20140608 インマヌエル教会聖日2部


勝利の確信
(Ⅰコリント10:13)

序論
 私がちょうどお昼休みのときに、事務室から見渡すとテーブルの上に日本語圏、中国語圏のものが見えました。私はそれを見て、ああ、神様ならどのように見ておられるのかと思いました。なぜなら、イエス様は一番最後に、あなたがたは行って、あらゆる民族を弟子としなさいと言われました。この世の終わりまで、私はいつもあなたがたとともにいますと言いました。確信しています。皆さんに確信がなければ、まず最初にサタンにやられてしまいます。サタンは皆さんに勝てないことをよく知っていますから、皆さんが揺れるときに攻撃してきます。Ⅰペテロ5:7-8、あなたがたの思い煩いを主にゆだねなさいと言われました。それとともに、あなたがたの敵であるサタンは食い尽くすべきものを探して回っている獅子のようだと言いました。皆さんはときには頭の回転が悪くなるときがあります。確信がなければ、肉体の病気も生じたりします。しかし、皆さんが確信を持っていると、あらゆるところで勝利するようになります。

 そこで皆さんが先にすることがあります。レムナントも多民族宣教の働きをしている方々も、誰でもそうです。皆さんが一人の時間、10分、20分、30分でも構いません。深い時間を持つようにしてください。いつでもこの時間から持つようにしてください。皆さんはこの順序を変えてはいけません。深い時間を持って、皆さんが力を得なければなりません。必ずそうなるようになっています。このような力を得れば、ここからまた答えも得られます。このとき力と答えを得ると、その中からまことの幸せがあふれるようになります。これが祈りです。皆さんはこれを持ってビジネス現場に向かいます。この力を持って皆さんの学校に向かいます。この祝福をもって皆さんのすべての現場に入ります。これは本当に重要です。このような部分を持っていきますと、そのうち変化させるときが来るのですが、これを見て国だと言います。そして、これを継続していると今度は自分を超えられるようになります。これが25時です。自分を超えてしまうからです。このときから、奇跡が起こるようになります。皆さんが必ずこれを味わい、この力を持って勉強したり事業をしたり現場に行って生かすようにします。

このときに私たちにとっての重要な答えが来るのですが、その内、私たちは確信を持って行きます。すべての民族も文化も異なるように見えていても、魂は同じです。あらゆる民族に対して、救われているものだけに神様から与えられているものがあります。ここに対する確信がなければいけません。その確信、一つ目は何でしょうか。私たちが一番先に確信を持たなければならないことは何でしょうか。

1. 救われた者にくださったことに対する確信
救いの確信です。私は神の子です。どのように知りますか。エペソ1:3-5を見ると、世界の基が置かれる前から私たちを救われると言われました。その証拠はあるでしょうか。Ⅰヨハネ5:11-13。証拠はこれだと言われました。御子を持つ者にはいのちがあり、御子を持たない者にはいのちがないと言われました。皆さんの心からの感動が基準ではなく、皆さんの内のキリスト、それを知る瞬間、このような答えが来ます。私はあまり感動しないと言う人、それはその人の性格です。しかし、それが基準になって救われないということはありません。私はすごく涙が出ると言う人は、その人が泣き虫だからです。それが証拠ではありません。証拠はこれです。御子を持つ者はいのちを持ち、御子を持たない者にはいのちも持たないと言われました。
そして、2つ目に必ず確信すべきことは、いのりの答えです。つまり、祈りの答えの確信です。ヨハネ14:14に私の名によって何でも求めなさいと言われました。イエスの御名で祈り求めているのに、答えられないのは違法でしょう。ヨハネ15:16、何でも祈りを持って求めなさいと言われました。そして、Ⅰヨハネ5:14には、神の御心にかなっていれば神様が答えられると言われました。皆さんが祈っているのが神の御心でないからそうであって、もし神の御心だったら必ず答えられます。そして、謝罪の確信です。マルコ10:45。皆さんの変わりに、イエス•キリストが十字架につけられ、その呪いを贖ってくださいました。Ⅰヨハネ1:9。私たちの罪を言い表すならば、神様は罪を許してくださると言われました。神様は救われている皆さんを導かれると約束されました。箴言3:5-6です。あなたがたの物事すべてを主にゆだねなさい。すると、あなたの道を導いてくださると言われました。マタイ28:20。私は世の終わりまであなたがたとともに行くと言われました。そして、最後に勝利の確信。Ⅰコリント10:13です。耐えられないほどの試練は与えられないし、そして脱出できる道も備えてくださる。そのうえ必ず勝利できるようにしてくださる。このような核心を持っていなければなりません。しかし、多くの人々はこれに対する確信をあまり持っていません。皆さんの場合にはこのような確信を本当に持っているのですが、普通のクリスチャンを見るとあまり持っていないことがよくあります。私はある牧師先生と一緒にあるレストランに行きました。店には聖書の一節が貼ってありました。店の持ち主は教会の勧士さんでした。私と一緒に行った牧師先生が尋ねました。「あなたは救われた確信を持っていますか」と。また「キリストが誰なのか知っていますか」と。「いや、知りません」。ですから、祈りに答えられません。そのようにして、どうやって答えられるでしょうか。ほとんどのクリスチャンがそうです。自分が今クリスチャンであることも表に出すこともできないくらいです。なぜなら力もないのです。それではいけません。堂々としてください。私は神の子どもである。そして、皆さんを見て、他の人たちは神の祝福を見るようになります。

ヨセフは恥ずかしく思いましたか。どのようにあなたを祝福されたのかと聞きますと、「主が私とともにおられるので」と言いました。ダビデを見てください。堂々と「主が私を救いだし、今まで導いてくださった」と告白しました。そのような確信を持っていると、そのような答えが来ます。一生、私たちのレムナントは皆そのように生きていくことを願います。ワナメーカーに対して「あなたは長官を務めてください」と任命しても「しません」と言いました。理由を聞くと、堂々と話しました。「私は主日、教会学校で子どもたちを教えて礼拝することを絶対に欠かすことはできません」と言いました。そこで大統領が約束しました。「その約束を守るようにしてあげる」と。このように堂々としていました。皆さんもこのような部分に対して本当に確信を持っていなければなりません。救われた者としての確信。

このような確信を持っていないときに、その隙間を狙ってサタンが攻撃してきます。Ⅰヨハネ4:18-19に、皆さんは恐れなくてもよいのに、そこを狙ってくると言うことです。また皆さんは不安になる時があるでしょうか。不安にならなくてもよいです。いや、サタンが私のことを攻撃したらどうしようと恐れる人はいるでしょうか。どんなに攻撃して来ても構いません。特に元霊媒師で戻ってきた方々、よく騙してくるのですがなにがあっても恐れることはありません。なぜならⅠペテロ5:7-8、皆さんが思い煩うとき、そのとき攻撃してくるからです。ですから、確信を持っていなければなりません。その内、多くの答えの門が開かれ始めます。

2. 伝道者の確信だ
2番目です。多民族宣教をされる方に対して与えられた伝道者の確信です。上記の1番目は救われた者の基本的な確信で、2番目は伝道者としての確信です。イエス様が約束されました。

あなたがたは行って、あらゆる民族を弟子としなさい。あなたがたは自分たちだけよく信じなさいと言わずに、あらゆる民族を弟子としなさいと言われました。マルコ16:15-20でイエス様は言われました。あらゆる民族に行きなさい。わたしはあなたとともにいる。使徒1:8。地の果てにまで行きなさい。エルサレム、ユダ、サマリア、および地の果てにまで行きなさい。証人になりなさいではありません。証人となると言われました。そして、力を受けると言われました。ここに対する確信を持たなければなりません。それだけではありません。

救われた皆さんに与えられる神様の祝福があります。ここに対する確信がなければなりません。救われた伝道者である皆さんに与えられた確信、権威があります。7つの祝福。ご存知ですよね。これはよく知っておられるから、わざわざ書きません。確信を持っていれば結構です。救われた皆さんには、聖霊様が証印をされてともにおられるので絶対に滅びることはありません。もし皆さんに不安があったとしても、それは皆さんの事情です。不安がらなくて良いと言われている皆さんが、自分で不安がるだけです。何の関係もありません。皆さんが一晩中、ひとりで不安がっているだけであって、何も差し支えありません。それは錯覚です。例えば、まったく不安がるような状況ではないのに、皆さんが不安がると言うのは精神の患いです。例えば、北朝鮮からスパイが来ないのに「ああ、スパイが来る、来る」と思い煩う人がいます。ある人はこんなぶ厚い手紙を私に送った人がいます。手紙なのに本一冊ぐらいの分量です。内容を読んで見ましたら、何月何日に屋根裏に爆弾があったとか、車の中にスパイが入って爆破物を置いた。このようなことが書かれていました。でも、まったくそんなことはありません。つまり、救われた皆さんには、御霊が導かれるからです。2番目の祝福です。聖霊に満たされて、この世に勝つ力を与えてくださると約束されました。例えば、皆さんの中にとても不安になる方、いらっしゃるでしょうか。この言葉だけを3日間続けて見てみてください。私は無駄な心配をしていると言うことを。なくなります。救われた者と4番目の祝福が何ですか。天の門をあけて、主の御使いを遣わし、皆さんを守られると言うことです。5番目の祝福が何ですか。皆さんが行く所々で暗やみの勢力が砕かれ縛り上げられると言うことです。そして、6番目の祝福が何ですか。皆さんが行くすべてのところに、神の国が臨むと言うことです。そして、最後の祝福は何でしょうか。多民族のところに行って、弟子としなさい。今日は多民族宣教献身礼拝です。あらゆる民族を弟子としなさい。本当にとてつもない、限りない祝福です。

そして、権威は12種類もあります。1万以上もこの権威はあるのですが、整理して12個です。まずは行く所々に創世記3章の問題が砕かれる。そして創世記6章が砕かれる。創世記11章のバベルの塔が砕かれる。皆さんが行く所々に使徒13章の問題が解決されます。そして、悪霊やシャーマニズム、占いにとりつかれている文化が砕かれます。全世界は偶像に陥っていますが、皆さんが行くことによってその暗やみは解決されます。それだけではありません。個人が滅びるしかない6つの問題から解放されます。それをまとめて12の権威と言います。確信を持つべきです。私はこの事実をわかってから、何も心配する必要はないと思いました。この中で勉強すれば、とてるもないことが起来ます。

3. 強固な土台10種類を確信しなければならない
どれほど多くの祝福が与えられているでしょうか。それだけではありません。皆さんには本当にとてもしっかりした土台があります。他のものでもなく、この土台はしっかりと敷かれるべきです。この10の確信があります。これに対しる確信を持たなければなりません。伝道者の皆さんは、救われた者としての基本的な確信がありますが、それだけではなくて、特別な確信があります。これは聖書でも神様は約束され、そしてイエス様も特に多民族に伝道されている皆さんに対しての特別なものです。確信を持つべきです。順番はすごくわかりやすいです。

まず最初に何でしょうか。神様です。Ⅰ歴代29:10-14。神様が私たちのすべてのいのちを主管しておられます。例えば、私はいつ死ぬかわかりません。しかし、私が死ぬ日を神様はもう決めておられます。私は神のことを信じないと言う人も、その人がいつ死ぬか、神様の中では決まっています。これが神の主権と言うことです。

2番目は何でしょうか。父、御子、御霊。この順序です。エペソ1:1-13。神の方法はキリストです。
3番目は神の力をもって私たちとともにおられるのですが土台とは何でしょうか。聖霊の働きです。順番そのままです。父、御子、御霊なのです。
4番目。神様は私たちに確かな保証を与えてくださいました。聖書のみことばです。確実にそうです。このように確実な保証を与えてくださいました。
5番目の土台は何でしょうか。Ⅰコリント3:16。御霊が皆さんとともにおられる。皆さんを神殿とされたので、だれも奪い取ることはできません。考えてみてください。王様がいるから王宮でしょう。ですから、聖霊が皆さんの中におられ、皆さんのことを神殿とされました。なにも恐れなくてもよいです。    
6番目です。使徒18:1-4。皆さんがいらっしゃるすべての現場が宣教地です。つまり、皆さんの現場で勝利するように願います。もし皆さんがどこかに行って働くのなら、他の人よりも10倍以上働いてください。現場で成功してください。また、祈りながら、祈りの力をもって学業の上でも最善を尽くしてください。こちらにはRGSの方たちがいるのですが、最高のものを作って下さい。そうすればよいです。すると、自分のいる現場が宣教地になります。何が本当に恐れることがあるでしょうか。確実な土台があります。この土台は揺れるようなものではありません。
7番目。詩篇139:1-9。ある人は「私は悔しい」とよく言うのですが、私たちの座ることも立つことも、すべてのことを主が治められます。
8番目です。ヘブル9:27。一度死ぬことは人には定められています。その後、必ず裁きがあります。皆さん一人も除かず全部、時限付きの人生です。私もそうですし、皆さんもそうです。ただし、日付がわからないだけです。知らないほうがいいでしょう。しかし、私たちは間違いなく一度は死にます。知らないだけです。がんに罹っている人に、あなたは時限付きの人生と言うのですが違います。皆がそうです。勝手に変えることはできません。一度は死ぬしかありません。皆さんが死ぬほど頑張って稼いで集め、献金しないで集めたものも持っていけません。ある人は本当に死ぬほど働いて稼いで隠しておいても、結局は天国に行くときは手ぶらです。ある人は、一生懸命稼いで子どもに遺産として残すのですが、子どもたちをダメにする道です。ある人はさんざん稼いで保険もかけていたのですが、死んで妻が遺産を持ってすぐに再婚をしてしまいました。見るに、死んだその人だけ損ではないでしょうか。そんな愚かなことがあるでしょうか。さんざん稼いで献金もちっともできないのに死んでしまった。私が知っている人で、お金も本当によく稼ぐ人で、いいときにはガソリンスタンドを20カ所も経営していました。これは全部現金ですから、夕方ぐらいになるとそれが全部集まってきます。本当にお金をたくさん持っていました。あまりにも多すぎて計算もできないくらいでした。不思議なこと献金を一銭もしません。教会がどんなに困難に遭っていたとしてもしません。おかしな人です。そうするうちに死んでしまいました。その財産を持って子ども同士で喧嘩になってしまいました。どれほどの争いかというと、敵になるくらいでした。お互いに兄弟同士で告発して結局、皆滅びてしまいました。本当に愚かだと思います。一度死ぬことは人には決まっていて、そのあと裁きがある。
 9番目の土台です。必ず地獄と天国があって、つまり来世があります。今まで完璧に成就された神のみことばですから、わざわざ行かなくても信じるようになります。私は今まで死んでいく人をたくさん見ました。救われた人と、救われていない人がいるのですが、死ぬ直前になると自分も無意識にいろいろなことを言い出します。今から、皆さんも練習しておいた方がよいと思います。死ぬときに無意識に言ってしまいますから。ある人は無意識に不平不満をこぼしながら死んでいく人も見ました。皆さんの周りには孫までいるのに、悪口を言うのではなく、神に感謝しますと言うべきです。本当に不思議なのは、救われた人は皆同じことを言います。天国が待っているからです。神は私を迎えてくださって、御使いたちが私のために迎えに来て賛美をささげると、すごく明るい顔をして言います。顔が天使のようです。しかし、反対の救われていない人は顔がぐしゃぐしゃで、私は行きたくない、行きたくないと苦しい顔に変わります。行ったことはありませんが、そのように死ぬ場面を見ると分かります。ああ天国と地獄があるのだと。しかし、聖書を見るとそれはあると言われています。今まで完璧に成就された神のみことばによりますと、皆さんにとって死ぬ日は必ずあって、天国も地獄もあると言われました。
10番目の土台です。マタイ10:40-42。伝道するためのものは水一杯をも報いは失われないと言うことです。では私たちにある試練があったらどうなるでしょうか。この世の中でもパウロのように試練に遭ったとき、ユダヤ人からの迫害、ローマからの迫害がありました。そして教会の信徒たちが無知でした。パウロに対して「あの人はイエス様とともにいなかったから使徒ではない」と言い出しました。そのときパウロが言った言葉です。耐えられないほどの試練にあわせることはしない。それも避けられるように道を与えてくださる。そして、必ず勝利するようにしてくださいます。

もしかすると、大きな試練に遭っている人がいるでしょうか。その人は大きな器です。本当に話にならないほどの大きな試練に遭っているでしょうか。その人は本当にとてつもない器を持っていると言うことです。人には器と言うものがありますから、器によってそれぞれ試練があります。もしも大きな試練でしたら、その跡は大きな祝福が備えられています。どうしてわたしはこんなに大きな試練に遭うしかないのか。その人が大きな器の人だからです。私はこんなにどうしてしつこい試練に遭わせるのか。その人がすごいからです。だれが小学生の前に大学生が受ける試験問題をあげるでしょうか。私たちに耐えられないほどの試練も与えないし、そして脱出の道も備えてくださいます。昔、神社参拝をしなかった牧師の祈りがあります。「神様、今日歩む私の道で日本の警察官と会わないようにしてください。もし会ったら避けられるように道を開いてください」と祈りました。そして「もし避けられる道が無かったら殉教させてくださいますように」と祈ったそうです。皆さんの前にどんなに大きな試練が来ているように見えていても、神様は必ず耐えられるようにしてくださり、また耐えられなかったら脱出できるように道を備えてくださると言うことです。

結論-本当に祈りの答えを受けようとするなら
最後の結論です。このように確かな祝福がありますが、私がまことの祝福に預かるために私はどうすればよいでしょうか。もしかしてこの中に「私はなぜ祈りの答えがないのか」「私は大いなる答えに預かりたいけれどもどう知らよいでしょうか」という人はいますか。
基準を変えればよいです。これを指して一心だと言います。皆さんはまことに答えに預かる人ですから、私の水準ではなく神の基準によって行ってください。自分の考えによるのではなく、神の計画によって動いてください。こうして皆さんが基準を変える瞬間、神様の御働きが起きます。韓国教会がなぜこんなに大きな試練に遭うでしょうか。基準が神の基準ではなく、肉の基準だからです。ですから、よく試みに遭ってしまいます。いろいろなことを作って、いろいろなことを積み重ねようとしていても、それは全部肉の基準です。そこでいろいろな争いに巻き込まれます。例えば、教会の中で後継者を立てるときに、「あの人は息子だけれども本当にそこにふさわしいです」と話し合っての結果だったらよいのですが、そうではなく無理やりに牧師が自分の息子を立てようとするから結局、問題になってしまって崩れていきます。皆さんの基準を変えなければいけません。肉の基準だけを持っていては、とてつもない神の基準を見ることができません。以前、広州イェル教会の牧師先生が私を訪ねてきてくださいました。長老がいろいろ話し合って、自分の息子を後継者として担任牧師に立てようとするのですが、私としてはとても両親に引っかかりますと言われました。そのとき私はこのように話しました。もし教会の信徒たちが望むことがあなたの息子を牧師として立てることであるならそれは最も聖書的であり、信徒たちが望むことが牧師の息子でないならば、牧師の息子を立てることは最も非聖書的ですと言いました。複雑でしょうか。この牧師先生はすぐにわかりました。私たちの基準をどこに置くべきでしょうか。これを指してキリストだと言い、一心だと言います。刻印されたことを変えれば奇跡が起こります。これを指して神の国だと言い、全心だと言います。どういう意味かおわかりでしょうか。私たちの力では限界にぶつかります。ですから、力を変えなければなりません。それを指して使徒1:8だといいます。これを指して持続だと言います。

一心、全心、持続。私たちの基準を変える日、暗やみの勢力は崩れるようになっています。私は火の中を行くことができ、水の中にも行くことができます。なぜなら、そこにも神様がともおられますから。だれも止められません。アン・イスク夫人の告白です。牧師夫人でした。本当にすごい告白をしました。私は火の中にも行くことができます。そこにも神様がおられますから。だれも止められません。私は目が開いて見ない方がよいです。クロスビーの祈りです。だれも止められません。基準をどこに置いたでしょうか。変えました。そうだと思いませんか。兄たちが自分を売って、そして、神様は私を導かれたと言いませんでした。でも、本当にそうなのに、そのようには言いませんでした。「よし、あとで見ていろ。私を売ってしまったのか」と言うべきなのに。でも、基準が異なっていました。どのようにしたでしょうか。総理になって、神様が私を先に送られたと言いました。いつもそのような基準で生きていました。エジプトという大きな国の総理ですから、ものすごい地位です。だれが一番恐れたでしょうか。たぶん、ポティファルでしょう。一番恐れる人はポティファルの妻です。その妻のせいで刑務所に入れられたでしょう。この人が総理になりました。単なる総理ではなく、王が「私の民をあなたの好きにしなさい」というくらいに。それを聞いたその妻はどんなに恐れたでしょうか。本当にハラハラしておびえたでしょう。聖書をわたしがどんなに読んでみてもその妻を呼び出したことがありません。もし私だったら一番真っ先にその妻を呼びつけたかもしれません。それでもその夫人はひとつはよくやりました。つまり、ヨセフに惚れたということは人を見る目があったと言えます。ヨセフは基準がそのようなところにはありませんでした。ダビデ言ったことをみてください。「私にはよろいなどいりません。私はただ行きます」「戦うことができるのか」「主なる神は私を獅子からもクマからも救い出してくださいました。主をなぶった者から私を救い出してくださることを信じています」そして、行って言いました。「あなた剣と投げ槍を持って私に向かってきたが、私はあなたがなぶった主の名を持って向かった。私のこのいのちが剣にあることではないということを私は証明する」命は神の御手の中にあります。すごい人です。
基準が違います。祈りに答えられる人は、どんなにイエス様を信じていても基準がずれていると答えられません。何のために教会はあんなに争うのでしょうか。基準が間違っているからです。本当にまことに基準を持っている人、救われた祝福を知っている人は、教会の信徒を見てとても大切に思い、そして、その信徒は主のしもべを見たときに大切に思う。まったく喧嘩になることは一切ありません。それなのにサタンはその隙間を狙って攻撃してきます。
結局、私たちの人生は自分に刻印されているそのとおりに終わらせます。これを変えなければなりません。これが神の国です。この先どのように答えられるでしょうか。自分の中に刻印されているそれで答えを受けます。皆さんの中の刻印をいやして行けばいいのです。例えば、皆さんが1ヶ月だけでも同じ心と中心を持って悩まずに祈れば必ずその答えは起きます。そして、1ヶ月だけでもアップダウンを避けるようにすれば、必ずその答えは来ます。
ただ、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、力を受けて地の果てにまで証人となります。これに献身する多民族の弟子となれるように祝福します。これから私たちの多くの施設をつくるときには、多民族たちが来て思う存分楽しめるようにしてください。ハレルヤ!とできるように。私は釜山でも言いました。多民族の方々が来て思う存分味わえるようにしてください。お 祈りいたします。

(祈り)
神様、感謝します。今日、聖書どおりの多民族に対する献身礼拝をささげるようにしてくださり感謝いたします。私たちの基準を変えて、神様からの大いなる答えに預かりますように。私たちの刻印を変えて、神の力あるいやしの体験がありますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。