20141005 インマヌエル教会聖日1部


神様が定められた義
(ガラテヤ6:6-9)


序論
▶さて、久しぶりに蔚山に来ましたが、より復興したような気がします。そして、皆さんの外見の姿も非常によくなったと思います。特に、聖歌隊の皆さんは、よりすばらしいなと思います。多民族の方も一緒なので本当に良いなと思っています。本人たちはあまり理解されていないような感じですが。

▶今日、蔚山に来ましたが、総神の日として礼拝をささげることになっています。これが偶然だと思うかもしれませんが、私はそうは思いません。なぜなら、私たちには偶然がないからです。今日、全国が総神の日として礼拝をささげることになっていますが、そこで私が蔚山に来たということです。これは簡単なことです。神様のメッセージは、蔚山の人たちは総神のために一度も祈っていないので祈りなさいというメッセージだと思います。なぜなら、今現在、世界の教会の問題は牧会者の問題ですから、神学校は非常に重要なことなのです。世界の教会は今、つぶれていっている。その理由は、牧会者の問題だと思います。ですから、やはり、神学校のために祈らなければなりません。なぜなら、皆さんの次の世代と関わることだからです。私は今日のメッセージを用意しながら、このようなことを思い浮かべました。

▶私とはまったく無関係な人かもしれませんが、でも、その子どもたちのために祈ろうと思いました。ある日、海雲台で集会がある時でした。朝起きて、ニュースを流していると、字幕に「チェ・ジンシル自殺」と出ていました。有名な芸能人です。私は直接、彼女を知るわけではありませんが、その事件を見た瞬間、本当に妙な気分になりました。そして、もう少し時間が経った後に、また事件が起きました。チェ・ジンシルさんの弟のチェ・ジニョンさんが自殺しました。そのあと時間がかなり経ちましたが、呆れたことにチェ・ジンシルさんの旦那さんのチョ・ソンミンさんが自殺しました。私は死んだ人に対しては惜しいとは思いません。自殺するほどであるならばそれくらい大変だったと思うのですが、残された子供たちがはやり問題です。私は個人的には自殺した人は生きる価値がない、そして、自殺者に対しては葬儀も行わないべきだと思います。なぜなら、それほどみっともないことはありません。なぜなら、残された子どもたちはどうなりますか。だから、私はその子どもたちのために祈りました。その子どもたちが、本人も知らない傷がどれほど大きいでしょうか。そして、彼らがこれから立ち向かう霊的問題をどのように勝つことができるでしょうか。なぜ私がこの話をするのか分かりますか。なぜたくさん死んだ人が多い中でチェ・ジンシルさんの話をするのか。なぜなら、その人達がみなクリスチャンです。クリスチャンだから、私は話しています。その子どもたちも、みな教会に通っています。私はその教会で伝道師さんや牧師が子どもたちにどんな説明をしているのか気になります。
▶この度、日本に行ってきました。まったく同じです。とても発展している国です。しかし、人間性というものが損失されている時代です。一生懸命生きて発展します。しかし、それが誰の幸せのためなのでしょうか。人間だけが崩れていっています。だから、精神病の時代を迎えてしまいました。精神的に患うのは日本だけでしょうか。韓国もひどいです。けれども、日本はよりひどいのです。それのみか、地震だとか火山が爆発するとか災いの時代を迎えてしまいました。なぜそうなのでしょうか。神様がいったいなぜキリストを私たちに送られたのでしょうか。災いの問題は、科学によって解決できません。そうですよね。災いの問題は、政治家が解決することができません。皆さんの背後で誰も分からないような状態で、皆さんの家系や子孫を滅ぼすサタンの勢力は誰も止めることができません。地獄の背景を防ぐことができず、原因すら人間はわからないで生きています。それで、神様はキリストを遣わすと約束されました。
▶この祝福は、いつ現れるのでしょうか。もちろん、救われた状態はこの祝福を得るべき身分ですが、現れるのはいつでしょうか。それは今日の3:6に記録されています。「アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。それと同じことです」と書いてあります。簡単に言えば、私たちが信じるとき、神様が義と認めてくださるということです。これを知っている人は、信仰生活にいのちをかけています。ある人々は、信仰生活を不真面目にする人もいます。どうなるでしょうか。適当に信仰生活をする人もいます。どうなるでしょうか。それは今のような状態になっていきます。つまり、神様なしでもこんなにお金を稼ぐことができる。だから日本のようになっています。日本は自分たちの国を今心配しています。なぜなら、いつどこで爆発するかわからないからです。自分たちも不安でしょう。今も火山がいつ爆発するか分からない。それで不安がっています。だから、私は祈るように言いました。義人10人だけいても、神様がソドムとゴモラを滅ぼすことがなかったというように。信じる時に義とされたと聖書は言っています。
▶私はこのガラテヤ3:6がとても重要な言葉だと思います。なぜなら、私がイエスを信じて世の中に出てみても、とても大変だなということが身に沁みて感じました。そこでどうしたかと言いますと、神様のみことばを握って、私は24時間、自分がつかんだそのみことばをずっと黙想しました。皆さんも今日のみことばを、一週間ずっと考えてみてください。神様がこのみことばで天地を創造されました。みことばを黙想するということは、奇跡が起きます。私は教会に行っても家にいても人に会っても幸せがありませんということを体験しました。私自身がどこかしらおかしい状態にならない限り、幸せがありませんでした。だから、私は24時間、キリストによって幸せになると思いました。そして、祈るようになったのです。どれだけ幸せかわかりません。誰も祈ることは邪魔できません。私は歩きながらも4万、40万、1千万の伝道弟子が起こることを考えながら祈っています。その祈りは誰も邪魔することができません。幸せです。私は早いうちから分かりました。私には能力がないということを。そして、私に能力がいくらあってもうまくいかないということを、早いうちから分かりました。そして、自分で決定しました。24時間、瞬間、瞬間、祈りながら、上からの力を得ようと。人にゆだねることはできない。私は人を助ける立場であって、人に助けを貰う立場ではない。私はうまく生きたいけれど、しかし、うまく生きられるような自分には何のバックグランドもない。地球上には、今災いの時代、霊的問題が来てたくさん滅びている。みことばがそのまま成就されています。だから信じないというわけにはいかない。信じられる。神様は私が神を信じるとき義とされたと言われました。例えば、これをずっとやっていくのに、身の回りの環境は変わらない、答えられていないような気がするかもしれません。しかし、それでよいのです。なぜなら、ある日、私が行く所々で神の御働きが起きるようになりました。そして、気づいたらサミットの座についていたのです。聖書は約束されたことです。私は元々、力がないということを神はご存知の上で、私が祈るときに、多くの人々を率いることができるほどの証人とさせるということです。今日は2部礼拝で祈りについて説明しますが、また今月の火曜集会の時も祈りについて説明しようとしますが、皆さんが祈りさえ正しく味わえば良いのです。皆さんが今どのような状況に置かれたかお分りでしょうか。私は生きること自体がうまくいかない人生でした。しかし、この力によって行く所々に行かされる人々が集まり始めたのです。このようにサミットになっていきました。私は少し信じただけだったのに。私は環境がとてもよくない家庭でした。どこにも頼るところがありませんでした。そんな私が、みことばを信じられるようになったのです。この目に見えない滅亡、災い、サタンはキリストでなければ解決されません。その時から、聖書のみことばが見え始めました。そして、祈るたびに起こっていることが何でしょうか。神の御国が臨むと約束されました。簡単に言ってしまえば、祈るたびに、神様の国が臨むということです。というのは礼拝時間がものすごく幸いな時間であり、祈るたびに暗やみの勢力は打ち砕かれる時間になるのです。
▶この時また悟りました。受け入れる者、信じる者には、神の子どもになる資格ではなく、特権が与えられたと言われています。つまり、その特権とは、神の子どもである身分と権威を回復されたということです。私はその時から、すべての患いがあっても構わなくなりました。なぜなら、祈ることによって答えられるからです。皆さん、問題ありますか。問題が来ても大丈夫です。もし失敗しても大丈夫です。なぜなら、神様が私とともにおられるために大丈夫です。私達が信じるとき、神様が私たちを義と認めておられるからです。

1. 行く所ごとにいよいよ12の呪いが崩れる
▶信じるときに義とされたということは、どういう意味でしょうか。皆さんが義とされたというのは、皆さんと皆さんの子どもたちが行くすべてのところに、12個の災いの勢力がなくなるということです。1)災いには原因、3つがあります。その原因とは、創世記3章、6章、11章によるものです。創世記3章、6章、11章の共通点は、神を信じないということです。神はいないということです。そして、神は信じなくてもよいということです。これがサタンの戦略です。それで完全に滅びるように、善と悪を知る木の実をとって食べるように誘惑していきます。そして、家庭、家系全体が滅びるようにネフィリムの時代が到来します。そして、次の世代が完全に滅びるように、バベル塔の時代を与えてしまいます。この3、6、11章を完全に崩していくということが義とされたということです。創世記3:15、創世記6:14、創世記12:3、アブラハムよ。あなたは祝福である。あなたの名は祝福である。つまり、祝福の根源にすると言われたのです。これは皆さんの祝福です。ものすごい祝福ではありませんか。義とされたという意味です。私たちは義人ではありません。けれども、神を信じることで義とされたのです。
2)その次が何か。世の中を見る目が開かれるということです。私は最初、分かりませんでした。皆さん、日本やアメリカを見てください。使徒13章、16章、19章の姿のままです。アメリカに住む人々は知りません。自分たちは偶像崇拝をしないと言っています。そんなことはありません。アメリカがどれだけ偶像崇拝がひどいのか。この通訳をされているデボラさんも、アメリカに住んで勉強しました。アメリカの文化が今何の文化なのか知っていますか。ニューエイジ文化です。ニューエイジが掌握しました。ニューエイジの始まりが誰なのかご存知ですか。占い師11人から始まりました。何のことでしょうか。使徒13章の姿のままではありませんか。使徒16章を見てください。占術や占い師たちがいっぱい出てきます。今フリーメーソンは全世界を捕えて、個人、個人に悪霊に取りつかせる儀式を行います。アメリカの人たちは認めていない人たちもいます。アメリカに住んでいながらも。そして、ものすごい偶像のパワーが使徒19章です。日本に行って見てください。どれだけの偶像でしょうか。実はその巨大な偶像を目の前にすると、圧倒されて感動が生まれてくるぐらいの偶像です。日本には12個の城がありますが、どこの城でも構いません。大阪城でもなんでも結構です。一つを見るだけでもわかります。驚くほどです。大阪城は全部が石によって壁を築いて城を建てました。これっぽっちも隙間がありません。そして、大阪城の周りは川でつくられています。その象徴は偶像です。しかし、誰も知らないのです。日本はどこに行こうと行く先々に神社やお寺があります。本当に日本のために祈るべきだと、このたびもつくづく思いました。本人たちも避ける道がありません。ほとんどが精神的に患っています。そこから解放されるのが、義とされたということです。
3)義とされたとはどういう意味でしょうか。未信者状態6つから解放された状態を義とされたと言います。簡単に言えば、運命を変えてしまったということです。皆さんも信じてください。皆さんの運命は変わりました。皆さんの運命は占う必要がありません。なぜなら、運命がひっくり返されて変わったということです。皆さんは法事を行う必要もありません。運命が変わったからです。しかし、それを知らずに他のことを握っていてはいけません。私たちは死からいのちに移り変わったと言われています。▶今日1節は何と言われているでしょうか。愚かなガラテヤ人、十字架につけられたイエス・キリストをあなたがたの目の前にあんなにはっきりと示されたのになぜ迷わせたのかということです。2部礼拝と火曜集会の時にも詳しく説明したいと思いますが、実は私たちは救われたにも関わらず、いろいろとこうやって迷わされているのです。誰に迷わされているのでしょうか。今日の3節にこう書いてあります。あなたが御霊で始まったのに、今、肉によって完成されたということなのか。つまり、御霊で始まって肉で終るのかということです。違います。これは何を言っているのかと言いますと、私たちが寝て食べて生きるようなそんな動物のような人生ではない。御霊によって始まったということは、神の恵みによって始まったということです。食べて生きることが人生でしょうか。私の娘が結婚しまして、娘の家に行ったところ、犬がいました。私はあまり犬が好きではありません。娘は二匹、犬を飼っていました。見ました。私が最初に行ったとき、初対面ですから私を警戒して顔色を見ていました。そして、娘が私のために料理をもてなすというので座っていたら、犬がソファのど真ん中に座って動かずに黙っていました。賢いなとは思いましたが、名前がホトルでした。ホトルというのは、韓国語の一番頭の文字をとったのですが、虎だとかウサギなどを合わせてあります。その犬には家もあります。よい環境です。自分の家もあって食べ物もあってリラックスして幸せそうです。でも、やっていることはいつも寝て起きて食べて、そんなことしかやっていません。私たちが食べて寝るのが人生であるならば、私たちはホトルのような犬以下の人生ではありませんか。しかし、そうではありません。私たちは御霊で始まった人生ですから、霊的にものすごい祝福があります。でも、だまされているから迷わされてしまうのです。私たちの人生は世の中の基準で測ることはできません。

2. 世の中が得ることができないことを与えられ、与えてくださるということだ
▶皆さんが義とされたということは、世の中から得ることができないことを与えられたということです。それは何でしょうか。
1)1節にあるキリストです。「ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。」つまり、これは何か。
▶私たちには、世の中の人がまったく分からないキリストという祝福が与えられました。「ああ、愚かなガラテヤ人」というのは、クリスチャンに対して、信者に対して言っている言葉です。未信者に対して言っているわけではありません。未信者に対して、「なぜキリストが分からないのですか」というのは当然なことであって、愚かではありません。これは私たち信者に対しての言葉です。キリストがまったく分からないから災いが来るということは当然なことです。でも、私たちに対しては、愚かだと言いました。なぜわからないのかということです。
3)3節に、御霊で始まった聖霊が働くこの信仰をなぜわからないのかということです。そして、6節には、アブラハムは神を信じ、義とみなされました。つまり、信じるときに義とされた。
▶なぜ信じるとき義とされるのでしょうか。なぜなら、私たちの問題はお金で解決できませんから。地獄の問題、霊的な問題は、お金では解決されません。天国に行くこと。お金を持って入れるところではありません。昔、釜山で最初に銀行ができたとき