2007年8月19日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/自分を振り返るダビデ
(詩143:1〜12)

■日本の食堂に行ってみれば、食べ物が一つも残りません。私たちの韓国では、たくさん残ります。日本で食事をすれば、ただ一つも残らないのです。そのように、ちょうど合うように出すのです。日本の人々がたくさん食べないんだなと思いました。ホテルのバイキングに行ってみれば、日本の人々はたくさん食べます。バイキングは好きなだけ食べてもかまわないから、たくさん食べるのを見て、日本人や韓国人の本質は同じだと思いました。米国と韓国も違いが生じるように見えますが、霊的な問題は全く同じです。
■ダビデが受けた問題は、私たちが受ける問題と同じです。それで、ダビデが解決されたのを見れば、私たちも解決できるということになります。このダビデ王は何の困難が多かったのでしょうか。このように質問してみる必要があります。ダビデ王は立派な王であることは確実だったのですが、3つの困難にあいました。3つのために継続的な困難にあったのです。最初は、サウル王のためです。サウル王がダビデ王をずっと殺そうとするから、とても長い歳月、困難な目にあいました。今でも同じです。人にとって病気の中で一番怖い病気が政治病です。人が政治に病気になれば、前後を見ることができません。これが怖いのです。私がほろびる、あなたがほろびる、関係がありません。サウル王がこうすれば大変なことになるのに、大変なことになっても、ならなくても、そのようにしたのです。私はこのごろ李氏、朴氏が、出てくればチャンネルを回します。回しながらの、心の中で愚かな人たちだと思います。あのようにすれば、全部、自分に損です。国民がそのようにしているということを知らないから、愚かなのです。サウル王が政治病にかかりました。王であるから、普通の問題がくるのではありません。その上に、ダビデをねたむ嫉妬の病気になったのです。Iサムエル18:8を見ると、サウルは千を打ち、ダビデは万を打ったと言ったので、サウル王が怒ったと記録されています。私の後輩は良くやっているではないかと言うべきなのに、とても怒ったとされています。こういう隙間に乗じてサウル王に悪霊がついたのです。政治病、嫉妬の病、悪霊病になったのでした。Iサムエル18:10を見れば、悪い霊が下ったとなっています。19:9にもそうなっています。このように、ダビデは病気になったサウル王のために、とても困難にあったのでした。
■二番目です。ダビデに来た二番目の問題は、家庭問題です。ダビデは、ほとんど結婚を成功できませんでした。レムナントが多くいますが、結婚をとても上手にしなければなりません。レムナントの時、若い時は良くできないでしょうが、結婚は良くしなければなりません。結婚を冷静に祈りながらしなければならないのに、おもにそのようにしません。ある人々は、親が反対すれば、反抗して家を出て行ってしまうのです。私たちが愛するのに、なぜそのように言うのかと言います。私たちが愛しているのに、なぜそうなのかというやり方です。簡単に言えば、突出した人物、ダビデが出てきたのです。だからサウル王の娘ミカルが、ダビデが良かったのです。娘も多くの考えをしないで、そのまま英雄が一人出てきたので、結婚したいといったのです。この時、Iサムエル18:21を見れば、重要な話が出ています。サウル王が言うのに、ダビデと結婚して罠になるだろうとなっています。ダビデと結婚して幸せに暮らせと言わないで、罠になると言ったのです。こういう結婚が成功することができるでしょうか。ダビデが王になった時、他人の妻バテシェバを奪ってきました。その他、ダビデは多くの妻がいました。もちろん、その当時を見る時、理解はできます。時代劇を見ると、多くの女性が出てきて、奥の間、茶の間でけんかをするのが見られます。「女性天下」という時代劇をした時、女が頑張って騒々しかったのです。ある程度、理由はあります。昔には、決まりより、力が強いほうが良いから、生き残らなければならないのです。それで、王が奥さんを数人置いて、子どもたちをたくさん産んで、要所要所を任せるのです。ある日、夜に刃物を持って、父を探しに来るのではないかと、自分が生きようとそのように作るのです。一時、金持ちの財閥も、色々な奥さんを通してグループを任せることもありました。ダビデはそれを普通だと思っていたのです。それで、家庭に問題がきたのです。ダビデが一生涯、困難な目にあったのでした。
■三番目の問題です。子どもの問題がきました。子どもの問題が来たのですが、最も迫ってきたのが、王権争いです。それとなく、だれが王なるのか、こういう戦いが起きるしかありません。王の家であるから、大きいでしょう。奥さんが数人ですから、別々に暮らしています。みな王家ですが、そのように一緒に住んでいるのです。あらまし推測すればそうです。その中で、アムノンというダビデ王の息子がいたのですが、腹違いの妹であるタマルを強姦したのです。タマルの兄さん、アブシャロムがこのようなこともあるかとして、兄を殺しました。家庭にこういう問題が起きたのでした。アブシャロムが自分の妹をそのようにされたので、お前が悪い奴だと殺してしまったのです。王宮の中に殺人事件が起きました。弟が兄を殺したのです。ダビデ王がアブシャロムを亡命させました。お前は家を出ていろと言ったのです。この時、アブシャロムは多くの傷を受けておかしくなりました。臣下がアブシャロムを戻るようにさせました。たとえ話しも使って話して、息子が1人も死んだのに、みな殺してしまえば、どうするのかと戻るようにさせたのです。それで、亡命して行ったアブシャロムが戻るようになりました。お父さんに挨拶して無事に過ごすと思ったのですが、ある日、問題がきました。臣下の中で、また悪い者がいます。ダビデ王は老いていくのに、これからだれが王になるのか。アブシャロムにならないだろうか、勇気もあるとして、アブシャロムを王にするチームと力を合わせて、ダビデを攻撃したのです。ダビデが逃げながら困難にたくさん会いました。その時、背景の詩です。
■詩篇143篇がそうです。多くの歴史や注釈家が、アブシャロムの難を避けて逃げる時と背景を記録しています。今日、皆さんが持った聖書には、そのことは書いていないのですが、普通、原文にはそのような記録があります。その時、ダビデが逃げる時、心情がどのようだったのか、今日の本文に出てきます。3節に、私のいのちを地に打ち砕き、長く死んでいる者のように、私を暗い所に住まわせたからです。4節には、霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちでこわばりましたとなっています。多くの問題の中で、家庭で起きる問題はみじめです。例えば、息子が父を殺そうということを聞けば、どれくらいみじめでしょうか。実際、言葉ではやさしいことでも、家庭問題はとても足りない人、以外には、他人に話すことも大変です。足りない人は、どこでも話しますが、立派な人は、言うことも大変です。今日の7節を見れば、ダビデが墓に降りて行く者と同じだと言っています。どれくらい心に傷になったのか、私が墓に降りて行く者のようだと言ったのです。
■それでは、今日、結論おいてみる時、ダビデは勝利した王です。どのように勝利したのでしょうか。このような時、どのようにしたのでしょうか。今日、私たちはみことばを見ながら、私たちも多くの祝福を受けて、新しい力を得なければなりません。この時、ダビデが3つの祈りをしました。その最初が、自分の誤りを悟って神様に祈ったのです。とても重要です。聖書を見れば、神様のみこころは誰も変えられません。ところで、神様のみこころを変える場合は一つあるのです。ヨナ3:10を見れば、ニネベの民が悔い改めるから、神様がみこころを思い直されたとなっています。ただ一つの場合だけ、そうです。私たちが神様の前で誤りを悟って祈る時、神様はみこころを思い直されます。Iヨハネ1:9にも、あなたの罪を赦してくださいますと言われています。ルカ15:11〜32に見れば、家出した放蕩息子が戻ったので、父がその息子をとても歓迎してくれたのです。それは、イエス様が語られたたとえです。神様の心を説明したのです。聖書にただ一つだけ、私が本当に誤りを悟って神様に祈る時、神様はみこころを変えられるのです。滅びることにされたのですが、神様はみこころを変えられます。呪いの中に置くことにされたのですが、神様はみこころを変えられるのです。
■今日の2節に、あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからですとなっています。ここに主のしもべとなっています。この話は、人の前ではある程度できます。事実、ダビデがバテシェバを奪ったことは、人の前に法的には何の問題もありません。確かにウリヤを戦場に出て行かせて死ぬようにさせたのですが、戦場で死んだのです。戦争して死ぬことを、どのようにできるでしょうか。死んでかわいそうな女を連れてきて、王妃にした、人が見るには、それほど問題はありません。本来、法というのは、よく合わせて見つけられなければ、見過ごすこともできます。しかし、神様の前ではだめなのです。主の目の前では。詩51篇には、私が主の前に罪を犯したと言っています。神様がダビデの祈りを聞かれたのです。人の前も重要ですが、神様の前でダビデが誤りを悟ったのです。これがみな私の誤りだと祈りました。神様に祈ったのです。私のたましいが破滅の中であると言いました。私が墓の中に降りて行く者のようだと率直に祈ったのです。
■この時、逃げていたらシムイが現れました。本文にはないのですが、記録にはあります。このシムイはサウル族の人です。サウル王の部族であるから、ダビデがほろびたと思って呪いました。色々な悪口を言ったのです。そばに行った将軍が、あえて王の前でそう言うのかと言いました。直ちに首を切ろうと言ったのですが、ダビデが思いとどまるようにと言いました。神様がさせておられると言いました。普通の人ではありません。殺さないでそのまま行きました。私から生まれた私の息子も私をこのようにするのに、ましてシムイはそうなっても当然ではないか。神様がさせておられるとダビデが話しました。本当に答えられるだけの人物です。皆さんならば、私がいくらそれでも王なのに、じっとしているでしょうか。ナタン預言者がダビデを訪ねてきました。用心深く話したのです。たとえを使って賢く言いました。ある金持ちの家にお客さんがきたが、羊をほふらなければならなかったので、金持ちは自分の羊をおいて、一匹だけいる家の羊をほふった。ダビデは義憤が強い人です。怒りながら、そのような奴がいるのかと、どうして、羊一匹しかいないのに、その家のものを奪って接待をするのかと言いました。その時、ナタン預言者が謙虚に、まさに王様がそうだと言ったのです。王には、多くの王妃がいるのに、なぜ、わざわざ人の家の妻を奪ったのかと言いました。ダビデがその時、どのようにしたでしょうか。私が王なのに、話をそのように裏から回して言っても良いのかと言うべきでしょう。ダビデは王です。ナタン預言者が誤りを話しました。うわさが少しあると話します。普通の人ならば、どいつが私に何と言うのかと、どいつなのか、捕まえなければならないと言うでしょう。今、王の名誉を傷つけることか、皆、名誉棄損罪で捕まえなければならないと言うでしょう。ダビデは、神様の前で私が間違っていたと言いました。やはり、神様の人で、大きい人物です。こういう困難にあいながら、神様の前に立ったのです。自分の誤りを話しました。自分を振り返ったのです。このようにすれば勝利します。神様はみこころを思い直されます。
■そして、ダビデは心より神様に切実に祈りました。危機がきたから、まぬがれようとする祈りではなく、心から祈ったのです。人はしばしば困難がくれば、まぬがれようとします。ダビデは心から祈りました。5、6節に、私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕いますと言いました。8節に朝にあなたの恵みを聞かせてください。私はあなたに信頼していますから。それと共に、私に行くべき道を知らせてください。私のたましいはあなたを仰いでいますからと言いました。9節に、主よ。私を敵から救い出してください。私はあなたの中に、身を隠しますと心より祈りました。聖書では、神様のみこころを悟って心より祈った人々に、神様はいつでも答えられました。
■イエス様が過ぎ去られる時、盲人のバルテマイは大きい声で呼びました。他の人は騒々しいと無視して話したのですが、イエス様はバルテマイを祝福されたのです。聖書を見れば1、2ヶ所ではありません。その難しい状況で、ダイエルが神様の前で本当に祈りました。神様は答えられたのです。皆さんもそのような体験があるでしょう。私も今、思い出すのが困難にあった時、誰の誤りであれ、神様の前に祈ったのがみな答えられました。20年前に、この教会くる前の所で難しかったのです。とても難しかったのです。結論的に、経済も何もみな難しかったのです。本当に、このようにあのように頭を使わずに、神様の前に本当に祈りました。その祈りをしたのですが、本当に私の人生で、皆さんに会うようになったのです。これが小さい答えなのでしょうか。私が本当に祈りました。ここにきて伝道運動をしようとしたのですが、困難な目に会いました。もちろん、自分の誤りでした。その時、神様に本当に祈りました。驚くべきことに、その時、祈った祈りがすべて答えられました。こういう考えまでするほどでした。このように答えられるならば、ノートに祈りの課題をたくさん書いておけば良かったということです。その時にした祈りがみな答えられたのでした。時々、私たちは困難に会う時があります。私の誤りを悟って、神様に祈れば、すべて答えられます。ダビデがその祈りをしたのです。ダビデ王がどれくらいすごいのか、真の神様の人です。
■そして三番目です。ダビデは単に祈ったのではありません。神様の計画を見ながら祈ったのです。こういう困難の中で、神様の計画を見て祈りました。5節に、私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えていますと言いました。Uサムエル16:12に、シムイが呪った時、ダビデが話すのに、あの呪いのゆえに神様が私に良いことで返してくださるかもしれないと言いました。かもしれないという言葉は、疑う単語ではありません。自分をとても低くする単語です。ひょっとたら、足りない私に神様が恵みをくださるかもしれないということです。その告白をしたのです。あのシムイが呪うのに、ひょっとしたら神様が私に良いことで返してくださるかもしれないという言葉は、普通の人ができる言葉ではありません。とても神様の計画に鋭敏な人々がする言葉です。アブシャロムと共に裏切った臣下を見ながら、ダビデが何を思ったのでしょうか。王宮の未来を思ったのです。皆さんはどうでしょうか。会社の中におかしな奴がいます。発見した時、幸いだと言うでしょう。今、分かったので良かったので、知らなかったらどのようにしたのだろうかと言うでしょう。こういう感情です。おかしな人を発見した時、幸いだと言うでしょう。ダビデが多分、そのような心情であったのでしょう。アブシャロムが、あのようなこともあるんだな、私が信じた臣下があのようなこともあるんだな、王宮を正しく堅くしなければならないな、本当に神様が願われる国にしなければならないな、こう考えたでしょう。だから、主の事を思ったのです。私が困難にあっているので、この困難をどうするかではなく、主の事を考えたと言われています。本当にダビデは勝利できる神様の人です。ところで、詳しく見れば、大きいことをしたのではなく、誰でもできることをしたのです。信仰を持った神様の人ならば、皆さんもできて誰でもできることです。
■このように結論を結ぶことができます。救われた神様の子どもならば、皆さんが救われた神様の子どもである真の使命があるならば、神様はお捨てになりません。結局、神様はダビデを捨てられませんでした。ダビデが困難に会う理由がたくさんあったのですが、神様はダビデを捨てられませんでした。救われて、福音を伝えなければならない皆さんを神様は捨てられないでしょう。重要なみことばが出てきました。11節に、主よ。あなたの御名のゆえに、私を生かしと言っています。重要な言葉です。「主の御名を」が聖書に何度か出てくるのですが、とても重要な時だけ出てきます。「主の御名のために」という言葉が、聖書に何度か出てきます。ダビデがゴリヤテの前に立った時も、万軍の主の御名で立ち向かうと言いました。サインを勝手にしてはいけません。名前が重要なためです。アブラハムが信仰の決断を下した時、神様が「わたしは自分(の名)にかけて誓う」と言われました。エレミヤが祈りの答えを受けた時、監獄に閉じ込められた時に、地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられると言われています。重要な言葉です。そして、とても難しい時期にモーセがエジプトに行きなさいと言われた時、行けないと言いました。行って、私が何と話すのかと言ったところ、神様がおっしゃるのに、主が送られたと言いなさい、「わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。」と言いなさいと言われました。その名が知られてきたのです。
■ダビデが言う中に、主の御名のゆえに、この言葉はダビデの祈りでもあるのですが、神様の心です。主の偉大な御名のゆえに、皆さんを捨てられないという言葉です。また、11節にあなたの義によって、私のたましいを苦しみから連れ出してください、三番目に、12節にあなたの恵みによって、私の敵を滅ぼし、私のたましいに敵対するすべての者を消し去ってくださいと言いました。ここに主の強い腕で消し去ってくださいと言うべきなのに、主の恵みによって、私の敵を滅ぼしてくださいと言いました。救われた神様の子どもであることを悟りさえすれば、神様は捨てられません。使命感を持たなければならない皆さんは、悟りさえすれば、神様は捨てらず、より良い道に導かれます。そうではないでしょうか。皆さんの子どもが本当に悟って、お父さん、お母さんにごめんなさいと言うのに、絶対に許さないと言うことはありません。皆さんの可愛い子どもや、孫たちが、間違った時、小さな手を組んで泣きながら頼むのに、だめだと言って手を殴るでしょうか。そうではないでしょう。幼い子どもが誤りを悟って頼むのに、赦さないでしょうか。神様は悟ったダビデを大きく用いられました。
■私はいつも神様にする告白が四つあります。レムナントにも話しました。私はいつもします。ある人々は、自分の主張をよくします。そのような方は立派な方々で、私はそのようにする内容がありません。私は完全に滅ぼされて希望がなかった時、福音で生かされました。そのどんな偉大な本も答えになりませんでした。ものすごい多くの律法、本、すべて正しい言葉なのに、私には答にならなかったのです。神様のみことばにわたしがあなたを永遠に呪いから救い出すと言われました。あなたが罪の中で永遠にほろびなければならないのに、死からいのちに移すと言われました。それで、かなり以前からメシヤを送ることを約束されたのです。私はこれが信じられました。どれくらい感謝なことなのか分かりません。本当に偶像に仕える家庭、何の希望ないも家庭、私が神様の恵みで救われたのです。ある人々は、自分の功労が多いと思っています。私は、そのように理解できませんでした。タラッパンでも、働き人の中で、自分が仕事をたくさんしたような顔で生きています。静かに見れば、月給をもらってしたのに、自分が大きい献身をしたように、そばに静かに漂わせながらします。本当にすごい方々です。私はそのような能力がありません。私は、神様の恵みで皆さんの助けを受けて、神様の恵みで行く所ごとに待遇を受けて、神様の恵みで祈ってもらっています。私が何が優秀でしたのでしょうか、たったの10日もできません。
■また、ある人々は世の人のように、ポジション争いをするのですが、私は残った生涯、神様に栄光を帰して生きるようにさせて下さいと告白します。人は、老います。おかしくなることもあります。私は祈っています。私の残った生涯、主のために奉仕、伝道運動をすべきなので、神様に栄光を帰す人生がなるようにしてくださいと言います。多くの方が教会で仕事をして、献身すると思っています。私はそのような能力がないから、神様に受けた愛、祝福がとても多いことを感謝します。神様の恵みがどれくらい大きいのか、この四つがいつも私の告白です。
■それでも、よくできません。私はダビデの話をしながら、良心に引っかかるのは、ダビデをよく知らないのに会ってみたように話すことです。しかし、聖霊が私にそのように悟るようにされたのです。この人がこのようだっただろう、聖書を見ながら思います。本当に神様はご存知でしょう。昨日、すべての日程を終えてきて、本当に正確に朝5時まで目覚めていました。部屋が変で、エアコンが暑かったり、寒かったりしたのです。5時まで祈っていました。この本文をおいて祈るのに、ダビデの心が分かったのです。そういえば、私たちがみな全く同じです。それなら、神様が私たちにくださる恵みと祝福も同じです。インマヌエルの家族、全世界のタラッパン家族、今日、神様の恵みを大きく受ける祝福の日になるように、イエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。ダビデを祝福された主よ。自分の誤りを知って主に立ち返るダビデに大きい祝福をくださった主よ。困難の中にいる聖徒がいれば、神様を見上げる祝福の時間になるようにして下さい。どんな難しい問題も、神様に出す重要な時間になるようにして下さい。未信者が知らない神様の大きい恵みを受ける貴重な週になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/信徒の権威
(Iヨハネ3:8)

■ソミョンに「女性の家」という服屋がありました。皆さんは記憶しているかも知れませんが、そこに金ホンソク執事と私たちの教会で証ししたこともあります。その方がソミョンで服屋をするのに、証しが多くて、招いたことがありました。この方は一時間前に行って祈って、夕方に職員みな帰して祈っていました。昼間には職員と共に祈りました。それで、昼間に職員とみことばを聞いて祈るのに、それを聞くためにお客さんが何十人も来ることもありました。この方が執事だったのですが、多くのみわざが起きました。一日に三回ずつ自分が定刻祈りをして、起きた証拠です。五人の女子職員がいたのですが、いつも歩き回る子どもたちなのに、みなイエスを信じるようになりました。皆さんが今日、献身礼拝を差し上げる中に、多くの訓練を受けてきました。今は、いくつかのことを整理をしていなければなりません。ここには宣教師、副教役者や一般信徒もいます。今、献身礼拝なのですが、事実、はっきり調べれば献身礼拝という言葉が合うかもしれません。合う言葉ではあるのですが、昔に献身をあまりにもしなかったのでしなさいという言葉です。はっきりと調べれば良い言葉ではありません。献身を良くしている人に、献身しろという必要はないでしょう。それで、聖書を詳しく見れば、初代教会は伝道訓練というものがありません。なぜか、みな伝道するからです。タラッパンで柳光洙牧師が伝道訓練を始めた理由は、みなしないから始めたのです。
■インマヌエル・ソウルは、ソウルの江南大峙洞にあります。言わば、大韓民国でお金が一番多い人々が集まった所です。釜山影島、東三洞、一番ない人々が集まった所です。どのように神様が私を訓練させられるのでしょうか…ところで、大峙洞に行けば、人を見れば分かります。お金があるのかないのか、影島もお金がある人は表に現れます。信徒も話しだけはよくするのですが、実際に答えを受ける人は違います。飛行機乗って、十何時間乗る時は、表に現れます。私は飛行機に乗れば、しなければならないことが多いから、ファーストクラスに乗って行きます。ファーストクラスには、シートはあまりありません。ひとまず乗れば、見ないふりをしながら、みな見ています。今回だけ乗ったのか、ずっと乗っているのか見れば分かります。違うのです。履き物、腰のベルト、時計…ところで、そんなにしなくても、ある人は表に現れます。
■それで、以前に私が大学に入って伝道していた時に見れば、女子学生も勉強できる子とできない子は、表に現れます。勉強ができない子は、かなり着飾って通います。タレントなのか、俳優かわからないほどきれくしているのです。ところで、勉強をとても良くする子は、それほど着飾りません。これが差異点です。たくさん着飾って通う人は、心配しないように。昔にそうだったということです。このように伝道しようと人見つめれば、特徴があります。勉強できる子たち、自分に自信がある子たちは、服をあまり良いものでないのを着ていても、自信があります。しかし、何かだめで歩き回る子たちは自信がありません。それで、目をまっすぐに合わせません。それで皆さんがいくら手術をしても、目玉は手術できても、目つきは手術できないのです。皆、分かります。皆さんで、本当に祈りの答えを受ける人は違うのです。
■私は時間があれば、健康管理のために卓球に行きます。なぜか、時間も少しでよくて、簡単で汗もたくさん出るためです。ところで、そこで見ても、専門家かどうか知ることができます。この人はうまく打つんだな、選手なんだな、あの女性は、でっぷり太っていてもうまく打つんだな、あの子たちは単に遊んでいるのだな、あの子は打つのはうまく打つが下手な卓球だな、と皆分かります。それで皆さんが今、重要なのが、特にここに副教役者や宣教師が記憶しなければなりません。人は、伝道を味わう段階がなければならないのです。これがなく教役者になれば、とても頭が痛いのです。一番重要なものの味を知らなかったために、どんな事でも良くできません。だめなことをなるふりをしようとするなら、とても苦労します。これになってこそ、みことば、祈り、証拠が生き返るのです。それで、副教役者は理由なしでしなければなりません。
■私はわざわざ、一人を受け入れさせなければ寝ないといった時がありました。ところで、今はそうではいけません。時刻表があるためです。そのように一度してみてください。それでは皆さんは、ほとんど寝られない状況になるでしょう。それでこそ、自分が分かるのです。その後には5分以上会う人には福音を伝えるといった時があって、その次には私が今日一日中を思いながら伝道準備をしました。ある人はパンフレット、テープを準備しました。副教役者の時にこれをするなら、実があるかないかは関係なく、忠実にしなければなりません。正常にしなければ「忠実に」がだめになります。しかし、していれば弟子が出てきます。
■私が先週、息子にこのように言いました。「大学や現場に弟子がいるのに、それを捜し出せなければ、牧会してはだめだ。それができなければ、牧師になってはいけない。」必ずいます。ところで、人は愚かにみなのがすのです。一般信徒がこれを味わったら、真に成功します。詳しく聞かなければならないことは、弟子を探せば、みことば、祈り、証拠がまた違います。この3つのことは、基本のように見えますが、無尽蔵です。こうするならば、システムが出てきます。私は今、この段階が来たのです。私は大学に弟子を捜し回った段階がありました。そのようにして、システムが出てくれば、システムだけ管理すれば良いのです。言わば、牧師、長老がこの段階に来ていなければなりません。来ていないので、難しいのです。何か祈のり答えにならなくて、どうしても力が生まれません。それで、ある面では、牧師や副教役者が、伝道現場から行く必要があります。本当にしてみてください。行きたくないでしょう。それでも、行ってみてください。弟子が起きる程度になれば変わります。こういう聖書にある、とても重要な基本的な味を知らずに、教会に10年、20年、通っているから、その人はおかしくなるのです。だから、私の話し、他人の話など、話しでみな間に合わせて送るしかなく、答えが来ないしかないのです。
■副教役者がいるのですが、どこに行くべきか悩む必要はありません。なぜなら、皆さんが行く所ごとに弟子が置いてあるので、どこへ行くと言うのでしょうか。開拓教会をどこでしなければならないのか尋ねるのですが、伝道がだめならば、同じ話なのですが、ずっと間違った話しだけするのです。例えば、尹ソンフン牧師の下に、各工場や大学に弟子何百人がいます。ところで、尹ソンフン牧師が「どこへ行かなければならないのですか」このように話しても良いでしょうか。これは話になりません。ひとまず知っている人や、教会員が見る時、とても大切に見られるでしょう。
■この前の青少年集会の時のことです。中国の女の人です。韓国に勉強しに来て帰ってタラッパンに会ったが、自分はこれのために神様が送られたと告白するほどです。家庭環境も良いのか、今回の夏に訓練を多く受けました。一番最初に産業人大会、リーダー修練会、レムナント大会、青年修練会、入ることもできないのにPK修練会。どのように隠れてきたのか、みなきたのでした。そして、中高等部修練会。そして、手紙を送ってきました。住所を知らないから、秘書に渡したのです。自分は感謝して恵みをたくさん受けたが、柳牧師に5分だけ会いたいとあったので、来なさいと言いました。自分はこのメッセージを聞くため、神様の前に祈ったが、一年半で完全に答えられて、韓国語を直接、書いて、聞いて、読んで、すべてできると言いました。メッセージを捕まえてずっと定刻祈りしたということです。それで、神様が本当に中国に福音を伝えるために自分を呼ばれたということです。ところで、話すことをみれば、分かるでしょう。おかしな人や、うそを言う人でもなくて、とても正常でした。
■それで私に5分会いたいということは、お願いがあったからでした。タラッパンにきて訓練を受けるのがとても良いが、全部、資格がないと入れないが、自分は今、この資格を取ることができないから、すべての訓練をみな受けるようにさせてくださいということでした。それでみな受けるようにしてあげなさいと指示しました。韓国語をどれだけわかるのか、100%みなわかります。それを弟子と言うのです。皆さんはこういう人々に会えないからですが、現場で会ったとすれば、本当に家族や愛する恋人、釣りやゴルフと比較もできない味なのです。本当に味を知っていないのです。パウロはこれを見ていのちをかけました。ここですべての答えが来るか、来ないか、それは話をする必要もありません。こうしてみるならば、システムが敷かれます。
■私が韓国で見ると、牧師で伝道して、弟子のシステムを敷いている人は1人しかいませんでした。今まで私が見た先輩の中でです。キム・ジュンゴン牧師先生です。弟子がずらっと敷かれています。自分が伝道して育てた弟子が、行く所ごとにいるのです。この方は年をとって動くことができず行けないのですが、全部、歓迎されます。だから心配することが何があるでしょうか。それでは、この後に答えが来ないでしょうか。来ないでもかまわないでしょうが、来ないはずがありません。私は時刻表に合うように、副教役者の時、これを味わったのですが、その時から牧会を開始しようとすると、合わせて祝福をみな与えられました。神様と神様のみことばほど正確なものはありません。それで、ここにきて弟子をみな探しました。今は、私がシステムを管理しに通っています。だから、霊的でも、肉体的でも、何でも全く同じです。本当に金持ちの人は集金しに通います。私が知っているソウルにいたおじいさんは、どれだけ賢いのか、他の人が分からない時に、あらかじめ分かって、ガソリンスタンド八ケを作ったのです。今は集金しに通っています。ガソリンスタンドは、無条件に現金なので、ものすごくお金が多い人々がうろうろとつながります。息子、嫁、関係なくそうです。これは肉体的な例ですが、目を開けばあるのです。
■皆さんが本当に、すべての訓練を仕上げているのですが、残っているのが、本当にこれを味わわなければならないのです。ですから、今現在、長老、牧師が伝道の味を知らずにシステム管理まで来てしまったのです。それで、これを至急に回復しようということです。それが役員訓練です。それが地教会システムです。はやく回復して、無理にでも行って、味わおうということです。そうすれば、働きが起きるのは話をする必要がありません。そうすれば、確かに違います。年をとっていても、若くても、博識でも、無知でも、何も関係ありません。そうすれば、すべての問題が解決されたといったのですが、マタイ6:33に確かにおっしゃられました。この時に、皆さんに一つ「本当だな」と迫ってくることがあります。それが何でしょうか。信徒の権威。それで資格と権威と権能は違った言葉です。資格は試験を受けて取るのです。権能は私が持っている力を言います。誰にでも必要なことです。しかし、権威は違います。上から与えられるのです。powerと違うのです。authorityと言います。だからものすごい権威。この祝福を理解するように願います。
■これを理解する以前に、なぜキリストは私たちを救われようとされたのでしょうか。創世記1:2を見ると、空虚、暗やみ、混とん。この祝福を発見できなければ、皆さんの人生はいくら努力しても、空虚、暗やみ、混とんです。思い切り生きたのに何もないのです。だから混乱が来ます。そうしたら、前がまっ暗です。このようになります。それで、このようにするなと福音をくださったのです。これがこの暗やみの勢力が創世記3:1に見ると、アダムとエバを触りました。皆さんが生まれる前に、サタンは存在して、事を成す前に先に行って攻撃します。このようにして、創世記6:1〜20を見ると、社会、家庭をみな倒しました。この悪い悪魔がどれくらい悪いのか、創世記11:1〜8に、人間の力を逆に団結させてバベルの塔を築かせ、創世記12章を見ると、バビロンで偶像を作ってほろびるようにさせました。これが途方もない実際の事実だから、権威という言葉をわからなければなりません。今、四番目の出会いの中で補充説明をしているのです。一年ほどは福音手紙を持ってずっと補充説明をするつもりです。そうでなければ、その中にある祝福が何の話かわからないのです。この時、権威が何かに対することが、答えが出てきます。この時、答えは本来、権威は私たちにはないのですが、神様にあるのです。
■創世記3:15に、女の子孫が蛇の頭を踏みつぶすというのが権威です。ところで、これを全く味わえないので、答えがきても味わえないのです。ある人は、年をとって、味わえないので、色々な言い訳をします。それで、また問題になりました。出エジプト3:18奴隷の中でいた時、血の契約を持って回復させると言われたのですが、分からないで、また捕虜になりました。イザヤ7:14.またローマに属国になりました。マタイ16:16。あなたは生ける神の御子キリストです。このキリストが来られて、Iヨハネ3:8に悪魔のしわざを完全に滅ぼしてしまわれました。嘘つきと言われています。皆さんをだますのです。だからだまされてはなりません。完全にうち砕かれました。これが権威です。コロサイ1:14を見ると、暗やみの勢力から私たちを救い出されたと言われています。Iコリント15:54を見ると、死の勢力から私たちを救い出されました。Iペテロ3:18〜19を見ると、地獄の勢力から私たちを救い出されたのです。これが権威です。私たちにはありません。このものすごいのを神様が作業して、キリストを送って完成させられたのです。ここで私たちに出てくるのが信徒の権威です。この祝福を私たちにくださったのです。それで、ヨハネ1:12に受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、神様の子どもになると言われず、子どもになる特権を与えられたと言われています。イエス様が、直接、おっしゃられました。わたしがあなたがたに蛇とさそりを踏んで、敵のすべての力を制御する権威を与えます。権威はキリストにあるのですが、この権威を信徒に与えられました。
■それで、マルコ3:15に、悪霊を追い出す権威もあるようにされたのです。マルコ16:15〜20あらゆる国の人々に行って、わたしの名で悪霊を追い出しなさい。使徒10:1〜12に、悪霊につかれた者を解放させて、使徒16:16〜18に悪霊につかれた占いを直されました。使徒19:8〜20を見ると、一地域エペソを生かしました。これが皆さんに来ているのです。ところで、これを知らないので、みなのがしてしまうのです。皆さんがここにより、みことば、祈り、証拠がみな違うのです。弟子が出てきてシステムが立てられればできるのに、みなのがしてしまって、持っていることも知りません。これがクリスチャンに一番重要な部分です。それで、最後の方法を与えられました。権威があるのに知らないから、権威の中で出てくる力があります。世の中から出る力もありますが、この権威の中から出てくる力があるのです。それで、皆さんに、ただ聖霊があなたがたの上に臨まれれば、力を受けてと言われたのは、権威の中から出てくる力です。地の果てまで証人になります。
■とても簡単に回復するように願います。時々、無知な人に働きが起きる理由が、そのままするからです。時々、博識な人に絶対に働き起きない理由が、しなかったり、しても信じないためです。ものすごいことが含まれています。それで今年の夏以後には、そのまま過ぎ去らずに、全部見つけ出すように願います。ところで、難しくありません。勧士が出て行く時、そのまま出て行かずに、残っている週報を持って行ってください。持っていて家にお客さんが来れば、一つずつ渡して、外でも一つずつ渡せば良いのです。どれくらい簡単でしょうか。それだけしても、暗やみの勢力はぶるぶる震えて弟子が出てきます。ところで、時間が過ぎたら、勧士の下に祝福が広がっています。ところで、このやさしいことをのがしたのです。その話は、それだけ人間主義、虚栄心、みな浮き立っているからです。伝道の中にみことば、伝道、証拠を回復するように願います。
■ただ聖霊充満を受ければ力を受けるようになります。受けたところ、使徒2章に、貧しいところで五つの世界を変化させることが起きました。困難を受けたところ、受けても大丈夫です。使徒11:19〜30にアンテオケで全世界の門が開いてしまったのです。後ほどにはローマを生かす大きい世界共同体になる力を与えられました。これがとても重要です。世の中から出る力では不可能です。世の中から出る力で行えることは、別にあるのですが、不可能です。政治をして出てくる力ではできません。これは神様がくださった権威から出る力だから、皆さんができるのです。今日、皆さんがこれを全部回復されるように願います。
■それで、いくつかの体験をしなければなりません。イエス・キリストの権威と言う時、ここに全てのものがあります。皆さん、信徒には最も重要な鍵が与えられたのですが、世の中に勝つ鍵が与えられました。「私はなぜだめなのですか」と尋ねたいでしょうか。皆さんに天の門をあける天国の鍵が与えられました。わたしはあなたに、天国の鍵を与えます。あなたが地で結べば天で結ばれ、地で解けば天でも解かれます。どれくらい簡単でしょうか。今日でも、この契約を捕まえて、私が今、伝道にどのあたり用いられているか、みことばを捕まえて祈りだけすれば、ずっと開かれるのです。ところで、このやさしいことからしなくて、難しいことからしようとするので難しいのです。このようにやさしいことをしなくて、難しい牧会をしようとするので難しいのです。このように驚くべき祝福をみな捨てて、事業をしようとするから問題がくるのです。それで、皆さんがこれを味わえば、簡単に理解できます。ところで、クリスチャンが、違うように右往左往しています。それで、皆さんが困難がきても気を使わずに契約を捕まえましょう。みことば、祈り、証拠。これを捕まえれば、働きが起きるようになっています。伝道を始めるならば、門が開かれて弟子が出てきます。キリストが暗やみをうち砕いてしまい、わたしはあなたがたに権威を与えると言われました。皆さんが本当に勝利する時、天からの力、使徒1:8。献身する皆さんに結論を結びます。
■私はみな見ていないのですが、本を読んだり、近くにいる人々を見ると、未信者で成功した人は1人もいませんでした。私が見た時の話です。お金は儲けたのですが、みなほろびます。そして、政治的に上がったようですが、みなほろびるのです。私が見る時には、それは成功でないと見ます。信徒。教会通う人が失敗するのをたくさん見ました。それで、私は教会に通えば失敗するものだと思ったのです。それで、昔に早く目が開かれて、教会に通わないことにしたのです。ところが、そうではなく、うわべで教会に通っていた人でした。多忙でした。そうするうちに、ある日、伝道する人に会ったのです。こういう人もいるんだなと思いました。そこで多くの挑戦を受けたりしたのですが、この人も霊的問題に崩れるのを見ました。その時、私が発見したことがあります。霊的問題です。人々がこれを知らないので崩れるのだな。この時、出てきた答えがあります。なぜ私たちに権威をくださると言われたのでしょうか。なぜイエス様が天と地の全てを持ったと言われたのでしょうか。何のためにわたしがあなたがたに悪霊を追い出す権威を与えると言われたのか分かるようになりました。こうすれば本当に変わります。
■今日から皆さんに神様が与えられる新しい力が始まられるように願います。どれくらい簡単でしょうか。このように祈りを開始すれば、神様が答えられれば確かに変わります。それで何のためにだめになるのでしょうか。皆さんの目を暗くさせて、力をみな抜いてしまうのです。それで、神様が権威を与えられました。今日、この鍵をつかまえるように願います。皆さんをだまして、知らないようにさせる暗やみの勢力を押し倒さなければならないではないのでしょうか。皆さんの力でだめだから、権威を与えられたのです。この鍵をつかまれるように願います。これが信徒の権威です。まだ理解できませんか。皆さんの家を引続き倒してきたではないでしょうか。それをうち砕けという言葉です。権威。理解できないでしょうか。すべての先進国の子たちを、全部、麻薬屋にしていないでしょうか。それをうち砕きなさい。権威です。皆さんにあまりにも多くの祝福が来ているのにも、知らずにいるのではないでしょうか。特に牧師、長老の子どもが、どれくらい重要なのでしょうか、それなのに知らずにいるのではないでしょうか。
■ある学生が告白しました。牧師の子どもなのに、この子が売春婦のように歩き回ったのです。ある日、みことば聞いて悟ったのですが、「私が今、完全に暗やみに捕えられているんだな。」これ一つ悟ったのに、答えがき始めました。それで今は完全、使命者になりました。それで、皆さんが弱くないことを知らないようにさせます。それのようにくやしいことがどこにあるのでしょうか。皆さんに世界征服する答えが来ているのに知らないのです。ものすごく苦しいのです。皆さんにみな来ているのに、知らないのです。これが暗やみの勢力です。それで、それに勝つ権威をくださったのです。すばらしいみことばです。それで、毒を飲んでも死にません。蛇とさそりを踏みつけます。その勢力を制御する権威を与える。一番最後に、わたしの名で行きなさい。これは悟るだけでも働きが起きます。来ているものと思ってしまったら、悟りさえすれば暗やみが皆さんにきても、何の関係もありません。ところで、なぜ私に問題が来るのでしょうか。心配してはなりません。千人があなたのそばに倒れて、万人が転んでも、災いはあなたに近づくことができないと言われています。四方から囲まれても、窮することはありません。関係ないのです。。
■長老が祈りましたが、いくらタラッパンを攻撃して、悪口を言っても、自分たちだけが損をするのですが、何の異常もありません。毒を飲んでも死なず…祈るように願います。釜山市内700ヶ所に伝道弟子を植えて、釜山の暗やみをうち砕くのです。皆さんが本当にこの祈りを始めましょう。そうすれば、神様がこの周囲、皆さんの家庭、全てのものを変化させられるでしょう。高慢になる必要はないのですが、無力だという必要もありません。ある人は信仰がないと言うのですが、信仰なしでは救われません。そのようなことは言わないように。自分の力がないのと、信仰は違います。
■私はできないが神様はなさることができます。ところで、絶対に皆さんの家系がサタンにだまされないように、権威を与えられたのです。すごいではないでしょうか。今は、世の中に勝てる権威を与えられました。皆さん自身が力を得られるように権威を与えられたのです。この権威という言葉が、とても重要な言葉です。それで、天国の鍵を与えます。皆さんが行く所ごとに今週に暗やみの勢力が崩れる、暗やみの勢力が完全に逃げる働きがあることを希望します。世界宣教することができるように、私たちの一般信徒宣教会祈りをお願いします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私を悟らないようにさせる暗やみが、イエスの御名で崩れますように。神様の祝福を見ないようにさせる不信仰が、イエスの御名で崩れますように。長い間、私を捕まえていた無知の悪魔が崩れますように。暗やみの中に陥ったのも知らず、私たちの家系をひきつけている暗やみの勢力が、イエスの御名で崩れますように。この回りにある暗やみとすべての偶像が、イエスの御名の前に崩れますように。今日、勝利の門をあける祝福の日になることを祈ります。生きておられる主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン