2009年12月27日 聖日礼拝  場所:インマヌエル教会


1部:祭壇
(出エジプト記27:1-8)


☆☆☆ 1部要約資料☆☆☆
序論
▲なぜ信仰生活をしながら難しいと思うのか。一つを知らないからだ.
(1)私たちが荒野を行っているという事実を知らなければならない。
(2)困難がきて、いろいろな事に会った時、今、ここがどこなのかを分からなければならない。荒野を行っているという事実を正しく知ったとすれば、取立てて言う言葉が必要ない(苦しみも味わって、いくら難しくても死ぬほど勉強して、詰まる時はずっと挑戦して...これが幸せだ)
(3)私たちが荒野を行っているから、暑い場合も、寒い場合も、危険なこともある。これを知らなければそれ自体が失敗だ。
▲それでは無条件に、困難がきて危機がくれば、耐えるべきなのか。そんな話ではない。この時、神様が聞かせてくださる御声がある。荒野の道を行くのにどのようにすべきなのか。
1.祭壇を作りなさい(1節)→ 礼拝(インマヌエル)
(1)すべてのイスラエル民族は、幕屋を中心に暮らしていくので、祭壇を作りなさい。イスラエル民族が荒野道を通り過ぎる間に幕屋を作って、そこに祭壇を作りなさい。実際的に重要な部分が祭壇だ。これを簡単に話せば礼拝だ。さらに簡単に話せば神様がともにおられる奥義を言う。さらに簡単に具体的に話せば、神様がこのように、あのように私とともにおられる!これを私たちの子どもが握ったら、私たちは成功したのだ。
(2)祭壇を作って祭壇を築きなさい。この話は今まであった苦難をまた繰り返すな。大きい滅びの中に入る前に、神様の恵みを受けなさい。当然な言葉だ。
1)信仰の先祖アブラハム(創世記13:18)-とても大変な世の中をあなたの力で生きようとせずに、最も重要なことを握れ。荒野を行くのに未信者のようにせずに祭壇を築きなさい。
2)ヤコブ(創世記35:1)-ずっと困難がくる時、ベテルに上がれ。
3)レムナント7人-ヨセフ(創世記39:2)、モーセ(わたしが力ある御手を伸ばしてともにいる)、ダビデ(詩27:10)
▲レムナント7人が握った神様がともにおられる祭壇を築きなさい。私たちは私たちの次世代をエリートにしようとするのではなく、福音エリートにしようとするのだ。祭壇を築きなさい!これになって事業して勉強しなければならない。メッセージをのがしてはならない。それが祭壇だ。
2.全焼のいけにえの祭壇を築きなさい(1,3節)→ 福音を正しく知りなさい。
▲私は信仰生活、教会をがんばったが、我が家は3-4代信じたがなぜこのようなのか。全焼のいけにえの祭壇を築きなさい。福音をのがしてはならない。
(1)イスラエル民族が奴隷に、捕虜に行くのに、次世代がみなほろびるのに、またのがした。
(2)初代教会がまたのがした。また、のがしたのが中世教会だ。
(3)韓国、世界教会が福音を強調しないでのがせば、サタンは福音が弱くなる所を無差別に攻撃する。
3.移動の環を作れ(4節)→ この力を他のところに伝達しなさい。
▲環をなぜ作るのか。移すために作るのだ。
(1)この力を幕屋の中でなく、他のところに移動しなければならない。
(2)神様の力が皆さんの産業に移されてこそ産業を生かせる。
(3)この神様のみことばの力が未来に移されてこそ、この輪を持ってカナンの地に行かなければならないから...
▲今日、人間に本当に必要なことは何か。神様がともにされる力を得なさい。そのようにするなら、福音を正しく知りなさい。そして、この力が皆さんの産業に、職場に伝えられなければならない。
*結論-祭壇の角だけつかめば生きる。
(1)2節を見れば、四隅に角を作れ。祭壇の角をいう-キリストの十字架を握りなさい。そうすれば、あなたは生きるようになる。
(2)今日、皆さんが最も重要なことを福音の中に持って入れ。皆さんの最も深刻な問題を福音の中に持って入れ。
▲私たちはこれからすることも、行く道も多い。心配せずに戦わなければならない。福音の中に全てのものをみな任せなさい。それが祭壇だ。今日、この祝福を味わうようになることをのイエスの御名で祝福します
(The end)

☆☆☆ 1部録音資料☆☆☆
序論
▲すでに一年がすべて過ぎました。飛行機に乗りましたが、すぐ飛行機に乗れる所もあって、中間まで行って乗るところもあります。空港で飛行機が遠くにあれば、バスに乗って行かなければなりません。バスに乗ったのですが、私が乗ったら、ある人がすくっと立ちあがりました。私は私たちの教会の家族だと思って、教会の信徒と思ったら、その人は私を知りません。ところで、立ちあがって、私に座ってくださいと言いました。この人がなぜ私に座ってくださいと言うのか、座らないで静かに立っていました。その時、私が瞬間的に、アッという気がしたのです。この人が私が年よりだから座れと言うのだな。しかし、その人が勘違いしているのが、私は全く老いていないと思っているのです。一度は、高速道路を行く時、サービスエリアに入りました。私の後にふらふらおじいさんが1人きました。良く見てみたら、それが私だったのです。鏡で見たので。多分、私がとても疲れていたのでしょう。このように、それこそ若い時は知らなかったのですが、歳月が矢のように過ぎ去ることを感じます。
▲時々、私たちは年末になれば思うことがあります。そのまま過去を考えてみる時があります。今年はどんなことがあって、またこの時まであったことをずらっと思うようになります。おもに私は思うのが、他のことではなく、昔にいた教会を思い出します。私が、この前にいた教会は、一番最後だったので、記憶がたくさん残っています。その教会はどうなっているのか、とても争いがありました。皆さんも争うのかもしれませんが、とにかくたくさん争いました。私が副教役者だから、あっちこっち通いながらお手伝いをしなければなりません。静かに見れば、牧師は牧師としてのジレンマがあって、長老はまた長老としてのジレンマがあります。また会えば、一般信徒は一般信徒自ら、難しい点があります。各々みな見ると、不平不満が積もっています。こういう部分をなくしてあげるためにお手伝いをすべきなのに、最善を尽くしたのですが、うまくできないのです。それで、深刻化するから大きく戦ったりもします。私は争いが本当に嫌いで、ヨンドで牧会を始めた時は、絶対に争わないでくれと言いました。争いたい人々は、聖書を持って他の教会に行ってくださいと言いました。すると、釜山では、争いませんが、隠れて争います。そんなこと見ながら、本当に難しいと考えました。一つのことを知らないからです。
▲今、イスラエル民族は出エジプトしたということを、みんな知っています。出エジプトをしなければならない、みんな知っています。赤ん坊でない以上は、カナンの地に行く、みんな知っています。それでも、なぜそのように、行く途中で不平、不満、話が多かったかということです。一つを知らなかったのです。私たちが荒野を行っています。分かるでしょうが、その事実に焦点を合わせなければなりません。今、私たちが荒野を歩いていっているのです。この部分を分かったならば、多くの話は必要ありません。
▲私はレムナントに必ずお願いしたいのです。皆さんが勉強をする時、困難がきた時、いろいろな事に出会った時、何を見なければならないのでしょうか。今、ここがどこかということを分からなければなりません。そうすれば、苦しみがきた時は、その苦しみを当然に味わわなければなりません。ところで、私たちはそれを知らずにしばしば不平、不満を言うのです。イスラエル民族が今、荒野に行っているという事実を正しく知ったら、取立てで言う言葉は必要ありません。私は大人たちは仕方ないとしても、レムナントは必ずそうなるように望みます。勉強しなければならない時刻表には、いくら難しくても死ぬほど勉強しなければなりません。それが幸せです。それが祈りです。また私が、前がまっ暗に詰まる時は、その時は挑戦を継続しなければなりません。それが幸せです。継続するならば門は開かれます。とても大きい危機が近づいた時は、神様が今、私に危機時代をくださったのだなあと思わなければなりません。その時ごとに気をおとして、その時ごとに恨めば、レムナントらは生き残れません。
▲なぜそうでしょうか。荒野を今、歩いていっているためです。これは、すべての問題に対応する方法です。これはまさに信仰生活するのに神様の御声を聞く方法です。神様の御声を耳で聞こうとすれば神秘主義となります。神様の御声を心で聞かなければなりません。神様の御声を霊的な目で、霊的な耳で聞くべきで、肉的な耳で聞こうとしてはいけません。今、荒野を歩いていきつつあるんだな。それなら、喉もかわくことがあります。それで、暑いこともあります。それで、寒いこともあります。荒野の道を通り過ぎるから、危険なこともあります。これを知らなければ、それ自体が失敗です。それで多くの方が、特にレムナントがこの部分を分からなければなりません。
▲それでは無条件に耐えて苦労しなければならないのでしょうか。無条件に困難がくれば耐えなければならないのでしょうか。無条件に危機がくれば耐えなければならないのでしょうか。そんな話ではありません。この時、神様が聞かせてくださった御声があります。荒野の道を行くのにどのようにすべきでしょうか。ここに大人たちがたくさんおられます。また、全国、世界で共にメッセージを聞いています。また衛星で一緒に礼拝する教会もあります。皆さんがもし、皆さんの子どもに必ずしたい話があるならば何でしょうか。もし皆さんが死ぬと思ったら、皆さんの子どもに最後にしたい話は何でしょうか。それが何でしょうか。今日、神様がそのみことばをくださったのです。

1.祭壇を作りなさい(1節)→ 礼拝(インマヌエル)
(1)すべてのイスラエル民族は、幕屋中心に生きていくのに、今日、祭壇を作りなさい。祭壇ということを分かるでしょうか。簡単に話せば、いけにえをささげる壇です。この壇を作りなさい。この言葉がとても重要な言葉です。イスラエル民族が荒野を行く間に、幕屋を作って、そこに祭壇を作りなさい。
▲この前は、そなえのパン、燭台、みな重要なのが出てきたのですが、その中で実際的に重要なのが祭壇です。これを簡単に話せば何でしょうか。礼拝です。さらに簡単に話せば何でしょうか。神様がともにおられる奥義です。さらに簡単に具体的に話せば何でしょうか。神様がこのように私とともにおられるのだな。これを私たちの子どもたちが握ったら、私たちは成功したのです。私たちの子どもたちが、国語の勉強もよくしなければならないのですが、これをもっと上手くやらなければなりません。率直に考えてみなさい。皆さんの子どもが世の中に出て行ったとします。皆さんの子どもが外国を出て行って、もし他のことができるのに、これがだめだとします。両親に話せないが、とてもさまよっています。ところで、これがあれば、さまよう必要がありません。祭壇ということは、とても重要な言葉です。言わば、神様に礼拝できる最も具体的なことを話します。これを作りなさいと言われました。さらに重要なみことばが中に入っています。
▲私が今まで信仰生活をしながら、こういう人、ああいう人をたくさん見ました。また立派な人もいて、難しい人もいて、たくさんいました。そのような中に、いくつかが記憶に残ることがあります。その人は重い病気になって、困難にあって死んだ人々です。その中で、より一層、心に痛く記憶に残る人がいます。私が知っているひとりは、とてもハンサムで社会生活も上手にしていました。職場生活も上手にしていました。そして、人がとても有能でした。この人の一つが問題だったのです。先祖の時から信仰生活をしていました。ところで、この人が信仰生活がうまくできなかったのです。大丈夫なのが、信仰生活をよくしなくてもよく暮らしていたのです。こうするから、奥さんと子どもたちは信仰生活をがんばるのに自分はうまくできませんでした。それが思いどおりにはなりません。それでも、人はハンサムで人気が高いのです。また、職場に何かことが起これば率先してうまくしました。そうするから、聖日はさらに教会来るのが大変でした。教会に来るのが難しいことが問題ではありません。信仰生活にならないのです。この方が運動も上手にしました。会社代表でサッカー選手で出て行って、サッカーすれば優勝をしたのでした。人気が100パーセントでした。外に出て行けば、みなこの人が好きでした。ところで、この人が自分だけ信仰生活ができなかったのです。これをどのようにするのでしょうか。ところでよく暮らしていました。そのような、ある日でした。この人の家が2階なのに、車から降りて2階上がるのに、上がって倒れたのです。全く、それまで病気がなかったということです。その直前にも会社で身体検査するのに異常がなかったということです。ところが、2階に上がれないで倒れたのです。これで救急車にのせられて病院に行きました。状況がどうなったのか分からないのですが、腎臓がみなだめになっていたのです。いわばガンです。腎臓が機能できなくなっていました。腎臓に問題がくるから、からだの毒が出て行きません。毒が出て行かないのは通常の問題ではありません。その時になって、私が訪問して行ったのですが、この方を見たら人が変わっていました。私はその人の真剣な顔をその時、はじめて見たのです。それまでは、真剣な顔ではありませんでした。私たちが行くと、適当に挨拶して、食事を接待していたのです。このときに見たら、この人が信仰人に変わっていました。自分の誤りだ。私が神様に立ち返って、今から神様の前に新しく生きていく。この人が完全に人が変わっていました。それで私が切実に祈って戻ったのです。また知らせがきました。また、行ってみました。この人を見たら、さらに真剣でした。さらに真剣になったが、完全に祈りの人に変わっていました。また、時間が数ヶ月過ぎました。回復することを祈っていました。時間が数ヶ月過ぎて行ってみたのです。この時は、この方がさらに真剣でした。とても真実でした。前とは目つきも変わっていました。前の目つきは生きようと、もがいていたのですが、そのときはそれではありません。だめだという判断をしたようです。この人が3ケ月前までは、回復すべきだと思っていたのです。私が神様の前に信仰生活を新しく始める。ところが、3ケ月が過ぎた今は、あきらめたのでした。だめなことを分かったのです。実際、家族もみなだめだと言いました。それで、この方が私を見て話をしました。本当に幸いに救われた人であることは間違いないようだと話しました。私が神様の子どもになったことを感謝します。今、私はこの世を去っても神様のそばに行けるから、神様の子どもになったことを感謝します。この世の全てをあきらめたのでした。それで祈ってあげて戻ったのですが、二日後に亡くなりました。この祭壇というのを発見するのが、このように大変なのです。
▲私は、その人が亡くなって葬式をした後に思ったのが、このやさしいことを、なぜあのように長い間、悟れないのだろうか。神様の子どもであることは確実だが、神様の恵みを受けるのが、最も重要なことなのに、なぜあれをあのように難しく悟るのだろうかと思いました。
(2)祭壇を作って、祭壇を築きなさい。この話は今まであった苦難を再び繰り返すなということです。大きい滅びの中に入る前に、神様の恵みを受けなさい。そのように、とてもやさしい、当然な言葉です。
▲おわかりの通り、信仰の先祖アブラハムがカルデヤから出てずっと苦難が押し寄せました。いったいなぜこうしているか、ずっと苦難が来たのです。おいのせいでもきて、家族のためにもずっときました。いったい、神様が嘘をつかれるのでしょうか。契約を信じて出てきたのに、危機は迫ってくるのです。そこに飢饉までやってきました。食べて生きることが大変です。神様は確かにともにおられると言われたのですが、アブラハムは神様がともにおられませんでした。身内の争いまで生じるようになりました。聖書の創世記13章18節を見ると、このようなみことばが出てきます。アブラハムがおいロトを送った以後に、マムレの樫の木の下に祭壇を築いたのです。全てのものをみな捨てて、神様を信じろということでしょうか。違います。あまり荷が重い世の中を、あなたの力で生きようとせずに、最も重要なことから握りなさい。荒野の道を歩いていくのに、未信者のように行かずに、祭壇を築きなさい。レムナントがわかってしまえば、すばらしいことが行われます。
▲ヤコブの家にずっと困難が押し寄せました。創世記35章1節を見れば、ヤコブがベテルに上がったという話が出てきます。皆さんが今日、すべてのレムナントとともに、次世代とともに、この祝福を回復するようになることを希望します。これが無知な話でもあります。しかし、そうなのではありません。レムナント7人を見てください。
▲ヨセフはどこへ行っても大丈夫でした。なぜでしょうか。主がヨセフとともにおられることによって。この祭壇を築きなさい。レムナントは絶対に揺れずに、この契約から握りなさい。外国で勉強する学生たちは、どれくらい困難が多いでしょうか。絶対に揺れずにこの契約から握りなさい。言語がうまくできない。当然の話です。私が英語よくできないが、米国の人が韓国語がよくできないが同じようなものです。だから心配する必要はありません。
▲何から握るべきでしょうか。幕屋中心に生きていって、祭壇を築きなさい。モーセがこれまでのがしたことを神様がおっしゃられました。わたしが力ある御手であなたとともにいる。モーセにおっしゃったのです。それから握りましょう。事業がどれくらい難しいでしょうか。これから握りましょう。生活はどれくらい大変でしょうか。これから握りましょう。これから歩いていく道が、どれくらい遠くて険しいでしょうか。何から握るべきでしょうか。これから握りましょう。レムナント7人が握った神様がともにおられる祭壇を築きなさい。
▲ダビデがなぜ揺れないのか分かるでしょうか。ダビデはこういう告白をしました。両親がもし私を捨てても、主は私を捨てない。この祝福を発見したら最高の祝福です。
▲レムナントが変に神様、神様と言うのではありません。神様が私の人生の中にともにおられます。これを握りなさいということです。皆さんの子どもたちが、これを握らなければなりません。子どもたちが、信仰生活を変に、神秘主義のようにしなさいということではありません。どんな場合でも、神様が私とともにおられるので、私はどこでも失望しない。十分に荒野を通り過ぎることができます。
▲事実上、皆さんの子どもたちが福音を真っすぐ悟って、祈れるならば終わったのです。私たちは私たちの次世代をエリートにしようとするのではなく、福音エリートにしようとしているのです。これができないので、この苦労をするのです。福音を正しく知って、答えを受ければ良いのに、それにならないから、しばしば問題がくるのです。元旦祈り会の時、みことばを細かく語るつもりですが、私たち人は、幼い時の少しの習慣が一生続きます。それで、大人たちが度々小言を言うのです。1ケ月間だけ勉強を正しくする習慣ができるならば、勉強がよくできることもあります。しばらくレムナントが正しく勉強して、正しく祈る方法を学べば、ずっと続きます。揺れている時、1、2回だけおかしな人に会ってしまえば、それが入るのです。これが全く表に出ないのですが、一生、続きます。通常の問題ではありません。これより重要なことがあるのでしょうか。皆さんの子どもたちが、勉強がよくできるのに、その子の中には変なものが入ってしまったら、どうなるでしょうか。一生、二重三重の嘘をついて、ある日、ほろびてしまうのです。地上に地獄が別にあるのでしょうか。それが地獄です。いくら水準があって、いくら両親がよくても、効果がありません。私の友人の中に、そのような友人がいます。この友人は、私とは違って、とても背景が良い家で育ちました。大学もとても良い大学に行って、米国まで行って勉強をしたのです。この友人の悪い習慣があります。しばしば堕落して歩き回きます。堕落して歩き回るから職場もおろそかにします。友だちも別です。私とそんなに親しかったが、親しくありません。自分が親しい友人は別にいたのです。なぜでしょうか。堕落する人でなければならないからです。勉強もよくできました。それで良い縁談話があったのです。ところで、家庭生活ができません。堕落をしなければならないから。これが入ったのに、抜けないのです。これが祭壇を築いて契約を握れば良いのに、それを今できないということです。今、米国にいるのですが、家庭がこわれるのは当然のことです。子どもたちが堕落するのは当然の話で、本人が今、麻薬に陥ってさ迷っています。これからどうなるのでしょうか。当然の話です。このように人間1人が誤るから、みな滅ぼしてしまうのです。さらに怖いのは、本人が仕方ないということです。今はお金もありません。それで、教会に行ったのですが、信仰生活もできません。このように、人間一人をサタンが完全に滅ぼしてしまいました。
▲祭壇を築きなさい。普通の話ではありません。皆さんは信仰生活をするのをどう思うのでしょうか。私は最も貴重だと思います。事業より重要です。これになって事業をしなければなりません。これになって勉強をしなければならないのです。
▲私は切実な気持ちでレムナントが外国に出て行って挨拶しにくれば必ず話します。メッセージをのがしてはならない。それが祭壇です。祭壇、いけにえを捧げる壇という言葉です。どれくらい重要なことばでしょうか。

2.全焼のいけにえの祭壇を築きなさい(1,3節)→ 福音を正しく知りなさい。
▲二番目です。私は礼拝をがんばったのに、なぜだめなのでしょうか。この質問に答えを得なければなりません。今日1節と3節を見ると、全焼のいけにえの祭壇を作りなさいと言われています。青銅で包みなさい。それは何の話なのでしょうか。金で包めば、火を付ければ溶けます。それで、青銅で包みなさい。それで、全焼のいけにえの祭壇を築きなさい。信仰生活を私はよくしたのに、なぜこうなのか。私は教会をがんばったのに、なぜこうしているのか。我が家は三代、四代でイエスを信じるのになぜこうしているのか。ここに答え得なければなりません。全焼のいけにえの祭壇を築きなさい。何の話なのでしょうか。福音をのがしてはなりません。祭壇を築くのも重要ですが、福音をのがしてはなりません。本当に不思議なことです。度々のがすのです。だれがのがすようにしたのでしょうか。
(1)イスラエル民族が奴隷に行きました。またのがしたのです。捕虜に行きました。またのがしました。後ほどには、次世代がみなほろびたのです。またのがしました。
(2)だめだといったのが初代教会です。心の中に置かなければならない。初代教会がまたのがしたのです。またのがしたのが中世教会です。中世教会が本来、マルコの屋上の間、初代教会です。どの程度のがしたか知っていますか。福音をのがせば、人は単にのがすのではなく、変に行きます。どの程度行ったかというと、すべての罪を犯したら、贖宥状を買えば、罪がなくなると言ったのです。それで、それを反対して出てきた人がマルチン・ルターです。信仰生活を上手にして救われるのではなくて、最後の時、献金をいくらしたかにしたがって天国と地獄が分かれると言ったのです。カトリックでそのように教えました。それが中世教会です。それが本来、マルコの屋上の間の教会です。それが大きくなって、そうなったのです。それで、ローマ1章16,17節を持ってルターが出てきたのです。義人は信仰によって生きる。それで、この目一つを開かなければなりません。
(3)韓国、世界教会が、今、タラッパンで強要するのではありません。福音、度々のがすようになるのです。そのサタンの話をしないでくれと言うのですが、サタンは福音が弱くなっている所は無差別に攻撃することができるのです。いくら教会が大きくて美しくても、福音が薄くなれば、サタンは無条件に攻撃することができます。なぜ牧師先生は、サタンの話をするのですか。私も昔に水準が高い時はしませんでした。私も昔に本をたくさん読んで哲学的な話をしていた時、そのような話はしませんでした。だれかが悪霊を話せば、悪魔のような話をするなと言っていました。伝道現場30年、通いながら見たのです。100パーセント、未信者がサタン、悪霊に仕えています。ところで、これが深刻なのです。これを知らなくてはだめなのです。イエス様もおっしゃられました。パウロも話しました。ペテロも話しました。なぜ私たちが話さないのでしょうか。しないのが変です。これが福音が弱くなる時、教会を攻撃するのです。
▲それでレムナントが外に出て行って、信仰生活をがんばるのも重要ですが、福音を真っすぐ分からなければなりません。それでは、どんな問題がきても勝利することができます。その証拠で、どんな教会も初代教会を倒すことはできませんでした。皆さんが、みな大人ではないでしょうか。みな知識人ではないでしょうか。教会史を見てください。どんどん福音がなくなるのです。不思議なことです。今、私たちが福音を強調するから、たびたび是非を論じてきます。これはある教団が正しい、正しくないという話ではありません。教会は福音が薄くなれば大変なことになるのです。それで、単なる祭壇ではなくて、全焼のいけにえの祭壇を作りなさい。

3.移動の環を作りなさい(4節)→ この力を違ったところに伝えなさい。
▲三番目です。本文を見ながら、一年を送りながら握らなければなりません。4節に見ると、このように出ています。祭壇のために、青銅の網細工の格子を作り、その網の上の四隅に、青銅の環を四個作る。環はなぜ作るのでしょうか。取っ手の環をなぜ作るのでしょうか。それは理由が簡単です。移すために作ったのです。環をなんとなく作るのではありません。これが三番目に悟らなければならないことです。
(1)この力を幕屋の中ではなく、違ったところに移動しなければならないから。
(2)私たちはこの神様の力のみことばが、皆さん産業に移されなければならないから。それでこそ、未信者を生かせます。
(3)この祭壇に現れた力のみことばが未来に伝えられなければならないから。この輪を持ってカナンの地に行かなければならないから。
▲今日、それでは3つに要約できます。私たちの人間に最も必要なことは何でしょうか。本当に、神様がともにおられる力を得なさい。そうするならば、二番目、福音を正しく知りなさい。そして、この神様のみことばが皆さんの産業に、皆さんの学業に、皆さんの職場に伝えられなければならないのです。
▲これを誤って理解してはいけません。ある人が、学校先生なのに合宿訓練を受けました。直ちに、その翌日に学校へ行って白墨を持って黒板に書いたのです。あなたは生ける神の御子キリストです。学校で大騷ぎが起こったのです。あの人が勉強を教えずに何をするのか。当然そうでしょう。そのような形でしなさいということではありません。そのような形でしなさいという言葉ではありません。あの先生は何か違う。私を最も理解する方があの先生だ。学校の中に困難が出てくれば、何かが正しくリードして導く人があの人だ。知ったところ、この人がキリストの力を知っている人だ。それが本当の伝道です。伝道は、話す前に相手方が見なければなりません。ある人が尋ねます。伝道をどのようにするのですか。それは尋ねる必要はありません。まるで女の人が子どもをどのように産むかと言うようです。練習する必要がありません。そのまま産めば良いのです。苦しみがちょっとありますが、そのまま産めば良いのです。ところで、伝道も全く同じなのです。私がこの祭壇の祝福と、全焼のいけにえの祝福を味わっていれば、証拠がきます。証拠がくれば、その人が尋ねます。尋ねないでも、尋ねられる機会が出てきます。その時、話すのです。これが伝道です。皆さんが夫をただいじめる必要はありません。皆さんが本当に祭壇と全焼のいけにえの祭壇の祝福を味わっていれば、この環は家に移ってくるようになっています。その時は、夫が妻を見るのではなくて、妻を通して神様の働きを見るようになるのです。それが伝道の開始です。私が初めに伝道訓練をさせた時、子どもたちにそう言いました。伝道するな、そのまま聖書だけ持って座ってメッセージを見ていれば押し寄せてくる。それでは言ってあげれば良いのです。ですから難しくする必要はありません。ここに全部入っているのです。今、他の見方をすれば緊急です。
▲今、遠くに外国に出ている皆さんの子どもが、何から持つべきでしょうか。祭壇。皆さんの子どもが何を知っているべきでしょうか。全焼のいけにえの祭壇。皆さんの子どもが何を手につかんでいるべきでしょうか。この祭壇の環をつかんでいなければなりません。どこにでも行けるように。これが伝道です。これが伝道の祝福の開始です。レムナント7人を見てください。一度も話さなかったのですが、ポティファルが見て、このように話しました。主があなたとともにいる。終わったのです。主があなたとともにいる。成功したと思う皆さんに最も必要なことがこれです。レムナントに最も必要なことがこれです。パロ王が見て、神の霊があなたに満ちている。あなたほどの知恵を見たことはない。そのように言いました。これが伝道の開始です。ですから難しいのではありません。祭壇を作りなさい。祭壇を築きなさい。そこに全焼のいけにえの祭壇を作りなさい。そこに四隅に環を付けなさい。この言葉は、普通の話ではありません。
▲私が知っている信徒1人の中で、とても小言が多い人がいます。教会でも小言を言い、家に帰っても小言を言って、小言が多いのです。これで、自分の息子、娘、夫、絶対に教会に来ません。なぜ来ないのでしょうか。妻のために。ですから死ぬ時、一進一退する時に行きました。礼拝をささげに行って尋ねたのです。先生、イエス様を信じなければなりません。すると、信じていると言いました。イエス様を救い主として受け入れてください。すでに受け入れました。ところで、なぜ教会に出てこなかったのですか。妻のために出て行きませんでした。それでは、イエスを信じれば救われるのです。今、神様に祈りましょう。この人が信徒です。見ると、福音をすべて知っていました。あまりにも妻が横行しまくるから、見たくなくて行かないのでした。むしろ妻が伝道を防げたのです。何かことが起これば、とても心配を一人でみなします。教会も出てこない夫が慰めるのです。神様を信じなさい。ですから、なる伝道も防ぐのです。
▲神様の子どもということが、どれくらい素晴らしいのでしょうか。イエスを信じることが、どれくらい素晴らしいでしょうか。死んでいく人についてきなさいと言って、彼らを助けて。このプライドと祝福がレムナントに入らなければなりません。それで、私たちのレムナントは、この契約を握って全世界に出て行かなければならないのです。

*結論-祭壇の角だけ握れば生かされます。
▲結論を結びます。
(1)2節に見ると、このようなみことばが出てきます。四隅に角を作りなさい。これがとても重要な言葉です。祭壇の角です。この角をなぜ作ったのでしょうか。理解するのが難しい部分です。旧約時代の時、作ったのです。だれでも罪を犯した者が逃げてきて祭壇の角だけつかめば助けなさい。機会を与えるのです。もし罪を犯した者、人を殺した者もきて、祭壇の角をつかめば殺してはならない。その角です。普通の話ではありません。とても失敗をしたり、誤ったら、祭壇の角を握りなさい。この角を握った人は助けなさい。その話が何でしょうか。本当に命の中で福音が核で、このキリストの十字架を握りなさい。そうすれば、あなたは生きるようになる。この話をすれば、ある人はこのように話すこともあるでしょう。恥知らずでしょう。どのように罪を犯しておいて、きて祭壇の角を握るのですか。罪を犯した人は罰を受けなくては。こういう人がいます。それは宗教です。正しい言葉です。しかし、そのように問い詰めれば、すべての人がみな死ななければなりません。皆さん今、法の通りするなら、他人のことを盗んだ手をみな切らなければなりません。食べたら、歯をみな抜かなければなりません。人間が祭壇の角を作ったのは、神様が作れと言われたのです。さらに正確に話せば、皆さんに来ている霊的問題は解決する道がこれしかありません。祭壇の角を握りなさい。恥知らずなことではないですか、よくしないで、祭壇の角を握れという言葉ですか。そうです。皆さんが救われようとするなら、恥があってはなりません。良心のとおりするなら、救われません。皆さんが本当に良心のとおりするなら、教会に来てはいけないのです。どうしてあえて教会に来るのでしょうか。その良心を持って。先週に、一つも間違ったことがなかったでしょうか。間違ったことをみなつかんでおけば、どうなるのか分かるのでしょうか。顔も上げられないほどではなくて、足を持っていなければなりません。ところで、良心のとおりすれば地獄に行かなければなりません。そのような私たちを神様がなくしてくださると言われました。その祭壇の角を握りなさい。
(2)今日、皆さんが最も重要なことを福音の中に持って入りなさい。とても簡単ですが、答えられてきます。最も深刻な問題を福音の中に。
▲私はこの時まで、あること中で思いどおりにならないことがあります。それが何でしょうか。最初に、両親です。両親を思い通りにできるでしょうか。私が選択もする前に、先にいます。この家庭を私の思いのままにできません。私はそのために、いつも昔に率直な話でちょっと被害をこうむりました。本来、立派な人たちは、両親、家系が理由にならないのですが、私は立派ではなかったので、家系のために困難な目にあいました。実際に、どのくらい困難だったかというと、私はとても芸能に素質があります。私の息子、娘みな音楽、歌を上手にします。私の孫もみな上手にします。それが私の妻に似ているからではなく、私に似ているからです。私はしたくてもできなかったのです。家には、町が火災に会ったので、何もありません。教会に行くと、オルガン、ピアノみな南京錠がかかっていて、鎖で締めてありました。この頃の子どもたちのように、塾に行くでしょうか。何の背景もありません。それで私は幼い時、率直に心の底からうらやましく思いました。私は外国へ行って勉強したいが、だれも手助けする人がいません。そのように考えたら、その話が正しいようで、私が度々難しかったのです。私がこれを福音の中に持って入ったのです。ところで、驚くべきことに、ここでメッセージ、方法、みな発見しました。本当に驚くことです。また、私が一つは、教会の選択を私の思いどおりにするのでしょうか。ところで、神様、私がどのように牧会をしなければなりませんか。重要な祈りの課題を福音の中に持って入ったのです。そうするうちに皆さんに会いました。これが小さい祝福ではありません。伝道運動するから、福音の中に私の人生を持って入るから、とても働きが起きました。このみわざが起きるから、教権が私を難しくさせました。この時、また考えてみました。私の思いどおりになることではありません。いくら違うといっても聞きません。自分たちの間で集まれば、違うと言いながら、またそのようにするのです。このくやしい問題をどのようにしたのでしょうか。福音の中に持って入ったのです。ところで、どれくらい簡単なことでしょうか。福音の中に。ところで、答えは驚くほどです。
▲私たちは今、これからすることもたくさんあります。心配せずに、戦わなければなりません。私たちはこれから行く道がたくさんあります。もし大きい問題がきたら、大きい戦いから始めなければなりません。小さい問題がきたら、小さい戦いで始めます。恐れてはなりません。恐れれば、どうなるのか分かるでしょうか。多くの世の中の人々が説明するのですが、聖書には霊的に問題がくると言いました。恐れる必要はありません。私たちが正しながら、福音を握れば、まちがいなく働きが起きるようになっています。このように2009年を送って、新年を迎えるように願います。
▲昔には、寝ればネズミが行き来しました。今は、そんなことがないのですが、昔にはそうでした。それで、家ごとに猫がいました。つかまえる猫の音がすれば逃げるのです。それで猫がおもに町にいました。今は、猫をある人は可愛いと飼いますが、私たちの時はなぜ飼うかというと、ネズミを捕まえるために育てたのです。猫がネズミをつかむまえるのを見たことはありますか。ネズミをつかむのを見ました。本当に驚くことです。ネズミが一匹いたから、猫が前にぴったり走っておりたのです。飛び降りれば、ネズミの穴は小さいのです。入れば良いのに、ネズミが猫を見る瞬間、ぴったり止まりました。本当に不思議です。猫の前のネズミです。身動きできません。ところで、狭いネズミの穴にネズミが入れば、猫は絶対に入れません。ネズミの穴がすぐ後にあるのに、入れないでぴったり立っていました。ところで、この猫が直ちにしないのです。しずしずと行きます。にらみながら、気を殺しておいて行くのです。このように行って、猫の足の爪を持ってネズミを触るのです。強く殴ることもせず、そっと触ります。触ったら、ネズミがおじけづいて、じっとしています。後ほどには転がります。どれくらいネズミが驚いたのか、固まって転がるから、回っていきます。見ながら、不思議に見えました。何度か転がすと死にました。ネズミは愚かです。穴に入れば良いのに。その時、見ながら何を感じたでしょうか。おじけづくので、あのようになるのです。私たちが無駄におじけづけば、すべての部分がマヒしてしまいます。霊的なことも同じです。
▲福音中に全てのものみな任せるように願います。それが祭壇です。今日、皆さんが不思議な答えを小さいメッセージの中で見るようになります。福音が特別なものではないと思ったのですが、とてもとても正確だという事実を、この祝福を知るようになるでしょう。今日、この祝福を味わうようになることをイエスの御名で祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。福音の大きい祝福を神様は私たちにくださいました。この福音を知って伝える証人になるようにしてください。全世界に散ったレムナントに祭壇を築く霊的な力を与えてください。全焼のいけにえの祭壇を築く奥義を与えてください。祭壇の環を握って、全世界を生かすレムナントになるようにしてください。また30万の家族になるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)



2部:祭司の職分
(ローマ15:14-21)

☆☆☆ 2部要約資料☆☆☆
序論
▲祭司の職分-私たちのレムナントが行く所ごとに多くの人を生かす祭司の職分!私が昔に神様が本当に生きておられるのか、今でも私が祈れば答えを受けられるかと疑った。そうするうちに私が悟ったことがある。
(1)神様が私を救われて、私は神様の子どもであることを悟った。ところで、よく信じなければならないのではなくエペソ2:8節に恵みで私たちを救われた。
(2)十字架ですでにみな完成された(ヘブル11:1-3)
(3)すでに私の物をみな準備しておかれた(ピリピ1:6)。それなら捜し出さなければならない。インマヌエル教会が行く道を神様がみな準備しておかれた。皆さんが個人が歩いていくこともみな準備しておかれた。これをあらかじめ分かることを信仰という(ヘブル11:1-3)
▲それではどのようにすれば良いのだろうか。
1.聖霊の働きによって神様の驚くべき奥義を見ることができる(18節)
(1)私に信仰が生じなければならない。からし種ほどの信仰だけあっても大きい木となる。(使徒1:、3、8イエスがキリスト、神の国、聖霊の満たしを発見するようになった)
(2)待ちなさい(祈り、使徒1:12-14)。10日間祈ったが世界を変化させる答えがきた。本当に問題があるならば、神様の前に祈りを始めなさい。
(3)この時から霊的な目が開かれるのだ。使徒2:17、将来の事を見るようになって、夢を見るようになって、幻を見るようになる。
▲これを持ってレムナント7人のように出発しなければならない。
2.伝道の目が開き始めれば、神様の驚くべきみわざが見え始める(21節)
▲少なくとも、信徒がこれを味わわなければならない。
(1)私とともにおられる奥義を言うのが伝道
(2)私たちとともにおられる神様の奥義を説明すること
(3)まだ救われていないすべての他民族と一緒にする奥義を見るようになるのが伝道だ。
3.アイデンティティー(16節)
▲私と皆さんのアイデンティティーだ。
(1)旧約時代に祭司-神様の前にいけにえをささげながら、すべての呪いをなくす人だ。
(2)イエス様が十字架で一度のいけにえですべての呪いを終わらせた。
(3)Iペテロ2:9、私たちを王のような祭司として呼ばれた。
▲この祝福を持って一年を終えて、新しく始めることを望む。皆さん1人のゆえに、皆さんの学校が生き返るようになっている。契約を握って、信仰を持って始めなさい。これが皆さんのアイデンティティーだ。
*結論
(1)答えがないのはなぜなのか-神様が、より大きい計画を置いて私たちの祈りを防げられる。
(2)神様が私たちにうつわ準備をさせるために、更新しなさいと答えをくださらないこともある。
(3)より大きい重要な未来を置いて、私たちの体質を変えようと答えられないこともある。
▲その他には正確に答えがくるようになっている。皆さんが今日、契約を握って行け。救われたレムナントであることが確実だから、少しだけ待てば門が開かれる。そうすれば、現場が見えるようになる。そうすれば、また開かれる。私を祭司として呼ばれたことを知るようになる。より大きい門が開いて、後には未来まで見られるようになる。
(The end)

☆☆☆ 2部録音資料☆☆☆
序論
▲また一年が過ぎて、今日は卒業礼拝をささげるようになりました。卒業を英語ではcommencementとも言います。ところで、それは開始という言葉でもあります。また、私たちが卒業する時に使う卒という字は、一番最初の軍人である卒兵にも使う言葉でもあります。
▲今日、皆さんが一年を送りながら最後の聖日の午後の礼拝にこの答えを持って行かなければなりません。祭司の職分です。私たちのレムナントが行く所ごとに多くの人を生かす祭司の職分ということです。皆さんに一番重要な質問は何でしょうか。私は昔に、祈りの答えを受けられなかった時、神様が本当に生きているのか、こういう質問を内心よくしました。それでは、今でも私が祈れば答えを受けられるのか。こういう色々な疑いをよくしていました。そうするうちに私が悟ったことがあります。
(1)救い(エペソ2:8)
▲神様が私を救われて、私は神様の子どもだということを知るようになりました。私はよく信じてこそ救われると思っていたのですが、そうではありません。エペソ2:8を見ると、私たちを恵みで救われたとなっています。
(2)完成(ヘブル11:1-3)
▲そしてすでに十字架でみな完成されたと言われました。
(3)準備(ピリピ1:6)
▲そして、三番目に悟ったのが、すでに私のことをみな準備しておかれたということです。みな準備しておいたとなっています。それでこれを知らないのが最もくやしいのです。ある面では、一番大きい罪です。救われた人の一番大きい罪です。みな準備されています。それなら、捜し出さなければなりません。インマヌエルソウル教会が行く道、インマヌエル釜山、ウルサンのすべての教会が行く道に、神様はみな準備しておかれました。皆さんが個人が歩いていくことも、みな準備しておかれたのです。そうでしょうか。私たちはみな過ぎた後に分かるのですが、みな準備されています。これをあらかじめ分かることを信仰と言うのです。それでヘブル11:1-3を見れば、信仰は願うことの実像で、見ることができないものの証拠です。
▲それでは、どのようにこれを分かるのでしょうか。私は幼い時から教会に通い始めたのですが、本当に信仰が生まれなかったのです。ところで、さらに重要なのは、教会に通う人々を見ると、私と同じようにみな信仰がありません。それで慰めを受けることは受けたのですが、大変でした。私は幼い時から今まで、勘は鋭いのです。この人が今どうだということを見抜くのは早かったのです。それで、近くで長老を見ると、私と同じように信仰がありませんでした。それを私が感づいたのです。しかし、一つ違う点は何でしょうか。最後まで教会に通っていたことです。それが私と違いました。私は通えませんでした。なぜでしょうか。信じられないのにどのように通うのでしょうか。ですから、狂いそうでした。それで、私が昔に信仰がない時、一番大変だったのが教会に通うことでした。それで、皆さんの中で信仰がないのに妻付いてきた人々が、どれくらい苦労するのか私が知っています。また、この中で信仰がない牧師の息子、娘、長老の息子、娘がどれくらい苦労するのか私が知っています。牧師の息子と娘が教会も通わなければ非難されるではないでしょうか。それで、悪口を受けないように無理にくるのです。今日が私に最高の日だと告白しながら来るべきなのに、そうではありません。これが普通の苦労ではありません。嘘をつかなければならないためです。いっそ信じない家の子どもたちは、教会にくる時、信仰できます。私も両親のためにやむを得ず教会に通ったのでした。ところで、その時は何も知らなかったために、うちのお母さんを見ると、答えも受けられないようでした。そのうえに、それにしても教会に行くのがいやなのですが、教会に行くとまたけんかをします。だれかが言うように、それにしても泣きたいのに、ある人が触るから、思い切り泣いてしまったのです。これで教会に行くから、重職者、私たちの長老、執事、勧士は口を用心しなければなりません。ところで、とても話をむやみにして、けんかするのです。私が信仰が良ければ大丈夫ですが、信仰がないから、それを見て完全に崩れました。これで、自分の生涯一番苦しいのが教会に行くことでした。率直に、そのようなことがありました。それは嘘ではありません。信仰なくて教会に座っている人々を見れば、それは普通の嘘をつくのではありません。それで、教会の通わないことに決心しました。教会に行かなければみな大丈夫ですが、一つ心配がありました。それがまさに私の母でした。私が教会に行かないと言ったら、まちがいなく、私の母は絶望することなのに、それが問題でした。それで、私が私の母に、あらかじめ耳打ちをしました。私が来年からは教会を1、2年、休むつもりだと言いました。それで、私の母が、その話を聞き取れなくて、何の話かと問い直したのです。まったく止めるのではなくて、当分、止めると言いました。ひとまず1月から行かないと言ったのです。ところで、思ったより私の母が、たくさん気をおとしたのです。なぜ教会に行かないのか。それが話になるのか。私の母には話にならないことでした。それで、私が行きたくないと言いました。だから、私の状態がどうだったでしょうか。教会がそのように行きたくないのでした。ですから、私の母が、とても気落ちしたのか、あなたはどのようにして、このように堕落したのかと言うのでした。それで、堕落したのではなく、本来、信じていなかったと言いました。とにかく、後ほど行くから心配しないでと言ったのです。それで、新年から教会に行かなくなったのです。率直な話で、教会に行かないから、どれくらい気楽かわかりません。それで、私が完全にほろびたのです。どの程度ほろびたかというと、説明するのが難しいほど滅びました。その時、一つ悟ったことがあります。無理にでも教会は行かなければなりません。それで妻が引っ張っていく時、無理にでも付いてきなさい。私が完全にほろびた後に、その時から新しく教会生活を始めたのでした。すでに神様は私のために十字架を背負って、全てを完成して、準備までみなされたのです。それでは、今日、どのようにすれば良いかが今日の聖書に出ています。

1.聖霊の働きによって神様の驚くべき奥義を見ることができます(18節)
▲ローマ15:18を見れば、重要な答えが出ています。キリストが異邦人を従順にするようにするために、私を通して働かれたことの他には私があえて話しません。ところで、他の聖書の訳ではこのようになっています。異邦人を従順にさせるために、聖霊の力で働く、その他には話さない。とても重要なことです。聖霊の働きによって、神様の驚くべき奥義を見ることができます。ところで、これが難しいのです。
(1)信仰(使徒1:1,3,8)
▲それで私に信仰が生じなければならないでしょう。皆さん私がほろびるか、ほろびないかの貴重な瞬間なのに、私に信仰が生じないのです。皆さん、信仰が生まれないでしょうか。聖霊の働きによって、恐ろしいことを確かに見るようになるのに、この信仰が生まれないということです。聖霊の力で働く、その他には私があえて話さないとパウロが告白しました。本当に神様は生きておられますか。本当に私たちの祈りに答えられますか。ここに答えを出すべきではないでしょうか。すでに救われたのに、私たちが知らずにいるのです。私たちが救われて、答えがみな来ています。これを知ることができる道が、聖霊の働きです。聖霊の働きが分かると、今日のローマ15:18に明確になっています。
▲私がこの信仰が生まれなかったのです。前にも一度告白したのですが、道を行くのに電信柱に何かが貼ってありました。昔なので印刷物でなく文字で書いて、何かの復興会と付いていました。見たら、すぐそばの教会でした。それで通りかかって、入ってみたのです。ところで、その時の講師の牧師がだれかというと、シン・ヒョンキュン牧師でした。それで、その集会に入ったのです。いったん、私が生まれて初めて礼拝時間が退屈でないと感じたのです。そしておもしろかったのです。ひとまず、この方が笑わせるではないですか。それとともに、私が思い切り笑ったのですが、その時、事実は私が初めて神様のみことばを聞いて良いと感じたのです。10年前にシン・ヒョンキュン牧師の教会に集会に行って牧師を見て告白しました。私が牧師先生の説教を聞いてその時から信じ始めたと言いました。
▲問題はしばしば私たちがだまされることです。私の周囲に私が信仰が生じる前に、私の周囲に信仰をなくすものなどだけがあります。私たちのレムナントは、ここにだまされてはいけません。両親もそうで、教会もそうで、私の周囲にみんな信仰が生まれないようにさせます。私が信仰があれば良いのに、ないから…。それで私が何をしたかというと、その時、信仰をちょっと生じる時、本をたくさん買って読みました。信仰に関する証し集をたくさん見たのです。おもに読む時、外国の人が書いたのをたくさん見ました。韓国の人が書いたのは、少し嘘のようで、外国の人が書いたのをたくさん読んだのです。それだけしたのに…それで私は何を体験したかというと、あなたの信仰がからし種だけあってもという、この言葉が分かったのです。あなたの信仰が、これくらい小さくても、その信仰だけあれば大きい木となります。本当に昔の話をしようとするなら、とても残念です。信仰が生じることがある状況にならなかったから。それで、ある日、小さい信仰ができたのですが、それが種になってずっと信仰が育ちました。それこそ、ある日イエスがキリストであること、神の国と聖霊の満たしの働きを発見するようになったのです。
(2)待ちなさい(祈り)(使徒1:12-14)
▲この時から重要なことを見るようになりました。待ちなさい。使徒1:12-14、10日間、祈ったのですが、世界を変化させる答えがきました。皆さんに本当に問題があるのでしょうか。神様の前に祈り始めてください。マルコの屋上の間で10日間、祈ったのですが、最高の答えが始まりました。
(3)霊的な目(使徒2:17)(レムナント7人)
▲この時から何が来るのでしょうか。この時から、霊的な目が開かれるのです。すると、将来の事をするようになって、夢を見るようになって、幻を見るようになります。この時からはだれかが私を手助けしないでもかまわないのです。この時からは、私の周囲がすべて不信仰でも大丈夫なのです。これを持って、私たちのレムナント7人のように出発しなければなりません。家族も私たちをしばしば信仰を落とすようにさせるのですが、この時から良くなります。これが聖書にあることなのですが、私が少し発見したのです。それで、皆さんが今日から小さい信仰だけ持って始めてもかまいません。とても私たちの周囲には不信仰が積もっています。私はこの信仰という言葉が、どれくらい重要かわかりません。私が救われておいても知らないのです。救われておいても、私が受けた祝福がどれくらい大きいのか、受ける祝福はどれくらい大きいかわかりません。
▲今日、私たちの卒業するレムナントが、このように出発することを望みます。ひょっとして困難を受けている方は、このように始めることを望みます。なぜでしょうか。救われたので、必ず信仰を持って、祈って待てばみわざが起きるのです。ひとまず、これがきてこそ目が開かれます。私は信仰なくて、教会に行くのがいやなほどでしたが、この答えを見たら、これから伝道をどのようにすれば良いのかということを、みな神様が悟るようにさせられました。レムナント7人がそうなのです。この祝福は誰でも受けられます。救われた皆さんは、だれでも受けられます。
▲今日、この祝福で始められるように願います。必ず10日、祈らなければならないのでしょうか。それは違います。皆さんが使徒1:1,3,8を待ちさえすれば、神様のみわざが始まるのです。私たちの長老も、この時から力が生じます。私たちの教役者も、この時から門が開き始めます。とても重要です。パウロがそれを悟ったのです。聖霊の働きのほかは私があえて話す必要がない。

2.伝道の目が開き始めれば神様の驚くべき働きが見え始める(21節)
▲二番目です。今日、ローマ15:15-21までずっと出てきました。特に21節を見れば, それは、こう書いてあるとおりです。「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」これが何の話なのでしょうか。私たちがこの祝福を受けて伝道の目が開き始めれば、神様の驚くべき働きが見え始めます。皆さんが少なくとも信徒が、これを味わわなければならないのです。長く信じた私たちの重職者の子ども、牧師の子どもは、さらに用心しなければなりません。この祝福を必ず見なければならないのです。なぜ未信者の家庭で働きがたくさん起きるかというと、小さい信仰を持って教会にくるためです。そうではないでしょうか。未信者の家庭から来る子どもたちは友人についてくるのでなければ、信仰を持ってきます。これがとても重要な言葉です。
▲私が伝道師の時、私たちの息子が教会に行かないでしょうか。この子は初めから誤っていました。初めから信仰が必要ありません。なぜでしょうか。私たちがみな連れて行くためです。家が教会の前についていて、献金もみな渡してくれます。これで信仰ができるでしょうか。これが問題です。幼い時に教会に行けば、教えてくれる先生がいるでしょう。この先生は、うちの父さんより悪い。うちの父さんも、ちょっと足りないが、先生はパパよりさらに足りない。それで、何かおかしな信仰ができるのです。そうするうちに、教役者の子どもなのに、家に帰ってみたら、父親は完ぺきでしょうか。母親は完ぺきでしょうか。父親が他の人より立派なのでしょうか。もう少し足りません。母親は、もう少し足りません。それでは、これがおかしな信仰が形成され始めるのです。そのうえに、教師は来たり来なかったりします。伝道師なので見れば、私の息子を引き受けた先生が、何週間、教会に出てきていませんでした。これがもう自然に子どもの頭に、変なことが入るのです。怖いのです。私たちが、からし種ほどの信仰だけあっても木となります。そうでしょう。待つだけで良いのに、私たちが信仰がないということです。それで子どもが心配になりました。一度は見ると、先生がまったく出てこないから、私たちの息子の先生が変わりました。ところで、その変わった先生はみんなが知っているちょっと足りない人でした。職場もなくて、人がちょっと足りなかったのです。ところで、この人が教師になったのです。私の下にいる伝道師を呼んで、私の息子をあの先生に任せてもかまわないかとは言えないのです。これだから、これが教会に通いながら、信仰というものは習えないで、違った信仰、おかしな信仰を学ぶのです。ここに外に出て行ってみれば、不信仰がどれくらいすごく見えるでしょうか。誘惑するものはどれほど多いのでしょうか。その上に異性や人に会えば、百戦百敗するでしょう。その上に、海外まで出て行けば、通常の問題がくるのではありません。
▲私たちのレムナントは、信仰を持って出て行くように願います。なぜでしょうか。確かに神様の子どもだから、これを悟る日まで困難がずっとくるのです。イエスがキリストだ、そして神の国、聖霊の満たしを約束したのに、信じなければみわざが起きません。それで注意しなければならない部分がこの部分です。教会で副教役者を見れば、教会の働きをよくします。そして、おかしな信徒をたくさん見て、おかしな教役者をたくさん見ます。牧師どうし互いに押さえられて困難にあうのです。このようにして、おかしな信仰ができるのです。他の人の弱点をたくさん見たりもするのに、こういうものを注意しなければなりません。長老がこれを注意しなければならないのです。皆さんが教会にきて仕事をしてみれば、どれくらい教役者に足りないことが多いでしょうか。お金もなくて、力もありません。皆さんが手助けしなければ、その人々は生きることもできない人々です。それでは、どんな気がするのでしょうか。ここで、もうおかしな信仰ができるのです。もし教会に行ったところ伝道師や副教役者や牧師が全知全能ならば信仰ができるでしょうが…このように皆さんが勘違いできます。それで、少しだけ信仰を持って待てば、確かにみわざが起きるようになっています。それでは、こういうパウロが見た驚くべき働きを見るようになっています。この時から、伝道の驚くべき門が開き始めて、目が開き始めるのです。
(1)私
▲今日16節にも見ると、この恵みは、すなわち私が異邦人のためにキリスト・イエスの働き人になって、神様の福音の祭司の職分をするように…となっています。伝道とは何でしょうか。私とともにおられる神様の奥義を言うようになることです。
(2)私たち
▲伝道とは何でしょうか。私たちとともにおられる神様の奥義を説明するようになることです。インマヌエルと言ったりもします。
(3)他民族
▲伝道とはは何でしょうか。まだ救われることもできないすべての他民族とともにおられる神様の奥義を見るようになるのが伝道です。
▲皆さんは時間を持って体験してみてください。少しだけすれば、この目が開き始めます。前のことが見え始めれば、その時から神様のみわざが見え始めます。神様が生きて働かれる程度ではなく、正確に未来が見え始めるのです。

3.私たちのアイデンティティー(16節)
▲三番目です。今日、神様の驚くべき祝福、奥義が出てきました。私と皆さんのアイデンティティーです。皆さんが違うと言っても、そうなのです。
(1)旧約時代の祭司-呪い
▲旧約時代に祭司は何か分かるでしょうか。神様の前に犠牲のいけにえをささげながら、すべての呪いをなくす人です。
(2)イエス-一度にいけにえ
▲よく見てください。イエス様が十字架で一度にいけにえとして、すべての呪いを終わらせたのです。皆さんが旧約の祭司を知っていますか。羊をつかまえます。祭司が羊の頭の上に手をのせて祈るのです。民のすべての罪を羊に。そして、羊の首をはねて血をばらまくのです。それをする人が祭司です。旧約でいつもそれをしました。これが何を話すのでしょうか。イエス様に私たちが受けるすべての呪いをのせるのです。そこに対する預言です。イエス様が一度にいけにえとなって、呪いをみななくしてくださったのです。
(3)Iペテロ2:9
▲そしてIペテロ2:9に、私たちを王である祭司として呼ばれました。
▲皆さんがこの祝福を持って一年を終えて新しく始めるように願います。まちがいなく、皆さんがだまされています。本当に契約を握れば、皆さん1人のゆえに、皆さんの学校が生き返るようになっています。それが祭司の職分です。契約を握って出発して、信仰を持って始めるように願います。確実です。これが皆さんのアイデンティティーです。それでは、皆さんに働きが起きなければ、これがなぜそうだろうかと気をおとさずに見回してみてください。確かに隠されています。長老ひとりのゆえに、その地域が生き返るようになっています。王である祭司、光を宣べ伝えるために呼んだ。それで皆さんが少しだけ信仰を持って聖日だけ祈ってもかまわないのです。一週間、皆さんがずっと不信仰の中に生きていて、聖日の日中にうしろで座ってうとうとして行ったら、それは死ぬのです。

*結論-答えがないのはなぜでしょうか。
(1)大きい計画
▲それでは結論を結びます。私に答えがないのはなぜでしょうか。答えがないのではありません。神様のより大きい計画がある時は、皆さんの前にないこともあります。神様はより大きいものを準備しておかれたのですが、私たちが知らない時は、それがないこともあります。私が何十年祈ったが答えられなかったことがあります。それが何かというと、中学校2年の時から祈ったことなのに、アメリカに留学に行くことでした。私がそれを置いてどれくらい祈ったかというと、私はアメリカをあまりにも思うから、映画だけ見ても気持ちが変になって行きたかったのです。どれくらい祈りをよくしたかというと、幼い時から行かなければならないから英語の勉強をがんばったのです。それでも門が開かれませんでした。私が大学に行って、大学院に行ったのに、門が開かれませんでした。一番開かれないのが経済の門でした。英語勉強をものすごくできない友人がいるのに、その友人は留学に行ったのです。その時、私があきらめました。あんな友人も行くのに、私が行けないのは神様のみこころではない。それでアメリカへ行く、行かないは重要なことではないのですが、私が今になって悟ったのです。多分、私がその時、アメリカに行ったら、英語は上手でしょう。確かには分かりませんが、私は言葉を学ぶのはよくできると思うから、上手にしたかも知れません。ひょっとして何かの学位も受けたでしょう。しかし、とても重要な伝道現場は見られなかったでしょう。ですから、神様はより大きい計画を置いて私たちの祈りを防げるのです。
(2)うつわ準備
▲そうでなければ、こういう場合です。神様が私たちにうつわを準備させるためです。更新しなさいと…世界福音化しようとするなら、今現在の考えではだめだから、神様が更新しろと答えを与えられないこともあります。
(3)未来
▲神様はより大きい重要な未来を置いて、私たちの体質のために体質を変えろと答えられないこともあります。その他には正確に答えがくるようになっています。
▲今日2009年を送る礼拝です。特に私たちのレムナント卒業礼拝です。皆さんが契約を握って行くように願います。そうすれば、まちがいなくみわざが起きます。皆さんは救われたレムナントであることが確実だから、少しだけ待てば目が開かれます。目が開かに状態で度々出て行くからずっと難しいのです。目が開けば現場が見られます。現場を見れば、また開かれます。いよいよ神様が私を祭司してと呼ばれたことを知るようになります。それでは、またさらに大きい目が開きます。後には答えが来ない理由までも知るようになります。どれくらい素晴らしいでしょうか。このようにして世界を生かすのです。来年からさらに多くの答えが私たちのレムナントと皆さんにあるようになるようにイエス様の御名で祝福します。祈ります。

(祈り)
神様に感謝します。この時間に私たちに霊的な目を開いてくださり、信仰の目を開いてくださり、暗い私たちの考えを照らしてくださり、真の信仰を回復する貴重な時間になるようにしてください。イエス・キリストの御名で祈ります。アーメン.
(The end)