20141012 インマヌエル教会聖日1部


キリストにある者
(ガラテヤ3:23-29)


序論
▶人間は何でしょうか。聖書には、明確な答えが提示されております。多くの学者たちは猿が変化して人間になったと述べています。私が知っている大学教授の友人が、そのような進化論を主張している学者です。人間は自然に猿が進化して人間になったと証明している学者です。その友人の家に訪れると、たまにそのように話をしているということでした。きれいな娘さんたちが挨拶に来るそうです。そうすると、冗談でこの執事さんは「ああ、お猿のお子さんたちですね」と挨拶するそうです。だから、娘さんたちが、みな嫌がるそうです。すると、猿の進化論を主張している教授は、「私の娘たちにそんなことを言わないでほしい」と言うそうです。「いや、あなたがいつも猿が変わって人間になったと言うのではないか」と言ったそうです。「いや、ある学説がそうだということをお話したかったのだ」と話しました。ニーチェは、神は死んだと言っていました。そして、全世界中の人々が神様を信じないようにさせてしまったのです。しかし、ニーチェは精神病を患って、精神病院で死を迎えました。共産主義も、神はいないと言いました。その共産主義は、70年後、完全に崩壊しました。では、一体、人間とは何でしょうか。神様のかたちを回復するのこと、それが人間です。そのかたちを回復しない限り、幸せはありません。
▶問題は、今日の本文にあるようにパウロの苦しみは何だったでしょうか。迫害ではありません。パウロは、逆に迫害をとても感謝だと表現するくらいでした。パウロは30回ほど死の危機に遭いましたが、それをまったく恐れませんでした。神に本当に感謝していると表現していました。しかし、パウロが一つだけとても苦しんで表現していた部分があります。それは何だったのでしょか。その部分を、今日の本文を通して見つけて、また解決していかなければなりません。パウロは、死も監獄に入ることも迫害も恐れませんでした。それなのに一つだけは苦しかったのです。それは一体、何だったのでしょうか。
▶私が知っているある執事さんの家庭なのですが、この方は何代にも渡るクリスチャンホームでした。信仰のある方です。そして、自分の子どもたちは、自分よりはるかに優れた信仰者だとも言っていました。そして、この執事さんは非常にハンサムでした。ところが、この人の顔を見てみると、日曜日に教会に無理やりに来ていると言う感じでした。何代にも渡るクリスチャンホームですし、子どもたちの手前、教会に来ないわけにもいかず、仕方なく来ているような感じでした。そうするうちに、日曜日に会社で特別なことが起これば当然ながら教会に来ません。教会に来るのが別に楽しみがなかったのです。面白くない。つまらない。そして、この方は運動をよくしていたので、会社のサッカー選手として出れば、数ヶ月間は教会に来ない。子どもと妻は礼拝に来ても、執事さんは来ません。たまに見ると、日曜日の礼拝が終わると即、逃げていくように帰ってしまいます。私はその行動を理解できます。しかし、問題はそれではありません。その方の家は2階建てで、歩いて上がっていきます。アパートなので2階に自分の部屋がある。すると、歩いていきながら途中で倒れてしまいました。運動もよくして社交性ありハンサム、人も良い。けれども、低い2階を歩いているところを、突然、倒れてしまったのです。だから、病院に運ばれて行きました。行ってみますと、なんと腎臓の方に癌が発見されました。医師はこう言いました。「この程度の癌でしたら、とても苦しかったはずなのに、ふぉうやって耐えられたのですか」と言いました。体内全体に癌細胞が広がっていることも気づかずに、良く遊ばれていたと言うことでした。子ども学校に通っていて、まだまだ年齢も若かかったです。だから、会社も何もいらなくなってしまいました。希望が無くなるくらい、体全体に癌が広まってしまいました。手術も不可能なくらい。自分があんなに好きだったサッカーもできなくなりました。会社はもちろん、行けなくなりました。だから、病院と自宅を行ったり来たりの生活になりました。病院に入院するのも、ある程度の希望がある患者さんにそう勧めるわけであって、病院ももうあきらめてしまい「自宅に帰るように」と言われました。希望がないということです。その時になって、私が聖書と賛美歌を持って訪ねて行きました。そして、福音を伝えました。この方の表情を見ました。非常に、切実な顔でした。生きたいという欲望で満たされていました。だから、私も彼を置いて祈りました。私はたびたび、暇さえあれば執事さんのところに行きました。ところがある日、見たら、この方の目つきが変わっていました。以前は、生きたいという思いがあったのです。でも、今になっては、その目には行きたいと言う思いがありませんでした。なぜなら、自分はだめだと言うことを完全に気づいてしまったのです。そして、私にこうお話しました。救われたことに感謝します。だから、神の子どもであることは確かです。神が私を救ってくださったことに感謝します。そして、私は、天国に行っても、その後に残された家族、子どもたちに信仰があるということに、すごく感謝しますと。私も気づきました。もうまもなく天国に召されるのだなと。やっとこの方が悟ったのだなと思いました。悟るということが、本当に難しいことなのでしょうか。私は救われた者、私は神様の子どもだということを悟るのは、そんなに難しいことなのでしょうか。人間がこんなことにまでなって悟らなければならないのでしょうか。
▶今日の本文を通して、パウロが一番訴えていること、苦しみがこれです。絶望から救われた私たちがキリスト、イエスの中にあるにもかかわらず、キリストの外のものをしきりに握ろうとしている部分に対してすごく苦しんでいたのです。救われた神の子どもは絶対にキリストにあるものを見つけなければなりません。キリストの中にあるという言葉は何でしょうか。パウロが今日、強くしいて言われました。 「キリストにある者」。これは理由のある言葉です。キリストにある者というのは、パウロはどんな理由があてそんなことを言ったのでしょうか。パウロは、最高位に至る政治、つまり、当時のサンヘドリンのメンバーでした。今で言えば、国会議員です。それくらい地位のあるものでした。そして、パウロは、最も尊敬されていたガマリエルの弟子でした。ガマリエルという非常に有名な学者です。また、パウロの家系も本当に優れた素晴らしい家系でした。パウロは学者でもありました。言語もよく話せ、家系自体がローマ市民権を持っていました。つまり、世的には何の欠けることがありませんでした。しかし、このパウロにも霊的問題があり、その問題は解決されませんでした。日々、自分の霊的問題は解決されません。それだけではありません。目を開けてよくみると、イスラエルはローマの属国になっていました。このパウロがキリストに出会いました。その日から自分の問題が解決されたのです。
▶皆さんがキリストの中にあるということは、どういうことでしょうか。キリストの外側を見てみますと、罪と災い、サタン、地獄のもとに置かれているのですが、そこから解放されたということです。パウロが一番よく使っていた言葉、「キリスト、イエスにあって」です。ローマ16章には、幾人かのメンバーが出てきますが、ひとりひとりに対して、キリスト、イエスにある○○、キリスト、イエスにある○○と表現しました。つまり、本当の祝福が何であるか分かっていたのです。
▶皆さんはキリスト、イエスにある者です。その者が、キリストの外側で生活するということは苦しみです。だから、そういう者はサタンの攻撃、第1ターゲットになります。答えがまったく見つからない状態。教会の祝福も受けられない状態です。皆さん、信仰生活はとても簡単なこの小さなものに、すべてがあるということを覚えていてください。今日の礼拝中、一度だけ考えてみてください。私は神の子どもである。私はキリスト、イエスに会って職場、家庭、社会問題を解決していく。私はキリスト、イエスにあって、会社も生かして社会も生かしていく。私はキリスト、イエスにあって、学校も生かす。この告白だけで結構です。多くの人々は信仰生活を錯覚しています。難しいと勘違いしています。もっとも簡単でシンプルなもの、それが信仰生活です。今日は錯覚しているボタンを持っていらっしゃるから、そのスイッチを切り変えてください。未信者たちは苦しみの中にいるのにもかかわらず、皆、嘘をついています。それを嘘だと分かるならば簡単に解放されるでしょう。そして、私たちはすぐに答えを与えることができます。皆さんは、キリスト、イエスの中にある者です。それなのに、外側のものを求めていますから、それを切り替えてください。私は変えました。そして、聖書はそのように記録しています。パウロはそう言いました。私はキリスト、イエスにあって、キリストが私を強くしてくださるから、どんなことでもできるのだと言いました。自殺者が増え続けています。キリストの外にいるからです。多くの人々が豊かな生活をしていますが、それは本当に幸せでしょうか。キリストの外にいます。皆さんも、今日、キリスト、イエスにあるものを見つけてください。
▶多くの方々は嘘をついています。教会に通うことが難しいと。それは救われていないときの話です。私は教会で救われた信徒たちを見たときに、皆、誤解、錯覚の中にいました。苦しみや問題の中に溺れていました。皆、キリストの外にいる、外に自分を置いています。だから、外にいる者に中の祝福を受けたということを教えました。難しいですか。全然、難しくありません。未信者たちがどんなに成功しても、一つだけは嘘をついています。なぜ嘘をついているかわかりますか。解決することができないし、それはその人にとって恥だと思っているからです。それをパウロは知っていました。この中に立派な方々がたくさんいらっしゃると思いますが、パウロほどの者はいらっしゃらないと思います。パウロはそれくらい立派な人物でした。それが悪いのか。そういうことではありません。そのような器であったから用いられましたが、自分の問題は解決されていなかったということです。しかし、本人の問題は誰にも言えませんでした。なぜなら、言ったって解決されないからです。例えばどうでしょうか。自分の家族に霊的問題で苦しんでいる、子どもたちがこうだということを人々に言いふらすことができるでしょうか。言えないし、言っても解決されません。学者たちによりますと、パウロは特異な病気を持っていたということです。彼もそれが解決されませんでした。キリストに会うことによって、それだけが解決されたのではなく、すべての答えを得ました。なぜイスラエルは、災いの中に置かれたのか。すぐに答えは見つかります。なぜローマに属国にされてしまったのか。答えが出てきました。すべては完了したということを分かったのです。この祝福を私たちも味わっていかなければなりません。それで、この祝福を持って会社も家系も現場も国家も生かしていかなければなりません。この祝福をパウロが見たのです。
▶このメッセージの内容を持って出てきた歴代の政治家がいます。誰ですか。リンカーンです。あの有名なガラテヤ3:28のみことばをもって、出てきました。ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。なぜなら、あなたがたは皆、キリスト、イエスにあって一つだからです。これをパウロが悟ったのです。キリスト、イエスにあっての祝福はとてつもなく大きいが、それは一つだということです。リンカーンはこれを悟りました。なぜ私たちは黒人を奴隷にしなければならないのか。キリスト、イエスにあっては一つではないのか。白人たちからはものすごく反対の声が上がりました。リンカーンが解放運動をしようとしたからです。今は人種差別は大変な問題ですが、当時は当たり前なことで、白人たちが反対したのです。だから、こんなことを言っていたリンカーンが大統領になれたでしょうか。大統領になるために、候補者としていろいろな演説をするときに、自分の公約を言うのではなく、聖句を宣べました。でも不思議な反応が起きました。リンカーンは候補者であった時に、行く所々でたくさんの黒人たちが声をあげてきました。そして、数多くの人たちが、祈りとともに拍手を送りました。神様のみことばをもって出て行ったからです。皆さんご存知のように、政治活動をするのに国から基本的経費が出るのですが、リンカーンはそれが残って余ったので、それお全部、国家に返却したという大統領でした。そして、今もワシントンに行きますと、リンカーンのブロンズ像がありますが、その足元はピカピカ光っているそうです。なぜなら、皆が口づけをしていくからだそうです。このように神のみことば一つを持って出て行きました。
▶皆さんは救われた神様の子どもなので、その身分がキリストの外の方に自分を置いてしまったのでは全く事が進みません。アブラハムの場合を見てみましょう。彼はどんなに努力してもうまくいきませんでした。なぜでしょうか。もしかして、この中に努力しても解決されないという方、いらっしゃいますか。アブラハムは悟ったのです。ましてや、ペテロの場合は、あなたは生ける神の御子、キリストですと、イエス様の前でそう告白しておいて、なんと裏切ってしまいました。なぜでしょうか。彼に恐れがあったからです。この時代に異端だと濡れ衣を着せられ、こうやって殺されるのではないかという恐れがあったからです。しかし、ペテロは悟りました。どれくらい大胆なものになったでしょうか。私に金銀はないが、私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって起き上がれと言いました。以前は、ある少女の前でも恐れていたペテロが、今度は法廷に立ったままでも大胆にキリストの皆以外には救われる名はないと告白したのです。使徒4:12は、他の宗教は間違っていてキリスト教だけ正しいという言葉ではありません。キリスト以外には人生の問題は解決できないと言う告白なのです。絶対、キリストでなければならないということです。だから、世の中がどんどん難しくなっていくのです。私たちのこの団体の中にも、たくさんの音楽家や芸能人が多いです。もちろん、特別な祝福を受けた人々です。しかし、芸能人は芸能界で生き残るためには霊的な世界に自分を入れない限り生き残れません。その霊的世界と言ったときに、その霊的な例の部分が、キリスト、イエスでない限り、すごく苦しいでしょう。だから、芸能人は自殺する人が多いのです。どういう意味かお分りでしょうか。キリスト、イエスの中にあると言うことは、本当に味わう者にはとてつもなく大きなパワーになっていきます。うつ病を患っている人たちを見ますと、すごく頭が良い人たちに多いです。あまり勉強ができない人は、うつ病にならなかったりします。あまり考えないので憂鬱になることもない。ところが、考えすぎる人、頭のよい人たちというのはうつ病にかかります。なぜそうなのか分かりますか。人間は霊的な存在であるからです。霊的問題の解決者はキリストです。だから、パウロはキリストにある者という表現を多くしてきました。
▶皆さん、本当に答えと祝福が始まっていくように祈っていきたいと思います。私はこの言葉が本文から出てきたとき、すぐにこの客を握りました。誰かが見たときには、私の行動は本当につまらないかもしれません。しかし、私はみことばが成就されることを見た者です。そして、見ています。キリストという言葉を悟りました。キリストという言葉がすごいのに、キリストにあるということはいかにすごいことなのでしょうか。

1.キリストの中にあれば、だれも防ぐことができない世界の基が置かれる前からの問題が解決される
▶キリストの中にいるということはどのような状態なのか。今日の本文にあるように、誰も止められない永遠の前にあった問題が解決されます。例えば、うちの家で精神的に患っている者はどうしたらよいのでしょうか。何か間違っていたのでしょうか。いいえ、今起きた問題ではありません。それは世々に渡る前から来た霊的問題の流れです。世々に渡る前の時刻表がいつかというと、サタンが堕落したその前です。そのくらい前のことです。だから、皆さんが本当に今日この契約を握って、キリストさえ握れば終わります。キリストの外にいるのではなく、キリストの中にです。
1)ヨセフの兄たちを見てください。信仰生活は良くしていました。けれども、外側でやっていたのです。どういうことか分かりますか。他の人は分からないとしても、サタンと神様は分かります。キリストの中にあるのか、キリストの外にあるのか。未信者は聞き取れない言葉でも、皆さんは分かる言葉ではありませんか。今日から皆さんの身分を堂々と大胆に勝利してください。皆さん一人で十分です。皆さん一人で家系を生かすことができます。皆さん一人が会社を生かせます。皆さん一人が社会を生かすことができます。皆さん、幾人かいらっしゃるだけで、国を生かすことができます。間違いなくそうです。だから、本当にキリストの中にあることを見ていただきたいと思います。これを神が知っておられ、サタンが知っています。ヨセフの兄たちを見てください。よい信仰者でした。でも、ただ食べること、ただ着ること、ただ嫉妬やねたみ、なぜヨセフだけが父親にひいきされているのか。それしか分かりませんでした。ヨセフは月や星、太陽が自分にお辞儀をする、世界福音化の夢を見ていた者です。答えは簡単です。
2)次は、イスラエルの民を見てく浅い。エジプトから解放されました。解放されたのも関わらず、暇さえあればつぶやいていました。不満、不平を。この状態を、キリストの外にいたということです。モーセ、ヨシュア、カレブを通して、神様はすべての災いを止めました。今日から本当に始めてみてください。皆さんにある問題が絶対に祝福に変わります。本当に変わります。
3)キリスト、イエスにある者。言葉で並べ替えてみますと別に何でもないように思っています。例えば、このようなパターンです。私がどうしたら、神様に栄光をささげられるのだろうかという人と、私がどうしたらキリストの中で利益を得られるのだろうか。私がどのようにすれば、あの人がこの場所からいなくなって、私がこのすべてを自分だけで占領できるのだろうか。この考えは何か。サウル王がそうでした。キリストの外にいたので、サウロ王はあのダビデがいる限り、うちの息子は絶対に王座には就けないと思っていたのです。国を生かすためにはダビデが必要なのに、ダビデのせいだと。ダビデがいる限り、彼が存在する限り、私の家の者は大物になれない。その思いの中に悪霊が入ってしまったのです。聖書にも書いてあります。サウル王にはのろいの霊がついたと。汚れた霊が。だから、義理の息子なのにダビデを殺そうとしました。そして、なんと12回も彼を殺そうと試みていました。ダビデはそこから逃亡生活が続いて行くのですが、サウロ王のために祈る者でした。かわいそうにあわれんで祈りました。
▶キリストにある者だったから勝利しました。目に見えないサタン、暗やみ、地獄の背景が、絶対に皆さんに勝つことはできません。私たちのレムナントもこの言葉の意味が分かるならば。行く所々で答えられます。キリストの中にある者。キリスト、イエスにある者。
4)同じ神様の民なのですが、ある日、重要な問題が起きると、すべて自分中心に考えてしまう民がいました。すべてのことは自分のために、自己中心的でした。自分が見るに自分の頭で合理的であるならば神の御心、自分が見るによくなければそれは悪魔だと考えてしまう民がいました。だから、そのような考えを持っているから、その時代の一番よくない悪霊がこの人の思いについたのです。それは誰ですか。アハブ王でした。神様から離れてしまいました。でも、その相棒がおかしい預言者たちをいっぱい育てました。しかし、そんな中でもめげずに最後まで契約を握ったのがエリヤ、エリシャです。キリスト、イエスにある者に対しては、世々に渡る前からあった。その過去の問題をすべて祝福に変えます。
5)長い間、神様をよく信じていた正統教会が滅びました。それがユダヤ教です。なぜでしょうか。キリストの外側にいたからです。力のない小さな教会のように見えたが、ローマまで征服したのが初代教会です。その中で伝道運動の主役となったパウロが今日言います。キリストにある者!キリストの身分を持っているにも関わらず、キリストの外側でさまよっているガラテヤの使徒たちに対して、キリストにある者だと手紙を送っています

2.キリストの中にあれば今日100年、1000年の答えがくるようになる
▶皆さんが本当にキリスト、イエスの中にある奥義を味わうならば、100年、1000年の答えを得ることができます。
1) それは23節をご覧ください。律法の下に縛られないということです。
▶韓国にも憲法があります。その法律は、私たち国民を守るためにあります。私たちを束縛するためではありません。法律に束縛されると思う人は犯罪者です。キリストの律法の外側にいる人は、皆、養育係のようだということです。
2)例えば、すごく知識もあって、社会的にも地位のある人が教会に来て、なんでもないことで心が曲がったりする人がいます。韓国のある財閥の人が教会に来ましたが、教会の中である執事さんがミスをしました。それで心が曲がってしまいました。すねてしまったのです。だから、自分の娘がイエスを信じて教会に来たときに、他のことは全部許すが教会は絶対にダメだと言ったそうです。つまり、あれだけの財閥で勉強もした人が、他は全部OK。教会はだめだと言うのです。その娘さんも父親との争いに負けてしまったのでしょうか。最近、教会には来られなくなってしまいました。私たちが電話をしても、電話も受けないようです。あれだけ立派な財閥の人が、養育係が必要なのです。だから、聖書にも養育係と書いてありますが、つまり、幼稚園生には幼稚園の先生が必要ですが、もう立派になれば先生は必要ありません。律法の下にいれば、律法の先生が必要で、けれども、そこから解放された者ならば大丈夫だと言うことです。キリスト、イエスの中にある者は、苦難があっても構わなくなるくらいになります。
3)刑務所の中に捕らわれていたパウロも、キリスト、イエスにあって、私を強くしてくださる方のおかげですべてが可能だと言いました。
▶今、釜山ヨンドの教会もともに礼拝をささげていますが、周辺には教会が多いです。その教会が力を合わせて、私たちの教会を迫害しているために生じた問題がいまだに続いています。当時、私たちの信徒は皆、弱いものでした。しかし、キリストのあるものという言葉を理解しました。そして、ヨンドの教会がどうなりました。あの力の無かった教会が、釜山だけでなく、世界福音化する教会へと一番祝福された大規模な教会に神様が祝福されました。皆さんが本当にキリストの中にある者であれば、落胆する必要ありません。キリストの中にあれば死んでもOKです。キリストの中にあるなら問題が来ても構いません。なぜなら、それはすべて祝福に変わるからです。

3.キリストの中にあれば、神の国が成される一つになることの祝福を味わうようになる
▶キリストにあるものは一つだ。 28節。一つとは何か。私たちが向かう天国が一つだから、私たちも一つだ。その天国に行く者たちが集まるのが教会です。だから、教会がキリストにあって一つです。どういう意味でしょうか。キリストにある者は、神の御国が行われる祝福が臨みます。間違いなくそうです。落胆しないで誤解しないで契約だけを握ってください。
▶信徒たちが、例えば、ある執事さんが誤解をしただとか、問題があってと訪れてきて会話をしますと、ほとんど誤解です。問題に対しも正確な見る目が必要なのですが、全部見方が誤解しています。ある信徒にいました。「あなたはそんなことも誤解していて、2千年前の聖書を読んで理解できますか」と言いました。皆さん、誤解しないでください。キリストにある者、この契約を握れば神の国が臨む祝福が臨まれます。ある人はこう言います。「牧師、私たちの教会も多くのタレントさんや芸能人がいっぱいいたら、本当に伝道に良く用いられますねと言っていたので、私はその人に「それは錯覚だ」と言いました。タレントさんがいっぱい集まると、それは教会ではなく、サークル名みたいなものになってしまいます。それは教会の中にいる人たちが一つという意味を理解していないからです。一つというのは団結という意味ではなく、教会にはこんな人、あんな人が集まっているけれども、神を信じる神の民であるため、一つなのです。教会は立派な人も必要だし尊敬すべきです。しかし、障害者や大変な生活をしている人たちも尊敬されるべきです。つまり、大統領もホームレスも一つの場所で一緒に礼拝をささげることができる、それが教会です。この言葉が理解できるならば、行く所々で神の国が臨まれます。そして、私たちはこの地上を離れると天国に行ける。それが一つだということです。すごいメッセージです。パウロはものすごいメッセージを神からもらって伝えましたが、この言葉をリンカーンが引用したのです。だから奇跡は当然起きました。
▶今日必ず確認する必要があります。私はキリストの中にある者だ!だから、外側でさまよわないでください。韓国のことわざでよくこういうことを言います。殴られる前にやりなさいということわざがあります。子どものときに、読んだ童話の中にも、『王子と乞食』という本があります。王子は王宮の中にいたくありません。退屈です。外側の世界が興味深くなりました。外の世界が見たいわけです。王宮の中では自分が王様だから、みな言うことを聞いてくれるのに、自分で乞食を呼びます。私と洋服をチェンジしようと。そして、自分は乞食の洋服を着て外に出て、乞食は自分が王宮の中にいるということでラッキーだと思います。王様は乞食の洋服を着て、外に出ます。いろいろなところをふらつきます。すばらしいということを期待して出たけれども、ちょっとおかしいがあまり良くない。乞食の家に行って寝てみましたが、乞食の父親、兄弟たちが「いくらもらってきたのか。今日の売り上げはどうか」と確認するのに、何ももらってきていないから殴られました。王様は、もうこれはやっていられないということで、また王宮に戻りました。すると、門の前で「乞食が何でこんなところにきたのか」と受け入れてくれないのです。「私は王子だ」と言っているので、これは基地外だと言うことで、また殴られました。これがクリスチャンの姿ではないかと思います。ここで殴られ、あそこで殴られ、口を聞かないから、また口を聞くから殴られる。どうでしょうか。また、神様には早く戻ってきなさいという思いで殴られ、外に出ればまた悪魔に殴られるという生活。キリストにある者、キリストにつくもの。理解さえすればすぐに答えを見つけられます。サタンが分かります。皆さんがどんな状態であるか。嘘をついてはいけません。嘘をいっぱいつきますと、サタンは全部わかります。他のことはともかく、自分自身をだますことはできません。マフィアの経営学の本を読んでみてください。第1章を開くとこう書いてあります。他人はだませても、自分をだますことはできない。マフィアもマフィア経営学を教えているのだそうです。私たちは神様の子どもではありませんか。自分の身分がキリストにあるということが確認できて、今まで外側にいたのだなということを本当に告白するなら、悟るなら、すぐに答えられます。▶サタンのわなから解放される日、どんなことになるか分かりますか。ヨセフがそうでした。ヨセフはいつも自分が兄たちに嫌われている、いじめられていると思っていました。けれども、ある日、夢を見て悟りました。違うと。ダビデも最初はサウル王が自分をいじめていると思いました。けれども、「ああ違う。これは違うのだ」ということを悟りました。だから、その日以来、悪霊に取りつかれたサウル王をおいて祈りました。パウロが用いられたことを見てみてください。キリスト、イエスにある者、行く所々に神のみ国が臨まれていました。
▶私は子どもの頃、3つのことを見ました。何を見たのか。私の町は火災に遭って、町全体が燃えてしまい山で暮らしました。すると、なんと今度は戦争からの避難民たちがまた来たのです。つまり、お金のある人は、山の下で市場だとかの近所に住んで、お金のない人たちは皆、私たちと皆同じようにごちゃまぜになって一つの山でテントを張って暮らしました。その生活で、私は本当にどん底の貧しさが何かということを見ました。逃げて生活をしている人たち、また、火災に遭って何もなくなっている人たちが一緒に暮らしている共同生活、皆さん想像できますか。貧しさ、貧困という意味が分かりました。そして、町中は偶像崇拝だらけです。いつもお祓いをする儀式を見て育てられました。つまり、何か偶像崇拝の現実を私は身にしみてわかりました。そんな私がキリストを悟るようになったのです。そして、キリストを悟った日、今度は正反対の成功者たちにも出会いました。中にはお金持ちはこのような暮らしをするのだなということを見ました。「ああ、あれがお金持ちの生活なのだな」ということを見ました。本当にお金がある人たち、本当に成功している人たちを見て、こうなのだなということを見ました。また、豊かな人とそうでない人の差があるなということは学びました。でも、中には、二種類の人達を発見しました。お金を主のために用いる人がいれば、反対にお金のせいで滅びる人を見ました。そこで、私はキリスト、イエスにある者という答えが何かということを確実に分かりました。皆さん、何事も心配する必要はありません。なぜなら、キリストにある者、悟る瞬間、キリストが皆さんの人生の責任を持ってくださいます。キリストが、神様が責任を負われます。今日からこの祝福を体験するようにイエスの御名でお祈りします。


(祈り)
神様、感謝します。今日の重要なことを確認するようにお願いします。私たちが現場にぶつかったとき、確認することができますように。そして、100年分の答えを先んじて得ることができますように。問題に出会ったときに確認することができますように。そして一千年分の答えを先に貰うことができるようにお願いします。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。