2007年10月21日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/私より先におられた
(ヨハネ1:15〜18)

■私たちの教会も多くの医者の方々がおられます。私がこの前、TVを見て、可能ならば私たちの信徒がする病院に行かなければならないと考えました。放送局で隠れて病院ですることを撮影したのです。内視鏡検査する機器で撮影していました。その人々が全く洗わないのです。消毒液に漬けておかなければならないのに、看護士がいいかげんに磨いておくのです。その次の人がくればそのまま使っていました。それも大きい病院でそのようにしていたのです。いくつかの病院で隠れて撮影をしていました。ある病院は見つけられたのですが、清潔なことに一番だった病院です。それを見ながら、病院がそんなことでなく、仕事をする人がそうなのだと思いました。韓国だけそうなのではなく、米国もそうだということです。米国である子どもが死んだのですが、お母さんが最後まで告発して勝ちました。知ってみたら、そのおばさんは内視鏡検査器を売る人でした。問題は、病気になってすぐ死ねば良いのですが、6ケ月間、知らずに広がるということです。その時かかった病気はどこでかかったと証拠を出せないということです。大部分の人も、エイズになれば、すぐ痛くなることもあるのですが、何年間か潜伏してかかるということです。
■私たちの不信仰はそれよりさらに怖いのです。私は昔にクリスチャンは、みなでたらめではないかと思って聖書は本当に事実かと考えました。いったい神様はいるのか、そのように考えた時があります。ところで、問題はそれではありません。その時、事実は徹底的にほろびたのです。あたかも、からだの中に病原菌が入ってくるように、私たちの問題自体を倒すのです。本当に不思議です。どんな方法でも解決だめな問題がどんどん起きます。聖徒を見れば、実際、多くの問題を持っています。ある人々は問題を作って陥ったり、問題の中にいます。大部分のクリスチャンは、自分が問題を作って自分が陥るのです。世の中を生かすことができません。答えも受けることができなくて、サタンの戦略に勝つことができないのです。
■さらに重要なのは、一人で生き残れる信仰になりません。一番重要な部分がこの部分です。神様が皆さんを救われたと言われました。それなのに、だめです。適当に一緒にするのはできるのに、一人ですることはだめなのです。私たちに教会はとても重要です。しかし、教会がなくても信仰生活は可能でなければなりません。それが救われたことなのです。私たちは牧師が重要で、長老が重要で、皆さんが重要です。しかし、皆さんがいなくても信仰生活が可能でなければなりません。それが救われたことなのです。無教会主義を言うのではありません。私たちに最も貴重な人は親です。しかし、親がいなくても味わえなければなりません。それが救われた者の信仰です。例えば、親が悪いといっても勝利しなければなりません。悪い親だから私がほろびるということは、救われた者の奥義ではありません。ほとんどこれにならないのです。親のゆえに、夫のゆえに、妻のゆえにと言います。それでは、どのようにすべきなのでしょうか。それでは、親を変えなければならないか、そうでなければ殺すべきか、売り飛ばさなければならないのでしょうか。ある方が面白い話をしました。夫をどこか売る所はないかと言ったのです。買っていけば、姑をおまけに付けると言ったそうです。不可能な話ですが、願いでしょう。解決できないのです。
■一人で信仰生活になりません。とても重要なのです。一人で信仰生活できてこそ、教会生活もできて、伝道もできて、できるのです。それが何の話なのでしょうか。もしレムナントが一人で信仰生活ができないのに、外国に出れば困難な目に遭います。そうすれば良いでしょうか。神様のみこころなのでしょうか。そうではありません。レムナントらが出て行けば、どれくらい困難が多いかわかりません。人は試みを与え、教会は問題が多く、外に出て行けば人々が変です。言語もよくできず、文化も合わないで、ホームシックになって、どのように耐えられるでしょうか。それが長く積み重なって、おかしな団体に行き麻薬に陥るのです。原因が一人で信仰生活できないためです。
■レムナント7人です。ヨセフの周囲には、全部、敵でヨセフを包んでいました。ヨセフを理解する兄はただ1人もいなかったのです。ヨセフが大事な息子であったのにもかかわらず、奴隷に売られました。そこで祝福を受けたのですが、結局、監獄に行ったのです。単なる監獄でもなくて終身刑を受けました。ヨセフは、生き残ったのです。耐えたのではありません。ヨセフが勝ったのではありません。これが重要です。ヨセフは行く所ごとに幸せだったのです。無理に幸せなのではありません。聖書は語っています。主がヨセフとともにおられたので。確かにそうなっています。皆さんも可能です。皆さんも本当に神様が私と一緒におられるんだなとなれば、問題に出会っても恐れが出ません。毎日、神様が私とともにおられるということが本当になれば、教会に行っても、おかしな人を見ても、哀れになるのですが、私に問題になることがありません。答えを受ける祝福を味わうようになれば家族が変でも勝てます。勝つという言葉は、哀れだということで何の関係もないということです。しかし、神様が私とともにおられるという証拠がなければ、これも問題で、あれも問題です。
■私は事実、インマヌエル教会がすでに20周年になったというのに、それほど実感がありません。計算してみると20周年になったということです。私が1987年に来ました。私がヨンドに入ってきたのが1987年の10月でした。初めての週に12坪で説教を始めたのです。よく記憶する理由が、その翌年88オリンピックがありました。だからすでに20年になったのです。2007年であるから20年がすぐ過ぎ去ったのです。ある方が、昔の人のように会いました。どのように過ごしたか、困難をたくさん受けたようだが、どのように過ごしたかと尋ねたのです。少しも補う言葉でもなくて、抜いた言葉でもなくて、20年が過ぎ去るのを知らなかったのです。今はないのですが、以前に攻撃をたくさん受けたのですが、私とは全く関係がなかったのです。そんなに殺してみようともがいたのですが、私とは関係がありませんでした。私は皆さんに会えて伝道して説教して伝道に行って、集会してきたのが幸せで、20年がそのまま過ぎてしまったのです。多分、カレンダーがなかったならば、私がここにきて2年ほどしかならなかったと、頑固に言い張ったでしょう。
■私はヨセフが分かります。いくら汚名を着せても、主がヨセフと共におられるのです。獅子が恐ろしくなくて、ゴリヤテが恐ろしくないのです。神様が私とともにおられるからです。これを味わわなければなりません。本当に色々な事があります。本当に神様が私とともにおられて、キリストがすべての問題解決者であるという幸せがなければなりません。どのようにすれば、そうなるのでしょうか。これが今日の本文です。ヨハネの福音で重要な答えを与えています。詩篇を終えて、ヨハネの福音書を始めたのですが、ヨハネの福音書には、とても重要な実際的な答えを与えられています。神学的で聖書教理に対する答えが多く書かれています。本当にそのように答えが受けられるのでしょうか。それが問題です。確かに申し上げられるのが、皆さんは私をご存知です。私たちは多くの答えを受けました。皆さんおわかりの通り、20年間、皆さんと一緒にいたのですが、私が上手にしたこともありませんでした。皆さんのために特別にしたこともありません。説教して伝道しに行くくらいしか、しませんでした。ところで、他の立派な方々もとても多いのですが、その方らより、さらに多くの答えを見て福音を宣べ伝えました。どのようにそれが可能なのでしょうか。それが本文にあります。
■3つのことで可能です。最初です。キリストを正しく知らなければなりません。聖書66巻で長い間、強調したのが、他の話でなくキリストに対する話です。人間が本当に神様に会って、その幸せを感じてこそ、他のものに勝てるのです。私たちはスポーツもおもしろいでしょう。ゴルフもおもしろいでしょう。釣りも、友人に会うのもおもしろいでしょう。いろいろおもしろいことがたくさんあります。それが悪いということではありません。本当に、キリストの中にある奥義、神様が私とともにおられるその味、幸せを知ってこそ、解決されるのです。そうでなければ、おもしろいことが私を変なところに連れていくのです。それで、キリストを正しく知らなければならないのです。それがヨハネの1章に答えがよく出ています。
■キリストをどのように分からなければならないのでしょうか。キリストに対する重要な単語がたくさんあります。その中で、いくつかのことを必ず理解しなければなりません。最初です。処女降誕です。それが話になるでしょうか。処女が赤ん坊を産めるでしょうか。それが医学的に何十億分の一で可能なこともあるということです。それが医学的に出てきたということです。それでヨーロッパでは「処女がみごもって男の子こを産む」と言わずに「女がみごもって男の子を産む」と変えようと言いました。共同翻訳された聖書を見れば、そうなっています。その運動がヨーロッパで始まりました。ところで、ヨーロッパ教会は完全に眠ってしまいました。聖霊が完全に離れたのです。不思議です。いくつかの教会は、他のことはあるのでほろびるのは時間の問題です。処女がどのように息子を産めるのか。医学的質問です。すべての人間は罪人なので、男の子孫では救い主になれません。どのように処女が子どもを産めるのでしょうか。神様がすれば、童貞の男もできます。男が子どもを産めば困るでしょう。それで、神様が処女に送られたのです。なぜでしょうか。全部、悪魔の手にあって人の子孫ではだめだからです。とても科学的な話です。ほとんど知識人は理解できない話です。しかし、皆さんが真の知識を持ったら分かる話です。私はとても科学的な話だと思います。処女が産んだ子でなければ、神様の息子ではありません。聖書に預言されました。ところで、恐ろしく成就したのです。よく分からなければなりません。
■だから、不思議に米国で合理主義神学が出てきたのです。聖書に話にならないことが多いから、そのまま抜いて、話しをしないようにしようということです。そのためか、米国が今、教会がほとんど崩れています。米国へ行くのは、気をつけて行かなければなりません。ほとんど崩れています。米国から来ておられる方や、米国人に尋ねてみてください。福音なしによくできなければ、大変なことになります。変なことがたくさん起きます。キリストです。何の話なのでしょうか。罪、サタン、地獄の勢力をうち破ったということです。イエス様が復活されました。Iコリント15:3〜5に、聖書のとおり死んで、聖書のとおり復活されたのです。とうてい信じられないのが正常です。なぜでしょうか。こうしたことがなかったためです。聖書のとおり死んで、聖書のとおり生き返られたのです。ユダヤ人が信じられなかったのです。どうなったのか。確かに生き返ったが理解ができませんでした。科学が分かるのでしょうか。医学が分かるのでしょうか。政治的に理解ができないのです。どのように生き返ったのか。いろいろな話をしたのですが、答えにならないのです。ユダヤ人が最終的にくだした答えが、完全に殺さなければならないのに、殺さなかったと言いました。言わば、最終確認で殺してしまわなければならなかったのに、目を覚ましたということです。ユダヤ人が告白するほど、信じられない事実です。ところで、皆さんが後ほど、世の中が後ほど、そのように復活すると聖書は話しています。
■今日の本文に、とてもイエス様に対する重要なみことばがあります。ヨハネ1:15にヨハネが告白しました。「私より先におられた方」と言いました。イエス様がヨハネ8:56に、あなたがたの先祖アブラハムがわたしを信じて救われたと言われました。するとパリサイ人が、狂ったのか、何歳なのか、あなたは今、三十才なのに、どのようにアブラハムがあなたを信じて救われたのかと言いました。理解ができないのです。イエス様は、創世前からおられて、人のからだを着てこの世に来られたということです。神学者は理解できないかもしれません。牧師は理解できないかもしれません。多くの教会が、この話をしなくなっているのですが、理解できないかもしれません。ところで、このメッセージが出てくれば暗やみの勢力は完全に崩れるのです。知らなければ、大変なことになります。人間の呪いがどれくらいものすごいのか、こういうキリストが来られなければならないのです。この話が信じられなかったり、必要ないならば、聖書は完全に必要ないのです。先におられた方です。この話が理解できないから、ユダヤ人が誤解したのです。ある本には、釈迦が町を旅行をしたと釈迦の弟子だという話をします。先にいたということを知らないのでそうなのです。今日、皆さんがキリストを正しく知って、体験する祝福があることを希望します。一度だけ体験すれば、その時からずっと開かれます。ひとまず、キリストを正しく知らなければなりません。このものすごい事実をどのように分かるのでしょうか。
■ソウルにシン・チョンウォン宣教師のお父さんがおられます。その方が学校先生をされていました。礼拝終えて一度、私の所に来られました。牧師先生、今日のメッセージは良かったと言いながら、あの人たちはわかるかと尋ねました。わかる人もいるでしょうと言いました。自分はわかりますが、苦しいということでした。人々が分かって聞いているのか、いねむりをしている人もいたということでした。笑いました。
■こういうものすごい奥義は、Iコリント12:3には聖霊が教えてくださると言われています。博士が知らないことを学校に通わなかった人が知ることができるのです。ある人は、勉強をよくしても悟れないで、ある日、この部分を悟るのです。ある人は留学に行って勉強して、キリストを知るようになりました。私たちの韓国にキム・ヨンギルという博士はナサで勉強してキリストに会いました。こうしたこともあります。キリストを正しく知らなければならないのです。
■二番目です。キリスト正しく知ったとすれば、今は、正しく味わわなければなりません。同じ答えの門が開かれます。どのようにキリストを味わうのでしょうか。私たちは知っているけれど。いくつかだけ理解すれば良いのです。キリストを味わおうとするなら、どのようにすれば良いのでしょうか。知っていないのではありません。合宿を受けてみな知っています。ところで味わえないのです。それが残念です。小さい子どもたちもみな知っています。タラッパンには、子ども合宿もあります。小さい子どもたちが私を見て「主は行ける神の御子キリストです」と話します。ある子は親が話しているので、みな覚えています。味わうのが問題なのです。前回の説教の時、話しました。この地域で一番難しくさせた会長が訪ねてきました。突然倒れて、救急車に乗せられて行ったのですが、その人の話では何度か乗せられていったということです。会話ができなくなって、精神だけ残っていたのですが、その方が告白しました。救急車に乗せられて行きながら、思い出すことがあったが、ただイエスと私を思い出したということです。この方が幸いにも回復して、口が開いたのです。からだはよく使えなくて、ここの階段をやっと上がってきました。謝罪しにきたということです。救急車に乗せられて行くのに、何の考えも出ないのに、家族も教会も考えられず、ただイエスだけ思い出したということです。以前に私の説教を聞いたが、ただイエスだけ思い出して、私を思い出したので、訪ねてきたということです。謝りに来たのでした。私が大丈夫だと祈って別れました。皆さんがそれでは毎日、救急車に乗らなければなりません。それが問題です。
■それはまだ幸いで、救急車に乗っても悟れない人がいます。これをどのようにするのでしょうか。半分死んで悟ります。そんなに頑強で知っていることが多い人だったのです。記者をして勉強がよくできました。イエスを信じるのかと嫌っていました。神様がどこにあるかと嫌っていました。妻はちょっと変だから教会に行くと言っていました。いつも会っていたのですが、子どもと話すのに、教会に通うのは良いが、お母さんのようにはならないでくれと言っていたのです。そのままあらまししていて、神様、神様するのかといつもそうだったということです。ところで、この方が重要な病気になりました。それが問題ではありません。横になりながら、私がなぜこのようになったのか、私が死ぬのか、このまま行かなければならないのか、医者がガンだというので、もう行かなければならないかという気がしたということです。その時、教会に訪ねてきました。この方にキリストを説明したのでうが、これが合うので、この方が受け入れました。この人の中にすばらしい変化が起きたのです。幸い手術にも成功して、健康も回復しました。説教を聞いておられるが、今は水曜礼拝にも出てきています。
■幸いです。その方は真に幸いなのですが、それでは、皆さんが丸ごとガンになって、キリストを悟らなければならないのでしょうか。これが問題です。それも重要ですが、それではありません。自分に最も真実でなければなりません。そうすれば、キリストが分かります。皆さんが真実ならば、自分が罪人であることを知るようになります。本当に真実になる時、私の力に限界があることを知るようになるのです。私に真実ならば、他の人が知らない問題をたくさん持っていることを知るようになります。私が本当に真実になれば、このまま行ってはいけないと知るようになるのです。もう少し真実になれば見られます。もう少し真実になれば、私たちの家系の問題も見られます。いろいろな勉強が必要ありません。私にあった霊的な問題を知るようになるのです。私はこの道に行けば確かに死ぬということを知るようになって、私が解決できないということも知るようになります。それで神様がキリストを送られたのです。私を見る時は真実に見なければならず、他の人を見る時は、事実通り見なければなりません。
■米国、韓国、全世界の困難を受けている人たちが、霊的な問題を解決できなくてさまよっているのです。事実を見なければなりません。サウル王がダビデを殺そうとするのではなく、悪霊につかれて、どうにもならなくさ迷っているのです。それをダビデが見たのです。ダビデがサウル王が死んだ後、40日間、号泣したのです。なぜでしょうか。とても哀れだったからです。ヨセフがその兄たち、ポティファル、ポティファルの妻をみな会ったのですが、その人々がどうだということを正確に知っていました。それではキリストをより大きく味わえます。外国から、米国からくる方々が多いのです。日本でも、公務員も、教授も、多様におられます。その人々のうわべを見ずに、本当に内面を見てください。哀れです。どれくらい哀れでしょうか。ある人は国会議員になるともがきます。ある人は、政界に出てきて昔の顔はなくて、完全に人が変になります。哀れです。
■私は今でも胸が痛いのです。一度はソウルから釜山に来るのに、飛行機で、故アン市長と一緒に乗りました。降りてきて、うれしいと挨拶をされました。この方が私をどれだけ有り難く思ってられたのか、飛行機から降り立って、車の乗り場まで手を握って話しながら歩きました。単純な政治の話でなく、有難いということでした。どれくらい疲れているように見えたか、健康に気を付けてくださいと言いました。ところで、小さい事件で監獄所にいて、多くの寃罪をこうむって誤解も受けて自分が崩れたのです。ある面で福音なしで生きている人は、すごいがそうなるしかありません。事実を見なければなりません。
■私は福音を味わうのに四つの告白をします。私はできることがなかったが、ただ福音でしました。本当に話してみてください。人間はできることはないのに、神様がただ福音でされました。その方は先におられた方です。ヨハネの福音書にずっと出てくるが、永遠におられる方です。皆さんのために仕事をしたのではなく、30年間、恵みを受けました。神様の恵み、ただ恵みです。多くのことをしたと理解しているようですが、そうではありません。神様に感謝します。ただ感謝です。それがキリスト味わうのです。これから何をするべきかという悩む必要はありません。これから私がタラッパンに何をして生きるべきなのかと言うのですが、そのような心配をする必要はありません。神様は私たちの教会と私の人生を通して、神様が栄光を受けて下さい。少しずつ年を取りながら、醜態をさらさないようにさせて下さい。後ほど年を取って、できなくて、気力が落ちる時、ポジションを心配する、醜い人間にならないようにさせて下さい。それが私の告白で、祈りです。だからキリストを味わうということで、ものすごいことが行われるのです。
■本当に真実になれば味わえます。みな計画して嘘をつくからであって、本当に真実ならば味わえます。私たちは多くの祝福を奪われます。一人で味わえなければなりません。
■三番目です。キリストを正しく証明しなければなりません。Iコリント4:1〜2です。こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。私はここで重要な答えを得ました。皆さんがこの単語を捕まえなければなりません。他の人が皆さんを見た時、何を感じなければならないのでしょうか。賢い方だな、そうではありません。この方、キリストがこういうものだな、キリストの働き人、この方のためにキリストを分かったと悟らなければならないのです。この方がとても立派だと出ても良いのですが、この方のためにキリストを分かったと言われなければなりません。そうなるようにしなければならないのです。この方が神様の奥義を持った人だな、忠実です。そのことに忠実にしなければならないのです。他の忠実も重要ですが、その忠実になりなさいということです。
■(按手を受けた)役員を私たちがたくさん立てています。簡単に理解してください。なぜたくさん立てるのでしょうか。多くの外側にある暗やみの勢力を倒さなければならないからです。多くの(按手を受けた)役員が、本当にキリストの祝福を受けなければなりません。皆さんが現場で祈っていれば、伝道弟子が集まるでしょう。聖書にある本物の答えが来るでしょう。それを作ろうというのです。すべての教権偶像を押し倒そうというのです。他の方法はありません。そうしてこそ、3つの征服と3つの改革が成し遂げられます。どんな(按手を受けた)役員ならば良いのでしょうか。この人がキリストの働き人だな、この方は神様の奥義を引き受けた者だな、そのことに忠実な者だな、これがキリストを正しく伝えることなのです。口でも伝えるのですが、他の人が見て知るようになります。皆さんがこの祝福を今日から味わうようにイエスの御名で祝福します。とても簡単なようでも、すばらしい答えに変わります。
■結論です。4つの福音書の主題は何でしょうか。マタイの福音書はマタイがユダヤ人に送ったイエスはキリストという話です。その話がマタイの福音書です。それでユダヤ人が好きな家系図の話が出てきます。マルコの福音書は、マルコが苦難を受けている人々に、イエスがキリストだと伝えています。ルカの福音書は、イエス様が人のからだを着て来られたことを一番強調したのです。イエス様が人のからだを着て来られたのですが、神様だとの強調したのがヨハネの福音書です。異邦人とその中にいるユダヤ人に送ったメッセージです。特に重要なのは、虚像を持って何のいのちもなく生きていく人々に、キリストを、神様の奥義を伝達したのです。神様が人間に最も必要なキリストを準備して送られたのですが、それに対する証拠です。目に見えない皆さんを倒して、家系を倒すサタンは、皆さんがどのようにすれば崩れるのかよく知っています。それで、キリストを知らないように防ぐのです。ユダヤ人に虚像がぎっしり埋まっていたので、そこにキリストを送られたのです。
■普通、行ってみてください。私が昔に伝道師だった時、長老のお手伝いで裁判所にしばしば行きました。あるいは弁護士の事務室に行きました。その人々がする話があります。事件を調査する時、名刺を見れば何かを多く書いているのがあります。自分たちどうし、その人は詐欺師だと言うそうです。自分たちどうしで言う言葉です。虚像でぎっしり埋まっているということです。ある日、国会に説教に行きました。他の方々は、そのまま挨拶をするのに、一人は名刺を与えてくださいました。多分、長老だったのでしょうが、パク・セジク氏が名刺を渡してくれました。名刺を見たら、大きさは全く同じですが、7字だけありました。国会議員パク・セジク。前後に何もなくて、単に国会議員パク・セジクとなっています。大統領は名刺が必要ありません。私たちが話せば、見せかけをかざれば、上手にするように習ったのですが、そうではありません。多くの宣伝をすれば、良くしていると思うのですが、内容がなければならないのです。一度、会えば、あの人は仕事を正しくするよ、とならなければなりません。顧客感動。この頃は、顧客気絶と言います。完全、皆さんに会って気絶しなければなりません。話に気絶するのではなく、内容にほれなければならないのです。知ったところ、キリスト、それが最も良い伝道です。私たちが現場にいる祝福をみなのがしているのです。
■私は幼い時、環境、国家、両親がみな難しい時期でした。最も後悔しているのは、幼い時、福音を知らずに教会に通ったことです。ある日、福音を少しわかるようになったのですが、その時から祝福がすごくあふれました。ある日、少しキリストを味わったのです。今までの答えを少しずつ、神様が門を一つずつ正確に開かれました。そのような中に、一次(按手を受ける)役員をたくさん立てる時代の門を開かれました。なぜ、そのように立てるのでしょうか。地域、地域に正しいみことば運動をする地教会を作りなさい。今までは、ほとんど動機ある地教会です。今からは本当に地教会を作りなさい。ほとんど感情が傷ついて分かれて、地教会を作るのですが、今からは本当に地教会を作りなさい。それでは皆さんの事業、家庭、教会にどうなるのか見ましょう。それに皆さんが証人です。今日、キリストにまさに会う祝福があることをイエスの御名で祝福します。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。真に真の幸福を発見する霊的な目を開いて下さい。真の力を与えて下さい。神様は災いがあなたがたの近くに来なくなるとおっしゃられたことを捕まえるようにさせて下さい。千人が万人が崩れても、災いはあなたがたに近づかないという神様の約束を捕まえる証人がなるようにさせて下さい。一人でも地域を生かす証人になさせて下さい。一人でも、家系を生かすヨセフ、ダビデのようになさせて下さい。それが使命以前に、当然の祝福になるようにさせて下さい。努力でなく、神様が準備されたことを分かるようにさせて下さい。その中で真の幸福を求める証人にならせて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン



2部/神様の力
(マタイ28:16〜20)

■今日8回目の出会いを見ながら、神様の力、そして、献身礼拝です。これを分かってこそ、献身することができます。神様の力はいつ現れるのか。今日、のがさないようにしましょう。皆さんが先に献身しようとするなら、家系をおいて3つの祈りをしなければなりません。これをそのまませずに、子孫代々で味わえる3つの祈りです。経済と献金です。これを本当に祈りましょう。家系が代々味わえるように祈れば、神様は答えられます。真の伝道と成功です。ここは宣教も含まれています。そして個人と時刻表です。個人がしなければならないことがあって、その中の時刻表があります。これを常に祈れば良いのです。この3つの中の一つだけ抜けても献身になりません。個人が時刻表をのがすのに、献身をするのでしょうか。伝道宣教を知らないのに、どのように献身をするのでしょうか。実際、経済の祝福を受けてこそ献身することができるのです。今、年齢に関係なく、本当に祈れば神様が働かれます。
■私が証拠を受けました。多分、皆さんの家はどうかわからなくても、我が家はとても難しかったのです。そのまま生きているのも難しかったのですが、我が家は火事にもあいました。その時、保険に入ってする時でもなく、火事が起こればそのまま乞食となります。そうなったので、困難が近づいて、私の父が思い通りにならないから、病気になって亡くなりました。だから、どれくらい難しかったのか分かりません。言葉で表現できません。他の人は話できても、私たちは話もできないほど難しかったのです。そのような中に、私の母は、十分の一献金をするのを見ながら私は変だと思いました。神様が本当に生きておられたら、私たちの状態をご存知なのに、このように難しい状態でなければならないのか、その程度に思いました。ところで、これがそのままでなく、答えを見るようになったのです。それで、どれだけ答えを受けたのか、今まで全世界に伝道団体の中で経済の心配をしない団体は私たちしかいません。そして、全部、難しい時代にRUTC献金する時、人々が力を合わせるのを見てください。個人個人が、生きるということは難しいのですが、奇跡です。私たちが伝道宣教運動が起きる中で、全世界で同じように起きています。これを祈られなければなりません。
■どのように祈れば良いのでしょうか。私はこのように覚悟しました。私は伝道と宣教のために、全世界で一番祈りをよくすると決心をしたのです。本当に、この決心したら、定刻、常時祈りが分かります。私が本当に、この契約捕まえて祈らなければならないと決心をすれば、定刻祈りが分かって、仕事をしながらしなければならないから常時祈りが分かります。皆さんがこれを回復してみることを望みます。一番祈りをよくする人になります。聖書に3回出てきます。見張り人。祈りの見張り人になると決心して、すべての問題は神様に任せれば、答えが来るようになっています。この時から神様が答えられるのに、私にこういう答えを一番最初にされました。祈った答えから来ないで、他の答えからきました。本を読むのに、特別なものではなかったが答えになりました。偶然に読んだのですが「20世紀の奇跡」という本を見たのです。女性何人かが集まって伝道をしながら建築をした祈りなのに、実際にあった事です。それを読みながら、さらに力を得て祈れば良いと思ったのです。祈り始めました。他は言い訳です。祈れば答えられて、すべての問題が解決できます。そうするうちに「信仰の人ミュラー」という本を読みました。ミュラーは常時祈りをしました。ミュラーは生活をしながらずっと神様に祈ったのです。大きい事件だけ答えを受けたのが、五万種類を越えます。私はそれを見ながら、祈れば良いと思ったのです。福音の中にいる人は、福音を味わう祈りだけすれば良いと思いました。どれくらい困難が多いのか、ずっと祈らなければなりません。条件が良くありません。神様の力がなければなりません。私たちが今は大丈夫ですが、昔には状態が良くなかったのです。全国、外国、ソウルに行けば、立派な人がどれほど多いでしょうか。私たちの力で、どのようにするのでしょうか。教会の中に入ってきてみれば、人々はまあまあで、力もなくて不可能です。私はその時、悟ったのです。神様の力がなければならない。本当に福音運動しようとするなら、本当に神様の力がなければならない。
■大人たちはご存知でしょう。韓国の国会議員の中ファン・ソンスという方がおられました。有名な方でした。その方が米国に行って牧師になったのです。韓国でも講義をよくされました。どれくらい賢い方かわかりません。その方が告白したのです。米国に行って教会をするのに、だめなのです。そんなに賢いのにということです。韓国では勉強すれば、無条件に一番です。ソウル大、国会議員で、だめなことがありませんでした。ところで、教会はだめでした。その時、その方が告白したのを聞きました。神様の働きは、人間の方法でするのではない。神様の力でするのだ。私はそのように思いません。世の中のことも正しくしようとするなら、神様の力でしなければなりません。祈り始めるように願います。そのような中、小さいパンフレットを見たのですが、「神様はなぜムーディーを用いられたのか」という本です。こういう実際にあった方の本を読んでみる必要があります。とても難しい時代に、ミュラーは本当に祈りの答えを受けた方です。神様がなぜムーディーを用いられたのでしょうか。一番最初でムーディーは祈りの人でした。七つのことが出てくるのに、一番初めにムーディーは、祈りの人だとなっています。その時から祈り始めたのです。ならない事はありません。皆さんがもうこの祝福を回復する、本当に献身する祝福があることを希望します。
■八回目の出会いの中で、重要なことです。神様の力はいつ現れるのか。もちろん祈る時です。それでは、何を祈らなければならないのでしょうか。重要な事実が出てきました。常に始める時、神様がくださった最高のうつわで始めなければなりません。皆さんが何でも最高のキリストの奥義で始めなければならないのです。7つの事実が出てきます。本来の人間は創世記1:27に見ると、神様のかたちに造られました。ところで、創世記3章に悪魔に人間は完全に滅ぼされたのです。それも、悪魔の誘惑で完全に滅びました。それで、休みない苦しみたがマタイ11:28にずっと来ます。だまされてはなりません。職業が何でも関係なく、苦しみがずっときます。イエス様が「疲れて重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい」と言われました。そうするうちに、ルカ16:19〜31に、この世で、旅人の人生を生きて、故郷に帰ります。地獄に行くことになるのです。それで、ヨハネ3:16に、神様がイエス様を送られて、この事実から救い出されると言われました。そして、Iヨハネ3:8にイエス様が悪魔のしわざを完全に滅ぼされたのです。この事実を信じて受け入れる人々、すなわちその名を信じる人々には、神様の子どもとされる特権をお与えになったと言われています。このように始めれば良いのです。
■なぜ味わえないのでしょうか。これを味わえば良いのに、なぜ味わえないのでしょうか。味わうだけで良いのに、なぜ味わえないのでしょうか。イエス様が子どものようにならなければ、神様の国に入ることはできませんと言われました。皆さんが神様の前で、おとなのようにせずに、子どものようにしなさい。何の話なのでしょうか。皆さんが持っている知識、考え、全てのものが多いのですが、子どものようにしなさい。子どものように神様を信じれば答えを受けるようになっています。実際、皆さんが知らないからであって、誰も信じないのです。どんな問題があるのでしょうか。神様はご存知で、解決されることができます。本当に祈ってみてください。貧しいのでしょうか。神様は知っておられます。それなら、神様は解決することができるのです。皆さんが病を罹っているのでしょうか。神様は知っておられます。神様はそれを直せます。直せないでも、私たちはできません。それで、神様の子どものように、そのまま信じなければなりません。子どものように。とてもおとなで、高慢なのです。神様の子どもは、信じればそのまま働きが起きます。複雑な違ったことをとてもたくさん知っているのです。神様の子どものようにしましょう。私たちは色々な経験と理論がたくさんあります。みな正しいように見えるのですが、神様の子どものようにしましょう。
■献身者に必要で、新しい家族には必須です。ほとんど自分の考えをすべて持っています。それが違ったということではありません。限界がくるのです。さらに優れていることが神様の祝福です。皆さんの力より神様の力がはるかに大きいのです。皆さんが私たちの子どもを思うより、もっと大きい祝福をされます。皆さんが行かなければならないところより、もっと良い道を準備しておられます。信じないのです。そんなに多くの祝福を見せたのに、信じません。それで幼い子どものように信じれば良いのです。こういうものすごい事件を繰り広げられたのに、信じないからです。祈りも長くする必要がありません。定刻祈りをする時、重要な問題があれば、ただ二言だけすれば良いのです。神様はご存知です。神様が責任を負って下さい。ミュラーがその祈りをしました。ミュラーは、その祈りだけしたのですが、全部、答えを受けました。子どもが病気にかかった時、神様がご存知です。神様がこの子を祝福して答えて下さい。簡単だと見られるのですが、ものすごい信仰です。私たちがすばらしい祈りをして、すばらしい話をするように見えるのですが、信仰がありません。それをだれが分かるのでしょうか。神様はご存知です。それをだれが分かるのでしょうか。サタンが分かります。それをだれが分かるのでしょうか。私たち自身が分かります。それを少し過ぎれば、他の人も知るようになります。だから、とても仕事をして、走って、賢いのに、信仰がないのです。この、ものすごい祝福をそのまま信じなさいということです。それで他の方法でだめだから、あなたの信仰のとおりなるように。信じる時、すばらしいみわざが起きます。神様の子どもが信じる時、どんなことが起きるのでしょうか。イエス様が一番、しばしばされたみことばが、あなたの信仰のとおりになるようにと言われました。この祝福を回復するように願います。
■なぜ味わえないのでしょうか。実際に信じません。問題があるのでしょうか。私たちは考えも変えなければなりません。車が渋滞するなら、どのようにしなければならないのでしょうか。神様がはやく行けないようにする理由があるようだと思えば良いのです。はやく行って、ソンス大橋で落ちて死んだ人もいます。私たちが神様の前で考えを変えなければなりません。はるかに良いことを準備されたのに、私たちはみな奪われているのです。今日、献身する皆さん、祈りの答えを受ける皆さんが、大きい祝福を回復するように願います。
■この時、神様の力が現れるのです。信じる時、聖霊が働かれます。聖霊が働かれれば、力が現れるのです。この祝福を受けるように願います。答えも始まって、環境も変えて、他の人を変える方法があります。それがいつでしょうか。3つの戦いです。今日の本文によく記録されています。3つの戦いです。自分自身。サタン。世の中。戦う時、神様の力が現れます。
■ヨハネ8:32に、真理を知り、真理があなたがたを自由にします。これは放縦でなく、自由です。皆さんは暗やみから終わりました。自由です。呪いからみな終わって自由なのです。皆さんは計算しなくてもかまわないのです。終わったのです。他の人はみな偶像崇拝するのに、私たちはどのようにするのでしょうか。みな終わったのです。真理があなたがたを自由にします。あの町はおかしな町で、運が悪い町だとしても、真理があなたがたを自由にします。度々私たちは救われる前の考えをそのまましているのです。神様の子どもでない考えをそのまましています。心配しないように。真理があなたがたを自由にします。すべての運命も終わりました。真理があなたがたを自由にします。これは放縦ではありません。自由です。勝手に生きるのではありません。暗やみ、呪いに閉じ込められているのではなく自由なのです。ここでほとんど失敗するのです。Iヨハネ3:8に、神様の息子が悪魔のしわざをうち壊した。特にUコリント11:14に、このサタンは光の天使として、良いことが明らかになったりもします。ヨハネ14:16に皆さんが聖霊の導きを受ければ、世の中に勝てます。このような時、神様の力がずっと現れるのです。
■神様の大きい力は、いつ現れるのでしょうか。皆さんの現場で、自分に、神様の大きい力はいつ現れるのでしょうか。3つです。私たちが本当に誤りを悟る時、最も短い祈りですが、最も大きい答えです。ヨナ3:10に悪いニネベの民が悔い改めたら、神様は思い直されました。断食祈祷よくしても良いのですが、私の誤りが何か、それだけ悟れば、はやく答えがきます。最もはやく答えがくるのです。ひょっとして、かたき同志となった人がいるのでしょうか。相手の間違いをいくら考えても解決にならないのですが、私の思い違いを変えればはやく解決されます。解決されることが問題でなく、答えになります。皆さんを失敗させようとする神様のみこころを変えられるのです。みこころを思い直される場合は、一度だけあります。私の誤りを悟る時です。いつも悔い改めだけするのではありません。神様の計画を発見しなければなりません。神様がこの時代に望まれることがあります。大きい力が現れます。紅海がいつ分かれたのでしょうか。ご存知でしょう。皆さんの事業に紅海が分かれる答えがあることを希望します。皆さんの職業に、ヨルダン川が分かれる祝福があることを希望します。いつ分かれたのでしょうか。皆さんがいくらアーメンと言っても分かれないで、この時分かれるのです。神様の計画の中に入る時、聖書的な世界福音化、聖書的な宣教は神様の計画で、この中に本当に入った時、神様はエリコも倒されます。今日、この祝福を受けられるように願います。
■神様の力がいつ現れるのでしょうか。本当に福音を味わい始める時です。そして、皆さんをこの福音を味わわせないものと戦う時。神様の本当に奇跡は、神様の計画の中に入れば現れます。本当に私に人間関係の問題がきた時、どのようにするのでしょうか。私の誤りを悟る時、神様が働かれます。神様の祝福です。私たちは献身礼拝という時「献身」する時、からだをささげるということです。私は皆さんが信仰をささげるべきだと思います。その信仰よりさらに重要なのは、心をささげるのです。そして、献身すべきで、私たちが仕事をよくすると献身だけ重要なのではありません。私は今、献身礼拝をささげながら、今まで教会でささげてきたのですが、この献身礼拝が聖書的に合うのか考えてみました。男性伝道会など献身礼拝をささげます。特別な意味があって礼拝するのは正しいのですが、それよりさらに重要なのは、心をささげなければならないのです。それよりさらに重要なのは、信仰をささげるのです。確かに神様はなさることができます。
■どんな約束を捕まえなければならないのでしょうか。約束を捕まえましょう。天と地のすべての権威がわたしには与えられました。イエス様が権威をもらったと言われず、すべての権威がわたしに与えられたと言われました。あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。イエス様が約束されました。捕まえるように願います。私は力がないと言うはずです。見よ。わたしが世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます。確かにそのように約束されました。必ず捕まえなければなりません。本当に答えを受け始めれば力が生まれます。皆さんが本当に神様のみわざが起きれば、力が生まれます。皆さんに話すのが難しい部分ですが、本当に信仰をもってこのようにしてください。一番恵みを受けて結婚したり、教会の集いをする時、一番難しいことが人です。ところで、皆さんの答えと祝福を一番防ぐことになります。一番好きなようにできないのが、人です。皆さんの行く所、答えの門をみな防ぐのも人です。神様はすべて与えられました。
■私はこのようにし始めたのです。すべての人を生かすつもりです。これが神様の祝福をのがさないことです。いろいろな人がいます。本当に違っているのを助けて、そのまま置いておけば、変な話しをして歩き回ったりもします。それでも、そのようにしなければならないのです。なぜでしょうか。そのようにして、受けることができなくなって、祝福をみな奪われる必要はないのです。それで、必ず記憶しなければなりません。どんな問題も問題になることがありません。なぜ問題にならないのでしょうか。問題は全部、答えになるのです。普通の人々がみなできないのです。みなのがします。信仰生活するように見えて、崩れるのです。そして、真の感謝を見出すことができません。みわざが起きれば、高ぶって感謝は見いだせません。何でもないようでも、必ず記憶しなければなりません。皆さんにくださる祝福がものすごく多いのですが、皆さんが人のために知らなくなります。神様が皆さんに祝福を多く与えられたのですが、ほとんどみな人のために知らずに問題の前で目がくらんで答えを見ないのです。小さい現実を見つめて、不平不満を言うのですが、神様の前で感謝する時、本当に感謝を発見しなければなりません。
■普通の人々が、人のゆえに失敗します。そして、ある人は自分親しい人は違っているのに、正しいと言うのです。違ったことは違ったと助けなければならないのに、正しいと言います。ある人は正しいのに、違うと言います。教会の中には、そのような人々が多いのです。ある人は勘違いして葛藤します。ヨーロッパ、米国には人のためにみな崩れて、みな奪われています。これがサタンの戦略です。気を引き締めなければなりません。何のために私たちが大変で、多くのことを捨てて悪魔を喜ばせるべきでしょうか。ほとんど愚かです。ここにみな陥るのです。献身になりません。それこそ献身が一部分しかできません。賢くならなければなりません。感づいて、人のために試みにあう必要はないのです。だからタラッパンで適当ならば間違っても、見ながら待つのです。それを知らなければ本当に愚かです。私は適当ならば待ちます。なぜでしょうか。すべての人がみな生きなければならないためです。人々は、愚かです。すべての来ている祝福をみなのがすのです。そのようにくやしいことはありません。皆さんが釜山市長の息子で、財閥の息子なのに、ご飯が食べられずに歩き回っていても良いのでしょうか。家を出てきた乞食がご飯が食べられないなら話になるのですが、市長の息子がご飯を食べられずに歩き回っていて良いでしょうか。だから、真の感謝をしないのではなく、見ないのです。これを発見しなければなりません。
■どうして、パウロが監獄の中で感謝すると言ったのでしょうか。監獄は感謝が出てくる所ではありません。そこで、なぜ感謝したのでしょうか。見つけ出したのです。この時代に世界福音化のためにこういう苦難を体験する神様の祝福を神様がくださったのです。本当に感謝しなければなりません。難しい時、感謝を捜し出したのです。感謝も無理にしたのではなく、正確に捜し出しました。神様が兄を通して家から出るようにさせても、世界福音化の門をあけられた神様に感謝、ヨセフが悟ったのです。ダビデ王にはサウル王に追われるように見られたのですが、神様がすべての道の中で答えを準備されたのです。これがダビデが受けた答えです。一番、ダビデが多く使った言葉が感謝です。パウロが一番多く使った言葉が感謝です。
■これをなくせば、これ以上はありません。ある日、見れば完全にほろびています。元に戻せないのです。私が神様の力を本当に信じると祈ったのですが、その翌日何の事もありませんでした。ところで、最も正確な時間に神様の答えが来ていました。私が福音をのがして不平、不満していても、何の失敗もありません。しかし、ある日最も正確な時間に、サタンの時刻表にぶち込まれるのです。本当に怖いのです。だから、よく悟れば、答えがみな出てきます。天と地のすべての権威をわたしに与えられたので、したがって、あなたがたは行きなさい。わたしが世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。皆さんが本当に感謝を悟れば、からだの中に医学的にも健康になります。医学的に分析されました。一度、笑うのに100km走ったことぐらい役に立つということです。記録に出ていました。あるガン患者が、コメデイを見て3日間ずっと笑ったところ、からだに免疫力が半分もできたということです。皆さんが本当に感謝すれば、すべての霊的なことまでみわざが起きます。皆さんがこの祝福を全部回復する、献身礼拝になるように願って、八回目の出会いになることを祝福します。そばの人を祝福しましょう。あなたは伝道者です。世界福音化のために献身しましょう。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、なくしたことを回復させて下さい。本当に私たちは感謝を知らずに生きてきました。感謝することがたくさんあるのに、感謝ができませんでした。神様の大きい福音の祝福を分かっても、人のために崩れて、人のために祝福をのがしてきました。今日、新しい霊的な戦いを始めさせて下さい。天と地の権威を持った主イエス様の約束を捕まえる時間になさせて下さい。今日、信仰を回復するこの時間に、聖霊が働く時間になることを祈ります。今日、私たちが信仰を捕まえる時、天の門が開くことを信じます。全世界の伝道者にあるむだな問題が、みな崩れるようにして下さい。すべての人を生かして、理解する大きい信仰を与えてください。真の祝福を受ける献身になるようにさせて下さい。今日は特に特別に一般信徒宣教献身礼拝です。私たちが世界宣教できる程、経済の祝福を与えて下さい。特にインマヌエル教会で世界宣教するように経済の祝福を注いで下さい。子孫代々、宣教するほど、神様が経済の祝福を与えて下さい。神様はなさいます。私たちの中で弱い者もいます。聖霊で癒して下さい。肉体の病気にかかった者、知らずに病を罹っている者もいます。あがないの血の力で癒して下さい。私たちの心が病気になっている者もいます。聖霊で正常にして下さい。神様の答えを見る目を開いて下さい。神様の答えを待つ信仰を下さい。神様の正確な答えを待つ目を開いて下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン