20140209 インマヌエル教会聖日1部


神様を喜ばせること
(Ⅰテサロニケ4:1-8)

私たちが生きていく中で、学業、事業、職業などが崖っぷちに立たされる時があると思います。そのようなときはどうすればよいのでしょうか。多くの人々はそれを解決しようと努力すると思います。しかし、聖書をよく見ることによって、答えを見つけることができると思います。まずはすべてのよくない泡をすべて出すことです。そして、祈っていくと神様の計画が見えます。その理由は、神様は皆さまにご計画があるということです。野花の草、花にも神の計画があるということなのに、皆様に神の計画がないと言うことはありえないと思います。未信者のいのちをも主の主権によります。ですから、神が皆さんのことを知らんぷりするはずがありません。実際に人々は「私はだれだれのことを知っている」とか人脈や経験をよく主張しますが、もちろん、悪くはありません。また、自分の親戚の中に、家族の中に長官がいるとか、大臣がいるとか、また、軍人だとかいろいろなことがあるかもしれません。悪くはありません。けれども、自分自身が一番、重要な時刻表に立たされているときに、周りのそれらは全部すべて泡にすぎません。実際、自分の事業や学業が問題にぶつかって苦しいときというのは、皆さんが持っている泡のせいです。皆さんの身の周りにあるすべての泡をきれいに洗い流したあと、神の計画が見えてくるはずです。なぜなら、 心の清い者は神を見ることができると、マタイ5:8で言われています。また、生きている間、健康が崖っぷちに立たされる場合があると思います。たとえば、体調を崩したりということはあり得る話なのですが、死にそうな病気になったり、癌にかかったかもしれない。また、そのような怖い病気にかかり、これこそ崖っぷちだなと思うかもしれません。もちろん、経験していない人はわからないかもしれません。実は私自身も死にそうな病気にかかったことがないので、考えてわかることはわかるのですが、そのような立場についてよくわからないかもしれません。けれども、立場的には崖っぷちに立たされているということは確かにそうです。では、そのような人はどうすればよいでしょうか。

神様が望まれるのは一つしかありません。神様が望まれるのは一つしかないのですが、パウロがそのような立場に立たされ、深い祈りに挑戦しました。どれくらい祈ったかと言いますと、自分の体が自分の体の中にあるのか外にあるのかわからないほど祈りをしました。自分の深刻な病気を置いて祈り、第三の天を見たと表現しました。答えは簡単です。皆さんの体に病気があるということは、それが良い悪い、間違った、間違っていないという問題ではなく、聖霊の満たしを受けなさいという計画です。聖霊の満たしを受けたあとに、医師の助けを受けてこそ正しい治療が行われます。聖霊の満たしを味わいながら、正しい食生活をするとき、バランスが整っていくのです。つまり、神の力を体験しなさいということです。健康的に悪くなっている方は、生きる、死ぬという問題を経験し、神の力を本当に体験する時刻表だと思ってください。恐れる必要はなにもありません。絶対にそうです。今日、真に神様から与えられる大きな祝福に預かるよう願います。

そして、3番目はやはり、本当に人には言えないなにかの苦しみがあるということです。そのような苦しみを今日の本文をとおして扱っていこうと思っています。全国や世界、特に海外に留学されている方々は、今日の御言葉をとおして力を受けていただきたいと思います。その自分ではなんだかわからない苦しみの原因、その原因の言葉、単語は何かということです。それが今日の本文に書かれている淫乱です。かなり昔の話なのですが、小学生6年生の子が私たちの訓練を受けました。それは母親が「訓練を受けなさい」と言われたので訓練を受けました。合宿訓練を受けている間、この子がものすごい恵みを受けました。そして、すべてが癒されました。聖霊が働いたということです。小学校3年生の時から6年生まで、実はレイプされていました。それを告白しました。実際的には女の子なのですが賢い子で、母親には心配をかけるから言えないと話をしなかったのです。父親にももちろん言わないし、だれにも話をしませんでした。もちろん、友達にも言える話ではありません。しかし、この子はずっと苦しめられました。小学校3年生のときからということは、どれだけ辛かったでしょうか。相手は大人だったそうです。3年間ずっとそのように俗にいえば犯されてしまったということです。それで死にたくなったということでした。母親に言えば本当に大変なことになる。父親にもそんなことを話したら大変なことになるということで隠しました。隠して、隠してきたので、病気になってしまいました。そして、私たちの教会に来て訓練を受けて、自分にメッセージをずっとしてくださった伝道師、メッセンジャーに自分の悩みを打ち明けたそうです。打ち明けたあと、よく私たちは解決する対策案を見つけました。そして、福音によって癒されていったということです。

海外にいるレムナントの皆さん、そして、ご両親には何も言えない苦しみに、皆さんそれぞれあっているのではないかと思います。また、身の回りのせいではなく、本人がそのような問題に陥ってしまったという人もいます。そして、団体でこのようなみだらな行いをする人たちもいます。こういう問題はやはり麻薬もつながっていき、それは結局は犯罪につながっていきます。その中には売春をするケースもあるということです。結局は、自分の生活費用のためにそうしていたという例もあります。このような感じで皆、崖っぷちに立たされています。全国、世界のレムナントの皆さんにも特に知っていただきたいのですが、最近は性的犯罪が増えています。また、自分のご両親や指導者にはなにも言えない、相談することもできないということで、苦しんでいる人たちがいます。実は平安のあとは答えられるのですが、快楽のあとは苦しみが伴うということを覚えておいてください。楽しみと快楽というのはまったく違う話です。こんな形で数多くのレムナントが難しい問題にぶつかって霊的問題に引っかかっています。驚くべきことです。今日の本文は、聖書の中をずっと順番通りにやっていく中で、今日でてきたということです。でも、今朝、イ•ソンフン牧師から深刻な報告を受けました。あるレムナントたちが苦しんでいるが、その苦しみの内容について報告を受けました。それがなんと、まさにこの淫乱な問題でした。今日の本文とぴたっと合ったので私は驚きました。やはり、神様の御言葉は正確だなと思いました。

実はあれだけ信仰生活を立派にしたノアもこのような問題に引っかかりました。もちろん、ノアが生きていた時代というのは、家族同士でも結婚することができる時代でもありました。その子孫たちは、いまだにイスラエルの民族を苦しめているモアブ、アンモンの人たちです。ではダビデはどうでしょうか。実はダビデは、詩篇だけでも73個の詩を書きました。ダビデが賛美をすれば、なんと呪いの霊が、汚れた霊が離れていくくらいです。しかし、そんなダビデも一度のミスがありました。そして、大きな苦しみがダビデにも来たということです。全国、世界のレムナントは、いい意味、自分自身で隠しているかもしれませんが、このような問題に陥っている人たちが多くいませんか。想像以上に、レムナントがとても大きな苦しみの中で、勉強もできないくらいの状況にいます。また、こういうことについては、人に話すことができない部分です。そして、話したとしても意味がないという状態です。今日の内容を多くの皆さんが、祈らなければならない理由があると思います。そんな中で今日の御言葉を堅く握っていただきたいと思います。それでは、このように崖っぷちに立たされた問題にどうすれば勝利するでしょうか。私たちがこのまま落ちて死ぬことなく、どうしたら勝利できるのでしょうか。いくつかの内容を申し上げますから、理解していただきたいと思います。

まず1番です。一番、簡単にサタンが攻撃する部分だと思ってください。これがサタンによる攻撃だと思えば、すぐに勝利できると思います。創世記3章に現れたサタンは目に見えないところで簡単に家庭を攻撃してきます。創世記6章のところを見ますと、皆さんもわからない深いネフィリムの時代、淫乱の中に陥れていきます。そして、堕落させます。これがダビデの家系にまで入って来ました。サタンがそうします。絶妙な形でレムナントのところに行きますから、皆さん、本当にこれらについてサタンがそうしているのだということを覚えていてください。イスラエルの大きな問題はどんな背景から現れたかわかりますか。実はヘロデ王の前で非常にきれいな女性が踊りを踊りました。そして、ヘロデ王が女性に聞きました。「あなたになにをしてあげましょうか」。すると、この女性が言いました。このお皿の上にバプテスマのヨハネの首を載せてください」と。だから、ヘロデ王は本当にバプテスマのヨハネの首を切って、その皿の上に盛ってきました。こんな形ですべてサタンとこのようにつながりになり、キリスト教が迫害されてきました。レムナントと皆さんは、神様の大きな祝福を受けなければならない皆さんですから、それを知ってサタンが攻撃するはずです。また、ネロの皇帝を覚えていますか。特に数多くのクリスチャンを殺しました。実はネロは王族の息子ではありませんでした。実はローマの宮殿の中で踊っていた女性と王の間に生まれた息子がネロであったわけです。そのあと、ネロが皇帝になりました。そのような系図ですから自動的に王になりました。元々は王族ではありません。結局は母親も殺し、王たちも殺し、最終的には王となるのですが、のちに精神的な患っておかしくなってしまいました。このようなサタンの流れをよく察知したうえで、本当に契約を握っていただきたいと思います。

二番目です。神の前に立つとき勝利します。神の御前に立つとき、この問題は勝利します。人の前ではなく、神の前に立つとき勝利します。では、ダビデを見てみましょう。ダビデは皆さん、良く知っていらっしゃると思います。ダビデは王の王だと言われていました。偉大な王で、祈りの者、本当に霊的な王でした。けれども、そのダビデはなんとウリヤの妻を奪い取りました。このとき、この事件のあと、ナタンの預言者がダビデのところに訪れました。人の間違いを指摘するときに、すごく強い口調で言ったりする方たちが多いのですが、この預言者はそうではありませんでした。ダビデが非常によく悟れるようにお話しました。しかも相手は王であったわけですから、ナタンの預言者は王の前に来てお話しました。ダビデは預言者の言葉を聞いて、そのときダビデが言った言葉です。もちろん、このようにも言えます。「ウリヤの妻はウリヤが死んだから、私が連れて行ったのだ。何が間違っているのか」とも言えたと思います。そうだと思いませんか。「自分の夫が戦場で死んでしまったから、だから私が連れて来たのに何が間違いなのか」といえたかもしれません。でも、ダビデはこう言いました。私は神の前で罪を犯しました。間違いをしたということ。誤ったということです。そして、ダビデが悔い改めをする場面が出てきます。その後のダビデの様子を見ますと、Ⅰ列王1:1-4を見ますと、王宮の中に若い女性たちがいっぱいいたのですが、一切、その事件以降に若い女性たちとはともにしなかったという記録が出ています。ということは、本当にダビデが悔い改めをしたということです。皆さんの身の周りに、もちろん楽しいこと、快楽がたくさんあるかもしれません。しかし、皆さま自身が本当に神の前に立って「私はレムナントだ。私は世界を生かすのだ」という思いがあるのなら、絶対にサタンの策略に騙されることがありません。ダビデのように、もちろんこういうことがあるかもしれませんが、神の御前に立ってください。

また、ヨハネ8章に行きますと、現場で淫乱、みだらな行為をしている最中に捕えられて連れて来られた女性が出てきます。これは現行犯ということです。その当時、このような女性の場合は、モーセの律法によりますと石打ちで殺すとなっていました。でも、どうなりましたか。周りの人々は皆、手に石を握って女性に投げようとしました。でも、その瞬間、イエス様が現れたのです。イエス様の前で女性は震えていました。なぜなら、現場で捕えられたわけですから、言い訳もすることができません。だから、怖くて震えていました。でも、イエス様はなんと指で地面にある文章を書きました。何を書いたのかはだれもわかりません。ある神学者は、このように言いました。イエス様がすべての律法をそこに書いたのではないかと。だからその律法に一つでも引っかかる人は皆、石をその場に下して逃げたと解釈する神学者もたくさんいます。でも、私はそのようには思えません。なぜなら、その人たちが、そのようなことを書いたからと言って、石を置いて逃げる人たちではなかったと思います。たとえばイエス様が「イ•ソンフン、何月何日、何かをしたでしょう」とか「パク・デボラさん、 10年前の何月何日にこういうミスをしたでしょう」とか「パク・ギボム長老。こういう罪を犯したでしょう 」とか。なぜなら全能なる神様ですから、人の過ちを全部書いたかもしれません。だから、それを見て「ああ。しまった。私もばれたか。私は石を投げる人ではない」となったかもしれません。皆、逃げるかのように去りました。震えている女性に対して、イエス様はこのように言いました。「皆、去って行ったのか。私はあなたを罪に定めることはない。だから、あなたはもう二度とこの罪を犯さないように」と言いました。自分の罪を許されました。もし、この女性がたとえば「皆、罪を犯したでしょう。だから、私も平気よ」とはしなかったと思います。イエス様ga[あの人たちも問題があって、あなたも問題を犯したから、皆同じだから今回は許す]ということになったわけではないと思います。女性は本当に悔い改めました。本当に感謝しました。その悔い改めをイエス様は見ました。それでイエス様は言いました。「行きなさい。私もあなたを罪に定めない。決して、だれもあなたを罪に定めたりはしない」。このような極限な問題に至ったときには、神様は大きな恵みをとおして、このような恵みを施してくださいます。

このような内容を見て、私たちが特に、理解しなければならない部分があります。特に今日の本文というのは地域がテサロニケ地域なのですが、そのテサロニケという地域の特徴を知っているパウロが送った手紙です。実は最初はテサロニケという名前ではありませんでした。最初はデルタという名前でした。デルタという言葉は温泉という意味ですが、この地名がテサロニケと変わりました。このテサロニケに名前が変わったのですが、この名前の由来は、アレキサンダー大王によって名前が変わりました。では、アレキサンダー大王は、なぜこの地域の名前をテサロニケに変えたのでしょうか。テサロニケというのはある女性の名前でした。その女性はだれだったのか。ある神学者は、テサロニケという女性の名前はアレキサンダー大王の妹の名前だとします。また、ある人は、アレキサンダー大王の妻の名前だとする記録もあります。とにかく女性の名前であることは確かです。ある記録によりますと、アレキサンダー大王の異母妹の名前だという人もいます。図書の出版「名門」という出版会社が出している出版物にはこのように記されています。テサロニケは、アレキサンダー大王の義弟の妻の名前であると。その女性を記念するために作られた名前だと。私はこれが正しいのではないかと思います。このような背景を見たときに、このテサロニケ地域の文化というものが読み取れると思います。レムナントたちが行く地域とその文化というものがあるのですが、それも知らなくてはいけません。たとえばレムナントがいる現場の文化がこのような淫乱な文化だらけでしたら、自分も文化だということでそう流されてしまうかもしれません。だから、神の御前に立ちなさい。神を喜ばす者になりなさいということです。

3番目です。皆さんは未来の前に立たなければなりません。過去も重要ですが、未来はもっと重要です。失敗したことも重要かもしれませんが、失敗したあとが重要です。レムナントの皆さんがときには成績が落ちたり、またいろいろな勉強がうまくいかないということも重要かもしれませんが、そのあとが重要です。ダビデはミスをしましたが、そのダビデの未来はもっと重要でした。聖書にはホセアという預言者が出てきます。ホセアは妻が本当にいつも淫乱なみだらな不品行な人でした。一度だけではなく、それがもう生活になっていました。ある過ちでそうなったのではなく、それがもう生活になっている女性でした。また、そうしてはならないと言っても、また繰り返してしまう人でした。でも、このホセはその妻を最後の、最後まで許し、愛してあげました。なんとこのホセアがイスラエルを生かした預言者ホセアだったのです。ホセアは重要な未来を見ることができたからです。今からレムナントの皆さんは、祈りをしていかなければなりません。「いや牧師先生がそんなことを言うってことは、女子学生と男子学生が付き合うこともできないのですか」。そういう意味ではありません。「私たちは恋愛もいけないのですか」。そういう意味ではないのです。今はもう大人になっていると思いますが、昔、大邱(テグ)にいたある男の子が青少年神学院で私に相談をしました。「先生。僕は、女の子を見ると、顔が赤くなって本当にどうしたらいいのかわかりません」という内容でした。実際的に顔が赤くなるそうです。そして、体が震えてしまう。「これは病気ではないでしょうか」ということで私に相談してきたのです。私は答えました。それは正常ですと。「君が男の子を見て、そのように顔が赤くなって震えるなら、それはちょっと異常です」と。「きれいな女の子を見て、そのように顔が赤くなったり、体がちょっと熱くなるというのは正常です。だから、あなたは早く結婚するように祈りなさい」とお話しました。「では、私は正常ですか。」「もちろん、正常です」と言いました。そしたら「牧師先生もそうですか」と言いました。私は言いました。「私はそうじゃない。私はもう大人だしそんなことにはならない」と。今、私がお証ししたということは、うまくやっているからこのようにお話をしました。

そこで、レムナントの皆さんは3つのことをやらなければなりません。それは恋愛をしても結婚をしても、3つのことをやってください。福音を正しく悟りますと、すべての過去は祝福の土台になります。それにふさわしい勉強、恋愛をしなければなりません。そして、これから祈りを正しく悟りますと、タラントが見えます。そうするとまことに勝利します。そして、伝道ということが何だかわかりますと、皆さんが正しい成功とミッションホームの祝福を受けるようになります。この3つを皆さんが持たなければなりません。それにふさわしい結婚、ふさわしい恋愛をしてほしいのですが、そのようなことがわからずに恋愛したり、勉強したりしていますから、苦しくなってしまっているのです。福音を正しく味わうということはどういうことでしょうか。ヨセフを例に挙げてみます。ヨセフは言いました。私がエジプトに行くのは奴隷として売られていくのではない。私はこの福音の奥義のために、そして、エジプトの福音化のために、兄たちにこれらを伝えていくために行くのだ」と。これが正しい福音を味わっていたヨセフの告白だったと思います。では祈りは何でしょうか。実はその祈りをとおして、ヨセフにはものすごいタラントが見えてきました。ヨセフが行っているすべての働きに神がともにおられたということが見えてきたのです。祈りを正しく悟るときにそうなります。レムナントもそれを悟らなければなりません。学業に対してもです。

また、ヨセフを見てください。王の前に来ました。ヨセフは王の前に行ったときに、「王様、神があなたを愛しておられ、あなたをとおして世界を生かすために神がこうなさいました」とお話しました。伝道を正しく悟ったときにそうなります。成功します。伝道を正しく悟るとき、真の成功が与えられるのです。必ずそうなります。世界が飢饉にあったとき、実はその飢饉によって神がヨセフを用い、ヨセフをとおして世界が生かされました。そして、また兄たちに会ったときのヨセフが言った言葉です。あなたがたが私を売ったわけではない。神が私を救いのために先に送り出したと言いました。全国、世界にいらっしゃるすべてのレムナントの皆さんは、今日、この祝福を味わっていただきたいと思います。

では、大人の皆さんはどうしたらいいのでしょうか。もう歳ですと言う方。だから、オリーブの山へ、だから、マルコの屋上に間に集まりなさいということです。そうだと思いませんか。「もう結婚しましたし。今の結婚している相手はなんとも故障している状態です」と思うかもしれません。だから、神は皆さんのすべての過去を土台にし、伝道と世界宣教の祝福をするということです。レムナントの皆さん。必ず覚えておいてください。たとえ皆さんが少し過ちを犯したとしても、負けずに、サタンの策略にだまされずに、神の御前に立つことです。今からでもレムナントという未来の前に立つならば、ダビデのような祝福を受けます。正確に言えば、福音は何でしょうか。私のすべての身分、過去、刻印されたそのくびきから完全に解放されることが福音です。

では祈りは何でしょうか。祈りは神様が皆さんに備えられた部分を悟る、見つけるということです。また、 伝道とは世の中を生きていく上での、真の成功を知らせてくれるのです。それにふさわしい恋愛をしてください。それにふさわしい結婚をしてください。それにふさわしい勉強をしてください。
勉強のできる学生が昔、日本に留学しました。留学すると最初はやはりちょっと浮かれてしまうのでしょうか。うぬぼれてしまう部分がある。まったく違う世界を経験するわけですから、そうやって浮いてしまったり、またすごくさみしくなったりということがあると思います。だいたい、海外の集会に行きますと、夜、牧師先生たちが固まって団体で歩いたりする姿を見ました。海外に出るとそうやって浮いてしまう部分があると思います。そして、端っこの方に牧師先生の妻の皆さんもいらっしゃったりしました。もちろん、海外に出た留学生の場合、知り合いもいなければいろいろとあると思います。ある学生が日本に留学したときに、留学が先だったとききれいな女性に会いました。韓国の女性でした。あまりにもきれいで惚れ込んでしまって、お付き合いを申し込みました。女性はその男性に言いました。「私は普段からあなたがたのことを、知っていましたがすごく立派な人だと思っていました」と。すると、男の人はびっくりしました。私は知っている。では今私が思っていたというと過去形だから、今はショックを受けたのかなと思いました。では私のことを知っていますかというと、妻は「もちろんのことです」と答えます。妻ではなくこの女性がたずねてみました。日本になぜ来たのですかと尋ねました。相手は言いました。勉強のために。すると、勉強してくださいと言われたそうです。では目標は何ですかと尋ねたところ、私は司法試験に合格して裁判官になるだろうと話しました。そして、女性は言いました。私はあなたがそうなれると思います。合格した後に私のところに来なさいと。つまり、結婚ということも、お付き合いのことも合格した後に考えましょうということでした。すると、そのことを聞いた途端、男の人はすごく恥ずかしくなり、本当に勉強を頑張ったということです。自分が大好きな女性からそんなことを言われたわけですから、ショックもショックなのですが、力も本当に元気が出てもっと勉強を熱心にしました。だいたいそういうことになると、勉強が手につかないかもしれなかったのですが、余計に勉強を頑張ったということです。それで合格しました。韓国の人が外国人が日本で司法試験を受けて、またそれが合格するというのはありえないことかもしれません。それくらい簡単なことではありません。でもそうやって合格しました。それで女性のところに行きました。私は合格しました。二人は結局、結婚しました。その方が韓国初代の法律概論を書いたというユ・ジンオという博士です。レムナントの皆さんも未来にある立派な道を選択し、神様を喜ばせるチャンスを握っていただきたいと思います。今、崖っぷちに立たされている多くの皆さん。レムナントの皆さん。大きな神様の祝福を味わうきっかけになるようお祈りいたします。


(お祈り)
神様。今、全国、全世界にいらっしゃるレムナント見守ってください。そして、力を与えてください。霊的に新しい力を与えてください。そして、世界を生かす大きな人物になるように主が導いてください。そして、すべての重職者たちがこの働きができるように、新しい力を与えてください。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。