20150222 インマヌエル教会聖日1部


ヨシュアの死
(士2:1-10)


序論
▶昔、私が住んでいた町に父親も母親も病気になって、2年の間に亡くなられた家がありました。一番上の子どもが中学生か小学校6年生だったと思うのですが、その下に2人いました。小さな子ども3人を置いてお母さんお父さんが亡くなってしまったのですから、とても大変だったと思います。一番上の子が中学校に入学して、早朝、新聞配達をするようになりました。そのお金はいくらにもなりません。夕方には練炭配達もしました。それもあまりお金にはなりませんでした。でも、それで下の二人の弟を育てました。そして、自分でご飯も作りました。近所のおばさんたちが本当に立派だなということで、キムチやおかずを作って渡していました。また実際に、中学生というその年齢が一番難しい年齢ではないでしょうか。でも、時間があれば、自宅で勉強をしていました。ソウル大学に行くことだけが、すべて良いというわけではありませんが、この子がそうやってソウル大学に合格しました。だから、町中の大人が皆、口をそろえてこうおっしゃっていました。人間、なるものはなる。大人がそのような話を言っていました。そのような環境でそこまでできたということは、彼なりの何かがあったということだと思います。本当に神の大きな恵みを得ていた、そのような人でした。
▶今日の本文にヨシュアという人が出てきますが、皆さんもよくご存知だと思います。モーセの弟子でもありました。モーセが出エジプトを成し遂げたなら、このヨシュアは、カナンの地に連れて入った指導者でした。そのヨシュアが今日死ぬという記録があります。イスラエル最大の危機の中で選び出された人でもあります。イスラエルがどれくらい危機の時代だったかと言いますと、イスラエルで生まれる男の子は皆、殺しなさいと王が命じるような時代でした。そして、イスラエルが奴隷となり、悪条件でした。また、モーセとヨシュアは何の大きな背景もありませんでした。彼らが軍隊を持っているとか、力のある人でもありませんでした。しかし、重要な答えを成し遂げました。序論でも申し上げましたように、どのように両親もいない、そのような若者が弟を育てながら、勉強することができたのでしょうか。皆さんも私たちも本当にいろいろな場面にぶつかって、人生に苦しみがあると思います。また、私たちはいつ何が起きるか分からないような、そんな不安な人生を私たちは生きているかもしれません。また、私たちが生きて行く中で、大きな危機だという瞬間もあると思います。このように生きていく中には、苦しみがたくさん伴うのではないでしょうか。でも、その中に必ず重要なことがあります。その重要なことがあるたびに、ほとんどの人が揺れたり崩れてしまいます。でも、必ず神様は苦しみの後に、大きな祝福を備えられています。ところが、神様を信じないからその祝福を見ることができません。また、「私は神様を信じている」と言ってはいながらも、祈りが分からないから本来の祝福を見つけることができないのです。神様は未信者にも働かれます。まして信じる者には、苦しみの後に、必ず神様の重要な計画があります。
▶それでは、どのようにヨシュアは、このような神様の大きな働きを成し遂げたあと、死を迎えたのでしょうか。聖書はこのように語っています。7節に、「ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って主がイスラエルに行なわれたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、主に仕えた。」とあります。これ以上の大きな祝福はないでしょう。ヨシュアを見たすべての人は、主に仕えた。どれくらい大きな祝福でしょうか。ヨシュアが生きている間に、ヨシュアを見た人、ヨシュアとともにした軍人、長老たち、すべての人々が主に仕えた。つまり、主が生きているということを見たということです。
▶このように、最大の危機の中で、最も困難な時に、どのようにしてヨシュアはこのような答えを味わうことができたのでしょうか。

1.奴隷になった理由を知っていた
▶一つ目です。ヨシュアはなぜイスラエル民族が奴隷になったのか、その理由を知っていました。私たちは理由について分かるならば、大きな答えを得ることができます。皆さんに起きている問題の理由を分かるならば、大きな祝福を得ることができます。神の民がどうして奴隷になってしまったのか、その理由をヨシュアは知っていました。モーセについて行きながら、それを学んだのです。イスラエル民族は、神の契約の民です。それなのになぜ、未信者の奴隷になってしまったのでしょうか。その悲惨な形になってしまった理由をヨシュアは知っていたのです。今日、皆さんもそれを見つけなければなりません。ヨシュアが理由を知っていました。ヨシュアが行く道に神の驚くべき御働きが起き始めました。
▶私の世代、特に私は6.25戦争にあい、多くの困難な時代を生きてきた者です。私たち大人は、そんな時代を経験しているので大変だったと思います。そのような時代の中で、家庭も家系も皆大変であった、国家も大変であったと思います。その理由を知っています。理由を知ったので、その時から神様からの答えが来始めました。今日、皆さんが落胆せず理由を発見する祝福の日になることを願います。
▶皆さん、創世記は誰が記録したでしょうか。モーセが記録しました。そのモーセについていった従者ドアと言われた最高の者はヨシュアでした。すべてを見ました。モーセはすごいことを記録した者です。人間が滅びるしかない理由、創世記3章の事件を記録しました。神様がいなくてもよいと思っていたのに、なぜかサタンにすべて捕えられてしまった創世記6章の事件を記録しました。人間が成功したと思ったのにバベル塔が崩れたその創世記11章を記録しました。これらの答えをすでに提示したのに逃してしまっていたから奴隷になってしまったということです。
1)クリスチャンの多くは、伝道が何であるか、宣教が何であるか誤解しています。それは福音を誤解したということです。伝道が何であるか、宣教が何であるか分からないから奴隷になるしかありません。モーセとヨシュアは理由を知っていました。今日、皆さんが理由を発見する祝福の日になっていただきたいと思います。
▶多くの人々は、問題が生じますと、焦ったり逃げようとします。また、問題が生じると、誰のせいだと普通なります。そして、大きな危機が来れば逃げようとします。そして、多くの人々は逃げる道が見えませんと崩れて病気にかかってしまい。ある人は自殺をしてしまいます。このように、人々が結局は崩れるということです。今日、理由を発見する日、皆さんには大きな祝福、奇跡の扉が開かれることを信じていただきたいと思います。私はその部分に対する証人です。私は困難な時代、教会、家庭の大変さすべて見ました。神はすばらしい愛の神であって、私たちの目に見えない形で働き、そして、成就されるみことばをくださり、全部、理由を発見できるように導いてくださったのです。今日はそのような祝福を体験する1日になっていただきたいと思います。
2)400年間ずっと苦しみが続きました。ヨシュアについて行ったものの、実は奴隷になってしまい、本当に大変な時代になってしまいました。王は命令を下します。イスラエルの生まれるすべての男の子は無条件、殺しなさい。その時に生まれた人物がモーセです。このモーセは理由を知っていました。そして、神の導きによって神様がすべてを完成させていくのですが、すべてを完成させた人がヨシュアでした。簡単に言えば、ヨシュアは根本を知っていたということです。今日、皆さんの生涯にとって最も大きな祝福の日になっていただきたいと思います。
▶神様を知らずに生きていく人生ですから、本当に失敗してしまうわけです。なぜ人間にずっと災いが続き、なぜ危機にぶつかってしまうのか理由を知らずにいます。驚くべきことに、モーセはそれを記録し、ヨシュアがそれを見たのです。ということは皆さん、そのみことばを握るだけでも答えられるようになるということです。
3)何を見たのでしょうか。エジプトから解放される事件を見ました。全イスラエルの民が家の門柱に羊の血を塗った日、エジプトから解放されて出てきました。皆さんが本当に福音を握ったとき、皆さんに降りかかったすべての災いは去っていきます。いかに大きな祝福でしょうか。今日、皆さんがこの契約を握る瞬間、皆さんの子孫、子どもたちに、すべての次世代にあるすべての災いは去っていきます。これをヨシュアは知っていました。いかに大きな祝福だったでしょうか。どれほど感謝なことでしょうか。
▶私は実際に福音を悟った日から言い訳がなくなりました。誰かが私にいろいろなクレームをかけたとしても、なんでも相手に合わせて譲ります。例えば、誰かが私の悪口を言ったとしても我慢します。数十年間、私を迫害したとしてもかまいません。なぜなら、神様は私たちに多くの答えを与えてくださったからです。そうですよね。私たちの教会は四方八方から迫害されましたが、この周辺で世界福音化を最も多くしています。言い訳は一切、必要ありません。福音を悟ったその瞬間かから、なぜなら、すべては終わったからです。完了したからです。ヨシュアはそれを知っていました。
▶今日、皆さんが本当にこの契約を握る瞬間、神の御働きが起きると信じます。皆さんの家系や子どもたち、周辺に、どれだけ暗やみの勢力が働くのでしょうか。今日握る瞬間、完全に崩れる日になるということを信じていただきたいと思います。この理由すべてを知っていたのがヨシュアでした。羊の血を塗った日、すべてのエジプトののろいから離れられたということを記録したのがモーセで、すべて横で見たのがヨシュアとカレブでした。どれほど感謝なことでしょうか。

2.荒野の道、人生の道を渡る間、神様の方法3つを知っていた
▶2番目です。荒野の道、人生の道を行く間、神様の大きな3つの方法を知っていました。それは何でしょうか。
1)幕屋中心の過越の祭り。
2)五旬節と呼ばれる祈りの力。
3)そして、収穫祭という背景です。
▶この3つの方法を知っていました。ヨシュアはとても偉大なものです。皆さんの人生の道のりの中で、神様が与えられた一番大きな祝福の3大祭りを覚えてください。過越祭り、五旬節、収穫祭。または過ぎ越し祭りとか、ペンテコステ、仮庵の祭り、感謝祭とも言いますが、五旬節とは何かと言いますと、要するに、私たちは荒野の道のりで 50日目に神様が備えられた祝福を与えてくださった、そこでマルコの屋上の間でも「五旬節の日になって」とあります。この救いの祝福を彼らは味わっていました。では、それまであった過去のすべては土台となって、苦しみはベースになりました。皆さん、どれだけの苦しみを持っていらっしゃいますか。神様は荒野の道のりで幕屋を与えられ、契約の箱を通し大きな恵みを彼らに注いでくださいました。

3.ヨシュアはカナンの地入るという神様の目標を確かに知っていた
▶3番目です。ヨシュアは何を知っていたのか。カナンの地に入るという、神の目標を確実に知っていました。皆さんを通して神様は世界福音化を成し遂げていくという確実な契約を握らなければなりません。ある面で焦りは一切、必要がありません。なぜなら、神様がすべてなさいます。皆さんを通して家系の福音化がされるという契約さえ握ればよいのです。神の確実な目標です。なぜなら、主は言われました。主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族が救われると言われたのです。
▶ヨシュアは110歳で亡くなったということですが、ヨシュアの人生全体を今日見て、契約として握っていただきたいと思います。どのようにしてヨシュアは、こんなにも大変な時代にこんなに大きな契約を握って勝利したのかということです。その理由の一つ目が、人生の問題、奴隷の理由を正確に知っていたということです。私たちは人生の道を歩いて行かなければなりません。これは荒野の道を歩くのと同じです。どのような方法で私たちは行くのか。これをモーセを通して学んだのです。その中で、三つの祭り、過越祭り、五旬節、収穫祭です。皆さんがこの祈りの力を持っていくと未来が見える驚くべきことが行われます。神様のみことばを信じていただきたいと思います。そして、今年は本当にこれらを体験する祝福がありますように願います。
▶この1、2番目ができますと、3番目の目標が見えます。カナンの地に入ることは、神の計画である。各自な計画である。だから、どんなことが行われたのでしょうか。
1)ヨルダンが分かれました。ヨルダンを恐れずに渡ることができたのです。確実な神の目標がはっきりと見えたので、エリコも崩すことができました。皆さんもご存知のように、エモリ人というあの連合軍との戦いに、全く揺れず恐れなしに戦わずに勝利しました。
2)昔、偵察隊が報告するとき、12人のうち10人が間違った報告をしていた。つまり、人々は今の世の中の状況を見て不安がり、間違った知識を持って不安になっていました。そんな中、ヨシュアとカレブは正しい報告をしました。「いいえ。違います。私たちは彼らを私たちの餌食だと思っています。カナンは乳と蜜の流れる地、神が私たちに与えられた地である。彼らの指導者たちはすべて逃げました。残っている人々は、皆、震えおののいています。だから、今が時刻表です」。皆さんが本当に祈るならば、正しい目がすぐに開かれるでしょう。神を知らずにいますと、間違った目が開かれてしまいます。アダムとエバが善悪を知る木の実を取って食べてしまいましたので、間違った目が開かれてしまいました。自分たちが裸であるということに気づいてしまったのです。裸だということは見えるけれども、霊的な目は逆に暗くなってしまいました。これはとても重要な部分です。神様はない、神は信じないという人たちは、世的にはすごく優れた言葉を言うかもしれませんが、霊的な目が暗くなっているので、間違っていることを話しています。このようにして継続して霊的な問題は止められないほどになってしまいました。これをヨシュアが知っていたのです。
3)祈りの中、カナンの地に入国することは確実なことですから、目の前にどんな障害物があってもそれは越えることができる。そして、他の人が全く見ることができない霊的事実を見極めることができました。この目がいかに違っているのか。これが神を信じる者と信じない者の目の差です。神を信じない者はなんと言ったでしょうか。私たちはその地に入れません。入ったとしたら、皆殺される。そして、兵士たちはとても偉大で大きな町があると言いました。現実はそのとおりです。未信者が言っている不信仰な言葉はそのとおりです。そうです。そんな町に私たちが子どもを連れて入れば、皆殺される。そうです。だから、そのままの状態を維持するか、またはエジプトに帰るかのどちらかでしかないということです。滑稽にもその言葉を聞いて、民たちは号泣していました。しかし、祈りの人ヨシュアとカレブは正しいことを見たのです。不信仰をしている人たちはうわべだけを見ました。
▶重職者の皆さんは、今年は大きな力を得ていただきたいと思います。神のみことばと世の中が一致しない、合わない。そうすると、うわべだけしか見えません。本当に合わないと思いますか。信仰生活をする人が社会生活は大変だという人はうわべだけを見ているからです。韓国とアメリカでは文化が違います。そうです。しかし、うわべだけを見ているからです。だから、答えを受けられません。日本と韓国はとても違う。そうです。だから、うわべしか見ていないのです。本当はアメリカも日本も韓国もすべて同じです。神から離れたすべての人は霊的に苦しみに遭います。キリストという言葉が分からなければ災いが臨むようになります。そうです。皆さんはこの部分に対しては、確実に握っていただきたいと思います。目が間違って開かれてしまってはいけません。だから、未信者の話が間違っているわけではありません。正しいです。しかし、それは片面しか見ていない、うわべだけなのです。しかし、霊的な目を持っている人、祈っている人、福音を知っている人は見る目が異なります。この目がすべての信徒、レムナント、重職者に開かれるように祈って行きたいと思います。
▶その瞬間から、驚くべきことが起きてくるでしょう。どんなことでしょうか。私たちの力ではできないことを、神の力によって覆すことができます。なぜ神はヨルダンを分けられたのでしょうか。そうしてこそ、世の中を生かすことができるからです。それでこそ、次世代を生かすことができるからです。神様は何のためにエリコを崩されたのでしょうか。そうしてこそ偶像、災いを崩すことができたのです。神はなぜバベル塔を崩されたのでしょうか。なぜエモリ人を皆、崩したのでしょうか。それでこそ、すべての呪いを止めることができるからです。これをヨシュアとカレブは知っていました。
▶今日、皆さんがこの契約を握る瞬間、その時から御働きが始まります。

結論
▶今日、重職者の方にもお話しました。私たちの教会は、今後やることがたくさんあると思います。皆さんは仕事という形にならず、答えを受けてください。教会の仕事を何もやらないでくださいという意味ではなく、働きながらその中にある神の計画、祝福を見なさいということです。ヨシュアのように答えを受けてください。そして、働いている間、荒野の道を行く間、神様が与えられる重要な導きを受けてください。神殿建築をやりますと言われたときに、ただ建築、建築となると、どれほど大変でしょうか。神のみことばが皆さんに働く、その御働きの証拠が皆さんのビジネスに、家庭の中に、現場に、神様の証拠が見えなければなりません。どんな証拠でしょうか。ヨルダンが分かれました。到底ありえないことが起きたのです。こんなにも軟弱で貧弱な私たちが世界福音化するには、神の奇跡、力がなくてはなりません。いまだにイスラエルのこの記念碑は存在しています。何の塔なのか。到底理解できません。イスラエル民族がヨルダンを渡ったという記念碑。ヨルダンを渡りながら石を拾ってはそれで塔を建てた。記念碑を建てた。その証拠です。それは私たちの力では到底できない霊的な問題を、神様は皆さんを通して解決することという記念碑です。それを次の世代に説明させた。そのためにカナンの地に入る。エリコも恐れてはならない。エリコはまた別の話です。ヨルダンとは別の話です。しかし、エリコの城門は固く閉座されました。軍人も出入りする者がいませんでした。見張っている人も指導者たちも皆逃げていった。だから、その町を回るだけで結構だというメッセージでした。これはとても重要なメッセージです。これはすでに皆さんを捕えようとしている暗やみの勢力は縛られてしまったということです。私はそれを確信しました。私たちの行く道のすべての呪いはすでに打ち砕かれたと信じています。これからはエリコを崩すだけで良いのです。エモリの連合軍を恐れる必要はありません。神様は空前絶後の答えとして、太陽と月を止めるような働きをしてくださいます。
▶この契約を握っていただきたいと思います。そうすると、別の答えが現れます。そこで皆さんが聖霊の導き受けるという言葉がいかに重要なのかを分かります。しかし、ほとんどの人がこの祝福を逃しています。聖霊の導きは迷っている姿ではありません。答えの道です。聖霊の導きを受ける皆さんなることを願います。躊躇しているように、優柔不断のように見えますが違います。聖霊の導きです。祝福を確認する聖霊の導きです。私たちが何か躊躇しているかのように見えるかもしれませんが、大きな祝福を正しく受けるための形が聖霊の導きです。これらのすべてを神はヨシュアに教えられました。神は一言で整理しました。「私がモーセとともにいたかのようにあなたとともにいる」と言われました。その中にすべてが圧縮されています。過去、奴隷でいた、そして、解放されたすべてのことを教えるということです。そして、恐れてはならない。おののいてはならない。すでにあなたが踏んだ血を与えると言えばよかったのですが、カナンをあなたに与えると言えばよかったものを、聖書はそのようには言われませんでした。「すでにあなたに与えた!」と言われました。それをヨシュアは知っていました。この記録のみことばが皆さんに成就されるように願います。そこで、礼拝のこのメッセージが、このみことばが6日間の間に成就されるように祈っていただきたいと思います。この契約を握って祈っていただきたいと思います。
▶ダビデはこう告白しました。「神のみことばを成し遂げる御使いたちよ、主をほめたたえよ」と言いました。聖書を確認してみてください。皆さんがみことばを握った瞬間、そのみことばが6日間、皆さんを導き、御使いたちを遣わし、神の働きが成されます。そして、詩103:1、「神よ。みこころを成し遂げる軍勢よ」と出てきます。今日、皆さんが神のみことばを握って、聖霊の導きを受けようと一歩一歩出ていくときに、神は天の軍勢を動員させて皆さんを導かれます。これを信じていただきたいと思います。神のみことばです。信じていないから、地球はどんどん難しくなっていくのです。神の民がこれを信じていません。だから、一生苦しむわけです。牧師先生方がこれを信じていません。だから、一生、牧会が難しいのです。神様の最も貴重な約束を信じていただきたいと思います。神が隣在されるところのあなたがたと言いました。ダビデがこれを知っていました。今日、礼拝中にみことばを握り、明日も皆さんの現場で握って祈っていきますと、6日間の間、そして、一生の間、天の御使い、軍勢を遣わしてくださいます。よく柳牧師はなぜサタンの話をいつもするのかと問いかける人がいます。聖書と現場は、それらの勢力でいっぱいです。だから、私たちの目に見えない形で、神は聖霊を通して働き、私とともにおられるということです。
▶最後に結びます。ヨシュアの名前の意味は何かご存知ですか。ヘブライ語でヨシュアです。この言葉を新約聖書のギリシャ語に変えますと、イエスと言う意味です。ヨシュアという名前を縮めてギリシャ語だとイエスです。つまり、ヨシュアというのは「主の救い」という意味があります。何を意味していますか。これから本当に来られるイエス•キリストの影であるわけです。ヨシュアが持っていた契約を続いて行っただけでもエリコは崩れました。まことの王の王、イエス・キリストが来られました、そのイエス•キリストを信じて受け入れた瞬間、どれだけの力が与えられるでしょうか。皆さん、信仰を持って待ってください。そうすると、神が皆さんに与えられたみことばは、みことばどおりに、みことばが成就する祝福を与えてくださるはずです。今、この時間もみことばを握っていただきたいと思います。お祈りします。


(祈り)
神様、感謝します。この時間も私たちはみことばを握ります。ヨシュア与えられた神様の証拠がそのまま起きますように。ヨシュアとともにいたときに、主が与えられたその御働きを次世代に伝えられますように。イエス•キリストの御名によってお祈りします。アーメン。