20140216 インマヌエル教会聖日2部


キリストの再臨の日
(Ⅰテサロニケ5:1-11)

今日は特に宣教献身礼拝です。イエス様が道を進んで行く中で、いちじくの木を見つけました。行ってみるとイチジクの実が一つもありませんでした。その理由は、まだその時ではないという記録されています。ところが、イエス様はそのいちじくの木をのろわれました。そして、戻って再び見てみると、そのいちじくの木は枯れていました。ペテロはそれを見てこの木はあの時、枯れてしまったのだなと、イエス様にこの木がなぜこうなのかと尋ねました。実はペテロは昨日、尋ねなければなりませんでした。「イエス様、今はまだ実が結ばれる時ではないから、実がないのは当然なのに、なぜイエス様はその木をのろったのでしょうか」と尋ねるべきでした。すると、すぐさまイエス様は地上最高のメッセージを与えられたはずです。間違いなく、このメッセージをされたと思います。このイチジクの木は今のイスラエルを象徴している。これからも、イスラエルは永遠に実が結ばないことが起きるようになるだろう。それは実が結ばれないということ、すなわち、いのちがないからです。しかし、このいのちはこんな風に証拠になるだろう。ほんとにすごいメッセージが出たはずです。しかし、弟子たちは何も尋ねず、何見ることもありませんでした。でも、その翌日見たら、本当にその木が枯れてしまったのです。マルコ11:21にペテロはその木を見て「思い出した」という表現があります。実際に皆さんの信仰生活はどうでしょうか。ほとんどの信徒はこうではないでしょうか。「答えが来たのか。問題が来たのか」。そのように信仰生活をしていないでしょうか。問題が発生して「どうしよう。でも、またよくなった。感謝だ」と感謝献金を少しささげたち、そのような感じで信仰生活を続けていないでしょうか。 今日こそ、皆さんの今までのそのようなことを全部見直してください。今日は一般宣教献身礼拝です。こちらに合わせて信仰生活をした方が最もよいでしょう。

多くの人々はなぜ自分がここに座っているのか聞いたりしません。なぜ、いちじくの木をのろったのか聞くべきだったのに聞きませんでした。なぜ宣教するべきかと問いかけるべきなのに、そういったことは一切ありませんでした。真の宣教とは何なのかと聞くべきなのに聞きません。なぜよりによって、アメリカなのか、オーストラリアなのか、カナダなのかと聞くべきなのに、問いかけません。なぜ私は今この場所にいるのでしょうかと聞くべきなのに聞きません。問いかけてこそその答えは出てきます。こうして答えを得ていくことは単なる答えではありません。これによってみことばが成就されていきます。これを実際、知っている人々によって答えを受けます。

一つ目です。だれだったでしょうか。これを知っている人がひとりだけいても答えが起きました。だれでしょうか。ヨセフとモーセ、ひとりのためにエジプトに光が照らされ、暗やみが砕かれました。知っていたからです。そうでしょう。モーセは遅れて悟り、ヨセフはあらかじめ悟っていました。どんなにどんなに信仰生活をしていてもモーセに答えが来なかったのですが、このときになって答えが来ました。皆さんからある人を見たときに、その人は理由もないのに祝福を受ける人がいます。反対に、ある人は理由もなく続けて災いに遭う人がいます。本当に理由はないのでしょうか?それを見る目がなければなりません。なぜイスラエル民族は続けて滅びたでしょうか。いまだにイスラエル民族はその理由を知らずにいます。真の伝道と宣教に対するみことばを逃したからです。それなのに、なぜあんなに祝福されていますか。なぜなら、その中にひとりがいたからです。そうです。ですから、ダビデのような人物、ひとりのために、ペリシテの暗やみを防ぎました。そして、エリシャというひとりのためにアラムの国の暗やみを防ぐ宣教の祝福に預かりました。パウロのような人ひとりのために、全ローマからの暗やみを防ぐことができました。これが宣教です。これを知ったうえでアメリカに住むべきであって、これを知ったうえでヨーロッパに住むべきです。伝道も宣教も知らずにアメリカに住むということは本当に勇気のある人だと思います。昔からよく言われます。無知だから勇敢になれると。しかし、後に多くの問題が来てしまいます。アメリカに成功するために行くというのは未信者たちがすることであって、悔い改めるべきです。本当に自分の子どもを成功させるために、アメリカに行かせるということを悔い改めるべきです。だから、この世の中の災いやアメリカのでの災いを食い止めることができません。

必ず3つの終末が来ます。これを知っている人はみことばに答えられ、伝道と宣教を知ることができます。どんなに皆さんがひとりで大声を出しても、個人に対する終末が来ます。当然来ます。皆さんにも人生の終末が来て、私にも来ます。私の場合は他人に対して迷惑をかけないために、ほとんどの集会に来たら、無条件に血圧を測定します。その理由があります。私は365日、全世界を回っています。私は今夜どこで寝るかほとんど知りません。そうではないですか。皆さんと私の立場は異なります。ある時は一日だけでも三、四つの地域を回ったりします。すると、ある日、バタンと倒れるときがあるかもしれません。なにも対策がありません。ですから、私はいつも早めに前もってチェックして自分の体調を注意して調節します。なぜならどんなに大事を言っていても、個人に対する終末があるからです。チョン•ウンジュ牧師は39歳だと言われていますが、そんなことを言っても終末貼ります。またギム・ドングォン牧師は「自分は90歳から新しいスタートです」と言うのですが、そんなことを言ったとしても終末は来ます。だれも避けることはできません。伝道と宣教を除いて、自分はうまくいっていると言うのですが、それは本当にうまくいっていることではありません。あんなにも大きく成長していたエジプトも結局終わりました。あんなに強かったローマもなくなってしまいました。あんなにもすごい国だったバビロンも結局、滅びてしまいました。つまり、時代の終末があります。皆さんはこれを知ったうえで宣教もしたり、信仰生活もしなければなりません。そして、地球の終末が来ます。これを指して、再臨の日だと言います。ところで、問題は何でしょうか。どのように来るのでしょうか。盗人のように来ると言われています。なにがでしょうか。その日がです。2〜3節に出ています。なにがでしょうか。苦しみがです。なにがでしょうか。3節です。滅びが襲いかかります。簡単に言えば、終末の災いが襲いかかります。それは盗人のようである。盗人が家に来るときに連絡して来るでしょうか。それは本当の泥棒ではありません。泥棒が電話で「私は徒歩で夜11時22分に行くからドアを開けて置いてください。そして、指は外に出しておいてください」とは言いません。泥棒はいつ入ってくるか、だれも予想できません。ですから、主の日は盗人のように苦しみとともに絶望として襲いかかる。皆さんはこれに対する答えを得なければなりません。なにをでしょうか。みことばによってです。みことばによって答えを得るべきです。それは、みことばは必ず成就されるからです。皆さんは知らずにいるかもしれませんが、結局自分が聞いてきたみことばがあとで振り返ってみると成就されています。結局、自分の考えや心の中に残っているみことばが成就されます。実はこちらの礼拝にはバヌアツという国からの長官やリーダーたちが座っておられます。私も最初はこの方々は立派な人なのだろうかと思いました。なぜなら、立派なリーダーたちは、世界的に活躍されておられるからです。だから、私もただそういった立派な方だと思っていました。ところが、そうではありませんでした。最初から今まで続けて主張していることが二つあります。私はそれを見て、この方たちはすごい、たいした方だと感じました。この方々は最初か今まで続けて繰り返して言っていることが福音と自分の国の子どもたちへの教育です。自分の国の子どもたちを教育させてほしいと言っています。私は思いました。この方々が本当にたいした方なのだと思いました。私は先ほど、自分のメンバーたちに言いました。この方たちは本当にすごい方だと。もし商売人のようなユダだったら絶対にそのようなことは言わないと思います。まず、目先のことばかりを言うでしょう。しかし、この人々はそうではありませんでした。そこで私も思いが変わり、本当にこの方々をおいて祈らなければと思いました。すると、それにそって神様はみことばを与えてくださるはずです。皆さんは必ずみことばに従っていくと勝利します。

このときから、この中から来る力があります。つまり、あなたがたには盗人のように来ません。これをただ知らせるだけではありません。これを悪用する人は、未信者たちには盗人のように滅びが襲いかかるが、私たち光の子どもにはそうではないと言います。でも、本当はそれではありません。答えは今ここに出ています。あなたがたは目を覚まして、慎み深くしている必要がある。いつでも祈りの答えを味わいなさい。すると、いつも勝利します。皆さんに臨まれているみことばを握って、いつも祈りの答えを味わっていると、必ず皆さんに来る災いを防ぎ、終末の災いから逃れる道を備えてくださいます。これが宣教です。多くの人が滅びの道に沿って行くのですが、ここから避ける道を用意してくださいます。皆さんの定刻祈りでの静かな時間は何を意味するでしょうか。そのとき皆さん癒されます。もし皆さん自身、24時、味わえる祈りを持っているならば、必ず皆さんの中に力が現されます。もし皆さんが25時の深い祈りの中に入っていけばどうなるでしょうか。そのときから時代が見えてきます。これを味わいなさい。今日この礼拝や集会のあと、一週間、祈りの答えられる方法です。つまり、理由を聞けば、必ずみことばが出てきます。このみことばを続けて握り、祈りの答えを味わっていけば、そのうち必ず祈りの力が出てきます。

二つ目です。8節にどう言われているでしょうか。「しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう」と書いてあります。信仰と愛を胸当てとして着けるとは何でしょうか。これは心から重要な答えを得なさいと言う意味です。胸当ては守るためのものです。皆さんに対してどんなに攻撃が来ても、皆さんは心からの答えを得ます。信仰生活の成功は答えを得ることです。ですから、皆さんはいつでもみことばによって答えを得るようにしてください。例えば、説教が福音でもなく、律法でもなく曖昧であれば10年経てば教会はだめになってしまいます。例えば、牧師の説教が律法だったら、教会は10年先、完全に律法の教会になってしまいます。教会が講壇から福音を続けて宣べられれば、10年、20年が経過すると、その教会は福音になり、暗やみが砕かれます。つまり、今日のみことばは宣教をもって答えを得なさいということです。そして、祈りによってこの答えを味わっていけば、必ず大きな力が現わされます。胸当てを着けたように心からの答えを得るように。ここで目を覚ましてとはどういうことでしょうか。勇気を得なさいということです。そして二つ目になんと言われたでしょうか。信仰を持ってと言われました。そして、神のアガペーの愛を持って胸当てを着けるように、このような答えが出ています。この胸当ては最高の盾です。皆さんが今日、今週からでもこのように信仰生活をしてみてください。説教を聞く際に、皆さん個人、個人にあった答えとして握れるようにしてください。今日、ここでみことばによって答えを得て、そして、明日祈りの手帳を開いて見たら本当にびっくりします。それを繰り返していくうちに、皆さんも自分も知らないうちにあるサミットの座についています。しかし、みことばもすべて逃したまま、一生懸命努力して成功の座についていたかと思っていたらそうではなく、災いのど真ん中に陥っているのです。

今日の私はある弁護士とお話をしました。私はエリートをたくさん知っています。実力を持っている人たちもたくさん知っています。熱心に勉強する人も知っています。成功した人たちも知っています。ところが、霊的な状態が何か。私はそれを教えてあげました。成功もしていて努力もしていてすごいですが、霊的状態はどうなっているのか。成功していることが悪いわけではなく、本当にこの状態だったら大変な目に遭ってしまいます。私の言葉が勉強をするなと聞こえるでしょうか。それではありません。みことばによって答えを得るようにしなさい。そして、主日のみことばをとおして答えを得るように。そして、問題が起きたときにもみことばによって答えを得るように。危機が来たときもみことばによって答えを得るように。特に最も重要な伝道と宣教に対する答えを得るように。このみことばは必ず成就されるからです。ところで、祈りの答えを得ると自分を成就させる力を持つようになります。

また、心の答えを得るということは何でしょうか。勇気です。なぜ勇気でしょうか。ときたま私たちの中でも絶望させることが生じます。それに対して、だまされるなということです。へたをすると私たちはよく不信仰に陥りがちです。だから、信仰と愛の胸当てを着けなさい。なぜでしょうか。主の日は盗人のように襲いかかるからです。ですから、あなたがたは目を覚まして、主に待ちなさい。こうして終末の災いを防ぐというものすごいメッセージを与えてくださいました。これこそ最高の盾です。天路歴程という書物を読んでみますと、その主人公に対してあるプレゼントが与えられます。ある町に入りましたら、そこに二つの贈り物がありました。一つ目は何か。胸当てです。もう一つは剣です。そして行きなさいと言われました。理由も説明しないもなく、この二つをもって信じて行きなさいと言われました。その胸当てを着けて剣をもって前に進んだら、その前には大きな悪魔が待っていました。本当に大きな悪魔がいました。勇気を出しなさい。この悪魔がものすごく長い剣を持っています。だまされずに信仰を持ちなさい。この悪魔から攻撃が来たのですが逃げることもできません。神様はあなたのことを最後まで守られるから、その神の愛を逃してはいけない。しかし、なんとおかしなことを発見しました。このアポルオンという大きな悪魔は翼もあって飛んできて攻撃してきます。子の主人公よりももっと大きな悪魔でした。この主人公は小さな剣だったのですが、この悪魔は長い槍を持っていて、また翼も持っていました。そして、飛んできて槍を投げようと攻撃してきます。しかし、恐れてはならない。その中でも、この主人公は発見しました。この作家は本当によく聖書を解釈したと思います。どんなに槍で攻撃されても刺されませんでした。それを発見しました。どんなに刺されても、刺されても体の中に入って行きません。これは神様から与えられた胸当てがあったからです。おわかりでしょうか。最も重要な部分、感謝する胸当てです。こうして皆さんは心の答えを持つべきです。なぜなら、これは事実ですから揺れる必要がありません。これを主人公はわかっていました。しかし、問題はサタンも気づきました。どんなに指してもさしても入って行かないからです。これがまた問題です。こうなるまでは耐えるべきです。なぜなら、サタンがどんなに指しても入って行かないと悪魔も確認したわけです。主人公もわかりました。ですから、槍でどんなに指しても入って行かないわけです。反対に悪魔の方が試みにあってしまいました。そのあとどうなるでしょうか。その時、主人公が持っていた剣を投げました。本当に驚くべきことを発見しました。この剣は実はみことばの剣であって、どんな胸当てでもそれを刺し通して行けます。これで終わりです。

三つ目。なんと言われたでしょうか。兜をかぶりなさい。どうして兜をかぶらなければならないのでしょうか。兜はどこにかぶりますか。靴のように履きますか。頭にかぶります。これは考えの答えです。皆さんは今から信仰生活をみことばの答え、祈りの答え、考えの答えを持たなければなりません。心と考えは少し違います。8節です。なにに対する兜でしょうか。まず、救いのかぶとです。つまり、救いの確かな考えを持つべきです。あとは何でしょうか。8節に望みのかぶととあります。また、どのような兜でしょうか。9-10節で言われました。神様は御怒りを現す方ではなく、救いを得させる方です。どんな兜でしょうか。つまり、証人の兜です。これをかぶりなさい。考えです。皆さん、みことばによって祈り、心、考えに対する答えを続けて得るべきでしょう。そして、宣教を中心に3つの答えを続けて得なければなりません。これが最高の答えです。伝道も宣教も同じことです。伝道だけを持って1番、2番、3番の答えを得たら、40年間、ここまで来ました。いろいろな答えが来ました。私は聖書からレムナントという答えを見つけましたが、ある教団からどうしてそんなレムナントという言葉を使うのかと言われました。レムナントという言葉は、聖書にある「残った者」という意味の単語だと言いました。これは聖書の中で一番重要なことなのに、答えられていないからそういうことを言うのだなと思いました。聖書で最も重要な答えです。全部、捕虜になって捕まえられていたのですが、その中で残った者がいました。それが重要です。そして、第1ペテロを見ますと、本当に災いの中でも旅人のように残されたとあります。そのときから祈りをとおして、心の中で、また考えの中で答えを続けて得ていました。皆さんもこのような答えを得られるように願います。

この中で重要なことがあります。大きな1番です。皆さん、存在そのものが答えです。おわかりでしょうか。あなたがたは世の光、塩ですと言われました。宣教師がおられるそのこと自体が答えです。そして、皆さんが今、宣教献身礼拝をささげるそのことが答えです。そして、心の答えはなんでしょうか。私たちの中には様々な出来事があり、そのこと自体が答えです。そして、すべての現場には答えがあります。それ自体が答えです。皆さんは神のみことばによって祈り、心、考えに対する答えを得ていれば、伝道と宣教の大きなみ働きが起きます。どうしてこの答えが重要でしょうか。皆さん自身を永遠なる天国へと、そして、サタンは永遠の地獄に閉じ込めることができるからです。非常に重要です。

そこで最高の答えは宣教師です。宣教師自身はそう思わないかもしれません。それは愚かなものであって、神様から見たときにはそうです。皆さん自身はそう見ていないかもしれませんが、神様からはそう見られています。エジプトをいつひっくり返すことができるでしょうか。この宣教師によってです。これからローマをどのように崩していくか。これによって変わります。確実です。宣教は、絶対的な時刻表です。すべての民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ます。レムナント7人を見てください。伝道と宣教は真の教会の回復です。そうでしょう。そして、伝道と宣教は再臨の時刻表と関係があります。これほどに重要です。今、最も重要な答えは何でしょうか。この全体の中で礼拝の時間に力を得ることです。つまり、皆さんに聖書を覚えさせるためではなく、神様が力を与えようとしていることです。皆さん少しだけやってみてください。聖日礼拝の時間だけでも深い祈りの中に入ったら、どのような結果が出るか続けてみてください。ヨセフは奴隷として連れて行かれる時からも、とても深い祈りの時間に入りました。目が覚めてみると、そこは奴隷の市場で、ポティファルの家に売られていました。皆さんがどんなに多くのことがあったとしても、この中に深く入って力を得るなら、それは答え中の答えです。ただ、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき力を受けて地の果てにまで証人となる。韓国は本当に昔、貧しかったです。世界中の人々が韓国を見てびっくりしました。 6.25韓国戦争に参戦していた人も、再び韓国を見て驚きました。どうやってこのように発展したのでしょうかと。仏教や儒教の宗教の人に申し訳ございません。実は韓国は仏教や儒教が盛んだったとき,もっとも滅びていました。そして、朝鮮時代、テウォングンという人の時代のとき、最初に福音が韓国に来たのですが、それを邪魔をし、日本の方に行って日本が福音を受けました。韓国の場合は福音を受け止めませんでした。そして、数年後、逆に日本によって韓国が負けてしまいました。そんな中で、トーマス宣教師が初めて福音を持ってきたのですが殺されました。トーマス宣教師をその場で殺してしまいました。そのトーマス宣教師は死んだのだと思っていたら、100年経った今は、世界中で韓国が1、 2位の宣教大国となっています。韓国は道路の舗装が全然だめだった時に、ロシアにはすでに地下鉄が通っていました。しかし、今では私たちの方からロシアに行って福音を伝える祝福に預かっています。そのターニングポイントはいつでしょうか。福音の光を照らすそのときからです。確実です。私は今病気なのでどうしたらいいでしょうか。この中に入ってください。力。おわかりでしょうか。私は今霊的問題のために苦しんでいます。どうしますかという人はこの中に入ってください。あなたがたは力を受けて地の果てにまで証人となります。学生なら5分、10分だけでもこの力を得る時間を持つようにしてください。私もいちいち全部説明しきれません。しかし、やってみてください。宣教師の方もこの中に入ってみてください。長老の方々もこの中に入ってみてください。体験してみてください。特に芸能関係の方々はこの力を受けるようにしてください。世界を生かす証人になります。イエス様がそのように約束されました。


(お祈り)
神様。宣教大会を開かれた神様に感謝します。全国、全世界の宣教師の方々、特にレムナントに神様の特別な癒しがありますように。イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。