20140824 インマヌエル教会聖日1部


貧困に勝利した初代教会
(Ⅱコリント9:6-15)

序論
▶カーネギーは次のようなことをお話しました。お金がたくさんあれば70%ぐらいの悩みは解決できるとお話しされました。もちろん、それはその人の考えかもしれません。今現在、全国、世界の教会は、数多くの未自立教会があります。それなら、生きること自体、たくさんの悩みや難しいことがあるということです。それは神様の御心でしょうか。解決しなければなりません。また、多くの人々は生活が大変だと言います。豊かに生きたい、そして、よく信仰生活をしたいと思っても、教会がほとんど自立していません。ほとんどの韓国教会がそうです。それは神様の御心でしょうか。私たちは初代教会を通して学ばなければなりません。
▶初代教会は、最初に3千人の信徒が起こされるときには、とても貧しい人ばかりでした。使徒2章の最初の部分を見ますと、みな共同生活をしていたくらい貧しかったのです。でも、ある学者はその姿を見て、共産主義の始まりだと言っている人までいます。それくらい皆、貧しかったのです。3千人の弟子はマルコの屋上の間に入って来ることもできませんでした。とても貧しかったので、自分が持っている者全部を出して一緒に食事をしましょうというくらいでした。しかし、この初代教会は、ローマをはじめ、世界を征服したのです。一体どうしてそのような結果をもたらしたのでしょうか。今日のメッセージを単なる説教として聞くのではなく、本当に皆さんの人生を振り返って考えていただきたいと思います。私は今何をすべきだろうか。一度、考えてみましょう。実際に私たちが生きる限り、自分が住んでいる町で、これが教会ですということを説明できるくらいの証人にならなければなりません。もう一つは、私たちの子孫や次の世代のためにこれがRUTCですと言うことができるくらいでないといけません。皆さんの子どもたちが、これがお父さん、お母さんがあれだけ言っていたRUTCだ。父が母が設けたこのRUTCだ。私たちもこうならなければというくらいに。救われた私たちはともかく、未信者たちが見て、教会は本当に素晴らしいところだとならなければなりません。でも、私たちがどんな力があるから、そのようなRUTCや教会を建てられるというのでしょうか。
▶だから、それこそ初代教会を今日、注目して見ていただきたいと思います。特に重職者の皆さまは今日の契約を握っていただきたいと思います。人生は一度しかありませんから、まことの答えを受けなければなりません。

1. 祝福の根源を捜し出しなさい―カルバリ山、オリーブ山、マルコの屋上の間
▶一つ目です。私たちは本当に幸いな者になりたい、祝福を受けたいと思うのですが、その祝福の根本を受けなければなりません。雑草も上の部分をいくら切り取っても、また生えあがってきます。本当にきよい水を飲むためにも、泉の源泉、源を見つけなければなりません。祝福も同じです。源を見つけなければなりません。お金と祝福と関わりがありますから、その源をいかに発見するかです。これがなければ未信者と同じ生活になってしまいます。また、今苦しんでいる人と私たちが同じような状態になってしまいます。
▶まことの祝福とは何でしょうか。多くの未信者は5つの祝福があると言います。その5つの祝福については、国別に人別に語る内容は若干違いますが、でも、だいたい未信者たちが口をそろえて言うのは健康、それは祝福だと言います。健康でなければ何事もできませんから、健康が大事だと思います。そして、長寿すること、長く生きることがとても幸いです。他のこともあると思いますが、主に健康で長生きすることが非常に祝福だと言います。そして、成功し、名誉を得ることが祝福だとよく言います。そして、財産をたくさん所有することも祝福です。最後の5つ目に、本当に素晴らしいし子孫を残すこと、本当にそれもとても大きな祝福です。そうだと思います。しかし、聖書はそう言いません。聖書はそれとは反対のことをお話ししています。聖書は幸いな者が健康でこそ、それが祝福ですと言います。まことの祝福を得ていないに健康であるならば、本当に頭痛のすることばかりしてしまいます。例えば、いつも悪いことばかりしてしまう人は逆に体がよくない方がいいです。いつも教会に来ないで、外に出て変なことをしだす旦那がいるなら片方の足が動かないぐらいの方がいいかもしれません。今は極端にお話しましたが、それくらい祝福を受けていない人が健康であるとそれはあまり良くない。それこそ、苦労だということです。そうだと思いませんか。祝福を受けているものが長生きをしてこそ、それでこそ他人が見て「あの人は本当の祝福を受けたからああなのだな」と言えるくらいで、そうでなければどうでしょうか。最近は自殺もするような時代ですから、世の中の基準で言っている祝福というのは少し間違っていると思います。名誉もいいものであるかもしれませんが、本当に幸いな人に名誉があってこそいいと思います。また、幸いな者がお金があってこそいいことをするのではありませんか。幸いじゃない人たちがお金を持っていることでどうでしょうか。財産の争いで家中、殺人事件が起きるくらいになります。私はお金のせいで親と子どもが敵になり、殺人事件まで起こす人を見ました。それが幸いなことでしょうか。ある人は財産の問題で家族同士、口も利かなくなってしまいました。それは動物以下の水準ではありませんか。それはまことの祝福ではありません。韓国の財閥の人たちもお金の問題で家庭同士、親族同士が口も利かないような状態になったりします。それは幸いな者でない。本当の幸いを得てない上に、お金があるからそうなっています。たくさんの子孫がいることで本当に幸いだといっても、子孫に祝福がなければそれは幸いではありません。神様の祝福を受けている子どもでこそ幸いであって、神様の祝福も受けていない子どもであるならばいない方がいいかもしれません。
▶聖書は世の基準とは全く違ったことを言っています。聖書は言います。あなたは祝福の根源であると。神はアブラハムに対して、あなたは祝福の根源、つまり、祝福ですと言いました。
▶その祝福の根源は何でしょうか。
1)少なくとも、地球上で最大の事件であるカルバリの丘での事件を知らなければなりません。つまり、カルバリの丘で何が起きたのでしょうか。私たちの人生すべてが終わる、まことの祝福がそこで起きました。根源的な祝福です。
▶前にもお話しさせていただきましたが、私がこのヨンドの教会に赴任したときにはまだ12坪の教会でした。場所もこの場所ではありません。しかし、私はそのときすでに知っていたことがあります。建物が大きいからそれが幸いではない。そういうものは恐れる必要もない。私にとってヨンド全体が私の教会である。12坪のここが私の教会ではない。それから、12坪の教会から35坪の教会に移りました。そんなに良い場所もありませんでした。大きな土地もなければ、建物もない。しかし、それは問題にはなりませんでした。私はすべての地、そして、すべての祝福の根源を持っている。ここでみことば運動をやればいいのだと思いました。私はそのときから300箇所にみことば運動を広げました。そして、何千人もの弟子が起こりました。はたから見るとどう思われたかわかりませんが、伝道弟子が数千人と起こされたのです。イエス様がカルバリの丘で語られたこと、すべては完了したと言われました。その部分が分からなければ「なぜお金がないのだろう。なぜ貧しいことが終わらないのだろう」と疑問をいつまでも持ってしまいます。伝道のために神様が私たちに正しい祝福を今注いでくれていることも分からずに、「なぜ私はいつも狭い教会にいるのか」と思ってしまいます。皆さんがカルバリの丘の信仰を体験してください。なぜなら、救われているからです。そして、祝福の根源を持っていますから、その体験をしなければなりません。教会は当時、35坪にしかならなかったのに何千人の人が集まってきますから、四方八方からいろいろな人が集まってきます。それで、いろいろな教会から伝道について言われました。そんな中、今の釜山のスンヨンド教会から伝道集会をお願いしますと牧師先生から連絡が来ました。今思うと、その牧師先生は非常に正直な方ですばらしい方です。講壇でこのようなことを先生がお話しされました。「私は釜山にあんなに伝道をする牧師先生がいたなんて知りませんでした」と申し訳ないとおっしゃっていました。それとともに、条件を一つお話しされました。毎週月曜日にスンヨンド教会に来てあなたの伝道の講義をしてくれないだろうか。釜山市内にらっしゃるすべての牧師先生を集めて、また信徒たちを集めますから、毎週月曜日に来て伝道講義をしてくださいということでした。実際は、その集会を機に釜山の方から少しずつ嫌われて行くようになりました。しかし、驚く事実はそれだけではありません。毎週、月曜日に講義のためスンヨンド教会に行きましたが、行って驚いたのはモデル級の女性の信徒さんたちが入ってくるのです。おばあさんからおばさん、執事さんたちを見ても皆モデルだというくらいすばらしい人たちがたくさんいました。それだけではありません。講義が終わったらモデルのような女性たちが外に並んで立って待っていました。その理由は牧師先生に食事をもてなしますということでした。私は毎週いつも食事は断っていたので、チョン牧師先生が「そんなことは言わずに一回だけでもいいですから、食事をしましょう」ということでした。それで食事はチョン先生と私が同じテーブルに座って、信徒たちは別のテーブルに座りました。そのとき突然食事をすることになったので、その1回の食事が何百万ウォンと言う食事代になりました。すると、ある若い女性が来て、自分のお財布の中からお金を出して支払っていました。それが終わった後、自分の教会ヨンドに戻ってきてみたら、なんと女性伝道会の会費が付き1万ウォンだといったら、その1万ウォンを出すか出さないかで争った人もいたというそんな報告を聞いて、こんな水準で世界福音化が可能なのだろうかと思いました。内心思いました。同じ釜山なのにどうしてスンヨンドの方と私たちのヨンドはこんなに同じ海のところにいながらもレベルが違うのだろうかと思いました。そんな思いもありました。でも、それも実は錯覚に過ぎなかったのです。私はよく錯覚を起こす人です。私が錯覚だったと気づいたのは、私のことのために毎晩、執事さんたち、おばあちゃんたちが教会に集まって祈ってくれていました。それはいまだに続いています。他はよく分からないけれど、私は祈りの力をよく分かっています。そして、その祈りの力のおかげで全世界に福音は述べられていくようになりました。そして、皆さんのその祈りを機に、30万人の弟子が起こされるようになったのです。そして、皆さんのおかげで今数万人のレムナントが起こされるようになりました。今回のレムナント大会を見てみてください。実際にこの大会は一般の未信者にとってはあれだけの大会は導くことはできません。すべてスタッフたちの力で行われています。1万人以上の動員数がいるのに、事故一つありませんでした。それは神様の恵みではありませんか。
▶今、難しいでしょうか。キリストがなぜ十字架にかけられたのかということを今の自分の現実を考えて一致する答えを見つけなければなりません。
2)そして、次に体験するのはオリーブの山で、40日間語られた神の国を握って体験しなければなりません。神の国。皆さんの事業に、家庭に、神の国が臨まれることが最高の祝福です。そこで神はミッションを与えました。
3)そして、弟子たちはマルコの屋上の間に集まったのです。
▶祝福の源。クリスチャンは本当に重要な祝福はさておき、世の中と同じようなことをやりだしているので試みにあってつまずくしかありません。教会に来てつまずいて教会を休んでいる人たちがたくさんいます。なぜなら、教会が偽りごとや世の中の基準で行われていますから、なぜ教会に来る理由を発見できるのでしょうか。
▶皆さん。聖書が言う祝福は人間の根本的な問題を解決する根源的な祝福を受けなければなりません。さい。この祝福を見つけたら、次に見えてくることがあります。それは天命が見えてくるのです。天命。神様が私をこういう理由で召されたということが分かります。それが天命です。未信者も天の声を聞くそうです。私たちは神の子どもではありませんか。神の天命を聞かなければなりません。自分の天命が何かわかってこそ、自分が召された理由、召命から使命が見えてきます。その後、天職が見えます。天から与えられた自分の職です。この天職を見つけてこそ、正しい経済へと導かれるようになります。私が神様と一致する天命が見えてこそ、天職が見えてくるということです。これが一番、優先すべきです。自分の天職が見えてこそ、一心、全心、持続が見えてきます。このときから、一生懸命という世の基準の一生懸命ではなく、自分のすべてをささげられるようになります。そして、サミットになれるわけです。私たちはこの部分の祝福を握っていかなければなりません。すべてのレムナントをはじめ、すべての神のものは、この祝福から見つけていかなければなりません。
▶今、レムナントがほとんど各自の国々へお戻りになったと思います。そして、私は会うレムナントにはこのようにお話をします。あなたは専攻する分野があると思うが、その分野でまず3つのことを見つけてほしい。それが何か。まず一つ目。専門性を見つけてください。その職業を持ってほしいというわけではありませんが、専門性を持ってほしいという理由で例えを挙げると、教師、医師、博士、弁護士、裁判官などの専門性です。そして、2番目はライセンスを持ちなさいということです。つまり、免許を持つことです。それは何か。つまり、その免許という意味は、免許を取りなさいということよりも、運転をするためには理論にすぎないことではなく、運転免許証がなければならないということです。そして、もう一つは○○権が必要です。「権」とは所有権です。所有権がなければ、公式的には自分の所有にはなりません。つまり、何か。祝福を、自分が見つけたものを自分のものにしなさいということです。だから、どんな場所、どんなポジションであっても構いません。例えば、財閥の会社に私が就職したとしたら、最善を尽くすと思います。そうだと思いませか。すべてを最高に作るために走ります。他の人の10倍走ります。そして、その会社を生かしたい。自分がまかせられたパートを生かす。祈りですべてが可能であるからです。
▶そうしておいて、先ほどの3つを自分のものにしていく祝福を受けていただきたいと思います。ただ一生懸命働いて、給料だけもらうくらいであるならば意味がないのではありませんか。自分がまかされたことを当たり前にやりながら、神のものを見つけていくということです。これがお金にもつながっていきます。私は昔、なぜ神様は私にはお金を与えてくださらず、なぜ祈りに答えてくれないのだろうと思いました。でも、今思うと本当に大変なことになりそうでした。もしも昔、自分にお金があったら、私はたぶん今の自分ではなかったと思います。お金のない時刻表というのは、私が誰なのか悟らせる、そして、世界福音化できるための基本的なベースをしっかりと固めていくための神様の訓練であったのです。
▶私たちが世の中で人間らしく経済を持って正し祝福の根源を見つけなければならない。これは今日の1番の内容でした。
2. 経済の根源を捜し出しなさい
▶とても重要な二つ目です。まことの経済の根源を見つけてください。暗やみの経済から光の経済への根源を見つけてください。先ほど言った1番ができれば可能です。経済はついてきます。
1)創世記3:5が何であるか分かりますか。あなたは神のようになる。人々は神を信じてはいけない。サタンの言葉です。すべての人がそのサタンの経済下にあります。私たちは何を探さなければでしょうか。光の経済です。私たちは創世記3:15を握らなければなりません。女の子孫が蛇の頭を踏み砕きました。つまり、世の経済というのは暗やみの経済です。目に見えないサタンの下にある経済ではなく、私たちには神の中にある光の経済が別にあります。これを握らなければなりません。光の経済。暗やみを掌握する経済。
2)創世記6:4-5。ノアの時代。全地が堕落した時代です。その堕落した時代にノアを指名して言いました。あなたは箱舟を作りなさいと。その経済を今言っています。先ほど言った1番の本当の祝福が分からなければ、今言っている内容は分からないと思います。私がカルバリの丘、オリーブの山、マルコの屋上の間の契約を少し体験するならば、まことの経済の目は開かれると思います。まことの信仰を体験していませんから、毎週来る講壇のメッセージが自分の耳に同じようにしか聞こえません。そして、実際的な答えが自分にないから力がないのです。この状態でいつ国を生かせるのでしょうか。この状態でいつ世の中を生かせるのでしょうか。私たちの教会をはじめ、皆さんの教会は単なる教会ではなく、皆さんの町を、地域を、国を生かす福音を伝える教会でなければなりません。今日ある長老の方たちが言いました。私たちの今後の教会は、ヨンドの住民たちが来てここを本当に憩いの場所として使うようにしなければなりませんと。私はもちろんですと答えました。皆さんが本当にどうでしょうか。教会に通いながらも、まことの福音ということを握っていらっしゃるでしょうか。
3)皆さん、経済を得るためには経済の根源を見つけなければなりません。祝福を得るためには祝福の根源が何か分からなければなりません。経済の根源。源。世の人々はバベル塔のような経済を積み重ねていますが、アブラハムにはウルを離れてカルデヤに入りなさいと言われました。それが光の経済です。皆さんが祝福の根源を見つけるならば、皆さんが行くすべてのところに、特に会社の中に経済の源の祝福を得ることができるでしょう。
▶今、皆さんがうまくいかないのは、うまくいかないということではなく、根源的なことを見つけなさいということです。今、皆さんになにかうまくいっていないように見えますか。違います。本当に根源的な祝福を与えるために、神は待っていらっしゃるのです。信徒の皆さんがこれを知らなければなりません。クリスチャンが未信者以下の考えを持っていては未信者を生かすことができません。未信者を上回る信仰を持たなければなりません。クリスチャンがお金を欲張って詐欺をする人がいますが、そんなことをしていてどうやって未信者を生かすことができるのでしょうか。今日の内容をよく理解していただきたいと思います。
4)創世記3章、6章、11章の結果、今世の中は、使徒13章、16章、19章のような偶像文化に陥ってしまいました。日本は偶像が経済になっていますが、日本を生かさなければなりません。日本経済が何であるか分かりますか。偶像の経済です。ここに日本人の方がいらっしゃると思いますが、認めてくださると思います。日本の経済は悪霊経済なのです。それでみな食べて生きているのです。その結果、どうなりましたか。今、どんな結果が来ているか見てみてください。一つの家庭に一人以上の精神疾患者がいるくらいになってしまいました。これは日本人が聞いて不愉快になるような内容ではありません。本当に理解して生かしていかなければなりません。それを変える日本人が起きるなら、神は光経済を与えてくださるでしょう。今も同じです。
5)だから、人間がいくらよくなったといっても6つの滅亡は避けることができません。
▶私は日本に行くたびに感じています。日本が福音化されるならとても良い国になると思います。なぜなら、日本は2回、3回言う必要がありません。どれだけ正確か分かりません。全部がそろっています。日本はすべてが整理整頓され、メニュー一つを店で頼むにしても絵、写真、金額が全部用意されていて指で差すだけでオーダーできるくらい準備されています。でも、他の国は言葉が話せないと、食べ物もろくに食べられないくらいの状態ですが、日本はすべてが完備されています。だから、日本は福音だけ入るなら、全部が備わっているので世界福音化できる国です。私が日本に行ってその話をしたところ、自分たちも笑いました。韓国はどうでしょうか。いつも食べ残しがいっぱいあります。ある時、日本でチョン•ウォンジュ先生と私が食事をしたとき、おかずの数が本当に少なかったです。日本語は話せません。オーダーしたいけれど日本語が話せなかったので、仕方がないので横にある醤油をかけて混ぜて食べました。また、オーダーを追加すると全部お金がかかります。韓国はおかずがなくなっておかわりをしても追加料金は取られないのですが、つまり、それはお金の問題ではなく物の大切さを意味します。本当に物を大切にします。日本はうどん一杯に沢庵も2枚だけ持って来ます。どこで手に入れるのかかわいい沢庵の器もとても小さいです。そこに2枚だけを持ってきます。それも大きな2枚ではなく、半分の2枚。私はお代わりをお願いします。すると、次もまたパッパッと切って二枚くれます。私はご飯を食べるたびに1枚ずつ食べてしまいますので、またお代わりと言います。私がよく見ますと、沢庵を本当に大事に保管しています。きれいにビニールで包んであるものを取り出して切ってくれます。とても清潔です。韓国のおばさんだったらどこからか先に切っておいたものを持って来やしませんか。そのビニールをはがすときにも手が震えるくらいに見えました。それくらい物を大事にしているのだなと感じました。それで3回目のお代わりは、たぶん相手もこの人は…と思ったのでしょう。それでパッパッパッと3枚切ってくれました。それを見て、これは笑い話ではなくて本当にたくさん学べるところがあると思いました。だから、日本は福音さえ入るならば本当に素晴らしい国なのです。全世界を変えても残るくらいの文化の力を持っているのが日本です。経済も本当に力があります。でも、この内容を本当に本が理解してほしいと思います。そして、今いらっしゃる皆さんも理解していただきたいと思います。偶像、サタンと言ったとき、これは日本だけの文化ではありません。全世界がサタンの文化です。ですから、それを本当に見て福音を宣べていかなければなりません。
▶根源的な部分がひっくり返されて私のものになりますと、ただイエスと言うことが見えてきます。そして、ただの時刻表、唯一性の時刻表が、永遠の時刻表が何だかということが見えてくるはずです。皆さん、私たちはこのままで生きて死んではいけません。本当の経済の祝福を受けて、世界福音化しなければなりません。経済というのは単純な物質を言うことではありません。

3. 生活の根源を捜し出しなさい―まことの献金
▶3つ目です。それは生きることの根源です。生活の根源。順番を繰り返しますが、祝福の根源を探して、経済の根源を発見すると、生活の根源を見ます。生活、私たちの暮らし自体に根源的な祝福、それは献金を意味しています。献金は何か。献金について誤解していますが、まことの祝福、経済の根源をわかってこそ献金もできます。
1)まことの献金というのは備えられた献金を意味しています。皆さんが本当に尊敬する人に会いに行くときどうしますか。本当に愛する人に会うときにどうしますか。皆さんはプレゼントを用意していくと思います。本当に神様からの根源的な祝福を受けてそれを慕う人は何ができるのか。その献金を備えていくことができます。どうでしょうか。献金と言ったときに皆さんの顔が非常に良心的に刺さるような表情していますが、献金はお金ではありません。違います。私がお金の話をしているように見えますか。違います。一般的な献金を意味しているわけではありません。献金は生活を意味します。皆さんの暮らしを意味しています。
2)献金は今日の1番、2番が用意された人は、本当の根源的な祝福を味わって光の経済を味わえば、本当に喜んで神にささげることができます。皆さんはどうでしょうか。ささげるときに喜んでささげているでしょうか。本当に皆さんが尊敬する人、愛する人、助けてくれた人に対してもてなすときどうでしょうか。心が本当に喜んで、心が躍るような思いではありませんか。例えば、ある子どもが線路の上で遊んでいたら列車が来て、その子が死にそうになったときに横にいた人がその子を助けて、助けてくれた人は死んでしまいました。親が本当に申し訳なく感謝で、亡くなった人の遺族の子供の学費も払って生活も助け、正月になりますとその子たちを自分のこのように愛する思いで贈り物を持っていったりします。それが常識ではありませんか。キリストが私たちのために十字架で死なれすべてののろいを終わりにしてくれました。献金を喜んでささげることは当たり前のことです。
3)8節を見ると、満ち足りた恵みを持ってささげることができます。これが献金です。皆さん、今日から献金を誤解しないでください。献金は自分のお金をささげることだ。いっぱいささげることだ。こうだと誤解していますが、献金はそういうものではありません。
4)皆さんが散らされた者のために、貧しい人のために与えたその献金は、永遠なる義になります。
5)救われた者の証拠が13節に書かれています。救われた者の証拠は、福音を宣べていくことができる。そして、他の人に仕えることができる。また、喜びをもって献金をすることができると言われています。
▶皆さんが、先週みことばを通して答えられ他ならば、今日はどんなみことばが私に与えられるのだろうと思って期待感を持ってくると思います。それが連続的なことになっていきますと、その力はとても大きいです。信仰生活は何でしょうか。一つ目は祝福の根源を自分のものにすることです。祝福の根源から出てくる職業でこそ自分の天職となり、一心、全心、持続となります。そして、そのあとについてくるものがあります。ついてくるもの。同じ場所なのに、皆さんは人とは違う光の経済を巻き起こすものとなっていきます。経済の源が異なっています。だから、とても感謝で、皆さんが生きること自体が献金なのです。だから、喜んで感謝して心を持って永遠な働きになっていきます。
▶皆さん、経済という二文字について、どう考えていますか。一つ、たとえ話なのですが、私が幼いときに執事さんたちが近所にいました。一人目の近所さんは、いつもいろいろなものを買ってきました。いつもいつも何かを買っていて、隣に家がくっついていますからおいしいものを食べている匂いがしました。私はうらやましかったです。でも、私の母は小さな袋に本当に節約して今日食べる分くらいだけを買ってきてつましく暮らしていました。母は買い物が上手で店じまい寸前のもの、安いもの、でも、腐っていないもの、新鮮まではいかないけれど腐らないけれど腐る寸前のもの、だから、今日食べてしまえばお腹が痛くならないような食材を買ってきます。それで安いです。それを私たちに食べさせます。すごいノウハウがある、専門性がある母親の食卓の知恵でした。そんな母でした。でも教会に問題が起きたときはどうするのか。いつもいっぱい袋ごとに食べ物を買ってくる執事さんは献金しません。自分たちの口ばかりを満たします。しかし、母は教会に問題が来たときに持っているすべてを教会にささげるという姿を見ました。ですから、皆さん、精神的に異常な人は自分の収入より出るお金が大きいです。それは精神的に問題のある人だと私は思います。それは早く治さないとこれからひどい結果になります。それはまた他の話ですが、今日の聖書の祝福を見てみてください。

結論―みなさんが祝福の根源のなかで何をするのか
▶さて、結論です。祝福の根源を見つけたならば、その中では自分のタラントが見える。では、その中で何をするのか。
1)10%の中に入ることです。そして、1%に入ってください。唯一性の中に入ることです。
2)結論、2つ目は、神の国40日と言いましたが、なぜ40日間説明されたかということです。40日間という期間よりも、なぜ40日かけて説明したのか。それは12の弟子、つまり、すべての人ひとりひとりにミッションを与えられました。そのことです。すべての人に答えが与えられたということです。これから、教会建築とRUTC、力がなければできないことです。だから、ひとりひとりすべての人が、自分のミッションが何かはっきりするまで祈ってください。すべての人が本当の答えを受けるようにして行かなければなりません。それが見えたあとに建築するのです。教役者はそのときまで信徒たちにみことばをひとつひとつ伝えなければなりません。すべての信徒ひとりひとりが自分のミッションを見つけられるまで、重職者も教役者も祈っていかなければなりません。ひとりひとりが自分のミッションを見つけるまでの答えがオリーブの山の40日の答えです。だから、40日ではなく39日でも大丈夫です。その日にちに意味があるのではありません。意味が重要です。
3)そして、今回8月30日は伝道大会ですが、皆さんの人生の答えを見つけてください。単なる大会だと思って参加することなく、人生の答えを見つけるつもりで来てみてください。皆さん、伝道と言うものを見物するような状態だとどれだけ大変でしょうか。伝道。最初から最後までひとつひとつ自分のものとしてやってみてください。人生の答えが見えるはずです。本人には申し訳ないのですが、私自身もアメリカ留学のために本当に勉強しました。どれだけ勉強したか。英語の辞書は丸暗記するくらい勉強しました。でも、私の友人の一人、名前は言えませんが、この人は英語はあまり達者ではありません。外国に手紙を送るときに、いつも私にお願いしました。本人の名前を言えないので、それは侮辱することになってしまいますので、そういう意味ではないのですが、とにかくその人が英語はできなかったけれども留学しました。その状態を見て、なぜあの人は行くのに、どうして私は行けないのだろうと思いました。単純に最初はお金がないと思いましたが、でもそのあと考えてみました。私の人生にとって最も重要なのが何なのか。また、神様が私に一番望んでいることはなにかと思いました。その質問を神様にしてみたら答えが簡単に出てきました。だから、私はその日から毎日、現場に入りました。毎日。以前もお話しましたが、朝出たら夜12時まで回りました。帰宅したら12時でした。家に帰って来たら、遅いといつも妻に叱られました。「あなただけが伝道師ですか」と言われていましたが、当時、大統領が全斗煥大統領でしたが、いつも時間になると外出禁止令が出ていたのが、その大統領になってそれが法律的になくなりました。その大統領に感謝しました。とにかく、そのような人生の過程の中で、私の頭では理解できないことがたくさんありました。それは何か。自分の頭では理解できないほどに神様は私に真実の答えをくださって、他の人へ他の国へ福音を宣べ伝える者になりました。まことの福音は人を生かすことができます。そして、まことのものを見つけるために神様は今の状態の皆さんに神様はさせているということです。
▶本当に皆さんの人生にとって価値ある神の祝福を見つけられますようにイエス様の御名で祝福します。

(祈り)
神様、感謝します。私たちに本当に祝福の根源を見つけることができるようにさせてください。世の中を生かすことができるくらいの経済の根源を見いだすことができますように。まことの感謝を見つけることができますように。生活の根源を見つけることができますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。