201400330 インマヌエル教会聖日1部


十字架のことば
(Iコリント1:18-31)

序論
ある老人が現れて、このようなことばをお話しました。イスラエルの民を血のいけにえをささげられるように出ていくようにさせてください。それを80歳になったモーセがパロの王の前で言ったことばです。パロの王はどのように答えたのでしょうか。「あなたが以前も大きな事件を起こして逃亡生活をしていたのに、今老人になって気が狂ったのか。血のいけにえだなんて。もっとイスラエルの民を苦しみの中に懲らしめなさい」と言いました。「一体、血のいけにえとは何か。イスラエルの民はまだまだお腹が膨らんでいる。だからあんなことを言うのだ」。そこで「食料も今までの半分にし、仕事は今までの倍、させなさい」。それがパロの王の命令でした。パロの王はその発言以降、すぐに自分の息子たちやエジプト全体が滅びに至ることを受けてしまいました。

そして、そのあとイザヤと言う預言者は一言のことばを言って、そのせいで死を迎えてしまいました。その一言と言うのが、「処女が身ごもって子を産む。その名をインマヌエルとせよ」ということです。そのことばを以前、預言者が語りました。そのことばを聞いた当時の王も「あの預言者は狂ったのだ。どうやって処女が子を産むことができるのか。精神的におかしい。あれを殺しなさい」と命令を下しました。その命令を下した王がマナセの王です。「あの者をただで殺してはならない。全部、体全体をバラバラにして殺しなさい。体身体すべてをバラバラにして殺しなさい」と言いました。そして、以前の容疑者は箱の中に入れられ、切り取られて殺されてしまいました。しかし、イスラエルはイザヤの預言者のみことばどおりに捕虜になってしまいました。しかし、その契約のみことばを握ったときには、捕虜から解放されたはずです。このように人々は愚かです。人々は知識があるように見えても、実は非常に愚かで難しいです。

また、今度はどんなことが起きたのでしょうか。この世にあって何と無知なものかと思われる人が出てきては、あなたは生ける神の御子キリストですと言いました。それがペテロです。ペテロは漁師でした。そして、知識人にとっては非常に無知なものに見えました。しかし、そのペテロは主がキリストだと告白しました。そして、主がキリストだということばを言ったおかげで刑務所の中に閉じ込められてしまいました。そこから法廷上に立たされて発言しました。この世に救いの名はキリストの他には与えられていないと。では、ペテロまでよしとします。
次になんと学歴もあって素晴らしい人が、すべてのことをあとにしてキリストを伝えるようになりました。それがパウロです。今このメッセージを聞いていらっしゃる方の中でパウロ以上に知識のある方はいらっしゃらないと思います。世界のノーベル賞30%を占める国の中でもまた代表的な人物がパウロです。そのパウロはすべてがちりあくただと言いました。それこそおかしい。来るっていることです。その世の中の人が見るにすばらしいものを捨てました。しかし、そのあとに主がキリストだと言ったのです。
そして、それだけではなく重要なことばを言いました。イスラエルとローマに関することです。そこでパウロを捕えて殺しなさいと言う命令が下さ、パウロを捕えるためのあるチームも作られました。つまり、特殊部隊と言われていて、とにかくパウロを捕えては殺しなさい」という舞台でした。でも、パウロのことばどおりに、本当にそうなりました。皆さん、いかがでしょうか。
このようにたくさんの証拠があります。肉的な証拠もあります。あれだけ霊的に苦しんでいる人、子どものときから苦しめられていた。立派な大学を出ました。しかし、親にも言えなかったようです。結婚したけれども家族にも言えなかったようです。一生、耳元でおかしい声が聞こえました。そして、苦しめられていました。その人は私に告白しました。イエス・キリストを受け入れました。その途端、終わりました。このように肉的な証拠もあります。伝道の現場に行ってみますと多くの証拠を見ることができます。より重要なのは、肉的な証拠より精神的な証拠も多いです。聖書が記録されているように霊的な証拠はもっと大きいです。確実な証拠があります。今日はとても重要なことばをパウロはお話しました。皆さんはみことばの流れによく乗っていただきたいと思います。マルチン・ルターはみことばの流れによく乗り、そして、世界をひっくり返しました。何の力もなかったルターがみことばの流れによく乗り、全世界を変える働きをしました。
Ⅰ、ⅡテサロニケにはAD51年ごろに記録されたものです。そして、みことばの流れによく乗っていくために調べたところ、Ⅰコリントは約55年ごろにつくられました。つまり、この聖書の順番はともかく、みことばの流れ、特にパウロが記録した内容の年代別に見ていく中で、今回はⅠ、Ⅱコリントを見ることにしました。さて、今日の18節なのですが、「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」。これは当代最高の碩学であるパウロのことばです。当時の総督は言いました。「あなたはあまりにも知識が多すぎて、もしかして狂ったのではありませんか。何ということばを言うのでしょうか」と。旧約聖書すべてを丸暗記するほどの知識を持ったのがパウロです。ギリシャ語、へブル語など、すべてを普通にお話しできたのもパウロです。ガマリエルの下で勉強をしていたものです。そして、最高のイスラエルの知識者であったのがパウロです。イスラエルの国には特別な会員があります。つまり、国会議員と最近のことばでは言いますが、その人たちを動かせるような最高のチームがいます。そのチームの中でも頭でありました。そのパウロはローマの国籍を持っていまして、たとえそのようなときでもローマの国籍を持っていると罪を犯したとしても、刑務所の中に捕えられない。自宅の中で取り調べを受けられるというくらいの権威でした。パウロは生まれ育ちがそのくらいのエリート家庭で育てられました。ローマに住んでいる人もローマの国籍をとるのは大変だったのに、ローマに住んでいなかったパウロはローマの国籍を持っていました。つまり、それくらいの背景を持っていたパウロです。そんなパウロが言った言葉、Ⅰコリント1:18「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」と言いました。

そこで今日のⅠコリント1:18の部分がとても重要です。十字架のことば。十字架と表現せずに、なぜ十字架のことばと言ったのか、ここに耳を傾けなければなりません。十字架はよくわかっています。ローマの人は十字架をどのようにわかっていたのでしょうか。彼らにとって十字架は死刑が行われるところです。十字架は死、死刑を意味します。ユダヤ人はどのようにわかっていたのでしょうか。ユダヤ人は十字架、そこで死刑が行われるところ、イエスはそこで殺されたと信じています。復活されたという噂はあるけれども、一体どうなっているのかわからないという程度でした。皆さんも十字架をわかっていると思います。サタンもよくわかっていると思います。サタンは十字架を非常に恐れます。そこでキリストと言うことばはものすごい言葉です。そのようにしかわかっていないから答えられません。今日は十字架のことばと言いました。これが重要です。

すべての十字架のことばと言う部分を、英語の聖書ではmessage of the crossとなっています。とても重要な部分です。十字架に対するメッセージがなければならないという意味です。つまり、十字架のことば、ちなみに韓国語の聖書は十字架の道と表現されていますが、十字架のメッセージが必要です。十字架のメッセージ。十字架の道。その十字架のことばがあってこそ勝利します。皆さんは十字架のメッセージを持っていらっしゃるでしょうか。それに対する道を見つけたのでしょうか。この部分がなければ、聖霊と聖霊の働きという部分は違う言葉です。救いと言うのと救われたというのはまったく違う言葉です。同じ言葉なのですがまったく違います。ごはんとごはんを食べましたは違います。ご飯を食べずにそのご飯を見るだけでしたらおなかが余計にすくだけです。パンが目の前にあれば、パンを見るのとパンを食べるというのはまったく結果が違います。十字架のことばと言いました。皆さまは今日、パウロを通じてのことば、この神のみことばとして十字架のことばを握ってください。
では、十字架のメッセージは何でしょうか。十字架のメッセージは何でしょうか。十字架の道とは何でしょうか。いわばキリストの道は何でしょうか。これを知らなければなりません。ほとんどの人々はこの部分のメッセージを逃しています。

1. 世の中の知恵と人間の知恵、人間の限界を悟って十字架の力を握るのが十字架の道だ
一つ目です。今日1:12-17の部分。今日は本文に入っていませんがのちほど読んでいただきたいと思います。十字架のことばでまず一つ目です。1:11-17、この部分が十字架のことばの部分となります。今日、12節を見ますと面白い内容が記録されています。コリントというのはパウロが建てた地域でもあります。プリスキラ、アクラとの出会いをとおして立てた地域でもあります。しかし、この町に問題が起きました。でも、そのコリントの問題と言うのはほとんどの信徒たちが騙されていたということです。皆さんもその部分を発見するときから、御働きが起きるようになるでしょう。
1:12をご覧いただきます。「あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか」と書いてあります。このように話にならないことが起きました。つまり、私はパウロ派です。いいえ、私はペテロ派です。いいえ、私はその下の弟子に学びました。だから、私はアポロの派です。それだけですみませんでした。今度は私はキリストの派です。では、その前の3人はだれでしょうか。こんな問題がコリント教会に起きました。そこで、パウロはあまりにもあきれてこんな手紙を送りました。アポロはだれで、ケパはだれで、パウロはいったいだれか。パウロ派はいったい何か。私が十字架にかけられた者なのか。私が私の名でバプテスマを受けたのか。なんでもないことでどうしてそんなことをするのかというメッセージをコリントの人々へ送っているのです。皆さんには曖昧にただ単に聞こえるかもしれませんが、今日のこの部分を悟ることが十字架のことばです。十字架の道となるのです。
皆さんはよく注目して、全世界の人々もこの部分を悟らなければなりません。私は10個の教会で働いて来ましたが、すべて今日の問題にぶつかっていました。私の母教会は戦いと言えば専門性があるほどの教会でした。教会もうまくいきません。なぜなら、サタンがいつも狙っているから、サタンが狙っているところに騙されているから教会がうまくいきません。皆さんのことを見て絶対に勝てないということを知っているこのサタンは、皆さんに勝てる道はひとつしかないと思っています。それはこのように争いを起こさせて隔たりを持たせることです。東西南北。こうやって神と人と分離させ、人と人とを分離させ、真理を分離させることがサタンの得意技です。この部分を悟ることによって答えられるようになるでしょう。でも、人々はよくわかっていません。私が行ったすべての教会はこのサタンのしわざに引っかかっています。信仰生活は難しいと言っているアメリカの教会もここに引っかかっています。ですから、信仰生活がどれほど大変でしょうか。十字架のことばがないからです。私が副牧師として仕えていた教会、そして、喧嘩をして教会が真っ二つに割れてしまった教会もこういう問題にありました。このヨンドの地域でも本格的に喧嘩をしていてそこからも喧嘩をしたくありませんということで出ていって、今の教会を作ったわけです。すると、私のメッセージを他の教会で聞いたのでしょうか、「なぜうちの教会の文句を言うのか」とお話ししてきました。だから、私はこのように返しました。喧嘩をやめてください。喧嘩はサタンのしわざですと言いました。すべての組織に意見の食い違いはあるでしょう。しかし、教会は聖霊にあってひとつにならなければならないのが教会です。その意味が教会です。私は自分がいた教会のたとえ話を何度かしたところ、その教会の長老から「うちの教会の文句を言わないでください」と電話がかかってきましたが、私は文句を言ったわけではなく、一つの例として取り上げたとお話をしました。では、皆さんもおわかりのとおり、今、韓国の大型教会も非常に争い、問題が起きています。つまり、サタンの戦略を皆さんわからないのでしょうか。18節で語りました。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」。今日の本文の内容です。福音を知っていますか。しかし、違います。聖書は言います。私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢いものの賢さを虚しくすると言いました。なぜなら、智者によって学者によって神を知ることはできないと言われています。しかし、ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人も知恵を追求しました。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。つまり、パウロがここまで言ったのは人間自身に限界があるということを知らずに、自分が賢いと誇っています。自分のことをそう思っているので、十字架のことばを見つけることができません。勉強を非常に多くしたパウロが尋ねます。ユダヤ人はいつもしるしを要求している。ギリシャ人は知恵を追及する。しかし、私たちは違うと言ったのです。このように学者はなぜなのか。つまり、私がこのようなお話をしたら愚かに見えるかもしれませんが、パウロが言ったらすごく説得できる内容です。つまり、智者がどこにいるのですかと言いました。学者はどこにいるのですかとパウロは言いました。つまり、パウロは自分をどの智者より、どの学者より上にいたのですから、そんな学びの高いパウロが智者は、学者はどこにいるのか。神の知恵以上になるものがいるのかと言いました。人間の最高の知者と、神にとって最高の知恵がない。それを比べたとしてもどうなるかということについてお話をしています。人々は私が賢いと思っています。そこで十字架のことばを逃してしまうということです。それでパウロはお話しました。神様は知恵ある者を滅ぼし、賢さを虚しくしたくということです。
27節にもっと重要なことばがあります。「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」。でも、人間はおろかに自分の知恵をもってこの27節が理解できません。なぜなら、ユダヤ人は自分の知恵を信じて滅びました。人間は悲惨な形で滅びてはいけません。パウロは今そのようなお話をしています。
28節にも「また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです」。このようにした理由は、救いが人の手にあるのではなく、神のあるということを知らせたかったからです。

2. 神様のまことの力を捜し出すのが十字架のことば
十字架のことば、二つ目です。神様のまことの力を発見するのが十字架のことばです。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」。ヒトラーはいました。一体、イエスはだれなのか。ヒトラーは自殺しました。ニーチェは牧師の息子でした。学者です。しかし、神は死んだと言いました。自殺しました。自分で精神的に病んで死にました。神はいない。共産主義の人はそう言いました。神はどこにいるのか。しかし、共産主義は起きて70年の間に全部滅びてしまいました。ボルドウィンはこのようなお話をしました。聖書は話しにならない。もちろん、霊的な目がなければ聖書をいくら読んでも話しにならないでしょう。この聖書の内容は50年以内になくなるだろう。ボルドウィンが言ったその50年後には100万カ国以上の言葉で聖書は翻訳され全世界に売れました。十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かに見えるということです。皆さんは十字架のことばを見つけてください。もしも皆さんに福音があまり感激ではないという方は危険な方です。でも、福音、神の救い、本当に感謝しますと言う方は成功する人たちです。なぜなら、そういう人にはサタンが攻撃できないからです。そんな感謝な人はサタンが皆さんのビジネスを攻撃できません。サタンが攻撃したら5秒の間持つ会社がどこにあるでしょうか。サタンが皆さんの生活をほんの少しだけ揺さぶっても一気に倒れるでしょう。しかし、十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力であると言われたのです。これを見つけてください。この力を見つけることが十字架の道のことばです。見つけていただきたいと思います。今日から奇跡が起きるでしょう。十字架、キリスト、福音、皆さん知っていらっしゃると思います。しかし、そのことばを見つけてください。

では、十字架のことばの一つ目は何か。○○派、パウロだ、アポロだ、ケパだという派閥のことを言っているわけではなく、自分自身を誇りに思い神の救いを愚かにしてはならないということです。それを見つけることが十字架のことばでした。そして、もう一つはまことの力を見つけることが十字架のことばです。十字架のことば、神を信じる私たちにとっては神の力だと言われました。そこでこの20節のところでも、私たちは伝道と言う愚かなものをもって私たちは救われると言われました。つまり、あなたがたの目ではなんとおろかに見える伝道なのか。しかし、その伝道と言う愚かな方法をとって私たちは救われるということを計画されたということです。つまり、何かと言うことです。私たちが伝道し、人のための救いの働きが世の中の人々にとっては愚かに見えるかもしれません。また、それが愚かに見える人にとっては滅びに至ることであるでしょう。その滅びの道は歴史も証明しています。聖書だけでなく歴史的にもすべてが証明されています。どうでしょうか。パウロが今そのようなことばをメッセージを投げつけているのです。皆さんが十字架の道を、十字架のことばを見つけるときに証拠が現れるのですが、特に伝道と言う愚かな祝福を見せてください。教会に通っている人々は、福音を愚かに見ているから、伝道のことも愚かに感じています。「伝道?それですべてが成り立つのか?」と言います。しかし、そのように疑問に思っている人にとってはすぐに答えが出てくるでしょう。なぜなら、弱いものをとおして本当に高ぶっている者たちを辱めると言われました。

24節はどのように記録されているでしょうか。「ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです」。十字架のことばを見つけた瞬間、神の力、神の知恵が見つかることになります。このような部分が世の中に足りないので、世の中は苦しくなってしまいました。全国と世界のレムナントの皆さんにお願いします。では、勉強は二の次でいいのですか。そういう意味ではありません。では、実力も二の次ですか。違います。では、怠けてばかりでいいのでしょうか。違います。皆さんは本当に勤勉に働いていください。しかし、優先順位を変えて働いてほしいということです。キリストの力の中で。祈りの力の中でやってほしいということです。祈りの力なしで勉強して成功すれば霊的問題が伴います。それは担いきれない霊的問題です。解決策がありません。キリスト、イエスによって勉強することに生涯をかけて欲しいです。霊的な力を持って技能やテクニックを磨くことにオールインしてください。それらはまた別の力です。それらの力を持って世の中の人々と学んでください。一番気をつけなけなければならない部分です。十字架のことば。

3. 十字架のことばは、まことの救いの証拠を探すことだ
 では、十字架のことばの第3番目は何でしょうか。それはまことの救いの証拠を見つけることです。神はある者をいない者のようにするため、無に等しい者を選ばれたのですというのは、ある者は全部なくしてこうさせるのかと解釈してはいけません。単なる無知な者だけを選ばれて、本当に知識のある者、賢い人たちを恥ずかしくさせるのかと言う意味ではありません。違います。これはどういう意味かと言いますと、私たちの救いの道は人間の力によるものではなく、ただ神にあるということです。そこで誇りに思うのはキリストを誇りに思うようにと言うことです。キリストによって、神によって、キリスト、イエスの内にあるのです。キリストは私たちにとって神の知恵となり、義と清めと贖いとなりましたと言われています。そこで誇るものも主を誇るということです。本当に世界を変える人は人間の力ではなく、神の力によります。人生の本当の変化は神による変化でなければなりません。これをまことに本当に悟ることが十字架のことばであるということです。今日の十字架のことばを契約とし皆さん握っていただきたいと思います。世の知恵によって私を、地域を、時代を生かすことができません。

 私は先週、日本のレムナント集会でこのような話をしました。そして、日本人の方にお話ししました。日本人の皆さまは祈ってくださいと言いました。日本は本当に偉大な国です。韓国とは比べ物にならないほど偉大なる国です。私が思うには生活全般、すべての部分、国全体から本当に優れている国です。しかも、絶対に人のことを騙しません。食品ひとつにしてもそうです。韓国は料理を食べても、なにか騙されたのかなと言う気がするのですが、日本は違います。それくらい先進国だということです。日本は技術の部分も本当に世界トップです。韓国よりはるかに先に行っています。だから、ひとつのことだけに注意してほしいのです。日本はただ一つだけ欠けている。すべての偶像崇拝のために祈らなければ日本を生かすことはできません。なぜなら、人間を殺し生かし、国を滅ぼし、また栄えさせるのは神しかいない。だれもわからないのです。ローマは誇りました。ローマは1日でできた国ではないと。しかし、神はローマをどうしましたか。あの帝国イギリス、永遠だと言われていました。だれが滅ぼしたのでしょうか。エジプトは昔どうだったのでしょうか。偉大なる国でした。しかし、神はどうなさいましたか。そこで救いが神の手にあるということを証明させなければなりません。
  
結論
 皆さん、今日の内容すべて忘れて結構です。今日のメッセージのポイントは十字架のことばです。皆さん、十字架ではありません。十字架のことばです。十字架のことばを見つけてください。見つけた瞬間、御働きが起きます。結局、人間の争いも分裂も、分離もどこから生まれるでしょうか。自分の自己主張からです。自分のちりからです。誇りに思うすべてを捨てなければなりません。これらの部分について見つけるならば、韓国、世界の教会問題はすぐに解決されるでしょう。すべての呪いは離れていきます。すべての暗闇の勢力もなくなっていくでしょう。確実にそうです。十字架のことばを、十字架の力を発見する瞬間、神様は皆さんのビジネスを、皆さんの私生活全般を見守ってくださるでしょう。しかも、この救いは知識にあるのではなく、神の手にあるということを知るならば、霊的にも勝利を治めるようになると思います。これらを勉強しないでくださいということばではありません。知識があってはならないということばではありません。そうだと思いませんか。今日の十字架のことばを握る瞬間、皆さんの霊的問題は解決するはずです。十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。私がいた教会はとても喧嘩をする教会で、教役者たちが赴任してきたときには牧会が成り立たないほどの教会でした。私が生まれ育った教会は、いつもいつも教会が喧嘩をするのを見ました。つまり、どれぐらいひどいかと言うと、口げんかは当たり前で、体を張った喧嘩もしました。昔はこのような椅子がなかったので、床にそのまま座って礼拝をささげていました。それで献金袋を回す時に袋をひっかける棒があるのですが、その棒を持って殴る人がいました。子どものとき、ある大人が教会の座布団を投げて喧嘩をするのを見ました。今は自分の得意は喧嘩だからそのような人がいたら叱るかもしれませんが、昔は子どもだったので見るだけでした。ある教会は人間主義の教会でした。本当にひどいほど。私はそのような教会の中で日曜日、安息日ではなく労働の週でもありました、その間に挟まれて人目を気にしなくてはならなかったので、私はそんな喧嘩をして人間主義を使う教会で人目を気にして気を使っていたから、もう夜になると足が震えるくらいでした。ある教会は牧師先生が勝手に教会を運営する教会でした。牧師先生が自分の気に入らない人がいれば追い出してしまったり、長老も追い出してしまったり、それでいつも喧嘩をしていました。次の教会は私は副牧師を長い間、していたのでいろいろな教会を見てきましたが、ある教会は長老が教会を仕切っているところでした。ある教会はまたなにもやらない教会でした。だから、みな他人事です。教会のことをなにもやりません。子どもたちがどうであろうと。後の教会は派閥が生まれるほど争っていました。みな教会に来ても恵みもなければ祝福もなく、みな滅びてしまう。これは違うと思いました。

皆さん、十字架のことばです。一度だけ体験してください。一度の体験、カルバリの丘の体験をしてみてください。人類の罪のために、すべての問題を解決するために十字架にかけられました。そのカルバリの丘の十字架の体験をしてみてください。そのあと、その方がオリーブの山で与えられた約束、そして、その約束を握って祈ったとき、マルコの屋上の間で起きたことを。そして、パウロに出てきたダマスコの祈りの答え。このように1度だけの体験で良いと思います。そして、神は私たちに世界福音化の約束をなされました。すべての民族に行きなさいと言われました。私はあなたがたといつもともにいると約束されました。すべての民に行きなさい。地の果てにまで行きなさい。聖霊の満たしを与えられると言われました。力がないということはご存知の上にそう言われました。証人になりますと言われました。そう約束されたのです。皆さん、ことば見つけてください。十字架のことば。十字架の道です。本当の答えが出てきます。自らサタンの道を作っておいて祈って「答えてください、主よ」といくら言っても、それは意味のないことです。十字架のことばを、メッセージを握ってください。サタンは退いていくでしょう。皆さんのビジネスに毎回サタンが訪問してきたのであればどうなるでしょうか。なにもビジネスが成り立ちません。サタンはこうです。吠えたける獅子のように食い尽くすものを探し回っていると言われています。いわばこんな感じでものすごく目を開いて注目しながら食い尽くすべき者を探しているということです。つまり、皆さんをそんな形で騙そうとしているのです。神の子がこの世に現れたのは悪魔のしわざを打ち壊すためであると言われました。神は言われます。あなたがたに打ち勝つ権威を授けたと言われています。皆さん、目をよく開いて見てください。答えは来ています。十字架のことば。つまり、キリストの十字架の道です。十字架のことばを見つけてください。見つけたものには今日から答えの日になって行くでしょう。この祝福を味わっていく1週間であるように主の御名でお祈りいたします。

(祈り)
神様、感謝します。そして、賛美をささげます。私たちにキリストを与えてくださり感謝します。十字架のことばを見つける祝福の1週間となりますように。そして、人生が新しくなりますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン