2008年6月15日  インマヌエル教会聖日礼拝メッセージ


1部:あなたが信じるなら、神の栄光を見る
(ヨハネ11:33-44)

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲イエス様が、あなたが信じるなら、神様の栄光を見る!と言われた。聖書は常識の線以外に、常識以上がある。私たちが常識の線、常識以下、常識以上を区分できなければだめだ。常識以上のことを常識で、常識以下で解決しようとするのが大きい問題だ。
(1)イスラエルの地形条件が神様の恵みを受ければ、全部世界に向かった道になるが、恵みを受けられなければ、全部、攻撃の通路となる。
(2)これが理解できないから、3度も大きい災いがきて、エジプト、アッシリヤ、バビロンに奴隷で、捕虜で捕えられて、ローマに属国になった。
(3)こらから、さらに怖い災いが残っていた。
▲この時にイエス様が来られた。イエス様が来られたことは常識的なことを理解しなさいと送られたのでなく、とても重要なことを理解しなさいと送られたのだ。最も愛するラザロが死んだ現場で、イエス様がなさったみことばが、あなたが信じるなら、神様の栄光を見る!
1.今日私たちは何を信じてこそ生きるのか?
(1)神様のみことばを信じれば生きる
1)みことばの力-私たちが行く世の中の歩みには、事実上、ものすごいことが待っている。それで、神様のみことばを信じなさい。
2)証拠-神様のみことばは、一つも欠けることなく、成就して、成し遂げられる。神様のみことばを信じなさい。
(2)そして、神様がメシヤを送ると約束された。
▲これを信じないのは根源的犯罪、契約的犯罪だ。
1)創世記3:15女の子孫、出エジプト3:18血の契約、イザヤ7:14処女の妊娠、インマヌエル。常識的な水準では悟れない。
2)みことばを信じなさい。みことばの核がキリストを送る。
(3)キリストをすべての問題解決者として送った。
▲本当に嘘をつかずに、自分自身を振り返ってみなさい..すべての問題解決者、キリスト! これが聖書66巻だ。あなたが信じるなら神様の栄光を見る。
2.何を見るべきか?
▲あなたが信じるなら神様の栄光を見る! 見ることができるだけ信仰生活になる。
(1)聖書の人々は立派な人でも、偉大な人格でもない。
▲ヨセフ、アブラハム、モーセ、この人たちは神様の栄光を見たのだ。
(2)その栄光とは何か?
▲創世記1:3創造の光、イザヤ60:1-2、その光があなたの上に臨んでいる。人間の根本の解決できない問題を解決するために、みことばをくださってキリストを送られた。それなら、キリストはすべての問題解決者だ。この事実を信じれば、神様の栄光を見る。キリストに対するこの告白に対する栄光、インマヌエルに対する栄光を見るようになる。復活されたキリストが、皆さんが行く所ごとに霊的問題を解決すると言われた。それが使徒1:1、皆さんが行く前に神様の国、地の果てまで証人になる。信じれば、それを見るようになる。今日この祝福を回復するようになることを望む。
(3)この栄光はなくなるのではなく、永遠に起きる答えだ。
▲あなたが信じれば神様の栄光を見る! 私の困難を主に任せます! キリスト、すべての問題の解決者です! その時、あなたは栄光を見る!
3.どのように信じるべきか?
(1)奉仕の信仰が必要だが、重要なのではない。
(2)宗教的に熱心に信じて教理的に信じるというが、こういう信仰に働きが起きたことはない。
(3)イエス様の質問-今、生かされるか?
▲イエス様が尋ねたことは教理的な信仰でも、奉仕の信仰でもない。何の質問なのか? 今、わたしが話せば生かされるのか? それを尋ねられた。後ほど復活して再臨する時でなく、今、生きることができるのかと尋ねたのだ。皆さんの未来は皆さんの手にはない。今、信じなければならない。今、契約を握る今の信仰を言う。これから福音はどんなことが起きるのだろうか? 信じなければならない。
4.結論-それで常識以上のことを見る必要がある。
(1)絶望がきた時-皆さんがそれまで持っていた常識的信仰、常識以下の信仰では、無条件に負けて奴隷になる。
(2)死がきた時、大きい危機がきた時-常識的信仰を持っては死ぬ。
(3)私の人生価値がみななくなったと考えられる時-皆さんの常識と私の常識では解決できない。
それ以上を見なければならない。なぜ神様がこの時私を呼ばれて、救われて、私を伝道者として呼ばれたのか? あなたが信じれば神様の栄光を見る。
▲皆さんに今日とても重要な祝福の日になることを希望する。あなたが信じれば神様の栄光を見る!
(あいさつ)あなたは神様の栄光を見るようになります!
(祈り)神様に感謝します。今日、イエス様の貴重なみことばが私たちに生きて働くみことばになるようにして下さい。よく信じられないのではなくて、よく信じる道と信じる契約を与えて下さい。主の栄光を見るようにして下さい。今、神様の祝福を受ける契約を握る時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲イエスが、信じればわたしの栄光を見る! とおっしゃられました。どんな気がしますか。あなたが信じれば神様の栄光を見る。
▲私たちが幼い時、このような話で冗談をよく言いました。二人の愛している男女が話をしています。女がする言葉が、今日は月が明るいと話をしました。それでは男が何と言うべきでしょうか。多分、私たちのための月だと言わなければなりません。男が言うのに、十五夜だからだと、心より話をしました。対話にならないのです。電車が山をはやく走ると言われたら、私たちも汽車に乗って旅行をしたいと言うべきなのに、下り坂だからそうだろうと言いました。
▲あなたが信じれば栄光を見ると言われたのですが、どのように理解できるのでしょうか。私たちの韓国の映画監督の中にイ・チャンドンという方がおられます。多分、私が理解することでは盧武鉉大統領と親しい方だと思います。勉強もたくさんした人だと知られています。色々な面で、私より賢い方だと理解しています。その方が密陽(ミルヤン)という映画を作りました。私が密陽(ミルヤン)で生まれたので、その映画を見たのですが、良かったのですが、私はこの映画を見ながら気持ちが良くありませんでした。
▲人が生きていくのに常識があるのに、常識以上や、以下で理解して考えれば理解できません。今、それ言うのではありません。皆さんが信仰生活をしながら、最も重要な部分が何でしょうか。仏教を見れば、善行をしなさい。欲を捨てなさい。どれくらい常識的でしょうか。それでは教会では何と言うのでしょうか。あなたが信じれば救われる。話にならないけれど理解すべきです。パリサイ人がこれを理解できなかったのです。信じれば救われるとは。あなたが行動を真っすぐすべきで、信仰で救いを受けるとは...
▲聖書には常識以上のことです。この監督が映画内容は良いが、映画をキリスト教の最も理想的であることを以下のことと一緒に連結させたのでした。わざわざ。例をあげるなら、私たちが困難にあった時、神様がなさるのだ。レベルが高いのです。神様の計画があるでしょう。これは常識以上の話です。これを女の子どもが死んで右往左往する時、その時、これを連結させたのです。ものすごく罪を犯して、重荷を負った者に、神様があなたの罪を許したということを、相手の被害を受けた人に、私は神様に許されたと連結させたのです。そして、神様のみことばを信じろということを嘘だと連結させました。本当に重要な方が、そのようにすれば、聖書の最も以上のことを、常識の以下のことと連結させたのです。私が思うのには、わざわざ...その団体がこのように映画を作ったようです。この団体は教会迫害をよくしました。
▲私がその話をするのではありません。イエス様がこのおっしゃられたことは、すばらしい話です。私たちがこういう部分を理解してこそ、信仰生活ができ、また対話ができるのです。常識の線と常識以下と以上を区分できなければだめです。
(1)イスラエルの地形条件-不思議です。神様がイスラエル民族に、わたしがあなたを大きい民族を成し、すべての国々を生かすと言われたのですが、行ってみると韓国の土地よりさらに小さいのです。イスラエルの土地は、山が70%です。泉を掘ろうとすると、油が出てきます。常識の線で見れば、理解できません。上にはアッシリヤ、バビロンが待っています。東方には一時、世界を征服したアラビヤがありました。そして、左側には今でも攻撃するペリシテがいます。その下には、エジプトという国がありました。イスラエルをずっと攻撃してきたのです。常識の線を持てば理解できません。
▲皆さんは信仰生活をどのようにしているのでしょうか。いったい神様は全てのものを答えられるのに、それが何でしょうか。
(2)それを悟ることができなくて、エジプトに奴隷で、アッシリヤに、バビロンに捕えられ、3回の呪いを受けたのです。
(3)問題はより大きい問題があります。笑ってご飯食べる時でなく、ローマの属国になっています。より大きい問題は、イスラエルの民族と子孫は全世界に散らされ、殴られて死んで、殺害される運命がありました。
▲この時、イエス様が来られたのです。神様がイエス様を送られたことは、常識を理解しなさいということでなく、とても重要なことを理解しなさいと送られたのです。これがイスラエルの話と考えたら錯覚です。
▲イスラエルが強大国で囲まれているように、私たちの周囲には暗やみの勢力が強大国のように囲まれています。イスラエル民族が神様の祝福を受ければ、強大国は道になります。イスラエル民族が神様の恵みを受けられなければ、強大国は攻撃してくる怖い人になるのです。全く同じです。私はレムナントに常に話をします。あなた自身が生きれば、米国も全世界も畑になる。そうでなければ最も危険なのが外国留学だ。外国出て行くレムナントにそのように話をします。私たちの周囲に目を開いて見れば、どれほど多くの問題があるでしょうか。
▲さらに重要なのは皆さんの未来です。私の未来、神様がいなくてもかまわないという自信はあるのでしょうか。神様なくて事業をする自信があるのでしょうか。箴言27章に、明日の事は誰も知らないと言われています。占えば良いでしょうか。悪霊が適当に知らせて、決定的な時にだますのです。
▲どのようにしなければならないのでしょうか。その時、イエス様が何とおっしゃったのでしょうか。この現場は、最も愛するラザロ、マルタ、マリヤの家族がいるのに、ラザロが死んだのです。この時、イエス様がなさったみことばです。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る君が信じれば神様の栄光を見るだろう」

1.今日私たちは何を信じてこそ生かされるのでしょうか
▲今日、私たちは何を信じれば生かされるのでしょうか。それで、最も重要なみことばをくださったのです。私たちが何を信じてこそ生かされるのでしょうか。
(1)神様のみことばを信じなければなりません。イスラエル民族が数回、話しても信じることができませんでした。私たちは神様のみことばを信じてこそ生かされます。それでは、私たちは、ご飯はどのように食べるのでしょうか。ご飯は右手でも、左手で食べてもかまいません。こういうもののために神様のみことばを信じろと言われたのではありません。皆さん行く道には、事実上ものすごいことがあります。それで、神様のみことばを信じなければならないのです。その信仰を言うのです。
(2)神様のみことばは一つも残らず成就して、これから残っているものも成るでしょう。
▲皆さんが不信仰する時、どのようになるのでしょうか。皆さんは不信仰になります。ところで、それを言うのではありません。今日、ひょっとしてこのようなことがおきればどのようにするでしょうか。問題が生ずればどのようにするでしょう。これは今、これを言うのではありません。根源的な不信仰です。それで神様がアブラハムに神様があなたの子孫によって。この話は、普通の話ではありません。あなたの子孫によって、国々が祝福される。アブラハムが、どのように不信仰したのでしょうか。根源的な不信仰をしました。その言葉を信じないで、息子を他の所で産んだのですが、それがイスラエルを困らせるイシュマエルの子孫です。
▲皆さん、私たちは嘘をつかないでしょうか。つかない人は手をあげてみてください。私たちはうまく、うそをつきます。私もまたつきます。ちょっと足りないと思う人には、よくうそをつきます。道を通り過ぎるときに、ご飯を食べましたかと尋ねれば、腹がぐうぐう鳴っていても、食べましたと話をます。私が集会をしに行くときは、お腹を空かせて行く場合が多いのです。食事をしてくださいと言われたら、とてもたくさん食べて、食べることができないと言います。口を開けば、嘘をついています。それでは、あなたは罰を受けると言われるのでしょうか。これは、その話ではありません。イスラエル民族と私たちが、あまりに知らない根源的な嘘です。
▲何と言われているのでしょうか。神様のみことばを信じなさい。人がどれくらい愚かなのか、悪霊の話を聞きます。神様のみことばを聞きなさい。ある人は詐欺師の話を聞きます。献金はしなくて、男女が結婚するのも重要ですが、それを悪霊に尋ねるのです。神様のみことばを信じなさい。
(2)そして、神様がメシヤを送られると言われたのではないでしょうか。その方が、まさに来られました。イエス様が、それがわたしだと言われて、ひっくり返されたのです。
▲聖書の約束、そのまましたのに信じませんでした。飼い葉桶の中で生まれると言われたのに、信じなかったのです。イスラエルは根源的な不信仰と契約的な犯罪をしました。ある方がタラッパンでは罪を強調しないと話すのですが、そうではありません。あなたの根源的な罪から悔い改めなさい。その罪は監獄に行くほどの罪ではありません。イスラエルは全く罪を犯さず、失敗もせず、善行をするのに一番優れていたのに、根源的な罪を犯したのです。あなたの問題を解決するためにキリスト送ると言われたのに、信じませんでした。信じなさいと言われたのです。
▲創世記3章の問題を解決するためにサタンの頭を踏み砕かれました。私と皆さんが悪魔の奴隷であるしかはないのに、そこで血の契約で解放されました。処女が男の子を産みます。彼がメシヤなのにインマヌエル祝福を味わうだろう。これを信じなさいと言われました。それは常識的に信じてはいけないのです。血を塗ったのに、解放されるのか、話にならないと言います。私はある時は、たくさん学んだ人のゆえに、力が抜けます。呪いの中に陥っていながらも、子どもが呪いの中にいても、とうてい悟ることができないのです。常識的なことだけで、常識的なことは教会にこないで、ハーバードだけ行けば良いでしょう。これはそのような問題でなく、イスラエル民族が全部、呪われるのか、そうでないのかということです。
▲みことばの核であるキリストを送った、この話です。弟子もそのようにみことばたくさん聞いたマリヤ、マルタの兄が死んだのです。イエス様がきても、落胆して大騷ぎをしていた時、何を信じろと言われたのでしょうか。この人が生き返るのは、その次のことです。
(3)キリストをすべての問題の解決者で送られたということを信じなさいということです。これを信じなければ、罪の中の罪です。
▲マタイ、マルコ、ルカの話が、みな、その話です。信じないのです。神様を最もよく信じて、敬けんだとするパリサイ人が信じないで、最も善で模範的で表彰状を受けるほどのイスラエルがこれを信じなかったのです。これを信じればみわざが起きます。
▲本当に嘘をつかずに自分自身を見てみましょう。キリスト、すべての問題の解決者。これを信じなさい。これが聖書の66巻の教訓なのに、これを信じることができなくて、立派な人がこれを理解できないのです。信じれば栄光を見る。神様の栄光を見る。
▲最初に、何を信じるべきなのでしょうか。2番目は、何を見なければならないのでしょうか。

2.何を見るべきでしょうか
▲あなたが信じれば神様の栄光を見る。見る分、信仰生活ができます。これが見えれば、見解が変わります。
(1)聖書の神様の人々が賢いのではありません
▲ヨセフが立派な人格だと思いません。いつも兄の前で自分を自慢して殴られて、口を閉じれば良いのに、いつも話して、そのようなヨセフが見たことがありました。神様の栄光と力を見たので、この困難も勝つことができたのです。あなたが信じれば神様の栄光を見る。そのおじいさんアブラハム。信仰が良かったのでしょうか。人格が良かったのでしょうか。アブラハムの人格がすごいとは思いません。行く時に怖くなって、ならず者がくれば、奥さんを妻ではなく妹だと頭を回しました。私がいくら足りないとしても、そのような事はしません。愛する人と歩いていて、怖くなって逃げて、そのようにしないのに、アブラハムはそのようにしました。
▲ところで、何を信じたのでしょうか。神様の栄光を見たのです。私はモーセの信仰が良いと思いません。モーセがホレブ山で神様の栄光を見ました。皆さんもそうなります。信じれば神様の栄光を見る。常識的な神様のみことばではなく、それ以上の神様のみことばを信じましょう。あなたの本当に問題を勝ち抜いた、その方を信じましょう。いや牧師先生が知らないから、そう言うのであって、私たちの家庭と子どもが。神様はなさることができます。信じましょう。そうすれば、神様の栄光を見ます。
▲ダニエルがどうして獅子の穴に入ったのでしょうか。どうして、三人の青年が火の中に入ったのでしょうか。どうして初代教会がいのちを捧げたのでしょうか。勇気ではなく、見たことがあったためです。
(2)神様の栄光です。創世記1章3節です。キリストが光として来られたのを見ました。イザヤ60章、主の栄光があなたの上に臨んだのです。恐れずに行きなさい。信じなさい。あの映画を作った、その方のように信じれば1500年を信じてもだめです。パリサイ人のように信じれば10000年信じても、分からないのです。人間の根本問題を解決するために、みことばとキリストをくださったので、キリストはすべての問題の解決者なのです。そして、栄光を見るでしょう。キリストに対する告白と栄光を見るでしょう。この栄光を見るようになります。あなたは生ける神の御子キリストです。その時、祝福をされたのですが、その栄光を見るようになります。復活されたキリストが、行く所ごとに霊的問題を解決されました。それが使徒の働き1章1節です。皆さんが地の果てまで勝利することができるように、聖霊で働かれるという、それを信じれば見るようになります。すごいのです。
▲今日、皆さんがこの祝福を見るようになることを望みます。
(3)この栄光はなくなることではなく、永遠なのです。ステパノが説教を一度と死んだのですが、永遠でした。皆さんが困難の中にその信仰を持って信じる神様のみことばは永遠です。それで答えが得られることを希望します。
▲何を信じるのでしょうか。何を見るべきでしょうか。私がとても難しいのですが、何と話されるのでしょうか。2秒あれば良いのです。主に任せれば良いのです。その時、あなたは栄光を見るでしょう。イエス様が直接おっしゃられました。この栄光を見て信じれば、どのようにすべきでしょうか。

3.どのように信じるべきでしょうか。
▲その3番目がもう少し重要です。マリヤとマルタの兄ラザロは死体になっていました。イエス様があなたの兄はよみがえるのかと言われました。ところでそのマリヤとマルタは、イエス様の頭に香油を注いだほどの重要な人です。イエス様がおっしゃられた時、いつもみことばをよく聞いたマリヤでした。
(1)奉仕の信仰です。必要なのですが、重要なのではありません。この信仰を言うのではありません。奉仕をよくして、熱心に信じなければならないのですが、その話ではありません。イエス様が尋ねられました。あなたの兄はよみがえるか。あなたが奉仕よくしたので、熱心に信じたので、助ける。あなたが熱心に信じれば生きるだろうか。できる、この話ではありません。イエス様が質問されたのは、これではありません。
(2)あなたの兄弟は生きますか。はい、復活する日、よみがえるでしょう。これを教理的な信仰と言います。イエス様はこれを言われたのではありません。私たちは信仰生活をそのようにします。がんばれば良いと思って、神学までして、教理を良くします。それではないのです。そのような信仰で働きが起きたことはありません。教理的な信仰ではないのです。あなたの奉仕を総合して尋ねられたのではありません。イエス様が、あなたがわたしと親しいからと助けられるのでしょうか。あなたが熱心に祈れば生きる。この質問ではありません。
(3)今、わたしが言えば、生きるのか。後ほどの再臨でなく、今、生きるのか。それを尋ねられたのです。
▲未来は、皆さんの手にないので、今、信じなければなりません。わたしが今、話せば、ラザロは生きるのか。健康に皆さんが座っていることは感謝なことです。今、信じなければなりません。ラザロよ、出てきなさい。皆さんが墓に行って言っても出て来ません。墓でなぜ、ラザロよ、出て来なさいとおっしゃったのでしょうか。簡単です。出てこいと言われたら、全部、他の死体も出てくるからです。ラザロよ、出てきなさい。冗談ではなく、重要なのです。イエス様が皆さん1人1人を祝福されれば防止できません。だからラザロが生き返りました。あなたが信じれば神様の栄光を見ると話さなかったのか。証拠がないでしょうか。
▲本当に今日、信仰を回復することを希望します。栄光を見るようになる。私たち幼い時、このようなことがありました。雨が降らなくて、祈りましょうと言ったのです。牧師と長老は、そのまま上がったのですが、幼稚園生1人が傘を持って上がりました。だから、長老が雨も降らないのに、なぜ傘を持ってきたかと尋ねたのです。この子が私たちが祈っておりてくる時は雨が降れば、傘を差すべきだと話をしたということです。いっそその信仰が良いでしょう。私たちは本当に神様の重要なことを知らないのです。昔、共産党員がイエス信じる人たくさん殺しました。神様を信じるという理由で教会の中に入ってきて殺したのです。その数がものすごく多いのです。それで、昔にイエス様の写真をつけたのを投げて、銃を持ってきて打ったのでした。礼拝をささげていたのに、共産党が攻撃してきました。空の銃でも持ってくれば怖いのです。ところで、本当に銃を取って共産党が攻めて来たのです。イエス様の写真を焼いて、投げ捨てて、銃を取って、牧師から出てこいといって銃を当てて、生きようとするならイエス様の顔に唾を吐いて出て行けと言いました。牧師がつばを吐いたでしょうか。しました。死ぬまいと、長老も上がってきてつばを吐けと言えば、みな吐いたのです。もちろん、写真につばを吐くのは何の関係がないのですが、象徴的な意味が大きいのです。さらに笑わせることは、90歳になったおばあさんもつばを吐きました。私なら計算して、どうせ死ぬならと一発殴ったでしょう。90歳になった人がどれくらい生きようとしたのか、おかしい話です。共産党がそのようにしたのです。すべてのクリスチャンが嘘つきだねと言ったのですが、小さい子どもが出てきて、つばを吐くことができないと言ったのです。それも信仰なのか、分別がないことなのかは分かりませんが、信じられなければなりません。
▲私が初期の時、12坪で始めた時、世界福音化されると思いました。皆さんを見る時、心が一つになったのです。このようになるとは思いませんでした。釜山の2700ヶ所地教会、今、信じられるのでしょうか。どのように起きたのでしょうか。信じなければなりません。この福音を皆さんに与えられたので、信じれば栄光を見る。

4.結論-常識以上のことを見る必要があります。
▲それで、私たちが常識の以上のことを考えてみる必要があります。この頃、ろうそく追悼集会で心を痛めました。今はあのようにする時ではないのに、色々な国をといろいろ話し合う時なのに、無条件に反対して押し通す時ではないのです。私はそのように考えて、それ以上のことを考えました。これも神様がこういうものを経て、韓国を発展させたりもなさるのです。私たちの国民と私たちの指導者を成熟させる神様の方法ではないかと、そのように、以上の考えました。
(1)もし皆さん絶望がきた時、今までの常識的な信仰では、無条件負けて奴隷になります。
(2)死がきたとします。私たちに大きい危機がきた。常識的な信仰では死にます。それ以上のことを考えなければなりません。その信仰を言うのです。あなたが信じれば神様の栄光を見る。
(3)私の人生の価値がないと考えられる時、皆さんと私の常識ではできません。それ以上でなければなりません。なぜ神様がこの時、私を呼ばれて、救いを与えられて、私を伝道者として呼ばれたのでしょうか。この時、あなたが信じれば神様の栄光を見る。
▲今日、とても重要な祝福の日になることを望みます。あなたが信じれば神様の栄光を見る。今日、この祝福がすべて、メッセージ聞くインターネットと衛星に同じようになると信じます。そばの人を祝福しましょう。あなたは神様の栄光を見るでしょう。
(祈り)
神様に感謝します。今日、イエス様の貴重なみことばが私たちに生きて動くみことばになるようにして下さい。よく信じられないのではなくて、正しく信じる契約を与えてください。主の栄光を見るようにして下さい。今、神様の祝福を受ける契約を握る時間になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:自分を発見する出会い
(マタイ4:18-22)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲今日、自分を発見する出会い! 今日は献身礼拝であるが、献身の中の献身が自分を発見することが重要だ。今日、皆さんの開始がとても重要だ。どのように始めなければならないのか?どこで自分を発見しなければならないのか?これになれば、働きが起きる(ピリピ4:13、この中で自分を発見しなければならない)
▲イエス様が、わたしについて来なさい! わたしがあなたがたを人を捕る漁師にしてあげよう。これが献身だ。
▲イエス様が、わたしについて来なさいと言われたのには、大きいこと3つがある。
1.この時代の中で自分を発見するのだ。
(1)イスラエルが最も暗い時代(ローマの属国)に会った。これから呪いがおりる、最も暗い時代に会った。
(2)ですから、この暗い時代にキリストが約束のとおり来られた。
(3)ここで呼ばれた自分を発見しなさい。最も暗い時代にキリストが来られたが、その方が私を呼ばれた。
2.真の教会の中で自分を発見
▲今キリストが来られて、真の教会をお作りになるのだ。そして、この中で私を呼ばれたのだ。
(1)使徒1:1,3,8-使徒1:1,結論(イエスはキリスト)が出た人々が集い。使徒1:3、世界福音化の方法(神様の国)を知っている人々の集い、使徒1:8結果(地の果てまで証人)を知っている人々の集い。この中にいる私!
(2)使徒2章-この人たちが集まったが、使徒2章にマルコのタラッパンで世界を征服する5つの力が現れた。この中にいる私、この中にいる私!
(3)使徒11:19-30、これから世界宣教の門が開かれたが、その中にいる主役だ。
(4)ローマ16:1-27,こういう祝福の中にいる皆さん個人だ。
3.現場の中にある私を発見
(1)衣食住-前には衣食住、私が何を着て、何を食べて生きるか? この話ではなく、わたしについて来なさい!衣食住から抜け出たことを言う。
(2)創世記12:1-9、あなたは、あなたの故郷、父の家を出ろ。食べて生きる心配するところから離れろ。わたしがあなたに示す地に行け。それで、わたしについて来なさい!
(3)出エジプト3:1-20、あなたが今、そこで羊を飼っている時ではない。わたしの民を連れて出て行きなさい。ここから(衣食住)脱出しろ!
(4)Iサムエル6:1-13、羊を飼っていたダビデに、あなたをイスラエルの王に、それで今日からわたしがあなたの羊飼いだ!これが開始だ。それでダビデがいつも使った話が主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
(5)I列王19:1-20,エリシャ、衣食住の中にいる私を発見して、キリストが用いられるように呼ばれたのだ。
4.結論
▲20-21節に彼らがすなわち網を捨ててイエスに従った。祈りの答えを受ける重要な方法。明日でもない。今日、今! それで終わりだ。残りは神様がなさる。
▲どのようにこの祝福を味わえるのか?
(1)ビジョン-タラッパン(力)、チームの働き、ミッションホーム、専門の働き、地教会
(2)合宿訓練-これは100年の答えを操り上げるのだ。
(3)システム-皆さんが現場に地教会一つを作ってしまえば、核心、神学院を作ってしまえばおよそ1世紀の答えが付いてくる。
(4)未来-今は私たちがなぜRUTCを作るのか? 未来を置いて作るのに、神様が一時代を操り上げられる。
▲この答えをいつ受けるのか? 今日、今日の中のいつ? 今! 皆さんが契約を握る時、神様が印鑑をおされる。どれくらい簡単なのか? それで、信仰で救われて、信仰で答えられるということだ。
▲今日この祝福がすべての家族にあふれ出ることをイエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。最高の献身礼拝となるようにして下さい。私を発見する礼拝となるようにして下さい。キリストにあって私を発見するようにさせて下さい。そのなかで私を持続する真の答えを味わう開始になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲今日、自分を発見する出会い! ある学生が私が学生指導する時、見ていたら、一日に聖書を約200ページずつ読んだのです。私が呼んで忠告しました。聖書をとてもたくさん読めば神様が嫌われると。少しだけ読んで、勉強をほどほどにしろと言いました。その時、この学生が私に尋ねたのです。伝道師先生は、聖書を一日に何ページずつ読むかと尋ねました。その時、私が伝道師だから、この学生が尋ねるほどでした。私は一日何節以上は読めないと言ったところ、驚きながら、なぜそのように少なく読むのかと言いました。何節だけ読むのにも、とても恵みなるから、たくさん勧めないのです。事業する方々、長老が、いかにも物悲しく夜に祈って、夜明けに祈れば、神様が嫌われます。仕事を良くしなければならないのです。それが何の話でしょうか。皆さんが礼拝だけよくささげても成功するのです。皆さんが礼拝の時、すべての告白をみなできます。礼拝の時、すべての祝福をみな受けられるのです。礼拝の時、すべての問題を神様の前に出せます。私は皆さんが賛美する時、祈りを一番よくします。聖歌隊のために祈るのもありますが、それより私が神様の前に多くの祈りをするのです。私は皆さんが賛美する時、祈りをよくします。賛美をするのに、神様のその切実な心、それを祈ります。ある面で、私たちが賛美して恵まれれば、神様の前に手をあげて祈ることもできるのです。礼拝をささげる時間に、主の使いを先に送られます。みことばを握る時間に、聖霊が働かれます。その後には、必ず神様のみわざが起きるようになっています。
▲今日献身礼拝なのですが、献身の中の献身が、自分を発見することが重要です。この時から重要なことが始まります。
(1)ある医師の方が告白しました。高校の時、勉強が良くできたので、医科大学に入ったということです。医科大学に入る瞬間から、我を忘れて勉強をしたのです。それで、医師試験に合格して、苦労が終わると思ったのですが、その時から本格的な苦労が始まったそうです。医者になれば、すぐに出て行くと思ったのですが、またインターンがありました。私がインターンがすることが何かと、インターンする人に尋ねたのですが、3つだということです。最初に、患者がくればはやくドアをあけなければなりません。二つ目、患者を急いで移送しなければなりません。三つ目、邪魔になってはならないのです。私の話ではなく、医師が話したのです。その話は、インターンが何かを私に最もよく理解させたのです。そうしたら、訓練を受ける時間がありません。信仰が少しあったのですが、それまでなくなったのでした。
(2)また、私がこの前に司法研修院に行きました。司法研修院の裁判官になる人々が、私と食事をしながら話しました。4時間以上寝れば、無条件に脱落です。それでは、よく分からないのですが、ここにおられる皆さんはほとんど脱落でしょう。4時間以上寝なければならない体質は、無条件に脱落だと思われます。司法高試(司法試験)に合格して、司法研修院にきたのです。4時間以上寝れば、ついて行けません。それで、この方が言う言葉が、信仰生活をすることができないということでした。一理あると思います。
(3)ある事業家は、私に告白しました。牧師先生、信徒も知りません。家族も知りません。月曜日からこちらに埋めて、あちらに埋めて走るべきなのに、本当に気が動転するそうです。お金にどれくらい追われるのか、一ケ月がどうやって行くのか分からない...そのように告白して、ある時は、職員に月給を与えるべきなのにそれが負担になって、どこかに逃げたら良いと思うそうです。事業する人がした話です。もちろん、その人の話ですが、私はとても同感しました。そうだろうという気がしました。
(4)また、ある大学生が私に話しました。本当に勉強をしようとすると、教会にみな参加して、訓練をみな受けてするのが不可能だということです。勉強をちょっと正しくしようとしたら、信仰が落ちて、後ほどには訓練がとても遅れて、どこへ行くのか区分できなくなるということです。みな一理ある話だと私は思っています。
▲今日、皆さんの開始がとても重要です。どのように始まらなければならないのでしょうか。どこで私を発見すべきでしょうか。これになれば、働きが起きます。いくらもがいてもだめだったのですが、ホレブ山でモーセが神様の力を発見するようになりました。その以前には、どんな場合でもだめだったのですが、ここから自分を発見するようになったのです。私を発見するのが重要です。これはソクラテスもした話です。
▲ピリピ4:13節が重要です。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。ここで私を発見しなければなりません。この祝福がここに、献身礼拝をささげる皆さんにあるようになるように願います。
▲どのように発見するのでしょうか。もちろん神様の恵みですが、私たちは今日、これを契約で握らなければなりません。その後にはモーセが力が良いことでなく、発見をしたのです。例を1人もっと上げるなら、ダビデです。どんな場合も揺れませんでした。ダビデは3つの特徴があります。どんなことがきても、恐ろしくなかったのです。死がきたのに恐れませんでした。これが重要です。皆さんは問題が来なかったのに、心配するのではないでしょうか。ダビデは問題がきたのに心配しませんでした。皆さんは問題が来る可能性がないことまで心配するでしょう。ダビデは全く恐れませんでした。どうするからでしょうか。自分を発見したからです。神様にあって。この祝福があることを希望します。錯覚したら分からないのですが、本物ならば働きが起きます。
▲1人さらに例をあげてみます。パウロです。いくら聖霊充満を受けても、パウロに行くなとエルサレムに行けば捕まえられると言ったのに、神秘主義も伝道が悟れなければ特別なことができません。神秘主義者がパウロに、パウロが捕えられる幻を見たので行かないでと言いました。それで神秘主義はある面であまり用がないと言うのです。パウロはわざわざでも行かなければならないのです。パウロが拘束されることを幻で見た人がいたのですが、皆さんならば、インスピレーションがすごいと言うでしょうが、私は霊的に鈍いと思います。パウロは捕えられに行ったのです。捕えられて法廷に立ちました。フェスト総督の前でパウロが説明したら、あなたには罪がないから家に返そうと言われました。パウロは、そうではなく、私はローマ皇帝の前に告訴すると言ったのです。行く時、暴風に会ったりもします。その時、神様がパウロ、恐れてはならない。あなたはカイザルの前に立たなければならないのではないか。
▲その特徴が何でしょうか。これを発見したのです。これが献身に最も重要なのです。今日、発見する週になるように願います。これを発見すればとてもうれしいのです。神様のなかで私を発見すること。違ったところで発見してはいけません。キリストにあって私を発見しなければなりません。神様の大きなみわざの前で私を発見するのです。もし、レムナントがそうすれば、無条件に成功します。レムナント7人がそうでした。レムナント7人の最初の特徴が、神様の前で自分を発見したのです。ヨセフが神様の前で世界のビジョンを確かに見ました。だから問題がきても答えになるのです。年をとっていると言いますか。モーセは80歳の時、自分を発見しました。この時からツエを持って出て行けば、そこでみわざが起きました。レムナントの中で福音の中で自分を確かに発見したら無条件に成功します。この祝福があるようになることをイエスの御名で祈ります。パウロは、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのですと告白しました。
▲私は二十何歳の時まで、ずっとさ迷ったていたのですが、ある日、発見したのです。私がどれだけ足りないのかよく知っている人も多いのですが、しかし、私は発見したのです。神様のものすごい働きのなかで伝道運動が何かを発見しました。その時からだれも奪っていけないみわざが始まったのです。これは本物です。皆さんもそうなります。皆さんが私がなぜこうするがというと分かりませんが、本当に発見できれば揺れません。答えがこの時から始まります。
▲イエス様が、わたしについて来なさい! どれくらい素晴らしい言葉でしょうか。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」これが最初です。ここで私を発見したので、わたしについて来なさい。行って力をつけて来なさい、こう言われたら難しいのですが、わたしについて来なさい。わたしがしてあげる。あなたを人間をとる漁師に。あなたはわたしについて来なさい。なったのです。これが献身です。今日、皆さんが本当に答えがあるようになることをイエスの御名で祈ります。
▲イエス様が、わたしについて来なさいと言われたのは、大きいこと3つがあります。

1.この時代の中で私を発見するのです。
▲最初に、この時代の中で私を発見するのです。これはいくら否認しようとしても、事実であるから発見しなければなりません。
(1)イスラエルが最も暗い時代に会っていました。これを見られないではいけません。イスラエルがローマの属国になって、これから呪いがくだされる最も暗い時代に会っていたのです。
(2)この暗い時代に、キリストが約束のとおり来られたのです。
(3)ここで呼ばれた私を発見したのです。すごいのです。飢え死んでも良いでしょう。殴られて死んでも良いのです。
▲最も暗い時代にキリストが来られたのですが、その方が私を呼ばれました。政治家たちはわかることもできない話です。ここに(暗い時代)陥って死んでいくから、わかることもできない話なのです。最も暗い時代に政治家も死んで、経済人も死んで、みな死ぬ時代になったのですが、神様がキリストを送られたのです。このことに皆さんを呼ばれたのです。そうでしょうか。そうでなくても、そうなのです。皆さんがみな違うと言ってもそうなのです。これは知っている人だけ答えを受けるのです。
▲私が一番嫌う人が、教会に通いながら、教会が何、こう言う人です。イエスを信じるのが何で、あのようなのかという話しは、未信者がする言葉です。イエスを信じるということは、ものすごい祝福を受けたのです。どこかへ行って、長老がどうするのかと話さないように。最高の祝福を受ける人々です。
▲一度、私が副牧師だった時です。聖日になれば教会に通いながら、おかしなことをする人がいました。教会礼拝堂に入って、お金を出せと言うのです。どのようにきたかと聞くと、お腹がすいていたからきたと言いました。なぜお腹がすいているかといえばお金がないということでした。お金がない人が、そんなに酒のにおいがするかと言ったら、酒はおごってもらって飲んだと言いました。ところで、その人がそのように言って、そのような形で聖日に教会にきて乱暴を働くのでした。私が出て行けと言いました。私が副教役者なので、そういうことをお手伝いをしていたのです。礼拝をよくささげられるように、出て行きなさいと言いました。いくら図体が良い人も、腰の後から腰のベルトをつかめば力がありません。夫が酒を飲んできて心配をかけたら腰の後をつかんで引っぱってください。私がそこを捕まえて出て行こうと言いました。だから、この人が乱暴を働こうとしたのです。私が教会の執事がいるところにはできないから、外に出て行って出て行きなさいこのように言いました。だから、この人が信徒なのに悪い言葉を言ってよいのかと言ったので、するのでそうだ悪口を言ってなぜ悪いのかと言いました。教会に酒を飲んで入ってきて歩き回る、それは知らん顔をして、私が悪い言葉を言ったと、大声を出すのです。皆さんがだれなのかを分からなければなりません。今日、イエス様がペテロを呼ばれたのは、これです。ですから揺れる必要がありません。

2.真の教会の中で自分を発見
▲二番目です。わたしについて来なさいという言葉が何の話なのでしょうか。今、キリストが来られて、真の教会を作られるのです。真の教会を作られて、この中に私を呼ばれたのです。もちろんパリサイ教会が初代教会を異端の汚名を着せました。それが問題になりません。
(1)使徒1:1節、結論が出た人々の集いです。使徒1:3節、世界福音化の方法を知っている人々です。使徒1:8節、結果を知っている人々です。この中にいる私です。みことばを正しく握ってこそ、聖霊が働かれます。ある人は、皆さんより立派な人も答えを受けられません。それは別のものを握るからです。影島(ヨンド)にも教会がたくさんあって、立派な人々もたくさんいるのですが、伝道できません。良くないからではなく、別のものを握るからです。
▲イエスはキリスト! が結論で、神様の国、これは静かに祈りながら答えを受ける方法です。地の果てまで、聖霊充満を受ける、証人になるはずという結果です。この中にある私。確実です。わたしについて来なさい。
(2)この人たちが集まったのですが、使徒2:1〜47節を見ると、マルコの屋上の間で世界を征服する五つの力が現れました。この中にいる自分。この中にいる自分です。この呼ばれたことです。これで終わるのではありません。
(3)使徒11:19〜30これから世界宣教の門が開かれるのですが、その中にいる主役です。皆さんと子孫が、世界宣教の祝福の中にないならば呪われたのと同じです。私は賛美も作りました。私の子孫が宣教の中にあるようにして下さい。それは宣教師で出て行けという言葉ではありません。ここに医者もたくさんおられて、事業する方々も多いのです。皆さんの事業が世界宣教するほどの、その中になければならない、その話です。その献身礼拝です。皆さんの子孫、皆さんの事業が、世界宣教に参加する祝福を受けなければなりません。それを受けられなければ何の意味もありません。
(4)いよいよ皆さんの祝福がローマ16章の祝福の中にある個人ということです。

3.現場の中にある自分を発見
▲三番目です。わたしについて来なさいという話は何でしょうか。ペテロが魚を捕っていた時、わたしについて来なさい。わたしたあなたがたを人間を捕る漁師にしてあげよう、ということが何の話なのでしょうか。現場の中にある自分を発見するようになるのです。
(1)前には衣食住、私が何を着て、何を食べて、どのように生きるか、これではなく、わたしについて来なさい、ここから抜け出すのです。
▲私たちは普通、全部ここに(衣食住)縛られているではないでしょうか。今日、5分で祈りの答えを受けられます。
▲私は一番難しい時、ここに関わっていました。伝道師に、月給が多く与えられれば良いのですが、少しだけ与えます。多くくれません。だから、それをもらって生活しようとすると、私は教会に通ったのがそのために通っていました。それがなければ交通費もなくて、子どもの幼稚園も送れないで、履き物も買えなくて履いていたので、ある日、思えばみじめでした。私の人生がこれのために生きるのだな。ある日、神様が心を与えてくださいました。違う。当時、私の月給が5万円だったのですが、あなたは5万円の人生ではない。それは関係の中であることで、あなたは5万円の人生ではない。君は五十億、五百億、五千億も越える人生だ。わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。私はこの時から答えがきたのです。それを思ったのに、いくらもかからなかったが答えがきました。
(2)創世記12:1〜9節にあなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出なさい。あなたは、食べて生きて着る、その心配から離れなさい。わたしが示す地へ行きなさい。この時から働きが起きました。これが重要ですが、これではないのです。それで、わたしについて来なさい。
(3)聖書をよく見ましょう。あなたは、今そこで羊を飼っているのではない。わたしの民を連れて出て行きなさい。ここから脱出しなさい。それで呼ばれたのです。わたしについて来なさい。今日、献身礼拝に聖霊がともにおられる驚くべき献身礼拝になるように願います。
(4)Iサムエル6:1〜13節に、羊を飼っていたダビデに、あなたをイスラエルの王に、それで、わたしが今日からあなたの羊飼いだ。これが開始です。あなたが今、羊を飼う羊飼いか。違う、わたしがあなたの羊飼いだ。ダビデに言われたことです。それで、ダビデがいつも使う言葉、主は私の羊飼い。私は乏しいことがありませんと言いました。この開始を言います。
▲だから、わたしについて来なさいという言葉は、ものすごい言葉です。時代の中で、わたしを発見したということです。その重要な教会の中で。皆さんが思うみじめなように見えた現場の中で。1人だけ例をもう一つあげます。
(5)I列王19:1〜20節、エリヤに神様が言われて、畑にいるエリシャに。エリシャに、ついて来なさいと言った時、その時、ついて出ました。
▲衣食住の中にいる私を発見して、キリストが用いられるように。今日、この祝福があるようになることを希望します。

4.結論
▲重要なみことばが出てきました。20節、21節を見ると、彼らが網を捨ててイエスに従いました。祈りの答えを受ける重要な方法です。明日でもありません。今日、今。そうすれば、終わりです。残りは神様がなさいます。過去はすでに終わったのです。予想だけするだけであって、明日はまだ来ていません。くるからといって、利益になるという保障もありません。今です。
▲私はみことば聞く時間に、よくします。すべての暗やみの勢力は、イエスの御名で離れるように。すべての福音を防ぐ勢力は、イエスの御名で崩れるように。今、捨てて、直ちに従うのです。
▲今晩に方法を話すでしょうが、今、この時間に簡単に皆さんがこういう祝福を味わうべきなのですが、どのようにこの祝福を味わえるのでしょうか。皆さんが神様が、これをするために私を呼ばれたのだなあ、これ出てくるのが重要です。君たちの子どもは預言をして、老人は夢を見て、青年たちは将来の事を言う....同じ言葉です。これが結論です。
(1)ビジョン-皆さんが現場と時代と教会の中で、このビジョンを握れば、その時から働きが起きます。このビジョンをどのように握るのかという方法は、核心の時に話そうとしています。
▲このビジョンを握ったことをタラッパンと言います。これがすべてです。今日、皆さんがみことばを握って、今、この時間に神様のビジョンを味わうのです。それがすなわち聖霊充満です。皆さんが一人でいる時、契約を握って、神様の祝福、力を味わうのです。これをタラッパンと言います。タラッパンしに行くという言葉も正しいのですが、本当のタラッパンは、これから音楽系統を生かすイ・テウン執事が、一人で力を受けるという言葉です。それがタラッパンです。一人で使徒1:1,3,8節、そのくださった祝福を握って集まったのがタラッパンです。わかるでしょうか。そうすれば終わりです。
▲そうすれば、他の人が知るようになります。これをチームの働きと言います。他の人が見て分かるのです。イ・ソンフン牧師を見て、あの人は神様がともにおられるということを分かるのです。他の人は何と話しても、私はイ・ソンフン牧師を一番初めて見た時に、見ました。せきをして礼拝をささげられなかったのです。自分自身が礼拝できないのは大丈夫ですが、せきをするので、私が説教をすることができなかったのです。後ほど知ったら、肺病になっていたということです。なぜなったのかと尋ねたところ、昔に人気があった職業であるディスクジョッキーをしたということです。それで私が伝道師に任命しました。それで、今から賛美の導きだけしなさいと。はやく死にそうだったのですが、今まで生きています。その時は、すぐに死にそうでした。ところで、子どもが数人、生まれて、先週には米国にも行ってきました。それで、その人にこう言いました。あなたは生きているのが伝道だと言ったのです。伝道しに行かずに、あなたは生きて息をするのが伝道なので、じっとしていなさいと言いました。私はあの人を見ながら、本当に神様がこんなにも福音を持った者を貴重に思われるんだなと思います。皆さんは単なる話で聞くでしょうが、私は体験したのです。こうしたことを、チームの働きと言います。
▲ところで、この祝福だけ味わっていれば、それからは、私の生活の中に答えがきます。ミッションホームです。
▲これだけしているのに、私の事業に、学業に答えがくるのです。専門の働きです。
▲これだけ静かにしているのに、長老の事業体に、私たちのチョ長老の病院に、実力がある弟子が集まります。地教会です。わかるでしょうか。
(2)これを体験するために合宿訓練に行くのです。これは100年の答えを操り上げるのです。合宿を受けたが、100年の答えが来なかったとすれば、また受けてください。どのように受けるか、夕方に話します。100年の答えが来る方法があります。今ではなく、夕方にボーナスで話します。
(3)皆さんが現場に、地教会一つを作れば、核心、神学院を一つ作れば1世紀の答えがきます。
(4)今は、私たちがRUTCをなぜ作るのでしょうか。未来を置いて準備するのに、神様が一時代を操り上げる答えを準備されるのです。
▲この答えをいつ受けるのでしょうか。今日の中でも今です。皆さんが契約をつかむ時、神様が印鑑を押してくださいます。どれくらい簡単でしょうか。それで信仰で救われるということです。それで信仰で答えを受けるということです。今日、この祝福がすべての家族にあふれ出ることをイエスの御名で祈ります。なるのか、ならないのか体験しましょう。できなければ私が責任を負います。このように祈ったが、赤字になったとすれば、無条件にみな返してあげるから訪ねてきなさい。くる時、そのままこずに棒を一本ずつ持って来なさい。だめなはずがありません。今日、最高の献身礼拝となることを希望します。
(祈り)
神様に感謝します。最高の献身礼拝となるようにして下さい。私を発見する礼拝となるようにして下さい。キリストにあって、私を発見するようにして下さい。そのなかで私を持続する真の答えを味わう開始になるようにして下さい。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)