2009年4月12日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:復活の力
(ルカ24:1-12)
ファン・サンベ牧師

☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
(1)復活の力は、すなわち神様の力、キリストの力、福音の力で、キリスト教だけが復活の信仰を持っている。
▲転生や前世の話はサタンのしわざだ。
(2)福音の中にいるということ、礼拝をささげられるということが最も大きい祝福だ(創世記1:27-28)。それで、礼拝は神様に私自身をささげることだ。
(4)ところで、問題が発生-サタンにだまされて、神様を離れて原罪に陥って、神様の中で味わわなければならないすべての祝福をなくした。
▲結局、主人をなくした人生は、さまよって、苦しみと失敗、永遠な地獄の人生で締め切るようになる。
▲神様はそうなるように置いておかれなかった。最高の祝福を約束された。
1.神様の約束(契約)
▲この不幸から抜け出す道がまさに福音だ。
(1)聖書の約束-一方的、絶対的、完全な、唯一の約束
1)創世記3:15、女の子孫→ サタンの頭を完全に踏み砕く
2)出3:18、血のいけにえ→ 罪から解放
3)イザヤ7:14、インマヌエル→ 捕虜から解放
4)マタイ16:16、キリスト→ すべての人生の問題解決
(2)信仰-約束のみことばのとおり事実通り信じれば良い。
2.十字架の意味
(1)ヨハネ14:6、使徒4:12、人がいくら努力をしても運命の問題は解決することができなくて、神様に会う道を見つけられない。十字架でキリストを通して神様に会う道を開かれた。
(2)マルコ10:45、ローマ5:8、イザヤ53:6、どんな倫理、道徳的に聖人、君子といっても、持っている原罪を解決することができない。それでキリストが十字架で私たちのすべての罪を解決するために死なれた。
(3)Iヨハネ3:8、十字架でサタンの勢力を一気に砕かれた。
(4)キリストは十字架ですべての問題解決→ キリストは復活されて、今、生きておられて、信じる者の中に復活の力で今、働いておられる。
3.今から復活の力を味わいながら体験しなさい。
(1)祈りで味わおう
1)聖霊の内住を味わおう-ともに
2)聖霊の導き-神様のみこころなのか。悩んでみなさい。
3)聖霊の働き-神様がくださる力、霊的な力だ(聖霊の満たし)
(2)今から子どもの権威を使いなさい。
4.復活の力を信じる者がすること
▲復活の力を信じる私は、今から私は何のために生きるのだろうか。この復活の力を味わって、復活の力をあかしする証人として生きることを望む。
(1)個人教会から回復しなければならない→ 福音の根、福音の力で武装
(2)教会堂建築も祈りで一つにならなければならない(エレミヤ33:2-3)
(3)すべての信徒が信仰の献身で参加しなさい(I歴代29:10-14)
(4)私たちの教会は福音だけ話す教会、ただ福音運動する教会、次世代と教会史に道が残る教会として立てられることを望む。
5.結論
▲今日だけが復活祭なのか。福音を持った私たちには、毎日が復活祭だ。毎日、復活の力を信じて味わうことを望む。復活の力を皆さんの胸の中に信仰で入れることを望む。この復活の力を皆さんの人生の現場に持って行って、思いきり味わうことを望む。この復活の力で勝利することを祝福します。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日、キリストの栄光の復活の記念日を迎えるようになりました。キリストの復活というタイトルでお分かちします。そのキリストの復活が力だから、復活の力というタイトルでお分かちします。
(1)復活の力は、すなわち神様の力です。復活の力は、すなわちキリストの力です。復活の力は、すなわち福音の力です。私たちのキリスト教にだけ、復活の信仰があります。福音は、キリストにあって復活を約束しています。
▲どんな人が気絶して、何日ぶりに目を覚ましたという話を聞いたことがあります。ある場合、死んで天国と地獄を見てきたと話す人を聞いたこともあります。しかし、全世界的に死んで墓に葬儀を行って、三日が過ぎた後に、墓の入口をあけて出てきた人は、ただキリストしかいません。世界的に、そのような話があちこちあるならば、どれくらい私たちが迷うでしょうか。ただキリストだけが死者の中から三日後に墓の入り口をあけて復活されたキリストだと信じます。
▲私たちが霊的に、この福音の奥義を知らなければ、どれくらい霊的な無知を持って生きるのか分かりません。この聖書的な福音の奥義を正しく知ってこそ、この霊的な無知から抜け出せるのです。
▲死んで生まれ変わる転生の話や、前世の話は、事実、サタンのしわざです。聖書は、転生や前世に対して話していません。この前にテレビで、こういう話を見ました。タイトルが、亡くなったお父さんがまた生き返ってくる...でした。私がそのタイトルを見て、とても好奇心が生まれて、いやどのように亡くなったお父さんが生き返ってきたということか。それで、そのプログラムを時間をつくって見たのです。話は、このようでした。亡くなったお父さんの葬式によく行った。山に行って葬儀して行って家に戻った。その葬儀を行いながら、残った物をボックスに入れて家に持って帰ってきた。家でそのボックスをあけてみたら、蝶々一匹が出てきた。家族みんなが言うのに、亡くなったお父さんが蝶々になって、また我が家に帰ってきた。家族みんなが蝶々に水も与えて、よく仕える、そのような姿を見ました。皆さん、こういう家に会えば蝶々もぜいたくに暮らせます。人間が霊的に無知ならば、事実、分別がありません。この頃、法事をするのに、お金がたくさんかかるということです。豚の頭を買うのにお金が多くかかるのです。それで、この頃、模造品の豚の頭が出てくるようになりました。プラスチックで作った豚の頭が出てきたのです。微笑む豚をプラスチックで作って法事で仏壇に置きます。鼻の穴にお金をなぜ入れるのかはわかりません。終われば、また自分のポケットに入れます。人間が霊的に無知ならば、何か区分ができないのです。
(2)私たちが福音の中で、この霊的な事実を発見したということが、どれくらい大きい祝福かわかりません。私たちが福音の中にいることが、どれくらい大きい祝福かわかりません。
▲私たちが福音の中で神様に礼拝をささげるということがどれくらい大きい祝福かわかりません。私たちが礼拝をささげられる身分を回復したのが、私たち人生に言葉にできない祝福だと確信します。礼拝は私たちの生涯の祝福の中の祝福です。私の人生の最高の栄光の瞬間が礼拝をささげる瞬間です。私たちが神様に礼拝をささげると表現します。礼拝は私自身を神様にささげることです。何かを神様からもらおうとする前に、私自身を神様にささげるのです。私の心と思いの中心を神様にささげるのです。それで、私たちは信仰告白もささげます。賛美もささげます。祈りもささげます。献金もささげます。同時に、私たちは神様のみことばを受けるのです。神様のみことばの中にだけある恵みを私たちが与えられるみことばを通して新しい力を受けるのです。まず私自身を神様の前にささげるのが礼拝だという事実を記憶するように願います。それで、私たちは神様の前に出てくる時ごとに勝利しなければなりません。礼拝をささげるこの時間だけは、すべての考えを神様に集めなければなりません。神様が受けられる礼拝で、私自身をよく中心を集められるように願います。
▲なぜ私たちが神様に礼拝をささげるべきなのでしょうか。また聖書に戻らなければなりません。なぜ、私たちが神様に礼拝をささげるべきなのでしょうか。神様が人間を造られた時に、私たち人間を礼拝をささげる存在で造られました。それが、まさに創世記1:27のみことばです。神様が私たちの人間を神様のかたちに造られました。言いかえれば、霊的な存在として造られたのです。それで、人間は肉的なことを持って、肉的なものだけを持って生きる存在ではありません。霊的な存在です。神様と交わることができる存在、神様の恵みを受け生きる存在、神様を礼拝する存在、その時、私たちに真の安息が訪ねてくる真の平安が訪ねてくるのです。その神様の中で真の幸せを味わいながら生きることができるのです。
▲そのような私たちに、創世記1:28節の祝福をおっしゃられました。生めよ。ふえよ。地を満たせ。そして、全てのものを征服しなさい、全てのものを治めなさい。私たちの人間にものものすごい祝福と権威を与えられたのです。それで、私たちの人間は神様の中で最も幸せに生きていけます。すべての人間は神様とともに生きるように造られました。なぜ、そのように造られたのでしょうか。創造主なる神様がとてもよくご存知です。私たちの人間をどのように造れば、最も幸せに暮らして行けるのか、創造主なる神様がとてもよくご存知です。神様と交わることができる存在で、神様に礼拝をささげる存在で、神様の恵みを受けて生きる存在で、そして、神様の力を持って生きる存在として作られました。
(3)ところが、問題が発生したのです。その人間がサタンという存在にだまされてしまいました。
▲サタンによって、事実は神様の中で味わわなければならないすべての祝福をなくすようになったのです。私たちがこのように表現します。すべての祝福を悪魔に奪われたと表現するのではなく、悪魔というサタンという存在が、神様が私たちにくださった祝福を取っていく、そのような権威はありません。それなら、取っていって、また与えるということでしょうか。悪魔はそのような力はありません。悪魔にだまされて持っていた祝福をなくしただけです。
▲それで、人間が神様を離れるようになったのです。神様を離れたので、自然に世の中に陥ることしかなく、その人生はもう神様がいない人生で生きます。主人がいない人生は、さまようしかありません。さまよえば、さまようほど訪ねてくるのは苦しみだけです。結局は、失敗で人生は終わりを結びます。人生が世の中で失敗するしかない運命に捕らわれているのです。その運命に陥って、生年月日による運勢に縛られて失敗する人生を生きていきます。神様を離れた原罪による呪いの災いの勢力を防ぐ方法はありません。この押し寄せる暗やみの、やみの勢力を防ぐ方法はありません。結局、その原罪の問題のために、永遠な地獄の刑罰の苦しみで失敗の人生を迎えるのです。目には見えないのですが、このやみのサタンの勢力にだまされて、すべての神様の祝福をのがしてしまったのです。この暗やみの勢力が私たちを絶えずだまします。それで、サタンを間を離す者。分離する者と表現します。神様と私たちの関係をずっと分離するのです。神様がいないとだまし、神様を信じても特別なことはできないとだますのです。何でも信じろと迷わしている霊で、私たちの中で働きます。多くの人々が自分に良いということを信じようと走り込みます。そして、結局、偶像を崇拝するようにさせるのです。偶像を崇拝すれば、人間に祝福が来るのではなくて、偶像を崇拝するほど、結局、人間の霊が壊れるのです。偶像崇拝を深刻にした人々の結果が何かというと、霊的な深刻な病気に置かれるようになるのです。この場には、偶像崇拝して神様に福音を受けて戻ってきた方々がいるでしょう。私がなぜ過去に偶像を崇拝したのか。福音がなかったからです。福音の奥義を知らないから、そうなるしかありません。人間が福音を知らなければ、偶像崇拝に行くしかなくて、神様に仕えなければならないのに、神様をなくしたから、他のものに仕えるしかありません。結局、偶像崇拝をすればするほど、霊的な問題が訪れてきます。精神の問題が訪れてきます。理解できない肉の問題が訪ねてくるのです。理解できない子孫に及ぼす霊的な問題が訪ねてきます。この世での問題だけでなく、来世の問題も訪ねてきます。結局、人間が神様を離れればそうなるのです。
▲それで、神様はそのように生きるように私たちを置いておかれませんでした。神様は私たちに、最高の祝福を神様が約束されたのです。

1.神様の約束(契約)
▲最初の神様の約束です。神様の約束、私たちはそれを契約と言います。ここから抜け出す道が福音です。ここから完全に解放される道がキリストという事実を、聖書を通して確認しました。
(1)聖書は私たちに約束されました。神様のみことばは、私たちに約束されたのです。この約束は一方的な約束です。罪を犯して霊的に死んでいる私たちと相談する理由はありません。また、回復する道を約束されました。それで一方的な約束です。この約束は絶対的な約束です。この約束は永遠な約束です。この約束は、唯一の約束です。神様はこの契約で約束されたのです。
▲最高の原始的な原始福音で創世記3章15節で言われています。私たちの人間に創世記3章の根本的な問題を解決する道が何かを語っています。女の子孫が来られて、私たちを永遠な呪いで滅ぼした、この暗やみの勢力を滅ぼされると約束されました。
▲霊的な奴隷から、霊的な苦しみから解放される道で、出3:18節をおっしゃられました。血のいけにえの奥義をおっしゃられたのです。
▲霊的な捕虜から、霊的なやみの勢力から解放される道で、イザヤ7:13節をおっしゃられました。処女のからだから息子が産まれるが、その名をインマヌエルと呼ばれる。インマヌエルの奥義をおっしゃられました。
▲霊的な押さえられることと、苦しめられることから解放される道で、マタイ16:16節をおっしゃられました。その方がキリストとして来られます。
▲その方がキリストとして来られました。誰でもそのキリストを通して、すべての問題、人生の問題を解決されます。聖書はこの部分をおっしゃっているのです。聖書に多くの話があるのですが、この話が聖書に最も重要な核心的な話です。
(2)それでは、私たちこの話をどのようにすれば良いのでしょうか。神様の約束をどのようにすれば良いのでしょうか。信じれば良いのです。どのように信じれば良いのでしょうか。熱心に信じなければならないとか、よく信じなければならないのではなく、事実通り信じられれば良いのです。熱心に信じようとせず、約束のみことばのとおり、事実通り信じるように願います。この約束のみことばを契約で、私のことにすれば、すべての人生の問題がその中で解答が得られます。それで、キリストがこの世に来られました。

2.十字架の意味
▲二番目。それでキリストが私と皆さんのために十字架で死なれたのです。今日、その十字架の意味をお話します。なぜキリストが十字架につけられなければならなかったのでしょうか。キリストではなくてはいけないということでしょうか。なぜすべての人々にキリストが必要なのでしょうか。今日、その唯一性の意味をお話します。
(1)聖書はヨハネ14:6節で言われています。どんな人がいくらがんばって努力しても、この運命の問題を解決する力はありません。どんな努力をしても、神様に会える道をこの世で探すことはできず、それでキリストが神様に会う道としてこの世に来られました。来られて、十字架で私と皆さんのために神様に会う道を開かれたのでした。どんな人でも、私たちはキリストを通して、神様に進める道が開いたのです。皆さんは、キリストが神様に会う道であるこることに対する信仰の確信を持つように願います。
▲使徒4:12節はおっしゃっています。キリストの他に、他の名を私たちに与えられていない。神様に会う道は、キリストの他に他の名前を神様が私たちに与えられたことはありません。ただ唯一のその御名、キリストの御名を与えられたのです。神様と私たちの間に切れた関係をとりなす者として、その方が来られて、十字架につかれました。
(2)二番目、十字架の意味はマルコ10:45節でおっしゃっています。どんな倫理でも道徳的に聖人君子であっても、持っている原罪を解決する者はいません。それで、キリストが十字架で私と皆さんのすべての罪を解決するために、その方が十字架で苦難と死を受けられたのです。私たちがどこで、どんな状態に置かれた時に救われたのか、皆さんが知っていなければなりません。それでこそ、福音の価値がさらに価値あるということを知るようになります。私が永遠に解決できない罪の問題、永遠に神様に会えない私の弱さ、永遠な呪いの中、地獄の刑罰の中から、私たちがキリストの十字架の事件で救い出されたという事実を記憶するように願います。
▲キリストが私たちのすべての刑罰を支払われたというのに、この刑罰は誰に支払ったということなのでしょうか。ここで失敗してはいけません。私たちの刑罰をみな支払われて、誰に支払われたのでしょうか。神様の属性には2つの属性があります。この2つの属性はコインの両面と同じです。最初は、神様の愛の属性、すべての罪人をみな許す神様の愛。どんな罪でもイエス様はみなその罪を許されます。同時に、神様の義の属性があります。神様は罪に対して必ず罰さなければならないのです。罪をないと隠せなくて、それで神様の義と愛の絶頂の瞬間が、十字架の事件です。私たちの刑罰は、誰に支払われたのでしょうか。神様の義の前に支払われたのです。私と皆さんが永遠に解決できない原罪と自分が犯す罪を神様の義の前に支払われたのでした。
▲ローマ5:8節では、このようにおっしゃっています。私たちがまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために十字架をつけられて、神様が私たちをどれくらい愛されたのか、その愛を明らかにしておられるということです。イザヤ53:6節はこのように言われています。私と皆さんの罪を、みなキリストが担われました。
▲私の右手を見てください。この手に私と皆さんが持っている原罪を含んだすべての罪を持っていたが、キリストが来られたのです。左手のキリストがみな担われました。それで、私と皆さんが持っている罪がキリストに転嫁されたとおっしゃるのです。その方がその罪を担って、十字架につけられました。私と皆さんの罪を、キリストがみな担われたので、これ以上、私たちの罪で自ら叱責する理由がありません。これ以上皆さんは皆さんの罪のために罪悪感に苦しめられる理由がないのです。十字架で私たちのすべての罪を担われたので、私たちはいつも感謝するだけです。生きていきながら、ひょっとして罪があるとしても、十字架の血の義の前に下ろせば良いのです。今日、このキリストの十字架の愛で豊かになるように願います。
(3)三番目はIヨハネ3:8節です。誰も見られないサタンの暗やみの勢力に勝つ者はいません。サタンの手の中から抜け出す力はありません。復活の力で、この世にキリストが来られました。十字架でサタンの勢力を一気に破られたのです。
▲今からこの暗やみの勢力と霊的戦いに勝利するように願います。十字架の力は暗やみの勢力を打ち砕く唯一の道です。
▲宗教は悪いことではなく、宗教は何と言うでしょうか。誠実に生きろと言います。多くの人々に善を行いなさいと言います。多くの人を手助けしろと言います。それと共に、欲も捨てろと言います。宗教は良いのです。しかし、私たちに永遠な根本の問題の創世記3章の問題を解決することはできません。いくら善行して、いくら良いことをしても、この原罪問題を解決する方法はありません。宗教は偶像崇拝することです。結局、宗教はやみに、暗やみの勢力、サタンに仕えるのです。しかし、福音は神様の子どもになることです。こういう福音は、神様の子どもになるのです。どんな偶像崇拝からも自由になることです。
▲仏教の大きいスターだったソンチョル僧侶がいて、私たちはその名前が知っています。その方が山は山で、水は水だという意味深長な話をしました。普通の人々が分からない意味深長な話をしたのです。そのようなタイトルで本も書きました。その方が80年の一生を修行しました。最後に亡くなりながら、歌を涅槃頌で作った詩があります。その方がこういう告白をしました。私は一生あまりにも多くの人々をだましたんだなあ。この罪業があまり大きくて、あの須弥山より大きいな。須弥山は仏教の象徴的な高い山を意味します。それで、私は生きたからだで地獄に無関係に落ちるんだな。その方がその本にそのように記録したのです。人は死ぬ時になれば、とても真実になります。その方が悟ったのは、とてもよく悟ったのです。その方が生前に、釈迦の生誕日に人々を集めてこういう話をしました。サタンよ、はやく来てください。あなたを私は尊敬しながら礼拝します。あなたは本来偉大なブッダです。これがその方が悟った真理でした。その方は、本当に真理を探すために一生修行をしたのでした。しかし、人生に最も根本的な問題がなんで、解答が何か、その方は見つけられませんでした。
▲私たちは、聖書を通してこの解答を得るようになりました。聖書を通して、霊的な自由を得るようになったのです。キリストは、すべての問題解決者として私たち中に来られました。キリストが十字架ですべての死の権威を壊されたのです。キリストが十字架で、すべての罪と呪いの勢力を打ち砕かれました。キリストは復活して、今、生きておられます。今、生きておられるのです。復活して、復活の力で今、働いておられます。キリストは信じる者の中に復活の力で今、生きておられます。今日、このみことばを皆さんの胸に入れて行くように願います。復活されたキリスト、復活の力で生きておられるキリスト、そのキリストが私の心の中の主人として、今日、私の人生をそのように神様の前にささげるように願います。

3.今から復活の力を味わいながら体験しなさい
▲三番目、それなら今から神様の子どもは復活の力を味わいながら、体験しながら生きていかなければなりません。この復活の力を理解することで生きていってはいけません。味わいながら、体験しなければならないのです。
(1)どのように体験するのでしょうか。祈りで体験することができます。
▲祈りで体験をどのようにするのでしょうか。聖霊が私の中にともにおられる聖霊の内住から体験しなければなりません。信じる者の中に聖霊は共におられます。信じる者の中に目には見えないのですが、復活された聖霊は共におられます。単に共におられるのではなく、復活の力で共におられます。なぜ聖霊が私たちの中に共におられるのでしょうか。私たちを通して神様の計画とみこころを成し遂げるために共におられるのです。私を通して神様に栄光をささげられるように、共におられます。聖霊内住の他に、他のものを味わわずに、ただ聖霊の内住だけ、満たされて味わうように願います。聖霊の導きをおっしゃっています。私の中にいらっしゃった聖霊が、私の人生を細かく導いて行かれます。柳牧師が、こういう話で表現されました。聖霊が導かれるのは何か、聖霊の導きは悩むことです。葛藤する悩みを意味するのではありません。神様の前で、深い考えの中での悩みを言います。これが本当に神様のみこころであろうか。これが本当に神様が願われることであろうか。このように導かれるのが、本当に神様のみこころを成し遂げることなのか、それに悩むことを希望します。そのような悩みの中に、聖霊の細かい導きを受けなければなりません。聖霊の働きをおっしゃっています。この聖霊の働きは聖霊に満たされることでおっしゃっています。この聖霊の満たしは、神様がくださる力です。どんな世の中でも得られない神様がくださる力、霊的な力です。この世で世の中で勝利しようとするなら、この霊的な力が私たちには絶対的です。私の中に聖霊が共におられます。その聖霊が、私たちの人生を細かく導かれるのです。その聖霊が復活の力で働かれます。この聖霊の満たしを持って現場で勝利するように祝福します。
(2)今から子どもになった身分を皆さんが使えば良いのです。祈りの中で子どもになった身分を使いましょう。権威ある復活されたキリストの御名で祈るように願います。皆さんが持っている、どんな霊的な問題であっても、復活されたキリストの力は癒すことができます。もしかして、皆さんの中に深刻な病気を持っている方がいるのでしょうか。皆さんはその病気に勝つ力が事実、皆さんにありません。もちろん、医学もみな信じられません。お医者さんの話もみな信じられません。復活を、キリストの力を信じるように願います。復活された神様の力を信じるように願います。今日、権威あるその御名で祈る時、暗やみの勢力は砕かれると信じます。今から残っているどんな霊的な問題でも、権威あるキリストの御名で祈って癒されるように祝福します。

4.復活の力を信じる者のすること
▲最後の四番目にお話しします。復活の力を信じる者のすることは何でしょうか。本当に復活の力を信じたら、今から何のために生きるのでしょうか。この世は何の希望がなくて、世の中の人々はこの霊的な奥義を知らないので、さまよいながら生きています。復活の力を、皆さんが先に味わって体験して、味わって皆さんがこの復活の力をあかしする証人として勝利するように願います。教会がなければならない理由は、他の理由はありません。教会が存在する理由は、この奥義を証明しなければならないからです。私たち愛らしい次世代がいます。この次世代が、これ以上、壊れてはいけないのです。私たちの次世代が、世の中で壊れたら、どうなるでしょうか。私たちの次世代が、この復活の力を持って、この世で勝利する奥義が、まさに今日、この解答です。それで、私たちはこの次世代を、世の中で復活の力をもって勝利するためにRUTCを準備しているのです。私たちの次世代が、この福音の奥義を持って世の中の文化を改革して、地域を生かす教会を私たちは立てていきつつあるのです。私たちの教会がこういう時刻表を迎えました。教会堂建築という時刻表を迎えたのです。それで4月、1ケ月を明け方、夜、祈っています。ここに全信徒の皆さんが祈りで勝利することを望みます。
(1)事実、目に見える教会堂も重要ですが、ただ皆さん個人の個人教会が回復するように願います。個人教会から回復しなければなりません。福音で根を下ろして、福音の力で武装して、私の個人の神殿が回復することを祝福します。
(2)教会堂建築をおいて、全信徒が祈りで一つになることを祝福します。本当に一時代に契約とらえて祈ったら、神様の奇跡は必ず起きます。
▲エレミヤ33:2-3みことばを読みましょう。「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。」このみことばを契約で握るように願います。今日、教会堂建築をおいて、この契約を握らなければなりません。全信徒が祈りで一つになる時に、神様は奇跡を起こされます。
(3)全信徒が信仰の献身で参加しなければなりません。この大きなことを目前に控えて、誰が事を成し遂げて行かれるのでしょうか。私たちみんなが信仰で献身するのに参加するように祝福します。ここにはひとりも例外なしでアーメンと言うように願います。神様は私たちに重要な時刻表を与えられました。
▲I歴代29:14ダビデの告白が、私の告白になるように告白します。まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。私たちは、神様から、あまりにも多くのことを受けました。私たちが、それをまた神様にささげる時刻表がきました。私たちが福音のために全信徒が信仰の献身で一つになることを祝福します。
(4)ただ私たちの教会は福音だけ話す教会として立てられることを希望します。ただ福音運動をする教会として立てられる教会になることを希望します。それで、時代と教会史に永遠に残る教会になることを希望します。次世代に、この福音を伝える教会を譲る、そのような教会になることを希望します。教会史は、宗教と福音の戦いがいつもありました。それで、この教会史は、宗教と福音の戦いがしみついた痕跡があります。私たちの教会は、ただ福音だけ話す教会。福音運動をして、教会史に永遠に残る教会として勝利することを希望します。

5.結論
▲みことばの結論を結びます。今日、私たちは復活聖日に意味あるみことばを見ました。今日だけ復活祭でしょうか。そうではありません。福音を持った私たちは、毎日、復活聖日です。毎日、復活祭の祝福を現場で味わうように願います。毎日、復活の力を信じて味わうように願います。復活の力を皆さんの中に、胸に信仰で入れることを望みます。この復活の力を、皆さんの人生の現場に行って思いきり味わうように祝福します。復活の証人として勝利することを主の御名で祝福します。この祝福が皆さんと次世代に臨むことを祝福します。

(祈り)
神様の恵みを感謝します。私たちの人生すべての問題を十字架で一気に解決されたキリストの恵みをありがとうございます。復活された復活の力で、私たち中にともにおられることをありがとうございます。この復活の力を持って現場に証人として勝利するようにしてください。この祝福の奥義を子孫代々、私たちの次世代に伝達する教会になるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:神様の恵み
(Iコリント15:1-11)
イ・ソンフン牧師

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲私と皆さんは本当に神様の恵みを受けた人だ。皆さんが一生涯の間、必ず整理しなければならないことがある。みことば整理
(1)福音-唯一性だ。
▲なぜみことばを整理すべきなのか。サタンの最高の戦略、願いが、絶対に福音を知らずに偶像崇拝するようにさせることだ。正確な福音を整理しておかなければ、皆さん自体も揺れてしまう。世界中で人間に救われるべき他の名前を私たちにくださったことはない。ただイエス以外はだめだ。
(2)人生-私たちの人生に対してみことば整理をしなければならない。私たちが誰か。何をする人なのか。何のために生きる人なのか。これができなければ、とても難しい。
(3)未来-講壇のみことばを通して未来を整理しなければならない。
▲この3つが整理できなければ、困難がくれば勝つことができなくて越えられない。これを整理すれば一つが感じられる。神様の恵みがとても尊いね!
1.なぜ必ずイエスを信じるべきなのか
(1)未信者状態6つ
1)身分-悪魔の子ども 2)奴隷 3)精神問題 4)肉体問題 5)来世問題(地獄) 6)霊的遺産(法事、偶像崇拝)
(2)人間の努力では絶対に解決にならない。
▲善行、宗教、熱心では不可能だ。
(3)それで神様が一方的に道を開いて下さった。
▲それが十字架だ。罪の問題、サタンの手、地獄の権威から永遠に解放させられようと来られた。
1)Iヨハネ3:8、悪魔のしわざを滅ぼされた万王の王でこられた。
2)マルコ10:45、私たちのすべての罪をあがなういけにえとして来られた。
3)ヨハネ14:6、神様に会う道になられた。
▲この三職を成し遂げられた方がキリスト、イエスがまさにキリスト。この事実を信じる時、救い(ヨハネ1:12、ヨハネ5:24)。
2.救いとは何か
(1)意味
▲私たちの人生の過去、現在、未来問題の解決だ。過去の罪の権威、現在の悪魔の権威、未来の地獄の権威から完全に解決された。
(2)救いの方法-神様が作られた方法だ。
▲神様が道を開かれたが、イエスがキリストだ!この事実を信じれば救われる。皆さんがイエス様を受け入れれば、神様の聖霊が来られる。生まれ変わること、再創造の働きだ。
(3)確信-それで、救いの確信を持つようになる。絶対に変わらない。
▲エペソ6章-頭のかぶと(救いの確信)。皆さんは永遠な神様の子どもで、神様の聖霊が永遠にともにおられる。ヨハネ14:16-17、マタイ28:18-20、聖霊で世の終わりまでいつもともにおられる。使徒1:8神様の力でともにおられる。
3.なぜ私たちは生きるべきか-伝道
▲私たちがしなければならないことが一つ残った。皆さんは成功しなければならない。健康でなければならない。祝福を受けなければならない。伝道のために...
(1)使徒13:48、皆さんを通じて永遠のいのちを得ることに定められた者を救うことを願われる。
(2)使徒8:26-40、ただ一度の出会いだが、永遠な出会いになる。
(3)コロサイ4:2-3、それで門だけ探せば良い。聖書的伝道方法20個。
4.結論
▲私たちは福音を伝える使命だけはたせば良い。後にはどのように働かれるのか誰も知らない。私たちは単純な人生でなく、神様の情念をはらしてさしあげる人生だ。私たちは本当にこの世の中に手本を見せなければならない。伝道宣教する教会を神様がどれだけ祝福されるのか、見せなければならない。私と皆さんの中には神様の情燃がある。現場に伝道者がいない。現場に死にかかっているのに、この福音を語ってあげる人がいない。ここに主役として用いられてきたインマヌエルの信徒になることを主の御名祈ります。一生涯、神様の祝福の証人なることを祝福します。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲私たちの聖歌隊が今日、復活祭だから、意味ある賛美をしました。アンコールでもう一度聞きたいのですが、礼拝をささげて、聖餐式をみな終えて20分くらいカンタータをささげます。みな聞いて、そのあと、出て行ってください。
▲私と皆さんは、本当に神様の恵みを受けた人です。私は信仰生活すればするほど、神様の恵みがどれくらい尊いかということを思います。とても祝福された者だと私は思っています。何ゆえでしょうか。神様の恵みのゆえにです。
▲それで一生涯の間、整理しなければならないことがあります。みことばの整理をしなければなりません。どんなみことばの整理をしなければならないのでしょうか。
(1)最も重要な福音のみことばを整理しなければなりません。これが福音の唯一性です。なぜ、このようにみことばを整理しなければならないのでしょうか。今、サタンの最高戦略と願いが何か分かるでしょうか。絶対に福音を知らなくさせるのがサタンの戦略です。サタンの願いが何でしょうか。永遠にイエス・キリストを知らずに、偶像崇拝させるのがサタンの最高の願いです。それでこそ、イエス様の再臨が遅れるからで、私たちはここにだまされてはいけません。神学者の中にもサタンが入って、本当に変にさせました。必ずイエスだけ信じてこそ、救われるのか。他の宗教にも救いがある。他の宗教にもいくらでも良いお話が多い。それを認めてあげるべきで、キリスト教は必ず独善主義者のように、イエスを信じてこそ救われると言うから、おかしな人々だ。ポストモダニズム思想と、宗教多元論が入ってきて、神学者の中にもこういう話をする人がいるのです。他の宗教にも救いは必ずある。1992年に、大騒ぎが起こりました。メソジスト神学大学学長がその話をしたのです。他宗教にもいくらでも救いはある。またホンという教授は、肉的な復活は信じない。メソジストで大騒ぎが起こりました。宗教裁判まで起きたのでした。1993年宗教裁判がありました。両人が教籍を剥奪されました。それで、メソジストの神学生たちが大騒ぎを起こしました。あのように斬新な神学思想を宣言した人々を、なぜそのように困難な目にあわせるのか。助けなければならない。デモまでしたりしたのです。今は、その方たちが牧師になっているのです。本当に変です。イエスだけ信じて救われるのではないということです。また、ある教団では創世記は神話だ。創世記は、いつ書かれたのか。モーセが書いたが、その当時には字がなかった。言葉で伝わってきたのをモーセが整理したのだ。それで、口伝で神話だ。正確な神様のみことばではない。このように話した教団もあります。
▲皆さんどう思いますか。正確な福音を整理しておかなければ、皆さん自体も揺れます。なぜ私が神様の恵みを受けたか、このように初めに申し上げた理由がこれのためです。世界中でこの御名の他に救われるべき名は私たちに与えられていません。ただイエスでなければだめだ。その奥義を知っている人が、まさに私と皆さんです。これを知ったということが神様の恵みです。これが神様の最高の祝福です。
(2)それで、私たちはどんな整理をしなければならないのでしょうか。私たちの人生に対して整理をしなければなりません。私たちが誰か、何をする人か、何のために生きる人か、これができなければ、多くの困難に会います。人生を浪費して生きるのです。
▲とても難しい時期でした。どこの誰も手助けできない状況でした。そうかと言ってお金もありませんでした。健康もありません。そして実力もありません。その時、牧師先生が、私の家に礼拝の導きに来られました。結婚してはじめての家庭で礼拝をささげたのでした。環境がとても良くなかったのです。どんな家で暮らしていたかというと10万ウォン(約一万円)を敷金で出した貸し家で5万ウォン(約五千円)で住んでしました。日の光も入ってこない家でした。山の斜面にあるので、湿気が多かったのです。部屋も小さかったのです。家と家の間の路地に入ってこなければなりませんでした。玄関もとても小さかったのです。家がなくて、やっと引越しした家でした。結婚して暮らしたのです。牧師先生が来られました。その時、賛美歌495番(恵みに満たされ)。みことばはIテサロニケ5:16-18たとえこの家は日の光も入ってこないで、かびもはえて、とても良くない環境であっても、この家に誰が暮らしているのか。この家は伝道師が住んでいる家だ。この家は神様の子どもが住んでいる家だ。この家は世界福音化する要員が住んでいる家だ。環境に押さえられないように、今の現実に押さえられないように、牧師先生がメッセージ与えられました。この家に入って出る時、その時ごとに叫びなさい。何と叫びましょうかと言葉には言わなかったのですが、何と叫ぶべきかと思っていた時、牧師先生がおっしゃられました。この家は、神様の子どもが住んでいる家。この家は世界福音化の要員が住んでいる家。入って出て行く時ごとに叫びなさい。
▲皆さん、何のために生きているのですか。人生を整理しなければなりません。
(3)講壇のメッセージを通して未来を準備しなければなりません。講壇のみことばを通して未来を見られます。この3つのことが整理できないならば、皆さんに困難がくれば、その困難を越えることはできません。それで、これを整理すれば、ぴったり一つ感じるのです。神様の恵みは、とても尊いな。
▲私は真の出会いの祝福を持ったと思います。驚くべき祝福です。伝道者に会いました。これがどれくらい大きい祝福かわかりません。伝道者に会えば、私に正確な福音が伝えられます。正確な福音を持っていれば、それがものすごい力になります。人生の目的、意味自体が、完全に変わってしまいました。未来も保障されています。誰も手助けしてくれなくても、神様が永遠な私の背景になってくださいます。ものすごい祝福を受けた人だと確認できました。

1.なぜ必ずイエスを信じるべきなのでしょうか
▲神様が創世記1:27人間を造られました。神様のかたちで創造されたのです。だから、神様と人間は会うことができました。ところが、問題が一つできたのです。創世記3章の人間が神様の中から離れてしまったのです。神様を離れて、それ自体を罪と言います。原罪と言うのです。
(1)未信者状態6つ
▲その原罪によって、人間は身分自体が完全に悪魔の子どもという身分を持つようになりました。高等部の説教した時、完全に悪魔の子どもと言いました。神様の中を離れた人間は、悪魔の子どもです。レムナント1人は、牧師先生、それではうちのお父さんが悪魔ということですか。そうではありません。身分自体が悪魔に所属してしまったということです。
▲だから悪魔の奴隷になってしまいました。奴隷の特徴があります。奴隷には自由がありません。未信者を静かに見てください。私の家も同じです。引っ越しする時、自分の思うとおりにはできません。引っ越しする日、方向、時間、みな尋ねなければならないのです。むやみに引っ越ししたら、ひどい苦しみを受けます。まったく生年月日による運命に捕われていて、とても困難な目にあいます。エプ2:2、奴隷です。しもべ。占い師に尋ねました。厄のある日には動けません。厄とはなんですかと尋ねました。厄とは悪い悪霊だということです。それでは良い悪霊があるということですが、どこに良い悪霊があるのでしょうか。自分の身についている守護霊が良い悪霊ということでした。世の中の人々は知ることもできないのですが、占い師の言葉に従って行くのではなくて、誰の言葉ついて行っているのでしょうか。悪霊の話について行っているのです。知識人が悪霊の話を聞いて動きます。占いを誰がよくしてもらうでしょうか。男は恥ずかしくてあまり行かないのです。女が良く行きます。ところで、女の話の影響を誰が受けるのでしょうか。夫が受けます。信じないようにしながら、影響をみな受けるのです。未信者が事業してだめならば、自分が行くのですが、行けなくて奥さんに今日、行ってきてみなさいと言います。奥さんが占い師の話を聞いてきて話してくれます。この厄があるから良くない。これのためだ。占い師が言うお守りを隠し持っていなさい。お祓いを一度、しなければならない。お祓いをします。全く信じないようにしながら影響をみな受けるのです。受けるしかありません。奴隷です。しもべ。
▲三番目は精神問題です。あまりにも不安なのです。不安、あせり、心配、思い煩い、憂いが絶えずきます。だからどうなるのでしょうか。
▲肉的な問題きて、病気にもなります。この頃は、何の病気でも前に名前がつきます。神経性だとつくのです。胃腸炎も、神経性胃腸炎。大部分、神経性がつきます。どうしてでしょうか。精神が連結しているからです。精神がなぜそうなのでしょうか。身分自体が神様を離れて、霊が死んでしまったので、だから人間はすべての病気でどれくらい苦しんでいるのかわかりません。
▲そして死ぬのです。来世がきます。どこへ行くのでしょうか。天国、地獄、二つのうち一つです。これが地獄に行くのです。なぜ地獄に行くのでしょうか。悪魔の奴隷だから...悪魔を閉じこめる所が地獄です。地獄の大将は誰でしょうか。えん魔でしょうか。マタイ25:41神様が悪魔を閉じ込めるために作ったのが地獄です。地獄の統治者は神様です。汚水に落ちて、上がってきて、誰がそのようになるのでしょうか。罪をたくさん犯した人間がするのでしょうか。違います。悪魔がそのようにならなければならないのです。悪魔の子どもがなるのでしょうか。悪霊がするのでしょうか。どうしようが、悪魔を閉じ込める所が地獄です。行くしかない来世です。
▲そして、終わるのではありません。霊的な遺産を残します。何を残すのでしょうか。法事(先祖供養)をするようにさせるのです。それで、韓国の人々が男を尊く見るのです。なぜ男をそんなに尊く見るのでしょうか。供養してもらおうと。子どもに悪霊を仕えるようにさせます。偶像崇拝するようにさせて、自分と同じ悪魔の子どもに。悪魔の奴隷の役割と、精神問題がくるように、肉的な問題くるように、結局、自分だけ行くのではなく、自分の子どもまで地獄に行くようにさせるのです。全く同じです。孫も同じです。霊的な遺産が、法事(先祖供養)をしていくので偶像崇拝するしかありません。永遠にこれの中で苦しみを受けるように、偶像崇拝すれば何代までほろびるのでしょうか。三代、四代までほろびます。永遠にほろびるようになるのです。
(2)この問題を解決するために、神様がこの世に直接、来られました。絶対にだめな問題、誰でしょうか。サタンです。サタンに勝てません。どのように、この中に陥っている人が、サタンに勝てるでしょうか。ローマ3:10、義人は一人もいないというのに、ローマ3:23すべての人が罪を犯したので神様の栄誉を受けることができないというのに、申し訳ありませんがこの中には釈迦もいます。この中にはソクラテスもいて、孔子もいます。この中にはすべての人がみな入っているのです。どのように、ここに陥っている人が救い出せるでしょうか。人間の力では絶対だめだから、神様がこの世に来られました。ローマ5:8私たちがまだ罪人であったときに、罪人だから話が通じるでしょうか。話が通じないのです。
▲それで神様が一方的に道を開かれました。それが十字架の道です。神様がこの人間を愛して、人間を救うために、人間の体でこの世に来られました。人間が持っている3つの問題を解決するために、この世に来られたのです。どんな問題を解決されたのでしょうか。罪の問題を、サタンの手から、私たちを永遠に解放させられました。地獄の権威から永遠に解放させてくださったのです。この方は、すなわち私たちを地獄から解放させる預言者です。Iヨハネ3:8悪魔のしわざを打ちこわしに来られた万王の王です。そして、すべての罪から解放させるための犠牲のいけにえです。預言者、王、祭司です。
▲誰が、いったいこの事を行われたのでしょうか。まさに3職を成し遂げた方がキリストです。誰がキリストでしょうか。聖書は話しています。イエスがキリストであることを。イエス様だけが私たちの真の救い主です。それで、誰でもこのイエス・キリストを信じる者は救われるようになっています。そして、イエス・キリストを受け入れる人は、神様の子どもになる特権を与えられました。イエスの御名だけ呼んでも救われます。神様が私たちの人間を愛して、人間を救うために、人間の体で来られた方です。私たちが解決できない問題をイエス様が完ぺきに解決されました。十字架上で完ぺきに解決されました。そして、復活されたのです。
▲今日の本文に多くの証人がいます。死んだ人もいるが、生きている人々が大部分だと話しています。イエス様の復活に対する証人がここにいます。それで私たちはこの時代に、イエス様の復活に対する証人にならなければなりません。受け入れる人々は、神様の子どもとなります。

2.救いとは何でしょうか
▲神様の子どもになったということは何でしょうか。救われたのです。
(1)それでは救いの意味は何でしょうか。救いということは、私たちの人生の過去の問題解決。私たちの人生の現在の問題解決。私たちの人生の未来の問題解決です。イエスを信じて天国に行きます。当然な言葉です。それは未来の問題です。イエスを信じれば、今、この時間に生年月日による運勢、運命から解放されます。この場にいる、すべての人が証人です。この場には占い師もいて、霊媒師をしていて立ち返った方もいます。聖歌隊に座っています。偶像崇拝の先頭に立っていた方々もいます。どのように救われたのでしょうか。皆さんがみな証人です。悪魔の権威を完全に壊して、万王の王となられたイエスの御名で救われたのです。過去の罪問題から、現在の悪魔の権威から、未来の地獄の権威から、完ぺきにイエス様が解決されました。救いとは何でしょうか。私たちの人生の過去、現在、未来すべての問題の解決です。
(2)それでは、救いの方法は何でしょうか。他の方法はありません。神様がお作りになった方法です。人間が作った方法は宗教。熱心。そして、知識、哲学。どのようにしても、神様の前に出て行こうとします。絶対にだめです。人間の方法ではだめです。ただ神様がこの方法を開かれたのです。それがまさにキリストの方法です。イエスはキリスト。神様の方法です。
▲イエスがキリストであるという事実を信じれば、救われます。イエス様を受け入れれば誰がくるのか分かりますか。神様の聖霊が来られます。私と皆さんが本来は神様のかたちで創造されました。この話が創世記2:7に細かく出てきています。土でお作りになって、その鼻に息を吹き込まれるので、人が生きるようになったのです。人間は生きた霊です。ところで、創世記3章の問題によって人間は霊が死んでしまったのです。死んだ霊が何をするということでしょうか。Iコリント15:45-50初めての人アダムは生きた霊だと出てきています。土から出た者、しかし、最後のアダムは天から出た者です。神からの霊である方です。最後のアダムはどんな霊でしょうか。生かす霊です。イエス様の霊です。事実、私と皆さんは霊が死んでしまいました。死んだのですが、イエス様を受け入れたのです。イエスの霊は誰でしょうか。生かす霊。生かす霊が私の中に入ってきてしまったのです。死んだ霊に入って来られました。死んだ霊が、どんな霊になるのでしょうか。生きた霊になってしまうのです。生かす霊が入ってくれば、死んだ霊が生きた霊になってしまうのです。これが生まれ変わることの奥義です。これが再創造の働きです。これを示して救われたと言うのです。
(3)それならば、救いの確信を持ちます。これがものすごい力です。
▲先週、核心を終えて青年が私の事務室にきました。多分、この場にいると思います。私が本当に愛する青年です。牧師先生に会いたくてきました。ところで臭いがおかしなにおいがしました。それと共に言うのに、牧師先生は格好良いです。やはり牧師先生は、すばらしいです。普通の時は、訪ねて来ないのに、この子が一杯飲んだのです。酒だけ飲んだら、私を訪ねてきます。同じ質問をします。牧師先生、私は救われましたか。これでも救われていますか。私はだめです。私は死ななければなりません。自殺しても救われますか。あなたは誰か。神様の子どもです。神様の子どもということは何かと尋ねたら、じっとしていました。神様の聖霊があなたの中にいらっしゃる。あなたが足りなくて、弱くても、たとえ肉の原理の下に生きていても、神様があなたの中にいらっしゃる。あなたは神様の子どもだ。永遠に神様の子どもだ。力を出しなさい。絶対に変わりません。力を受けて行きました。
▲救いの確信がどれくらい重要なのか分かるでしょうか。エペソ6章、この救いの確信が頭のかぶとだと言われています。頭をたとえて言われました。それだけ重要です。皆さんは、永遠な神様の子どもです。神様の聖霊が永遠に共におられるのです。私の話ではなくて、イエス様のみことばです。助け主聖霊で永遠にともにいます。天と地のすべての権威を持っておられるイエス様が、聖霊で世の終わりまで、いつもともにいます。神様の力で共にいる。

3.なぜ私たちは生きるべきなのでしょうか-伝道
▲それで、皆さんが永遠な神様の子どもだから、今、すべきことが一つ残っています。皆さんがなぜ生きなければならないのか。なぜそのように生きなければならないのか。その理由があります。皆さんが今、死ねば、天国に行く自信がありますか。それほど自信ないようですね。今、みんな死んだ。天国に行く自信があるでしょうか、ないでしょうか。自信があれば、今、死にましょう。暮らしていれば、罪だけさらに犯すでしょう。救われたのですから、みんな死にましょう。私たちだけ救われるのです。これがとても悪い人々で、ユダヤ人思想です。選民思想、自分だけ救われるということです。皆さん、成功しなければなりません。これのために。健康でなければなりません。これのために。皆さんが祝福されなければなりません。これのために。神様が皆さん通じて必ずしようと思うことがあります。
(1)神様は皆さんを通じて永遠のいのちを受けると定められたたましいを、みな救うように希望されます。皆さんに会うその一人が、世界福音化に完全要員になることができます。
(2)ただ一度の出会いですが、永遠な出会いになることができます。
(3)それで一つだけ見つければ良いのです。門だけ見つければ良いのです。門とは何でしょうか。それが私たちの地教会です。聖書の伝道方法20の戦略です。神様がこれのために、祝福の証人として確かに用いられるでしょう。

4.結論
▲結論的に、私が私たちの執事1人の弟が僧侶です。ニュージーランドで僧侶をしているようです。福音を持っている執事が弟に福音を伝えることを願っておられます。どれだけ祈ったでしょうか。ところで、祈っているのに弟がきたのです。牧師先生、弟が来ました。一度だけ会ってください。食事を一度しましょう。その弟に話したということです。私たちの教会の牧師先生が、僧侶に食事を接待するということです。僧侶が言うのに、牧師がなぜ僧侶にご飯をおごるというのか。初めには拒否したのですが、私たちはずっと祈ったのです。僧侶に会いました。レストランで会いました。来て、本当に僧侶は話が多いのです。私はクリスチャンが話が多いと思っていたのですが、一時間半の間、仏教のあかしをするのでした。自分の人生全体の話をしたのです。私に一時間半の間、隙を与えませんでした。それを聞きながら、私はずっとご飯を食べました。本人は話していて、食べることもできなかったのです。一時間半過ぎて、一度した話をまたし始めたのです。その時になって、僧侶、そのことばは少し前に聞きましたと言いました。だから、この方が途中で打ち切られました。牧師先生、一言お願いします。いよいよチャンスがきたのです。僧侶は、一時間半の間、おっしゃいましたが私は30分だけ言います。私の人生を説明しました。未信者状態をずっと説明したのです。私の生きてきた証しです。そうしたら、そうだということでした。ところで、私は1人に会いました。その1人に会ったので解放されました。私は生年月日による運勢、運命を変えるためにしなかったことはありません。ところが、生年月日による運勢、運命を変えられませんでした。運勢そのまま、二十才の時に困難に会いました。運勢に29歳で死ぬと言われたのですが、死ぬ前に1人に会って、そこで完全に解放されました。僧侶の下に養子に入ったこともあります。それでもだめでした。名前も変えました。庵もたてたのに、それでもだめでした。どんな努力をしてもだめでした。ところで、私が1人に会ったら、私の人生が完全に変わりました。私は、生きていく目的も変えました。その1人に会ったので、私は今でも完全に生きています。死んだ中で、その方に会ったので、永遠に生かされました。その方は誰ですか。その方に会ったので、私が永遠ないのちを受けるようになりました。そうですか、その方は誰ですか。その方と出会って、今でもその方は私に力を与えてくださっています。そうですか、牧師先生、その方は誰なのですか。その方がまさにイエス・キリストです。神様なのに人間を愛して、救うために、すべての栄光を捨ててこの世に来られた、そのイエス様です。地に下り、イエスの御名を高められました。僧侶も話を聞いたでしょう。多分、イエス様に対しての話を聞いたでしょう。私は自分の言葉を通じて僧侶が変わるとは考えません。しかし、一つ必ず申し上げたいことがあります。僧侶の人生のすべての問題を解決できる方があると、修業に励んでもだめなその問題を解決できる方があると確かに言いたいのです。イエス様だけが私たちを救うことができる救い主であると、私は僧侶に必ず言いたいのです。信じようが、信じるまいが、私とは関係ありません。僧侶が処理することです。今日、良い出会いになって本当にうれしいです。顔が赤くなって一言言われました。軍隊にいた時、軍牧とたくさん遊んだということです。いっしょに運動もして、食事もしたそうでした。ところで、その方はイエスの話を絶対しなかった。ところで、牧師先生は、イエス様に対して話して下さいますね。それのために私が生きています。死ぬ運命が、そのために生きています。私が祈りを一度します。内心、私が祈れば、この方は念仏を唱えると言うのではないかと思ったので、祈りをひとまずして立ちあがりました。そして、出てくるのに僧侶に聞くだけ聞いて、招いたり、受け入れを言いませんでした。執事が付いてきながら、牧師先生、とてもありがとうございます。何が感謝かというと、自分の弟がどこへ行って福音を一度聞けるでしょうか。
▲私たちは福音を伝える使命だけ果たせば良いのです。後にはどのように働くのか誰も分かりません。その僧侶が人生の最後にイエス様を信じるのか、どのように分かるでしょうか。94-95年度のことですが、その方は私は知りません。キム・ジョンヨル勧士が知っている年上の男の方です。その方が肺ガンで死ぬ危機にありました。キム・ジョンヨル勧士が、インマヌエル教会に通っていると知って、この人はいるかと尋ねたということです。それは名刺でした。その名刺が誰のかというと、東三第一教会伝道師、聖句の下に私はあなたに関心を持っています。十何年が過ぎたのに、その方が私の名刺を持っていたのです。その名刺を勧士がもらって、私に渡してくれました。私たちはそのまま一度伝えたのですが、どうなるのか誰も知りません。死の直前に、私たちのキム・チョンホ牧師が行って伝道して福音を伝えたら、その方だけイエスを受け入れたのではなく、その家族がみなイエスを受け入れたのです。登録して礼拝に出席しています。皆さんが私たちが福音を伝えるのが単純なことのようですが、本当に永遠な出会いなのです。この永遠な祝福を私たちが悟ったのです。これぐらい伝道者は祝福です。これぐらい素晴らしいということです。人生自体が本当に素晴らしい人生を生きているのです。
▲結論を結びます。創世記6章を見れば、神様の嘆きが出てきます。マタイ9章に、イエス様の嘆きが出てきます。どう思いますか。私たちがする700地教会が、どのように思いますか。ソウルに2000地教会がどう思いますか。神様の嘆きと嘆きを聞き入れるのが、私たちがする地教会運動です。ローマ1:10パウロはローマに行くことを望みました。ローマ福音化するのに用いられました。その人生は単純な人生ではありません。神様の「情念」を抱いてささげる人生です。
▲もうソウルも建築をしていて、釜山も今、準備しています。やはりウルサンも準備しています。私たちは、この世の中に本当に手本を見せなければなりません。伝道する教会、宣教する教会を神様がどれだけ祝福されるのか、皆さんが見せなければなりません。福音を伝えると私たちを見て異端と言いました。それで皆さんに見て尋ねてみます。教会はどこですか。皆さん、何と話しますか。あのヨンドにあります。ヨンドに教会は多いが、どこにありますか。あのトムサムドンにあります。トムサムドンの何の教会ですか。とにかくあります。なぜそのように言うのでしょうか。自信を持って話しましょう。私たちは伝道と宣教のために神様が立てられた教会です。私たちはインマヌエル教会です。私の友人にその話をしたら、オ、あの柳光洙。あの異端。異端、あなたは何か知っているのか。私はよく知らないが、私たちの牧師がそう言う。知ってから話しなさい。知らずに話さずに、私はその教会が20年間います。私が証人です。どれくらい、悪どい人なのか分かるでしょうか。伝道するのに、伝道できないように防ぐのです。私たちを見て、伝道するな。合同側、釜山地域の教会で、何を言ったかというと、すべての伝道団体はみな撤収しなさい。宣教館、タラッパン、釜山駅、賛美伝道、みな撤収しなさい。ただヨンド、トムサムドンで伝道しなさい。それが釜山の地域の教会の決定です。そうしておいて、すべての信徒に電話して、柳牧師を誹謗して、その時、無力な伝道師、神学校に通っていたら、呼ばれて怖がらせて、学校を選択するか、教会を選択するか。教会選択すれば学校をやめさせる。その話が何の話かというと、怖がらせて教会から出てこいということです。その時、牧師たちに尋ねたのです。その時、神学校4年の時でした。牧師先生、私は何も知りません。習う学生として一つだけ質問します。何か、伝道することがそのように誤っていることですか。答えることがありません。お前は柳光洙派だ。出て行きなさい。分かりましたと出てきました。皆さん、伝道するのがそんなに悪いことですか。胸に情念があります。私と皆さんの中には情念があります。どんな情念なのでしょうか。神様の情念。現場に伝道者がいない。現場で死にかかっていていても、この話をする人がいないのです。人の顔色を見ながら話しません。伝道、そうだ私たちの教会は雰囲気が良い。牧師先生が最高の学閥で博士学位いくつか持っている。私たちの教会は愛が多くて、この地域のために奉仕して献身する。一度きてみなさい。そのようにしていて、そのようにしてきました。イエス・キリストを信じれば神様の子どもになります。罪と死から永遠に解放されます。言ってくれる人がいません。
▲ここに主役として用いられるオールインする信徒になることを希望します。一生涯、神様の祝福の主役になることをイエス様の御名で祈ります。

(祈り)
神様の恵みに感謝します。伝道者に会うため伝道する人生になるようにしてくださったことを感謝します。福音がなくて死んでいく数多くのたましいをながめて、残念に思う神様の心を持った伝道者になるようにされたことを感謝します。私たちの生涯を通して、ただ福音だけをあかしできるようにさせてください。私たちが行っても、私たちのレムナントを通して福音運動が持続的に完ぺきに宣べ伝えられるようにしてください。生涯の最高の祝福を受ける、理由ある、意味ある祝福の主役になるようにしてください。私たちの生涯を通して、神様だけが最高の栄光を受けてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)