2008年5月25日インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:イエス様を信じて救われたアブラハム
(ヨハネ8:56-59)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲自分を知らないということぐらい哀れなことはない。私が幼い時、神様、私がこのように生きなければなりませんか?という質問をしてみたことがある。その質問だけしたが変化が起きた。ある売春婦が私はなぜ売春婦で生きるべきなのか?私はなぜこうしているのか?こういう質問をしたが、米国で、世界を動かす宣教師になった。1分だけ考えてみなさい。私は誰か?神様はどなたですか?それだけ質問したが変化が起きた。
▲今日の本文を見ながら、本当に答えをどのように受けられるのだろうか?
1.問題が何かを分からなければならない。
▲問題が何かを知らなければ答えが出てこない。
(1)ユダヤ人がすべて持っていたが、霊的問題だけ知らなかった。
(2)ユダヤ人が知らなかったこと5つの錯覚があった
1)行いで救われると思っていた。
▲行いで救われるという時、それは嘘をつくことで、自らだまされるのだ。
2)メシヤはすばらしく来ると勘違いした。
▲聖書に預言されたことなのに、この錯覚が忘れてしまうようにさせたのだ。
3)信仰生活の基準に対して勘違いした。
4)その上に選民思想を持っていた。
5)ユダヤ人は、姿はとても敬けんだが力がない(Uテモテ3:5)
▲だから仕事も、教会も、事業も、何もだめだ。
2.解答(福音)が何かを分からなければならない。
(1)永遠の前から永遠の後までの呪いをなくした。
1)過去、現在、未来の問題までも解決してしまった。
2)大きい問題は大きい祝福が準備されているのだ。
(2)世々に渡って長い間、準備された選択だ。
▲これが救い、救いの価値で、感激するしかないのだ。
(3)永遠な答えだ。
▲福音の中に入ってきてしまえば、永遠の答えで3つの権威が現れる。罪、呪い、サタンの勢力をうち破った福音の権威が現れる。カルビンが、救われた神様の民はほろびない、勝つ暗やみの勢力はないと言った。究極的救い。
3.それなら神様の力はいつ現れるのか?
(1)悔い改める時-神様に立ち返ること
▲悔い改めの正確な意味は神様に戻ること(Turn away from sins)だ。恐れや律法ではない。私たちがいくら罪が多くても、神様が許してくだされば良い。神様が許すためにキリストを送られた。イスラエルが危機にあったが、はやく神様に、主に戻ればみな終わる。
(2)私の心の中に福音を満たせば良い。
▲皆さんと子どもの心に、険しい世の中に向かっていく私たちのレムナントの心の深いところに福音を...驚くべき答えがくる。
(3)人生の中で福音的決断を下して、福音的選択をする時
▲アブラハムが息子(イサク)を捧げろという神様の命令の前で神様が助けられるという信仰を持って決断と選択。息子がなぜ羊がないのかと尋ねた時、アブラハムが神様が準備されていると言った。この話をするのには10秒もかからない。ところで、永遠な答えが起き始めた。皆さん、瞬間、瞬間に困難にあう時、瞬間、瞬間に困る時、信仰を選択すれば100年の答えが起きる。
▲今日この答えを持って帰るように願う。皆さんに困難がくる時、福音で決断すれば、神様は大きい答えで満たして下さる(ダニエル、ダニエルの三人の友人、ソン・ヤンウォン牧師、キム・ジュンゴン牧師、チュ・キチョル牧師)
▲私にとても大きい困難がきた時、神様の前に決断を下した。私は神様だけを見上げます。神様が私の背景です! 一生福音だけ伝えます、伝道だけ教えます! ところで分かってみれば、その時、神様が一番祝福された。また、だめだという状況がきた時、その時、私が主を見上げた。私はただ主を見上げる。ただ福音だけ! 神様が私に機会くだされば、ただ福音だけを伝える! その決断を下したが、タラッパン20の戦略と共に夕立ちのような答えを与えられた。
▲私たちの教会、RUTCを置いて、私たちは主の前に決断を下さなければならない。ただ福音だけで..この民族と世界を生かすための決断を下せば、答えは神様がくださる。今日、この祝福が皆さんに永遠にあるようになることをイエスの御名で祈ります。皆さんの子孫がユダヤ人のようにならないことをイエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝申し上げます。小さい決断だが、大きい祝福の時間になるようにして下さい。今日、私たちが神様のみことばを聞いて、私たちの小さい決断が神様の大きい恵みの道になりますように。この席に重要な方々が座っています。神様の民が座っています。衛星で100ヶ所あまりで神様のみことばを聞いています。数千ヶ所でインターネットで神様のみことばを受けています。海外で神様のみことばを受けています。恵みの時間になりますように。私たちの小さい決断が神様の大きい栄光を現わすようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲恵み深い賛美をして下さって感謝します。そして、私たちの教会にこのように実力ある方々がいること知りませんでした。長老と勧士が賛美に参加するので、違うと思います。聖歌隊員に神様の大きい祝福があることを希望します。
▲ヨハネの福音書には、必ず知らなければならない特別な部分が多くあります。この前には、あなたがたの父である悪魔と言われ、また真理を知り、真理があなたがたを自由にしますという話をしました。今日は、イエス様が重要なメッセージをされました。アブラハムが私を信じて救われたと言われ、ユダヤ人が話にもならないことを言うと、あなたは何歳かと尋ねて、どのようにアブラハムがあなたを信じて救われるのかと、石を持って打とうとしたのです。
▲今日、イエスを信じて救われたアブラハムというタイトルでみことばを見ながら、神様の祝福を捜し出さなければなりません。昔に、釜山で警察の中で最も高い人を警視局長と言いました。この頃は警察庁長官と言います。庁長と言うのですが、以前には警視局長と言ったのですが、その方が長老でした。私がいた教会の長老でした。その方が長老として仕事をします。聖日に教会の外で信徒に挨拶して週報を渡すことをしていました。警察だが、聖日なので洋服を着て奉仕をしていたのです。私は伝道師なので、一緒に行ったり来たりしながらお手伝いをしていたら、ある男がきました。見る瞬間におかしな人だと感じられました。他の見方をすれば、ならず者のようで、気に食わないこともある人が来たのです。来て長老の所に行きました。私が今、頼みがあってきたといって、警察の長老に、お腹がすいているからお金をくれと言いました。それで、朝食が食べられなかったかと尋ねたら、食べることができなかったと言ったのですが、酒の臭いもしていたので、酒を飲む人がご飯は食べないで酒を飲んだかと尋ねました。すると、私たちの長老が五百円を出してので、ありがとうと言って行ったのです。その乞食が、警察の局長にありがとうと言って、ご飯をよく食べろと言いました。私は内心、笑ったのです。あのように乞食のような人が、警察庁の長官にお金をくれと言うとは。自分を知らないという、それほどに哀れなことはありません。ある宗教では、自分自身を捨てろと言うのですが、捨ててもどのようにするのでしょうか。
▲私は難しい時、神様、私がこのように生きなければならないのですかという質問しました。この質問しかしなかったのですが、変化が起きました。ある売春婦が、私がなぜ売春婦をしなければならないのか、私はなぜこうしているのか。このように質問したのですが、米国の世界を動かす伝道者になりました。トーレイ宣教師が宣教をして友人の家を行きました。礼拝をささげようといって家族が集まったのです。ところで、食事の仕度をしているおばさんが来ませんでした。一緒に礼拝をささげようと言ってもこないので、礼拝を終えてこういう話をしました。贈り物を一つ差し上げます。その女性が、おみやげをくれるというので見つめました。夜に寝る時、1分だけ考えてください。私は誰なのか。それがどうして贈り物なのでしょうか。しかし、その人は、私は誰かと考えたのです。私は家政婦で、私は誰か。離婚してた者、私は誰か。お金もない、私は誰か。背景もない、私は誰か。行く所もない。ますます人が変になりました。その時から涙が出てきたのです。目がはれるほどになりました。また、トーレイ伝道師がその家に行きました。友人が、どんなおみやげを渡したので、あの女が泣いているのか。直して行ってくれと話したので、宣教師がプレゼントするが、もう一つ多くあげましょう。神様はどなたですかと尋ねなさい。それだけしたが変化が起きたのです。
▲今日、私たちはイスラエル民族が、今、イエス様を石で打とうとして、非難をしていることがずっと出てくるのを見ています。イスラエルが主題と自分自身を知らずにいます。おわかりの通り、イスラエルがローマに属国になっていました。地面を打ちながら号泣しても足りないほどの人が、イエス様を非難したのです。いつも集まれば、正しい、違っていると話して、非難、暴力、殺人に、イエス様を殺そうと石まで持ったのです。だから、イスラエルの子孫が完全にほろびました。あってはならないのですが、私と皆さんの子孫が全部ほろびればどうなるのでしょうか。
▲今日の本文を見ながら、どのように答えを受けられるのでしょうか。本当に答えをどのように受けるのでしょうか。こういう決心して答えを受けることを希望します。私の話ではなく、神様の御声として聞くことを希望します。答えを受けることを望むのでしょうか。どのように答えを受けながら良く暮らすことを望むのでしょうか。これが本文によく出てきています。

1.問題が何かを分からなければなりません。
▲最初です。問題が何かを分からなければなりません。私たちが問題が何かわからなければ、答えが出てきません。皆さんが難しい時、何の問題なのか正確に分からなければなりません。もし問題が違えば、答えも違います。
(1)ユダヤ人がすべて持っていたのですが、霊的問題だけ知らなかったのです。
▲イスラエルがそれで、全てをすべて持っていてもほろびたのです。問題が何か分かれば、答えを受けることなのに、受けることができませんでした。
(2)ユダヤ人が知らなかった5つの錯覚があります。
▲ユダヤ人が知らなかった5つの錯覚なぜ知るべきなのでしょうか。私たちもそうなりやすいからです。ユダヤ人がとても賢い民族なのに、これを知りませんでした。勉強できる人に福音を説明しても分かりません。とても賢いのに、福音を分からなかったのです。イスラエル民族は、とても賢い民族です。それで5つのことを勘違いしたのです。
1)最初です。行いで救いを受ける。
▲律法で救われると思ったのです。良いことなのですが、本人には問題になります。行いを完ぺきにしても救われることはできません。原罪は解決できません。ところで、イスラエルの最初の錯覚が行いで救われると思っていて、イエス様が現れて信仰で救われると話したので、戦ったのです。そして、わたしを信じる信仰で救われると言われたので、腹が立ったのです。信仰それ自体も気分が悪いのに、わたしを信じるのか。この言葉に腹が立ったのです。あなたがたの父である悪魔、悪魔の子ども、信仰でだけ救われる。私たちが信仰で救われるのですが、重要なのを分からなければなりません。行いで救われるという時、それはまったくの嘘です。皆さんの間違ったことみな引き出せばどうなるのでしょうか。律法には目は目を、歯には歯をです。それでは、他人のことを盗めば、みな切らなければなりません。それがまったくの嘘なのです。信仰で救われるという言葉が分からなかったのです。ひょっとして、聞く人の中に行いも悪くないではないかと言うこともあるでしょう。突然に、メシヤという人が現れて、信仰で救われると言って、行いではなく、信仰のとおりになるようにと言いました。足のきかない者が歩くことができないのに、あなたの行いのとおりになるように。この話は殺すことです。信仰のとおりになるように。
▲生まれた時から目が見えなかったバルテマイに、あなたの行いのとおりになるように、と言うなら、一生、目を開かれないでしょうが、良くなりたいのか。わたしが癒そう。あなたの信仰のとおりなるように。理解をすることができなかったのです。どのように信仰で救われるのか。皆さんは信仰、福音でなければ、みな死にます。盗みを一度もしない人は手上げてくださいと言えば、誰も手を上げません。私は幼い時からひとの家に、近くの友だちと一緒に入って、無花果を取って食べました。私たちのものでもないのですが。それで、食べたりしました。食べて残ったことは壁にくっつけました。完全犯罪です。そして、食べなかったようにして行きました。律法のとおりすれば、歯をみななくさなければなりません。そして、手も、みな切らなければなりません。それで嘘を一番上手に言う人がユダヤ人です。なぜでしょうか。これをしなければならないので。
2)二番目で知らないのがキリスト、メシヤはすばらしく来ると言いました。それが錯覚です。
▲イエス様がメシヤで来られたのですが、すごい王の服を着て来ると勘違いしたのです。ダビデの子孫で来ると言われていたのに、突然に、大工の息子なので、違うと言ったのです。聖書に預言されているのに、錯覚をしたのです。
3)三番目、信仰生活の基準に対して勘違いしていました。
▲十分の一献金をしなさい、それではそのまますれば良いのに、ユダヤ人は正確にするために豆を数えました。それが正しいのでしょうか。十分の一献金をしなければならないから数えたのです。ところで、豆は大丈夫ですが、粟は問題です。粟。これは狂いそうになります。それで、粟は農作業で作りません。それを分けるのに時間がかかるので。こういう愚かな信仰生活をするのです。あなたたちの子孫には10分の9献金を出しなさいと教えなければなりません。メシヤという人がどのように取税人と一緒に通うのか。法を犯すのか。なぜらい病人の所に行くのか。魚を捕る人を弟子と言うのか。理解ができないのです。自分たちが無知なのに。霊が死ぬとは思えなかったのです。イエス様が安息日に、患者に床をあげて家に帰りなさいと言われたら、安息日に仕事させたと非難しました。律法を問い詰めればそうなります。
▲昔には聖日、お金を使ってはいけなかったのでした。教会にジーンズをはいて行ってはいけないと言われていたのですが、今は、みな着て通っています。ある女執事は、パーマしてひどい目にあいました。こういう何の真理でもないことで、こらしめたのです。どれくらいまでだったでしょうか。弟子が道を行くときに、小麦をもみだして食べたのですが、収穫したと言ったのでした。おかしいでしょう。これがイスラエルの信仰です。それで、ほろびるしかありません。何でもないことで、毎度、正しい、違うと話して、時間を送っています。
▲昔に、長老が教会に来て、腹が痛くて薬局に行って薬を買ったのですが、それを律法の勧士が見たのです。ところで背景は敵です。この方が聖日の夕方マイクを持って話をしました。律法がこのように怖いのです。長老が水曜日に、何でもないのに謝罪をしました。許してくれと、おもしろいが実際あったことです。その勧士が手術をするようになりました。2年後の聖日でした。おかしいでしょう。このようにユダヤ人が信仰生活をしたのです。
4)その上に選民思想も持っていました。いちいち殴られて死ぬことだけしたのです。私たちだけ選民だ。主なる神様はイスラエルの国の神だ。
5)こうして見たら、五番目の錯覚が出てきたのです。姿はとても敬けんですが、力がありません。Uテモテ3章5節に敬けんな姿はあるのに力はありません。信仰生活はうわべで上手にするのに、力がなくて、仕事と教会、そして社会、すべてがだめでした。力がなくて。それで難しかったのです。それがイスラエルです。
▲イスラエルは、まだ問題が何かわからないのです。ヨハネ8章56節に、あなたたちの先祖アブラハムがわたしを信じて救われた。霊的問題の解決者を信じて救われたと言いました。

2.解答(福音)が何か分からなければなりません。
▲二番目に解答が何か分からなければなりません。すなわち、福音が何か分からなければならないのです。あなたたちの先祖アブラハムが、わたしを信じて救われたという言葉には3つの意味があります。問題ではなく、3つの答えをここで見出さなければなりません。福音とはなんでしょうか。
(1)永遠の前から後までの呪いをなくしました。
▲これが答えです。良く暮らしながらもほろびる人がいます。永遠の前と後の呪いをなくしたのです。
1)皆さんの過去、現在、未来まで解決しました。ある学生が尋ねました。未来までなくせば、罪を犯してもかまわないのかと尋ねたのです。それは違う問題です。それは話になりません。正確に話せば、未来まで解決されたのです。地獄に行かなければならないことまで解決されました。これが福音です。
2)皆さんが大きい問題にあっているのでしょうか。それは大きい祝福が問題になるのです。まちがいなく、そうです。大きい問題の中に困難にあったら、福音の中で祝福です。話せない悩みがあるのでしょうか。話せない答えを福音の中で持てます。福音の中にあれば、全部、道になるのが福音です。気をおとしてはなりません。お父さんに毎日愛されてヨセフが暮らしていました。そうしていて良いでしょうか。苦難を与えたられたのです。それで大きい人物でエジプトに送りました。彼のお父さんヤコブもそうでした。おかゆを毎日、沸かしていました。ずっと回しながら、主よ、私に聖霊充満を与えて下さい。それでは、できません。それで、大きいことを見るために苦難を与えたように、全く同じです。初代教会にも苦難は大きい世界を見なさい。福音は全てを終わらせたのです。
▲最後に何と言われたのでしょうか。わたしがちょっと足らなかったので、あとは処理しなさいと言われたでしょうか。みな成し遂げたと言われました。これが福音です。
(2)あなたたちの先祖アブラハムが、わたしによって福音を受けたということは、創世前から準備された神様の選択ということです。
▲救われれば、感激します。そういうことが行われます。こういう答えにずっと感激するようになります。
(3)この話は、永遠の答え。福音の中で受けた答えは永遠の答えです。
▲そして3つの権威が現れます。罪とサタンと呪いの勢力をうち砕いた福音です。ジャン・カルヴァンという方が、聖書を読んでこのように話しました。五行で要約しました。そこに一番最後の五番目に、救われた神様の民に勝つ暗やみの勢力はなくて、ほろびない。それと共に、究極的救い、最後までみてください。そうなります。いくら難しくても、神様の子どもは最後には勝利します。いくら良く暮らしても、霊的問題に陥るしかないという答えを出しました。
▲福音とはこういうものです。それで、私たちは答えを確かに受けなければなりません。聖書66巻は、このように要約することができます。人間の問題の開始、解決、それが創世記です。これをのがして奴隷になって出てくるのが出エジプト記で、出てきて礼拝回復がレビ記です。神様の子どもとして、弟子の生活を送るのが民数記です。カナンの地に入るための準備が申命記です。カナンの地に入りました。ヨシュア、士師記、ルツ記です。王、祭司、預言者が起きても問題解決できず、メシヤを送る。それが列王記、歴代誌です。いよいよその方が来られました。マタイ、マルコ、ヨハネ、ところでその方を非難したのです。イエスを信じればどうなるのか。証拠。使徒の働きからペテロの手紙まで。これからどんなことが行われるのでしょうか。黙示録。答えがみな出てきました。

3.それなら神様の力がいつ現れるのでしょうか。
▲三番目です。神様の力がいつ現れるのでしょうか。イスラエル民族が生きる方法です。私たちは問題を知って、答えも分かりました。いつ現れるのか一つが残っているのです。私にはいつ現れるのかとても重要ですが、ここに三つの答えがあります。
(1)第一に、イスラエル民族がはやく悔い改めなければなりません。悔い改めとは、私の誤りだなというこれも悔い改めなのですが、それではありません。牢屋のなかで、私の誤りだな。それでは所長が、あなたは明日家に帰りなさい。そうならないでしょう。胸を打って後悔しても、解決できないのです。解決方法は一つです。戻らなければなりません。
▲悔い改めの正確な意味は、戻れという意味です。英語にも(Turn away from sins)罪から戻りなさい。とても重要な話が出てきます。神様どのようにするべきかと言うよりは、本当にありがとうございますと涙で帰るのです。ここで勘違いするのです。恐れと律法ではなく、神様に帰るのです。いや私がこのようにすれば人々がどのようにするだろうか。これは悔い改めではありません。それは悟りです。私が神様に帰る。この時から戻るのです。神様に帰れば、悔い改めになります。これは人の前でなく神様の前です。私たちのタラッパンのRUTCに、多くのみわざが起きています。もう、そちらに皆さんの子どもが外国に行かない程の学校を作るつもりです。それで国際学校申請に許可段階です。どの団体より良くできることもあります。米国の宣教師の子どもの中で、立派な人が多いのです。ある学校では経済危機です。人件費がたくさん必要だからです。私たちは人材に人件費は必要ありません。自分たちが来てします。私たちはいくらでも勝てるのです。ところで、通訳するのにソンアンがして、私とそのまますぐにする通訳です。米国でエステル牧師夫人が子どもが生まれるのですが、未信者の前で通訳したら驚かれたということです。そのような人材がいっぱいになりました。
▲多くの祝福とものすごい祝福が起きることを感謝します。私たちのタラッパン家族と私にこの時、何をするべきでしょうか。神様の前に立ちましょう。この時より一層、神様の前に立ちましょう。この祈りを継続するので、おかしな変化が起きました。色々な所が変わったのです。さらにすごいのは、とても安らかになったのです。私が神様により一層近く悔い改めて戻るのです。
▲悔いても仕方ないのです。出ていった放蕩息子は、お父さんに戻らなければなりません。ところで戻ってみようとしたら、答えが出てくるのです。皆さんが本当に神様に行く時、答えが出てきます。どんな答えなのでしょうか。赦されなければなりません。それで神様がキリストを送られたのです。祝福をしようとすれば、障害物があったので、キリストを送って障害物をなくされたのです。これが解決されなければならないのです。
▲昔、梨花女子大を出たおばあさんがおられました。私の家のお隣りに。統一教に通う重要な幹部でした。死ぬ時になりました。私がその方に会ったのです。とても賢いのです。私が話では言いませんでしたが、牧師先生、罪があれば天国に行けないのかと尋ねました。行けない。私は罪をたくさん犯したが、どのようにすれば良いだろうかと尋ねたので、行けないと言いました。今、息が絶える瞬間、真剣に話しました。ところで、驚くべき話をしたのです。神様が許してくだされば良いのに。そうです、神様が許そうとキリストを送られたのです。その後、失敗をしたということです。その話をして祈れば良いのに、文鮮明ではないと話をしました。この話をしたら、人が変わったのです。そして、イエスを受け入れようと言ったら、次にしようと言いました。神様の計画があったのでしょうが、亡くなりました。
▲私たちは本当に、私たちの問題が解決策がキリストです。戻れば良いのです。ダビデが罪を犯して、難しいことにあいました。神様の前に。神様がダビデにより大きい祝福を与えられました。神様に戻って、近くに行けば、多くの答えが出てきます。それで皆さんの産業と家庭に、すべての問題が解決される祝福があることを希望します。この話はイスラエル民族が危機の中で、キリストの前に戻れば良いのに、それができなかったのです。
(2)二番目です。私たちの心の中に福音を植えなければなりません。
▲やさしいのです。私たちの心の中に福音を植えなければなりません。エリートである皆さんの心に福音が。海外に出て行かなければならない皆さんの心に福音が、世の中の私たちのレムナントに福音が、驚くことが起きます。
(3)最後の三番目、どのようにしなければならないのでしょうか。私たちの人生の中に決断を下せば、神様が祝福されます。
▲神様が決断すれば、ものすごく祝福されます。また、選択します。TVで瞬間の選択が10年を左右すると言いました。冷蔵庫の宣伝なのですが、宣伝が上手です。皆さんが、瞬間、瞬間、選択しなければならないことがありますが、それを信仰ですれば、大きい答えが出てきます。神様が、アブラハム、あなたの息子を捧げなさい。アブラハムが信仰で息子を連れて行きました。息子が尋ねたのです。なぜ羊がないのですか。簡単な話です。あなたを捧げろと言われたと、正しい言葉といえば息子が逃げることので、神様が準備されると答えました。この話をするのに10秒もかからなかったのに、永遠な答えが与えられました。瞬間、瞬間の事を信仰で選択する時、100年の答えが起きます。
▲今日、この祝福を持って行くことを希望します。駐車場でけんかしないで、答えを見上げてください。人は車に乗れば変わります。なんだ、目がついていないのかと言います。なぜでしょうか。車に乗れば、心理が変わるのです。私たちが車に乗って行けば、あいつあれ..車に乗れば変になります。駐車管理する時、車がきます。駐車管理者は大変です。ところで、中にいる人は生意気に見えるのです。これを注意しましょう。車中から見れば変に見えるのです。また変です。駐車管理は向こうへ行って下さいと言えば、だめに見えるのです。駐車のためにけんかをよくします。そうするうちに1人死んだこともありました。このように、人が瞬間、瞬間、感情が変わるのです。
▲皆さんが困難がくる時、福音の決断を下せば、神様は大きい答えで満たして下さいます。それで、聖書には決断を下す時ごとにみわざが起きました。
▲ソン・ヤンウォン牧師は、息子を殺した人を息子としました。多分、そのために神様が私たちの韓国を宣教国家に変えられたのかも知れません。
▲最も困難にあった時、キム・ジュンゴン博士が、私に言われたのですが、自分の故郷が全羅道(チョルラド)のどこだが授業を終えて休みの時、故郷に行ったということです。その当時、社会主義の人が降りてきて、教会に通っていると、自分の両親を目の前で殴って殺したのでした。皆さんはどうなのでしょうか。皆さんの目の前で棒で殺されたのです。北朝鮮で越えてきた人はほとんどいずに、村の人々がその方がその話をしながら涙を流しました。銃で撃ったのでもなくて殴ったのです。そして死んだと思って、捨ててキム・ジュンゴン博士を殴ったということです。死んだと思って捨てたのですが、生きていたということです。その時、決断を下したということです。教育、青少年、大学。怖いな。私が大学宣教をすべきだと言われたのですが、韓国大学を生かしました。
▲私たちは難しい時も決断を下せば神様が働かれます。ものすごい祝福を神様がくださいます。聖霊があなたがたの上に臨めば力を受けて、地のはてまで証人になります。
▲あなたは火の中に入るか。偶像を崇拝するか。決断を下したのです。主が救い出して下さいます。たとえそうでなくても、お辞儀はできないというこの決断が、イスラエルを生かしました。
▲チュ・キチョル牧師を迎えて、神社参拝は聖書的だと話せ、そうでなければ殺すと言った時、こういう考えで説教したということです。人は2度死なない。2度死ぬならば、このようにもして、あのようにもするが、一度死ぬだけだ。どのように嘘をつくのか。そして、一死覚悟という話があります。多分、その方の信仰が韓国教会を生かしたのです。
▲皆さんの小さい決断が皆さんを生かします。出来なければ、また決断を下すのです。皆さんが福音で決断を下せば、大きい答えをくださいます。ダニエルが死ぬと分かっても、一日に3回ずつ簡単だが驚くべき働き起きました。
▲私に最も難しい時がありました。最も難しいのが経済でした。いくら信仰でも、経済が難しければ難しかったのです。だれが何と言っても、お金がなくて、行くところがなくて、私たちの息子、娘をどのように育てるのか心配しました。教会に行って献身して謝礼をもらう時、感謝してではなく、あれを受けなければ私たちの子どもを育てられない。教会が難しい時、決断を下したのです。私は神様だけ見上げて、神様が私の背景です。一生、福音だけ伝えて、伝道を教えるという決断を下したのでした。その時、神様が私に最も祝福を与えられました。そして、私が高慢で、大きい問題が起きました。とても困難が大きくきたのです。私が見ても、他の人が見ても、だめだという状況になりました。とても難しければ涙も出てきません。その時、主だけをながめなければなりません。ただ福音。機会が与えられたら、ただ福音だけを伝えます。この決断を下した時、タラッパンの20の戦略と夕立ちのように祝福を与えられました。主の前に、何の単語ではないようでもすべてです。ただ福音で答えは神様がくださいます。神様がくださいます。
▲私たちの教会、RUTCを置いて、私たちは主の前に決断を下さなければなりません。ただ福音で...この民族と世界を生かすための決断を下せば、答えは神様がくださいます。今日、この祝福が皆さんに永遠にあるようになることをイエスの御名でお祈りします。皆さんの子孫がユダヤ人のようにならないことをイエスの御名でお祈りします。今日、この祝福が永遠にあることを祝福して、皆さんの子どもが、ユダヤ人のようにならないことを望みます。

(祈り)
神様に感謝します。小さい決断ですが、大きい祝福の時間になるようにして下さい。今日、私たちが神様のみことばを聞いて私たちの小さい決断が、神様の大きい恵みの道になりますように。この席に重要な方々が座りました。神様の民が座りました。衛星で100ヶ所あまりで神様のみことばを聞いています。数千ヶ所でインターネットで神様のみことばを受けています。海外で神様のみことばを受けています。恵みの時間になりますように。私たちの小さい決断が神様の大きい栄光を現わすようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:出会いは祝福と呪いの通路
(使徒13:1-12)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日のタイトル-出会いは祝福にもなって、呪いの通路になったりもする。私が見るには出会いがすべてだ。誰に会うかにしたがって、伝道も知るようになって、多くのことを知るようになる。
▲本当に祝福された出会いがどんなものなのかを理解しなければならない。
1.真の伝道者との出会い
▲皆さんが信仰生活する中で一番重要なことは、真の伝道者に会うことだ。
(1)使徒13:1節に、パウロとバルナバ(教役者)
(2)またそこに一般信徒の伝道者が出てくる。
▲皆さんと子どもが実力ある人、福音がある人、成功した人、伝道運動する人に会うことが最も大きい祝福だ。そして、こういう伝道者を助けるのが最高の祝福だ。
(3)使徒13:2,4,皆さんが真の伝道者に会うようになれば、聖霊の導きを受けるようになる。
▲聖霊の導きを受ければどうなるのか?祝福の中の最高の祝福になる。
▲これが皆さんが献身礼拝をささげて、これから信仰生活に最初となる。
2.真の伝道対象者との出会い
▲その次に真の伝道対象者に会う、その瞬間が最も祝福を受ける時間だ。
(1)その時天国にパーティが行われると言われている。その時、霊的なパーティが行われて、暗やみが破壊される時間だ。永遠なみわざが起きる。永遠に呪いの中にいなければならない人を救い出す作業が、最高の作業になるのだ。
(2)聖霊が行く道まで祝福される(使徒13:4)
(3)総督を伝道してしまった。重要な成功した地位にいる人が福音を悟ってしまえば重要なことが行われる。
3.暗やみの勢力を崩す出会い
(1)6-7節に悪霊につかれた者が出てくる。この人を癒してしまうことが途方もない祝福になるのだ。
(2)この時に神様がパウロに聖霊充満を与えられた(9節)
(3)この時に10-11節に権威が現れた。
▲皆さんが行く所ごとに暗やみの勢力が崩れるようになっている。
4.結論-私たちがすること3つ
▲これが(前の1-2番)私の思いのままにできるのか?どのようにしますか?それで皆さんに神様が目に見えない重要な祝福、使徒13:1-4節に出てきた。この祝福を受けようと断食までした。
(1)聖霊内住(感謝)-皆さんがイエス信じる瞬間、聖霊が皆さんの中にいらっしゃるといった。これが事実ならば、今から何をすべきなのか?感謝!
(2)聖霊の導き-これが信仰生活。信仰生活は神様と共に導きを受けるのだ。
(3)聖霊充満-もう私たちは挑戦して勝利しなければならない。それで聖霊充満を受けなさい。私たちはある日、限界が来るから聖霊充満を受けなさい。
▲この言葉に合わせたことを聖霊の働き!
▲皆さん事業に聖霊のみわざが起きることを祈ります。皆さんの家庭に最高の祝福である聖霊の働きが起きることをイエスの御名で祝福します。皆さん歩いていく道に、こういう出会いの祝福があることを希望して、皆さん子孫にも現れるように願います。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲神様に栄光を帰します。聖歌隊に神様の大きい祝福があることを希望します。
▲今日の主題、出会いは祝福にもなって呪いになる通路となります。ある方が私に相談をしにきました。相談の内容が難しいのではないのですが、悩みをよくした相談です。自分の願いが自分の家族が信仰生活を良くすることだということです。子どもも信仰生活を良くして、家族がみな良くしているそうでした。夫が信仰生活をよくできないようです。祈って、夫に信仰が入ったのです。ある日、夫が言うのに、合宿に行かなければならないということです。合宿まで行くということは時間も作らなければならないから、信仰ができたと見られます。ところで、教会におかしな人がいて、その人に会えば、夫の信仰が落ちるということです。やっと祈ったのに、おかしな話しを聞いて信仰が落ちたのです。その人が一ヶ所だけそんなことでなく、歩き回りながら、信徒の信仰を落とすということでした。相談内容がそのような人を静かに置いておいても良いのですかということでした。私が見るのに、苦しくてきたという気がしました。
▲私が見るには、出会いがすべてです。誰に会うかによって、伝道も知るようになって、誰に会うかにより多くのことを知るようになります。今日の献身礼拝の時、皆さんがこれを必ず記憶しなければなりません。
▲私たちの隣の家のおじさんはどこかへ行って死にました。突然死んで、家に死体で帰ってきたのです。葬式をしたのですが、なぜ死んだのかと尋ねました。正常に仕事をしに行った人が死んだのでした。港の方に行くときに、魚を入れる箱が飛んできて死んだということでした。メンタイをたくさん入れてあった箱を、ある人が盗み出そうと外に投げたのですが、それに当たって死んだのでした。問題はだれが死ぬかわからないのです。私が間違って、魚の箱を投げたことに当たって死んだという人はいません。私が見るので、そういうことも、本当に呪いだと見る訳にはいかないのですが、祝福を受けなければならないのです。どのように、そんなことが起きることができるのでしょうか。
▲一度は衝撃的なことが起きました。私たちの教会の高等部の会長が突然死んだのです。確かに聖日に礼拝を捧げたのですが、月曜日に死にました。それも道でです。死んだのを見たら、ごみ箱に捨てあったのです。皆さんが聞けばニュースですが、知っている人が聞けば衝撃です。どうしてそうなったのでしょうか。そのまま死んだのでなく、からだが燃やされていました。理解できるでしょうか。家でだれがそうだったかわかりました。糸口を捜し出したのです。そのお母さんが言うのに、教会に行って月曜日に試験があるから、友人の家に行って勉強すると言ったそうです。それですぐ親しい友人を捜し出したのでした。最も親しい友人が殺したのです。どれくらい衝撃的なことでしょうか。法廷に行ったのですが、おかしな話をしました。自分は殺さなかったということです。自分は犬が入ってきたので、犬を殺したと言ったのです。自分のそばに犬が横になっていたので、殺したと言いました。結局、その子は精神病院に行くようになりました。知ったところ、殺した子はムダン(霊媒師)の息子でした。何のためにその家に行ったのか分からないのですが、そんなことが起きたのです。
▲私たちは呪われた出会いという部分がたくさん起きています。初めて娘の家に行ってデパートに行ったのですが、そのデパートが崩れて死んだ。こうしたことが多くあります。今日の午後に眠くなるかもしれませんが、本当に祝福された出会いが何か理解しなければなりません。

1.真の伝道者との出会い
▲今日の本文によれば一般信徒か教役者か間に真の伝道者に会うのです。これほどの祝福はありません。多くの人が教えるのに、がんばれと教えます。最善を尽くせと教えるのです。それは常識的な話です。熱心に最善を尽くすのは常識的な話です。もし違ったのを最善を尽くせば大変なことになります。もし違ったことをがんばれば、通常の問題がくるのではありません。皆さんが信仰生活する中で一番重要なことが出会いです。
(1)今日、使徒13:1に指導者パウロとバルナバが出てきました。
(2)また一般信徒が共に出てきます。教役者と一般信徒の伝道者です。皆さんがこの部分は本当に祈られなければなりません。皆さんの行く道に一般信徒の中で本物に会わなければならないのです。
▲最もやさしい話をしてみます。皆さんの子どもが両親を離れて外国に留学に行ったとしましょう。実力ある人、福音がある人、成功した人、伝道運動を正しくする人に会えば最も大きい祝福です。ところで、この部分がとても重要です。私はある日こういう気がしました。宣教師がほとんど伝道しません。ほとんどしないのです。ところで本当にする人を助けたら、神様が最も喜ばれるでしょう。それ探すのが鍵です。牧師先生が、ほとんど伝道しません。ところで本当にする人がいます。それなら、それより大きい祝福はありません。教会がほとんど福音を伝えません。ところで本当に伝える教会があります。それがすべてです。それほど大きい祝福はありません。
▲ソウル大学は良い大学ですが、ソウル大学のなかで教えることではありません。ハーバード大学は良い大学ですが、ハーバード大学で教えるのではありません。私が見るのに奇跡の中の奇跡です。考えてみてください。皆さんが例えば、泥棒を助けたと考えてみてください。それではどうなるでしょうか。皆さんは泥棒ではないのですが泥棒です。ある面で、泥棒よりさらに確実な泥棒です。泥棒の確実な後援者であるためです。今からお金を熱心に儲けて殺人者を助けたら、ものすごく大変です。ところで、皆さんが本当に伝道者を手助けしたら、本当に伝道者になるのです。それでイエス様がなさったみことばが、預言者の名前で預言者を助ける者は預言者の報いを受けると言われました。預言者ではないのにということです。弟子の名前で弟子を助ける者は弟子の報いを受けます。ある日、私がそれを悟ったのです。皆さんがよく聞かなければなりません。本当に教会や、行く所ごとに経済の祝福を受ける、受けられないをここで見つけました。
▲私は昔にいくらしてもいつも貧しくて、本来、貧しくなければならないと思っていました。そんなにできない方でもないのに、だめだったのです。ある日、このポイントで変わりました。私はいきなりがんばるのを見れば心配になります。とても重要です。一般信徒献身礼拝をささげる皆さんが、祝福を受けることを希望します。
(3)どれくらい貴重だったのか、彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が...と言われています。4節にはふたりは聖霊に遣わされて...
▲皆さんが真の伝道者に会えば、聖霊の導きを受けるようになります。聖霊の導きを受ければどうなるのでしょうか。祝福の中の最高の祝福になります。
▲これが献身礼拝をささげて信仰生活する最初です。これは大統領もできないことです。真の伝道者に会って、真の役割は誰もがするのではありません。

2.真の伝道対象者との出会い
▲二番目です。今日の本文を見ましょう。真の祝福を受けるのは、どうでしょうか。真の祝福を受ける出会いは、真の伝道者との出会いなのですが、その次は何でしょうか。皆さんが今日も献金して、これから献金することのですが、どこに基準をおくべきでしょうか。真の伝道対象者に会う瞬間が最も祝福される時間です。
(1)聖書に見ると、その時、天国にパーティが行われます。その時、霊的パーティが行われて、暗やみが破壊される時間です。
▲それを見てください。お腹が空いた人に、ご飯を一盃暖かく与えれば、どれくらい感謝するでしょうか。ところで、これと比較できるでしょうか。永遠なみわざが起きるのに、これと比較できるのでしょうか。
▲一度は中央アジアに行きました。今は分かりませんが、その時は後進国でした。どの程度かというと、私たちを見て気分が悪ければ来いと言って、カバンを開いて調べないでお金を触っているくらいでした。本当にこの人たちは、どうしようもなかったのです。入ってくる時、印鑑を押します。私たちが押すのではなく、その人々がおすのですが、その人々が力がなかったのか、かすかに押したのです。出てくる時、かすかにおしたと通過をさせてくれません。その時私がロシア語を学ぶべきだったのに、習っていなかったので、返事ができなかったのです。これはあなた方がかすかに押したのだと話さなければならないのに、話をすることができなかったのです。だから宣教師がきて、この人がしたことでなく、あなた方が押したことなのに、通過させなければどのようにするのかと言ったところ、何か答えました。結局、宣教師がきて、100ドルだけあれば良いと言ったのです。本当に性格的には一勝負したかったのですが、そのまま100ドルを渡しました。それがまだ中央アジアです。前に一度この説教をしたところ、牧師先生が中央アジアの悪口を言うから、宣教集会するのに人々が来ないと言われました。なおさらたくさん行かなければなりません。
▲一度は韓国の学生が入って引っかかりました。その子はお金がなかったのです。私が知らない学生でした。100ドルだけ与えれば通過させてくれると言ったのですが、この子はお金がなかったのです。全く知らないのに、私が100ドルを出しました。通過して出たので、有難いと言いながら、電話番号を書いてくれたら返すと言いました。私がそのまま良いよと言ったのです。それでも返すと言ったのですが、私が大丈夫だと言いました。私を見たら、本当に大丈夫だというようだから有難いと言いました。カバンを持って行きながら、別れるところで私を3度も見つめました。
▲私たちが救われたことが、一万円分にしかならないのでしょうか。悪魔のおもちゃのようになって、使徒13:8を見れば悪魔が信じられないようにしようと努めると言われています。皆さんがこの対象者ならば、どうでしょうか。滅びることに努めると言われています。普通の問題ではありません。その人を救い出すことが最も幸いなことなのです。皆さんがこのことに献身礼拝だけささげても、神様は働かれます。
▲私が知っている青年は、電話ボックスである男がガム一個与えたのですが、それでほれて結婚しました。また公衆電話でコインを貸したので感動して、結婚したのでしょうが、もちろん離婚しました。私たちが救われて伝道することが、そのような価値しかないのでしょうか。それと比較にならないのです。神様がこのことをどれくらい喜ばれるのでしょうか。最高に喜ばれます。
▲私も本当に不思議です。光州(クァンジュ)で明日集会しようと寝て食事しに降りて行きました。食事をするのに、お客さんが私しかいません。祈って食べるのに、仕事をしていた人が外で仕事をして携帯電話が鳴ったので出て行って受けたのです。泣きながら話をしました。私がご飯を食べながらあらまし聞いてみたら、自分の子どもから電話がきたようでした。明日、登録の締め切りなのに今日、お金がないのでした。いくらかがあったが、いくらか足りないという話でした。私がその話を聞きながら、うちの母を思ったのです。全く知らない人なのに、私が子どもの登録金のために、そうなのかと尋ねました。仕事中なのに、申し訳ないと言いました。私がどれくらい足りないのか尋ねたところ、およそ12万円ほどが足りないと言いました。生まれて初めて会ったのに、私があげようと言いました。驚いたのです。幸いなのは、その方が女なのに、ものすごくぶさいくでした。少しの間、話したのに負担に思いました。皆さんは笑うでしょうが、男はとてもぶさいくな女を嫌います。その女がある程度、きれいだったら誤解するでしょうが、そのような誤解は全くしないようにでした。他の人が見るなら、変に見られても、幼い時うちの母がたくさん苦労したので、みな出してみたら12万円ほどあったので、あるお金が12万円くらいだが、ここにあると言って渡しました。このおばさんが初めは震えました。ひょっとして誤解するかと思って話をしました。私は牧師であるが、私が幼い時とても苦労して育って、あなたが苦労するのを見たら、イエスを信じて信仰生活を良くして欲しいと言いました。その時、初めてこの方が心を開いて、笑いながら、自分も教会に通って止めたが、また行くと話しました。パッと笑うのに、笑っても醜かったのです。あったものをすべて上げて、歩いてホテルに帰ってきたのですが、気分が悪くなかったし大変でもありませんでした。自分の考えですが、私に対して感謝する気がしたでしょう。その方が牧師だったのね、と思いながら感謝すると考えたでしょう。そうでなければ、それのために信仰を回復したかも分かりません。
▲ところで、永遠に呪いの中から救い出す、この作業が最高の作業になるのです。事業する方たちが、伝道しに通うことができないから、本当に伝道する人を選んで手助けすれば同じ祝福がきます。
(2)今日使徒13:4に見ると、聖霊に遣わされて、船に乗って...というこの話は、行く道までみな祝福されるという言葉です。
▲4節に見ると、船に乗って行ったという話が出ます。通うことまで祝福になりました。
(3)特に総督を伝道しました。
▲人は差別があります。人はみな同等だと話しますが、それは人格的に同等だという言葉であって、どのように職員と会長が同じなのでしょうか。同じだと思いますか。皆さんの子どもが四人ならば、みな全く同じです。しかし、親は成功した子どもに関心が多くて、成功できない子どもは心配になります。お金を任せても成功する子どもに任せます。同じであるはずがありません。総督ならば違います。この人が福音を受けたのです。どんなことが行われたのでしょうか。重要な成功した地位にある人が福音を悟れば、その時からすばらしいことが行われるのです。このことが最も重要なことになります。

3.暗やみの勢力をうち破る出会い
▲三番目です。いよいよ人々が知らないことが行われました。そのままだと思ったところ、魔術師が出てきました。暗やみの勢力をうち破る、この出会いがすばらしい祝福になるのです。
(1)6,7節に見ると、悪霊につかれた者が出てきました。実際に悪霊がいます。この人を直してしまう、このことがものすごい祝福である事になります。皆さんのレベルが高いと思って尋ねることがあります。教会によく通うのにほろびる人はなぜほろびるのでしょうか。教会に通う人が答え受けるべきで、なぜほろびるのでしょうか。これを知らなければ大変なことになります。福音が正確でないのに、教会に熱心に通うのは偶像崇拝をがんばるのと同じです。悪霊の前に行って祝福を求めてお辞儀をすればどうなるのでしょうか。私の事業がうまくいくようにしてくれと祈ります。それでは結果的に呪いをくだしてくれとお願いするようです。この言葉がわかるでしょうか。ある日、問題がきます。それで、福音を持った皆さんがいる職場、家、現場に行けば、暗やみの勢力は崩れるようになっています。どれくらい大きい祝福でしょうか。今日、聖書に現れた現場です。
(2)この時、神様がパウロに聖霊充満を与えられました(9節)。
(3)このことがどれくらい重要だったのか、今日の聖書の10,11節に権威が現れるようになりました。信じるように願います。
▲今日、皆さんに権威を現わされました。誤解してはいけません。熱心にではなく、事実通り信じれば良いのです。私は信徒が勘違いするのを見ます。私は信仰がないためだと言います。そのような話をしてはいけないのです。なぜ信仰がないのでしょうか。信仰なしで、どのように座っているのでしょうか。謙虚にしようと信仰がなかったためだと言うのかもしれませんが、皆さんが行く所ごとに暗やみ勢力は崩れるようになります。信じるように願います。ある人は、私が教会に熱心に行けなかったためだと言うのですが、何をがんばるのでしょうか。米国に行って、ある教会の中の按手執事に会ったのですが、私が熱心にできなかったためだと言ったのですが、何をがんばろうとするのかと尋ねました。福音を伝えようと何度か尋ねました。何をがんばるのでしょうか。返事ができませんでした。何をがんばるのでしょうか。礼拝を一度も書かさず、水曜礼拝、朝の祈りをしに行くのですか。事業する方がすべての礼拝にみな参加して、朝の祈りにみな出席をするのでしょうか。そうではないでしょう。学生が勉強もせず、朝の祈り参加すれば、がんばることなのでしょうか。事業する人が事業を真っすぐせずに、祈りっていたら神様が嫌われます。話しが通じません。何をがんばるのですか。イエスを信じるのかと尋ねました。イエスは信じると答えました。それでは、神様の子どもで、イエスはキリスト、あなたは神様の子ども、受け入れた人々、すなわち、その名を信じる人々には神様の子どもになる特権を与えられた...信じるように願います。皆さん1人のゆえに、皆さんの家族すべて、すべての所に光が照らされて、暗やみが砕かれるようになっています。これほどの祝福はありません。その礼拝をささげています。

4.結論
私たちがすること3つ
▲話しを結びます。思い通りになるのでしょうか。真の伝道者に会いたいのですが、それが思い通りになるのでしょうか。真の伝道対象者に会いたいのですが、思い通りになるのでしょうか。これまでは祝福を持っているのですが、思い通りになるのでしょうか。ここで問題がくるのです。こういう祝福を受ければ良いのに、どのようにするのでしょうか。韓国に国会議長もした牧師先生がいます。その方は司法試験もパスして、国会議員もしました。何の事なのか、その方が牧師になったのです。とても賢い方です。ところで、教会はだめなのです。世の中ことが合うが、何かなりません。それで、皆さんに神様が重要な、目に見えない重要な祝福を今日、使徒13:1に出てきた、この祝福を受けようと断食までしたのです。必ず記憶しなければなりません。
(1)聖霊内住-聖霊は皆さんと共におられます。体験できないのが正常です。聖霊は霊であるから、体験できません。皆さんがイエスを信じる瞬間、聖書に約束されたのは、聖霊があなたがたの中にいらっしゃると言われました。これが事実ならば、今から感謝しなければなりません。
(2)聖霊の導き-こういう祝福を受けようとするなら、二番目に聖霊が導かれるので、導きを受けたのを信仰生活と言います。信仰生活は神様と共に導きを受けることです。
(3)聖霊充満-三番目に、私たちは挑戦しなければなりません。何かに勝利しなければなりません。それで、聖霊充満を受けなさいと言われました。私たちはある日、限界が来る場合があるので、聖霊充満を受けなさいと言われたのです。
▲この言葉を合わせたのが聖霊の働きです。皆さんの事業に聖霊の働きが起きることをイエスの御名で祈ります。皆さんの家庭に最高の祝福である聖霊のみわざが起きることをイエスの御名でお祈りします。皆さん人生に、歩いて出るところに、このような方々に会うようになることを望みます。これより大きい祝福はありません。今回の一週間、献身礼拝をささげながら、こういう祝福が皆さんの子孫にも現れることを祝福します。
(祈り)
神様に感謝します。私たちの人生を行く道に真実で意味ある人生になるようにして下さい。神様が与えられる真の力を得る時間になるようにして下さい。今日、最高の献身礼拝になりますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)