2007年11月11日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部/人生最高の発見
(ヨハネ1:35〜42)

■同じボールペンでも、人を殺す人が使えば悪く使われます。皆さんが説教も書いて、重要なことを書くようになれば、良いボールペンになります。福音のために苦労するすべての方と聖歌隊員に最高の祝福があることを希望します。早い時間にわざわざ賛美をしようとするなら、多くの心が込められるから、神様が皆さんに特別な契約で満たして下さると信じます。教会が1998年11月11日に始まりました。よりによって、今日が11月11日です。歴史的に323人の(按手を受けた)役員が立つことになる日です。なぜ、そのようにたくさん立てるのか、3つの理由があります。皆さんは3つの祝福を受けるようになります。土台をたくさん置かなければなりません。
■簡単に話せば、道を整えなければならないのです。さらに簡単に話せば、聖書に言われる通りに、大路を造らなければなりません。この頃の私たちの言葉では高速道路を作らなければならないということです。それが最初の目的です。皆さんがその祝福を受けるようになります。すべての所に土台にならなければなりません。前は、それほど使い道がなかった人でも、今は土台になることができる祝福を受けるようになります。二番目です。直ちに多くの伝道弟子が来なければなりません。皆さんの周囲に二番目祝福である、伝道弟子の祝福が起きるでしょう。それでこそ、聖書的な伝道となります。いくら伝道しようと騒いでも、そのようにしなければ、伝道はなりません。大きい復興はできても、信徒はいるのですが、弟子はいなくなります。
■三番目の理由があります。その道に従って、専門家がレムナントと一緒に来るようになります。2段階目には、伝道弟子を育てする地教会をする人々を(按手を受けた)役員としてずっと立てて行くつもりです。これから専門家を(按手を受けた)役員として立てて、あちこちにレムナントを生かしに入るつもりです。そのようにするために、私たちは土台を置いています。多くの土台が必要です。多くの障害物を取り除いて、土台にしなければなりません。多くの捨てられた石を、全部、垣根に積まなければなりません。それほど重要でないところにある石を取り出して、深いところに埋めなければならないのです。そのまま放置すれば、ゴミになるのですが、よく使えば価値あるようになるのです。皆さんの生涯にただ一度のことですから、味わうことを始めなければなりません。
■そのような中で、今日の本文に重要なことが書かれてあるのを発見しなければなりません。ここは(按手を受けた)役員だけがいるのではなく、新しい家族もいます。何を発見しなければならないのでしょうか。若い学生たちもいます。
■世界で第一水準高い人物を輩出した国はどこなのでしょうか。二言を待たなく、イスラエルです。今でもユダヤ人の教育法にはついて行けません。その証拠で、今まで多くの賞、ノーベル賞はユダヤ人がたくさん持って行きました。ユダヤほど、多くの影響を与えた国はあまりありません。皆さんがおわかりの通り、聖書のみことばはユダヤの国に先に与えられました。神様が神殿を与えられ、メシヤもユダヤの国に与えられました。最高の祝福を受けた国です。ところで、イエス様が来られた時に三回目で奴隷になっていました。どう思いますか。なぜそうでしょうか。三回目で、ローマに属国になっていました。ローマの属国になった時、その王はあちこちにたくさんいました。律法学者、パリサイ人、サドカイ人、ヘロデ党など、たくさんあったのですが、国は全く力がなかったのです。この時、イエス様が来られたのです。この部分を知らなければ、信仰生活するのが難しいのです。
■イスラエルの国で、何をのがしたので、このようになったのでしょうか。科学は重要なので、学生たちは熱心に勉強しなければなりません。色々な医学や経済勉強もがんばらなければなりません。そのまましてはいけなくて、熱心にしなければなりません。しかし、それでだめな部分があるのです。それに、イスラエル民族は優れているのですが、だめな部分があったということです。ある金持ちの家に行ったのですが、壁に絵がありました。波が打つのに船が一艘ありました。この腹が、あたかも波に倒れるようにしていました。その絵を付けてあったのです。人生がこのように大変だということでしょう。使徒27章を見れば、船が暴風にあって身動きができませんでした。暴風が激しく吹いたので、科学的な方法もだめで、医学的な方法もだめでした。人間が最善を尽くしたのですが、だめなのです。使徒27章を見れば、彼らができるだけのことをしたことが見られます。努力をみなしたということです。船具もみな捨てたと言われています。その話は、科学的な方法を動員したということです。後ほどには一致協力して自ら祈ったのにだめでした。ますます水で船が沈むのに方法がありません。私たちに暴風がやってくれば方法はありません。発展したのに、問題がやってくるのです。
■最高の国、イスラエルがなぜこのようになったのでしょうか。今でも全く同じことが、米国、ヨーロッパにずっと起きています。この前、米国、ヨーロッパで銃器事件が起きました。先週の報告書に韓国も幼い子供たち、青少年の中で精神病患者が120万人にもなるということです。どの統計なのか分からないのですが、そのように報告されていました。より大きい問題は、原因も知らずに答えも知らないことです。
■今日、皆さんの中で(按手を受けた)役員として出発するすべての方と、新しい家族が何を発見しなければならないのでしょうか。今日の36節にこういう話があります。「その翌日、またヨハネは、ふたりの弟子とともに立っていたが、イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。」見過ごし安いのですが、バプテスマのヨハネが「神の小羊」と言いました。何を言っているのでしょうか。福音の発見です。やさしい話のように聞こえるのですが、とても重要な言葉です。
■名前を言うことができないのですが、尊敬する教授の中の一人ですが、講義を本当に上手にされます。どれくらい講義が上手なのか、若者たちがたくさん集まります。私が総会神学校の大学院に通っていた時、ソウルで勉強をしていました。神学生たちが水曜日には、どの教会に礼拝をささげに行くかというようになります。ちょうど水曜日に特別集会があれば、本当に良いのです。多分、サダンドンの近くのある教会に私は行くようになりました。青年特別集会をしたのです。そこで韓国の有名な教授が講義をされました。その方は講義が上手です。期待を持って行きました。素晴らしく出て来られました。人物も良くて、人格的にも良いと見えました。講義も感動を受けました。序論で、親は真実に生きなさいと言い、聖書にもそうなっているが、自分はそのようにはできないと言われました。多分、政治に対する話をしたようでした。それは間違っていると言わなければならないのに、自分はできないと、真実にできないと話をしました。その方が書いた本を見ると、このようなのもあります。李舜臣将軍は救われた、理由がそのように立派な方が救われなければ、だれが救われるのかと言いました。だから、三代目でイエスを信じる方で、とても立派な教授なのに、福音は誰でも発見するのではないのです。
■イスラエルがそれで、ほろびたのです。イスラエルは、どれくらい優れた民でしょうか。イスラエルの歴史や教育を勉強してみれば、とても優れていることが分かります。しかし、この言葉がわからないのです。神の小羊ということです。見よ。神の小羊。この言葉が何の話なのでしょうか。この言葉は、私たちには説明が必要ですが、ユダヤ人には説明が必要ありません。ユダヤ人には神様の小羊に対する説明が必要ないのに、分からなかったのです。これが何の話なのでしょうか。過越しの日に、イスラエル民族が羊の血を塗る日、奇跡が起こりました。力でもだめで、何もだめなのに、羊の血を塗った日、奇跡が起こったのです。イスラエル民族が羊の血を塗った日、サタンの勢力から抜け出しました。これは科学で解決されるのではありません。羊の血を塗った日、運命から抜け出したのです。その羊です。ものすごいメッセージです。これに衝撃を受けなければならないのに、弟子とイスラエルの人々は何の話なのか心配して行きました。ほとんどそうです。羊は、ものすごいメッセージなのです。見よ。まさに世の罪を取り除く神の小羊、こう言えばみなわかります。イスラエル民族には、大贖罪日があります。その時の行事が、大祭司が出てきて、血を持ち出すのです。一つは羊、一つは牛の血です。罪をなくすと言います。必ずする行事が、私たちすべての罪をこの二頭に負わせると言います。私たちすべての呪い、罪過を二頭に負わせるのです。神様が、そのようにしろと言われました。その後、羊の首を刺して、その血を受けてささげます。その行事を昔からしていたのです。
■まさに、その羊だということです。ものすごいメッセージです。私たちは重要な契約をのがすようになります。他のことはみな重要でも、この部分を知らなければ解決になりません。いくら勉強をしても、運命から抜け出すことができないのです。実力はできるかも知れませんが、抜け出せません。いくらお金を儲けても、迫ってくる罪と呪い、災いを防ぐ方法がありません。神様がなくすということです。それで、その方を送られると約束されたのが旧約です。理解できるでしょうか。
■世の中でも、行って住む時、占う、日を見るということは全く必要ありません。ところで、未信者は見なければなりません。直ちに違いが生じます。未信者は日を合わせなければ問題がくるので、重要なことをする方であるほど、それを問います。私は今まで皆さんに会ったこと、仕事をしたこと、日を記憶できません。なぜでしょうか。無知でそうであることもありますが、未信者なのにもよく記憶する人がいます。なぜそうでしょうか。後ほど発見しました。あの人は天才なのかと思っていたのですが、違いました。とても怖くなって、易者に尋ねてみて日を確認したので、日をとてもよく分かるのです。私はとても恐れがなくて、単に歩き回って日をほとんど知りません。そこで違いが生じるのです。全く関係ありません。
■皆さんをすべての呪いから解放するためにキリストを送られました。パウロはこのように告白しました。パウロが伝道運動に成功した後、このように告白したのです。私は今まで自慢した全てのものをちりあくたと感じる。キリストを分かる知識が最も高尚な知識なので、もう私はキリストに発見されるように望むと言いました。発見されたのに、なぜ発見されることを望むのでしょうか。パウロがそのように告白しました。とても重要な言葉です。皆さんの人生、事業にキリストが現れられることを願う、これが出来なければ大変なことになります。皆さんがする事業にキリストの奥義が現れることを望みます。それでは、どこでも暗やみがみな砕かれます。とても大きい祝福です。この発見を言います。この祝福がどれくらい大きいことか、皆さん1人のために会社も生かされます。私は過去に我が家にイエスを信じる人がいて困難が生じるという話を聞いたことがあります。舅、姑が、お前がイエスを信じるので、我が家に問題がきた、だから信じないでくれと言ったということです。そんな話を聞いてみたことがあるでしょう。完全に錯覚です。その人が教会に行っているからです。さらに正確に話せば、その人が教会に行かないで教会堂に行くからです。その人がイエスを信じないで、教会堂に通うからです。それでは霊的な混乱がきます。皆さんがイエスを信じれば、まさに皆さんの家に光が照らされます。皆さんが本当にイエスを信じれば、事業の場で未信者と共にいても、光が照らされます。ヨセフのゆえに。主がヨセフのゆえに、ポティファルの家を祝福されました。そうでしょうか。ポティファルが何が良いと神様が祝福されるでしょうか。ポティファルの妻が何が良いと、祝福されるでしょうか。ひとりのために、ヨセフのゆえに。聖書に出てきます。ダビデのゆえに。船が暴風に会って沈むのに、パウロ1人のゆえに。この船が暴風にあって沈むのに、その中にパウロが乗っていました。パウロ、恐れてはならない。あなたはカイザルの前に立たなければならない。重要なレムナント1人のために、重要な長老1人のために、多くの勧士一人のために、皆さんの中にみわざが起きます。本当にイエスを信じてキリストを味わえば終わりです。ところで、知らずにいるのです。
■これがイスラエルの滅亡の原因です。私は告白しました。自ら寺にも行って、天理教に行って、三日、教育を受けて、創価学会にも行きました。自分なりに行ってみたのです。ところで、とても正しい言葉なのですが、私には必要ない言葉でした。天理教で三日教育を受けたのですが、どのようにすれば腹が痛くて、どのようにすれば頭痛くて、そんなことは習うことがあります。私には関係なかったのです。私は腹が痛くないから、関係ありません。ほとんど共通点があります。何かをしなければならないことです。それが共通点です。仏教、天理教、創価学会、みな、何かをしなければならないと言います。私はすることができなかったが、しなければなりませんでした。さらに重要なのは私たちが持った罪、呪い、偶像崇拝の罪は解決できなかったのです。皆さんは罪がないかも知れませんが、私は罪が多かったのです。私は神様の前に、人の前に以前に、とても解決できない問題が多かったのです。後にはとても難しい状態でした。私はイエスを信じないで遊んでいる(何もしていない)人を見れば、不思議に思いました。私は何もだめでした。後ほど私が何をしなければならないかという状態になりました。そのような状態でした。私は何も不思議にできませんでした。ものすごく難しいのに、だめでした。
■私がチョ・ウンテク牧師に悪口を言いました。自分もそうで、私もそうで、何もだめなのに部屋で踊っていたのです。私が気違いだと悪口を言いました。その友人は、踊りをよく踊ります。私は踊らないで座っていました。私がなぜ踊るのでしょうか。踊りは気持ち良い時に踊るのであって、ほろびる奴が何で楽しいのかと静かに座っていました。私が知っていることでは、ナイトクラブやダンスホールで踊る人は、踊る状態にならない人です。嘆かなければならない人々が踊りに通うのです。不思議に、私は何もだめで、静かに遊んでいました。うちの母が、お金は稼がないでも良い、何かをしろと言いました。よそ目に恥ずかしいから、何かをしろと言ったのです。何をすれば良いだろうかと尋ねたところ、何でもお金は儲けないでも良いからしろと言いました。
■仕事をしなければならないと家の前で思っていたのですが、我が家の前に誠実な子がいました。その子が弁当を持って仕事をしに行っていました。呼んで、こっちに来てと言って、君が仕事をする所で、私も仕事が出来るのかと尋ねたところ、できると言いました。仕事をする人が足りないから、はやく今日、直ちに行こうと言いました。気持ちを抑えて翌日行くと言いました。私の生涯初めて工場に行ったのですが、することが、何かを入れて押すということでした。回して、形をおすことでした。入れて、回して、引く単純なことでした。三日目になったのですが、回せないと思ったのです。後ほど三日目になった日、私がなぜこれを回さなければならないだろうと考えました。前の家の子はよく回していました。私がなぜこれを回さなければならないだろうか思ったのです。その時、班長が前を過ぎ去って話しました。それで、私はできないと言ったところ、難しいのかと尋ねました。話が通じなかったのです。難しいと言いました。出てきてみろと言いながら、これが何が難しいのかと言いました。話が通じなかったのです。これもできなければ、ご飯を食べないでと言われました。止めると言ったところ、何日が給料日だから、その日にきて受け取れと言ったのですが、私は必要ないと言いました。工場で3日仕事をしました。その人たちは、上手にするのに、私はできなかったのです。私がなぜしなければならないのかを知りませんでした。他の人は葛藤がないのに、私は葛藤が生じたのです。
■本来、私がけんかをする人間ではなかったのです。ずっと他人の悪口を言うことはできなかったのです。けんかを見物するだけでも手足が震えました。こういう体質が堕落して、けんかを始めたのです。けんかも10回ぐらいといえば極限に達します。一言で、狂ったのです。そうなります。私の気持ちの中はそうでないが、そうなりました。私には希望がなかったのです。ただ一箇所の聖書で希望が出てきたのです。私はこういう本を見たことがありません。私は昔に聖書もよく読まないで、説教も詳しく聞きませんでした。してみても、正確なのを聞けなかったし、知らなかったのです。私に合う言葉だけ出てきました。あなたのためにすでにキリストを送って十字架にかけて、あなたのすべての罪を赦したと言われました。何をしろと言われるのではなく、わたしの所に来なさいと言われました。これが合う言葉です。私はする力がありません。あなたのすべての罪と呪いを十字架にかけたと言われました。それが合う言葉でした。私は解決できません。自分の犯した罪がとても多くて、強くなることもできなかったのです。皆さんが24時間の中で、いつも天使のようなことをして1秒だけ罪を犯しても、1年に365個です。強くなることもできません。先祖の時、犯した偶像崇拝の罪は、そのままあることになります。それを解決されたといっても、原罪、運命が解決できません。聖書にいちいち答えがあります。クリスチャンで原罪、自分の犯す罪、先祖の霊的な罪を区分できない人が多いのですが、それに対して聖書にあります。私はその日、目が開かれたのです。これで我が家に偶像崇拝だけ継続してほろびたんだなあ、これで大韓民国が五千年間、偶像崇拝して日本に属国になって、乞食のように暮らしたんだなあ、あなたを死の原理から解放した、このような話が聖書にだけあります。あなたを死からいのちに移した。移さなくてはだめです。罪は誰かが許してこそ解決されるのです。神様が許されると言われました。ものすごいメッセージです。見よ。神の小羊。皆さんの生活に、この発見が続くように願います。(按手を受けた)役員の生活にこの祝福が続けば、皆さんは多くの恵みを受けることになります。
■ところで、どういう事でしょうか。過去に日あったことが、みな、祝福の土台になって、神様の恵みです。我が家のそばにムダン(霊媒師)が取り囲んでいたので、後ほど霊的にムダン(霊媒師)が何かを分かりました。6.25(朝鮮戦争)で火災になって、父が亡くなって、私は貧困が何かを分かりました。あまりにも自分の周囲に無知な人が多くて、無知が何かを分かりました。自分の周囲にレベルが低い人が多くて、レベルが低いことが何か分かりました。私は教会に通いながら福音を知りませんでした。それで、宗教が何かも分かったのです。みな、土台でした。どれくらい感謝なことでしょうか。これが神様の恵みです。それで私がすることは2つだけです。神様に感謝して、神様に栄光を帰すことだけです。そうでしょう。この祝福が(按手を受けた)役員、新しい家族に永遠に継続されることを希望します。
■二番目です。二番目に重大な発見です。40節に「ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは」と言われています。これが二番目の発見です。真の伝道者を発見するのです。すばらしい祝福です。福音を発見することがすばらしい祝福ならば、その次の祝福が、真の伝道者を発見することです。ヨハネの話を聞いて。ところで、その当時、ヨハネは荒野にいた、見るべきものがない人でした。その話を聞いて彼を発見するということは、普通の祝福ではありません。他の人は、ものすごい宗教指導者が、ものすごい所で暮らしているのですが、ヨハネは家もなくて荒野にいました。着替える服もなく、らくだの毛の着物を着ていたのです。ツエ一本持って、頭も切らずに食べ物もなくて、あたえる人もなくて、聖書にイナゴと野蜜を食べたとなっています。今、考えれば健康食ですが、イナゴと野蜜を食べたと言われています。荒野で話したのです。イスラエル民族は悔い改めなさい。その次に言った話が、見よ。世の罪を取り除く神の小羊と言いました。この話しを聞いた人が生きたのです。だから、真の伝道者に会うということがどれくらい重要なのでしょうか。
■私は韓国にチュ・キチョル牧師のような方がおられたとのことが幸いだと思っています。教権主義者は、真理について行きません。チュ・キチョル牧師は、何の力もなくて監獄で死ぬのに、誰も手助けできなかったのです。ソン・ヤンウォン牧師のような方がおられたとのことが、どれくらい幸いかわかりません。大部分の大きい教権、教団の牧師はみなついて行きました。つまらない何人かが断ったのです。総会が通過すればしなければならないのに、チュ・キチョル牧師は断りました。総会の話を聞かなかったと、チュ・キチョル牧師は除名されたのです。捕えられました。誰も保護できなかったのです。牧師も笑わせるのですが、教会の堂会が二分化されたのです。このように歴史的汚点が行われたのです。その方はとてもたくさん打たれて、監獄で死にました。無力な全羅道(チョルラド)にソン・ヤンウォン牧師のような人が、神社参拝は偶像崇拝とだめだと言いました。それで監獄に行ったのです。ソン・ヤンウォン牧師に、一度だけお辞儀をすれば家に帰らせようと言ったところ、永遠に監獄にいると言いました。どのように、偶像の悪霊の前にお辞儀ができるのかという、正しい指導者がいたのです。釜山慶尚南道(キョンサンナムド)一帯には、チュ・ナンソン、ハン・サンドン牧師が守りました。慶尚南道(キョンサンナムド)地域には、チェ・ドクチンという女の方が守りました。一番強く出てきたのです。神社にお辞儀をするのが偶像崇拝なのか。チェ・ドクチンという方の話です。神社を作ったこと自体が偶像崇拝で、作ったことのためにほろびると言いました。一段階より多く言ったのです。それにお辞儀をすれば良い、だめではなく、それを作ったこと自体が滅びだと言いました。これから朝鮮と日本はほろびると話したのです。捕まえて行って半殺しにしました。足と指の爪みな抜いたのにじっとしていたのです。記録に見れば、爪を抜いたのに、声も出さなかったということです。じっとしているので、日本の巡査が、お前の血は何型かと尋ねたところ、私の血はイエス型と言ったのでした。預言した通り勝利しました。
■真の伝道者に会うことが、どれくらいすごいかわかりません。私の生涯で、真の福音を持った牧師の説教を聞きながら、自分の人生が変わりました。その方がキム・ジュンゴン牧師です。その方の説教の中で、いったいキリストは誰か、いったいイエス・キリストは誰か、その説教を聞いたのです。この前、牧師先生に会った時、その説教を聞いて私が感動したと言いました。いったいどなたなので、このように、このようなことが起きるのか。いったい誰であるから、その方に対する本が一番多いのか。いったい誰であるから、戦いを一度もせずに、王、将軍をみな合わせたより、さらに強い方なのか。どうして2007年、2008年が来るのに、歴史的主人公でイエス・キリストを立てられたのか。
■そして、現場で本当に伝道する人に会ったのです。これが祝福になるということを知りませんでした。宗教改革が1517年に起きました。2017年になると、500年です。それほど日に意味がないのですが、2017年を思いながら祈っています。カトリックで福音をいうプロテスタントを迫害したのが1517年なのですが、彼らを異端にしました。500年ぶりに全く理由なしに牧師を集団で免職させたのがタラッパンです。それはすべての道理にも合いません。罪を犯したら1人がしたことで、違うなら1人が違うので、無作為でしたことではありません。500年前、宗教改革を主張した人を無条件に殺しました。レムナント運動とRUTC、2017年を注目しながら見ています。そのような大きい話までする必要がなくて、皆さん個人が本当に伝道する人に会ったとすれば真に祝福です。宣教師が数えきれない程多くても、本当に伝道する人がいるのですが、その人に会ったとすれば祝福です。
■三番目です。41節に、彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った。」と言った。これが何の話なのでしょうか。真の伝道対象者の発見です。私たちに3つの発見が最も祝福です。真の福音発見、真の伝道者発見、真の伝道対象者の発見。すべての人に良くしなければならないのですが、福音を受ける人は別にあります。真の対象者発見です。ここにすべての答えがみな、入っています。パロ王の前にヨセフが立ったのです。まさにこれです。いったいどのように、この夢を解釈して知ることが出来たのかと尋ねたところ、幼い時から私が夢が専攻だったとは言わずに、主が王様を愛して、夢を見るようにされたと言いました。後ほど、パロ王が「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」それが伝道です。真の伝道対象者を発見するということは、ものすごいのです。伝道よくするのも重要ですが、真の伝道対象者を発見したということが、祝福の中の祝福です。皆さんの生涯にこういう祝福があることを希望します。
■国が誤るので、子孫が苦労します。ある少女が捕えられたのですが、ナアマン将軍の家に行きました。ものすごい将軍だと思ったのですが、らい病になって死んでいっていました。こっそり話したのです。主なる神様を信じるエリシャに会って祈ってもらって、主を信じれば良くなると話しました。それが伝道です。ナアマンの運命がみな変わりました。長く話すこともありません。教会史を見てください。トーマス宣教師が韓国に入ってきて福音を伝えたのですが、福音を受けませんでした。トーマス宣教師は死刑にされました。ならず者が刃物を振り回して死刑にしたのです。トーマス宣教師が聖書一冊を渡して、伝道もできなくて死んだのです。韓国で最初の洗礼を受けた人が誰かというと、トーマス宣教師の首をはねた、その死刑執行をしたならず者の息子が洗礼を受けたのです。福音を伝えられる対象者に会うことに、すべての祝福がすべて入っているのです。長老が、ある青年に福音を伝えたのですが、この青年が変化しました。この人が韓国を揺るがしたのです。誰でしょうか。やくざのキム・イクドゥです。長老に福音を聞いて変化したのです。1900年初めに韓国を揺るがしました。福音を受ける対象者を発見することほど、大きい祝福はありません。ローマ16:25にある、世々に渡って長い間隠されていた事実が現れるのです。
■この三つを合わせれば、みな合うようになっています。エペソ1:3〜5に、世界の基が置かれる前に準備されたこと、使徒13:48に永遠のいのちに定められていた人たち、この言葉がとても重要な言葉です。予定という言葉があります。摂理という言葉があります。神様がみな準備されているのです。考えもあります。decreeと言います。神様が永遠な計画を立てておいて、準備をつくしておいかれた間に成される時刻表を言います。その中に私がいて、私の事業があって、私の職業があるならば終わるのです。それを考えと言います。永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。
■3つの発見。今日ヨハネ1章で、必ずのがしてはならないのが、キリスト発見、真の伝道者に会うこと、真の伝道対象者を発見することが、どれくらい大きい祝福かわかりません。人ごとに違うでしょう。私がだめな人間だと思って、そのように勉強をしたのに、留学に送られませんでした。私が事実、英語の勉強をとてもがんばったのです。神様は送られませんでした。理由は留学が悪いということではありません。一つの理由のためでした。伝道現場に行ってみなさいということでした。他の人はそのように多くあるお金を、私には与えられませんでした。伝道現場に行ってみろという一つの理由のためです。私は確かに自分の人格でお金が多かったら、行かなかったでしょう。自分の手の中にお金が多かったとすれば、私は米国、ヨーロッパで歩き回って、現場に行ってみるはずはなかったでしょう。伝道現場に行って、恐ろしいことを見たのです。私は伝道現場で見た事件が、神様がみな準備されたことでした。私がこの前に、私が伝道現場に行った所に行ってみました。自殺しようとした人に会った伝道現場に行ってみたのです。また、私がムダン(霊媒師)の村に伝道しに行った所に行ってみました。わざわざ車を運転して行ったのです。たくさん変わっていました。ムダン(霊媒師)に福音を伝えながら起きた事が、全部、普通の事件ではありませんでした。それを見なさいと、自分の人格ではそうしないから、それを見ろとおっしゃったのです。少し見たのに、恵みがこんなにも大きいのですから、皆さんに残った祝福、レムナントに起きることが、どれくらい大きいでしょうか。
■それなら、皆さんが三ヶ所に方向を合わせれば良いのです。今からキリストをずっと発見するのです。ものすごいから、ずっと発見することになります。皆さんが牧師、一般信徒、宣教師を助けなければならないのですが、真の伝道者を助けなさい。多くの事を成さなければならないのですが、真の伝道対象者を探さなければなりません。この中に全てのものが、みな、あります。残りは神様が、みな、なさいます。この契約をつかんだのですが、弱い者には奇跡で働かれて、病気になった者には健康をくださって、貧しい者には物質をくださって、世界福音化されました。今日、この契約を永遠に捕まえるように願います。(按手を受けた)役員、一般信徒、多くの方に、神様の祝福があることを希望します。
■その中で思い出す一つを話します。一時、私はこのようにしていました。私は一日に1人に福音を伝えなければ寝ないと思ったのです。理由は私たちの青年たちに訓練させること大切にしたからでした。救われる人が多いがしなくなっていたためです。それなら、私がすべきではないでしょうか。ところで、時間はすぐ過ぎます。日が沈むのに、公園に上がりました。昔、日本人が作った小さい公園でした。その公園にひとりがいました。別の見方をすれば、ごり押しですが、私は行ったのです。可愛い律法です。1人でも、福音を伝えて寝なければならないから、その人に近付いたのです。緊急だったので、はやく話さなければならないから、イエスを信じるかと尋ねました。あらまし話したのです。これが何の事なのか、あらましの話したのですが、この人が泣いたのです。その時、私が気づいたのです。神様が備えられた人でした。この人は泣くのに、私は力が出てずっと話しました。この人が完全に福音を受けたのです。イエスを受け入れる時、祈ろうと手を握ったら、手がありませんでした。それでポケットに手を入れていました。そちらの手を握ったら、手を握って開きませんでした。その手に毒薬を持って出てきていたのです。一人で座っていて飲もうとしていたのです。一番、記憶に残っています。ひやっとします。イエスを受け入れながら、そのように泣きました。薬を完全に捨てて、その人を駅まで行って伝道しました。
■私たちする働きの中で、神様の計画が最も現れるのが何でしょうか。この三つです。この祝福を、すべてのインマヌエルの家族、タラッパンの家族全体が味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。多くの祝福を与えられたことを感謝します。私たちがキリストをずっと味わう知恵を与えて下さい。真の伝道者、本当に救われる者を探す祝福を味わうようにさせて下さい。その中に全てがあることを発見するようにさせて下さい。すべての心配を捨てて、新しい力を得る貴重な時間となるようにさせて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン



2部/祈りは科学だ
(ルカ11:5〜13)

■一時、働きが難しい時がありました。その時は、本当に変に説教準備するときは眠たかったことが多かったのです。耐えられないほど眠りに誘われました。今はむしろ説教準備をすると、しっかりして目がさえます。皆さんがいくら疲れる人でも、霊的な者は、みことばを聞けば力が生まれます。ある人々は、他のことをする時は大丈夫なのですが、礼拝だけささげれば、眠りに誘われて苦しがる人が多いのです。変に他人の話している時は、力が出るのに、メッセージを聞く時は眠りに誘われます。おもにテレビのようなものは、いくら見ても大丈夫なのですが、変に礼拝堂にきて説教を聞いて礼拝をささげようとすれば、居眠りする人もいます。それが事実は、ものすごく病気になったのです。また賛美する時も、したくないようにやっとする人が、流行歌を歌う時はとても恵み深く歌います。一度は、教会の執事が花札を打つのを見ました。しても良くて、しても関係はありません。ところで、その花札をどれくらい得意になって打つのかわかりません。しかし、その方が教会にきて賛美する時は、死体のように座っています。それが問題ということです。それで、私たちは恵みを受けて生きようとするなら、神様のみことばが生きて働いてこそ生きることができるのです。
■眠くなる人のために、簡単に申し上げます。どのようにすれば、一般信徒として献身が良くできるのでしょうか。私は(按手を受けた)役員になるのに、どのようにしなければならないのでしょうか。誰がなんと言っても、祈りの答えを受ければ良いのです。祈りの答えを受ければ、神様が与えられる力を得られます。祈りは科学です。のがしてはいけません。どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか。
■最初です。事実的な信仰があれば良いのです。二番目です。必ず祈りは答えられると言われているのですが、その科学的根拠が何でしょうか。これを知っていなければなりません。それでは、どのようにしなければならないのでしょうか。この3つのことを理解しなければなりません。今日の本文に重要なみことばが出てきました。ひとまず、皆さんが事実的な信仰があってこそ、祈りの答えを受けます。私が事実的に信じなければ、答えがきても分かりません。本文にルカ11:5〜13、この話しは何の話なのでしょうか。友人の家にパンがあると思って友人がきました。友人だから、門前払いもできなくて、ずっと寝ることもできなく門を叩くのに、どのようにするでしょうか。上げないでしょうか。とても事実的な話です。私がパンもない家に行って、くれと言えば、精神病者になるのです。また、パンがあってもなくても、知らない人の家に行けば、警察に捕えられるでしょう。しかし、この場合は与えないはずがありません。友人です。その次にパンがあると知っていて、お腹が空いて訪ねてきて、夜に訪ねてきて門を叩くのです。イエス様の比喩です。それと共に13節に「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」それで、旅行中に友人がお腹が空いたからくれと言うのに上げないでしょうか。面倒でも与えないでしょうか。「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」お父さんが子どもが魚をくれというのに蛇を与えるか、卵をくれというのにさそりを与えるか、天におられるあなたがたの父が、聖霊を贈り物にくださらないでしょうか。
■重要なみことばが出てきました。単なるたとえではありません。祈りに答えられる力がある方は誰でしょうか。皆さんの人生を本当に責任を負ことができる方は誰でしょうか。昨日の放送を聞いてみたら、ある人が熱心に仕事をしながら暮らしていました。お金ならば最高と思って、熱心に仕事をして生きていたのです。本当に良い人でした。私のお金、私の家族、私が誠実にしながら暮らしていたのです。だから、かなりお金も貯めて、良く暮らすようになりました。ところで、定期検診をしてきたら、病院から連絡がきたのです。どうしても大きい病院に行ってみた方が良いという結果でした。それで大きい病院に後輩がいる所を探して診察をしてみたら、少し深刻だと言われたそうです。手術をしなければならないということでした。ところで、この方は残った家族も生きなければならず、お金もないから手術を受けないと決めて、私がなぜこうしたことにあったのか悩んで考えるようになったのでした。
■私たちの人間に本当に答える力がある方は誰でしょうか。そして、祈ることができる資格ある者は誰でしょうか。皆さんに真の信仰があるのでしょうか。親が子どもに良いものを与えるのに、神様が答えられないでしょうか。この信仰がなければなりません。科学的でも、人間の脳は思うとおりになるようになっています。考えの深いところに捕われた、それがあなたの人生です。考えは色々とするのですが、それを反復すれば、私の潜在意識、無意識の内に入ります。それが私の人生になるのです。だから祈りは正確に答えられるようになっています。それで、求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれますと言われたのです。それで、神様は求めなさいとおっしゃいました。神様がいくら皆さんに答えらようとされていても、求めないでは、探さないでは仕方がありません。門を叩いてこそ開かれるのではないでしょうか。これはとても事実的であることを話します。
■神様は私たちの祈りに必ず答えられます。どのように答えられるのでしょうか。いくつかの方法で答えられます。直ちになさることもあります。メッセージを聞いて、現場に行ってみると、すぐに答えられているものがあります。あるものは祈って、みことばを受けた、そのままなったりもします。あるものは答えが来ないと思ったのですが、他のことで答えられます。私はこのように祈ったのに、神様はより良いことでくださる時があります。そして、答えがないと思ったのですが、後ほど過ぎた後に答えがくるので、このように恐ろしく来るのです。このように、祈りは答えが来ます。それなら、どんな根拠で祈ってこそ、答えが来るのでしょうか。これは、とても重要です。祈りは科学的証拠があります。単なる科学ではなく、霊的に科学的な証拠があるのです。これを皆さんが記憶しなければなりません。これは信仰がない未信者も分かるのです。
■皆さんが祈る時、3つの事が行われるのですが、祈る時、天からどんな答えが来るのでしょうか。とても重要です。聖霊が私たちの中にいらっしゃるから、私たちが祈る時には、答えが来ても、来なくても、神様が私たちを完全に責任を負われる時間なのです。祈る時には、目に見えないが聖霊で正確に導かれるようになっています。私たちがずっと祈って、聖霊充満を受ければ、天から大きい力を注ぎ込まれます。皆さんが祈る時、目に見えなく天の天使を送って、黙示8章にある通り、天使が助ける役割をします。とても重要なことが行われるのです。世の中の人々は知らないのですが、エペソ2:2に空中の権威をつかんだ者サタンの権威が、祈る時に砕かれます。これは地で起きることですが、神様が上でなさる作業です。
■皆さんが祈る時ごとに、この地にいるのですが、天国にある多くの祝福、天の祝福が降りてくる時間なのです。ローマ16:25〜27に、世々にわたって長い間、隠されていたものが、皆さんが祈る時、全部おりて注がれるのです。すばらしいのです。この中で、いくつかの言葉で要約したら、祈る時、聖霊が完全に働かれるのです。皆さんが祈るやいなや、すぐに神様は主の天使を送って、答えられるようになっています。皆さんが祈る時間に、すでに天の門は開かれて、暗やみの勢力は砕かれるようになっています。科学的背景です。どのようにすべきか以前に、これから先に知っていなければならないでしょう。
■皆さんが祈る時、地でどんなことが行われるのでしょうか。すべての悪霊の勢力が追い出されるのです。マルコ3:15に、悪霊を追い出す権威も持たせるために。サタンを追い出すのではではありません。サタンはすでにその権威が縛られているのです。皆さんが祈る時に、皆さんの周囲にある偶像の勢力と偶像の呪いが全部、崩れるようになっています。祈る時、行われることです。この祈る時、すばらしい霊肉ともに癒しが起きます。特に、祈る時、地にあるすべての暗やみの勢力が崩れるようになっています。また天と地に同時に起きることがあります。イエス様がおっしゃるのに、「天と地のすべての権威が私に与えられた。」天にあるキリストの奥義が、地にある権威で現れるようになるのです。祈る時、神様の国が臨むようになるのです。私たちが知っている内容です。それなら、これはものすごい祝福になるのです。
■問題は、どのように祈らなければならないかということです。(按手を受けた)役員や一般信徒、新しい家族も、このまま祈れば良いのです。祈りは未信者が石に行ってしても科学的に答えられるようになっています。それが悪霊の働きです。私たちはそれでなく、霊的なすばらしい根拠があるのです。どのように祈れば良いのでしょうか。これがとても重要です。祈る時に起きることはよく知っているのですが、どのように祈らなければならないのかをよく知らないのです。のがさずによく見てください。多く聞いた話でしょうが、キリスト(福音)で答え出そうという言葉が何の話なのでしょうか。ここで驚くことが始まります。
■それでは私が例をあげましょう。ヨセフが奴隷として売られて行くようになりました。今、兄たちが私を奴隷で売ったんだなあ、いつかは私が生きていくようになる。いつかは兄たちに会って報復をしたり、問い詰めることもできるだろう。いつかは神様が私をここに出てくるようにされるだろう。それは祈りではありません。当然の考えです。それは祈りしなくても良いのです。問題は、私たちがみなこのような形で祈っているのです。キリストで完全に終わったのですが、これが何でしょうか。ここで答えが出てくるのです。わかるでしょうか。ほとんど、みな、知っています。あまりにも多く聞いて、実感もないほど多く聞きました。タラッパンで霊的な部分をとても強調する部分だから、みな、知っています。ところで、ここでみなのがしてしまうのです。これになってこそ、正しく神様がくださる祈りの課題が出てきます。
■今日、のがさないように願います。キリストはすべての問題解決者で、みな終わったのです。ヨセフが創世記37章の契約を見て終わったのですが、兄たちが奴隷で売ってしまったのです。これが重要です。これがまさに神様の計画です。ここで、ものすごい答えが出てくるのです。ここで祈りの課題が積もり始めます。こうすれば正しく祈りができるようになっています。神様の祈りの課題が出てきてこそ、正しく祈れるようになっているのです。難しい話かもしれません。私が見る時も、この説明を皆さんにするのが大変です。一番だめな部分であるためです。ところで、この部分を一週間中ずっと説明するのに、よくならないようです。みことばが終わって、ある牧師が私にお願いするのに、見るからわからなかったようです。私が釜山で開拓を始めた時に、一番最初にしたのが何か分かるでしょうか。主は生ける神の御子キリストです。終わらなかったのでしょうか。ところで、行ってみたら、開拓教会だからと地域会の助けを受けているのでした。それで、それ切りなさいと言いました。それが私がインマヌエル教会の初期に行って一番初めてした事です。宣教費を出すべきで、なぜもらうのでしょうか。キリストでみな終わったと言って、終わりを出さないのです。皆さん、この部分がとても重要です。よく聞き取れない目なのですが、眠くなって、時間も2時だからそうなるようです。ところで目覚めていても、わかるのが難しい言葉です。かなり聖霊充満を受けてこそわかるか、分からないかという部分です。これがすべてです。
■ですから、奴隷で行く、それが神様のみこころなのです。それがすべてです。ところで、これがどういうことなのでしょうか。寃罪をこうむって監獄まで行くようになりました。皆さんにどんな問題があるのでしょうか。大丈夫です。終わったのです。ところで、なぜそうなのでしょうか。そこで答が出てきて、祈りの課題が出てくるのです。そこで政治家に会いました。ヨセフがそれでも、どれくらい苦しかったのか、その政治家が出獄していけば私を記憶してくれと言いました。その後には何かなったでしょうか。その長官がヨセフを忘れたとなっています。その言葉をなぜ記録しておいたのでしょうか。これがまた答えです。もし、その長官がヨセフを忘れなかったとすれば、大変なことになったのです。そうするうちに、王が夢を解釈できなくて、戦々恐々する時、思い出したのです。これがとても重要です。それで、釜山にも色々な仕事がたくさん起きるのですが、問題になることがありません。問題を起こすその人はほろびても、福音はほろびません。それで、今日から皆さんはすべての心配はみな終わらせてもかまわないのです。イエスはキリストという言葉は、ものすごい言葉です。この言葉を持って、皆さんの事業をしたら、日が進むにつれ永遠な答えを受けるようになります。だから何度も話したのですが、理解するのが難しいようです。そして、突然にタラッパンにおかしな人々が生じて、おかしなことをするのです。それで、また大騷ぎが起こるのです。重要なお手伝いはカン・ホイン牧師、こういう方々にたくさんさせるので、呼んで人々を触らないでくれと言います。ところで見れば、必ず触って時間がかかったりもするのです。ところでみな消えていません。だれが福音に勝てるのでしょうか。今日すべての(按手を受けた)役員になる方は、キリストで答えを出しましょう。皆さんがよく習えないで、よく聞けなくなっているのです。
■一度は、ある長老の紹介でミン・カンシク氏と食事をしました。この方は麻薬退治もして、立派な方です。ところで、この方がいろいろ話をするでしょうか。泣いたのですが、キリスト教に対して逆に知っていました。それで中間に、ご飯を食べて説明をしました。そうしたら、その方が「私は教会に行く立場になれません。体質がだめになっています。」なぜかというと、周囲にいる人々がみな執事で、がんばるのですが、あのようにできないということです。どれくらい熱心に奉仕するのか、自分がそれではほろびそうだと、それと共に行けないと言いました。そして、この方がワインをよく召し上がりました。これも飲むべきなのに、ワインも飲めないので行けないということでした。全部、逆に知っているのです。それで、召し上がっても関係ないから、召し上がれと言うほどでした。そして、教会が福音だけ引き回すのです。ところで、高齢なおとななので、説明するのが大変で、努めながら説明しました。「福音はそうではありません。一番最初に今、ミン会長がされている韓国の麻薬患者と精神病患者がどれほど多いでしょうか。これがまさに霊的問題です。それを解決するようにためにキリストが十字架で血を流されました。その事実を信じれば、解決されることなのに、霊的問題の背後には暗やみの勢力があります。それをうち砕くためにイエス様が来られました。」今、私たち信徒が、福音をあまりにも違うようにうわべだけ知っているのです。だから事になりません。ですから、キリストを味わうということはすばらしい話になるのです。
■インマヌエル釜山でも、20年に成っていく中に特別に不思議な人がいます。気を遣ってはいけません。ある人は、教会に対抗する人もいます。気を遣ってはいけません。福音とキリストに勝つ力は何もありません。もしあるならば、私たちがイエスを信じる必要がないでしょう。ここで答えもきて、祈りの課題が出てくるのです。みな終わったが、なぜ問題が来るのでしょうか。それがまさに正しい祈りの課題がそこから出るのです。みな終わったのに、なぜヨセフは監獄に行ったのでしょうか。みな終わったのに、なぜサウル王がダビデ殺そうと通うのでしょうか。みな終わったのに、初代教会はなぜ迫害が起きるのでしょうか。それがまさに答であり、祈りの課題です。ここからものすごいことが行われるのです。
■今日、(按手を受けた)役員と、すべての信徒は記憶しなければなりません。いつも喜んでいなさい。いつも喜ぶことが可能なのでしょうか。みな終わりました。皆さんはすべての心配を捨ててもかまいません。絶えず祈りなさい。常に祈り。この言葉が可能なのでしょうか。その言葉は、常に神様は答えておられるということです。すべてのことについて感謝しなさいという言葉は、常に感謝しろということです。感謝しているでしょうか。だからある方が「牧師先生、私の夫が毎日歩き回りながら酒を飲んで、ギャンブルをして通うのに、それが感謝することなのですか」と言ったので、感謝しなさいと言いました。もし病気になって病院に横になって、何百万円のお金を使っていればどうなるのでしょうか。だから歩き回るので、どれくらい感謝でしょうか。私たちはキリストでみな終わったのです。皆さんがこの話が分かってこそ、簡単、簡単に全てのものの中で、正しくすぐに大きい答えが始まるのです。これが祈りの第一に良い方法です。皆さんが必ず悟らなければならない部分です。私は神様を信じるのに、なぜ問題が来るのでしょうか。そこに本当に答えと祈りの課題があるのです。そのために、喜んで祈って感謝するのです。このように、皆さんが祈りで契約をつかまえるように願います。神様が与えられた祈りの課題であることが確実ならば、24時間祈りが可能です。
■この時から、皆さんの職分、身分を持って祈るように願います。(按手を受けた)役員は、祈るように願います。長老はガイオのような祝福を味わうようにさせて下さい。ガイオ長老が受けた祈りの答えを受けるようにさせて下さい。そして、多くの勧士は、プリスカが受けた祝福を受けるようにさせて下さい。按手執事は、すぐに長老になるでしょう。初代教会に、(按手を受けた)役員が、伝道弟子でぱっと敷かれました。この祝福を味わうようにさせて下さい。このように祈れば良いのです。正しい祈りの課題を捕まえる方法。皆さんが病気になったのでしょうか。すでに終わった問題です。ところで、なぜ病気になったのでしょうか。聖霊充満を受けなさいと。答えはそこにあります。聖霊充満を受ければ、驚くことが行われるのですが、それ体験しなさいと、そのようになったのです。このようになって祈れば、24時間、確実な祈りが出てき始めます。この時、とても重要なことが行われるのです。神様が福音なかで起きる、神様が与えられる答えを通して、皆さんの事業が、学業ができれば良いのです。こうすれば、未信者に勝てます。そうでなければ、勝てません。そうでなければ、未信者とレベルが全く同じになります。神様が与えられる答えのなかで技能が。こうすれば、未信者と戦わなくて勝てます。これが祈りの答えを受けるとても重要な方法になります。皆さんが祈る時、霊的なものすごいことが行われるのです。
■ところで、問題は単に祈りはできるのに、正確に祈りの課題をつかむことが大変なのです。キリストで全てが終わったということで答えを出してこそ、その時から課題が正しく出てきます。パウロは受けるすべての問題を、それを祝福として見て、感謝したというではないでしょうか。いろいろな試練に会ったら、むしろ感謝しなさいと言いました。どのように感謝になるのでしょうか。その言葉は、問題が答えになる答えを探したということです。これを捕まえて祈れば、答えが来るようになっています。学生たちは必ず記憶しなければなりません。答えを受けたことの中で、この力を持って勉強しなければならないのです。(按手を受けた)役員の事業は、神様の力を持って事業すれば、絶対にほろびることがありません。ここに運動選手や音楽するなど、芸能、スポーツをする方たちは、神様が与えられる答えの力を持って、技能を積まなければなりません。
■この代表的人物がダビデです。ダビデはそのまましたのではなく、多くの祈りの答えの力の中で詩が出てきました。そして、ダビデは多くの祈りの中で賛美が出てきたのです。だから賛美が違いました。この中で石を投げる技術が出てきたのです。これは特別なものではないのですが、世界を征服しました。必ず記憶しなければなりません。私たちのタラッパンは、この戦略です。私たちは少し無知に見られても、とてもこの部門に重要性をおいてします。神様の答えが確実だというなら、それを見てまた行くのです。皆さんの事業も、そのようにすれば良いのです。皆さんが神様が与えられる大きい力を回復するようになって、私たちのレムナントがこの力を回復するように願います。これを得られなければ、私たちのレムナントが未信者に勝つのが難しいのです。また、未信者のレベルでしなければならないから、とても困難を受けます。これは神様が上から与えられる力だから、未信者と比較にならないのです。
■このように出て行く時、私たちすべての(按手を受けた)役員とレムナントが受けなければならない答え。
唯一性の答えです。誰もできないのに答えがきます。韓国教会と世界教会が伝道に対する関心をたくさん受けて祈っているのですが、唯一性が何か分かるのでしょうか。はるかに立派な人が多いのですが、神様がどのようにしてか、ヨセフに答えを与えられました。ゴリヤテに勝つ将軍が誰もいないのに、少年ダビデが出て行って負かしてしまう神様は唯一の答えを与えられたのです。今回、職分者に任命された方たちは、この答えを受けるようになります。これから、私たちのレムナントがこの答えを受けるようになります。この契約を捕まえて、私が見るのに、すでにこの祝福は来ているのですが、キリストで答えを出す、この部分でしばしばのがすようになるのです。信仰がありません。キリストが終わらせたというのに、終わらせないでいるのです。思い切り恵み受けて帰りながら、また拾って行きます。これのほかは問題がありません。
■問題がきたのでしょうか。答があります。皆さんのらば「ヨセフはほろびたよ、あの監獄に行くのを見ろ。」こう言うでしょう。「ダビデが高慢になったので、逃げて回っているよ。」このように話すのではないでしょうか。今、信徒がこれがだめなのです。神様は皆さんと福音を持った教会に向かって全てを準備しておかれたのです。キリストで答えを出したら、24時間祈りは自然になります。皆さんがお腹がとても痛ければ24時間、胃腸薬を持ち歩くようになっています。確実な答えが来てしまえば、24時間祈りはなるようになっています。そして常に、ギャンブラーは花札を持ち歩くように、なるようになっています。この中で答えがくるのです。唯一性の祝福を味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。そばの人を祝福するように願います。「キリストですべての問題が終わりました。あなたはキリストにあって勝利しました。」間違いありません。

<<契約の祈り>>
神様に感謝します。今日、私たちの(按手を受けた)役員とレムナントと献身礼拝をささげるすべての方たちに、新しい答えが始まるようにして下さい。キリストにあって、全てが終わったことを契約で捕まえる時、働きが起きる時刻表があるようにして下さい。正しく信仰告白するこの時間に、天の大きい門が開かれるようになる時間にして下さい、私たちの(按手を受けた)役員が証ししなくてはだめなくらい、神様が働いて下さい。未信者が神様の祝福を見るほど、神様が祝福して下さい。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン