2008年7月20日 インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:最後に与えられた新しい戒め
(ヨハネ13:31:31-38)
 
☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論-神様のみことばに挑戦した多くの人々
(1)ローマ皇帝10人- 250年間挑戦したがみじめに死んで、国教に公認
(2)ウェルリス-神様を信じてはいけない理由を研究をして大きい問題がきて、むしろベンハーという作品を残した。
(3)ボールツイン- 50年後には聖書がなくなると言ったが50年後には200ケ国語で聖書が翻訳されて、本人は自殺した。
(4)ニーチェ-神様は死んだと話したが本人は精神病で死
(5)共産主義-神様はいないと言った共産主義は崩れた。
(6)SBS放送プログラム(神の道、人間の道)で混乱をもたらしている。
1.何を知らずにいるのだろうか?
(1)聖書理解-聖書は未信者が分かる部分、信徒が分かる部分、信徒も分からない部分がある。
▲それで未信者が分かる部分だけを持って解釈しようとするから問題がくる。
(2)人間-肉体の部分、精神の部分、たましいの部分があるということを知らなくて...
(3)人間には苦労もあるが、運命があって、災いがどんどん臨む。
(4)たましい、悪霊、聖霊が存在している。
(5)必ず来世があって、聖書は地獄、天国を語っている。
(6)私が現場で見た霊的問題-悪霊の働き
2.イエス様がくださった新しい戒め
▲こういう状況をおいてイエス様が最後にメッセージを与えられた。イエス様がおっしゃられた愛は、アガペーの愛、キリスト的愛で、たましいの愛を言う。これがなければすべての目がみな暗くなる。
(1)31節、栄光の光を照らす愛
1)暗やみの中にいる私たちに光栄の光を照らす愛
2)人を見つめる時、暗やみの中に陥っていることを見なければならない。そこに光を照らす愛を言う。
(2)32節、神様が人の子によって栄光を受けて、人の子に栄光を与えられた
(3)33節、今はあなたがたは、わたしが行く所には行けない。
(4)34節、それと共に新しい戒めをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。
▲イエス様が十字架につかれることによって、すべての人類を救い出されたが、その愛を言う。イエス様が十字架につかれることによって、すべての暗やみをみな砕いてしまわれ、旧約に約束された通り、すべてのサタンの勢力をうち砕いてしまわれた。この愛で互いに話して、互いに愛しなさい。すべての地獄、暗やみの勢力をみなうち砕いてしまわれた。
(5)35節-あなたがたが互いに愛すれば、それですべての人があなたがたをわたしの弟子だと思うだろう。アガペー愛を悟れなければ-
1)サタンを絶対に砕くことはできない。
2)終わりの日に世の中で起きることに勝てない(マタイ24-25章、Uテモテ3:1-13、黙示録)
3.結論(37-38節)
(1)37-38節、アガペーの愛-救われた者を絶対に捨てない愛
(2)私の証し-現場で悪霊の働きと霊的問題を見た後、たましいに対するかわいそうな考え、気が焦る考え、たましいを愛すべきだという心ができた。それ以後、タラッパンを悟って、弟子の必要性を知って、祈りの答えが始まった。全世界にこの福音運動が拡散。
(3)イエス様がくださった新しい戒め-互いに愛し合いなさい!本当にこの愛を伝えなさい(35節-わたしの弟子だと思うだろう)
(4)今まで30年伝道-神様の愛、神様の恵み、神様に感謝するゆえ...
▲これ一つだけ持っていれば、多くのことが新しく見られる。今日、この愛を回復することを望む。このアガペーの愛が伝えられれば生き返る。神様がくださった愛を持って見つめれば、全てのものがまた新しく見られる。皆さんの家庭、産業に神様の愛が伝えられることを祈ります。
(祈り)
神様に感謝致します。今日、参加したすべての方が神様の愛を受ける日になるようにして下さい。ヨセフのように、ダビデのように、神様の愛で世の中を生かせるように新しい力を与えて下さい。今日、聖日に困難を受けている方たちが、神様の愛を体験する日になるようにして下さい。病気になっている人々、弱い人々がおられるなら、神様の力と愛を体験する貴重な日になるようにして下さい。今日、難しい問題に陥っていたり、多くの人のために問題の中である人が、神様の愛を回復する日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論-神様のみことばに挑戦した多くの人々
▲イエス様が十字架につかれる前に最後にくださったメッセージです。数多くの人々が神様のみことばに挑戦しました。
-ローマ皇帝10人が神様のみことばをなくそうと250年間、挑戦をしました。恐ろしく10人の皇帝と手助けした人々は、家で死んだのでなく、全部、外で事故で死にました。パク・ユンソン博士の注釈に、どこでどのように死んだとなっていました。むしろ250年後に国教になりました。
-ウェルリスという人がみことばに挑戦をしました。神様を信じてはいけない理由を研究したのです。研究して、この方が大きい問題がきたのです。そして、また文を書きました。その作品がベンハーです。
-ボールツインという人が、このように話をしました。小さい論文を書いたのですが、50年後に聖書はなくなる。なぜか、話が合わないから。前後の話が合わない。だれが書いたのかわからないし、一つも話が合わない。それで、今はみな無知だからで、しかし、悟ったら、聖書はみななくなる。ところで、50年後には200ケ国で翻訳されたし、ボールツインは自殺をしました。
数多くの人が、神様のみことばに挑戦をしたのです。
-ニーチェは正面から神様のみことばに対して挑戦をしました。ニーチェは牧師の息子です。神学まで勉強したのですが、自らの知識を持って神様に挑戦しながら、神様は死んだと言いました。ニーチェの本を読んでみれば、ニーチェが精神が狂ったのです。皆さんがおわかりの通り、真昼に精神病院で死にました。精神病院の広場で天をながめながら、暗いと大声を出しながら死にました。太陽があるのに暗いと言ったのです。神様のみことばに、数多くの人々が挑戦をしています。
-共産主義が挑戦をしました。神様は死んでいないと言ったのです。神様がどこにいるのか。神様がなければ、そんなもの信じるなと正面から挑戦をしました。韓国や米国に神様を信じる人はおかしな人だ。宗教細胞がとても多くて、そして、その人々は無条件に物質なので錯覚をしたのです。ところで、70年後に共産主義は完全に門を閉めました。よりによって、すべての共産主義国家がキリスト教国家とキリスト教団体にご飯を貰っています。
-SBS放送プログラム(神の道、人間の道)- SBSで放映したプログラムのために、多くの話で騒々しいこともありました。

1.何を知らずにいるのでしょうか
▲その人々が何を知らないのでそうなのでしょうか。多くの人々が聖書に対して知らずに、卑劣な言葉を言うのですが、なぜそうなのでしょうか。
(1)聖書は未信者が読んでも理解できる部分があります。
聖書の大部分に人を殺すな盗むな。未信者が見ても、そうだという部分があります。ところで、聖書には信徒だけが見なければならないことがあるのです。イエスの血であなたを救い出した。創世前にあなたを予備した。こういう話は未信者が分かりません。信徒だけが見て、そうだ、アーメンと言います。救われた人だけがアーメンと言うのですが、救われていない人は言いません。そして、聖書は救われた人も分からない部分があります。そのような神様のみことばを、むやみに話をしてはいけないのです。ジャン・カルバンは、ヨハネの黙示録の注釈を書きませんでした。私も可能ならば黙示録の説明はしません。とても、ものすごいことが多くて、むやみに話せないからです。それで、ヨハネの黙示録、これだけはジャン・カルバンが解釈しない方が良いと言ったのですが、それが、ある面で良心的なのです。未信者が見れば分かる部分を探して聞こうとすれば、問題が起きる場合が多いのです。
(2)また、私たち人間は肉体だけがあるのではありません。肉体にだけ話をしようとしても問題になるのです。私たちの人間には精神もあります。その精神も見なければなりません。精神だけあるのではありません。さらに重要な皆さんのアイデンティティーであるたましいがあります。それで、たましいが抜け出れば死ぬのです。ところで、肉体だけ見て話をして問題が生じるのです。私たちはこの世で汗を流して苦労しなければならないことが多いのです。
(3)それだけが、すべてではありません。私の思いどおりにならない運命があって、人間の力でだめな災いもあります。ある大統領の時、韓国に災いが300個が起きました。崩れて、爆発して、これがどのように人がすることなのでしょうか。
(4)私たちには、たましいだけでなく、悪霊、聖霊が実際に存在しています。
(5)それで、多くの放送で話して、本で話すのではない来世があります。そして、聖書には地獄と天国を言っています。このようにものすごいことを、むやみに話して見たら、この世に災いが起きるのです。
(6)立派な阿人は米国にたくさん集まっています。20世紀に賢い人物100人が米国から出ました。ところで、世界で麻薬と精神病が最も多いのです。米国に行ったら、用心しなければなりません。私は朝早く運動しに公園に行ったのですが、何か男が座っているのに、座って目だけパチパチしていたのです。私がその話をしたところ、米国の人たちが、大変なことになるから、そこは行かないでと言いました。皆さんがおわかりの通り、韓国にある大きい財閥の家族です。夫人はなかで賛美を練習していて、夫は夫人が賛美の練習が終る時まで待って、子どもたちを車の後ろに眠らせていたら、車が良い車でした。それで、この車を奪い取ろうとその人の頭にそのまま銃を撃ったのです。そのまま撃つので人が死んで、引き下ろしておきました。何の目的もありません。単に車が良いから、そのようなことです。それで車に乗って行くと、後で子どもたちが泣いていました。子どもを助けるべきなのに、子どもの1人はここに、他の子どもはあちらに投げてしまったのです。ところでこうしたことが一度でなく、たくさんあります。そして、ヨーロッパは麻薬を飲んだり、注射を打つのではなく、首に刺すのです。最も心臓近くにはやく反応を見せようとするのです。ハン・ドンフン長老が見せてくれました。車に乗って行って車を止めるので、確かにしていました。市庁から、注射器を使ったものを使うなと、新しいものを配っていました。ある国では麻薬をする人々を捕まえて行くことができません。なぜなら捕まえて行けば、みな捕まえて行かなければならないためです。
▲このように、地球上にはずっと問題がきています。この時、こういう状況をおいてイエス様がおっしゃられたのです。

2.イエス様がくださった新しい戒め
▲わたしがあなたがたに新しい戒めを与えます。十字架につかれる直前にくださったメッセージです。それ以前には、足を洗うしもべの役割でした。わたしがあなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛しなさい。この話は、簡単なことのようですが、あまりにも重要な言葉です。どんな愛なのでしょうか。それが重要です。皆さんは、ほとんど条件がある愛です。なぜなら、子どもであるためで、男は女のために、女は男のためです。もちろん同性恋愛をする人がいますが、おもに恋人だから、このように愛すのですが、今、この愛はそのような愛ではありません。イエス様がおっしゃられた、そのような愛ではないのです。この話をわからなければ、難しい状況がたくさん起きます。
▲イエス様がおっしゃられた愛はアガペーの愛です。具体的に話せばキリスト的な愛です。さらに具体的にはたましいの愛です。皆さんがそれなしではすべての目が暗くなります。それでイエス様が直接、話されたのです。どのような愛を言うのでしょうか。
(1)ヨハネ13:31におもしろい話があります。31節に「ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。」となっています。イエス様が、これからメッセージをして話をされるのに、イスカリオテのユダが出て行ったのです。イエス様がよくご存知です。なぜ出て行くかというと、イスカリオテのユダが、イエス様を売り飛ばすために出て行くのに、それでイエス様が人の子はそれによって栄光を受けて、また神様も栄光を受けられたと言われたのです。本当に変なメッセージです。イスカリオテのユダが、イエス様が話しをしている途中で出て行ったのです。簡単に話せば、お知らせの時間に出て行きました。お知らせはよく聞きましょう。普通の教会は、メッセージだけ聞いて出て行きます。核心も見れば、私が飛行機に乗りにでかけるのに、さらにはやく出て行きます。イスカリオテのユダが簡単に話して、何かがあったのです。簡単に話せば、イエス様を売り飛ばすために出て行ったのです。ところで、イエス様がものすごいメッセージをされました。わたしが栄光を受けて、父も栄光を受けられた。
▲どんな愛、どんな事件を言うのかというと、暗やみの中で私たちに光を照らす愛を言うのです。皆さんが多くの人を見ている時、暗やみの中にいることを見なければなりません。彼らには光が必要です。暗やみの中に陥っています。この愛を言うのです。皆さんは隣と夫の悪口を言うことではなくて、彼らに愛を与えなければならず、光を照らしてあげなければなりません。それでイエス様が互いに愛しなさい。弟子どうし戦ったかは分かりませんが、肉的な愛でなく、アガペーの愛を言うのです。そして、イエス様が重要な話をされました。
(2)32節には神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。
(3)33節には子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言ったように、今はあなたがたにも言うのです。
(4)34節にはあなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。イエス様が十字架につかれることですべての人類を救われたのですが、その愛を言うのです。栄光を受けたということと、十字架につけられるという言葉は何の話なのでしょうか。イエス様が十字架につけられることによって、すべての暗やみの勢力をみなうち砕かれました。イエス様が十字架につかれることによって、すべてのサタンの勢力をうち砕かれたのです。その愛で互いに愛しなさい。イエス様が十字架につかれることによって、すべての地獄、暗やみの勢力をみなうち砕いたということです。
(5)さらに重要なのは35節です。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。
▲皆さんがアガペーの愛で愛することができなければ、絶対にサタンに勝つことはできません。ひょっとして、悪霊につかれて苦労している人がいますか。追い出すのが重要なのではありません。イエスの御名で追い出しても、また入ってきます。また、事実、悪霊を追い出すのは未信者もできます。事実、皆さんが僧侶もすることができます。ところで、また入ってくるのです。最も勝てる道がアガペーの愛です。
▲この話は何の話なのでしょうか。すべての人が、あなたがたがわたしの弟子だと思うだろう。この話は、イエス様が遠く見通して話しておられるのです。この話が何の話なのでしょうか。マタイの福音書24章-25章に、終わりの時、ものすごいことが行われることを約束しています。最後の時は、伝道する人が難しくなって、反キリストが起きて、難しくするだろう。最後の時は、災い、多くの問題が起きるだろう。この時、何をしなければならないのでしょうか。皆さんが本当に愛さなければなりません。本当にアガペー、キリストの愛を回復しましょう。
▲このイエス様がなさったみことばをとても、優れた知識人であるユダヤ人が理解できなかったのです。ある大きい教会で起きたことです。牧師先生が間違ったのですが、捧げられたお金をたくさん持って出て行って捕えられたのです。そのような事件がありました。少し申告をしなくて、もっと持っていたということです。いくらまでは申告をするように、法律でなっています。ところで、少しずつさらに持っていけるのに、この方がもう少し持っていったのです。それで、これを調査をして捕まえたのでした。ところで、この方が有名な牧師先生でした。それで牧師がそうして良いのかと拘束されました。そして、さらに面白かったことは、事がこのようになったのではありません。教会の中で、内部の問題が多くて、ある人が告発をしたのです。言わば、長老が牧師を告発したのです。タイムに合わせて捕えられました。外の人は知りません。他の人は、牧師がどうしたのと批判をしました。これで、韓国と世界教会に問題を投げたのです。それで、目に見えなく、多くの未信者を失望させて、教会を落ちるようにさせたのでした。これがサタンの戦略です。
▲だから、イエス様がなさったみことばを記憶しましょう。あなたがたは、本当にアガペーの愛で愛しなさい。霊的問題だけでなく、すべての問題の答えです。
▲Uテモテ3章には、終わりの日に困難な時がくる。ヨハネ黙示録には、このようなことがおきると預言されています。皆さんが勝つ力が福音しかないのに、そのうち重要なのがアガペーの愛です。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも愛しなさい。

3.結論(37-38節)
▲それと共にこのように話されました。ペテロが、イエス様どこへ行かれるのですか。わたしが行く所には来ることができない。私は命をかけてイエス様について行きます。あなたは鶏が泣く前に三度私を知らないと言うようになる。イエス様はみな知っておられるとはいえ、それが何のみことばですかと言います。ところで、後に出てくれば分かるのですが、その状況が行われるのです。今は状況も大変ならば、イエス様がおられたのに、ペテロが知らないと言いました。それで後から、ある人が、あの人もイエスに付いて回ったひとだと言ったのです。すると瞬間的に違うと話しました。いや、あなたは確かに付いて回った人なのに...と言われたら、ガリラヤのなまりだと、私は知らないといって呪いまでしたのです。そんなことがペテロに起きたのですが、イエス様はこのペテロに訪ねて来られました。あなたは、わたしを愛しますか。
▲これは、何の話なのでしょうか。救われた者は絶対に滅びても捨てられません。それで、私たちが悟らなければならない部分が、アガペーの愛です。これは何の話なのでしょうか。すべての重職者と信徒が分からなければならない言葉なのですが、何の話なのでしょうか。
▲私が伝道して答えがこないのに、答えがきたことがあります。私は事実、神様が祈りに答えられるといったが、なぜ答えられないのか。これくらいでした。信仰生活をすれば、答えられなければならないのに、ならなかったのです。
-偶然に、初めて見たのです。私の家が教会と近かったのですが、下の家から連絡がきたのです。何の連絡かといえば、牧師を迎えて礼拝をささげたいということでした。未信者だったのですが、それで牧師先生に報告を差し上げたところ、行こうと言われました。ところで、その家には未信者の家なので、聖書もなくて、何もありませんでした。賛美も知りません。ところで、礼拝をささげたら、だいたい付いて歌いました。ところで、礼拝をささげていたら、ドーンと大きな音がしたのです。少し後には、もっと大きい音がしました。この音が何かと尋ねたら、私たちの息子だと言いました。あの子が突然、狂ったということでした。教会で鐘の音が鳴ると耳を防いで泣くということでした。このように、それなりに礼拝が終わってその顔を見たのです。初めて見ました。私は悪霊を見たことがなくて、悪霊につかれたとくことを知らないのに、いくらバカでも見る瞬間、これが悪霊につかれたと分かったのです。おかしな顔と目で行動をしていました。どうしようもなかったのです。帰って来るのに、牧師先生が私に子どもだから、伝道師が責任を負えと言われたのです。私が内心、落ちこんで、私がどのようにしたら良いのか。それで本当に悩んだのです。あれをどのようにするのか。家でも遠ければ言い訳もできますが、担任牧師が私がその時しばらく伝道をしていて、行かないはずもなかったのです。これで二日後、三日後に行きました。前よりは少ないけれど、状態はまあまあだったのです。これが神様の恵みです。聖書を見ると、悪霊につかれた人が多いのです。それで、正面からあなたはイエスを信じれば良い。するとイエス様を信じると言いました。この子が受け入れの祈りをしたのです。想像も出来ないことに、その祈りだけしたのですが、完全に変わってしまったのです。全く自分の能力とは関係ありませんでした。私は信仰でもなく、やむを得ず私の信仰と関係なくしたのですが、変化が起きたのです。家族みんなが登録をしたのですが、前の席に座りました。それで明け方からきました。顔も変わって、その子だとは分かりませんでした。不思議に思ったのです。すべての家族が朝の祈りの時の前に座っていました。この人たちが、そのまま来たのでした。それと共にこの子が癒されたと言いました。この方たちが封筒を一個持ってきました。献金でした。知らずに一個だけすることも知らなくて、4個もしました。信仰が入れば一個ずつになります。信仰がさらに高くなると減ります。その封筒をおいて座っていたのですが、この子が変わり始めたのです。これが私が最初に見た結果です。
-お母さんもムダン(霊媒師)、おばあさんも、ムダン(霊媒師)でした。この子がおかしな病気になりました。病院で、この子はだめだと家に連れて来た子どもでした。その時は知らずに、その子の顔を見たら、死ぬようでした。その子に福音を伝えて、そのまま家族みんなで受け入れの祈りだけしてきたのです。その日の夜に奇跡が起こりました。私がその子を見ながら祈ったのでもありませんでした。見つめることもせず、帰ってきました。福音の力がどれくらい大きいのか、その子がひっくり返ったのです。本当に不思議なことです。
▲私が伝道を継続しながら、これが霊的問題だな、イエスを信じるとこのような問題が解決されることを人々が知らずに、私も知らないんだなという考えに、気が焦って、飢え渇くことができ始めました。
-伝道をよくして副牧師だったのに、牧師と私が心配事があって座って対話しているのに電話がきたのです。前の工場で、自分たちではだめだから、教会からきてくださいと言われたのです。19才なのか20才か、女子学生が狂ったのです。どれくらい力が強いのか、男20人が戦っても、勝てなかったのです。それで一方の手には槌と、一方の手には刀を持っていました。そして、ガラスを破っていたのです。この福音の働きがどれくらい大きいのか、二人で行ったのですが、入った瞬間、この子が震えたのです。降りて来なさいと言ったら、足が震えて降りて来られなかったのです。そして、礼拝をささげました。その時に目も開けて、聖書も見て、この子が救い主として受け入れたのですが、人々が不思議に思うと言いました。その時、牧師先生と私が、そのまま悩んで行ったのですが、みわざが起きたのです。この子が、時々狂ったのです。知ってみたら、幼い時からそうだったのです。ところで、精神が狂うと我が家にきました。面倒でした。後ほど発作すれば連れてきました。この時、思ったのは、これは面倒がることではなくて、普通の問題ではないので祈らなければならない。そして、本格的にタラッパンを始めたのです。その子が完全に癒されて、伝道師になるほどです。
▲私は他の目が開き始めたのです。この世の中に霊的問題であがく人がとても多いのです。今、それではお金のために人殺して、だますのは必死のあがきではないでしょうか。これが、より大きい必死のあがきではないでしょうか。悪霊につかれて倒れるよりは、お金のために人殺しするのがより大きいのです。政治家たちが、人を踏みにじるのも必死のあがきです。人々が成功しようと必死のあがきをします。だから、かわいそうな気がして、その時から、この世には問題が多い人が多いと思うようになりました。
▲どのようにすれば良いか、それでタラッパンを悟ったのです。それで弟子が必要だな。その時から答えがあふれました。それ以前には、とうてい答えがありませんでした。彼らを救い出すのが私の仕事です。たましいの愛、あなたがたがこの愛を伝えなさい。これがアガペーの愛です。この時から答えがきました。率直な告白です。それ以前には、いくらもがいても、だめでした。ある日、たましいを愛する心ができたのです。ある日、現場に行けないのが気が焦る日がきて、学校に行って地域、地域に立てて、大学に行って工場に入ったのです。そして、人々に同じようにさせました。これが普通の事件ではありません。何の力もない影島(ヨンド)の開始が全世界に広まったのです。この話だな。あなたがたは、互いに愛しなさい。長老と信徒と教役者どうしの愛。イエス様が一番最後に新しい戒めをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。あなたがたの中にではなく、あの外に、本当にこの愛を伝えなさい。
▲その証拠が35節を見れば、もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのですと言われました。その時から、みことばも成就し始めたのです。それ以前には、聖書に分からないことが多かったのです。イエス様がおっしゃられた愛の単語を悟った以後、弟子が生まれ始めました。そのまま話しても弟子が起きました。
▲釜山にいます。ペク・ウンギュ、イ・ソンフン牧師が青年の時、ペク・ウンギュ牧師にあなたは工場を引き受けろと言ったところ、就職したのですが、聖霊が働きました。青年1人がせきをひどくして、礼拝ができないようになりました。そのせきをした張本人がイ・ソンフンです。知ったら、堕落して昔にDJをしていたのです。それで、イ・ソンフンには、あなたは今から賛美だけしなさい。歌ってほろびたから、何もしないでも良いから賛美だけしなさい。それで、するのにイ・ソンフン牧師は健康も回復しました。一度は医師がだめだと言ったことがあったのですが、神様の力は、する可能性があることを信じました。あなたは福音を伝えることがあるので、生きなければならない。慰めた話が成就しました。途中で行ってしまいそうでした。それでも慰める話をしたのです。行く時なれば処理しろとは言えませんでした。病院で途中で、風がとてもたくさん入ってだめだと言われ、神様があなたとともにおられると話したが生きて出てきました。あなたは生きているのが奇跡ならば、そのままいなさいと言いました。一つのことを分かったのですが、イエス様が、あなたがたが互いに愛し合えば、すべての人が知るようになる。もし、こういう愛がないならば牧師ではありません。一般信者は、それでも良いでしょうが、宣教師がこれがなければだめです。この一つだけ理解すれば、すべての人がわたしの弟子であることが分かるでしょう。
▲私はとても難しい時期に、皆さんのように生まれたのですが、とても難しいことを周囲にたくさん見ました。ところで、頭は悪い方ではないが、環境が難しくて、さらに難しかったのです。それで崩れてしまいました。ところが、神様が私を救い出してくださったのです。全く自分の力ではありません。その愛を言うのです。私を愛して、暗やみの中で置いておかずに救い出して、30年、伝道したのですが、答えがとてもたくさんきました。そして、今は皆さんと一緒にするのに条件と力なしにできていきます。その愛を言うのです。これ一つだけでも多くのことになります。友達同士もアガペーの愛になってこそ真の友人です。家族間でもアガペーの愛が伝えられなければなりません。皆さんの会社も友人も個人にも神様の愛が臨まなければならないのです。イエス様がこの愛をおっしゃられるのです。これを分かる貴重な日になることを望みます。少しだけ考えれば良いのです。それが何の話なのか。前に私が話しました。うちのそばにとても有名なチンピラが、きれいな女性を連れてきました。この男がとてもハンサムだったのです。ところで、何もしなくて、単なるチンピラなので、暮らせずに夫人が逃げようとする時ごとに、他の人に止めさせて手助けして福音も話してあげたのです。それと共に、うちの母がとても重要な話をしました。あなたの夫は悪い人でない、かわいそうな人だ。それと共に、そのとおりだと言いながら、一緒に泣いて耐えていたのです。今は元気に暮らしています。それを見ながら、人が何を見て、するのかが重要です。皆さんが神様がくださった愛を持って見つめれば、全てのものがまた新しく見られます。今日は、この答えを必ず受けるように願います。皆さん家庭と産業に、神様の愛が伝えられることをお祈りします。

(祈り)
神様に感謝いたします。今日、参加したすべての方が、神様の愛を受ける日になるようにして下さい。ヨセフのように、ダビデのように、神様の愛で世の中を生かせるように新しい力を与えて下さい。今日、聖日に困難を受けている方たちが、神様の愛を体験する日になるようにして下さい。もし病気にかかった者、弱い方々がいるなら、神様の力と愛を体験する貴重な日になるようにして下さい。今日、難しい問題に陥っていたり、多くの人のために問題の中にいる人が、神様の愛を回復する日になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:弟子の目、弟子の道、弟子の献身
(コロサイ1:3-12)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲聖書に一番たくさん約束されているのが何か?皆さんが信じる時、聖霊が働かれると言われている。確かに目に見えないように、聖霊でともにいると言われた。特にみことばを受ける時...この時は、特に主の使いを先に送られると言われた。そうすれば、暗やみの勢力は崩れるようになるのだ。これを神様の国! 皆さんにこういう時間になることを希望する。それでは、行ってみれば答えが来ていて、また答えが起きる。
▲牧師、宣教師、重職者が最も失敗するのが何か?福音の中に、キリストの中に全てがあるという言葉に、実際的に見なくて感じられないのだ。これがクリスチャンの最も大きい失敗だ。それでは、イエス様が嘘をついたということなのか?わたしについて来れば、わたしが責任をとって、あなたを人を捕る漁師にしてあげようと言われた。そして、すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませあげます、そして、コロサイ2:2-3節には福音の中には全てのものがあると言われている。マタイ6:33、あなたがたは、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えてすべてのものは与えられると言われた。ここに合わないのが問題だ。
▲どのようにこれができるのか? 皆さんが弟子の人生を回復すべきなのに、弟子はどんな目を開きながら、どんな道を行って、どんな献身をすべきなのか? どのようにすれば、私も答えを受けられるのか? 福音の中にあるというのに、どのようにしてこそ味わうことができるのか?
1.常に確信-私の身分(聖霊がともにおられる)
(1)Iコリント3:16,聖霊でともに
(2)ヨハネ14:16-17,イエス様の約束-聖霊でともに、聖霊で働き
(3)使徒1:8、確かにあなたがたの中に、あなたがたとともに...
▲これになってこそ、神様が天の御使いを動員して、あらかじめ働いて、暗やみの勢力の主犯であるサタンの勢力が縛られる。
2.弟子-問題がきた時
▲今は、私たちは弟子の人生をどのように生きるのか?
(1)弟子が持たなければならない目-ピリピ人への手紙
1)事件(ピリピ1章)-事件が問題でなく、事件の後のことを見よう
2)世の中(ピリピ2章)-世の中を見つめて揺れるのではなく、その後のことを見なければならない。
3)成功(ピリピ3章)-弟子は成功が問題でなく、成功の後のことを見よう
4)環境(ピリピ4章)-弟子は環境に揺れないで、その後にことを見る。
▲救われた者に聖霊がともにおられる。これを信じる信仰!
(2)弟子の道-コロサイ人への手紙
1)コロサイ1章-暗やみの中から呼び出された。
2)コロサイ2章-すべての知恵、知識、宝が隠されている。
3)コロサイ3章-上のことを求めなさい。
4)コロサイ4章-弟子を重要に思いなさい。そこにいのちをかけよ。
(3)弟子の献身-エペソ人への手紙
1)エペソ1章-天の希望、力、受け継ぐものが何なのかを分かることを祈る。これが最高の献身
2)エペソ2章-伝道しなくてはならない絶対的な理由
3)エペソ3章-宣教しなくてはならない絶対的な理由
4)エペソ4章-教会がどれくらい重要なのか?
5)エペソ5-6章-世の中とサタンを分かってこそ勝利する。
▲皆さんに来た問題は無条件に神様が重要な計画を持っておられる。
3.味わうこと-方法
(1)福音と伝道の目-福音と伝道の目を持って本当に祈れば味わい始める。
(2)内容- 9節に、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。そして、コロサイ3章に上のものを求めなさい。
(3)聖霊充満-簡単に記憶しなさい。聖霊充満!今、この時間に皆さんに、事業に聖霊が働き...すべての祝福は上から降りてくる。
4.結論
▲世の中で一番かわいそうな人が、教会に思い切り通いながら答えを受けられない人...それで、不平不満、うらみにぎっしり埋まって...その根深いのに、答えがないのだ。ヨセフのように答えを受ければ、兄たちを見る瞬間、うらみが出てくるのでなく哀れだ。本当に答えを受けるダビデがサウル王を見れば哀れだ。皆さんが本当に答えを受けなければならない。神様が目に見えなく聖霊で私とともにおられる。問題がきた時は、すばらしい答えを捜し出せる。そして、普段の時に聖霊の働きを味わうのだ。今日、この答えを捜し出して、力を得て、世界を生かす献身をすることを望む。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲聖書に一番たくさん約束されているのが何でしょうか。皆さんが信じる時、聖霊がともにおられると言われました。最高の多くの約束です。確かに目に見えないように聖霊で私たちとともにいると約束されました。特に、みことばを受ける時。この時は、必ず神様が主の御使いを先に送られます。皆さんがみことばだけ受けているのに、このようになれば、暗やみの勢力は崩れるのです。これを神様の国と言います。今日、皆さんが本当に答えを受けるように願います。もしか、私は祈りの答えがないという方々も、今日からは受けるように願います。また、海外で、インターネットでメッセージを受ける方たちは、より一層受けるように願います。今100個あまりの教会、また他の教会でも衛星で、インターネットで礼拝をささげています。皆さんが今日、こういう時間になるように願います。それでは行ってみれば、また答えが来ています。また、皆さんが帰った後に、また働き起きます。どれくらいおもしろいでしょうか。
▲それなのに、なぜだめなのでしょうか。それを今日1部と2部で捜し出さなければなりません。これは、常に持っているべきなのですが、いつもメッセージで捜し出すべきなのですが、それが答えです。1部で捜し出したでしょうか。私がある教会にいたのですが、ある執事が娘の心配をよくしていました。娘の心配をしながら、娘の弱点をしばしば話しました。あんな話をしてはいけないけれどと思ったのです。あの執事が足りない人ではないのに、なぜあのようなのかと思ったのです。後ほど分かりました。自分の娘ではなかったのです。嫌う心が多いから、大事にしてあげるふりをしながら、しばしば弱点を話したのです。皆さんひょっとして、皆さんの子供が水に落ちればどうするでしょうか。大変なことになってと言うので、落ちたんだなあ、こう言うでしょうか。子どもが流されながら、水もたくさん飲んで死ぬようになれば、どうするのでしょうか。どういう方法でもするでしょう。水をたくさん飲んだのだなあ、そのような形で継続すれば見られないだろうな。こう言うでしょうか。私たちが信仰生活をこういう方法でしているので、答えがないのです。たましいへの愛。互いに愛し合うのです。救われてここに座っているということは、奇跡のような事です。イエス様の12人の弟子、11人が会いました。奇跡です。それがだめになるので、答えがないのです。率直に、牧師の中で、福音を伝えなければならないのですが、福音を受ける人が多いのに、こういう切実さがなければ、申し訳ないが違っているのです。宣教師が、福音を受ける人がいるはずなのに、私が今、こうしてこそ正常です。一般信徒も神様が私を愛して呼ばれたのですが、これで充分だ。本当にこの愛を伝えなければならない、このようにならなければなりません。今日1部で捜し出さなければなりません。もう少し一般信徒にはこのように適応させなければなりません。聖日など、みことばを聞きにくる時、本当に希望ができなければならないのです。それが神様を愛すことです。それでは、皆さんはまちがいなく成功します。今日も聖日になったので、聖日が抜けないように来る、1部だけ見て出て行こう、聖書はどこにあると思いながらホコリをはたいて来れば、絶対に働きは起きません。皆さん自身が分かるでしょう。牧師が説教しに行く時、本当にうれしくなければなりません。神様がくださるみことばなのに、私が本当に恵みを受けたが、こうすべきで、説教が話であれば、それは違うのです。それで、わたしがあなたがたを愛したように愛し合いなさいという言葉が、とても重要な言葉なのです。
▲今日は、献身礼拝です。牧師や一般信徒も、みな失敗をしています。少し申し訳ない話ですが、牧師、宣教師、重職者などが一番失敗よくするのが何か分かるでしょうか。話が失敗ではありません。行動の失敗ではありません。最も大きい失敗が何でしょうか。福音の中にキリストの中に全てのものあるという言葉を実際的に見られないで感じられないのです。これがクリスチャンの最も大きい失敗です。イエス様が嘘をついたということなのでしょうか。わたしについて来れば、わたしがあなたの責任をとって、人を捕る漁師にしてあげようと言われました。すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげようと言われました。確かにそう言われました。そして、コロサイ2:2,3節に福音の中に全てのものあると言われました。だれの嘘なのでしょうか。マタイ6:33節にイエス様が直接おっしゃられました。あなたがたは、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、すべての上げると言われたのです。これが合わないのが失敗です。
▲今日、皆さんが2部礼拝に本当に一度考えを少ししてみれば、答えが大きく起きます。それでは、今日、献身礼拝なのですが、どのようにこれができるのでしょうか。皆さんが弟子の人生を回復しなければならないのですが、弟子がどんな目を開くべきで、弟子はどんな道を行かなければならず、弟子は、献身をどのようにしなければならないかに対する答えを得なければなりません。福音の中にあるというのに、どのようにすれば良いのでしょうか。これは、とても重要なのです。キリストの中にあります。パウロが詐欺を働いたのでしょうか。私は確かに確認しました。あります。ところで、初めからその話をしたのに、人々が信じなかったのです。私が出会う人ごとに、あなたが伝道だけ正しく本当にすれば、できると言ったのですが、この言葉が分からなかったのです。お金がある人、何人か捕まえてこそ開拓が正しくできる、このように誤解をします。あなたが本当に福音を伝えればあると言うのに、多くの宣教師が後援者が多くなければならないと思っています。ある部分は正しいのですが、本当に見れば違っているのです。もし福音の中に全てのものがないならば、私たちがここにいる必要がありません。福音の中に、伝道の中に全てのものがないならば、この暑い中に何をしにここに座って、献金して献身礼拝をささげるのでしょうか。

1.常に確信-私の身分(聖霊が共に)
▲最初です。皆さんが今から確信しなければなりません。常にしなければならないのです。皆さんは、どんな身分なのでしょうか。
(1)聖霊が皆さんと共におられます。これは常に確信しなければなりません。聖霊が共におられるという言葉は、聖霊が皆さんの中にいらっしゃるということです。(Iコリント3:16)。これが弟子が持たなければならないことで、目を開いて正しく献身する前に、これから確信しなければならないのです。イエス様が約束されました。
(2)わたしがあなたがたを孤児のように放置しません。来週の内容です。心を騒がせてはなりません(ヨハネ14:16〜17),
(3)結論は何でしょうか。聖霊で目に見えないように働く(使徒1:8)。
▲これを信じなければめちゃくちゃになるのです。確かに目に見えないように聖霊が正確に働くということを聖書に数えきれないほど約束して、イエス様がまた言われました。イエス様も、あなたがたとともにと言われました。ここに対して確信しなければなりません。うつわに水を入れれば水のうつわです。うつわにご飯が入れればご飯茶碗です。同じうつわなのに、宝石が入れば宝石の入れ物です。皆さんが同じようにできたが、聖霊がおられるので神殿のです。誰も触れないのに、皆さんが自ら倒れるのです。倒れる必要がありません。この確信からなければならないのです。皆さんが信じようが信じるまいが、これになってこそ、神様は天の門をあけて、主の御使いを動員して、あらかじめ門をあけられるのです。これが信じられなければなりません。この時になってこそ、暗やみの勢力の主犯であるサタンの勢力が縛られるのです。常に信じるように願います。

2.弟子の生き方
▲二番目です。もう私たちはとても重要な部分に、弟子の生き方をどのように送るのでしょうか。私たちはもう弟子です。神様がともにおられるだけでなく弟子なのです。弟子なのに、最も重要なのは問題がきた時です。問題がくればすぐ人が違ってしまいます。問題が来ない時は分からないのですが、問題がくればその人が分かります。問題がきた時、事の処理するのを見れば、すぐ知ることができます。パウロが牢獄のなかで弟子の目、道、献身を説明しました。これを今日、捜し出さなければなりません。
(1)弟子が持たなければならない目
それがピリピ人への手紙に最もよく説明されています。パウロが牢獄に閉じ込められたのですが、牢獄で働きが起きました。パウロがそれを自慢するのがピリピ1章です。事件が問題ではありません。事件だけを見つめずに、事件の後のことを見ることができなければならないのです。それでこそ、祈りの答えを受けるのですが、事件の前で毎日、揺れてしまえばどうなるのでしょうか。パウロが牢獄に閉じ込められて、とても苦労をしました。それで、ピリピ2章に「キリストが苦しみを受けられたので、私も受ける。キリストが勝利されたので、私たちも勝利するだろう」牢獄で手錠をかけられてパウロがこのように話したのです。私たちは世の中を見つめて揺れるのですが、その後のことを見なければなりません。これが弟子が持つ目です。ピリピ3章は何でしょうか。簡単に話せばパウロは立派な人物です。私たちの言葉で話せば、ソウル大とハーバードを出て、国会議員と長官を過ごしました。次世代の走者です。それをちりあくたと感じたのです。理由を明らかにしました。これのために私が真理を知らないんだなと告白したのです。弟子は成功が問題ではありません。その後のことを見ることができなければならないのです。成功がきたり、問題が来たものに揺れません。その後のことを見る目があってこそ、祈りの答えを受けます。そして、ピリピ4章で、私は貧しくても良い。富んでも良い。あっても良くて、なくても良い。私は私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです。弟子は環境に揺れないで、その後のことを見ます。問題がきた時、本当に祝福が準備されているのです。どんな問題も気を遣う必要がありません。キリストの中にいるならば。私を強くしてくださる方にあって。ここにいる人が皆信じないでも、信じる者に、救われた者に聖霊がともにおられます。この信仰を言うのです。これは黒板です。それをだれが分からないでしょうか。その信仰を言うのではありません。これからうまくいくだろう、健康になるだろう...そのような信仰を言うのではありません。救われた者に聖霊がともにおられるという事実を信じる信仰です。この信仰でこそ世の中を変化させることができます。そうすれば、問題がくれば目が違うのです。
(2)牢獄で、弟子が行かなければならない道を説明しました。それがコロサイ人への手紙です。
コロサイ1章を見れば、暗やみの中から私たちを呼び出されました。コロサイ2章、すべての知識、知恵、宝が隠されている。表われているのではなく、隠されている。このコロサイ人への手紙で、ものすごい道が出てきます。コロサイ3章に、上のことを見なさい。祝福が地から上がってくるのか、上から降りてくるのでしょうか。尋ねる必要もありません。コロサイ4章は何でしょうか。弟子を重要に思いなさい。そこにいのちをかけなさい。タラッパンでは宣教を正しくしなければなりません。長老にも申し上げたが、皆さんが本当に祈りを正しくしなければならないのです。宣教献金を単に出さずに、これから一つの国を研究して行ってみたりもしなければなりません。重職者たちを見て、一つの国のために祈りなさいと言いました。正しい宣教は、その地域に重職者から先に立てなければなりません。いろいろあるのですが、今回、宣教大会の時に説明します。今する宣教は、宣教師が苦労だけして実が出ない宣教です。それで、弟子がどれくらい重要かわかりません。これが道です。弟子が何を見なければならなくて、どの道に行くべきでしょうか。最も重要なのが人なのですが、こういう祝福を味わわなければなりません。
(3)どのように献身すべきでしょうか。それがエペソ人への手紙によく出ています。
天の希望、力、受け継ぐものが何か分かることを祈ります(エペソ1章)。これが最高の献身です。伝道しなければだめな絶対的な理由(エペソ2章)、宣教しなければならない絶対的な理由(エペソ3章)、教会がどれくらい重要なことかをエペソ4章に説明しました。世の中とサタンに勝たなければならないのに、そうしてこそ勝利します(エペソ5章、6章)。このために献身するのです。これを弟子が先に発見するのです。問題がきたのでしょうか。大きい答えが備えられていることを信じましょう。福音の中にいるならば。皆さんが足りないこともあります。失敗することもあります。失敗したので、面倒をみられない、そんなことはありません。皆さんに来る問題は、無条件に神様が重要な計画を持っておられるのです。

3.味わうこと-方法
▲三番目です。全てのものが福音の中にあります。それなら、これを味わうことができる方法を分からなければなりません。今日から本当に答えを受ける祝福を味わうようになることを願います。今日1章10〜12節に何となっているのでしょうか。コロサイ1:9節を見れば、こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています...特に3節に、私たちは、いつもあなたがたのために祈り、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝しています...方法です。
(1)今から皆さんが二つの目が開かれるべきなのですが、福音と伝道の目を持って皆さんが本当に祈れば、味わい始めます。この2つの目がとても重要です。この二つの目を持って見れば、見え始めるのです。祈ることを休まないと出ています。
(2)ここに対する内容が出てきました。10節を見てください。9節に出てくるのに、どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。特にコロサイ3章を見れば、上のことを求めなさい。簡単に理解するように願います。まちがいなく祈りの答えはきます。
(3)記憶しましょう。皆さんが礼拝をささげる時、定刻の祈りをする時ごとに祈ってみましょう。私は常にこのように祈ります。聖霊が私のからだ中に、聖霊が主イエスの御名でこの場に、聖霊が4万、40万、1千万に、主の聖霊がこの時間に20の戦略を世界化に、主の聖霊がRUTCに、今、私たちがこれから作る教会に..祈ってみてください。その祈りをしたのですが、驚くべき働きが起き始めます。
▲私はここに対する証拠を持っています。私が定刻の祈りの時ごとにこのように祈るのですが、私が病気になるはずなのに、神様が今まで守ってくださいました。医師の言葉に従おうとするなら、私は確かに病気になっているはずです。医師がいつも11時から2時間は寝てくださいと言うのですが、私がそのように寝たことはあまりありません。自分の時間がそんなにできません。私がすることが多くて、とうていそのようにできないのです。そして私が通う時間がどれほど多いでしょうか。飛行機に乗りながら、どれほど多く乗るのでしょう。今、終えて真っ直ぐチョンヂュに飛んで行かなければなりません。すでに死んでいなければならないでしょう。ところで、神様が健康も答えられました。今日、皆さんに病気が治ることを希望します。今この時間に、皆さんの事業に聖霊が働かれるように願います。すべての祝福が上から降りてきます。すべての神様の答え、御座の祝福が上から降りてくるのです。天の軍隊が上から降りてきます。これだけすれば、ずっと答えを受けます。最高の献身礼拝となることを希望します。答えがくれば力が生まれます。答えがくればまた問題がきても目が開かれます。パウロが受けた祝福、初代教会の弟子が受けた祝福を味わうようになることを願います。

4.結論
▲ホームレスを見ればかわいそうな気がします。お金がなくて、ホームレスになって哀れですが、必ずその意味で哀れなのではありません。駅にいる失業者30人を呼んで、就職をさせてあげたのですが、3日後にみな逃げたということです。この頃、働き口がないと大騒ぎをしています。病院を開業した方に尋ねてみました。一番難しいのが何かと言うと、医師が私に働き手がないのが一番困難だと言いました。患者がないのでなく、働き手がないということです。特に看護士、補助看護士でもなければならないのに、少しだけ何か言えば行ってしまうということです。この間、釜山に行ったのですが、国際市場でも仕事をする方が一番難しいのが仕事をする人がいないことだと言います。来ないということです。働き口がないと言われるのですが、実際、仕事をする人々は働き手がなくててんてこ舞しています。本当に変なことです。ホームレスは、頭の中に何かが入って行ったのか仕事もしません。顔を洗うこともせずに、食べてばかりいます。哀れです。ところで。ホームレスよりもう少しかわいそうな人がいます。衣食住のためだけに、死ぬほど走る人です。それよりはホームレスのほうがましです。そのまま儲けないで食べなければ良いので、それがましです。変な話のように聞こえるかは知れませんが、世の中の本はそのようにしろと言うのですが、私はそのように考えません。何のために死ぬほど走るのでしょうか。理由が何でしょうか。それも知らずに走る人々を見れば、哀れです。何かしようと別のことをすべてするのです。哀れです。世の中では何でもがんばれと言うのですが、私はそのように教えたくありません。何をがんばるのでしょうか。することを正しくしなければならないのです。そうでなければ、私たちが何のためにみことばを受けるのでしょうか。無条件に熱心に生きるでしょう。
▲さらにかわいそうな人は、成功のために真理をのがした人々です。死ぬほど勉強をして、医者になれば、お金をどれくらい儲けるのでしょうか。一ケ月におよそ3百万円儲けるのでしょうか。それよりさらに儲ける人がいっぱいになりました。どれくらい儲けようと、真理も必要なくて死ぬほど儲けるのです。ある政治家は成功するために、もがくのに何も目に見えません。私が見る時はかわいそうな人です。私はまったく福音を伝えません。伝えてみても、聞く耳がありません。私は哀れに見えます。したい話一つしかありません。話してみたら、偽りで受け入れるから。健康を用心しなさいと。それほど怖い病気です。哀れです。その人々は、福音が絶対に必要ありません。お金ならば良いと思っています。本当にかわいそうな人です。
▲それより、さらにかわいそうな人がいます。教会に思い切り通いながら、答えを受けられない人です。この話をするためにホームレスから逆上ってきました。教会に通うのに答えを受けられないで、それで不満が一杯になっているのです。教会に通うのに、イエスを信じるのに答えを受けられないから、うらみがぎっしり埋まっています。むだなことを話すのに、論理的にあらゆる話をみなするのに、根深いところには答えがないのです。
▲ヨセフのように答えを受ければ、兄を見る瞬間、うらみが出るのではなく哀れになります。本当に答えを受けるダビデはサウルを見れば哀れでした。そこにうらみが出てくるのではありません。本当に答えを受ければ。それでパウロが牢獄で書いた最高のメッセージがあります。パウロが最高の苦難の中で最高の感謝をしました。その理由が祈りの答えです。
▲今日から簡単に握りましょう。神様が目に見えないように聖霊に私と事業に聖霊でともにいて働かれます。数ヶ月だけ定刻祈りをしてみてください。祈る時ごとにこの働きが起きます。最も重要なのは、問題がきた時です。このような時、すばらしい答えを捜し出せます。そして、普段の時に味わう神様の働きです。聖霊の驚くべき働きを記憶すれば、答えがくるしかありません。今日、この答えを必ず回復して、力を受けることを希望します。それで、世界を生かす献身礼拝になることを希望します。もしかして、病気になっている方は癒される力があることをイエスの御名でお祈りします。

(祈り)
神様に感謝いたします。今日、献身礼拝を与えられた神様に栄光を帰します。本当に答えを受ける力を与えて下さい。新しい目を開いて下さい。問題がある者に神様の新しい祝福を見る目を開いて下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)