20140720 インマヌエル教会聖日1部


世の中を見る目
(Ⅱコリント4:1-6)

序論
▶各国ごとに国が建てられた時刻表は異なると思います。
韓国は昔、檀紀(だんき)何年と言う表示をしていました。日本も昭和何年と表示したりします。しかし、世界がどんどん発展するにつれてそういった表示で混乱してしまいます。これにより、日本と韓国、米国で会うときに基準となる西暦が必要となりました。例えば、韓国の言い方で檀紀何年と言えば、檀紀とは何だと分からなくなってしまいます。飛行機も飛ばなきゃならない、列車も走らなきゃならないのに、時刻表が混乱してしまいます。
そこで、フランスで全世界の学者が集まりました。そして、科学的に分析しました。信仰による分析ではなく、科学的に事実的に分析しました。今まで地球上で最も多くの影響を与えた人は誰なのか。その科学的なデータを調べたのです。当然、イエス・キリストだと言うことになりました。そして、イエス様がお生まれになったことを基準にして、年度を定めることになりました。それが今2014年になったと言うことです。イエス様が肉を持ってこの世に来られて、2014年が経ったということです。
▶地球上で一番多く読まれた本が聖書です。そこで、どんな英雄も果たすことができなかった内容が記録されています。新約聖書の半分以上は、パウロによる記録です。私はその時からいろいろな関心を持ち始めました。一体、聖書は誰の話であるのか。ああ、キリストを語っているのだね。それでは、キリストが誰であり、キリストとは一体どう言う意味なのか。簡単なことなのですが、私はそれについて深く考えてみました。キリストは油そそがれた者という意味だが、一体、キリストはどんな働きをされたのか。サタンを打ち壊した真の王として来られたために、油を注がれた者となります。私はそれを知ったときからショックを受けました。私も自分なりに勉強を、たくさんの本も読ませていただきましたが、そのときからショックが起きました。神の御子がこの世に来られたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。それを知ったときからショックです。つまり、だんだんと目が開かれ始めました。皆さんもご存知のように映画監督のスピルバーグをはじめ、マクドナルドの創始者、ニューエイジや、フリーメーソンなど、すべての背景は悪霊による背景です。時間が経てば経つほど、それは明確になっています。神様がキリストをこの世に送られたのは、すべての災いを打ち壊すために、私たちの罪を贖うために来られたのです。このことについて、深く考えたことがあるでしょうか。私たち人間は災いの中から抜け出すことができません。ですから、災いの中にどんどん陥ってしまっているのです。私はキリストを知ったときからどんどん衝撃を受けました。はたしてこの祝福をなぜ私たちが受けることになったのかということです。人々は神を見たと言いますが、それは偽りごとです。見ることはできません。神は言われました。「私は道であり、真理であり、命である。私を通してでなければ神に会うことはできない」とイエス様は言われています。私はその答えを得ました。
 ▶多くの人々がどのように思っているのか分かりませんが、私はそのキリストを味わう、その祝福の祈りをささげることになったのです。最初、定刻祈りがうまくできませんでした。しかし、あるときは、定刻祈りがうまくいったときがあります。そのときはすごく力が出てきました。それとともに、だんだんとこの祝福を味わい、もっと深い悟りに入ることになりました。この内容は奥義です。キリストは奥義だ。そして、この世の中で生きる限り、勝利するためにはこの力を常に味わうべきだと思うようになりました。神様はとても簡単で、とても分かりやすい平安な祝福を与えられたのです。この祝福はいつどこにいても味わえるように与えてくださいました。まったくそれを表に出さなくても味わえるような形でくださいました。私は驚くべき内容を悟りました。カトリック教会では、祈り方、方式がありますがそんな必要もなく、私たちはただ祈ればよいのです。イスラム教徒はどこに行ってもひざまずいてするやり方があります。祈る方式があるのです。しかし、私たちはそんなこともする必要がない。悪霊に取りつかれた人は儀式やいろいろな方式がある。しかし、私たちはそんな必要もない。ただ簡単に祈れるその奥義が与えられたのです。そして、私はその後、重要な答えを受けました。それは肉的な部分です。肉体的な部分においても、弱い部分も全部、いやされるようになりまして、本当に元気になりました。そして、祈りの奥義が分からかった昔は、なぜ生きるべきかという考えに満たされていたのですが、そのような虚しい考えもなくなりました。そして、人々が分からないこの奥義を味わうことによって、答えが出てくるようになりました。神が私たちにキリストを与えられたが、キリストを味わう祈りをささげることによって、だんだんと力を得るようになりました。このような祝福を神様が私たちに与えられたにもかかわらず、今まではそれを知らずにいました。だから、本当に無駄な教会生活、でたらめな教会生活をしていました。両親から多くのことを言われ、神学の勉強もさせていただきましたが、無駄な勉強だったと言うことに気づかれたのです。
ある日、キリストを悟ることによって、キリストは答えであるが、答えが一瞬だけでなく継続的な答えが来る。そして、実際的な力が自分に生じました。このあと私に与えられたのは、聖書が見えるようになったと言うことです。正直に言いまして、それ以前には聖書をもちろん読んで分かりましたが、奥義が分からなかったのです。皆さんも聖書をお持ちだと思いますが、聖書66巻のひとつひとつのみことばが自分に生きて働くと言うことについて答えられるようになったのです。その聖書のみことばが自分に答えにな