20140629 インマヌエル教会聖日2部


安心させてくれる者
(Ⅰコリント16:18-24)

序論-90% もどかしい
 今日は、90%の人が持っている病気です。この病を見つけ出して治さなければなりません。90%の人がこの病を持っています。それはどんな病気でしょうか?
たぶん、この言葉が何を言っているのかわかる方は、周りから答えがたくさん来るはずです。様々な問題があると思います。家庭の問題も多いでしょう。しかし、この部分がわかれば、ほとんどの問題は解決されます。一体それは何でしょうか。

ある男性の執事さんでしたが、私のところまで来て相談をしました。「私は最初、リュウ・ガンス牧師先生のことを誤解していました」「何をですか」「私の妻はいつもリュウ・ガンス牧師先生の集会について回りながら訓練を受けたのですが、どうしてそこまでするのかと聞くと、教会に行って祈っていた」と言います。そこで、自分は牧師に対する誤解が解けました」と言いました。それで私は話してあげました。「あなたも長生きしたいなら、その妻を見つけようとしないでください」と。なぜなら、私はこの男性の執事さんと話を2分以上できませんでした。なぜなら、とてももどかしく感じさせる人だったからです。そのままだとその奥さんも本当に死にそうになるからです。

こうして人々がほとんど持っている90%の病気、もどかしくさせることです。自らもとても息苦しく生きる者です。子どもたちに聞いてみてください。子どもをとてももどかしくさせる親がいます。間違ったことを言えばいいのですが、そうではなくてすごく正しく聞こえるような内容で人を本当にもどかしくさせます。今、これを聞いた人の中で、同時にうなずいた子どもが何人かいます。そして、男性の方も奥さんを本当に息苦しくさせる人がいます。すると、その奥さんは絶対にある病気になるか、崩れてしまうかです。例えば、皆さんの子どもをあまりにも息苦しくさせると、どんなに正しい言葉でいろいろ言ったとしても、あまりにも苦しめてしまったら死んでしまいます。早く悟らなければなりません。どうして私の夫はこんな風にするのか。本人はまったく気づきません。だから、悟らなければなりません。相手をそのように重くもどかしくさせてしまったら、相手は生き延びるために逃げ出します。祈るか、本を読みだすか。このように逃げ出します。人々は想像以上に知りません。

そこで、今日パウロはいろいろな人物を紹介しながら、何の話をしたでしょうか。安心させる者と言いました。これは普通の言葉ではありません。私たちを安心させる者です。私たちを本当に重苦しく、息苦しくさせる人々がたくさんいます。例えば、同じ職場の同僚でも人のことをすごくもどかしくさせたり、息苦しくさせたりする人がいます。その本人は早く悟るべきです。私は食堂を出してもすぐに閉じてしまう店がどの店か分かります。特に慶尚道という地域の人々は、お客さんが入ってきてもすごく不愛想な顔をします。田舎の忠清道の人々は、見向きもしません。こちらが「こんにちは」と呼んでもしばらくあってから「はい」と言います。もっと腹が立つことは、クッパ一つ注文しても、どんなに待っても出てきません。もしかして注文し損ねたかと思い、もう一度話をしても「はい」というだけで出てきません。それくらいになると、料理が出てきたとしても心の中ではぶちぶち言いながら「絶対に次はこの店には来ないよ」と思いながら食べるはずです。しかし、本当に商売上手な人々は勤勉に誠実に前もってきちんと準備をして、注文を受ければ5分後には出すようにします。何の話かといえば、食堂でもお客さんのことをもどかしくさせるお店には行きません。レムナントたちは気を付けてください。皆さんはこれからいろいろと社会生活をしなければなりません。
1)レムナント7人は違いました。何と言っていたでしょうか。「兄たちが私を売ったのではないので心配しないでください」。本当に福音を持っている方は違います。「神様が私を先に遣わされました。ですから、何も心配しないでください」。普通の人だったらすぐ傷つけられていたはずなのに、このヨセフは本当に人を安心させるものでした。パロはそのようなヨセフを見て「私はこれほど主に満たされている者は初めて見た」と言いました。牢屋に閉じ込められているヨセフを呼び出して言いました。「あなたはあんなにも夢を解釈できるのか」と。もし私だったらこのように言うはずです。「はい、私の専門です」と。そう言ったはずです。ヨセフはそのようには言いませんでした。「神様は王様を愛されているので、こうして夢を見させたのです」。どんなにすばらしいでしょうか。「それで神様が私に悟らせてくださったので言うことができます」と。これを聞いた王様も本当に心がすっきりして「私はこれほど主の霊に満たされた人を見たことがない」と言ったのです。未信者でもそうでした。

福音を悟って成功している人は次の段階も異なります。とても爽快にさせる人です。あのような危機に遭ったりすると絶対に試みに遭うはずなのに、そう言いませんでした。「主は私の羊飼いであられるので、私はなにも乏しくない」と言いました。
2)そして、イスラエル民族が福音を悟れず捕虜とされたときを見てください。この捕虜時代の人たち、シャデラク、メシャク、アベデネゴ、ダニエル、エステルなどの代表的な人物たちは、爽快で安心させる福音を持った人々です。王も生かし、世の中も生かしました。
3)初代教会の中でも最も民の心を安心させたり、神様と疎通してた人はパウロだと思います。牧師も長老も死に物狂いで戦っている名誉、お金も、パウロは全部ちりあくただと言いました。だれも止められません。レムナントたちは当然、成功しなければなりません。しかし、その程度はちりあくたです。そうだと思いませんか。国会議員もできます。しかし、福音の前ではそれはちりあくたです。お金も儲けることができます。しかし、神の栄光の前ではそれはちりあくたです。このくらいに安心させるものでなければなりません。皆さんにそのような祝福がありますように願います。
4)今日はいろいろな人物を紹介しました。テモテ。今日、紹介しています。テモテに対してはわが子よと言いました。その次に、アポロを紹介しました。誰ですか。あのアレキサンドリア出身の伝道者です。ステパナ。この人はコリントの手紙を伝えた方です。アカイコ、ポルトナト、同じく仕えている人でした。またプリスキラ、アクラ。このような人物が出てきます。今日、皆さんよく考えてみてほしいです。皆さんが神様と通じる者として心を安心させる者となるべきです。

1.まことの福音を味わった者
まずどんな人でしょうか。真の福音の味を味わった人たちです。皆さんも、今日、真の福音の味を味わってみるように願います。何でしょうか。
1)使徒1:1、テオピロよ、わたしは前の書で。この言葉は、キリストです。この味を味わったわけです。聞いた者ではなく、知る者ではなく、この味を味わった者です。全国、世界の牧師、主のしもべたちは記憶してください。福音の他の色を出している教会や聖徒は全部、災いをもたらします。サタンが知っているからです。最近同じクリスチャンとして恥ずかしいです。韓国の大型教会は本当に喧嘩だらけになっていますし、あんなにも勇敢だった長老が自殺してしまったりで本当に大騒ぎです。恥ずかしく思います。なぜそうなのか分かりますか。今日の1部のメッセージでも言いました。キリストの答え以外の他のものを握ってしまったら、そこに災いが臨むようになっています。未信者は知らないので当然ですが、信徒がそれを知らないということは本当に悲劇です。この味を味わったということは、何も問題になることがありません。そんなに欲を持つ必要もなく、すべてを終わらせたイエス・キリスト。同時に「テオピロよ、わたしは前の書で」という言葉は、神の国以外の能力が必要ないということです。ただ、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、力を受けて地の果てにまで私の証人となります。これを見た者たちです。レムナントたちも本当にこの味を味わっていけるように願います。

どのように見るのでしょうか?皆さんがそのとおりだと信じれば、そして、皆さんがそれを慕えば神様が働かれます。本当に簡単です。一度もこの味を味わえず、何代目かのクリスチャン家系だったのですがそのまま死ぬ人がいます。かわいそうです。信仰生活をとても立派にしているように見えます。自分の人柄がそうだから。しかし、災いは入って来ます。これがわかる人たち。
2)イエス様は語りました。滅亡される時刻表があるということを教えられました。紀元70年、イスラエルは国が失われ2000年間もさまよってしまうことを教えられました。今がチャンスだということを知っています。10人の皇帝がキリスト教を迫害したのですが、反対にローマが崩れてしまいました。このような契約を知っている者たちです。ですから、なにももどかしく思う必要ありません。神様が本当に安心させて爽快にさせるからです。
3)これらの人々は、神様の時刻表を見た者たちです。だから、何も心配することがないです。今日、皆さんはこの契約を固く握って帰っていただきたいと思います。簡単に言えばこれです。使徒の働き1:3を見ていないからです。味を味わって見なければなりません。すると、それで終わりになります。この味わった中で、学業、ビジネスも始まらなければなりません。

2.未来を見た者
ましてや彼らは本当に揺れずに、逆に人たちを生かして安心させている理由は何でしょうか。未来を見た者たちだからです。

今朝も説明したように7人の人を紹介しています。Ⅰコリント16章には7人の人が紹介されています。テモテ、アポロ、このひとりひとりを紹介した言葉です。アポロはご存知ですよね。そして、あまり知られていない人物、ステパナ、ポルトナト。よく知らない人物ですが、知らなくてよいです。試験にも出てきませんので。しかし、その意味は知っていなければなりません。またアカイ。これらの人々は皆仕える人でした。特に研究してみるとポルトナトという人は、パウロの手紙を矯正していました。その中の誰を紹介したでしょうか。プリスカ。よくご存知ですね。アクラ。これらの人々はどのようにして命をかけて自分を献身することができたのでしょうか。未来を見た者たちだからです。今の時代と違って、当時、この手紙を持って行くためには、大きな巻物を作ってリヤカーのようなもので運ばなければなりませんでした。それも3つあったのですが、ひとつは強盗に遭い奪われました。それも彼らが見てはいけないものが強盗によって奪われたのです。そこで、次の世代がこれをまとめて記録するときにⅠコリント、Ⅱコリントの手紙となりました。強盗がこれをどのように奪って行ったのでしょうか。強盗が人のものを取るとき、どのように奪って行きますか。「こんにちは。これください」と挨拶しますか。「さようなら」と言いますか。状況によって違います。あるときは人をすぐ殺してしまうときもあります。状況によって異なります。また人が多いときにはそれを奪い取って逃げ出します。あるときはどこかに閉じ込めてしまいます。そして、どのように死ぬかもわかりません。状況によって違います。そんな時代での手紙。これをステパナ、ポルトナト、アカイコが伝えました。聖書の研究を見ると、アカイコという人は奴隷出身でした。しかし、彼らは力を合わせて何をしたでしょうか。この手紙を伝えました。そして、プリスカ、アクラは夫婦だったのですが、パウロのために一生、献身しました。何をでしょうか。未来を見た者たちです。
1)使徒2:17-18、聖霊に満たされるとどうなるでしょうか。将来のことが見られます。そして、幻を見て夢を見ると言われました。皆さんがこの契約を握る瞬間、神様は皆さんの未来を間違いないく見せてくださいます。
2)マタイ24:14、そしてこれを知っていました。すべての民族に福音が証されたときに終わりが来るから、何も心配するなということを。イエス様の約束です。あなたは地の果てにまで行く。そして、あらゆる民族に行きなさい。全世界の人に。これは主からの約束です。この契約を握ったわけです。私たちの教会はこの先どうなるか。全国、全世界はどうなるか。なにも心配する必要ありません。未来を知っていたからです。
3)そして、何でしょうか。特に最も重要なことはローマの入り口であるコリント地域、マケドニアの地域すべてを知りなさい。ですから、教会も主のしもべも、その地域の神様に対しても安心させる者でした。

3. 自分自身を超えた者
3番目です。この人々はだれでしょうか。自分自身を乗り越えた者たちです。私たちは自分のことをよく乗り越えられません。心配する必要ありません。自分自身を乗り越えた者たち。なぜでしょうか。
1)証人です。証人は誰でしょうか。見た者が証人です。何でしょうか。持っている者は証人です。持っていて味わう者は証人です。ですから、自分というものに縛られずに超越してしまいます。

私は皆さんの愛によってここで20年間、伝道運動をしてきたのですが、数ヶ月しか経ってないような気がします。実は私は何もしていません。しかし、皆さんはここで祈って献金して、世界中の働きのために伝道運動をしています。申し訳ない気がします。ある現場に行ってみました。伝道師たちが自分たちで集まって伝道を熱心にしていました。「どこの教会ですか」と聞いたら、「インマヌエル教会です」と答えられて、「ああ、私の水準はこの程度か」と思いました。全然、わかっていません。自分の教会の信徒でありながら、私はそんなことも知らずに尋ねてしまったのです。そのように、あちこちに散らされています。皆さん、この言葉は本当に重要な言葉です。
2)皆さんの主人はキリストであるために、絶対に皆さんのことを崩すことができません。そうだと思いませんか。
3)ピリピ3:1-20、パウロの告白を聞いてみてください。私自身を超えたという話は何でしょうか。すべてをちりあくたとしたのですが、その理由はキリストに捕えられようとしているから、つまり、キリストがわかったからです。ただ捕えられようとしているということは何でしょうか。キリストに用いられることを望んでいるということです。皆さんの生活の中で、仕事にキリストの祝福が臨まれればそれで終わりです。キリストの中にあるそれを捕えようとして行く。つまり、自分の浅い水準を超えたということです。そして、何でしょうか。上に召してくださる栄冠を得るために。この時、どういうことが起きるか分かるでしょうか。すべてを服従させる、ひざまずかせる主の働きが起きます。このような祝福が皆さんにありますことを祝福します。

結論(詩篇5:3)
皆さん、説教を聞いてみましたら難しく思いませんか。私の説教がいつもそんな感じです。ではここで簡単に結論を結びましょう。
1)反対に皆さんは今日、神の前で神のことをもどかしくさせる自分を発見しますと、その後、奇跡が起きます。皆さん、神のことに対してもどかしくさせる部分があるので、それを見つければ奇跡が起きます。

例えて見ましょうか。神を信じると言っているのに、まったく信じていません。誰がしょうか。アブラハムです。すべて全部捨てなさいと言われて捨てました。しかし、すべてを捨てたわけではありません。自分のために自己中心的に、甥も捨てず連れて行きました。ずっと問題になりました。どれほど神のことをもどかしくさせたのかわかりません。「わたしはあなたとともにいるよ」と言ったら、「アーメン」と言っておきながらそうしません。私たちもそんなことをよくします。「アーメン」と最初から言わなければよいのですが、「アーメン」と言いながらも信じません。外側の人から見るとよく信じているようには見えます。なぜなら、生まれ故郷、父の家から離れて行ったからです。しかし、本当は捨てきっていません。内心、不安があります。私はどこで生きればいいのかと。私の子孫は空の星のように増えてくると言うけれども、私の妻を見たらあんな感じだと。私には一人も子どもがいなくて、妻は本当に年を取ってしまっているのにそんなことができるのか。そこで自分の頭を回すわけです。自分の甥を連れて行きました。正直に言って、まだ私には子どもがないので、あなたを子どものように責任を持っていきたいと言えばよいのですが、そんなことは言わずに頭を回して連れて行ったのです。こうしなさい。ああしなさい。アブラハムは頭ばかり回し、そのうちアブラハムは悟ります。ロトがアブラハムから離れてしまったと。そのとき、アブラハムは樫の木の下に祭壇を築きました。その時から真の答えが始まりました。つまり、神の心を安心させる門が開かれ始めました。聖書を詳細に見ていただきたいです。
2)今日から皆さんは挑戦しましょう。どこに。できないというそこに対して挑戦しましょう。他の人が見られないことに挑戦してください。行けないというそこに挑戦しましょう。簡単に言えば、どこでしょう。不信仰に挑戦しましょう。レムナントは覚悟を決めてください。私がこの家系を生かしていく。そのような挑戦はいくらでもOKです。自分の傷などでもどかしかったとしても、そこから抜けだした私たちは家系を生かしていくことは当然、可能です。
3)私は世の中を生かす。これが主の約束です。あなたがたはこの世の光だと言われましたので、光としてこの世を生かすべきです。

 私はとても苦しみの中にいるのですが、どうしたらいいですか。つまり、このもどかしさの中に閉じ込められてしまいました。今日、そのすべてを捨ててください。すると、真の答えが来ます。私の両親はどうで、家庭の事情はどうで。すべてこの中でもどかしさを覚えているでしょう。90%です。しかし、皆さんはそこから抜け出して神様の契約を握れば、神様が大きな奇跡を起こしてくださいます。

私はいまだに韓国を生かしている人の中で記憶に残るのが、ソン•ヤンウォン牧師のような人です。本当に大した人です。日帝時代のとき神社参拝を反対した人です。教権主義者たちは神社参拝に対して賛成してしまいました。チュ•キチョル牧師、ソン•ヤンウォン牧師は反対したので、刑務所に入れられました。偶像崇拝をしないということで。話になりません。また、刑務所から死なずに出てきました。そのあと6.25戦争が起きました。これが韓国でした。6.25戦争の時どうなったでしょうか。ソン•ヤンウォン牧師は全羅道の田舎で小さな教会の牧会をしておられました。今でも心配になっていることです。共産主義者たちが攻めてきたが、近所の青年が赤い帯を締めて、イエス様を信じているということでソン•ヤンウォン牧師の2人の息子を殺してしまいました。北朝鮮から来た人ではなく、近所の若者2人が共産主義に染まってしまい殺してしまいました。これは人を殴ってミスして殺したのではなく、本当に殺すつもりで殴ってそうなりました。しかし、ソン・ヤンウォン牧師先生は逆に自分の息子2人を殺した若者を訪ねていって許し、自分の息子としました。その若者2人もソン・ヤンウォン牧師先生を自分の父親のように仕え住んでいました。その後、韓国を生かすことになりました。

本当に皆さんの答えは、大きなところではなくて小さなところから始まります。皆さんも知らない間に、人をもどかしくさせたり、人を息苦しさの中に閉じ込めている場合は、自分が病んでしまいます。しかし、私たちは神を信じる者たちであって、神様の子どもです。パウロは結論を出しました。安心させる者でした。今日、皆さんはこの祝福を味わうようになることをイエス様の御名で祝福します。

結論として一つだけ、見つけ出せばよいです。これをどんなに記録して、「アーメン」と言っても無駄です。皆さんが探し出すべきです。小さなことを見つけても大きく答えられます。質問してみてください。私はなぜ伝道運動がなされないのでしょうかと神の前に質問してください。いろいろ言い訳したのですが、よく見たらこれでした。その時から働きが起きました。私はヨンドンという地域に来てそうでした。神様はこんなにも大きな土地も建物もたくさんあるのに、どうして私たちが礼拝をささげる場所がありません。神様に尋ねてみました。私の中のこのもどかしさが突き抜け通じ合うようになって、そのときから神様が答えの門を開いてくださいました。
今日、皆さんの正しいひとつの質問によって、神様の大いなる祝福を受ける日になることをイエス様の御名でお祈りします。

(祈り)
神様に感謝します。今日がその日になるようにしてください。私たちを閉じ込めている壁が崩される日になりますようにしてください。自分も気づいていない問題の原因が解決される日になるようにしてください。私をもどかしくさせ、教会や家庭やすべてのことに渡ってもどかしくさせる壁と暗やみが崩れるようにしてください。主のしもべと現場を生かす神の民でありますように。イエス•キリストの御名でお祈りします。アーメン。