20140720 インマヌエル教会聖日2部


自分を見る目
(Ⅱコリント4:7-15)

序論
▶今日の1部は、世の中を見る目でしたが、2部は自分を見る目です。
皆さんはご自分についてどのように思われているでしょうか。私たちは元々、何もできないはずなのに、私はできるとすると合いません。また、反対に私はできないと言ってしまったら失望してしまいます。実は両方とも間違っています。
皆さんはそれを正確に見ていなければいけません。神様はエゼキエルに尋ねました。「完全に干からびてしまった骨は生き返るのか」と言いました。「はい、生き返ります」「いや、生き返ることはできません」両方とも、間違った答えです。
生きることはできません。それは不信仰ではないでしょうか。全部、干からびてしまった骨に対して生き返りますと言ってしまったら、本当に雲をつかむようなお話になります。
このように私たちクリスチャンは絶望的なことを言うか、雲をつかむようなことを言うかで、同じ内容です。エゼキエルは、このように答えました。完全に干からびてしまった骨ですが、それは生き返りますとは言いませんでした。でも、これは完全に干からびた骨だから、完全に、生きることはできないとは言いませんでした。本当に重要な答えを言いました。それは何でしょうか。「主なる神様。神様ならできます」と答えました。それが正解です。「主なる神様。あなたなら知っておられます」と答えました。すると、私の言葉を代りに言いなさいと言いました。
▶今日、皆さんは自分を見る目を正確に持っていなければなりません。
また、もう一人、例えてみます。カレブはこのようにお話しました。「この山を私に与えてください。必ず私はそれを生かすことができます」と答えたのではありません。それは生意気な返事です。「この山を私に渡してください。私は命を懸けてやってみます」。そのようにも言いませんでした。
本当に正確なことを言いました。今から45年前、主はモーセを通して私たちがこの地に入ると、神様が仰せられました。そして、私たちは今ここに入っています。主はもしかして私とともにおられるなら。もしかしてという言葉は元々、疑うときに使う言葉です。主はもしも私とともにおられるなら、必ず、入るようになるだろう。もしかしたらということは疑う言葉で、必ずという言葉は信じるということです。これが答えです。つまり、私のようなものにはできませんが、主が私とともにおられるならと言うことです。必ず入れます。
▶これこそ今日、皆さんが正確に見るべき部分です。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフをどんなに殺そうとしても殺せませんでした。なぜでしょうか。ヨセフとモーセ以降、イスラエル民族は奴隷になり子供たちはみな殺しだと言ったのですが、殺すことができませんでした。また、捕虜になって属国になったときも、無くなりそうだったのですが、無くすことができませんでした。また悪魔はこのまま放って置きません。福音を伝えようとした初代教会を異端の濡れ衣を着せて死なそうとしました。しかし、死にませんでした。
▶私たちは土の器のように弱い者です。しかし、土の器は弱く見えるのですがそうではありません。それは宝を入れてある土の器だからです。これをよく知っておくべきです。生意気なように私にできると言ってもいけませんし、また、私にはできないと思ってもいけません。
私たちはすぐ割れそうな土の器のような存在ですが、その器の中には宝が入れられています。ですから、主人はこの器を守るのです。器が土の器だ。これはが問題ではありません。この箱が何でできているかは関係ありません。木箱である。それが重要ではありません。その箱や器の中に何が入っているかが重要です。もしその器の中にご飯が盛られていれば何でしょうか。それは茶碗です。そして、もし器の中に餅が入っていたらお餅の器です。しかし、その器の中に宝が入っていたら、それは本当に異なる器です。
例えば、皆さんの家が火事になったり、洪水にあったりしたらどうなるでしょうか。早く自分の机を持って出て行こうとするでしょうか。皆さん、何を持って逃げますか。たぶん、皆さんは早く部屋の中に入って宝石や宝を持って出て行くでしょう。皆さんは本当に弱く土の器のように見えますが、その中にものすごい宝が入っている重要な器です。
▶ですから、四方八方から苦しめられたとしても、窮することはないと言われました。 四方八方から苦しめられると言われました。しかし、窮することはありません。今まで、歴史を通して証しされています。途方に暮れていますが、息詰まったりしません。迫害を受けても見捨てられることはありません。倒されますが滅びません。その理由は、宝が入っている土の器だからです。

1. 人生のはじまり(祈り-祈りスクール)
▶これを根拠にして、皆さんの人生の始まりです。皆さんの人生もこのように始まります。これを指して祈りが見えます。これから皆さんには、何が盛られているのでしょうか。皆さんの中には本当に宝が盛られているでしょうか。どんな宝でしょうか。
1)使徒1:1、福音の理解
▶地球上で誰も止めることができない、誰も勝つことができない、キリストが盛られています。今日からまことに皆さんは福音を正しく理解すれば、神様の驚くべき御働きが始まります。
レムナントは、深く考える必要があります。本当に福音を正しく理解することです。多くのことを考えなければなりません。
▶福音を正しく理解したという話は何でしょうか。今、アメリカ、ヨーロッパ、韓国、全世界に起きている暗やみの勢力を完全に砕かれた。これはどういう意味でしょうか。つまり、今暗やみの勢力やサタンの力によって覆われていると言うことです。私たちはこれを発見して、これをもって勝ちに行くのが福音を味わうことです。多くの人々が災いの中や地獄の背景の中に陥っています。
災いは運命です。地獄が背景になっていますから、避けることができません。この部分を解決したのを見て、キリストだと言います。これを本当に理解すれば御働きが起きます。これが祈りの人生の始まりです。
▶いや、はたしてこれはどういう意味ですか。どういうことですか。難しいですか。私は簡単に発見しました。以前、牧師の方の前でもお話ししました。核心メッセージでもお話しました。ある牧師先生だったのですが、チョ•ウンテク牧師の叔母様でした。チョ・ウンテク牧師はまだ結婚前でした。私たち二人に対して神学の勉強をしなさいと言いました。いや、私は牧師になるなど夢にも思いませんでした。私の母も、私に対して牧師になるようにと祈っていて、私は本当にそれは無駄なことだと言いました。反対に、私のようなものが牧師になって良いのかと思いました。そう思っていました。しかし、そのお話をじっくり聞いてみたら、実際、私も行くところがありませんでした。特にやるべきこともありませんでした。それが私の人生の始まりでした。間違った始まりでした。そうでしょう。することもそれしかないし、行くところもありません。また神学校は、入学しやすいです。それは私の人生の間違った始まりです。神学生のとき、伝道師になって少し気を引き締めていれば、どこかの教会に派遣されるようになります。いわば就職されるのです。私は神学校に入ってすぐどこかの教会に呼ばれました。私がハンサムだったのでしょうか。背が低かったからでしょうか。目立ったせいでしょうか。とにかく一週間ですぐ他の教会から呼ばれました。そこは釜山のあるソント教会という教会だったのですが、一週間ですぐに呼ばれて就職しました。給料はわずかです。もちろん将来はあるでしょう。ただし、私はそこでうまくしなければなりません。神学校に行けばすべての神学生は皆同じ考えです。これが間違った始まりだったのです。そうだと思いませんか。本当に大きな間違った始まりです。本当に私のような人間が私らしく始めたのです。それを悟りました。伝道師になって何年か経ってから悟りました。牧師も伝道師もそんなものではない。
このとてつもない福音を悟り、そして、それをいのちをかけて伝える役目が牧師、伝道師に必要だと悟りました。私は特にしたこともありません。しかし、そのときから答えは始まりました。
テオピロよ、わたしの前の書で...
皆さん本当に福音を理解しました。それで終わったのです。ある方は、私のメッセージを聞いて「私は牧師先生、あなたのメッセージを聞いて病気が癒され本当に生き返りました。私は今からタラッパン運動のためにいのちをかけて人生を送ります」と言う方もいます。私はそれに対して「間違っています」と言いました。「これは直さなければいけません」と言いました。「私の説教を聞いて恵みを受けて病気が治ったわけではなく、神様の恵みによってあなたは神の民として召され、そして、あなたがあまりに悟っていないから、病気も与えていやしも与えられ悟るようにされた」と言いました。その時この方は分かり、そして、その時から、まことの答えが始まりました。皆さん、本当に正しく福音を悟らなければなりません。イエス・キリストはサタンを砕き、そして、私たちの運命を取り替え、地獄の背景を取り替えてくださいました。
2)使徒1:3、刻印
▶こうなりますと、この時から刻印されたものが変わり始めます。それは神の国です。刻印されている部分が変われば変わるほど、その分、神の国が臨むようになります。
3)使徒1:8。この時から私の体質が変わり始めます。私の体質が変わった分、その中に力が現れます。皆さん、これを始めなければなりません。それこそ祈りの始まりです。皆さん、何も心配する必要がありません。必ず病気を治してくださいと言う必要もありません。神様が治してくだされば私は生きますし、治してくれなくてもいいです。そうすると、暗やみの力が砕かれます。この時から重要なことが見出されます。
4)使徒1:14。ただ祈りに専念していた。この時から祈りが成り立つ、集中できる力が生じます。
▶もしも、皆さんがこの3つ(上記の1)~3))が解決されているなら、どんな病気でも勝つことができます。どんな問題でも、答えを受けることができます。霊的に病んでしまったら、このように集中できません。しかし、この3つが成り立つと、必ず集中できるようになります。
5)使徒2:1。この時から五旬節の日になって。実際の祈りが成り立ちます。これが始まりです。これこそ皆さんの祝福であって、何が恐ろしいでしょうか。皆さんのことは弱い土の器のように見えますが、皆さんの中には本当に計り知れない宝が盛られています。宝が何ですか?これ宝です。
▶重職者の方は、これを持って祈りスクールを始めてください。ほとんどの人は間違って福音を理解しています。自分の親が重職者だから、教役者だから、私は教会に行くと言うことの方が間違って福音を理解していると言うことです。福音を正しく理解していませんと、霊的問題がますます深刻になります。私は本当に感謝だ。どのようにして神様は私たちの両親を救われ、重職者として召されたのか。私は本当に感謝だ。これが福音の理解です。こうすると、その時からこの働きが起きます。その時から、自分の刻印が変わり始めます。それで、神の国が臨みます。この時から、体質が変わります。体質が変われば力が臨むようになっています。どんな状況であっても、揺れることのない集中できる祈りの力ができます。この時、実際、五旬節の日になって。絶対に見逃してはいけません。

2. 答えのはじまり(ミッション¬―ミッションスクール)
▶この時から何が出てくるでしょうか。何が始まるでしょうか。答えが始まります。どのような答えでしょうか。
1)四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。ましたてや途方に暮れることがあっても落胆しません。正確に言えば、落胆することはできません。迫害を受けても見捨てられることはない。倒されますが、滅びません。理由は何ですか?伝道しなければならないからです。そうです。ここに陥っている人々を生かすべきだからです。
2)全世界でここに陥っている人々を生かすべきです。だから、宣教を本当に正しく理解すると、御働きが始まるわけです。まことに宣教を理解すると言うことは、宣教師を助けるのではありません。私たちがまことに恵まれると言うことです。宣教費をまことに理解すると、宣教費も足りないことはありません。全部嘘です。本当に宣教が分かりますと、まことの神の御業が始まるからです。
3)ここから何が出てくるでしょうか。まことの成功が出てきます。真の成功とは何でしょうか。ローマ16章の答えです。まことの答えは何でしょうか。神様が必要とされたときに献身できることです。国が自分を必要とされるときに、そこに用いられること、それが愛国者です。本当に教会は宣教で、私を必要とされたときに献身する。神様が私のことを必要とされる時、私がそこに用いられること。教会同士で献金が必要な時、私はお金がない。悲惨なことです。そうだと思いませんか。皆さんはどのようにお思いでしょうか。このレナントをまことに生かしたい。でも、私にはお金が一銭もない。それは悲惨ではないでしょうか。
▶ローマ16章の人々を指して真の成功者だと言います。
▶これを指してミッションと言います。重職者の方々、レムナントたちは早く帰って、ミッションスクールをしてみてください。皆さんがいる現場をミッションスクールとしてください。皆さんがいる現場を祈りスクールとしてください。職場の中で祈りをたくさんしようと言うことは、話になりません。そこは教会ではないから。しかし、この奥義はいくらでも味わうことができます。学校に行って祈り運動をしようとすれば、その人は狂った人だと思われます。その意味ではありません。この奥義は計り知れません。つまり、土の器の中に隠されている宝。誰もが見られるものではありません。

3. 現場変化のはじまり(文化-文化スクール)
▶三つ目です。ついに皆さんの現場が変わり始めます。これを指してなんだと思いますか。これはミッションではなく、文化だと思います。皆さんを通して、どういうことが起きるでしょうか。
1)滅びなければなる国を生かすようになる。この先、ローマは滅びるわけで、その前に行って早く福音を植え付けなさい。
聖書を詳細に見ていただきたいと思います。だから、どこに入るのか。会堂に入りなさい。文化運動です。
2)聖書を詳しく見てください。だから、どこに入るのか。会堂に入ってください。文化運動です。重要な人にあったときには、安息日ごとに会堂に入りました。ローマ征服の前に会堂の方に行きました。
3)何でしょうか。12の災いを食い止めに行きなさい。これは単純な伝道ではありません。どんなに立派な大統領であっても、財閥であっても12の災いから抜け出すことはできないからです。ここから抜けだせるように、メッセージを与えるためです。あまりにも至急なので、文化を取り入れてしなさいと言うことです。皆さんが行く所で文化スクールを作りなさい。
▶この働きにおいて用いられるのが自分自身です。
パウロよ、恐れるな。今まであなたはたくさん献身したのではないかとは言いませんでした。パウロよ、恐れるな。あなたは今まで多くの祈りをしたのではないかとは言いませんでした。パウロよ、私はあなたのことを見てあげるから、あなたは恐れなくていいとも言いませんでした。パウロよ、恐れるな。276人の命があるではないかとは言いませんでした。パウロよ、恐れてはならない。カイザルの前に立たなければなりません。なんでしょうか。福音を伝えなければならないと言うことです。この12の災いを防がなければならないからです。このような宝を盛られている土の器です。どういう意味かおわかりでしょうか。まことの答えが始まります。
▶先ほど、重職者の方にもお話したのですが、レムナントも覚えていなければなりません。皆さんが成功して社会に出れば、必ずアメリカ、ヨーロッパは特にそうです。結局はフリーメーソン、ニューエイジ、ユダヤ人の団体や組織があります。ですから、その前に皆さんは祈りを学んで行かなければなりません。そして、ミッションを行う準備をしなければなりません。変化させる準備をしていくべきです。つまり、現場が変わり始めます。刻印されているものが変わります。人に刻印されているものは中々、変わりません。
久しぶりにアメリカで勉強している孫が帰国したのですが、私に似てハンサムです。私は今、苦労のあまりこんな顔ですが、昔は私もハンサムでした。この孫は前髪が目をすべて覆っています。それを直しなさいと言っても言うことを聞きません。あなたは更新したら。前髪をあげなさいと何度言っても聞きません。小さいときはいつも短く切っていたのに、今は目ぎりぎりに覆っています。人の更新は難しいです。イスラエル民族は、あまりにも更新していないから、神様は水に沈ませて救い出したり、いろいろしました。エリコ城まで連れて行って、がっと崩してしまったりもしました。あまりにも悟っていないからです。神様は10の災いから始め、カナンに入るまでいろいろ働かれたのですが、人間が中々、変わらないからです。まっすぐに入れることを40年もかけて入っていきました。

結論-ビジョンキャンプ
 ▶皆さん、今日からまことに始めるように願います。
奏しますと、皆さんが行く所ごとにビジョンキャンプが起きます。年老いている方であればあるほど、教会に来るたびに祈りを本当に多く味わって力を得るようにしてください。おばあちゃんはおばあちゃんになればなるほどもっと祈り、祈りの力を得なければなりません。若い方が嫌がるからです。おじいさんの部屋に入ると匂いがしますから、若者は嫌がります。おじいさんやおばあさんになればなるほど、皆さんは格好良くして祈りの力を得るようにしてください。それは何ですか。ビジョンキャンプです。
▶ビジョンが何でしょうか。遠くのものを近くで見られることです。この先、成されることを今見ているように。これがビジョンです。皆さんは必ずいずれは一度死にます。ですから、その先のものを見て今、行います。それがビジョンです。この先、必ず霊的問題の時代が襲いかかります。それを先に見て、今、準備しているわけです。天国、終末、必ず来ます。それを明確に見て、今準備します。
▶簡単に言えば、ビジョンは何でしょうか。
1)皆さんには人生の終末が来ます。そうでしょう。間違いなく来ます。今来なさそうに見えていても、間違いなく来ます。私は幼い時、自分の歳が60歳になるなんて、考えることもできませんでした。 60歳はもうおじいちゃんじゃないかと思って。私はおじいちゃんになるためには数千年間も生きなければならないかと思いました。私は子どもの頃、おじいちゃんになるには何千年もかかる。だから、いまだに私はおじいちゃんと呼ばれるとまだ距離感があります。今、私の孫はおじいさんと呼びますが、それは仕方ないです。孫だから。でも、全然知らない子どもが道行く私におじいちゃんとしますと、この子たち何?と思うわけです。
私はレムナントではないかと思います。どんなに自分をそうだと思ったとしても、人生終末はあります。いつも常任委員会の牧師の方々が集まると、長生きする方法がたくさん出ます。年老いた証拠です。レムナントたちが集まってそんな長生きする方法についての話はしません。年老いたサインです。互いに大騒ぎです。私は120歳まで生きなければと。いつ引退するかもしれません。しかし、間違いなく来ます。そこで、その後のこと、確実に見たことをビジョンと言います。
2)歴史を見てください。アメリカ時代、バビロン時代、ローマ時代、エジプト時代。必ず時代の終末がありました。その後のことを見たのです。これがビジョンです。
3)最後の三番目です。地球の終末がきます。その後のことを見たものです。
▶これがビジョンです。皆さんはこれを契約として握って、今から祈らなければなりません。必ず、皆さんの事業の上に、子の御働きが起きるはずです。すると、自然とこのミッションを持つようになります。そして、必須的にこの働きをするようになります。特にレムナントたちは今年の夏の間、多くの神の恵みを受けるようにイエスの御名で祝福します。年老いている方々も大きな力を得る人生が始まりますように願います。


(祈り)
神様に感謝します。今日も新しい目が開かれますように。世の中を見る目と自分を見る正確な目が開かれますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。