20140216 インマヌエル教会聖日1部


このことばをもって互いに慰め合いなさい
(Ⅰテサロニケ4:13-18)

私たちは、時々、危機にぶつかるときがると思います。また、病気にかかって苦しみに遭うときがあると思います。また、経済問題において貧しくなるときもあると思います。また思ってもいない失敗をすることもあると思います。でも、問題はそれだけではありません。実は一番辛いのは自分に能力がないということです。問題があるとしても、自分に能力があるならその問題を超えることができるはずです。そして、世の中がどんなに苦しいとしても、自分に力があれば越えられるのですが、そうではないということが一番辛いところです。ですから、挫折してしまいます。そこで、自分自身が一番辛いときは、私は力がないのだなと気づくべきです。テサロニケ教会は、非常に模範的な教会でしたが、3つのことによって危機に遭いました。

その一つ目は、ユダヤ人からの嫉妬です。人から攻撃されていく中で、嫉妬されるという部分が非常に恐ろしい部分です。例えば、自分の過ちによって、いろいろと指摘された部分は直して行けばいいのですが、嫉妬されていろいろと苦しめられるというのは問題解決策がありません。実際、釜山の影島区の中で数千人が集まる信徒数を持っている教会は、私たちの教会しかありません。今も衛星放送で同時礼拝をささげていますが、やはり数千人という信徒がいます。隣の教会からいろいろと嫉妬されましたが対策がありませんでした。人から例えば、物事のよい悪いということに対しては、もちろん、いろいろな対策案があるかもしれませんが、嫉妬には一切、対策案がありませんでした。それと同じようにユダヤ人は嫉妬をもってテサロニケ教会を苦しめました。

二つ目のテサロニケ教会の危機は何でしょうか。それは輩どもです。こういう悪い不良たちが動員されて、パウロ、またパウロのチームを非常に苦しめていたということになります。そのような悪者たちにこうやって攻撃されてしまいますと、地域の雰囲気というものはまた変わってしまいます。

三つめの危機は何でしょうか。もっと恐ろしいものが現れました。反キリストです。このような反キリストはある意味、伝染病のようなものですから、非常に恐ろしい攻撃です。そこで、反キリストたちによる発言によって、イエス・キリストの再臨だとか、非常に教会を惑わすようなことがたくさん起こりました。このような人々の出現によって、非常にテサロニケ教会が危機におかれてしまいました。そちらに残っている人々はどうなっていくのでしょうか。このような問題にテサロニケ教会もぶつかってしまいました。それではこのような危機のとき、どうしたらよいのでしょうか。真に答えはないのでしょうか。私は一生涯、このような苦しみの中で死んでいくということなのでしょうか。違うと思います。だいたい、このような危機、挫折を迎えますと二つの反応が現れます。大きな苦しみが自分の眼先に来てしまいますと、落胆ということよりはまずは自分の先入観が生まれてしまいます。つまり、難しい問題にぶつかると「あー。できない。だめだ」と自分の考えが先立ってしまうのです。「私のように力のないものが、こんなに大きな世の中と戦って勝てるものか」と考えてしまいます。または反対に非常にうぬぼれた考えをしてしまいます。だから、絶対に解決されることはありません。例えば、問題を前にして、ある人はすごく挫折して先入観を持ち、自分の知識で判断してしまいます。また、ある人はすべてのことを虚しく考えてしまいます。

今日は初代教会から始め、このローマまで生かした人物、テサロニケ教会を活かしました。それはパウロです。そのパウロがこんな挫折や危機を迎えている人々に対して解決の答えを与えます。完全な危機におかれている教会に対し、パウロは解決の答えを示します。そして、互いにこのような言葉で慰め合いなさいとお話しています。今日、真に皆さまが考えていただきたいと思います。私はいつまでもこのような病気にかかって苦しみ、死んでしまうべきかということを。私は神様もまともに味わうことなく、いつも貧しいこんな状態で死んでしまうのかということを。私はいつも勉強に苦労して「大変。大変」と言いながら死んでしまうのか。本当に自分がその姿で終わっていいのかと質問してみてください。正しい質問であるなら、神様は正しい答えを与えてくださると思います。しかし、間違った質問には答えがありません。だが、正しい質問であるなら答えがあります。今日のこの問題に対しパウロは答えを示しています。重要なのは答えを得る前にパウロ自身が、いったいどんな人なのか知るべきです。つまり、皆さんが答えを得る前に、皆さん自身がだれであるかを悟ったほうがいいと思います。どんなに苦しいことがあっても構いません。なぜならパウロには3つのことがあったからです。実際、皆さんもご存知のとおり、パウロは多くを学んだ人でした。この中に知識人がいらっしゃるとしても、パウロ以上の知識を持っている人はいないと思います。そこで、そんなパウロが語るすべての言葉には非常に説得力があったということです。パウロはどんなに成功した人でしょうか。パウロ以上に成功した者はいませんでした。彼は当時の国家議員のもとにも弟子入りをして学ぶくらいの人であったということです。最近の言葉で言えば、最高の世の中で権威、権力のある人たちのもとにいたということです。そんな中で初代教会が生まれたという時代でした。その初代教会をなくそうと、あるチームが誕生したのですが、そのチームの頭に当たった人が元々はパウロでした。イエスを信じる人々を捕えては殺すという大きな責任を持った者が、実はパウロでした。そんなパウロが皆さんもご存知のダマスコでイエスを信じる者を捕えに行く途中、ひざまずく改心が行われるのです。そこでパウロは重要な体験をしました。そのパウロが持った力を私たちも持つなら解決することができます。パウロは、それまでは科学的には間違っていることをもっていました。パウロがダマスコで体験したのはイエス•キリストが実際的に存在しているということに気づいたのです。そして、そのあとパウロはバルナバとの出会いが与えられます。そして、マルコの屋上の間で起きた神の御働きをわかるようになっていきます。そして、とうとうパウロは宣教師として派遣されていきます。のちには霊的に深い段階に入っていく最高の者に変わっていきます。

これから皆さんは3つのことを行っていただきたいと思います。それは科学的で、医学的でありながら、最も正常的なものを回復してほしいということです。それは福音にあってです。皆さんは生活そのものをとても正常的に回復してください。そして、もう一つは霊的に正常な状態を回復してください。それはどういうことでしょうか。パウロがその部分に対して重要な答えを持っていたということです。キリストに出会った瞬間、パウロはそれませ疑問に思っていたすべてが解かれてしまったからです。またそれだけではありません。パウロは、自分が持っていた知識、それらが必要ないということ以前にも、そのようなことを語る前にすべての部分の答えを、キリストに会うことでわかってしまいました。そして、深い祈りの段階に入ったのです。今日、パウロは問題に対して勝つ答えを与えています。そこでパウロはテサロニケ教会の人々に、このような言葉で慰め合いなさいと言いました。

では、どんな言葉で互いに慰め合うのでしょうか。つまり、福音の背景とその力を持っている人は必ず勝利するということを伝えたかったのです。それは今日の本文の14節に記録されています。「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています」。これが福音の核心です。イエスが死んで復活されたことを信じていますと言いました。これはどういうことでしょうか。これはイエスがキリストだというとても重要な証拠です。第1コリントでは、私たちの初穂となられたとも記録されています。なにも疑う必要はありません。私たちも後にすべての体がよみがえられて、天国に、またある人は地獄に行きます。その働きの初穂となられたと言われました。なにも疑う必要はありません。イエスがキリストであるという証拠として、死から復活されたということを信じていると言いました。旧約聖書には元々、預言されていました。キリストが来られる、そのキリストが十字架にかけられ死に、そして復活される。そのように預言されています。これが事実なら、どんな問題も勝つことができます。第1コリント15:3~4にはこのように書かれています。キリストは聖書の示すとおりに私たちの罪のために死なれたと言われました。そして、聖書が示すとおりによみがえられたと言われています。イエス・キリストは預言されました。聖書が示すとおりに死なれ、聖書が示すとおりによみがえられたと記録されています。これはもしも信じられないとしても、それでも事実です。のちに私たちもこのようになっていきます。殉教されて、たとえ苦しみの中で死んだとしても、のちにはこのようによみがえられるということです。科学者の皆さんの耳にはどのように聞こえているかわかりませんが、これこそが科学です。今、皆さんの肉体の体をもって天国に入るわけではありません。のちに私は死んだあと、天国に入る体の状態に変えられて行くのです。

あるとき、日本に行ったときのことなのですが、飛行機から降りて出ていくときに、ある警察官が「柳光洙牧師」とカードに書いて持って立っていました。例えば、飛行機というのは着陸してから普通にお客が降りていくところがあるのですが、そこではなく、降りてすぐに別の通路に私の名前を持って立っていました。つまり、その人は私を案内するためにいた方だと思います。その方が私を案内してくれて、かばんも持ってくれて、だれかがそのようにお願いしたのでしょうか。そのように降りたことがあります。その人がなぜ「柳光洙牧師」と書いて持って立っていたのでしょうか。なぜでしょうか。簡単です。私をよく知らないからです。例えば、私が空港で到着したのにファン・サンベ牧師が「柳光洙牧師」とカードを持っていたらどうでしょうか。例えば、メダルでも獲得した選手のように、垂れ幕とかではなく、わからなくてそのようにネームカードを持つというのはおかしいです。つまり、イエス・キリストは預言されています。旧約聖書にはこの世にはキリストはたったひとりしかいない。その証拠として、その方を十字架にかけられて死なせ、そこで勝利するということです。ユダヤ人たちは言うことがなかったと思います。なぜなら、どのようにこの事実について彼らは解釈できたのでしょうか。パウロは言いました。苦しみを受けている教会の人々に、あなたがたは復活を信じているのではないか。このキリストを信じているから苦しみも、どんな問題も恐れてはならないと。そして、その復活されたイエス様は天と地のいっさいの権威を授けられているのです。そして、そのイエス様は言われました。わたしはあなたがたと世の終わりまで、いつもです。いつもともにいると言われました。この事実を信じる人は勝つことができます。皆さん、勝利してください。本当にキリストという体験が正確に来るならば、見えると思います。この祝福が皆さんにあるように願います。みことばを正しく握ればよいことです。体験中の体験はみことばを正しく握ることです。私はある日体験しました。イエス•キリストの御名でなければ絶対にサタンに勝つことができないということです。原罪の問題も解決されません。地獄の背景も変えることができません。運命にも勝つことができない。それを私は体験しました。そのときから私は見えてきました。それをどうやって体験したのかと言いますと、みことばによって体験しました。そして、現場の伝道に出て体験しました。そして、答えが来ました。体験しました。何事も皆さん、心配する必要がありません。宣教師の皆さんを初め、すべての信徒の皆さん、本当の力を回復してください。恐れる必要はありません。イエスがキリストである。その方は死んだあとよみがえられる。そのことを信じているのであれば、その内容を持って互いに慰め合いなさいと言いました。私自身もその内容を確認したあと、伝道が成り立つようになりました。真の答えを得られるようになりました。私は自分自身がそんな答えに預かれるものだとはわかりませんでしたが、答えられた後は気づいたのです。そして、このあと、深い祈りもできるようになり、伝道が成り立ちました。そして、神の恵みが見えるようになったのです。そして、本当に確信しているのは、どんな場合でも勝つことができるということです。つまり、福音の背景、その背景の力を信じる者は勝利できるということです。私たちがわからないから、また知らず知らず揺れていますが、実際的にはいっさい滅びません。ペテロはなんと言いましたか。ペテロは「あなたは生ける神の御子キリストです」と言いました。本当に告白したのです。そして、イエス様はペテロに言いました。あなたは幸いである。そして、どう言いましたか。あなたは岩である。この岩の上に私が私の教会を建てると言われました。ハデスの門もあなたに打ち勝つことができないと言われました。天国の鍵を授けよう。このような祝福を受けているにもかかわらず、このような祝福を受けているのかどうかもわからずに、ペテロはイエス様から逃げてしまいました。しかし、そんなペテロにイエス様は現れて、もう一度使命を与えます。どんなことでしょうか。今まで皆さんがだまされて失敗したとしても、それはわからなかったからそうなったわけで、実際的に皆さんのぞんざい自体は滅びないということです。私たちは知らないから滅びそうになってだまされているのです。実際的には滅びる存在ではありません。本当に科学的な霊的なことを体験したならば。最近、本当にいっそう精神的に病んでいる人たちが増えているのですが、医学とこの霊的な部分が一緒に合わさって行かないと、そのような人たちをいやすことはできないと思います。医者の言葉を無視してはいけませんが、医者も霊的なことを無視してはいけません。2つがバランスをとっていかなければ、調和を成し遂げていかなくてはなりません。なぜなら、この部分が正常的に回らない限り、精神的に病んでいる人は治りません。そこで、皆さん自身が本当に貴重な方々だということです。この答えを持っているパウロは世の中を取り替えました。

二つ目のことです。では、どんな人たちでしょうか。どんな言葉で互いに慰め合いなさいと言ったのでしょうか。二つ目の慰めの言葉は、霊的な背景とその力を知るものは必ず勝利するということです。福音を持っていると霊的な背景が出てきます。今日の本文の16節はどのように記録されているでしょうか。よく見てください。「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます」とあります。つまり、皆さん自身は霊的な背景を持っています。牧師先生方もこの背景をよく信じていない人がいらっしゃるのですが、皆さんはこの霊的な背景を持っています。皆さんは御使いの頭の声。よく信じていない人たちが、特に神学者たちが、私に「なぜ御使いの話をするのか。天使の話をするのか」と言います。いまだに私たちを攻撃している教団の方では、「なぜ御使い、天使の話、サタンの話をするのか」というのですが、その二つの存在を信じていないということなのでしょうか。実際に出エジプトしたモーセにたいして、モーセの前から、モーセの後ろから主の御使いが遣わされていました。皆さんは救われています。信じてください。信じなければなんの意味もないのです。皆さんが行く前で、そして後ろで、皆さんの学業に、事業に、行われる前と後ろから御使いが遣わされています。そのような内容を持ってお互いに慰め合いなさいと言いました。パウロはこの福音と霊的背景を知っているので、このような内容を持って互いに慰め合いなさいと言いました。
箴言103編にはダビデの告白が出てきます。主のみことばを行う力のある勇士たちよ。つまり、御使いたちをということです。そして、主の御心を行い、主に仕える者たちよ。天の軍勢に対して言いました。そして、主をほめたたえよ。主の治められるすべてのところにいる御使いたちに対して言いました。主をほめたたえよ。これがダビデです。だから答えられた王になりました。サウル王は、食べて生きることしかわかりませんでした。まるで動物のような王だったのです。よく知識人たちはどのように話をしていますか。私は神を信じません。私は目に見えるものだけを信じています。だから、私はよく見なさいと言いたいところです。本当に無知な人たちです。実は目に見えない世界の方がよっぽど大事なものがそこにあります。実は目に見えることがすべてだと言うなら、目に見えることも生きてい行く間、すべて見えるでしょうか。でも、目に見えることだけがすべてだということは、本当に無知な人たちです。動物と同じ人たちです。霊的なことを除けば。

今度はバビロンが捕虜になってしまった時代です。ダニエルはどのように告白したでしょうか。最高の危機の時、昨夜、神の御使いが獅子の口を塞いだので獅子は私を噛むことができなかったと言われています。人々は霊的存在を信じていません。実際、神のことばを信じていないので、そして教会をただ行ったり来たりしているだけです。皆さんが危機に置かれあときに、神が主の御使いを遣わして、そのすべての危機から守ってくださります。その御使いの声によって主が天から下りてくるのです。パウロは自分自身が勝つ、その勝利の秘訣を語っています。でも人々は信じていません。人々はみことばを信じていません。だから、サタンにいつまでも負けてしまうのです。だから、自分の先入観、自分の知識がすべてだと思っています。そして、信じるとしても虚しいことばかり、そして、うぬぼれた状態で信仰を守り続けようとしています。ですから、答えられません。ペテロが牢に閉じ込められていたときにも、神は御使いを遣わし奇跡を起こされました。パウロが危機に会ったときにも、御使いを遣わしパウロを危機から守ってくれたのです。そして、みことばによってパウロに知らせました。「恐れるな。パウロよ」。でも、この霊的な背景、霊的な存在を私たちは信じなければ、聖書を見る必要もありません。また、使徒ヨハネがパトモスの島に流されたとき本当に恐ろしい体験をしましたが、神は「恐れるな」と啓示の目を開いてくださって、霊的世界を見せてくださったのです。それは神が私たちが祈るときに御使いを遣わし、私たちの祈りをすべて壺の中に入れ込んで、神に運んでいる姿を見せてくれました。だから、ヨハネに対し恐れる必要はないと言われました。この霊的な部分を全部取り除いてしまうなら、皆さんも世間の人となにが違うのでしょうか。

三つめの内容を持ってください。それは天の背景を知るものは勝利することができる。今日の本文の 15-16節をご覧ください。16節に「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます」とあります。そして、15節には「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている」と書いてあります。どういうことなのでしょうか。これは単純に死んで天国に行くと言うことではなく、皆さんがこの世で生きる限り、天の背景を持っているということです。皆さんが重要な神の子ども。重職者、宣教師、すべての皆さんは天の背景を持っているということです。パウロは言いました。私たちの国籍は天にあると言いました。それはとてもすごい背景です。天の背景が皆さんの背景です。天の軍勢が皆さんの霊的な背景となります。そこで死んだ人がいたとしても、皆さんは悲しんだり恐れる必要はありません。その方たちが私たちより先によみがえられて復活されて上がって天に行きます。だから、先に死んでいる人達に対して、皆さんがそのように悲しむ必要はありません。私は黙示録を読みながら、「ああ。本当にそうだ」と思いました。なぜなら神は右の手を持って宣教師と主のしもべの皆さんを守っておられます。なぜなら、信徒たち一人一人を守るために金の燭台の間を歩いて来られると言われています。これは天の背景です。ものすごい祝福ではありませんか。これが事実だと言うなら、なんと素晴らしいことなのでしょうか。でも、これは事実なのです。そして、またなんと言われたでしょうか。神は最初であり、また最後であると言われます。そして、こう言われました。鋭い両刃の剣を持つ方と言われました。剣。しかも両側ということです。つまり、剣というのは両刃です。刃が両サイドになければなりません。それが剣です。だから果物を切るナイフなどは、ただのナイフにすぎません。なぜ剣というのでしょうか。剣は両サイドに刃があります。とにかく切られれば切られてしまうということです。そして、燃える炎のような方だ。その目で私たちを守っておられるということです。こんな方が私たちとともにおられるから、苦しいことがあっても揺れてはならないということです。勝利することができるということです。本物をあなたがたは見せなさいということです。苦しいときには苦しまずに、本当の福音を体験しなさい。本当の霊的なことを体験しなさい。そして、あなたの生活全般すべて、私生活を正常化しなさい。パウロはこれらを体験したときに、まるっきり人が変わりました。次に七つの御霊を持つ、および七つの星を持つ方。つまり、七つの御霊を持っておられるということは、御使いのことを指していて、このような一人一人を見守ってくださっているということです。もっと素晴らしい部分は、ダビデの鍵を持っているということです。ダビデの鍵を持っている方が開くと、だれも閉ざすことができない。その方が閉じるならば、だれも開くことができないと言われました。そして、神は創造された万物の源だと言われています。そして、黙示録の最後のところにも書いてあります。21章、 22章を見ると、新しい天と新しい地で私たちを待ってくださっているということです。そして、私たちをそこで見守ってくださっています。

このように皆さんは尊い方です。宣教師ひとりがこんなに尊い方です。皆さんがこのように福音の背景、霊的な背景、天の背景を悟って、それを信じていくならば暗やみの勢力は砕かれます。つまり、宣教師の皆さんおひとりによって、その国家の災いが打ち砕かれていくのです。そして、これを信じる皆さんによって世の中の反キリストが無くなっていきます。何も心配する必要ありません。霊的サミットへと進んでください。それで、皆さんの生活全般を科学的に正常化してください。それだけではいけません。福音を体験するべきです。その次に、霊的体験をすべきです。そうすれば、皆さんが霊的サミットになります。霊的サミットになるとどうなるのでしょうか。どうやってモーセが行く道に紅海が分かれたのでしょうか。それは奇跡ではありません。当然なことです。信じていないから、そこまでして神様が見せてくださったのです。だれも信じないからヨルダン川を分けてまで見せてくださったのです。だれも信じないからエリコを崩してまで見せてくださったのです。信じないからわざわざそこまでしました。神を信じなさいということです。紅海とヨルダンが分かれ分かれになる、今の時代にそんなことになったら大変なことです。しかも、その海で泳いでいる魚たちにとっては本当に大変なことです。ですから、どれだけびっくりするでしょうか。信じないから、当時はそのようなことが行われていました。そこで、それは奇跡ではなく、そんなに良い奇跡ではないと思っています。皆さんには当然この祝福が来るしかない人々です。勝利してください。当然な答えに預かると、皆さんは必然的なことが見えてきます。そして、時間が経つにつれて、「ああ。これこそ絶対的だな」ということが見えてきます。これらを指して天命をと悟ったとなります。そして、私はこのたび初めて自分で四字熟語を作りました。「天命無敗」というころ。私は1月1日の朝、ここに来るときに自分の答えとして漢字を書きました。天命無敗。つまり、神からの命令はだれも守らなくてはならないということです。宣教師の方を初め、すべての皆さんが大きな力を得る1週間となるように祈ります。


(祈り)
神様、感謝します。福音を正しく体験する祝福がありますように。私の生活を科学的に正しく回復することができますように。また正しい霊的な体験ができるように目を開いてください。そして、危機に勝ち、失敗に勝つ伝道者となりますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。