201400302 インマヌエル教会聖日1部


私たちの現住所
(Ⅱテサロニケ1:1-10)

今、ソウル、釜山、チャンウォンの方で同時礼拝がささげられています。「一番、重要なのは礼拝時間だ」というその確信を持っていらっしゃるでしょうか。その確信があってこそ答えられます。私はその確信があるまでは教会に通いませんでした。親から無理やり教会に連れて来られたとしても、だからといって答えられるわけではありません。また妻によって教会に無理やり座らせられているならばそれは悲惨な人生です。初代教会は生涯をかけて信仰生活をしました。今数多くの方々がともに礼拝をささげています。どのように祈りに答えられるのでしょうか。今日、軍の方、教育監、出馬される方々、長老の方々にお会いしましたが、どのように祈りの答えを得られることができるのでしょうか。また、つい最近起きた大学のある事件によってお子さんを失くされたご夫婦の方々にお会いしましたが、どうしたら祈りに答えられるのでしょうか。この中にはいろいろと苦しんでいる方がいらっしゃると思います。本当に神様が生きておられるのであれば、どうしたら私たちは祈りに答えられるのでしょうか。また、結婚をされる家庭もあるかと思います。どうしたら正しい答えを得ることができるのでしょうか。また、ある方は重要な部分に挑戦をするという方もいらっしゃると思います。どうすれば正しく答えられるのかという部分が重要です。もしもこの礼拝時間が、そのための時間になるのならば最高の時間ではないかと思います。

今日、テサロニケの教会について、1つのことをまず覚えていただきたいことがあります。テサロニケ教会は、非常に人々にとって模範な教会であったものの、1つ注意しなければならない部分がありました。そのために、パウロは手紙を書いたのです。テサロニケ教会で一番大きな問題とはどんな問題だったのでしょうか。そのような問題が分からなければ、今、第Ⅰテサロニケをすでに読み終わっていますし、今日は第Ⅱテサロニケなのですが、それを逃すことになります。テサロニケ教会の問題はどんな問題だったでしょうか。信仰生活をする人々の中には2種類の人たちがいます。つまり、この信仰は唯一だということではなく、適当にただクリスチャンだから教会に行きますと言う方がいらっしゃいます。そのような信仰はそういう適当な信仰程度の答えしか受けられません。ある人は逆にすごく焦って信仰生活をする人がいます。そのように焦っている人はどうなるでしょうか。正しく答えられるということは難しいと思います。では、テサロニケ教会の問題は何だったのかということです。いまだにイエス様は再臨されていませんが、2千年前からテサロニケ教会はイエス様の再臨について非常にせっかちな感じでした。信仰生活で模範だとも言われていたあのテサロニケ教会が再臨、再臨だということで非常に騒いでいました。イエス様の再臨はいまだに成就されていません。けれども、2千年前のテサロニケ教会の状態が再臨について騒がしかったのです。そこで仕方がなくパウロは手紙を送りました。それが第Ⅱテサロニケ人への手紙となります。ここで重要なことを覚えていただきたいと思います。信仰生活が皆さんの人生にとって第2の答えならば、第2の答えしか受けません。信仰生活が皆さんにとって優先ではなく二の次であったり、またはせっかちな状態だったり、ただただそんな感じで信仰生活をしているならば、その程度しか答えられません。ある年寄りの方がいらっしゃって、行って私がお祈りをしたことがあるのですが、その方に「イエス様を信じてください」と言ったときに「信じてみます」と言いました。「イエス様を救い主として受け入れましたか」と言ったら「受け入れました」ということでした。「では、なぜ今まで一度も教会にいらっしゃらなかったのですか」と尋ねてみました。すごく簡単に答えられました。「私は妻のせいで行きませんでした」。私はその言葉を聞いた瞬間、分かりました。なぜならその奥さんがとても度が過ぎる勧士さんでした。つまり、信仰に対しても非常に感情的で度を越すような感じでした。

私たちは信仰生活をどのようにして行けばよいのでしょうか。ジョン長老とイ執事さんとこのような話をしました。この重職者の夫婦が本当に信仰生活をよくするためには今日「私たちの現住所」を知らなければなりません。私たちの現住所というのはⅡテサロニケ1:1私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へと書いてあります。つまり、祈りの答えを得るためには今自分の位置、自分の現住所がどこなのかわからなければなりません。住所が定かでなければ手紙は届きません。つまり、キリストにある者と書いてあります。1節に主イエス・キリストのあると書いてあるのですが、キリストの中にあるということです。キリストの外にいる人は3つの呪いから逃れることができません。それはどんなに成功しても、サタンからの霊的攻撃から免れることはできません。どんなにお金を儲けたとしても、地獄の背景からは逃れることはできません。どんなに立派な人生でありたいと思って頑張ったとしても、霊的な災いの世界からは逃れることはできません。この3つの問題から完全に解放を与えるために神はキリストを遣わし、イエス・キリストを十字架にかけられ完全に問題を解決してくださったのです。これらを指して、私たちの父なる神、および主イエス・キリストにあるテサロニケの教会へと手紙を書きます。このキリスト、イエスの中にある神の絶対的計画は何でしょうか。神様の絶対的な祝福は何でしょうか。それを見つけていかなければなりません。おわかりでしょうか。これらを見つけていく人が答えられていきます。これをもしも見つけていなければ見つけていただきたいと思います。それが祈り中の祈りです。私はジョン長老とイ執事さんにお話をしました。「イ執事さんはなぜ長老ではなくてまだ執事なのですか」と聞いたところ、主任の牧師先生は「まだ新しい信徒です」との答えでしたが、この方たちに今日この答えを与えました。キリスト、イエスの中にある絶対計画と絶対祝福を見つけてほしいということです。そして、リンカーンのお話をしました。これがすべてです。リンカーンは立候補すればいつも落ちてしまいました。他のことも挑戦したらいつも、いつも落第してしまう。そして、リンカーンが大統領選に立候補したとき、ただで出馬したわけではありません。本当の思いをもって、本当に出馬しました。リンカーンはキリスト、イエスの中にある神の絶対計画が何かということを求めて出馬しました。そして、そこに伴う絶対祝福は何かということを見つけていきました。そして、リンカーンはガラテヤ3:28節の御言葉を持って出て行きました。ギリシヤ人も、ユダヤ人も自由人も、奴隷も男も女もキリストにあって皆一つだと、同じだと言いました。絶対に落ちるしかない自分の公約は奴隷を解放するということでした。既得権者が黙っていたでしょうか。おそらくそのようなスローガンを掲げていたリンカーンはまた落選するしかありません。しかし、その正反対のことが起きました。なぜならリンカーンが言ったことは神の絶対計画であったからです。もしもその大統領選で立候補したとえまた落ちたとしても、リンカーンが言った言葉は成就されたと思います。しかし、リンカーンは大統領になりました。リンカーンは今亡くなっていませんが、アメリカの英雄です。歴代大統領皆が銅像を建てられるわけではありません。しかし、リンカーンは建てられています。しかも、世界の首都だと言われているワシントンに建てられています。そして、今日の長老や執事さんにもお話しました。皆さんも神様の絶対計画を見つけてください。そして、全信徒たちは祈りのグループを組んで祈ってください。この方々たちがこのような候補に上がるということは普通のことではないと言いました。レムナントたちは今、パク・チュヨン選手のために祈りのチームを構成しています。これから祈ったとき、どんなことが起きるか皆さん見てみてください。

今日はコ長老の家族にもお話しました。ヨブが見つけた祈りの課題を握って欲しいと。このたびの大学のある事件で、娘さんを亡くしてしまったコ長老にお話ししました。ヨブは自分の財産をすべて失くしたこと、子どもを亡くしたことに関して、神様に逆に悔い改めました。このような問題によって自分が神から遠ざかることのないように、その心を持たないように悔い改めました。そしてヨブ19:25にも、いつか私たちは神の御許に帰る。そして、この肉の皮から抜け出し神に会うと告白しました。そして、神は私たちひとりひとりに計画があり、だから、今たとえ苦しいことがあっても、私は鍛えた後に純金のように出てくるようにさせると言われました。そして、このヨブは自分に起きたその問題に対し、逆に悔い改めをしたのです。どんな悔い改めだったでしょうか。自分が本当に神をよく知りませんでした。今までは耳で神様のことを聞いていただけなのに、今は神様を目で見るような気がすると言いました。皆さんの中で、これから結婚される方もいらっしゃると思います。皆さんはキリストにある神の絶対計画は何が、そして絶対祝福は何かということを見つけていただきたいと思います。その絶対計画と絶対祝福を見つけていなかったテサロニケ教会はいつも度が過ぎる騒がしい状態でした。私たちもそうなってしまいます。皆さんは本当に貴重な方ですから、騒がしくなるような、せっかちになるような暇などありません。皆さんは救われています。世界福音化は非常に急務です。蔚山を福音化することも本当に大至急、必要なことです。この度、皆さんは大きな答えを目の前にして正しい祈りをささげていただきたいと思います。使徒18:1-4のプリスキラ、アクラの夫婦はこの計画を握っていました。私たちが結婚しなければならない絶対的な理由と祝福をキリスト、イエスにあって見つけたということです。そうでなければ国際結婚というものは本当にすればするほど、生きれば生きるほど大変です。しかし、その計画を見つけたならば、生きる分、ずっと幸いな人生であると思います。今週、また、今年に入ってずっと祈りました。なぜRUTCを作らなければならないのか。その質問を10年間続けてやってきました。そして、今年は確実な契約を握りました。3つの団体によって生まれてくる霊的問題を塞いでいく霊的訓練、霊性訓練をしていかなければならないと思っています。

これらが私たちの現住所です。私たちの現住所はキリスト、イエスにあるということです。しかもキリスト、イエスにあるというだけでとどまってはいけません。皆さんがキリスト、イエスの中にあって自分に向けられた神の計画が何かを発見しなければなりません。そして、それに伴う神の絶対祝福を見つけなければなりません。そうであるならば答えられるようになります。私は神学校に行って質問しました。なぜ私は神学をしなければなりませんか。「韓国にはこんなにたくさんの牧師がいるのに、また私が牧師になるのですか」と祈りました。夜、飛行機に乗って空から見下ろして見ますと、韓国全域、十字架だらけです。たくさん教会があるのに、また私が教会をやるのですか。教会は商店街や一つのビルに3個も4個もあったりします。そして、ある教会はとても大変だからと、十字架の看板は1個だけつけて、教会を分けて使っているところもあります。日本の方が驚きました。十字架がこんなに多い韓国の姿を見て、「韓国は天国のようなのですね」と言いました。私は言いました。「いや地獄です」と。こんなに教会がたくさんあるから本当に天国ですか。なぜ教会を建てなければならないのでしょうか。皆さん、その質問が必要です。何でもないように見えるかもしれませんが、なぜ生きるのか、なぜこの教会に通うのかということを質問しなければなりません。今日のこの問題はなぜ来たのですか。神様の絶対計画を捜すべきです。そうすると、絶対祝福が見えます。それを握った人は答えられるようになります。私はそれを考えたとき、簡単に見つけることができました。牧師はたくさんいる。しかし、キリスト教は今減少している。だから、簡単ではありませんか。神学校は多い。皆、商売目的でたくさん建てています。学生を募集するのに皆、本当に目が赤くなっています。だれでも願書を受け付けます。だから、これから余計、牧師は多くなるでしょう。しかし、キリスト教は減少しています。不思議なことではありませんか。牧師は増え、神学校も増えていくのに、アメリカの教会は今閉じています。ヨーロッパ教会は、もうすでにドアを閉じています。答えは簡単です。「神様、私が生涯をかけてこの福音を回復し、伝道運動をします」。それ以外に祈ったことはありません。その祈りしかしていません。それを発見したあと、神様ははてしなく御言葉をとおして働いてくださいました。私たちは信仰がなく嘘をついています。神は明確に答えられる方です。キリストでなければ絶対いけないのに皆嘘をついています。だから、キリスト、イエスにあるテサロニケ人の教会へとパウロは手紙を送りました。こんなに立派な季節、こんなに良い天気に私たちはなぜ教会に集まりましたか。こんなにすばらしい祝福を見つけて絶対的なことを見つけていかなければなりません。さて、絶対的なことを見つけたならば何が見えてくるのでしょうか。最高の祝福。それはインマヌエルです。それが見えてきます。神様が私たちとともにおられる。これより大きな祝福はありません。未信者が見たら、この家は天から祝福が注がれているようだというような表現をしたりします。神様がともにおられます。三国志にはこのような言葉があります。「戦いの上手な将軍ではなく、知恵のある将軍がよい。知恵のある将軍より徳のある将軍がよい。徳のある将軍より天の祝福を受けた将軍がよい」と言いました。戦争で敗北して帰る将軍の言葉です。そうです。天からの祝福をだれが受けられるのでしょうか。

さて、この祝福を受けている人たちは、まず、神様が完全に皆さんの人生に責任を持っているということについて気づくようになります。それが皆さんの現住所です。神の絶対計画を発見する人は神が皆さんを完全に見守っているということが見えます。レムナント7人が皆そうでした。特にヨセフを用いてお話したいと思います。ヨセフはすべて主が責任を持っていらっしゃるインマヌエルを悟っていました。もう一人を挙げるならダビデです。ダビデがこの祝福を知っていました。私はキリスト、イエスにあって神の絶対計画と絶対祝福が何かということを分かっていました。その祝福を知っていたヨセフは奴隷のように見えたが奴隷ではない。ダビデは逃亡しているかのように見えたが逃亡者ではなかったということです。ヘブル11章に出てくる信仰の人々もそうです。たくさんのメンバーの中で特にダニエルがそうでした。今日、重要な契約を握ってください。私の現住所を見つけるとき、インマヌエル。つまり、すべての祝福を発見するようになります。最初、この祝福を分からなかったペテロは逃げていきました。しかし、のちには彼も知ったのです。パウロも悟るようになりました。今日、本当に皆さんにとって短い時間ですが、重要な日に重要な祝福を見つけていただきたいと思います。焦ってしまっていろいろとだめにしてしまった幾人かのメンバーがいます。代表的な例としてはヤコブの兄エサウです。黙っていれば祝福されていたはずなのに、お腹がすいたということで自分の祝福を売ってしまいました。外から働いて家に帰ってきて黙っていれば、自分におかゆにスープが与えられていたはずなのに、あまりにも性格が短気でした。ヤコブが自分の兄をよく知っている上、そのような祝福を奪われてしまいました。サウル王もそうです。悪霊が取りつくくらいにまで焦ってしまいました。そして、イスカリオテのユダもあまりに焦ってしまって滅びの道に行ってしまったのです。今日、本当に皆さんの現住所を見つけていただきたいと思います。皆さんの現住所を見つける瞬間、神様の驚くべき祝福が始まります。ある牧師先生が神学校を卒業されたあと、やはり牧会がうまくいきませんでした。それで生活が大変だから仕事に出かけました。牧師だということはとにかく隠して仕事に出かけました。とにかく生活が大変でしたから。労働現場に行って働きました。牧師だということはもちろん隠してです。でも、驚いたことを発見したようです。人々があまりにも死んでいくということについて気づきました。彼らに福音を伝えました。福音を伝えたところ、相手は生きるようになりました。その瞬間、「しまった」と思ったそうです。「私は今なにをしているのだろう。こんなに死んでいる人たちが大勢いるのに」と。それである日、発見しました。キリストの中にある神様の絶対計画と祝福が何かということを発見したのです。発見しただけでも御働きが起きました。世界的な教会を建てました。その教会を建てたのがチャック・スミス牧師です。チャック・スミス牧師は最初、牧師になって大変で牧師から逃げようとしていた人でした。

キリスト、そのインマヌエルの祝福の中にある人は、キリストの3つの役割を正しく見ることができます。ですから、心配する必要はありません。インマヌエルの祝福の中にある人は3つの祝福が見えます。まず、サタンの権威を打ち壊す王の祝福を見ることができます。そして、皆さんの災いを完全に解決していく祭司長の祝福を見ることになります。そして、真の預言者の祝福を見ることになります。だから、キリスト、イエスにあるテサロニケの人々はこの祝福を受けているということになります。このインマヌエルの祝福の中にいる人は、患難と迫害の中で恵みと平安が伴う祝福を受けることになります。インマヌエルの中にある人は、苦しい問題の前でも7節のように真の安息が与えられるということになります。そして、このインマヌエルの中にあるならば、未来が見えてきて、主が降臨される姿も見て祝福されるということです。

では、3番目に自分の現住所を見つけたとき、何が見えるのでしょうか。どんなことが見えるでしょうか。神様は私のすべての過去の問題を解決してくださったということです。エペソ2:1です。罪と罪過によって死ぬしかなかった私たちを生かしてくれたくれたということになります。これは普通の言葉ではありません。仏教の教義は嘘ではありません。あなたは自分の罪の分、その分を償わなければならない。そうです。天理教も同じような教義を持っています。自分が犯した分、自分で全部償っていかなければならない。律法は間違っていません。もちろん、そうです。目には目、歯には歯を。すべて自分が犯した罪に対しては、それを償っていかなければならない。全部、自分が犯した分、そのまま自分に帰ってくる。それが真理です。だから、皆死ぬのです。では、聖書はどのように言いますか。そんな運命ですから聖書は言います。キリスト、イエスにあって、自分の罪過と罪の中に死んでいたものを生かしたと言われています。皆さんはこのエペソ2:1の御言葉が普通に聞こえて感謝できないかもしれませんが、皆さん、これは普通の言葉ではありません。私たちの次の世代がこの呪いを受けてはいけません。キリスト、イエスの中にあるものは、この祝福を受けているということになります。そして、過去の問題が解決されているなら、エペソ2:2のように現在の問題も解決されます。それはこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者から私たちを解放してくださったということです。そして、元々、私たちは神の御怒りを受けて生まれました。そこから解放されました。しかし、こんな祝福を受けているのに、なぜイエスの使徒たちは皆殉教したのかという質問があるかもしれませんが、彼らは永遠の祝福にとどまりました。私たちは覚えておく必要があります。永遠な神様の約束があります。自分の息子を殺した者を自分の養子にした牧師。その祝福はいまだに続いています。エペソ2:6のようにキリストの祝福、未来の祝福は私たちに与えられます。皆さんの現住所はどこにあるのでしょうか。レムナントは自分の現住所が今どこにあるか、早く把握していかなければなりません。私はどこに行こうとその部分から見つけていこうとしています。自分の現住所。昔、アメリカ集会から帰って来た際に、大人たちの姿を見て本当に大変だなと力が抜けてしまいました。外国に長く住んでいるとああなるのかなと、大人たちを見ると本当に大変だなと痛感させられました。そのとき、神様に質問しました。「キリスト、イエスの中にある神の民、神のしもべたちが、このアメリカ現場を見てどのような神様の絶対計画を見つけるべきでしょうか」と質問しました。神様の絶対祝福でなければならないのに、どんな計画があるのでしょうか。本当に祈りました。そうしたら答えられたのです。どんな答えでしょうか。レムナントという答えがそこに出たのです。聖書で一番重要視される残りの者。このレムナントという残りの者の意味がわからなければバビロンの捕虜、エジプト、ローマ、あの残っている人達の人生をまったく理解できなくなってしまいます。つまり、総合的にまとめて言うとしたら、キリスト、イエスにあって今日の皆さんの現住所が分かるならば、すべての祝福を得ることができるということです。皆さんの現住所を知ることができるならば、神がすべて皆さんを責任を持って導かられ、キリスト、イエスにある3つの役割、王、祭司、預言者の祝福を受けられる。そして、もう一つ、過去、現在、未来、この3つの問題が完全に解決されたということが見えてくるようになります。この3つが揃ったときに、答えられるようになるのです。皆さん、この祝福を受けてください。本当に答えられたらどうなるのでしょうか。人は変わります。答えられたら変わります。答えられた人は、自分も知らないうちに力が生まれてきます。そうだと思いませんか。例えば、道端ですごくよい万年筆を拾いました。それを見ただけでも気分がよくなるでしょうか。悪いでしょうか。ぱっと拾って「これは使えないものなのだな」と捨てて、でも、これは中々使えるものだとなればラッキーだと思うかもしれません。私は子供の頃、道端で一番大きな単位のお金を拾いました。そのお金を拾った瞬間の気分はだれにも分からないと思います。お菓子を買いましたが、お菓子はお菓子だとしてもお釣りがすごかったのです。お釣りがポケットの中でいっぱいで、町中のいろいろなおいしいお菓子を買って食べました。買いたい放題、買って食べてもお金はまだまだ残っていました。その日は家に帰ってから、ご飯を食べられませんでした。本当に物ごとに気づくのに早い母親にバレてポケットの中に入っているお金を全部奪われました。そして、すごく叱られました。お金拾ったことを言わなかったということで。それでも私はあまり気分が悪くありませんでした。よい家に引っ越した。それでも気分が良いと思います。車も新車に変えた。気分がよくなるのではありませんか。神様が私とともにおられるというその答えが次々に来るなら、私たちは変わると思います。間違いなくそうです。この祝福を常に味わっている人は問題が来ても構いません。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。

結論です。答えはこれで終わるわけではありません。皆さんの現住所は、キリスト、イエスにある神の絶対計画と祝福なのですが、私たちの故郷は天国です。そうですよね。私たちの現住所はキリスト、イエスの中にあるわけですが、私たちの本当の故郷、私たちが帰るところは天国です。これを知っている人に今どんなことが起きるのでしょうか。今です。この今、礼拝中。聖書の五つの箇所をお話します。 出14:19です。モーセより先に主の使いが遣わされる祝福が伴われます。間違いなくそうです。これを信じていない神学者がいるのですが、愚かな神学者だと私は思います。本当に愚かな人だと思います。それは肉的なことしかわからない神学者だと思っています。だから、その人たちが言っている神学が肉的な神学に過ぎなくなるのです。聖霊の働きをまったく信じていない神学。それが神学でしょうか。それは人間学ではありませんか。そうだと思いませんか。だから物事がうまくいかず、伝道も成り立たないのです。信じていないということですから。

二つめです。ダビデはこう言いました。ダビデは、現住所が確かなものでした。詩篇103:20のところに「神の御言葉をなしとげる、力の御使いたちよ」と言いました。そして、神様の絶対計画をなしとげる軍勢よと言いました。どういう意味かお分かりですね。神がともにおられるすべてのところにいる天軍天使よ、主をほめたたえよと言いました。この祝福が皆さんの産業現場に、そして、今この現場に、皆さんと関わるすべてにあるように願います。

三つめの聖句。使徒12章です。完全に死ぬと思っていたのになんと主の使いを遣わして、監獄のドアを開けました。そして、また危険な目に遭って死ぬしかなかったときに、なんとヘロデ王が虫に噛まれて死ぬ働きが起きました。神の民が危機におかれているときには、神は未信者たちをとおしてまで、その危機におかれている神の民を助けます。

四つめの聖句は、使徒27:24です。皆さんがいるところに、伝道者がいるところに、神は主の使いを遣わしてメッセージを送ります。昨夜、主の使いが私のそばに立って。パウロに与えられた祝福です。

最後にもう一つだけ挙げると黙示8:3-5です。目に見えないところでも、皆さんがいらっしゃるところに主の御使いを遣わして、神様の計画を成し遂げていくということです。

今日は簡単に皆さんの現住所を見つけていただきたいと思います。 子どものとき、神様の御言葉が分からず堕落した人がいました。すごく堕落してしまって、しかし、歯親がずっと祈っていました。でも、もっと堕落しました。すべての周りの人が言いました。「あなたが祈ったって、あなたの子どもは仕方がない」。しかし、ある神様のしもべがこう言いました。「いいえ、祈りは絶対になくらない。祈りはすべて天国に録音される」。すると、堕落した息子は自分の現住所を見つけました。そして、大きな変化が起きたのです。それがアウグスティヌスです。どんなことが起きるかわかりません。以前にもお話しました。自殺しようと思って列車の線路に横なっていた人が、その顔にある1枚の伝道トラクトがぴたっと頬にくっついて、それを読んで救われたという話です。だから、トラクトは配れば配るほどよいと思いますが、そんな形で救われた人もいます。列車すぐに来るわけではありませんから、そこに死のうと思って寝転がっていたところ退屈だからそれを見ました。そのトラクトには1行の聖句が書いてありました。1行だけというというがまた衝撃になったのですが、「すべて、疲れた人、重荷 を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と書いてありました。 自殺しようと思っていた人にとってその1行の聖句が霊的な感動を与えました。その人が後の伝道者に変わったサンダー・シング牧師です。また韓国にも不良だったキム•イットゥのような人も立派な牧師になりましたが、その不良なものが後に伝道者になりました。たくさんの献身、たくさんの祈りがなにかになるというわけではなく、まずは今日の皆さんの現住所を見つけてください。

これから、 一週間、そして、これからのち、どんな答えが来るか見てみてください。教会に来るたびに、皆さんは感動にあふれてくるようになると思います。このような答えがなければ、教会が一番大変なところになります。ある人は教会に来て寝る人もいます。 テレビを見る時は寝ないのですが、礼拝中は眠たくて仕方がない。またある人は、教会に来て新聞を読んでいる人がいます。自宅で見ればよいのに、わざわざ教会に来て読む人がいます。そういう人がいたりします。そんな状態だと霊的問題がどれだけ多くなってしまうのでしょうか。今日、皆さんが最高の日になるようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様に感謝します。今日は私の現住所を見つけることができますように。真に神様の祝福を味わうことができるように。神様の子どもの祝福を回復できますように。特に蔚山地域に神様の驚くべき祝福が始まるように祈ります。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン