ちるのか、打ち込まれるでしょうか。打ち込まれるでしょう。そのような練習はする必要がないのですが、とにかく打ち込まれます。それは、ダビデが投げた石がどれくらいはやかったのか、弾丸と同じだったということです。これが打ち込まれてしまったのです。どれくらい強く打ち込まれたのか、ゴリヤテが叫ぶこともできず、そこに倒れてしまいました。大声で叫ぶのは、少し痛い時です。本当に痛ければ、どなり声も出ません。当たって、すぐに倒れました。
■このダビデがすべてのことに、戦場で危機に会った時、全部、神様の前で命を担保にしました。レムナントは恐れる必要がありません。皆さんに機会がくれば命をかけましょう。勉強も命をかけましょう。継続する時間がありまえん。機会がきたら命をかけましょう。そうするうちに死ねばどうなのでしょうか。死ねば良いでしょう。怖がる必要がありません。ダビデは、神様の計画を発見して、生命を担保に走りました。全てのものを機会にしたのです。これが必要です。ダビデは、兄たちが自分をばかにする時、羊飼いとして羊を飼っていました。どれくらい良いのか、兄たちと一緒にいたとすれば、お手伝いもさせられたのですが、羊飼いでありながら、詩も書いて、文章も書いて、音楽もして、祈りもして、それと共に技術も磨くなど、全部、機会にしました。ゴリヤテに会った時、恐れたのではなく、ペリシテの国に主を説明する機会にしました。サウル王が自分を殺そうとする時、逃げ回りながら、本当に祈りながら準備する機会に、歴代の王で最高の準備をしたのです。逃げ回りながら祈りを準備して、心を準備して、人を準備したのです。王になった時、普通、自分の業績を残そうとするのですが、神様が最も望まれる、その準備をしました。機会をのがさなかったのです。最後の時、息子が反乱を起こしたのですが、下の臣下が反乱した時、ダビデが逃げながら何を考えたのでしょうか。本当に王宮を堅くする機会だと思いました。知らなかったら大変なことになるところでした。その時、ダビデ程度なれば、涙で行ったり来たりしなかったでしょう。むしろ幸いだな、今、この大騷ぎが起こったことが幸いなことで、私がいない時に起きたらどうなっただろうか。あの臣下があのように悪質だとは知らずに死んだとすれば、大変だっただろう。だから、全部、機会にしました。
■これがダビデが勝利した奥義です。皆さんは、何の心配もせずに普段の時に力を受けるように願います。皆さんは世界福音化する重要な方々です。私たちのレムナントは、これから未来を担って行く重要なメンバーです。毎日、力を受けましょう。毎日、神様が与えられる力を受けましょう。危機に会った時、完全に神様の契約を捕まえて、確信を持って命をかけましょう。すべての問題は機会にしましょう。これがダビデが持った祝福です。ダビデは福音の中にいたので、福音を味わえば最高の祈りになるのです。
■話しを結びます。今日のみことば、これが皆さんの中にいつもなければなりません。聖書をいつも読めということではありません。どんな一節でも、今日のみことばにならなければなりません。ひょっとしてない方もいるでしょう。私の人生のみことば。ないのでしょうか。それでは困ります。今日から探さなければなりません。ダビデにはありました。神様が私に与えられるみことば、それを探さなければならないのです。みことばは、すなわち神様です。ものすごいのです。不信仰な人が何と話そうが、話すまいが、神様が皆さんに現れられた方法はみことばしかありません。それでみことばを通してキリストとして来られて、みことばが肉体になったということです。マタイ24:14を30年前に捕まえました。救われる人はとても多いのですが、信徒は伝道ができないな、伝道しなければならないと捕まえたのです。ところで、特徴は、このみことばは、一生で答えがきます。これが神様のみことばです。20年前に悟ったのです。伝道は、今のようにしてはいけない。聖書のようにしなければならないと悟ったのです。弟子です。今までずっと毎日、答えがきました。驚くことです。毎日、答えがきました。10年前に悟りました。大人たちは門で、土台だ。本論はレムナントだ。レムナントを育てるべきだと、飛行機の中で悟りました。ところで、その時から今まで毎日、答え来ました。すごいのです。これが神様のみことばです。だから、皆さんも答えを受ける奥義を分からなければなりません。
■今日のみことば。今日の祈り。これがあってこそ、一生の祈りの課題が出てきます。今日の祈りがある人はどうなのか知っていますか。パウロが告白するのに、四方から囲まれても窮することはない。困難もあります。倒されてもほろびない。そうです。困難がきてもほろびないのです。これが神様がくださった重要な答えです。今日の使命。今日の伝道。これを悟ったが20の戦略が出てきました。神様は正確に答えられます。未信者が何と話しても、知識人が何と話しても、神様は正確に答えられる神様です。神様がいるのかと尋ねるその人の命を神様が治めておられます。信仰生活を何でそこまでする必要があるのかと尋ねる、その方の葬式の日を神様が備えておられます。神様がいないと話す共産主義を倒した人が神様です。神様が死んだと話したその人が精神病院で呼んだ人が神様です。仕方がありません。正確です。それで、皆さんがこれを捕まえなければならないのです。
■さらに重要なのは、皆さんの周囲に、家族、友人、同僚がいます。重要な方々です。しかし、さらに重要なのは、皆さんが恵みを受けて祝福を受けるのは一人なのです。家族が必要ないという言葉でなく、私が恵み受けなければなりません。友人が必要ないという言葉でなく、私が恵みを受けなければならないのです。私の経験ではそうです。いくら親しい友人でも、自分に損になれば嫌います。皆さんを嫌わない方は、主なる神様です。夫婦も徹底的に契約と計算が入っていて、契約に合わなければ嫌います。自分の有益にならなければ嫌います。ある時は、親子間でもそうです。子どもたちを勉強させようとする理由が何でしょうか。子どもが度々下手するとなぜ嫌うのでしょうか。昔には娘をずっと産めば嫌がりました。計算してみると、後ほどご飯を食べられないと思うので嫌がったのです。私たちの人間は、ダビデのように一人で恵みを受けなければなりません。レムナントには背景があります。レムナントは、両親が祈っています。それが必要ないという言葉ではありません。しかし、さらに重要なのは私と神様です。私の力になる主よ。私は主を愛します。最後にソロモンに遺言した時「あなたは努力して、男らしくなれ」と言いました。そして「主を知りなさい」と言いました。ソロモンは「創造者を覚えよ」と遺言しました。結局、皆さん個人が恵みを受ければ、皆さんは多くの人を生かすようになります。
■今日もう一度お話します。いつでも探しましょう。どこでも、ここに座っても、今、受けた答えが何かを探さなければなりません。今まで受けた答え、今まで受けた恵み、成就したみことばが何なのかを探しましょう。今まで伝道の祝福の中に、私がどのように生きてきて、どのあたりにいるのかを探しましょう。この質問だけしても、ものすごい働きが起きるでしょう。皆さんが持った契約のみことばは、未来を生かして、皆さんの家系を生かして、みな生かすようになります。今日、ダビデの信仰を回復する祝福の日になることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝いたします。ダビデが持った信仰を私たちに与えられることを感謝します。常に神様が与えられる力を得る聖徒になりますように。重要なこの方たちが、毎日、力を受ける神様のみわざが、ダビデのように起きますように。危機に会った時、神様のみことばを正しく捕まえる、驚くべき恵みを与えてください。ダビデ王のように、全てを機会にする祝福の人々になりますように。福音にあって、キリストの中で証人になりますように。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン。



2部/なぜ他の道はないのか
(ヨハネ14:6)

■感謝します。レムナントリーダーが1000人集まっています。
■ある人が、3年間、ユダヤ人と一緒にいたと言いました。簡単に話せば、海外で職場に通っているのです。どれくらい、節約するか驚いたと言いました。どの程度、節約するか、手紙が来たら、隅の空いた部分をはさみで切り取っておいて、次回にメモ紙にして書いたと言いました。その程度ならば分かります。それで、3年間、お金を貯めたということです。3年、貯めたので、たくさん貯まったでしょう。それで、後ほど行くと、互いにパーティーもして、挨拶もしました。ところで、驚くことはそのユダヤ人が、その日の夜にどこかへ行って、何かを買ってきたということでした。それで何を買うのか尋ねたのです。3年間、貯めたものを持ってみなはたいて買ったのです。それで何を買ったのかと見たところ、絵を買っていました。それで、その絵のために3年間、そのことをしたのかと尋ねたら、そうだと言いました。なぜ買ったのかと尋ねたところ、息子に与えようと買ったということでした。息子がこれから画家になるために、息子に与えるつもりだと言いました。それでびっくりしたのです。だからユダヤ人が世界を征服するのです。
■今日は、教会1000ケよりさらに重要な1000人のレムナントリーダーが参加しています。その上に、今日、教会は一般信徒宣教献身礼拝です。それで、私がタイトルを私一人で変えました。レムナントのための一般信徒宣教献身礼拝です。なぜ他の道はないのでしょうか。イエス様が直接おっしゃったのです。イエス様が直接、わたしによらなくては、父のところに来る者はないと言われました。特に、今日、献身礼拝をささげる人々、そして、レムナントが参加しています。皆さんが序論でただ一つのことを記憶しなければなりません。皆さんが眠たくなる可能性があるので、できるだけはやく終えます。ある人は、今、メッセージもしなかったのに、アクビをしています。それで、はやく終わらせろということだと理解して、はやく終わらせます。
■私はがんばる人は、それほど好きではありません。それは後進国でする話です。私たちは、しばしば、がんばれと言います。がんばって、とも言います。それではいけないのです。必要なことをしなければなりません。必要ないことをがんばっても良いでしょうか。それで、日本に行ってみれば、韓国よりはるかによく暮らす理由があります。物を置くのにも置く理由があるのです。それが日本人です。だから勝つのです。韓国の人は、どこにでも出しておきます。そのように韓国の人々は暮らしているのですが、そうではないのです。それで、私が知っていることでは、日本が韓国より100年ほど先を進んでいます。私の目で見るには、そうです。私が日本に10年ほど行き来したのですが、私が見るには、日本の人々が韓国の人々を約100年ほどを先に進んでいます。商売、物ではなく、頭が先を進んでいます。日本の人々の引出しを一度開いてみてください。整理されています。韓国の人々のを開いてみてください。私は以前に、人の家の引出しを開くのが趣味でした。盗むのではありません。開けてみれば、不思議なことがみな出てきます。くつした、ストッキング、変なことがみな出てくるのです。止めさせられません。話も必要な話があります。それで、レムナントらは必ず記憶をしなければなりません。そして、皆さんは今から習慣を身につけなければなりません。行くことも、なぜ行かなければならないのか考えなければなりません。お金を使う時も、なぜ使うのか考えなければならないのです。必ず使わざるを得ないのか、考えなければなりません。使わないということではありません。勝手にバカのように生きてはいけません。だから、その一つ質問にどれくらい重要なことが入っているのか、分かるのでしょうか。だから、何故すべきなのでしょうか。そのような質問がなければなりません。それで、無条件にがんばってはいけないのです。私が人々を見れば、ほとんど神様の導きを受けません。その話は、皆さんが少しだけ導きを受ければ良いということです。
■普通見れば、本当にだめな話ですが、外国に出る人々を見れば、そうではないように見えることがとても多いのです。事業はしてみないので知りませんが、教会の開拓や仕事をする人々を見れば、そうではないという考えに多く引っかかります。それでは、いつもそのように生きてきたということです。問題は、すべての祝福をみな受けたが、これからそのようにずっと生きるということです。それを心配すべきなのでしょうか。しなくて良いのでしょうか。ものすごい祝福をみな受け取っておいて、みなのがすのです。私は特に米国に行ってびっくりしました。すぐ開拓をして、ある日、すぐ止めるのを見て、なぜそうだろうかと思ったのです。しかも、すぐ合わせて、すぐ別れるのを見て、何をするのかと思いました。だから理解できないのです。まだ理解できなくて、尋ねることができていませんが、あのようではいけないことだと思います。何かを深く考えて導きを受けなければなりません。神様は私たちを呼ばれる時、全てをみな準備しておかれました。そうでしょう。神様がモーセを呼ばれた時、全てが準備されていました。そして、神様が初代教会を呼ばれた時、全て準備ができていました。道だけ探して行けば良いのです。だから、今回、大学宣教の最初のメッセージが、道をよく探すことでした。それで、皆さんは少しだけすれば、成功するようになっているのです。神様は、皆さんを呼ばれる時、すでにみな準備しておかれました。
■レムナント7人を見てください。ヨセフの兄たちは、いつも考えることが食べて着ることだけでした。ヨセフは道を探したのです。私がこれからどうなるのか、神様が何を喜ばれるのだろうか。だから、ものすごく違いが生じるのです。全く難しくありません。ヨセフの兄たちは、いつも食べて着る考えに追われて、ねたんだりもしました。だから、ヨセフは少しだけ祈りをすれば、答えを受けられたのです。モーセ時代を見ると、人々が全部、出世をしようと血眼になっていました。だから、少しだけ主を見上げれば良いのです。聖書を静かに見るように願います。サムエルが何をしたのでしょうか。エリヤたち2人が何をしたのでしょうか完全に堕落していました。だから、教会が完全に福音がなくなってしまったのです。この時、サムエルが契約だけ捕まえたのに、みわざが起きました。ダビデの兄たちを見てください。神様を知らなくて、肉体的なものだけ考えていました。勇気もありません。だから、サウル王時代にゴリヤテと戦える人が1人もなかったのです。互いに出てこなければならないのに、出て来ませんでした。だから、サウル王が話をしたのです。もしゴリヤテに勝つ人がいれば、自分の財産の半分を与えると言いました。自分の娘も与えると言ったのです。王の婿になるのです。財産の半分ももらえるのに、誰も出て行きませんでした。出て行かない理由は何でしょうか。おじけづいて出て行かないのです。この時、だれが出て行ったのでしょうか。ダビデが出て行きました。それで、ダビデが婿になったのです。だから、何も難しいことでもないのに、毎日、とんでもないことに苦労するのです。私たちが立派な人でないにしても、神様の契約を少しだけ捕まえて、少しだけ祈っても答えがきます。これがダビデ時代の話です。エリヤ、エリシャ時代を見ましょう。全部、福音はのがして、宗教だけ残ったのです。偶像に陥りました。だから、エリヤ、エリシャが契約だけ正しく話しても、みわざが起きたのです。いよいよ何の時代がきたのでしょうか。完全に滅びて、完全に奴隷になってしまったのです。それで、メッセージだけ捕まえてもみわざが起きます。初代教会時代は、全部、教権に捕われて、利益だけ追い求めていたので、なるはずがありませんでした。この時、あなたは生ける神の御子キリストです。当然、働きが起きます。全部、益を得ようとしているのに、1人があなたは生ける神の御子キリストですと言いました。何を献身するのでしょうか。それが重要です。
■今日レムナントと献身礼拝をささげる人々、特にレムナントリーダーは、成功をしようとするなら3つのことを必ずしなければなりません。成功をしようとするなら、3つのことをしなければならないのです。二番目です。滅びにないようにしようとするなら、唯一性が何か分からなければなりません。皆さんが滅びてはなりません。それなら、これを分からなければなりません。三番目です。世界を征服しようとするなら、何をすべきでしょうか。誰がなんと言っても、世界を征服する道は一つしかありません。何でしょうか。唯一性の答えです。唯一性の答えがきてこそ、世界を征服するのです。唯一性の答えを受けてしまえば、世界征服は簡単です。この3つです。
■献身礼拝をささげる方たちは、レムナントに献身するのが一番良いのです。これから皆さんが本当に祝福を受けようとするなら、私たちの教会が遠い辺境地で勉強を出来ずにいる子どもたちを養子にして、勉強させることが、とても祝福を受けることです。ケニアに行ったところ、ケニア市内だけで、学校に通わないで歩き回る子どもたちが多かったのです。ある面では、宣教師1人を派遣するのに、一人当りお金がものすごくかかります。ところで、宣教師一人当たりお金が30万円がかかるなら、その学生1人は1万円しかかかりません。その学生に1万円を送ってあげれば、勉強、いろいろなことをみなできます。それでは、何人を育てることができるでしょうか。すでに30人にさせることができます。その中で福音を持った成功する人物が出てきますし、福音を持っていなくても、どれくらい幸いなことでしょうか。だから、私たちが価値があることをしなければならないのです。この話は、やさしい話しです。私は以前に、教会で仕事をして、これが正しいのかと質問をしたのですが、答えを受けのです。教会をいくらしても変化せず、答えも来なくて、違ったようだったのですが、ある日の夏に答えを受けました。夏の聖書学校でお金はものすごくもらって騒いで、福音もなくて、のどが着かれてしまいました。私のおもな特技は、のどが強いことなのですが、のどが枯れてしまったのです。その時、私が神様にこれが正しいのですか質問しました。そして、教師たちが集まった時、夏の聖書学校を必ずしなければならないのかと尋ねたのです。すると、部長の長老が理解できなくて、しなければならないと話しました。何のためにしなければならないのかと尋ねたところ、単にしなければならないと言いました。私は、その時、タラッパンを悟ったのです。正しいな、その時から、タラッパンを悟って、現場にメッセージがみな回復しました。今日、皆さんがよく見てください。無条件にがんばるのは、後進国でする話です。積極的な考え方は、後進国でする話です。本当に勝利しようとするなら、必要なことをしなければなりません。
■最初です。レムナントは、記憶しなければなりません。皆さんが成功をしようとするなら、3つを持っているべきなのですが、最初に合理性がなければなりません。合理性ということは、他の人が理解できる客観性を言います。それは、事実性を言うのです。
■二番目です。皆さんが成功をしようとするなら、主観性がなければなりません。これを専門性と言います。これを必要なことをする必要性と言うのです。
■三番目です。皆さんが成功をしようとするなら、本当に人間性がなければなりません。皆さんに人間味がなければならないのです。素晴らしい人にならなければなりません。そして、本当に人生、福音の味を分かる人にならなければなりません。素晴らしいレムナントになるように願います。皆さんの教会も素晴らしい教会になるように願います。素晴らしい人とは誰でしょうか。友達同士でも素晴らしい、見たい、会いたいとならなければなりません。会ったところ頭が痛いとなってはいけないのです。家に帰りたくなければなりません。帰りたくないが、しかたなく帰る。それは、事実は誰かの誤りだという前に、大きなことが起きるのです。このようにしてこそ、成功します。これが何の話なのかと思うでしょうが、想像以上にだめになっているのです。私が学校を伝道しに行ったところ、高校生が話をしていました。学校生活の中で一番孤独なのが何かというと、伝道が出来ないことだと言いました。学校のなかで本当におかしな先生が4名いるのに、その4名が全部クリスチャンだということでした。恥ずかしくなるほどだということでした。だから、合理性がないのです。その人を見ると、本当に合理的だ、何か対話にならなければならない、ところで良く見たところ、その人が何かがある、さらに詳しく見たところ、その程度ではなくて、この人は何かを持っている、知ったところ、福音を持っている、知ったところインマヌエル教会に通っている、それでこそ、私も行ってみようかと言うのです。一緒に仕事をするのがあまりに荷が重い人がいます。同じ空間にいるのが苦しいこともあり、ところで仕事はとてもでたらめにする、本当に多い、ところが教会を通っている、知ったところインマヌエル教会だ、深く知ったところタラッパンだった、このようになるのです。成功は難しいのではありません。とても言葉が通じない人がいるのです。合理性がないのです。牧師も話が通じない牧師がいます。
そうすれば、信徒が狂ってしまいます。話が通じないためです。教会に話が通じない長老がいれば、本当に狂いそうになります。人は、話が通じなければなりません。だから、合理性がないから話が通じないのです。こういう人が職場に行けば、成功ができません。レムナントは必ず記憶しなければなりません。皆さんは合理性があって、専門性があって、とても素晴らしい人でなければならないのです。
■レムナント7人。ヨセフを見て、ポティファルがほれました。ヨセフを見て、ポティファルの妻がほれました。質が少し悪かったのですが、見る目はあったのです。聖書に見たら、毎日、ヨセフを見てウィンクをしていたと言われています。ハングルは目くばせとなっていますが、目くばせは、英語でウィンクです。長官、王がほれてしまいました。これが神様の子どもです。私は今まで、あなたのような人物を見たことがない。時代的な人物がダビデの後に従いました。私たちはダビデのために死んでも良い。その理由は、ダビデは主を知っている者だからです。それが正のです。サウル王を見れば、欲だけぎっしり詰まっていたのですが、だれが彼に従うでしょうか。必ず記憶しなければなりません。いくら眠たくても、記憶しなければなりません。
■また、信徒がどこかへ行けば、何かを取って非難されるので、どこかで取って行かないようにしてください。前に、一度はどこかへ行くのに、飛行機に乗って宣教に行くのに、毛布をカバンに入れて恥ずかしくなりました。飛行機の中にある毛布を入れて見つけられたのです。もう一度は、日本宣教をするのに、また何かを隠して捕えられていました。どこかへ行って足りないことをしないだけでも、みわざが起きます。だから、なることをならないようにする実力が普通の実力ではありません。神様の祝福が来ているのを受けないのは、普通の実力ではありません。だから、そのような実力を育ててはいけないのです。ない所で作るべきなのに、ある所で祝福をみな蹴ってしまうのです。私が正しい人ならば、私が皆さんのそばにいることが祝福だと悟らなければなりません。皆さんが皆さんの教会の牧師先生と私のような人が一緒にいるということを幸福だと分からなければなりません。私と皆さんが10年だけずれて会えば、会えないのです。そして、時代が流れるので、見れば皆さん教会の牧師先生と私のように伝道に狂っている人はいないでしょう。狂うということは、簡単なことではありません。狂ったというのは気違いということではありません。気違いは、気が抜けたことで、狂うことは一箇所に陥ることです。成功するレムナントになることを希望します。全世界教会の聖徒たち、インマヌエル聖徒たちはどこに投資して、成功してこそ、神様が喜ばれるのかを正しく献身することを希望します。
■二番目です。唯一性が何かわからなければ、唯一性の根源というものを知らなければ、滅びます。世界中で救われるべき名としてはどのような名も与えられていない。何の話なのでしょうか。みな立派ですが、原罪に勝った人は一人しかいません。サタンに勝った人は一人しかないのです。地獄の勢力をうち破った人は、一人しかいません。それで、ただイエスだけ。確認してみてください。一人しかいません。それで、わたしを通してでなければ、父のところに来ることはありません。これを知らないので、イスラエルが滅びました。こういう滅びに皆さんはもう二度とだまされてはいけないのです。これを知らないので、中世教会が滅びたのです。onlyという言葉を知りませんでした。キリストの唯一性を知らなかったのです。これで、今、現代教会に問題がきたのです。だから、どんどん減っています。だから、皆さんが、今、ここにリーダーとして呼ばれたことがものすごい祝福なのです。皆さんが本当に契約を捕まえれば、みわざが起きるようになっています。この契約を捕まえる時ごとに奇跡が起こりました。何か奇跡が起こったのでしょうか。出エジプト、紅海。それでは、紅海が分かれたのでしょうか。紅海が分かれることより、もっと大きい奇跡が起こりました。大韓民国あの南端の釜山、それも影島で伝道運動が起きて、ここまできて、今、レムナントが起きているのです。これはバビロンから出ることより、もっと大きい奇跡です。皆さんに出エジプト、出バビロン、ローマ征服の奇跡が起こるようになることをイエス様の御名でお祈りします。
■その時に、唯一性の答えがきます。唯一性の答えを受ける重要な方法です。本当に福音の他にはないということを悟る日から来るのです。なぜでしょうか。神様がこの中にみな入れておかれたためです。聖書にはそうなっています。キリストの中には、すべての知識、知恵、宝がかくされているのです。これを発見する日から。この時から勉強をします。学校になぜ通うのでしょうか。全体的なことを見るためです。なぜ大学に行くのでしょうか。はやく全体を見るためにです。その後には、必ず皆さんのことに発展させなければなりません。必ず記憶をしなければなりません。演奏も演奏だけするのではなくて、自分ことに発展させなければならないのです。演奏は学校で習う、それではだめです。ここで一段階、より高く行かなければならないのです。エリートの中で10%の中に入らなければなりません。10%の中にだけ入っていてはいけません。1%の中に入らなければなりません。その程度に、どの足跡より、高く行かなければなりません。その次は何でしょうか。唯一性が出てこなければならないのです。この時から、伝道がなるのです。お金、お金と言わなくても、この時からはお金が来るのです。私が自慢、宣伝をしなくても、だれかが連れにくるのです。そうです。私が唯一性の答えを持っていれば、調べてみてくれと言わなくても、他の人が調べてみるのです。聖書を見て下さい。族長時代、箱舟を作ったこと、すごいことです。しもべ318人を養っていました。誰でしょうか。アブラハムです。箱舟をだれが作ったのでしょうか。ノアです。分かるように、よく分かります。こういう人々が何を見たのでしょうか、理由があって、答えを受けました。だから、レムナント7人です。どのように奴隷に行った人が他の国の総理になるでしょうか。どのように、養子に行った人が、その国を回復させるのに、老人モーセがそのような奇跡を成し遂げることができるでしょうか。どのように、幼いサムエル、幼いダビデが、おとなが出来ないことができるのでしょうか。正しいのです。この答えを皆さんが捕まえる日がきます。初代教会を見て下さい。貧しい人々が集まったのですが、世界を征服しました。
■これが3つです。ただ、onlyという言葉が分かるでしょう。唯一性です。聖書に多く書かれているのですが、重要な時にだけ使われています。わたしを通してでなければ、父のところに来ることはできません。世界中で救われるべき他の名前は与えられていないのです。その次に何と言ったでしょうか。ただ聖霊が。他の道はありません。だから、この答えを受けるようになるのです。確かに申し上げますが、ある団体で、私たちのタラッパンを邪魔するのですが、防げません。なぜでしょうか。私たちはすでに伝道に唯一性を持っているからです。付いて来ることができないのです。そうするうちに、レムナントが起きればひざまずくようになっています。戦う必要もありません。私がなぜ戦わないのでしょうか。レムナントが成功するためです。私も専攻がけんかです。人々がよく知らずにいるのですが、私の昔の専攻がけんかでした。例えば、私を困らせる人がいれば、その人をつかんでこらしめるのが、昔の私の専攻でした。その専攻であったのに、なぜしないかというと、する必要がないからです。価値がないためです。そして、これから起きることを私は知っているのです。これからレムナントが起きて、要所、要所に唯一性の答えを持って成功していれば、だれがそれを防げるでしょうか。ヨセフのような人物が1人出てくるので、全部ひざまずいたのですが、だれが何と言うでしょうか。エステルのような人物が出てくるので、誰も触ることができなかったのです。明らかです。それでこの答えが、レムナントが受ける祝福で、献身する方がしなければならない献身です。
■話しを結びます。結論です。最初です。必ず記憶しなければなりません。神様の答え以後。その次に神様の答えの持続。そっちに行けば良いのです。あまりに答えが来なかったのに、するからです。答えについて行きなさい。そうすれば良いのです。序論は何でしょうか。何でも一生懸命に行ってはいけません。家にクギをどこにでも打てばどうなるのでしょうか。同じ言葉です。だから、皆さんは必要なことが何か、少しだけ考えれば良いのです。今は、皆さんが重要だから、行く時も行かなければならないのか考えてみなければなりません。それで、私たちのような場合は、重要なことをするので、私の秘書はどこからか招待されたら、一緒に行かなければならないのか検討をみなします。それだけ重要なためです。それで、皆さんはさらに重要です。もちろん、がんばらなければならないのですが、必要ないことをがんばるべきでしょうか。3つのことを必ず記憶しなければなりません。ただ、答えに従っていくべきです。確かに出てきます。ある日、この答えは大きい力だから、皆さんを最も気楽にさせます。これが宗教と福音の差です。わたしについて来なさい。わたしがあなたがたを人を捕る漁師にしてあげよう。すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。食べて遊ぶようにさせるではなくて、休ませると言われました。似ている話ですが、休むのと遊ぶのは違います。
■二番目の結論です。Uテモテ2:1-7わが子よ。皆さんは親が三人でなければなりません。親が三人ならば、家が完全に変だということではありません。皆さんを産んだ親、皆さんがその方の胸の中になければなりません。皆さんを教える指導者が、その胸の中に信者、未信者、関係なく、皆さんがなければなりません。皆さんの教会の牧師の胸の中に皆さんがなければならないのです。それで、皆さんは親が三人でなければなりません。パウロがテモテにわが子と言いました。それと共にした話があります。がんばりなさいではありません。それよりきびしい話をしたのです。その話をする前に、何と言ったのでしょうか。キリストの中にある恵みの中で強くなりなさい。他のもので強くなってはいけないのです。キリストの中にある、その恵みの中で強くなりなさい。そして、熱心を超越しなさいというメッセージをしました。兵士、競技する者、農夫。すべてのことに知恵を与えられます。
■三番目です。皆さんは学業をとても簡単にする方法があります。皆さんは仕事をとても簡単にする方法があるのです。リーダー修練会に来たのですが、この人たちがものすごく苦労しています。汗がずっと出ても、まったく、ふかなかったのです。ところで、とても上手にする方法があります。それが何でしょうか。完全祈りのスケジュールの中でしなさい。この中で勉強をしなさい。勉強とは別に、祈りを別にすれば大変です。祈りの中で勉強をしなさい。そうすれば、奇跡が起こります。必ず記憶しなければなりません。今回は、私がリーダー修練会の講義をしに行ったのですが、二番目に行ったところ、雷が落ちてアンプが飛んでしまいました。だからそちら側の部分が皆やられてしまったのです。アンプ担当する人とレムナントが、どれくらい仕事が上手なのか、それを30分で終えてしまいました。だから、私たちのレムナントは、だめなことがありません。皆さんは祈りの中で、できないことはありません。契約をしっかりとつかむことを希望します。困難がきても問題ではありません。それは序論です。成功がきても、高ぶることではありません。それも序論です。記憶しなければなりません。大きい問題が生じても、それは序論です。私がソウル大を合格しても、序論です。私がたくさんのお金を儲けても序論です。本論は何でしょうか。ご飯を食べることではありません。私たちはこれが本論でないのです。世界福音化が本論です。皆さんがこれからハーバードに行ったとしても、序論です。そんなことを持ってさ迷っているのは、序論です。苦労をよくしても、それは序論です。本論は別にあり、世界福音化です。この契約を堅く捕まえることを希望します。今日、献身礼拝中で、最高の献身礼拝だと確信します。眠い人を起こすことをかねて、隣の人の目を見つめて祝福して、皆さんが挨拶をする時も目を合わせてください。目を合わせましょう。それでも、にらんではいけません。あなたは世界を生かすリーダーです。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、永遠なメッセージとして残りますように。私たちのレムナントが堅く捕まえるメッセージになりますように。気を落とさないように、神様が力を与えて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン