2009年11月15日 聖日礼拝 場所:インマヌエル教会 :


1部:旧約の聖所
(出エジプト記25:1-7)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲今日は秋の収感謝祭だ。特に学習洗礼を受ける方々がいる。
(1)荒野を行く道に受けた苦しみとシナイ山では四十日四十夜-その間にのがしてしまったことを回復しなさい、それまで正しく知ることができなかった福音を正しく見つけ出しなさい、そして、40日を集中的に祈れということだ。そして、エジプトと荒野ではこれ以上希望がないから今はカナンの地に行くのだ。絶望も正しくすれば希望がある。神様のすばらしいことが見られる。
(2)聖所を作れ。聖所を作る理由3つがある。
1.3つの祭りを忘れてはならない
(1)過越祭-暗やみと絶望、呪いの中から羊の血を塗る日、抜け出した。十字架の血の契約を握る日、暗やみから出た。忘れてはならない。
(2)五旬節-みんなが死ぬと言ったが、50日後に穀物を取り入れて、その日に聖霊に満たされることが起きた。
(3)収穫祭-穀物を取り入れて倉庫におさめて入れたように、神様が最後まで私たちを導かれ、天国に行くことになる。
2.私が力を得られる場所を持とう
▲皆さんが個人祈りができる場所を作りなさい。
(1)創世記13:18、アブラハムが一人で危機の中で祭壇を築いた。
(2)創世記35:1、神様がヤコブに、昔に恵みを受けたベテルに上がれ。あなたが個人的に力を得る聖所を作れ。
(3)わたいはあなたをエジプトの奴隷であった所から呼び出した主である。皆さんは救われた神様の子どもだ。これ以上、ほろびることもないから心配せずに聖所を作れ。
(4)I列王19:1-20、エリヤが死刑宣告を受けて逃亡する時、神様がホレブ山に行くようにされて、神様が力を与えて、みことばを与えられた。
(5)使徒27:24、パウロが暴風の中でも祈る時、神様がおっしゃるのに、パウロ、恐れてはならない!あなたはカイザルの前に立たなければならない。福音のゆえだ。わたしがあなたとともにいる。
(6)パトモス島-使徒ヨハネが、パトモス島に島流しされて号泣していたとき、神様がヨハネにメッセージを与えられた(黙示1:3)
▲楽しい気持ちで私が記憶して力を得る聖所を作れ。
3.幕屋中心に人生を維持して、みことばを握って私の聖所で祈りなさい。
▲聖所は幕屋の一部分だ。幕屋で皆さんがいる場所が聖所だ。
(1)過去のすべての証拠を握って幕屋中心に生きなさい。その聖所にあなたの場所を作れ。
(2)さらに重要なのは、未来の大きい証拠を握れ。そして、揺れずに幕屋中心に生きなさい。そこにあなたがたが祈る聖所を作れ。
(3)そして、今、荒野を行かなければならない。ここでどのようにするべきなのか。幕屋中心に、そこに聖所を作れ。
▲幕屋中心ということは、神様中心、みことば中心、礼拝中心だ。
4.結論
(1)旧約のレムナント、初代教会、パウロが揺れない理由-未来を確かに知っていた。その未来を捜し出す場所が聖所だ。今日、聖所の祝福、契約を握っていれば未来が見られる。
(2)今日の本文を見れば奉納物を持ってきたとあるが、そのような必要もない。イエス様が一気に十字架ですべての奉納物を終えてしまわれた。
(3)より大きい祝福は、すべての信徒を万民の祭司に、預言者に、王として呼ばれた。
▲私たちは同じように荒野を行っている。行く中にカナンの地を入った人がいて、入れなかった人がいる。そこに対する試験場だ。驚くことに、信仰がない人々は入れなかった。信仰がある人は入った。今日、皆さんがみことばを一つでも握れば、時間が過ぎれば皆さんが握ったみことばが正確に成就している。今日、皆さんがみことばを握る時間に聖霊が働かれる。みことばを堅く握って祈りを始める祝福の開始になることを望む。
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲今日は、秋の収感謝祭です。特に学習洗礼を受ける方がいます。しばらくみことば通じて最高の祝福の日になることを希望します。今、イスラエル民族は荒野を通過しています。荒野は気楽なところではありません。止まることもできなくて、帰ることもできなくて、行く道も難しいところが荒野です。ある面で、皆さんと私は荒野を行っているのと全く同じです。それで不安です。あの悪い強いエジプトがいつまた現れるかもしれません。また、カナンの地には七つの部族三十一人の王が待機しています。荒野を行く間には、自然の危機も簡単ではありません。そのうえに、内部の問題まであります。必ず反逆者がいて、次々と不信仰を話します。そのうえに、無知な国民は、この言葉を聞いてこちらに揺れて、あの言葉を聞いてあちらに揺れるこういう危機の状況です。
(1)その時、神様がシナイ山へ呼ばれました。意味が大きいのです。そこで、戒めを石の上に刻んでくださいました。そうした後に40日間を待てと言われたのです。
▲この40日という意味が、いろいろなものがあります。苦難の数字でもあり、待つことの数字でもあって、いろいろ意味のある内容です。先週にそれを見ながら、なぜ待てと言われたのでしょうか。それまでのがしてしまったことを回復しなさいということです。また、それまで正しく知ることができなかった福音を正しく見つけ出しなさいということです。そして、40日間、集中的に祈りなさいという意味です。それだからと言って、荒野が変わるのではありません。それだからと言って私たちが行くこの道が順調になるのではありません。
▲ここにとても重要なもう一つの意味があります。なぜ四十日四十夜を待てと言われたのでしょうか。私たちはしばしばこういう話をします。絶望してはならない。気をおとしてはならない。あきらめてはならない。こういう言葉をよくします。しかし、本当に福音を受けた人ならば違うと思わなければなりません。絶望をしなければなりません。福音のなかで絶望を正しくすれば希望が見られるのです。絶望を不十分にする人々が、希望が見られないのです。本来、成功できない人は希望も探せないが絶望も正しくできません。40日間待ちなさい。何の話なのでしょうか。これ以上、対策がないという言葉です。荒野で他の対策がありません。ですから、神様がみことばを与えるのが他の対策がないのです。いくらみことばを受けて、いくら気をつけても荒野は荒野です。それで、40日の意味はとても大きい意味を持つのです。荒野、そこで今、完全に絶望したということは何の話なのでしょうか。そういう話はまた違います。これ以上、ほろびることができないということです。これ以上どのようにほろびるのでしょうか。エジプトで死ぬ思いをして苦労して出てきて、荒野で苦労をしつくしているのに、これ以上さらにほろびることはありません。普通、自殺したい人はこう思えば良いのです。絶望をあまりしないからです。絶望を少なくした人が自殺するのです。私がもし死んでいなければ、どうなるのでしょうか。私はこれ以上、家族も、隣も手助けできない。私が死んでいなければ、これ以上、正しいことをすることもできなくて悪いことをすることもできません。私は死んだのです。ところで、私は今、生きている。新しく始めなさい。神様がそれを希望されるのです。いくらもがいても、エジプトで奴隷して、今、してみても荒野い来ているのです。これ以上ほろびることがないということです。今から、もう始めろということです。
▲40日間、死ぬほど苦労したように見られるのですが、ここではさらに希望がありません。エジプトと荒野ではさらに希望がないから今は行くのです。どこへでしょうか。カナンの地に行くのです。絶望も正しくすれば希望があります。それで、本当にほろびる人は絶望も正しくしないのです。絶望も正しくしてしまえば希望があります。神様のすばらしいことが見られます。この時、神様がなさったみことばがあります。そのように40日、待たせて悟るようにされて言われた言葉があります。それを握らなければなりません。絶望を正しくするように願います。絶望を正しく人は成功します。
▲ある人が事業して、監獄まで行きました。これ以上ほろびることはありません。これ以上、ほろびる道もないのです。事業がみな崩れて、監獄まできたのに、これ以上ほろびるものがあるでしょうか。正しく絶望したのです。今から始めるのです。今から何の元手もないで仕事をするのです。それで、この人が一日賃金決まったのでもなくて、そこへ行って始めたが今、成功しています。この間、話したが今、大学で講義しています。絶望を正しくしなければなりません。これ以上、ほろびられません。これ以上行く道がありません。あっても希望もないのです。
(2)その時、神様のみことばです。それとともになさったみことばがあります。
▲聖所を作りなさい。荒野を行く中に聖所を作りなさい。この聖所を作る理由3つがあります。

1.3つ祭りを忘れてはならない
▲最初に、みんなが死ぬはずだといったイスラエル民族が勝利したのです。そこで祭り三つを忘れてはならないと言われました。毎年守りなさい。毎年守る場所が必要です。それで聖所を作りなさい。祭りを毎年守るのに3つを守りなさい。
(1)暗やみと絶望、呪いの中から抜け出しました。過越祭。
▲守れということは、忘れてしまってはならないということです。羊の血を塗る日、出てきました。忘れてしまってはなりません。十字架の血の契約を握る日、暗やみから出たのです。
(2)みなが死ぬと言ったのですが、行く道に50日後に穀物を取り入れました。五旬節。その日に聖霊に満たされる働きが起きました。忘れてしまってはなりません。
(3)穀物を取り入れて倉庫におさめた刈りいれ祭のように、最後まで神様が私たちを保護して、天国に導かれます。忘れてしまってはなりません。普通の話になりません。
▲このように守る聖所を作りなさい。

2.私が力を得られる場所を持ちなさい
▲皆さんが個人祈りができる神様の祝福を受けなさい。これから、私たちが教会堂を作れば、教会の信徒がきて個人的に祈りができる場所も作るつもりです。教会は個人祈りをする場所がありません。とても誤っているのです。私が個人がきて、神様の前に静かにきて、一人で祈ることができる場所がなければなりません。もちろん、今、礼拝をささげるのが祈りですが、私たちが本当に個人が力を得られる聖所がなければならないのです。それで聖書に見れば山の話が多いのです。これはこの三つの祭りを守る場所を作ろうとする言葉もなりますが、個人が力を得る場所を作りなさい。モーセがいくらしてもだめなのにホレブ山で力を得ました。何の話なのでしょうか。個人が神様が与えられる力を得たのです。
(1)創世記13章18節を見れば、危機の中でアブラハムが一人で祭壇を築き始めました。この話は、祭りを守る聖所も必要ですが、一人で力を得る聖所を作りなさい。
(2)ヤコブがいくらもがいてもだめでした。このようにしてもだめで、あのようにしてもだめで。あなたの名をヤコブと言わずにイスラエルと言いなさい。そのようにしたが、また、だめでした。家に問題が起きて、事故が起きたのです。その時に創世記35章1節を見れば、重要なみことばが出てきます。神様がヤコブにベテルに上がりなさい。ベテルとはどこなのでしょうか。昔にヤコブが恵みを受けた山です。昔に兄を避けて、避難していくときに祭壇を築いた場所です。ベテルに上がれということは、あなたが今、個人的に力を得る聖所を作りなさい。
(3)皆さんはすでにどんな人なのでしょうか。わたしはあなたをエジプトの奴隷だった所から救い出した主である。その話は主であるという説明にもなりますが、相手を言います。皆さんは救われた神様の子どもだということです。これ以上、ほろびることもないから心配せずに聖所を作りなさい。聖書にそのような内容が中間中間にたくさん出ています。
(4)エリヤが王と戦って困難がきました。王がエリヤに死刑宣告を下しました。そして、捕まえろと指名手配したのです。エリヤが逃げました。逃げて倒れたのです。あまりにも苦しくて、えにしだの木の下に倒れました。倒れながらした話があります。私はこれ以上することができない。私はこれ以上することができない。絶望した瞬間です。正しく絶望したのです。何もできない。私は王に勝てない。そして年もとっていて、これ以上することができない。一番良い方法は一つしかありません。神様が私を呼んで行ってください。ところで、神様がエリヤには使命があったのです。神様が主の御使いを送って、エリヤに力を与えられたのです。その時も四十日四十夜を歩いて行ったところがホレブ山でした。なぜホレブ山なのでしょうか。モーセが恵みを受けた山です。なぜホレブ山なのでしょうか。モーセが十戒を受けた山。同じ山です。シナイ山、ホレブ山、同じ山です。そこに、エリヤを行くようにされ、神様が力を与えて、みことばを与えられました。
▲まちがいなく、救われた神様の民だから、皆さんはこれが必要です。ある面では分かったら何も恐れる必要もないのに、神様は私たちを見て聖所を作りなさい。
(5)パウロが裁判を受けるために船に乗って行きました。行くのに、あまりにも大きい危機に会ったのです。その時は飛行機がないから船に乗って行きました。船に乗ってローマまで行くべきなのに、そこで暴風に会ったのです。それもひどい暴風でした。暴風に会ったから船が沈みそうになりました。船が沈めば、本能的にどのようにするでしょうか。人々が船の上に上がります。その時、パウロが船の下におりていったのです。船の下に降りて行って神様の前に祈ったのです。その時、神様がパウロになさったみことばです。パウロ、恐れてはならない。どれくらい確実でしょうか。パウロ、恐れてはならない。理由を言われました。あなたのためではない。船のためではない。人のためではない。確かに答えを与えられました。カイザルの前に立たなければならない。福音のためです。ですから、恐れてはならない。わたしがあなたとともにいて、ともにいる人も救い出す。ですから、パウロが確信を持って人々に話したのですが、結局は、神様のみことばのとおりになりました。こういう聖所が必要です。聖所を作りましょう。私たちにこういう聖所がなければ勘違いするようになります。絶望も不十分にして自殺するのです。絶望も不十分にして堕落します。絶望を正しくしてしまえば堕落ができません。精神を整えられます。絶望も正しくしてしまえば希望が見られるのです。ですから、パウロが最高の危機で祈る中に、神様が恐れてはならない。船の上に上がってきて、ぶるぶる震えている人に大胆に話したのです。恐れてはなりません。その時、確実なメッセージで、神様が昨夜、私におっしゃられた。あなたがたは恐れてはなりません。ですから、人々にどれくらい慰めになるでしょうか。ところで、本当にそうなりました。どれくらい神様の栄光が現れるでしょうか。こういう聖所を持ちましょう。
(6)福音伝えようとしたら、最後の使徒ヨハネをつかまえて、パトモス島に島流しに送りました。それは完全に死の島、今でも島に一人で送られればそうでしょうが、その当時に島流しにされたのでした。その時、聖書を見ればヨハネが号泣をしたとなっています。なぜか、さらに希望がないから。どのように王が私を死ぬように島に送ったのか。その時に神様がヨハネにメッセージを与えられたのです。それがヨハネの黙示録です。正確に成就しました。今でも成就しています。ヨハネがその日、それを見て力を得たのです。明らかなことを見たので。黙示1章3節を見れば、この預言のみことばを読む者、聞く者、守る者は幸いである。それとともに、全世界になることをすべてみな説明したのでした。こういう聖所を作りましょう。

3.幕屋中心に生活を維持して、みことばを握って私の聖所で祈りなさい
▲もう一つ理由があります。三番目の理由があります。聖所を作る最初の理由は何だったでしょうか。祭り三つを忘れてはならない。洗礼を受ける方々、学習を受けられる方々記憶しなければなりません。運命、呪い、悪魔の権威から出ました。解放です。過越祭。行く道に聖霊がともにおられます。五旬節。最後まで導かれるだけでなく天国が背景です。収穫祭。その後に収穫感謝祭。(Thanksgiving day)。穀物が問題ではありません。重要な意味をのがしてしまってはいけないのです。それを記憶する聖所を作りなさい。ですから、青色の糸、紫色の糸、この話は誠意を持ってしなさいということです。楽しい心でしなさい。献金するのに楽しい気持ちで。私がとても尊敬する人にプレゼントすれば楽しいでしょう。私がとても嫌いな人がきて、私に何かをくれと言えば気分が悪いのです。私たちが送りたい人がいます。昔に6.25(朝鮮戦争)がおきて、おかしな人々がいました。戦ったのか戦争をしたのか、手が飛んで行っていました。手が飛んで行ったが、手鉤をつけています。鉄の手鉤は怖いのです。それで我が家にきます。母に、お金があればちょっとくれと。母は、しかたなく、しかめっ面をしながら与えるのです。その人が行った後にも、だめだ、哀れだと言わずにとても気分を悪くしているようでした。私たちが本当にこれをすれば祝福する希望があるとする時うれしい心でできます。それで金も持ってきて、金はその時は最高の高級品です。ここを見ると、ヤギの毛も持ってきて最も価格が低いのです。それも良いのです。今日、ここにはじゅごんの皮、これはアザラシです。ここを見れば、アカシア材、そそぎの油、エポデ、祭司が着る服です。しまめのうや宝石をすべて持ってきなさい。このようにして聖所を作りなさい。
▲三番目に、聖所を作る理由。今から必ずこのようにしなければなりません。聖所は幕屋の一部分です。幕屋を作るのに幕屋に皆さんがいる場所が聖所です。来週に出てくるのですが、契約の箱がある所は至聖所。ところで重要なのはイスラエル民族が、幕屋を作っておいてぐるっと囲んでテントを張ったのです。幕屋を作っておいて、家を全部、幕屋を見つめるようにテントを張りました。それは何の話なのでしょうか。幕屋中心に全部の生活を維持したのです。その中で入って祈る場所が聖所です。
(1)過去のすべての証拠を握って幕屋中心に生きなさい。その聖所に自分の場所を作りなさい。最高の祝福です。多くの失敗する人々が、これを中心に生きず、違ったこと中心に生きてほろびるのです。さらに重要なのは何でしょうか。
(2)未来の大きい奥義、その証拠を握りなさい。そして揺れずに幕屋中心に生きなさい。そこにあなたたちが祈る聖所を作りなさい。私たちは荒野を生きていかなければなりません。
(3)さらに重要なのは、荒野を今、行かなければならないのです。未来は未来で、今、行かなければなりません。ここでどのようにすれば良いのでしょうか。幕屋中心に。そこに聖所を作りなさい。
▲これを簡単に要約すれば重要な奥義です。聖所を作りなさいということは、結果的に祭りを守らなければならないから救い、恵み中心です。聖所を作らなければならないから、そこで祈らなければならないから、みことば中心、礼拝中心です。幕屋を作っておいて、イスラエル民族が囲んで家を建てたから、すべての生活が最も重要な神様中心です。勝利しなければなりません。この契約を与えたのです。皆さんが今日、全部この契約を握って真の開始があるようになることを希望します。

*結論
▲いくつかのことを置いて結論を下します。
(1)旧約のレムナントが揺れない理由があります。どうしてそんなに揺れるのでしょうか。初代教会が困難にあったのですが、全く揺れませんでした。私たちは少しだけ困難がくれば揺れます。外国も出てみれば、教会ごとに困難がくれば揺れるのです。さらに笑わせるのは、困難も来ていないのに、揺れるのです。困難がくると。来てもいないのに。とても揺れるのです。ところで初代教会は困難がきたが揺れませんでした。なぜそうだったのでしょうか。どのようにして、初代教会は困難がきたのに、実際に問題がきたのに揺れなかったのでしょうか。むしろ喜びました。パウロが、どうして監獄に行って感謝すると表現したのでしょうか。理由が何でしょうか。一つです。未来を確かに知っていたためです。その未来を確かに捜し出した場所が聖所です。私は私たちの教会を小さく始めた時、そばで多くの困難を与えたが私は全く気を遣いませんでした。立派だからでしょうか。違います。立派なのは、その方たちがさらに立派です。どうしてでしょうか。私はその方たちの未来を知っていて、伝道する私たちの未来を知っているからです。揺れる理由がありません。上手にしようが、間違おうが、たくさん非難を受けたが静かに置いています。私は知っています。これを初代教会が分かったのです。今日、皆さんがこの聖所の祝福、契約を握っていれば未来が見られます。
(2)本文に見ると、奉納物を持ってきました。ヘブル語ですれば、テルマ、というのですが、これは高く上げてあげるという意味です。そのような必要もありません。イエス様が一気に十字架ですべての奉納物を終えてくださいました。ですから、心配する必要もないのです。
(3)より大きい祝福は何でしょうか。神様が皆さんにすべての万民を祭司として、預言者として、王として呼ばれたという事実です。
▲ここに今、私たちは同じように荒野を行っています。面白い事実は、行く中にカナンの地に入った人がいて、入れなかった人がいるのです。そこに対する試験場です。荒野はカナンの地に入るか、入れないかということに関する試験場です。驚くべきことに、信仰がない人々は入れませんでした。驚くべきことに、入ってはならない人なのにも信仰がある人は入ったのです。遊女ラハブは、カナンの地に入る人ではありません。しかし、信仰で入りました。ものすごい方たちと、途方もない指導者は、ほとんど入れませんでした。信仰がなくて。
▲今日、皆さんは秋収感謝祭であり、聖礼式をしているのに、この契約を握るように願います。まちがいなく、そのようにすれば、答えがくるだけでなく、未来が見えるようになるのです。今日、この時間にみことばを握るように願います。今日、皆さんが一個だけみことばをしっかりと握りましょう。それが聖所の中の聖所です。皆さんがみことばをしっかりと握る時、何も特別なことはありません。しかし、そうではないのです。時間が過ぎれば、皆さんが握ったみことばが正確に成就しています。皆さんの信仰がみことばを握ることができなくて揺れれば、必ず揺れることが来ています。教会に通いながらも、聖書は色々な解釈をしておいたので律法を握って、宗教を握っていれば、必ず律法が成就するようになっています。どれくらい感謝するのでしょうか。みことばを握る時間に聖霊が働かれます。それでは、どれくらいすごいことなのでしょうか。礼拝より重要なことはありません。そのみことばを握る瞬間に、神様は天から主の御使いを、天使を送られるとなっています。どれくらい大きいものでしょうか。みことばを握る瞬間。それで、私はみことば準備するのを第一に重要だと思っています。ですから、ほとんど私は本をたくさん見るべきなのに、本はほとんど見ません。ほとんど座って祈ります。何の祈りをするのでしょうか。神様が必要とするみことばを、皆さんが必要とするみことばを聞かせてください。それで昨日も聖所ということを置いてたくさん祈って考えてみました。私が正確にお手伝いすれば働きはだれがされるのでしょうか。神様がなさるのです。それで今日みことばを堅く握って祈り始める祝福が始まることをイエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、この時間がまさに聖霊が働かれる時間になるようにしてください。信仰で契約を握る時間に荒野で神様の使いを送る時間になるようにしてください。感謝を回復する時間になるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)



2部:律法の完成
(ローマ13:8-10)


☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
(1)迫害を受ければ、恨み、憎しみ、不満も生じる。
1)これは必ずサタンの通路となる。
2)必ず霊的な病気になる。直せない。
3)次世代や他の人に伝えられる。
(2)それで、この部分を解決できるのが愛だ。
▲愛は、すべての律法を完成させる。愛には2種類がある。条件がある愛(家族、親と子ども、友人、夫婦)がある。ところで、後ほど大きい困難がきた時、耐えることができない。
(3)アガペー-ここで話す愛は、神様の愛を言うが、これを受けて悟ってこそ勝てる。この愛はたくさん受けるほど良い。
▲本論-愛の借りのほかは借りがあってはならない。借りが多ければ多いほど良いのが、愛の借りだ。今から成功しようとするなら、どんな借りをたくさんするべきなのか。
1.福音(救い)の愛
▲神様が私たちにくださったのが福音であるが、この福音の愛の借りをたくさんする人は成功する。
(1)ヨハネ5:24、信じる者は死からいのちに移ってしまう。これを救いの借り、恵みの借りという。
(2)使徒16:31、あなたとあなたの家族は救われます。
(3)ローマ8:31-39、福音の愛を受ければ絶対にほろびない。
(4)ヘブル9:27、一度死ぬことは人に定められたことで、それ以後には審判がある。ところが、この審判を免じてくださった(ヨハネ5:24)
(5)Iペテロ2:9、私たちを王である祭司、預言者として呼ばれた。
2.答えの愛
▲神様は皆さんに多くの答えをくださるが、この答えの借りもたくさんあるほど良い。
(1)レムナント7人が神様の愛をたくさん受けて困難に勝った。
(2)初代教会が極限の困難にどのように勝ったのか。
(3)パウロはどのように勝ったのか。私たちがとても好きなことをパウロはちりあくただと言った。答えをとてもたくさん受けるから...私たちは福音に借りがある者だ。
3.伝道の愛
▲知らない人があまりにも多いから、神様の愛を伝える伝道の愛の借りは多いほど良い。
(1)レムナント
1)ヨセフ-ポティファルの妻を赦し、兄たちを赦し
2)ダビデ-サウル王を赦し、サウルの孫メフィボシェテと共に食事
3)エリシャ-アラム軍隊をよくもてなして送った。
(2)初代教会がこの愛をたくさん受けた。
(3)ソン・ヤンウォン牧師(自分の息子を殺した人を息子とした)、キム・ジュンゴン牧師(両親を打ち殺した事件を通して、福音を伝えて思想を変えなければならないと決断)
*結論-今から3つの事は必ずしなさい。
(1)黙想-レムナントは5分だけ早く起きて、少しだけ黙想しなさい(朝)
(2)実際に短く一日に三回ずつ黙想したことを持って実際に祈ってみなさい。少しだけしてみれば祈るリズムができる。
(3)聖霊体験-実際に重要な時間に自分の専攻分野を置いて祈ってみなさい。聖霊体験をしてみなさい(証拠がくる)。重要なことがある時は深い祈りをしなさい。
▲レムナント7人が全部、開始をこのようにした。この時、神様のものすごい力と癒されるみわざが起きて、途方もない答えが始まる。この祝福をたくさん受けるようになることをイエスの御名で祈ります。
(The end)


☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲今日、律法の完成というみことばを見ます。
(1)初代教会は迫害をたくさん受けました。それでは恨みができます。また憎しみもできます。そして不満も生じます。大部分のレムナントが、こういうものにたくさん捕えられているのです。ところで、聖書のレムナントはこの部分をよく勝ちました。
▲これは必ずサタンの通路になるためです。人々はよく知らずにいます。恨みができて、嫌って、恨めば、確かにサタンの通路となります。これは必ず病気がくるのです。肉の病気は直したり死ねば終わりですが、霊的な病気は直せません。しかも、次世代や他の人に伝えられるのです。怖いのです。
(2)それで、この部分を解決できる方法が愛なのです。
▲この愛は、すべての律法を完成させます。ここで用心しなければならないことがあります。愛は大きく2種類があります。条件がある愛があります。家族だ、息子だ、娘だ、これは愛する条件です。この愛もたくさん受けるほど良いのです。友人や夫婦というものも条件です。こういう愛をたくさん受ければ非常に良いでしょう。子どもたちも愛をたくさん受けて育った子どもたちは、健全です。ところで、必ずそうなのではありません。親の愛と家族の愛をたくさん受けた人が、後ほど大きい困難がきた時、耐えられないこともあります。それで、ある人は愛をたくさん受けて育ったのに、大きい問題がくるから耐えることができないのです。釜山の前市長もそうでした。実力があって、多くの祝福を受けた人なのに、監獄に入って自殺しました。いっそ孤児院で育ったら死ななかったでしょう。孤児院では苦労を多くして、こういうことは苦労でもないと思ったのに、私が生活できないだろうと思ったのです。
(3)ところで、ここで話す愛はそのような愛ではありません。神様の愛を言います。これを受けて悟ってこそ勝てるのです。この愛は誰でも与えられるのではなく、神様だけがくださるのですが、これを受けてこそ、霊的問題も勝てて、全てのものに勝てます。それで、この愛はたくさん受けるほど良いのです。
▲今日の本文を見れば、借りはたくさんあるようにと出てきます。愛の借りの他には借りずに、愛の借りはたくさんしなさい。世の中の借りは多ければ多いほど問題がきます。ところで、神様の愛の借りは多ければ多いほど良いのです。それで、愛の借りの他にはしてはいけないのです。
▲見てみると、きれいな女子学生レムナントが多いが、嫁入りする時、相手の家には前もって行くでしょう。嫁入りする前に、こっそり誘惑をしてその男の職業や、全てのものを見て、そこに合わせて、どれくらい貯蓄をしたのか調べなければなりません。職業がかなり大丈夫でも、貯蓄が一つもできていない奴がいます。こういう奴には可能ならば嫁に行ってはなりません。その時まで話したことはみな嘘八百です。ところで、職業がそんなに良いようでないのに、貯蓄したものが結構ある。そのような奴に嫁入りしなさい。それでは、お金が基準でないかと尋ねるでしょう。違います。生き方が基準です。整理された、未来がある人々は、男はいくら少なく儲けても貯蓄をします。希望がない人々はたくさん儲けても貯蓄をしません。それで指示をしたのです。RUTC献金の中で、した人々の名簿を選べと指示しました。みな見つけられるようになっています。すべての教会と個人、順に選んで、名簿を持ってきなさいと言いました。そして、直接、巻尺を持って探してみなさい。お腹が出ている人たちは、無条件に献金を強制的に考えさせなさい。神様も福音も考えないでたくさん食べるからです。そのような人々は貯蓄ができません。こういう人に嫁に行けば、一生、苦労して、老いて苦労して、子どもを産んで苦労します。何の話なのかよく分からないでしょうが、そうでしょう。愛の借りの他にはしてはいけません。貧しくて、いわゆる庶民である私の父に学んだことがあります。幼い時、見たら他の人より4倍に仕事をしていました。習ったことがないから量で4倍の仕事をしていたのです。そのようにでもしなければなりません。習った人は質を持って4倍に仕事をしなければなりません。そうでなければ、貯蓄もできなくて献金もできません。それで、レムナントは他の人々より10、20倍は仕事をすべきです。これは一般的な話で、多ければ多いほど良い借りは愛の借りです。
▲今から本当に成功しようとするなら、どんな借りをたくさんするべきでしょうか。

1.福音(救い)の愛
▲神様が私たちにくださったのが福音です。この福音の愛、この借りがたくさんある人は勝利します。
(1)ヨハネ5:24に、信じる者は死からいのちに移ったのです。当然、滅亡しなければならない人が滅亡しなかったのです。これが借りです。必ず滅亡しなければならないのに、しませんでした。これを救いの借り、恵みの借りと言います。この呪いが次世代に行かないのです。
(2)使徒16:31を見ると、あなたとあなたの家族は救われます。
(3)ローマ8:31-39を見ると、絶対にほろびません。絶対にほろびなければならない状況がきたのですが、この福音の愛を受けるから、絶対にほろびなくなるのです。恨み、憎しみ、不満の中に陥らずに、神様の愛の大きい祝福の中に入るように願います。こうすれば、災いと暗やみの勢力がみな逃げるようになっています。
(4)ヘブル9:27に一度死ぬのは人に定められたことです。ここに座っているすべての人は、いつどのように死ぬのかみな決まっています。実感がないからであって、年をとって病気にかかった人々は実感できるでしょう。みな決まっています。その以後には必ず審判があります。この審判を受けるべきなのに、この審判を免じるようになったのです。それで、ヨハネ5:24に裁かれることがないと言われました。ひょっとして、不満、憎しみが積もっているならば、はやく捨てるべきです。それは全部サタンの通路となります。普通に思うでしょうが、らだも完全に病気にかかるようになります。そしてたましいの病気はひどくて、治癒できないのです。
(5)私たちをIペテロ2:9に、王である祭司、預言者として呼ばれました。ここに借りた者です。
▲この借りの他には借りてはなりません。この話はこの借りはたくさんしなさい。神様のくださる救いの恵みの借りがたくさんある人は生かされます。ある人は話にならないと言いながら、理解ができないでしょう。しかし、話になるのです。神様は私たちのすべての罪を許されました。これが借りですが、良い借りです。
▲ある監督が、文化部の長官もして映画も作りました。その方に会えるならば福音を伝えるでしょうが、その方は教会を非常に嫌いなようです。そして、教会の悪口を言っています。人々を呼び出して、なぜ教会は税金を出さないかと問い詰めています。よく知らないのですが、それがみな作戦なのです。一時、大統領もそうでした。一般の人たちはよく知りません。私たちはそのままそのようにするんだなあと思いながら、祈っています。今はまた、教会の悪口を誰も言わないのでうが、その時は継続して言いました。その中で1人が映画を作ったのです。多くの映画をたくさん作ったのですが、その中で密陽(ミルヤン)という映画を作って、賞も受けました。私もその映画を見たのですが、内容は、お金をもらって客を泊めても、簡単に話せばキリスト教を非常に侮辱する内容がたくさん出ます。その中で、例えば事故を起こして殺人をした人が監獄に入ったが、図々しく神様の私の罪をみな許したと話します。そのような形で、映画を作って見せています。それは逆にしたのです。そうでなくて、神様の愛を受けた人々は私が被害をこうむったが、間違った人を見て、神様がみな許されたと話すのです。これがキリスト教の思想の最も重要なものです。これを逆にひっくり返して、監獄にいる罪人が神様がみな許されたと話すと説明をしています。私が見る時は、その方が教会は通っているのかも知れませんが、教会に対する最も重要なことを最も価値がなく表現したのです。いくら思想がそんなものを習ったとしても、会えば確かに話すつもりです。通常の問題ではありません。神様の愛を最も皮肉って表現したのです。とんでもないのに、神様のみこころだと持って付けました。そのような場面がかなり何度も出てきました。それを見ながら、確かに思想というのが怖いことだなと感じたのです。言葉はみなできないが霊的な問題というものが深刻ですが、そのような形で現れるのです。学校の先生、政治家たちが霊的な部分を知らないのですが、本当に重要なことです。
▲次世代が呪いを受けるべきなのに神様がこの救いの福音で祝福を与えられたのです。この借りをたくさんしなさい。その他には借りてはなりません。世の中の借り、肉の借りとは違います。とても重要な言葉です。霊的なことを知らないから。ユダヤ人がわからなかったのですが、パウロがするこの話は、とてもレベルがあるメッセージです。愛の借りの他にはしてはいけないという言葉は、愛の借りはあってもかまわないということです。
▲この愛の借りはたくさんしなさい。この愛の借りは律法を完成させることです。まだこの話が理解できないでしょうか。理解できないならば、親が誤って生きたこと、私たちが誤って生きたことが子どもに皆いきます。これが行かなくなるのです。偶像崇拝したこと、霊的問題がみな次世代に行かなければなりません。それが行かなくなるのです。神様が行かないようにされるのです。それを借りをたくさんするのですが、救いの愛の借りと言います。

2.答えの愛
▲二番目、神様は多くの答えをくださいます。この答えの愛の借り、この借りはたくさんあるほど良いのです。
(1)レムナント7人がどのようにして困難に勝てたのでしょうか。神様の愛をたくさん受けて勝つことができました。私たちのレムナントが外に出て行って、世の中に勝てる力が何でしょうか。神様の愛をたくさん受ければ勝ちます。一般の人たちが理解できないのです。神様の祝福をたくさん受けてこそ勝つのです。この借りは多ければ多いほど良いのです。ヨセフが立派だったのですが、神様の祝福をとてもたくさん受けて、簡単に勝ちました。ダビデが人格も良かったのですが、何でも勝てたのは、行く所ごとに神様の祝福をとてもたくさん受けたからでした。この借りは、多ければ多いほど良いのです。パウロが神様のみことばはレベルがあるように悟って説明しています。
(2)初代教会がその大きい困難をどのように勝ったのでしょうか。
(3)いったい私たちとは完全に違う言葉を言うパウロはどのように勝ったのでしょうか。どの程度、答えを受けるとこのようになるのでしょうか。私たちがとても好きなことをパウロをちりあくたと感じたのです。その話は、答えをとてもたくさん受けるからにできたのです。これが福音の本質でキリスト教の本質です。この祝福をたくさん受ければ、パウロのように祝福を味わえます。
▲それで、私たちはこういう借りの他には借りる必要がありません。私たちは福音に借りがある者です。パウロがそう言いました。皆さんは私と一緒に仕事をして伝道しています。パク・ヨンジュ姉妹が共に仕事をして、私を見ています。この人が私を見る時、牧師先生は本当に福音を愛しているのだなと感じられなければなりません。ところで、この姉妹が私を見る時、牧師先生はお金をとても好きなようだと感じられれば、どうなるでしょうか。牧師先生はちりあくたがお好きなようだと感じられれば、どうなるでしょうか。私がいくら良い話をしてもだめです。パウロがなぜこの話をしたのか分かるのでしょうか。なぜよりによって、その多くのメッセージをおいて、この話をしたのでしょうか。人々がそれをとても好きなのです。それで、そう言いました。私は成し遂げたのでもなく、得たのでもない。その話をなぜしたのでしょうか。成し遂げたと話すから。それで言っているのです。パウロが見る時、そうではないのですが。私たちの国籍は天にあるという言葉をなぜしたのでしょうか。それは、人々が世の中ことをとても自慢するから。それでしたのです。しかも、パウロが私は上から呼ばれた報いのために行くという言葉をなぜしたのでしょうか。とても地のことを見つめながら行くから。それでした言葉です。普通の話ではありません。このパウロが毎日、この神様の答えを,愛を受けたのです。この借りがある者です。とても感謝して、他のものはそれほど必要がないのです。この借りをしなければなりません。

3.伝道の愛
▲この愛を返さなければなりません。知らない人がとても多いから、神様の愛を伝える、伝道の愛の借りは多ければ多いほど良いのです。
(1)レムナントの中で代表的な人物がヨセフです。
▲本当にすごいのです。ヨセフが総理になりました。皆さんならば、どのようにするでしょうか。一番最初にどんなことをするでしょうか。ポティファルをちょっと呼びなさい。監獄に入れたから。そして、その女を連れてこい。ところで、そのような必要がなかったのです。ヨセフは神様の愛をとてもたくさん受けて、すぐに許したのでした。兄たちに会った時もそうでした。この話は、皆さんがこの祝福をみな受ければみな特別なことではないようになります。
▲ダビデを見ましょう。サウル王がそのように困らせました。それでも、サウル王を許すのはもちろんで、サウル王が一番惜しんだ孫メフィボシェテと死ぬ時まで食事を共にしました。
▲特に、エリシャを見ましょう。アラム軍隊が攻め込んできました。彼らをよくもてなして送ったのです。神様の愛を受けた者は、どんな困難も勝てます。神様の愛の借りがたくさんある者は、福音を伝えるのが何か知っています。この祝福を必ず受けるように願います。
(2)初代教会が250年間、苦難にあったのですが、十分に勝てたのは、神様の愛と祝福をとてもたくさん受けたからです。こういう祝福を受けるという時、本当に漠然とするでしょう。こういう祝福をどのように受けるのでしょうか。
(3)ソン・ヤンウォン牧師が自分の子ども二人をその友だちが殺したのです。韓国の戦争以後、共産主義者などが降りてきて共産主義をしなければならないと主張したのです。そうではいけないという息子二人を殺しました。その人々が北朝鮮から降りた人々ではなくて、そこに住んでいた人々の中で思想がそのように変わって、共産主義しなければならないと、そのようにしたのです。ところで、ソン・ヤンウォン牧師は息子を殺した人を息子としました。後ほどその人々が悔い改めました。初めにはそれが可能だろうかと思ったのですが、神様の愛をたくさん受ければ可能です。
▲キム・ジュンゴン牧師がこういう話をされました。その方がチョルラドのある地域に先祖の時から住んでいたのでした。北朝鮮軍が降りてきた時、不思議にその町の人々が北朝鮮共産主義しなければならないと真っ赤な腕章をみなつけたそうです。話はやさしいことで、そんなことを実際に見た時はどれくらい大変だったでしょうか。町内の青年たちが突然変わって真っ赤なものを巻いて、お父さんが長老だから、両親が教会に通うと棒で自分が見ているところで殴って殺したのでした。理由なく教会に通っているからと。そうしたところ、お母さんをまた殺しました。両親が自分の前でそのまま死ぬのではなく、殴られて死ぬことを想像できるでしょうか。それでこの方が魂が抜けてしまったのです。そうしたところ、自分をまた殴ったのでした。ここで死んで、穴にそのまま置いたのですが、息が切れないで出てきたのでした。お父さんが亡くなって、お母さんが亡くなって、自分は血だらけです。その時、感じたことがあったのです。これが怖い思想の結果だ。それで福音を伝えなければならない。福音だけが人を変えられる。こういう気がしたそうです。その死の中で。それで、大学生福音化をするようになったとおっしゃられました。こういう愛をたくさん受けて、その方が後に多くの実を結ばれたのです。

*結論
▲私たちはすでに全てのものをみな受けたので、特に私たちのレムナントは必ず三つのことをしなさい。
(1)レムナントは少しだけ、5分だけ早く起きなさい。黙想しなさい。この黙想は脳と肉体、学業、すべての部分にすばらしい助けを与えます。朝起きて、少しだけ早く起きて、特別に勉強しなくても少しだけ黙想しても、多くのことが回復します。世界征服するエリートのレムナントは、必ずこのようにしなければなりません。
(2)そして、実際に短く、あまりよくせずに、短く一日におよそ3回ずつ、朝に黙想したことを持って実際に祈りなさい。少しだけすれば、祈りができるリズムができます。このようにしても成功します。レムナントはこのようにしても成功するのです。
(3)そして、三番目に記憶することは、実際に夜でも重要な時間に専攻分野に聖霊体験を置いて祈りましょう。聖霊体験がどのようなものでしょうか。どんなのが体験なのでしょうか。レムナントが少しだけ祈り始める時、聖霊体験という単語を考えましょう。これは明らかな証拠がきた時、聖霊を体験したと言うのです。実際的に力が現れる時、体験したと言います。これはやさしいことであるから始めるように願います。
▲それで黙想は少しだけ早く起きて朝起きてして、定刻祈りはリズムを見つけるために少しだけすれば良いのです。そして、重要なことがある時は、必ず重要な祈りをしなさい。このように始めれば、多くのことが少しずつ少しずつ見え始めます。
▲レムナント7人が全部、こういう祝福を受けたのは、このように始めたからです。神様のものすごい力を体験して癒されるみわざが起きるでしょう。霊的に難しい方も、他の方法ではなく、このまますれば癒されるみわざが起きます。レムナントには途方もない答えが始まります。この祝福をたくさん受けるようになることをイエスの御名で祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。神様の愛をたくさん受ける信徒、またレムナントになるようにしてください。福音の力を体験する一週間になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)