201400323 インマヌエル教会聖日2部


たゆむことなく善を行いなさい
(Ⅱテサロニケ3:13-15)

序論
テサロニケ教会はいろいろな苦しみにぶつかった教会です。難しいことにぶつかったときというのは、様々な問題が同時に発生して行くというケースが多いと思います。初代教会は異端と言う汚名をかけられましたが非常に苦しかったと思います。しかし、そんな中でユダヤ人は組織を作ってまで初代教会を迫害していました。また、大都市であったアレキサンドリア大王が中心となっていたこのテサロニケ地域にもまた大きな苦しみがありました。またローマの迫害もありました。ローマの領域であったからです。
 こんなとき、聖書はこのようにお話しています。あなたがたは私の民である。そして、神の国は成し遂げられる。また私はあなたがたとともにいると聖書は言っているものの、未信者が見るには現実は本当に苦しそうな状況でした。世の中を見てみると神がどうやってともにいるのかとありえない感じでした。そして、世の中は強い力を持って私たちを一人一人苦しめています。でも、聖書は現実とはまったく違ったことを言っています。40日間、私たちとともにいるというのですが、現実を正視すれば一致しません。そして、アレキサンドリア王は大きな王でした。その王が建てた都市でもあります。そして、ローマの方から認めた国、それがテサロニケと言う地域です。しかし、福音運動をする者をとても大きく迫害しました。この部分が問題です。私たちはこの問題の前で崩れています。聖書はいったいどのように語っているのでしょうか。私があなたとともにいる。神の国が臨まれるように祈りなさいと言われました。あなたは私の民である。そのように語っています。
 しかし、時間がだんだんと経つにつれてどんな結果をもたらしたのでしょうか。どちらが勝利したのでしょうか。テサロニケ地域、今はその国の跡が残っているもののなんのパワーもありません。ローマも力がありません。ローマ帝国も崩れている状態です。福音は世界を征服しています。明確な証拠があります。それにもかかわらず、私たちは問題の前で崩れたりします。たゆむことなく善を行いなさいと言われています。いろいろと苦しい問題にぶつかっている方がいらっしゃると思います。キリスト、イエスにある者は苦しみがないのでしょうか。いいえ、あります。しかし、その苦しみは祈りの祝福を味わう最高の時間です。しかし、キリストの外にいる者は、一番悪霊の影響、悪霊の攻撃を受けている者です。それが違う部分です。皆さんはこれを持っていなければなりません。苦しいときにはもっともっと苦しいことが増えていきます。イエスを信じるから苦しいことがなくなる。そんなことはありません。苦しいことは絶え間なく続きます。迫害を受けるともちろん大変です。しかし、キリストの中にいる者にとっては、その時間こそが祈りの時間、祝福の時間になります。そこで福音を伝えていく中で落胆してはならないということです。
 イテロの長老はモーセを助けました。そのあとどんな結果になったでしょうか。皆さんもご存知だと思います。歴史上、最高の奇跡、証拠が起こりました。遊女ラハブ。ご存知だと思いますが、遊女で会ったらラハブは偵察からかくまいました。捕えられたときには死ぬとわかっていながらもかくまったのです。危険だと言うことをわかっているにもかかわらず。そのラハブのあと、約第14、15代後にダビデが生まれました。たゆむことなく善を行いなさい。たゆむことなく福音を伝えなさい。たとえ苦しいことがあっても落胆してはならない。たとえ皆さんが四方八方に窮することがあっても絶対に倒れてはいけません。もしかして皆さんに悔しいことがあるでしょうか。しかし、落胆してはいけません。なぜならキリスト、イエスにあってはひとつもその報いから漏れることはないからです。オバデヤ、皆さんご存知だと思います。そのときの王はアハブの王でした。預言者を皆殺していた王ですが、その王のもとで真の預言者をかくまったオバデヤです。その中でなんの葛藤もなく揺れずに真の預言者たちをかくまいました。その働きが後に、7,000人の弟子を起こす運動につながっていきます。そして、その運動がドタンのレムナント運動にまでつながっていきます。そして、もっと大きな働きが起きました。アラムの軍隊を完全に崩していく働きになって行きます。国を生かす働きにつながったということです。しかも、戦わずに勝利をしたという代表的なことになります。キリスト、イエスにあってと言う表現を一番多くした人がパウロです。この言葉は普通の言葉ではありません。キリスト、イエスの中にある者は、サタンが皆さんに攻撃することもなく、それゆえ絶対に落胆してはならないということです。「でも私はまだ苦しいです」と言う方は、その苦しみが祝福であるということを悟らなければなりません。サタンの手元にある人、神の子どもでない人は苦しみこそ彼らの呪いです。
 初代教会の人々はすごく苦しみました。しかし、落胆してはならないと言うことです。なぜでしょうか。虚しい、虚像に過ぎないことをやっている人々を見て、私たちは落胆してはなりません。虚栄心と言う、つまり、虚しい心にうぬぼれている人たち、「私たちはローマの市民権を持っている。私たちは大都市に住んでいる」というようなことに、皆さんは絶対に憧れたりしてはいけません。苦しいとき、福音のために苦しまれているということは最も大きな善を行っていることになります。なぜなら、福音を伝えることはサタンと霊的問題を防いでいく働きがあるからです。未信者たちはその働きがなにかわからないだけです。科学者の人たちがそれがよくわからないでいるだけです。政治家がよくわからないだけです。わからない状態で政治をやっているということは政治をやってもやらなくてもよいようなことになります。共産主義の人たち、北朝鮮の人たちがわからないだけのことです。この福音、キリストの御名によって福音を伝えることはサタンをつぶしていく唯一の働きです。落胆する必要はありません。虚栄心を持ったり、その働きでうぬぼれている人たちを見て、私たちは落胆する必要はありません。私たちはすでに勝利しました。その証拠も明確に記録されています。皆さんも落胆する必要はありません。霊的問題を塞いでいく、その大きな働きは伝道です。ですから、皆さんは虚栄心に満たされている人たちに落胆してはいけません。この福音を伝えることは地獄の背景、運命をひっくり返す働きです。もしかして皆さん、苦難の中にいらっしゃるでしょうか。もちろん、病気を持っているのに「いや私は痛くありません」と言えません。また問題は来ているのに「いや問題ありません」とは言えないと思います。しかし、大丈夫です。まったくお金がないのに「私は貧しくありません」と言えないと思います。でも、大丈夫です。なぜなら、たとえ一文無しだったとしてもキリスト、イエスにあって落胆せず祈っていくならば必ず証拠が与えられるということです。
 幸いなことは、私は何十年前に本当に苦しかったです。何が苦しかったか。どうしたらよいか、わからない状態だったのです。ある状況に対して何をどうして、どのようにすればよいのかわからないというのが一番苦しいと思います。だから、なにげに心配というものが自分に近寄ってきました。このままの状態で私は自分の家族、子どもたちを守れるだろうか。食べさせていくことができるのだろうか。そして、これから、わたしはうまくやれるだろうかと言う心配が増えていきます。それで身の回りをよく見渡してみてみると、みな私と同じようなことで心配していました。そのとき「ああ。こうではいけない」と思いました。私は神様の子どもではないか。それなら私は何をやるべきか。私は神様の子どもであり、だから、私と同じように苦しみにぶつかっている人に福音を伝えなければと思いました。それで伝道しようと思いました。そこで伝道に関するすべての本は買い取って読みました。すごく、自分にプラスになりました。たくさん読むことによって目が開かれていきました。この本はそんなに特別なことではないと見えたり、多少は自分のためになる。これは商売人が本を売る目的で作ったということが見えたりします。主に韓国の人が書いた本よりかは外国の人が書いた本の方がある程度、ためになるなと思いました。そういう観点から外国の書籍をたくさん買って読みました。なぜなら、韓国の人が悪いと言うより、韓国の人の特徴はいろいろと大袈裟に書く部分が多いのです。いろいろと本のタイトルを見ても韓国の人が書いた本と言うのは、なにかこれを読むと一発何かできそうな気がしてくるのです。ですから、興奮状態になります。でも、外国の人が書いた本を見ますと、やたらと物腰が低くなるし、謙虚になれる気がします。伝道に関する本もそのようなことがあって、外国の方の本の方が少し落ち着いて内容が良かったなと言う気がします。それで全部読み終わった後に、その著者と私の共通点をひとつ見つけました。例えば、難しくてもやらなければなりませんというようなことがあるとしたら、それは私に少し当たるような部分です。私も大変だからです。伝道はこうこう大変だけど、こうやってやらなければなりませんと言います。でも、そのような内容が結局、自分にはちょっと違うなと言う気がしました。そのときから聖書を読み始めました。聖書を読んで行くうちに、聖書の中の伝道が見えてきました。それで「ああ。なぜこのようなことを知らなかったのだろう」と気づくようになったのです。そして、平安が訪れました。本当の力が湧いてきました。ずっと、それを研究し続けました。24時、それしか考えませんでした。私がやるべきことはこれしかないから。それこそ、継続的に研究しました。すると、神は私の人生を変えてくださいました。どのように変わったのか。皆さんは私を見て「私も柳牧師のようになりたい」と言います。そのように思わない人もいるかもしれませんが、私は確かに変わりました。昔の私は「どうやってうまく生きていけるのだろうか」と悩んでいた私でした。でも、神様は私をどう変えてくださったのか。数十万人を変える人にならせてくださったのです。今までは「祈りをどのように祈ったらいいのだろう」と悩んでいました。でも、神は私を多くに人々に伝道し祈りについて語れる牧師にさせてくださいました。

1.福音を伝えるのが最高の善だ 福音を伝えて落胆する必要はない
皆さんは今日、たゆみなく善を行いなさいと書いてあります。なぜなら福音を伝えることが最高の愛国であるからです。人を愛する方法は福音を伝えることだと私は悟りました。前もお話したことがあります。昔、大邱の地下鉄での爆発事件が起きたとき、その犯人が福音をわかっていたならば、だれかが彼に福音を伝えたならばそんなことは防止することができたはずです。実はその方は精神的に病んでいて、病院で3回も4回も騒動を起こしたそうです。自分を助けてほしいと。病院で3度も4度も騒動を起こし、自分は生きられない。私を生かしてほしいと言ったが、だれも彼に福音を伝える人がいませんでした。結局、彼は精神的におかしくなり、地下鉄の中で火事を起こしてしまいました。それで国全体をひっくり返すような大きな火災になったのです。ましてやある看護師さんのところに行って「私を助けてほしい」と頼んだそうです。医者にも「私を助けてほしい」と頼んだそうです。しかし、その病院に医者と看護師さんの中に霊的問題について知る者がだれひとりいなかったということです。皆さんがその現場にいたならば、すぐに福音を伝え、サタンの働きを完全にイエスの御名で打ち砕く祈りをしたと思います。救われるといことは個人のことです。しかし、この霊的問題をなくして行く、伝道と言うのは一番大きな愛国です。

2.困難な中で時代的なメッセージを握りなさい
福音を伝えていくうちに、もちろん、落胆することは起きると思います。なぜなら、今日の第2テサロニケ3:14、15のように本当に不信を伝える者、敵のような人が現れたりします。だから、そのような人たちを見てでも、たゆみなく、また落胆することなく福音を伝えなさいということです。彼らがそうしているのは単なる自分が最後のときだと思って強くあがいているだけです。ですから、あがいている人たちに対して、私たちは恐れなく、そして、たゆむことなく福音を伝えていくことです。私たちはこのようなとき時代的なメッセージを握らなければなりません。ヨブを覚えていらっしゃるでしょうか。事故に遭って自分の財産、子どもたち、みな死んでしまいました。どれほど苦しかったでしょうか。大変だったと思います。しかし、キリスト、イエス、また契約の中にいる人は苦しみ自体が神様の契約となります。そして、ヨブはその苦しみの中で時代的なメッセージを悟りました。どのように言いましたか。与えることも主であり、そして奪うのも主であると言われました。このように生まれるときには皆手ぶらで生まれると言われました。そして、去るときにも手ぶらで去ると言われました。そうだと思います。なにもない状態で生まれ、そして、何もない状態で元に帰ると言われています。自分の災難や事故によって、神の栄光を消してしまうようなことにならないようにと悔い改めながら祈りました。そして。栄光を主に捧げると言いました。また、病気になったときにはヨブはこう告白しました。人生は一度しかない。そして、一度は死ぬ。死ぬ時は腐っていくこの肉を持って主に帰るわけではない。もっと時代的なメッセージを伝えました。私が行く道はただ主が知っておられると言いました。主は私を鍛錬させた後に、純金のように出てくるようにとさせました。主はすべての御心や思いが一つであるために、必ずその御心どおりに成し遂げられると言われました。こんないろいろな事件や事故は主にあってはたくさんあることだと言われました。時代的なことをヨブは見たと思います。もしも皆さんの家庭の中にハンディキャップを持っている方がいらっしゃるでしょうか。時代的なメッセージを悟ってください。思ってもよらない事件、事故が皆さんのところにあり、いろいろな問題があるとしても、それをちょっと間違えば霊的問題になります。しかし、契約にあっては時代的なメッセージを発見することになると思います。今日、敵のような人がいるとしても敵のように行ってはならないと言いました。どういうことでしょうか。それは落胆してはならないと言うことです。霊的問題によってもがいてあがいている人に対して、私たちが同じように動揺してはいけません。江南(カンナム)というこのリッチな街に来てみますと、江南の人には申し訳ないのですが、非常に虚栄心が強い、そして、食べ物もすごく値段は高いのですが食べるものもありません。そして、高級レストランだと行ってみても、あまり新鮮でもなくその味を生かした料理もありません。ソウルであるし首都圏なのに。このような水準だと世界征服するのは難しいのではというほど虚しいことだらけです。もうすぐ滅びてしまうローマ、テサロニケなのに「私たちはローマ帝国の人だ。私たちはテサロニケの市民だ」と誇っている人たちに対して、私たちは絶対に落胆してはいけません。戦争が起きたのです。そのとき時代的なメッセージを握った者がいます。すべての孤児を皆集めました。孤児を集め、一緒に食べ、一緒に飢えたりもしました。そして祈りました。5万個以上の祈りの答えを与えられた人がいます。その主人公はミューラーです。皆さんに苦しみが来たときには落胆せずに、時代的なメッセージを握っていただきたいと思います。本教会の伝道チームに尋ねましたし、いろいろとお願いしたいことがあるのですが、時代を見て欲しい。だから、お願いしたことがなにかと言うと、牧師は何人来ているか、それを少し調べて欲しいと言いました。多民族はどれくらい来ているのか確認してほしいと言いました。そして、ご両親を亡くし少年少女の家庭で生活している人たちはどのくらいなのか。そして、ソウルだけでも脱北者の数は6800人に及びました。ソウルだけの数です。そして、多民族は1万人に及ぶということでした。ということは、これはソウルだけのデータ―なのですが、ただ何をどうしたらよいのかわからないでさまよっている多民族が1万人以上になる。そして、国の政府の方からきちんとした管理を受けていないご両親を亡くした少年少女が80人以上いたということです。苦しみがきたから、苦しみがあるから落胆するということは一切あってはならないことです。なぜなら、必ず勝利した証拠があるからです。テサロニケ地域と初代教会、どちらが勝利したでしょうか。初代教会が勝利しました。確実な証拠がこちらにあります。朴 槿惠(パク・クネ)大統領に私はこのようなメッセージを送りました。絶対に暗闇が光に勝ったことがない。そして、非真理が真理に勝ったことは一度もないと言いました。現実はただそれらが勝つかのように見えただけだと言いました。そして、不正なものが正義に勝ったことはないと言いました。どうやって不法が正義に勝つことができるのでしょうか。私たちは落胆してはいけません。

3.未来を知らない人の前で落胆してはならない
 そして、今日のポイント3番目です。私たちは未来を知らない人たちの前で落胆してはいけません。この滅びに行く人たちは未来がわかりません。皆さんは未来を知っているのではありませんか。落胆してはいけません。聖書で重要な部分は、パウロがたとえば福音を受けるときにアナニヤの家で何が起きたでしょうか。これは皆さんが受けなければならない答えですから申し上げます。使徒の働き9:15にどう記録されているでしょうか。あなたはこれから多くの王の前に立つ器、つまり、証人であるということです。そんな者が落胆してよいのでしょうか。確実な証拠、答えが手に与えられています。これは皆さんの答えです。そして、そのあとパウロは使徒の働き11:25-26によりますと、バルナバにあって訓練を受けます。どんな訓練を受けていたでしょうか。優れた人材であったパウロが、プロよりは落ちる人材のバルナバのところに行ってどんな訓練を受けたと思いますか。答えは簡単です。つまり、パウロが知らないと言ったとき、バルナバが直接、イエス様から聞いたお話を伝達していたと思います。どこででしょうか。つまり、公生涯でのメッセージは皆が知っていることであって、オリーブの山でパウロは聞けませんでした。オリーブの山ではパウロが聞けなかったことを伝えました。そこでバルナバは自分が聞いたことを何年何月何日にこのローマは崩れる。だから、早く崩れる前に彼らに福音を伝えなさい。そして、これからこんな迫害が起きる。だから、恐れてはならない。そして、これからあのパウロのような偉大なものが生まれてくる。彼は必ず宣教師になる。そして、彼と一緒に世界福音化をしなさい。あなたがたとともにいるから。そのメッセージをバルナバは伝達したと思います。そこでパウロはそのメッセージを聞いて心に火が付いたと思います。それで生涯をかけました。皆さん、落胆する必要はありません。なぜなら、未来を知っているからです。そこで、私たちはこれから大変かもしれないが、文化を変えるほど、韓国を代表するような教会を建てていかなければなりません。皆さんはこの世をどうせ去って行きます。ですから、未練がましくなる必要がありません。永遠なものをやるべきです。世界宣教をするレムナントと育てることが永遠なことです。絶対になくなりません。世界の霊的問題を変えていくRUTCを作っていきましょう。
  
結論
 善のうち最高の善は何でしょうか。大きな大型教会が揺れていく理由はどこにあるのでしょうか。なぜ揺れるのでしょうか。答えは簡単です。まことの福音、そして、このまことの福音を伝達して行かないからです。まことの福音とまことの福音を伝達しない教会は大型教会であればあるほど国家と地域のためになりません。しかし、まことの福音とまことの福音を伝える教会は国に一番必要となる教会になるでしょう。皆さんは今日、このみことばを握ってください。感謝なことは、レムナントたちの中にみことばをそのまま握って、みことばに乗っていくレムナントたちがいるということです。全世界とそして、今のみことばの流れをよくキャッチしてください。みことばの流れをキャッチして、みことばの流れに乗って行かなければなりません。長い間、信仰生活をしている人たちは失敗しやすいです。なぜなら、「どうせ全部知っていることです」と言って、みことばに対して曖昧な方たちがいます。そうではありません。みことば明確に今も成就されています。成就されていく。そして、時代が見えます。驚くには現場も見えてきます。驚くのは個人に会ったとき、その人に答えが見えてきます。だから、そのような人たちは勝利するしかありません。この祝福を皆さんは握って味わっていかなければなりません。そこで主に恵まれない人たちの特徴、つまり、牧会者の牧師家庭の人たち。なぜ恵まれないのでしょうか。神様のみことばがどう流れていくのかということを見なければならないのに、たとえばメッセンジャーが自分の旦那であったりということで、世界中の牧師夫人の方たちがよく恵みを受けていない状況です。もちろん、そうでない牧師夫人の方々もいらっしゃると思うのですが。だいたいは皆そうです。メッセージをすごく熱く語ったあとは、あとになって牧師夫人はこう言うそうです。「あなたこそしっかりしなさい」と言うそうです。「言葉は達者ね」と言ったりもするそうです。アメリカの法律ではこのような法律もあったそうです。牧師夫人は他の教会に通ってもよいという法律が。おそらく、韓国でもそのような法律が適用されたら、自分の教会から逃れたい牧師夫人も多いかもしれません。これはいけません。なぜなら、みことばの流れがどう流れていくのかと言うことをキャッチしなければならないのです。また、牧師と牧師の子どもたちが中々、コミュニケーションがとれません。たとえば、お父さんと子どもたちがあまり通じやすくなっても根本と言う部分が崩れてしまうので。また若い人たちがあまりお父さんとそのような関係になりますと、つまり、基準のないコミュニケーションのとられた方というのは根本も崩れれば未来もなくなってしまいます。通じる、通じないと言う世界ではなく、本当にその牧師を自分の父親だと思って聞いているので、神様のみことばが中々は行ってきません。ですから、ミスをしてしまうのです。そこで教会であまり仕事ばかりをしている人というのは、神様のみことばの流れを見ることなく仕事中心、仕事ばかり見てしまいます。でも、本当に答えがある人、答えられる人の特徴と言うのは、みことばの流れを見てそこに乗っていきます。
 この間もサッカー選手のパク・チュヨン選手を見たら、みことばをきちんと聞いているなと思いました。だいたい海外にいたり、遠征で試合ばかりしていると、みことばを聞く余裕がないと思います。いろいろな国に行って試合をしなければならないからです。ある程度のレベルになると、あまり疲れると寝てしまってみことばを聞かないと思うのですが、話をしているのを聞いてみますと、みことばを全部聞いている。そして、レムナント大会に自分が参加できなかったときには必ずメッセージを聞くという感じでした。私が思うにこれからパク・チュヨン選手は大きな指導者として神様は用いてくださるのではないかと思います。みことばの流れ、その流れに乗っていくと言うことは大きな祝福であるということを皆さん思ってください。ですから、善を行っている最中に落胆してはならない。祈っているうちに落胆してはならない。苦しみが来たからと言って落胆してはならない。現場をよく見てみてください。すべて虚しいことだらけです。そのような人たちの前で落胆してはいけません。自分たちも何が何だかわからない状態であがいているのに、そんな人たちの前で私たちは動揺したり、落胆してはいけません。成功しようと努力している人たちの前で、彼らは未来をわかりませんから仕方がありません。皆さん落胆してはなりません。アウグスチヌスの母はこう言いました。モニカに対してある牧師が言いました。祈りの母、祈りによって育てられた人は決して滅びないと言いました。皆さんは今日この祝福の契約を握っていただきたいと思います。「私はなぜいつも苦しいことばかりなのでしょうか」と言う方。答えの時刻表です。なぜなら、キリスト、イエスの中にあっては幸いだと言われています。救われたものの祝福を味わい癒される一日になっていただきたいと思います。そして、今日は霊的問題が癒されるほど、解決されるほどの恵みを受けてください。そして、6日間の答えが見えるほど、皆さん、祈りの答えを受けていただきたいと思います。

(祈り)
神様、感謝します。神様に賛美をささげます。私たちの霊的な目を開いてください。また無知である私たちを真の道へと導いてください。まことのことを見ることができる目を開かせてください。落胆することのない力を与えてください。苦しい時間が苦しい時間ではないということを悟る目を与えてください。そして、私たちが癒される日となりますように祈ります。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン