2007年9月30日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/新しい歌を主に歌え
(詩149:1〜9)

■新しい歌を主に歌え。人はどうしようもなく、皆さんの過去を見ますが、神様は未来をご覧になります。若い時に見た映画です。皆さんも見たでしょうが、有名なフランスの俳優アラン・ドロンが出て主演をした映画です。この人が犯罪をして前科を持っています。不良な友だちもいました。この人が正しく生きようと決心をしたのです。ところが、周囲でそのように考えないのです。自分は正しく生きようともがきます。周囲では、前科者だと考えます。そのような中に、優しい女1人に会いました。二人が結婚をしなければならない状況になりました。ところが、ある刑事がずっと付いて回るのです。本当に仕事を良くして、元気に暮らしているのに、ずっと付いて回るのでした。行く所ごとに付いて回ります。そうだろうと耐えました。とても多くのことに干渉をして付いて回ります。前科者だから犯罪してはいけないと、付いて回るのでした。そのようなある日、仕事をして帰ってきたら、自分の奥さんの所にきて話をしていました。あいつは前科者だ、悪い奴だ、注意しろ、だまされているのと話をしていたのです。とても怒って、外に出て行って古い自動車を壊したのです。そうするうちに、道を行く時に、昔に遊んだ友人に会いました。何をするのかと尋ねて、仕事をしに行くと返事をしました。名刺を渡しながら、訪ねてこいというので私は行かないと言いました。その友だち関係も、みな切ったのです。その時、刑事が出てきてその友だちになぜ会ったのかと言います。どのように知って、なぜ会ったかと言うのです。道を通り過ぎて会ったので、何もなかったと言ったのですが、ポケットを捜して名刺を見つけて、これは何かと尋ねます。その友だちがくれたと言いました。私には必要ないと言ったのですが、刑事は信じないで、お前は確かに事を計画していると言いました。それでも耐えたのです。決定的に仕事を終えて戻ったら、自分の妻である人を説得していたのです。この人がとても怒って、耐えられない状態になりました。それで刑事を殴ったのです。刑事をひどく殴ったので殺してしまいました。この人が拘束されたのです。その事情を知って、弁護士がいくら弁護してもだめだったのです。
■私たちは度々過去に捕われて、新しいものをみなのがしているのです。韓国の人が36年間、日本に植民地にされていました。その後遺症がどれくらい大きいのか今でもあります。今でもその過去に捕われているのです。私は幼い時、日本語を勉強しなかったのに、たくさん知っています。私たちの両親が日本語を多く使っていました。だいたいは、分かります。うちのお父さんお母さんが秘密で話す時、日本語でしました。それだけ日本の後遺症が大きいのです。日本が36年間いたので、私たちのことではないからいいかげんです。これが私たちの国民性になりました。仕事を任せれば、いいかげんにします。なぜならば他人のことをするのに、良くする必要が何があるかとすることが習慣になったのです。今でも、他の人の下で仕事をしに行く時、いいかげんにしようとします。その後遺症がどれくらい大きいかわかりません。それで、教導所とか、軍隊の制度を変える必要があるのです。軍隊に行って3年間、適当にして出てきて、それが人格になれば、大変なことになります。それがどれくらい後遺症が大きいのか、韓国が日本をついて行こうとするなら難しいのです。日本で最も価格が安い歯ブラシと、韓国で最も高い歯ブラシを使ってみてください。どれが長持ちするか見てください。私たちが日本より実力がないのではないのですが、いいかげんにするからそうなのです。社長は分かります。ホテルで泊まれば、ほとんどにおいがします。おばさんたちがいいかげんなのです。社長がそのようにさせていないのに、仕事をするおばさんたちがいいかげんにするのです。日本に行ってみれば、いくら良くない奥まっているホテルに行っても清潔です。私が見るのに、日本の精神について行こうとするなら、50年以上はかかるでしょう。
■韓国は食べ物でいたずらをするのに、日本はそうではありません。だから、50年以上もっとかかるかも知れません。100年以上もかかるかも知れないという気がします。36年間、植民地だったのですが、そうなりました。イスラエル民族がバビロンに70年、属国なっていたのが出てきました。これが問題です。ここで新しい歌を歌えと言われました。昔の歌を歌わずに、新しい歌を歌えと言ったのです。これはユダヤ人に言う言葉のようですが、私たちにあまりにも必要な話です。70年間、捕虜で暮らしたので、昔の習慣をそのまま持っているのです。それが目に見えなく残っています。それが傷になりました。レムナントが傷を持っていれば、目に見えなくとても良くないのです。裁判官がよくご存知でしょう。何年か前にあった事です。家も金持ちである学生が勉強ができません。親がなぜお前は勉強をできないのか、よくしろと言ったのですが、これが傷になるので、勉強がさらにできません。子どもが分かるか、両親が分かって抜け出さなければならないのに、これが傷となるのです。この子を留学を送ったのですが、さらにだめです。言語がさらに難しいためです。結局、この子に悪い習慣ができたのです。遊ぶ習慣ができたのです。そうするうちに堕落する習慣ができました。堕落をすれば多くのことが壊れます。堕落をすればお金もたくさん使います。堕落をすれば、一ケ月のお小遣が1千万円でも足りません。だから、堕落をする習慣になって、変態になりました。麻薬をし始めたのです。するしかありません。麻薬に接するので、お金が必要です。家にお金はたくさんあります。親が簡単にお金を与えるでしょうか。この人が麻薬が入っていたのか、お父さん、お母さんを殺しました。偽装するために殺して家に火を付けたのです。しかし、見つけられました。なぜ、お父さん、お母さんを殺したかと尋ねたところ、お金をくれないから、死ねばその財産がみな私の物になるので殺したと言いました。このように愚かになったのです。死んだその方は、大きい教会の按手執事でした。その子は教会に通った子どもだという話です。このように傷が怖いのです。
■イスラエルは、福音を正しく悟ったことがありません。ステパノが使徒7章で説明します。イスラエルが先祖の時から正しく福音を悟ったことがありません。この困難がずっと反復されるのです。今日、神様が私と皆さんに向かって新しい歌を歌いなさいと言われました。古い歌ではなく、新しい歌を歌えと言われたのです。簡単に話せば、救いの歌を歌えという言葉ですが、いったい新しい歌を歌えという言葉が何の話なのでしょうか。今日、この部分を理解しなければなりません。次週は、最後の詩篇150篇ですが、息のある者は主をほめたたえよと言われました。
■今日149篇には、新しい歌を歌えと言われました。とても重要な単語が出てきました。新しい歌を歌えということは、新しい曲を歌えという言葉なのでしょうか。もちろん、その言葉も含まれています。とても重要なことをのがしてはいけません。今、バビロンであった傷にそのまま留まっているならば、それは新しい歌ではありません。皆さんの家庭の状況が、過去に押さえられているならば、それは新しい歌ではありません。私たちは過去もみな忘れて、みな難しい時期がありました。それに押さえられているならば、新しい歌ではないのです。正確に話せば、傷ついたのが問題でなく、捕虜になったのが問題ではないのです。イスラエル民族が神様の祝福をみなのがしたのです。悟って歌ったのが新しい歌です。私たちは36年間、日本に圧制されていたんだなあ、こういう事があったんだなあ、本当に悪い奴だなと言いながら「東海の水と白頭山」と歌えば、それは新しい歌になりません。力がなかったから、間違ってそんなことにあったんだなあ、今でも正しい実力、力、勉強をしなければならないんだな、そのようにして国旗を見つめて「東海の水と白頭山が〜」と歌ってこそ、それが新しい歌です。
■賛美だけ歌うからと言って新しい歌ではありません。皆さんが受けた傷、困難があるにしても、それが問題になるのではありません。教会に通いながら見れば、ほとんど小さいことにすねて、そのようなことを見ればねたみます。役員、牧師が小さいことにすねるのを見れば、本当に変なことだと思います。それが問題ではないのです。捕虜で70年間、苦労したことは、ものすごい事件であることは間違いないのですが、さらに重要なことがあるのです。神様がイスラエルに最高の祝福を与えられたのに、みなのがしたのです。それを発見するようになりました。主に新しい歌を歌ったのです。それが最初です。
■新しい歌とは何でしょうか。イスラエル民族が解放されて出ました。ものすごい事件です。それが問題ではないのです。それが重要なのではありません。本当に真の福音を回復するようになるのが重要です。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの時に与えられた神様の福音、モーセが記録した神様の福音、処女がみごもって男の子を産む、その名をインマヌエルと名づけるという福音を見出したのです。その驚くべき恵みに神様に賛美するのです。新しい歌を歌いましょう。ひょっとして、皆さんが悩むことが違ったことなのかも知れません。新しい歌を歌わなければならないのです。ひょっとして、皆さんが心配することは、違ったことなのかも知れません。それではどうなのでしょうか。皆さんの祈りが違った祈りかも知れません。イスラエル民族が違った祈りを継続したのです。今は、そのようにせずに、新しい歌を歌いなさい。解放されて出たので、本当に良かったなあ、それが問題ではありまません。私たちが、家も立てて、学校も作るのが本当にうまくいったのというのではありません。衣食住が問題ではないのです。私たちが楽しく暮らすようになったんだなあ、それが問題ではないのです。神様の力を彼らは真に味わうようになったのです。主をほめたたえよ、これが回復されなければなりません。
■今日、神様のみことばを聞きながら、皆さんの昔のことをよく考えなければなりません。大部分の人々がそのまま陥っています。過去の傷にそのまま陥るのです。だから新しい歌にならないのです。私が過去に陥って、昔のことに陥るので新しい歌になれません。解放されて出たのですが、真の内容をつかめなかったために、真の解放になれないのです。だから、とても楽しいことが楽しみでなく、快楽になります。イスラエル民族が解放されて出たので、どれくらいうれしいでしょうか。それが喜びにならなければならないのに、快楽になるのです。それは新しい歌ではありません。ロシアに行ってみて感じました。共産主義に押さえられていて解放されました。ところで、とても危険なのです。どれくらい快楽に陥っているかわかりません。自由だと思うのです。そのような部分も、人にはありえるでしょうが、さらに重要な部分を見つけなければなりません。今日、新しい歌で主をほめたたえよ。
■ 1節を見れば「ハレルヤ。主に新しい歌を歌え。」と言われています。私たちはどのように新しい歌を歌わなければならないのでしょうか。いくつかのことで始めなければなりません。私たちが救われた神様の子どもとして、真の感謝をしなければならないのです。真の福音を持ったという証拠です。他のものは神様がくださるために、何も心配せずに真の感謝を回復しなければなりません。クロスビーのように。「神様、私の願いは、目を開かれることだったけれど、今はそうではありません。」どれくらい福音を正しく悟ったのでしょうか。私は目で見ることは願いではありません。この後が良いのです。私は神様が私といつもともにおられるので、目が開かれないでも大丈夫です。クロスビーの昔の願いは目が見えないので、目が開かれるようにしてくれと祈ったのでした。神様が私とともにおられることを、とてもすばらしくて感謝するから、これ以上必要ないと言いました。私は目を開いた時に、神様を見ることを望むと言いました。この程度になれば、止められません。この人が与えた影響がとても大きいのです。この人が作った賛美がとても大きい影響を与えました。目が見えないのに、道を行くは賛美をたくさん作ったのです。「私の行く道、みな行くようにイエスが導かれるので〜(日本語の歌詞は、救い主イエスとともに行く身は〜)」などがクロスビーの歌です。「干からびた地を終日歩いていっても、私は疲れない〜(日本語の歌詞は、みいかりは過ぎゆくべし、わが身のかくれが〜)」もクロスビーの歌です。「私の命なられた主、主の前に進みます〜(日本語の歌詞は、わがいのちの主、みまえにわれはゆく〜)」もクロスビーの歌です。「イエスを私の救い主として〜(日本語の歌詞は、つみとがをゆるされ〜)」等、どれくらい良い賛美を作ったのかわかりません。これが新しい歌です。今日、私を含めて、すべての聖徒が新しい歌を回復するように願います。
■どのように回復するのでしょうか。真の礼拝回復が新しい歌です。これが真の福音を味わうという証拠です。神様が資格がない私たちにヘブル4:16に見ると、今日も新しい恵みを与えるために、私たちを呼ばれたと言われています。私たちの過去を見れば、神様の前に恵みを受けることができないのに、神様が、キリストの十字架のあがないの血で、今日も新しい恵みくださるために呼ばれたのです。そのように見れば、私たちの礼拝時間が最高の時間です。その賛美が新しい歌です。また新しい歌とは何でしょうか。神殿を回復したのが問題ではありません。真の神殿を回復して、真の祝福を味わう新しい歌を言うのです。私たちは今、教会堂がとても狭苦しいのです。教会の席もなくて、駐車場も難しいのです。とても席がなくて、ある方々は、席争いをして本当にけんかをする場合もあります。ある方は、駐車場でけんかをして、本当にけんかになって試みにあったりもします。人であるから、そのようなことはあるでしょう。車を乗り回せば、人々が感情が変わります。不思議です。車を運転して入って行くと、車を管理する人が本当に足りないように見えます。心理的にそうです。とても傲慢に見えるのです。なぜならば、車を管理しなければならないから、とても傲慢に見えるのです。ところが、車を管理してみれば、車の中にいる人々が、真に話を聞かないように見えます。止めろと言われたら止めて、行けと言われたら行けば良いのに、ずっとつぶやくのです。本当に話を聞かないようになったと思います。その二つがぶつかるので、けんかになるのです。席がないから、さらにそうです。
■私はそのように考えません。神様が私たちに要求されることがあります。なぜ教会を作らなければならないのでしょうか。どんな教会を作らなければならないのでしょうか。それを神様が私たちに尋ねておられるのです。私たち多くの役員が立つようになるのに、役員がどんな教会を作らなければならないのか。なぜ作らなければならないのか。韓国には教会が多いが、そんなことをまた作らなければならないのか、なぜ作らなければならないのか。信徒に、どんな教会が必要なのか。この周囲の市民、国民に、どんな教会堂が必要なのか。今は考える時になりました。韓国教会が考えなければなりません。100年になりました。韓国教会が、どんな教会堂を作って神様の前に栄光を帰して、人々を生かすべきなのか、考えを深くしなければなりません。神様がその時刻表をくださったのです。それだけなれば、神様が働かれれば、ある日、不思議なことが行われます。神様が働かれれば、事件が起きたり、世の中の歴史がさかさまになることが起きます。神様がバビロンに働かれたので、とうてい有り得ないことが行われて、イスラエルが解放されて出たのです。だから、その解放されたことを歌わずに、どのように解放されたのか、その歌を歌えということです。私たちには、とても重要な言葉です。過去にどんなことがあったのでしょうか。それに対する傷が問題でなく、なぜそうなったかを悟って神様に礼拝しなければなりません。神殿を回復して作るのが問題でなく、どんな神殿を作るかそれを祈らなければならないのです。それだけなれば、神様が出来ないことはありません。人間の生死、災い、祝福を治める神様なので、確かに私たちの命を治めておられる神様です。何の心配もする必要はありません。救いの感謝から回復しましょう。そして、真の礼拝から回復しましょう。何のために神殿を作らなければならないかから回復しましょう。そうすれば、主が力ある御手をあげて、川と海と山と国々を動かされるでしょう。主の御告げ。その短い言葉が4回も出てきました。万軍の主の御告げ。だれが変えられるでしょうか。主の御告げです。皆さんが苦労しても、耐えるように願います。大丈夫です。神様が願われることは別にあります。
■新しい歌を歌いなさい。それが重要です。昔の歌を歌わずに、新しい歌を歌いなさい。簡単に話せば、新しい恵みを受けなさいという言葉です。今、雲群れのように、多くのレムナントと良い人が集まってきています。海外180ヶ所余りで、多くの働き人が集まっています。私たちに昔の歌を歌わずに、新しい歌を歌えとおっしゃっているのです。この言葉がとても重要な言葉です。今、300人余りの役員が、インマヌエル・ソウルに立つようになります。新しい歌を歌いなさい。昔の歌を歌わずに新しい歌を歌いなさい。韓国教会は70%が未自立教会で死んでいっているので、新しい歌を歌いなさい。建物の歌を歌わずに。皆さんが神様の祝福を受けるのは簡単です。神様がくださるので、新しい歌を歌いなさい。そうすれば、いくら弱くても神様が働かれれば、誰も防ぐ者はいません。神様が働かれるので、バビロンにどんなことが行われたのでしょうか。皆さんよくご存知でしょう。人が防止できない、驚くことが起きて、神様が働かれます。釜山、蔚山、全世界のタラッパン家族も同じです。私はしばしばレムナントに話します。お金を儲けようとせずに、お金を儲けられる人になりなさい。成功しようとせずに、成功する人になりなさい。それでこそ成功するのです。お金を儲けようとするから、お金が儲かるのでしょうか。お金を儲けられる人にならなければなりません。無条件になるのでしょうか。私たちが今、新しい歌が何の話なのかを知って、神様のことを回復すれば、神様はすでに全世界に皆さんがいる所と教会を完全に準備されることは確実です。何度か話すのは、確実だからです。
■釜山から始まった時、12、35坪で始めました。私たちが何かをするということではありません。神様の計画が何なのか。その時、私はこのように発見したのです。人々が伝道を全く知らないから、伝道訓練をさせられる教会を準備しなければならない。それが神様の計画です。だから、神様が私たちを皆知って働かれるのです。ところで、私たちの教会はお金がない。そうではないのです。神様が働かれれば、そうではありません。今、教会の土地を見るようになりました。信徒が話が多くて、秘密が漏れるから、私が秘密裏に契約をしました。そして、教会に出したのです。基本契約金が作られれば、神様のみこころだと思って、そうでなければしないと思ったのです。そちらが訓練しやすい土地です。神様を見ましょう。その時、私たちの予算はマイナスでした。ところで、神様が力がないのでしょうか。違います。今は、その周囲の土地をみな買いました。これから、どんなことが起きるのか誰も知りません。そちらに釜山地域を総責任を取る師団長が教会に礼拝をささげにこられました。この土地をどのように知って買われたかと尋ねられました。単に売っていたから買ったと言いました。軍人が見る目はまた違います。この土地が白頭山から始まった山の幹があるのに、その一番端だと言いました。その方が言う言葉です。白頭山が開始ならば、ここが終わりだということでした。どのように知って買ったかと尋ねたので、買ってみたらそうなったのだ、神様がみな知っておられると言いました。これからそこに正しい訓練場を作れば、どれほど多くの人々が見て習うでしょうか。釜山でも、考えなければなりません。何の教会を作らなければならないのでしょうか。私たちは今、重要なことを考えなければなりません。
■イスラエルに戻って神殿だけ回復するのが問題ではないのです。何の神殿なのでしょうか。イスラエル民族が解放されて出たのが問題ではなく、どのように解放されて出たのでしょうか。イスラエルが捕虜に行ったのが問題ではなく、なぜ捕虜に行くようになったのでしょうか。これを悟って新しい歌を歌いなさい。今日、私たちと関係ないことではなく、とても関係があって重要です。大部分のクリスチャンが、これを知らないから別のことを心配するのです。心配することが別にあるのに、とんでもないことを心配するのです。実際の祈りも違うようにします。イエス様が直接おっしゃられました。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
■今日、皆さんは変えてみるように望みます。とても簡単でやさしいことです。新しい歌を歌わなければならないのです。変えてみましょう。私が本当に救いに感激しているのでしょうか。私が本当に礼拝を回復しているのでしょうか。私が本当に神様の前に、どんな教会を作らなければならないか、なぜ作らなければならないのでしょうか。それを悟れば新しい歌となります。その時、神様の驚くべきみわざが始まるのです。
■ある方々は牧師になろうと努力したのですが、私のような場合はそうではありません。私は幼い時、ならないと思いました。あえて私がどのように牧師をするのでしょうか。神学校の卒業式の日、私が神様にそのような祈りをしました。牧師がどれほど多いのか、私のそばでだけ621人がいました。学校が大韓民国に多いのですが、私たちの学校でだけ621人が卒業したとすれば、どれほど多いでしょうか。私が神様に祈ったのです。どのように、このように牧師が多いのでしょうか。私もまたしなければならないのでしょうか。どのようにしなければならないのでしょうか。その小さい祈りが大きい答えと関係がありました。このように教会も多くて、牧師も多く、教会堂も多いがのですが、福音化はできないのです。私はその小さいところで神様が祝福されました。真の福音運動をしなければならないのではないかという、一つの単語を捕まえたのですが、神様は答えられました。私と皆さんのような人が、どうしてあえて世界福音化をしに通うのでしょうか。神様が本当に答えられました。今日、この祝福が皆さんのことになることを希望します。皆さん、過去の傷から、はやく抜け出さなければなりません。レムナントもはやく抜け出さなければならないのです。ほとんど抜け出さないでいるから大変なことになります。新しい歌を歌いましょう。
■結論です。3節に「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。」と言われています。何でしょうか。今は少し音楽の専門性を言うのです。150篇は、皆、賛美することで、149篇は、専門性を持ちなさいということです。賛美は本来、天国で始まったのですが、全部、世の中に奪われてしまいました。賛美はほとんど異端にみな奪われました。賛美は音楽専門家たちにみな奪われたのです。真の賛美を回復しましょう。専門性ある賛美を回復しましょう。根強い信仰が始まるのです。私たちは来週に話すつもりですが、多くの子どもたちに楽器を扱うことも教えて、息ある者がみな賛美することができるようにさせましょう。少し私たちの教会が先を行かなければなりません。今は音楽を良くできる人を呼んで集めてすることができる人を集めて、職業がないにせよ、みなすることができなければなりません。聖歌隊が力がある賛美が歌ってあふれなければなりません。私たちが教会堂を準備したら、聖歌隊が大きく座って、神様の前に多くの楽器を動員して賛美することができるようにしなければならないのです。今日、皆さんが、新しい歌を回復するよう願います。
■このみことばを終えながら、神様のみことば見る時、どの部分を捕まえなければならないのでしょうか。一週間、祈るのに、どの部分を捕まえなければならないのでしょうか。皆さんが一週間、このみことばを捕まえて祈られなければなりません。定刻祈りをしたら、どのみことばを捕まえなければならないのでしょうか。私はこのように捕まえました。イスラエル民族が、全部、表面だけ捕まえていたのですが、私が内容を捕まえるようにさせて下さい。私がとても古い人の中にいるのではなく、新しい人の中にいるようにさせて下さい。それで、新しい歌で主をほめたたえるようにさせて下さい。これが今週、私たちの祈りの課題で答えです。新しい歌をしていくつかの答えが起きるようになります。ダビデがこの新しい歌を賛美した時、悪霊が離れました。今日、賛美する中に、個人、家庭の暗やみが全部、離れるようになるように願います。パウロが新しい歌で賛美する時、監獄で奇跡が起こりました。これが皆さんが受ける答えです。私が新しい歌で賛美する時、私の現場に神様の奇跡が起こるでしょう。私が新しい歌で賛美する時、悪霊が離れるようになります。詩23:3節に、賛美の中にとどまる主と言われています。私が新しい歌で賛美する時、聖霊が働かれるようになります。これを今日、契約で捕まえなければなりません。新しい歌をよくしたのですが、ダビデが新しい歌で賛美する時、サウル王にあった悪霊が離れたのです。これより大きい祝福があるでしょうか。皆さんが今日、新しい歌を回復する瞬間、皆さんのすべての所のすべての悪霊が離れるように願います。本当に契約で捕まえて行かなければなりません。悪霊がいるのでしょうか。聖書には記録されています。次週の2部の時に話すつもりです。サタンはどのように存在しているのでしょうか。確認しなければなりません。これを契約で捕まえましょう。私が新しい歌で賛美をしたら、どれくらいやさしいでしょうか、奇跡が起こります。新しい歌を賛美するのに、縛られたことが解けてしまう神様の奇跡が起こるようになります。新しい歌で賛美したら、主の聖霊が働かれました。これを今日、契約で捕まえるように願います。皆さんの家庭、事業に、皆さんの個人に、驚くべき神様のみわざが始まるように願います。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。新しい歌を回復するようにさせて下さい。ダビデが賛美したように、悪霊が離れるみわざが起きるようにして下さい。それで、私たちの子ども、家族、子孫を捕まえている悪い勢力が崩れるみわざが起きるようにして下さい。賛美の中にとどまる主が聖霊で働いて下さい。パウロが新しい歌で賛美する時、奇跡が起こったように、神様がすべての縛られたことを解く奇跡が起こるようにして下さい。この契約が今週の契約になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/私、家庭、教会、世の中の未来を置いて決定しよう
(使徒1:8)

■今は亡くなったのですが、昔に釜山で金海に祈るおばあさんが一人おられました。車も上がらない山頂に家を作っていました。ところで、不思議にそのおばあさんの所に行けば、精神が狂った人々も、たくさん良くなったということです。1、2人でなく、行ってたくさん良くなりましました。精神病は、直すのが難しい病気なのに、行く人々の話では、行って良くなったということでした。それで、どのようにするのでそうなのかと尋ねたところ、こういう話をしました。そのおばあさんは、何もしなくて一つだけするということでした。一日中、精神病患者を捕まえて、祈って賛美をするということでした。その時、私は一理があると思ったのです。ダビデが賛美をした時、サウル王についた悪霊が離れました。ピリピの監獄でパウロが賛美する時、奇跡が起こったのです。それで、今日の1部メッセージは新しい歌を主に歌えです。今日は6回目の出会いの補充説明です。また、今日の献身礼拝の答えでもあります。6回目の出会いを見れば、救われた私はどのように変わったのかと言われています。救われた人は、確かに変わったので、しなければならないことがあるのです。私、家庭、教会、いろいろあるでしょうが、救われた皆さんがしなければならない重要なことがあります。決断を下すことです。重要な決断を下さなければなりません。この時、すばらしいことが行われるのです。献身礼拝ということも、事実はみことばを聞いて決断を下すのです。聖書を詳しく見ましょう。創世記13章14節を見れば、アブラハムがロトと別れると決断を下しました。それは、家にどんどん問題が起きて、不信仰が入ってくるということです。その時、アブラハムがロトと離れることに決断を下したのです。それが、何ですごいのかと思うでしょうが、すごいことなのです。神様がアブラハムに、あなたの子孫を通して天の星、地の砂のようになると言われました。ところで、それをアブラハムが信じられなかったのです。それで、おいを息子と思って、事実は連れて回っていました。おいを助けたのではなく、アブラハムの中に不信仰があったのです。だから、しきりに問題が生じたのです。その時、アブラハムが信仰の決断を下したのです。皆さんがよく分かるように、その時に与えられたメッセージです。目を聞いて東西南北を見なさい。縦と横に通ってみなさい。皆さんと私に信仰の決断が必要です。信仰の決断をする時ごとに、神様は重要なことをくださいます。その時から、アブラハムに起きたことを分かるでしょう。
■いくら祈っても問題が解決しません。創世記32章24節のヤコブです。みな送って、一人でヤボクの渡しに座ったと言われています。このみことばもここだけ見れば変ですが、ヤコブは、今はみなあきらめて決断を下したのです。どんな決断を下したのでしょうか。私が今日、神様が答えを与えられなければ、行くことができないという決断です。その時得た名前が、あなたの名前をヤコブにせずに、イスラエルとしなさい。皆さんが重大な決断を下す必要があります。
■出エジプト5章1節を見れば、その時まで、いつもモーセができないと言っていました。パロ王の前に行くと決断を下したのです。神様の契約を持って行くことにしました。その時から出エジプト5章12節に見れば、神様が10の奇跡を起こされました。出エジプト14章19節を見れば、モーセに先立って主の使いを送ったと言われました。私たちはこれくらい必要です。皆さんが今日、小さい決断だけくだしても、霊的にすばらしいことが行われます。証拠を見ましょう。ダニエル3章8-24節です。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが死ぬことを覚悟して決断を下したのです。この時ごとにおきることがいくつかあります。目に見えなく聖霊が働かれます。その次に必ずみことばが成就するようになっています。そして、神様がここで目に見られない主の天使を送られます。本当に不思議に思うことです。皆さんも一度してみてください。ダニエル6章10節に、いのちをかけて、死ぬと知っていながら祈ることに決断を下したのです。その時、神様は獅子の穴に天使を先に送って獅子の口をふさがれたと言われています。本当に不思議なことです。皆さんがこういう体験をしてこそ、信仰生活になるのです。神様、私は他のものは必要なくて、福音だけ伝えるようにさせて下さいとだけ決断を下したのですが、多くの立派な人々よりさらに祝福を受けました。それで、皆さんは、新しい家族に会った時、まったく身分が変わってしまった途方もない祝福を受けたので、決断を下すようにしてあげなければなりません。聖書をよく見れば、ダニエル10章12節にこういう記録があります。ダニエルが祈りを始めることに決心した、その時間に神様はすでに主の使いを送られました。どれくらい重要でしょうか。今日、献身礼拝にくるのに、献身礼拝なのでくるという考えではなくて、私が今まで献身礼拝をどのようにささげたのか、他の人は経済があるのになぜ私はないのか、私はいったい宣教をどのようにするのか、このように尋ねる必要があります。尋ねて決断だけくだせば、神様のみわざが起きるようになっています。これが信者と未信者の差です。本当に祈りを分かれば、座ってみなできます。決断を下したら、神様がこのように働かれたということです。今日、最高の献身礼拝、最高の2部礼拝、最高のレムナント礼拝になるように願います。
■どんなことが行われたのか、マルコのタラッパンに集まるのは異端であるから行くな、マルコのタラッパンに集まれば捕まえて行く。もしずっと集まれば死刑にする。異端の汚名を着せて、このようになりました。ところが、そちらに集まったのです。12-14節、死ぬ事を決断したということです。死ぬのが問題ではなくて、決断したということです。旧約、新約聖書の中の最高の答えが、ここにマルコのタラッパンに現れました。五旬節の日になって。今日、そのような祝福の日になることを希望します。私は必ず神様の恵みを受ける、その時、聖霊が働かれるのです。そうでなければ、皆さんが礼拝時間に座って眠たいだけであって、礼拝になるのでしょうか。私は、今日、神様の恵みを必ず受ける、この時、目に見えない聖霊が働きます。事実は、どれくらい簡単なことでしょうか。イエス様が過ぎ去るのを知って、バルテマイが大声を出したと言われています。ダビデの子孫、イエスよ。私をあわれんでくださいと大声で叫びました。内容も本当に良かったのです。すでにメシヤを分かったということです。私を助けてくれと言わず、私をあわれんでくださいと言いました。目は見えなくて、イエス様が過ぎ行く時間がいつもあるのではないから、このチャンスをのがすことができないから大声を出したのです。皆さんが仕事ができて、活動できる年齢がいつもあるのではありません。チャンスということはたくさんないのです。学生たちもたくさんありません。一番初めに、私が初期に30ヶ所の現場を回ったので、長老も大人たちが、牧師先生、健康のためにあまりたくさん走らないでくださいと言いました。そのことばは有難い話でしたが、私は内心、そのように考えませんでした。今、走らなければいつ走るのでしょうか。開拓を始めて年齢が40にもならない人がその時走るべきで、いつ走るのでしょうか。しかも、周囲で私たちの教会が地下でとても騒々しいから、騒々しいという声が聞こえてきました。それで少し紳士的である方々が、とても騒々しいといったのですが、私は狭いので下で騒ぐことでもすべきで、じっとしていても良いのかと言いました。だから、時刻表をのがしてはいけないのです。イエス様がバルテマイに、あなたの信仰のとおりなるようにと言われました。今日でも、神様のみことばが成就してしまえば、みわざが起きるようになっています。それでは何の決断を下さなければならないのでしょうか。くださなければならないことが、いくつかあります。
■今日、献身する皆さん、レムナントの皆さん、すべての伝道者の皆さんがくださなければならない決断がいくつかあるのです。これは必ずすべきことです。最初です。未来に対する決断を下さなければなりません。これが何の話なのでしょうか。皆さん自身に対する未来の決断を下さなければならないのです。これはくださなければ、とても困るようになります。人間は誰でも習慣、霊的な問題があるから、決断を下さなければならないのです。これから教えてあげなければなりません。イエス様がどんなことをするかは、二番目の話で、自分自身に対する決断からくださなければなりません。自分自身がどんな問題を持ったのかは、自分自身がさらによく分かります。そして、皆さんの家庭、家系に対する決断を下さなければなりません。これがとても重要で、これをくださなければ、大変なことになります。大部分見れば、母親がおかしな家族は娘も変です。それがなぜそうなのかしたところ、決断をおろさなければ、そうなります。大部分がそうなのです。また、私たちは教会の働きをなんとなくしてはいけません。私たちは、おもに教会の働きだと思って、適当にしますが、そうではなくて「神様がなぜこの教会に私を呼ばれたのか」に対する決断を下さなければならないのです。そして、外では世の中で仕事をしなければならないから、ここに対する決断4つは、はやくくださなければなりません。その時から、すばらしい答えがき始めます。そうすれば、違った決断を下せばどうなるのでしょうか。違ってもはやくくだしてこそ、直せます。理由があります。レムナント7人を見ましょう。これが全部、土台になりました。そのために、とても重要です。釜山で今、メッセージを聞く人は分かるでしょう。ある牧師が伝道師の時、娘が産まれたのですが、娘が美しく育ったのに、後ほど見たら、娘が話しができなかったのです。言わば障害者でした。聞くことができないためです。簡単に話せば、おしです。それをこの方が少しあとで分かったのです。それで、この人がとても衝撃を受けて、いったい自分の娘がなぜそうなのかと思ったのです。そうだったのですが、この人が重大な決断を下しました。普通の人は気をおとして、あきらめるでしょうが、この人は神様に祈らなければならないと思ったのです。その方の証しです。その時から、自分は夕方ごとに講壇の下にひざまずいて祈ったということでした。ところで、その娘が今でも良くなってはいません。しかし、その牧師に驚くべきみわざが起きたのです。神様の重要な計画があるのです。私たちはこのように全部、土台になるのです。また何でしょうか。これが全部、霊的な問題と関係があるから、私に対する未来に対する決断をはやくくださなければなりません。これがまた大きい未来と関連があるのです。私は状態がなぜこうなのか、未来と関係があります。決断を下してしまえば成功するのです。もし決断を下せなければ、それのために一生苦しめられなければなりません。なぜなら、身分が変わってしまったので決断を出すべきなのです。皆さんが今は悪魔の子どもではなくて、神様の子どもに変わってしまいました。それで、未信者のようにせずに、信者の決断を下さなければなりません。これを必ず手助けしなければならず、皆さんが必ずしなければなりません。今日の午後に、皆さんは大きい力を出さずに、献身礼拝に少しだけ信仰の決断を下せば、それがみことばで成就されるみわざが起きるようになっています。
■二番目です。これになっていれば、皆さんが必ずみことばと祈りをのがさない決断を下しましょう。これだけでも良いのです。皆さんがみことば祈りをのがしてしまえば、後ほどみなのがすようになっています。これは決断が必要です。今日からレムナントは無条件に、他の日より、およそ二時間早く起きるように決断をくだすべきです。そのようにしてメッセージを見ましょう。秘書の中で金牧師は音楽をよく分かります。私が見るには、ほとんど音楽専門家のレベルです。静かに話をするのに、とてもよく分かります。そして、今、全世界で音楽する人々を皆、知っています。そして昨日は私にe-mailを一つ見せてくれました。牧師先生、インマヌエルから送ったチョン・ジュヒ姉妹のe-mailですと、金牧師が説明をしました。牧師先生、この人が今、現在、世界的な声楽家です。その人の名前で大会をしたのに、合格をしたのです。私は何かわかりませんが、金牧師はずっと、ものすごいことですと言いながら話しました。何でも分かってこそ感動するのですが、私はそれほど感動がないのに、金牧師はずっとものすごいことだと言っていました。メールを見たら、それまで外国に出ていて力が少し抜けたが、韓国にきて修練会に少しの間出席をして、みことばを捕まえて、不思議にその時から毎日、みことばを捕まえて祈りをしたということでした。だから、とても夢のようなことを神様が答えてくださって感謝すると書いた内容でした。
■なぜ、これを継続すべきでしょうか。神様のみことばが生きているみことばで、簡単なみことばではなく、このメッセージがずっと整理されるのです。聞いてこそ整理になるので、聞かないのではなく、聞いて祈るとずっと整理されます。そして、単に整理されるのではありません。今はメッセージにしたがって、祈りの答えが持続されます。このようにして一生を置いて祈るほどの祈りの課題が整理されるのです。これは必ずしなければなりません。それで、皆さんが今、他の決断を下すのではなくて、何か決断を下さなければならないか、皆さんが今、持っている自分自身、家系を静かに置いておくと、そのままやられてしまいます。決断をくだすべきです。時々見れば、大きいお金を儲ける人々が、とても貧しい人々が多いのですが、なぜなら決断を下したためです。ところで、そんなことは肉的なもので、霊的なことは決断を下さなくてはいけないのです。それでは、今日皆さんが何の決断を下さなければならないのでしょうか。少しだけ皆さんがはやく起きる時間を作って、みことばと祈りを整理しましょう。この時間を決断しなければなりません。
■三番目です。この決断を下さなければなりません。世界福音化を私はどのようにするのか。一度尋ねてみなさい。私がそれととても遠くあれば、距離の調節をしなければなりません。それでは、皆さんは神様の祝福とは遠くあるのです。私は今世界福音化に、どのように参加しているのか。これが私ととても関係がないならば、普通の問題ではありません。ここに対する決断を下さなければならないのです。それで、この契約を捕まえれば良いのです。この中で一番重要なのが、今日、読んだ使徒の働き1章8節です。伝道をどのようにするかではありません。皆さんが毎日、聖霊充満を受けられることを捜し出しましょう。共にが重要ですが、一人で聖霊充満を受けることを捜し出しましょう。神様が上から与えられる力を受けることを捜し出しましょう。よく聞くことを希望します。聖霊充満とは何でしょうか。毎日一人で上から与えられる力を受けるのです。これがすべてです。こうすれば、世界福音化は自然になります。どの場合も、これにならなくてはできません。どれくらい驚くことなのか、未信者が受ける祝福ではなく、他の力がなければなりません。幸いに、長老たちが、ソウル大学の近くに司法試験を受ける人々が集まるRUTCを作りました。感謝なことで、本当に上手に良くしたことです。私がそちらにメッセージをしに行きました。行ったところ、大学生と簡単に話せば、司法試験を受ける学生たちが集まっていました。熱心に勉強をしていました。時間の戦いをしなければならなく、未信者と時間の戦いをしなければなりません。そうすれば、試験に合格したりもします。それでは達成感ができます。また落ちればどのようにするのか、力が抜けたりもするでしょう。ところで、そのようなレベルでは勝てないのです。それは未信者と同じレベルです。確かに私たちは他の何か力がなければならないのです。これです。のがさないように願います。眠たい人々は、うとうとしないように願います。眠たくなるのは仕方ありません。しかし、これは絶対にのがしてはいけないのです。皆さん将来がどうなるのか、決断をくだすべきです。この決断を下さなければなりません。そして、いったい神様のみことばがずっとあふれるのに、私は今、何をしているのか、みことばと祈りが私に整理されなければなりません。仕事が一つも重要なのではなく、この決断から下さなければならないのです。皆さんが生きるべきで、皆さんが死ぬのに、他のものがいくらうまくいっても、何をするのでしょうか。いくら教会が人が多く集まって、みわざが起きても、皆さん個人が死んでしまってはいけないのです。いくら教会に行って、奉仕、献身をしても、皆さんが死んでしまっても良いのでしょうか。そして、他の力がなければなりません。私たちは、しばしば職業を問題にしますが、そうではありません。例えば、飴の商売でも人がつけばお金をもうけられるのです。ところで、事業をしても、人がつかなければお金を儲けられません。人が自分が正しくしようとするなら、単につくのでしょうか。他の力がなければなりません。私が司法試験受験生に話したのです。他の力がなければなりません。そうでなければ、未信者と同じように努力をします。それに、クリスチャンというものを表わさなければなりません。これが普通の難しいことではないのです。もし、そのようにしてクリスチャンという表示も出せなくて、これも成功もできなくて、二つともだめなら、どのようにするのでしょうか。こういう人がとても多いのです。ただ、このようにしてしまえば良いんのです。
■それで六回目の出会いで、この話をしなければ、自分の身分が変わったのに知らないのです。皆さんは死から命に移われてしまったのです。皆さんは悪魔の子どもではなく、運命は終わったのです。それで、この戦いをしなければならないのです。変わったので、未来に対する決断を下さなければなりません。過去と今までは、世の中に属した悪魔の民だったのですが、今は神様の子どもです。それでは、その決断を下さなければなりません。そして、今は神様にみことばと祈りがすべてですが、これが私と全く関係がないならば、いけないのです。この決断を下さなければなりません。それで私が見る時、みことば、祈りをする人はずっと答えがきます。これができない人は、答えが起きません。ところで、ある日この生きているみことばがすぐ答えが出てこないようでも正確にみわざが起きるのです。そして、皆さんが持っている問題を直ちにどのようにするのでしょうか。聖霊充満しなければなりません。毎日、一人で神様が与えられる力を得るべきです。これが鍵です。このようにしてこそ、世界福音化が可能になります。神様の祝福を豊かに味わうことをイエスの御名で祝福します。それでは、こういう結論が出てきます。キリストがすべての問題を解決した。終わらせたら、私も終わらなければならないのではないでしょうか。キリストが確かにすべての問題を終わらせた。ところで、私はだめだ。それが何でしょうか。神様の国。これではないからです。ところで、なぜ起きないのでしょうか。それが、この答えです。ただ聖霊充満を受ければ力を受けるようになります。今まで皆さんが聖霊充満を考える時、おばさんたちが集まって祈りをよくするのを聖霊充満だと思っているでしょうが、そうではありません。皆さんが祝福の中の最も最高の祝福を味わうことが聖霊充満です。祈りをよくして、喉がかれるのを聖霊充満だと思っているでしょうが、それは喉がかれたことで聖霊充満ではありません。これだけなれば、最も答えの門が開かれます。このように、今でも正しい決断を下してしまえば、それがまさに答えの開始です。正しい決断を下すのが祈りの開始です。これがみことば成就の開始です。これが伝道の開始で、成功の開始です。正しい決断を下さなければなりません。私たちが正しい行動をする前に、正しい決断を下さなければならないのです。簡単に話せば、私が昔に副教役者だった時、こう考えたのです。私が子どもたちを連れてするのに、何にもできませんでした。その時、私が下した決断でした。神様、私が福音を真っすぐ知って、伝えられるようにさせてくださいと言いました。それならば良いのではないでしょうか。そして、ある日、副教役者をする時、決断を下しました。私が伝道師の時、伝道をできなければ、牧師になってできるだろうか。伝道師の時、復興させられなければ、これから世界福音化が可能だろうか。決断を下したのです。答えは誰がなさるのでしょうか。神様がなさいます。皆さんは心配せずに、この力で行えば良いのです。上から与えられる他の力で勝利することを希望します。いろいろ複雑な話を聞いてだまされずに、神様のみことばを見ましょう。ただ聖霊があなたがたに臨まれれば、力を受けて地の果てまで証人となります。今日、小さい決断を下す献身礼拝が、後ほどどのように答えがくるのかを見ましょう。それで、今日下した決断がこれからどのように答えでくるのか書き込むことを希望します。祈ります。

<契約の祈り>
神様に感謝します。今日、献身礼拝をささげるようになったことを感謝します。1人ももれなく、小さい決断が起きる時間になるようにさせて下さい。それで、その決断がどのように答えがきたのか証しする証人として、立つようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン