2007年8月26日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/神様を真に体験したダビデ
(詩144:1〜15)

■今日、説教を聞くのではなく、神様のみことばを通して皆さんが大きい祝福を受けるように願います。私はよく知らなかったのですが、レ・ミゼラブルという有名なミュージカルがあります。一時、ジャンバルジャンと翻訳されて出ていました。私はとても幼い時に読んだためか、おもしろいと感じられなかったのです。レ・ミゼラブルという作品は、全世界の国の言葉で翻訳されています。この前までブロードウェーのミュージカルが10年間、公演されていました。すごいと言えます。原作者がビクトル・ユーゴーという人です。どんな観点で書いてヒットしたのでしょうか。その人が何の思想で書いて、世界的な作品になったのでしょうか。簡単に一言で人生は戦いだと言いました。人生は戦争だと言ったのです。何の戦いなのでしょうか。詳しく見れば、みな戦っているのです。どのように戦うかが、とても重要です。ほとんど戦わない人はいません。商売どうし、兄弟どうし戦います。男は夜遅くまでK1、戦いを見ます。奥さんは、それが、何が良いから夜遅くまで見るのかと言います。女性は、連続ドラマ、言葉で戦うのを見ます。人生は戦うのです。時々、子どもたち会ってみれば、互いに私に自分を良く見せようと戦います。1人が先にアピールすれば、1人は気分を悪くします。いつでも人々は戦うのです。
■今日、詩篇144篇は、ダビデが戦争で書いた記録です。ダビデは信仰人である以前に、軍人であったし、王でした。ダビデは戦争の英雄です。さっと聖書の記録を見ても6回くらい勝利しています。一度も負けたことはありません。若い時、ゴリヤテを一気にうち破って英雄になりました。ダビデが英雄になったので、サウル王がダビデを殺すために突然ペリシテの戦闘に送り出します。それがダビデの二番目の戦いになります。ダビデは勝利して戻ってきました。三番目は、ダビデに報復するためペリシテが攻撃してきたのです。そこでも、ダビデは勝利します。サウル王のためにダビデは避けて逃げ回り始めました。そのような中で、ケイラ地方でイスラエルが危機にあっていた時、その時、戦場に出て行って、また、勝利しました。ダビデが、ツィケラグという地域に逃げていました。ダビデがそこに現れると知って、アマレクが攻め込んできました。ダビデはアマレクと戦って勝利しました。最後の時、ギブア山でサウル王が戦争して死ぬことになります。そこでイスラエルが敗北するようになりました。その時、行ってサウルの死体を探してきて、戦いで完全に勝利するようになりました。
■詩144篇は、その戦いの中の一つです。学者によって、どの戦いかというのに差があります。それは私たちに重要なことではありません。説教をする時、例をあげる時、少し違うこともあるでしょう。私たちが統計を話してみるならば、統計が合わないこともあります。正確なほど良いでしょうが、それが重要なのではありません。重要な話をしようと、それを引用しているためです。私たちは重要な部分を144篇で見なければなりません。
■ダビデ王は、サウル王とも事実上、戦いをしたのです。ダビデの周囲には、おかしな悪い臣下が多かったのです。そこでも、ダビデは戦って、勝利しました。今日、皆さんはここで重要な答えを捜し出さなければなりません。皆さんの未来はどうなるのでしょうか。私の未来はどうなるのでしょうか。気になります。私が見る時、見る基準もここにあります。戦いをどのようにするか、その基準とレベルと内容です。それがその人の未来を左右します。戦うことを見れば、その人が成功するのか、失敗するのかを知ることができます。小さい戦いや、口げんかをすれば、戦いにもレベルがあります。話をしても基準があって、レベルがあります。それが間違いなく、皆さんの未来を確定するでしょう。どんな戦いをするのか。それが皆さんの未来と、私の未来を決めるのです。とても重要です。一言で、信仰人は戦いが上手でなければなりません。その言葉は、本格的に戦えという言葉でなく、良い戦いをよく戦えということです。実際、将棋をしたり、碁を打っても戦うことです。相手方をすぐ知ることができます。ある程度、その人の未来が分かります。たいしたものでないのに、将棋、碁を打って、腹を立てる人がいて、すぐ分かります。卓球をしてみても分かります。その人の人格が分かるのです。戦いは、とても重要です。
■信仰人は、どんな戦いをしなければならないのでしょうか。どんな戦いを戦ってこそ勝利するのでしょうか。とても重要です。短い時間ですが、神様のみことばをよく見て、答えを得るように願います。ダビデはどんな戦いをしたのでしょうか。大きい最初です。どんな戦いをしたので勝利したのでしょうか。ダビデは、むだな戦いをしませんでした。それがダビデが勝利できる秘訣でした。ある人々はむだな戦い、損する戦いで戦います。そのような人がとても多いのです。戦う内容ではないのに戦うのです。むだな戦いを継続します。ある人は、自分が損する戦いを継続するのです。また、ある人は霊的な問題が多くて、自分の誤りは全く知らずに、他人の誤りだけしばしば話して、完全にほろびる戦いを継続するのです。まさにサウル王の戦いがそうです。サウル王の戦いが、むだな戦いです。大きい人物ダビデが出てくれば育てれば良いのに、その人物をしばしば殺そうと、むだに戦ってほろびました。サウル王に従う臣下は、全部、損する戦いをしました。ダビデは王になることが確実でした。そこに戦いを挑むのは、損する戦いです。世界福音化は確実です。そこに戦いを挑むのは、永遠に損する戦いです。皆さんは世界福音化する主のしもべだから、確実です。したがって、損する戦いをしてはいけません。
■特にサウル王は霊的な問題がとても多いのです。自分の誤りは一つも知らずに、他人の誤りだけ話します。これは深刻に失敗する者となります。想像以上に、こういう人々がとても多いのです。静かに見れば、夫婦も無駄に戦う人が多いのです。私たちも教会の中で、職場で、損する戦いをよくします。その中で最も深刻な戦いが、霊的な問題で戦うことです。ダビデはここに勝利しました。むだな戦いをしませんでした。ダビデは一度もサウル王を攻撃しませんでした。ダビデのおもな特技は戦いです。大きい戦争で6度も勝利したのです。ところで、サウル王とは戦いませんでした。ただ一度も、サウル王を触りませんでした。これがダビデが人生を勝利した秘訣です。あまりにひどすぎるので、そばで話したのです。あのサウル王は本当に変だ。本当に人がとても変だから、塞ぐべきだと言いました。その時、ダビデは神様が油を注がれたしもべに手を付けるのは、神様が喜ばれないと言いました。まだ自分が仕えている人です。それで、ペリシテまでサウル王と戦わないために逃げたのです。ダビデに従う人は多かったのです。私はダビデを見る時、真に戦いが上手だったと思います。サウル王に対するつぶやきも言いませんでした。私たちはつぶやきをどれくらいよくするでしょうか。ある人は相手にしたくありません。少しのことも誤解して、それでは、会うのがいやになります。また、ある人は他の人が間違っていることを記憶しています。それも精神病です。そのような人を、どのように相手にするでしょうか。会えて安らかで、理解もして、間違ったことも覆ってあげて、忘れてしまったりもしなければなりません。ところで、自分の誤りはみな忘れるのです。そのような人と世の中で生きようとすれば、どれくらい大変でしょうか。ただ一言もダビデはつぶやきも言いませんでした。神様が油を注がれたしもべを私が触って良いだろうか。そばの人を止めさせて話しました。それは神様が許されないと言ったのです。
■ある日、突然見たら、アブシャロムが攻撃してきました。ダビデが裸足で逃げました。逃げながら軍人に残した話が、絶対にアブシャロムを殺さないでくれと言って逃げました。避けて逃げたのではなく、アブシャロムを殺さないために逃げたのです。これくらいの戦いができるならば、成功する人物です。戦わないように、逃げたのです。他の人に被害を与えないために逃げました。私はダビデを見ると、戦争の英雄でもありますが、人生の戦いの英雄だと思います。ダビデが失敗したこともあります。息子が生まれたのですが、死ぬようになりました。どのようにしたのでしょうか。ダビデが断食しながら祈りました。ところで、臣下が見たら、残念だったのです。息子について祈るのに、王がご飯も食べないで祈りをするから、臣下が見るのに苦しかったのです。断食して祈っていました。ところで、息子が死んだのです。そのように祈ったのに死にました。臣下が話をすることができなかったのです。王様があのように断食して祈っているのに、息子が死んだと話せばどうだろうか。言えなくなっていたので、ダビデが先に話をしたのです。今、あなたたちの顔を見ると、私の息子が死んだようだと言いました。するとダビデがすぐ姿を変えたのです。それでは食事を準備をしろと言いました。臣下がびっくり驚いたのです。もうその息子は神様が呼んで行かれたのに、戻ってくるだろうか。私が彼に行くので、どのように彼が私の方に来るだろうか。今は食事をしてもう、生きる準備をしようと言いました。これがダビデの人格です。見る時、神様の祝福を受ける人です。
■皆さんは、可能ならば教会で、職場で、家庭で、むだな戦いをしないように望みます。損する戦いをしなくなることを望みます。特にサウル王のように、ほろびる戦いをしてはいけません。サウル王がダビデを殺そうと、何度か試みたのですが、そのようなつまらないことをなぜするのでしょうか。2度も槍を投げて、殺そうとしました。刺客を送ることもしました。ダビデを手助けする人を殺しさえしました。ダビデが行く所ごとに探して行ったのです。ダビデ殺すと軍隊を連れ回しました。どれくらい緊急だったのか、ダビデが国境を越えて逃げました。サウル王はいのちをかけて、むだな戦いを継続したのです。完全にほろびました。突然、ペリシテと戦闘になって、王が軍服を着て出て行きました。それがギブア山の戦闘です。戦争に出て行って、ペリシテ軍の矢がサウル王の胸にささったのです。矢がどれくらいひどくささったのか、サウル王が抜こうとしたら、抜けずに折れたのです。だから、サウル王が自分がだめなことが分かりました。サウル王が、卒兵を呼んで、私がイスラエル王なのに、どうしてペリシテの卒兵の矢で死ねるかと言いながら、刃物をあげて私の首を打てと言いました。私がペリシテの矢に死ぬ前に、私の首を打てと言ったのです。どのように、卒兵が王の首を打てるでしょうか。絶対にできませんと言ったところ、サウル王が自分の刃物をおいてその上に覆い被さって死にました。それでサウル王が自殺したとも言われます。心臓には矢がささって、腹には刃物がささって死んだのです。馬に乗って過ぎ去った軍人が、王の軍服を調べてみました。その人がイスラエルの王だとして、首だけ打って持って行ったのです。サウル王は、首を切られたように、首が飛んだ死体になりました。いったい、何度、死ぬのでしょうか。死ぬのは一度ですが。ペリシテが勝利したと、サウル王の死体を持っていったのです。ベテ・シャンという城壁にサウル王を貼り付けて、全身に釘を打ち込みました。死んだ死体に釘で壁に打ち込んだのです。このように、サウル王は一生を終えました。もちろん、その息子ヨナタンも一緒でした。とてもみじめな人生をサウル王が送ったのです。
■その時、大騷ぎが起こって、臣下の中で1人がサウル王の孫を抱いて行って落としました。幸いなことに、頭をケガしないで、足を怪我したのです。その名前がメフィボシェテという王子です。一生、足を使うことができなかったということです。ダビデは死ぬ時までメフィボシェテと一緒に食事をしたということです。私が見る時、ダビデは素晴らしい人です。王である以前に、素晴らしい人です。私たちは神様の子どもなのに、むだな戦いで失敗する必要がありません。ダビデはどの場合も、むだな戦いをしませんでした。私たちは、ここで多くの祝福を学んで受けなければなりません。私は皆さんが祝福を受ける人になるように願います。
■私は幼い時から教会に通っていました。家がクリスチャンホームです。私は色々な教会に通いながら見たのです。多くの牧師、長老を見ました。とてもつまらない言葉と、多くの戦いにまきこまれているのを見ました。絶対に聖霊の働きではないと思います。それは、サタンの働きで、どのように聖霊の働きがそのようなことができるでしょうか。そのように力なく教会も、自分自身も死にかかっているのを私は見たのです。その時、私は決心しました。もし私が牧師になったら、福音を伝えること以外はしない。教会がすることが何でしょうか。みな過ぎ去ることです。むだな時間を送るので、サウル王のようにみじめに死ぬのです。よりによって、静かに見ると、サウル王がやられたのが、ダビデ王を触った分だけです。全身にクギが打ち込まれたのですが、サウル王がダビデの心に釘を打ち込んだのです。サウルは多くの預言者を殺しました。むだな霊的な戦いに失敗して、サウル王がそのように死んだのです。それだけでなく、信仰人や成功者が、全部、むだな戦いを戦いませんでした。
■それでは、ダビデはどんな戦いを戦ったのでしょうか。今日の戦闘を見ると、自分の戦いでの告白が今日の本文に出ています。ダビデは単に戦いを戦ったのではありません。理由ある戦いをしました。簡単に話せば、信仰の戦いをしました。ダビデはゴリヤテの前に出て行く時、主が私を獅子と熊から救い出して下さった、あの悪い神様を侮辱するゴリヤテの手から救い出して下さると信じると言いました。今日の1節に、ほむべきかな。わが岩である主。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる。そのまま戦ったのではありません。むだな戦いをしたのではなく、悪い者を破るのに、神様が私の手を鍛えられたと言いました。このように告白しました。簡単に話せば、完全信仰の戦いを戦ったのです。3節には、主よ。人とは何者なのでしょう。あなたがこれを知っておられるとは。人の子とは何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。人はただ息に似て、その日々は過ぎ去る影のようです。5節に、主よ。あなたの天を押し曲げて降りて来てください。山々に触れて、煙を出させてください。特に7節を見ると、いと高き所からあなたの御手を伸べ、大水から、また外国人の手から、私を解き放し、救い出してください。特に10節には、神は王たちに救いを与え、神のしもべダビデを、悪の剣から解き放されます。ダビデは幼い時、神様が共におられる証拠を持っていたので、それ一つだけも戦いに勝利することができたのです。動機ある戦いをしたのでなく、理由ある戦いをしました。Iサムエル17:29にも、兄がなぜここに来たのかと聞いた時、私がなぜ理由がないでしょうかと言いました。ダビデは侵略者などの横暴をうち破る戦いをしたのです。6節に、いなずまを放って、彼らを散らし、あなたの矢を放って、彼らをかき乱してください。ダビデは戦争をしたように見られるのですが、信仰の戦いを戦ったのでした。
■さらに重要な戦いがあります。ダビデは霊的な戦いをしました。特にサウル王のゆえにです。世の中に出て行って世の中と戦う時は、神様のみことばで信仰で戦うのですが、内部の戦いが起きれば、霊的な戦いをしなければなりません。戦う方法を分からなければならないのです。家族、教会、同僚がいる時、人との戦いでなく、霊的な戦いです。理由が何でしょうか。どのようにサウル王と肉体的な戦いをするのでしょうか。家族どうし、どのように肉体的な戦いをするのでしょうか。王に付いて回る臣下が問題を起こすのに、どのように肉体的な戦いをするのでしょうか。ダビデは戦いの名手です。どのように、刃物を持って王の前に現れるのでしょうか。そのような戦いをしたのではありません。アブシャロムのように、反乱を起こす戦いではありません。ダビデは、敵とは肉体的な戦いをしたのですが、完全に霊的な戦いをしました。2節に、主は私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所。私の民を私に服させる方。主が私の盾で、やぐらであるために、民を主が服従するようにされると言いました。事実、短い時間ですが、私たちが必ず記憶しなければなりません。内部に起きる問題は、肉的戦いでなく、霊的な戦いをしてこそ、勝利するのです。今日11節に、私を、外国人の手から解き放し、救い出してください。彼らの口はうそを言い、その右の手は偽りの右の手ですと言いました。エペソ6:10〜20節には、終わりの時は主にあって立てと言われました。世の中で誰も話すことができない部分を話したのです。私たちの戦いは血肉に対するものではありません。私たちの戦いは悪魔との戦いです。一般人が知らない話をしました。エペソ6:13には、最後の日に立つためと言われています。目に見えない悪魔はよく知って、皆さんを一番最後に倒せば良いから、そのようにしようとするのです。それと戦わなければなりません。私と皆さんは、今でも重要ですが、終わりがどれくらい重要でしょうか。最後に行って倒すのです。16節には火矢を撃つと言われています。隠れて、火矢を撃つのです。この悪い悪魔は、皆さんが重要だと思って隠れて矢を撃ちます。これを防ぐために、戦いなさい。私たちの戦いは霊的な戦いです。ダビデはこの戦いが上手でした。
■さらに重要なのは、ダビデはさらに重要な戦いをしました。自分自身との戦いです。この戦いがとても重要です。1節に、ほむべきかな。わが岩である主。2節に、私の恵み、私のとりで。私のやぐら、私を救う方。私の盾、私の身の避け所と言いました。誰も取っていかないのに私が奪われるのです。確かに主は私の岩、とりでなのに、私が揺れるのです。とても困難がくれば混乱します。皆さんは全く揺れなくても良いのに、私たち自身が揺れるのです。ここでダビデは勝利しました。この部分が簡単にやられる部分です。他の人はみな大丈夫だと言うのに、私が揺れるのです。聖書のみことばにも大丈夫だと言われているのに、私が揺れるのです。これからうまくいくはずだと言われるのに、私が揺れるのです。この戦いが最も重要な戦いです。箴言を見れば、城を守ることより、私の心を守るのがさらに骨を折ると言われています。ダビデが15節にこういう告白をしました。幸いなことよ。このようになる民は。幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。私たちはすべて持っているのに、私たちは不信仰で自分から始まるのです。私たちの戦いで一番重要なのが自分との戦いです。私の周囲に神様は祝福をいっぱい準備しておかれたのに、私が崩れるのです。神様はヨセフを用いられるために、奴隷として連れて行かれたのに、私たちはそれを嫌だと言います。神様はヨセフを正しく用いられるために、監獄に連れて行かれたのに、私たちはいつも恨むのです。神様がモーセを連れて、全てをみな準備されたのですが、モーセはあまりに荷が重いから嫌だと言いました。自分自身に負けるのです。神様はイスラエル民族の責任を負われるというのに、荒野を通り過ぎながらしばしば恨むのです。このように愚かな者のようにします。ものすごい祝福の中にいながらも、私たちは知らないのです。自分自身がしばしば負けるのです。
■私はこのように話しました。私たちのタラッパンにきて働きをしながら、感謝を悟ることができないことは、人間でもないと言いました。それは豚のレベルであって、人間のレベルではないと言いました。福音の中に入ってくれば、できるようになっています。私はある時、見れば恥ずかしいのです。福音の中に入ってきた恵みのために、どれほど多くのことを味わって、祝福を味わうのでしょうか。今、世界宣教団体の中で伝道するチームが韓国でも、どこでも経済がなくてできないのです。神様が行く所ごとに満たされてあふれる働きを起こされるのです。これが何か分からなければなりません。私たちがすることでもありません。どれくらい感謝なことでしょうか。見れば、多くの人々が、とても多くの祝福を見て恵みだけ守っていれば良いのに、しばしば損しています。自分自身をのがすのです。ダビデは肉的戦いが上手だったのですが、霊的戦いも上手にしました。ダビデは霊的戦いが上手だったが、自分自身との戦いが上手だったのです。どれくらい気落ちすることが多かったでしょうか。気を落としませんでした。サウル王があのように出てくるのに、どれくらい傷が多かったでしょうか。しかし、傷つかなかったのです。どうして、そうだったのでしょうか。
■私たちが最後に考えるべき部分があります。ダビデはタイトルのとおり、神様を真に体験した人です。そうすれば、可能なのです。神様を真に体験したので可能でした。私が昔に学校に通っていた時でした。大学院一年の時です。時々、学校で毎週、毎日、礼拝をささげるのに、学生の時、敬虔会に参加すれば恵みになりません。私の誤りもあるでしょう。説教する方の誤りもあるでしょう。まったく恵みになりませんでした。敬虔会の礼拝に参加するのがあまりにも荷が重かったのです。私だけそうだと思ったのですが、他の学生たちも逃げていました。伝道師が礼拝時間に逃げれば良いでしょうか。私も可能ならば逃げました。これを感づいた学校で、敬虔会の時間にはチケットを出すようにしたのです。恥ずかしいことです。伝道師が礼拝時間に入らないので、チケットを出して入ったのです。牧師先生はおかしな神学校を出たと考えるかもしれませんが、違います。私は良い神学校を出ました。行く所ごとにそうなのです。おもしろいことです。
■ところで、一日、私が恵みを受けたのです。牧師でもなくて、先輩が1週に一度、卒業生が出てきて説教をしました。私は今でも思い出します。その人の名前も思い出します。金ムウンという伝道師が上がってきました。どれくらい謙虚な姿で説教をしたのか、とても恵みを受けたのです。ところで、私だけが受けたのではありません。みな受けました。私の友人は下手すると涙が出るところだったと言いました。その人が何の説教をしたからでしょうか。自分は肺が二つともなくて、それで今日死ぬのか、明日死ぬか分からないと言いました。完全に技能がないと言いました。棒のように立っていました。出てくる時もしずしずと出てきて、話もしずしずとしました。はじめての言葉が、今日も寝て起きるので、いのちが続いていると言いました。神様の恵みがとても感謝で、それに対する告白をすると言ったのです。力がないから強い説教でもありません。その方がたくさん研究して話す説教でもありませんでした。ただ神様のみことばを読んで、自分が受けた恵みが感謝だと話したのです。それにすべての学生が恵みを受けました。何でしょうか。この人がからだはそうであっても、神様を体験した人なのです。神様を本当に体験した人々は違います。確かに違います。神様を本当に体験した人々は、現在も違って、未来も違います。皆さんが病気にならないで、今日、神様の恵みで神様を体験する祝福があるようになるように願います。
■どのようにしたら良いのでしょうか。今日、皆さんの問題は何でしょうか。そこには確かに答えがあります。それが神様の計画に入っているとすれば、どうなのでしょうか。それは間違いない事実です。皆さんが本当に持っている問題は何でしょうか。それは神様が重要な計画を隠している今日です。今日3つの戦いを始めなければなりません。本当に世の中に出て行って、信仰の戦い、他の人が知らない霊的な戦い、ダビデのように自分自身との戦い。皆さんが生きる間、どれくらい大変で、世の中でどれくらい大変でしょうか。しかし、聖書はこのように話しています。わたしがあなたといつもともにいますと約束されました。目に見えなく、主がヨセフとともにおられたと言われています。皆さんが行く所に、聖霊でまちがいなく働かれます。この証拠を捕まえなければならないのです。
■私も信仰生活して、皆さんに会う間、多くの困難がありました。ところで、幸いに祈れるようになったのです。自分の人格はそうではないのですが、神様はそのようにして下さったのです。どれくらい外で困難を与えて、中でおかしな人々がいて、困難が多かったのです。幸いにも、戦わないで神様が祈るようにさせられました。本来、私の人格は戦う人格なのに、神様が祈るようにされました。一度も神様はそれで失敗させられないで、答えを与えられたのです。そうでなかったら良かったのですが、むしろそのような人々がみな失敗させられました。証拠があって体験があります。ダビデがこの体験を捕まえたのです。その危険の中で、獅子と熊からも神様が保護されました。この信仰を幼い時に持って、ゴリヤテに会った時も神様が私を救い出して下さるはずですと言いました。戦場に出て行っても神様が私を救い出して下さるだろう。むしろ、周囲の環境に困難が来たら、霊的な戦いをしました。このようにダビデは勝利したのですが、一番多くの詩が作られました。一番多くの嘆きが出てくるべきなのに、感謝が一番たくさん出た旧約の人物がダビデです。本当に不思議です。困難に一番たくさん受けたのですが、感謝を一番よくしました。神様が皆さんを今まで守ってくださいました。それが証拠です。ダビデはその証拠を捕まえたのです。聖書の歴史に、教会史に、いくらでも証拠があります。
■今日、皆さんがダビデが戦った戦いを始めるように願います。神様のみことばを整理します。皆さんが世の中に出て行って、信仰の戦いを戦えば、それが全部答えになって戻ってきます。また、霊的な戦いを戦えば、まちがいなく、皆さんが勝利する戦いになります。自分自身の不信仰と戦えば、全てがみな回復します。こういう祝福がすべての家族に、インマヌエルのタラッパンの家族に臨むことをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。私たちにダビデのように戦う勝利する勝利者にならせて下さい。信仰の戦いを戦うようにさせて下さい。霊的な戦いを戦うようにさせて下さい。私自身との戦いで勝利するようにさせて下さい。今日、この場に神様の貴重な民が集まりました。神様が今日、ダビデに与えられた恵みを与えられると確信します。今日、この方たちが、契約を捕まえる瞬間に、すべての暗やみが離れるようにして下さい。この方たち契約を捕まえる瞬間に、すべての困難が祝福にひっくり返されますように。今日、主の聖霊が個人に最も強く働いてくださって、新しい力を与えて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン




2部/私は真に救われたのか
(Iヨハネ5:11〜13)

■皆さんは、みな願いがあるでしょう。その願いが人ごとにみな違うことがあります。その願いが答えを受ける道であるなら、どうしますか。今日の本文の中にあるので、よく捜し出すように願います。皆さんに各々悩みもあって、願いもあるでしょう。それが解決される道があるのです。それを捜し出さなければなりません。今日、福音の手紙5回目の出会い、私はなぜ確信がないのか。良くならないからです。それで、私は今日のタイトルを、もう少し理解するために「私は真に救われたのか」にしました。私が本当に救われたのか。皆さんが新しい家族に会った時にしなければならない話と、皆さんが持っていなければならない部分です。すでに救われた人には来ている祝福があります。それ以前に、最も重要な部分が一つあるのです。祈りの答えを受けるために必ず重要な部分です。イスラエル民族がエジプトの中にいた時、すでに救われていました。エジプトの奴隷であっただけでした。皆さんがいつ救われたのでしょうか。聖書には世界の基の置かれる前から救われたと言われています。皆さんがいつ救われたのでしょうか。生まれる前に神様が定めておられたと言われています。それなら、問題になることがありません。証拠は一つしかないのです。
■今日の本文に出てきています。皆さんがキリストを知って、信じられれば、救われたのです。ところで、なぜだめなのでしょうか。それが問題です。それで、新しい家族に会った時、一番最初に与えなければならない部分です。救われれば良いのに、なぜだめなのでしょうか。だめなくらいは良いのですが、難しい問題がどんどん来るのです。救われた神様の民がエジプトに行っているのです。救われなかったのではありません。はやく悟らなければなりません。
■奴隷状態にあるのです。それで、神様の民なのに、だめなのです。エジプトの奴隷だからです。他の方法はなくて、霊的に話せば、サタンが皆さんを押しているのです。新しい家族が、皆さん自身が、信仰生活で一番最初に悟らなければならない部分が、この部分です。そうでなければ、ここに来る理由もなくて、礼拝をささげる理由もありません。今日、皆さんを押している暗やみが崩れるようになることを希望します。それが最初のことです。
■それにならないのに、どのようにするのでしょうか。イエス様が直接話をされました。あなたの家にいるサタンを縛らなくては、家具を取り出せない。だから、まず最初にこの部分なのです。これが何の話なのでしょうか。ある人が、女の方でしたが、しばしばギャンブルをしました。いたずらして花札でギャンブルをしようというのではなくて、本格的なギャンブルをしたのです。それで心配になって、夫婦の間に問題がきました。どの程度、ギャンブルをしたのか、子どもを育てることができないほどしたのです。何か押さえられた状態です。理解できるでしょうか。これが何かに捕えられたことなのです。
■こういう人々が多いのです。だから、はやく抜け出さなければなりません。これをパロ王が、霊的に話せばサタンが、つかんでいるから、皆さんは勝ったのに、祈りだけすれば、羊の血だけ塗りさえすれば、みわざが起きるのです。田舎に送ったのに、またしました。どこで会ったのか、また自分の仲間が集まってしたのです。霊が通じるのか、どうしてか、またしたのです。本当に不思議に思えることです。皆さんが何でもないようでも、各個人にこういうものがあるのです。これが、祈りの答えを受ける最も大きい最初のことです。今日、私たちのメッセージを聞く地教会、衛星で聞いている教会は、同じ祝福があることを希望します。皆さんが感じられなければなりません。それでこそ、皆さんが勝利できるのです。私たちが奴隷になっているのかを分かってこそ、出てくるのに、知らないから出て来ることができないのです。皆さんの故郷はどこなのでしょうか。家系はどうなのでしょうか。どのように生きてきたのでしょうか。何か感じることはありませんか。これをつかんでいるのです。それで、イエスを信じれば神様の子どもになると言わず、神様の子どもになる特権を与えたと言われたのです。それで、あなたとともにいるためだだけでは終わらず、悪霊を追い出す権威を与えるようにしようと言われたのです。単なるわたしの子どもではなくて、わたしの名で何でも求めなさい。
■福音の手紙を持っておもに新しい家族とするでしょう。とても重要な部分です。これを解きほぐせないので、これが救われたのに、縛られてやられてしまうのです。この言葉が分かったならば、事実上、大変なことになります。皆さんがひょっとしてわかるのでしょうか。皆さんが今の現場に未信者ならば伝道をしたら、新しい家族に何を話すのでしょうか。私が福音の手紙を持って人々を送り出す時、そして、それを私が初めに書いた時の現場を考えてみてください。全く同じです。ここに座っている皆さんも今、全く同じです。何かに押さえられているのです。それも救われた神様の子どもがということです。救われなかったのではありません。神様の子どもです。選ばれたイスラエル民族が、モーセを含めて、エジプトの奴隷になっているのです。出て来なければなりません。それで、血を塗った日、出てきました。それで、サタンの勢力をイエスの御名でうち砕くのです。押さえられる人々を見れば分かります。奴隷なのに、自分の思いのどおりになるでしょうか。私が知っている一人の人は、執事で信仰がとても良かったのですが、ひとまず酒を飲めば夜通し飲みました。単に少し飲むのではなくて、夜通し飲むのです。それで、私が奥さんに尋ねたところ、時々、2-3日も飲むということでした。それで、その翌日は病院に行かなければならないということでした。それをあまりに繰り返して、血を吐いたということです。そうしたら、悔い改めるのです。救われなかったのではありません。神様、私が本当に申し訳ありません! と悔い改めます。そして、正常になればまた飲むのです。押さえられることは、何かに捕えられているのです。皆さんがよく理解することを希望して、今日、皆さんに何か押さえられていることがみな解けるようになることを希望します。
■それになれば、だめになります。それでは、皆さんが受けた祝福、これから受ける祝福はどれほど多いでしょうか。全く同じです。皆さんが受ける祝福と受けた祝福が大きく四つあります。それが五回目の出会いに出てくるのです。何でしょうか。皆さんにいのちが与えられました。いのちが与えられたということは、ずっと答えが来るということです。これを知らないから揺れるのです。それで、知らないことではなくて、味わえないのです。なぜなら縛られているためです。ところで、これはとても簡単です。悟ってしまえば良いのです。私が今、何かに縛られているんだな、わが家が何かに縛られているんだな、私の子どもが何かに縛られているんだな。思いどおりにできないのですが、それが何でしょうか。皆さんの家が思いどおりにできないのは、何かに縛られている、それが何でしょうか。人の力ではだめなのです。それで、イスラエル民族が奴隷になったのです。いくらエリートでも奴隷は奴隷です。少しだけ気をつけてもみわざが起きます。私たちの教会を見るのと、ペルーの人が40人くらいいます。その人々が夜に商売をします。そして、昼間には神学院に来ます。そして、夜に商売をして礼拝をささげに来るのです。ところで、ちっとも居眠りをしません。うとうとしてこそ、正常なのに。挨拶する時、メッセージを終わって出れば、私に「柳先生、メッセージ、good」と話して出て行きます。ところで見れば、正常な私たちの韓国の人々は、礼拝時間にきて礼拝はできずに、居眠りする人がいます。誰でもみな眠たいでしょうが、他の時はしなくて、礼拝の時はうとうとする人がいるのです。これは普通に押さえられたのではありません。他の時はうとうとしないで、礼拝の時だけうとうとする人がいます。他の時もうとうとして、礼拝の時もうとうとする人は当然のことです。そして、他の時は眠たいのに、礼拝の時は眠たくないのが信仰人です。
■ところで、他の時は眠たくないのに、礼拝の時だけ眠たいのは、確かに押さえられた人です。本当に不思議に思うことです。皆さんが見れば、少しだけ悟れば良いのです。これからだめならば、祈りの答えが始まりません。今日、皆さんは短い1時間の中で答えを受けられます。今日、一度試みてみてください。皆さんが祈る時ごとに、この通りにしてみなさい。すべての暗やみは離れるように。何かが皆さん子どもを、皆さんを押しているのに、抜け出さなければなりません。救われたのに、押されているのです。だれがつかんでいるのでしょうか。パロ王がつかんでいます。パロ王とは誰でしょうか。霊的にサタンです。それで、主の御名で送り出すようにと言ったのです。それで羊の血を塗る日、出てきました。イエスの権威ある御名で。私はある日、聖書を悟ることができました。「ア! ,人間の問題は、神様を知らないところから始まったんだなあ! ,この神様を知らないようにするには、サタンが働いたんだなあ。それで人間はほろびるしかはないのだな。それでキリストを送られたんだなあ! 」これだけ悟ったのに、答えがきたのです。ところで見ると、これが見られるのです。皆さんは神様が、どんな祝福をくださったのでしょうか。いのちを与えられました。
■二番目は何でしょうか。世の中のこととは違うのです。キリストの中にある驚くべき祝福7つがあります。
■三番目には何を与えられたのでしょうか。皆さんに途方もない特権を与えられました。何を知らないので、そうでしょうか。いのちが何かわからないからです。救われた者が受けた祝福が何かわからないからです。
■そうしたら、方法が分かりません。この四つが五回目の出会いの内容です。ところで、これがなぜだめなのでしょう。先にならなければならないことがあるからです。皆さんが今、暗やみにぎゅっと捕えられているのに、どのようにいのちが何か分かるのでしょうか。皆さんが今、暗やみにしっかりと押さえられているので、祝福が何か、特権が何か、方法が出て来ないのです。それで、エジプトから抜け出さなければならないのです。悪魔のしわざから抜け出さなければなりません。それは一気にもなるのですが、いつもあります。それで、抜け出さなければなりません。そうすれば、不思議に答えが来ます。そして、今日、短い時間なのですが、終れば簡単に祈ってみてください。みわざが起きます。新しい家族に会った時、この話をしなければ、言葉はわかるのですが、だめなのです。
■二番目です。こういうものをし終えた後に、どのようにいのちを体験するのでしょうか。私がいのちを持っているというのに、どのように体験をするのでしょうか。私がいのちがあるというのに、私がどのように体験をするのでしょうか。これは実際に知らせなければなりません。2つがあります。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々は、神様の子どもになる特権を与えられました。主イエス・キリストが、私の中に臨んで下さい。再受け入れではありません。賛美で、主イエスよ。わが心に来てという賛美にあるのですが、これが再受け入れなのでしょうか。今日、イエスを初めて信じる人は、キリストが誰なのか知って受け入れる祈りだけでもみわざが起きます。タラッパンに500年ムダン(霊媒師)をして来た人がいるのですが、この人が苦しめられて、イエスだけ受け入れをしたのですが、みわざが起きました。
■その次が何でしょうか。神様、万王の王であるキリスト。この方が私の主人になられるのです。そうすれば、みわざがずっと起きます。今日、皆さんの子ども、皆さんが全部、暗やみから抜け出すことを希望します。救われたのにそうなのかと尋ねるでしょうが、そうなのです。イスラエルが1、2回、苦しめられたのではありません。救われたのに、しばしば縛られるのです。抜け出さなければなりません。それで、とても重要な言葉なのです。それで、初めてイエスを信じる人を訪ねて行って、あなたはもう終わったので、その状態から抜け出さなければならないと話をしなければなりません。霊的な状態は終わったのに、その中にしばしば押さえられて死ぬので、出てこなければならないのです。皆さんと、その人の家系と、子どもをつかんでいる暗やみの勢力をうち砕いてしまうのです。その時から、これが見え始めます。これをどのように体験をするのでしょうか。
■二番目です。神様が私たちを祝福しておられるのに、この祝福をどのように体験するのでしょうか。これも重要な2つがあります。心配を捨てましょう。今エジプトから出たのに、しばしば心配をするのです。言わば、不信仰にどんどん陥るのです。不信仰も、単なる不信仰ではありません。何の不信仰なのでしょうか。自分のレベル、自分の考えに捕えられているのです。そのような程度ではありません。神様は救われた皆さんに、7つの祝福を与えられました。これを祈りの時、体験しましょう。これが祈りです。本当に答えが起きます。主よ。この場に天の御座の門を開けて、聖霊で働いて下さい。そうでしょうか。天の軍隊を送って下さい。暗やみの勢力をうち砕いて下さい。神様の国が臨むようにして下さい。この祈りを味わえば、皆さんの事業、学業が最もやりやすくなるのです。これを体験するのです。私たちに与えられた特権は何でしょうか。あるでしょう。これをどのようにするのでしょうか。特権だというのは、特別な権力を言うのです。権力は、何をする時、現れるのでしょうか。使う時です。使わない時は、みわざが起きません。それで祈りは2つがあるのです。神様に使うのがあって、権力を使うのがあります。だから途方もない権威を与えられたのです。私たちに未信者状態に勝てる6つの権威を与えられました。すべての暗やみ、すべての偶像は離れるように。すべての霊肉の病気はイエスの御名に離れるように。すべての罪と地獄の勢力は、イエスの御名で離れるように。これを分かれば、体験するようになります。それで短い時間に体験することができるのです。それで、私は定刻祈りの時間に、必ずこの7つの祝福を祈るのにみわざが起きるのです。
■もう私たちにくださった何があるのでしょうか。方法です。この方法を知らないのです。今は方法がたくさんあるでしょうが、3つがあります。
■最初の方法が何でしょうか。神様の聖霊は皆さんといつも共におられます。それを確信と言います。救われたとすれば、確かにそうです。そして、皆さんは今は救われたとすれば、救われた人は聖霊の導きを受けます。普通の人は、聖霊の導きを受けなくて、自分の固執、レベルで導きを受けます。それで、少しだけ私たちが聖霊の導きを受けようとすれば、みわざが起きるのです。ある面で、皆さんは我を張る必要もありません。なぜなら、福音のほかは真理がないからです。皆さん考えでは、昨日は正しいのに、今日はそうではないかもしれません。それで、聖霊の導きを受けようとすれば、とてもやさしいことなのに、しばしばこの部分を私たちがのがすようになるのです。一番難しい部分です。聖霊充満、これが私たちの方法です。
■それでは、驚くべきみわざが起き始めます。こうすれば、皆さんに重要な答えがき始めるのです。本当に他の答えがまたき始めます。皆さんがこの福音を味わっていれば、どんなことが行われるのでしょうか。この祝福、福音を少しだけ味わっていれば、伝道の門が開かれます。伝道の門が開いたということは、人を教会に連れてきたというのは違うことです。神様が備えておかれた時刻表の門が開くということです。この時から、何か祈りの答えが合うようになっています。この時から、神様のみことばが成就するようになっているのです。こういう答えを皆さんが不思議にも見るようになります。今週のメッセージです。皆さんがこの祝福を受けていれば、証拠で自分と似た人に会うようになります。不思議ですが、見れば精神がおかしな人は、おかしな人どうしで会うようになります。必ずレベルが同じで会うようになるのです。それを弟子だと言います。このように出てくるようになっています。本当に不思議に、おかしな人はおかしな人どうし会います。私が見れば、皆さんが本当にこの祝福を味わうと、このような人に会うようになっています。この時から、どうなるのでしょうか。この時から、皆さんは事業に正しくみわざが起きます。この時から、皆さんは学校にみわざが起きます。起きないでも良いのですが、起きるしかありません。これを地教会と言うのです。システムが作られて行くのです。
■私はまだ祈って2つのことは、答えを受けられずにいます。祈る中で、ほとんどみな答えを受けたのですが、2つだけ答えを受けられずにいます。その一つが、これから私たちが世界教会を生かそうとすれば、副教役者が生き返るべきなのに、副教役者で、現場にこの3つを味わう副教役者が起きるようにして下さい。これをまだ私が正しく答えを受けられずにいます。その次に受けられないのがあります。役員です。私が今この2つは答えを受けられずにいます。本当にソウル市内、釜山市内、全国世界にこの答えを受けた人々が立つようにして下さい。その日に、すべての暗やみは終わるのです。これだけなれば、副教役者は心配することもありません。副教役者がこの祝福を味わって、所々で弟子がいるのに、何か問題があるのでしょうか。むしろ教会が心配をします。釜山に私と伝道運動をした人がいます。誰もいない状態で青年300人を弟子にしました。むしろ教会で心配をしたのです。柳先生が出て行きなさいと出て行けば、大変なことになる、みなついて行くと思ったのです。ところで、誰も来ませんでした。ひとりがきたのですが、精神が少しおかしな人で、また戻って行きました。本当の弟子は、人について回りません。何のために本当の弟子が、人に付いて回るのでしょうか。それはみないんちきだけで、そのようにするのです。それで、私が誰もいない間に弟子300人を立てたのではなく、集まったのです。その弟子が私たちの教会に来ませんでした。その教会とその教会は、距離があまり遠くありませんでした。なぜ来るのでしょうか。初めに重要な弟子が付いて来ようとしたので、来ないでくれと言いました。神様はそのように力がない神様ではありません。この祝福は、ものすごいのです。初代教会には役員がずっと広がっています。このようになる日、全てのものが解決するのです。ところで、この2つがまだ答えられずにいます。よくわからないようです。そういえば、とても簡単にわかれば、大変なことになります。神様のみこころで、私たちは今わかってはいけないので、とてもたくさん来てしまえば席がないからです。今はみわざが起きれば、大騷ぎが起こるので、神様が少し休みなさいとそうしておられるのでしょう。
■マルコのタラッパンには、120人しか集まっていませんでしたが、外に3000人が起きました。私の話は、この言葉をわかって、このことをする人は長老に立てようということです。それが聖書にある役員です。そして、副教役者は、これは皆さんの中に作って地域を生かさなければなりません。ところで、これがとても難しいことではないかと言いながら誤解をするのです。違うのです。この祝福なかで事業をするのがやさしいので、サタンの勢力のなかで事業するのがやさしいのでしょうか。この祝福のなかで勉強するのがやさしいので、悪魔の下で勉強するのがやさしいのでしょうか。今、勘違いしているのです。今、皆さんが神様の祝福の力を得て勉強するのが、はるかにやりやすいことで、悪魔の下でお手伝いしながら勉強すれば、大変で、どのようにするのでしょうか。だから、答えがきても難しいのです。とても重要なのです。それで、五回目の出会いに私は確信がないのか尋ねたのですが、それは初めて信じる人に話すのです。本当に救われたのでしょうか。救われました。ところで、さらにくやしいのは救われておいて味わえないのです。そのあかしとは。証拠があるのです。御子を持つ者はいのちを持っています。キリストを分かる者にはいのちがあるのです。終わったことなのに、私たちはまたここから抜け出せないで押さえられてさ迷っているのです。家で夫婦げんかをしてみたことがあるでしょう。夫婦げんかをする人々を見れば、みな押さえられています。どれくらい押さえられたのか、自分の言葉がみな正しいといって、戦わないことのようにしながら戦うのです。だから、私たちが見れば、霊的に押さえられればさらに怖いのです。それで皆さんに権威を与えられたのです。ところで、この権威を一度も使わないでじっとしていればどうなるのでしょうか。ここで答えを受けることを希望します。
■ひょっとして、誤解してはなりません。伝道という言葉は、神様が働かれたということです。神様が祝福を動かす、その中に皆さんがいるということです。だからものすごい時刻表なのです。結論を結びます。最後に一つを教えなければならないことがあります。神様の答えを受けなければならない皆さんが、最後に悟らなければならないことがあるのです。序論の部分は奴隷状態で、結論の部分は何でしょうか。荒野状態です。それでは、どこを見なければならないのでしょうか。行かなければならないカナンを見るべきなのに、しきりにエジプトを見るのです。基準がカナンであるべきなのに、基準がエジプトです。私が体験してみることができなくても、祈りでカナンになるべきなのに、エジプトで奴隷状態そのままなのです。これはとても怖いのです。
■それで、皆さんが私の状態がカナンを見るべきなのに、荒野で何を見るのでしょうか。どこへ行くべきなのでしょうか。カナンに行かなければなりません。ところで、しばしば違ったところを見るのです。私たちは、昔にそうでなかったか。私が昔に..,そちら側が基準です。それでは死ぬのです。私たちが考えをやや下手すると、昔の基準になります。はやく目を開いてカナン側を見なければなりません。全てがみなそうなのです。音楽をする人々は、これからどうなるのでしょうか。それを見なければなりません。毎日、昔のことを見れば、昔の人々は与えることもないのに、ここからが出られないのです。私たちの教会は何を見るべきでしょうか。カナンを見なければなりません。今現在、私たちはたくさん集まるのが問題ではありません。ある面では、伝道をして他の教会に送るのも良いのですが、大韓民国の首都圏のあちこちに、暗やみをうち砕くチームがなければなりません。本当に社会と国家を生かす霊的なチームがなければならないのです。これを見せるべきです。それで、カナンの地に入る前に地域分割から先にしたのです。
■それでは今日、教会に単に出てきた人もいるでしょう。こういう使命は知らずに、単に来たという人がいるでしょう。こういう人も同じです。前を見通さなければなりません。そして、祈るべきなのですが、過去を見て祈りをして良いでしょうか。私が昔には良く暮らしたが、こうした話はする必要がありません。そして、昔の傷に捕らわれていても仕方がありません。カナンの地に行きなさい。すべての国の人々に行きなさい。わたしがあなたとともにいる。これをつかまなければなりません。何でもないのですが、この差はとても大きいのです。皆さんはそのまま普通だと見るでしょうが、とてもこの部分は大きいのです。皆さんがいくらIQが高いと言っても、と過去を見ればさらに問題になります。IQが高いから、さらに多く見つめるのです。
■私が一番初めに米国に行きました。米国を私はよく知りません。今でもよく分かりません。ところで、一番初めに感じたことがあります。その方は韓国の人なのに、とても古い方式に見えたのです。それがまず最初に感じました。教会も初めに出てみれば驚きました。ひとまず行ってみれば、マイクも私たちのようにこうしたものではなく、完全に昔に声もよく出ない壊れたものを買っておいて、昔に町役場で「区長様が来られました」このような形です。考えが50年代で行った人は50年代が停滞していました。それが感じられたのです。それで、ここは大変なように見えました。これまで韓国はものすごく発展したということです。そして、今は米国や韓国や考えが似ています。今は学業や技能は違いがあるのですが、考えはほとんどみな通じます。だからあまりにも前を見ていないのです。ところで、今、私たちが荒野に留まっています。神様はカナンの地に行くようにされるのです。新しい家族に必ず話をすべきです。「今、あなたに起きることは、荒野にいるためだ。霊的にそうだ。それで乳と蜜が流れる地、カナンに行くのだ。そちらに行く理由はメシヤを送る土地、世界生かすために行くのだ」このように答えを渡さなければなりません。ところで、目に見えなく、想像以上に多いから、皆さんがこのメッセージを持って、使命を持ってしなければならないのです。有名な人々も霊的に困難が来る人々は答えがないためです。
■今日、皆さんが本当に答えを受けるようになることを希望します。それでは、このメッセージを聞いて、皆さんはドアをあけて出て行くことのですが、このメッセージをどのように整理すべきでしょうか。それでは、直ちに今日、礼拝を終えて一人でも10秒もかかりません。また皆さんが、夕方に定刻祈りをする時、しなければなりません。それで、奴隷になっている部分を皆なくして、一番やさしいのが祈りだから、祈りで整理されなければなりません。伝道もその次で、祈りで整理されなければならないのです。それで、必ず祈る時、このようにしましょう。「聖霊充満して下さい。」これが一番重要な祈りです。ここで五つの力が出てきます。ここで7つの祝福が出てくるのです。ここで6つの権威が出てきます。この祈りを必ずしなければなりません。そして、今は皆さんの地域と1千万の弟子。これを祈れば、皆さんの職業がみな含まれます。その次に、私はRUTCと教会、この祈りを必ずしなければなりません。
■ところで、この祈りをすれば、すでにこの中にすべて入っています。五つの力の中に皆さんの家庭、経済がすべて入っています。7つの祝福を持って祈るのに、現場にみわざが起きるようになっています。6つの権威の祈りをするのに、暗やみが崩れるようになっています。こうすれば、じわじわ門が開かれるようになっています。それでは、この答えが来るしかないようになっています。そうしていれば、この門も開かれて、あの門も開かれて、みな開かれます。これからレムナントの中で重要な働き人がたくさん起きるようになるでしょう。そのこと以前に、皆さん個人がこの祝福を思いきり味わうようになることを希望します。残りはその次のことです。皆さんは一人でこの祝福を味わうように願います。そうすれば、すべての問題は神様がなさるでしょう。今週に、特に今日、癒される日になることをイエスの御名で祝福します。隣の人を祝福して、霊的な力を味わいましょう。にらまずに言いましょう。神様の祝福を受けましょう。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。本当に新しい力を得る週になるようにして下さい。縛られたところから抜け出すようにさせて下さい。もう正しく体験するようにして下さい。荒野に留まって後ろを振り返らないで、カナンに行くようにさせて下さい。真の安らかさを得る週になるようにして下さい。真の力を得る週になるようにして下さい。私たちの教会の役員とすべての在職者に神様が力を与えて下さい。レムナントに働いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン