201400302 インマヌエル教会聖日2部


伝道者を助けるまことの力
(Ⅱテサロニケ1:11-12)

昔、台湾に集会に行ったことがあります。たぶん、山地の方だったと思います。私はとても衝撃を受けました。賛美歌を歌ったのですが、あんなに熱く歌うことがあるのかと思いました。ただ熱く歌うのではなく踊りも踊ったりしました。踊らない人が2人いました。講壇に座っていた私と私の後ろで待っていた秘書の2人を除いて皆踊っていました。私とはあまり合わない部分があるけれども、すごいと思いました。本当に熱く賛美をしているなと思いました。ところが、司会者が出て鐘を鳴らし、すぐ礼拝が始まるのですが、その途端、居眠りが始まりました。説教のときに居眠りをしたら、それは私のせいですが、そうではなく礼拝が始まった途端、居眠りします。私は話したいことがありますが、何かが違うのではないかと思いました。いちいち言うことではありませんが、あるときアフリカに招待され、集会のために行ってきました。1万人の人が集まりました。当時、純福音派からの招きによって集会に行きました。つまり、私に伝道について講義してほしいということでした。夜はチョウ•ヨンギ牧師が導き、昼は私が導くというスケジュールでした。これは私が傲慢なことでしょうか。夜のチョウ•ヨンギ牧師の集会の時、私は出席をしなくて、チョウ•ヨンギ牧師も、私の集会には参加しませんでした。つまり、お互いに内容が合わなかったのです。チョウ•ヨンギ牧師の場合には、夜に人が集まったら「火を受けなさい」というように導きます。しかし、昼間になれば、私が来て「気をしっかりしなさい。目を覚ましなさい」と言うわけです。ですから、メッセージが二つとも合いません。チョウ・ヨンギ牧師先生は少し強く導くような形ですが、私はそうではないから合わないでしょう。問題は、講義をする中で黒人たちがなにも反応がありませんでした。あんなに熱く賛美をしていたはずなのに、静かになっていました。そこで私は通訳の人に聞いてみました。「私の説教がわかるのか」と。すると、「わかります」と言います。「なのにどうしてあんなに静かなのか」と聞いてみました。「顔つきもボーっとしていてどうしてあんな顔をしているのか」と。黒人たちが衝撃を受けたからだと言いました。黒人の場合は衝撃受けると黙ってボーっとしているそうです。ただ伝道の話をしただけです。しかし、問題が発生しました。簡単に言えば、そこには、純福音派の集会の特別講師として私は招かれただけです。しかし、聞き手は伝道に関する話を聞こうとしています。チョウ•ヨンギ牧師先生は、何も言わなかったのですが、その下ついているスタッフたちはいろいろ言い出しました。現地の宣教師の方には「どうしてチョウ•ヨンギ牧師先生をこんなに難しい目に遭わせるのか。どうしてこんなことをしたのか」と言いがかりをつけ始めました。私はそういった事情は全く知りませんでした。集会が終わっても、その現地の宣教師は最後まで現れませんでした。私はすぐわかり、気づき祈ってそのまま終わりにして帰ってきました。

 なぜ私はこの話をしているのでしょうか。今から私は皆さんに伝道者を助けるまことの力ある祈りについて話をしようとしています。実は私は祈りについて、最初はよくわかりませんでした。私の母は本当に祈りをたくさんする人でしたが、私はなぜあんなことをするのかといつも思っていました。早天祈祷会も1日も欠かさずしますし、夜にも金曜礼拝、徹夜礼拝を欠かさずささげます。いつも祈っている人でした。亡くなるその寸前まで、家でいつも祈っていました。だから、昔の私は信仰がなくて、「どうしてあんなことをするのか。寝ればいいのに」と思いました。しかし、時間が経つにつれ見てみますと、これは本当に普通のことではないとひしひしと感じるようになりました。到底思いもよらない、そういった答えがたくさん来ました。以前にも話しましたが、今考えても理解できないことがあります。私たちの家族の暮らしぶりは非常にたいへんで貧しかったです。でも神様は私たち家族に健康の問題を1回も発生させませんでした。そして、経済のためにただの一度も苦しい思いをしたことがありません。そして、私のようなものが皆さんと一緒に今、こうして伝道運動をするということは本当にありえないことです。皆さんもちょっとおしゃれをして来なければなりません。なぜなら、今、この説教はRUTC放送を介して1万人以上が見ています。そして、インターネットをとおして少なくとも3千ヵ所ないし5千ヵ所に出ています。皆さんのそのきれいな顔が23カ国の実際の放送局のチャンネルをとおして包装されています。こうして放送を聞いて、福音受ける人も多くあります。全世界で今多くのレムナントが起こされています。皆さん一人の祈りがいかに大きいものなのかを考えなければなりません。皆さんの母親一人の祈りがどれだけ次の子どもの世代に行くかを必ず考えなければなりません。いつも御働きがすぐに起きなくて、祈っている私の母を見るとかわいそうに思うくらいでした。そんなに価値がなさそうなことが、今になって見ればそうではないというのが事実です。私は最近、本当に祈らなければと考えます。でも、祈りを実際にどのようにすればよいのかわかりませんでした。そこで私はこれに関する本を買って読んでみました。たとえば、ミュラーという人はいろいろな祈りに答えられた人ですから、その人がどのように祈っていたのかと読んでみました。また、モニカの祈りという本も読んでみたりしました。そんな中、どのように祈りをしていくべきかということについて聖書に基づいてわかるようになりました。どのように祈って行けばそれは正しい祈りになるのでしょうか。今日、皆さんは聖書に帰り、本当に祈りの力を回復しなければなりません。

様々なメッセンジャーがいて、いろいろな説教をします。また、神学者も様々なことを言います。また、多くの体験をしている人の場合は、多くの体験話をします。もちろん、そういったことが間違っているというわけではありません。そこで最も先に見るべき祈り、それは何でしょうか。始まりの部分です。一番先にイエス様はオリーブ山で祈りに関して教えられました。そして、彼らは山から降りて、マルコの屋上の間に集まって祈り始めました。これを指して初代教会だと言います。皆さんはこのような答えに預かるべきです。ところで、多くの人々が多くのことを言います。そこで騙されてはいけません。すべての宗教は祈っています。そこで福音を正確に理解することが祈りに関しての始まりの段階です。なぜでしょうか。イエス様はすべてのことを動員して私たちに福音を与えてくださいました。しかし、多くの信徒は「私は福音をよく知っている」と言いますが、福音をどのように知っているのかが、すべてのことを左右します。イスラエル民族の場合は7回も災いに遭ってしまい、民族を全部殺されました。しかし、その理由を正確には分かりませんでした。今日ここで皆さんは熱を出さずに落ち着いてよく考えてみる必要があります。もちろん、一生懸命、熱心に祈ることは悪いわけではありません。しかし、本当に祈りのことをよく考えなければなりません。この福音を正しく悟るということは、すべての問題が終わったということです。これが福音を正しく理解したということです。すべてのことが終わります。つまり、すべてが終わるという答えにたどり着きます。神様がこの世をこのように愛され、ひとりの御子を与えられました。それは信じる者がひとりも滅びないで永遠のいのちを得るためです。そして、イエス様がすべての働きをなされ、一番最後に言われた言葉はすべて完了したでした。すべてを完了したイエス・キリストはオリーブ山に集めて神の国のことを語られました。この福音を理解することによってすべての問題は終わります。この言葉を多くの信徒が理解できずにいます。「いや、私たちは知っているのではないですか。信じていますよ」と言います。「柳光洙牧師先生はおかしいですね。福音も信じているのに、なぜそんなに強調するのか」と言います。「あの人は救い派ではないのに、どうしてしきりに救いの話をするか」と。でも違います。聖書にはそのように記録されていません。福音を受けることによって、神の子どもとされる特権を授けると言われました。この福音が、キリストではないでしょうか。この教会に初めて来られた方は、必ず記憶してください。いったい、キリストという言葉はどういう意味でしょうか。これを知らずに信仰生活をする人たちが多いです。いや、神様はキリストをおくると約束し、実はキリストは来られました。それなのにこの意味すら分からずにいてはいけません。挙句の果てに、「私は体験した」というのですが、その体験は他の宗教、仏教でもあります。霊媒師たちも体験はしています。天理教でも体験はあります。そうではないでしょうか。ニューエイジは、この体験の部分ではもっと優れています。その体験は基準ではありません。つまり、自分が信じるべきキリストはだれなのかです。重職者の皆さん、新しく信じたばかりの信徒やレムナントたちはよく理解すれば自然に解決されます。光が照らされれば暗やみは自然となくなるのです。努力する部分ではありません。明かりをつけずに光が入っていないのに、暗やみの中でいろいろなことをあがいていても、問題がもっと深刻になります。この福音を信徒たちは実際に理解できていません。皆さんはどう思われますか。その結果、自然とできていく、成り立つ祝福の答えを味わえずに、あまりにも苦労を続けて受けます。しかし、あなたが生ける神の御子キリストです。

まず、イスラエルの民たちは、福音を間違って理解していました。どのように知っていたでしょうか。すべての国々を滅ぼして、自分たちの国を救い出してくれるメシヤが来ると知っていました。ここからもう滅亡の原因になっています。つまり、メシヤといっても自分の民族だけを救い出すと思っていました。だから、あなたがたの国は滅びる異邦人で、私たちは選ばれた選民だと信じていました。それが正しいでしょうか。そのようにして熱心に信じて定刻祈りもしました。しかし、結局、捕虜になってしまいました。あるときは、戦争が起こってしまいました。このように、イスラエル民族は7回も災いを受けました。一言で言って、旧約聖書の話は何でしょうか。イスラエル民族が滅びた歴史です。続けてエジプト、ペリシテ、後はローマまでも滅びました。今日、皆さんは私の話を聞かず、よく聖書を見て理解していただきたいと思います。「私たちはキリストをすべて知っていますよ」。私は学生時代、キム•ジュンゴン博士の本を読んで、多くの考えをさせられました。キム•ジュンゴン博士が書いた本の題名は「はたして、キリストはだれなのか 」です。一度も戦わなかったのに、今、全世界を掌握しているその方はだれなのか。一冊の本も残していないのに最もキリストに関する本がたくさん出ています。その方はだれなのか。あらゆる王や、権力を持っている将軍の力を合わせたものよりも、もっと大きな力を発揮したイエス•キリストとは一体だれなのか。私はその本を読んで多くのことを考えるようになりました。今は2014年です。歴史の主人公、イエス様が基準になっています。その方はだれでしょうか。もし皆さんがこの方について本当に理解できるならば、まことの答えが来ます。特に今日、新しい家族がここにおられるなら、皆さんは本当にこれに対して答えを受けるべきです。私は長い間、信仰生活をしても答えがないし、伝道の実も結んでいない。そういう方は必ずこれをはっきりさせなければなりません。今、もしも子どもがいない方は、試みにあわず聞いてください。結婚をして長いのに妊娠できないということは確認しなければなりません。塾に行くべきでしょうか。子どもを妊娠するために訓練するべきでしょうか。違います。留学に行くべきですか。それも違います。ただ自然と生まれるものです。そうですよね。練習をしなくても子どもを妊娠して生まれます。それが命です。まことに今、自分に福音があるならば、それに対する実が結ばれます。ですから、皆さんは静かに今考えてみるべきでしょう。それは本当に重要な答えと関係があります。今ここで中国語の通訳をしている理由は、中国人たちがたくさん聞くからです。中国人の場合は無条件、熱心にやります。でも、無条件に熱心にやってはいけません。とにかく、中国は人口も多いし、集団で熱心になりますが、キリストを正しく知らなければなりません。最後のチャンスです。そうだと思いませんか。中国宣教をする人々は錯覚しやすいです。「私のメッセーがすごいからこんなに人々が集まったのか」。元々、中国人は多いのです。私は中国に行ってミュージカルを見たのですが、一人の俳優で10万人を動員しました。なぜなら、人がそれほど多いのです。だから、こんな面白い話があります。中国人が同時におしっこをしたら洪水になると。それで錯覚をするのですが、この時、行って正しい福音を伝えるべきで、ただ人々を集めてはいけません。ですから、いのち運動です。皆さんが結婚して赤ちゃんを産めば楽しいでしょうか。どうでしょうか。私の場合は、息子も娘も産みましたし、孫娘も生まれました。孫娘は息子、娘よりは10倍以上かわいいです。そんな子どもがもしいなかったらどうなりますか。もちろん、他のことで楽しいことはありますが、肉的に話せばそんなに楽しみがないと思います。子どもを産めば多くのことが起きます。教会の中にいのち運動が起きます。福音を正しく理解していなかったイスラエル民族に対して苦しみが来ても、どうしてきたのかわかりませんでした。

キリストとはどういう意味でしょうか。油注がれたものという意味です。ユダヤ人は実際それを知っていながらもわかりませんでした。油だけではありません。油を注がれたものです。つまり、王になると、王には油を注ぎます。私は明日から預言者になろうではありません。あなたは明日から預言者になりなさいということで油を注ぎます。ある日突然、私は神学校に行くということではありません。当時は「あなたは祭司となりなさい」ということで油を注ぎます。キリストということはこういう意味です。皆さんの力では絶対に勝つことができないサタンの力を打ち砕いた真の王。神様に会うことができなくてまことに見ることはできません。見たとすればそれが宗教で偶像です。そこで神様に会える道を開いてくださいました。まことの預言者として。そして、人生の中には続く災いの問題があります。それをまことに解決された祭司。人類の問題は全部これです。知識の足りなさではなくてこの3つの問題です。 これが福音。つまり、キリストが必要な理由です。これがキリストです。このキリストはこの祝福をとおして、神の国について語られました。そして、オリーブ山で答えを与えました。もうじきイスラエル民族は全世界に散らされてしまうので、早く福音運動をしなさい。今から何年か後にはローマは崩れてしまうので、早くローマに福音を伝えなさい。滅びることは確実なので恐れず、逆に憐みを持って福音を伝えるように。それで命をかけて福音を伝えました。だから、このように答えを受けたのです。「あなたは生ける神の御子キリスト」ということをもう一度確認しました。そのときに何と言ったでしょうか。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます」。こうして福音を理解できれば、自然と伝道の門も開かれます。これを早く確認しなければなりません。救いを受けて祝福を味わわなければなりません。つまり、福音が理解できたということは、自然と宣教の門も開かれるということです。伝道しなさいではありません。証拠、つまり、証しが出てきます。今は2部礼拝ですが、今、この時間、一生を置いて考えなければなりません。

十何年か前です。アメリカに行くとトリニティという有名な大学があります。その大学の中には博士たちが集まって勉強をするコースがあります。私はそこに講義をするようにと招かれました。ところが講義をする前日にある問題が発生しました。半分以上の人たちが反対をしました。韓国でやや問題があると言われている人の話を聞いていいのかとなりました。そこには、有名なロバート•コールマンという方が教授としておられます。この方は伝道者でした。よりによってこの方は、海外に出張で出ておられました。それで確認をとってみたら、トリニティ大学の内部でもぶつかりあっていたとのことでした。つまり、柳光洙牧師を講師として立てるか、立てないかと論争になったわけです。それで学校長に聞いてみようという話になりました。その学校長がロバート•コールマンでした。この方が外国に出ていらっしゃるから電話で聞いてみたのです。学校でこのような問題が発生しましたがどうしたらよいでしょうかと。講師はすでに到着しています。そのような事件がありました。だから、ロバート•コールマンはあまりにも慌ててしまって、キム•ジュンゴン博士に電話をしました。韓国の柳光洙牧師先生に問題があるのかと尋ねました。そこで、キム•ジュンゴン博士は簡単にお答えしました。柳光洙牧師は決して問題はありません。これで逆に大きな本堂、講義室で講義するようになりました。このようなわけなので私自身もすごく負担になりました。半分の人たちは聞こう、半分の人たちは聞いてはいけないと言っている人々の集まりだったからです。そして、彼らは全員、博士です。その内の何人かはキリストの博士です。私はその前に立って講義をしなければなりません。負担になりましたが、祈りが出てきました。祈るようになりました。私は2講義をつとめなければならなくて、第1講義ではこのような話をしました。私は皆さんに講義をしに来たわけではありません。私は皆さんに報告のために参りました。今の現場がどれだけ深刻であるか、なぜ伝道するべきかについて報告に来ました。1講義目が終わったのですが、皆、筆記をし始めました。幸いだと思いました。そして、2講義目も終わりましたら、ある方が私に尋ねて来て「申し訳ありません。」と謝りました。「私はキリストの博士なのですが、文字だけを知っていて何も知りませんでした」と言いました。幸い、そのようにして講義を終えて帰ってきたのを思い出します。

皆さん、よく考えなければなりません。皆さんが福音を正しく知るならば、必ず成り立つ祈りが始まります。必ずこのような祝福を回復しなければなりません。皆さんがいのちを持っているならば、いのちが出てくるようになります。皆さんが福音を本当に楽しく理解し、味わえば味わうほど成り立つ祈りができて、そして、これを見てマルコの屋上の間で始まった祈りなので、タラッパンという名前を付けました。このときから、どのようになっていくでしょうか。このときから、礼拝が成り立つ祈りが始まります。つまり、礼拝の中で自分が祈っている部分、それぞれの門が開かれていきます。使徒2:9-11です。私はこれを説明しようとチームの働きという言葉を使いました。では、次からはどのような答えが来るでしょうか。生活の中で、祈りが成り立っていきます。礼拝時のときだけではなくて、生活の中でも祈りが成り立っていきます。私はこれを説明するために言葉をつけました。24時祈りとつけました。生活の中で成り立っていくからです。これはまったく難しいことではない中でなっていきます。たとえば、今病気の人には運動が大変ですが、健康な人には運動は当然できることです。今日、皆さんが福音を正しく理解して味わう瞬間から、すべての問題は解決されていきます。間違いありません。「いや、私は、福音を完全に知っています」という人は、どのように知っているのでしょうか。これは(キリスト - 王、預言者、祭司)の内容です。たとえば、初代教会の場合には、マルコの屋上の間に行って集まれば、異端の濡れ衣を着せられて社会と断絶させられます。そして、すべての経済も切られます。当時の初代教会はそうでした。これだけではありません。捕まれば監獄に行って殺されるしかありません。命の脅かしもあります。これが初代教会の状況でした。これを知ったうえで行ったでしょうか。そうではなかったでしょうか。マルコの屋上の間に集まった初代教会から始まったまことの答えを受けた人々は、この事実を知らずに行ったでしょうか。どうでしょうか。知らないはずがないでしょう。それなら、なぜ行ったのでしょうか。こうすれば死ぬとわかるならだれも行かないはずでしょう。でも、皆関係なく行きました。これは福音で完全に答えを出した人たちです。こうなりまして、あとはどういうことが起きたでしょうか。すべてのあらゆる職業の現場に神が働かれることをだれも止めることはできません。すべての仕事の現場で、学業の現場に神様の御働きが起こるため、だれも止めることはできません。私はこの言葉を説明するために、25時祈りと名付けました。初代教会もこのとおりの答えが起きました。また次にはどのような答えが起きたでしょうか。すべての地域の現場に神様の働きが起き始めました。聖書を詳しく見ると、必ず地域の名前が出て、家の名前が出て、弟子の名前が出てきます。これを説明するために私は25時だけではなく、天国の背景が現れると表現しました。これを指して、神の国のことを40日間、語られました。この福音は同じく使徒9:15のパウロに伝わりました。ですから、使徒11:25-26を見ると、パウロがマルコの屋上の間で始まった初代教会のメッセージそのままの福音を悟りました。そして、使徒13:1を見ると、ついに宣教師として送り出されます。これが福音を知っている者としての始まりの祈りです。皆さんがどのようにすべきなのかと研究をするのではなく、まことに福音を理解すると成り立つ働きが起こり始めます。

二番目です。どんな祈りが始まったのでしょうか。テサロニケ教会も単なる祈りではありませんでした。まずトロアスで祈りが始まりました。何でしょうか。使徒16:6-10です。私たちが福音を正しく理解すれば始まる祈りですが、それだけでなく、苦しみも来始めます。トロアスで夜に祈っているときに「マケドニヤに来なさい」と言われました。こうして到着したところが、テサロニケ教会です。つまり、一番大きな答えはその苦しみが来たときに始まりました。ですから、皆さんは何の心配もしなくてもよいのです。なぜなら、皆さんが福音を理解するその瞬間から、神の御働きが始まるからです。皆さんが正しく福音を理解していると、間違いなく神の御働きが始まります。そして、困難なときにはもっと大きな門が開かれました。Ⅰテサロニケ1:3に間違いなく記されています。信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐。そして、テサロニケ教会の証拠、口先だけではありません。力と聖霊と強い確信とによって。そして、今日の本文、Ⅱテサロニケ1:11を見ると「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています」。祈りの中でも最も重要な方向、ローマに向けた祈りです。つまり、祈りをとおして神様の御働きを見ているわけです。これが新約聖書の全体です。初代教会から始まった神の祈りの御働きです。マケドニヤを征服していく神の御働き。そして、いよいよローマを征服し生かす神の御働き。祈りがここまでつながっていくのです。皆さんが祈りに関して考えるときに、私たちがどのように祈るかも重要ですが、神様がどのように働かれるかを見ていくことが重要です。今日から皆さんに本当にまことの祈りと答えが始まりますように。本当に簡単です。皆さんは「アーメン」とい言える力があまり湧き出ないでしょうか。一言で言いましょう。福音を本当に理解するなら伝道が成り立っていきます。つまり、自分がしようとしなくてもなって行きます。そして、福音を本当に理解すると、必ず宣教が成り立ちます。皆さんがまことに福音を理解しますと、一番初めに来る答えは祈りがまっとうになっていきます。こうしてまことの祈りが成り立ちますと、その途中で大きな困難があったとしても、マケドニヤを生かす働きが起きます。そこで私たちのために祈ってほしいし、また私たちもあなたがたのために祈ると言いました。

もし、皆さんの祈りの中でまことに伝道のために祈るならば、この答えは大きな御働きが現れ始めます。皆さんがまことに宣教のために祈るならば、そこで神様がくださる答えを見るようになります。そして、皆さんの祈りの中でまことの伝道者と宣教師のために祈るならば、神様のローマを征服していく御働きの中に入ります。この間は宣教大会がありました。今から宣教は持続して行くべきです。私は長老に対して祈りについて話したいことがあります。皆さんの教会の中でまことの伝道者、まことの宣教師を育てていくなら、それ以上の祝福はありません。今私が言った言葉が理解できるでしょうか。私は教会生活しながらあまり難しいことはありません。なぜなら、すべての人を私が知っているわけではありませんから、そのまま助けていきます。理由があります。なぜなら、その中からまことの伝道者を見つけ出すためです。これで終わりです。これが教会生活です。これが分からないから教会へ行って試みにあってしまいます。レムナントや新しい信徒が試みに合うのはまだ理解できますが、重職者が試みにあっていては話になりません。多くの宣教師の方の中にまことの伝道者います。皆さんがその人のために本当に祈るならば、とてつもない祈りになります。それでどんな結果が来るでしょうか。まことの福音、まことの伝道、まことの宣教によってすべての問題は終わるということです。理解できないでしょうか。私たちがすべての宣教師に対してよく仕えていく理由は、その中からまことの伝道者を見つけ出すためです。ここに副教役者の方はいらっしゃいませんか。教会からいろいろ言われたとおり仕えることをしてください。子ども、青年、大人の中にまことの伝道者がいます。そして、今待っている理由はこの人が今はそうでなくても、明日、明後日、いつまことの伝道者になるかだれもわからないからです。ここにいらっしゃる副教役者とカン牧師と皆さんが伝道キャンプに行かれますが、よく祈って行かなければなりません。たとえば、私が知らずに殺人犯のことを助けていくとしたらどうなるでしょうか。私は何も知らずにこの殺人者をずっと助けてあげるとします。すると、神様は間違いなく私のビジネスを止めてしまいます。どうしてだめになるのかわかりません。反対に私は知らないけれども重要な人をずっと助けたとします。すると、神様は私の生活を祝福されるしかありません。皆さんが殺人犯を助けるならば、皆さんは同じ殺人犯になるのです。この目を開けば本当に簡単です。今日から皆さんはあらゆる試みも心配もいりません。この目だけ開かれればよいのです。以前も話したことがあります。私は以前、毎日山登りをしていて、途中で会う一匹の犬がいつも私に吠えて飛びかかってきます。飛んできて私の周りをくるくる回りながら脅かします。私はすごく怖かったです。犬の持ち主に「縛っておいてください」と言ってもだめでした。他の人にもそうでしたが、特に私に対してもっと吠えかかってきました。こうして私がちょっと石ころを持つと、少し逃げるふりをしながらまた戻ってくるくると回ります。そこで私は少し頭を使いました。山に登るとお祓いをするときに使う干物が置いてあります。韓国の霊媒師たちがお祓いをして残したものですが、干物がところどころに捨てられています。私はそれを拾ってきて犬に食べなさいとあげました。この干物がどれくらいおいしいでしょうか。これはすごく堅いから、時間をかけて長くかみながら私のことを思ったかもしれません。どれほど変わったのかといいますと、翌日から私の顔を見た途端、しっぽを振って喜びます。それで私はいつも山に登ると、まず干物から探します。いつのまにかその犬は私だけを待つようになりました。だから、私はその干物を投げてあげます。すると、次からは私のことを見てもまったく吠えません。しっぽを振って近づいてきます。教会や世の中にはあのように争おうとする人たちが多いです。干物ひとつ与えて、山登りに行けば良いのです。こんな悪い例えを話してやっと分かるのでしょうか?信仰生活の答えは簡単です。私は自慢に見えるかと思っていちいち言いませんが、私は行く所々で神の祝福があります。皆さんがもしまことの伝道者を助けるなら、神様の立場から見たときにはこれより重要なことはありません。教会のあるゆる信徒を愛しながら、その中でまことの弟子を育てるということより重要なことはないと言う話です。ところが大部分の人々がそうしないで親しい人同士で、となっています。

結論です。では自分にある霊的問題はどうしますか。私は力を得るべきですがどのように得るべきでしょうか。そこで使徒2:1-4。炎のような、風のような神の御働き、その力を与えられると約束されました。皆さんがこの祝福の中にいると必ずこのような体験の中に入ります。そして、次は使徒13:1-4。神の聖霊の導きを受けられる深い段階にまで入ります。そして、使徒19:1-7。より深い段階の中に入ります。神の御言葉は単なる言葉ではありません。Ⅱコリント12:1-10を見ると、第3の天に引き上げられるとあります。つまり、その言葉は今自分が体の外にあるか中にあるかすら分からないほどの深い祈りの段階にまで入ります。皆さんがもしこの段階に行きましたら、必ずサミットとして立つようになります。祈りをよく見てください。正確な福音で始まって-、結果は霊的な大きなサミットとして立つということです。皆さんが正しく福音を理解して、そして霊的に深い祈りの中に入れば癒されるし、また勝利ができるようになります。結局、皆さんはこの祈りの中で最も幸せな時間の中に入ります。今日から始めてみてください。この中で最も大きな力を受けるようにしなければなりません。絶対にこの福音を逃してはいけません。いつも福音から始まって行かなければなりません。この中で毎日答えが出るようになります。パウロもこうでした。こうして答えは続けてきます。結局、ローマも見なければならない。 パウロよ。恐れてはならない。あなたはローマでも証しをしなければならない。パウロよ。勇気を出しなさい。あなたはカエザルの前に立たなければなりません。皆さんが今から毎日、まことの福音だけを味わっていくなら祈りは自然と成り立ちます。なぜでしょうか。まことの福音を味わわずにはいやしがないからです。いやされていないので祈ろうとしてもそれは無理やりの祈りになるのです。本当に残念ですが、癒されていないままで祈るので、これは間違った祈りになるしかありません。こうしてますます深刻な状態になります。しかし、皆さんがまことの福音を味わっていきますと、まことのいやしが自分の中から始まります。どのような癒しでしょうか。長い間、刻印されていたことが変わり始めます。 それで私は福音を恥とは思いません。その理由は福音を信じる者には救いを受ける神の力になるからとおっしゃいました。自分でも思いますが、私の説教が難しくないかと。人々が聞いてすぐ理解できればいいのに、あまり理解できなく説明しているのではないかと。ですから、私の説教やメッセージを聞いたときに、「私は福音を知っています」と言うのですが、私から見たときにはそうではありません。皆さん。福音ひとつで終わりです。本当に終わりです。なぜなら、イエス様は十字架ですべてを完了したと言われました。そうでしょう。イエス様は十字架で死なれながら、「もう少し残っているよ」と言いましたか。「もっとたくさん残っています」と言ったのでしょうか。そうは言いませんでした。すべて完了したと言われました。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。そして、わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。その日以来、答えが来始めました。その日以来、伝道の門が開かれました。その日以来、世界の宣教の門が開かれました。ある日、私たちはこの段階に入ります。このときから皆さんは世界を征服していくサミットとなります。このときから重職者、長老の産業もサミットとして用いられます。海外に出ているレムナントたちがいます。これを必ず記憶してください。皆さんはある日サミットとなって上に上がっていますから、答えは来るようになります。今回、新しく正解に出馬する重要な重職者の方々はサミットになってください。まずはサミットに上がるように。そんな勢力も皆さんを阻むことはできません。この段階に行っています。つまり、福音にあって最高の霊的なサミットとして立っていたヨセフをだれも止めることはできませんでした。このような祝福が皆さんにありますように。この祝福を持っていたヨセフがポテパルの家に行ったので、神様の働きが起きたのではないでしょうか。ただの働きではなくサミットになってしまいました。言葉は奴隷でしたが答えを受けるのでヨセフに付いて行かなければなりませんでした。どれだけ気分がいいでしょうか。それでじっとしていてもサミットになります。この祝福だけを味わっているならば。

私が一番忘れることができないのが、軍人の中で一番位の高い兵士がだれかご存知ですか。防衛です。皆、給料を貰って軍生活をするのですが、防衛は給料を貰いません。皆、軍隊に行ってご飯を食べるのですが、防衛は自分のご飯は自分が包んで行きます。ところが、人々は誇りに思っていません。ある人は特殊部隊を出て、その特殊部隊の服を自分の家にかけておきました。私は特殊部隊を出てきたと自慢するのです。しかし、防衛の服をかけて置く人を見たことがありません。私は戦闘防衛出身です。防衛なのに、1年中ずっと訓練受けるところの行くようになりました。だから私は忘れてしまいました。私が伝道者であることを忘れてしまったのです。そこは不思議なところでした。聞こえるのは悪口しかありません。いつの間にか足が飛んできて、手が飛んできて、考える余裕もありません。私は遅く軍隊に入ったので皆、私より若いのですが、私が見たら、人間的に変なのです。人はそうなりやすいです。そうでないですか。世の中の言葉で精神が狂ったということです。 そのうえ、皆さんご存知のように私の背がまた標準ではないですか。でも、一番後ろに立っていました。この人たちは貴重な防衛を知らずに銃も良いものを渡さず、昔に米軍が使っていたM1を与ました。それはとても長いです。現役たちは短いものを使って、私たちにはそういうものをくれるので、私は銃が地面についてしまいます。それを1年間使わなければないのです。これが戦闘防衛です。大統領が指示して1年することがありますが、冬に死にそうでした。3カ月で祈りが出てきました。私の人格を預けて通っていたが、人格を預けておくことではないのではないか。私はだれか。私は神の子どもだ。私は伝道者、キリストを伝える証人です。この考えを回して10分休み時間に座っていました。すぐに門が開かれました。驚くべきことです。すぐに門が開かれたのですが、私が訓練を受けなくなったことが幸いだということではなく、伝道することができる門がすぐに開いて、私は行政班に入ることになったのです。さらに驚くべきことは、隊長がイエス様を受け入れました。このようなことができるでしょうか。自然になります。隊長がイエス様を受け入れて退屈すれば私を呼びました。だから、私は隊長室にすぐ呼ばれました。行けば私を見て聖書に話を聞きました。こ人が弟子です。除隊するまで私のニックネームは「スター」でした。他の人が見てスターと言いました。なぜなら、隊長室に入っては出てきたし、隊長が完全に弟子だったからです。こんなことがあるでしょうか。このように、伝道の門がぱっと開かれました。私が少しだけ気づいただけなのに。

ですから、福音はすべての問題の解決ではないでしょうか。しかし、私たちはそう考えていないのです。別に価値がないことだと考えて、何をしなければならないかと考えます。福音だけが、キリストだけがサタンを恐れさせます。この中で出てくる祈りこそそれが本当の祈りです。だから、勝利することができるのです。この中で出てくる伝道、宣教こそが、あなたをサミットに行かせます。この中に深く入ってしまうと、あなたはサミットに立つようになります。この祝福を必ず見つけなければなりません。だから、いくら説明しても良い話はすべて逃して、外に出て馬鹿のようにいつも下に抑えられてお手伝いばかりします。正確に言えば味わって、じっとしていてもよいのです。あなたは神の子だからです。どんなことが起こるかを知っていますか。本部から連絡が来ました。元軍人の精神が緩むから水曜日は精神的なトレーニングをさせろとなりました。例外なく集めて心の教育をさせるという話でした。それで秋なのにグラウンドに集まりました。私はそこに座っていました。軍が笑わせます。精神教育を一日中させるべきなのにさせることがないのです。彼らに話す言葉がないということです。 それは主に隊長がさせるので将校がするのですが話すことがありません。水曜日ごとに話す言葉がないから悩みだったのです。私たちもそのまま時間に合わせて座っていました。自分が話すことがないので、君たちの中でだれか話すことはないかと尋ねました。だれか話せる人は手をあげてみろと言ったのです。しかし、そこでだれが手を挙げるでしょうか。そのままみな静かに座っているでしょう。ところがキム伝道師と言う人がいて、その伝道師が私の横で「柳兄さんが出てみろ」というのです。「なんで私が出るのか」と言ったのですが、それでもしきりに出て見ろと言うのです。この人が私を知っていました。なぜなら、私がその中で伝道をしているので、一度してみろということです。それで「出てみろ」。「出て行かない」と言い合っていたら、それを将校が見て出てこいと言いました。皆さん、目がくらむようなことを感じたことがありますか。その時の私がまさに目がくらむようだったのです。出て行って何を話せばいいのだろうか。幸いに私の背が標準なので私は後ろに座っていました。そのため、出て行くのに時間がありました。出ていきながら私は瞬間的に考えました。それで前に出ていきながら確信が来ました。「そうだ、私がこの話をしなければならない! 」。それで話しました。私が少し伝道師をしたので話をちょっと上手にするではないでしょうか。太平洋戦争の話をしました。3千人の軍人が死んだように静かでした。人は話をしてみれば分かるのではないか。この方々が私に惹かれました。神様がそのようにさせたのです。ですから、話が終わって戻るときに拍手をするのです。自分たちが話さないとなのに、あの防衛がするので惜しいと驚きました。実は防衛は私の職分ではないのですが。以来、水曜日ごとに出てこいということになりました。そのときからは準備をして徐々に一つずつ福音の方に入って行きました。私は防衛でありながら3千人の軍人を動かした人です。神様がそのように働かれました。そして、今までじっとしていましたが、私は神様の子供として祈りを味わっているのですが、こうして皆さんに会うようにされました。皆さんは何がすごいことをしたいのでしょうか。 皆さんをとおして神様は重要なことをしようとしています。全国、世界の重職者、レムナント、証人が本当に答えを今日から受けるようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神に感謝します。福音を正しく味わう神の子とされるようにしてください。神が本当に望まれる祈りと伝道、宣教の答えを味わうようにしてください。今日からまことの神の霊的な大きな深い中に入るサミットになるようにして下さい。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。